oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (43) 往年の京都市電にまつわる懐かしい話と情けない話。各1話(計2話)

 

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ひだりの「絵?」は50年
以上
昔の「京都市電」で
あると思ってくれ。

絵の拙さに、とやかく言
うのは禁止!







それはともかく、「旧京都市電」の車両は現在の「広島電鉄]保有車両の一部でもある。

このことは、大方の御仁の知るところだと思うが?


                  第一話

        「往年の京都市電の車両」が今も「広電」で活躍中!!
       oldboy-elegy君の胸に「嬉しくも、懐かしい思い」が宿る。

もともと市内を縦横に走っていた京都の顔ともいえる「市電」が、交通渋滞緩和のため、との理由で「市電全線廃止」の憂き目にあってから久しい。
この計画の完了年は、1978年のことだったらしい。

                   ★1
      当時の「京都市電と広電」の置かれた異なる立ち位置(状況)

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広島の「原爆ドーム」のイラスト」

「いらすとや」さん からお借り
しました。




oldboy-elegyくん、当時、大阪は河内からの「通学生」であった。
国鉄・京都駅で下車、駅前には運行、系統別に「市電のりば」があり、彼は主に
烏丸線・烏丸車庫行」にお世話になっていた。
同じコースを市バスも走っていたが、なぜか市電をメインで利用していたように
思う。

体育の時間、御所一周(4Km)のマラソンがあり、これに参加すれば、単位
取得に便宜付与
するとの言質に惑わされ、参加したことがあった。

その折、烏丸今出川から丸太町間、約1.7Km(御所横南北)を、友人幾人かと
市電に乗ってズルしたこと
を想いだした。

ショートカットにもなってない、何故なら、電車は走っていたが、自分の足は
市電の床に静止したままの「ノーエネ」走法なのでアル。

窓外を、懸命に走る学友に「オ~イしっかりはしれ」などバカなエールを送って
いる自分、普段の通学以外に、あの時も「京都市電」に大いにお世話?に
なりま
した。

どうも大人になっても、一寸したイタズラに心ほだされ、参加するのは、今も
昔も、oldboy君の生来(生まれつき)の特性であるようだ。


さて京都駅前を車両は東向きに出発、すぐに左に折れ「烏丸通り」に入る。
あとは終点の「烏丸車庫」まで真北に直進するのみのルートである。
※ 烏丸は「からすま」ではなく「からすま」と呼称。

4年間お世話になった「京都・市電車両」が広島・広電さんで第二の活躍
の場をもらい、今現在も現役にて活躍中であると聞いていた。

当時「広電」側では、「増加する市内交通」の対策として、「莫大な費用が
かかる地下鉄」の代わりに「地上を走る市電の充実」で対処したことになる。

そして、いまは「広島名物」であり、顔となり、ますますの隆盛を誇る。


実にこの両市「対極」の「行政・施策」を行ったのだ。

結果、京都の「市電廃止」で無用となった「車両の一部」が「第二の働き
場所」として
広島に輿入れとあいなったのである。

この折、広島(広電)入りした車両は、順次ではあるが、最終15輌になると言う。

最近、「京都市電、観光路線」だけでも復活をとの風聞に接することがある。

           

               ★★2
         広島に移った旧京都市電の現況

oldboy-elegy君、この記事をを書くため、「広電」の江波営業所に電話をかけてみた。
質問事項は次の3項である。

①現在も、戦力として実車投入され、運転されているのか?
②車両のカラーリングは京都時代のままなのか?
③自分は50年以上前、京都で学生をしていて、この上なく懐かしく思っている。
 ゆえ実走中の車両に、乗ったり、街中から雄姿を見るのは可能か?などなど

答えは基本OKであった。
ただ③については、走行系統や日、時間が早くから決まっていないため、
当日なら連絡いただければ、分かると思う、とのことで、不可能ではないが、
やや難事と思った。
車体も古いので、当然、メンテナンスなどで「ご休息日」もあるみたい。

カラーデザインは元のままは勿論のこと、車両前部に京都らしい名を冠した
プレートを付けているとの事。たとえば、「東山・嵐山・清水」などと。

因みに、カラーリングは窓枠から最上部までが「サンドベージュ」窓枠下から
10センチほどのアクセント・ラインが「赤」、そこから最下部まで」濃い
グリーンとなっている。
昔のままであることが、嬉しい。

              ★★★3
             おしまい談

こうなれば、「俺と市電車両」どちらが先に、命、尽きるかの競争だ。
たぶん、負けるような気がするが、どうだろうか。

            以上、第一話 完了



                
                  第二話

     またまた、oldboy-elegy君のバカさ加減とオッチョコチョイぶりを
           人様に晒す結果になってしまった。
        ある意味、これも(市電)繋がりと言えぬこともない。

oldboy-elegy君、大阪は河内からの通学で、下宿生ではないことは先にも言った。
当時の交通機関で、学校までほぼ2時間を要する長道中である。

週の後半の日程は、塾の講師としてのアルバイトで詰んでいる。
従って前半は、下宿生の友人の部屋に泊めてもらい、翌日、早朝時間の講義に
出席すると言う、日々を過ごしていた。

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このタバコ、銘柄は「初代のハイラ
イト」である.。

当時の圧倒的人気商品で、ロング
サイズ
でフィルター仕様であった。
当然、値段も高く、高級品。




oldboy君、普段、自分用には、「しん
せい」なる安タバコを愛用・常用していた。
もちろん、フィルターなしで両切りで
ある。



この日も、夕方に友人の部屋にゆき、留めてもらうことになっている。
このおり、宿泊代替りに、タバコ一個を進呈するのが習い。
それが上掲のタバコ、「ハイライト」であった。

彼たち二人の下宿は、「市電・烏丸線」で真っすぐ北上、ドン突きの
「烏丸車庫」にて下車。

さらに、ここより徒歩で、市電車庫の高く長いコンクリート塀を左(西)に、
右(東)は京風の家並を見、北へすすむ。
もちろん家並の間には、ときおり小道が東に向かって切れ込んでいる。

まだ、夕日が落ち切るまで、いくらかの時間かある、そんな夕方である。

この道の人通りはまばらだ。


こんな折のことである。
そう広くない、この通りの前方から、こちらに向かって、友人Sと同じ下宿の
(部屋は違う)T君の二人がこちらに向かってやって来る。

「あれれ??!!」
おれは、彼の部屋に直接、訪問することになっている。
それが、何故、彼らが、連れそって、あれに??
俺も含めて、彼等、「お出迎え」と言うガラではない。

そう、もうすでに、oldboy君の早ガッテンと言おうか、早トチリと言うのか
脳内でのボタンの掛け違いが終わっていた。

即ち、前方の二人が、友人達である事に、なんの疑問も持たないoldboy君がいる。


ただ、オテントウ様が少し傾いた状態のなか、oldboy-elegy君、の近視用の眼鏡は
母、手作りのショルダーバッグの中に納まったままであった。
この眼鏡、教室でチョーク字を見る時や、テレビ、映画などで主に使用している。


そのため、新聞、本、など活字などの場合、不要で裸眼である場合が多い。
このあと、数年後には、眼鏡を四六(しろく)時中、使用するのが常態となっていた。
※四六時中とは、「一日中」のこと。 
 四X六 は二十四(時間)になることからの「言葉遊び」

ここからがバカで恥ずかしい話の始まりである。

何を思ったのか、

彼、駆け足で、おまけに右片手をあげ、友人とおぼしき二人の男に急いで
近づいていったのである。
想像して欲しい、手を高々と上げ、「おー、サンキュウ、サンキュウ」と
声には出さずとも、体から出るオーラは、そう言っているはず。
その上結構な早足で「スッチャカ、スッチャカ」前方の、見知らぬ二人の男
に急接近。

ただ救いは「お~い」と口には出してはいない、多分、今思うと、これとて
100%自信がない、
ヒョットしたら「オ~イ」ぐらい言ってたかもしれない。
痛恨の極みである。

すると、男達二人は、自分達に向かってくる、見知らぬ男(oldboy君)に怪訝
感じたのだろう。
二人して同時に、自分達が今歩いて来た「後方」を振り返ったのである。
彼等の後方には、らしき人間は誰もいない。

この瞬間、いかに鈍感なoldboy君も、「あれ、ありゃりゃ??」となったのは
当然の
成り行きであった。

ドンドン、二人の男に近づいてゆく。

もう完全に人違いしている、自分に気がついたのである。


それに、近づく、二人、全くの人違いであることも、今では確認できる。

男達は、歩を完全に止めた状態である。

手を上げた右手は、降ろすタイミングを失い、いまだ空中にある。

oldboy君そのまま男達の脇を視線も合わさず、もっと先を見ながら
「スタコラ
サッサ」とすり抜ける。
こうなれば、もう「完全なアホ」である。

その先にあった右(東)に入る脇道にソソクサと逃げ込むoldboy君。

サアーそれから、すぐにトップスピードにギアーチェンジ。

そのまま直進はこれもヤバイ?
恥かしいこの行為を彼等に見られる心配が、まだある。

角があればヤミクモに方向転換しながら、その場所から離れていったのである。

ようやく、意味のない右手を上げた姿勢から解放されたは良いが、情けない事
この上ない、チョットした心神耗弱状態に陥(おちいる)る。


なぜ、「人違いでした」の一言が言えなかったのか、自分自身としてもガテン
いかぬ。


i以後50数年、この愚挙?、他人はもとより、身内にも話したことはない。
それがブログと言う形で、公言するとは、自身ビックリである。

なにか、記事を書いている今、冷や汗とともに、その時の状況が今の我が身を
包み、疲れが「ドーッ」と出てきたようである。

なぜ俺には、こうもドジ話が多いのだろう。
「なにを今更、お前は、基本ドジ男なんだよ!!」との声が大向うから
聞こえて
くるようである。


      モ~やだ、この俺、「ええ歳こいて、まだ恥の上塗りか」


      ちいさく背をまるめ それでは 今宵も コソコソと おいとまを
               では では


                    了   
                        oldboy-elegy

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