oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (33)テネシーワルツとストリップ劇場・当時の, ある法文系学生の生態と??、 IN KYOTO

日記?雑文?よくわからない。ともかく自分の人生の時空を行ったり来たり、
ちょっ可笑しく,すこし哀しいが何故か懐かしい物語でもある。オールドボーイ
諸君に幸あれ。

今日のこの記事、およそ半世紀ほど昔、学生であったoldboy-elegy君たちの
日ごろの
ひとコマを切り取り活写したものである。

この記事、実は、ブログ開設初日に投稿したものをリライトしたものである。
日付は2019・04・10 となっている。

悲しいかな、初投稿から今日まで、読まれた形跡は殆んどない。
今なら、些少なりとも見ていただけるかも、との思いで再掲した次第である。

当時(ほぼ半世紀昔)の法文系アホ学生の日常をご覧あれ。
                         by oldboy-elegy

                  

わたしは女友達に私の彼を紹介したんだ。 そしたら、その女に私の彼を
横取りされてしまったのよ」・意訳  
          
テネシーワルツ by Patti Page (パティ・ペイジ)

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いま京都にいる。
京都見物とゆうわけでもない。
学生をやっている。
下宿生活でもない。
ともかく高貴なお方が多く住むと言う?大阪は河内からの通学である。

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「  学費は出す、部屋代を出せとまでは言わぬ、家での食費はタダ、ただし
オカズに文句をゆうな、こんな好条件どこにある」、と我が敬愛する母上の
言である。

私oldboy君、文句をいえるはずもない。
「ははあーッ、ごもっとも」と首(こうべ)を垂れるばかりであった。

これで取りあえず最低、生存できる保証を得たことになる。

 高校の卒業式前に小さな塾での講師のアルバイトを先輩から譲り
うけた。
同じ高校の先輩が大学を終え、就職するにあたりoldboy-elegy君をと
指名していただいたものである。

人を見る目がない先輩であったことが幸いした、失礼。

ともかく、順調?に行けば、4年間のモラトリアム(社会人になる前の
猶予期間)期間をいただいた事になる。

何ゆえか、この時代の新聞、地方版全面を充て、そこに、なになに大学
の合格者氏名を高校別に掲載していた。

順次、私立大学から始まり国立、公立と約2か月弱の間の恒例であった。

なぜこんなプライベートなことが、新聞、それも大新聞と言われる紙面
を飾るのか、今にして思えば不思議に思える。


こんな新聞を見ている近所の口さがない大人連中「oldboy-elegyちゃん、
なになに大学合格したんやて、おめでとうさん」これで終わればまだ辛抱
できるが、必ず次の言葉がくっ付いてくるのである。

「つぎ何処、受けるの?」この言葉は、次の大学、受ける人にも、受けない
人にも最悪である。
ともかくも、国立、公立至上主義の土地柄もあり「この次は?」とくるの
も当然と言えば当然である。
  
彼、一応国公立、理系の受験科目数は満たしてはいたが、多分に恰好だけの
ものであった。
私立は基本3教科、公立、国立5~7教科。

しかしoldboy-elegy君、私立大学に受かったとたん、やる気は雲散霧消、
「これでいいや、これでもよく受かったもんだ」と自己満足と自己弁護。
スタコラサッサと即、受験戦線から逃亡を決め込んだのである。

oldboy君、近所のおじさん、おばさんに「これで終わりです」と、小声で。

 ここで少し困ったことが、先輩の塾での受け持ち教科、数学と理科
なのだ。

いくら中学生中心といえど、oldboy君、純度100%の文系一択の学生であり、
高校での「理系進学コース」は「ツブシが効く」位の発想での在席であった。

結果、高校時代は一貫してアホはアホのままで、化けることはなかった。

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言いたくはないが高校、卒業前の物理の試験、2回チャレンジ試みるも2回とも
あえなくアウト。

最後には教官自らが禁じ手発動。

 最終の3度目の再々試験、大問2題、中学に少し毛が生えた程度の軽量問題を
出すと宣言。
その上、まだ御心配だったのか何日か前にガリ版刷りの問題用紙をバカ生徒
何人かにヒラリヒラリの手渡し。

一応、理系進学コースで、50人中、女子も数名、在席していたが、何故か
落第危惧種は(5~6人)すべて男子学生である。

こちとら肩をすぼめ頭をカキカキありがたく、出題確定問題、掲載の用紙を
両手でウヤウヤシクいただく。

公衆(学生)の面前で「俺に恥をかかせるな」と、のたまう教官。
口に手をあてクスクス笑ってやがる女子(おなご)もいる。

最後にこの聖人先生「この中の問題からそのまんま2題だす、いいかもう
一度言う、そのまんまだ、解けないやつは理科の準備室に来い、回答も作って
ある、俺もいちいちお前らに付会って説明する根気はない!」と一括。

それからこのバカ生徒の中の一人、佐原に向かい、「ほれそれ・・・ピアノは
上手くなったのか?」と小さな声で一言。
当の本人「はい」とキラキラ星の笑顔、教室中が静まっていた。

ここまで綴ってきたら、随分昔のことだが、その場の状況を思い出すこと
しきり。
  
ただこの高校、病気、大幅な出席不足以外、学科の成績だけで落第は
出さない事で有名であった。

数学や理科を塾で教え始めて思ったことがある。
「案外俺いけるんじゃない」なんせ飯のタネなのだから。

2月の中旬(高校卒業前)から教え始め4月に入ればもう自信を持ち始める。
このあたりoldboy君、基本的に人間が軽くできている。

そう、京都に通うようになり一年を少し過ぎたころのことであったと思う。

出来の良くない学生4人が京都では一番の劇場(なにが一番か俺は知らない)
と名高いストリップ劇場、千〇ミュージックご登場である。

このうちおれも含めて3人はこの手の劇場は初めてではない。

九州は福岡出身のOなど在学中に半券50枚を収集して「我が家の宝にしたい」と
豪語していたが、しばらくすると熱が醒めたのか、目標が麻雀に変更とあい
なった。

もう一人は出身地はともかく学生服に角帽、足元は白緒の下駄といういで立ち
である。
おまけに腰の後ろには日本手ぬぐいがぶらさっがっている。

当時、このような風体の大学生はママ存在した。

角帽、下駄は別として、詰襟(つめえり)学生服だけに絞れば結構多くいた。

oldboy君も入学式は学生服であった。

高校時代に着ていた学生服に大学売店で売られている校章の刻印されたボタン
を付け替えればOKである。

あ~そうそう、襟章もそう言えばあったな。
詰襟の右部分には校章、左には学部章、Tが工学部、Cが商学部、Eが経済学部 
などなど。

俺(oldboy君)も学生服姿のモノクロ写真を1枚、今も持っている。
角帽もあったのだが、クロ(我が家の自由猫の名)のお休みどころとなり、
彼がいなくなったあと?角帽は行き方知れずの状態である。

学生服姿のoldboy君のモノクロ写真、上半身、左半身からのものである。
やや長髪で、天然のウエーブがかかっている、当時、このくせ毛、あまり
好きではなかった。

今では、短髪仕上げの白髪頭のせいか、波打つふさふさ毛髪を恋しく思って
いる。

もう一人Y君、ちょと見は遊び人風ではあるが実際は嫌味のない良いやつで
ある。
Oが誘ったらしい。

因みに彼は北海道の首都出身。
じつはこのY君に関しても後日談がある。
またいつか、話すこともあろうかと思う。
ひとつキーワードとして「大蔵映画」とだけ報告しておく。


入場料はハッキリとは憶えてはいないが400円前後したのかな?。 
学卒初任給20.000円弱程度の時代であるのを考慮すれば安くはない。
ググればたぶん分るだろうが、 oldboy君の主義ではできるだけそうしない
で書いて行きたいと考えている。

なぜならこの話、半世紀も昔の事、多少の「茫洋感」も、かえって、リアル
感を醸すことになる、と考えている、
と言えばかっこが良いが実のところものぐさでいい加減な性格、これが本当の
ところかもしれない。

ホールの中は暗い、ちょっと離れれば互いの顔もハッキリと認識できぬ。

ただその闇の中にスポットライトに照らし出された舞台が浮かんでいる。


客席から見ると一番奥の舞台がホール一杯に左右に広がり、舞台袖はその
まま楽屋に繫がる、その最初の舞台の中央にT型にウオーキングステージが
ホール中央に向かって伸びる。
そして客席の真ん中で半月の形をした大きな最終ステージにつながる。

つまり全体としてを思い起こせばよい。
左の縦棒が一番奥のステージ、次の横棒がウオーキングステージ、次の縦棒が
客席に突き出た最終ステージとなっている。
横棒の上下に分けらた部分も客席である。

ステージの裏は楽屋であり、踊り子さん達の宿泊施設でもある。


およそ10人前後の踊り子さんと1~2人の男性で一座をなしている。
入場券のもぎりは,もぎり嬢、と呼ぶのが普通だが、こちらの世界では
もぎり男が普通のようである。

O君など、なれるものなら、なりたいものだとちょっと憧れていらしゃる。
一座は半月からひと月程度で次の巡業地に旅たつのが習いである。

吊るされたミラーボールの赤、紫、青、黄色の光が小さな劇場の壁や天井、
客席の男どもの顔を嘗(なめ)回す。

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踊り子たちの衣裳は洋装が和装よりやや多い、和装の踊り娘(こ)は
そうでない子に比べて少し年が上のように見受けられる。

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オープニングステージは今日のラインナップを飾る踊り子全員のお披露目の
ラインダンスで始まる。
客席からは男どもの「黄色い声援??」が飛び交う。

それぞれヒイキの踊り子さんに向かって「〇〇ちゃーん、今日もたのむでー」と
声援のシュプレヒコール(集団唱和)でのスタートである。

なにを「たのむか」oldboy君は知らない!?。

何人かの踊り子さんたちが入れ替わり出演したあと、今でも忘れない、
薄く透けた紗のガウンに身を包んだ少し小太りぎみ の若い踊り子さんが
登場。

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なんとその踊り子さんのダンス曲、それこそが「テネシーワルツ」で
あった。
おまけに江利チエミさんでも、美空ひばりさんでもなくあの
「パティ・ペイジ」の「テネシーワルツ」をバックミュージックにしての
振り付け??である。

すまん、ゴメン、もっと高尚なお話を期待した諸兄を椅子からズッコケさせた
かもしれない。

この曲「パティ・ペイジ」がオリジナルと言うわけでもない。
彼女自身も何人かのカバーで歌った歌手のひとりのはず。

日本でヒットしたのも彼女の「テネシーワルツ」があったからだと俺は
思っている。

その上、英語の歌詞が日本人にとってもすこぶる分かり良いのであるが、
この点を誰も言わないが、これもヒットの一因であったかも知れない。
英文歌詞を検索されてみるのも一興かと。

断わっておくが、「江利チエミさん」が嫌いなわけでもない。
ただ、この曲に関しては、あの少し鼻にかかった巻き舌部分の英語が好きに
なれなかったのである。


そのうえ「パティ・ペイジ」の歌う歌詞の筋立てと日本人歌手も含めた多くの
リメイクの歌詞の筋立てと違っているようである。

つまりこうである、
「私はボーイフレンドの彼氏とダンスパーティにいった、そこで彼をわたしの
女友達に紹介した、そして私はその女友達に彼氏をストールンされた。」が
ペイジの筋立てである。

日本人歌手も含めてほとんどの歌手のカバーはこれとは違った筋だてに
なっていた。

「男性が自分の彼女をダンスに連れていき、彼女を自分の男友達に紹介、
そして自分の彼女を男友達に奪われた」と。

一人称の「わたし」の性別が入れ替わっている。
oldboy君の感性からは後者の感覚はありえないのである。


目前の「ヌードダンス」と中高生のころ聞いた「5級スーパー真空管ラジオ
から流れるパティ・ペイジ」の声が混然一体となり、oldboy-elegyを恍惚の
エクスタシーに引き込んだのである。

サムネイル画像として使用している「布団に入りラジオを聞いている図」
などまさにoldboy-elegy君の自画像そのものである。

ホントに「いらすとや」さんには感謝の一字です。

そしてもう一つ気になったことがでてきたのだ。

最近のことだが、このブログを書くにあたり もう一度「ペイジ」の
テネシーワルツ」をyoutubeで聞いたのだが「Tennessee waltz」の最初の
Tenne」の部分の発音がいくら聞いても「Chenne」にきこえるのである。。


カタカナで表すと「ネシー」と「チェネシー」ぐらいの感覚だ。

ほかのアメリカ人歌手では「ノラ・ジョンズのテネシーワルツ」、やや
ジャズっぽい歌い方だが、聞き耳を立てて聞いてみるが、Tenneに近い発音、
最近の僕はこのペイジの「チェネシー」にぞっこんです。

これ日本語で言う「〇〇弁」の一つでしょうか?どなたか推察でもよいから
教えていただきたいものです。
あるいは「お前の耳がおかしいのでは」でも結構です。

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 5級スーパー・真空管ラジオ

 です。






これらの多くのアメリカンポップスが僕の中学、高校生のころ、五球スーパー
真空管ラジオを通して洪水のように流れ込んだ時代でした。
本当に何もかもが新鮮で布団に潜り込み、毎晩のように聞いたものです。
(僕のプロフィール画像のように)

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左の画像はoldboy-elegy君深夜放送を聞いているイラストでる。
あわせて、ブログ全体のサムネイル画像としても使用している。そして彼の枕元右側にある黒い箱が、「5級スーパー真空管ラジオ」
である。






恋の片道切符
」・ニールセダカ、「谷間に三つの鐘がなる」・ブラウンズ、
トムドウリー・500マイル」・キングストントリオ、「煙が目に染みる
・プラッターズなどたくさんたくさんありました。

これらの曲の一つが「Tennessee Waltz・by Patti page」だったのです。

話を終えるにあたり。それぞれの結末を報告いたします。
2回生の春から「英語購読」なる授業がありテキストは「倫理学」・筆者は
英国の哲学者バートランド・ラッセルです。

この知的であるはずの授業のあとワルが連れもって、千〇ミュージックへ。 
倫理学とストリップ劇場、なんたるや、この落差、ラッセルもビックリ、
oldboy君の倫理はどこに行ったのやら。

もう一つこの日の「千〇ミュージック」は終始不穏な空気が流れていたのです。
客の怒声を聞けば察しがつくと思う、

「やーい、刑事かおまわりか知らんけど、弱いもんいじめスンナ、木戸銭ちゃん
と払ったんか、わいらおねいちゃんの味方やからな」などなど。
時折こんなこともあるらしい。

何が起こったのか、たいていの人はわかるはず。

当時の5級スーパー真空管ラジオの値段(これをググってみた)。
およそ5千円前後、学卒初任給20.000円弱程度、してみれば結構高価なものである。
oldboy君、家にラジオが来た時のことを覚えている.

もっと小さなころ今は亡き義兄が鉱石ラジオを作ってくれたのを突然に思い出した。
電池も、必要ナシ、深夜になれば案外しっかり聞こえたりして、見た目は悪いが
気に入っていた。

かまぼこ板や赤黒いエナメル線の円筒形のコイル(鉱石ラジオの
部品)を、どうかしたはずみで思い出す。
今となれば、およそ半世紀もの時空の彼方の出来事である。

当時交錯した多くの人達は、今は幻影の中にのみ存在する、懐かしくも何故か
哀しい物語となってしまった。


それでは オールドボーイ諸兄もそうでもない人も、よい夢を

            では では おやすみなさい


                 了

                oldboy-elegy

 

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