oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (40)われら「チビッ子、柿泥棒団」、結果、学校に呼び 出され母子ともども説諭される。

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このイラスト、小学校での授業参観の図である。子供達はもちろん、父兄の服装もカラフル、同時に清潔感も漂う。
これを白黒写真にし、少年達を少々薄汚れた存在にすれば、当時の雰囲気になるかもしれぬ。


 





                                                             ★

      母が学校においでになった回数は、そう多くはない。
     小・中・高・大の16年間の内、ほんのわずかである。     
       特に高・大学には一度も来られなかったはず。
    スポンサーであった母に、喜んでもらう機会は今はもうない。
  親不孝な息子だったと、猛省しているが、今となっては、どうにもならぬ。
        
  
小中学校9年間て授業参観、運動会、学芸会などの公式行事で学校に
来られたことは、なかったはずである。

「どうすんのあんた」と母、「来んでもええ」のoldboy君の一言で「分った」
で終了。
以後、小中の9年間、母の自らの意思で学校行事に出向くことは無かった。

だが例外が一度だけある。
小学校の卒業式がそれである。
それ以外の来校は全て、oldboy-elegy君の「悪さ」が原因の「呼び出し」と言う
ことになる。


ただoldboy-elegy君にも、母に明かしていない理由があった。

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母は無類の着物好きで、、真夏のころを除くと殆んどを着物で通した人で
あった。
炊事・洗濯など家事をする時も、それは変わらない。
ただ着物の上から、真っ白の割烹着(かっぽうぎ)を羽織り、着物の袖を
それにしまい幅広のゴムバンドで閉じ込めるのである。

戦後も10年をすぎると、世の中の女性の服装も、洋装が主流になってくる。
oldboy君、良く判らいまま、母の着物姿が気に入らなかったのである。

母は間違いなく、和装でお出ましになるのが目に見えていたのである。
どうもそれが「年寄り臭く」見えてしまうoldboy君であった。

着物に信玄袋、天候によるが傘も加わることもある。
ここで言う「傘」とは「日傘」のことである。

この古式蒼然とした母の姿を、学校で目にすることに、抵抗感があったのは
正直なところである。

ただ、今に思えば、もう少し優しく出来なかったのかの気持ちが大きい。
もし、あの存在感と気質を今、目にすれば、「自慢の母」であったと断言
できる。

そんな母も居なくなって久しい。
すべて「あとの祭り」とは、この事を言う。
「母ちゃん、ごめんな・・・」

 

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それにもう一つ、母は無類のタバコ好きである。
それも両切り(フィルターなし)タバコをハサミで切り分け、長キセルに差
し込め、天井に向かって「プカリプカリ」とやりんなさる。

母が果たして、「学芸会や、授業参観」の数時間、辛抱なさるかどうか、大いに
疑問なのだ。

                ★★
   中学2年生の頃、体育教師に本気で 首根っこ押さえこまれ、
               拳固(げんこ)で連続10発位殴られたことがあった。
    このおり、学校に呼ばれた母が、最期に安心してか、
                     学校の応接室で紫煙(たばこ)をプカリ

 
ズット後のことだが、中学生の頃、これもoldboy君の事で、母が学校に呼び
出された事があった。
この時は、我が息子が「100%」悪くない上、教頭・担任が、我々二人に、
「体育の教諭が振るった暴力」に対して謝罪されたことがあった。

この時など、しおれていた母が、ことの全容を知り、俄然、元気を取り戻され
たのか?

灰皿お借りしますね!」と言いながら、自分の信玄袋からタバコを取りだされ、
そのまま一本にマッチで火を付け、着物に包んだ身を斜に構え「プカリ、プカリ」
と天井に向かって、やり始めなすったのである。


oldboy君、あの「柿泥棒」の一件からおよそ5年の月日が経っていたのだが。
不思議なもので、その時の母の姿を目の当たりにして、「カッコ良く」も見えた
のも事実である。

先生たちも、目のやり場に困っていらっしゃったのではと思う。


              ★★★

         2~3か月遅れの小学校の入学時
         母と同行して教室に入ったのが、
       親子ともども初めての学校体験であった。


二か月か三か月遅れでの入学であり、もちろん母は自慢の着物姿であった。

以後、
彼女はネガティブな事での呼び出しには「私の専任事項」とばかりに、率先
して学校に出向いて来られた。
もちろん正装の着物姿で。

oldboy-elegy君の悪さが元で呼び出しを受けたのは9年間で4回ほどあった。
その一つが、小学校4年生ころの「集団柿泥棒」である。
参加したガキ達はおよそ10人ほどであった。

                ★★★★
     小学校時代の「集団柿泥棒」で母が学校に呼び出される、
        この時が母の2回目の学校体験である。
     もちろん最初は、あの数か月遅れので小学校入学のため、母と
     同行し、直接教室に入って以来のことである。

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oldboy君、背に帆布のリュックサック、手には細い竹の一本竿(さお)と言う
いで立ちで「柿泥棒」に参加。

竹竿で何をするのかって、もちろん、魚釣りである。

河内平野(大阪)を東へ4~5キロも歩けば、生駒・信貴(いこま・しぎ)の
山並みに突き当たる。

途中には灌漑(かんがい)、消火用の大小の池が点在する。
そこでは、コイ・フナはもとより金魚なども釣れたのである。

もちろん、目指す柿の木も、池の魚も土地の人達の私有のものである。

ハッキリ言って、oldboy君達は子供の窃盗団と言っても良い、存在だ。

地元の人達に見られないよう家並から孤立した柿の木を見つけて、もぎり、まず
その場で試食する。
  
一応、それらが他人様の物であることもガキンチョ(わんぱく坊主達)も解って
いたようである。
いわゆる言うところの確信犯である。

試食と言うのは、この柿泥棒一味、見ただけで「甘い、渋い」を見極める
技量のものはいない、そのためイチイチ食らうのである。

最初の一人が「渋ッ」と顔をしかめ「ペッペッ」と吐き出しても3人なら3人、
5人いれば5人、全員がその1個にかぶりつくのある、
嘘をついているのではと「疑心暗鬼」の体(てい)なのだ。

とにかく、あさましいかぎりである。

 

翌日、運動場での朝礼のおり「参加したものは一歩、列から離れなさい」の
アナウンスがあり、oldboy君、殊勝にも列から離れる。
どこでどうなったのか分からぬが、ともかくバレバレであった。

彼の保護者は、母である。
父とは名字も違う、とうぜん母が保護者としての責を問われる事になる。

                   ★★★★★
                    最後に

実は、中学校の時、もう一つ、oldboy君の良くない行状で、呼び出されたこと
があった、。
それを含むと、9年間(小中で母が学校にお出ましになった)で以下の通りに
なるはずである。

●母子二人だけでの入学しき? ●柿ドロボー ● 小学校卒業式 ●体育教師に
殴られた時 
●秘密(記事化していない)の5回になる、間違いはないはずである 

この中に「秘密1回」とあるが、記事化して良いものかどうか、ズット迷っている。
この事件?、結構見知っている、奴もいるはず。
しかし、「書いても大丈夫」だろうと、思う自分も、何処かにいるのも事実である。
つまり事件?の内容が分かれば、人物の特定に至ることもある。

「クワバラ、クワバラ」もう少しそれには「手つかず」のまま置いておこう。


この頃、涙もろくなり困る。
これが歳を取ることの、顕著な現象の一つかも知れない。

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小さな仏壇の母のポートレイトの前の小皿に、封を切ったタバコ、
「エコーシガー」が置かれている。

oldboy-elegy君は「エアータバコ」で禁煙に勤しんでいる、身である。

「フン、小生意気なヤツ、なら最初から吸うな!」と仰っている母が、少し
微笑んでこちらを見てらしゃる。

それでは今日は、これでおいとまする、母にしかられた夢でも見れたら最高だ、

             ではでは お休みなさい

                  

                 oldboy-elegy

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