oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No.58 ) 今日のoldboy君のひとくち話、こんな・アホばなし・許していただけるかな?!

 


★1 はじめに

ここからは、外国人(名無しの権兵衛さん)の吐くチョットしたお
言葉を、大いに楽しんで頂くための助走文である。
最後のオチの部分を効果せしめるためのパーツぐらいに思い、読んで
いただいたら嬉しい。

最後には、きっと「な~んや、あほらし」となり、次に「クスリ」と
笑みがこぼれ、速攻で忘却の彼方に消え去って行くこと必定だと思う。

このことがoldboy君が、ブログを書くことの意味でもある。

この日毎の暑い中、一服の清涼剤にはなりうるとは思うが、貴方のために
なるかどうかは分からない。

上掲にUPしたイラスト画像はあの有名なエジプトはギザのピラミッドと
対(つい)をなす、歴史的構築物スフィンクスである。


「アレマ~いきなり世界史ガラミ!?oldboy-elegy君、どうしたの?」
とイブカル読者諸氏のお声も聞こえてくる、昨今である。

何故なら彼、これまで投稿した記事中に歴史を主題にしたものは
あるにはあるが、多くはない。
あったとしても、枝葉末節、刺身のツマ以下のこと。

少々、辛辣なお人の言葉で、「oldboy君のブログそのものが、文体・内容が、
すでに死に体で、古臭く、その意味では
十分歴史的」であるらしい。

 

チョット話しは外れるが
「大学入試の社会科学の選択で日本史・世界史・人文地理」とあり、
そのうち、なんの根拠もなしに「人文地理」で受験した事を思い
出した。


高校生諸君や若者たちに聞くが、今でもこの科目(人文地理)は
あるのかな?


彼のその「人文地理」なる教科は、多分、記憶力や質量が求められる日本史・
世界史に比べて楽ではと、勝手に思いこんでいたのが
本当のところ。

すべてoldboy君、学問への姿勢も大方こんなもの。

それでは「人文地理」なる、学問領域、とは何なの、かと質問されれば
oldboyくん、ちとお困りである。

実践例題としては、こんなのがあったはず。
「1年間の降雨量・気温の折れ線グラフと収穫物から、特定の地域や
国を類推」する
ゲームなどがそうである、

それでは、これ以下が本文になる。


★★2  oldboy君が見た、秀逸にして楽しいお言葉である。
 それでは早速、いってみよう。

今日のお話はトップに掲げた、ピラミッドとスフィンクスイラスト
画像がネタ元になっているが、
今一度、話を本邦にもどすことにする。

時は、幕末期、およその政治的状況を記述しておく。

正確には文久3年12月(西暦1864・2月)のこと、一行30人以上の日本人
が、フランス船でヨーロッパはパリ)にむけて出帆した事実がある。

一行の名は「横浜鎖港談判使節団」とか「第2回遣欧使節団」、もっと
軽便に「池田使節団」とも言われる。
※ 鎖港(さこう) 港を封鎖すること。つまり外国船の入港・交易を
  禁じる、反対語は「開港」
※ 談判(だんぱん) 事件やもめごとに決着をつけるために相手方と、
  話、交渉を持つこと

  
このころ、横浜港もイヤイヤ開港させられており、そこは、もう江戸は
目と鼻の先。
この状況を嫌った幕府は、なんとか鎖港(外国船入港禁止)を目論んでの
「談判使節団」を結成、フランスに派遣したのである。

そこはもう批准・発効されている約束事を「もとにもどせ・外国船入港禁止」
との交渉事を彼等若者たちに任せた格好である。

江戸幕府、無理は承知の談判ごとである。

この「談判使節団」の長も、27才の若者である、備中・井原の領主で
(池田長発・いけだながおき)と言う。

明治は4年後で、幕府の最後の悪あがきにも見える使節団である。
ある意味、気の毒にも思える。


およその当時の日本を取り巻く状況を分かっていただいたかな?
oldoboy君、最初に記述した通り、なにもここで日本史を述べるつもり
はないし、能力もない。

ただただ、これらの事実を知った上で読めば、可笑しさ、愉快さが倍化
するものと考えるからで、他意はない。

派遣団長(池田長発・いけだながおき)の一行は、上海、インド・スエズ
の海路を経てエジプトに上陸、地中海を西に、フランスの港町マルセイユ
入っている

★★★3 エジプト・カイロ近郊のギザで撮影した、道中記念写真がこれ!!

いかにも古色蒼然(こしょくそうぜん)とした一枚である。
※ 古式蒼然 趣があり 同時に、古めかしいさま。 

この場所ギザは首都カイロから1時間ばかりの地理条件であるらしい。

そう、ようやく、本題の部分に入ったことになる。

画像、左おくが、ピラミッドで大、中、小の三基があるがここでの
メインの造形物は、真ん中のスフィンクス人面獣身の巨大な石像)
である。


その写真中に、ある団体様ご一行の人達が見て取れる。
彼等こそ不遇の、我らが「池田長発(ながおき)を団長」とする使節
三十
余名の一行、サムライ達である。

やく160年昔の貴重な記念、集合写真である。

★★★★4  話が突然変わるが、現在
、世はまさにインターネット時代である。


これまで、個人、一部好事家(こうずか)や研究者、あるいは図書館
の片隅で眠っていた、あらゆる情報が、ネットを通じて、国内ばかりか
世界中に
一瞬に拡散・拡大する時代になった。
※ 好事家(こうずか) 
ものずきな人

当然、我らが若きサムライ集団写真とエジプト・スフィンクスとの取り合わせも、
これを見た世界中の人達のツボを得た最新情報として、ワールド・ワイドな興味を
もたらした
のである。

マンガ・アニメを通じて、我らが日本国の歴史が、比較的まじめに世界を
席巻している現実があることが功をそうした形になっている。
※ 席巻(せっけん) 自分の勢力範囲を強くひろげること。

★★★★★5  世界中の人々はこの集団写真(スフィンクスと30数名のサムライ)
のこの一葉の写真をみて、日本のアニメや漫画への信憑性に歓喜したのである。




ではゆきます、「今日の一言」

ある外国人の(名無しの権兵衛さん)がこの写真を見ての、一言がこれ!!??

※「この写真のどこにサムライがいるのか?
なぜなら、これらの人達、だれもピースサインしてないぞ!
ジャンジャン!!!






oldboy君、陳謝
「お話はこれまで、お粗末でした」

                          

                                                       了
                                     oldboy-elegy