(雑感・雑記帳 No. 25) 「 明日に架ける橋」歌唱中のアート・ガーファンクルの口中を、2分以上もアップ画像で撮り続けた意図とは!!??
以前(2019・10・01)に(雑感・雑記帳 No.7)
タイトル「大好きな男性デュオ、Simon & Garfunkel について殆んど言及
されていない?こと!!」で紹介したのだが、今回のこの記事は、それの
リライト版ではなく、その「言及されていないこと」のみに焦点をあて、
記事化したものだ。
アート・ガーファンクルの素晴らしい歌声と、その口蓋・口腔・舌・喉の動きが、
ある種の驚きと感慨を貴方に与えるものとの思いからである。
曲は 「Over the Bridge Trouble Water・明日に架ける橋」でガーファンクルのソロ。
参集した観客は50万人以上。
あのニューヨーク・セントラルパークでのチャリティーコンサートでのこと。
歌唱時間は4分半、oldboy-elegy君が言うところの「特別なカメラアングル」
は2分20秒ぐらいから始まり、最後までこのスタイルの画像で終始します。
oldboy君、これは意図的・意識的なものと思うのですが、みなさんは
どう思われますか?
※画像にはVEVOのロゴがあります。
VEVOとは世界最大のミュージックビデオ発信サイトで、この動画では
youtubeとの共同で配信しているもので、曲の間にコマーシャルが組み込まれ
ています。
つまり、拡散希望画像です。
取りあえず、こちらでリンクを貼らず、
下記の英文の部分をグーグルの検索欄にコピー&ペーストしていただければ直接
セントラルパーク公演会場の、「明日に架ける橋」に入るので、個人の資格で
視聴してください。
現在の所、画像は健在でした。
お詫び
※下記の英文中、〇「water]のスペルが ✖「watar] と間違いがあることを
読者さまから「指摘」を受け、勝手ながら訂正させていただきました。
申し訳ありませんでした。
期日 2020・11・2
以下、oldboy-elegy君が思いいれる、彼等のこの日の公演の実況アナウンスである。
これを聞き終わってから、問題の箇所、ガーファンクルの(明日に架ける橋)に
入ってもらったら、より鮮明に納得してもらえると思う。
この記事の最後にアドレス(英文)を記載しておきます。
ではスタート
上掲のイラストはアメリカ合衆国はニューヨークのセントラル・パークて
開催された「サイモン&ガーファンクル」の野外コンサートのシルエット
画像である!!と思ってくれ。
その記念の日が1981September19・(9月19日)(現地時間)、39年前の
ことであった。
時刻は日没前から夜間にかけての公演である、集まった観衆は50万人
をこえる。
残照の中、「Mrs Robinsonミセス・ロビンソン」から始まる。
ステージのセットは何を表現しているのか、中西部の農場のサイロか
それともシカゴを中心とした東部工業地帯の重工業、自動車産業の衰退
の始まりの象徴なのか、あるいは都会のバックストリートの荒廃した
佇まいなのか、ともかく電飾もなし、キラキラ感はゼロ、簡潔そのもの、
あるのはステージを照らす、ライトのみ。
二人の衣装は?
これが全くステージ衣装とは無縁の普段着然としたもの。
ポール・サイモンはラウンドネックの白のTシャツに黒っぽい薄地の
カジュアルスーツ。
一方アート・ガーファンクルは、
着古したインディゴカラーのジーンズに細めの黒のベルト、白の木綿地
らしき長袖のシャツ、そこにボタンも止めないまま黒のベストを着ている。
寝起きのベッドサイドに散らかっていた昨夜の服かもしれない(冗談)。
笑ってしまうのは、「ガーファンクル」のシャツの後ろがジーンズに
キッチリ収まらず、はみ出していることである。
曲の選定で残念な事は、アンデス北部のボリビア、ペルーあたりを発祥
とする「フォルクローレ(南アメリカ民族音楽)」をもとに編曲した名曲
「El Condor Pasa・コンドルは飛んでいく」が今回のコンサートに
なかった事。
この曲、特に日本人に好まれているものでもある。
峻烈、極まるアンデスの峰々、氷河と谷底の緑の間をゆったり
飛翔するコンドルの姿は、曲調と重なり何故か強く惹かれる
ものがある。
この1981セントラル・パーク・コンサートは入場無料(フリーコンサート)
でもある。
当時、財政難に喘いでたニューヨーク市が地域活性化のため彼等にお願い
したある種のチャリティコンサートと言う性格がある。
このため曲の選定も(アメリカ、ニューヨーク)などの言葉が入った曲や、
彼等のオリジナルが殆んどのように思う。
ここに「El Condor Pasa・コンドルは飛んで行く」を入れるのは、いくら
彼等のアレンジでもコンサートの主旨からも異質感があるのは否めないと
思う、
ある意味、当然のことかもしれない。
時代は合衆国東部の鉄を基盤にした重厚長大な産業(鉄鋼、自動車)
が斜陽化し、西部のカリフォルニアなどを中心に勃興しつつあった
電子機器やIT産業の時代に入る前夜のことである。
重要な事はこれ以後、あれほど強固に思えたアメリカ中産階級が雪崩を
うったかなのように縮小し、資産、所得の社会的階層(ヒエラルキー)が、
「持てる者はより豊かに、持たざる者はより貧しく」の時代の入り口に
あった事だと思う。
いわゆる「中産階級の没落」の始まりと、同時に「アメリカンドリーム」
終焉の象徴的「時代背景」があった。
●ここからがoldboyくんが考える「サイモン&ガーファンクル」
のうちのアート・ガーファンクルのオリジナル話(ばなし)である、
多分。
その事とは「アート・ガーファンクル」についてのものである。
もう随分前の事であるが、ブログでは絶対ない、youtubeとも違う、多分
NHKの教育テレビだったと思う、(間違っていたらゴメンなさい)。
「 アート・ガーファンクル」の1時間ほどの単独ロング・インタビュー
番組を見た事がある、
製作はアメリカのテレビ局のものであったと思うがどうであろう。
検索でこの動画そのものを探そうとしたが見つからず失敗、どなたか
視聴した方がおられても不思議ではない。
oldboyくんこの動画内容の殆んどは失念、しかしただ一か所、強烈に印象に
残る場面を記憶している。
それは彼(アート・ガーファンクル)の口腔(こうくう)と口蓋(こうがい)
の形について自身で語っている場面である。
解剖学的に口腔とは口の内側の事で、口蓋とはその上側の部分の事であるらしい。
口腔外科(こうくうげか)と言う専門の診療科もあるぐらいである。
つまるところ、彼、アートの口の中、口腔(こうくう)の形が解剖学的
見地から、歌をうたう事にいかに理想的なものであるかを延々と語っていた
場面である。
このロングインタビューを思いだした時、「アーそれで!!」と強く
納得することがあった。
今回、ポールもアートもソロで各々2~3曲歌っているが、そのうち
「アート・ガーファンクル」のソロ
「明日に架ける橋・Bridge over Troubled Water)を視聴していて、なんだこの
「撮影の仕方は?」と思ったことと、「彼の口腔の形の自賛のインタビュー」
が突然結びついたことであった。
いままで、幾度となく見て来た画像だが、今回初めてあのインタビューの
事を意識し、視聴して全く異次元の感動を得ることができたのである。
少し、視点を変えてみるだけなのに、こうにも印象が違って見えることが
驚きであった。
そこで、そのことを、読者諸氏と共有したくてこのブログを書いたのが
主旨である。
歌唱時間は約4分半ぐらいで、始めから2分20秒位までは、いつも見ている
それとそんなに違った所はなく、チョット力(ちから)が入ってるな、
と思ったぐらいである。
撮影スタイルと言うのか、撮影技術と言うのも普通で、全身から顔の
アップに入ったり、カメラ位置が反対サイドに変わったりと、
なんら特別感は無かったのだが。
それが曲の半ば過ぎ(2分20秒あたり)から、画像の撮影スタイルがガラリと変わったのである。
それ以後、彼のステージ上の全身を撮影することは殆んどなくなり、
大部分が彼の頭部と言うか、顔のアップに費やされ、彼の口内、口蓋、
舌の動き、喉の奥、喉ちんこまでが画面一杯にアップされて撮影され
だしたのです。
しかも、この状態がほとんど歌い終わるまで継続されていたのである。
最後にカメラが彼のUPから離れ、全身を映し出した時、
腰のあたりで力一杯、こぶしを握るが、それでも控えめな動作は、
観衆に見せたものではなく「よし完璧にやれた」と自分自身に言い
聞かせた動作だったとように思う。
この特殊な撮影はガーファンクルとカメラマン、あるいはディレクター
などとの了解の上、意図的になされたもののように思うのだが?!!
どうだろう。
※下記のアドレスがセントラルパーク公演時のものです。
リンクはしていませんがコピー&ペーストで動画にとびます。
最近、仕様が変わり、4種の動画が表示されますが、うち一番上の
4:41秒、VEVOのものが目的の動画です。ヨロシク
Simon&Garfunkel-Bridge over Troubled Water (from The Concert in Central Park)
「ガーファンクル」はあの「明日に架ける橋」歌唱時、その感情の極みに
あったように思います。
人によっては、それは演出だったかも知れないよ、言うかも知れませんが、
oldboyくんそんなことどうでもよいことで、あのテレビでの
ロングインタビューとセントラル・パークでのソロの歌唱表現が一本の
紐で結ばれた瞬間だと感じたのです、
ともかく、oldboyくん、このことを曲がりなりにも記事にできたことは
嬉しい限りです。
「アチューイ、アジ―、アツイ」とつい先日まで季節に文句を言って
いたのに、どうかすると「寒い」と感じる日もある季節になりました。
oldboy諸氏のみなさま、おからだにご自愛を では では
了
oldboy-elegy