oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (45)中学卒業式を前に、坊ちゃん然とした罪のないKを襲おうとしたヤツがいた、的屋の親分の孫の勇吉とこれを阻止した事があった

               ★1
     的屋(てきや)の元締め(親分)の孫の勇吉の存在

「oldboy-elegyくん、おられますか~」と玄関のガラス格子戸の向こうに

男の声が聞こえた。

的屋(てきや)の親分の孫の勇吉なのが、その声音(こわね)で分かったが、
同時に「何故?家に」の疑問もあった。
それほど稀有な事なのである。

彼とは同じ中学校の同学年でクラス違いの間柄である。

 

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傷軟膏(ガマの油
売りの的屋さんで
ある。

こうして刀を抜いた
ところは、ついぞ見
なかった。








ただし、彼、小学校からの「べったん・メンコ」仲間で、いろいろ面倒も

かけた。
数えると、結構長い付き合いになる。


親友かと言われるとチョット?だが、頼れる?友人である事には、変わりがない。

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毎月2回、近くの真宗系の大寺と大寺の間の参詣道に、大きな市(いち)
が立つ
当然この市、子供にとっても格好の遊び場になる。


隣町のガキどもの集団と出くわし、しばしば、イザコザになることがあった。

こんな折、的屋の親分の孫、「勇吉」の名を出すと、静かになり、ことが
荒れずにすんだ。

 

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バナナと卵は当時、病院
見舞いの定番品であった。
ただ不思議なのは、これら両品、物価の優等生でもある、
その単価は今も、そんなに変動はしていないかに感じる。


なぜなら彼の家の稼業が的屋(または香具師)を取り仕切る、
この地の親分なのである。
※的屋(てきや)または香具師(やし)ともいう。縁日などで「露店や
大道芸、小屋掛け、などの商行為をする人達のこと。

もちろん、このことは、ここにいる「ガキ・子供」どもも、衆知のこと。
「彼の風格と言うのか威圧感と言うのか」ただならぬものを感じることがある。
「血は争えぬ」とは、こんなことを言うのだろう。

だが50年後の今では、人気のない通りに「お逮夜市・おたいやいち」
の「のぼり旗」だけが風に
あおられていて、当時の盛況はもうない。

いつだったか、妹と一度、この道筋を歩いたことがある。
「兄ちゃん、この通り、さびれたな」の言葉がでる。
あの時代の喧騒と人達はどこに行ったのだろう。
同時に「勇吉」の消息も知らない。

              ★★2
      中学も卒業式まじかの、ある日の夕方であった。


時節は、中学3年の卒業式を数日後に控えたころの事である。
日はまだ西に落ち切っていない時刻。

玄関を開けると、小さな生垣の脇に、3人がヌウッと、突たっている。
それでも、勇吉はなにやら、はにかんだ表情の中で、後の2人を、ねめながら
「oldboyすまんな、勝手に押しかけてきて、こいつらの話、聞いてやってくれ
へんか」とのこと。

なにやら、深刻な問題でも、とoldboy君、チョット緊張。
「家に上がる?カアチャンしか居いへんし」と誘うが、当然断られ、
すぐ先にある背の高い碑のある、三角公園に移動することに。

ここでも「勇吉」が先に切り出す。
「いやな、お前(oldboy)のクラスのHおるやろ」
「うん、級長のHか?あいつなにかしたん?」と聞きただす。

今、この3人と級長Hくん、とは、あまりにその接点のなさに、意味が
分からない。


Hくんとは俺らのクラスの級長で、何時も、ズボンに筋目がキチンと入って
いるとか、ともかく、俺らと違い、ガサツさが感じられぬ。

ホッタラカシの悪餓鬼(わるがき)の雰囲気はまったくない。
その昔には、こういう体(てい)の子供がクラスに一人、二人必ず存在した
もんである。

言ってみれば、「ぼっちゃん」タイプなのだ。
※ 中学校は公立だったが、服装は自由であった。

その上父親も、✖✖銀行の支店の偉いさん、言ってみれば、「住む世界が違う」
と言うやつである。



考えてみるに、oldboyくんが級長Hに勝てるもの、勉強はもとより、なにも
無かったように思う。
「運動系?」これとて、体格そのものが、俺より上位にあり、ソフトボール
などで遊ぶのを見ても、勝ち目がなさそうである。
あるとすれば「「喧嘩?」、これも、「声を荒げる、彼を見たことがない」
ヤツである。

ある意味、完全無欠に近い人とは、彼のような人を言うのかも知れない。
だがoldboy君がら見るに、このH君、振る舞いに嫌味や偉ぶったところもなく
これが今の彼の自然体であるのを知っている。

どちらかと言えば「好もしい奴」の部類に入る。


               ★★★3
       ただ虫が好かぬと言うだけで標的になったH君

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ここで初めて2人の内の一人が、
「あいつ、卒業式のあと、待ち伏せしていてこましたろと思ッとんや」
とのこと。
※いてこましたろ (河内弁で やっつける の意味)


「それがなんで勇吉がここに、よう判らん?」とoldboyくん。

「こいつらが、おもしろ可笑しく、俺にこの計画のこと、話したんよ」と勇吉。

そこに,二人の内の片方が
「俺、勇吉兄イーとoldboyが、昔からの知り合いなの知りまへんがな、

んだら勇吉さんが、俺が知った以上、oldboyに話を通しておくのが筋ちゃう
か、となり、今、ここにおるちゅう訳でんねん」と。

なぐる原因などなにもない、ただただ「気に入らない」と言うだけのこと。
これでは、級長のH君もたまったものではない。

勇吉「もうすぐやし、気分よう卒業したいわ、しょうもない事でoldboyに,借り
作るのも嫌やしな」

「でもあいつ(級長のH君のこと)ああ見えてもええとこあるんやで」
oldboyくん。

2年のいつの時かの英語の時間、
先公が「うるさい!!お前ら!教室から出ろ!!」と言うことになり、バカ
10人くらい、嬉々(喜んで)として廊下に、ただし教室の後ろの三角だなの中の、
バットやソフトボールを持ちだして、運動場で遊んだことがあったんよ。
※先公(せんこう) 影で先生のことを侮蔑する言葉(河内弁?)

「そんとき、あいつ(E級長)、俺らと一緒に出てきよったワ、単に俺ら
に恰好付けしたんやと、ズット俺、思っとる、俺だって特別仲が良いわけでも
ないが、俺たちとチョット雰囲気は違うけど、あれは
あれで、おもろい奴やで」
とoldboy君。


「どうしてもやらな気がすまんのか」と勇吉が聞くが、二人、なにか煮え
切らぬ。
このタイミングで「やめとけ、やめとけ」と勇吉が畳みかける。

             ★★★★4
    無事、阻止に成功・これも勇吉の御威光があったればこそ

「ただ気にいらんと言うだけで襲うんやったら、かえって後味の悪いことに
なるは、やめとけ、やめとけ」とさらに勇吉がたたみかける。

小さな三角公園の中の、階段の付いたノッポの碑(なんの碑か知らぬ)。
我らがヒソヒソ話、どんな思いで聞いたのか、きっとこれで良かった
のだろう。

級長のHとは、oldboy君ともども、土地の公立の同じ高等学校に入ったが、
このことは彼には一言も言ってない。 


               ★★★★★5
                               あとがき

今日の記事、大阪弁と言おうか、河内弁を多用している。

内容が内容で、どうしてもこうなった、お許しを。

             目薬さしさしの作業である。 

             では今宵もこれで失礼する
              
                 では では

                       了

 下のリンク記事は、当時、賑わった市(イチ)の様子と、そこに溶け込む子供
たちを、面白、可笑しく活写したものである。ぜひ読んでいただきたい。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

 


oldboy-elegy (44)パソコンなど電子機器の存在しない時代、そして就職・〇〇工場労務課での実習から、当時の世相を感じて欲しい

今日の記事は、2019・07・11のoldboy-elegy(8)「初めて
社会に出て、働き始めたころの話」をリライトしたものである。

******************************
              
              まえがき
便利さを、とことん追求すれば人は幸せに成るのだろうか?ある種の
無駄は心の安寧と余裕につながるのではないか、そのような感覚を大切
にブログを書きたいと思う。

上記の文言(もんごん)はoldboy-elegyくんの、「プロフィール画像
の添え書きで、すこし
大仰に言えば、記事を書く理由とも命題とも言える
ものである。
どんな記事を書く時も、思いの多寡はいろいろあるが、これを忘れること
はない。

結論を急がず、見たもの、体験したこと、感じた事を淡々と書きたいと
思っている。

今では全てが、昭和のアナログ的幻影に包まれたような不思議な感覚に
嵌(はま)る。
しかし、これらは確かな現実であったことは間違いない。



大学4回生(関西風の呼び方)の夏休み近く、oldboy-elegy君いまだに就職
決まらず。

決まるも決まらないも、就職試験なるもの,1社も受けていない。

「ああ~じゃまくさいなあ~」の気持ちが優先しているのである。
今の世ならこんなフトドキものは「即死刑」に値する。
母子してずっと貧乏してきた割には相当の ノー天気野郎 であった。

 
一時、留年も考えたが、家や母の事を考えればこれは出来ない相談だと
改心、
ゆえ、この妄想はただ今、払拭中である。



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意味のない留年はキッパリ?と捨て去った。
卒論の構想も、ほぼできあがっている。

卒業に向かって 「ヨ―ソロ・視界よし」








                   

              ★1

                  oldboy-elegy君、ついに、就職を決める


oldboy-elegy君、秋のある日、その姿を大学キャンパスに見ることが
できた。
就職課の通路の掲示板をのぞきに来たのである。
彼にしては珍しく本気に見えるが、どうであろう。

しかし内心「やだな~、じゃまくさいな~」が本音であるのは変わらない。

そんな中、先週から見ている募集案内が気にかかる。

従業員数700人弱、資本金1億弱、業態は繊維メーカー、どうも同族経営の会社
らしい、会社の名が社長と同じ、設立年から見れば2代目いや3代目かなと推察。

出世、本当に本当、考えた事もない、oldboy-elegy君らしく自然体で生存
できたら
OKぐらいにしか思ってない。

そのまま就職課の事務所に入り、簡単な推薦状と卒業見込み書を貰い、その
会社に送付、そして今日が入社試験の当日である。

10人少々の学卒者、中には東京の大学生も数人、彼等は関西出身の人らしい、
就職を期に帰郷するのであろう。

試験は作文と面接の二つだけ。
作文は特別の縛りもなく、自由題で「自問・自答」と言うことであった。

内容はむしろ仕事のことから離れてくれたほうが良いとのこと。

書いた文章は、oldboyくん、今でもおよそ覚えている。

「為政者が形容詞を多く使い始めたらご注意を・・」こんな感じの題であった。

※為政者(いせいしゃ) 政治を司る人、または権力者

美しい国、悠久の歴史、など、政治家や権力者が政治と関係のない形容詞を
多く使い始めた時はご注意を」と皮肉っぽく綴ったものである。

内容が内容だけに、多分、「受かる訳がないわな」と思ったのは、当然の事。

それがどっこい受かってしまったのである。

あなたはまだ「青い青い」と言われている感じがしたものである。
妙に気に入ってしまう、単純なoldboy-elegy君がいる。

入社日が学卒者に限り、なんと4月の中旬、大学の友人たちは3月中に初出社、
少し不安を感じるぐらいおそい出社日である。


おまけに研修期間がおよそ10か月、配属は来年だそうな、またまた戦力外
通告?。
なに故10か月も研修を、大企業でもあるまいし、と思ったのだが、やがて
その実態が判明。

                 ★★2
            〇〇工場労務課での研修
          女子寮屋上の物干し場のメンテナンス
         (もの干しロープの張直しなど)の手伝い

学卒新入社員は各事業所、すなわち、2つの工場、本社を含む支店営業所の全て
を回るのである。

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工場実習中は左傾のような「工務服」で、
色は、もっとそれらしい色「グレー」だった。












実は研修期間中、〇〇工場・労務課での研修が一番興味深かった。
以下、ここでの研修内容を中心に記述していく。

時代の雰囲気を感じ取ってもらえれば嬉しい。

労務課長や課員の下での研修である。

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この工場には約400人前後の女工さんが勤務していて、そのうち半数以上が
工場敷地内の寮住まいである。

女工さん この言葉、「女工哀史」などに使われた感覚のものではありません。
差別的用語とは一線を画したものとして使用している事を含みおきください。

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基本的に朝は座学で午後は実習と言う事になっていたが、初日から予定変更?
各女子寮の屋上の物干し場のロープの張替えをする事になっているらしい。
工場の工務課からの応援人員も借りての作業となる。
ある意味、「労務課に置ける、実習」であることには変わりがない。

あとロープだけでなく、屋根部分にあるスレート板の取り付け部分の保守強化
や気が付いた部分の修理など、結局午前中いっぱいの作業となった。

今日は作業終了まで「洗濯、物干し禁止」との事。
「満艦飾の女子の洗濯物が干されている場所に入ることは問題だからね」と
Y課員。

oldboy-elegy君何故か妙に納得、「一生寮監でもいいかな」の思いがチラチラ。
すぐに気が変わるのが彼の特性、ほんに軽いやつ。

「数字で追われる職場より俺向きかも」

誰かが「この労務課も新人補充の予定、あるのですか?」と問う。

「いやー、それは知らないよ、マッチングの問題かな、君たちの誰かがここを
希望することが出発点で、それからは本社の考え次第、」との事。

「まあ憶測で言ったらダメなんだろうが、会社としては、非生産部門に大事な
新入社員を回す余裕など、どうだろう無いのと違う」と課員のYさん。
内心すこしがっかりのoldboy-elegy君、がいる。

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女子の工場内での服装である。
ただし、色は男子と同じく、グレーであった。

キャップ’(帽子)も、もちろんだが、この
イラスト画像の娘さん、髪の毛の後ろが、帽子
から はみ出して
いるが、これは厳禁である。

なぜなら、工場の業態が紡績系で、それ故
スピンドル(回転)系の動きをする機械が多く、
頭髪を引き込まれる恐れがあるためである。



                 ★★★3

      この女子寮で事件発生、一般寮生と夜間高校生との間で?!

「去年の今頃は大変だった」と課員のYさん、少し遠くを見る 目。
「じつはここの女子入寮者の内20人チョットが近くの夜間高校に通学して
いるんよ、ある日、屋上の物干し場に彼女らのセーラ服4着が側溝に捨てられる
事件があったのだわ」と話し出す。

労務課としても犯人捜しした訳でもなく、寮役員、高校通学生、労務課、
ときどき工場長も出席しての話し合いを計5,6回ぐらい持ったとのこと。

原因と犯人、それを追求したところで、意味のないことはハッキリして
いる。

始めは相当険悪状態だったのが少しづつ双方ほぐれてきて、犯人捜しも
しないまま「手打ち式」に、労務課としてはこの席ではほとんど聞き手に
回ったのが良かったと言うより、これしかなかったのよ」とYさんしんみり。

「いろいろ苦労はあるんだろうが、こんな人間的な職場で、定年まで勤めるのも
アリかな」とoldboy-elegy君、思ったのも事実である。

              ★★★★4
     労務課でのプラス・アルファの仕事。中国地方、山間部の町の
            温泉旅館でのこと


これは労務課員のYさんからの頼まれ仕事で、正式な実習とは違うらしい。

「oldboy-elegyさん、今度の土、日、予定あるの?」
「特別にはありませんが、何か?」
「×××県の○○へ出張なのよ課長も一緒に一泊で、失礼だが、(荷物持ち)
がてら同行
お願いできない?」とYさん。

特別用事があるわけでもなし、「分かりました、僕で良けりゃ」と即答。

荷物の中身は、写真、手紙、金一封、などで、8ミリ映写機、幻灯機、
おみやげ等おおかたの荷は先送りしているとのこと。


九州離島の〇〇と中国地方の〇〇には、この会社の労務出張所が置かれて
いる
との事。
つまり女工さんの就職募集の為の最前線基地なのである。

しかしこれらは会社の労務出張所ではあるのだが、看板を掲げ、会社の
人間が常駐
しているわけでもない。
多くは、土地の教育関係の名士(退職した元校長や教頭)などの人脈を
通じて
就職希望者情報を得、勧誘、斡旋していただくのである。

なにやら危なっかしい話であるが、もし会社のマイナス情報が発生すれば、
たちまち人員の確保は難しくなる。
その上、地元名士さんにも迷惑をかけることになる。
慎重にならざるを得ない、仕事でもある。


ただ近年、日本経済が活況を呈すればするほどに、こう言う形での人員
確保は
難しくなりつつあった時代でもある。

oldboy-elegy君、おそらく学校におれば、この様な現実を知らないまま、
目にする
こともなくノー天気に過ごしていたのだろう。

これでお分かりになったと思う。
そう年に一度、地元の温泉旅館などへ近辺出身の女工さん達の親、兄妹等、
近親者を招き、
ちょっとした宴会を開くのである。

会社は、預かっている娘さん達の近況報告をするのがこの催しの趣旨でも
ある。


当日、親、兄弟、じっちゃん、ばっちゃんから、はたまた親戚と称する
多くの人たちの縁者が集まり盛況であった。

有名でもない我々の会社、でも真心と誠意でもって貴方たちの娘さん、
お姉ちゃん、
お孫さんを預かっていますよ、と言う口コミ期待のアピールの
場なのである。


労務課員のYさん大忙し、持参したアルバムから我が娘の写真見つけて、
焼き回しのリクエストの照合とメモに追われている。

Yさん「まずは寮生なら写真を見ればどこ出身の誰それと言えるはず、と
胸を張る。

もうこうなれば、利益追求の為の会社組織ではあるが、今の彼、そのことを
超越して
いる、ある意味幸せな人でもある。

しかしその強い思い入れのため、その人たちと会社との間での軋轢に苦悩する
こともあろう事は想像に難くない。

このことの話はYさんとはしていない。

それはそれ、今は汗をかきかき親御さん達の写真のリクエストに応じるYさんを
見てoldboy-elegy君、少し目頭が熱くなる。
こういうことにはoldboy-elegy君すこぶる多感である。


             ★★★★★5  
       給料日、工場の門前に多くの人が参集、一体何が?

 毎月25日は給料日である。
銀行振込ではない、明細書とともに現金の入った給料袋を手渡し、受領印を
給料
台帳に押捺してもらうのである。

この日に限って工場の門外で起こる定番の現象がある。
これが推察できれば大した人である。

4~50人はいるだろう、人の群れである。
年恰好は千差万別、幼児を連れた母親らしき人もいる。
チンピラ風のあんちゃんもいる。
  
工場の終業のサイレンがなると、門外の群衆がこれを合図に門前に集まって
くる。
ここに集まる人たちは、女工さん達の関係者たちである。

多くは、彼女たちの親か、その縁者である。
家計へのイクバクかの金銭的援助をしているのだろう。

中にはお金を、強引に無心するものも当然いる
※無心する 金銭を無遠慮にねだって得ようとすること

ならば工場の門前で待ち受けるのが最善の方法である。
時間も場所もここならはっきりしているし逃すことはない。

なんせ、スマートフォンも携帯もも無い時代である。

やがて頑丈な鉄骨で作られた巾10メートルほどの門扉がしまる。

出入口は門衛所の脇の小さな出入り口だけ。
ただ門扉も人が出入りできないだけで内、外は丸見えである。

大きな声での罵り合いも、たまさかに、あるとのこと。
これを門内の衛所脇からじっと心配そうに眺めている人がいる。
労務課員のYさんである。


               

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            ★★★★★★6
             あとがき
                                             
驚いた事に事務・営業職なども、出勤・退勤時のタイムカードは無かった、
担当上司の机上に置かれた退出勤簿
に押印のみ、それも女性事務員Kくんに
三文判を預けておき、外出先から「ここから直帰します、ヨロシク」でOKで
あった。

良いか悪いかは別。

組合は二つの上部団体に加入?
工場など現業部門は共産党系、本社を含む営業・事務職は社会党系と、
同じ会社
に2組合が存在、それも後に、上部団体をヤッサモッサの末、
脱退、上部団体なし
の単独の企業組合として、再発足した経緯がある。

営業職も時間外労働は基本禁止、時間になると照明が落とされる、
どうしても
必要なら、上司に申請、許可を受ける必要があった。

土曜日は、隔週、半ドン(おひるまで)で、確実に履行されていたし、
サービス残業
なる言葉、oldbboy君、聞いた事もなかったが。

30分毎に時間外手当が支給されていたことにも驚き、この程度の中小企業と
しては
マアマアの待遇ではなかったろうか。

半世紀経ての今の労働条件と比較しても通用するのでは?と思ってしまう。
世間知らずのoldboy-elegy君としては他の会社の事情は知らない。

今日は、たくさんのお人の顔と名前を想い出した。
なぜか「こいつ!」と思う人は一人もいない。
これら記憶の残影の中の人達、全て、笑顔の良い表情なのが不思議である。

遠くに過ぎ去った過去の残影の中とは言え、まさしく現実の世界での
出来事であったのは間違いない。


時代はパソコンやスマートホンが世に出るズットズット前のことである。



            では では 

              了
              oldboy-elegy

 

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 No. 31 ) 「与謝蕪村」さんの俳句「草いきれ人死居ると札の立つ」をもとに、彼の人となりを探ってみた

 

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与謝蕪村(よさぶそん)さんの肖像画
画 呉春 

パブリックドメイン化   2018年

Public  Domain
知的財産権が発生しない、または
消滅
した状態、「公有化」とも言う。      Wikipediaより


              まえがき

以前、自身のブログで「松尾芭蕉」さん、について記事を書かせてもらった
ことがある。

内容は(雑感・雑記帳 No18)で「芭蕉の忍者説を全否定」の立場から
oldboy君らしく、気ままに綴ったものであった。


その折、「奥の細道」帯同のお弟子(曽良)さんのこと、ずいぶん悪しざま
に書いた。

あのおりは 曽良さん「ごめんなさい」



                  ★1
   芭蕉さん」の句は、僕(oldboy-elegy)とゆう、いい加減な
           人間が楽しむには正直チトしんどい

            一方、「蕪村さん」、肩の力が抜けた「人生謳歌」型の
                                       お人のように  思う

                こんな彼の句はどうかな 
学問は尻から抜けるほたる哉」

実は、以前の記事を投稿した時から、江戸期、俳諧師、雌雄のもう一人である、
「蕪村さん」のことも「記事にせねば片手落ち」と密かに胸に抱いていた経緯が
ある。


それ故、今日登場の「蕪村さん」の句、早くから、コレと決めていた。
今日のタイトルにある
草いきれ人死居ると札の立つ」 これである。

ひらかなで言葉を流すと
「くさいきれ ひとしにいると ふだのたつ」となる。

検索にかければ、
蕪村の句として、10選・24選・70選 などの投稿記事はあるがoldboy君の
言うこの句は、そんな中にも、殆んど出てこない。


ではと
蕪村 草いきれ・・・・・・、とそのまま句をスレッドとして打ち込むと、
300程度の記事が立つ。

それも、句そのものを、正面から取り上げたものは上位の数記事除けば殆んど
ない。

他の蕪村の有名句に比べれば、明らかに、疎(うと)んじられているのかが
わかる。


oldboy君、俳句はもとより、小説、音楽、絵画などの好き嫌いの基準は
「いかに自身の肌に会うか」この一点に置いている。
大方の人も当然、そうだろう。

世間のそれなりの専門家と称する方たちの評価は気にしない。
それ故、自分の預かり知らぬ方たちがあれこれ、おっしゃる
ことには耳を貸さないことにしている。

これらの人達の評価・解釈だけを見ていたなら、oldboy君、この句に遭遇
しなかったかもしれない。


ただこんな不人気な句を、何故oldboy 君が知っていたのかは自分でも判然と
しない。

 

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確かに芭蕉さん」の場合、当代一の「俳諧師」で、なにか近寄りがたい、凛とした、オーラが彼の存在を包みこんでいるのは同意する。
では、句を含む、全体像はと聞かれると、何故か疲れる。
一方、「蕪村さん」はと言うと、全くの「等身大の生身の人間」の近しさを憶える。






今日の記事は、「蕪村」の人物・句評など、専門家が、あまり言及されて
いない方向からの
もので、少々我田引水的で強引なところもあるかも知れぬ
が、付き合って欲しい。


まあoldboy君が自身「プロフィール一行紹介」で言っているように
グータラ人間」であることを自認しておいでなのだから。「完全無欠」
なお人は、チョット遠慮の気持ちが優先する。
そう、世間で言う「肌が合わない」と言うことかも知れない。


また「芭蕉さん」は自身の「句作」への姿勢を、
「自分の句は、全て辞世の句のつもりで詠んでいる」とも、おっしゃている。
それ故、彼の句は「一句、一句が研ぎ澄まされた感性と緊張を強いられた
ものの
産物」と言うことになる。

oldboy君、もちろん、このようなお人芭蕉さん)の存在は「偉大にして、
必要
ならざる時代の傑物」であったことに異論を唱えるものでもない。

oldboy君、俳句の専門家でもないし、自身(指を折ながら)、句を作った
こともない。そんな彼でも、強く印象に残ったものや、頬を緩めたり、
タニタすることぐらい、許されても良いだろう。

                 ★★2
     与謝蕪村は、俳句はもとより・画・漢詩漢籍の素養、など幅広い

             文人としての存在が魅力。
 
                   句
             草いきれ人死居ると札の立つ
           くさいきれ ひとしにいると ふだのたつ


じつはoldboy君がずっと以前から「蕪村」の句で、好きと言うのか、印象に
残った一句がまさしくこれである。

それが
草いきれ人死居ると札の立つ」   
くさいきれ ひとしにいると ふだのたつ
                     この句であった。
意味はおよそ次のようなものである。

むせる様に、生い茂った夏草の中を歩いていると、「ここで人が亡くなり、
その屍(しかばね)が横たわっていますよ、と教える白木の立て札が立って
いた」となる。

与謝蕪村、旅の途中でのハプニングである。
おそらく彼、一瞬「ギョッ」とし、立ちすくんだはず。

oldboy-elegy君、いつこの句に出会ったのかは、覚えがない。
ただ、俳句らしからぬ句面(くづら)からか、自身にも「心穏やかではない」
印象が残り、
記憶したのだと思う。

「蕪村さん」の「心象」のインパクトがそのままoldboy君の体に住み着いた
瞬間でもあった。

 
ただこの解釈、もう少し穏(おだ)やかなものもある。
およそこんなものである。

「匂い立つ、くさいきれの中を歩いていたら、眼前に白木の札が立っていた。
そこには、ここで亡くなった人が居たと書かれていた」と言う穏やかな
ものだ。    
       
ようするに、この場所には遺骸はなく、卒塔婆(そとうば)や告知板の
ような
札が立っていた、とする解釈である。
卒塔婆とは お墓の横や後ろに立つ、「五輪の塔」を模した、白木の
立て札ようのもの。死者の来歴などを、墨書したもの。
サンスクリット(古代インド語)のストゥーバの音が卒塔婆(ソトーバ)
になったと言われている。
時代劇や漫画などでは、ここに破れ提灯が灯り、火の玉が揺らいでいる場面
なら憶えがあるかと。

             ★★★3
  あとの緩い解釈を唱えた人には、oldboy君、賛同しかねる、立場である。


何故なら、この荒れた道で、屍(しかばね)を除き、葬った後、わざわざ
卒塔婆
や「白木の札」を立てるか?なにか不自然さを感じる。

さらに時代を考えて欲しい。
与謝蕪村は1716~1784の人である。
(江戸期は1603~1868年の265年間)

この間、「蕪村さん」は大坂から江戸に、芭蕉の足跡を追うように、居を移し、
旅を
している、とされている。

「蕪村」若干、二十歳前後のことである(彼、士分でなく、大百姓の子弟
とも推定されている。
このこと、いろいろの条件から、消去法で推察されているに過ぎないと、
oldboy君は思っている。


町や村はそこそこ安全だろうが、それを繋ぐ街道や山道などは危険な時代で
ある。
それに蕪村の時代、大きな飢饉が2度ほど襲来している。
つまり、江戸時代とは、町人文化(元禄・化政文化)などの華やかさと飢饉
などの
天災が交錯した時代でもあった。

享保の大飢饉(中心年1732年)蕪村、大坂から江戸に出た頃か
天明の大飢饉(1782年~1787年)蕪村死去1784年 大飢饉に遭遇

そのうち天明の大飢饉は、全国規模で5年から6年に及んだらしい。
東北の盛岡藩などは、35万人のうち餓死者は6万人以上とされる。
25万石の藩が数年にわたり収穫量ゼロであったらしい。

また大都市、江戸・大坂での米蔵(こめぐら)打ち壊しなども発生、併せて、
旅を考えるなら当然、野伏、盗賊、追剥などに遭遇することも、ありうると
考えるほうが 普通だろう。

もう一つ、グーグルの検索スレッドから、見ても,この句に対する、関心が極端
に低い事は先にも書いた。

蕪村」の有名な句とされるもの3句
1 ●なの花や 月は東に 日は西に
2 ●春の海、終日(ひねもす)のたり のたりかな
3 ●五月雨(さみだれ)や 大河を前に 家二軒
      と
4 ●草いきれ 人死居ると 札の立つ 
 今日の記事の引き込みの句 
        
「蕪村」超有名俳句1~3に比べると、4は余りに異質なのかが分かって
頂けると思う。


oldboy君、初めて、この句を目にした時、恥ずかしながら、こんな情景を想い
だした。

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oldboy君、ヘビが怖いのだ。

ホンにいい歳して、からっきし
意気地がないのである。


母の手に引かれ、鹿児島にいた頃
谷底に通じる細い道筋に1本の大木が屹立していた。

この木の根っこの茂みに、一匹のヘビを見つけたことがある。

やけに細長く、その上その色が実に毒々しいものであった。
頭から、その細い体の半ばくらいまでは赤や黒、青、黄などの燐光で占められ、
そこから尾先までは土気色一色のままの、気色悪いツートンカラーであった。

読者諸兄はそんなヘビなんか見たことないぞ、と即刻否定されると思うが、
その残像が今でもキッチリと記憶しているから仕方がない。

「ヘビ・九州南部、体長1.5m?位で細い、頭部の色調・非常にカラフル」と検索
したいがoldboy君、今でもその勇気はない。

笑うなかれ、「蕪村」の「人死居ると・・・」とoldboy君の「異相のヘビに
遭遇・・」
が頭の中でシンクロして、「ギョッ」としたのが本当のところ。

この場の光景、「蕪村さん」一瞬ビビリまくって「ギョッ・・」するのだが、
その様子、なにかしらのユーモラスな感覚も、何処か「余韻」にある。


                 ★★★★4
         oldboy-elegy君が「蕪村さん」を人として好きな訳
           彼の俳句・艶っぽく、色物もけっこうある、
             句作に向ける彼の姿勢は自然体
              人間これで、なくっちゃ~

 
  今日の記事の中で、ここまで4首、蕪村の句を上げさせていただいた。
ここへ毛色(けいろ)の違う句、2首、追加さしていただく。

それら6句を眺めてみると、oldboy君が言う、彼の人と成りの全体像が彷彿
できると、思う。

 
それでは、その6つの句を並べてみる。

1●なの花や 月は東に 日は西に
 「蕪村」あまりに有名な句。
 oldboy君、塾教師をしていたおり、理科の時間に月齢(満月・新月・・・)
 など天体の動きの説明にこの俳句を持ち出していたことが懐かしい。


2●春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな
 「のたりのたりかな」白波一つないゆったりとした波、春の海ののどかさ
  を、自分なりに感ずればOK

3●五月雨(さみだれ)や 大河を前に 家二軒        蕪村の句
    五月雨を あつめてはやし 最上川     は有名な、芭蕉の句である
 当然、時系列的には、芭蕉のこの句が先にあり、蕪村はこの句を知っていた上
 でのものであるはず。
 蕪村の句が絵画的である、と言う時など、よくこの二つの句が並べられる。
 ※五月雨 旧暦5月、新暦では6・7月の梅雨時の季語。
  
4●草いきれ 人死居ると 札の立つ       今日のトッカカリの句
 ムッとする、夏草をわけわけ歩いていると、立て札があった、そこには
 「ここには、死んだ人の亡骸がありますよ」と書かれている。
 俳句としては「異質」の題材である。

5●あちら向きに 寝た人ゆかし 春の暮   追加分 oldboy君の好みで
 芭蕉には見られない、艶っぽい句をいれさせていただいた。
 ここらあたりが、oldboy君が蕪村さんを好む理由でもある
 悲壮感など、微塵も感じれない。
 蕪村には、この手の句作は結構ある。

6●学問は 尻から抜ける ほたる哉     追加分 oldboy君の好みで
 ここはひとつ説明なしと言うことで。
 ホタル(季語)が無ければ、川柳(せんりゅう)と見紛う、楽しさがある
   
さて、傾向の違う6句を見ていただいた。

「蕪村」さん、基本oldboy君の根っこにある性向とさして変わらぬ御仁と思う。
その理由を分かっていただければ嬉しい。

読者諸氏も、この中から自分に会った句1っ、暗唱できるば、チョットした、
人生の隠れた、自分だけの糧(かて)になるかもしれない。

oldboy-elegy君の推奨はもちろん、5番か6番である。


            ★★★★★5
  「蕪村」さん、案外時代を気楽に、楽しく生きた人だと想像する。
   ましてや、自分の名が、この了和の時代にも残り、輝いていることを
       知れば、なんとおっしゃるか興味深い
    


実は、明治期に入るまで、存在は知れていたものの、芭蕉さんのように、
当代一流の俳諧師、文化人としての存在感は少々薄かったお人のようだ。

だが明治期以降、彼の名声が急上昇、ついには芭蕉さんに比肩される
までになる。
これには、正岡子規萩原朔太郎川端康成 達の肩入れが大きいと言
われている。

 

また画業では、終戦後1951年(昭和26年)に1帖(池大雅と競作)、
もう一つ
2009年(平成21年)には「淡彩+墨画28×130Cm)の2点が国宝に新たに
加えられたのである。


oldboy君が思うに、もし「蕪村さん」が存命なら、これらの事で、
こう呟いていなさると思うが、どうだろう。

「フンそれで京都の色町に、金子(きんす)気にせず、登れるのかな」と。

ここでoldboy君、蕪村の俳句以上にあれこれと、持ち前の反骨精神が鎌首を
持ち上げ始めたのである。


●彼の生誕の地は「摂津の国・毛馬村」今の大阪市、都島とある。
彼は豪農とは言わないまでも、富農の息子だったとされる。

「この富農のせがれ」、実にいい加減な言葉で、殆んど根拠がないのである。
なぜそうなったかと言えば、彼は20才前後で大阪を離れ、ほぼ世界一の人口
を誇る江戸に転居、その先は「芭蕉」生前の頃の弟子の孫、これも俳諧師
元に
身を寄せたことになっている。

つまり、江戸までの路銀(旅費)や日々の暮らしに掛かる費用等を考えて、
出て来た言葉が「親は富農」でありと、単に後付けの感が強い。

そこでoldboy君が思うのが、「蕪村さん」この青年は、江戸は、「大坂より
ビジネス
チャンスがあるだろう」、と考え、自立した個人として江戸へ出立した
ものだと考える。

その第一の理由が彼の飛びぬけた「画力」にあったはずである。
こればかりは、励んでも、願っても、簡単に、上達するものでもない。
基本、才能が要求される芸域なのだ。

第二の理由が、漢詩漢籍・の知識が豊富で、書も旨い。
つまり、これらの知識は、俳句に添える「俳画としては、全て必要なもので
ある。
きっと、粋者の俳諧師や商人たちは、自作の俳句の「俳画漢詩」などの
「添
書き」を競って彼に注文した様子が目に浮かぶ。

さあ、ここまで来て、彼の不足の部分が、見えてきたのではないか。

それは、「名声」 である。
画・書 の技量も、漢籍漢詩 の知識もあるなら、あと不足するのは、己を
売り出す「名声」のなさである。
「さあ、どうしたら、この世を、自分の能力と腕一本で世渡りできようか」
蕪村が考えたのは、当然な事である。


ともかく蕪村20才のころとは、芭蕉没後50年あたりのころである。
俳句は大都会・江戸文化の一翼を占め、豪商・豪農から士族の精神的
ステイタスとされるものでもあった。

蕪村の考える、個人ビジネスを、ある程度自分個人で完結できる方法が一つ
ある。
自分みずから、俳句、俳諧の世界に飛び込み、俳句の添え書きに利用される、
俳画・書・漢籍」を提供しょうと思い立ったのだと思う。
もちろん有料でだ。

彼の基本的マインドは、そう、大坂人である。


どうせ江戸に出るなら、あの俳聖と言われる、芭蕉の弟子であったお人の、
孫弟子
に縁を結び、その方の俳句を通じて多くの知己をつくり、俳句の力は
まだ多少未熟でも、俳画
添画・書画・漢籍・を売り物にすることなら
自信がある。


これが彼の「江戸へ出るための計画的ロードマップ」であるように思えてくる
のである。


こうして、彼「与謝蕪村」の萌芽がスタートしたはず。

ただ、蕪村と芭蕉の決定的違いは、蕪村は自分の仕事の内に芸術的、
高見を目指した人
ではなく、一文化人として、人生を楽しんだお人だったと
思う。

このあたりが、芭蕉とは決定的な相違点であり、oldboy-elegy君が「蕪村」
に強い親和性
を感じる由縁かも知れぬ。


          
それでは、記事中に出た「蕪村さん」らしい2句を再掲して、終わりとする。

         あちら向きに寝た人ゆかし春の暮

         学問は尻から抜けるほたる哉
                         蕪村

以上、今日の記事も、いつものoldboy-elegy君らしく、「独断と偏見」で
もって語っている、ことに変わりはない。

しかし、「蕪村さん」としての「人生」と「立ち位置」はoldboy-elegy君が
今日、記述した事が、より真実に近しいものだと、内心で自負している。

少々長くなったが、終始「ニヤニヤ」「ニタニタ」楽しく書かして
いただいた。

          では では 今宵もこれで失礼する


                                                           了 

                             oldboy-elegy


 

oldboy-elegy.hateblo.jp



oldboy-elegy (43) 往年の京都市電にまつわる懐かしい話と情けない話。各1話(計2話)

 

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ひだりの「絵?」は50年
以上
昔の「京都市電」で
あると思ってくれ。

絵の拙さに、とやかく言
うのは禁止!







それはともかく、「旧京都市電」の車両は現在の「広島電鉄]保有車両の一部でもある。

このことは、大方の御仁の知るところだと思うが?


                  第一話

        「往年の京都市電の車両」が今も「広電」で活躍中!!
       oldboy-elegy君の胸に「嬉しくも、懐かしい思い」が宿る。

もともと市内を縦横に走っていた京都の顔ともいえる「市電」が、交通渋滞緩和のため、との理由で「市電全線廃止」の憂き目にあってから久しい。
この計画の完了年は、1978年のことだったらしい。

                   ★1
      当時の「京都市電と広電」の置かれた異なる立ち位置(状況)

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広島の「原爆ドーム」のイラスト」

「いらすとや」さん からお借り
しました。




oldboy-elegyくん、当時、大阪は河内からの「通学生」であった。
国鉄・京都駅で下車、駅前には運行、系統別に「市電のりば」があり、彼は主に
烏丸線・烏丸車庫行」にお世話になっていた。
同じコースを市バスも走っていたが、なぜか市電をメインで利用していたように
思う。

体育の時間、御所一周(4Km)のマラソンがあり、これに参加すれば、単位
取得に便宜付与
するとの言質に惑わされ、参加したことがあった。

その折、烏丸今出川から丸太町間、約1.7Km(御所横南北)を、友人幾人かと
市電に乗ってズルしたこと
を想いだした。

ショートカットにもなってない、何故なら、電車は走っていたが、自分の足は
市電の床に静止したままの「ノーエネ」走法なのでアル。

窓外を、懸命に走る学友に「オ~イしっかりはしれ」などバカなエールを送って
いる自分、普段の通学以外に、あの時も「京都市電」に大いにお世話?に
なりま
した。

どうも大人になっても、一寸したイタズラに心ほだされ、参加するのは、今も
昔も、oldboy君の生来(生まれつき)の特性であるようだ。


さて京都駅前を車両は東向きに出発、すぐに左に折れ「烏丸通り」に入る。
あとは終点の「烏丸車庫」まで真北に直進するのみのルートである。
※ 烏丸は「からすま」ではなく「からすま」と呼称。

4年間お世話になった「京都・市電車両」が広島・広電さんで第二の活躍
の場をもらい、今現在も現役にて活躍中であると聞いていた。

当時「広電」側では、「増加する市内交通」の対策として、「莫大な費用が
かかる地下鉄」の代わりに「地上を走る市電の充実」で対処したことになる。

そして、いまは「広島名物」であり、顔となり、ますますの隆盛を誇る。


実にこの両市「対極」の「行政・施策」を行ったのだ。

結果、京都の「市電廃止」で無用となった「車両の一部」が「第二の働き
場所」として
広島に輿入れとあいなったのである。

この折、広島(広電)入りした車両は、順次ではあるが、最終15輌になると言う。

最近、「京都市電、観光路線」だけでも復活をとの風聞に接することがある。

           

               ★★2
         広島に移った旧京都市電の現況

oldboy-elegy君、この記事をを書くため、「広電」の江波営業所に電話をかけてみた。
質問事項は次の3項である。

①現在も、戦力として実車投入され、運転されているのか?
②車両のカラーリングは京都時代のままなのか?
③自分は50年以上前、京都で学生をしていて、この上なく懐かしく思っている。
 ゆえ実走中の車両に、乗ったり、街中から雄姿を見るのは可能か?などなど

答えは基本OKであった。
ただ③については、走行系統や日、時間が早くから決まっていないため、
当日なら連絡いただければ、分かると思う、とのことで、不可能ではないが、
やや難事と思った。
車体も古いので、当然、メンテナンスなどで「ご休息日」もあるみたい。

カラーデザインは元のままは勿論のこと、車両前部に京都らしい名を冠した
プレートを付けているとの事。たとえば、「東山・嵐山・清水」などと。

因みに、カラーリングは窓枠から最上部までが「サンドベージュ」窓枠下から
10センチほどのアクセント・ラインが「赤」、そこから最下部まで」濃い
グリーンとなっている。
昔のままであることが、嬉しい。

              ★★★3
             おしまい談

こうなれば、「俺と市電車両」どちらが先に、命、尽きるかの競争だ。
たぶん、負けるような気がするが、どうだろうか。

            以上、第一話 完了



                
                  第二話

     またまた、oldboy-elegy君のバカさ加減とオッチョコチョイぶりを
           人様に晒す結果になってしまった。
        ある意味、これも(市電)繋がりと言えぬこともない。

oldboy-elegy君、大阪は河内からの通学で、下宿生ではないことは先にも言った。
当時の交通機関で、学校までほぼ2時間を要する長道中である。

週の後半の日程は、塾の講師としてのアルバイトで詰んでいる。
従って前半は、下宿生の友人の部屋に泊めてもらい、翌日、早朝時間の講義に
出席すると言う、日々を過ごしていた。

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このタバコ、銘柄は「初代のハイラ
イト」である.。

当時の圧倒的人気商品で、ロング
サイズ
でフィルター仕様であった。
当然、値段も高く、高級品。




oldboy君、普段、自分用には、「しん
せい」なる安タバコを愛用・常用していた。
もちろん、フィルターなしで両切りで
ある。



この日も、夕方に友人の部屋にゆき、留めてもらうことになっている。
このおり、宿泊代替りに、タバコ一個を進呈するのが習い。
それが上掲のタバコ、「ハイライト」であった。

彼たち二人の下宿は、「市電・烏丸線」で真っすぐ北上、ドン突きの
「烏丸車庫」にて下車。

さらに、ここより徒歩で、市電車庫の高く長いコンクリート塀を左(西)に、
右(東)は京風の家並を見、北へすすむ。
もちろん家並の間には、ときおり小道が東に向かって切れ込んでいる。

まだ、夕日が落ち切るまで、いくらかの時間かある、そんな夕方である。

この道の人通りはまばらだ。


こんな折のことである。
そう広くない、この通りの前方から、こちらに向かって、友人Sと同じ下宿の
(部屋は違う)T君の二人がこちらに向かってやって来る。

「あれれ??!!」
おれは、彼の部屋に直接、訪問することになっている。
それが、何故、彼らが、連れそって、あれに??
俺も含めて、彼等、「お出迎え」と言うガラではない。

そう、もうすでに、oldboy君の早ガッテンと言おうか、早トチリと言うのか
脳内でのボタンの掛け違いが終わっていた。

即ち、前方の二人が、友人達である事に、なんの疑問も持たないoldboy君がいる。


ただ、オテントウ様が少し傾いた状態のなか、oldboy-elegy君、の近視用の眼鏡は
母、手作りのショルダーバッグの中に納まったままであった。
この眼鏡、教室でチョーク字を見る時や、テレビ、映画などで主に使用している。


そのため、新聞、本、など活字などの場合、不要で裸眼である場合が多い。
このあと、数年後には、眼鏡を四六(しろく)時中、使用するのが常態となっていた。
※四六時中とは、「一日中」のこと。 
 四X六 は二十四(時間)になることからの「言葉遊び」

ここからがバカで恥ずかしい話の始まりである。

何を思ったのか、

彼、駆け足で、おまけに右片手をあげ、友人とおぼしき二人の男に急いで
近づいていったのである。
想像して欲しい、手を高々と上げ、「おー、サンキュウ、サンキュウ」と
声には出さずとも、体から出るオーラは、そう言っているはず。
その上結構な早足で「スッチャカ、スッチャカ」前方の、見知らぬ二人の男
に急接近。

ただ救いは「お~い」と口には出してはいない、多分、今思うと、これとて
100%自信がない、
ヒョットしたら「オ~イ」ぐらい言ってたかもしれない。
痛恨の極みである。

すると、男達二人は、自分達に向かってくる、見知らぬ男(oldboy君)に怪訝
感じたのだろう。
二人して同時に、自分達が今歩いて来た「後方」を振り返ったのである。
彼等の後方には、らしき人間は誰もいない。

この瞬間、いかに鈍感なoldboy君も、「あれ、ありゃりゃ??」となったのは
当然の
成り行きであった。

ドンドン、二人の男に近づいてゆく。

もう完全に人違いしている、自分に気がついたのである。


それに、近づく、二人、全くの人違いであることも、今では確認できる。

男達は、歩を完全に止めた状態である。

手を上げた右手は、降ろすタイミングを失い、いまだ空中にある。

oldboy君そのまま男達の脇を視線も合わさず、もっと先を見ながら
「スタコラ
サッサ」とすり抜ける。
こうなれば、もう「完全なアホ」である。

その先にあった右(東)に入る脇道にソソクサと逃げ込むoldboy君。

サアーそれから、すぐにトップスピードにギアーチェンジ。

そのまま直進はこれもヤバイ?
恥かしいこの行為を彼等に見られる心配が、まだある。

角があればヤミクモに方向転換しながら、その場所から離れていったのである。

ようやく、意味のない右手を上げた姿勢から解放されたは良いが、情けない事
この上ない、チョットした心神耗弱状態に陥(おちいる)る。


なぜ、「人違いでした」の一言が言えなかったのか、自分自身としてもガテン
いかぬ。


i以後50数年、この愚挙?、他人はもとより、身内にも話したことはない。
それがブログと言う形で、公言するとは、自身ビックリである。

なにか、記事を書いている今、冷や汗とともに、その時の状況が今の我が身を
包み、疲れが「ドーッ」と出てきたようである。

なぜ俺には、こうもドジ話が多いのだろう。
「なにを今更、お前は、基本ドジ男なんだよ!!」との声が大向うから
聞こえて
くるようである。


      モ~やだ、この俺、「ええ歳こいて、まだ恥の上塗りか」


      ちいさく背をまるめ それでは 今宵も コソコソと おいとまを
               では では


                    了   
                        oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp



(雑感・雑記帳 No 30)プロバイダOCNさんの(有料・リモート対応・トラブルサービス)に感謝・今後ともよろしくお願いします


f:id:oldboy-elegy:20210208075449p:plain



この画像、oldboy-elegy君のPCに、なんらかの「トラブル」が発生した時のイラストである。
普段はストレスもなく、「スイスイ」状態で機嫌も良い。
だが何故か、月の半ばになると、気分を害されるのである。





よくよく観察すれば、定期的に行われる「WINDOWS10の自動更新」の
あと
に「トラブル」が集中するのに気がつく。



このことはPC技術、不如意のoldboy-elegy君にとって、やはり、「ストレス」
あることには変わりがない。

ある程度、PC基礎知識をお持ちのかたなら、何でもない事かもしれないが、
oldboy君
にとっては、自力更生はほぼ不可能で、その都度「プロバイダ」さん
のサービスの手をわずらわしている。

情けない事、この上ない。

f:id:oldboy-elegy:20210222143931p:plain

左のイラスト画は「プロバイダ」
さんの仕事を表現したものだ。


左に各家庭があり、右上方には
「インターネット空間」が広がり、
それを繋ぐのが、真ん中の人、
つまり「プロバイダ」さんと言う
訳である。







今日のお話は、この「プロバイダ」さん、とくに、oldboy-elegy君が
お世話になっている「OCN」さんのサービスについての報告である。



そのサービスと言うのが、プロバイダ・OCNさんの「有料・リモート・
音声(肉声)によるトラブル対応ガイド」を言っている。


彼の、パソコンのOSは、WINDOWS7から半ば強制的に更新させられた
WINDOWS10である。

WINDOWS7で、右も左も分からぬまま、少し慣れができ、Youtubeを含む
ネットサーフィンやグーグル検索を楽しむ分には、曲がりなりにも何とか
なりつつあったころの事である。

そんな状況下での、「不承不承・ふしょうぶしょう」不安の中でのOS変更で
あった。

正直なところ、自分がしている作業が、何をしているのか、明確な意図が
分からないままの「更新プログラムによる、強制自動更新」である。

     
                ★1
      OCN「無料相談室」から「有料相談室」に切り替え、
            これが大当たり

 


oldboy君、パソコン教室に通ったこともないし、誰かに教わったこともない。

ノートパソコン・NECLaVieを地域の電気屋さんで調達、当初単純に電化製品
冷蔵庫かせいぜいテレビジョンを配線するぐらいの認識で始めたのである。

今、OCN会員登録証をみている。
入会の日付は2009・12となっていた。

「頭脳」、イヤイヤ、そんな恰好のよいものでもない、「認知症」これなど、
もともと認知する対象物が極めて狭小であることから、まだ勿体ないお言葉で
ある。
そうだoldboy君にピッタリの言葉、そう「ボケ」がある。

この「ボケ」なる言葉、差別用語?まあ、自分を指さし言っているので許して
いただくことにする。

これに一寸でも「抗う・あらがう」ための方策として取った奇策が「パソコン・
インターネットで遊ぶ」
と言うことであった。

そして「ボケ対策第2弾」が「ブログ発信」である。

因みにoldboy-elegy君が曲りなりにもブログを始めたのが2019・04のことである。

この時分、頻繁にお世話になっていたのが「電話によるOCN無料相談室」である。
随分と利用さしていただいた、

もちろん、「はてなブログ」の質問をするのではない、それは筋違いと言うもの
である。
WINDOWS」や「Googlechrome」そして「機器や用語の概念」などの
基礎的質問が中心である。

たぶん、「トンチンカン」で「恥知らず」な質問もたくさんしたと思うが、
にもかかわらず丁寧に辛抱強く、お答えして頂いていた、のが印象深い。

                 ★★2


         oldboy-elegy君のパソコン先生は「OCN」の
         有料「リモートコントロール・対人、肉声、」

          「ダイレクト・ヘルプ」通信であった。

もともとOCNの無料の対人肉声によるヘルプガイドを利用していたのだが、
待ち時間や自分のスキル不足やIT用語への未熟さが禍してか、旨く伝わらず、
丁寧に努力をしていただくのだが、生意気にも、もの足りなさが募った。

その上、毎月定期的に「ウインドウズ・マイクロソフト」から強制的に「自動
更新プログラム」
がアップデイトされ、OSの書き換えやそれに伴う「再起動」
もある。

ただ困った事に、この「強制更新」のあと、oldboy君の場合、何かしらの
「PC不具合」が生じるのが常である。


トラブルの内容はおよそ次ようなものである。
IMEパッドがマイクロソフトのタスクバーから消えてなくなる。
●初めて見るアイコンがプラウザ中に置かれる。例えばMICROSOFT EDGE
●スタートボタンの上方に出る、マイクロソフト・アプリケーション一覧に
 知らないアプリが並ぶ、
例えば、XBOX関係など
●「強制・アップデイト」の朝など、PCの動きがギクシャクしている  
 などなど


この「強制アップデイト」が、oldboy君のパソコン習熟・スキルアップ
良い
影響を与えてくれている?と、前向きに考えることにしている。

しかし、この自力の「努力」も報われないことが多々存在する。
ここで相談するのが「OCN有料カスタマーセンター」である。


                ★★★3
     最近、これまで経験したことのない、トラブルが発生した。
    そこで、oldboy-elegy君のパソコンに生じた現実のトラブルに
    OCNさんが
いかに対処・対応をしていただいたのかを記事にした
             もちろん、良い意味で

 


oldboy-elegy君がいつ、このOCN「有料のリモート付、ダイレクト・ヘルプ通信」
に加入したか明瞭ではない。
はてなブログ歴、2年弱からみて、3・4年前のことであるはず。


(第一段階の状況)プロバイダーOCNさんに、この度の難関トラブル
(oldboy君にとり)に対処してもらうまでの、いきさつをフローしてみる。

この日、oldboy君、夜中に、スリープ状態のパソコンにライトが灯り、起動
した事は
知っていた。
「ア~、やだなー、ややこしいトラブルが起きませんように」と思いながら、
パソコンを打っちゃったまま、就寝。

翌日の午前中は、家事に追われ、パソコンの前に座ったのが11時前だった。

コーヒをマグカップにナミナミとつぎ、一口、口にして「特別な問題が無い
ように」と祈りながらPCを立ち上げた。

「グーグルクロム」などアイコンが並ぶスタートプラウザは普段通りで、
アイコンの数にも増減なし、立ち上げ速度もこんなもの、問題のIMEパッドも、
定位置のマイクロソフトの専用のタスクバーに鎮座しておいでである。

「アー、今日はラッキー、問題なしや~」のoldboy君のご様子。

このあと、今まで経験したことのない「難関トラブル」が待ち受けているとは
夢にも予想しなかったのである。

取り敢えず、読者諸氏のブログに目を通し「はてなスター・ブックマーク」を、
配布、特に「感応」した記事には、簡単な書き込みをするのが毎朝のローテ
である。

oldboy君の「はてなダッシュボード」は、「グーグル・クローム・アイコン」
クリック後の画面の「ブックマーク蘭」の左端においてある。

f:id:oldboy-elegy:20210312112443p:plain



(第二段階の状況) なぜか「グーグル」アイコン、クリックすれど無反応。
 やはり「自動更新プログラムの置き土産」今日はキツイ一発になりそうです。

「うむ・ウム、UMU!?あれあれ・・??」グーグルクロームのアイコンを
クリックするが反応してもらえません。

oldboy君、「落ち着いて、オチツイテ」と自分に言い聞かせるのだが、胸の
鼓動の高鳴りが耳の奥から聞こえてくるようです。

不思議な事は、他のインターネット経由の全てのアイコンは機能している
ことです。
狙ったように「グーグルクローム」のみが無反応なのです。

oldboy君の場合、立ち上げ画面に取り込んでいる、アイコンは多くは
ありません。
you tube・グーグルアース・・」など、幾つかあるのですが、不思議な事に、
全て普通に機能しているのです。

(第三段階の状況) もちろん、こんな場合のお助け「OCN、リモート付
トラブルサービス」のアイコンも目に入っている。
 
ここで、「Calm down・カームダウン・心、落ち着けて」のためトイレに。
最終的には、OCNさんの有料トラブルサービスにお願いするとしても、
oldboy君にも何か、自前の解決方法らしきものは無いものかと、生意気にも
自問する。

そこで思いたったのが、これ、
「クローム」が「昨夜の更新プログラム」のため、「なにか不都合が起こった」
のだから、「一度、グーグルクロムをはずし(アインストール」して再構築
したら
どうだろうかの、考えが宿った。

だが実行はしなかった、それが原因で何か、もっと悪しき深みに陥る気がして。

悲しいかなoldboy君の実力はこれを許さない。

(第四段階の状況) ここで、oldboy君、「OCN、リモート付、有料トラブル
センター」
にお願いすることにした。

まずこちらから、専用の0120-○○○ー△△△に電話をする

録音音声ガイド」に従い、幾つかヤリトリしたあと、すぐに肉声で
「トラブル」
内容を報告する。
この日は女性の方であった。

リモート対応の専用アイコンがこちらのブラウザ中にあることを告げると、
その都度有効の数列を口答で貰い、リモートアイコンを開き、それを打ち
込むと、自分の手元のマウスの動作が今日のOCNの担当者さん、の手に
渡る。


この日は始め女性の方に対処していただいていたのだが、5~6分もすると、
電話の向こうで「申し訳ないが、担当を変わる由の」肉声がはいる「暫らく
待ってください」との事。

「やっぱり、重症で難しいのかな」の思いが湧く。

数分後に今度は男性の声で「担当を引き継いだ」との挨拶あり。

反応しないアイコン、グーグルクロームを確認後、画面上では、マウスの
矢印が勢いよく動作し始める。


しばらくすると、繫がっている電話回線から、「すいません、しばらく電話を
切ります」との連絡あり、なにやらドンドン不安になってくる。
 
OCNにリモートされている、マウスの矢印は画面上を激しく動きまわっている。

こうなれば、oldboy君には成すすべはない。
ただただ、ホケた頭と目が力なく画面を見つめるだけである。

 画像の切り替わりや階層図がでては消える。

oldboy君、コーヒでもと思うが、その作業に対する真摯さに,気おされ、
マウスの激しい動作を、口を開けてトロンと見ているのみである。

その時、突然電話が、OCNのマウスのリモート権を預けたお人からである。

 


(第五段階の状況)「チョットした傷は残ったが、機能としては復元した?!」
                  とのお声が

アア~、万事休す、ご臨終かなとoldboy君は想定していたのである。
が、なんと電話口の向こうのお人の話では「100%ではないが?これでどうで
しょう」
とのことである。

つまり、こういうことらしい。
グーグルクロムの拡張子の一部が、今回のWINDOWS10の更新プログラム
と干渉
し合い、不都合が発生、そのためクロムの拡張子のある部分を、遮断
したら、クロムの
アイコンが反応してインターネットに繋がったと言うことで
ある。

これらの説明、oldboy君が、全て理解した上で書いている訳ではない。

ともかく、焦点は、プロバイダーOCNの方が、これだけ必死に、真摯に対応
されたことに、感動したことにある。

時間も優に1時間は超えている。

(第六段階の状況)本当にあなたの「神対応」には、感動を覚えます。

もう一つ、嬉しいことがあった。
OCNの彼、クロムをアインストールして再設定での試みもしていたらしい。
そういえば、グーグル・アカウントを連絡したことを思い出した。
チョット自分をほめる。

実際、リモート機能を、返してもらい試しにクリックすれば、なんとなんと、
グーグルクロムのアイコンがなんの問題もなく反応しているではないか。


人間で言えば、体の見えない部分にチョットした傷があるが、全体として
は問題ないと言うことらしい、これが適切な表現かどうかは、oldboy君には
分からない。
  
            ★★★★4
     おしまいに、アリガトウと感謝の言葉を述べたい


ここまでリモート(遠隔操作)による修復をお願いしてから一時間i以上も
かかっている。


こんな神対応をしていただいたのに、チョット安いからと他のプロバイダに
乗り
換えることができようか。

取り敢えず、oldboy君、OCNにこのサービスある限り継続しょうと決心した
のである。

今、現在もPCはこの時の修復手術のままで、問題なく使い続けている。


ありがとう、あの時担当して頂いた技術者様、そしてOCN様。


※ 慣れない、パソコン、IT用語が多々ある。
従って、間違った概念で使用している場面もあると思う、その時はお許しを。

          では では おやすみなさい
                      
                            了
                            oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

oldboy-elegy (42)4回生、夏休み・就職未決のまま、ひとり旅にでた。そのおりタクシーに、そこそこの距離を無料で乗せていただいた。ずっとずっと昔のことである

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今日の記事は、2019・09・01に
投稿したものを、リライト,
再UP
した
ものだ。

ブログを書き始めて六か月め位の
ことである。
出稿ペースは月3記事程度で、今も
変わりはない。






この記事、大学最終年・4回生の夏休み、就職未決のまま旅に出た時のもの。

その時のoldboy-elegy君の「行動と心のあり様」を綴ったものである。


悲しいかな、初回投稿時、この記事を見ていただいた痕跡は、3人の方が、

はてなスター合わせて10個ほど、残していただいたのが全てで、以後変化
はない。

「リライト」と言っても、基本、内容が変わるものではなく、「読みやすく」
を心がけたものである。

さて最初のイラスト画像が、oldboy君のおよその旅姿である。

リュックサックは綿(めん)の帆布でできたもの、色は茶色に近いベージュ、
締め口は全て太い紐、チャックやホックなどはなかった。

寝袋はイラスト同様、丸めて、リュックの上に縛り付けてある。

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ただoldboy君の場合、丸めた寝袋の中心にコウモリ傘(クロ)が通してあった。
傘は、貧乏旅行には必携品である。
なにも雨に備えただけのものではない。

野宿の場合、寝場所は低い木々や灌木の脇を選ぶことが多い。
なぜなら、敷いた寝袋横の、低い枝に傘を縛(しばり)り、夜露を避けるのだ。

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もちろん「除虫菊製の渦巻蚊取り線香」もリュックに納まっている。

最後は帽子だが「これは被ってなかったな~」代わりに常時、首に巻いていたの
がタオルである。
必要なら、頭に、タコ・ハチマキにもなる。
ここで一挙に・見た目・がダサクなったようである。

あと、通学で使っている,母、手作りの
ベージュ色のショルダーバッグを肩から
斜め前にかけ、それに
財布を始め小物を詰め込んでいた。

それに、唯一の「文明の利器」カメラ(オリンパスペン・親父からの借り物)も
ここに同衾している。




                 ★1
              旅の行程と概要

この旅は能登半島、新潟、佐渡尾瀬ヶ原尾瀬沼)、日光、東京、ただし
東京・大阪間は友人(学友)のいる2か所で下車、全行程2週間強の貧乏旅行で
あった。

記事は旅の行程を日にち順に追ったものではなく、順不同で、起こったことを
思い出したまま書いている。

とくに、事細かく日程を決めていた訳でもない。
旅の半分近くは野宿であった。

実はoldboy-elegy君、就職活動なるもの、未だ一切していない。

心のどこかで、「社会に出れば、2度と得られないモラトリアムな時間を
もう1年
」の
気持ちがあったのは否定できない。

大学で、周りも見渡しても「就職、就職」と「ドタバタ」してる奴も見えない。

ともかく、この旅行中「卒業するのか、5回生にて居残るのか、ぼんやり考え
よう」
とは思っている。


「野宿」聞こえは悪いが、これ、すこぶるストレスフリーな貧乏旅行の上策で
ある。


もう一つ、野宿する近くに警察なり交番があれば一声、声をかけておくのが
ベスト。


oldboy-elegyくんの場合この方法で夜遅く、現地の旅館の布団部屋に超超格
安にて紹介して頂き、おまけに坂の上の現地まで案内していただいたことが
ある。
終い湯(しまいゆ)もいただき、さっぱり、人間に戻った気がしたのを記憶
している。

お巡りさん、自転車押し押し大変、有難うございました、上越線・沼田での
事であった。

                                  ★★2

 oldboy君、大チョンボ、親父から借りたカメラ(オリンパスペン)を紛失

         
沼田宿での翌日、尾瀬沼、富士見小屋にてoldboy-elegyくんの大チョンボ発覚、
あまりに美しい景色に写真をと、親父から借りたオリンパスペン(カメラ)を
取り出そうとするが、「ない、ナイ」ショルダーバックは勿論、リュックサック
の中身をすべてひっくりかえすが、フィルムあれどカメラは見えず。

この時oldboy-elegyくんの弱いオツム(頭)にローソクが点灯、
「アッツ!!!」思い出したのである。


佐渡両津港から佐渡汽船、新潟港行に乗船、その時、船内には入らず甲板
デッキにへたり込み、眼前の欄干に吊るしたのがカメラだった。
甲板を吹き抜ける心地よい風に身をまかせウツラウツラ状態であったことは
否(いな)めない。
しかし??なぜ下船のおり眼前に吊るしたカメラが目に入らなかったのか、
それも不思議。

尾瀬ヶ原の小屋から佐渡汽船に2度ほど連絡するが発見できず。
もちろん、大阪は河内の住所を残してあるが、ついぞ音沙汰はなかった。

しかしoldboy-elegyくん、持ち前の復元力でキッパリ忘れる事に成功
(実は涙目)?。



                       ★★★3
          話が前後して申し訳ない。
    佐渡に渡る、何日か前の事、「カメラ」もまだ健在で手元に
           あった時の事。
          

能登をぶらぶら中のことである。

眺望がきく高台にいる。

両手を真横一杯に広げると前面の180度はすべて日本海である。
夏の落日は今、西にある。
東の空は薄紫で刷いたような雲が浮かんでいる。

明日もきっと良い旅日和になることだろう。

 
場所は能登曽々木海岸、先ほど降りて来た坂の上には「時国家」と言う
豪族の屋敷が2棟ある。
なにげにそのうちの近い方の一軒を外から見学してバス停に到着したばかりの
oldboyくんである。

荷物は固い綿の帆布でできたリュックサックを背負い、肩越し斜めに、母、
手作りのショルダーバックを懸けている。
リュックは大阪鶴橋の国際マーケットで中古品として購入、ショルダーは普段
から通学で使用していているものである。

リュックの中身と言えば、着替え、洗面用具など生活用品一式に渦巻き式の
除虫菊製の蚊取り線香、そのほか寝袋、こうもり傘、うちわ等はリュックの外に
括り付けている。

ショルダーバッグにはノート、筆記用具、タオル、チョットした菓子など、
それに学生証、財布など、と親父から借りたカメラ、オリンパスペンと
フィルムなどである。
因みに今日までの三日で撮影した写真は数枚のみ。

 バス停の後ろの草むらにリュックを下ろし、へたりこみバスを待っている。
もう最終の時刻を過ぎている。
遠望が利く地道の道路、バスが来るはずの西の方角を見るがその気配はない。

少しはやきもきもしたが、すぐに決心、「今日はこの辺りで野宿、それもいいか」
この旅初の野宿を決心。
海岸を見れば貧弱ではあるが松などの木々が見てとれる。

低めの枝ぶりの良い木を見つけ、こうもり傘を括り付け、広げ、
その下にグリーン色の寝袋を敷き、蚊取り線香を燻らせば完璧。

手には、蝋引きの頑丈な広告入りの団扇(うちわ)。

あとは波の音を聞きながら満天に星があれば言うことなし。
oldboy-elegyくん一人悦に入っているのである。

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 そこへ彼の背後に突然、車が一台停車、タクシーである
「ここ、いくら待ってもバスは来ないよ」のご宣託。

「???」と不信顔のoldboy君に、最近この道は利用されなくなり、すべて
もう一段下の海岸に近い道路を利用するとのこと、彼、運転手さん、
まったくの気まぐれでこの高台の道を通ったとの事。
東行きも西行も最終便は終了しているらしい。
「??!」すると俺が降りたバス停は、ここより下の、新バス停と言うこと、
気が付かなかった。
それならせめて、ここの旧停留所の標識ぐらい撤去しておくのが普通であろうと
思ったのだが、こちら別段そのため、ことさら被害にあったわけでもなし、
やや不満げに、無言のまま。

「明日どこへ行くの、東それとも西」と運転手さん。
「ええ、能登の東端の先っぽの狼煙灯台(のろし)にでも行こうかなと、
天候が良ければ佐渡が見えると聞いたので・・」ここでoldboyくん少し
身構える。

「安くするから乗っていかない」かと邪推したのである。

ところがところが、
「このタクシー飯田町のもので、どうせ帰り便だし、乗せてってあげるよ無料で、
乗っていきなさい」とのお誘い。

ここから飯田町まで20キロ程度で、この町からも灯台のある狼煙(のろし)行の
バスも出ているとのことである。

運転手さん、疑ったりして申し訳ありませんでした。

そもそも、リュックに寝袋など見れば貧乏旅行の極みであること一目瞭然である。
この事に今更ながら気が付く。

むしろこんな御仁(oldboy君のこと)に近づかない事の方が一番の良作とする
のが社会常識なのである。

「飯田町の海岸からちょっと山に入った所のお寺がユースホステルを経営
している」とのこと。


無料なら話は別、いくら時間の余裕があっても行程の先に行くのが鉄則、
ましてやすぐに夜になる、つい先ほど決心した楽しい野宿も中止、ただし
「楽しい野宿」の事は運転手さんには言ってない。
いくらなんでも失礼であろう。

タクシーは海岸から離れてやまの中に入る。
20分程で飯田町のユースホテルを経営するお寺さんに到着。
道中、大学の事や、この旅の話をしていたらあっと言う間の事。

 行き先は新潟まではハッキリしているが、佐渡に渡るか、上越線で沼田に
行き、そこから「歩き」で富士見峠にでて尾瀬ヶ原を抜けようとは思ってはいるが、
基本未定である。

 「それでは元気でな、いい旅になることを祈っているよ」と言い残しタクシー
は去っていった。
走り去るタクシーを見ながら、ユックリ、深々とおじぎをするoldboy-elegyくん
であった。

 「タクシーに無理やりで乗せられる」と一瞬でも疑った俺、「申し訳あり
ませんでした」


 このあと翌日にバスで緑剛崎灯台(通称・狼煙のろし灯台)まで行き、東の
海上を眺めたが、結局のところ佐渡は見えず。

ここで「見えぬなら、自分の足でそこへ行き、見てやろう」と、決心する。
新潟大地震の数年あとのことである
新潟港の船乗り場が随分沈下していたのと、港外に出ても暫らくは油臭く
感じた記憶が残っている。

                ★★★★4
    よく知ってもない人、K君(教室で時折、無駄話する程度)にこの
    旅の話をした。
    すると彼の、母方の実家が石川県・小松市で、是非ぜひ、一泊
    してくれとのお誘い。
    oldboy君、丁重にお断りしたが、許してくれず、一泊することに。
    

             
 大学の友人Kが「是非泊まって行ってくれ」との申し出。
彼の母がたの実家が小松市から出ている軽便鉄道(尾小屋鉄道)の終点、
尾小屋鉱山と言うところ
だそうだ。

ここでの泊まりがこの旅の初泊となった。
俺、K君のお母さんに会った事もないし、ましてやそのお兄さんの事、当然
知る由もない。

懸命に固辞するも押し切られた格好で了承、やや気が重い。

非常な歓待を受け、ありがたいのはありがたいのだが、oldboyくんにとっては
お尻が少々むず痒いものであり、翌日、一人になってなにやら、解放された
気分になった。

すまんK君、いろいろ面倒をかけました。


 そして穴水のユースホステルのお母さん、気を遣わしてゴメンなさい。
満室状態で宿泊は断られたが、野宿のための玄関脇の樹木と芝生の使用、
屋内のトイレや水道に(終い風呂・しまいぶろ)などいろいろ便宜を計って
いただきました。

結局、2週間を超える旅になった。

旅の醍醐味(だいごみ)って何なのだろう、景色や食事、勿論それもあろう、
しかしそれ以上印象に残るものとは、「人!!!」これに尽きると思う」と、
oldboy君は考える。


河内の我が家にたどり着いたら飼い犬の「ホス」に吠えられる。
このワン公、拾い主の妹が全てで、俺には少々愛想がない。

食事の時など、母か妹に足を拭いてもらい、丸お膳の彼女達の間に陣を取る
のがいつもの定席である。


              ★★★★★5
       

     そして就職、こうしてoldboy-elegy君、人生モラトリアム
           期間も過ぎ去って行った。
             

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この貧乏旅行のあと、「やはり、卒業しょう」と心に決めていた。

そう裕福な家庭でもなし、その上、義兄二人は、中学卒業後すぐに親父のもとで
ブラシ職人として働き始めたのも見て来ている。

人生最後のモラトリアム期間の4年間は、こうして過ぎていった。

この後、秋学期の終わりには、600人~700人程度の中小企業(繊維関係)に
就職
を決めていた。

この会社での出来事、あれやこれやはoldboy君のブログ記事の中でも、一番
多く記事化している感がある。


しかし、世の中、頑張り屋さんばかりの一枚岩で成り立っている訳でもない。

とくに最近、他人様のブログ記事を読むことが多い。
そこには、世の中、一般より、なにかにつけて「意識の高さ」の、お人の
多さにoldboy君、気押される事が多い。

この変革・激動の世の中、ハイテク便利グッズと人心との関わりようが、
どうなって行くのか、
oldboy-elegy君、ある意味、楽しみな気持ちもある。
それ故、もう少し命、長らえるのも、楽しいことで意味あることかもし
れないと思っている。

             では では お休みなさい
            

                  
     
                                    oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 N0.29)パーソナルな通信機器の発達、これらは人々に幸せをもたらすもの、それとも単に超便利グッズなだけ。


f:id:oldboy-elegy:20210214135212p:plain


左のイラスト画像はパソコン・スマートホン・タブレットなどが
プロバイダーを通じてインターネットに
繋がり、ワールドワイド化する様子を
描いたイラストです。

oldboy-elegy君の時代、基本,パーソナル
な通信機器と言えば、有線の固定電話
のみであった。


あと、通信手段としては、電報、テレックスがあったが、まことパーソナルな
ものだったかは、疑わしい。



これらの「蜜の味」を、知ってしまった現代人は、今後どう対処するので
あろうか?

今の人達は思うだろう、「昔の人達は不便だったろうな」と、しかし案外
そうでもない、と昔人間のoldboy君がお答えする。

だってそれらの利便性そのものを経験したことがないため、そのよしあし、
について語ることは不可能である。

人は、すべて、時代に存在し生きる、そのため使ったことも、見た事もない
物を欲しがることは不可能である。

近代弁証法哲学の大御所、「ヘーゲルさん」は言っている。

「存在するものは合理的であり、同時に合理的で有るが故に存在すると」
つまり「この世に存在する理由は合理的で有り、不合理なものは、いずれ
淘汰される運命にある」と。


以前に一度、

雑感・雑記帳 No15)
default・デフォルト・デフォー、何故か馴染めぬ、このIT用語?

で2020・02・21に記事にし、UPしたことがある。

この時の、記事の概要は「PC・スマートホン」など電子機器そのものに
ついて書いたものでなく、そこで頻繁に使用される「デフォルト」なる用語
のみに焦点をあて,これまた、「いつものように」oldboy-elegy君的、感想を
述べさせていただいたものであった。

もし、よろしかったら、今日のこの記事の後にリンクを、貼っておくので
よろしく。

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固定電話以外の便利機器のない時代、人はどんな日常を送っていたのだろうか、
思いつくまま書いてみた。


いわば今日の記事は、その「デフォルト」以来の第2弾的なものである。
内容は「社会と人の関わり」ではあるが、脱力系であるのは、いつもの
oldboy君の通常運転であることには変わりがない。



                  ★1

      oldboy君、若かりし(およそ50年前)頃の街中(まちなか)
                風景と電子機器


世に、パソコン・スマートフォンを通じてインターネットを利用する人は
限りなくおられる。
ただ、これらを利用する人たちの、技能・スキルはその御歳(おんとし)も
含めて千差万別だ。

しかし超一流の一握りりの天才から、oldboy君のような最下層にうごめく
ブロガーまで、すべてネット民である事実には変わりはない。

自分達が社会人として生存した時代は、幸か不幸かパソコンなどは存在
しなかった。
反して、いまは、子供が少なくなった分、スマートフォンやノートパソコン
それにタブレットなどを連れ歩いている。

いっその事、オンブ紐で、デスクトップ型のPCを背に縛り、キャリーカートに
CPU、キーボードを装着、そこらを闊歩すれば、いい図になるだろう。

ごめん、ゴメン、興に乗りすぎ、しょうもない事を言ってしまったようだ。


oldboy君、最近とみに、感じるのは、街なかで見かける人々の持ち物と言うのか、
荷が大きくなったように思う。

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近年、の街中風景でリュックサックを背負った人を良く見る。

それも、若い人から中年の紳士までと巾が広い。
山登りやハイキングと言うことでもないらしい。
その目的はこれ、
両手をフリー(自由)にすることにあるようだ。
そう、ひとえにスマートフォンタブレットの「操作」を「容易にする」ためである。
最近、顕著に見る、風俗の一種であり、男女の別なく存在する。


日毎の通常通勤に、リュックサックや底に車の付いたバギーカート?
(ちゃんとした商品名はしらぬ)を担ぎ、転がし、早足で歩く人を多く
見かける。

街なか、いくらバリアフリー化していると言えども、、階段、坂道など段差
は多い。見ている限り結構、重そうでもある。

一度、それらのバッグの中身を見てみたいものだ。
多分、たぶんだが、電子機器に必要な周辺機器のさまざまなガジェット類も
納まっているはず。

oldboy君など、御歳で、しかも腰痛持ちの身、カートの天板(ふた)など
が超軽量で頑丈にして、座れるなら、今すぐ調達したく思っている。

みちすがら、じゃまにならない場所にカート駐車?、セケンを睥睨(へいげい)
しながらユッタリ歩を進めたいものである。

oldboy君、老体の身ながら、こんなところ「意外とうるさい」のである。

                ★★2
        オフィスに置ける電子機器と働く人との関係

ただ、ようやく、オフィス・コンピューター(OC・オフコン)が、チラホラ
中小
企業にも導入されつつあった時代のことである。

当社にも、東芝製の「トスバック○✖型オフィス・コンピューター」などが導入
されたが、我々一般社員がそれに順応するための、技術習得の必要などは何も
なかった。


ただ、「これこれの書類は○月◎日まで提出のこと」など、各部門の計数的書類
の提出期限が厳格化
されたことである。

相手は機械のこと、これまでの「ナアナア」の対人関係では、ことが進まなく
なる。
それ故か特に営業職・工場管理部門の人には、上司も含め、このオフコンにたい
する評判は良い物とは言えない。

ぶつぶつ言いながらも、この機械様への対応は必須である。

完璧な空調設備を施した、電算機室なるものが社内に備わり、5・6人の専門の
要員が、磁気テープがクッキン、カッキン回る部屋で、忙しく立ち働いている
ばかりであった。


社員の多くは、このオフィス・コンピューターのことを「金食い虫」あるいは
メモ用紙製造機」と揶揄(やゆ)し、敵視していた。

スマートホンはもちろん携帯電話も存在しない時代のことである。


会社と社員個人とを繋ぐものは公衆電話ぐらいのもので、これとて、会社から
外出中の社員に緊急連絡するのを目的にした機器ではない。

オオザッパな外出先のメモを残しているのだが、よっぽで無い限り「訪問先の
後追をいしたり、探したり」しないのが「暗黙の了解事項」となっていたよう
である。

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左のイラスト画が、「ポケット・ベル」なる
機器である。

ただ単に「至急、自社にTELを入れろ・どこそこ
へ電話しろ」の連絡だけで、それ以上の何物でも
ない。




呼び出しを受けた本人は、「公衆電話」を探すか、
得意先の電話を借りて、連絡する以外、手立てはない。

このポケベルを口元にあて「ハイハイ、俺になんか急用?」とやれば、
「アホの部類」か、あるいは「まだ見ぬ文明」を予見できる「天才」かの
いずれかである。


その人を呼び出すためだけの非人間的機器、ポケットベル(ポケベル)
出現も未だ先のことで、oldboy君、ついぞこれを持たされた記憶はない。


従ってoldboy-elegy君、、パソコン・スマートホン・ガラケー などの
電子
通信機器とは殆んど無縁のサラリーマン生活を経験した最後の世代かも
しれない。

 

               ★★★3

        はたして、これらの機器・ガジェット類、は人々を
   解放して、まだ経験したことのない幸せを人々に、もたらすものなのか、
    それとも、たんに、われわれ一人一人を、管理するために存在する
        経営者的、便利
機器になり下がるのかは未だ分からない。
    
少々、無責任な言い方かもしれないが、oldboy君が社会人として生きた時代は、
ある意味、良き時代だったと、言えるかも知れない。
あの時代、持ち物と言えば、せいぜい、手帳ぐらいのもので、首に巻いた、
「首輪」は無かった。



九州担当の営業マンなどは、時々、金曜日くらいから行方知れずになり、
地域の問屋さんの社長さん等と韓国に渡り、ゴルフ三昧に勤しむものもいた。

oldboy君(企画部)の場合、定期の国内出張はない。
ときおり、第3国に、ヤボ用ができた折など、お鉢が回って来るのが楽しみで
あった。

何かと人間的?な、計算や都合がだんだんと、OC(オフコン)導入により
難しくなり、
融通が効かなくなっていくのは、未だもう少し後の時代である。

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出張旅費の精算も、経理係長が首を縦に振れない領収書も存在する。
一晩で2軒・3軒と梯子(はしご)した場合や、何か怪しげな匂いのする
領収書がそれである。

これとて、フィスコンピューターが入ったばかりに、今まで経理課の
担当課員
の便宜で習慣的にやっていたことができなくなってきたのである。

営業のF氏が、なにやら経理課のA氏に向かって、手を合わし、切なげな顔で
頼み事をしている。

その会話の内容を聞いてみよう

経理課の係長さん
「私だって、これまで通り、してあげたいよ、だけどオフコンの設定費目には
ないんですよ、
それに、わたしの気持ちだけでどうにかなるもんでもなしあの機械さんが
ウンと言いまへんのや、あれ賢いのか、アホか分かりまへんわ」

つまり、こう言うことらしのである。
彼、今月の出張、過度の認められぬ遊興費が禍(わざわい)してか「精算の
為の返金」が手元に不足してしまうので、その不足分を、「個人貸付」にして
欲しいとお願いしているとの事。

それで、来月の出張の折の「旅費の仮払い」時に、今月の「精算不足分」を
上乗せして借りて、その場で今月の「個人貸付」を精算、これをくり返し、
ボーナス月で完全精算すると、仰っているのである。

この方法、当社では、これまで経理課の好意で普通に行われていた方法だが、
オフコン導入時この悪習慣を廃止しょうとの、話もあった。
それよりなにより、この悪慣行、夫婦者の場合、奥さん連中に極めて不評で
あった。

ボーナス額は、組合との団体交渉で「夏・冬」の金額はすでに決まっている、
ただし営業関係のダンナを持つ、奥さんたち、「仮払い制度」のおかげで、
実際いくら手元に残るのか、ハッキリしないのである。

こんなところでも、人間と機械との衝突があったようである。

もし、oldboy-elegy君が50年前のマインド(心持ち)で現在によみがえり、

就職し働き出したなら、おそらく、ひと月待たずに、不適格人間の烙印を
オデコ
に押され、クビになること、請け合いであろう。

なになに「それ以前に就職さえ叶いませんよ」の声がアチコチから聞こえる。
まあ、それも「真」であろう、「コリャー!!!」


         では では 今日はここで  おいとまとする

                  
     

                     oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

oldboy-elegy (41) 高校生(エロ坊主)のころ、 隠し持った、三種の神器を母に見つかった。それで叱られたの?いや、むしろ誉められた?!


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このイラスト画は、わが母が
oldboy-elegy君のための「衣替え」
やっていなさる図である。
「チョット若すぎるやろ」の
声もチラホラ聞こえてくるが
そこは許していただこう。





ただ着物姿に割烹着を着ておられないのが少し寂しい。

時は高校2年の秋であったはず。




    
                  ★
       今日の話の出発は、この「衣替え」から始まった

「衣類、入れ替えるわよ、来週一週間、予定して置いて」と母の威勢の良い
声がひびく。
つまり「春・夏物」をしまい、「秋・冬もの」を出すわよ、と仰っている
のである。

今にして思えば、この母の一声が全ての始まりであった。


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左のイラスト画像は母である。
「衣替えの作業中」の折も、もちろん
和装。

ただし、着物の上から、白の割烹着で
身を包まれる。

本来なら、その「雄姿」をUPしたい
のだが、残念ながら割烹着姿の画像は手
に入らず、
これにて、ご勘弁を。

お歳の雰囲気もなにやら
近しいものが
感じられて気に入っている。







ゆうに、50年以上昔の話であることを踏まえて読み進めて欲しい。

 





母の言う「衣替え」とは、単に「衣類」の入れ替えだけはない。
これから、しまう「夏物」は全て手洗いをして、キッチリと天日で干すの
である。
それでも気になる汚れやシミがあれば薬品で落すことも作業の一貫を成す
重要な過程なのだ。

余計なシワが出ないように、キチンとたたみ、収納し、押し入れに段積み
される。

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上のイラストは、母手ずからの「棒針編み」のセーターである。
小学校時代はイロイロの図柄が前身にデザインされていた。
さすがに、高校生にもなると、すべて無地物に変わっていた。


7才違いの妹の分も、同時に衣替えをなさる。
そこそこの量である。
とうぜん、入れ替わりに出て来る「冬物」などは、樟脳の匂い抜きのため、
天気の良し悪しを見ながら、家のウチ、ソトに「所狭し」と干される事に
なる。



このお方、本当に体を動かすのが「楽しくてしょうがない」との,ご様子だ。

ただし少々、休憩の多いのが難点。
キセルでタバコを吸うための小休止である。
「ア~そうそう」いで立ちは、当然着物姿で、シロの割烹着(カッポウギ)
をその上からハオッテおられるのは、いつもの事。


「もうそんな時期か~?、しやけどウチの学校、衣替えなんか適当みたい
やど」とだらけた学校に通う、だらけた生徒がのたまう。

※ 「しやけど 」は大阪・河内の方言? 「だけど」が標準語?、
良く判らん。

「そうよ、もうそんな季節、あんたなんか、ほっといたら、いつでも同じ
服やから、味も素っ気もあらへんわ」と母。

そう、まさに、「歳時記」で言うところの「衣替え」の行事そのもの
なのである。

その中には、母がウールの毛糸で編んだ、自作の創作セーターの4~5着や
マフラーも数本、含まれている。

さりとて、ldboy君がこの作業に加わることはない。
学生服一式(上着・ズボン・学帽・シロの長袖シャツ)をこの間、確保して
おけば事足りる。

時は、彼、高等学校2年の秋で、そろそろ、「大学進学」を本気で考えても
良い頃
の話である。

彼が帰宅する時間帯には部屋は、少々、樟脳臭さが漂っている他は、
見た目に変わりはないが、ほぼ、片付いたのだろう。

ただ、木製のチープ(安っぽい)な洋服箪笥の中身はガラッと変わっている。

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左は洋服タンスのつもりの画像、絵が
下手な分
安っぽく見えて丁度よい。

画像はネット上にたくさんあるが、
殆んど、ニトリやアマゾンのもの、
しかたなく、自前で調達。

     
     


 



               ★★

            母の煮え切らぬ告白


          「衣替え」も終わったその週末、
     oldboy-elegy君が帰宅するのを待って
いたかのように、母が
      
「あんた、〇✖屋のクリームパン、ジャムパン食べる?」
         と部屋の外からおらんでらっしゃる。

※「おらんで・・」 大声で叫んで、位の意味の河内弁、多分
         

彼、一瞬「!???」状態になる。
母にしては、持って回った、言い方である。
とうぜん、こちら、この時間、腹をすかして帰宅するのは、いつもの事、
その上〇✖屋の、これまた大好きな菓子パンがあるらしい。
小学校の上級生になった七つ下の妹の分も当然、用意されているはず。

それも2個の割り当てなのだ。
それを「食べるか?」と聞かれたもので「!???」と相成った次第で
ある。

「腹減ったー、はよくれー」と俺。
一瞬、おかしな聞き方しよる、思ったが、その思いはすぐに何処かに霧消。

「うちも、自分の分、あんパン買(こ)うてきたん、部屋上がってええか?、
一緒に食べよ、お茶用意して来るは」と母。

oldboy君、母の前で、お茶も飲まずに、一瞬でジャムパンを完食、

少し腹の虫も収まったのか、母のさきほどからの、らしくない言動に
気が行く。

母を前にして「オカシイ、なんか母ちゃんオカシイは!?」と、口に
のぼせたのである。

「うち、オカシイの分かるか?」と母

この時点で、「親父とのことで、なんか不味いことでも」と思ったのだが、
さすがにこれは、口にはだせなんだ。
残りの、クリームパンは盆の上に載ったままである。

なにかがおかしい。
「ハッキリしいや、いつもの母ちゃんらしくないやん」と母にセッツク彼。

お茶をゴクリと飲み、母はやおら正座になりなさる。
こんなこと、されたことはない、なにやら、こちら、緊張感がつのる。

そして母の口から、ついて出た言葉が
「ゴメン、ほんまにゴメン、言わんままにしょうと思ッとんやけど、
ウチの
気性からいうて、絶対無理やし、余計しんどなるさかい、今日言うて
しまおう
と決心したんや

oldboy-elegy君「???」のまま、
「もうそれは分かったから、ハッキリ言うて」と何もわからぬまま、
ドキドキしている自分がいる。

母は下を向いたまま
「ゴメンoldboyちゃん、見てしまったんや!!、あんたの秘密の物!!」

先ほどの、チープな洋服ダンスの画像をもう一度みてほしい。
このタンスの右開き戸の一番奥に、3段の小物入れ用の引き出しが置いて
あるのである。

oldboy-elegy君にとり、この小ダンスは、取り敢えず、少々、心やましい
物を入れ置く小棚であったことは間違いない。
しかし3段の一番上段は鍵がかかるこしらえになってたはずだが、使用した
憶えもない。


「なにがなんでも、絶対に秘匿すべきもの」と言う意識も薄弱であった、
ようにも思う。

「いった
何が入っていたのか」すぐに認識できずにいる、彼。

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               ★★★

       三段の小引き出しに入っていたもの

とりあえず、最初に思い出したのが、手紙類である。
殆んど、中学生のころに貰った、恋文とも言えない幼い手紙である。
10通近くあった、はずである。

今では、通っている学校も違うし、その中の幾人かは、もう働いている人
もいる。

もらった手紙を返せと言われたこともあった。
たまたま、その彼女に仕掛けたイタズラに激怒され、中2階の踊り場で取っ
捕まり、腰に乗せられ、あえなく木製の壁に投げ飛ばされたことである。
こともあろうか、その娘からも、手紙を貰っていた。

いかんせん、oldboy君、中学生の初め頃など、意識は子供中の子供で
あったようだ。

そんな手紙でも、もう学校も違うし、出会う事も考えにくいが、それとて
廃棄、償却するには、しのびないものがある。

じぶん的には、勝手に「処分は高校卒業のおり」と決めていたものである。


瞬間に事情を呑み込んだ彼、

「洋服タンスの奥の、三段の小ダンスか?」と力なく尋ね、目線は洋服
タンスを見ている。

母いわく
「それぞれ、じっくり見てへんよ、しらんままが良かったのやが、時、
すでに遅し、と言う事や」と。


瞬間の俺・無言のままの脳内映像
①タバコ  たしか「しんせい」1箱、封は切ってあるはず。
試飲はしてみたが、「ウへッ」となっただけで、今はこの3段にお蔵いり。

②手紙   10通前後 先ほども書いたように、高校卒業時に廃棄・償却する
つもり、当時、唯一の女友達であった「Tenko・テンコ」からの手紙はもともと
存在しない。
  

③ゴム・スキン・避妊具 今では普通にコンドームと言う、問題はこれ、
もちろん、今ここで「天地神明に誓って」言うが、おのれが使った 
ことはない。
ただ都合の悪い事に、5個か6個入っていた小箱の封が切られていて2個ほど
減っているはずである。
高校の友人に、話の都合上、oldboy-elegy君が買い、進呈した時の残りである。
これを、どのように言い、説明するかが問題である。
あるがままに、実際を話すしかない。

④あと、エロ本、好色本の類だが、何回か仲間内での「回し読み」の経験は
あったが、その都度 返却しているはずである。



                ★★★★

             さすが母上、話が旨い
         oldboy君のこと、傷つけずにお話、最後に俺、
           「別に怒ってないよ」でけり
           母も、胸をなでおろしたはずである。
         

母が最初に口にしたのが、問題の「コンドーム」の件である。

「あのスキン、あんたのやろ?」が、母が最初に発した言葉であったと思う。

oldboy君、
「うん」と答えながら、先ほどの「反論、言い訳」を口にしょうとした時、
母が、なんと、俺より先に「あんたは偉い!!、それに優しい!!」と言う
意味の言葉をおっしゃたのには驚いた。

「最後の最後、泣きを見るのは、女やからな」と吐息交じりに、そう遠くない

自分の過去を、思い起こされたのかも知れない。

チョットした「思い違い・ゆき違い」もあったが、oldboy君、その場で
訂正は
しなかった。

「ゴメンなoldboyちゃん、あんたの名字が、お父さんと違う事・・」

なにか話の方向がおかしな方向に向かう。

「おかん、その事に就いては、ホンマにホンマ、なんとも思ってないし、
むしろ親父の平凡な名字よりカッコいいと、思ってるぐらいや」と答えて
いた。

この言葉には、偽りはない、心底そう思っていたのである。

「もう、その件で親父と口論すんなや、このままでええやん」とoldboy君
「せやけど、あんた、就職の時に、響いてくる、って、誰かが言うたはった
よ」と母。

生涯 母は親父とは「内縁関係」のままであった。
もちろん、oldboy君は今も、言わゆる(私生児)のままである。

※今「私生児」なる言葉を使ったが、昔は「認知されていない子供」のこと
をそう呼んだ。
同時に少なからず「侮蔑」の意味も込めれたものであったらしい。
今では、書面では「非嫡出子」とされ、言葉で「嫡出子でない子」と呼ばれて
いるらしい。

当のoldboy君、母の胸中を「おもんばかる」故か、これに関しては、少々
距離を置いてきた感が強い。

この「私生児」なる言葉には「侮蔑」の印象が含まれるらしいのだが、ここは、
他人の事ではなく、当人oldboy君の事で使用しているので、許していただく
ことにする。

なんだか、妙な展開になった。
ことは、母の言葉で終始した。
oldboy君、「いまさら、なにをか言わんや」の心境である。
とどのつまり、この話は言い訳することなく、終わったのである。



最後に母「あ~、内緒にせんといてほんまに良かったわ、気分がスーとした」
は心よりの「本音」であったはず。

妹が遊びから、帰って来た。
とうぜん、母のあんパンを見て「うちも」とせっつく。
「お茶、入れ替えて来るは」と正座を解く母。

このチョットした事件は、母にも、oldboy君にとっても、「必然が招いた」
「当然の成り行き」であったように思う。

「俺、今年の年末のアルバイト二つ掛け持ちで大忙しや、きついけど、
給金ええんや」。

鶴橋の国際マーケットの卸鮮魚店と、インデラコーヒー店近くの花屋、
ハルさんの
門松造りである。

この折のアルバイト料が、高校の修学旅行で使用した革靴とハーフコートに
化けた
のである。

グレーのハーフコートには甘酸っぱい、青春の思い出が、今でも鼻腔を
くすぐる。


修学旅行の関西汽船の夜間船上デッキで、Tenkoテン子」と二人してコートに
クルマリ、時を過ごしたことである。


「あんた、アルバイトもええけど、勉強ガンバリや」と最後に母のキツーイ
一言、痛いところを突かれることになった。

  以上、少年期の男の子の誰でもが経験すると言う、oldboy-elegy君的、
        「成人への通過儀礼」の話の一コマである。



     それでは今日のお話も、これにて終わりにする。では では

       
                
              oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

oldboy-elegy (40)われら「チビッ子、柿泥棒団」、結果、学校に呼び 出され母子ともども説諭される。

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このイラスト、小学校での授業参観の図である。子供達はもちろん、父兄の服装もカラフル、同時に清潔感も漂う。
これを白黒写真にし、少年達を少々薄汚れた存在にすれば、当時の雰囲気になるかもしれぬ。


 





                                                             ★

      母が学校においでになった回数は、そう多くはない。
     小・中・高・大の16年間の内、ほんのわずかである。     
       特に高・大学には一度も来られなかったはず。
    スポンサーであった母に、喜んでもらう機会は今はもうない。
  親不孝な息子だったと、猛省しているが、今となっては、どうにもならぬ。
        
  
小中学校9年間て授業参観、運動会、学芸会などの公式行事で学校に
来られたことは、なかったはずである。

「どうすんのあんた」と母、「来んでもええ」のoldboy君の一言で「分った」
で終了。
以後、小中の9年間、母の自らの意思で学校行事に出向くことは無かった。

だが例外が一度だけある。
小学校の卒業式がそれである。
それ以外の来校は全て、oldboy-elegy君の「悪さ」が原因の「呼び出し」と言う
ことになる。


ただoldboy-elegy君にも、母に明かしていない理由があった。

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母は無類の着物好きで、、真夏のころを除くと殆んどを着物で通した人で
あった。
炊事・洗濯など家事をする時も、それは変わらない。
ただ着物の上から、真っ白の割烹着(かっぽうぎ)を羽織り、着物の袖を
それにしまい幅広のゴムバンドで閉じ込めるのである。

戦後も10年をすぎると、世の中の女性の服装も、洋装が主流になってくる。
oldboy君、良く判らいまま、母の着物姿が気に入らなかったのである。

母は間違いなく、和装でお出ましになるのが目に見えていたのである。
どうもそれが「年寄り臭く」見えてしまうoldboy君であった。

着物に信玄袋、天候によるが傘も加わることもある。
ここで言う「傘」とは「日傘」のことである。

この古式蒼然とした母の姿を、学校で目にすることに、抵抗感があったのは
正直なところである。

ただ、今に思えば、もう少し優しく出来なかったのかの気持ちが大きい。
もし、あの存在感と気質を今、目にすれば、「自慢の母」であったと断言
できる。

そんな母も居なくなって久しい。
すべて「あとの祭り」とは、この事を言う。
「母ちゃん、ごめんな・・・」

 

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それにもう一つ、母は無類のタバコ好きである。
それも両切り(フィルターなし)タバコをハサミで切り分け、長キセルに差
し込め、天井に向かって「プカリプカリ」とやりんなさる。

母が果たして、「学芸会や、授業参観」の数時間、辛抱なさるかどうか、大いに
疑問なのだ。

                ★★
   中学2年生の頃、体育教師に本気で 首根っこ押さえこまれ、
               拳固(げんこ)で連続10発位殴られたことがあった。
    このおり、学校に呼ばれた母が、最期に安心してか、
                     学校の応接室で紫煙(たばこ)をプカリ

 
ズット後のことだが、中学生の頃、これもoldboy君の事で、母が学校に呼び
出された事があった。
この時は、我が息子が「100%」悪くない上、教頭・担任が、我々二人に、
「体育の教諭が振るった暴力」に対して謝罪されたことがあった。

この時など、しおれていた母が、ことの全容を知り、俄然、元気を取り戻され
たのか?

灰皿お借りしますね!」と言いながら、自分の信玄袋からタバコを取りだされ、
そのまま一本にマッチで火を付け、着物に包んだ身を斜に構え「プカリ、プカリ」
と天井に向かって、やり始めなすったのである。


oldboy君、あの「柿泥棒」の一件からおよそ5年の月日が経っていたのだが。
不思議なもので、その時の母の姿を目の当たりにして、「カッコ良く」も見えた
のも事実である。

先生たちも、目のやり場に困っていらっしゃったのではと思う。


              ★★★

         2~3か月遅れの小学校の入学時
         母と同行して教室に入ったのが、
       親子ともども初めての学校体験であった。


二か月か三か月遅れでの入学であり、もちろん母は自慢の着物姿であった。

以後、
彼女はネガティブな事での呼び出しには「私の専任事項」とばかりに、率先
して学校に出向いて来られた。
もちろん正装の着物姿で。

oldboy-elegy君の悪さが元で呼び出しを受けたのは9年間で4回ほどあった。
その一つが、小学校4年生ころの「集団柿泥棒」である。
参加したガキ達はおよそ10人ほどであった。

                ★★★★
     小学校時代の「集団柿泥棒」で母が学校に呼び出される、
        この時が母の2回目の学校体験である。
     もちろん最初は、あの数か月遅れので小学校入学のため、母と
     同行し、直接教室に入って以来のことである。

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oldboy君、背に帆布のリュックサック、手には細い竹の一本竿(さお)と言う
いで立ちで「柿泥棒」に参加。

竹竿で何をするのかって、もちろん、魚釣りである。

河内平野(大阪)を東へ4~5キロも歩けば、生駒・信貴(いこま・しぎ)の
山並みに突き当たる。

途中には灌漑(かんがい)、消火用の大小の池が点在する。
そこでは、コイ・フナはもとより金魚なども釣れたのである。

もちろん、目指す柿の木も、池の魚も土地の人達の私有のものである。

ハッキリ言って、oldboy君達は子供の窃盗団と言っても良い、存在だ。

地元の人達に見られないよう家並から孤立した柿の木を見つけて、もぎり、まず
その場で試食する。
  
一応、それらが他人様の物であることもガキンチョ(わんぱく坊主達)も解って
いたようである。
いわゆる言うところの確信犯である。

試食と言うのは、この柿泥棒一味、見ただけで「甘い、渋い」を見極める
技量のものはいない、そのためイチイチ食らうのである。

最初の一人が「渋ッ」と顔をしかめ「ペッペッ」と吐き出しても3人なら3人、
5人いれば5人、全員がその1個にかぶりつくのある、
嘘をついているのではと「疑心暗鬼」の体(てい)なのだ。

とにかく、あさましいかぎりである。

 

翌日、運動場での朝礼のおり「参加したものは一歩、列から離れなさい」の
アナウンスがあり、oldboy君、殊勝にも列から離れる。
どこでどうなったのか分からぬが、ともかくバレバレであった。

彼の保護者は、母である。
父とは名字も違う、とうぜん母が保護者としての責を問われる事になる。

                   ★★★★★
                    最後に

実は、中学校の時、もう一つ、oldboy君の良くない行状で、呼び出されたこと
があった、。
それを含むと、9年間(小中で母が学校にお出ましになった)で以下の通りに
なるはずである。

●母子二人だけでの入学しき? ●柿ドロボー ● 小学校卒業式 ●体育教師に
殴られた時 
●秘密(記事化していない)の5回になる、間違いはないはずである 

この中に「秘密1回」とあるが、記事化して良いものかどうか、ズット迷っている。
この事件?、結構見知っている、奴もいるはず。
しかし、「書いても大丈夫」だろうと、思う自分も、何処かにいるのも事実である。
つまり事件?の内容が分かれば、人物の特定に至ることもある。

「クワバラ、クワバラ」もう少しそれには「手つかず」のまま置いておこう。


この頃、涙もろくなり困る。
これが歳を取ることの、顕著な現象の一つかも知れない。

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小さな仏壇の母のポートレイトの前の小皿に、封を切ったタバコ、
「エコーシガー」が置かれている。

oldboy-elegy君は「エアータバコ」で禁煙に勤しんでいる、身である。

「フン、小生意気なヤツ、なら最初から吸うな!」と仰っている母が、少し
微笑んでこちらを見てらしゃる。

それでは今日は、これでおいとまする、母にしかられた夢でも見れたら最高だ、

             ではでは お休みなさい

                  

                 oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 28 ) 禁煙エレジー・「エアータバコ」なるスタイルの「禁煙方法」で「禁煙中」です。2021・01・27で満4年になりました

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またも、へたなスケッチを掲載
します、ゴメンなさいね。

今、oldboy君がエアータバコ用で
使用しているものです。

銘柄はECHO・cigars(エコー・シガース)で税込みの400円。





cigarsとは葉巻を意味するのですが、見た目は紙巻たばこで、oldboy君
には、そのあたりのことを、キチンと説明ができません。

ともかく、紙巻たばこのつもりで「エアータバコ」として使用しています。

1箱20本でほぼ一月分です。
通常の紙巻たばこは去年の価格改定で550円程度に値上がりしたようです。
ヘタすりゃ、その日の昼食代より高くつくご時世ですね。

オーストラリアでは1箱20本入りで2000円を超えているそうです。
ともかく、火を付けないで、使用するので、味は二の次、安い事が一番です。

 


                                ★
       まず、oldboy-elegy君の現状の禁煙報告をいたします。

おかげさまで、2021・1・27日をもって、禁煙、満4年が経過したことになり
ます。

けれど「禁煙しました」「タバコを止めました」などの表現は今もって、
しないよう、心がけています。

なぜなら人生のある時期、一定の期間「喫煙の習慣」を持った身なら、
それ以後の貴方は「決して非喫煙者」の列に加わることは無いとoldboy君は
考えているのです。

大仰に言えば、この世には「タバコを吸わない人」「吸う人」「禁煙中の人」
の区分が存在します。

oldboy君が思うこの区分、
「吸わない人」とは、吸った経験のない人のことで、
「吸う人」とは、文字通り、今吸っている人のこと、
そして「禁煙中の人」の3区分にしか分類できないと考えるのですが、どう
でしょう。

ただし、吸ったことはあるがタバコのニコチンや煙を「体が受け付けない」との
理由で「吸えない人」は、当然「吸わない人」の区分です。

ここで問題なのは、「禁煙中の人」についての「在り方・考え方」だと思うの
です。
好んで得た「喫煙の習慣」を、なんらかの理由で、今度は自分の意思で放棄する
決断をした方の場合、「禁煙は出来ても、喫煙を完全に放棄するのは」難しい
思うのですが、どうでしょう。

そして禁煙中に、あなたがもし人生における、ナンギに遭遇した時など、知らず
のうちに、指先にタバコがはさまっているかも知れません。

だからと言って「負け犬」ではないと思うのです。
ただ深く考えず、「気楽」にエアータバコを実行するのが「寛容」かと思うのです
がどうでしょう。

ただそれほど、「喫煙の習慣」から離脱するのは難しいことなのです。

 

                ★★    

   どのような喫煙習慣の人が「エアータバコによる禁煙中!」に持ち込める
        可能性が高いのか自身の経験から言ってみる

     

  実はこの禁煙ブログ、今回で4回の追記事となります。

禁煙開始日       2017・01・27 
初回 エントリー記事が 2019・06・13 ブログ開始4月
二回目     記事  2019・11・19
三回目     記事  2020・03・10
今回の     記事  2021・01・27
       時系列的には上記のようになります。

oldboy-elegy君の禁煙の動機は重度の風邪症状で「喫煙にドクターストップ」
が宣告されたのが始まりです。

10日ほどタバコ断ちをし、体調も概ね回復、そろそろ「タバコ」をと思い
始めたころ、自分の体に生じた幾つかの変化に気が付いたのです。

●恒常的にあった喉(のど)のイガイガ感が減少、「爽やか感」さえ感じた。
●もう一つは、尾籠(びろう)な話で申し訳ないのだが、鼻汁、鼻くそが、
なにやら、何時もの色ではなく、白っぽく、透明感のあるそれに変わっていた。

自分の場合、以上の2点です。

わずか10日程度の禁煙で味わえる至福の感覚です。

これを強く自覚し、もう少し禁煙を継続すれば次にどんな「良い事が」が
あるのか、との思いがキッカケでした。

   
              ★★★
    oldboy君のこれまでの「喫煙」スタイルはこうだった

しかし全て順調に経過した訳ではありません。
もちろん、人並みに「禁断症状」はあったのですが、それを克復する方法が
oldboy-elegy君の場合「エアーたばこ」だったように思います。

もともと、胸いっぱい、肺一杯に吸煙して、ゆっくり排煙するタイプの
喫煙者ではなかったようです。

タバコを「吸う」と言う行為そのものが「極度」の習慣性を帯び、ニコチンが
どうのとは少し違うのかな、とは以前から感じていました。


朝、目覚めた瞬間から
寝起きに1本・食事の後に1本・新聞を読むとき・出かける前・電車のホームの端
に喫煙ルームを発見した時、と言うように行動の変化の節々(ふしぶし)で喫煙
していた様です。

気が付けば、一日、約30本ぐらいの本数になっている、喫煙スタイルでした。

世の中にはoldboy君ような、喫煙習慣の方も大勢おられるはずです。
「エアーたばこ」での禁煙効果は、このような方に効果が大きいと思うのです。

おかげ様で、この4年間、タバコとライターを持ち歩いていたのですが、一本の
タバコにも「火」をつけたことはありません。

ただしこの「エアーたばこ」なる方法の励行(れいこう)には変わりありません。

         

          ★★★★   

           さて「エアータバコ」とは

      この名称は、公に規定があるわけではありません。
      oldboy君
が勝手に付け、規定、概念化したもので、
          半分ふざけ心が入っています。

         
初めてこの記事を読まれる方のために、oldboy-elegy君の言う
エアーたばこ」の概念(少々おおげさ)を再掲しておきます。

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(エアータバコ)とは

シャベル(スコップ)や座敷ボウキを手にエレキギターを疑似演奏、
または何も持たなくともその気になりきる奏者?の本気度とその
パフォーマンスをエアーギターなどと言うらしいのだが、そのシャベル
やホウキを本物のタバコに置き換え、火を付けず疑似喫煙する行動を
エアタバコと言う
以上がoldboy君、言うところの概念です。

 

 

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つまり、本物のタバコに「火を付けずに」疑似吸引をする行為である、
と考えてください。

 タバコは「フィルター付き」がお勧め、何回も繰り返し使用可能です。
ただし、紙巻部分とフィルターの境界部分に湿り気が出てきたり、変色
してくれば取り換えねばならないのは当然です。

 気楽にポケットやバッグに入れて持ち歩くのが良いかと思います。
なぜなら、「いつでも吸えるよ!」のノープレッシャー状態に身を
置くのが自分には良かったように思うのです。

 
まー、ひとそれぞれ、自分に合った方法を気軽に選択し、最終的に
「エアーたばこ」に無理なく持ち込めたならOKです。

           ★★★★★
  1週間から10日間ほど実行したころ、自分の体の状態の変化をじっくり
         観察するのが大切なことです。

必ず、何かしらの良い変化が見つかるはずです。


 ほんの些細な変化でも、感じたり、気づいたりしたなら、きっと「明日から
のエアーたばこ」への大きな原動力・モチベーションとなってくれるはずです。

●喉のイガラッポサが軽減したように感じる。
●呼吸が楽になった。
●他人の喫煙の煙が気になりだした。
●自分の喫煙部屋のニコチン・タールの匂いをすこし感じる。
●鼻をかんだ時、鼻汁が少し綺麗になったように思う。
●時たまタバコを吸うタイミングを忘れていた。
 などなど
             
              ★★★★★★

    oldboy君が希望する、「エアータバコ中」のチョットした気遣い


あー、それに喫煙者からの流煙に対して、その人の眼前で「手の平を
ユラユラ」など、あからさまの、嫌煙行動はして欲しくないですね。
そ~と、その場から、立ち去るぐらいの「やさしさ」を示して欲しい
ものです。
だって、その人は、昨日までの「あなた」の姿なのですから。

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            ★★★★★★★

             最後に一言

取りあえず、禁煙4年記念?として記事にさしていただきました。
おひとりでも、この記事に賛同して実行、長期禁煙に持ち込めたなら 
嬉しいかぎりです。



今、ブログ記事を書いています。
oldboy-elegy君の左手には着火していないエコーシガー1本が握られて
います。

とうぜん、ヘタクソなタイピンの合間に、本物のタバコを持って
いる感触とともに、喰えた時、鼻腔のあたりにかすかに漂うタバコの
芳香を、
楽しんでいます。

      それでは真夜中も、少し過ぎたようです、
        おやすみなさいませ、ではでは



                追記

この方法で上手く、禁煙できなかったとしても、非難しないでくださいね

          

          
 了
             oldboy-elegy

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oldboy-elegy (39) 台湾(台北)の映画館での彼、未知の体験と感覚に遭遇する!?

 

 

                   
                  ★
                 初めに

               
「ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからも
きっとこうでしょう、ハイ」

 

上記の一節はoldboy-elegy君の、「ブログの簡単紹介」の全文である。

見方に依れば、ふざけ、居直り、と取られかねない文面だ。

若ければ、「もっと先の人生」に「焦点」をあて、日々、研鑽のアクティブ
自分を書いていたのかも知れない?,

いやいや、それはないだろう、きっと今と同じ趣旨の記事を書いていた
ろうと、
確信する。

そうかと言って、人からも、世の中からも、「物分かりの良い人・好々爺」
「良い人よ」とは決して言われたくない程度の「反骨精神」は堅持したく、
思っている。


そんな、こんなの気持ちを凝縮し、文章にしたのが、もう一度、書く

「ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。
これからもきっとこうでしょう、ハイ」
となるわけである。

いまさら宗旨を変えても、人間そうそう、簡単にどうなるものでも
あるまい。


今日の記事は台湾での体験記事、第2段である。
一つ目は2020・12・11出稿の「シェスタ・食事後の昼寝の習慣」であった。

今日は
映画館での出来事を記事化してみた。

因みに時代は
東海道新幹線の開業と東京五輪は1964年のことで、今日のお話は、これより
5~6年後のことになる。

 

                 ★★

               今日の主題、
     oldboy-elegy君が台北・タイペイ(中華民国・台湾の首都)の
        映画館で偶然、遭遇
したあることを記事化した。

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oldboy-elegy君が、台湾・台北市の、映画館で目撃した、ある情景が元に
なった記事である。
その時の不思議な感覚と、ある種の感動?について語りたい、と思う。

少々、鈍感なoldboy-elegy君の心に去来した事なので、旨く文字にできるか
どうか心配である。

映画館での、彼等、観客の行為に、そしてこれを見たoldboy君の背筋に
なにか得体の知れない、これまで感じたことのない、ピリッとした電流が
走ったことは否めない。

日本との国交が閉ざされる(1972)前に3回ほど、社用で訪台していたので、
この内のいずれかの時であることは間違いない。

多分1970年前後の事だと思う。

oldboy-elegy君、就職して数年の内の、紅顔の美少年ではなく美青年??
であったころの事である。

その日の仕事を終え、早目にホテル戻り、近場(ちかば)の繁華街をキョロ
キョロ、ぶらぶら散策中に映画館が目にとまり、なにげに入ったことがある。

興行中の映画が何だったのかは、まったく記憶にはない。

そもそも映画を見たいので入った訳でもない。

この国の映画館の雰囲気は「どんなかな~」と体感したかっただけなの
かも
知れない。
彼にとって、このような行為は楽しくもあり、珠玉の時間でもある。

近頃、国外に「チョットしたヤボ用」ができた時など、oldboy-elegy君に
お声がかかる。
暇そうに見える御人なのかもしれない。

彼自身、初めのころは、「イヤだな、荷が重いなあ」と思っていたのだが、
基本、極楽とんぼの彼、自分のペースで自由に動けるこの仕事、気に入り
かけた頃の話である。

「今日の映画館へのご入場」も、この延長線上にある。

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上掲のイラストは屋台である。ただしここは台湾・台北だと思ってくれ。


退屈するようだったら、取りあえずホテルに戻り、近場の裏通りの屋台で
一人食事」でも、ぐらいの軽い気持ちである。
これも彼にとっては「心躍る」楽しみの一つでもある。


映画館内はそこそこの入りだが、満員と言う訳でもない。 

座ったのは一階席の真ん中からスクリーンに向かって左側部分であった
はず。


                ★★★
      映画館内の照明が落ちた瞬間からoldboy-elegy君の
          未知への体験が始まった??


やがて照明がオチル。
このタイミングでoldboy-elegy君、日本で映画を見る際には、経験したこと
がない、
ある風景が彼の眼前で始まったのである。

何が起こったのか皆さん、想像できるかな?

闇の中でなにやら中国語の簡単なアナウンスがあったのだが、彼には当然
理解できていない。

このアナウンスが終わると、突然、oldboy-elegy君以外の全ての客が、
暗闇の中でスクリーンに向かって起立、不動の姿勢をとったのである。

当然、彼「ウム、なんじゃコレ!!??」と座席に鎮座したまま固まって
しまった。

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次の瞬間、スクリーン一杯に「中華民国の国旗」が映り、同時に国歌
(National Anthem・ナショナル アンセム)が流れだしたのである。
ただし、この場の映像に蒋介石総統が登場したかどうかはハッキリしない。

中華民国、国旗の正式名称 「青天白日満地紅旗・せいてん・はくじつ・
まんち・こうき」と言うらしい、今ウィキで初めて知った、
誠に申し訳ないが、文字から目を離すと、うまく言えない。
いや、字を見ても舌が回らない、失礼・・・。

これで普段から幾分カスミのかかった頭脳のoldboy君でも事の事情に納得、
先ほどの館内放送はきっと、このことに対して国民(この場合は観客)の
国家への敬意を求めたもの
であろう事は察しがつく。

そこで、ここでは外人のoldboy君、着席したままでは、何か違うと判断して
か、
あるいは反射的にかは知れぬが、
やおら立ち上がり、両手の指をからめて、腹部に置き、首(こうべ)を
少しさげ、取りあえず自分なりの敬意を表した。

これで良かったのか、どうかはしらない。

ここで、少し気持ちに余裕のできたoldboy-elegy君、館内の雰囲気を感ず
べく少し視線を上げた瞬間、眼前に見た、もう一つの現実に驚愕し、目を
みはる。


考えてみるに、映画館の観客が総員、起立、国歌・国旗への不動の姿勢は、
準戦時下にあるこの国ではありうる事、かもしれない。

しかし、今、oldboy君が目の当たりにしたのは、直立不動の姿勢は勿論の
こと
腕のカイナを肩まで上げ、指先を顔の側面にあて、スクリーンに向かい
敬礼する
二人の若者のシルエットであった。

右手指先が右肩の上方で見事な三角をなし、やや顔を上方に揚げ、国旗に向け、
凛とした姿勢のそのシルエットはoldboy-elegy君を驚愕(キョウガク)さすには
十分だった。

ただし、見たものに対する雰囲気や感情は十分ありながら、その服装に
まで気が至らなかったのか、軍服であったかどうかの記憶が欠落している。

そこには、一点の疑問も曇りもない、oldboy君とほぼ同年代の若者がいた。

またこれらの、一連の動作と、それに伴う帰結は普段oldboy君が「忌み嫌う」
物事のはずのものである。

俺が、国旗と国歌に向かって「最敬礼」,、「ナイナイ、俺には出来ない」
と否定するが、なにか弱弱しい。



それが今、ある種の感動が背筋から延髄に走ったものはなんだったのか?!

oldboy君の普段の思いの一つに、「人間、いつか死ぬのは当たり前、ただ
戦争などでの
理不尽な死はごめんである」、と過去のブログの何処かで書いた
覚えがある。


瞬間、この思いも、超越する何かを「感じてしまった」のも事実である。
案外、彼、本質はプロパガンダや宣撫に弱いのかもしれないのかも。


ちなみに、日本は「神武以来、岩戸以来・・」の好景気とかで浮かれ状態
である。
問題はいろいろあるが、取り敢えずは平和である。

一方この国、中華民国では強大にして巨大な禍(わざわい)、である大陸の
共産主義国家、中華人民共和国が眼前に存在する、と言う現実があるのだ。


               ★★★★
           最後に、やはりoldboy-elegy君
           三日も経たずに、あの感動と思いはいずこに?!


oldboy君、それから暫らくして、映画を見ずして映画館を出た。


しかしoldboy-elegy君は基本oldboy君である。
あいも変わらず、ネクタイの結び目(ノット)も下がり、部のマスコットのK
子嬢の手を煩わしている。

「お客さんよ!、モチョットとしゃんとして」と、ネクタイの結び目を
上げられ首を
締められた。


              正月あけの、2記事目がこれ、今年も進歩がない予感が漂う。

          今宵これまで、 では では


                了

                         oldboy-elegy

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oldboy-elegy(38) お正月の「晴れ着」否、違った!!、「晴れ下駄」の思いでと、それにまつわるあれこれ

 

  

 

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この記事、oldboy-elegy君の「お正月」にブログUPするつもりで書いている。

なにか、正月らしいものはと、したためた記事案ノートNO1・NO2・NO3
および日々取りためたメモを繰る。
相変わらずの、緩(ゆる)い内容で、アホ(馬鹿)を売りにする物ならあるのだが。





およそ正月とは縁もない話ばかりで
、途方にくれる。

そんな中、えんぴつ書き、文字も擦過(すりきれ)状態ではあるが、

(2019・7)のメモの走り書きに「正月に、おとう(父)に買ってもらったシラオ(白い鼻緒)の下駄」の「一文」を発見する。

この瞬間、幾つかの情景が頭をかすめる。

彼、記事を書く場合、常日頃、大切にしていることがある。
それは、タイトル文を「思いついた」瞬間に、「情景や、錯綜する思い」の
「広がり」を感じるかどうかということである。

今日の記事は、「雑感・雑記帳」ではない。
「oldboy-elegy」のタイトルで始まるものである。
なぜなら、自分の人生の一場面を活写したものであるから。


                ★

    元日の朝、目を醒ますと、枕もとに、白い鼻緒(はなお)の
           下駄が置いてあった。

イラストの画像では黒の鼻緒(はなお)になっているが、oldboy-elegy君の
それは白い鼻緒の下駄であった。
それに、ニス(木材用の塗料の一種)塗りではなく、素朴な白下駄である。

白緒と黒緒の意味するところの「違い」は、知らない。



下駄を買ってもらったのは10歳のころのことで、元日の朝、枕元に置いてあった
のが最初である。

青年と呼ばれるには、まだほど遠いが、少なくとも「お兄ちゃん」にはなった
ような、ある種の「高揚感」が身を包んだことは憶えている。

なにか、大人になるための、通過儀礼のようなものだった、と今にして思えば
思う。

以後、中学3年か高等学校、初め頃まで毎年続いたが、何時(いつ)とはなし
に、この習慣も消えた。

父親も、大きくなった息子に、それも元旦の朝の儀式然とした行為など、少々
気はずかしくなったのかも知れない。

その上、時代が下駄を、そぐわないものにしたこともある。

とくに学生の履く、下駄については、そうである。

考えてもごらん、高等学校の油引きされた漆黒の木製の廊下を下駄の響き
高らかに「カランコロン」とカッポするわけにゆくまい。

だが、そんな輩(やから)が、いるにはいた、それも学校から注意された
様子もない。
oldboy君達が在席していたころの、高等学校、いまだ旧制中学校の雰囲気や
気風が残っていたのである。

「生徒手帳」にも、事細かな規則などは殆んどなくただ「本校の学生である
ことを自覚して・・・・」の一文が強調されたものであった、と記憶している。

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突然のお出ましで、ギョッとされたかたもおられると思う。
「俺は、猫である、ただし絶滅が危惧されている、イリオモテヤマネコなのだ」
あの旧制中学、生き残りのバンカラ学生ではない。天然記念物として崇められてもいる。お見知りおきを。



「下駄」も恐らく、やがての「絶滅危惧種」とみて「自然淘汰」されるもの
として
放置されたものかも知れぬ。
このような気風の学生を「バンカラ」あるいは「バンカラ学生」と言った。

こんな雰囲気の中、彼自身も、「下駄」は数回履いて登校したこともあった
ようだ。

新しい学帽などのてっぺんを切り裂き、もう一度それをミシンで縫い繕う
(つくろう)、野球用のグラブのワックスを塗りこめて被る人もおいでに
なった。

※「バンカラ」とは  主に旧制中学の風俗を踏襲した人達で、
「ヨーロッパ」感覚のおしゃれを「ハイカラ」と言い、それらの風俗や
思想までの「アンチテーゼ」として、ハイカラのハイをバンと入れ替えた。

因みに、「バンカラのバン」とは「粗野にして蛮なる人」ぐらいの意味では
あるが、決して完全なる否定語ではない、と勝手に理解している。

今では、ズット昔の郷愁を誘う言葉になっているか、死語に近い語彙に組み
入れらている。
「なんの、なんの、oldboy君、完全な死語ですよ」と大向うから聞こえてくる。

旧制中学の名残(なごり)も、やがて、消えゆく運命にあった、そんな時代
である。


しかし、こうして「下駄」の思いではしっかりあるのだが、何故か(足袋)の
記憶が欠落している。
ただこれも、足首後ろに付いた止め金具の銀色の金属の光が残像としてあるが、
果たして下駄と同じくして買ってもらったのかはっきりしない。
たぶん、主に素足で履いていたと思う、真冬でも。


                ★★
      下駄に添えて、「晴れ着」と言う訳でもないが
      「新品の晴れ下着」が数枚ずつ鎮座していた。


実は、正月元日に枕元に置かれていたのは、下駄だけではなかった。

それは(下着類)である。
綿でシロの半袖シャツ、ランニングシャツ、ブリーフの下着、それぞれ数着
ずつが下駄の横に置かれていた。
基本、これで1年、賄いなさいと言うことでもある。

師走の全ての仕事を終え、大晦日の終夜運行の電車に飛び乗り、これらの物を
買い求めるために鶴橋の「国際マーケット・闇市」まで、買い出しに行った、
父親に感謝。

                  ★★★
    oldboy-elegy君が最後に下駄を履いた時を、ほぼ特定できる。
      何故なら、下駄にマツワルある事件が原因


下記の文「・・・」は過去の記事からの引用で、 


  高校時代、下校時、3人組に襲われ下駄で顔面を殴打される、その時、唇の
内側を4針縫った・・・・、
犯人の一人を知っていたが面倒なので知らぬ存ぜぬで
すませた。
中学時代の知り合いである・・・・」 
 
以上引用おわり

 

上記の引用は過去記事 oldboy-elegy (23) でのものである。
文中に「高校時代、下校時、3人組に襲われ下駄で殴打される・・・・」とあるが、
実はその下駄、恥ずかしながら自分自身(oldboy君)のものである。
もちろん、3人は他校生である。

襲われた原因はあるのだが、ここでは主旨ではないので省く。

状況を説明するなら、下流に向かって左は川(川幅7~8mで水質は最悪)、
右は工場の長い板塀で、ここで3人組に取っ捕まったのである。
見知らぬ二人に、前後をふさがれ、当の相手に対峙と言う場面である。
敵はこの「地勢学上の有利な条件」を知ったうえで、この場所を選んだのだと
思う。

oldboy君に逃げ場はない、

なにゆえか「なんなら、やったろかい」の気持ちになり、あろう事か、
履いていた下駄を、川とは反対側の板塀の脇の夏草の中に脱ぎ捨てたので
ある。
あとで考えるに、この「下駄を脱ぎ捨てた」のが凶とでたのである。

多勢に無勢、すぐにツカマリ、顔面にガツンと食らったのである。
その時の得物(武器)、なんと自身の「シロオ」の下駄だったと言うオチ
なのだ。

結果、oldboy-elegy君、口内から血が噴き出し、顔面下半分が真っ赤に
染まったのである。
これを見た、3人組、満足したのか、ビックリしたのか、眼前から消え去った。
傷は、下唇内側を4針縫う裂傷であった。

そう、この日が、「下駄を履いた、最後の日」であったはずである。

               ★★★★

      さて、今日のお話、正月用になったのか、少々疑問だが
              お許しを乞う。

oldboy-elegy君の昭和は「ずっとズット遠くになったもんだ」の感慨ひとしお
である。
それが証拠に、一記事仕上げるたびに、少々お疲れぎみになるが、同時に胸に
ホンワリ
気分のぬくもりが宿るのもまた事実である。

この気分を求めて明日も記事を書いていくのが、ささやかな楽しみになって
いる。

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末尾になりましたが

あけましておめでとう

ございます

ほんねんも

よろしくおねがいします
                                             
  なにか、おめでたい話でもしたかったが、こうなってしまった。
            では では


                                 了

                                   oldboy-elegy

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oldboy-elegy (37)戦後の給食の思いで。「LaRa物資・ララ」感謝は当然の事、だが子供にとっての現実はこうだった。!!??

 

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左のイラストは昭和30年前後給食のイラスト画である、と勝手に思っている。

戦後の混乱期が過ぎ、「世の中が少しは落ち着いてきたかな」と思うころの話である。






自身がまさにこの時代の子供であった。

今日は、これを主題にした「あれやこれや」である。



先日、(雑感・雑記帳No.27)で「最近の肉じゃが事情」なるタイトルで記事を

書かせていただいた。
その作業中、何気にボンヤリ眼前を横切った「思い」があった。
それが今日の「大昔の給食事情」を書くことへの動機である。

それに加えて、いつもお世話になっている(いらすとや)さんの画像ストック
にも「昔の給食」なるタイトルがあったので使用さしていただいた。
恐るべし(いらすとや)さん、こんな些細な事まで画像が用意されています。

記事化するための強力なモチベーションになります。
ありがとうございます。


               ★ 
            「LaRa物資」と・
      戦後すぐに始まった、学校給食のあれやこれや


さてタイトル画像の中の、みっつの食品の内、パン・ミルクは無償の
米国からの援助品であり、残りのオカズらしき食品が日本が自ら調達した
ものと言う事になる。

今日の、記事の「お題」は、見ての通り「昔の給食」にまつわる、あれや
これやである。
しかし、このイラスト画像を見て、「??」と感じるお方も一定数おられる
のもまた「事実」であろう。

なにが、人をして「??」と感じさすのか。

ある人は「この給食、なんか貧相やな!」と答えた方は、比較的、若い人では
なかろうか。

反対に、一定の年配以上の方は「ん、これ給食やろ」「そう給食や」と、そこで
思考停止するお人と「昔の給食や」と看破する人などいろいろ。

oldboy-elegy君から見れば、イラストの画像が小きれいで、教室の状況、
子供達の姿が見えない分、いくらか救われた気持ちになる。

だが、給食の内容を見ればまさしく戦後給食の典型なのだ。

①食品名は左下がパン、当時(コッペパン)と呼ばれていた。
ただ、なぜ「コッペ・・」と言われたのかは、はっきりしないらしい。


②その上の白い液状のものは、ミルクである。
正確には、牛乳から脂肪分を取り除いたもので「脱脂粉乳・だっしふんにゅう
と呼ばれたもので、ある。
蛋白質・カルシュウム・乳糖・などの高栄養化食品とされた。


③右のフライ状のものは、コロッケ、しいて言うなら野菜コロッケで、
具に肉やミンチ肉が入っている訳でもない。
付け合わせの野菜は、多分キャベツか何かの千切りにしたものだと思う。
野菜につける、マヨネーズもドレッシングもない、少々食べづらいと思う。

確かに幾分、貧相だが、戦後10年前後の事だとすれば「マアマア」
じゃない、思われる方も多数おられることと思う。

ここで知って欲しいのは、上掲の給食画像、食品3点の内の2点(ミルク・パン)は
アメリカからの「無償援助品」であった事実である。
もし、これらの食品が無かったならと考えれば、ゾットする。
痩せこけて、栄養不足のoldboy君など見れたものではない。

これらの援助品を統括し、食料難の日本に大量に送り続けた団体が「LaRa物資
なるアメリカで設立された篤志家団体(ボランティア)であった。

この団体の設立にあたり、当初から活動したのはアメリカ住みの、日系1世・
2世の人達である。
援助品は食料品を中心に、薬品・薬剤・古着などあらゆる生活必需品に及んで
いたらしい。

もしこれらアメリカ在住の日系人がおられなければ、「LaRa物資・
ボランティア団体
」は存在しなかったと言われている。

oldboy君、なんとのう分かる気がします。

アメリカにとって日本はつい昨日まで戦ってきた敵国です。
そこへ
「さあ、戦争が終わったよ、今日から困窮の底にある日本を助けましょう、」
と言われても無理があるのは当然でしょう。
うちの息子・私の兄、俺の弟と、日本同様、多くの戦死者を出したのも、また
当のアメリカ人であったのだから。

その上、もともと人種的偏見が根強く存在していたお国柄だったのですから。

その証拠に、戦争が始まるや、多くの日系人が、彼等の血と汗の結晶である
土地や財産を接収され、同時に身柄を拘束アメリカ各地の砂漠の真ん中に
作られた収容所に強制移住、させられたのですから。

ただ同じ状況下にあった、ドイツ始めヨーロッパ各国は、当初から合衆国で
の復興予算が計上され国策としての援助が始まっていたようです。


ドイツはプロテスタント発祥の地でもあり、同時に白人国家同士ですから、
ヒットラーを嫌うことは当然でも、ドイツ人に対しては、ぜんぜん違う心理
なり感情があっても不思議ではありません。

戦争が始まってもアメリカ国内のドイツ系アメリカ人は日系アメリカ人と違い、
財産没収や強制移住は無かったようです。

まあ、どんな形であれ、「LaRa物資」の尽力によって大量の援助物資が日本
に送られ、多くの人がこの援助に浴し、助けられたのは、まぎれもない事実
なのは変わりません。

以上、戦後10年前後ころまでの給食事情にまつわる話を簡単に説明をさして
いただいた。

さて、この記事の文面と調子ではoldboy君の何時ものブログ記事にはならぬ。
このままでは検索で知り得た、内容をまとめただけで、客観的情景が諸兄に
伝わらない。


そこで、こんな時代にoldboy君達ガキンチョ(子供達)を時代の中に放り込み、
働いてもらおうと思う。

少々脱線ぎみだがお付き合い願うことを希望する。

            
           
                 ★★

          まず、コッペパンにまつわる話から

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左掲イラスト画像がコッペパンなる
ものである。大きさは長径で15セン
位のもの。
材料の小麦粉が各学校に支給される
が、パン焼きの設備がないため、市
中の民間のお店に原料をわたし委託
生産をしていたようである。




これまでの話で、当然口にせねばならない、重大な要素が一つ抜け落ちている。

それは「うまかったのか・まずかった」のかと言う食品としての大切な要素の
ことである。

最初にお答えしておこう。
まずかった」の一言である。

以下は戦後10年前後の大阪は河内のど真ん中に舞い降りた、あなた、や自分
であると思って読み進めて欲しい。


「村里君、いはる?」と大声を発しながらお店にはいる。
※「いはる」とは  この辺り(河内)の方言で「いる」の丁寧語ぐらいの
もの。

村里君と言うのはoldboy君の家から少し先の通りの商店街にある家具店の子で
ある。
町(ちょう)は違うが小学校のクラスは同じである。
こいつ!、今日、学校を休んだのである。

そこへ、当の彼、店内の長い石畳みの通路の奥からヒョコッと現れた。
一瞬ギョッとしたようだが、「なんやお前,か何しにきたんや」と居丈高
(いたけだか)に尋ねてくる。
※ 居丈高 人に対して威圧的な態度を取るさま

oldboy君、基本こいつが大嫌いなのである。
おまけに、この村里、俺たちの組の級長なのだ、したがって地頭は良い。
もう一つおまけに暴力級長でもあった。
     
コッペパンお前に届けるよう、先生に頼まれて持ってきたんや」と
答えると。
「いらん、そんなパン、食えるか、おまえにやるは、食っとけ」とおっしゃる。

こいつ、先生や大人がいる時は、まあ普通だが、そうでない時はこんなふうに
「豹変」する、どちらの顔が本当なのかは知らない。

それでもなお、和手拭(わてぬぐい)に包まれたパンをランドセルから
取り出し、近くの事務机の上に置こうとすると、ドスの効いた声で
「要らんゆうとるやろ」と脅してくる。


            ★★★ 

     はなしは変わるが、切れたら怖い、このお方
      
こいつの怖いところはここからである。
このことを見知っている大人は 本当にいないと思う。

以前、学校からの帰り道、何が原因か覚えはないが、oldboy君、こいつを
怒らせてしまったことがある、

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その時、足元の道に敷かれたジャリ石を取り、思い切り投げつけられた事が
あった。
その石たるや、大きさに手加減はない、当たり処が悪ければ大事になりかねぬ。
切れると、みさかいが無くなるのがこいつである。

だがこの事を知るクラス仲間は多くはない。

女先生が急用で、自習などを課し、
「〇〇君、△△さん、よろしくね」と級長、副級長に教室の安寧(あんねい)
を頼み、留守にされたことがあった。
もちろん、この級長とは、村里である。

この時など、oldboy君、ひどい目に会ったことがある。
クラスを仕切るための人身御供である。
※ (人身御供・ひとみごくう) いけにえ


チョット離れた席のクラス仲間とお喋りしていたのが、この級長のお怒りを
買ったのだ。
俺を名指しで「oldboy君、前に」とご命令である。
ここでも、人前ではチャント「君付け」である、この辺が何故か「狡猾」さを
感ずる。

すると、先生の席の後ろにあった、大きな教授用のソロバンを教壇の床
に置き、その上に正座をしろと、のたまうのである。
彼の恐ろしさをしっていたoldboy君、あえて抵抗せず、数分座った事が
あったが、先生の耳には入らなかったようである。
入ったところで、彼なら上手く、言い逃れするだろう。

結局、コッペパンを彼に渡すことができず、彼の家を出た。

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oldboy君のランドセルの中には、パン屑がよく溜まり、母が時折掃除を
してらっしゃったのも知っている。

もちろん、出された給食全品、ありがたく完食するのが決まりである。

しかし食べるふりして、ランドセルやポッケットに隠し、後に捨てていた
こともしばしばであった。
それほど不味かったと言うことだ。

今、こうして考えても不思議である。
近所のパン屋で配給券(当時、食品クーポンと言った)で買うものとは何故に
こうも違うのか、原料はどちらも小麦粉なのに。 
クーポン券とは、 お金さえ払えばいくらでも手に入るのではなく、各家庭
で買える上限が決めらていて、購入時、このクーポン券を添えて、買える権利
を証明するためのものである。

ときおり、コッペパンの横に小さなマーガリンが付く事もあった。
この時ばかり、まずいパンも多少進んだように思うが。

 
                ★★★★

      「それでもミルクはミルクだから旨かろう?」と言うなかれ。
         「普通に牛乳と
思ったらおおまちがい」

「それならoldboy君、ミルクにパンを浸して食べれば」と言う人もおられると
思うが、これがまた、この脱脂粉乳なるミルク、コッペパンに輪をかけた
「まずさ」なのだ。

牛乳から脂肪分と水分を抜き取り、乾燥粉末化したものらしいが、何故か牛乳
とは似ても似つかぬ味になっている。

結局、保存性の向上のための脱脂と運送費の低減のため(アメリカから日本
まで)の粉末軽量化が、牛乳と呼べないミルクもどきにしてしまったのだろう。

いくら不味くとも、これはコッペパンと違い、粉乳に湯か水を入れミルクに
戻したもので、ランドセルの中に隠すわけにもゆかない。
先生監視のもとにイヤイヤ飲んでいた。

牛乳そのものの味が、当時の日本人は慣れていなかったのではと、考える人も
おられることだろうが、そうでもないと思うな。

何故なら、もう少し後のことではあるが、まだoldboy君家(ち)にテレビの
無い頃、街の牛乳屋さんが自分の店で力道山のプロレスの実況中継を見せる
代わりに小さな瓶ボトルの牛乳を売り、入場券代わりにしていた。

手作りの木製の長椅子を店に並べ、座り、座れない者は立ち見で、大声で声援
するのである。
対戦相手は概ね、白人で、時間になれば空手チョップが繰り出されるのである。
力道山の勝ちで終わるのは当然である。


oldboy君、義兄に連れられ「美味しい牛乳」に引かれて何度か行ったこと
がある。

従って、給食の「脱脂粉乳」と本物の「牛乳」とは全然別物で、給食の
ミルクはホントにホントに、まずかったと記憶している。

またある時、米軍の軍用トラックが幾度か小学校の校庭に入って来たのを見た。

目的は、シラミ・マラリア蚊 駆除のためのDDT殺虫剤散布のためと、もう一つ
は、給食の脱脂粉乳と小麦粉、搬入のためである。

               ★★★★★
          そのころの、給食以外の学校の情景

米軍の兵隊さんが、エアーコンプレッサーを運動場に数台並べ、2000人近くの
ガキどもの頭髪はもとより、背から粉霧器のノズルを差し込みDDTを散布するのだ。

男子どもはまだ良いとしても、女子の場合、クラスのチョット人気のカワイ子
ちゃんなども容赦はない。
まさしく雪女(ゆきおんな)状態にするのである。

これを見て、またまた茶化すヤツも当然いるわけで、oldboy君など、これに
組する輩(やから)の筆頭であった。

河内には、米軍の恰好の駐屯地があった。
八尾飛行場、当時自分達は太田飛行場と呼んでいたはず。

朝鮮戦争も終わり、米軍撤収のおり、軍用ヘリコプターが校庭に舞い降りた
こともあった、
ヘリコプターと言っても、現在のような重火器装備の攻撃ヘリではない。
兵員移送や、物資輸送が主任務のそれで、ずんぐりむっくりした型であった。

校庭への記念着陸はサヨナラの挨拶でもあったらしい。

生徒全員が運動場の脇に整列して、舞い上がるヘリコプターに向かって
手を振り「さよなら」の挨拶をしたことが思い出される。

この時、来校した軍人さんに出された食事は、もちろんコッペパンに脱脂
粉乳と言いたいところだが、実はカレーライスだった、と聞いている。

oldboy-elegy君の脳、狭い記憶容量の癖に、しょうもない事だけは貯め込んで
いる。
※しょうもない つまらないの、大阪弁または河内弁である。


               今日の記事の最終結

ともかく、コッペもミルクもこの上なく、不味かったのが今日の結論である。

今日、あえて記事にしなかったことが一つある。
おかず(主菜)でときおり出された、鯨肉の竜田揚げ(たったあげ)に言及し
なかったことである。
これは近いうちに、単独記事として書くつもりである。



       それでは、今宵は これまで  ではでは


                 了
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oldboy-elegy (36)  シエスタとは、スペインやアルゼンチンで昼食後の長い休憩や午睡(昼寝)等を取る行為のことを言う。似た習慣が50年前の台湾にもあり、彼も一度だけではあるが経験した

 

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台湾(中華民国)の国旗です



今日のoldboy-elegy君の記事は中華民国(台湾)でのことである。

いつもの通り、ことの良し悪しや、政治等を口角泡を飛ばして論じる
つもりは毛頭ない。
ユルユル話の延長にチョットした「スパイスspice」を加え、語るのも
いつもの通りである。


ことは、oldboy-elegy君が言うところの(モラトリアム期間)も終わり、
社会人になって数年たったころのお話である。
まだまだ、社会人とは名ばかりで、給料ドロボーの御身分の頃の一席で
ある。
※モラトリアム期間 社会人になるための猶予期間で、馬鹿が許される
最後の時間とoldboy-elegy君は勝手に解釈している。

それも西暦2020年の現在から、およそ半世紀ほど昔のお話である。

「ヒッヤー古っ!!縄文時代??」と思われるお人もおられるかも知れない。
それでもoldboy君とすれば、つい最近の出来事のように思うのもこれまた事実
である。

                ★
     当時の台湾(中華民国)の置かれた状況を簡単に

中国大陸を追われ、台湾に渡った(中華民国)の蒋介石が未だ健在で、
中華民国の総統であったころの話である。

毛沢東中華人民共和国中国共産党」の台頭著しく、やがて、「蒋介石
中華民国・台湾」が世界の多くの国々から国交断絶という形で公式的には姿を
消すことになるのは、まだ数年後のことである。


             ★★
          なぜ彼が台湾に出張?

彼の所属部は「企画部で宣伝・開発」が担当である。
ほぼ1年間の実習が明けての配属であり、彼自身希望した部でもあった。

希望の理由は、営業部のように、お金を稼がねばならぬ部署でなく、お金を
効率良く使うのが仕事だと、つまるところ、「稼ぐより使う方が楽に決まってる」
と踏んだのが、彼の主たる動機である。
oldboy君の思考回路、すべからくこうで、誠に不謹慎なやつである。


現業(工場)部門を含めても600人~700人程度の、文字通りの中小企業である。
それ故、営業部に持ち込まれ、はじかれた、様々な、案件・要件が
便利屋部門」の「企画部」に回ってくることも多々ある。

今回の台湾出張もこんな性質の案件で、あった。

仕事?は、台北市近郊の(樹林)なる町の、縫製工場に、新しく開発した
(工業用の縫製糸サンプルと試験データ)を届けるのが任務である。
早く言えば、運び屋で、それ以上でも以下でもない。

oldboy君に相応しい、軽便で責任のない仕事?である。
もちろん、中国語ができるわけでもなし、英語?これもグダグダの部類
はいる。

それでは何故彼に、
まず言葉に関しては、危惧することはなにもないのである、なぜなら相手先の
方々が日本語に堪能で、oldboy君の河内弁交じりの日本語より洗練されている
と聞かされている。

もう一つ、彼でなくてはならない、要件が彼には備わっている。

いったいそれは何、oldboy君にそんな得意技、何かあるの?

それがそれ、会社で一番「暇そうに見える」お人であることである。

「暇そうに見える」いやいや、実際にそうだから反論はできない。

こんな訳で、今、台北にいる。

ゆえに、こうして今「樹林」のある縫製工場に向かっている、次第である。

ホテル(台北市の南京東路?」まで慣れないoldboy君のため、社用車で送迎
していただくことになっている。
ありがたいことである。


               ★★★
       ここからが今日の本筋である、
初めて知ったこの事実、
台湾の工場、オフィス、学校には(シエスタ
昼食後の午睡・ヒルネ)の習慣があった。

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シエスタ もちろん、台湾で使われている言葉ではない、ただ行為と意味が
似ていたので、oldboy-elegy君、少々おどけ気味に使用している。



oldboy君、南ヨーロッパのラテン系国家にこの習慣が根付いていることは
知っていたが、まさかアジアのこんな近くの国にも同様の習慣が存在して
いたことには驚いた。

そう言えば、この台湾島の気候条件は「亜熱帯気候から亜熱帯モンスーン」に
属しているらしい。
台湾の向かいの大陸中国は省で言えば「福建省」で「香港」もそう遠くでも
ない。
気候も同じ「亜熱帯」に属する。
良く言えば、「昼食後のヒル」にもっとも「フィット」した環境でもある。

「香港」にも昼食後の「午睡」の習慣あるのかどうかは知らない。
oldboy-elegy君、香港へは、2度ほど社用で行ったが、この「午睡」の習慣の
アリ、ナシには気が付かなった。

ただ彼、台湾での、この習慣に1回だけとは言え、実際に経験したことがある。


そこで話を台湾、「樹林」の工場にもどす。

工場間の木製の渡り廊下など、日陰で風通しの良い床に各々マットを敷き、
多くの女工さん達が、気持ち良さそうに午睡。

また学校の教室ぐらいの部屋に、2段ベッドがぎっしり置かれ、そこにも多くの
人が、男女入り混じっての、これまた午睡。

事務所では椅子に腰かけ、そのまま机にうつ伏せにバタンとこれまたご午睡。

それぞれが、気に入った場所と姿勢でドタンと午睡。

いやはやその光景は壮観そのもの、oldboy君も促され、人生初めての、
公認の
午睡を実体験。

oldboy君の初午睡の場所はどこだと思われる?、そう、通されたのは、
2段ベッドがズラッと並べられた部屋である。
そのうちの一つのベッドの上段部分で、下段は先ほどの商談相手の一人である、
若者くんである。
時間は小一時間ほどで、ウツラ、ウツラはしたが、寝入ることはなかった。
しかし、なぜか気分は爽快であったことを記憶している。


わが会社に、この制度を提案しょうと思ったが、馬鹿にされるのがオチと、
自身で却下する。
ただし出張報告書には、ヨモヤマ話程度には書きおいた。

さてこの素敵な、習慣、今でも存在するのかどうか気になるところである。

欧米流の時間の強力な管理が「生産性」「合理化」だと思っている経営者も、
もの分かりの良い事務職を含めた現業労働者も、時代はこんな人間的行為
許さなくなっているのかも知れない。

それを考えると、すたる事はあっても、より盛んになって行くとは考えにくい
ものがある、残念だが。 


            
             ★★★★

         oldboy-elegy君の個人的感想

人間の首に強制的にワッパをはめる道具に、今では事欠かない。
スマートフォンタブレット・パソコンの発達がそれである。

oldboy君的に答えるなら
何ともすさまじい世になったもんだと、ため息 しきりである。

その昔、oldboy-elegy君、もちろん、そんな便利機器の無い時代のこと。
一度、会社を出たなら、こちらが連絡しない限り、糸の切れた凧さん状態、

こんなoldboy-elegy君でも通用?した、最後の良い時代だったのかもしれ
ない。


あ~そうそう、こんな事もあった。
やっと取り付けたデートの約束、互いの誤認識から会えずじまい、とゆうこと
あった。
今の時代、考えられない事かもしれない。
「おいお前、何処におんねん?」とスマホで聞けばこと足りるのであるから。

oldboy-elegy君、ことほどさように「便利な世の中になったもんだ」とは思うが、
何故か、「良い世の中になった!!」とは思えないのが本音である。

 
    それでは、午睡でなく、本睡眠に就かしていただくことにする。
               では では


                          了

                         oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 27 ) 牛肉で作る「肉じゃが」を「肉じゃが」・豚肉なら「肉じゃが」とは言わない!!ある関西人の哀しき独り言

 
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このイラスト、もちろん、何時もの通り
「いらすとや」さんからお借り
したもので、
料理は「肉じゃが」である。

あれれ!!??、oldboy-elegy君
「ついに食レポ」に参戦、いやいや、

そんな無謀、間違ってもしませんよ、
間違っても!!!






第一「うまいまずい」は自分的には普通に分かっているつもりだが、
いかんせん、食い物に対する情熱が少々不足気味なのは自身、認める
ところである。

こんな彼でも戦後の食糧難の時代、なぜか腹を減らし、ひもじい思いをした
記憶はない。
6才ぐらいまで母との二人暮らしであったことを想えば、当然、俺ではなく
母が立派だったことになる。

どこかブログ記事で「公言」したことがある、
旨い、まずいは、タイミングしだい、どんな名店の料理でも、三日三晩、
同じものを続けて食べるわけにはゆかぬ。
キュウリやなすのぬか漬けが、なによりの「ごちそう」である時も当然ある。

買い出し前に冷蔵庫をのぞいて備蓄食材を確認するが、この時のoldboy君の
目は、いかに簡単に作れるかが最重要課題なのだ。

読者諸兄のブログの基本コンセプトが「食」にまつわるものは多い。
それらを読み、見るにつけ、その情熱と情報量にはいつも圧倒される。

oldboy-elegy君なら、きっと一記事も書き上げることはできぬと断言できる。

したがって、彼は彼なりの脱力系ながらちょっぴり、エレジー(哀しさ)を
スパイス(味付け)にした文章を意識して書いているつもりである。

「笑い」で表現するなら「あはっはっ」の高笑いではなく「ふふふ」
「クスクス」「グッスン」程度のものである。



                ★
      「肉じゃが」が今日の記事のタイトルになったわけ

つい最近のある朝のことである。

お日様の光がレースカーテン越しの部屋に充満している。
内側の遮光カーテンが何故か、ガラス戸一枚分ほど引き忘れた状態になっている。

やおらノビをし、眠気まなこで時計を見ると、8時をトックに過ぎている。
しかし、この時間の経過が、彼にとって意味するものはなにもない。
「ただ朝の8時を過ぎた」と言う現実があるのみで、だからどうする、とゆう
次の行動や発想があるわけではない。

この時間ゆえ急いで飛び起き、レーズン入りの食パンをトースターに放り込み
、コーヒー用の少量の湯を沸かし、小走りで洗面台に行き、歯を磨く、!!!
この行為と時間、そう、彼には長らく必要のないものになっている。

目覚まし時計の文字版の端に表示された室内温度は22度を超えている。

ベッドの中で、まったり、いや、ボ~としていると、マンガのアセチレン・
ランプ(知る人ぞ知る、大昔の手塚マンガ・キャラ)宜しく、oldboy君の
後頭部に突然にローソクが立った。
※ 上記のこと、理解できない人もおられることと思うが、別にすっ飛ばして
  読み進めてもらってもOKである。

「あーそや!、洗濯しとこ」とはなはだ迫力のないまま、ひとつ仕事を思
いついたのである。
しとこ」は関西弁の「しておこう」ぐらいの意味である。
まことに、ズッコケ話でもうしわけない。

人間、金銭のやり取りがなくとも、何かの労働?義務が発生することは至極、
健全で喜ばしいことである。
精神の受容体が多少なりとも活性化してなにかしらの意味が心に宿るのかも
知れない。

ブログを書いているのも、この延長線上の所作なのだろう、多分。
そう、誰にも強制されてもないのに「やらねば」の意思がはたらく。
たった、月3記事程度だが自分には大切な義務と時間ともなっている。

パンも焼かず、コーヒーも淹れず、歯も磨かず、すべて今は打ち捨て、洗面台
の脇に置かれた大きなプラスチックの洗濯籠の汚れ物を全て洗濯機に放り込む。

今から33分後には洗濯は完了するらしい、あとは物干し作業、うまく行けば
取り込みまでできるかもしれない、少しお日様が立ちすぎた感もあるが。

なにやら、洗濯が、自分のやらねばならぬ「大仕事」のような感覚になる。

あとは、先ほど後回しにした簡単な作業をすます。
そしてコーヒーを飲みながら、やおらパソコン(ノート)を立ち上げる。

こう書くと、なにやらパソコンの得意なお人にみえるが、これがまた「ズブ、ズブ」
の「ド素人」なのである。

ほとんど「デフォルト」状態のままの機能で使用している。
余計な事をすれば、あとに戻れず、ぐちゃぐちゃになってしまいそうで、
恐ろしいのである、情けない限りだ。

洗濯機に呼ばれ、洗い物の全てを大きなプラ籠に入れ、陽光サンサンの狭い
ベランダに出る。

そこに木製の背もたれのないベンチ兼物置台が置いてある。
これも腰痛保護のためである。
長さは1.2メートルぐらいのもので、この上に洗濯籠を置く。
いちいち腰を大きく曲げずに、物干しができると言う訳だ。

プラ製の円形に広がる・物干し器と頭上の竿2本にかかったプラハンガーに、
ゆっくりと干し物を懸けていく。
ティーシャツや長袖シャツなどは、手の平で「パンパン」とシワも伸ばす。
普段はしないこの行為、きっと今日は少々気分が良いのだろう。
たわいのない人である。

こんな時である「ウム!!」と、本日2回目の「アセチレン・ランプ!」が
oldboy君の後頭部に立った。
ベンチ下の黄色の蜜柑箱に目がいったのである。
中身は分かっている、間違いがなければ、個数にして10コほど、2袋程度の
ジャガイモが入っているはず。

これ、同時に2袋も買ったわけでもない、まだ1袋在庫のあるのを忘れ、買って
しまったものである。


ここで、1袋だけでも使わねばの気持ちがやどる。
この時、思いついた料理?が、「フライドポテトと肉じゃが」である。


一瞬「牛丼」も考えたのだが、多分これは「じゃがいも」を必要としない
料理のはずである。
今日は、すこし芽の出かけている「じゃがいも」を費消するのが目的、
そのため「牛丼」の考えは捨てる。

取りあえず、調理?経験のある「肉じゃが」に決定。
「経験」と言っても料理手順を憶えている訳でもない、今日もパソコンの
検索が頼りなのだ。


洗濯ものの、干し作業が終わるころには「夕食のおかずは肉じゃが」と決定
していた。

今日は干し物を終えても、好天の為か腰の調子も良い。


            ★★
  「肉じゃが」を「豚肉」でつくっても「肉じゃが」と言う、これ如何に?



やおらノートパソコンで「簡単肉じゃが」と打ち込む、
「簡単」の二文字はoldboy君には欠かせない。

はたして最初にヒットした、料理動画配信専門サイトの「クラシル」さんと
老舗のクックパッドさんさんで比較してみる。

クラシルさんの場合
①パソコン入力印字 簡単肉じゃが
②画像下のタイトルは 基本の肉じゃが とある
③そのまま下にスクロール、材料を見ると ここで突然 豚肉(コマ細切れ)
 となり、「」の文字がどこかに消えた

関西人のoldboy君からすれば、このレシピは「じゃが」で、決して「じゃが」
ではない、の思想をお持ちの吾人である。

クックパッドさんの場合
①パソコン入力 簡単肉じゃが クラシルさんと同じ
②画像下のタイトル 簡単うちの肉じゃが とある
③そのまま下にスクロール、材料を見ると 牛肉(豚でもひき肉でもよい)
 なっていて、表現が首尾一貫している。

首尾一貫、ブレのない、クックパッドさん、に「賛」の一票を献上したい。
慣れない男のシニア料理案内はこういう精神でなくてはならぬ。
なにせoldboy君など「料理に対する、常識とか知識」と言うものが皆無なのだ。

レシピの一言一句の字面を懸命に後追いする御仁の姿を想像して欲しい。
必死に「肉じゃが」をおっかているのに、なんの断りもなく豚肉(コマ細切れ)
はないだろう。

これだけ懸命にやっても、悲しいかな、すぐに忘れるのである。
料理に対する才能はまったくない上に、新規の脳内記憶領域は情けないほど
劣化している。

oldboy君にとって、「牛肉」と「豚肉」とは、旨い、まずいとは関係なく、
明らかに違ったものであり、キッチリ言葉を使い分けてほしいか、せめて
クックパッドさんの様に、断りぐらい入れて欲しい。

つまるところ「肉じゃが」が、なんの断りもなく、突然、、肉が豚肉に
変わるのに、料理名は依然「肉じゃが」のままは、おかしいと思う。

牛肉料理の王道料理、ステーキ・すき焼き・シャブシャブなどあるが、どれも
普段口にできる、家庭料理ではない、
よしんば、出たとしても、正月・誕生日・客 などの特別なイベント料理として
食されることが多い。
少なくとも、oldboy-elegy家ではそうであった。

このうち唯一、普通に家庭で食える牛肉料理が「肉じゃが」なのである。

それさえ「今日は、肉じゃがよ~」の母からのひと声が、どれだけ嬉しかった
ことか。

                ★★★
           それでは牛丼の立ち位置は、どうなる

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今日の記事、oldboy君の言い分は、牛肉・豚肉の経済学を披露するための
ものではない。
単に、牛肉と豚肉の区別を明確にしていただきたいとの思いで書き出した
ものである。

ただ牛丼に触れるとするなら、次の数行にまとめることができると
思っている。
oldboy君ら庶民があずかり知らぬ、国とか政治の力学が関与している分野で、
なにやらドロドロしたものを感じる。


◎国産牛、およびその保護政策の堅持。
◎オーストラリアやアメリカの輸出圧力をかわす。

上記の落としどころが「牛丼チェーン店」の存在だと思う。


             ★★★★

             おしまいに

いずれ「牛丼」も「肉じゃが」同様に、家庭用として、料理名は「ギュウドン」
のまま、中身は「豚肉」使用のものが、庶民の味として出回り、主流となるかも
しれない。

「何を言ってるの、oldboyさん、もうすでにそうなっているよ」だけは勘弁
してほしいものである。
せめてその折(牛丼・豚肉でも可)位の心付けがあっても良いのでは。
牛丼の名前で説明してきたのに、ことわり無しに、最後に(材料 豚肉)は
いけない。

インターネットでの動画・レシピ発信会社が、「おいしい牛丼の作り方」と

しながら最後の最後の材料の項目に「こまぎれ豚肉」にならないことを祈るが、
無理かも。

そう言いながら、oldboy-elegy君、料理に現(うつつ)をぬかすほど、食通
でもない。

豚全盛の世に少し、関西人としてのチャチャ(よこやり)を入れて見たかった
のかもしれない。

もともと関東圏以北を中心に広がった「豚食文化」が関西をも、侵蝕中
なのが本当のところだろう。


oldboy-elegy君の今日の記事は、関西人の「しょうもない文句たれが、
すこし斜めから記事化したものと理解して欲しい。

それに内容は、彼一流の「独断と偏見」でもって書かれたものであることは、
言をまたない。

もちろん、oldboy-elegy君の本日のおかず「肉じゃが」の肉は、最下級の
「牛肉の細切れ」である。
記事の内容通り、意地は通さしていただいた格好である。

なに、料理、上手にできたかって、
ともかく、いくら変人でも、この出来上がりを見て、「肉じゃが」以外の
名を上げるやつはいないだろうと思うがどうだろう。
味は?、もちろん「簡単レシピ」である以上、それなりのものであった。

残りは大きめのタッパに入れて冷蔵庫へ、あと2食分はいけそうだ。

あいかわらずの脱力系記事、あいすまぬ、皆の知的好奇心に、な~ん
貢献していないことは、承知の上でのことである。
許されよ!!



              では では  

                 

              oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp