oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No36 )能と狂言のうち、狂言「鬼瓦・おにがわら」の主題は、結局人間賛歌の笑劇だった!

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イラスト画像、お見受けの通り能舞台である。

oldboy-elegy君、今日の記事はハタマタ高尚なご趣味で、とか、
そうでなければ「オツムてんてんとトチ狂ったの?」と、訝る
(いぶかる)お人もおられるかと思うが、いかに。
               
              ★1
能楽(能・狂言)そのものについての話ではない。
「男女の仲の心の機微、今も昔(400~500年昔)も 変わらない
なあ!」
が本日の主題である、

イヤハヤそうじゃなく「狂言」の演目「鬼瓦・おにがわら」の筋立を
読み、あ~、何百年経(へ)ようが「男女の間の心の動き」、今も昔
も変わらない事にoldboy君いたく感動!、記事化しょうと思い至った
だけのこと。

ただしここでは、殿方から見た奥方どのの事になる
「奥方がダンナを観る目はどんなだろうな?」との思いは、oldboy君、
男の端くれ
連座するかぎり、真実は書けないので、これは女性の方
の「あれやこれや」に
おまかせするのが本筋だろう。



その上、彼、能楽(能と狂言)については全くのシロウトであること
に変わりはない。
ただ、これまで一度だけ、それも高校時代、授業の一環として学校の
講堂で観劇したのが全てで能楽堂に出向いての経験はない

従って、彼には、能楽について、お喋りする資格はない。

ただただ、彼が述べたい主題は、400~500年前の室町期にはあった
とされる、
能楽、能と狂言」それも「狂言の鬼瓦」の筋立てで見
えた、今も変ることの
ない「男女間の、機微」を面白可笑しく、
そして少し哀しいお話で紹介するのが
目的のもので、それ以上でも
以下でもない。



能楽堂での演目は、「能と狂言」がワンセットで演じられるのが
普通で、「能」は
歴史上の話など基にしたオペラのようなもので、
今で言う「魔界・伝承」的な
お話が多く、ある意味、壮観な物語で
あるのに対して、「狂言」とは、日常の生活
をコミカルにした話
(はなし)ものが中心で、コント、コメディてきなものとされ、
現実の
歴史上の人や事実が演じられるわけではない。 
(以上・検索からの寄せ集め)


演目時間も能は1時間を超え、「平家物語」や「船弁慶」などスペク
タクル(壮大なシーンと物語)ものや歴史上の実話が中心であるのに
たいして狂言は20~30分位の話物が中心で笑劇が多い、とされる。

能楽堂で観劇する場合、初めに、能として重厚・壮大な物語が、
幽玄の中で演じられる。
すこし間が空き次に軽妙洒脱な笑劇が始まる、ここからが狂言
ある。
能楽堂の雰囲気がこの硬軟併せた演出で、より楽しいものになる
ことは容易に想像できる。

しかしoldboy君 、狂言の「鬼瓦」なる言葉、どこで仕入れて来た
のか、
トンと見当がつかぬ。

ボケ防止のためと、取り溜めたメモ用紙にも「能・狂言と鬼瓦」と
書かれている。
どう考えても、ずっと脳内に刻まれた、記憶野の中のものであると
思う。
ヒョットしたら、高校の時の、古典観劇の残滓(ざんし)かも知れ
ない。


ここで、「鬼瓦」なる狂言の演目内容(筋立て)を検索をしてみた。

これがなんと、自分にぴったりの感覚のもので、即、ブログ記事
採用を決めた
のが経緯である。


               ★★2
   
    ここからはもう、能・狂言などの古典芸能のことを無視
       ただただ、「男女の普遍の感情」を
                   この古典 「狂言・鬼瓦」を下敷きにお喋りする。

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上のイラスト画が「鬼瓦」である。
大屋根の棟の両端などに、置かれた大きな瓦で、装飾を施し、魔除け
などの効能にも対応したものであるとされる。

その造形は、ドングリ眼(まなこ)にダンゴ鼻、大きな口など、
が彫られているのが特徴。

これら災厄排除などを願う装飾瓦は、現在でも伝統的建築家屋や
寺院などでも使用されている。
古くは室町期ごろからの様式でもあったらしい。


ここで一期に室町期まで、さかのぼることにする。
ある田舎大名の主従2人が京の街中に登場と言う場面である。

田舎大名が主人公で、「狂言で言うシテ役である」
一方家来のほうは「同じく狂言でいうところの太郎冠者・たろう
かじゃ・従者」
である。

主人(いなか大名)はもとより従者ともども、二人の表情は明るい。

国元を出立、都(京)に上り、3年近くがたっている。
国元で起こった、領地をめぐる訴訟問題のため、今こうして京に
呼び出され
裁判を待つ身なのだ。

それが先だって、裁判終了の上、勝訴を勝ち取り、新領地を得、
ようやく国元へ
の帰参が許されたばかりなのである。

そこで、常日頃、祈願成就のためお参りしていた、平等寺(通称、
因幡堂薬師・イナバドウやくし)に、こうしてお礼参りに来たと
ゆうわけである。

狂言の舞台はここからが始まりである。


この寺、現在も「烏丸通り・高辻」を下がった東に現存している
寺院で、厄除け・ガン封じのお札や御朱印で有名で、賑わっている
そうである。

oldboy-elegyくん、何とゆう事でもない、学生時代、3日にあげず、
この門前を市電に乗り、行き来していた身である。
いや~知らなかった―な~

満願を果たしたこの主人、この寺の「霊験のあらたか」さに深く
感じ入り、自分の領地の内に、分霊を請じ迎える末寺(まつじ)の
建立を思い立つた。

※霊験あらたか 神仏による効果がはっきりと表れるようす。

ここで主従、二人、この寺、因幡薬師に最後のお参りと、国元、
分祀建立を胸に
寺内を詳しく検分するためにここにいるのである。

この時の主従2人のやり取りがすでに「狂言」として始まっている。

そこでこの田舎殿様、本堂の大屋根の両端に置かれた、ドングリ
まなこにダンゴ鼻
その上、口はグワと開いた、鬼瓦(おにがわら)
を発見する。

とたんにこれを見た殿様何を感じ、何を思ったのか、自身、目を見開
き突然、号泣しだしたのである。


国を出て、かれこれ三年、突然、帰郷が適うことになった。
頭で描く故郷の山河、もちろん、嬉しい。

しかし、それら以上に気持ちを慟哭させたものが、決して「器量
よく、別嬪」とは
言い難い、「女房殿」の、ことであった。

このサムライ、京で「✖✖遊び」など、無縁であったとは言わせない。
しかし、彼の帰巣(きそう)本能は、なんと「鬼瓦」を見た時に、
発現するのである。


「鬼瓦」からの連想で突然、奥方殿を思い出し、大声で「オイオイ」
泣き出し、嗚咽する。

この場面、鬼瓦を観て思い出された、奥方には、少々気の毒だが、
分からぬ
ことでもない、大方の漢(おとこ)なら解らぬ感覚ではない。

世の奥方様に言う、男の心の奥底に、このようなカワユイ一面をも、
持ち合わせている
ことも知っていて損はない。

能楽堂の観客、これを見て、どう思い、なにを感ずるのだろう。
もちろん、基本は大きな笑いの渦の中に、投げ込まれることに
なる。

しかるに、時間の経過とともに、観客の胸の内に何かホッコリ
したものが生まれ、
得も言われぬ「泣き笑いと可笑しさ」をも
招来する、こと請合いである。


基本「おおいなる、人間賛歌」の舞台であったように思う。

たった2~30分の笑劇の一話である。

     oldboy-elegy君、高校の時観たあれは、狂言
    「鬼瓦」ではなかったのか?!と思うことにする。

           
   今宵はポータブルラジオのイヤーホーンを、小耳にはさみ、
    このまま 寝落ちしたい気分である。 では では

               
                       

                了

                   oldboy-elegy

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