oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (4) 修羅場と化す正月の映画館、煙幕?の向こうに銀幕,笛吹童子もびっくりドンドカドン!!!

f:id:oldboy-elegy:20190830204120j:plain

ブログ内容にくらべ、映画館がすてき、「イラストヤ」さん、いつもありがとう。

 ここで笛吹童子がどんな映画で俳優が誰で、など語るつもりはない。それらはググリ上手な方たちにおまかせする。ともかく当時の貧乏人の小せがれたちの一断面を正月と映画館と言う特別な日と場所を切り取り紹介しょうと思う。それでは究極の下町、河内の正月と映画館にどうぞ。by oldboy-elegy

   

  5人+1人、これが今日の面子である。
5人はいつもの近所の連れで+1人は女である。
彼女は俺たちより2、3歳年上で一応親たちが認めた保護者兼監視人の立場である。
大人たちは、晦日みそか)の除夜の鐘が鳴り終わるまで働きづめで、映画より、まずは睡眠である。

  彼女のことを俺たちは「安田の華ちゃん」または「華ちゃん」と呼ぶ、時折「おい華!」言うものもいた。彼女も俺たちのことを口ではののしり叱るが、目は笑っている。 
2本おさげ(ツインテールと言うのかな)の可愛いと言うより聡明そうな人であった。



 ともかく、喧嘩も辞さぬ構えで先を争い4席確保できたのは上々であった。
それも初めから2階席の最前列が目標であった。
何もはなから映画を見るのが目的ではないのである。

 いったい奴らは何をしでかそうとしているのか、場内の雰囲気も大団円を迎えつつあった。
上映前の階下を見ると、どこを見ても子供子供で一杯である。
スクリーンのあるステージの上まで、ここが一等席であるかのように人ヒト、それも子供で埋まっている。
そう広くもない館内は嬌声、怒号の渦のなかにある。

 安田の華ちゃんはと言えばこの雰囲気にアンビリーボの表情、この連中のはしゃぎように何か「不吉の前兆」を感じ取っていたのかも知れない。

 
 話をここで数時間前にもどす。
近所に、われわれ御用達のスーパーマーケットがあった。
そう駄菓子屋兼おもちゃ屋である。 
もちろんこの時代、今で言うところの「スー パーマーケット」なるものは存在しない。

 この店には屋号がなかった、近所の人たちは「ちゅうこひん」とあだ名していた。
われわれもおっつけ「チューコヒン」と訳も分からず呼んでいたし、これが店の名であると思っていた。
「おい・チュウーコヒン・いこや」など。因みに「いこや」は「行こうか」の大阪弁
このチュウコヒンが「中古品」の意味であることを知ったのは、もっと後のことである。
おばあさんが一人でこの店をきりもっていた。
使用人どころか家族らしき影もこの店にはなかった。
今になって思うのは、随分失礼な言葉をおばあさんに浴びせていたのである。

 「べったんチュウコヒン高いよ」べったんはメンコの関西ことば。
しかし、おばあさんがこのことで我々を叱ったり、抗弁したことはなかったように思う。

 今思い起こしても、笑った顔は見なかったなあ。
むしろ万引きされないか、気が気で無かったのかもしれない。
間口二間半、奥行き一間弱ていどの店に、半分は駄菓子、半分はやすもののおもちゃが所狭しと並んでいた。

 最近、駄菓子人気でテレビでよく紹介されているが、我々の知る駄菓子とはだいぶ様子が違っているようだ。
いまでは駄菓子と言えども、食品安全に即して物作りせねばならないのは当然のことだし、生身の手で食品に触れ、やり取りするなんて考えられない。
すべからくこぎれいで、上品になり「駄菓子」とは呼べないように思うのだがどうだろうか。
 
 紙ニッキ、ベロベロ、酢昆布、みかん水。 紙ニッキなどは今時売ればたちまち保健所がやってきて、販売、生産停止の命令が下され、運が悪ければ店の閉鎖もありうるような代物である。
まずその毒々しい色からして噴飯ものである、真っ赤、緑、黄色、青、紫、どれも塗料の色を思わせる。
たしかにニッキらしい味はするが、あとがいかぬ、紙ニッキをしがみ、ぺっぺとその辺に吐き出す、口内と唇はその塗料のような原色がべっとり、袖で拭おうものならそれも同色に染まってしまう。

 おっと、興に入って、いろいろ書いたが、「チュウコヒン」についてはいずれ独立した一遍として書く機会を作ろうと考えている。

 今日「チュウコヒン」に来たのは、あるものを買いに来たのである。
食べ物ではない。
もう言ってもいいだろう。
「投げ弾」?「なげだん」である、知っているかな?
見た目は?うん、どう説明しょう、そうだ「ひな祭り」の花あられ、あれにそっくりである。
大きさもまあまあ、近しいし、なによりその色がそっくりである。
ピンク、しろ、薄緑、薄黄色、など5~6色の構成であるのも同じである。

 「花あられ」は食い物で、「投げ弾」はちょっとした爆発物である。
少量の火薬を薄い色紙で包み、のりで重量をもたせ固めたもので、強くコンクリートなどの固いものにこれをぶっつけるとその衝撃で爆発し、後に煙と煙硝の匂いが辺りに立ち込めるのである。

 花火の一種として販売していたのかもしれない。
しかし少々危険を伴うものであることは言を待たない。
対象物は固ければかたいだけ効果は期待できる。
コンクリートアスファルト、固い土壁、窓ガラスなどが爆発効果が大きい。
逆に人に向かって投げてもその費用対効果は残念な結果に終わるだろう。

 その投げ弾をしこたま買い込んだ。
今日は正月である、懐も少々あったかい。

 映画はまもなく始まる。
「投げ弾」もそれぞれのズボンや上着のポケットに納まっている。
館内照明が消えるのを今は待つのみである。

 ここで読者の皆さんに、隠していることがある。
それは、悪ガキ各々が強力なライフルを隠し持っていることである。
「ライフル」?。
投げ弾は弾丸で、弾丸を打ち出すのには銃がいるのは道理である。
人の腕力で投げても、いささか子供の力では非力である。
 察しの良い読者諸兄はそれが何であるか分かっていられることと思う。

「パチンコ!」あるいは「ゴムぱちんこ!」、関西だけで通用する言葉かどうかしらない。
パチンコホール、海物語のあのパチンコでは断然ない。
樹の手頃な枝のY字部分を切り取りVの先に強力なアメゴムを2本取り付ける、2本のゴムの合わさった所に皮や厚地の帆布などで「玉置」を作り完成である。
Yの下の縦棒の部分を握り、玉置(たまおき)に弾丸をのせ、ゴムを精一杯引っぱる。あとは狙いが定まった所で弾丸を瞬時に離す。

 このおもちゃ、結構誰もが「おとう、あんちゃん、じっちゃん」に作ってもらい、下駄箱のおくなどにしまい込んでいる。
れいのチュウコヒンにも置いているが、木製ではなくアルミ製か鉄線でもっとしゃれたものとなっている。

 普段、弾は木の実を使う。
楠の実など、青い頃から濃むらさきになるまで半年近く弾丸の役割をはたす。
熟した濃い紫のクスの実などが衣類に当たると、そこで砕け、染まる。
時間がたつとなかなかに取れない。
あとどんぐり、南天の実などなど。
基本、小石を使うことはご法度である。
今日の弾丸は年に一度の特別使用である。
「ゴムパチンコ」は館内照明が落とされてから取り出すことにしている。
 
 いちばん年少の勝男など興奮の極にいる。
こいつの渾名がおもしろい。
「青ばな町、2丁目」
年から年中、2本の青ばなを鼻したにエレベータのように上下さしている。


 安田の華ちゃん、映画を見ることの楽しげな様子ではない、不安気に見える。
一応付添人の立場である、館内の状況を見ればまさにさもありなん。


 そのうち館内放送が始まる。
より一層の怒号と嬌声と歓声で館内放送もなにもあったものではない。
ついに館内の照明が落とされた。
場内は歓声から拍手、拍手の嵐に変わる。

 映写室からの光は我々の頭上を越えて銀幕に届く。 
誰かがその幕の前に立ち、踊っている、影絵のさまが面白いのかすぐに2、3人の子供が参加。
観客から「じゃまやどけ~」「おんどれひっちんど~」おまえ殴ったろかの昔の方言。など収まりがつかない。

 大阪は河内の場末の映画館、見ようによっては、あのイタリア映画「ニューシネマパラダイス」の一場面を彷彿させる。
ごめん、今言った言葉撤回さしていただきます。
あの名作を、お前は辱め、貶めるのかと、非難されても「ご無理ごもっとも」とお答えするしか在りません。
あの映画の芸術性、人の心に永遠に残る普遍性など、すべてを削り取ったのが、お前のこの駄文であると、夢と思い出を壊してごめんなさい。

 近所の仏壇やとか家具や老舗の饅頭屋などの広告が終わりいよいよ本編である。
「あんたら何もってんの?!」と隠しもってきたゴムパチンコを見て華ちゃんが言った。
これが合図だったこもしれない。
年長の吉雄(仮名)が今やとばかりに一発発射、見事にステージの床で爆発。
「ひゃー」とも「ギャー」ともつかない悲鳴があがる。
これを合図に投げ弾の連射に次ぐ連射。
真下の通路や天井にも。
どうもこの悪辣行為俺たちだけでないようだ。
2階せきの右端の袖口から射かけている奴らもいる。
始まったばかりの笛吹童子、煙幕の向こうの銀幕で「ドンドカドン」の状態である。
狭い館内まさに騒乱状態である。
おそらく10分もいなかったように思うがどうであろう。

 安田の華ちゃん、一番年長の吉雄(仮名)を捕まえケツ(尻の事)を力一杯殴り
「警察沙汰になるわよ、みんなパチンコ隠し、すぐ出るわよ」と大声。
今日の、責任者で保護者でもある自分の立ち位置に目覚めたのであろう。
ここまで来れば、いかにバカとて、事の重大さに気が付く、群衆にまぎれ、とにかく脱出、それ以後この話はタブーであり重大秘密事項になった。
すべて安田の華ちゃんの指示であった。

あれ以来、ゴムパチンコでだれも遊ばなくなったし、口にもしなくなった。


 この事件のづっとのちのことでoldboy-elegy君が大学生でいたころのことである。
母が人から聞いた話やけどと言って、「安田の華ちゃん、死んだって話よ、朝鮮で」
俺自身、母に背を向けて、「ふ~ん」と言ったきり表情を隠せざるほどに動揺していた。


 華ちゃん自身は家族5人で、第何次かの帰還船で北朝鮮に帰った、いや渡ったのだ。
ただ1人、日本に残ったのが次男の何某さんだけである。
お嫁さんが日本人であったそうな。

 親父さんを除いて北へ渡るのにみんな消極的であったらしいが、栄光への脱出エクソダス)ならなかったようである。

 彼女の死は「自殺」であったそうな。
俺自身、このような人生の、度し難い理不尽に遭遇した初めてのことであった。

 

                                                了

                                    oldboy-elegy

記事一覧 - oldboy-elegy のブログ