oldboy-elegy (6) 戒厳令下のソウル(seoul) 、 逞(たくま)しきかな韓国人
韓国の大統領と日本の首相との首脳会談も久しく行われてもいない。この2国が地球の裏側ほど離れていたらそんなに気にすることもないと思うが、なにせご近所、それも海を挟んで、最短で50km程度しか離れていない。それゆえ余計始末が悪い。一方、来日旅行客は700万人/年を超える大盛況、韓国ドラマやKポップなどの民間の相互交流はこれまでになく喧つしい。いまから彼がブログにするのはこんな日韓の関係の事ではない。じつは彼、韓国への渡航歴は約十年の間に60~70回はある、その多くが戒厳令下のソウルであった。そこで遭遇した人達、出来事などの強烈な印象がタイトルの「逞しきかな韓国人」となった次第である。「ところ変われば品かわる」ぐらいのニュートラルな気持ちで読んで欲しいと希望する。
ちょっと話が変わるが昨今、外国旅行先を選ぶ際、「言葉が通じるか否かは重要な要素になるのか?」「衛生的でおいしるいは「スマホは簡単につながるのか?」など自身の日本での生活がそのまま再現できる場所が良いとされることが多いように思う。
そのうえ、あろうことか、現地に行けば「日本人の友達もたくさんいるし知人も多い」なんて聞けば言葉がない。
ま、それも致し方ないと思うが、oldboy-elegy 君、なにか損をしたような気分になるのだがどうであろう。
彼、なにより電話が嫌いである。
もし、国際電話でもあったなら 解放感や自由感が減じて、(かくれんぼ中、鬼に捕まった気分になる。
彼の会社はここソウルに支店がない。
したがってテレックスもない。
通常の連絡は電報であり、これが一番安価である。
よって、よほどでない限り国際電話が入ることもないのである。
それでoldboy-elegy君、なにを言いたいのか?
つまり「外界から閉ざされたこのボッチ感覚、これがある種の快感であり、生きている感覚につながり、奇妙に落ち着く」のがoldboy-elegyの基本的な体質なのかも知れない。
もう一つ、言わせてもらうなら「俺はこの21世紀には存在できない種類の人かも知れない」と言うことである。
スマートホンで24時間繋がれ、おまけに自分の位置情報など把握されるなど。まっぴらごめんである。
その昔、ポケットベルなる便利ガシェットが出てきたときなんか「大いに嘆き悲しんだ」ものである。
案の定、俺は今日の状況を直感的にに予見していたのかも知れない
もうおれにはこの世に、存在する理由が見当たらないとまで思いつめたものである。
いま「存在理由」と言う言葉で思い出した事がある。
ドイツ観念論哲学からマルクス、エンゲレスの唯物史観論への橋渡し的役割を担った人にヘーゲルと言う哲学者がいたが、彼曰く。
「存在するものは合理的である」同時に弁証法的には「合理的なものは存在する価値がある」と。、
oldboy-elegy君「俺はこの情報化時代、IT機器を扱う能力も知識もないし、嫌っている」と言う事は、これからの時代に生存する合理的な意味がないのではないのか?と。
まあいいや、世間が俺を必要としなくなって久しいし、そう多くない年金も「若い人から見れば」不合理の象徴かもしれない。
「ひょっとしたら、俺は自分に合った良い時代に生まれ生きてきたのかも」と思う事に、いま勝手にした。
世の60、70、80歳代のoldboy-elegyの方たち日々どのように考え、感じ、思いをお持ちなのか是非とも知りたいものである。
今、ボーイング・ジャンボジェット747のソウル・金浦空港行きの搭乗口の待合ロビーにいる。
突然あちらの商社からのお呼び出しである。
L/C (letter of credit・信用状)に書かれた輸出期限を過ぎた商品が2、3日後に出来上がるので、商品検査及びサインダウンを急ぎ乞う、とのことであった。
おりしも、運悪く?台風並みの低気圧が九州・南海上にあり北上中との予報。
当時、ソウルへの定期便は大阪・伊丹空港からjalの1日1便だけだった思うが、勿論関西国際空港(KIX)は存在していない時代のことである。
ボーイング747は文字どうりジャンボジェットで500席以上の巨大さを誇っていた。
しかしoldboy-elegy君、もひとつ、この巨大飛行機を信用していない気持ちがどこかにある。
航空機用の特殊ジュラルミンでできているとは故、鉄やアルミニュウムの親戚みたいなものである。
それが何の支えもなしにあの巨体が空中に浮かび、なおかつ700Km/h以上の速さで飛ぶのである。
支えと言う意味で、せめて杖ぐらいついていて欲しいものである。
oldboy-elegy君には、この巨大機械が物理現象や自然の営みに反した物に見える、ましてや自分がその腹中に乗り込むのである。
さっきから登場ロビーで待っている。
目の前に747が駐機している。
雨も少し降っているようだが、風は分からない。
時折アナウンスがある。
ソウル上空付近はまだ比較的穏やかで、視界も良好と言えないまでも問題なさそうとのことである。
ロビーは人で一杯であり、床に腰を下ろしている人も大勢いる。
学生服を着た高校生らしき男女の集団が行儀よく整列し待っているのが見える。
oldboy-君「今日はもう飛ぶな、明日と言う日もある、君子でもないが、危うい事に近寄らないのが賢明」と思っている。
隣の初老の人が話しかけてくる、強い韓国なまりがある。
「これ今日、飛びまっせ!、絶対に」
俺、何故わかるのかと彼を見た。
「今日は満席でキャンセル待ちの客もいるみたいやし」
俺「???」と彼を見る。
「つまりや、今日は飛行機会社とっては最高のもうけ日やと、いうことや」と言いニヤニヤ。
俺 納得顔で彼に向き頷き「なるほど」と。
oldboy-elegy 君、心底納得した気分、何故か出発案内を待たずに、もうあきらめた気分になってしまった。
このやり取りが終わるか終わらないうちにフライト案内と搭乗手続きが始まる、隣のおっさん、読み通りの結末にまたもニコ、当たったやろのしたり顔。
まあこんな論理で決まったとは思いたくはないが、ともかく出発である。
1時間少々の飛行時間、天候もそんなに急変しないだろうと期待している自分がいる。
今日のフライトはベルト着用のサインが点灯したまま、急激な気流の変化に備えてのアナウンスもあり、軽食や飲み物も早めに出てさっと片付けられた感がある。
自分の座席の後ろにいる客室乗務員の人もほとんど席に座ったままである。
とちゅう多少のアップダウンはあったが金浦空港着陸まで10分少々のアナウンスもあり少し気が緩んだのを待っていたかのように、ふいにドターンと機体が急降下、これには前にいる高校生の集団から嬌声や悲鳴があがる。
そこからがいけない、谷底に落とされたかと思うと、次の瞬間グググとゆっくりと上昇気分、その都度学生さんを始めあちこちから「キヤー」「ギヤー」とかのくぐもった悲鳴が漏れる。
oldboy-elegy君、固く握りしめた手の平に脂汗。
もう大分に下降しているはずだと思うが地上は一向に見えない。
窓から見えるのは主翼下の補助翼やスポイラーの忙しい動きだけである。
主翼と補助翼の間の隙間を雨粒か雲か霧か分からないものが激しく流れているのが見える。
おまけに主翼の先っぽが小刻みに揺れている。
エンジンの音も低くなったり、少し静かになって、次の瞬間明らかに出力が上がったりと忙しい。
高校生諸君の悲鳴や嬌声も時折聞こえて来るが、一時より静かになっている。
慣れたと言うよりグッタリとしている。
oldboy-elegy君窓外見ながら少しいやな事を思い出す。
普段の下降時、空港が近づくと窓外前方左側に結構高い岩山が見えてくるはずである。
いま窓の外はさっきと同じで左主翼が見えるのみで普段見えるはずの下界はまったく見えないのである。
もしあの岩山に当れば終わりである。
そのとたんに何あろう、下界の緑がすぐ足元に見えたのである、すぐに滑走路が見え次の瞬間少し荒いが無事着地、ここで客室内、何処からともなく万雷の拍手拍手。
ここで乗務員からのアナウンス、なにごともナッカタように、ソウルの気象、温度、時間(時差なし)と「またのご利用をお待ちしております」がすべて。
金浦空港でのイミグレーションは当時は結構厳しかったように思う。
なんせ戒厳令下である。
夜中12時から朝の4時までの国民は外出禁止である。
だからとと言って日本人が夜中に出歩くのも無理がある。
タクシーも走っていない、ただしホテルなどの社交場はその間も夜間営業中である。
もちろん12時までに入店したら4時までは出られないようである。
過去には在日韓国人が大統領の奥さんを射殺した事件もあったし、夜間の結社、集会はもちろん厳禁である。
当時北朝鮮からのスパイや破壊活動のための越境、侵入もたびたびあった。
oldboy-elegy君も 破壊活動のために侵入したスパイ達の装備品が展示されているのに出くわしたことがある。
ソウル駅の中央コンコース脇にそれがあった。
エアータンクなどの潜水用具などがあったのを覚えている。
銃などは無かったように思う、もしAK47・カラシニコフでもあれば忘れるはずはなかろうと。
ま、ともかく、政情不安が常態化していたから、イミグレもおっつけ厳しくなるのは当然のことであろう。
なんのための入国か、滞在予定のホテルは、ビジネスの簡単な内容などの通り一遍のこと事を聞きながら、窓口の机上の下にもう一つ机があり、ここにブラックリストの写真などの一覧が置かれていてこれと照合しているのであるそうな、時間がかかるのも当然のことである。
oldboy-elegy 君 イミグレも無事通過、機内預けの荷物を引き取るためにターテーブルの脇に立っている。
着替えや、日常必要な身の回り品は段ボールの箱に突っ込み定宿にしているホテルのカウンターの裏の部屋に預けている。
手荷物はちょっとしたお土産品や頼まれ品(めちゃ高価なものはない)がほとんどであるが、手荷物検査でひっかかった場合のためリストを作りインボイス化してある、頼まれ物は一応領収書も隠しもっている。
やがて自分の機内預けの荷物がターンテーブルに乗ってやってきた、今回は急な出張で準備不足のため少なめである、これが有難い、しかし油断は禁物である。
役人の気まぐれには手を焼く、前回はなにげに無理で税関にいったん預けかな、と思ったものが問題なく通過できたり、今回はたったこれだけ、楽勝と思ったものが留め置きされたり、とその基準がさっぱり見えてこないのである。
そのため取りあえず手は打って置いたのである、多少費用がかかるが無難である。
税関で1週間も預ける羽目になったらサンプルや部品や装粧品などがない場合、商談ができない場合もある。
ゆえにこのこと(裏金)は「必要悪」で「潤滑油」なんだと思うことにしている。
ターンテーブルから荷物を下ろしボケーとしていたら、向こうから肩章付きの水色のシャツを着た(必要悪さん)らしき中年のおじさんが何気に近づいてくる。
今日の手荷物検査官である、顔に憶えはない。
ひょこひょこやってきて、少し離れて立ち止まり、「oldboyさん」と小声で、俺「はい」とこれまた小声で、するとその少し離れた位置のまま、くるりと自分がきた方向にお戻りなるが、彼の後ろ手に組んだ指が俺に「おいでおいで」をしている。
少し間隔が詰まると、後ろ手に組んだ手のひらが「離れて、離れて」と合図がくる。
あくまでも自然に検査台に近づかねばならない。
検査台そのものは20台近くあり、検査官のおいでおいでに連れられ左端に近いそれに到着である。
顎でしゃくられ、目配せされそこに並ぶ、だいたいいつもの場所である。
この場所が結構重要なポイントでもある。
検査台のすぐ向こうにKOTRA(コトラ)の空港出帳事務所がある。
韓国貿易振興公社である。
公社とは半官半民の組織ではあるが基本政府組織みたいなもであるとoldboy君は理解している。
そう日本で言うところのJETROである。
あれにたどり着けば危ないものを所持してない限りこちらの味方である。
やがて順番がきて大小のバッグを検査台にのせる、先ほどの(おいでおいで氏)はすこし離れたところから見ている。
二人の係官が2個のバッグのチャックを勢いよく開き手を入れ中を見ているふりをしてOKを言い、すぐに顎で検査台を通過しろと促す。
KOTRAには取引会社の名と電話番号のメモだけ残し無罪放免と相成った。
今晩は頼まれ品の配給と別に今日かかわった人たちへのお礼とちょっとした宴会である。
空港へは商社のボロ社用車(ポニー)が運転手付きで来てくれてるはずだ。
ちなみに自家用車の運転手の名刺には「運転手」でなく「運転技師」となっている、そんな時代であった。
そう会社付きの運転手は全て「運転技師」でプロなのである。
ここでのプロの意味は日本とは少し違う。
安全運転の概念すこぶる欠如している、日ごろ日本で運転しているoldboy-elegy君には「いかにアクロバット」運転ができるかが「プロの資格」であるように思ってしまう。
高速道路から一般道への降り口などまさに「プロ」の技である。
数センチの間隔ですべての車両が出口に一斉に向かい先を争う。
警笛の洪水とウインドウの窓を開け罵り合うのである。
確かに、単に「運転者」であるoldboy-elegy君、ここでは「運転技師」には絶対になれぬ。
個人持ちの自家用車がまだ殆んどない時代である。
もうほぼ6000字になる、取りあえずここまでをNO1として何号までこのタイトルが続くか見当もつかないが日本では経験できないエピソード、少しやばいこと、ほろっとすることなどを書いていこうと思う。
なんせ出だしだけは少し考えるがあとは成り行きに任せて書いている。
取りあえずUPして誤字、脱字、文章の表現などの手入れをする。
記事の公開数がゆっくりすぎると思われるかもしれないが、ま、自分に合ったペースでやってゆくと決めている。
自分の身勝手お許しあれ。
了
oldboy-elegy