oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (14)救いの神(ボンネットバス)降臨、しかし元凶は俺なのか??!!

 

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 このイラスト画像、勿論バスである。 
ただしバスはバスでも昔懐かしボンネットバスと呼ばれる形式のものである。
 アメリカなどのスクールバスは概ねこのスタイルのものが今でも多く使用されているとのこと。
 塗装はウオーニング(危険認識)カラーの黄色が主流なようである。
 車両の構成部分の中で一番重量比が高いとされるのがエンジンである。
その部分が運転手、乗員の部屋とは別にボンネット部分に格納されている。
そのため衝突時にも人身に与える障害が軽減されると言うのが理由であるらしい。

 「
なぜそんなにボンネットバスにこだわるの?」と諸兄はお思いなさるかと。
今回の記事、one noteをネタ帳替わりに使用しているoldboyくん、そこに、「山中良樹くんの事(仮称)・ボンネットバス」のメモがブログを始めたころにすでに記入されていたのである。

 
記事化するにはどうしてもこのボンネットバスのイラスト画像が必要条件であり、無ければ、話の印象が随分と棄損されてしまうとまで思っていた経緯がある。

 
今回も、ネタ帳を、ぼんやりした頭で繰って(スクロールする)いたら、これまた、なんとはなしに「ボンネットバス」の部分でストップ、「まあ無いやろな」
いつもの通り初めからあきらめムード。
つまり探しても「あるはずがない」とoldboy-elegy君、決めつけているのである。
「まあいっか、どうせ暇なんやし、検索して見よ」の声が、これまたうつろに後押し。
取りあえず、いつもお世話になっている(いらすとや)さんで「ボンネットバス」にて検索。
すると、なんとなんと、あったではないですか、それも一枚だけ、またその一枚がoldboyくんが、「さもありなん」とイメージしたものとピッタシ一致。
瞬間、「この記事一丁出来上がり」と感じて、今こうして作業中(記事を書くこと)の身でございます。

 「いらすとや」さん、いつもいつもお世話になります、もう少し、私のブログに人気があればと思うのですが、この点お許しくださいね。

 さて前書きが少し長くなったのですが、何故「ボンネットバス」の画像が必要だったのかを含めて、納得して頂ければ嬉しい限りでございます。

 oldboyくん、幼少の頃、確か、小学3年生の頃のお話です。
年は変わったと言えど春は未だ未だ先のこと、近所の同学年の「山中良樹」くんと連れだって登校途中のことです。
彼とは学年は同じだがクラスは違っています。
山中君ははoldboy君の家の裏手にある畑に沿い、4,5軒ある小ぎれいな平屋の1軒に住む子であるが、そう仲が良いとか、普段の悪さ遊びの連れとか言う訳でもありませんでした。

 つい最近越して来たらしいのですが、どこか我々と違い粗野な部分は全く感じられず、言葉も同じ関西言葉ではあるが、河内弁ではありません。
そうそう彼、この寒空に半ズボン姿なのです。
誰か近所の大人を介して、お母さんともども挨拶に来られての付き合いであり、母などは「朝、学校に連れもって行くんやで」と気に入っている様子なのです。

 それを言えばoldboyくんも小学1年の途中入学と言う事もあり、当然生粋の河内弁を駆使出来るわけもなく、言わばエセ河内弁なのですが、そこは少々の調子の良さといい加減な性格でカバーしている存在なのです。
「おんどれ、なめちんけ、よこずらひっちんど、われ」は河内弁の定番フレーズですが、oldboyくんが言えば何処か調子が狂うようで笑われるようです、「よう、われ」。

 軒を連ねた町中を抜けると、すぐに視界が開け、やや広めの農道が真っすぐ東に伸びていて、小学校の西門に突き当たるのです。
道幅3m位で門までの距離、300m位かもう少し短いかな、この道を鋏んで田圃と畑が続きます。

 ただここで、言っておかねばならぬ事が一つ、それは、この農道の南側にもう一本並行に走ってた府道(県道)が存在していたのです。
府道と言ってもバラス(ジャリ)を敷いたギリギリ対抗2車線程度の道です。

 二人は農道を離れ、田圃(たんぼ)に降り嬉々として飛び跳ねています。
今朝は良く冷えたのか絶好のコンデションです?。
刈り取った稲の株に昨夜来からの冷え込みで霜柱が立ち、薄い氷が張っているのです。
これをズック靴(薄いゴム底の運動靴)を履いた両足で跳ねるように踏んづけて走り回るのです。
「バリバリ、ギュ、キュウ」など、踏みつける調子でいろいろな音が発生するのと足裏から伝わる感触はたまりません。

 ひとしきり、嬉々として飛び跳ね、遊んだ二人は元の狭い農道ではなく、広い府道(県道)の近くまで来て、そのままこの広いジャリ道に上がろうとしていたのです。
この道路脇の辺りは田圃(たんぼ)ではなく、府道に沿って畑となっていたのです。

 その時、考えもしない大変なことが起きてしまったのです。
良樹の悲鳴と水音が殆んど同時に聞こえてきたのです。
oldboy-elegyくん、とっさに振り替えるが良樹の姿が見えないのです。
水音、時折悲鳴、くぐもった声がするばかりです。
それでもわずか10メートルも行かない先に彼を見つけたのです。

 そこにあったのは!、皆さん分かります、畑の造作に隠れるように野井戸、野井戸があったのです。
彼が覗きこんだ時は良樹ほとんど水没状態で、このあとすぐに手足をばたつかせた彼が現れたのです。
野井戸は直径1.2~1.5Mぐらいの円形、縁の高さが畑の地面から20~30センチぐらいしかないコンクリ製で、子供でも足をすくい取られるほどの代物です。

 とにかくランドセルを放り出したoldboyくん、懸命に手を差し出しのですが、あとわずかの所で届きません、良樹のランドセルの肩バンドにも同様です。
そうこうするうちに良樹、水に沈んだり浮いたりで、このままでは大変なことに、の思いがoldboyくんの脳裏をかすめるのです。
あたりに、誰かいないか、縄か棒切れでもとキョロキョロした時、oldboyくんの目に飛び込んできたのが府道を西からやって来る、バス、そう近鉄バスボンネットバスなのです。
oldboyくん、もう必死です、府道に飛び上がり目の前に来たボンネットバスに身を投げ出すようにして止め、自分でも何を言ったのか、言葉にならない言葉で何かを言ったのでしょう。

 運転手さんや、乗客、女性の車掌さんも含め、5~6人の人たちが道からドタドタと畑に飛び降りすぐに良樹をなんなく野井戸からひっぱりあげてもらったのです。
oldboyくん、人生でこれほど怖い思いをしたのはこれが唯一の事だったかもしれません。

 良樹は意外に元気で「ゲホ、ゲホ」しながら泣くこと泣くこと、ただ助けていただいた人たちがどんな方なのかなどの記憶は全くありません。
それでも良樹、「家に帰る」と、泣き泣き言うので目前の学校ではなく家に連れ帰ることにしたのです。
付き添って彼の自宅まで言って事の顛末をおばさんに報告したまではoldboyくん、記憶にハッキリと残っています。

 もしもしあの時、あのボンネットバスが通らなかったらと(考える度胸)は彼にはありません。
へたすれば一生の負のトラウマをあの時、背負うことになったかも知れないのです。

 偶然の神様に感謝、そしてなによりもあのボンネットバスの走り来る雄姿に乾杯。
これこそが「救いの神の降臨」と言わずになんと言えば良いのでしょうか。

 その後、良樹のお母さん、近くの寺で新しい名前をいただき彼に与えたのです。
祝い事としての紅白饅頭の入った白い箱に新しい名が書いてあり、母に読んでもらったのですが今は記憶としては残っていません、勿論饅頭の事はしっかり覚えています。
この事件の後のそう遠くない日に良樹は隣町に引っ越して行ったのです。
勿論小学校も転校と言う事になります。

 ここまでブログを書き進めたoldboy-elegyくん、「ウム」とあまり気分の良くない思いが胸に引っかかったのです。
よくよく考えてみるに、彼を救ったのはoldboyくんであるのは確かですが、同時にこの事件が発生した、もともとの原因もoldboyくんに有ったと言う事実を今この時に(記事をかいている)初めて知ったと言うか、思い至ったのです。

 霜が立ち、氷の張った田圃(たんぼ)の切り株を嬉々として踏みつけ廻り、その音と足裏の感触の楽しさを教えた張本人は、誰あろう、oldboyくんなのです。
つまり、俺と連れ添って登校さえしなければ良樹は野井戸にはまらずに済んだ事になるのは明瞭です。
 良樹の引っ越しは単なる引っ越しであったのか?と今この瞬間に疑問がわいたのです。
oldboy君の母が言うには、引っ越し先はそう遠くでもないらしい。
特別に引っ越し、転校の理由がどう考えても見当たらないのである。
なにやら、いにしえ人が吉凶をみる「方違え」の風習を見るようでもあるのです。

 当然、親としては、元凶は「あいつ・oldboy」であるとの思いがあるはず。
「彼さえ居なければ、息子がこんな目に合う事は無かった」と考えるのが自然なのでは。
その元凶に「命を救われた」ことで、胸の内は複雑である、のは普通です。


 改名から始まり、方違え引っ越し、転校はすべてoldboyくんから、大切な我が息子を切り離すための方策と行動ではなかったのか、と思えるのです。

 考えすぎの「穿った見方」なのか、今となっては全て時空の彼方のことであり本当のことは永久に謎のままなのです。

 ただあの賢明な私の母があまり、ことの次第をoldboyくんには伝えていないように思うし、「言ったところで、せん無い事」と考えたのかもしれない、と、この瞬間(記事をかいている今)思いいたったのです。
つまり、「母は全ておみとうし」で、このことを、彼には言わずにいたのかもしれないように思うのだが、いやきっとそうだと思う。
なにも小学3年生の子に、無駄な贖罪(しょくざい)を背負わす必要はないと考えたのかもしれない。
「ゴメンな、母ちゃん!」

 ともかく、このoldboy元凶論、このブログ記事を書くまで、恥ずかしながら気が付かなったのです、ただ自分がボンネットバスを止め、彼を曲りなりにも救った事が全てだったのです。

 俺はこの歳になってまで、亡き母の庇護(嫌な思いをさしたくない)のもとで生きているのかとの思いが募るばかりです。

 この記事、ボンネットバスとoldboyくんの手柄話のまま終わるつもりのものが、何故か後味の悪い妙な気分のものになってしまったようです。


 それからあの危険な野井戸の存在がその後どうなったのか、知りません。
今の時代ならそこそこのニュースになっていたかもしれないがどうでしょうか?。

                 了
        
             oldboy-elegy

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