oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy(9)  Tenko(女性の名)は恋人だったの? 違う?ただの女友達?それは絶対に違う、適切な関係を表す言葉があれば教えて欲しい。

f:id:oldboy-elegy:20190719084214j:plain

セーラー服はこんな感じ、学生服には校章入りの学帽が必要、学ランと言う言葉、当時無かったように思う


画像の注釈の追加・女子のリボンの色は濃エンジでラインも同色、スカートはやや長い、靴下の事、何故か思い出せない。
                        

 (雑感・雑記帳 NO.3)の冒頭で(老化の兆候か?、体の部品の機能がダウンしている、特に最近目の調子がいかぬ)、とグチらしていただいた。
眼科医曰く「瞼の筋肉が弱り、下垂傾向、そのためまつ毛が眼球の表面にあたり、いわゆる逆まつ毛状態、不快感はそれが原因」とのご診断。。
そのまま、この手の手術の得意な形成外科の先生の紹介をいただき、診断を受けた。
後日、手術と決定、30分ぐらいの術時間で入院の必要もなし眼帯もしなくてokとのこと。


手術を受けてきた。
抜糸は1週間後とのこと。
ひどい痛みはないが右目全体がチクチクする。
oldboy-elegy君「あの~先生、テレビやパソコン触ってもいいですか?」と質問。
「あなたが苦痛でなかったらいいですよ」とあっさりokの返事。
鏡で自分の顔を見ればゲンナリ四谷怪談のお岩さん状態である。
下瞼からホッペタ上部にかけ結構な腫れ、おまけにやや赤紫色に変色「ウッヘーなんじゃこれ!買い物いややな~、むしろ眼帯欲しいわ」の思い。

 それから1週間が経ち、抜糸を済ませてきた。
小さな小さな糸切りバサミでチキチキ・ピッチンと糸を切るかすかな音。
腫れは術後すぐと比べて随分に小さくなったが、下瞼から頬にかけての皮膚の色はまだまだ完璧とは言い難い。
両目にもともとあった貧弱な二重の瞼のうち手術をした右目は今完全に一重になっている。
次の検診は8月中旬とのこと。
Dr「もし何かあればいつでも来院してください」とのこと。
つまりここから後は自然治癒にまかせるとの事である。

 完治後、左右の目の形が違わないか少し気にかかる。
Drにその事を質問したかったが何故か言えぬまま、「ええ年寄りが、何を気する」のかと思われるのがイヤだったのである。
oldboy-elegy君、豪気者の母上の下で育った割には肝っ玉が意外に小さいのである。

 一応、前記事で目の手術の事に少し触れたので、その顛末をとの思いで今日この記事に書かせていただいたのである。

 ここからが記事の本文である。
「oldboy-elegy君の場合  Tenko(女性の名)は恋人だったの?***」随分なタイトルではある。
この記事を書くはめになったのは以前の「oldboy-elegy君、この歳になり初物4連荘、救急車、美人麻酔医師、手術、最後にご入院」の記事中に使用した言葉が原因である。
もうその時から今日のこのような記事を書くことは必然なのであった。

 その文とは

 「下校時、3人組に襲われ下駄で顔面を殴打される。唇の内側を4針縫う。
犯人の1人を知っていた、中学時代の同級生である。
おんながらみであった。」

 上記の文が冒頭すぐに出てくる。
そのうちの「おんながらみであった」の部分である。
当初、その記事中でもう少し説明を加えようとも考えたが、あまりに枝葉末節にすぎ、本文の骨格から離れてしまう、と考えそのような言葉のまま(おんながらみであった)として捨て置いたのである。
その上なにかしら、不遜さも感じる、そう「おんな」の文字が気にいらなかったのである。

 そして今になり、その事情を記事にすることに相成ったのである。

 彼女の名は「てん子」「Tenko」と言う。
名字はここでは必要でないので「Tenko」で通すことにする。

 中学時代のクラスメートである。 
じつは、Tenko、このoldboyくんのブログに、2度目の登場である。
そのブログの、タイトルは(母ちゃん、oldboy-elegy君のせいで学校に呼び出される***)の記事中に既出なのである。

その時、彼女(Tenko)は名無しの女学生で非常事態のoldboy-elegy君の前に突然、表れていたのである。

 もし良かったら読んでいただきたい。
サイドバー、アーカイブ中のタイトルは「母ちゃん、oldboy-elegy君のせいで学校に呼び出される。中略・・・・、教頭、担任の前で紫煙をプカリ」である。


体育の教師に本気でヘッドロック状態で10発ほどボコボコそしてまたもボコボコと殴らた事があった。
その時、「気に入っていた女子がハンカチを水で濡らし手当してくれたこと、コレ」の当人がTenkoだったのである。
彼女自身は転校生でまだそんなに月日が経っていないころの事である。

 俺を下駄で殴打したKも同じクラスの在席者である。

 中学のころTenkoと俺が特別仲が良かったと言う事でもないし、互いに意識することもなかったと思う、単にクラスメートの一人としてプラスoneぐらいの感覚であった。
しかし内心仲良くなりたいなと思う気持ちは、その青春の入り口に立った男の子が示す意味不明の逆行動を見れば笑ってしまう。

 むしろ嫌われているかもと思っていた。
あるとき彼女の椅子の背もたれの2つの出っ張りに、洗った靴下をかけ、干したことがある、これにはTenko怒り心頭、本気で2、3発胸をしばかれたことがある。

 俺を下駄で殴打したKに関しては、これもクラスメートの一人として知っている程度で、ましてや彼がTenkoのことを恋慕していることなど知る由もない。

 この事件から数年後、Tenkoと俺は偶然地域の同じ公立高校に入学する。
偶然と書いたが、まあ学業成績はドッコイドッコイゆえ地域の同じ公立高校に進むのは、費用の面からも当然の事であった。
Kは電車で5、6駅先の工業高校に行った。

 高校での初のホームルームの日、俺の隣の席は誰あろう、Tennkoである。
「なんやまたお前か、高校の気分全然せ~へんわ、堪忍してくれよ~」とoldboy-elegy君の嘆き節。
TenkoはTenkoで「なに言っとん、それこっちの言うセリフやわ、あほらし」と言いながらげらげら笑っていなさる。
改めてクラス全体を眺めてみると、知った顔があちらこちらに。
Rがこちらを見てニコニコ顔で手を振っている。
Tenkoも俺も中学時代から苗字も名前も変わっていない、してみればアルファベットも同じはず、クラスが同じなら真横は特別にしても、すぐ近くの席になることは不思議でもなんでもないのである。
「oldboy-elegy君、高校に来てまで汚い靴下、椅子に干さんといてよ」とTenko.
「なんや未だ憶えてるんけ、執念深いヤッチャなあ、お前」と俺。

 oldboy-elegy君、Tenkoとあれこれ話すようになったのはこれ以後のことである。
女性との間で「裸の付き合い」とは少々異論がおありの方もあろうかと思うが、これから1年2年と経つうちにホンに妙な関係になってしまうのである。

 oldboy-elegy君、中学時代と違い、だいぶに大人になってきたようである。
妙ないたずらもしなくなってきた。
それ以上にTenkoが急速に大人びてゆき、それに圧倒されていたのかもしれない。

 やがて1年生も終盤にかかり進路の決定に迫られることになる。
進学か就職か、進学の場合、理系か文系かの選択も同時に決めねばならぬ。
当時、比較的成績上位の高校でも結構多くの就職希望者がいた。
とくに女子の場合がそうである。
良いか悪いかは別にして、大学卒業してからの就職より高卒で就職する方が都市銀行を始め有名大企業に入れたのである。
Tenkoも就職を希望するうちの一人であった。
「おまえと中二から3年間も同じクラスやったな、それも俺の席の近くばかり、今度こそお別れやな」
Tenkoは中学2年の時、父親の転勤で名古屋から移ってきた転校生だったのである。
「よう言うわ、あんたこそ私の近くをうろうろして!」とTenko.
「おまえが側におれへんかったら、もう一度高校に入った新鮮な気分になるんかな、それとも落ち着かんようなるんかな」とoldboy-elegy君。
「よう言うは、失礼な」Tenkoふくれぎみ。

 もう冬休みに入ろうかとするある日Tenkoに廊下で呼び止められる。
「あんた24日、クリスマスイブの夜空いている」とTenko。
「??!!」の俺。
「家でクリスマスパーティするんや、ちょっとパーティは大げさやけどな」
「ほかに誰くるんや?」
「母と弟に私だけ、お父さんは残業、それにお客さんはあんただけ、嫌や言わんといてや、初めてケーキを母と作ろうと言うことになって、親子3人で食べても味気ないし、あんた誘ったんよ、母さんも大賛成で力も入る」と言う訳や、とTenko。
それにプレゼントいらんよ。ただしケーキの味保証せんから」と有無を言わせぬ調子で喋り俺を覗き込む。

勢いに押されて反射的に「分かった」と返答のoldboy-elegy君である。

 その時、持って行った手土産が30cmほどの大きさの卓上用の門松である。
寺院脇の花屋のあんちゃんの商売用の門松である。
彼、毎年この時期、近くの農家の軒先と言うには随分広い場所を借り大量の門松を作っているのである。
小は卓上用の30cmぐらいから大は1.5Mぐらいの特大のものまでいろいろである。
「必要なら、どんな大きさのものでも作るよ」と言うのが彼のコンセプトである、あれこのセリフ何処かで聞いたよな気がするな。
oldboy-elegy君、去年の年末からこの門松づくりの下働きの手伝いをアルバイトとして手伝っているのである。
殆んどの材料や資材はタダ同然の物である。
一番それらしき材料の竹は、枚方の彼の知人の竹藪からの調達品であるそうな。
南天の木もそんなところである。
あと空の灯油の一斗缶、安物のプラスチック製の植木鉢
荒縄、針金、土などなど。
oldboy-elegy君、一度ならず、クマザサ取りに金剛山の山間部に花屋のあんちゃんと小型トラックで取りに行った事がある。
もっと言えば「盗み」に行ったのである。
即ち門松づくりは、格好よく言えば「労働集約型?」の産業なのである。
少々コストがかかるのは葉牡丹ぐらいのものである。
それだって花屋が本職の彼、いくらだって増やす術を心得ている。

 このバイト、少々きついが、相場の2~3倍の時間給である。


 この門松の販売先は大阪市内のヤクザやさん一件のみである。
決められた大きさと、本数を小型トラックに積み込みヤクザヤさんの組事務所に行くのである。
場所も何気に記憶している。
交差点の北東角に小さな公園がありこの奥に飲み屋、食堂が並ぶ、その中の一軒の2階部分がそうである。
組事務所の部屋の半分もあろうか、デッカイ、キングサイズのベッドがドカーンと置かれている。
色は、あまりにらしいので良く憶えている、白とも銀色ともつかぬものである。
そこへ奥の部屋から3人のヤクザやさん登場。
そのうちの2人を乗せ、夜中の心斎橋と脇道を行ったり来たり。
彼らに指図され「1.5mを1本、1m1本、卓上2個」などをトラックの端に引っ張り出すのである。
あとはヤクザやさんの若い衆がやってくれる。
時折、バーのマダムらしき女性が出てきて悪態をついている。
無理やりに置くだけおいて、集金は後日と言うシステムらしい。

 今日のTenkoへの土産がこのうちのミニ門松と言う訳である。
事情を話すと一本無料でいただいたのである。


 あれからもう随分と経つ、時折あの門松を貰った花屋の2、3軒先のコーヒー兼カレー屋、インデラで落ち合うこともあるが、高校生の身分でそうそう行けるはずもない。

 多くはTenkoの家の近くの小さな神社に行く。
社殿とこの前に置かれた賽銭箱はなにやらくたびれ感が漂う、脇の社務所らしき造作にも人影を見たこともない。

 体育教師にボコボコにされた時、そのあまりの激しさに殆んど反射的に外の廊下に設えてある水道まで走り、ハンカチを濡らしシップしてくれたのが、対対の最初の出会いと言えば出会いである。
しかしその行為はoldboy-elegy君だからどうのとは一切関係はなかったのである。

 大学に行く気はTenko、全くない。
第一今以上勉強するなど考えもしないし、これ以上、何を勉強するのか見当もつかないのである。
「もともと勉強、嫌いやし、折角試験も無くなんのに、なんで好き好んで・・」の心境らしい。
「それに私、年の離れた弟も居るから、そのぶん早く社会に出て働いたほうが自然やし、うち自身の値打ちも出るはずやと思うんよ」

 「それよりあんたこそどうなんよ?」
Tenkoには大方の自分の家の事情は話している。
母親の戸籍に入籍、いわゆる私生児、小学途中入学、保護者は母、義理の兄貴二人の存在、実は先妻と言うのか現妻言うのか知らないがもう一人男の子(3男)を連れていたのである。
oldboy-elegy君、このことは随分後に知ったことである、
一瞬驚きはしたが、すぐに「さも有りなんの心境」に解脱。
両親はこれらのことで時折いさかいをするが当人のoldboy-elegy君、全く気にしていないのである。
いくら気にしても、これらの属性が消えて無くなるものでもない、なら当然の事として受け入れるべきだし愚痴ってもどうしょうもないのである。

 Tenko、これらの事を、黒目勝ちの目を見開き、驚きはしているが何処か楽し気に聞いているのである。

 ここ神社の木立、藪の間からTenkoの住む小ぎれいなアパートが見える。
お母さんが出てきてなにやら自分達におらんでいらしゃる。
「コーヒー淹れるから帰ってこい、って」とTenko。


 修学旅行は150人ずつ3班に分かれた。
行先はそれぞれ違っている。
ここで運よくと言うのかまたまたと言うべきかTenkoと同コースとなったのである。

 集合は夜遅くに、大阪港天保山埠頭 関西汽船乗り場である。
船は大阪から神戸に寄港、やがて小さな明かりが漆黒の闇の奥に点在するのみである。

 甲板デッキから船室への途中でTenkoと出会う。
「ようTenko どこ行くんや」
「なにを言うてんの、あんた探してたんや」
「俺もさっきからTenkoさがしていたんや、デッキに出よか、ちょっと寒いかもしれんけど」
「カーデガンとってくるわ、ここで待っといて」

 「へ~あんた革靴履いてるんや、ハーフコートも羽織って、もう大人の恰好やな」とTenko。
甲板は結構、風が強く流れている、oldboy-elegy君学帽を押さえながら、
「学生帽と革靴がなんか自分的に違和感あるんよ、これらあの門松のアルバイトのおかげやから」、と照れ気味のoldboy-elegy君。


甲板の手すりに結構多くの自高生の顔が見える、その多くはカップルである。
「門松、母さんすごく喜んでたんよ、ヤクザのお下がりやて事情教えたら、世の中想像もつかんアルバイトあるんやなと、げらげら笑ってはったわ」
「甲板の後ろの方行ってみよか、ここ風が強いし」 
船尾のベンチはすでに満席状態。
壁を背もたれにして甲板に引いたタオルに腰を下ろす。
今想い出した、当時ハンカチ替わりに白のタオルを持ち歩く学生が結構いたのである。
いわゆるバンカラ気風の強い奴など腰のベルトの後ろにタオルをぶら下げているのもいた。
さすがにoldboy-elegy君、そんな気風ではない。

「中二の6、7月ごろからか長いな、体育の山本先生にボコボコにかまされ、さすがに半泣き状態になったは、あんときTenkoに濡れたハンカチで頭冷やしてもろたな、あの思い出だけで10年は生きられる気がするわ」
と、チョット遠くを見る目。

「なにを大げさな、チョット寒いわ、コートに入れて」とTenko。
風が少し弱った分だけ小声でもよく聞き取れる。
「私らちょっと早く出会ってしまった、子供のままに、そう思うんよ」と真剣な表情のTenko。
「なんだろうな俺達、絶対恋人ではないよな、そやけどたんなる友達でも絶対ないよな」とoldboy-elegy君。
「あんた、私のnaked想像したことある?」
「ネイキッドってなんや?」
「あんたnakedも知らんのに!大学行くつもりなん?」
「通ればの話しや、自分でもどうなるか分からへん」
「あんた折角こう言う時、ムードなしやな、女の私が思い切って聞いてるやんで、スペル間違ったら嫌やから、あんた調べてみ、意味はな、裸 や、もう味も素っ気もあらへん」
「!!??!!そう言うたら、いま気が付いたは、考えた事あらへんかったな・・・」
「そうやろなそう思うは、その気持ちがうちに以心伝心に伝わっていたんよ」
「それにもう一つ、あんた童貞?」とコートの中から黒眼が光る」
oldboy-elegy君のたてた膝にKenkoの胸が乗っかってくる。
「それが自分でもよく判らへんのや、父親の紹介で鶴橋の国際マーケットの魚屋で年末1週間ほどアルバイトに行った時に・・」
Tenko「あんたの出来事アルバイトがらみが多いな」とちゃちゃ。
きお取り直して喋り出すと「分かったもういいわ」Tenko。
「あんた困らしても、かわいそうや、もう何も質問しない」と言いながら「最初で最後、キスして」と真顔。

 コートで2人の体と顔を包みなおし、ポテットした厚めの下唇にユックリとあてるだけのギコチナイ数秒ほどのそれであった。

 「Tenko,お前この学校では恋人できへんぞ、あそこのベンチの〇〇子と〇〇雄コッチ見とったぞ」
「バカ言わんといて、どうでもええわ」とTenko。


 そろそろ「船室に戻ろか、階段横の売店でコーヒー売ってたわ、あれ飲んで温まろ」


 Tenkoが俺のコートから出た時石鹸のかすかな匂いが立ち上がってきたのを今でも憶えている。
Tenkoとは高校卒業後一度も会ってない。

 oldboy-elegy君、大学二回生の時、あの神社脇のアパートに行ったことがある、しかし表札は違っていた。
そんな予感はしていた。

              了
         
              oldboy-elegy
  この下のリンク記事がTenkoが無名のまま登場している。
水で濡らしたハンカチで手当てをしてくれた人である。

 

 



記事一覧 - oldboy-elegy のブログ