oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy(1) ラジオと「パティ・ペイジ」「テネシーワルツ」そして「千〇ミュージック」?!

 

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わたしは女友達に私の彼を紹介したんだ。
そしたらその女に私の彼をストールンされてしまったのよ」

テネシーワルツ by Patti Page


  


  エッセイ?日記?雑文?よくわからない。自分の人生の時空を行ったり来たり、ちょっと可笑しく,すこし哀しいが何故か懐かしい物語でもある。オールドボーイ諸君に幸あれ。by oldboy-elegy

  いま京都にいる。
京都見物とゆうわけでもない。
学生をやっている。
下宿生活でもない。
ともかく高貴なお方が多く住むと言う?大阪は河内からの通学である。

   学費は出す、部屋代を出せとまでは言わぬ、実家での食費はタダ、ただし食事に文句をゆうな、こんな好条件どこにある、と我が敬愛する母上の言である。
私oldboy君、文句をいえるはずもない。
これで取りあえず最低、生存できる保証を得たことになる。

 高校の卒業式前に小さな塾の講師のアルバイトを先輩から譲りうけた。
同じ高校の先輩が大学を終えるにあたりoldboy-elegy君をと指名して頂いたものである。
人を見る目がない先輩であったことが幸いした、失礼。

 何故か、この時代の新聞、裏表紙全面を(地方版)として充てていて、そこに、なになに大学の合格者氏名が掲載されるのである。
順次、私立大学から始まり国立、公立大学と約2か月弱の間、合格者氏名の掲載が恒例の行事であった。
なぜこんなプライベートなことが、新聞、それも大新聞と言われる媒体に掲載されたのか未だに理解に苦しむ。

 これを見ている近所の口さがない大人連中「oldboy-elegyちゃん、なになに大学合格したんやて、おめでとうさん」これで終わればまだ辛抱できるが、必ず次の言葉がくっ付いてくるのである。
「つぎ何処受けるの」この言葉は、さらに次の大学受ける人にも、受けない人にも最悪である。
ともかくも、官公立至上主義の土地柄もあり「この次は?」とくるのも当然と言えば当然である。
従って、彼、受験科目を満たすふりはしていた。
私立は基本3教科、公立、国立5~7教科。
しかし私立受かったとたん、やる気は雲散霧消「これでいいや、これでもよく通ったもんだ」と自己満足と自己弁護。
してその結果の言葉が

 oldboy君、小さな声で、近所のおじさん、おばさんに「これで終わりです」と。

 ここで少し困ったことが、先輩の塾での受け持ち教科、なんと数学、理科なのだ。
いくら中学生中心といえど、oldboy君、純度100%の文系一択の学生であったことはまちがいない。

 言いたくはないが卒業前の物理の試験、2回チャレンジ試みるも2回ともアウト。
最後には教官自らが禁じ手発動。

 大問2題、中学に少し毛が生えた程度の軽量問題、これでも先生、心配だったのか何日か前にガリ版刷りの問題用紙をバカ生徒何人かにヒラリヒラリの手渡し。
不思議に全員、男。
  
 こちとら肩をすぼめ頭をカキカキありがたく両手でいただく。
公衆(学生)の面前で「俺に恥をかかせるな」と、のたまう教官。
口に手をあてクスクス笑ってやがる女子(おなご)もいる。

 最後にこの聖人先生「この中からそのまんま2題だす、いいかもう一度言う、そのまんまだ、解けないやつは理科の準備室にこい、回答も作ってある。俺もいちいちお前らに会って説明する根気はない!」と一括。

 それからこの中の一人、佐原に向かい、「ほれそれ・・・ピアノは上手くなったのか?」と小さな声で一言。
当の本人「はい」とキラキラ笑顔、教室中が静まっていた。

 ここまで綴ってきたら、随分昔のことだが、その場の状況を思い出すことしきり。  
ただこの高校、病気、大幅な出席不足以外、学科の成績だけで落第は出さない事で有名であった。

 数学や理科を塾で教え始めて思ったことがある。
「案外俺いけるんじゃない」なんせ飯のタネなのだから。
2月の中旬(高校卒業前)から教え始め4月に入ればもう自信を持ち始める。
この辺oldboy君、基本的に人間が軽くできている。


 タイトルの最後が「千〇ミュージック?!」となっているが、まずここからはじめる。

 そう、京都に通うようになり一年を少し過ぎたころのことであったと思う。
出来の良くない者4人が京都では一番の劇場(なにが一番か俺は知らない)、そう、ストリップ劇場、千〇ミュージックご登場である。

 このうちおれも含めて3人は初めてではない。
九州は福岡出身のOなど在学中に半券50枚を収集して「我が家の宝にしたい」と豪語している。

 もう一人は出身地はともかく学生服に角帽、足元は白緒の下駄といういで立ちである。
おまけに腰の後ろには白の手ぬぐいがぶらさっがっている。
当時、このような風体の大学生はママ存在した。

 角帽、下駄は別として、学生服だけに絞れば結構多くいた。

 高校時代に着ていた学生服に大学売店で売られている校章の刻印されたボタンを付け替えればOKである。
あ~そうそう、襟章もそう言えばあったな。

Tが工学部、Lが文学部、Eが経済学部 などなど。

 俺(oldboy君)も学生服姿のモノクロ写真を1枚、今も持っている。
角帽もあったのだが、クロ(猫の名)のお休みどころとなり、彼がいなくなったあと?角帽は行き方知れずの状態である。

 もう一人Y君、ちょと見は遊び人風ではあるが実際は嫌味のない良いやつである。
Oが誘ったらしい。
因みに彼は北海道の首都出身。
じつはこのY君に関しても後日談がある。
またいつか、話すこともあろうかと思う。
ただひとつキーワードとして「大蔵映画」とだけ報告しておく。

 入場料はハッキリ憶えてはいないが400円前後したのかな?。 
学卒初任給16000円程度の時代であるのを考慮すれば安くはない。
ググればたぶん分るだろうが、 oldboy君の主義ではできるだけそうしないで書いて行きたいと考えている。
そのほうが雰囲気が出るものと信じている、と言えばかっこが良いが実のところものぐさでいい加減な性格、これが本当のところかもしれない。


 ホールの中は暗い、ちょっと離れれば互いの顔もハッキリと認識できぬ。
ただその闇の中にスポットライトに照らし出された舞台がある。
 
 こちらから見ると一番奥の舞台がホール一杯に左右に広がり、舞台袖はそのまま楽屋に繫がる、その最初の舞台の中央にT型にウオーキング ステージがホール中央に向かって伸びる。
そして客席の真ん中で半月の形をした大きな最終ステージにつながる。

 つまり全体としてを思い起こせばよい。
左の縦棒が一番奥のステージ、次の横棒がウオーキングステージ、次の縦棒が客席につきだした最終ステージとなっている。
横棒の上下に分けらた部分も客席になっている。

 ステージの裏は楽屋であり、簡易の宿泊施設でもある。

 およそ10人前後の踊り子さんと1~2人の男性で一座をなしている。
入場券のもぎりは,もぎり嬢、と呼ぶのが普通だがこちらの世界ではもぎり男が普通のようである。
O君などなれるものなりたいものだとちょっと憧れていらしゃる。
一座は半月からひと月程度で次の巡業地に旅たつのが習いである。


 吊るされたミラーボールの赤、紫、青、黄色の光が小さな劇場の壁や天井を、ひいては客席の男どもの顔を嘗め回す。

 踊り子たちの衣裳は洋装が和装よりやや多い、和装の踊り娘(こ)はそうでない子に比べて少し年が上のように見受けられる。

 何人かの踊り子さんたちが入れ替わり出演したあと、今でも忘れない、薄く透けた紗のガウンに身を包んだ少し小太りぎみ の若い踊り子さんが登場。


 なんとその踊り子さんのテーマ曲、それこそが「テネシーワルツ」であった。
おまけに江利チエミさんでも、ひばりさんでもなくあの「パティ・ペイジ」の「テネシーワルツ」だったのである。

 すまん、ゴメン、もっと高尚なお話を期待した諸兄を椅子からズッコケさせたかもしれない。

 この曲「パティ・ペイジ」がオリジナルと言うわけでもない。
彼女自身も何人かのカバーで歌った歌手のひとりのはず。

 日本でヒットしたのも彼女の「テネシーワルツ」があったからだと俺は思っている。
その上、歌詞の英文が日本人にとってもすこぶる分かり良いのであるが、この点を誰も言わないが、これもヒットの一因であったかも知れない。
英文歌詞を検索されてみるのも一興かと。


 「江利チエミ」さんが嫌いなわけでもない。
ただ一つこの曲に関しては、あの少し鼻にかかった巻き舌部分の英語が好きになれなかったのである。

 そのうえ「パティペイジ」の歌う歌詞の筋立てと日本人歌手も含めた多くのリメイクの歌詞の筋立てと違っているようである。

 つまりこうである「私はボーイフレンドの彼氏とダンスパーティにいった、そこで彼をわたしの女友達に紹介した、そして私はその女友達に彼氏をストールンされた。」がペイジの筋立てである。

 日本人歌手も含めてほとんどの歌手のカバーはこれとは違った筋だてになっていた。

 つまり「男性が自分の彼女をダンスに連れていき、彼女を自分の男友達に紹介、そして自分の彼女を男友達に奪われた」と。

 一人称の「わたし」の性別が入れ替わっている。
oldboy君の感性からは後者の感覚はありえません。

 年老いた今、大昔の自分にフラッシュバックし、5級スーパーラジオや鉱石ラジオを布団の中で聞いた事が妙に懐かしく、ある種の感動さえ思い起させたのです。

プロフィール画像のサムネールとして使わしていただいている、「布団に入りラジオを聞いている図」などまさにoldboy-elegy君で、大いに気に入ってる。
ホントに「いらすとや」さん、感謝の一字です。

 

 そしてもう一つ気になったことがでてきました。
最近のことですが、このブログを書くにあたり もう一度「ペイジ」の「テネシーワルツ」聞いたのですが「Tennessee waltz」の最初の「Tenne」の部分の発音がいくら聞いても「chenne」にきこえるのです。
カタカナで表すと「テネシー」と「チェネシー」ぐらいの感覚です。
ほかのアメリカ人では「ノラ・ジョンズのテネシーワルツ」、ややJAZZぽい歌い方ですが、発見したので聞き耳を立てて聞いたのですが、Tenneに近い発音なのです。
最近の僕はこの「チェネシー」にぞっこんです。
これ日本語で言う「~~弁」の一つでしょうか?どなたか推察でもよいから教えていただきたいものです。
あるいは「お前の耳がおかしいのでは」でも結構です。

 

 これらの多くのアメリカンポップスが僕の中学生のころ、五球スーパー真空管ラジオを通して洪水のように流れ込んだ時代でした。本当に何もかもが新鮮で布団に潜り込み、毎晩のように聞いたものです。(僕のプロフィール画像のように)

 「恋の片道切符」・ニールセダカ、「谷間に三つの鐘がなる」・ブラウンズ、「トムドウリー、500マイル」・キングストントリオ、「煙が目に染みる」・プラッターズなどたくさんたくさんありました。
これらの曲の一つが「Tennessee Waltz・by Patti page」だったのです。

 

 

 話を終えるにあたり。それぞれの結末を報告いたします。
2回生の春から「英語購読」なる授業がありテキストは「倫理学」・筆者は英国の学者
ノーベル賞受賞者バートランド・ラッセルである。
この知的であるはずの授業のあとワルが連れ添い、千〇ミュージックへ。 
倫理学とストリップ劇場、この落差、ラッセルもビックリ、HaHaHa.oldboy君の倫理はどこに。

 もう一つこの日の「千〇ミュージック」は終始不穏な空気が流れていたのです。
客の怒声を聞けば察しがつくと思う、「やーい、刑事かおまわりか知らんけど、弱いもんいじめスンナ、木戸銭ちゃんと払ったんか、わいらおねいちゃんのことぜんぜんおこってへんで」などなど、時折こんなこともあるらしい。
何が起こったのか、たいていの人はわかるはづ。

 当時の5級スーパー真空管ラジオの値段(これはググってみた)。
およそ5千円前後、学卒初任給20.000円程度、してみれば結構高価なものである。
oldboy君、家にラジオが来た時のことを覚えている。
しかしその後一か月もしないうちに家の中から消えた。
なぜとは聞くまい。

 その後近所の兄ちゃんが鉱石ラジオを作ってくれたのを突然に思い出した。
電源も電池いらないし、深夜になれば案外しっかり聞こえたりして、見た目は悪いが気に入っていた。
かまぼこ板や赤黒いエナメル線の円筒形のコイルを、どうかしたはずみで思いだす。

 

                   了

                oldboy-elegy

 
 下のリンク記事はoldboy-elegy君の2作めの音楽記事である。
サイモン&ガーファンクル」の「アート・ガーファンクル」について焦点を当てた内容である。
あまりこの事について言及された内容の物を読んだ事は無いように思う。
一読されんことを乞う。

 

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

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