oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (35)母の故郷、鹿児島での日常のヒトコマと、そこで見た性への原初的風景?を綴ってみた

oldboy-elgy君、異性に対して何かしらの得体の知れない感覚を抱いたのは
いつの頃だったろうか?。

そう初恋とか呼ばれる言葉以前のもっと原初的なものの事を言っている。

意識の中に、最初の異性として登場した女性は、もちろん母である。
しかし、それは、日々の生活の難儀(なんぎ)さからくる印象が優先し、女性と
言うより
同志的感覚であったように思う。

それが証拠に、二人して島根県の松江にいたころのことである。
母が病院の下働きに出るおり、

必ず彼に5円かの小遣いを与えたが、これを使うことはなかった様に思う。

ある意味、こましゃくれた子だったと思うし、感心することではない。
母はむしろ、この5円をおおらかに使って欲しかったのではないだろうか。

この行為は、かえって彼女を喜ばせるより、ある種の、哀しさを与えたかも、
と今では思う。


しかたなしに逃げ帰った先が、母の故郷である、
鹿児島県のこの地、開聞(かいもん)での生活を懐かしさとともに記事にして
みた。

 

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はたまた、まずい絵であいすまぬ。
母の故郷のスケッチのつもりだ。
正面の円錐形の山①が、開聞岳
標高は900メートル少し1000
メートルには足りない。
山容は美しい円錐形で、「薩摩富士」とも呼ばれている火山である。


②の海原は太平洋である。③の火山灰台地と山の境に清流が一筋あり、すぐに海に消えゆく運命にあった。

きょうの出来事の舞台はこの川での事である。

               ★★★

戦争中、この地の北方に「知覧(ちらん)特攻隊基地」なるものがあり、
南方に向かう戦闘機などは、この開聞岳に向かって、「自分の人生と日本」
に別れのバンク(両翼を左右に振ること)をして海原の向こうに消えて行った、
などの悲しい話も残っている。


この時oldboy君は父の顔はもちろん、その残影すら知らない子供であった。

齢(よわい)長じて後、いろいろの状況を鑑みれば、その時5~6才のold-boy
君であったはず。

計算の元になる、ほぼ明確な期日がある。

母が意を決して、本妻のいる大阪に僕を連れて乗り込んだのが、小学1年で、
夏休みの前のことであった。

この時点で、いまだoldboy君、学業・学校の経験はなかったのです。
それゆえ、彼、とうぜん幼稚園も知らないことになる。

 

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このイラスト、当時の子達にしては
小ぎれいで、清潔感一杯である。
oldboy君、小学校のころ、米軍の
兵隊
さんが学校にきて、DDTなる薬剤を、頭髪から、衣服の中まで、散布されたことがある。
シラミ対策である。

向かって、前列、右の子が彼であろう。
一人「ホエッ」「なんや」顔である。




学校初体験は床に広げられたおおきな模造紙数枚に、四方から子供達が寄って
たかって、お絵かきの最中であった。
oldboy君も側の女の子から借りた、クレヨンでこれに参加、何故かこの光景
だけは鮮明に記憶にある。

この時が彼の「入学式」であった。

これらの様子を見る母も安堵と喜びの瞬間だったはず。

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母はこれらのことも含み、意を決して、優柔不断な父のいる大阪に乗り込んで
来たことは想像に難くない。

押しかけ女房ならず、「押しかけお妾さん」と言うわけである。

根無し草(デラシネ)の彼がともかくも足を半分、地につけた瞬間であった気が
するがどうだろう。


この母の故郷に、どれくらいの月日暮らしたかは、よく分からない。
奇妙なことに、この家で、母の母らしき初老の老人以外、人の気配を知る
ことは無かったように思う。

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左掲のイラストはサトウキビである。
葉の部分を鎌で削ぐ。
それでも、oldboy君より余裕で長い。
それを担ぎ、おやつにして走りまわっていた。









その、おばばが、土間に積まれた、サトウキビを一本抜き取り、先の葉を
鎌で払い落し、長いまま「ホレ」とoldboy-elegy君に、投げ渡すのである。

その日の、おやつである。

この村落はシラスと呼ばれる、火山灰台地の上にある。
視線を上げれば、別名、薩摩富士と呼ばれる開聞岳があるはずだが、幼年期の子
ゆえか、山に近すぎたためか、この家からの山容は記憶にない。

この村落に点在する家々には、電気は来ていたが、水道は無かった。
そうかといって、家に井戸があるわけでもない。
火山灰台地の宿命である。

小さいとは言え、村落がある限り「水が必要」ではと、読者諸兄が思われるのは
当然のこと。

そう、そこはうまく出来たもので、村はずれに1筋の清流が流れていたのである。
開聞岳かいもん)の左すそ野を巻き、1キロも行かず、太平洋の大海原に消え
行く運命にある細い命の川である。

さあ、ここでもう一つ難儀な事情が待ち受けていた。

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恐ろしいもので、自分で描いた画をこれまで何枚かUPしたが、恥ずかしさが薄れてきた。
拙い本文記事の説明ぐらいのつもりである。

村はずれの谷底を流れる清流のつもりだ。
左端の四角の部分が漉(こ)し井戸で、そこから右上方に上る小道が、雷状に右、左、右と登って行く。

母は、バケツの水を、天秤棒の両端にぶら下げ、日に何度となく登り降りしていたのである。


川下は右方向である。

 



この清流、火山灰台地と開聞岳の境界の谷底を流れているのである。
この谷の深さたるやそこそこのもの。
一本の大きな老木脇を起点に、雷様の、イナビカリ状に右、左、また右へと
細い道が谷底に落ちていき、その終点にこの川があるのだ。

川の脇には、苔むした石の漉(こし)井戸が組まれていた。
※漉し井戸(こしいど)とは、 深く掘られた井戸ではなく、隣の川の流れを
 砂利や砂で濾過しただけのもので、覆う屋根もない、当然、鶴瓶(つるべ)
 はなかった。
 
ここが部落の共同の水場なのである。

掘り井戸ではないので深いものではない。
水底(みなそこ)は砂状で、よく見ると、透明な小エビも見える。

河幅は、それでも5・6メートルはあったろうか、それはそれは美しい流れ
である。
井戸同様に川底も砂状で、深さも彼の、ひざ程度のもの。

両岸からはそう太くもない、黄色の竹が伸び、天井の空を覆っている。
陽光と竹と葉っぱの色で川面も、黄色くキラキラ輝き、すぐに海に尽きる
であろう流れも、それは美しいものであった。

しかし、その風景とはうらはらに、母の仕事である水運びは過酷そのもの。
そんなに遠い道のりでも無いのだが、なにせこの急なジグザグ道を、
天秤棒の両端にバケツ引っ掛け、のぼるさまは、子供心にも見てはおれ
なかった。

oldboy君、なにかお手伝いしたいのだが、こればかりはどうしょうもできぬ。

各家に風呂の設備がない分、そのための水は必要ないのですが、それでも
一日何回もの水くみが必要だったのは当然です。

いまにして思えば、母がこの地を逃げ出した理由の一つであったかも知れ
ません。

洗濯などは、持ち帰った水を使うことは殆んど無いようでした。
反対に、洗濯物を持って水場に行くのです。

この時の約束事があります。
漉し井戸(こしいど)の水を洗濯に使うことは厳禁で、川の本流の水を
使う事と、作業は井戸より下流でやらねばならないなど、村の約束があった
ようです。

ある日のこと、oldboy君、母の姿が見当たらないのに気が付き「母ちゃんは?」
とおばばに尋ねると「水汲みじゃ」との返事。

この頃から、彼には、身についた「哀しい習性」があったのです。
それは癖と言おうか、思いと言うのか小学校を終える頃まで、引きずっていた
ように思うのです。

母の行動と姿をいつも、自分の視界の中に収めておかねば、気が気でなかった
事なのです。

いつか母は、自分を捨てて、何処かに行くのではないか、と言う疑念と恐れを
何時も抱く子になっていたのです。

大阪に来てからの事ですが、電車で出かけた母を、駅のプラットホームが
見えるノッパラで長い間待っていたことがありました。

その時、母が「あんたそれなんな?」と、oldboy君のセーター見て
おしゃったことがあります。
母に編んでもらったそれには、イノコズチの種子が一杯まとわり付いて
いたのです。


話を鹿児島のおばばの家にもどします。


おばばから「水汲み」と聞くなり、oldboy君、あの谷底の水場に向かって
走っていた。
道は一本道で、行き違いになることはありません。

「ここから谷ですよ、危ないよ!」の目印の老木を過ぎ、イカズチ状に落ち込む
細い道を駆け降りて行くoldboy-elegy君。

そこに突然、谷底の流れの方角から、若い女性の「嬌声とも笑い声ともつかぬ」
声が「キャー、キャー」と聞こえてきたのです。

はたして、谷底の川まで降りきると、母は井戸とは反対側、川下方向に置か
れた洗濯用の叩き石にやおら腰を下ろし御休憩の様子である。

バケツにはまだ水はない、どうも到着されたばかりのようである。

それはさておき、母の肩越しの川中に3人の若い女性が水浴びの最中なの
である。
もちろん、全身、一糸まとわぬ姿なのです。

坂の途中から聞こえてきた、楽し気な笑い声は彼女達のものである。
一瞬だがoldboy君を見るが、そのまま、水遊びとも、入浴ともつかぬ感じで
遊び興じている娘たち。

川の両岸から立ち上がった、竹と葉の黄色のトンネルの中、足元のキラキラ
光る水面の中の娘たちの姿。

どうも彼女たちにとって、この幼いoldboy君の目線や存在は、空気以下のもの
であったようです。

実はこのこと、このあとズット憶えていた訳でもないのです。

中学生のころ、美術の本か何かでルノアールの「裸婦像」を「良からぬ
目線」で見ていたおり、何故か急に、あの折の情景が心の内に再来した
のです。

少々、後付けの印象かも知れないが、今となれば、あの時の事がoldboy-elegy
君の性への原初的出会いであったように思う。

意識の奥に潜んでいた像が、普通ならそのまま忘れ去ってしまっているのが
当たり前、それがこの歳(中学生)になり、幼い頃に出会ったあの場面
(水浴びに興じる娘たち)に感応したのである。

それも、印象派ルノアールの絵の中でも特に(陽光の中の裸婦)が、それ
そのものだったようである。

この絵は同じ題材でいく枚かある。
裸婦を囲む、背景の植物の色が、グリーン・ブルー・イエロー 等々があり、
それらは、印象派独特の光の中で、裸婦の肌を際立たせている。

もちろん、イチ押しは、黄色の背景の中の「裸婦像」である。
何故かって?、そう、母の故郷の、あの黄色一色に染まったカンバスと
その中で遊ぶ娘たちの絵が、なぜか同質の感覚を与えるからだと断言できる。


「裸婦」を包む背景の描写が、あの開聞岳の竹の葉と清流と重なり、以後の
oldboy君の大好きな、名画となってこの歳に至っている

今度は、それもエロチズムを伴う感覚も併せ持つ情景として再来したのである。


もし、まったく忘れ去られたものなら、後にこうして同期・同調し、反応する
ことも不可能なはず。

わずか5・6歳の年端の行かぬ子どもの体にも、本人も気が付かぬまま「将来に
向けての」炎の烙印がキッチリと押されていたと言う事だと思う。



   では では 今宵の夢が楽しいものであらんことを おやすみなさい

                 了

                 oldboy-elegy

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