oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (42)4回生、夏休み・就職未決のまま、ひとり旅にでた。そのおりタクシーに、そこそこの距離を無料で乗せていただいた。ずっとずっと昔のことである

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今日の記事は、2019・09・01に
投稿したものを、リライト,
再UP
した
ものだ。

ブログを書き始めて六か月め位の
ことである。
出稿ペースは月3記事程度で、今も
変わりはない。






この記事、大学最終年・4回生の夏休み、就職未決のまま旅に出た時のもの。

その時のoldboy-elegy君の「行動と心のあり様」を綴ったものである。


悲しいかな、初回投稿時、この記事を見ていただいた痕跡は、3人の方が、

はてなスター合わせて10個ほど、残していただいたのが全てで、以後変化
はない。

「リライト」と言っても、基本、内容が変わるものではなく、「読みやすく」
を心がけたものである。

さて最初のイラスト画像が、oldboy君のおよその旅姿である。

リュックサックは綿(めん)の帆布でできたもの、色は茶色に近いベージュ、
締め口は全て太い紐、チャックやホックなどはなかった。

寝袋はイラスト同様、丸めて、リュックの上に縛り付けてある。

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ただoldboy君の場合、丸めた寝袋の中心にコウモリ傘(クロ)が通してあった。
傘は、貧乏旅行には必携品である。
なにも雨に備えただけのものではない。

野宿の場合、寝場所は低い木々や灌木の脇を選ぶことが多い。
なぜなら、敷いた寝袋横の、低い枝に傘を縛(しばり)り、夜露を避けるのだ。

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もちろん「除虫菊製の渦巻蚊取り線香」もリュックに納まっている。

最後は帽子だが「これは被ってなかったな~」代わりに常時、首に巻いていたの
がタオルである。
必要なら、頭に、タコ・ハチマキにもなる。
ここで一挙に・見た目・がダサクなったようである。

あと、通学で使っている,母、手作りの
ベージュ色のショルダーバッグを肩から
斜め前にかけ、それに
財布を始め小物を詰め込んでいた。

それに、唯一の「文明の利器」カメラ(オリンパスペン・親父からの借り物)も
ここに同衾している。




                 ★1
              旅の行程と概要

この旅は能登半島、新潟、佐渡尾瀬ヶ原尾瀬沼)、日光、東京、ただし
東京・大阪間は友人(学友)のいる2か所で下車、全行程2週間強の貧乏旅行で
あった。

記事は旅の行程を日にち順に追ったものではなく、順不同で、起こったことを
思い出したまま書いている。

とくに、事細かく日程を決めていた訳でもない。
旅の半分近くは野宿であった。

実はoldboy-elegy君、就職活動なるもの、未だ一切していない。

心のどこかで、「社会に出れば、2度と得られないモラトリアムな時間を
もう1年
」の
気持ちがあったのは否定できない。

大学で、周りも見渡しても「就職、就職」と「ドタバタ」してる奴も見えない。

ともかく、この旅行中「卒業するのか、5回生にて居残るのか、ぼんやり考え
よう」
とは思っている。


「野宿」聞こえは悪いが、これ、すこぶるストレスフリーな貧乏旅行の上策で
ある。


もう一つ、野宿する近くに警察なり交番があれば一声、声をかけておくのが
ベスト。


oldboy-elegyくんの場合この方法で夜遅く、現地の旅館の布団部屋に超超格
安にて紹介して頂き、おまけに坂の上の現地まで案内していただいたことが
ある。
終い湯(しまいゆ)もいただき、さっぱり、人間に戻った気がしたのを記憶
している。

お巡りさん、自転車押し押し大変、有難うございました、上越線・沼田での
事であった。

                                  ★★2

 oldboy君、大チョンボ、親父から借りたカメラ(オリンパスペン)を紛失

         
沼田宿での翌日、尾瀬沼、富士見小屋にてoldboy-elegyくんの大チョンボ発覚、
あまりに美しい景色に写真をと、親父から借りたオリンパスペン(カメラ)を
取り出そうとするが、「ない、ナイ」ショルダーバックは勿論、リュックサック
の中身をすべてひっくりかえすが、フィルムあれどカメラは見えず。

この時oldboy-elegyくんの弱いオツム(頭)にローソクが点灯、
「アッツ!!!」思い出したのである。


佐渡両津港から佐渡汽船、新潟港行に乗船、その時、船内には入らず甲板
デッキにへたり込み、眼前の欄干に吊るしたのがカメラだった。
甲板を吹き抜ける心地よい風に身をまかせウツラウツラ状態であったことは
否(いな)めない。
しかし??なぜ下船のおり眼前に吊るしたカメラが目に入らなかったのか、
それも不思議。

尾瀬ヶ原の小屋から佐渡汽船に2度ほど連絡するが発見できず。
もちろん、大阪は河内の住所を残してあるが、ついぞ音沙汰はなかった。

しかしoldboy-elegyくん、持ち前の復元力でキッパリ忘れる事に成功
(実は涙目)?。



                       ★★★3
          話が前後して申し訳ない。
    佐渡に渡る、何日か前の事、「カメラ」もまだ健在で手元に
           あった時の事。
          

能登をぶらぶら中のことである。

眺望がきく高台にいる。

両手を真横一杯に広げると前面の180度はすべて日本海である。
夏の落日は今、西にある。
東の空は薄紫で刷いたような雲が浮かんでいる。

明日もきっと良い旅日和になることだろう。

 
場所は能登曽々木海岸、先ほど降りて来た坂の上には「時国家」と言う
豪族の屋敷が2棟ある。
なにげにそのうちの近い方の一軒を外から見学してバス停に到着したばかりの
oldboyくんである。

荷物は固い綿の帆布でできたリュックサックを背負い、肩越し斜めに、母、
手作りのショルダーバックを懸けている。
リュックは大阪鶴橋の国際マーケットで中古品として購入、ショルダーは普段
から通学で使用していているものである。

リュックの中身と言えば、着替え、洗面用具など生活用品一式に渦巻き式の
除虫菊製の蚊取り線香、そのほか寝袋、こうもり傘、うちわ等はリュックの外に
括り付けている。

ショルダーバッグにはノート、筆記用具、タオル、チョットした菓子など、
それに学生証、財布など、と親父から借りたカメラ、オリンパスペンと
フィルムなどである。
因みに今日までの三日で撮影した写真は数枚のみ。

 バス停の後ろの草むらにリュックを下ろし、へたりこみバスを待っている。
もう最終の時刻を過ぎている。
遠望が利く地道の道路、バスが来るはずの西の方角を見るがその気配はない。

少しはやきもきもしたが、すぐに決心、「今日はこの辺りで野宿、それもいいか」
この旅初の野宿を決心。
海岸を見れば貧弱ではあるが松などの木々が見てとれる。

低めの枝ぶりの良い木を見つけ、こうもり傘を括り付け、広げ、
その下にグリーン色の寝袋を敷き、蚊取り線香を燻らせば完璧。

手には、蝋引きの頑丈な広告入りの団扇(うちわ)。

あとは波の音を聞きながら満天に星があれば言うことなし。
oldboy-elegyくん一人悦に入っているのである。

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 そこへ彼の背後に突然、車が一台停車、タクシーである
「ここ、いくら待ってもバスは来ないよ」のご宣託。

「???」と不信顔のoldboy君に、最近この道は利用されなくなり、すべて
もう一段下の海岸に近い道路を利用するとのこと、彼、運転手さん、
まったくの気まぐれでこの高台の道を通ったとの事。
東行きも西行も最終便は終了しているらしい。
「??!」すると俺が降りたバス停は、ここより下の、新バス停と言うこと、
気が付かなかった。
それならせめて、ここの旧停留所の標識ぐらい撤去しておくのが普通であろうと
思ったのだが、こちら別段そのため、ことさら被害にあったわけでもなし、
やや不満げに、無言のまま。

「明日どこへ行くの、東それとも西」と運転手さん。
「ええ、能登の東端の先っぽの狼煙灯台(のろし)にでも行こうかなと、
天候が良ければ佐渡が見えると聞いたので・・」ここでoldboyくん少し
身構える。

「安くするから乗っていかない」かと邪推したのである。

ところがところが、
「このタクシー飯田町のもので、どうせ帰り便だし、乗せてってあげるよ無料で、
乗っていきなさい」とのお誘い。

ここから飯田町まで20キロ程度で、この町からも灯台のある狼煙(のろし)行の
バスも出ているとのことである。

運転手さん、疑ったりして申し訳ありませんでした。

そもそも、リュックに寝袋など見れば貧乏旅行の極みであること一目瞭然である。
この事に今更ながら気が付く。

むしろこんな御仁(oldboy君のこと)に近づかない事の方が一番の良作とする
のが社会常識なのである。

「飯田町の海岸からちょっと山に入った所のお寺がユースホステルを経営
している」とのこと。


無料なら話は別、いくら時間の余裕があっても行程の先に行くのが鉄則、
ましてやすぐに夜になる、つい先ほど決心した楽しい野宿も中止、ただし
「楽しい野宿」の事は運転手さんには言ってない。
いくらなんでも失礼であろう。

タクシーは海岸から離れてやまの中に入る。
20分程で飯田町のユースホテルを経営するお寺さんに到着。
道中、大学の事や、この旅の話をしていたらあっと言う間の事。

 行き先は新潟まではハッキリしているが、佐渡に渡るか、上越線で沼田に
行き、そこから「歩き」で富士見峠にでて尾瀬ヶ原を抜けようとは思ってはいるが、
基本未定である。

 「それでは元気でな、いい旅になることを祈っているよ」と言い残しタクシー
は去っていった。
走り去るタクシーを見ながら、ユックリ、深々とおじぎをするoldboy-elegyくん
であった。

 「タクシーに無理やりで乗せられる」と一瞬でも疑った俺、「申し訳あり
ませんでした」


 このあと翌日にバスで緑剛崎灯台(通称・狼煙のろし灯台)まで行き、東の
海上を眺めたが、結局のところ佐渡は見えず。

ここで「見えぬなら、自分の足でそこへ行き、見てやろう」と、決心する。
新潟大地震の数年あとのことである
新潟港の船乗り場が随分沈下していたのと、港外に出ても暫らくは油臭く
感じた記憶が残っている。

                ★★★★4
    よく知ってもない人、K君(教室で時折、無駄話する程度)にこの
    旅の話をした。
    すると彼の、母方の実家が石川県・小松市で、是非ぜひ、一泊
    してくれとのお誘い。
    oldboy君、丁重にお断りしたが、許してくれず、一泊することに。
    

             
 大学の友人Kが「是非泊まって行ってくれ」との申し出。
彼の母がたの実家が小松市から出ている軽便鉄道(尾小屋鉄道)の終点、
尾小屋鉱山と言うところ
だそうだ。

ここでの泊まりがこの旅の初泊となった。
俺、K君のお母さんに会った事もないし、ましてやそのお兄さんの事、当然
知る由もない。

懸命に固辞するも押し切られた格好で了承、やや気が重い。

非常な歓待を受け、ありがたいのはありがたいのだが、oldboyくんにとっては
お尻が少々むず痒いものであり、翌日、一人になってなにやら、解放された
気分になった。

すまんK君、いろいろ面倒をかけました。


 そして穴水のユースホステルのお母さん、気を遣わしてゴメンなさい。
満室状態で宿泊は断られたが、野宿のための玄関脇の樹木と芝生の使用、
屋内のトイレや水道に(終い風呂・しまいぶろ)などいろいろ便宜を計って
いただきました。

結局、2週間を超える旅になった。

旅の醍醐味(だいごみ)って何なのだろう、景色や食事、勿論それもあろう、
しかしそれ以上印象に残るものとは、「人!!!」これに尽きると思う」と、
oldboy君は考える。


河内の我が家にたどり着いたら飼い犬の「ホス」に吠えられる。
このワン公、拾い主の妹が全てで、俺には少々愛想がない。

食事の時など、母か妹に足を拭いてもらい、丸お膳の彼女達の間に陣を取る
のがいつもの定席である。


              ★★★★★5
       

     そして就職、こうしてoldboy-elegy君、人生モラトリアム
           期間も過ぎ去って行った。
             

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この貧乏旅行のあと、「やはり、卒業しょう」と心に決めていた。

そう裕福な家庭でもなし、その上、義兄二人は、中学卒業後すぐに親父のもとで
ブラシ職人として働き始めたのも見て来ている。

人生最後のモラトリアム期間の4年間は、こうして過ぎていった。

この後、秋学期の終わりには、600人~700人程度の中小企業(繊維関係)に
就職
を決めていた。

この会社での出来事、あれやこれやはoldboy君のブログ記事の中でも、一番
多く記事化している感がある。


しかし、世の中、頑張り屋さんばかりの一枚岩で成り立っている訳でもない。

とくに最近、他人様のブログ記事を読むことが多い。
そこには、世の中、一般より、なにかにつけて「意識の高さ」の、お人の
多さにoldboy君、気押される事が多い。

この変革・激動の世の中、ハイテク便利グッズと人心との関わりようが、
どうなって行くのか、
oldboy-elegy君、ある意味、楽しみな気持ちもある。
それ故、もう少し命、長らえるのも、楽しいことで意味あることかもし
れないと思っている。

             では では お休みなさい
            

                  
     
                                    oldboy-elegy

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