oldboy-elegy (19) ①母、俺のワルサの事で、学校に呼び出し・②母の故郷、鹿児島でルノアールの裸婦を見た?
私oldboy-elegy君、「漱石」先生の猫じゃあるまいが「どこで生まれたか見当がつかぬ」状態なのである。
このことについては幼少のころから今の今まで自ら積極的にかかわろうとしたことがない。
なぜなら「母が困るだろう」との思いが自分(oldboyくん)の中に、優先事項としてあったからだと思う。
そうoldboy-elegy君、戸籍上、母の「私生児」で父の戸籍には入籍されていない。
彼の大学卒業を前に就職の事を心配してか、母が猛烈に父にせまったことを記憶している。
「まあまあ、なんとかなるよ」と彼はその場をとりなすのであるが、実際心底そう思っていたのである。
銀行や大会社を目指しているわけでもなし、まったり気分で働き、食いハグレしない程度に収入があればそれで良し、上昇意欲ゼロの欠陥学生であった。
何度か戸籍関係の書類を手にしたことはあるが「熟視、熟読」はあえてしなかった。
なにか母への背信行為のように感じてしまうのである。
このデラシネ(浮草・根無し草)感は今も続いている。
ブログにも母が時折登場する。
「フンなにを生意気に」と小さな仏壇の中の母の遺影が、言葉とはうらはらに、唇の端で笑っている。
言わずもがなの母子の思いも、駄文のひとつのペイソス(情緒・哀愁)かもしれない。
ごあいさつまで
oldboy-elegy
上記の文はブログ、プロフィール中のoldboy-elegyくんの自己紹介である。
はやいもので2019・4月からブログを始めておよそ10か月である。
ただ情けないのはその記事の数。
トータル30記事で、月3個のペース。
多くの方が毎日か、それ以上の投稿、月にすれば30~50記事、それも入念な情報収集から初めて、情熱ほとばしる記事内容に仕上げてUP、本当にビックリさせられる。
ここで恥ずかしながら、当方も「30記事達成記念10か月にて!?」としていく編かにまとめて、過去ログをリンク形式で投稿しょうと思いたつ。
カテゴリーを作るのは50記事を超えたぐらいと決めているので、それまでの替わりぐらいの位置づけである。
冒頭の自己紹介(プロフィール)にて、oldboy-elegyくんと母との関係を再掲したのは、この母子が織りなす記事が結構あるので、まずここから始めようかと思い立ったからである。
以下がそれらの記事である。
今回は、母に登場願った記事の内、初稿近くの2記事を投稿する。
記事はエントリー順ではあるが、内容は時系列を無視して、自分の生きてきた時空間を思い出すまま行ったり来たりとさまよっている。
亡き母へのTORIBUTEとして
エントリー2019・4・14
●この記事で母の人となり、oldboy-elegyくん母子の雰囲気と時代を感じ取ってもらえれば嬉しい。
エントリー2019・6・5
●母に手を引かれ、鹿児島開聞(カイモン)の彼女の実家?に身を寄せていた時の話
oldboy-elegy.hateblo.jp
了
oldboy-elegy