oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No. 17 ) 同じ素材(第一次大戦・西部戦線)から作られた新旧二つの映画、oldboy-elegy君なにか釈然としないものを腑にのこす。


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 軟弱もんのoldboy-elegy君、今日は少し方向を変えた記事になってしまう。


もちろん、いつも通り、彼流の「独断と偏見」で語ることには変わりがないのだが。

 
パソコンで人様のブログやユーチューブなど、のんびり気分でネットをさまよっていた時、なにげに、
邦題「1917 命をかけた伝令」なる映画のトレイラー(予告編)に行き着いた。

 英米の原題は単に「1917」となっている。
西暦1917年の意味だ。

 その解説や短い実写フィルム(トレイラー)、それに対しての多くのコメントがあり、読むうちに何かしら、釈然としないものを感じ、筆(キーボード)を取った。

  「映画ドットコム」、東宝・東和配給による映画案内「1917 命をかけた伝令」の映画解説の、ある文言に、oldboy君、感応してしてしまう。

 まず、彼oldboy君がこの映画に何故、反応をしたのかを話しておく必要がある。

 それは同じ「第一次世界大戦」「塹壕戦・ざんごうせん」「西部戦線」を素材にした映画が1930年ごろに製作され、この日本でも大昔たびたび上映された経緯がある。

 それが「西部戦線異状なし」と言う邦題で、このたびの「1917」と同じアメリカ映画であった。

  両方ともアメリカ映画ではあるが、視点はドイツ側から見たものが「西部戦線異状なし」で「1917」は米英からのものである。

 「西部戦線異状なし」は「戦意鼓舞され、愛国者に仕立てられ戦場に赴いた」青年志願兵の目線からの物語である。

 oldboy君、若かりしころ、この映画「西部戦線異状なし」を何回か見ていたという経緯で興味を持ったものと思う。

 この新旧二つの映画を知らずのうちに比べ、違和感を感じ「釈然としない」気持ちになったようである。

 映画、邦題「1917 命をかけた伝令」は米英合作映画で監督は「サム・メンデス」である。
「007スカイフォール」など手掛けた、有名監督でもある。

 ここで少し「007」の話を。
早速、脱線で申し訳ない。

oldboy君、初期の「007・ジェームスボンド」は大方見たが、近年のものは見ていないし、見たいと思ったこともない。

 とくに「ショーン・コネリー」の「ジェームス・ボンド」は好きだった。
もっと言えば、「007」ものは、「ショーン・コネリー
に尽きると思っている。
「ショーン」以外の「ボンド」役、なにやらニヤケ顔のいけ好かないあんちゃんのようで、気品がない。

もう一度言うが「ショーン・コネリー」は歳を取るほどに「渋く」カッコ良くなっていく。

 有名になれば仕事場であるハリウッドに居を移す俳優が多い中、彼は生まれ故郷のスコットランドを離れることはなかった。
いわゆる、足が地に「着いた」お人でもある。
因みに彼、英国より「サー」の称号を与えられている。

 さて、ここで話を本筋にもどす。

 「1917」が本来の映画題名で、「1917 命をかけた伝令」は日本だけでのタイトルである。

 タイトルだけでも、なにか1歩も2歩も後退したように思うが?どうだろう。

 oldboy君が言う、その釈然としないものが「何なのか?」を書く前に、
当時(1917年頃の)世界の基本的な政治的状況を簡単に説明せねば「その釈然としないもの」が理解されないと思う。

 この映画の基本となる素材は「第一次世界大戦」である。
フランス・イギリスとドイツ帝国の対立を軸に各国がそれぞれの思惑でどちらかに組し、ヨーロッパを中心に中東、北アフリカ、一部アジア、後にアメリカも巻き込んで勃発した戦乱を「第一次世界大戦」と言う。

 アジアで日本も日英同盟を理由に連合国の一員としてこの大戦に参加している。

 この時、ドイツは戦闘の長期化を望まず、一気にパリ陥落を目指し、手薄なフランス北東部の小国、ベルギー、ルクセンブルグを蹂躙、一気に南下、パリを目指した。

 フランス軍は敗退に次ぐ敗退で、パリの50キロ近くにまで追い詰められたが、ドイツ軍の兵站が追い付かず、英軍の増援もあり、何とかパリ陥落を逃れたのである。

 しかし事情はフランス軍も同じで、ドイツ国境近くまで押し返すも、どちらの側も決定機のないまま対峙し、戦線が膠着状態に入ったのである。

 さあここで言う映画「1917」の舞台が整った。

 この対峙する戦線を「西部戦線」と言う。
戦線の長さは北のベルギーから実に750キロメートルに及ぶ。

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(wikipediaより)

●上の地図の赤い線がフランスとドイツが対峙する「西部戦線」である。
赤線をはさんで東側(右)がドイツで、西(左)がフランスになる。
左上部の海が「英仏海峡」、ちょろっと覗く陸地がイギリスで「ロンドン」の名も見える。

 ここで後に第一次世界大戦のヨーロッパ戦線は別名(塹壕戦・ざんごうせん)ともいわれる戦闘方式に終始することになる。
このウジウジとした状況が約3年も続くのである。

塹壕とは
 
戦場で、歩兵が敵弾を避けるために作る防御施設。地面に溝を掘り、掘った土や土嚢 (どのう) を前面に積み上げたもの。

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★上記の画像が、西部戦線における、典型的な「塹壕」と呼ばれる構築物である。
見ても解るように、塹壕は横一線に真っすぐに作られることはない。
横にくねくねと掘削するのが基本である。
なぜなら、敵の砲弾が塹壕に落ちてきても戦死、負傷者が一定の区域に限定され、トータルとしての戦闘能力が大きく損なわれる事はないとされている。
この点、映画「1917」の塹壕は幅が広く直線的で、掘られた土砂が見当たらないし、美しい。(特にポスターなど)

 さて、ここでoldboy君の釈然としないことの一番めである。


 ★「映画ドットコム」の解説には「フランスの西部戦線では」と記されている。
しかし基本、フランスには「西部戦線」なるものは存在しないはず、敢えて仏英目線で言うなら「東部戦線」である。
西部戦線」とは「ドイツ軍」から見た名称であるはず。

 (ウィキペディヤ)から引用した上掲の地図を見てもらいたい。
赤く伸びた戦線はドイツから見た時のみ西側に位置する。
「フランス」からの西はもはや、「英仏海峡」か「大西洋」「イベリア半島」のみである。

 その上「ドイツ」自身、当時、別に「東部前線」なる戦線が存在し戦争をしていたのある。
対峙国は「帝政ロシア」「ポーランド」などだ。

 故に結論としての「西部戦線」とは「ドイツ帝国」におけるフランスと対峙する戦線であり、決してフランスがこれを「西部戦線」と正式に呼称するはずはない。
 しかし「映画ドットコム」の解説には「フランスの西部戦線としっかり記述されている。

 なぜこうなってしまったのか、oldboy君が考える原因が、もう一つの「第一次世界大戦」を素材にした、有名な映画「西部戦線異状なし」の存在にあると思う。

 この映画、oldboy君の若かりし頃、学生自治会や左派系集会などで、しばしば無料上映会が学生会館などで行われた経緯がある。

 世はまさに、学生運動も終末期に向かう、前夜であった。

 この映画の原題は「All quiet on the Western Front」で邦訳も、そのまま「西部戦線異状なし」となる。
因みに(quiet)は平穏・静か などの形容詞、名詞である。
この邦題、言語こそ違うが、原題の「意」がそのまんまなのが良い。

 これも、アメリカ映画であったが視点はドイツからのものだ。
物語は、当時のドイツの若者たちが、いかにこの戦争に関わり、時代に翻弄され死んでいったかを主題に描いた「反戦映画」の金字塔的存在であった。

 ドイツは「西部戦線」の膠着により、兵員の補充に苦心、兵役義務のない若い学生を「洗脳」して愛国心に訴え、戦場に送りだしていく。

 なにやら、何処かの国でも同じような事があったようである。

 物語はこの若い学生達が「国難・愛国」の言葉を胸に戦場に行き、亡くなって行く様子を克明に描いた作品であった。

 映画のラストシーンは、主役の若者が目の前に飛来してきた蝶を捕まえようと、「塹壕」から身を乗り出し手を伸ばしたその瞬間、敵の狙撃によって死ぬのである。

 個人として、人間としての存在は亡くなったが、「西部戦線」はこの日も「異常なし」つまり「All quiet on the Western Front」とクレジットされるのみである。

 「
All quiet  on the Western Front」と若者の死、この見事なコントラストが戦争の残酷さを際立たせる。


 この映画が昔、
日本国内で盛んに「反戦映画」として上映された。

 それが年月とともに、東も西もドイツもフランスも関係なく、兎も角あの戦線
は「西部戦線」であると固有名詞化され人々の頭に残り、認識されるようになったのではないだろうか。 

 oldboy君、書き出す前、もっと頑強に「反論」しょうと思っていたのであるが、なにか最後に腰折れ状態になってしまった感がある。

 ふだんから「日和見主義・ひよりみしゅぎ」を標榜する彼にふさわしいのかも知れない。
お許しあれ!

さて次の違和感と言うのか、釈然としない感の二つめである。

 サム・メンデス監督の「1917」に多くのコメントが寄せられているが、「西部戦線異状なし」に言及した人は、映画ではなく「小説を読んだ」と言う方が一人おいでになっただけのようである。

 同様の素材でも、余りに違った描きかたの映画のため、コメントは意図的に消されてしまったのかもしれない、きっとそうだろうと、かってに思い込んでいる。

 このサム・メンデス監督の映画「1917」は、ただただ戦場でのリアリティ感を求めて設定されただけで、それ以上でも以下のものでもない。

 宣伝の謳い文句は「全編ワンカット、ノーカットで撮影」などその撮影技法のみで終始、アワード(賞)もほぼ、これまた「撮影技法」についての物がメイン。

 要するに、映画「1917」は「西部戦線異状なし」と、もともと比べるべき作品ではないと言うことである。
観客一人ひとりが、戦場に放り込まれた疑似リアリティー感を楽しむためのエンターテイメント映画であり映像なのである。

 チョット面白いことに、配給元の「東宝・東和オフィシャルサイト」も覗いて見たが、映画のスペクタクル感や臨場感の話だけで終始したものであった。

 それに「1917のサム・メンデス監督」が自身の映画の説明に「Western Front」と仰っている肉声が混じっていたのを聞いて、oldboy君、なにやら「あほらしく」なってしまった。

 「西部戦線異状なし・All quiet on the Western Front」の原作はドイツ出身のエーリッヒ・レマルクである。
ドイツ側から書かれた「反戦小説」を基にアメリカで映画化されたものである。(1930年製作)

 1930年と言えば、あの「アドルフ・ヒトラー」率いる
国民会議・ドイツ労働者党」いわゆる「ナチス」が選挙で大躍進を遂げた年でもある。

 もう「第2次世界大戦」の萌芽が始まっていたのである。


このoldboy-elegy君のブログ、二つの映画、基本、素材は同じでも、あまりにかけ離れた「意図」の元に製作された映画であるため、突っ込みどころが腰折れ状態になった感が大きい。

 ただ良かったことは、大昔に作られた映画「西部戦線異状なし」を紹介できたことだ。

 この映画youtubeでもフルムービーを現在視聴できる。
リンクしょうと思ったが、個人の資格で鑑賞してほしい。Part1.Part2で約2時間の長尺で白黒映画である。

 

●最初のイラスト画像に戦車が描かれているが、「第一次世界大戦」では武器として「戦車」はもちろん「飛行機」それに「毒ガス」も登場した最初の戦争でもあった。
            了
         oldboy-elegy

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