oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (17)茫洋の君(きみ)と、50年以上前の教室の風景そしてその現実

/> 同じ授業でも、今からの話は、体育のペーパーテスト中での守山君との、

 

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彼、守山君(仮名)とは中学、高校と同窓で同じ学校に通った。
その茫洋(ぼうよう)とした風貌と行動はoldboy-elegy君にとっては、すこぶる好ましい人物として映っていたのである。
「茫洋」と言う言葉、多分にフレキシビリティ(柔軟)な言葉で、使用する場所や場面で肯定的側面から否定的な感覚まで幅広く表現することができるようである。

 勿論、ここではoldboyくん、肯定的な意味で使っている。
「広々と果てしなく、心もゆったり、ただ多少のぼんやり感があるのは否めない」と、これがoldboy君が思う守山観である。

 ただし彼、学科・教科に関してはすこぶる優秀なのである。
俺などより数段上位のはずである。
そんな彼が時折見せる信じられない位のバカげた行為と馬鹿さ加減が、その茫洋感と重なり、たまらない魅力を醸し出すのかも知れない。
クラスでこのような見方をしていたのは、恐らく、oldboy-elegy君一人だけだったはずである。

  まず守山君、物事に取り組む姿勢は常に真摯で真面目なのである、この点、やらないで済むことなら、やらないのが一番と思っている不埒者なのがoldboy君である、こういう性格、自分自身、良く判ってるだけに、余計に彼の事を好もしく思えたのかも知れない。

 そんな彼が時折見せる「茫洋感」の負の部分でもある「ぼんやり感」を皆にお教えしようと思う。
重ね重ね言うが、彼の事を「諫めて」いるのではない、oldboy君、その事も併せて彼(守山君)の事を好もしく思っているのである。
否!、もっと言えば、ときおり見せる、「信じられぬ行動とぼんやりブリ」と普段の「成績優秀、生真面目」な彼との、その落差がたまらないのかもしれない。

 まづ、最初の「ぼんやり話」と言うか、それを通り越して「うすらバカ」の極致と言えるあきれたものを一つ披露しょう。

 イラスト画像は、見た通り、なんの変哲もない教室の画像である。

 そのころ、そう今から50年以上昔の教室の風景も、さして現在(今)と見た目は変わらないと思うがどうであろう。
学校も生徒の急増のため比較的新しく建てられた校舎である。
ただここに生身の生徒を放り込めば、その光景は一変する。
一番の違いは、何といっても、その当時の生徒数の多さでないかと思う。

  記事の内容は勿論、守山君の事ではあるが、もう一つ、50年以上昔の教室の現実を合わせて記述して行こうと思っている。
そこに繰り広げられる滑稽にして、同時に哀しいドタバタ劇を見て欲しい。
同年配の方には懐かしく、若い人達には遥か昔の非現実の世界を感じていただけたら嬉しい。

 今では国からの指針、指導もあるが、およそ1クラス、40人前後で、田舎や過疎域に行けばもっともっと少人数のはずである。
それがoldboy-elegy君の時代、一クラス、50人以上は普通であった。

 
英語としての時間は週に4~5時間設定されているのだが、そのうちの1時間はクラス人数が60人を超えてしまうのである。
英語の時間に限って週1回、何故そうなるのか想像できます?
見当のつく方は多分年配の方だと思うがどうだろう。

 この教室のイラスト画像からは想像もできない当時の現実があったのです。


 そのキーワードは「就職」と言うことばです。
貧困や、親の無知(特に女性の教育不要と考える)などで高校への進学が叶わない人達が1クラスに7~8人はおられたのである。
ましてや国や自治体の無料化や助成がある時代ではない。

 oldboy-elegy君の住まうこの地域特有の現実でもない、多少の数字や率の違いはあるとは思うが、おしなべ、国中がこうであった、これが時代である。
集団就職」と言う言葉や映画「三丁目の夕日」がモチーフにする時代である。
因みにこの映画、「鈴木オートのたった一人の従業員、星野六子(むつこ・女優は堀北真希さん)」が青森からの集団就職列車に乗って東京にやって来る」設定になっている。
ここで感心したのが「六子」の名前である、実に時代背景を感じる。
女ばかり6人姉妹もありうることだが、兄弟・姉妹、含めて6番目と言う事だと思う。
この時代、5人、6人の兄弟の数は当たり前とは言えないまでも、そこまでも珍しいことでもなかった。

 oldboy-elegyくんの前回のブログ(雑感・雑記帳 No.11)の人口動態グラフの内の「合計特殊出生率」を見ると、最高値は(昭和24年・1949年)で「4.32」となっている、一人の女性が生涯で出産する子供の数の平均の指数である、したがって「六子」もムベなるかなの感がする。(このブログ、本記事下にリンクあり)

 oldboy君も社会に出たころ、九州は宮崎駅で「集団就職専用の列車」に遭遇したことがある。
寝台列車でもない、普通仕立ての4人掛け、今思えば古式蒼然とした車両である。

 行き先は20時間以上先の大阪であったと思う、
駅のホームは学生服姿、セーラー服姿の未だ、いたいけな容貌の多くの子供たちと、これを見送る親や先生など関係者でごった返していて、あちらこちらで人の輪ができ、その雰囲気は 嬉しさや、楽しさとは無縁のものであった。

 同時にoldboy君、自分の会社の工場女子寮の人達のたくましさを思い浮かべた時「今は不安だろうが、きっとやれる、やれるよ、心の内で励ましたくなったのも事実であった。
やがて「蛍の光」が流れ「さよならテープ」もちぎれさり、ホームでの悲しみの喧騒も終わる。
因みに、oldboy-elegy君、列車ホームでの「さよならテープ」を見たのは、この宮崎駅が初体験である。

 ひょっとしたら、oldboy君の会社に来る子も居るのでは、一瞬、思ったが、九州の労務出張所は奄美と聞いた事があり、鹿児島駅はあっても宮崎はないなと思い直した。

 oldboy-elegy君も母が居なければ、多分、ここで「就職組」に在席していたかも知れない、いや、きっとそのはづであったと思う。

 小学1年生の入学式を、oldboy-elegy君は経験していない。
ましてや幼稚園なるものも知らない。
小学校は2、3か月遅れで母に連れられ直接教室を訪れたのである。
床に白い大きな紙(模造紙)を何枚も床に広げ、子供たちが四方から寄ってたかってお絵かきの最中であった、勿論、oldboy君もこれに参加したものである。
これが彼の小学校の入学式であった。

 このことはoldboy-elegy君のブログ(雑感・雑記帳 No.1)母の日、にて既出である。

 いま思えば、教室の後ろで一人佇む母の顔に安堵の表情が見られたかの様に思うのも不思議な事ではない。

父は当初、自分の生業である「歯ブラシ職人」にoldboy君を仕立てようと思っていたふしがある。

 ここで本文に戻す、当時、この中学校での就職組の3年生は、週1回、「職業」なる教科があり、これを1時間捻出するため、英語を1時間削り、これにあてていたのである。
余分の教室がなかったのである。
つまり、就職クラス(1)・英語クラス(2)の3クラス(3教室)を一編成として同時間に行われるのである。
これに実人数をはめていけば、50人クラスx3・で総員150人、就職希望者がクラス8人とするなら8x3・の24人となる。
ゆえにに(150人-24人)÷2=63人(英語の1クラス人数)となる。
実際は一クラス、50人を超えていたので、もっと多かったはずである。

 英語の時間のクラス人数はなんと(一クラス50人としても)63人にもなるのである。
この日は生徒にとっても地獄である。
休み時間は、机、椅子の大移動で、就職組の教室はガラガラ、反して英語組の教室は通路も設定できぬほどの満員状態なのである。
今、思い起こせば、何気に、楽し気な気分になるが、遠いとおい昔の事である。

 なにか懐かしく、少し哀しい気分で、思い出すままに記事を書いていると、もう一つの主題である「茫洋の君・守山君の事」を忘れるところであった。
<br奇妙なやりとりを記したものである。
試験が中間試験か期末であったかは記憶にはない。
ここでイラスト画像を見て欲しい、クラスの人数は通常の50人少しで、席は俺が窓側の「おれ」と記入したあたりで、彼、守山君は、俺のすぐ前の「もり」と記入した席にいて、テスト中の図と思ってくれ。

 暫らくすると、彼、守山君の様子がなにか変で、当初はトイレでも行きたいのかと思っていたのだが、どうもそうでもないらしい。
何かじっとして居られない様子で、腰を浮かしたり、首を振り振り、終いには自分の頭をゲンコツで軽く叩き出す始末である。
その間、鉛筆はセッセと動いているのだが、すこし気になり「先生に言おうかな」と思い始めたその時、彼、守山君が、答案用紙の裏に何やら書きoldboy君にチラチラ見せ始めたのである。
一瞬、カンニングと思ったのだが、俺が要求したものでもなし、ましてや守山、そんな奴ではない。
先生、教壇から離れた窓際で眠そうにのんびりの御様子です。
書かれた文字は簡単に読むことができたのだが意味が分かりません。
それは「め、な のかたかな教えてくれ」と書かれていたのです。
oldboy君あれこれ質問することもできず、取りあえず言われた通り「め→メ・な→ナ」と答案用紙を小さく破り、そこに走り書き、伸びて来る、彼の手の平に握らせたのである。
するとすぐに彼の挙動不審の体の動きが止み、静かになったのです。

 みなさん、これ一体何だったと思います、試験が終わると、oldboy君が尋ねるより先に両手を合わせて「ゴメン、すまん、実は・・」と喋り出したのです。

 解答正解の「トーナメント」がいくら書いても「トーナナント」になってしまい、「メ」が書けなくなってしまい、あげくのはてに、頭が真っ白になってしまったのが
真相だったようです。

 oldboy君「そんだら、全部ひらかなで書けば」と言うと、はっとして「その手があったか、気が付かんかったわ」、と茫洋の君。

 はてこの行為、解答を教えたことでわなし、カンニングではないわな、と言うことで二人の間で決着したようであるが、みなさんどう思われます?

 このような彼のピンボケ行動は他にもいくつかあるのですが、

運動場で三角ベースの野球(ソフトボール)しているおり、超大飛球を背走しながら、素手でナイスキャッチ、大ファインプレーです。
試合状況は確か1アウト、ランナー2塁、ここで彼なにを思ったのか、キャッチしたボールを地面に叩きつけ、本人大喜びで走って来るのです。
あまりの喜びで、ゲームの状況がすっ飛んだようです。
ボールはあらぬ方向に転がり、2塁ランナー、無事ホームイン、1点献上です。

 もう一つはバレーボールの授業。
当時9人制が基本の時代です。
ポジッションは固定で彼、後衛の真ん中。
セカンドサーブ(一人で2回のサーブ権あり)のボールがバックラインを越えようとしたとき、やおらボールに飛びつき、大声で「アウト」とのたまう。
ボールに触れずに、コート外に見送れば、労せず1点、頂けたのに。
当然、審判は「ホールディング」の判定にてこれも相手に1てん献上。

 書こうと思えばまだ幾つかあるのですが、まあこの辺で置いておきましょう。

 Viva「茫洋の君・守山君の笑顔」そして「超・満員の教室」の喧騒が50年の時空を超え、今もoldboy君の脳裏に、目に、耳に残っている残影に賛。

 最後に、彼の名誉のために報告すれば、高校卒業後一浪の後、見事、公立
の大学に受かったそうだ。
oldboy君など比べて、よほどの根性の持ち主なのである。

                了  
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