oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 N0.35)最近、認知度、上昇中の「排除アート」なる言葉を巡り、oldboy君のフヤケタ頭で考えてみた。お付き合い、いただければ嬉しい

 

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                ★1
    なぜ、今日のタイトル「排除アート」なるものに行き着いたのか


oldboy-elegy君、今のところ、自身の体に「重篤・じゅうとく」な疾患は
ないようだ。
ただ、人間として生きるための「各部品?」の機能低下が顕著にみられる。
視覚・聴覚・記憶・発声(時間がかかる)+腰痛 などがそうである。

目が醒め、カーテンを引き、朝日を全身で受け、ベッドの中で「まどろん
でいる」時などの感覚は、
「ヒョットしたら俺、100メートル全力走OK」の思いに駆られる。

しかし残念ながら、現実は、ベッドの中にいる時だけの「希望的思い」で
「妄想」に過ぎない。

起き上がった瞬間からこまごまと「ちょいワル機能不全」に悩まされる
ことになる。

それらの諸症状はベッドから足を床に置くために体を起こした瞬間から
始まる。
「ウヘッ、俺の体、こんなに重かった、完全に地球のGに負けている
やんけ!!」と実感することになる。
※ 地球のG   ここでは地球の引力ぐらいに思っていただきたい。




最初の画像は「いらすとや」さんからお借りしているバス停のイラスト画
である。

oldboy君「腰痛」のため、月に1~2度、調剤薬をいただきにバスで通院して
いる。

いつも彼が乗るバス・ストップの案内標識の脇には、画像には描かれては
ないが、実は「ベンチ」が一脚、設置されていた。

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腰痛もちのoldboy君、このベンチ、利用したいとは感じていたが、
こんな立派な(画像のような)お姿ではなく、プラスチックで貼られた
座席、背もたれ
部分は破壊され、基礎の鉄骨部分も長い間、風雨にサラサレ、
むきだしの
まま錆び付いていたのである。

自分より重篤と思われる、お年寄りも、これではお尻をベンチに預ける
どころか危険とさえ思わせるシロモノであった。

ところが、このおんぼろベンチ、最近、撤去され、新品のそれにとって
代わって
いる、

どなたかが、しかるべき管轄に要望されていたのだろう。

もちろん、空いている時など、ありがたく座らせていただいている。

だがここでoldboy君、このベンチを目にしてヒョイと思い出したことが
あった。

いま見る、新しいベンチは、腰かけ部分が一人ずつに、ひじ掛けがあり、
3人
掛けに固定化された形(かたち)になっている

バス停のベンチなど、仕切はなく、全面フラットなのが普通と思うが、
人間、いや失礼、oldboy君の情けないほど劣化した頭には、ひじ掛け用の
仕切があったのか、なかったのか、確証がもてないでいる。


ともかくも、きょうの記事は、これらからの連想で行き着いたものである。

                  ★★2

            「排除アート」の意味とその理念

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読者諸氏、こんな言葉、御存じかな?
ヒョットしたら、oldboy-elegy君のみが知らず、大方のお人は、当然のこと
として認知されていたのなら、チョット恥ずかしいことになる。

それは、今日のタイトルにもある「排除アート」なる言葉である。

一応かいつまんで、説明してみる。

ある目的のために設計され、造られた建造物や構造物が、本来、意図した
目的に
供応されない状態になった時、その原因となった物や行為を物理的または
心理的
に排除する行為を言う。

チョット抽象的で固すぎる説明かな?

もう一段、簡潔に言うならば

その建造物の所有者、考案者の意図以外の目的に使用されるのを防ぐための
新たな対応設計物。


現実にはどのようなものか、その建造物を例にとってみれば、より明解になる
はず。

例えば、公園のベンチなど3~4人がけの仕切のない、フラットなものを、
敢えて、
一人ずつの座席の間に腕置を設置、夜間ホームレスさんが心地よく
感じる場所を
なくし、
足腰伸ばして寝る環境を奪うこと。
これらの行為及び思潮を「排除アート」
と言うのだそうな。


ここまでくれば、早くも、読者諸氏の人達の心の中に、なんらかの感情が
芽生えると思うがどうだろう。
ある人は「ウムウムなるほど」当然そうあるべきだする人、また別の人は
「そこに仕切版
がある意図を知り「なんか釈然としないなあ」などいろいろの
感情が生まれる。


仕切の設置版を、さも自然に置き、見た目にも風景に溶け込み、なんの違
和感も
感じさせない。
そのあたりがアートと言わせる由縁かも知れない。

むしろ恐ろしいのは、ベンチの一人ひとりの仕切版がある方が、多くの
利用者が優しいと思ってしまうことである。
そう思わすのも、設計思想の中に初期から組み入れられている

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夜になり、寝るために公園にやって来た、ホームレスの人達だけが、その
悲情を
理解し、「なんだよこの仕切!!」と悪態をつくのである。

このような理念のもと、「都市の社会的空間を設計する」これこそを
「排除アート」と言うらしい。

いま、社会、公共財としての都市公園を例に述べたが、
近頃、この公的都市空間以外に一般私企業にも、この考えが認知され、
自社
ビル、新店舗建設などの時、初めから、この設計思想を取り込むことが
当たり前
になりつつあるのが現状のようである。

「排除アート」など持って回った言い方などせず、いっその事「このビルは
ホームレス排除
デザインを取り入れています」と明言し、この構造物の施工主、
設計者の名を、
金板に黒字で刻印し、誇らしげに建造物の定礎脇に埋め込んだら
どうだろう。


面白いことに、ある「都市空間設計事務所」の女性管理者がこの「排除
アート」を
ビジネスの負の側面から、自分の考えをネットで述べていた方が
おられた。


結構、長文のもので、oldboy君、じっくり読ませていただいた。

結論から言うと、
自分達がやらねば、無秩序に事が進行し、取り返しがつかない事になりかね
ない、「排除アート」の思想を、いかに優しく、自然の内に潜ませ、多くの
人達が
それと知らぬうちに当初の目的を得るもので、なくてはならないと言う
こと
らしい。

一読すれば、ある意味「なるほど」と思わせるものがある。
しかし、次の瞬間、「何かが違う」とoldboy-elegy君、胸の内、頭の中が、
「ざわざわと波打つのである。


彼女が言わんとすることは自分達を正当化する模範解答ではあるが、
しかし所詮、勝ち組社会の言い分
で詭弁としてoldboy-elegy君には映る。

そこには終始「排除」される人達からのナマの言葉は聞こえてこないし
存在すら無い、悲しいことである。

 
グーグルで「排除アート」を検索 

(気持ちの優しいナイーブな方は見ない方が良いのかもしれない)
oldboy君にも、チョット刺激が強すぎた

① 排除アート のみで検索、400万件以上のスレが立つ
② 上段の(画像)をクリック この瞬間、観たことのない人は凍てつく
  ことになる。
  先端の尖った、スパイク(鋲)が埋め込まれた、何処かのビルの玄関脇
   などなど。
   
                ★★★3
       随分と前の事であるが、ホームレスさんに関する
          テレビ・ドキュメンタリーで

         こんな場面があったのを思い出す。


ホームレスさんの人数は2019・01現在、全国で4555人であるらしい。
(by厚生省)
途中、調査の中断もあったが、ほぼ年々微減となっている。

住民票もないのにどうして調査したのかって?
厚生労働省の音頭(おんどう)の下、毎年1月のある日、各地域の役所
職員が走り回り「視認」で確認するらしい。
考えてみれば、これしか方法はあるまい。
ご苦労さんなことだ。

ただヤミクモに「ホームレスさ~ん、どこに居られますか」と走り回って
いる訳でもあるまい。
その発見場所が、以下の様になるとの事。

● 河川 31.0%(橋下・ブッシュの中の簡易小屋)
● 都市公園 22.7%
● 道路 18・0% (oldboy君、イメージするが映像が湧かない)
● 駅舎 4.9%
● その他施設 23.4%
    以上 100%の内訳である   ・2018・01厚生省調べ    


さてここからが、テレビのドキュメンタリーの内容である。
時期は未だホームレスさんが全国で1万人を割っていない頃のことであった
と思う。

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北九州のある町でのこと。
場所は長距離バス、夜の発着場である。
行先は関西で具体的にはoldboy君住まう大阪である。

薄闇の中のテレビ画像の二人、一人がホームレスの方、もう一人が役所の
人である。
無理やり、その境遇の、お人を大阪に送り出そうとしている場面である。

バスの切符代は片道料金が役所から手渡される。

夜食代金ももらったのだろうか?、こんなところoldboy君、貧乏性でこまる。

そして、今まさにホームレスさんを無理やり排除する地元は、ある意味浄化
されると言う
寸法である。

「二人のヒソヒソ話」こちらに帰ってくるな「大阪で頑張れ」と引導、やがて
バスは彼を乗せ、闇の中に走りさった。

この役人さん、ホームレスさんを見送ったかに見えるが、まあそれもあるが
実は「確かに長距離夜行バスに乗車、出発したのをこの目で確認しております」
の報告をするのが本来の目的で「画竜に点睛」を入れた事になる。
※ことば 「画竜 点睛を欠く」
 仕事はほぼ完成しているが、肝心な一点が抜けているため、全体が生きて
こないこと。 描かれた竜も、最後、目を入れてようやく完成を観る、


これも、ある種排除アート」の一形態で、形も記録も残らない、「精神的
排除アート」とも言えるものかも知れない。
なにか、「おぞましさ」で背筋が凍る気持ちに陥る。

oldboy-elegy君、この役人の行為にどうのこうのと、言ってる訳ではない、
役所には、きれいな数字(当市はホームレス・ゼロ)のみが報告され、
記録として残される。

これこそ、完璧と言える「排除アート」ではなかろうか。

大阪は西成、日本一のホームレスさんの集参地でもあった。
ここには、最低限の生存のための、条例と施設、ボランティアが存在する。

ある意味、「大阪の西成」は、地方行政のための「掃きだめ的」存在で、
必要悪と言えるものだったのかも知れぬ。
日本の高度成長を裏で支えてきた、影の功労者的存在でもあった。



                ★★★★4

    それでは、世界一の大国と言われる、アメリカ(米国)の現状は?
     この★4を書いている時、気になるある事に気がついた。

       
もともと、こう言う考えや思潮はアメリカからのものである。

そこで手っ取り早く、近年の彼の地(ここでは合衆国)のホームレスの
数字をあげてみる。
アメリカ・西暦2020年、日本・西暦2019年調べのもので、
ホームレス人数を実数で表記すれば、アメリカ570.000人、日本4.555人で
あるらしい。(約125倍)
ここにアメリカと日本の人口比2.6~2.7倍を加味しても(約40倍)にもなる。

ただホームレスさんの数え方が、アメリカと日本が協定を結び、同等の条件で
比べたものではないことは、知っておく必要がある。

ここからが、oldboy君がもっとも腑に落ちない
部分である。


アメリカで排除アート」なる言葉、特に「アート」と言う言葉がどう
使われているのか調べてみたが、およそ日本人である我々が知る
「Art・アート・美術・芸術」ような「人類に付する」肯定的な意味以外、
みつからないのである。

ただ、「Art」の辞書、末尾あたりに、「人為的」とあったのが気になる。
意味が「排除」と「Art}が交錯して「人為的排除」と曲解するのも可能
なのか?

それではと、排除アート」の「実際に使われる場面、を想定した英文を
探して
みた」がもちろん、我々がしる「アート・Art」としては見当たらない。
????何故なんだろう、の疑問が残る。

「Art」
横文字を使用しているのに、肝心の本家では、そこそこ一生
懸命に
探してみてもoldboy君、発見に至らず。

それでは同様の概念が、英文で、どう綴られているのかを探してみた。
それらの幾つかの英文を抜き出してここに記載してみる。

① Hostile Architecture
       英語での使われ方の意味
  パブリック・スペースが障害を受けたり、あらかじめ想定された用途
       以外で使われないよう建造物に手を加える、アーバン・デザインの造形
       であり、ひとつの手法とある。

② Dfensive Design
       防御的アーキテクチュア―(Architecture)、建造物のデザイン

③ Unplesante design
       不快で、楽しくないデザイン

④ Defensive urban design
      防御的、アーバン(都市)・デザイン

など、おのおの目的別、用途別に使用されていて、どうも日本の様に「排除

アート」など一括りの言葉は見つからないのである

ただ言えることは、上記の4個の英語の中で、①が一番、汎用的に使用されて
いる
ようである。

ここで再度 ① Hostile Architecture を見てほしい。
Hostile は敵対的(形容詞)で Architecture は建造物である。
Hostile を「排外アート」の「排外」とするなら Architecture は何故
「アート」
なのか?とoldboy-elegy君、しょぼつく目でにらんでいた。

ここで「アーキテクチュアー・建造物」の単語のみを見て欲しい、つまり
この部分
は英語を離れて「日本語的感性」の語呂合わせでしかないことを
発見した。

Architecture じっと見ていれば(Art・アート)のアルファベットが全て
存在していて、全部で
5文字もある。

Architectur 
で必要なアルファベット3文字 Art がキッチリ前から順に、英単語のArt
ヨロシク並んで
いるのがわかる。

従ってこの「排外アート」の「アート」は英単語の意味を意識した、日本語
なのが真実
なのであるまいか
したがって、英文の中に「Art・アート」が素直に発見できないわけが理解
できる。

結論は「英単語」を装った、日本語のゴロ遊び
でしかないと言うこである。

即ち「排外アート」なる言葉は完全な日本語であって、日本の業者が、
自分達の
商売に都合の良いものとしてArt を意図的に組み入れ作られたもの
であった、がoldboy君の結論である。


             ★★★★★5

         おしまいにoldboyくんから一言

なぜか、今日の記事、oldboy君にはチョットきつかった。
いつも出る、軽愚痴(かるぐち)も終始出ずじまいに終わった感がある。

この世の中、文明の利器の発達は目覚ましい、しかしこれを利用する、人と
社会の
ありようが、なぜか空しく寂しい,感がする、なぜだろう。


最後に今日の記事も、oldboy-elegy君のいつもの「独断と偏見の範疇のもの
ある」ことをお断りしておく。

ずっと昔、卒論を書いていた時の高揚感を少し思い出した。

脇には、PCもスマートフォンも、もちろんない時代である。
あるのは、図書館から借りて来た本と原稿用紙が全てである

すべてが、遠い遠い昔のアナログ幻影の中でのこと、しかしこれも、俺に
とっては、真実であった事には、変わりはない。
夜中には母が茶と菓子を差し入れてくださった、これも含めて・・

      寝つきも少々悪かろう、委細かまわず、寝ることにする。

   

              では では

           
                           了  
                           oldboy-elegy

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