oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (37)戦後の給食の思いで。「LaRa物資・ララ」感謝は当然の事、だが子供にとっての現実はこうだった。!!??

 

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左のイラストは昭和30年前後給食のイラスト画である、と勝手に思っている。

戦後の混乱期が過ぎ、「世の中が少しは落ち着いてきたかな」と思うころの話である。






自身がまさにこの時代の子供であった。

今日は、これを主題にした「あれやこれや」である。



先日、(雑感・雑記帳No.27)で「最近の肉じゃが事情」なるタイトルで記事を

書かせていただいた。
その作業中、何気にボンヤリ眼前を横切った「思い」があった。
それが今日の「大昔の給食事情」を書くことへの動機である。

それに加えて、いつもお世話になっている(いらすとや)さんの画像ストック
にも「昔の給食」なるタイトルがあったので使用さしていただいた。
恐るべし(いらすとや)さん、こんな些細な事まで画像が用意されています。

記事化するための強力なモチベーションになります。
ありがとうございます。


               ★ 
            「LaRa物資」と・
      戦後すぐに始まった、学校給食のあれやこれや


さてタイトル画像の中の、みっつの食品の内、パン・ミルクは無償の
米国からの援助品であり、残りのオカズらしき食品が日本が自ら調達した
ものと言う事になる。

今日の、記事の「お題」は、見ての通り「昔の給食」にまつわる、あれや
これやである。
しかし、このイラスト画像を見て、「??」と感じるお方も一定数おられる
のもまた「事実」であろう。

なにが、人をして「??」と感じさすのか。

ある人は「この給食、なんか貧相やな!」と答えた方は、比較的、若い人では
なかろうか。

反対に、一定の年配以上の方は「ん、これ給食やろ」「そう給食や」と、そこで
思考停止するお人と「昔の給食や」と看破する人などいろいろ。

oldboy-elegy君から見れば、イラストの画像が小きれいで、教室の状況、
子供達の姿が見えない分、いくらか救われた気持ちになる。

だが、給食の内容を見ればまさしく戦後給食の典型なのだ。

①食品名は左下がパン、当時(コッペパン)と呼ばれていた。
ただ、なぜ「コッペ・・」と言われたのかは、はっきりしないらしい。


②その上の白い液状のものは、ミルクである。
正確には、牛乳から脂肪分を取り除いたもので「脱脂粉乳・だっしふんにゅう
と呼ばれたもので、ある。
蛋白質・カルシュウム・乳糖・などの高栄養化食品とされた。


③右のフライ状のものは、コロッケ、しいて言うなら野菜コロッケで、
具に肉やミンチ肉が入っている訳でもない。
付け合わせの野菜は、多分キャベツか何かの千切りにしたものだと思う。
野菜につける、マヨネーズもドレッシングもない、少々食べづらいと思う。

確かに幾分、貧相だが、戦後10年前後の事だとすれば「マアマア」
じゃない、思われる方も多数おられることと思う。

ここで知って欲しいのは、上掲の給食画像、食品3点の内の2点(ミルク・パン)は
アメリカからの「無償援助品」であった事実である。
もし、これらの食品が無かったならと考えれば、ゾットする。
痩せこけて、栄養不足のoldboy君など見れたものではない。

これらの援助品を統括し、食料難の日本に大量に送り続けた団体が「LaRa物資
なるアメリカで設立された篤志家団体(ボランティア)であった。

この団体の設立にあたり、当初から活動したのはアメリカ住みの、日系1世・
2世の人達である。
援助品は食料品を中心に、薬品・薬剤・古着などあらゆる生活必需品に及んで
いたらしい。

もしこれらアメリカ在住の日系人がおられなければ、「LaRa物資・
ボランティア団体
」は存在しなかったと言われている。

oldboy君、なんとのう分かる気がします。

アメリカにとって日本はつい昨日まで戦ってきた敵国です。
そこへ
「さあ、戦争が終わったよ、今日から困窮の底にある日本を助けましょう、」
と言われても無理があるのは当然でしょう。
うちの息子・私の兄、俺の弟と、日本同様、多くの戦死者を出したのも、また
当のアメリカ人であったのだから。

その上、もともと人種的偏見が根強く存在していたお国柄だったのですから。

その証拠に、戦争が始まるや、多くの日系人が、彼等の血と汗の結晶である
土地や財産を接収され、同時に身柄を拘束アメリカ各地の砂漠の真ん中に
作られた収容所に強制移住、させられたのですから。

ただ同じ状況下にあった、ドイツ始めヨーロッパ各国は、当初から合衆国で
の復興予算が計上され国策としての援助が始まっていたようです。


ドイツはプロテスタント発祥の地でもあり、同時に白人国家同士ですから、
ヒットラーを嫌うことは当然でも、ドイツ人に対しては、ぜんぜん違う心理
なり感情があっても不思議ではありません。

戦争が始まってもアメリカ国内のドイツ系アメリカ人は日系アメリカ人と違い、
財産没収や強制移住は無かったようです。

まあ、どんな形であれ、「LaRa物資」の尽力によって大量の援助物資が日本
に送られ、多くの人がこの援助に浴し、助けられたのは、まぎれもない事実
なのは変わりません。

以上、戦後10年前後ころまでの給食事情にまつわる話を簡単に説明をさして
いただいた。

さて、この記事の文面と調子ではoldboy君の何時ものブログ記事にはならぬ。
このままでは検索で知り得た、内容をまとめただけで、客観的情景が諸兄に
伝わらない。


そこで、こんな時代にoldboy君達ガキンチョ(子供達)を時代の中に放り込み、
働いてもらおうと思う。

少々脱線ぎみだがお付き合い願うことを希望する。

            
           
                 ★★

          まず、コッペパンにまつわる話から

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左掲イラスト画像がコッペパンなる
ものである。大きさは長径で15セン
位のもの。
材料の小麦粉が各学校に支給される
が、パン焼きの設備がないため、市
中の民間のお店に原料をわたし委託
生産をしていたようである。




これまでの話で、当然口にせねばならない、重大な要素が一つ抜け落ちている。

それは「うまかったのか・まずかった」のかと言う食品としての大切な要素の
ことである。

最初にお答えしておこう。
まずかった」の一言である。

以下は戦後10年前後の大阪は河内のど真ん中に舞い降りた、あなた、や自分
であると思って読み進めて欲しい。


「村里君、いはる?」と大声を発しながらお店にはいる。
※「いはる」とは  この辺り(河内)の方言で「いる」の丁寧語ぐらいの
もの。

村里君と言うのはoldboy君の家から少し先の通りの商店街にある家具店の子で
ある。
町(ちょう)は違うが小学校のクラスは同じである。
こいつ!、今日、学校を休んだのである。

そこへ、当の彼、店内の長い石畳みの通路の奥からヒョコッと現れた。
一瞬ギョッとしたようだが、「なんやお前,か何しにきたんや」と居丈高
(いたけだか)に尋ねてくる。
※ 居丈高 人に対して威圧的な態度を取るさま

oldboy君、基本こいつが大嫌いなのである。
おまけに、この村里、俺たちの組の級長なのだ、したがって地頭は良い。
もう一つおまけに暴力級長でもあった。
     
コッペパンお前に届けるよう、先生に頼まれて持ってきたんや」と
答えると。
「いらん、そんなパン、食えるか、おまえにやるは、食っとけ」とおっしゃる。

こいつ、先生や大人がいる時は、まあ普通だが、そうでない時はこんなふうに
「豹変」する、どちらの顔が本当なのかは知らない。

それでもなお、和手拭(わてぬぐい)に包まれたパンをランドセルから
取り出し、近くの事務机の上に置こうとすると、ドスの効いた声で
「要らんゆうとるやろ」と脅してくる。


            ★★★ 

     はなしは変わるが、切れたら怖い、このお方
      
こいつの怖いところはここからである。
このことを見知っている大人は 本当にいないと思う。

以前、学校からの帰り道、何が原因か覚えはないが、oldboy君、こいつを
怒らせてしまったことがある、

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その時、足元の道に敷かれたジャリ石を取り、思い切り投げつけられた事が
あった。
その石たるや、大きさに手加減はない、当たり処が悪ければ大事になりかねぬ。
切れると、みさかいが無くなるのがこいつである。

だがこの事を知るクラス仲間は多くはない。

女先生が急用で、自習などを課し、
「〇〇君、△△さん、よろしくね」と級長、副級長に教室の安寧(あんねい)
を頼み、留守にされたことがあった。
もちろん、この級長とは、村里である。

この時など、oldboy君、ひどい目に会ったことがある。
クラスを仕切るための人身御供である。
※ (人身御供・ひとみごくう) いけにえ


チョット離れた席のクラス仲間とお喋りしていたのが、この級長のお怒りを
買ったのだ。
俺を名指しで「oldboy君、前に」とご命令である。
ここでも、人前ではチャント「君付け」である、この辺が何故か「狡猾」さを
感ずる。

すると、先生の席の後ろにあった、大きな教授用のソロバンを教壇の床
に置き、その上に正座をしろと、のたまうのである。
彼の恐ろしさをしっていたoldboy君、あえて抵抗せず、数分座った事が
あったが、先生の耳には入らなかったようである。
入ったところで、彼なら上手く、言い逃れするだろう。

結局、コッペパンを彼に渡すことができず、彼の家を出た。

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oldboy君のランドセルの中には、パン屑がよく溜まり、母が時折掃除を
してらっしゃったのも知っている。

もちろん、出された給食全品、ありがたく完食するのが決まりである。

しかし食べるふりして、ランドセルやポッケットに隠し、後に捨てていた
こともしばしばであった。
それほど不味かったと言うことだ。

今、こうして考えても不思議である。
近所のパン屋で配給券(当時、食品クーポンと言った)で買うものとは何故に
こうも違うのか、原料はどちらも小麦粉なのに。 
クーポン券とは、 お金さえ払えばいくらでも手に入るのではなく、各家庭
で買える上限が決めらていて、購入時、このクーポン券を添えて、買える権利
を証明するためのものである。

ときおり、コッペパンの横に小さなマーガリンが付く事もあった。
この時ばかり、まずいパンも多少進んだように思うが。

 
                ★★★★

      「それでもミルクはミルクだから旨かろう?」と言うなかれ。
         「普通に牛乳と
思ったらおおまちがい」

「それならoldboy君、ミルクにパンを浸して食べれば」と言う人もおられると
思うが、これがまた、この脱脂粉乳なるミルク、コッペパンに輪をかけた
「まずさ」なのだ。

牛乳から脂肪分と水分を抜き取り、乾燥粉末化したものらしいが、何故か牛乳
とは似ても似つかぬ味になっている。

結局、保存性の向上のための脱脂と運送費の低減のため(アメリカから日本
まで)の粉末軽量化が、牛乳と呼べないミルクもどきにしてしまったのだろう。

いくら不味くとも、これはコッペパンと違い、粉乳に湯か水を入れミルクに
戻したもので、ランドセルの中に隠すわけにもゆかない。
先生監視のもとにイヤイヤ飲んでいた。

牛乳そのものの味が、当時の日本人は慣れていなかったのではと、考える人も
おられることだろうが、そうでもないと思うな。

何故なら、もう少し後のことではあるが、まだoldboy君家(ち)にテレビの
無い頃、街の牛乳屋さんが自分の店で力道山のプロレスの実況中継を見せる
代わりに小さな瓶ボトルの牛乳を売り、入場券代わりにしていた。

手作りの木製の長椅子を店に並べ、座り、座れない者は立ち見で、大声で声援
するのである。
対戦相手は概ね、白人で、時間になれば空手チョップが繰り出されるのである。
力道山の勝ちで終わるのは当然である。


oldboy君、義兄に連れられ「美味しい牛乳」に引かれて何度か行ったこと
がある。

従って、給食の「脱脂粉乳」と本物の「牛乳」とは全然別物で、給食の
ミルクはホントにホントに、まずかったと記憶している。

またある時、米軍の軍用トラックが幾度か小学校の校庭に入って来たのを見た。

目的は、シラミ・マラリア蚊 駆除のためのDDT殺虫剤散布のためと、もう一つ
は、給食の脱脂粉乳と小麦粉、搬入のためである。

               ★★★★★
          そのころの、給食以外の学校の情景

米軍の兵隊さんが、エアーコンプレッサーを運動場に数台並べ、2000人近くの
ガキどもの頭髪はもとより、背から粉霧器のノズルを差し込みDDTを散布するのだ。

男子どもはまだ良いとしても、女子の場合、クラスのチョット人気のカワイ子
ちゃんなども容赦はない。
まさしく雪女(ゆきおんな)状態にするのである。

これを見て、またまた茶化すヤツも当然いるわけで、oldboy君など、これに
組する輩(やから)の筆頭であった。

河内には、米軍の恰好の駐屯地があった。
八尾飛行場、当時自分達は太田飛行場と呼んでいたはず。

朝鮮戦争も終わり、米軍撤収のおり、軍用ヘリコプターが校庭に舞い降りた
こともあった、
ヘリコプターと言っても、現在のような重火器装備の攻撃ヘリではない。
兵員移送や、物資輸送が主任務のそれで、ずんぐりむっくりした型であった。

校庭への記念着陸はサヨナラの挨拶でもあったらしい。

生徒全員が運動場の脇に整列して、舞い上がるヘリコプターに向かって
手を振り「さよなら」の挨拶をしたことが思い出される。

この時、来校した軍人さんに出された食事は、もちろんコッペパンに脱脂
粉乳と言いたいところだが、実はカレーライスだった、と聞いている。

oldboy-elegy君の脳、狭い記憶容量の癖に、しょうもない事だけは貯め込んで
いる。
※しょうもない つまらないの、大阪弁または河内弁である。


               今日の記事の最終結

ともかく、コッペもミルクもこの上なく、不味かったのが今日の結論である。

今日、あえて記事にしなかったことが一つある。
おかず(主菜)でときおり出された、鯨肉の竜田揚げ(たったあげ)に言及し
なかったことである。
これは近いうちに、単独記事として書くつもりである。



       それでは、今宵は これまで  ではでは


                 了
                             oldboy-elegy

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