oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (39) 台湾(台北)の映画館での彼、未知の体験と感覚に遭遇する!?

 

 

                   
                  ★
                 初めに

               
「ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからも
きっとこうでしょう、ハイ」

 

上記の一節はoldboy-elegy君の、「ブログの簡単紹介」の全文である。

見方に依れば、ふざけ、居直り、と取られかねない文面だ。

若ければ、「もっと先の人生」に「焦点」をあて、日々、研鑽のアクティブ
自分を書いていたのかも知れない?,

いやいや、それはないだろう、きっと今と同じ趣旨の記事を書いていた
ろうと、
確信する。

そうかと言って、人からも、世の中からも、「物分かりの良い人・好々爺」
「良い人よ」とは決して言われたくない程度の「反骨精神」は堅持したく、
思っている。


そんな、こんなの気持ちを凝縮し、文章にしたのが、もう一度、書く

「ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。
これからもきっとこうでしょう、ハイ」
となるわけである。

いまさら宗旨を変えても、人間そうそう、簡単にどうなるものでも
あるまい。


今日の記事は台湾での体験記事、第2段である。
一つ目は2020・12・11出稿の「シェスタ・食事後の昼寝の習慣」であった。

今日は
映画館での出来事を記事化してみた。

因みに時代は
東海道新幹線の開業と東京五輪は1964年のことで、今日のお話は、これより
5~6年後のことになる。

 

                 ★★

               今日の主題、
     oldboy-elegy君が台北・タイペイ(中華民国・台湾の首都)の
        映画館で偶然、遭遇
したあることを記事化した。

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oldboy-elegy君が、台湾・台北市の、映画館で目撃した、ある情景が元に
なった記事である。
その時の不思議な感覚と、ある種の感動?について語りたい、と思う。

少々、鈍感なoldboy-elegy君の心に去来した事なので、旨く文字にできるか
どうか心配である。

映画館での、彼等、観客の行為に、そしてこれを見たoldboy君の背筋に
なにか得体の知れない、これまで感じたことのない、ピリッとした電流が
走ったことは否めない。

日本との国交が閉ざされる(1972)前に3回ほど、社用で訪台していたので、
この内のいずれかの時であることは間違いない。

多分1970年前後の事だと思う。

oldboy-elegy君、就職して数年の内の、紅顔の美少年ではなく美青年??
であったころの事である。

その日の仕事を終え、早目にホテル戻り、近場(ちかば)の繁華街をキョロ
キョロ、ぶらぶら散策中に映画館が目にとまり、なにげに入ったことがある。

興行中の映画が何だったのかは、まったく記憶にはない。

そもそも映画を見たいので入った訳でもない。

この国の映画館の雰囲気は「どんなかな~」と体感したかっただけなの
かも
知れない。
彼にとって、このような行為は楽しくもあり、珠玉の時間でもある。

近頃、国外に「チョットしたヤボ用」ができた時など、oldboy-elegy君に
お声がかかる。
暇そうに見える御人なのかもしれない。

彼自身、初めのころは、「イヤだな、荷が重いなあ」と思っていたのだが、
基本、極楽とんぼの彼、自分のペースで自由に動けるこの仕事、気に入り
かけた頃の話である。

「今日の映画館へのご入場」も、この延長線上にある。

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上掲のイラストは屋台である。ただしここは台湾・台北だと思ってくれ。


退屈するようだったら、取りあえずホテルに戻り、近場の裏通りの屋台で
一人食事」でも、ぐらいの軽い気持ちである。
これも彼にとっては「心躍る」楽しみの一つでもある。


映画館内はそこそこの入りだが、満員と言う訳でもない。 

座ったのは一階席の真ん中からスクリーンに向かって左側部分であった
はず。


                ★★★
      映画館内の照明が落ちた瞬間からoldboy-elegy君の
          未知への体験が始まった??


やがて照明がオチル。
このタイミングでoldboy-elegy君、日本で映画を見る際には、経験したこと
がない、
ある風景が彼の眼前で始まったのである。

何が起こったのか皆さん、想像できるかな?

闇の中でなにやら中国語の簡単なアナウンスがあったのだが、彼には当然
理解できていない。

このアナウンスが終わると、突然、oldboy-elegy君以外の全ての客が、
暗闇の中でスクリーンに向かって起立、不動の姿勢をとったのである。

当然、彼「ウム、なんじゃコレ!!??」と座席に鎮座したまま固まって
しまった。

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次の瞬間、スクリーン一杯に「中華民国の国旗」が映り、同時に国歌
(National Anthem・ナショナル アンセム)が流れだしたのである。
ただし、この場の映像に蒋介石総統が登場したかどうかはハッキリしない。

中華民国、国旗の正式名称 「青天白日満地紅旗・せいてん・はくじつ・
まんち・こうき」と言うらしい、今ウィキで初めて知った、
誠に申し訳ないが、文字から目を離すと、うまく言えない。
いや、字を見ても舌が回らない、失礼・・・。

これで普段から幾分カスミのかかった頭脳のoldboy君でも事の事情に納得、
先ほどの館内放送はきっと、このことに対して国民(この場合は観客)の
国家への敬意を求めたもの
であろう事は察しがつく。

そこで、ここでは外人のoldboy君、着席したままでは、何か違うと判断して
か、
あるいは反射的にかは知れぬが、
やおら立ち上がり、両手の指をからめて、腹部に置き、首(こうべ)を
少しさげ、取りあえず自分なりの敬意を表した。

これで良かったのか、どうかはしらない。

ここで、少し気持ちに余裕のできたoldboy-elegy君、館内の雰囲気を感ず
べく少し視線を上げた瞬間、眼前に見た、もう一つの現実に驚愕し、目を
みはる。


考えてみるに、映画館の観客が総員、起立、国歌・国旗への不動の姿勢は、
準戦時下にあるこの国ではありうる事、かもしれない。

しかし、今、oldboy君が目の当たりにしたのは、直立不動の姿勢は勿論の
こと
腕のカイナを肩まで上げ、指先を顔の側面にあて、スクリーンに向かい
敬礼する
二人の若者のシルエットであった。

右手指先が右肩の上方で見事な三角をなし、やや顔を上方に揚げ、国旗に向け、
凛とした姿勢のそのシルエットはoldboy-elegy君を驚愕(キョウガク)さすには
十分だった。

ただし、見たものに対する雰囲気や感情は十分ありながら、その服装に
まで気が至らなかったのか、軍服であったかどうかの記憶が欠落している。

そこには、一点の疑問も曇りもない、oldboy君とほぼ同年代の若者がいた。

またこれらの、一連の動作と、それに伴う帰結は普段oldboy君が「忌み嫌う」
物事のはずのものである。

俺が、国旗と国歌に向かって「最敬礼」,、「ナイナイ、俺には出来ない」
と否定するが、なにか弱弱しい。



それが今、ある種の感動が背筋から延髄に走ったものはなんだったのか?!

oldboy君の普段の思いの一つに、「人間、いつか死ぬのは当たり前、ただ
戦争などでの
理不尽な死はごめんである」、と過去のブログの何処かで書いた
覚えがある。


瞬間、この思いも、超越する何かを「感じてしまった」のも事実である。
案外、彼、本質はプロパガンダや宣撫に弱いのかもしれないのかも。


ちなみに、日本は「神武以来、岩戸以来・・」の好景気とかで浮かれ状態
である。
問題はいろいろあるが、取り敢えずは平和である。

一方この国、中華民国では強大にして巨大な禍(わざわい)、である大陸の
共産主義国家、中華人民共和国が眼前に存在する、と言う現実があるのだ。


               ★★★★
           最後に、やはりoldboy-elegy君
           三日も経たずに、あの感動と思いはいずこに?!


oldboy君、それから暫らくして、映画を見ずして映画館を出た。


しかしoldboy-elegy君は基本oldboy君である。
あいも変わらず、ネクタイの結び目(ノット)も下がり、部のマスコットのK
子嬢の手を煩わしている。

「お客さんよ!、モチョットとしゃんとして」と、ネクタイの結び目を
上げられ首を
締められた。


              正月あけの、2記事目がこれ、今年も進歩がない予感が漂う。

          今宵これまで、 では では


                了

                         oldboy-elegy

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