oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy(46)6月12日は母の命日であった。ブログをやり始めて2記事目、母関係の記事に少し手を入れ、リライトして投稿した

 

                  ★ 1

   母は着物の色は勿論のこと、草花なども紫色のものが大好きだった人

   そのためかoldboyくん、預かった、小さな仏壇に、菊花を中心とした
          イワユル
仏花など供えたことはない。

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アヤメやキキョウ等、季節の和花で紫色のものを、数輪買い求め、胴長
花瓶に投入れているのみである。

他県に嫁いだ妹からは朝から電話が入り、少しの間、母の思いで話で花が
咲く。
とうぜん、着物のことも、口にのぼった。


命日の行事らしきものはこれで全てである。

                  ★★2

          つい先日、6月12日は母の命日であった。   
               

新記事をと思案したが、結局、埋もれた感じになっていたものを、少し
リライトして再掲することにした。

ブログを始めて2記事目のものである。

この記事に親子の抱えた現実、母の気質などを、oldboy-elegy君が引き
起こした
ある事件?を軸にして、彼女の紹介のつもりで記事化したもので
ある。


しかし、悲しいかな、当時ブログの読者さんは殆んど居られず、今日まで
アーカイブなど
から訪問された3人の方が全てで、余りに寂しい。

この方たち今も、当方、読者さまであることがなんとも嬉しい。

「ブックマーク」も「はてなスター」も「リライト記事」に移行できるそう
だが、oldboy君のPCスキルでは、へたすれば「404not found」記事になり
かねないの気持ちが強くこのままにしておくことにした。

それ故、元記事は oldboy-elegy(2)としてそのまま留め置くことにする。

                 ★★★3
    この辺の事情(複雑な家族関係や母の事など、ブログ・プロフィールに 
        詳しく述べて
いるので、少々、割愛の形で引用する。

(プロフィールから引用)         
私oldboy-elegy君、漱石先生の猫じゃあるまいが「どこで生まれたか見当が
つかぬ」状態なのである。
いや~、実際にそうであるからどうしょうもない。

このことについては子供のころから今の今まで積極的にかかわろうとした
ことがない。
なぜなら「母が困るだろう」との思いが自分の中に、優先事項としてあった
からだと思う。

そうoldboy-elegy君、戸籍上、「私生児」で父の戸籍には入籍されていない。

彼の大学卒業を前に就職の事を心配してか、母が猛烈に父にせまったことを
記憶している。

「まあまあ、なんとかなるよ」と彼はその場をとりなすのであるが、実際
心底そう思っていたのである。

銀行や大会社を目指しているわけでもなし、まったり気分で働き、給料を
頂ければ言う事なし、上昇至高ゼロの、欠陥学生であった。

何度か戸籍関係の書類を手にしたことはあるが「熟視、熟読」はあえて
しなかった。

(引用おわり)

以上、目を通していただければ、家庭環境、境遇、母の立ち位置、などおよそ
推察
できると思う。
しいて言うなら、oldboy君、そのような事に価値観を感じる御仁でもない。

 

状況は現在もおなじで、これを持って、oldboy-elegyくん、両親を非難した
ことはない。
ただあるがままの境遇に、当然の事として身を置くだけのことである。

ブログ記事にも母が時折登場する。

フンなにを偉そうに」とすこし斜にかまえた着物姿の母の遺影が仰って
いる。

言わずもがなの母子の思いも、駄文の一つのペイソスかもしれない。


              ★★★★4
        母は一生のほとんどを着物で通した人

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だが小学校6年間を通じて授業参観、運動会、学芸会など来たことがない。
もっともoldboy-elegy君、「来なくてえ~」の一言で「あらそ、わかった」
と。


ただしネガティブな事での呼び出しには「私の専任事項」とばかりに勇んで
学校においで
になった。

(悪ガキ10人ほど)で山に柿泥棒に行った事があった。

翌日、運動場での朝礼のおり「参加したものは一歩列から離れなさい」の
アナウンス、oldboyくん、反射的に列から離れていた。

保護者としての母が呼び出されるハメに、もちろん正装の着物姿であった。

しかし小学校の卒業式だけはおいでになった、もちろんこれも着物姿で。

講堂の大きなドアの脇に所在なげに立っていらしゃたのを今でも覚えてる。
ここでは僕の行状も含めて母の事を、お話するのが主旨である。

               ★★★★★5
   中学のころ、体育の教官に首根っこを押さえられ、ゲンコで10発ほど、
        憤怒の怒りの中で頭を殴られたことがあった。

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中学も2年のころの体育の授業でのこと。
まだ体育館もプールも当たり前ではない時代である。

運動場は連日の雨で水浸し。
当然、授業は教室での座学に変更。教室は暗く、みんなの気持ちもなにやら
鬱状態
であったのかも。

そうこうするうちに、始業ベルがなり授業が始まる。

山本(仮名)と言う新任の体育専門の先生である。
新任と言っても結構おじさんで頭髪も後退、そう、(さらば草原よ)
アデオス・パンパ・ミーアAdios pampa  mia 状態の方であった。

代用教員の先生らしいと噂があったが本当のところは知らない。
風采も上がらず、いわゆる生徒たちに舐(な)められるタイプである。

そんなもんだから、授業もザワザワ状態で規律が取れてないのは誰の目にも
ハッキリしている。

こんなときの生徒たちは余計に残酷になるものだ。
教室の後ろのほうでは立ち歩いているやつもいる。

先生自身も屈辱感とプレッシャーの中での授業だったのかも知れない。

ただダンマリのまま黒板に向かいスポーツ用語やルールなどをセッセ、
セカセカと板書しておられた。

そんな時、教室の後ろのほうから誰かが「もっと大きな字で書いたれや、
暗ろうて見えへん言うとるぞ!」と全く敬意の欠片(かけら)もない言葉が
放たれたのです。


先生の心はもうブルブル・わなわな状態だったと思う。

この時の俺の席は先生から見れば教壇机のある中心から1列左がわの最前列
でした。

私(oldboy)が不幸な目に合う原因の一つはこの席位置も大いに関係していた
と思うのだが、どうだろう。

このあと教室の空気が急に険悪になるのです。
そう突然です。

先生は、黒板拭きを手に取り、黒板の大部分を占めていた自分の書いた
チョーク字をいきなり、すごい勢いで消し始めたのです。

先生、完全に切れた瞬間でした。
板書をノートしている子も、いくらひどい雰囲気とは言え、一定数いたことは
当然です。

このあと、すぐに教室全体にブーイングの嵐が巻き起こったのです。

oldboy-elegy君などは、もともとノートなど取ってないのにブーイングに
参加していた、悪いやつです。 

この後、不思議なことが起こったのです。

この喧騒(けんそう)の中、なぜそうなったのかわかりません。
そう突然、何の前触れもなく教室内が完全な静寂に包まれたのです。

ほんの数秒のことだったと思いますが、喧噪の後の一瞬の完璧な静寂。
50人以上のクラス全員がこのパーフェクト・サイレント状態に完全に
シンクロ
したのです。

ひょっとしたら、この現象、集団心理のひとつで学問として言及されている
かもしれません。
 
俺も含めて教室内の全ての者が今度はこの完璧な静寂に気が付き、反応
したのです。

机をたたいて、足を踏み鳴らしながら、この不思議な現象に、一転して爆笑
の渦。

当然?、oldboy-elegy君も足をバタバタ、机をバンバン、先生の前で大口を開
けて・・・・。

今にして思えばすこし度が過ぎていたかもしれません、

ここで自分だけに特別な不幸が招来するとは予想だにしていません。

そう、俺を見ている先生の目、尋常ではありません。
理性の片りんも感じません。

一瞬「ヤベー」と思ったのですが時すでに遅し。
そう目が合ってしまっていたのです。
つかつかと真っすぐ俺に向かってくるアディオス・パンパ先生、万事休す。

俺の席の前に立つなり、情け容赦の欠片(カケラ)も感じない憤怒の表情の
中で、
げんこつを俺の頭上に振り下ろしたのです。

ここでまた問題が。oldboy-elegy君、あろうことか反射的に避けてしまい、
先生の渾身の鉄拳はなんと空を切りおまけに机の天板をドン。

もうこうなれば先生も人の子、逆上に逆上を重ねて、俺の首を ヘッドロック
状態で抱え込み、空いた右手でポコポコポコ、さらにボコボコ。

           
               ★★★★★5  
   (この事での顛末)母も呼び出され、最後に応接室で担任・教頭の
         前で、天井に向かって、タバコをプカリ

oldboy-elegy君、今でもみんなを代表して殴られたと思っている。
もしくはもうすこし離れた席ならこうはならなったかもと思うのだが、
どうだろうか。

でも良い事ももあった。、
気に入っていた女子の一人がハンカチを水で濡らし手当してくれたこと、
これ。
 
殴られたあと授業が続いたのかどうか記憶がとんでいる。

しかしこの出来事をクラス以外の者に喋ったことはないし、もちろん母親にも
話してはいない。

だが翌日の授業終了時、担任が明日、両親のどちらかに学校へ来てほしいと
耳元でささや
かれたのである。
 
oldboy-elegy君、気になったのは、担任にどう伝わったのかの一事である。

ここで母親の出番である。
俺の直接の保護者は母親である。

母と父は姓が違う、oldboy-elegy君は勿論母の名字である。
いわゆる私生児と言う身分である。

それ故か母は「ここは私の出番よ」とばかりに意気軒高のご様子だ。

母の服装は当然、和装であった。

一応、母に、ことの成り行きを説明しょうと思うのだが、
行けばわかる」のひとことである。

あんのじょう彼女、古式蒼然とした着物姿でやってきた。ご丁寧にベージュ色の
日傘も加わっている。
手には小物入れの信玄袋。

当然、そこには両切りタバコとマッチが入っているはず。

一昨日にくらべ今日は打って変わった晴天である。
校長室脇の応接室に通され、俺は外で待機。

しばらくすると俺も呼ばれて中に、担任それに教頭もいて何故かニコニコ
している。

親がこのこと(教師の暴力事件として)を問題にするかどうかが核心であった。

学校も、その心配は必要が無いとわかりホットしたとこのようである。 

母も、息子が今度はどんな悪さをしたものか、気が気で無かったはず。

そこに、「体育教官の暴力」に対する、「陳謝」があったらしい。

ここで彼女が唐突に、「灰皿、使わさしてもらって良いか」と。
安堵の気持ちが言わせたのであろう。

しんせい(たばこの銘柄)をヒトサシ指とナカ指の先ではさみ、背筋伸ばし
天井にむけて 紫煙をくゆらせる姿は何か手前味噌だが恰好が良い。


ちょっとした姐御の雰囲気ではあるが、なんせここは学校。
前では先生二人が異種のいきものを見るようにキョトンと眺めていらっしゃる。


きょうの、この記事、我らが母子、特に母の存在と人柄が強くでた事件?で
あったと思う。

これを持って母の命日の、おそなえもの、とする。

 

             では では

                
               oldboy-elegy

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