oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (34) 新手(あらて)のおもらいさん(乞食)現る、何故か無言のまま、反射的に「どうぞ」とジェスチュア―してしまう?!

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 もう30年?ほど昔の「お話」
である。
「ヒヤーッ、古っ!!」と
あきれる読者もおられるだろう
ことは、重々承知の上での投稿
である。
これぐらい昔話でも、oldboy君には、
つい昨日のような感覚に陥って
しまうのが情けない。





上掲のイラスト画像は、見ての通りの「地下鉄」である。

乗車駅は(地下鉄天王寺)だったように思うが、これも、いくらかあや
ふやである。

oldboy-elegy君、帰社途中のことだった。
目指す下車駅は、会社のある最寄り駅(堺筋本町)である。
現在の料金では230円となっているが、当時は幾らしたのだろうか。

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地下鉄天王寺駅のメインの切符売り場ではなかったようである。
券売機も3、4台程度しかなかった上に、なにやら薄暗く、くたびれ感、漂う
場所であった。

oldboy君、500円玉を取り出し、券売機に投入。

この時初めて気がついたのだが、白髪交じりの初老のお人が、彼の右脇に
ピッタリと立っていなさるのである、それも殆んど体が触れあわんばかりの
近さで。

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oldboy君「ウウン、なんだこの人!??」の気持ちがあったのは事実だが
それ以上のことはこの時はまだ念頭になかった。

ことはこの後、すぐに起こったのだ。

切符を取り、つり銭のあるトレーに手を入れると、なんとそこには、その
初老のお人の手が先に侵入していたのである。

oldboy-elegy君の指も、瞬間彼に触れたようであるが、つり銭はキッチリ、
彼の手でガードされている。

そう、彼、「新手・あらて」のおもらいさん(乞食さん)であったのだ。

見た感じ、そう言う種類のお人とは見えない。
白髪交じりの頭髪に乱れは感じない。
ただサンダル履きなのが、気にかかる。

この時、反射的に手を引いたoldboy君である。
「つり銭を取られてしまう!!」など全く考えもしなかった。
ただ「肌が触れ合った」気味悪さ故の反応だったと思う。

しかしこの方、2~3百円のつり銭を急ぎ、取り込み、すぐ先に見える
階段を登れば事は済むはずだが、それもしないのである。

ただただトレーの口を押えていなさるのである。

ここで彼と目があった。
いぜん、手はつり銭トレーの中である。

彼の目は
多少の申し訳なさとともに、「くれるのか、くれないのか、ハッキリしろ」
と言っている、「狡猾」さも見てとれる。

ただ、強奪をする訳でもなく「お前の了解を待っている、早くしろ」と、
無言で言っているのである。

ここで拒否しても、悪態をつくではなく、ましてや力まかせに強奪をする
感じでもない。

しかし、oldboy君の手と、態度は、「お金をあげる」ことに同意していた。
なぜ、そうなったのか自分でもわからない。
そしてトレーにつり銭を置いたまま、そこから少し離れる。

ここでも、この新手(あらて)のおもらいさん、表情に日がさすでもなし、
ましてや、喜びの表情が面(おもて)に現れることは無かった。

ただ当然のように、つり銭を手にし、急ぐ様子もなく、すぐ先の階段を上って
行く、悠々と。


すべてが、おもらいさんの予定知の中での、結論だったのかも知れぬ。
多分千円札でのつり銭は狙わないように思う。

(当時、千円札での切符購入が可能かどうかは記憶にない)

なぜなら、成功の確率が一気に下がり、いわゆる「危ない橋を渡る」掛
になってしまう、はずである。

結論
〇一人行動の乗客のみをターゲットにしているはず。
〇女性は狙わない(表情・雰囲気からは読めない怖さがある)
 今日のように、手が触れ合えば、大声で叫ばれることは「必至」である。
〇身なりの良い、いわゆる、出来そうな奴は危険(oldboy君あたりが
 ねらい目)
〇千円札でのつり銭客はねらわない

まあこんなところが、あやつの基本戦術で、最後は彼の第六感・感覚がものを
言う、

そう考えると、遅ればせながら、少々、oldboy君、腹が立ってきた。
なぜなら、自分が彼の御眼鏡(おめがね)にかなった人物・風貌であり、
事実その通りになったのだから。

ずっとずっと幼少のミギリ、月2回の大きな縁日が近所で開かれていた。
その折、お寺の石段の脇に「おもらいさん」が必ずおられたのを憶えている。

白のさらしの着物を着て頭にはカーキ色(濃い緑色)のヨレヨレの軍帽を
被り、まんまる縁の濃いブルーの色眼鏡をしておられた。
肩からは、アコーデオンが重々しくぶら下がっている。

いわゆる、傷痍軍人(ショウイグンジン)さんの「オモライ」さんである。
時には、松葉杖を石段の脇に置き、本人は杖に寄り掛かるようにして、足
を投げ出し、座っていた人もおられた。

oldboy君、この姿を見てギョットしたことがある。
片足が太もものあたりから先が無いのである。

アコーデオン曲の定番は、今日も暮れゆく「異国の丘」である。
子供心に何か、切なさを感じたものである。

終戦後10年少しのころであった。
今でも、彼らは正真正銘の「傷痍軍人」さんであったと信じている。

これに比べて、今日の「おもらいさん」、対極の存在である。
おまけに不遜すら感じる。

この間(かん)、始まりから、つり銭を手にした彼が去るまで、数十秒以内の事であったろうと思う

恐らく、券売機の前に立つ前から、この阿保ずら、それに裕福でも無い癖
に少額のお金ならルーズそうな奴、と見抜いての行動であったはず。

相変わらずoldboy-elegy君、ネクタイのノット(結ぶ目)は今日も下がり
気味である。

この仕事、もし人を間違えれば、大変なことになる。
少々小突かれるならまだしも、運が悪ければ、窃盗か何かで警察に突き
出されても文句は言えないものである。

ただ彼の最後の防波堤は
「強奪、強要は一切していない、いただけるかどうかの返事を待っていた」と、
もしもの時は答えるつもりだったのかもしれない。

oldboy-elegy君、時間が経つほどに腹が立ってきた。

あの、今日も暮れゆく「異国の丘」の「傷痍軍人」さんの時の「切なさ・
哀れさ」は、微塵も感じなかった。


           今日は、ここまで
              それでは   おやすみなさい   では では


              了
           oldboy-elegy

oldboy-elegy (33)テネシーワルツとストリップ劇場・当時の, ある法文系学生の生態と??、 IN KYOTO

日記?雑文?よくわからない。ともかく自分の人生の時空を行ったり来たり、
ちょっ可笑しく,すこし哀しいが何故か懐かしい物語でもある。オールドボーイ
諸君に幸あれ。

今日のこの記事、およそ半世紀ほど昔、学生であったoldboy-elegy君たちの
日ごろの
ひとコマを切り取り活写したものである。

この記事、実は、ブログ開設初日に投稿したものをリライトしたものである。
日付は2019・04・10 となっている。

悲しいかな、初投稿から今日まで、読まれた形跡は殆んどない。
今なら、些少なりとも見ていただけるかも、との思いで再掲した次第である。

当時(ほぼ半世紀昔)の法文系アホ学生の日常をご覧あれ。
                         by oldboy-elegy

                  

わたしは女友達に私の彼を紹介したんだ。 そしたら、その女に私の彼を
横取りされてしまったのよ」・意訳  
          
テネシーワルツ by Patti Page (パティ・ペイジ)

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いま京都にいる。
京都見物とゆうわけでもない。
学生をやっている。
下宿生活でもない。
ともかく高貴なお方が多く住むと言う?大阪は河内からの通学である。

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「  学費は出す、部屋代を出せとまでは言わぬ、家での食費はタダ、ただし
オカズに文句をゆうな、こんな好条件どこにある」、と我が敬愛する母上の
言である。

私oldboy君、文句をいえるはずもない。
「ははあーッ、ごもっとも」と首(こうべ)を垂れるばかりであった。

これで取りあえず最低、生存できる保証を得たことになる。

 高校の卒業式前に小さな塾での講師のアルバイトを先輩から譲り
うけた。
同じ高校の先輩が大学を終え、就職するにあたりoldboy-elegy君をと
指名していただいたものである。

人を見る目がない先輩であったことが幸いした、失礼。

ともかく、順調?に行けば、4年間のモラトリアム(社会人になる前の
猶予期間)期間をいただいた事になる。

何ゆえか、この時代の新聞、地方版全面を充て、そこに、なになに大学
の合格者氏名を高校別に掲載していた。

順次、私立大学から始まり国立、公立と約2か月弱の間の恒例であった。

なぜこんなプライベートなことが、新聞、それも大新聞と言われる紙面
を飾るのか、今にして思えば不思議に思える。


こんな新聞を見ている近所の口さがない大人連中「oldboy-elegyちゃん、
なになに大学合格したんやて、おめでとうさん」これで終わればまだ辛抱
できるが、必ず次の言葉がくっ付いてくるのである。

「つぎ何処、受けるの?」この言葉は、次の大学、受ける人にも、受けない
人にも最悪である。
ともかくも、国立、公立至上主義の土地柄もあり「この次は?」とくるの
も当然と言えば当然である。
  
彼、一応国公立、理系の受験科目数は満たしてはいたが、多分に恰好だけの
ものであった。
私立は基本3教科、公立、国立5~7教科。

しかしoldboy-elegy君、私立大学に受かったとたん、やる気は雲散霧消、
「これでいいや、これでもよく受かったもんだ」と自己満足と自己弁護。
スタコラサッサと即、受験戦線から逃亡を決め込んだのである。

oldboy君、近所のおじさん、おばさんに「これで終わりです」と、小声で。

 ここで少し困ったことが、先輩の塾での受け持ち教科、数学と理科
なのだ。

いくら中学生中心といえど、oldboy君、純度100%の文系一択の学生であり、
高校での「理系進学コース」は「ツブシが効く」位の発想での在席であった。

結果、高校時代は一貫してアホはアホのままで、化けることはなかった。

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言いたくはないが高校、卒業前の物理の試験、2回チャレンジ試みるも2回とも
あえなくアウト。

最後には教官自らが禁じ手発動。

 最終の3度目の再々試験、大問2題、中学に少し毛が生えた程度の軽量問題を
出すと宣言。
その上、まだ御心配だったのか何日か前にガリ版刷りの問題用紙をバカ生徒
何人かにヒラリヒラリの手渡し。

一応、理系進学コースで、50人中、女子も数名、在席していたが、何故か
落第危惧種は(5~6人)すべて男子学生である。

こちとら肩をすぼめ頭をカキカキありがたく、出題確定問題、掲載の用紙を
両手でウヤウヤシクいただく。

公衆(学生)の面前で「俺に恥をかかせるな」と、のたまう教官。
口に手をあてクスクス笑ってやがる女子(おなご)もいる。

最後にこの聖人先生「この中の問題からそのまんま2題だす、いいかもう
一度言う、そのまんまだ、解けないやつは理科の準備室に来い、回答も作って
ある、俺もいちいちお前らに付会って説明する根気はない!」と一括。

それからこのバカ生徒の中の一人、佐原に向かい、「ほれそれ・・・ピアノは
上手くなったのか?」と小さな声で一言。
当の本人「はい」とキラキラ星の笑顔、教室中が静まっていた。

ここまで綴ってきたら、随分昔のことだが、その場の状況を思い出すこと
しきり。
  
ただこの高校、病気、大幅な出席不足以外、学科の成績だけで落第は
出さない事で有名であった。

数学や理科を塾で教え始めて思ったことがある。
「案外俺いけるんじゃない」なんせ飯のタネなのだから。

2月の中旬(高校卒業前)から教え始め4月に入ればもう自信を持ち始める。
このあたりoldboy君、基本的に人間が軽くできている。

そう、京都に通うようになり一年を少し過ぎたころのことであったと思う。

出来の良くない学生4人が京都では一番の劇場(なにが一番か俺は知らない)
と名高いストリップ劇場、千〇ミュージックご登場である。

このうちおれも含めて3人はこの手の劇場は初めてではない。

九州は福岡出身のOなど在学中に半券50枚を収集して「我が家の宝にしたい」と
豪語していたが、しばらくすると熱が醒めたのか、目標が麻雀に変更とあい
なった。

もう一人は出身地はともかく学生服に角帽、足元は白緒の下駄といういで立ち
である。
おまけに腰の後ろには日本手ぬぐいがぶらさっがっている。

当時、このような風体の大学生はママ存在した。

角帽、下駄は別として、詰襟(つめえり)学生服だけに絞れば結構多くいた。

oldboy君も入学式は学生服であった。

高校時代に着ていた学生服に大学売店で売られている校章の刻印されたボタン
を付け替えればOKである。

あ~そうそう、襟章もそう言えばあったな。
詰襟の右部分には校章、左には学部章、Tが工学部、Cが商学部、Eが経済学部 
などなど。

俺(oldboy君)も学生服姿のモノクロ写真を1枚、今も持っている。
角帽もあったのだが、クロ(我が家の自由猫の名)のお休みどころとなり、
彼がいなくなったあと?角帽は行き方知れずの状態である。

学生服姿のoldboy君のモノクロ写真、上半身、左半身からのものである。
やや長髪で、天然のウエーブがかかっている、当時、このくせ毛、あまり
好きではなかった。

今では、短髪仕上げの白髪頭のせいか、波打つふさふさ毛髪を恋しく思って
いる。

もう一人Y君、ちょと見は遊び人風ではあるが実際は嫌味のない良いやつで
ある。
Oが誘ったらしい。

因みに彼は北海道の首都出身。
じつはこのY君に関しても後日談がある。
またいつか、話すこともあろうかと思う。
ひとつキーワードとして「大蔵映画」とだけ報告しておく。


入場料はハッキリとは憶えてはいないが400円前後したのかな?。 
学卒初任給20.000円弱程度の時代であるのを考慮すれば安くはない。
ググればたぶん分るだろうが、 oldboy君の主義ではできるだけそうしない
で書いて行きたいと考えている。

なぜならこの話、半世紀も昔の事、多少の「茫洋感」も、かえって、リアル
感を醸すことになる、と考えている、
と言えばかっこが良いが実のところものぐさでいい加減な性格、これが本当の
ところかもしれない。

ホールの中は暗い、ちょっと離れれば互いの顔もハッキリと認識できぬ。

ただその闇の中にスポットライトに照らし出された舞台が浮かんでいる。


客席から見ると一番奥の舞台がホール一杯に左右に広がり、舞台袖はその
まま楽屋に繫がる、その最初の舞台の中央にT型にウオーキングステージが
ホール中央に向かって伸びる。
そして客席の真ん中で半月の形をした大きな最終ステージにつながる。

つまり全体としてを思い起こせばよい。
左の縦棒が一番奥のステージ、次の横棒がウオーキングステージ、次の縦棒が
客席に突き出た最終ステージとなっている。
横棒の上下に分けらた部分も客席である。

ステージの裏は楽屋であり、踊り子さん達の宿泊施設でもある。


およそ10人前後の踊り子さんと1~2人の男性で一座をなしている。
入場券のもぎりは,もぎり嬢、と呼ぶのが普通だが、こちらの世界では
もぎり男が普通のようである。

O君など、なれるものなら、なりたいものだとちょっと憧れていらしゃる。
一座は半月からひと月程度で次の巡業地に旅たつのが習いである。

吊るされたミラーボールの赤、紫、青、黄色の光が小さな劇場の壁や天井、
客席の男どもの顔を嘗(なめ)回す。

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踊り子たちの衣裳は洋装が和装よりやや多い、和装の踊り娘(こ)は
そうでない子に比べて少し年が上のように見受けられる。

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オープニングステージは今日のラインナップを飾る踊り子全員のお披露目の
ラインダンスで始まる。
客席からは男どもの「黄色い声援??」が飛び交う。

それぞれヒイキの踊り子さんに向かって「〇〇ちゃーん、今日もたのむでー」と
声援のシュプレヒコール(集団唱和)でのスタートである。

なにを「たのむか」oldboy君は知らない!?。

何人かの踊り子さんたちが入れ替わり出演したあと、今でも忘れない、
薄く透けた紗のガウンに身を包んだ少し小太りぎみ の若い踊り子さんが
登場。

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なんとその踊り子さんのダンス曲、それこそが「テネシーワルツ」で
あった。
おまけに江利チエミさんでも、美空ひばりさんでもなくあの
「パティ・ペイジ」の「テネシーワルツ」をバックミュージックにしての
振り付け??である。

すまん、ゴメン、もっと高尚なお話を期待した諸兄を椅子からズッコケさせた
かもしれない。

この曲「パティ・ペイジ」がオリジナルと言うわけでもない。
彼女自身も何人かのカバーで歌った歌手のひとりのはず。

日本でヒットしたのも彼女の「テネシーワルツ」があったからだと俺は
思っている。

その上、英語の歌詞が日本人にとってもすこぶる分かり良いのであるが、
この点を誰も言わないが、これもヒットの一因であったかも知れない。
英文歌詞を検索されてみるのも一興かと。

断わっておくが、「江利チエミさん」が嫌いなわけでもない。
ただ、この曲に関しては、あの少し鼻にかかった巻き舌部分の英語が好きに
なれなかったのである。


そのうえ「パティ・ペイジ」の歌う歌詞の筋立てと日本人歌手も含めた多くの
リメイクの歌詞の筋立てと違っているようである。

つまりこうである、
「私はボーイフレンドの彼氏とダンスパーティにいった、そこで彼をわたしの
女友達に紹介した、そして私はその女友達に彼氏をストールンされた。」が
ペイジの筋立てである。

日本人歌手も含めてほとんどの歌手のカバーはこれとは違った筋だてに
なっていた。

「男性が自分の彼女をダンスに連れていき、彼女を自分の男友達に紹介、
そして自分の彼女を男友達に奪われた」と。

一人称の「わたし」の性別が入れ替わっている。
oldboy君の感性からは後者の感覚はありえないのである。


目前の「ヌードダンス」と中高生のころ聞いた「5級スーパー真空管ラジオ
から流れるパティ・ペイジ」の声が混然一体となり、oldboy-elegyを恍惚の
エクスタシーに引き込んだのである。

サムネイル画像として使用している「布団に入りラジオを聞いている図」
などまさにoldboy-elegy君の自画像そのものである。

ホントに「いらすとや」さんには感謝の一字です。

そしてもう一つ気になったことがでてきたのだ。

最近のことだが、このブログを書くにあたり もう一度「ペイジ」の
テネシーワルツ」をyoutubeで聞いたのだが「Tennessee waltz」の最初の
Tenne」の部分の発音がいくら聞いても「Chenne」にきこえるのである。。


カタカナで表すと「ネシー」と「チェネシー」ぐらいの感覚だ。

ほかのアメリカ人歌手では「ノラ・ジョンズのテネシーワルツ」、やや
ジャズっぽい歌い方だが、聞き耳を立てて聞いてみるが、Tenneに近い発音、
最近の僕はこのペイジの「チェネシー」にぞっこんです。

これ日本語で言う「〇〇弁」の一つでしょうか?どなたか推察でもよいから
教えていただきたいものです。
あるいは「お前の耳がおかしいのでは」でも結構です。

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 5級スーパー・真空管ラジオ

 です。






これらの多くのアメリカンポップスが僕の中学、高校生のころ、五球スーパー
真空管ラジオを通して洪水のように流れ込んだ時代でした。
本当に何もかもが新鮮で布団に潜り込み、毎晩のように聞いたものです。
(僕のプロフィール画像のように)

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左の画像はoldboy-elegy君深夜放送を聞いているイラストでる。
あわせて、ブログ全体のサムネイル画像としても使用している。そして彼の枕元右側にある黒い箱が、「5級スーパー真空管ラジオ」
である。






恋の片道切符
」・ニールセダカ、「谷間に三つの鐘がなる」・ブラウンズ、
トムドウリー・500マイル」・キングストントリオ、「煙が目に染みる
・プラッターズなどたくさんたくさんありました。

これらの曲の一つが「Tennessee Waltz・by Patti page」だったのです。

話を終えるにあたり。それぞれの結末を報告いたします。
2回生の春から「英語購読」なる授業がありテキストは「倫理学」・筆者は
英国の哲学者バートランド・ラッセルです。

この知的であるはずの授業のあとワルが連れもって、千〇ミュージックへ。 
倫理学とストリップ劇場、なんたるや、この落差、ラッセルもビックリ、
oldboy君の倫理はどこに行ったのやら。

もう一つこの日の「千〇ミュージック」は終始不穏な空気が流れていたのです。
客の怒声を聞けば察しがつくと思う、

「やーい、刑事かおまわりか知らんけど、弱いもんいじめスンナ、木戸銭ちゃん
と払ったんか、わいらおねいちゃんの味方やからな」などなど。
時折こんなこともあるらしい。

何が起こったのか、たいていの人はわかるはず。

当時の5級スーパー真空管ラジオの値段(これをググってみた)。
およそ5千円前後、学卒初任給20.000円弱程度、してみれば結構高価なものである。
oldboy君、家にラジオが来た時のことを覚えている.

もっと小さなころ今は亡き義兄が鉱石ラジオを作ってくれたのを突然に思い出した。
電池も、必要ナシ、深夜になれば案外しっかり聞こえたりして、見た目は悪いが
気に入っていた。

かまぼこ板や赤黒いエナメル線の円筒形のコイル(鉱石ラジオの
部品)を、どうかしたはずみで思い出す。
今となれば、およそ半世紀もの時空の彼方の出来事である。

当時交錯した多くの人達は、今は幻影の中にのみ存在する、懐かしくも何故か
哀しい物語となってしまった。


それでは オールドボーイ諸兄もそうでもない人も、よい夢を

            では では おやすみなさい


                 了

                oldboy-elegy

 

oldboy-elegy.hateblo.jp



oldboy-elegy (32)中古ジャンパーを前に、母とのやり取り、そして、その結末。彼女のいたずら心に思いをはせる

 

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変哲もない男物のジャンパーである。
イラスト画像からくるイメージと何故か分らぬがチョイと違う。

いくら「いらすとや」さんと言えど、いつもoldboy-elegy君の望むものが、
ドンピシャで
あるとは限らない。
左掲のイラスト画像を見つけただけでも感謝せねばバチが当たる。




まず、全体の色目である。

画像はやや迷彩柄になっているが、oldboy君の買ったそれは完全な
単色でもう少し濃い目の、いわゆる「濃モスグリーン」である。

あと、袖口・腰回り・ネック に伸縮する(ゴム編み)が施されている
のは
画像と同じである。

ゴム編み部分の色は身ごろよりさらに濃いのもそうである。

決定的に違うのは、oldboy君のそれは、フェイク(偽物)で作られた
ファーの着脱可能なチョッキ(今で言うベスト)が付いていたこと
であった。

身ごろ裏側にリボンの小さなワッパ、チョッキ側にやや大きめのボタンが
ポイント、ポイントに付けられ、これに引っ掛けていくのである。
つまり、着脱式のベストで寒い日に付け、温かい時にははずすのである。

素材であるが、厚く織られた綿布(多分)であるが、帆布のような
ゴワゴワ感はない。
コーデユロイ(生地表面に段差がある織りかた)でもない。
当時はやりの合成繊維では決してない、

ただ、この品、古着やの壁にかかっていた時には感じなかったが、こうして
手元でよくよく見ると、少々着古され,
くたびれ感が生地の色目や裾・
袖のゴム編みに見てとれる。


これまで幾人の人達の手を経て、今ここにあるのだろう。
それを思うと、ジャンパーを連れて帰りたくなったのである。

oldboy君,もちろん購入を決定!!。



    
         ここから本文である

             ★
● 中古ジャンパーを手にいれる

いまアルバイト先である鶴橋の国際マーケットの鮮魚店を出て、「米軍、
放出品も、鶴橋一」の看板のある古着店の前にいる。

鮮魚店は昼には卸売りが終わり、そろそろ一般客が来る時間である。
oldboy君達数名のアルバイト店員の仕事もここまでである。

だがoldboy君、急いで河内まで引き返し、花屋のハルさんの「門松づくり」
を手伝わねばならぬ。

塾は年末・年始のお休み期間である。

門松は全量、大阪市内のバーやクラブなど花街に、「ヤクザやさん」
を通じて販売されることになる、それも無理やりの押し売りである。

年末のここ、鶴橋の国際マーケットは混とん(カオス)の世界だ。
あらゆる店舗には怒声が飛び交い、師走の人いきれでムンムン状態なのだ。

お金の持ち合わせはなかったが、アルバイト先の店名を言い、31日の
昼過ぎにはお金を持ってくるので、「確保」して欲しいと交渉、
店長も魚屋の名を知っていたみたいで、交渉成立、目の前でハンガーから
下ろし、新聞紙にくるみ、奥に持って行った。

支払いの時、いくらか安くしてもらった記憶もある。

こうして手に入れた中古ジャンパー、高校、大学の冬場の私服は、殆んど
これ一着で済ませたようなものであった。

11月も半ばになると、これのお出ましである。ファーのベストは装着しないが、
ジャンパーのみでOKだ。

冬場になれば、合繊のフェイクベストを付ければ結構、暖かい。

ジャンパーの下には母手作り(棒張り編み)の無地のセーターを着こむ。

彼女(母)は棒針編みの名手でもある。
oldboy君、毛糸のカセを両腕に引っ掛け、クルクルと母が毛糸玉を作る
手伝いをしたことがある。

もう解かれてしまったが、左肩から右裾にかけての前身ごろに、スキーを
する男の子の模様が入ったセーターがあって、小学生のころ結構気に入り良く
着ていたのを思い出す。


3月一杯はもとより、ファーと取れば、4月の中旬まで着れぬことはない。
およそ年の半分をこのジャンパー 一着で賄っていたようなものである。

あーそうそう、oldboy-elegy君、シーズンが終われば、唯一、クリーニング
店に持ち込む衣類がこれであった。
それぐらい気に入っていたのである。

もちろん、母上にお頼みしクリーニングに出すのだが、何故か料金を
払った覚えはない。

さあここまでつらつら書いてきたが、タイトルの「母とのやり取りと、
彼女(母)のいたずら心に思いをはせる」その意味はと、イブカル読者諸氏も
おられることと思う。

ここからが本文中の本文である。

以後、大学卒業までの、あしかけ6年間、このジャンパーにお世話になる
ことになる。

● お気に入りの中古ジャンパー、ご臨終か?

ここからがタイトルの「母子の言葉のやり取り」である。
言葉そのもを一言一句キチンと憶えているわけではないが、それぞれに
結果があるなら、このような言動があって当然と考え、書いている。

確か、大学3年の冬の頃、
「あんた、それ何??!!」素っ頓狂(すっとんきょう)な声とともに近づいて来た母、後ろからoldboy君のジャンパーの左袖を取り、しげしげと御観察。

「あんたジャンパー脱ぎ!!」と宣い(のたまい)、袖に自分の腕を入れ
しげしげと見入っておられる。

「あんた、このジャンパー、ご臨終かもよ」と母の宣告、袖の後ろ左肘の
部分に自分の腕を入れ、指を内側から外に突き出してなさる。

「母ちゃん、何すんねや」と静止したが、なにげに「マアーマアー擦り
切れてはるわ」のご診断である。

「あんた、塾や学校何着て行くん」と母も思案顔、
「セーターは何枚かあるから、いいとして、上着やな、あの茶色の替え
上着・・・」

(替え上着)とは今でゆうところジャケットぐらいの位置づけかも。
セーターは全て母の手製である、彼女は「棒針編み」の達人なのだ。

と言いながら、目の前のoldboy君専用の白木の洋服ダンスを開けている。

「なんやこれ樟脳の匂いキツイな」と言いながら、窓のカーテンレールに
懸けておられる。

oldboy君、突然の不吉兆にダンマリにして、不機嫌なご面体(めんてい)
である。

「今から、鶴橋まで気に入ったの買いにいくか?お金なら月賦で貸して
あげるで」と母。

それでもダンマリのoldboy君、ショックが尾を引いているのだ。

● 母、ジャンパーの手術(繕い)を提案

ここで母のお顔に突然の破顔の表情が浮かび、「あんた、それやったら、
うちが、継ぎ当(つぎあて)して繕う(つくろう)てみようか?」の
まさかの提案である。

「でけんのか?」と不信顔のoldboyくん。

「もちろんできるわよ、ただあんたが気に入って着るかどうかが問題
だけや」と母。

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以前にも記事にしたことがあるが、母は夏場の一時期を除いて、一年の
殆んどを着物で通したお人である。

今ももちろん、着物姿であるが、上から、真っ白な「割烹着・かっぽうぎ」
ハオッテおられる。
※割烹着 着物を着ている人が家事労働などを成す場合、そのまま上からはおる、
仕事着で、多くは真っ白なのが普通。

着物をほどき、反物になったそれに、ノリ張して、天日干しをし、
再び縫い直すのも平気でやり通す、お人である。

向かいの大きな家の、長い土塀を借りて作業をしている母をこれまで
幾度となく見てきている。

「ほんだら、母ちゃん(継ぎ当て)やってみて」と母の腕を信用して
不承不承(ふしょうぶしょう)ながら了解。

ジャジャーン
そしてできたのが、この下の画像なのである。

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誠にヘタクソな図でゴメン。
ジャンパーを後ろから見て
左が左袖の肘部分で、何故かそんなに擦り切れていなかった右側肘部分にも継ぎ
当てが。





まず、左袖を見てくだい。
どうみても、誰が見ても、ハートマークが逆立ちしたものにしか見えない。
あの傷み具合から見て、なぜこうなるのかの必然がないのである。

母いわく、
「始め小さく、ほつれ部分を切り取ったんやけど、すぐに大きく傷口が
広がりそうやから、結局大きく切り取り、あて布をしっかりと、繕(つくろ)
った」とのこと。

「それは分かる が、何故ハートマークがそれも逆立ちに?」と聞くと、
「遊び心にチョッピリ火がついて」みたいな返事が返ってきたのである。

右の楕円のマークは、早々ダメになるだろうと判断して先手を打った
とのご返事であった。

「マー、ぶつぶつ言わんと、着てみ」と促され袖を通す。

洋服ダンスを開けると、開きのドアに貧弱な鏡がはめこめらている。
袖の、肘を曲げ伸ばし、して見るが、何故か「これはこれでいけるのかな」
の気持ち。

へたな図をもう一度みて頂きたい。
まず、もともとの地色の濃いモスグリーンは、図の黄色ぽいグリーンより、
ずっと濃い色目で、継ぎのハートは濃紺である。
ハート柄も思ったほど目立たない。

もし、これが赤やピンクなら、どうだったのか?
今思うに、案外着ていたかも知れない、との思いも、何処かにある。

「あんた、そんなに目立てへんよ、いけるいける」と自画自賛の母」

oldboy-elegy君も、母の語勢に押されて、その気に。
「まあ、肘やし、見ようと思えば見えるけど、普通にしてれば自分で見る
事もないし」と、愛しのジャンパーの(成れの果ての姿)を見ながら、不承
ながらの了解顔。

最初の幾日かは、幾分のコッパヅカシイ気もあったが、やがて気にも止め
なくなった。

塾では、生徒たちに「先生、かっこいいやん」とか言われて、まんざらでも
ない気分に。

母には、この気分の変化を見ぬかれ、
「どやあんた、気に入ってるんちゃう」と言われる始末。


大学のクラスの連中も、初めは「笑って」いなさったが、今は
いたって無反応である。

なんと言っても、このハート付きのジャンパーの晴れ舞台は大学の
クラス(ゼミ)の女の子、S子と、これを着て映画に行ったことである。

このハートの継ぎのジャンパーを見て、断わられるかもと思いながら、
誘って見たら「良いわよ」のご返事。

彼女、実に聡明にして品のある人で、ゼミの発表にしても、哲学的命題に
しても、その理解度には感嘆したものである。
oldboy君とは恥ずかしながら、地頭がちがうようである。

彼女、山陰のある田舎町からの下宿生活であった。

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逆にoldboy-elegy君の左袖を取り、しげしげ見つめ、「あんたのお母さん、
器用でセンスあるなあ」とオホメノ言葉をいただいのである。
もちろん、このことは母に言ってない。
男の子とはおおむね、そんなものである。
後悔すること、「しきり」である。

映画の内容はさっぱり憶えていないが、何故か題名はしっかりと記憶に
ある。

アメリカ映画で、「スペンサーの山」であった。
G検索してみると、主演俳優はヘンリー・フォンダモーリン・オハラ
ある。
当時きっての、大俳優たちである。

映画館は京極通りに入った広場の東側にあった、劇場の名も忘れている。

しかし、oldboy-elegy君、隣のS子の息遣いや袖の触れ合う感触は憶えて
いる。
しょせんは、下品な奴なのである。

ただ彼、ここで大きなミスを犯していたのである。
後先考えず、授業のあと、彼女を誘ったのであるが、
まさか、このデイトの誘いを受けてもらえるはずはない、と勝手に
決め込んでいたのである。

そう、この日は、塾の授業がフルタイムである日なのである。
映画の後の食事もできず、理由を話し、お茶もせぬまま、大阪は河内
に急いで、とって返したのである。

oldboy-elegy君、どうもドジっぽい性格は性(サガ)のようである。

もちろん、これ以後2度とこのようなチャンスは巡って来なかった。

大学を卒業後、oldboy-elegy君、単独で3度ほど転居したのだが、
(あのジャンパー)は、いつとはなしに手元から消えてしまっていた。



母の、手ずからの温もりも失った。
すべて、この年になって気が付くものなのである。

 かるい、ため息を吐きながら、当時の己を振り返る。
らしいと言えばらしいと言えるが、同時に間抜けでもある。

まあこれも性分、良しとするか、とご納得。
懐かしく、ほんのり甘酸っぱい、良き思いでもある。

それでは、この記事で無しえなかった続きの夢を期待しながらご就寝
することに。

             では、では 

               了


                    oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 22 ) 井野さんを通じて外国語との付き合い方を学ぶ。

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井野さん、場末の薄汚れた
食堂で
食事をとることが多い









過去に記事のタイトル(oldboy-elegy(15)ソウル暮色) で井野さん

を通じてのあれやこれやの体験を思いつくままに書かせてもらった。

内容は●官吏の横暴・闇の両替商・この部屋を予約する理由・ベルボーイ
の視線の先 の四つを1記事として投稿した。

今日の記事は、ソウルでの出来事を記事化するのが目的ではなく、彼、
井野さんと付き合っていく中で知り、感じた、外国語との付き合い方に
関して
思いを述べたくなった。

当然、oldboy-elegy君の数少ない読者諸兄の中にも、結構な割合で
外国語(
殆んど英語)に関してのブログ記事を出稿されているかたも
多い。


基本それは結構なことであると思っている。

ただ視点を変えて見ることも必要ではあるまいかと考え、これも
「独断と偏見」
をもって、いささかの思うところを記事化して見た。


今日の記事は、ある一つの雑記を、雑感として記事化したので、
雑感・雑記帳 No.22 )としての扱いである。


久方ぶりの「雑感・雑記帳」である。

まず「井野さん」の人柄、風評、などを簡単に書いておく。

もちろん、前の記事にも書いたのだが、もう一度おさらいする。

彼を評する言葉の多くはネガティブなものが殆んどである。
「一匹オオカミ」「韓国・ソウルごろ」「情報や」「利権や」、
ひどいのに
なると、「往復びんた」などなどである。

因みに「ソウルごろ」の「ごろ」は「ゴロツキ」の意で、
「往復びんた」は
発注先、受注元 双方から利ザヤを「かすめ取る」
からなのだそうな。


ただ一つ良い評判?は「話し言葉の達人」と言うことである。


        ここから以下が本文である。
               
               ★
①井野さん、食事はホテルで取らず、外国人(日本人も含む)が利用
しないような
場末の食堂を好んで行く。

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まず彼、ホテルでの食事は殆んどとらない。
時おり、商談などでコーヒショップで見かけることはあっても、
ホテル外での飲食が中心で生きておいでだ。

つまり現地の人達が出入りする食堂などは、「聞く・話す」の
トレニーングの場所としては最高と心得ておいでになる。

以前、「外国語を話せるようになる極意ってなに?」と聞いた事が
ある。
                                   
その時の返事が、およそ、こうである。
「言語の4要素、の内、読む・書くをいったん横に置いて、忘れる
ことや、あかんぼうや幼児を見てみ、読み書きから言葉を覚える子供
なんておらんやろ、全て聞く、喋るが基本やろ」と。

それが彼の他言語に対する、アプローチ方法で、これを体現化した
ものが、普段からの行動である。

場末の、飲み屋や食堂に好んで行くのも、このことが目的の一つ
ではあるが、それ以前に、井野さんには楽しく、自然な事なのである。

つまり、日本語から隔離されることが心地良いのだそうな。
oldboy君にもその傾向はあるが、なんせ基本的な素材、能力
が多分に不足している。

見た目には、少々薄汚れ、外国人が来店することは皆無かもしれ
ない店である。
「まあ、胃腸の丈夫なことが条件やけどな」愉快そうに笑っていなさる。

そう言えば、oldboy-elegy君、毎度、来韓のおり、2・3日は胃腸の
調子がシャッキとしないのが常である。

ある時、oldboy君に、井野さんから「お昼食べたか?」と電話が
あった。

「うまい参鶏湯屋が近くにできたと聞いたやんけど、いけへんか?」
とのお誘いである。
もちろん、否の理由はない。

ホテルの玄関で待ち合わせ、一方通行を逆行する方向に歩く。
すぐに左に折れ、坂下に出ると、角にその(参鶏湯店・サンゲタンテン)
を見つける。
※ 参鶏湯(さんげたん) 韓国(朝鮮)風の「薬膳料理」で「補身料理 
の一種
でもある」日本で言う「うなぎ料理」的存在。
若鶏一匹の腹部に、高麗人参・もち米・くるみ・松の実・ニンニク・漢方 
などを入れ「グツグツ」と煮、白濁したスープと一緒に、食べる。
多くは土鍋で出される。


井野さん「アレ、ここ、以前、日本風のそば肉やがあったとこやな」
と店を見る。

店内に入るや、30才前後の黒い前掛けをした若者が井野さんを見るなり
「イノシー!」とニコニコ顔でやって来た。

「イノシー」は「井野氏」であり、敬称の混ざった「呼称」である。

どうやら以前の(そば肉屋)からの知り合いの御様子であるらしい。

店はお昼ドキで多忙の様子である。

「この店、あんたの店」と井野さん。
親戚中から借金しての出店で、一応自分がオーナーであるらしい。

この一連のやり取りは全て、韓国語である。

oldboy-elegy君の聞き取り能力では、多分に無理がある。
およその見当はつくが、言葉から来るものより、ことの成り行
きから読み取ったものである。

井野さん曰く、「日本人のお客もどんどん連れて来てほしいやて」
との事で、さっそくあんた、oldboy-elegy君のことも、名前は告げて
ある由、「少しはいい事もあるやろ、名刺でも渡しておいたらとの
ことである。

oldboy君自身も、ホテル裏のストリートフードではなく、
ストリート雑貨店の店主、パクさんと仲良くなり、僅かな授業料と
ルームサービス・フードで夜、時おり部屋まで来てもらい、韓国語の
教授をしてもらっている。

しかし、朴さん、日本語がうますぎ、多少の韓国なまりはあるが、
殆んどネイティブ日本人なみ。
つい4・5年前まで、大阪の生野の韓国系の小さな印刷会社の営業マン
をしていたらしい。

いつも、勉強は横に置き、ワーワーと、大阪の近況などで
もりあがる。
oldboy君の語学才能のなさもあってか、折角の家庭教師も効果薄
の状態である。



②長らく使っていない言語、僅かな時間で、そこそこ復元する井野さん


またある時などは、井野さんと二人してホテル2階のコーヒーショップに
入った時など、大向うから「井野さん、イノさん」と4、5人いるボックス
席から突然、声がかかり彼をその席に招き入れた人の一一団があった。

その彼等の風貌がおよそ韓国人とは違い、どう見ても東南アジアの
インドネシアあたりの人達である。

oldboy-elegy君、通路を挟んだ、向かいの無人の席に座り、この様子を
ニコニコしながら見ていた。

始めは日本語交じりの英語での会話で、時間が経つほどにインドネシア
語が混ざり出しての会話である。

時間が経つほどに、インドネシア語が多くなる。
記憶の潤滑油が脳内、口内を一渡り巡ったのであろう。
井野さんを囲む彼等、そのたびに、大喜びなのである。

このグループの二人が以前から知り合いとの事。
約2年ぶりに異国の地で偶然に顔を合わせた喜びの雄たけびだったの
である。

じつは彼等はインドネシアジャカルタの空港のJAL地上職員とのこと。
研修の一環として、初めての来韓とのことである。

おしゃべりするほどに、長い間、使わなかったインドネシア語
滑らかになる、彼。

井野さんの真骨頂である。

ただし、言葉の4要素(聞く・話す・読む・書く)のうち読む、
書くは、インドネシア語に関しては、からきしダメ、聞く、
話すに就いては多少は出来るとのことである。

oldboy-elegy君、彼等の隣のボックス席から、嬉し気な彼らを見て
和む。
最後に井野さん、飲み物を振る舞い席をたつ。


③ある関西系の有名商社の依頼で単独にて北アフリカに出張

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井野さんによる出色ものの話は、数年前に北アフリカを、東から西に2か月ほど、
ビジネス・市場調査名目で出張されたこともある。








依頼先は、大阪発祥の総合商社である。

もともとの依頼元は綿布の織物工場や染色工場などである。

売り込む品(しな)は無地の綿布や、化繊、合繊のカラフルな
プリント布地である。

正直、自社の人達は誰も行きたがらないため、井野さんにお鉢が
回ってきたのが本当のとこらしい。
もちろん、井野さん、二つ返事でOkしたのである。

oldboy-elegy君の拙い知識では「アフリカと言えばスワヒリ語
と思っていたがそうでもないらしい。

アフリカで言語を一元的に語るのは不可能のようだ。
なんせ、アフリカ言語としては1000以上、本当のところ良く判ら
ないのが実情であるらしい>

ただアフリカの殆んどの国が、フランスを始めヨーロッパ諸国の植民地
であったため、旧宗主国を持ち、その国の言語が「第一公用語」と
なっているらしい。

それ以外にアラビア語、英語が有用な言語で、ようやくその末端に
現地語たる、スワヒリ語が登場する。

この中で、井野さんが、ある程度キッチリ使える言葉は英語のみである。

ここでも彼の出発点はソウルと同様で、現地人専用の食堂や市場であった。
覚えたての現地語を英語に挟み込む手法である。

これが現地人に結構喜ばれ、気に入られたとの事。

成約反数(たんもの)は多くは無かったが、商社の担当課長から
「またの折にはよろしく」と言葉をもらったらしい。

oldboy-elegy君の推察だが、井野さん、何百枚かの名刺と詳細な市場報告書
をセットに提出したはずである。

いらい、oldboy-elegy君、彼のような外国語の使い手に会ったことがない。
旨いだけの人はいくらでもおられると思うが、そこに血と肉が一体と
なったお人を。

いくら英語を始め他言語に通じていても、こうはいくまい。
言葉の前に「井野さん」人が好きなんだ、言語の前に「まず人ありき」
なんだと思い知ったoldboy-elegy君であった。

それよりなにより、彼の風評が日本人の間で芳しくない事が不思議と
言えば不思議である。

最後に、俺、井野さんの人柄に少しでも近づこうと思うが、一人で
薄汚れ、現地人しか出入りしないような食堂などはちと荷が重い。
「井野氏」と同伴ならどこでも就いていくのだが。

oldboy-elegy君に、会社がもしアフリカでの単独ビジネスを命令、
下知されたならきっとこう答えるはずである。

「ハアッ、会社辞めさせていただきます」 
基本、彼は肝の座らぬ根性(コンジョ)なしなのである。

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本文とは直接関係はないが、以下に「賛」
として書き添えておく。

「またウオーカヒルシェラトン・ホテル
(カジノ)に連れて
行ってください!!」


     VIVA 井野さん



と言いたいが、もう随分と、遠い昔話になってしまった。
ご健在かどうかもしらない。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。


    今宵はこれまで お休みなさい  ではでは


                了
  
              oldboy-elegy

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oldboy-elegy (31) ソウル(Seoul)暮色 1・戒厳令下のソウルでのあれやこれや!!・嵐の中の飛行と手荷物検査官の少額ワイロ

 

f:id:oldboy-elegy:20200809150749j:plain実は、この記事、oldboy-elegy君がブログなるものの「右や左・上や下」など、
なにも知らずに書き出したころのリライト版である。

出稿日は(2019・05・19)となっている。






因みに、ブログをやり始めて一月少々のころのものである。

記事数も月3記事ほどで、このペースは今も変わらない。



もともとのタイトルは

 oldboy-elegy (6) 戒厳令下のソウル(Seoul)・たくましきかな韓国
であった。


それがまた、哀しいかな、誰一人として読まれた形跡がないのである。
しょうがなしに、練習を兼ねて、「はてなスターやブックマーク」を
自分
で打ち込んだ寂しい思い出もある。

さて、この1年少々で世の中のあり様が「激変」。

ますます世界的に猛威をふるう、( covid-19  新型コロナウイルス感染症
原因である。

オリンピック東京開催も1年延期となったが、このままだと、来年も心配な
状況である。

oldboy-elegy君の御歳から考えると、ラストチャンスの自国開催のオリンピック
となるだろうに。
   
※因みに covid-19 とは corona virus disease 2019  の下線の部分を繋いだものである。

oldboy君、そのころに比べて、今もそう大きな進歩もないが、ともかく「半歩
いや1歩」は踏み出した感があると自分では思っている。


従ってこの場に「新記事として」さらけるのもバチが当たらないだろうとの
思いから、出稿した。

                 ここより本文
                   ★
ちょっと話が変わるが昨今、外国旅行先を選ぶ際、「言葉が通じるか否かは

重要な要素になるのか?」[行き先国の安全はもとより、衛生的で清潔な環境下
にあるのか?」「スマホ」は簡単につながるのか?」など。自身の日本での生活
がそのまま再現できる場所が良いとされることが多いように思う。

そのうえ、あろうことか、現地に行けば「日本人の友達もたくさんいるし知人
も多い」なんて聞けば言葉がない。

もうやめられた、関西出身の 漫才界の大御所も、中部太平洋のある島が
大層に、お好みだったそうである。
日本国内での権威的ヒエラルキー(序列・階層)を、旅行に行ってまで維持
したかったようである。

ま、それもアリとは思うが、oldboy-elegy 君的には、なにか損をしたような
気分になるのだがどうであろう。

oldboy君は、なにより電話が嫌いである。

もし、出張中に国際電話でもあったなら 解放感や自由感が減じて、
かくれんぼ中、鬼に捕まった気分になる。

彼の会社はここソウルに支店はない。 
したがってテレックスもない。

通常の連絡は電報で、これが一番安価である。
よって、よほどでない限り国際電話が入ることもないのである。


それで彼、なにを言いたいのか?

つまり「言葉も含め、外界から閉ざされたこのボッチ感がある種の
快感であり、生きている感覚につながり、そして妙に落ち着く」ので
ある。これがoldboy君の基本的な体質のようである。


もう一つ、言わせてもらうなら「彼はこの21世紀には存在できない
種類の人かも知れない」と言うことである。

スマートホンで24時間繋がれ、おまけに自分の位置情報など把握
されるなど、まっぴらごめんである。

その昔、ポケットベルなる便利ガジェットが出てきたときなんか「大いに
嘆き悲しんだ」記憶がある。

案の定、彼は今日の状況を直感的にに予見していたのかも知れない

もうおれにはこの世に、「存在する理由」が見当たらないとまで思い
つめたものである。

いま「存在理由」と言う言葉で思い出した事がある。

ドイツ観念論哲学からマルクス、エンゲレスの唯物史観論への橋渡し的
役割を担った人にヘーゲルと言う哲学者がいたが、彼曰く、
「存在するものは合理的である」同時に弁証法的には「合理的なものは
存在する価値がある」
と。、

oldboy-elegy君「俺はこの情報化時代、IT機器を扱う能力も知識もないし、
むしろ嫌っている」と言う事は、これからの時代に生存する合理的な意味が
ないのではないのか?
と。

まあいいや、世間が彼を必要としなくなって久しいし、多くない年金も
「若い人から見れば」不合理の象徴かもしれない。

「ひょっとしたら、俺は自分に合った良い時代に生まれ生きてきたのかも」
と思う事に、いま勝手にした。

世の60、70、80歳代のoldboy-elegyの方たち、日々どのように考え、感じ、
思いをお持ちなのか是非とも知りたいものである。

● 悪天候の中、JAL747 ソウル金浦(キンポ)空港便は飛び立った。

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今、ボーイング・ジャンボジェット747のソウル・金浦空港行きの搭乗口の待合
ロビーにいる。

突然あちらの商社からのお呼び出しなのだ。

L/C (letter of credit・信用状)に書かれた輸出期限を過ぎた商品が2、3日後に
出来上がるので、商品検査及びサインダウンを急ぎ乞う、とのことであった。


おりしも、運悪く?台風並みの低気圧が九州・西海上にあり北上中との予報。

当時、ソウルへの定期便は関西では大阪・伊丹空港からJALの1日1便だけ
だった思うが、もちろん関西国際空港KIX)は存在していない時代のこと
である。

 

ボーイング747は文字どうりジャンボジェットで500席以上の大さを誇る
機種である。

しかしoldboy-elegy君、もうひとつ、この巨大飛行機を信用していない
気持ちがどこかにある。

航空機用の特殊ジュラルミンでできているとはゆえ、鉄やアルミニュウムの
親戚みたいなものである。

それが何の支えもなしにあの巨体が空中に浮かび、なおかつ700Km/h以上の
速さで飛ぶのである。

支えと言う意味で、せめて杖ぐらいついていて欲しいものである。
その結果、大地とつながり、安心感も増す道理である。

oldboy-elegy君には、この巨大機械が物理現象や、自然の営みに反した物に
見える、ましてや自分がその腹中に乗り込むのである。、


さっきから登場ロビーで待っている。

雨も少し降っているようだが、風はここからは分からない。


時折アナウンスがある。
ソウル上空付近はまだ比較的穏やかで、視界も良好と言えないまでも問題
なさそうとのことである。

ロビーは人で一杯であり、床に腰を下ろしている人もいる。
学生服を着た高校生の男女の集団が行儀よく整列し待っているのが見える。

oldboy-君「今日はもう飛ぶな、明日と言う日もある、君子でもないが、
危うい事に近寄らないのが賢明」と思っている。

隣の初老の人が話しかけてくる、強い韓国なまりがある。

「これ今日、飛びまっせ!、絶対に」
朝鮮語なまりの大阪弁である。

俺、「何故わかるのか?」と彼を見た
「今日は満席でキャンセル待ちの客もおるみたいやし」

俺「???」と彼を見る。

「つまりや、今日は飛行機会社にとっては、もうけ日やと、いうことや」
と言いニヤニヤ。
俺 納得顔で彼に向き頷き「なるほど」と。

oldboy-elegy 君、何故か案内を待たずに、出発を確信する。

このやり取りが終わるか終わらないうちにフライト案内と搭乗手続きが
始まる、隣のおっさん、読み通りの結末にまたもニコ、当たったやろの
したり顔。


まあこんな論理で決まったとは思いたくはないが、ともかく出発である。

1時間少々の飛行時間、天候もそんなに急変しないだろうと期待している
自分がいる。

今日のフライトはベルト着用のサインが点灯したまま、急激な気流の変化に
備えてのアナウンスもあり、軽食や飲み物も早めに出てさっと片付けられた
感がある。

客室乗務員もほとんど席に座ったままである。

とちゅう多少のアップダウンはあったが金浦空港着陸まで10分少々との
アナウンスもあり、少し気が緩んだのを待っていたかのように、ふいに
ドターンと機体が急降下、これには前にいる高校生の集団から嬌声や悲鳴
があがる。

そこからがいけない、谷底に落とされたかと思うと、次の瞬間グググと
ゆっくりと上昇気分、その都度学生さんを始めあちこちから「キヤー」
「ギヤー」と、悲鳴が漏れる。

oldboy-elegy君、固く握りしめた手の平に脂汗。
もう大分に下降しているはずだと思うが地上は一向に見えない。

窓から見えるのは主翼下の補助翼(スポイラー)の忙しい動きだけである。

主翼と補助翼の間の隙間を雨粒か雲か霧か分からないものが激しく
流れているのが見える。

おまけに主翼の先っぽが小刻みに揺れている。

エンジン音も低くなったり、少し静かになって、次の瞬間明らかに
出力が上がったりと忙しい。

高校生諸君の悲鳴や嬌声も時折聞こえて来るが、一時より静かに
なっている。
慣れたと言うよりグッタリとしている。

oldboy-elegy君、窓外見ながら少しいやな事を思い出す。
普段の下降時、金浦空港が近づくと窓外前方左側に結構高い
岩山が見えてくるはず。

着陸時、機体はあの「岩山」を右から巻いて滑走路に向かう。

いま窓の外は先ほど同じで左主翼が見えるのみで普段見えるはずの
下界はまったく見えない。

もしあの岩山に当れば終わりである。

そのとたんに何あろう、下界の緑がすぐ足元に見えたのである。
すぐに滑走路が見え、次の瞬間少し荒いがドタドタと無事着地。
ここで客室内、何処からともなく万雷の拍手拍手。

ここで乗務員からのアナウンス、なにごともナッカタように、ソウルの
気象、時間(時差なし)と「またのご利用をお待ちしております」が
すべて。


● 小役人の賄賂も、ある意味社会の潤滑油、腹を立てることもあるまいと?!

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金浦空港でのイミグレーション(入国審査)は当時は結構厳しかったよう
に思う。


なんせ戒厳令下の御国である。
夜中12時から朝の4時までの外出禁止である。

タクシーも走っていない、ただしホテルなどに併設されている社交場は
その間も夜間営業中である。

もちろん12時までに入店したら4時までは出られない。

過去には在日韓国人が大統領の奥さんを射殺した事件もあった。
38度線で対峙する南北の緊張状態も高い。
夜間の結社、集会はもちろん厳禁である。

空港の警備も、拳銃だけならまだしも、肩からライフルを下げている。

当時北朝鮮からのスパイや破壊活動のための越境、侵入もたびたびあった。

oldboy-elegy君も 破壊活動のために侵入したスパイ達の装備品が展示
されているのに出くわしたことがある。

ソウル駅の中央コンコース脇にそれがあった。
インチョン(仁川)の海岸線から侵入したらしい。

エアータンクなどの潜水用具などがあったのを覚えている。
銃などは無かったように思う、もしAK47カラシニコフでもあれば忘れる
はずはなかろうと。

ま、ともかく、政情不安が常態化していたから、イミグレ(入国審査)も
おっつけ厳しくなるのは当然のことであろう。

滞在予定のホテルや、ビジネスの簡単な内容など、通り一遍のことを聞い
てくる。

しかし窓口の机上の下にもう一つ棚があり、ここにブラックリストや顔写真などの
一覧が置かれているらしい。
これとoldboy-elegy君と照合しているのである、およそスパイとは思えぬ
まぬけずらを見て、この検査官なにお思ったろうか。

oldboy-elegy 君 イミグレ(入国審査)も無事通過、機内預けの荷物を引き取る
ためにターンテーブルの脇に立っている。

着替えや、日常必要な身の回り品は段ボール箱に突っ込み常宿にしているホテル
のカウンター裏の部屋に預けている。
 
手荷物は、ちょっとしたお土産や頼まれ品(漢方薬など)がほとんどであるが、
手荷物検査でひっかかった場合のためリストを作りインボイス化してある。

やがて自分の機内預けの荷物がターンテーブルに乗ってやってきた、今回は急な出張
で準備不足のため荷は少なめである、これが有難い、しかし、ゆだん禁物である。


役人の気まぐれには手を焼く、前回はなにげに無理で税関にいったん預けかな、
と思ったものが問題なく通過できたり、今回はたったこれだけ、楽勝と思った
ものが留め置きされたり、と、その基準がさっぱり見えてこないのである。

そのため取りあえず手は打って置いたのである、費用(少額賄賂と飲み代)
がかかるが無難である。

税関で1週間も預ける羽目になったらサンプルや部品や装粧品などが手元に
ない時など、商談ができない場合もある。

ゆえにこのこと(裏金)は「必要悪」で「潤滑油」なんだと思うことに
している。
「飲み会」は商社の連中に任せている、下戸のoldboy君に、務まるわけは
ない。

ターンテーブルから荷物を下ろしボケーとしていたら、向こうから肩章付きの
水色のシャツを着た(必要悪さん)らしき中年のおじさんが何気に近づい
てくる。 

今日の手荷物検査官である、顔に憶えはない。

ひょこひょこやってきて、少し離れて立ち止まり、「oldboyさん」と小声で、
俺「はい」とこれまた小さな声で返答。

するとその方、少し離れた位置のまま、クルリと自分がきた方向にお戻り
なるが、彼の後ろ手に組んだ指が俺に「おいでおいで」をしてござる。

少し間隔が詰まると、後ろ手に組んだ手のひらが「離れて、離れて」
と合図がくる。

あくまでも自然に検査台に近づかねばならない。

検査台そのものは20台近くあり、検査官のおいでおいでにつられ左端に
近いそれに到着である。顎でしゃくられ、目配せされた検査台に並ぶ、
だいたいいつもの場所である。

 

この場所が結構重要なポイントでもある。

検査台のすぐ向こうにKOTRA(コトラ)の空港出帳事務所がある。
韓国貿易振興公社である。

公社とは半官半民の組織ではあるが基本政府組織みたいなものであると
oldboy君は理解している。

そう日本で言うところのJETOROである。

あれにたどり着けば危ないものを所持してない限りこちらの味方である。

やがて順番がきて大小のバッグを検査台にのせる、先ほどの(おいでおいでの
役人)は、すこし離れたところから見ている。

二人の係官が2個のバッグのチャックを勢いよく開き手をバッグに差し入れ、
いかにも「検査」のふりをする。

ものの、10秒もしないうちにOKがでて、検査台の外側に早く出ろと催促
される。

今晩は頼まれ品の配給とは別に今日かかわった人たちへのお礼とちょっとした
宴会である。

もちろん費用は、こちら持ちである。

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空港へは商社の社用車(ポニー)が運転手付きで来てくれてるはずだ。

ちなみに自家用車の運転手の名刺には「運転手」でなく「運転技師
だれだれ」となっている、そんな時代であった。
そう会社付きの運転手は全て「運転技師」でプロなのである。

ここでのプロの意味は日本とは少し違う。
安全運転の概念がすこぶる欠如している。
日ごろ日本で運転しているoldboy-elegy君には、
「いかにアクロバット」運転ができるかが「プロの資格」であるように
見える。

高速道路から一般道への降り口などまさに「運転技師・プロ」の真骨頂で
ある。
数10センチの間隔ですべての車両が出口に一斉に向かい先を争う。

警笛の洪水と、窓を開け隣の車と罵り合うのである。

確かに、日本では「模範ドライバー」であるoldboy-elegy君、ここでは
「運転技師」には絶対になれぬ。

個人持ちの自家用車がまだ少ない時代のことである。

 もう6000字を超えた、取りあえずここまでを「ソウル暮色NO1」として何号まで
このタイトルが続くか見当もつかないが日本では経験できないエピソード、少し
やばいこと、ほろっとすることなどを書いていこうと思う。

なんせ出だしだけは少し考えるがあとは成り行きに任せて書いている。



     では では くれぐれも安全運転を、  おやすみなさい

                                                    了
            oldboy-elegy

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oldboy-elegy (30)「電車洗車機」俺ひとり?、列車に乗ったまま内側から見学!?・人は笑うかも知れぬが、当の俺、記事を書くうちに気分が落ち込んだ

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(いらすとや)さんからおかりした画像です。




むかしむかしその昔、「JR」がまだ「国鉄日本国有鉄道」と呼ばれていた
時代のことだ。
因みに、東海道新幹線は開業してから10年すこし経っていた。

oldboy-elegyくん、珍しい?体験をしたことがある。
その発端は、彼のちょっとしたミス??と言うのか、基本、天性のドジ性な
のが原因である。

したがって、本当を言えば,読者諸氏に報告することではないと思って
いた。

しかし、普段の記事からして、無力系、脱力感、満載のものが多いと自負?
しているし、まあいいかの気持ちで記事化した。

読者諸氏が読んで「こんなドジ男(おとこ)」でも、なんとか生きて来たん
だからと「反面教師」ぐらいに思って頂ければ、読む人、書く人とも、いくらか
肩の力も抜けようと言うもの。

なにがあったのかを、先に言っておいた方が良いと思うので、先に披露しておく。

実は、時系列的にゆえば「oldboy-elegy(29)」にて書いた東京出張の折の
話の次の日に起こったハプニングを記事にしたものである。


始め、両方のことを、1記事にて済まそうと考えたのだが、余りに事の内容が
違うので今日ここに「下の段」の気分で書かしていただく。

その事とは、急行車両に自分ひとり(客として)が乗ったまま、新潟駅
機関区にある電車を洗う装置に(洗車装置)侵入、通過したことである。

ようするに、車両の洗浄を外から見学したのではなく、当該車両に乗ったまま、
散水、洗浄の様子を内側(車内)から一人で見学?したのである。

本人が望んだわけでもないのに・・・

今では、JR新潟機関区の見学イベントがファンの為に、開催されているらしい。
そのおりに、乗車したまま、稼働している洗浄装置を通過する儀式もあるとの
こと、結構人気のアトラクション?であるらしい。

これもひとえに、民間会社JRの好感度UPの必要から企画されたものであろう。

oldboy-elegyくんの場合、JRではなく「日本国有鉄道」ころの話である。
国民、ましてや、客に「媚・コビ」など、売る必要のない時代のことである。

それがなにゆえ、oldboy-elegy君、一人を乗せ、「車両散水洗浄装置」なる
機械に潜ったのか?、をお話をしょう。

断わっておくが、彼、「鉄道オタク」でもなんでもないし、
たんに鉄道は
「A地点からB地点への移動のための必要手段以外の何物でもない」
と考えている御仁である。


アッ、もう一つ明かしておくことがある、
oldboy君が乗っていた列車名を告げておこう。

「急行 佐渡号」で「上野発、新潟行」であった。

なぜ、こんなことになったのか?

そう、先に言ったが、彼が望んで起きたものではない。
むしろ本人にとっては「冷や汗」もんの出来事であった。

すべてが偶然の産物で、意図したものではなく、oldboy君の不注意で起きた、
珍事件
である。

ではここからが本文と言うことで~、前振りが長くなり申し訳ない。


              ★

東京支店の営業課長の原田(仮名)さんからの依頼で、新潟の有力問屋での
「今季、冬物商品の新商品・新色・小売店へのデザイナー派遣日程・様々な
販促品の紹介」などの「説明」をお願いされての事である。
今では、このことを「プレゼンテーション・あるいはプレゼン」と言うのだ
そうな。

だが当の課長、先に新潟入りしており、oldboy-elegy君とは、その日、依頼元
の問屋で会うことになっている。

課長曰く「すまんすまん、君の好きなようにやってもらっていいよ、自分は横に
いるだけだから、それに専門の人からの話(プレゼン)だから」と直接、電話を
もらっていた。

問屋さん側は社長ほか数人の営業マンが同席するらしい。
oldboy-elegy君、基本、このような席が大嫌いなのだ。

これまでのブログで何度も書かしていただいてきたが、
「人生、ノープレッシャーで生きるのが理想」とするお人なのである。


「専門と言われても、こちとら特別、理論的に勉強した訳でもなし・・・」と
心の奥でモゴモゴと言っているoldboy-elegy君がいた。

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(いらすとや)さんからおかりした画像です。

夜は山岡先輩に、支店がある人形町の裏通りで、老舗うなぎ屋の「うな重
を奢ってもらった。
当時とて、「うなぎ」は今同様、高級食材で、御同輩・平社員の彼に奢ってもらう、いわれはないが、結局、ありがたく、馳走にあいなった。

これも東京出張のおりのルーティンとなっている、
oldboy君、旨いものには、すぐ負ける。

こればっかり(ウナギ)は江戸風に軍配があがる。

われながら、恥ずかしいが、どうしょうもできぬ。
楊枝を口に「シーハ~・シーハ~」状態である。

その後、お茶をして、二人して支店にもどった。

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画像元分からず)

新潟行きの「急行・佐渡」は夜中の11時ごろの発車、新潟到着は明日、朝の
5時ごろとのこと。

寝台車両は無かったように思う、確か全席、自由席のはず。
夜行列車にしては、走行距離も短く、したがって乗車時間も6時間ほどの
ものである。

「じゃあー、すこし早いが、上野に行こうか」と山岡先輩、oldboy君を促す。

手荷物は全部で3個である。
1個は個人の手荷物を入れた年期もののショルダーバッグで母手作りの帆布製の
もので、大学時代から使用している。

ショルダーのベルトの幅が広く、本などの重量物を入れても、肩への負担が
少ないのが良い。

2個目は、これも着脱式のベルトが付いた結構大きなモスグリーンのボストン
バッグである。
ここには、私物の衣類やプレゼン用の種々のグッズも入っている。

3個めが、結構大きな紙袋で外はビニールで覆われた頑丈なものである。
主に、紙媒体で作られた販促品や新作の雑誌などが入っている。

なぜここで、3個の荷物の内容を事細かに説明したのかに訳がある。
これらの3個の手荷物の存在が、oldboy君が電車洗浄装置に閉じ込められた
原因となった直接の犯人?なのである。
訂正!!、「直接の犯人」は「俺」oldboy-elegy君であった。

佐渡号は予定通りの時刻に発車、山岡先輩には心よりのお礼を言い、車内
に入る。

座席シートは体面2人ずつ、4人が1ボックスを構成する、昔ながらの雰囲気
のものである。

ずっと車内を見渡しても、無人のボックスはない、少なくとも一人は客がいる。
これからの道中6時間を考えるなら、靴を脱ぎ、前の座席に足を伸ばして、
少しは横になりたいのは人情である。

結局、車両中ほどの、ボックスに一人がけのおじさんの前に、「申し訳なさ」
を口に、座らしてもらった。

荷物は一番重い、ビニールで覆った紙袋を網棚に預け、毛糸関係の見本が
入ったボストンバッグを枕にする。
出張旅費の現金や切符の入った財布を入れたショルダーバッグを肩掛けの
まま、両手に抱え込む形で寝ようとの作戦である。

前のおじさん、すでに寝入ったかの雰囲気である。
席に座る前に、一言二言言葉を交わしたのみである。

こんな折の相席者としては一番有難い御仁である。
もう一つ言うなら、「高崎」あたりで下車されたなら最高なのにと内心
期待する自分がいる。

照明が落とされたのか、冷房がどうとの記憶はまったくない。

ただ頭の中で、明日のプレゼンのダンドリを反芻するばかりで、「ア~、やだな~」
と、この期に及んでも、腹の座らぬoldboy君がいる。

oldboy君、眠れず、体をくねらせ、モンモンとするばかりである。

窓外の灯りは、密に散に、後ろに流れて行く。
「急行・佐渡」は、ただ上越線を北上するばかりである。

「まあ、寝ずとも、仕事は2時間もあれば終わる、気楽に行こう」
と気持ちを切り替えたのが、良かったのか、悪かったのか。

次の瞬間、誰かがoldboy君の肩を叩きながら「お客さん、お客さん」と
言っている。
佐渡号の車掌さんである。

「お客さん、先ほど新潟に到着しています、早く下車お願いします」と急かして
くる。

彼、「ウヘー」と目を醒ましたが、まだ「充分に覚睡」仕切っていない。
車掌さん、彼が目を醒ますのを見るや、そのまま、右、左の窓の開閉を確認
しながら去ってゆく。

oldboy君が、ようやく、我に返り、辺りを一瞥(いちべつ)するが自分以外
客は一人もいない。

ただただ、慌てふためいて、荷物を抱え、車両の通路を脱兎のごとく走り、
ホームに飛び降りる。

この瞬間、体に身震いがはしる。
肝心要(かなめ)の、プレゼン用の全ての資料を入れた、あの大きな
ビニール紙袋を、座席の上の編みだなに置き忘れたことに気が付く。

「ヒエー!!」と言ったかどうかは知らない。

ここからのoldboy君の取った行動が最悪であった。

目の前にあった木製のベンチに、ショルダーバッグとボストンバッグを放り投げ、
体は一目さんに再度、車内にUターン。

これを待っていたように、列車が動き出したのである。

手には、網棚に忘れた手荷物がしっかりと納まっている。
ここで荷物が2個と1個に泣き別れ状態になってしまったのだ。

oldboy君、この一連の出来事のため「茫然自失」、脳機能も完全に
思考停止の状態である。
従って、次に自分の取るべき行動が想起できないのである。

ただただ「泣きたい気持ち」で、事を解決する「判断力」はゼロ状態
なのだ。
座席に座る事さえもできず、手荷物1個を持ち、完全にホケた、
oldboy-elegy 君である。

車両はどこへ行くのか、「ゴトゴト」と今もユックリと走っている。

ここで救世主の登場である。
先ほどの「窓を閉めしめ」後部に去ったあの車掌さんと再会である。

oldboy君の事、完全に起こして、すでに降車しているはずのお人が・・・
車掌さんの彼、こちらに近づきながら「????」の表情である。

「お客さん、なぜここに??」
言葉は発していないが、ハッキリと「目」はそう言っていらしゃる。

ことの次第を説明するのがやっとの事である。

f:id:oldboy-elegy:20200729123633j:plain

ウィキペディアより)列車、洗車中の画像

この列車、今「洗車場」に向かっていると事を告げると、チョット
考えていた車掌さん、
「先に洗車を済ませて、それから駅員に来てもらいますワ、部外者が
機関区内を渡るのは危険ですので、彼が駅に誘導する」と言う意味の
言葉をいただいたのである。

サー、ここで、最初に言ったように、oldboy君、国鉄の洗車装置を、
列車に乗っまま、内側から見学と言うのを体験したのである。

感想?、楽しくもなんともないのは、当たり前、ただただ、
悪夢が過ぎ去るのを「ほけた」状態で待つのみ、である。

今に思えば、この間、音声のない、白黒映画の世界にいた、
ように感じる。

若い駅員さんに先導され、結構な道のり、イヤ線路のりを歩き、
駅にたどり着く。

ホームの側のベンチに腰掛けていると、違った駅員さんが、oldboy君の
手荷物を抱え、小走りにこちらに来るのが見えた。

三つの荷物が自分の手元に再会した瞬間である。

駅員さんの最後のお言葉は「切符を回収させてください」のはずである。

記事を書く前は「間抜けではあるが、楽しいものになるぞと期待したのだが、
書くほどに、当時の自分の「精神状態」がそんなものでない事に気が付いた。

oldboy-elegy君の胸に、そのまま当時の気分がフラッシュバックした状態となり、
気の重いもので、楽しいものではなかったと言うことである。

気分は
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、そしてoldboy-elegy君のバカさ
加減を
笑ってやってください」と言うことで終わりたく思う。

最後の最後に大変ご迷惑をおかけした国鉄職員の方に「ありがとうござ
ました」と言いたい。


またまたしょうむない(河内弁)、お話で恥の上塗り的記事で申し訳ない。

きっといつかは「世のため、人のため」になる記事をと自分に言い
聞かせるoldboy-elegy君、しかしあてにはできない。

知らぬ間に深夜で日付が変わってしまっている。

                            ではでは

                 了


            oldboy-elegy

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oldboy-elegy (29) oldboy君が見て来た,懐かしき(nostalgic)営業手法・山岡先輩の場合

 oldboy-elegyくん、純粋に営業職に身を置いた経験はない。
そんな彼が大昔と言えど、営業職に就いて語るのは少々おこがましい
気もするがお許しを乞う。

oldboy-elegy君大学を出て、就職した会社は社員700人前後の中小企業であった。
700人と言っても、大半は現業職(現場労働)の女工さん達である。

彼女達の多くは、西日本各地の山深き地域、あるいは離島から、会社の労務
出張所の斡旋で、就職をし、「集団就職列車」で都会に出て来た中卒の娘さん
たちであった。

住居は工場敷地内の女子寮である。

oldboy-elegy君、入社したおり、約10ヶ月の実習期間があり、うち半月ほど
工場労務課での実習の経験がある。

会社への初出勤は4月の半ば(なかば)で
、今思えば、随分とユックリ感が
強い。

どうも鼻から我々新入社員を戦力とは考えていなかったようだ。

午前中は座学で午後は、それこそ、土方から機械の油さしまで、何でもあり
であった。

大卒、高卒含めて15、16人ほどである。
全て男子で、高卒は工業高校卒である。
高卒女子(事務職)は別過程での短期実習となるらしい。

その間、岡山県労務出張所に荷物持ちの「馬力がわり」に駆り出されたり、
工場では、女子寮屋上の物干し場のロープ張(ハリ)の修理を手伝わされた
りもした。
もちろん、その折は干し物はない、前もって棟長さんに連絡済みの上での作業である。

岡山への「荷物持ち」の「荷物」とは、8ミリ映写機とフイルム・幻灯機・
写真アルバム類・父兄への手土産などなどである。

場所は、女工さん達の出身地域の温泉旅館である。
親御さん始め、兄弟、はては学校関係者など様々な人達への慰労と娘さん達の
現況報告会をかねている。

印象に残っているのは、工場の夜間高校生とそうでない人との確執が
ひどくなり、高校の制服十数着が工場内の溝に捨てられる事件が発生、
そのおりの労務課員の心痛を目の当たりにしたことである。

oldboy君、これら労務課員の仕事の一端に触れ、「こんなサラリーマン生活も
アリかな」思ったのも事実である。

彼、とにかく単純で、チョットしたことに、心うごかされ、感動・感激して
しまう性質(たち)なのである。

労務課実習中の出来事や印象も記事にしたブログ記事がある。
見て頂ければ嬉しい。

oldboy-elegyくん、営業職ではないが、ときおり各地の支店やお得意さんに
出張することもあった。

それは東京支店出張でのことである。 

そんなおり、いつも面倒を見ていただいた「営業平(ヒラ社員)」山岡(仮称)
先輩にマツワルお話である。

            

               ★

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               ★

いまoldboy-elegyくん、自社の東京支店にいる。
所属は大阪本社の企画部の平社員である。

東京支店の営業課長の原田(仮名)さんからの依頼で、新潟の有力問屋での
「今季、冬物商品の新商品・新色・小売店へのデザイナー派遣日程・様々な
販促品の紹介」などの「説明」をお願いされての出張である。

今では、このことを「プレゼンテーション・あるいはプレゼン」と言うらしい。

だが当の課長、先に新潟入りしており、oldboy-elegy君とは、その日、依頼元
である新潟の問屋で会うことになっている。

課長曰く「すまんすまん、君の思うように、やってもらっていいよ、自分は横に
いるだけだから、それに専門の人(oldboy君のこと)からの話(プレゼン)だから」
と直接、以来電話をもらっていた。

「専門と言われても、こちとら特別、理論的に勉強した訳でもなし・・・」と
心の奥でモゴモゴと言っている俺がいる。

「マア、せっかくだから東京支店のみんなにも、説明してやってくれない」
と支店長からの要望もあり、結果、oldboy君、東京出張とあいなったのだ。

oldboy君が東京出張のおりには、かならず一人の先輩に、いろいろと面倒を見て
いただいた。 
特別、上司から「東京、不案内なoldboy君のこと、面倒みてあげて」と
言われたわけでもないらしい。

その方、名を山岡(仮名}と言う、歳は俺より 5、6才年上で、身分は役職
なしの営業職、平(ヒラ)社員である。

ただ東京出張は、支店の最上階に宿泊施設があり、平社員はここに寝泊まり
するのが決まりである。
上司と同行出張のおりはこの縛り(しばり)はない、待遇はすべて、上司の
待遇に準ずるのである

それでも、oldboy君、旅館より支店での宿泊を好む人である。
だって、始業時間ギリギリまで寝ていられるのである、サラリーマンとしては
至福の時間である。

ただし山岡先輩が「oldboy君の面倒を見てくだされる限り」と言う条件も付く。

部屋数は確か3室あったと記憶している。

寝具はもちろん真っ白で、薄いノリが効いていて快適である。

時おり東北あたりからの問屋の平社員さんの宿泊もあるらしい。
もちろん、食事は出ないが、宿泊費は無料である。

こんなおりも、山岡先輩、支店での責任者として同宿するのである。
これも広い意味での「営業活動」と言えるのかも知れない。

先輩のこの営業外?の仕事、特別に辞令があった訳でもないらしい。
ただ、彼の柔和な性格とそつのなさに、会社がオンブされた格好である。

かれ(山岡先輩)の風貌?
ややずんぐり、背丈は標準、頭髪やや薄し、顔と言うのか頭はデカい印象、
目はいつも笑っている、特筆ものは立派な出っ歯なことである。
そうコミカルな印象を与えるお人である。

この方、当社にしては、珍しく「途中入社」とのこと、前歴は「陸上自衛隊員」
である。

この会社のお得意様は全て、既定の問屋である。
それを「代理店」と称し、地区ごとに、慰安を兼ねた代理店会を温泉地などで
数年おきに開催している。
時おり、海外(アジア圏)で「会」を持つこともあった。

従って「飛び込み」の営業は皆無である。
※飛び込み営業・直感で決めた、お店や個人宅にアポなしで訪問する営業。

山岡先輩の客の多くは「横山町」界隈が中心である。
※「横山町」と言えば、全国屈指の繊維問屋の集積地である。

「今日一日、月末も近いし、今月の売り上げ固めておくから、一日付き合ってくれる、
それとも何か特別、用事あるの、夜は上野駅(新潟行)まで送っていくし」と先輩。

「行くさきざきで、名刺ばらまいて行けば、それも立派な仕事だろ」とご教授。

支店のある人形町で、朝食を兼ねてのモーニングコーヒー、やおら彼専用の
営業用の小さな白い車で出発。

この喫茶店の費用はoldboy君が二人分支払っている。
なぜなら、以後の昼食・お茶・夕食代など、彼。頑として払わせないのである。
当然、出張規定で決められている「日当」はあるのだが。

山岡先輩にその辺の、心苦しさを言った上での結果が「分かった、朝だけ
持ってチョーダイ」と相成った訳である。

この会社の出張経費の精算は、飲み代(領収書による精算)などは別にして、
出張規定に基づくもので、出張地域、当人の役職などで決まっている。
上司の「カバン持ち」での同行なら、その上司の規定に準じて、同額が支払われる。


なにやら「先輩」の雰囲気が「ギアーアップ」
一軒目の問屋にご入店。
結構、大きくて、綺麗な構えのお店である。

とうの先輩、店の駐車場に車を預けるや、なにやら歩き方まで変貌、リズミ
カルになっている。
持っている、車のキーホルダーを、腰の当たりでクルクルしてもよさそうな
雰囲気でもある。

女性店員さんに「お父さんいる―?」、この店の役員であり、部長を捕まえて、
この呼ばわりである。

女性店員さんもニコニコ顔で迎えてくださる。

先輩、靴を脱ぎ、なれた雰囲気でトントンと2階に。
大きなガラス越しに先輩を見つけた先方の部長、「シーシー」と追っ払う仕草、
目は笑っている。

「今日最初の客が山ちゃんかよー、嬉しいことで、してなんの用事?」と部長。

「またまた、お分かりのはず、月末(締め切り)も近いんで、それにこれでも
サラリーマンの端くれでね、やること、やっておかないと」と山岡先輩。

ちょっと見るに、掛け合いの漫才を見ているかのようである。
もちろん、山岡先輩、この店で予定した注文、受注に成功。

今日の受注は全て「預かり」との事。
「預かり」とは「実際の出荷」なしで、伝票のみ「月内扱い」と言うこと
らしい。
とうぜん、リベート(商品の値引き)の料率が絡んでくるのだろう。

山ちゃん先輩、店を出ようとすると、
「お昼は、仕出し弁当だが」と、部長のお誘い。
「締め切り近いんで、これから4・5件・・アリガトウ」と先輩。

「アーア、血祭にあげられるお方が、たくさんおられるわけだ・・」
と先輩を指さし、目はoldboy君を見て笑っていらっしゃる、問屋の部長さん。



後で知った事だが、この店の女性店員さん、7~8人いるのだが、うち3人
ほどは「先輩」が中に入り「口きき」で入社したそうである。
それも、同じ業態の問屋での移籍はご法度とのこと。

またこれも聞いた話だが、東京支店営業職の中で、売り上げ計画、完遂能力ナンバー1
は彼「山岡先輩」なのである。

そう言えば、今朝行った問屋さんの玄関先で彼、女店員さんを捕まえて「元気
でヤッテルカ」と気安く声をかけていたのを思い出す。

oldboy-elegy君、今晩遅くの国鉄・上野発新潟行・急行列車「佐渡」にて新潟入り
の予定である。
新潟でのお得意さんでの、「今冬品の販促計画」の説明(プレゼン)のためである。

東京支店の営業課長が、先に新潟入りしており、明日、新潟のお得意先で落ち合う
予定である。

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今日の夕飯は東京支店のある人形町にもどり、「うな重」を「食する」ことに
なるだろう。
これも、東京出張のおりの山岡先輩と、oldboy君との通常の「ルーティン」の
行動である。

oldboy-elegy君、当初は「こんなこと、同じ会社の者同士、ましてや平社員」
と頑迷拒否の姿勢だったのだが、「まあ、毎月定期的に東京に来るのでもなし」
とくるめられ、恥ずかしながら、今日に至っている次第なのである。



こう言うタイプの営業マンは、今では殆んど見られなくなったように思うが
どうだろう。

その変化のターニングポイントはどこであったろうか?

oldboy君が思うに「ポケットベル」が登場した1970年代後半ごろが始まり
のように思うのだが。


それまでは、一度会社を飛び出せば、自分を時間的に拘束するのは、じぶん自身
の意識のありようだけであった。

営業職の数字完遂能力も、基本個人の意識のあり様が、結果を左右するのである

oldboy君の場合、幸か不幸か、営業職ではなく、企画部と言う、お金を稼ぐのではなく、決められた予算のお金を「効率よく」使うのが仕事である。


それでも、会社を出る時、部の要(カナメ)のK子くんには、ある程度、
訪問先の報告をしていたが、めったに俺探しの電話は無かったはず。
ただ事務所に帰ればセロテープ止めのメモ用紙が、いくつも翻っていた。

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このような折りにポケットベルが登場するのである。
営業職の人達は、これを持たされることには心、穏やかでない人は
多かったはずと推察できる。
ただし、oldboy-elegy君の会社では採用された形跡はない。

このころ、彼の会社にも大きな変化があった。
オフコン(オフィスコンピューター)が本社に導入されたのである。

大きな、窓付きのロッカー様(よう)のボックスがいくつも並び、中で円盤状
のテープが、ギクシャク回っている、あれである。


機種は今でも鮮明に覚えている、「東芝製のトスバック」と言った。
営業関係で「機器導入」に賛意を示す人達は殆んどいなかったと思う。

これまで、使い慣れた、手書き伝票の類が、全てオフコン基準に変更される
のである、気分がいいはずはない。

あの紙くい虫が」「会社中のメモ用紙製造機」と影で揶揄するのが
せいぜいであった。



当然会社にとってこんな便利機器(ポケベル)を導入しないわけがない。

これが、会社が社員の時間的拘束を一段と強めた最初の画期的道具であった
と思う。

以後、携帯電話、位置情報も確認できるスマートホン、四六時中社員を管理
できる世の中に変容してしまったのである。

従って、これにともない営業手法も、oldboy君の時代とは、似ても似つかは
ないほどに変容してしてしまったようである。

特筆すべきは「営業職」の「労働時間」と「時間外労働賃金」の考え方の、
大きな「後退」が社会全般に常識化したことである。


oldboy君の在職したこの小さな会社の営業職でも、夕方5時を過ぎたなら、
30分
毎に残業手当がついたのである
ただし、残業は「申告制」で、上司に、その可否を書面で問うのである。
多くの場合「否」となる。

おまけに、PM5時30分ごろには「総務部のエライさん」が、照明の落ちた
事務所の各フロア―を巡回していた。

当然、このころは未だ、曲りなりにも「労働組合労働組合」として機能
していたのも大きい。

この会社の組合は、幾つかある現業(工場関係)と事務職関係が二つに
分離しており、それぞれ上部団体が違っていた。

それも、混乱の末、上部団体を排除し、単独の労働組合として発足して、
未だそう年月の経っていない頃の事である。

さて現在はどうであろう、会社が「当然」とばかりに「営業職のサービス
残業」を強いているのが「現状」であるようだ。
そこそこ名のある会社でも「それだけの給料を払っている」と傲然としている。
※傲然 おごり高ぶって尊大に振る舞うさま

いつかこの事についてはキチンと「記事」にしたいと思っている」
タイトルは「社会全般の高度IT化による労働意識と職場環境の変化」ぐらい
かな。


今日も、街中で立ち止まり、汗をふきふきスマートフォンでのヤリトリ、
大きなタブレットを取り出し、頭を上げ下げ、連絡を取り合っている。

oldboy-elegy君には、これらの機器を使いこなす能力もない。

いまでは、これが当たり前の風景になってしまった。
もっと言えば、営業職のみならず、人、一人一人の個性が見えにくくなった、
いや、むしろそれらを消し去ることが求めらているのかも知れない。

時間外でも平気で部下呼び出す、上司も多いと聞く。
それが当人の職域特権と勘違いしているのである。


本当に、人間は便利さと「引き替え」に、何かを失っているように
oldboy君には
思えてしまう。

山岡先輩、今の時代の営業職の姿を見たなら、どんな思いを抱かれるのだ
ろうか。


今宵の記事も単に、ノスタルジック・プチ狂想曲を一曲書いただけのような
気がする。

なにやらoldboy-elegyくん、最後に来て、息が詰まってきたような精神状態に
陥ったようである。

       それでは今日はこれにて失礼する  では では

             
              了   

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oldboy-elegy (28)①「オネショ癖」のこと ②oldboy君的、性の目覚め どちらも根は同じ・島根県は松江での事であった

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 oldboy-elegy君、母の手に引かれ、大阪に参上したのは小学1年生の6月か7月
のことであった。

始めての教室はお絵かきの時間であったことを何故か鮮明に記憶している。

大きな模造紙を何枚も教室の床に広げ、ガキンチョ(子供達)が四方から
寄ってたかってクレパスかクレヨンでもってお絵かきの最中であった。
お絵かき道具はそばの女の子が貸してくれたものを使い、自分もこれに参加した。
なにを書いたのかは記憶にない。
※模造紙とは 大判の白い紙。

母は教室の後ろから、ひとりこれを見ていた。
今に思うと、すこしの笑顔と安堵の表情が見て取れたように思うが、
どうだろう。

oldboy-elegyくん、幼稚園の経験はない。
したがって、これが初めての学校体験であり、同時に入学式でもあった。


この記事、ブログを書き始めたころの「oldboy-elegy No3 」を大幅にリライト
して新記事として投稿したものである、
もちろん、基本,内容は変わらないが、構成・読みやすさ、などを中心に変更
さしていただいいる。


今日の記事、2編になっている。

しかしその根は、どちらも6才ごろの島根県松江市にて、母と二人きりの
生活をしていたころの体験がベースになっている。

 


①その一つは「オネショ癖」のことで、小学3、4年生ぐらいまで引きずって
 いた。
 修学旅行も「絶対大丈夫」との確信が持てぬままの情けない「お話」である。

 

②もう一つは鴎外先生の小説ヰタ・セクスアリス・性的生活」を恐れ
多くも意識してoldboy-elegy君的、性的目覚めを、「ホンワカ」感覚で
書かしてもらった。

 

                

①わが幼年期の一場面とオネショ癖のその後

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この時代、大阪の市立小学校の修学旅行先は概ね伊勢への一泊旅行であった。
伊勢参り」「お伊勢さん」と結構慕われていた。


ここで賢明な諸兄諸氏はすでに察して頂けたことと思う。

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「一泊」→「旅館」→「布団で寝る」→「おねしょ」である、さあー困った。

旅行に行かずに済むものならそうしたいが、理由が「おねしょが怖い」など言えたものじゃない。

母はすでに察して、「オネショ封じのおふだ持って行くか?」と顔で言ってらっしゃる。

ここで oldboy君がとった策、これしかない、「一晩、寝ずにやり過ごすこと」、結論はこの一択である。

幸い行き先は関西の小学校修学旅行生のメッカ,「けん玉」や「ダルマ落とし」など売る店はどこにでもある。

「けん玉」を買った、とくに理由があるわけでもないが、少し奥が深く退屈しないの ではの思いがあったのかも。

一晩どこかで、これで遊ぶしかない。
その夜,みんなひとしきり騒ぎ,遊んだあと先生がきて「こらもう寝ろ」で終了。
僕 oldboy君 も取りあえず夜具の中。


ここで告白せねばならぬのだが、自分の夜尿症にはある決まった夢が引き金になっている。

実は彼、幼稚園には行っていないし、小学校にも2~3か月遅れぐらいで入学している。

大阪の小学校入学以前、oldboy 君、母に手をひかれ、松江市のどこか(陶器店の倉庫)の2階に間借りし、病院の下働きなどして、親子二人の生計をたてていたようである。 


当時彼、父親の顔どころか、その存在さえも知らない。


ありていに言ってしまえば、「成れぬ仲の恋路のはての子のo
ldboy君」と言う
事だと思う。


勿論こんなこと母に聞けたもんじゃない、母も亡くなり、自身も齢(よわい)
重ねて初めて理解できることである。

この辺のことを書けばキリがない。
これから先のブログに少しずつ挿入はするつもりではいる。

間借りしていた部屋は、結構大きな倉庫の中の2階部分である。
倉庫内には大小、木箱に納まった陶器類が所狭しと通路や棚にならんでいたのを思い出す。

突き当り左側に階段がしつられており、登りきったところのガラス戸を開けると結構広い畳の部屋があった。
印象としては陽光が差し込む明るく清潔な部屋だったと記憶している。

この陶器屋さんの倉庫前に車がやっと通れるぐらいの広くはない地道が左右に通じていて、この道と並行に幅2メートルに満たないどぶ川が流れていた。

新参ものの自分に友達がいるわけでもなく、母のいない昼間は2階の部屋とこの辺りをぶらぶら徘徊するのが日課であった。

アッ、今この瞬間に思い出したことがある。

近所の男の子とコマ回ししたことを、そうそう母が鉄のワッパがついた駒を買ってくれたことも。
そのコマ、自慢じゃないが他の子のそれより少し高いんだ。 

 そうこの細いどぶ川が母のいない時の彼の、おしっこ用専用のトイレであった。
倉庫内のトイレは階下、階段下にあり、薄暗くあまり行きたくなかった、とくに母のいないときなど。

尿意をもよおすや、2階から駆け降り、広く薄暗い倉庫を駆け抜け、重い両開きの扉を開き、やっとこ、たどり着くドブ川、そう彼、専用の水洗の小用トイレである。

それら、一連の行動の後の、排尿はある意味、至福の瞬間でもあったようだ。

この地(松江)にいる間、この行動の意味はこれ以上でも以下のものでもなかった。

この一連の動作の果ての、おしっこの夢を見る様になったのは、この地を離れて
から始まったようで、父親のいる大阪に来てからのことである。
夢の最後に時折、実際に「オネショ」が付加されだしたのである。

どぶ川の事はこれらにからまった表象であったように思う。

大阪にきて、押しかけ女房はともかく、押しかけ「子持ちのお妾さん」と言う
ことである。
生活はともかくにも、これまでに比べ格段の「安定」をみたのである。

子供こころにも、これらのことに「安穏・安心」を察知し、いくらか気が
緩んだのかも知れない。

こうしたころに、あのどぶ川への{放尿」を夢見、同時に「オネショ癖」が
始まったのである。

さあどうだろう、あの「ユングフロイト」先生ならこのことを、どう診察されるのか?
お聞きしたいものである。

oldboy君、一晩「けん玉」をやっていた訳でもないが、ともかくにも、無事、夜
が明けてくれたことに安堵していた。

               ① 終わり

              
                ★
 
②鴎外先生の小説「ヰタ・セクスアリス・性的生活」を頭の隅に置き
oldboy-elegy君の性的目覚めをホンワカ」と書かせていただいた。


その日は雨だったのかも知れません。

母はいつも通り、病院の下働きの仕事に出かけています。
とうぜん、oldboy-elegy君が一人、部屋に残されているのです。

ここは松江市内の何処かの商店街裏の陶器店の倉庫の2階で、母子の
間借りしている部屋なのです。

敷いたままの布団の上でゴロゴロ、小さなちゃぶ台を机代わりに母が告げた分だけの宿題をイヤイヤやっつけるのが日課でした。

そんなおり階下の倉庫の重い扉が開く音、「oldboy
ちゃんいる」と自分より二つぐらい年上の早苗ちゃん(仮名)がトントンと上がってきたのです。

そう長くもない頭髪を短いおさげに結っています。

早苗ちゃんはこの陶器店の長女でちょっと先の表通りの店の奥に住んでいます。
彼女はそこを母屋、母屋と呼んでいました。

「なにしてるの?」と彼女。
「ゴロゴロ」と俺。

ちゃぶ台の上の「ひらかな」の練習帳を見て、
「勉強、えらいな」と彼女。

くろめがちの、まなこがキラキラした、いかにも健康そうな娘です。

f:id:oldboy-elegy:20200715004353p:plain



「うん、さっきばあちゃんにミルクキャラメル買ってもらって、あんたにもあげようと思って。」と早苗ちゃん。

彼女、これまでも何べんかは来たことがあるが、いつも母のいた時だった
ように思う?

この年齢の女の子、自分と2歳も違えばそれこそ天と地の差、何もかもが
圧倒的存在です。

oldboy-elegy君、その存在は感じても、異性としての早苗ちゃんでは
なく単に、大きなオネ―チャンの立ち位置ぐらいのものだったようです。
性にまといつく感覚など、この時は全くもってなかったはずです。

しかし100%そうだといいきれぬ感覚も、心の内の何処かに潜んでいたのも
また真実なのです。

なぜなら母の田舎に帰ったおり、村のはずれの谷川で、なにも付けずの裸で
体を洗っていた娘さん数人を目にしたおりには、ある種、これまで経験した
ことのない、ショックを受けたことがあったのです。

川は、ひざ、程度の流れで、川底は細かな砂でキラキラと陽光を反射して
います。
4~5メートル程度の川幅で、両岸から流れの天井に向かって、黄色の
細身の竹の群生が覆いかぶさって川下にウネウネと続いています。

流れは、1キロもいかぬうちに、太平洋の海原に消えゆく運命にあります。

そんな情景の中での、数人の娘さんたちの裸の姿を見たのです。
「キャー、キヤー」と嬌声の中で、躍動する肢体に、いくら幼年期の
子供と言えども、無関心、無感動であるはずはありません。

このあたりの村々は「火山灰台地・シラスと言う」の上にあり、それぞれ
の家にお風呂はありません。
海岸に出て2キロほど東に、町営の温泉が唯一のお風呂で、それとて当然
いくばくかの、お金がかかるのです。

したがって、夏場で天候が許せば、この清流に委ねることは自然な事なのです。

この事もoldboy-elegy(7)にて「谷底の小川とルノアールの裸婦像」として
記事化している。


しかし今にして思えば、oldboy君の「性的開花」の「前夜」であったことは
否めないのものだったことも真実だったのでしょう。
だって今もって忘れずにこの情景が脳裏から消え去っていない事をみれば
納得のことだと確信できるのです。


oldboy-elegyくん、今から貰えるであろう「ミルクキャラメル」に目がいくばかりです。
黄色の箱を開け薄紙で包んだキャラメル全部をテーブルの上に広げ、それを
均等に分け半分をぼくにとくれる、と言うのです。

当時このようなお菓子は高級品で食べた経験があったのかどうかは思い出せ
ません。

一粒ずつ互いに口にし、「うまいなあ」と顔をあわせるのです。

布団の上でゴロゴロ状態の自分の横に彼女もゴロンと横になり、
「今日あんた川でおしっこしてたでしょ」と顔を俺に近づける早苗ちゃんが
そこにいたのです。

早苗ちゃんの眼(まなこ)は、これまでの柔らかさが消え、oldboy君は、えたいの知れない何かを感じたのは事実だと思うのだが、
それが意味するものを具体的に分からなくとも誰かに言うべきことではないと、理解していたようにも思うのです。

 「うん、下の便所狭いしちょっと臭いし、暗い、あんまり好きやない」と自分。
そこに「飴あげる」と新しいのを口に含み、ゴロゴロしている自分の上に覆いか
ぶさり 、彼女の唾ごとミルク飴を口移しにくれたのです。
「だれにも言いなや」とちょっとドスの効いた声。

たったこれだけのことです。
何がどうなったのかは自分にはよく分からなったが、
ただoldboy君、小さな体の内に何かが「はじけた」ように「ゾクッ」としたの
です。
そう、これまで知らなかった「小さく細い戦慄」が背を走ったのは事実です。


ともかくにもoldboy君の性的人生の始まりであったことはずっと後年になり認識したように思うのですが、それも強烈に。


            ② 終わり



              了

            oldboy-elegy
 

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(雑感・雑記帳 No.21 ) 「漱石先生ちの猫・吾輩」英訳タイトルの a CatのCが大文字なわけ、いつも通り独断と偏見でもって書いてみた

 


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精悍な面構えのこの猫、「吾輩」である。
神経衰弱ぎみの主人「夏目なにがし」とは対極の存在感を漂わせる。










ブログ記事の最初の書き出し時、自分を表現する一人称を決めるのに少々もたつく。
わたくし・私・自分・俺・僕」oldboy君が棲む地域の方言、河内弁では
ワイ・ウチ・ワテ」などもある。
大仰に言えば、星の数ほど存在するのである。

今(こん)東光先生の河内もん小説に登場する「ワイ・ワテ」話者は大概
「けんか・ばくち・酒・女郎買い」が大好きと相場が決まっている。

今(こん)先生の奥さんも放送局のインタビューでそう述べられている。
高尚な場所・場面に「ワイ・ワテ」話者が登場されても読者は「???」
となる。

ところが英語では、一人称単数は「 I アイ 」しか存在しないらしい。

一方、日本語の小説やエッセイなどを読めば、一人称の扱いで概ね主人公の
立ち位置がそこそこ見える。

そこでoldboy-elegy君、「漱石先生」のタイトル「吾輩は猫である」について
調べ考察???してみた。

もちろん、彼一流の「独断と偏見」をもっての論であることは、言をまたない。

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当然目的は、「吾輩は猫である」の「吾輩」が「a Cat 」で「Cが大文字」で
あったことが「そもそもの出発点であり、なぜそうなのかと自分なりに納得する
ことにあった。

この小説「吾輩は猫である」の最初の英文翻訳者は「安藤寛一」なる英文学者で
ある。
漱石自身も国費留学生として英国留学の経験もあるが、そのことが関係して
「安藤」が翻訳者なったのかはさだかでない。

翻訳本としては、この時代いくつかの、タイトル表記があるみたいだ。

「安藤寛一」の英訳表記は(I am a Cat)である。
(Cat)のcが大文字になっているのが英文としては異質と言えば異質である。
なぜなら、英語は「表音文字」で、単語のスペルが変化しない限り、意味は
変わらないのである。
それなら、何故、(a cat)を(a Cat)とCをわざわざ大文字にした意図はなぜなのか、
チョット探ってみたくなった。

たしかに表意文字を使っている日本人なら、この( Cat )が意味あるCとして
説明がつく。


そこで最初の日本語での「一人称」の数とそれぞれの持つ意味のうち
「吾輩」を彼は「a Cat」として意識して日本語的表現にしたのではないのか。

そう、この部分は日本人の感性で英訳したのだと思う。

「a cat」に「吾輩」のニュアンスを英文で付与しょうとするなら、猫を修飾
する「長い言葉」が必要になる。
それなら、日本語の持つ「吾輩」の簡潔な「小気味よさ」が失せる。

そこで安藤さん、言葉が持つ「語勢」を優先して「 a Cat 」とされたのでは
ないのかとoldboy-elegyくん、推察するのだがどうだろう。

もう一つ言えることは、この時代(明治後期~大正期)の日本文学が外国人
の手で翻訳出版されることはあまりない時代である。
基本、安藤寛一さんの英訳は日本人向けの英訳小説であったと思う。

この後、小説英語訳、「吾輩は猫である」は海を渡り、サンフランシスコを
中心にアメリカ西海岸でも発刊されている。
発行元は現地の日系新聞社であった。
もちろん、読者は日系人移民を対象としていた。
評判も良く、いくつか版を重ねたらしい。

ただしその時の英語タイトルは「I  AM a CAT]」か「I AM A CAT」で、
安藤寛一の
「I am a Cat」は生かされていないか、無視されている。

英語圏の人達に、この工夫が理解されるのかどうか一度きいてみたいものだ。
なにも説明しないまま見せれば、恐らく「???」か「誤植」扱いにされて
しまうのでは、と思う。

ただこのところ、マンガ、アニメ、などを中心に欧米への浸透が著しい。
日本の「表意文字文化」が「表音文字文化」に交じり、新しい表現形式が始
まっているのかもしれない。

これまでえたいの知れない言語でしかなかった象形言語(日本語)が、彼らの
頭脳内で新たな何かを造成しつつあると感じる。

とくにオノマトペ擬声語)など、その数の多さも、表現力の多才さも、
英語をはるかにしのぐ。

ヒョットしたら、今「安藤寛一」の「I am a  Cat」を説明すれば理解する
人が結構いるのでは。
いや、それ以前に「なにも言わずとも」この合体言語を理解できる欧米人も
いるのではないだろうか。

oldboy-elegyくんの貧弱な日本語をはるかに凌駕するアマチュア専門家の
外国人が大勢おられる

それも、ビジネス抜き、損得勘定抜きで、自分の趣味、楽しみで「日本語」を
勉強する人もたくさんいる。
たんに楽しい、面白いと興味を持たれることが何よりも嬉しい。

日本文化への入り口が「マンガ・アニメ」でも、当然の「シャワー効果」
により「日本文化」そのものへの興味にもつながる。

「木}など一つの「木」を見て「ウム木」だ、「二本の木」を見て
「林?・疎林?」、木を「みっつかいて森、ウムウムなんとなく理解できる、
それでは「四つなら?」
英語圏のお人がこたえる「ジャングルだ」と。
表意文字の真骨頂である。

数年後に日本の「漢字辞典」に「木を2本ずつ上下2段並べて」新語として
「ジャングル」が登場する。

こんな時代が来ると良いのになあ、とoldboy-elegy君は思っている。


それでは今日はこれにて失礼する。  
      ではでは
                 了
              oldboy-elegy

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oldboy-elegy (27)先日、おしりにオデキが・ 遠い昔、母に作ってもらったドーナッツ型の座布団を想い出す。

 

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左に掲げたこのイラスト画、複数の疾患によるもので,
oldboy君のつい最近までの状態である。


同時に情けなさの極みでもある。








ひとつは、右臀部頭頂部から肛門(失礼)にかけて、できもの(河内弁ではデンボ)が発生、椅子に腰かけるのも、座椅子に座ることも無理、たっているだけならまだしも、それではなにもできぬ。

ただただベッドに横になり、ラジオを聞くか文庫本を読むのが関の山。

テレビはボード上で右60度ほど回転させれば寝たまま視聴できるが、最近は
殆んど見なくなった。
サッカー、ラグビーなどのスポーツは好んで見るが、野球には興味がない
御仁である。
※oldboy君スポーツ記事を2編ほど書いたが、そのへんのところを「独断
 と偏見」を持ってUPしてある。
 このブログの「了」の下にリンクしている、よかったら見てくれ。


お尻がなにかに触れないかぎり辛抱はできる。


これでも彼、一応、最下層のブロガーでもある。

記事を書こうと座椅子に座り、左足を右臀部の「できものの」前部にはさみこみ
お尻を少し浮かせたスタイルで仕事?をしょうとするが、ものの10分も続かぬ。

やがて持病の「腰痛」にまで影響、腰をねじったままその場からリタイヤ―、
ベッドにドタッと、
ご帰還。
                 

今回の記事も、はたまた「しょうむない」脱力系のものである。
「しょうむない」は「つまらない」の河内の方言である


いつも思うのだが、なにか「世のため、人のため」になる記事は書けないものかと思うが、どうも無理なようである。

                ★

ことのおこりは、つい最近のこと。
おしりの右側、最頭頂部(突端)やや内側付近から肛門(失礼)にかけてハレモノが発生、診療科目で言えば当然、「外科」だろうが、oldboyくん、何故か、同じ病院の「皮膚科」での診療。

外科に行けば、その後の成り行きが目に見える。
若い女性の看護師さんの前で、
ズボンを脱いだうえ、お尻丸出しのまま「診察ベッド」に寝かされ即「切開して
膿を出しましょう」の男前院長のご宣託が待っているはず、気が進まぬ最大の
理由である。

当然、彼なりの「あさはかな考え、あっての「皮膚科」選択なのである。

皮膚科の先生は女医さんで、長い間「頭皮荒れ」の薬を処方していただいていた。
結果、1年後の今、ほぼ完治の状態であり、ときおり風呂・シャワーのあと塗布するだけである。

つまり、長い付き合い?にかこつけて、患部を見せることなく、「抗生物質製剤」かなにかを頂戴しょうとの目論見であった。

この考えは成功、抗生剤軟膏を1本、処方して頂き帰途につく。
とうぜん、おしりの状態はよくないままである。

バスの中での、シッティング・スタイル?(座り方)がこれまた難しい。
正面を向いて、ドカッと座るのが困難なのである」
やや半身の構えで、おしりの左半分のみを座席シートに預け、右半分は患部が
バスの座席に触れぬよう「空中遊泳」の状態なのだ。

とうぜん姿勢は右臀部をかばうため、右半身(はんみ)が不自然な格好になる。
それなら、手すりやツリカワを頼りに「立てば」とおっしゃる方もいるだろう。
しかしガラガラの車内、これもまた不自然である。
「お立ちの方、危ないですからお座りください」と車内案内でお叱りを受ける
のが目に見えている。

実は、今回の「でもの、はれもの、デンボの類」は初めてのことではない、
もう随分の付き合いの仲である。
oldboy-elegy君の記憶に初登場するのは「小学校低学年」のころ だったはず。

当時、学校が「体質改善のための薬」と称して、希望者のみに、月一回程度の
注射を有料でしていたことがあった。
母がこれに申し込み、クラスの生徒数人と注射のため保健室に行っていた記憶が
ある。

この注射の名前が「アホの注射」いや間違った「アオの注射」という体質改善の
ためのものであった。

当時、クラスの参加児童、数人と「アホのお前の為の注射や」「アホ、治るんか」
などと言い、ふざけ合っていたことで、記憶に残っていたのかも知れない。

「アオの注射・体質改善・薬・戦後10年~20年・エーオーの注射・AOの注射」など言葉を縦横斜めとgoogle検索にかけてみたが発見できなかった。

しかし今は亡き母が、有償にも関わらず、oldboy-elegy君のために申し込んだ理由は、この、できもの癖(くせ)以外に思い至らないのである。
まさか「アホ・バカ」を治そうと思った訳でもあるまい。
いやいやヒョットしたら、それが本当の所だったかも知れない。

頭の悪さを治す薬なら、クラスの全員が参加しているはずである。

この注射以外にもう一つ、この「デンボ体質」に、母の意思を明瞭に感ずる事柄があった。
それが母、手作りの「ドーナッツ型の座布団」である。
この事と併せて考えるなら、間違いなく「アオの注射」はoldboy君の右尻に定期的にお出ましになる「デンボ体質」を思っての対処であったことは間違いのないところであろう。

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上掲のイラスト画像は、食べる「ドーナツ」であるが、今はそれを忘れて、
形のみに焦点をあててくれ。
そう、これは、ドーナツ型をした座布団である。
言われて見れば、そのように見えて来たのでは?

賢明な読者諸氏にはoldboy-elegy君が、これから言いたいことが見えて来たのでは。

御明察、「臀部デンボ、保護のための新型座布団orクッション」である。 

当時、母に作っていただいものである。
断わっておくが、決して彼がリクエストしたものではない。
色はともかく、このような形、学校に持ってゆけば、クラスの者たちの「笑いの
タネ・ネタ」になる事必定である。

それに普段から、たがいに多少の確執を持つYなどは、これぞとばかりに囃
立てるに決まっている。

「oldboyのやつ、デンボと言うとるけど、ほんまは痔ちゃうか」

おれがいくら否定しても、きっと「痔持ち」にされかねないのだ。

母の作ったこの座布団の「色目」も憶えている。
帆布製の濃紺であったはずである。

しかし、はてさて、これを学校に持って行き、尻に敷いた記憶はない。
あるのは、家で食事どきに、使った記憶があるような。

ここまで、「デンボの状態」が逼迫すれば、火山爆発・ERUPTION(エラプション)
はすぐに始まり、母に膿を出してもらえば、たちまち痛みは無くなり、正常運転に戻るのである。
またまた、忘却の彼方にあった、母との思いでが一つ眼前に像を結んだのである。

きっとこの「ドーナッツ型座布団」は、学校でのデビューは無かったのかもしれない。


さて問題はこの度の「デンボ問題」の「終結の仕方」をまだ報告していない。
「皮膚科」で抗生剤の軟膏をもらった後の話である。

これまでの経験から鑑(かんが)みるに、間もなく「火山爆発」が起こるのが普通で、いやそうなるはずである、とoldboy-elegy君、タカをくくっていたのである。

ところがどっこい、このたびのデンボは翌日にもその次の日にも「爆発」が起こらないのだ。
うっすらと滅菌ガーゼに「血」の痕跡が付き(尾籠な話でゴメン)、「スワッ・始まった」と思ったがソレッキリ。

ベッドの上でモンモン、としていたが、ここで気持ちが崩れ、「タイムアップ」
明日一番にクリニックの外科に駆け込もうと決断、そして今こうして「ブログ記事」
を書くことが可能になった。

そんなことなら、初めからそうすればいい事とと、読者諸氏は思われることだろう。

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そこがそれ
女性看護師さんの前でパンツ一つでウツムキ、お尻を出す、恐らくイヤ当然肛門も見えているはずである。
この事のみで妙な「矜持・きょうじ」に囚われるoldboy-elegy君、もうそんな歳でもあるまいに。

いやいやこればかりは「人であり、男である限り」捨て去るわけにもいかぬ。 

またも今回の記事もユルユルもんであいすまない。
口角泡をとばし、なにかを主張するでもなし、読んで、なるほど為になった、
などおよそ無縁にして無関係のものである。

そのうち、ちっとは「香辛料」が効いて「なるほど」と言ったものも書けるかも
しれない、いやいやoldboy君には無理かな。

ほぼ完治したお尻をさすりさすり、今宵もこれにて失礼する。

 



   
 ではでは
        
               了
           
            oldboy-elegy   

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oldboy-elegy (26) 俺のトラウマ・算数の掛け算九九(くく)を、大好きな先生の前でトチリ、上手に発表できなかったこと

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 oldboy-elegyくん、ブログなるものを書き始めて、1年少々になる。
記事数たるやヤットコ40記事をいくつか超えたばかりの体(てい)たらく状態だ。

1か月あたり3記事ほどをよたよたと刻んでいる。

この間、自分の記事はともかく、他人様のブログ記事を読む機会は随分と増えた。

そこで思うことは、oldboy-elegyくんのように、部屋に閉じこもり、
ウジウジと駄文を書き込んでいる人は少数、皆さんなにかしらの「ご自身
の得意なフィールドで」足、目、頭脳などダイナミック稼働された上での
情報記事、
圧倒されているのが、本当のところ。


「食・食べ歩き」などの分野など、
その記事化までの手法、手数を考えたなら、oldboy君、一(ひと)記事も
完成を見ることはないと断言できる。

また、PC スキルの違いなどは、ブログのページを一見する
だけで、どうしょうもない「質の違い」を実感している。

ときおり、他人様のページデザインを見て、PCの動作、手法を悪い頭で
後追いしてみるが途中でアウト。

結果即あきらめ、自分の出来る範囲のものを「チンタラ」やって行くのが一番
と居直る御仁なのである。

さて、今回の記事も、相変わらず、諸氏諸兄に比して迫力はゼロ、
何かを訴え、訴求するものもなし、何時もの通り、脱力系のブログ
記事を書かせていただくことになる。


              ★

みなさんは、「さんすうの九九」は小学何年で習った」のかな?
oldboy君の場合、確か3年の時だったと思うが。

「さあ、今日から掛け算の九九の勉強ですよ、ソラ(暗記)で全部言えるように
しましょう」
と我が担任のK(女性)先生が大声でおっしゃた。
その日の、さんすうの授業の冒頭でのことである。
いったい、今から何が始まろうとしているのか?

やさしく、素敵な先生であった。
ただ一度、いたずらが高じて、額に「指パッチン」を受けたことがある。
でも叱られた、と言うより、なにか、その事を、自慢の種の一つ位に思い、
仲間内に笑顔を振りまいているバカがいた、当然oldboyくんのことである。

それは、偶然、先生の脇机(わきつくえ)の上に定期券が入ったパースを発見
したことにある。
首を伸ばし、彼、先生の歳と乗車駅を素早く読み取っていた。
どうやら隣の「奈良県」からの通勤らしい。

その御歳のほうをチョコッと、何かの折に、先生の前で口を滑らしたことが
あった。
おでこに「指パッチン」はその時のことである。

今日はその、大好きなK先生の前での、恥ずかしくも情けない一話である。

結論から言うと、「それが出来なかったこと」より、「K先生のでできな
かったこと」のほうがショックだったように思う。

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左の絵(?)は生徒側から見た
黒板の図である。
言葉で説明するつもりが、うまく
表現シズラカッタので、へたな絵をUPした。

この下の文と併せて見てもらえばないよりずっとましである、と勝手に
思っている。



K先生、

「サアー、みんな順番に教壇にあがり自分の名字を書いてチョーダイ」

窓側をAハン、廊下側をBハンとして、クラス全体を二つに分けるらしい。
※A・B斑のどちらかに(絵の両端)自分の名字を、自身で書き込むのだ。

なにを基準(席次順など)に分けられたかは記憶はないが、男女別で
なかったことだけは確かである。

ひとわたりの喧騒の中、黒板にチョークで自分の名前を書き込んだ。
クラスが半分ずつに分けられた格好である。

サアー、今から何が始まるのかoldboy君を含めて、クラスは戦々恐々の
雰囲気である。

「今日から、さんすうの時間の始めに掛け算の九九の練習をします」
教室内はなにか良からぬことの前兆を感じて、静まりかえっている。

「じゃあ、決まりを言うからしっかり聞いて頂戴・・・、先生が初めに
九九全段出来る人と質問したら、出来る人は手をあげるの、そしたら
先生、あてる(指名する)から、先生の質問に答えるのよ、わかった!」

ここで教室はザワザワ。
「一回予行練習するから!」
K先生、ひと呼吸後、
「九九全段言える自信のある人」と言い放つや、およそ半分位の子達が
手をあげているのである。
もちろんoldboyくんも手をあげている、少々不安はあるのだが。


「じゃ中川さん、A斑・B斑だけ教えてね」と先生。
中川、「Aはんです」とだけ言って、机の脇に立った。

「それでは質問するね、5の段全部答えて」
中川、もちろん小鳥がさえずるように、すぐに歌い終わる。
彼女、クラスの副級長でもある。

「もう一つ、九の段全部答えて」と先生。
9の段も同様、ヨドミもなく完答。

最後に先生が「ヒチゴ(7×5)は?」「ハック(8×9)は」とたたみかける、
すべて正解である。

「みんな、中川さん、全問Okなら拍手してあげて」
もちろん、満場一致の拍手である。
「そこで中川さんは、黒板の前まで来て、自分で消すのよ、名前を・・」
ここで中川、名前を消すために前へあるきだす。
「ゴメン、これ練習やから、消すのは次の本番からね」

こうしてこの「九九コンペティション」が始まったのである。

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前列右の男の子がoldboy-elegyくん

である。

自信なさげにキョトンしている。

まさしく彼である。









oldboy-elegyくん、なぜか根拠もないのに、多分OKと勝手に決めている。
基本この辺りが、詰めの甘い人なのである。

先生のおっしゃるには、早く全員の名が消えた方が「勝」になるとのこと、
とうぜんそうだろう。

このあとすぐに熱戦の火ぶたが切られたのである。
「九九全部言える人、手をあげて」の先生の声に、生徒の半数以上のものが
挙手している。

教室内の雰囲気は運動会の様相である。
およそ、おのおの7・8人、合計14~16人程度の選手が出場で、全てOK(合格)
の成績であったと思う。

「oldboy-elegyくんはどうだった」の声が電波の向こうから聞こえるが、本人
手をあげず、エントリーしなかったようである。

少々の不安を抱えた彼、帰宅後2・3度暗唱したが、スムース度にすこし
欠けるが、今日の人の中には、自分よりまずくてもOKを貰った人もいたようだ、
として練習をすぐに放棄したoldboyくんである。

ここで少し話が変わって申し訳ないのだが、九九の暗唱について思い出した
ことがあったので書いてみる。

1の段のみ、暗唱の言葉が少し違っていたように思うのだが。

21世紀の今では
いちいちが・いち・1×1=1」「いちにが・に・1×2=2」
いちさんが・さん・1×3=3」
と唱和するのかな、よく知らないが。

50年以上昔のoldboyくんは確か
いちが・いち」「にが・に」「さんが・さん」と言っていたと
思うのだが。

2の段以降は現在も同じだったのかな、ふと思い出した疑問を書いてみた。


ともかく、「競争」は始まったのである。

九九の授業も3回目あたりになるとクラスの「半数」以上の生徒の名が黒板
から消えている。

失敗した者はいるにはいたが、少数である。
手をあげていない者はこの間、先生の質問に合わせ、無言のまま必死に覚え、
練習している。
oldboyくんも同様である。

「さんすう」の時間はほぼ毎日ある。

彼が手を挙げたのは4回目ぐらいの授業のことである。
万を期しての「挙手」であると思ったがその様子がチトおかしい。

挙げた手が、真っすぐ天井を向いていない上に、肘も折れ、全く
自信のなさがまる見えなのである。
おまけに、前の人に隠れるようなそぶりも見せる。

塾の先生の経験のあるoldboyくん、こんな場面にほぼ毎日遭遇していた。
ただし立場は正反対である、教師と生徒が入れ替わっている。
こんな折の生徒の仕草には、無頓着に事を済ますのは、教師としては
「デリカシー」にちと欠けるものだと言わざるをえない。

この時の生徒(塾生)は中学生である。
「打たれ強い」奴もいれば、そうでない子もいる。
女子の場合は余計に気を遣う、同級生へのライバル心も強い。

oldboyくん、自信なさげな「挙手」には、判別できる限り、指名はしなかった。
半面、間違いにも動じない子とか、ある種の「笑いを取ることを」目的に
「挙手」するヤツもいる。
そんなおり、教室の雰囲気や息抜きのため、ワザッとに利用することもあった。
すべて一筋縄では行くものではない、生徒たちとの「アウン」の呼吸がある。

場面をもとの小学生の「九九」にもどす。

K先生がついに「oldboy-elegyくん」を指名されたのである。
彼、極度の緊張状態の中にいる。

実はこの精神状態に至る訳が、これまでの「算数、九九の暗唱」の中に
存在していたのだ。

失敗した奴の多くは、同じようなパターンでしくじっていたのである。
中には、そこそこ「勉強ができる」とされる子も、僅かだがいたのだ。

その失敗のパターンを説明してみようと思うが、うまく伝わるかどうか
心配である。


一番良いのは、なにも考えることなしに自然に口について出てくる事だが、
oldboyくんの場合いかんせんこれが中途半端(ちゅうとはんぱ)なのである。
「リズムも抑揚」もなく「凸凹の砂利道」を歩いているようなものである。

はやく、正確にすらすら暗唱できる子は概ね抑揚・リズムがよい。

しかし彼のばあい
あたまで考えて解答している部分がどこかにある。
それが顕著に表れるのが、7・8・9 の段である。
どうしても無意識の唱和ではとんでもないことになると本人は感じている。

例えば、「はちさん 8×3」であるが、無意識の唱和の場合、答えが何故か
「24であったり26であったりする。

このような危なっかしい九九が彼には幾つか存在する。
ひちし 7×4」もぶれそうで怖い、答えは「28」であるが、言った後から
確信が持てなくなる。
はちさん 8×3」「はちし 8×4」「くし 9×4」などもほっとけばとんで
もない数字を口にのぼせてしまいそうだ。

そこで彼が取った打開策がこれである。
上記の「ひちし はちさん  はちし くし」などの場合、瞬時に前後を無言
の内
で入れ替え、答えだけ声として「発声」するのである。

こうである
ひちし」と声を出す、即座に無言で前後を入れ替え「しひち28」として、
28」のみ声をだすのである。

つまり「7×4」から直接答えを言えば危ないことになりそうなので「4×7」
と胸の中で唱え「28」と発声するのである。
これならトンチンカンな的外れの数字は出てこないのだ。

しかしこれにも、チョットした難点がある。
7×4」と答えの「28」の間にわずかな時間のずれができるのである。

クラスの子達にも、oldboyくんと同じ症状の子が数名いたのである。
チョットしたこのタイムラグに気付き「今、計算したやろ」とダメ出
しを受けることになる。

この日、彼に要求された九九は、簡単な「5の段」と、もう一つが、
問題の「7の段」であった。

緊張の中、結果、間違いはなかったが、「7×4」などで、数字を入れ
替えたことをA斑に指摘され次回もちこしとなったのである。

この時間が終わると、A・B斑あわせて黒板に残った者は、7・8人程度
だったと思う。
むろん、出来なかった恥ずかしさもあるが、それ以上に、大好きなK先生
の眼前での失態、「屈辱感」が大きかった。

九九暗唱大会は、つぎの算数の時間で終わった。
残った者への問題は、ハッキリ言って、一人ひとりを先生が見据え、
考慮した上でのものであった。

oldboyくんの場合、7・8・9段はなかった。
なにか、嵐の一週間が飛び去った感覚である。

それから半世紀が経った、
その間、塾で数学の先生もやった。
K先生の気遣いが胸に残る。

あの時のクラスの喧騒も、今はもうない。
いまとなれば、懐かしくも、少々哀しい思い出となっている。

そして今も、oldboy-elegyくんの「九九」は依然中途半端のままである。

「ひちし」は「しひち」と口中で唱えて確認している。



                了
          oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 20)キャッチ・コピー「効きめ重視型の目薬」なぜか突っ込みたくなった・だが最後に納得か!

 

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左のメモ内容 
字がまずいので下記に「翻訳!?」する。

2020
・4

つっこみたくなるCM
●効きめ重視型の目薬

参天製薬 サンテ





oldboy-elegyくん、以前、自分のブログのどこかに
書いたおぼえがある。

ここ4~5年ぐらい前から、記憶力の低下をとみに、自覚するようになった。
それも最近の事になるほど、その傾向が強い。
例えば昨日のことなど、とんと思い出せぬことも多い。

そのためか、日にちと日にちの間隔が狭(せば)まり、やたらと月日の経過のみ
加速している。

結果、今年の正月なども、つい昨日のようにも感じる。

そのくせ自分の大昔の化石時代のことなど、無駄に記憶野にしっかりと刻みこま
れているのである。

振り返れば、小学校の6年間はやたら長かったように思う。
早く中学生に、お兄ちゃんになりたいとの思いがそうさせたのかも。


2017年の4月ごろから日記替わりにメモを事あるごとに書き貯めている。
貯まる用紙の厚みが時間の経過を、確かなものにしてくれる。

これらの良いところは一枚、1~2項目ほどを記入し、必要ならそれのみ取り
出し、壁に掛けたコルクボードに貼りつけ出来るのが良い。

メモ用紙、付箋紙などの色分けも効果的である。

例えば、支払いを赤、病院の診察予約をブルーなどと日々進化している。


そこまでしても、哀しいかな、時おりポカが発生するのが悲しい。

つい先日、5月3日・憲法記念日であり、彼の誕生日でもあった。

当然クリニックはお休みだったのだが、oldboy君、処方薬の欠品のみがあたまに
あり、バスに乗りノコノコと出かけたのである。
あげくのはて、青い大空を見上げて深呼吸もしている。

それと気づいたのは、病院駐車場の閑散さを目の当たりにしてのことである。

この件に関しては、前回のブログで記事化した。
(雑感・雑記帳 No.19) 5月3日は憲法記念日である にて。
最下段にリンクにて貼りつけておくので、よろしかったら見ていただけたら嬉しい。


ときおり、自分の人生にとって、記憶する必要のないお人の名とか姿が、前触れ
もなく突然に浮かぶことがある。
そのくせ、思い出したい人の名など「ほれそれ・あれあれ?」状態になってしま
うことも多々ある。

腹ただしくも情けないことおびただしい。

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これらのメモ、ここ1年少し前から始めたブログなどに利用することもある。
今日の記事は、そのうちの1枚の書き込みが題材である。


さてここからが今日の記事のメインストリームである。

メモの話をしてきたのだが、そのうちの1枚をPCに取り込み、記事中にUPした
ものが最初の画像である。
いくら走り書きと言え、なんとヘタクソな字であろう、なんとかならないものか。

2020・4 となっているが、日付は何故か未記入のメモである。

内容は 突っ込みたくなるCM  効きめ重視型の目薬 ・参天製薬 サンテ?

となっている。

メモの「突っ込みたくなるCM」の部分はoldboy君の個人的感想である。
今日の、話の趣旨なのだ。

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注目するのは、この部分「効きめ重視型の目薬」のキャッチ・コピーである。

当初、なにか解(げ)せない感覚が頭に残り、とにかくメモに残し、
コルクボードに止めおいたのである。

ときおりボードのメモを見ながら、「効きめ重視型」の反対の意味である
効きめを重視しない目薬」なんてあるのかな、と突っ込んでみたりして
いた。

別の日には、「清涼感を期待・重視するメントール入りのおしゃれな目薬
などもこの世にあるのだから、この「効きめ重視型の目薬」もありかなと考える
しまつ。
oldboyくん、この文言に「取りつかれた」のかもしれない。

いやはや、人迷惑なキャッチコピーではあることは間違いない。

一度など、「もう、どうでもいいや」とボードからはずし、輪ゴムで留め
置いているメモの束の中に入れようかと思ったこともあったが、どうも気持
ちが良くない。

こうなれば、いっそうのこと、自分のブログの記事にしてしまったほうが、
精神衛生上よいことと「結論」づけ、UPしょうと思った次第である。

しかし最後まで「効きめ重視型の目薬」の反意語「効き目を重視しない薬
なるものがこの世に存在するのかの疑問を払しょくできないままの自分が
いる。

oldboy-elegy君、ひょっとしたら、コピーライターさんの高度なテクニック、
術中にはまったのかもしれぬと思い初めている。

 

     それにしても  「効きめ重視型の目薬
不思議な アドバタイジング・スローガン(宣伝文)であるのは間違いない。
首を振りふり、記事を終えることにする。

心も晴れ晴れ、これで良かったのだろう、多分。

●ここから以下の記事は投稿しないまま、だいぶ日にちが経過してから追加した
ものである。


ところがoldboy-elegy君、この記事、投稿もせず、「はてなブログ」の
「編集下書き」
に塩漬けにしたまま10日ほどそのままにしておいた。

まだ心のどこかで「???」の「感覚」が、腑に落ちずに、残っていたのである。


そこでもう一度、oldboy君、なにか考え違いがあるのではと、思い治して再度
吟味することに。

そこで閃いたのが、次の事である。

このコピーが言うところの「効きめ重視型の目薬」の「効きめ重視型」とは
「目の機能・不都合にはいろいろある、それこそ眼球疲労・乾燥・各種炎症・
涙目 
などなど、それらを個別に対処・特化した目薬ですよ、なんでもありの
万能薬ではありませんよ」と言う意味で「効き目重視型」という言葉と考える
なら、「いろいろの目の機能不全に特化した目薬」と言う意味で「目薬会社の
言うフレイズもアリかな」と考えた次第である。

やっと彼ら「目薬会社」の考える本筋にoldboyくんがたどり着いた瞬間かも
知れぬ。

oldboy君は、最初に自分の目に飛び込んできた宣伝スローガンが「効きめ重視
」となっているので、反射的に「効きめを重視しない目薬」なる「反意語」が
頭の内に去来、もうすでにここで「ボタンの掛け違い」が起こってしまって
いたようである。

結論として言うなら、oldboy君のような、漠然とした、通りすがりの
コンシューマー(消費者)が「対象者」なら、必ず
一定の割合で「効きめを重視しない?」の反意語を思いつく人も結構いるはずである。

反対に広告主の当事者側から考えると、100%目薬の事で頭がいっぱい、
少々自己中的で、oldboy-elegy君のように考える人がいることなど想定できな
かったのかもしれない。

すなわち、互いの正反対の立場が、このアプローチの違いを生んだのかもしれぬ。

改めて想うが、やはり「舌足らず」のスローガンであることは否めないと思うが
どうなんだろう。

それともoldboy-elegyくん一人が変なのか、判断して欲しい。


これで憂いなく、納得もいったので、ブログ記事として近く「投稿・UP]
しょうと思う。

ともかく、すぐに投稿しなっかったことは大正解であった。

感想 「アーしんど」大阪弁で「アー疲れた」の意である。

最後まで「しょうもない」なんの得にもならない脱力記事に付き合って
いただきありがとう。

                   了
                  
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oldboy-elegy (25) ①「ガリ版刷り」って何?②英語?とローマ字?に関わるチョッピリ哀しい話。

oldboy-elegyくん、高校3年,卒業式前の2月中旬以後、大学卒業まで大阪は
河内の小さな塾の講師をやっていた。

母(故人)がおっしゃるには、大学の「初期費用を含めた入学金と、毎年の
授業料」は
私が責任をもって支払う、その上「この家の部屋代、まかない代を
よこせ
とは言わぬ、ただし、オカズに文句をいうな、それ以外の経費は知らぬ、
こんな
好条件どこにある」とのご宣託。

この言にoldboy-elegyくん、「ハアッハ~、ご無理ごもっとも、ありがたく」
と「頭(こうべ)を垂(た)れた」しだいである。

こうして、河内(かわち)から京都までの自宅通学が始まった。


実を言うと、教科書代を含む書籍代もご支援いただいていた。
ときおり、書籍代に行かず、遊興費に。
結構な金額であったはず。

本来なら、もうちと頑張り、学費の安い公立の大学を目指すのが本筋だが、
oldboy-elegy君、そこまでの根性はない。

もともと浪人など念頭になかった彼、最初に受けた京都の私立大学に受かり、
その日のうちに本棚から「受験関係」の書籍を一掃、即「人生のモラトリ
アム」気分に突入。
※人生のモラトリアム・大人になる猶予期間
 oldboy-elegyくん的解釈・社会人になるまでの猶予期間(大学生活)

彼、人生においても「楽な方、ラクなホウ」に、走るきらいがある、基本これが
oldboy君の性向で本質であるようだ、もう一押しの根性は持ち合わせていない
のである。

岩田一男の英文解釈・英作文」や「チャート式数学」など本立てから
即、一掃、お蔵入り。
古文関係はもともと好きだったので、そのまま辞書・辞典関係とともに
残すことに。

外を歩いていても、春はもう少し先だが、ウキウキ気分。
ただ近所の顔見知りのオバちゃんなどに出くわすと、この気分が
雲散霧消。

「oldboyちゃん、次はどこ受けんの?」とニタリ顔で聞かれること
必定なのだ。
先刻、大学入学試験に合格したことは知っておいでなのである。

なぜか、当時、新聞の地方版に大学名・出身高校・姓名が当たり前のように
掲載されていたのである。

なぜ、こんなプライベートなことが新聞記事として掲載されていたのか
理解できないし、謎である。

なにしろ、国立・公立一辺倒の土地柄だ。

ともかくも、あとは日常の「交通費を含む遊興費」を稼ぐのが大問題なのである。

その手段が塾の先生と言うことである。

高校時代、結構、いろいろのアルバイトはやってきている。
年末の門松作り・鶴橋は国際マーケットでの魚屋・夏休みの氷配達・etc
どれも結構実入りの良い、アルバイトであった。

とくに、門松作りなどは、発注元が大阪市内の「ヤクザやさん」である。
売り先は、スナックやバーなどの飲み屋だ。
トラックの荷台にいろいろの大きさの門松を積み込み、指示された店に
無理やり&強引に置いていくのである。
店から出てきたママさんが、われわれに向かって大声でアクタイをつくの
も無視、ヤクザやさんの指示通りに下ろしていくのみである。

このアルバイトでoldboyくん、修学旅行用の薄地のコート・革靴を調達
したことを思い出す。

それに、そのコートに「Tenko・女性の名」と一緒にくるまったことがある。
甘酸っぱい思い出である。

これも oldboy-elegy No.9  にて記事にてUPした。
このブログの最下段にリンクしておく。
読んでいただければ嬉しい。


彼の、塾での受け持ち教科は「数学・理科」である。
法文系の学生ではあるが採用していただいた。

同じ高校の先輩の後釜として推薦していただいたのが良かった。
世の大卒初任給2万円前後の時代、時間関係なしの6~7千円頂けることに決定。
正確な金額は失念した。

しかし、この「時間関係なし」が曲者であった。


4月に入ると、少々不安があった「理数科目」も、予習なしの「即本番」
でも、なんとかこなせる。


ここらあたりが、oldboyくんの性癖で「基本人間が軽い」のである。

授業時間は金・土・日に集中してカリキュラムを組んでもらう。
大学の必須教科の講義が夕方の場合、京都から2時間の距離では少々
無理がある場合もある。

そのへんは、塾と相談の上、いろいろ便宜を払ってもらっていた。

①ここからがタイトルの「塾でのガリ版刷り」にまつわる話となる。

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左の写真画像が「謄写版刷り」の道具
一式。

画像借用のため、唯一の痕跡、
〇〇市教育委員会にも連絡したが、
先方の画像でもないとのこと。
当方、無害と判断して、掲載させて
いただいた。




生徒たち、いくつかの別々の中学校から寄り集まっている関係で、
なかなか「カリキュラムの統一性」が取りずらい。

なかには、電車で二駅ほど先から来ている生徒もいる。
そのため「公平を期す」のに、塾で作成したテキストがどうしても
必要になる。


それも、全て自前で作成するのである。
謄写版刷り、またはガリ版刷り」が基本でこれ以外の方法はない。

謄写版刷り」を説明する、上掲の画像を見ながら読み進めていただければ
ほぼ、ガテンがいくと思う。

謄写版刷り」は別名「ガリ版刷り」ともいう。
「蝋引き(ろうびき)の原紙」を細密のヤスリ板の上に置き、とがった鉄筆
ガリガリ」と蝋を削る音から、そう呼ばれている。

最後に、書きあがった蝋引き原稿を四角の木枠に貼り、インクを乗せ、
ローラーで1枚1枚別の紙に転写するのが、作業の行程だ。

まず適切な問題を教科書や市販の問題集から選び出すことから始まる。
予習の要素は省き、「各学校の後追い・復習」と「理解度」が深化するのを
目的にした授業である。

もちろん、経営者の「塾長」及び「前任者」と相談の上である。

時にはこの準備の作業が夜中までかかる事も多い。


oldboyくんの担当学年は1年・3年で、テストや資料も全てこの
ガリ版刷り」でやることになる。


最後に、鉛筆書きのひな型原稿を蝋(ろう)原紙に鉄筆で印刷用の
本番原紙を作成するのだが、彼、鉄筆の筆圧が強すぎて、蝋(ろう)原紙を
痛めてしまうことが度々であった。
修正液を使うのだが、なんせ原紙全体の状態が、5段階評価で2~3の
できであり、生徒に申し訳がないシロモノである。

まあ、それ以前に「字」の下手さ加減には、oldboyくん「絶対の自信」
がある。

上手な人なら1枚の原紙で100枚ほどの「印刷」なら余裕で可能なのだが、
oldboy君の場合、20~30枚でインクが本番用紙に滲んでくることもしば
しばである。

こんな時は、また原版作りからやることになる。

思うに、「天性の不器用」のお人である。

要するに、受け持ち時間数の数倍の準備時間が必要なのだ。
もう、損得勘定を考えていたらやれるものではない。

今の時代なら、パソコンのエクセルか何かに使用する基本原稿のパターン
をテンプレートで保管、必要時にこれを呼び出し、そのまま考えながら問題
を書き込み、出来上がったものをデジタルコピー機につなぎ、好きなだけの、
印刷がアッと言う間に出来上がる。

実際にこの件で「悪戦苦闘」した経験のあるoldboy-elegy君にすれば
隔世の感がある。

ともかく、この仕事(塾のアルバイト)、時間給を考え、損得ではやれる
ものではない。
こうなれば、彼等(生徒たち)の成績を少しでもあげようと努力するのは
人情である。

少し後には「謄写版印刷や鉄筆による原紙切り、刷り」を助けてもら
える生徒たちの「女子のグループ」もでき、大いに甘えさしていただいた。

やがて、これらの作業を通じて、勉強のできる子も、そうでない子も、ひとつにマトマリ、塾と言えどもなにやら、強い絆が芽生えてきたように思えたのである。

  
② 英語?とローマ字?のチョッピリ哀しい話

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この男の子が「和夫・仮称」である。













ある日、英語の講師が急用で休まれたことがあった
そのおりoldboy-elegy君が代理でこのクラスをタマタマ受け持った。

単語の小テストの用紙を塾長から預かり、授業に臨んだ。
20人少々のクラスである。
テスト時間は10分だか20分ぐらいのものである。

この日、遅くに、塾長(経営者)に教室脇の小部屋に呼ばれた。
「oldboyくん、これみてごらん」と先ほどの英語の単語小テスト
の用紙を1枚、彼の前におかれた。

「??!!」彼「何だろう?」の体(てい)でのぞきこんでみる。
姓名欄には、よろよろした、ものだが、一応漢字で書かれている。
「○○かずお」と読み取れる。

小テストはひらかなや簡単な漢字がならび、その横のカッコ内に英単語を
書き込むだけの、至極単純なものである。

塾長、oldboy君が「なにか?」の様子でのぞきこむのを見て「答、読ん
でみて」とうながされた。

実際の具体的な単語は忘れたが、こういうことである。

「川」とあれば普通、正解は「river」となるが彼の解答は「kawa」となって
いるのである。
書かれた「kawa」も正確なローマ字ではない。
一生懸命に「kawa」と書こうとしているのは見てとれる。

彼にとって、「英語」とは「ローマ字」なのである。
「そう、ローマ字を書くことが、すなわち英語であると」思っているらしい
のだ。

始めのころは担当先生も、地球儀など取り出し、違う言語・人種などの
存在等を説明したりして努力されたみたいである。

親御さんも、重々、承知の上での入塾であったらしい。
同じ、中学校の友達も何人かいる。
ただ授業態度に、とくに問題も無かったし、むしろ楽しんでいたようである。
しかし学期末には親からの退塾届が出され、やめていかれた。

退塾のおり、ご両親そろっておいでになり、「息子も良い思い出になったこと
と・・・・」の言葉を残していかれたらしい。

和夫を見送った塾長、「アイツ本人、納得して辞めたのだろうか」と。

彼の退塾にあたり「ホッとしたのは本音であるが、心の奥に小さな空洞
ができたのも現実であった」と述懐されていたのをoldboy-elegy君は
知っている。

                         
                  了

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(雑感・雑記帳 No.19)  5月3日は憲法記念日!!、おまけにoldboy-elegyくんの誕生日なのだ。あったこと、思ったことを綴ってみた。


f:id:oldboy-elegy:20200509140857p:plain



oldboy-elegy君に今年も誕生日
がやってきた。
5月3日である。
日本全国等しく祭日である。

だからと言って彼に何か特別な
行事があるわけでもない。





しかし今年のこの日を意識して振り返ってみれば、さまざまな
思いが生まれ、それらが、不思議に意味を持ち、つながって1日を
終えたように思う。

敢えて言うなら、このことが「誕生日」のプレゼントだったのかも
しれない。

それではそれらを、時系列に従い、綴ってみる。
何時も通り、緊張感もなく、脱力系記事で申し訳ない 。
            

             ★


● AM9時ごろ、妹からTELあり。

他県にいる妹が電話口の向こうで「お・め・でっとうさん」と本気

とも、冗談ともつかぬモゴモゴ口調でおしゃっている。

当の妹、おれより6~7才の歳の差がある上に、年金年齢になってまだ
そんなに経っていない。
こちらはなにげに大台にに乗った身である。

妹くん、時節がら、「人込みに入らない事」「外出からの帰宅時には
手の消毒とうがいを・・・」などの注意を、こと細かくいただく、
嬉しいことである。

われわれ兄妹2人には、oldboy家としての近しい縁者はいない。
実際はいるんだろうが、これまで行き来のない人生であったので、
こんな状態である。

ただ母が入籍の件で猛烈に父に迫ったことがあった。
oldboy君の大学卒業時の就職を意識してのことである。
しかし「なんとかなるよ」と言うのが彼のスタンスである。

そのことで、気にしたこともないし、どうのこうのと考えた事もない。

さきに書いたように5月3日はoldboy君の誕生日である。
いもうとから、電話があったほか、この時点で特段のことはなかった。

●このあと、腰痛の処方薬が切れかかっているのを思い出す。

クリニックまで、バスで15分ぐらいの距離である。
天気も悪くない。

彼、この度のコロナ禍に遭遇するまで、マスク装着の経験はない。
いまだ慣れず、息苦しく感じる。

身じたくをして、oldboyくん、いそいそとご出宅。
バス停でも、青空を仰いで、マスク越しに深呼吸。

読者諸氏、ここで気が付かれました?、今日は全国47都道府県
おしなべて5月3日憲法記念日にして祭日、クリニックも当然休診の
はずであることを。

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※oldboy君の今日のいで立ち、ショルダーバッグの色・形 、薄地の
セーター、上掲のイラスト通りである。
しいて言うなら、パンツの色がサンド・ベージュであることぐらい。


この段階になっても、当のご本人、気が付かないご様子。
そのまま、浮かれ気分のノーテンキ状態で、お客、数人のガラガラ・
バスにご乗車、そのまんま目的の停留所で降車。

トコトコ、トコトコ(腰痛の状態を表現しているつもり)信号を渡り
クリニックの駐車場をまさに通り過ぎようした時。

oldboyくん、「うん、???」と、ようやく目線の先の、普段とは
違った光景・様子にキョトン??。

「むむ、なんだこの駐車場?」車両が1台もない。
いつもなら、10台以上の車で満車の状態なのだが。

「今日は休みだ~」とここで気が付く、アホさかげん。
この期に及んで、やっと、ことの次第が飲み込め、自分の頭に
ゲンコ一発くらわす始末。

「あーやだやだ」このぼんくら頭。
だれも交換してくれないので、このまま付き合っていくしかない。

このごろ、二つ三つの用事を同時進行するときなど、どこかで
不都合が生ずることがまま起こる。

食品など、グロスリー・マート(食品スーパー)で買い物する時
など、メモ用紙が必須アイテムとなっている。

とうぜん、妹のい言うとおり、用事もないのに、このまま駅に世間の様子を
見学に出かけるのも気がひける、
結果、もと来た道の反対車線のバスに乗りトボトボとご帰還、いったいぜんたい
俺はなにをしてるのか?

今日、5月3日・祭日のoldboyくんの誕生日もケチがつき、もはや
これまでかの気持ちである。

そのあと憮然とした気持ちでコーヒーを1杯をすすり、気持ちを
切り替える。

ブログのはてなスターやブックマークの整理を終え、gyao(ギャオ)の洋画
案内をのぞきのぞき、スクロールをしていたら妙なタイトルの映画に目が
止まった。


●邦題「ロープ・戦場の生命線」、聞いた事もない、当然みたこともない。

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ただ、ときおり、原題が記憶に残り、邦題を忘れることがたまにある。
原題は「A PERFECT DAY]となっていた。
これでも知らない。

映画解説に目を通すと「バルカン紛争停戦時」の「国境なき水と衛生管理団」
なるNGOの活躍?をシュールではあるが、コミカルに描いた作品とある。
※シュール      あり得ない・現実を超えた・奇抜な 等の意
NGO            非政府組織・ (NON GOVERNMENTAL ORGANIZATION)

NGOで「国境なき医師団」はよく耳にするし、ある意味かっこよさげである。
とにかく、この映画、視聴することに。

oldboy君、ここでこの映画の筋と感想を述べるのが本位ではない。
あくまでも、「oldboyくんの5月3日の誕生日」が主筋であるのはキチンと
心得ている。
しかし必要最小限の情報をインプットして頂き、なるほどと思って頂く
ことも必要である。

 

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ユーゴ・スラビア分裂後のバルカン半島。(ウィキペディアより)

黄色スロベニア /赤・クロアチア /濃、灰色・ボスニア、ヘルツゴビナ /緑・モンテネグロ
/オレンジ・マケドニア

ヨーロッパ南東部、地中海東部のうち、アドリア海エーゲ海黒海に囲まれた
半島域

20世紀の終わりごろ、バルカン半島全域が、紛争状態に置かれた歴史がある。
ここバルカン半島にあった「ユーゴ・スラビア」なる国が、政治体制、言語
民族、宗教の違いからいくつもの小国家に分裂していった時代である。

もともと、この地域、モザイク国家などと呼ばれ、国境線があっても、
互いに飛び地などが相手領土内に点在し、広くもない川を挟んで敵味方、
もっと言えば、疑心暗鬼が隣近所の近しいはずの人達にも伝播、殺し合い
、泥沼状態に落ちいってしまったのがこの紛争である。


別名、ヨーロッパの火薬庫などとも呼ばれている地域でもある。

この点、日本はある意味幸せな国である。
政治体制の良し悪しは別に1制度で、方言は多々あるが、ひとつの言語の
範疇である。
宗教も人々を縛るほどでもないし、国家宗教なるものも無い、その上、
国境線は全て海で、一国一領土の単独の海洋国家である。

バルカン半島諸国」に比べて国家存立の条件は全て対極にある、
本当にありがたい環境にあるのがこの国「日本」であると思う。

バルカン半島」の紛争が「国連」などの調停で、ようやく曲りなり
にも停戦が達成されたのが、この映画、邦題「ロープ・戦場の生命線」
洋題「A perfect day」の舞台と時代なのである。
西暦の年譜で言えば「1995年」のある日!を舞台にして描かれている。

従って、この映画の必要ワーズ(用語)を「バルカン半島」「難民収容所」
「地雷原」「飲料用井戸に投げ込まれた巨漢の死体」「ロープ」となる。

ここを、出身国も言語もバラバラ5人組(男2人・女2人・通訳1人)が1台の
車両で登場、身分は(NGO国境なき水と衛生管理団)である。

(ある村の飲料用共同井戸に投げ込まれた死体を引き上げるべく任務)
を負って危険地帯を右往左往する物語である。

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oldboy君、ここでこの映画の解説をするものではない。
上記の状況説明で、感の鋭い諸氏はおよそこの映画の内容が見えておられる
と思う。

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● やがて映画のエンドロールがと、思いきやエンドクレジット
 「A perfect day」が現れ、これに被せるように、女性の声で優しく
「花はどこへ行った・Where  has all the flowers gone」がフル
流れる。

そうこの曲こそoldboy-elegy君にとって、誕生日5月3日を想起さすもの
である。

よくぞ、最後の最後まで見たもんだ。
きっと、この映画を気に入り、チョットした余韻にしたっていたのかも
知れない。


このエンディングは、曲を聞くまでは全く想定外の
もので、
ある意味5月3日の最高のプレゼントに思えたのである。


曲の作詞・作曲者は我が敬愛するあのピート・シーガー様なのだ。
ただ俺がこう言っても、今の人達の多くは「それ誰?」と言う事になる
んだろうな、それも少し寂しいが致し方ない事かもしれない。

ピート・シーガーとoldboy君の誕生日の5月3日と何か関係があるの?」
の声。
それがありありの大ありなのだ。

● 彼、「ピート・シーガー」の誕生日は、1919年・05・03 なのである。

ここで、これを聞いて「あほらし」と嘲笑とあざけりの声が聞こえる。
もちろん、西暦1919 は除外して 05・03 、まぎれもなく誕生日は
同じである。
1/365の確率である、稀有な事と、かってに思っている。

この曲、「Where has all the flowers gone 花はどこにいったの」は
作詞・作曲者のピートはもちろん、多くのグループやソロシンガーが
カバーをしている。

有名どころでは「キングストン・トリオ」「PPMことピーター・ポール&
マリー」などがいる。

この曲、「ベトナム戦争時を象徴する反戦歌(プロテスト・ソング)であった」
曲調はもとより、その歌詞は、アメリカはもとより、世界で歌われた。
oldboy-elegy君も、この年代を生きてきたのだ。


またPPM(ピーター・ポール&マリー)のマリーはこう言った「社会の変革時には必ず、ひとつの曲が声と、ともにあった」と。

歌詞の後半の主旨を下記に簡単に書いておく。
「男たちは、どこに行ったの? みんな戦場に行ったよ、みんな
墓場に入ったよ、それで娘たちは墓場の花を摘んでいったよ」・・・意訳。

そう、5月3日に偶然視聴した映画が「A perfect day」で、その映画のエンド
ロールに使用された曲が「花はどこへいった」、その上その作詞・作曲
した人が「5月3日」生まれの「ピート・シーガー」だ、これを大いなる
「因縁」と呼ばずに何がある。

最後に、この曲(花はどこにいった)が「A perfect day」に偶然登場したのではないとoldboy君は考えている。
そこにはある事実が伏線となり、ここに登場したものと確信している。

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みなさん、「カタリナ・ビット」なる「女子フィギュアのスケーター」
ご存じですか?
彼女、当時の東ドイツ代表として、「ユーゴ・スラビア時代」の古都
サラエボ開催の冬季オリンピック1984で優勝しているのです。

バルカン紛争以前のことで、彼女18才の時の事でした。

それから後に、「ユーゴ―・スラビア」が瓦解、長い紛争が始まったのです。

サラエボ大会から10年後、「ノルウェーリレハンメル1994」で「冬季
オリンピック」が開催、カテリナ・ビット」28歳の時の事です。

もちろん、いまだバルカンでの紛争も終わっていない時のことです。

結果、ほとんどの選手が10代の中、ビットは28歳、成績は
ふるいませんでしたが、彼女の演技が始まると、会場が一瞬の
静寂の後、津波のような拍手、そして静寂。

もちろん、彼女の「バルカンの地、サラエボ」以後の活躍や
おそらくこの大会を最後に引退する「ビット」への、敬意の
拍手でもあったかも知れません。

しかし、これ以上に、会場や世界を感動の渦に巻き込んだのは
「彼女のダンス」で流れた曲なのです。

「花はどこえいったの」

がそれなのです。

この時「ユーゴスラビア紛争」はまだ終わっていないのです。
「バルカンのサラエボ」は「ビット」にとっても、18才でオリンピック
初優勝した「因縁の地」です。

それゆえの「カテりナ・ビット」が選んだ、プロテスト・ソング
だったはずです。

「A  perfect day」の監督も、当然このことを(バルカン半島とカテリナ・ビット
との因縁)承知の上で、エンディング曲として使用したのでしょう。

このことは、映画の解説には言及されてはいませんがoldboyくんの勝手な
思い込みではないはずと確信しています。

最後に、上に書いた歌詞の後半の意訳をもう一度書きたく思います。


「男たちは、どこに行ったの? みんな戦場に行ったよ、それでみんな
墓場に入ったよ、それで娘たちは墓場の花を摘んでいったよ」・・・意訳。

 



                                            了

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oldboy-elegy (24)懐かしき・俺たちのシネマパラダイス IN 河内・大阪 銀幕の笛吹童子もびっくり・ドンドカドン

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じつはこの記事、ブログを
書き始めて4記事目のものである。
自分としてはすこぶる、気に入っている記事でもある。

もともとのタイトルは、
「修羅場と化す正月の映画館・煙幕の向こうの銀幕・笛吹童子もびっくりドンドカドン」となっている。

それをリライト、新記事としてUPしたものだ。

もとより、内容に変更はないが、タイトル・文体・改行など読みやすさを基本に変更している。
初出稿は 2019・04・24 とクレジットされている。

戦後10年前後の小せがれたちの生活の一断面を正月と映画館と言う特別な日と場所で切り取り紹介したものである。

食糧難、闇市、空前の子だくさん等ネガティブ要素テンコモリの世代ではあるが、子供たちはそんな中、いたって元気であった。

それでは究極の下町、「大阪は河内の場末の映画館」のお正月上映に招待しょう、「パチパチパチ・始まりはじまり」
                                     

             ★ 

5人+1人、これが今日の面子(メンツ)である。
5人はいつもの近所の小学校の連れで+1人は中学校の女生徒
である。

彼女は俺たちより2、3歳年上で一応親たちが認めた保護者兼
監視人の立場である。

大人たちは、晦日みそか)の除夜の鐘が鳴り終わるまで働きづめで、映画より寝正月の方がありがたいのである。

  彼女のことを俺たちは「安田の華ちゃん」または「華ちゃん」と呼ぶ。
時折「おい華!」言うものもいた。
彼女も俺たちのことを口ではののしり叱るが、目は笑っている。
身長は俺たちの誰よりも大きく大人びていた。
 

輪ゴムで縛っただけの2本おさげの可愛いと言うよりと聡明なしっかりものと言う感じの人であった。

ともかく、喧嘩も辞さぬ構えで先を争い4席確保できたのは上々であった。
それも初めから2階席の最前列が目標であった。
何もハナから映画を見るのが目的ではないのである。

いったい奴らは何をしでかそうとしているのか、場内の雰囲気も大団円を迎えつつあった。
上映前の階下を見ると、どこを見ても子供子供で一杯である。
スクリーンのあるステージの上まで、ここが一等席であるかのように人ヒト、それも子供で埋まっている。
そう広くもない館内は嬌声、怒号の渦のなかにある。

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安田の華ちゃんはと言えばこの雰囲気にアンビリーボの表情、この連中のはしゃぎように何か「不吉の前兆」を感じ取っていたのかも知れない。

話をここで数時間前にもどす。
近所に、われわれ御用達のスーパーマーケットがあった。
そう駄菓子屋兼おもちゃ屋である。

もちろんこの時代、今で言うところの「スーパーマーケット」なるものは存在しない。

この店には屋号らしきものがなかった、近所の人たちは「ちゅうこひん」とあだ名していた。
われわれもおっつけ「チューコヒン」と訳も分からず呼んでいたし、これが店の名であると思っていた。
「おい・チューコヒン・いこや」など。因みに「いこや」は「行こうか」の大阪弁

このチュウコヒンが「中古品」の意味であることを知ったのは、もっと後のことである。

白髪ガチのおばあさんが一人でこの店をきりもっていた。
使用人どころか家族らしき人影もこの店にはなかった。

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べったんチュウコヒン高いわ」べったんはメンコの関西ことば。
しかし、おばあさんがこのことで我々を叱ったり、抗弁したことはなかったように思う。

今思い起こしても、笑った顔は見なかったなあ。
むしろ万引きされないか、気が気で無かったのかもしれない。
間口二間半、奥行き一間弱ていどの店に、半分は駄菓子、半分はやすもののおもちゃが所狭しと並んでいた。


 最近、駄菓子人気でテレビでよく紹介されているが、我々の知る駄菓子とはだいぶ様子が違っているようだ。

いまでは駄菓子と言えども、食品安全に即して物作りせねばならないのは当然のことだし、生身の手で食品に触れ、やり取りするなんて考えられない。

すべからくこぎれいで、上品になり「駄菓子」とは呼べないように思うのだがどうだろうか。

紙ニッキ、ベロベロ、酢昆布、みかん水。 紙ニッキなどは今時売ればたちまち保健所がやってきて、販売、生産停止の命令が下され、運が悪ければ店の閉鎖もありうるような代物である。

まずその毒々しい色からして噴飯ものである、真っ赤、緑、黄色、青、紫、どれも塗料の色を思わせる。
たしかにニッキらしい味はするが、あとがいかぬ、紙ニッキをしがみ、ぺっぺとその辺に吐き出す、口内と唇はその塗料のような原色がべっとり、袖で拭おうものならそれも同色に染まってしまう。

おっと、興に入って、いろいろ書いたが、「チュウコヒン」についてはいずれ独立した一遍として書く機会を作ろうと考えている。

今日「チュウコヒン」に来たのは、あるものを買いに来たのである。
食べ物ではない。

もう言ってもいいだろう。
「投げ弾」?「なげだん」である。
見た目は?うん、どう説明しょう、そうだ「ひな祭り」の花あられ、あれにそっくりである。
大きさもまあまあ、近しいし、なによりその色がそっくりである。
ピンク、しろ、薄緑、薄黄色、など5~6色の構成であるのも同じである。

「花あられ」は食い物で、「投げ弾」はちょっとした爆発物である。
少量の火薬を薄い色紙で包み、のりで重量をもたせ固めたもので、強くコンクリートなどの固いものにこれをぶっつけるとその衝撃で爆発し、後に煙と煙硝の匂いが辺りに立ち込めるのである。

花火の一種として販売していたのかもしれない。
しかし少々危険を伴うものであることは言を待たない。
対象物は固ければかたいだけ効果は期待できる。

コンクリートアスファルト、固い土壁、窓ガラスなどが爆発効果が大きい。
逆に人に向かって投げてもその費用対効果は残念な結果に終わるだろう。

その投げ弾をしこたまかいこんだ。
今日は正月である、懐も少々あったかい。

映画はまもなくはじまる。
「投げ弾」もそれぞれのズボンや上着のポケットに納まっている。
館内照明が消えるのを今は待つのみである。

ここで読者の皆さんに、隠していることがある。

それは、悪ガキ各々が強力なライフルを隠しもっていることである。
「ライフル」?

投げ弾は弾丸で、弾丸を打ち出すのには銃がいるのは道理である。
人の腕力で投げても、いささか子供の力では非力である。
察しの良い読者諸兄はそれがなにであるか分かっておられることと思う。

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「パチンコ」あるいは「ゴムパチンコ」、関西だけで通用する言葉かどうか知らない。

パチンコホール、海物語のあのパチンコでは絶対ない。

手頃な枝のY字部分を切り取りVの先に強力なアメゴムを2本
取り付ける。
2本のゴムのあわさったところに皮や帆布などで「玉置」を作り
完成である。
Yの下の縦棒の部分を握り、玉置(たまおき)に弾丸をのせ、
ゴムを精一杯ひっぱる。あとは狙いが定まったところで弾丸を
瞬時に離す。

普段、弾は木の実を使う。
楠の実など、青い頃から濃い紫になるまで半年近く弾丸の役割
をはたす。
熟した濃い紫の実などが衣類にあたると、そこで砕け、染まる。
時間がたつとなかなか取れない。
あとどんぐり、南天の実などなど。

基本、小石を使うことはご法度である。
今日はの弾丸は年に一度の特別使用である。

「ゴムパチンコ」は館内照明が落とされてから取り出すことに
している。

一番年少の勝男など興奮の極にいる。
こいつの渾名が面白い。
「青ばな町、2丁目」
年から年中、2本のアオバナを鼻下にエレベーターのように上下さしている。

安田の華ちゃん、映画を見ることの楽し気な様子ではない、不安気に見える。
一応付添人の立場である、館内の状況を見ればさもありなん。
そのうち館内放送が始まる。
より一層の怒号と歓声で館内放送もなにもあったものではない。
ついに館内の照明が落とされた。
場内は歓声から拍手、拍手の嵐に変わる。

映写室からの光は我々の頭上を越えて銀幕に届く。
誰かがその幕の前に立ち。踊っている、影絵のさまが面白いのかすぐに2~3人の子供が参加。
観客から「じゃまやどけー」「おんどれひっちんどー」お前殴ったろかの河内弁、もうおさまりがつかない。
大阪は河内の場末のえいがかん、見ようによっては、あのイタリア映画、「ニューシネマパラダイス」の一場面を彷彿させる。

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ごめん、今言った言葉撤回さしていただきます。
あの名作を、お前は諫めるのかと、非難されても「ご無理ごもっとも」とお答えするしかありません。
あの映画の芸術性、人心に永遠に残る普遍性など、すべてを削り取ったのが、お前の駄文であると、夢と思い出を壊してゴメンなさい。

近所の仏壇やとか家具や、老舗の和菓子屋などの広告もおわりいよいよ本編である。

「あんたら何もってんの?」と隠しもってきたゴムパチンコをみて華ちゃんが言った。
これが合図だったかも知れない。
年長の吉雄が今やとばかりに一発発射、見事にステージの床で
はじける。
「ひやー」とも「ギャー」ともつかない悲鳴があがる。
あとは連射に次ぐ連射。
真下の通路や天井にも。

どうもこの悪辣行為、俺たちだけでないようだ。
2階席の右端の袖口から射かけているやつらもいる。

始まったばかりの笛吹童子、煙幕(爆発による煙)
の向こうの銀幕で「ドンドカドン」の状態である。

狭い館内まさに騒乱状態。
おそらく5分も居なかったように思うがどうだろう。

安田の華ちゃん、一番年長の吉雄を捕まえケツ(尻のこと)を
力一杯殴り「警察沙汰になるわよ、みんなパチンコ隠し、すぐでるわよ」と大声。

今日の、責任者で保護者でもある自分の立ち位置に目覚めたのであろう。
ここまで来れば、いかにバカとて、事の重大さに気が付く。

群衆にまぎれ、とにかく脱出、それ以後この話はタブーで重大秘密事項になった。
以後、しばらくは「おまわり」が怖かった。

あれ以来、ゴムパチンコでだれもあそばなくなったし、口にもしなくなった。
すべて華ちゃんの指示である。

この事件のづっと後の事で、oldboy-elegy君が大学生でいたころのことである。
母が「人から聞いた話やけど」とことわり、「安田の華ちゃん、死んだだってよ、朝鮮で」と繕いものをしながら言った。

俺自身、母に背を向けたまま「ふ~ん」と言った切り表情を隠し、動揺していた。

華ちゃん自身は家族5人で、第何次かの帰還船で北朝鮮に帰った、いや渡ったのだ。

ただ1人、日本に残ったのは次男の何某さんだけであったらしい。
お嫁さんが日本人であったそうな。

親父さんを除いて北へ渡るのにみんな消極的であったらしい。
栄光への脱出エクソダス)にはならなかったようである。
 彼女の死は「自殺」であったそうな。

俺自身、このような人生の度し難い理不尽さに遭遇した初めてのことでもあった。

あの、近しい人がこの世にもういない、なにか心の内にポッカリ
と穴が開いた気がした。



                                        了

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