(雑感・雑記帳 NO. 46) 河内のガキンチョの言う「コマンタレブー」・フランス語を愛してやまないかた、こんな下品な話になり、ゴメンナサイ
★1 はじめに
oldboy-elegy君、これまで幾度となく記事にしてきた経緯がある。
それは彼自身、大阪は河内生まれの人ではなく、母に手を引かれ、
流れ付いた土地が、たまたま、ここであった、と言うのが真相だ。
それまで、母と二人して、西日本各地を点々とする、故郷を持たぬ
「根無し草」同様の生活を送っていた。
世人の子供達はもう小学校も始まっている。
意を決した母が、半ば強引に乗り込んだのが、父のいるこの地であった。
父は正妻との間に、二人の男子を持つ身で、oldboyくんの母は「お妾、
二号さん」と言う身分になる。
自分の公的保護者は母であった。
両親が亡くなった現在も俺は母の名字を受け継いでいる。
小学校に上がったのは、一年生の夏休みも近いころの季節であった。
oldboy-elegy君、幼稚園も知らず、この時が初めての学校体験になる。
登校初日のこと、今でもハッキリ憶えている。
教室の床に大きな白い模造紙をいくつも敷き、四方八方から子供たち
が寄ってたかってクレパス、クレヨンでお絵かきの最中であった。
俺は女先生に促されるままに、皆の間に入り、側の女の子のお絵かき
道具を借りて参加していた。
母は後ろの三角戸棚の脇に着物姿で立ちこちらを見ている。
今にして思えば、心なしか、彼女の表情には安堵の色が浮かんでいた
ようにも思う。
爾来、この地、河内を我が身の故郷として生きてきた。
まわりの、人達も、この聞き慣れぬ言葉を喋る風変りなoldboy君を
受け入れ、いっぱしの「河内もん」として接してくれたように思う。
※爾来(じらい) それからのち。それ以来。
★★2
oldboy-elegy君、この風土に溶け込み、長ずるにつれ、なんの違和感
もなくこの地を我が故郷として育っていくことになる。
ここは、河内の真ん中「中河内」で、すぐ西は大阪市、東は信貴・生駒の
山並に突き当たる。
その間を国鉄・関西線と近鉄名古屋線が東西に走る。
良し悪しは別に、この地域、人の気質・言葉を中心に独特の風土を封じ
込めた地域として、存在していた。
学校の夏休み期間など、河内のアチコチで盆踊り大会が開催され、そこに
地域の連中と遠征組が、初めから喧嘩目的に集まり大乱闘が始まる。
なお音頭は河内音頭である。
毎年、盆も終わるころ、あそこで人が亡くなったとか、多くの人が警察に
連れていかれたなどの、噂が流れるのである。
冬は2月の節分会が、これにとって代わる。
なんのことはない、たんに喧嘩好きなだけである。
長年、この地の天台宗末寺の住職を務めた「今東光・コントウコウ」
さんの奥さんが、放送局のインタビューにこう答えておられる。
「檀家衆も含めて、喧嘩・博打・夜這い・女郎買い、こんな話ばっか、
放送もできひん」と嘆いておられたとのこと。
そう言えば、「東光和尚」もこの地の人達に当初から受け入れられた人で
あった。
なにか、同類同志の匂いを、「河内もん」は嗅ぎ分ける能力に長けて
いるのかも知れない。
その証拠に、今さんの小説、特に河内もんを中心に、この地で開花した
のである。
一方、oldboy-elegy君、開花とは言わぬが、よろしくやっていた。
★★★3
コマンタレブー
さて最後に、この地のガキンチョ(餓鬼・品のない腕白坊主たち)たちの
間で流行っていた、フランス語?を紹介せねば終わりがこない。
ただ真剣にフランス語を追い求めている人には、チョット失礼かも
知れぬが、そこはそれ、昔の子供たちの戯言として見逃し許して欲しい。
なんなら笑って済ましていただければもっと良い。
それでは始める。
まず、国連などでの公用語としての仏語の地位は英語の次とされる。
日本語?ましてや河内語??、なぬ日本語!小さい小さい、河内語、
存在なし。
「ご機嫌いかがですか?」は仏語で「コマンタレブー」と言うらしい。
oldboy君、フランス語も全くの門外漢で、大学での第二言語としても
縁はない。
ただ「コマンタレブー」は音として聞いた覚えはあるが、英語で言う
「How are you?ごきげんいかが」であり、それも最上級の改まった言葉
とのこと、これは知らなかった。
この品格ある言葉、誰が餓鬼どもに教えたか知らない。
その発音からくる感じ「コマンタレ」が、なんとなく日本語ポイのと
最後の「ブー」はブーで、河内のガキンチョの好きな「オナラ」である
ことは言は待たない、失礼。
河内の餓鬼どもの流行り言葉になる要素、満載である。
そこで「コマンタレ」を「河内弁」の「こましたれ」として「いてコマシ
タレブー」と言いながら、お尻にゲンコを当て、握りっ屁(ぺ)を作り
気に入った女の子に向かって、ちょっかいを出すのである。
この河内弁を訳すなら「やっつけろ・ブー」ぐらいのこと。
下品なことこの上ない。
今思えば、男同士でこの「言葉」と「仕草」を仕向けることは無かった
はず。
ある意味、こども同志の求愛ダンスの様なものかもしれないと、今になり
思い始めている。
これにはいくつかのパターンがあり、他に「おならかましたれ・ブー」
それに「あかんたれブー」もあったと思う。
しかし最後の「ブー」は変わらず握りっ屁に変わりはなかったはず。
やられる対象者はもちろん女子である。
だれが教えたか知らないが、チビッコの間に意味も判らぬまま、流行って
いたのである。
そのことが河内全域か、あるいは、oldboy君の住む近所だけの子供の戯言
(ざれごと)だったかは分からぬ。
何べんも言うが、ホンにつまらぬ馬鹿話、ゴメンなさい。
★★★★4
合掌
今日の記事中に、今東光さん が登場されている。
東光さんと言えば、必ず出てくるお方が「瀬戸内寂聴」さんだ。
その彼女、先ごろ(2021年・11・09)に亡くなられたの訃報が入る、
99才であったと言う。
因みに、「今東光」さんの「東光」は本名で、法名は「春聴・しゅん
ちょう」とおっしゃった。
一方、「瀬戸内寂聴」さんの法名「寂聴・じゃくちょう」は東光さんが
名付け親である。
ご自分の「春聴」の前の部分、春を「寂」として、併せて「寂聴」とされ
たとか。
★★★★★5
「今東光」さん、「oldboy-elegy」くん、比ぶべき存在ではないが、同じ
よそ者ではあるが 同じ「河内者」として当初から受け入れられた事は
同じである。
なにか、チョットした、「悪さ」の匂いを嗅ぎ取り、同類と認定して
もらった事が、ことの始まりだったように思うのだが。
oldboy-elegyくん、ナマの「今東光・コントウコウ」さんにお会いした、
「イヤ遠望したと言うことの方が正確かな」ことがある。
俺達の、成人式のお祝いのスピーチが彼だった。
その上、彼のスピーチの一部分を幸か不幸か憶えている。
それが、宝塚の「ラインダンス」を見て
「あるべきところにヘソがない、不自然だ」と成人式の会場で、マイクを
通じて、仰ったのである。
踊り子さん達は、コスチュームの下に、肌色の下着を付けていたのに苦言
を呈した格好である。
彼の彼たる、真骨頂である。
と同時に、50年以上昔のヨタ話を、こうして記憶している自分にもあきれて
しまう。
でわ でわ お休みなさいませ
了
oldboy-elegy