oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (26) 俺のトラウマ・算数の掛け算九九(くく)を、大好きな先生の前でトチリ、上手に発表できなかったこと

f:id:oldboy-elegy:20200609152901p:plain



 oldboy-elegyくん、ブログなるものを書き始めて、1年少々になる。
記事数たるやヤットコ40記事をいくつか超えたばかりの体(てい)たらく状態だ。

1か月あたり3記事ほどをよたよたと刻んでいる。

この間、自分の記事はともかく、他人様のブログ記事を読む機会は随分と増えた。

そこで思うことは、oldboy-elegyくんのように、部屋に閉じこもり、
ウジウジと駄文を書き込んでいる人は少数、皆さんなにかしらの「ご自身
の得意なフィールドで」足、目、頭脳などダイナミック稼働された上での
情報記事、
圧倒されているのが、本当のところ。


「食・食べ歩き」などの分野など、
その記事化までの手法、手数を考えたなら、oldboy君、一(ひと)記事も
完成を見ることはないと断言できる。

また、PC スキルの違いなどは、ブログのページを一見する
だけで、どうしょうもない「質の違い」を実感している。

ときおり、他人様のページデザインを見て、PCの動作、手法を悪い頭で
後追いしてみるが途中でアウト。

結果即あきらめ、自分の出来る範囲のものを「チンタラ」やって行くのが一番
と居直る御仁なのである。

さて、今回の記事も、相変わらず、諸氏諸兄に比して迫力はゼロ、
何かを訴え、訴求するものもなし、何時もの通り、脱力系のブログ
記事を書かせていただくことになる。


              ★

みなさんは、「さんすうの九九」は小学何年で習った」のかな?
oldboy君の場合、確か3年の時だったと思うが。

「さあ、今日から掛け算の九九の勉強ですよ、ソラ(暗記)で全部言えるように
しましょう」
と我が担任のK(女性)先生が大声でおっしゃた。
その日の、さんすうの授業の冒頭でのことである。
いったい、今から何が始まろうとしているのか?

やさしく、素敵な先生であった。
ただ一度、いたずらが高じて、額に「指パッチン」を受けたことがある。
でも叱られた、と言うより、なにか、その事を、自慢の種の一つ位に思い、
仲間内に笑顔を振りまいているバカがいた、当然oldboyくんのことである。

それは、偶然、先生の脇机(わきつくえ)の上に定期券が入ったパースを発見
したことにある。
首を伸ばし、彼、先生の歳と乗車駅を素早く読み取っていた。
どうやら隣の「奈良県」からの通勤らしい。

その御歳のほうをチョコッと、何かの折に、先生の前で口を滑らしたことが
あった。
おでこに「指パッチン」はその時のことである。

今日はその、大好きなK先生の前での、恥ずかしくも情けない一話である。

結論から言うと、「それが出来なかったこと」より、「K先生のでできな
かったこと」のほうがショックだったように思う。

f:id:oldboy-elegy:20200609152945j:plain
左の絵(?)は生徒側から見た
黒板の図である。
言葉で説明するつもりが、うまく
表現シズラカッタので、へたな絵をUPした。

この下の文と併せて見てもらえばないよりずっとましである、と勝手に
思っている。



K先生、

「サアー、みんな順番に教壇にあがり自分の名字を書いてチョーダイ」

窓側をAハン、廊下側をBハンとして、クラス全体を二つに分けるらしい。
※A・B斑のどちらかに(絵の両端)自分の名字を、自身で書き込むのだ。

なにを基準(席次順など)に分けられたかは記憶はないが、男女別で
なかったことだけは確かである。

ひとわたりの喧騒の中、黒板にチョークで自分の名前を書き込んだ。
クラスが半分ずつに分けられた格好である。

サアー、今から何が始まるのかoldboy君を含めて、クラスは戦々恐々の
雰囲気である。

「今日から、さんすうの時間の始めに掛け算の九九の練習をします」
教室内はなにか良からぬことの前兆を感じて、静まりかえっている。

「じゃあ、決まりを言うからしっかり聞いて頂戴・・・、先生が初めに
九九全段出来る人と質問したら、出来る人は手をあげるの、そしたら
先生、あてる(指名する)から、先生の質問に答えるのよ、わかった!」

ここで教室はザワザワ。
「一回予行練習するから!」
K先生、ひと呼吸後、
「九九全段言える自信のある人」と言い放つや、およそ半分位の子達が
手をあげているのである。
もちろんoldboyくんも手をあげている、少々不安はあるのだが。


「じゃ中川さん、A斑・B斑だけ教えてね」と先生。
中川、「Aはんです」とだけ言って、机の脇に立った。

「それでは質問するね、5の段全部答えて」
中川、もちろん小鳥がさえずるように、すぐに歌い終わる。
彼女、クラスの副級長でもある。

「もう一つ、九の段全部答えて」と先生。
9の段も同様、ヨドミもなく完答。

最後に先生が「ヒチゴ(7×5)は?」「ハック(8×9)は」とたたみかける、
すべて正解である。

「みんな、中川さん、全問Okなら拍手してあげて」
もちろん、満場一致の拍手である。
「そこで中川さんは、黒板の前まで来て、自分で消すのよ、名前を・・」
ここで中川、名前を消すために前へあるきだす。
「ゴメン、これ練習やから、消すのは次の本番からね」

こうしてこの「九九コンペティション」が始まったのである。

f:id:oldboy-elegy:20200619095758p:plain




前列右の男の子がoldboy-elegyくん

である。

自信なさげにキョトンしている。

まさしく彼である。









oldboy-elegyくん、なぜか根拠もないのに、多分OKと勝手に決めている。
基本この辺りが、詰めの甘い人なのである。

先生のおっしゃるには、早く全員の名が消えた方が「勝」になるとのこと、
とうぜんそうだろう。

このあとすぐに熱戦の火ぶたが切られたのである。
「九九全部言える人、手をあげて」の先生の声に、生徒の半数以上のものが
挙手している。

教室内の雰囲気は運動会の様相である。
およそ、おのおの7・8人、合計14~16人程度の選手が出場で、全てOK(合格)
の成績であったと思う。

「oldboy-elegyくんはどうだった」の声が電波の向こうから聞こえるが、本人
手をあげず、エントリーしなかったようである。

少々の不安を抱えた彼、帰宅後2・3度暗唱したが、スムース度にすこし
欠けるが、今日の人の中には、自分よりまずくてもOKを貰った人もいたようだ、
として練習をすぐに放棄したoldboyくんである。

ここで少し話が変わって申し訳ないのだが、九九の暗唱について思い出した
ことがあったので書いてみる。

1の段のみ、暗唱の言葉が少し違っていたように思うのだが。

21世紀の今では
いちいちが・いち・1×1=1」「いちにが・に・1×2=2」
いちさんが・さん・1×3=3」
と唱和するのかな、よく知らないが。

50年以上昔のoldboyくんは確か
いちが・いち」「にが・に」「さんが・さん」と言っていたと
思うのだが。

2の段以降は現在も同じだったのかな、ふと思い出した疑問を書いてみた。


ともかく、「競争」は始まったのである。

九九の授業も3回目あたりになるとクラスの「半数」以上の生徒の名が黒板
から消えている。

失敗した者はいるにはいたが、少数である。
手をあげていない者はこの間、先生の質問に合わせ、無言のまま必死に覚え、
練習している。
oldboyくんも同様である。

「さんすう」の時間はほぼ毎日ある。

彼が手を挙げたのは4回目ぐらいの授業のことである。
万を期しての「挙手」であると思ったがその様子がチトおかしい。

挙げた手が、真っすぐ天井を向いていない上に、肘も折れ、全く
自信のなさがまる見えなのである。
おまけに、前の人に隠れるようなそぶりも見せる。

塾の先生の経験のあるoldboyくん、こんな場面にほぼ毎日遭遇していた。
ただし立場は正反対である、教師と生徒が入れ替わっている。
こんな折の生徒の仕草には、無頓着に事を済ますのは、教師としては
「デリカシー」にちと欠けるものだと言わざるをえない。

この時の生徒(塾生)は中学生である。
「打たれ強い」奴もいれば、そうでない子もいる。
女子の場合は余計に気を遣う、同級生へのライバル心も強い。

oldboyくん、自信なさげな「挙手」には、判別できる限り、指名はしなかった。
半面、間違いにも動じない子とか、ある種の「笑いを取ることを」目的に
「挙手」するヤツもいる。
そんなおり、教室の雰囲気や息抜きのため、ワザッとに利用することもあった。
すべて一筋縄では行くものではない、生徒たちとの「アウン」の呼吸がある。

場面をもとの小学生の「九九」にもどす。

K先生がついに「oldboy-elegyくん」を指名されたのである。
彼、極度の緊張状態の中にいる。

実はこの精神状態に至る訳が、これまでの「算数、九九の暗唱」の中に
存在していたのだ。

失敗した奴の多くは、同じようなパターンでしくじっていたのである。
中には、そこそこ「勉強ができる」とされる子も、僅かだがいたのだ。

その失敗のパターンを説明してみようと思うが、うまく伝わるかどうか
心配である。


一番良いのは、なにも考えることなしに自然に口について出てくる事だが、
oldboyくんの場合いかんせんこれが中途半端(ちゅうとはんぱ)なのである。
「リズムも抑揚」もなく「凸凹の砂利道」を歩いているようなものである。

はやく、正確にすらすら暗唱できる子は概ね抑揚・リズムがよい。

しかし彼のばあい
あたまで考えて解答している部分がどこかにある。
それが顕著に表れるのが、7・8・9 の段である。
どうしても無意識の唱和ではとんでもないことになると本人は感じている。

例えば、「はちさん 8×3」であるが、無意識の唱和の場合、答えが何故か
「24であったり26であったりする。

このような危なっかしい九九が彼には幾つか存在する。
ひちし 7×4」もぶれそうで怖い、答えは「28」であるが、言った後から
確信が持てなくなる。
はちさん 8×3」「はちし 8×4」「くし 9×4」などもほっとけばとんで
もない数字を口にのぼせてしまいそうだ。

そこで彼が取った打開策がこれである。
上記の「ひちし はちさん  はちし くし」などの場合、瞬時に前後を無言
の内
で入れ替え、答えだけ声として「発声」するのである。

こうである
ひちし」と声を出す、即座に無言で前後を入れ替え「しひち28」として、
28」のみ声をだすのである。

つまり「7×4」から直接答えを言えば危ないことになりそうなので「4×7」
と胸の中で唱え「28」と発声するのである。
これならトンチンカンな的外れの数字は出てこないのだ。

しかしこれにも、チョットした難点がある。
7×4」と答えの「28」の間にわずかな時間のずれができるのである。

クラスの子達にも、oldboyくんと同じ症状の子が数名いたのである。
チョットしたこのタイムラグに気付き「今、計算したやろ」とダメ出
しを受けることになる。

この日、彼に要求された九九は、簡単な「5の段」と、もう一つが、
問題の「7の段」であった。

緊張の中、結果、間違いはなかったが、「7×4」などで、数字を入れ
替えたことをA斑に指摘され次回もちこしとなったのである。

この時間が終わると、A・B斑あわせて黒板に残った者は、7・8人程度
だったと思う。
むろん、出来なかった恥ずかしさもあるが、それ以上に、大好きなK先生
の眼前での失態、「屈辱感」が大きかった。

九九暗唱大会は、つぎの算数の時間で終わった。
残った者への問題は、ハッキリ言って、一人ひとりを先生が見据え、
考慮した上でのものであった。

oldboyくんの場合、7・8・9段はなかった。
なにか、嵐の一週間が飛び去った感覚である。

それから半世紀が経った、
その間、塾で数学の先生もやった。
K先生の気遣いが胸に残る。

あの時のクラスの喧騒も、今はもうない。
いまとなれば、懐かしくも、少々哀しい思い出となっている。

そして今も、oldboy-elegyくんの「九九」は依然中途半端のままである。

「ひちし」は「しひち」と口中で唱えて確認している。



                了
          oldboy-elegy

記事一覧 - oldboy-elegy のブログ