oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No. 7)大好きな男性デュオ・Simon&Garfunkel・について。 殆んど言及されていない?こと!!

f:id:oldboy-elegy:20190918175355j:plain  oldboy-elegyくんの記念?すべき最初のブログはアメリカン・ポップス、あるいはカントリー・シンガーのパティ・ペイジが歌う「テネシーワルツ」であった。
あろう事か、その時のブログタイトルが「ラジオとパティペイジ、テネシーワルツそして千〇ミュージック」である。
千〇ミュージックとはその昔京都に実在したストリップ劇場のホールの名前である。
別にペイジを諫めるつもりは全くない、むしろ懐かしさとほろ苦い哀しさを主題に書かせていただいたつもりである、それがoldboy-elegyくんの(elegy・哀しさ)たる由縁で全記事に通じる、ある意味、主題でもある。

それでも不謹慎なと思われた方には、ここで「御免なさい」と謝るほかない。

 そのおり、「ペイジ」が歌う、「テネシー・ワルツ」の「Tennessee・・・」の部分の発音が「Chennessee・・・」に聞こえる、つまり、日本語で表現するなら「テネシー」ではなく「チェネシー」とoldboyくんの耳に入る、他の外国人さんのカバーなどを聞けば、普通に「Tennessee・・・」と聞こえるんだが?。
そんなこんなを、「千〇ミュージック・ホール」を通じて書かしていただいたのが、oldboy-elegyくんのブログの始まりであった。

 タイトル画のイラストはアメリカ合衆国はニューヨークのセントラル・パークにて開催された「サイモン&ガーファンクル」の野外コンサートのシルエット画像である!!と思ってくれ。
その記念の日が1981September19・(9月19日)(現地時間)なのである、38年前のことである。
メモリアルデイに記事を公開しょうかと思ったのだが、oldboyくん、自分にプレッシャーを課すこと事を極端に嫌う御仁で「マアーいいやできた時で、ユックリ書こう」に、気分変更、この日になった次第である。

 時刻は日の入り前から夜間の公演である、集まった観衆は50万人をこえる。

 薄い残照の中、「Mrs Robinson」から始まる。

ステージのセットは何を表現しているのか、中西部の農場のサイロかそれともシカゴを中心とした東部工業地帯の重工業、自動車産業の衰退の始まりの象徴なのか、あるいは都会のバックストリートの荒廃した佇まいなのか、ともかく電飾もなし、キラキラ感はゼロ、簡潔そのもの、あるのは撮影の為の最小限必要なライトのみである。

 二人の衣装は?これが全くステージ衣装とは無縁の普段着然としたもの、「ポール・サイモン」はラウンドネックの白のTシャツに黒っぽい薄地のカジュアルスーツ、一方「アート・ガーファンクル」は着古したインディゴカラーのジーンズに細めの黒のベルト、白のややハイカラーの木綿地らしき長袖のシャツ、そこにボタンも止めないまま黒のベストをハオッテいるだけ。
寝起きのベッドサイドに散らかっていた昨夜の服装かもしれない(冗談)。
笑ってしまうのは、「ガーファンクル」のシャツの後ろがジーンズにキッチリ収まらず、はみ出していることである。


 日本なら誰かが気が付き、それとなく伝えるのが普通であるが、それもないままオープニング曲へ。

 ただ一つ残念な事は、アンデス北部のボリビア、ペルーあたりを発祥とする「フォルクローレ南アメリカ民族音楽)」をもとに編曲した名曲「El Condor Pasa・コンドルは飛んでいく」が今回のコンサートで歌われていないことである。
この曲、特に日本人に好まれているものでもある。
峻烈、極まるアンデスの峰々の間に横たわる氷河と谷底の緑の間をゆったりと飛翔するコンドルの姿は、曲調と重なり何故か強く惹かれるものがある。

 この1981セントラル・パーク・コンサートは入場無料(フリーコンサート)である。
当時、財政難に喘いでたニューヨーク市地域活性化のため彼等にお願いしたある種のチャリティコンサートと言う性格がある。
このため曲の選定も(アメリカ、ニューヨーク)などの言葉が入った曲や、彼等のオリジナルが殆んどのように感じる。
ここに「El Condor Pasa・コンドルは飛んで行く」を入れるのは、いくら彼等のアレンジでもコンサートの主旨からも異質感があるのは否めないと思うがどうであろう。

 時代は合衆国東部の鉄を基盤にした重厚長大な産業(鉄鋼、自動車)が斜陽化し、西部のカリフォルニアなどを中心に勃興しつつあった電子機器やIT産業の時代に入って行く前夜のことである。
重要な事はこれ以後、あれほど強固に思えたアメリ中産階級が雪崩をうって縮小し、資産、所得の社会的階層(ヒエラルキー)が、「持てる者はより豊かに、持たざる者はより貧しく」の時代の入り口にあった事だと思う。

 ここからがoldboyくんが考えるサイモン&ガーファンクル」のオリジナル話(ばなし)である、多分。

 いろいろ日本語での検索を試みたのだが、多くはアマゾンを初めとするレコード販売の案内で、時折ブログ記事にてそれぞれの人達の思いや 日本公演時の出来事・エピソードが語られたものである、oldboyくんが記事化しょうとした主旨のものは無かったように思う。
ただコンサートそのものを収録した画像に関する英語での反応については、oldboyくんの拙い英語力では手に余る。

なにせ、これから俎上に乗せる問題の曲(明日に架ける橋)のみで3000を超える英文の書き込みがある。
それでも50件(わずかすぎる)ぐらい、よろよろ、ヨタヨタ読ませていただいたが、oldboyくんが考える方向からの書き込みは無かったように思う。
ただ読み残した3000以上(余りに多い)の英文の書き込みの中にoldboy-elegyと同じ趣旨の文言があったときはご堪忍のほどお願いする。

 その事とは「アート・ガーファンクル」についてのものである。
もう随分前の事であるが、ブログでは絶対ない、youtubeとも違う、多分NHKの教育テレビだったと思う、(間違っていたらゴメンなさい)。「 アート・ガーファンクル」の1時間ほどの単独ロング・インタビュー番組を見た事がある、製作はアメリカのテレビ局のものであったと思うがどうであろう。
検索でこの動画そのものを探そうとしたが見つからず失敗、どなたか見た方がおられても不思議ではない。
oldboyくんこの動画内容の殆んどは失念、しかしただ一か所、強烈に印象に残る場面があったのである。
それは彼(アート・ガーファンクル)の口腔(こうくう)と口蓋(こうがい)の形について語っている場面である。
解剖学的に口腔とは口の内側の事で、口蓋とはその上側の部分の事であるらしい。
口腔外科(こうくうげか)と言う専門の診療科もあるぐらいである。
つまるところ、彼、アートの口の中、口腔(こうくう)の形が解剖学的見地から、歌をうたう事にいかに理想的なものであるかを延々と語っていた場面である。
 このロングインタービューを思いだした時、「アーそれで!!」と強く納得することがあった。
今回、ポールもアートもソロで各々2~3曲歌っているが、そのうち「アート・ガーファンクル」のソロ「明日に架ける橋・Bridge over Troubled Water)を視聴して、なんだこの撮影はと、感心するやら、ゾクゾクするやら、最後は感嘆のあまり、歌い終わると同時に、良い意味の心地良い疲れを感じるほどの感覚をいただいた。

いままで、幾度となく見て来た録画だが、今回初めてあのインタビューの事を意識し、視聴して全く異次元の感動を得ることができたのである。
少し、視点を変えてみるだけなのに、こうにも印象が違って見えることには驚きであった。

 歌唱時間は約4分半ぐらいで、始めから2分20秒位までは、いつも見ているそれとそんなに違った所はなく、チョット力(ちから)が入ってるな、思ったぐらいである。
撮影スタイルと言うのか、撮影技術と言うのも普通で、全身から顔のアップに入ったり、カメラ位置が反対サイドに変わったりと、なんら特別感は無かったのだが、曲の半ば過ぎから、画像の撮影スタイルがガラリと変わったのである。


 それ以後、彼のステージ上の全身を撮影することは殆んどなくなり、大部分が彼の頭部と言うか、顔のアップに費やされ、彼の口内、口蓋、舌の動き、喉の奥、喉ちんこまでが画面一杯にド・アップされて撮影されだしたのです。
しかも、この状態がほとんど歌い終わるまで継続されているのである。
最後にカメラが彼のUPから離れ、全身を映し出した時、腰のあたりで左手で力一杯、こぶしを握るが、それでも控えめな動作は、観衆に見せたものではなく「よし完璧にやれた」と自分自身に言い聞かせた動作だったと思う。


 この特殊な撮影はガーファンクルとカメラマン、あるいはディレクターなどとの了解の上、意図的になされたもののように思うのだが?!!どうだろう。

 そこで兎にも角にも、これらの事を意識して視聴して欲しいのである。
当初、ここにyoutubeのURLのリンク張るつもりだったのだが、権利関係が分からないので各々個人として閲覧するのがベストと判断した。
該当コンサート名を記述しておきますので興味のある方は視聴されて確認されるのも一興かと思います。

★下記の画像アドレスはリンクされておりません。
 検索にて、コピー&ペーストでお願いします。
 
直接「明日に架ける橋」に入ります、2分20秒あたりからあとがoldboyくんの
 気になる箇所です。


Simon&Garfunkel-Bridge over Troubled Water (from The Concert in Central Park)

 oldboyくんにとっても、あのインタビューの記憶が完全に具現化された瞬間でした。


 ずっとずっと昔、高校生の頃だったと思います。
「サマーセット・モーム」の小説、「月と六ペンス」を読んでいた時のことです。主人公は「ゴーギャン」と言われいます。
特別面白いとか興味があって読んだわけではないし、学校の課題でもなかったはず、ただ「モーム」の名にひかれて手にしたぐらいの事です。

 南の島(タヒチ)で、主人公が自堕落な生活をしていたジャングルの葉っぱ小屋に、誰かが訪れたのです。
その小屋に入った瞬間、粗末な小屋の壁いっぱいに描かれた彼の絵が圧倒的な力で訪問者の目に飛び込んできたのです。

 oldboyくん、このくだりで、フイに背骨から脳髄にかけて何かが走り、涙が出そうになったことを記憶していますが、それを引き起こした原因も感覚もそれ以来二度と我が身に訪れたことはありません。
もとの平和な凡人に戻っただけのことです。

 芸術家とは、そんな感覚を一生持ち続けることができる特殊な人達だと思うのですがどうでしょう。

 「ガーファンクル」はあの時、その極みの感情の頂点にあったように思います。
人によっては、それは演出だったかも知れないよ、言うかも知れませんが、oldboyくんそんなことどうでも良いことで、あのテレビでのロングインタビューとセントラル・パークでのソロの歌唱表現が一本の紐で結ばれた瞬間だと感じたのです、同時にこのことを記事化にしょうと決めた瞬間でもあったのです。

 ともかく、oldboyくん、このことを曲がりなりにも記事にできたことは嬉しい限りです。          ではでは

                    了
              oldboy-elegy

  下記のリンク記事がoldboy-elegy君の記念?すべき第一作のものである。
良かったら、合わせて目を通していただければ感謝。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

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