oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (32)中古ジャンパーを前に、母とのやり取り、そして、その結末。彼女のいたずら心に思いをはせる

 

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変哲もない男物のジャンパーである。
イラスト画像からくるイメージと何故か分らぬがチョイと違う。

いくら「いらすとや」さんと言えど、いつもoldboy-elegy君の望むものが、
ドンピシャで
あるとは限らない。
左掲のイラスト画像を見つけただけでも感謝せねばバチが当たる。




まず、全体の色目である。

画像はやや迷彩柄になっているが、oldboy君の買ったそれは完全な
単色でもう少し濃い目の、いわゆる「濃モスグリーン」である。

あと、袖口・腰回り・ネック に伸縮する(ゴム編み)が施されている
のは
画像と同じである。

ゴム編み部分の色は身ごろよりさらに濃いのもそうである。

決定的に違うのは、oldboy君のそれは、フェイク(偽物)で作られた
ファーの着脱可能なチョッキ(今で言うベスト)が付いていたこと
であった。

身ごろ裏側にリボンの小さなワッパ、チョッキ側にやや大きめのボタンが
ポイント、ポイントに付けられ、これに引っ掛けていくのである。
つまり、着脱式のベストで寒い日に付け、温かい時にははずすのである。

素材であるが、厚く織られた綿布(多分)であるが、帆布のような
ゴワゴワ感はない。
コーデユロイ(生地表面に段差がある織りかた)でもない。
当時はやりの合成繊維では決してない、

ただ、この品、古着やの壁にかかっていた時には感じなかったが、こうして
手元でよくよく見ると、少々着古され,
くたびれ感が生地の色目や裾・
袖のゴム編みに見てとれる。


これまで幾人の人達の手を経て、今ここにあるのだろう。
それを思うと、ジャンパーを連れて帰りたくなったのである。

oldboy君,もちろん購入を決定!!。



    
         ここから本文である

             ★
● 中古ジャンパーを手にいれる

いまアルバイト先である鶴橋の国際マーケットの鮮魚店を出て、「米軍、
放出品も、鶴橋一」の看板のある古着店の前にいる。

鮮魚店は昼には卸売りが終わり、そろそろ一般客が来る時間である。
oldboy君達数名のアルバイト店員の仕事もここまでである。

だがoldboy君、急いで河内まで引き返し、花屋のハルさんの「門松づくり」
を手伝わねばならぬ。

塾は年末・年始のお休み期間である。

門松は全量、大阪市内のバーやクラブなど花街に、「ヤクザやさん」
を通じて販売されることになる、それも無理やりの押し売りである。

年末のここ、鶴橋の国際マーケットは混とん(カオス)の世界だ。
あらゆる店舗には怒声が飛び交い、師走の人いきれでムンムン状態なのだ。

お金の持ち合わせはなかったが、アルバイト先の店名を言い、31日の
昼過ぎにはお金を持ってくるので、「確保」して欲しいと交渉、
店長も魚屋の名を知っていたみたいで、交渉成立、目の前でハンガーから
下ろし、新聞紙にくるみ、奥に持って行った。

支払いの時、いくらか安くしてもらった記憶もある。

こうして手に入れた中古ジャンパー、高校、大学の冬場の私服は、殆んど
これ一着で済ませたようなものであった。

11月も半ばになると、これのお出ましである。ファーのベストは装着しないが、
ジャンパーのみでOKだ。

冬場になれば、合繊のフェイクベストを付ければ結構、暖かい。

ジャンパーの下には母手作り(棒張り編み)の無地のセーターを着こむ。

彼女(母)は棒針編みの名手でもある。
oldboy君、毛糸のカセを両腕に引っ掛け、クルクルと母が毛糸玉を作る
手伝いをしたことがある。

もう解かれてしまったが、左肩から右裾にかけての前身ごろに、スキーを
する男の子の模様が入ったセーターがあって、小学生のころ結構気に入り良く
着ていたのを思い出す。


3月一杯はもとより、ファーと取れば、4月の中旬まで着れぬことはない。
およそ年の半分をこのジャンパー 一着で賄っていたようなものである。

あーそうそう、oldboy-elegy君、シーズンが終われば、唯一、クリーニング
店に持ち込む衣類がこれであった。
それぐらい気に入っていたのである。

もちろん、母上にお頼みしクリーニングに出すのだが、何故か料金を
払った覚えはない。

さあここまでつらつら書いてきたが、タイトルの「母とのやり取りと、
彼女(母)のいたずら心に思いをはせる」その意味はと、イブカル読者諸氏も
おられることと思う。

ここからが本文中の本文である。

以後、大学卒業までの、あしかけ6年間、このジャンパーにお世話になる
ことになる。

● お気に入りの中古ジャンパー、ご臨終か?

ここからがタイトルの「母子の言葉のやり取り」である。
言葉そのもを一言一句キチンと憶えているわけではないが、それぞれに
結果があるなら、このような言動があって当然と考え、書いている。

確か、大学3年の冬の頃、
「あんた、それ何??!!」素っ頓狂(すっとんきょう)な声とともに近づいて来た母、後ろからoldboy君のジャンパーの左袖を取り、しげしげと御観察。

「あんたジャンパー脱ぎ!!」と宣い(のたまい)、袖に自分の腕を入れ
しげしげと見入っておられる。

「あんた、このジャンパー、ご臨終かもよ」と母の宣告、袖の後ろ左肘の
部分に自分の腕を入れ、指を内側から外に突き出してなさる。

「母ちゃん、何すんねや」と静止したが、なにげに「マアーマアー擦り
切れてはるわ」のご診断である。

「あんた、塾や学校何着て行くん」と母も思案顔、
「セーターは何枚かあるから、いいとして、上着やな、あの茶色の替え
上着・・・」

(替え上着)とは今でゆうところジャケットぐらいの位置づけかも。
セーターは全て母の手製である、彼女は「棒針編み」の達人なのだ。

と言いながら、目の前のoldboy君専用の白木の洋服ダンスを開けている。

「なんやこれ樟脳の匂いキツイな」と言いながら、窓のカーテンレールに
懸けておられる。

oldboy君、突然の不吉兆にダンマリにして、不機嫌なご面体(めんてい)
である。

「今から、鶴橋まで気に入ったの買いにいくか?お金なら月賦で貸して
あげるで」と母。

それでもダンマリのoldboy君、ショックが尾を引いているのだ。

● 母、ジャンパーの手術(繕い)を提案

ここで母のお顔に突然の破顔の表情が浮かび、「あんた、それやったら、
うちが、継ぎ当(つぎあて)して繕う(つくろう)てみようか?」の
まさかの提案である。

「でけんのか?」と不信顔のoldboyくん。

「もちろんできるわよ、ただあんたが気に入って着るかどうかが問題
だけや」と母。

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以前にも記事にしたことがあるが、母は夏場の一時期を除いて、一年の
殆んどを着物で通したお人である。

今ももちろん、着物姿であるが、上から、真っ白な「割烹着・かっぽうぎ」
ハオッテおられる。
※割烹着 着物を着ている人が家事労働などを成す場合、そのまま上からはおる、
仕事着で、多くは真っ白なのが普通。

着物をほどき、反物になったそれに、ノリ張して、天日干しをし、
再び縫い直すのも平気でやり通す、お人である。

向かいの大きな家の、長い土塀を借りて作業をしている母をこれまで
幾度となく見てきている。

「ほんだら、母ちゃん(継ぎ当て)やってみて」と母の腕を信用して
不承不承(ふしょうぶしょう)ながら了解。

ジャジャーン
そしてできたのが、この下の画像なのである。

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誠にヘタクソな図でゴメン。
ジャンパーを後ろから見て
左が左袖の肘部分で、何故かそんなに擦り切れていなかった右側肘部分にも継ぎ
当てが。





まず、左袖を見てくだい。
どうみても、誰が見ても、ハートマークが逆立ちしたものにしか見えない。
あの傷み具合から見て、なぜこうなるのかの必然がないのである。

母いわく、
「始め小さく、ほつれ部分を切り取ったんやけど、すぐに大きく傷口が
広がりそうやから、結局大きく切り取り、あて布をしっかりと、繕(つくろ)
った」とのこと。

「それは分かる が、何故ハートマークがそれも逆立ちに?」と聞くと、
「遊び心にチョッピリ火がついて」みたいな返事が返ってきたのである。

右の楕円のマークは、早々ダメになるだろうと判断して先手を打った
とのご返事であった。

「マー、ぶつぶつ言わんと、着てみ」と促され袖を通す。

洋服ダンスを開けると、開きのドアに貧弱な鏡がはめこめらている。
袖の、肘を曲げ伸ばし、して見るが、何故か「これはこれでいけるのかな」
の気持ち。

へたな図をもう一度みて頂きたい。
まず、もともとの地色の濃いモスグリーンは、図の黄色ぽいグリーンより、
ずっと濃い色目で、継ぎのハートは濃紺である。
ハート柄も思ったほど目立たない。

もし、これが赤やピンクなら、どうだったのか?
今思うに、案外着ていたかも知れない、との思いも、何処かにある。

「あんた、そんなに目立てへんよ、いけるいける」と自画自賛の母」

oldboy-elegy君も、母の語勢に押されて、その気に。
「まあ、肘やし、見ようと思えば見えるけど、普通にしてれば自分で見る
事もないし」と、愛しのジャンパーの(成れの果ての姿)を見ながら、不承
ながらの了解顔。

最初の幾日かは、幾分のコッパヅカシイ気もあったが、やがて気にも止め
なくなった。

塾では、生徒たちに「先生、かっこいいやん」とか言われて、まんざらでも
ない気分に。

母には、この気分の変化を見ぬかれ、
「どやあんた、気に入ってるんちゃう」と言われる始末。


大学のクラスの連中も、初めは「笑って」いなさったが、今は
いたって無反応である。

なんと言っても、このハート付きのジャンパーの晴れ舞台は大学の
クラス(ゼミ)の女の子、S子と、これを着て映画に行ったことである。

このハートの継ぎのジャンパーを見て、断わられるかもと思いながら、
誘って見たら「良いわよ」のご返事。

彼女、実に聡明にして品のある人で、ゼミの発表にしても、哲学的命題に
しても、その理解度には感嘆したものである。
oldboy君とは恥ずかしながら、地頭がちがうようである。

彼女、山陰のある田舎町からの下宿生活であった。

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逆にoldboy-elegy君の左袖を取り、しげしげ見つめ、「あんたのお母さん、
器用でセンスあるなあ」とオホメノ言葉をいただいのである。
もちろん、このことは母に言ってない。
男の子とはおおむね、そんなものである。
後悔すること、「しきり」である。

映画の内容はさっぱり憶えていないが、何故か題名はしっかりと記憶に
ある。

アメリカ映画で、「スペンサーの山」であった。
G検索してみると、主演俳優はヘンリー・フォンダモーリン・オハラ
ある。
当時きっての、大俳優たちである。

映画館は京極通りに入った広場の東側にあった、劇場の名も忘れている。

しかし、oldboy-elegy君、隣のS子の息遣いや袖の触れ合う感触は憶えて
いる。
しょせんは、下品な奴なのである。

ただ彼、ここで大きなミスを犯していたのである。
後先考えず、授業のあと、彼女を誘ったのであるが、
まさか、このデイトの誘いを受けてもらえるはずはない、と勝手に
決め込んでいたのである。

そう、この日は、塾の授業がフルタイムである日なのである。
映画の後の食事もできず、理由を話し、お茶もせぬまま、大阪は河内
に急いで、とって返したのである。

oldboy-elegy君、どうもドジっぽい性格は性(サガ)のようである。

もちろん、これ以後2度とこのようなチャンスは巡って来なかった。

大学を卒業後、oldboy-elegy君、単独で3度ほど転居したのだが、
(あのジャンパー)は、いつとはなしに手元から消えてしまっていた。



母の、手ずからの温もりも失った。
すべて、この年になって気が付くものなのである。

 かるい、ため息を吐きながら、当時の己を振り返る。
らしいと言えばらしいと言えるが、同時に間抜けでもある。

まあこれも性分、良しとするか、とご納得。
懐かしく、ほんのり甘酸っぱい、良き思いでもある。

それでは、この記事で無しえなかった続きの夢を期待しながらご就寝
することに。

             では、では 

               了


                    oldboy-elegy

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