oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy ( 65 ) 我がクラスの暴君,M君、先生も見抜けぬ、俺に対する裏の顔はこうだった


★1  お聞きしますが、今の時代、小中学のクラスの級長や副級長、
その他もろもろの役割を担う担当者は、先生指導の下(もと)、自分達
で選び、クラス運営に
当たっているのかな?とフット頭をよぎったもので。


それに、いまどき、誰が好んでこのような役、積極的に引き受けるお人が
おられるとも思えないのだが。
ある意味、災難事と思われているのかも。

イヤなに、その「級長、副級長」などの言葉そのものが今でも存在して
機能しているのかな?、oldboy君には分からず、こうしてお伺いしている。

oldboy-elegy君の時代(半世紀以上の昔のこと)頭がよく、闊達(かったつ)
で、家が医者とか名の知れた商家の子たちが、先生の「指名」でもってクラス
委員になる事がままあった。

それに、それらの役職(級長など)は、チョットした重みとステイタスがあった
ように思うがどうだろう。

まず、勉強の「できる」ことは級長への道の「必須条件」であったことは間違い
のないところであった。

しかし、考えてみたら、昔も今も学校の組織としての役職は、そうそう
変わるものでもなし、必要なものは必要であるんだろうなと「フット」と
思うが、いよいよ判然としない。


今ではただ選出にあたり、それなりの平等で民主的な方法で選ばれるの
だろうと思うが、もう一つ良く判らない。

彼の時代、彼のクラスの学級委員、M君は古い家具屋の息子で自身の勉学
での頭脳も明晰で、後に、この地域の国立大学の理工系に浪人することなく
入学している。


★★2 しかしこのクン、oldboy君にとり、ほんに、恐ろしいお人で、あった。
彼の本当の顔を知るのも、恐らくoldboy-elegy君一人であったように思う。

彼との同級は小学5-6年で、随分ヤラレタと言うのか、痛み付けられたものだ

が、多分oldboy君の心境は誰も知らなかったと思う。
以下、それらの行状の一つ一つを書き起こしてみる。

A ・  まず多分小学、五年生のおりのことである。

女先生が、所用か何かで、急に出かける事になった。
運の悪い事に代打の先生も居なかった。
先生のその時の弁が、
「M
君(級長君)に、そんなに時間かからんし、はよ、帰って来る
よって、
 教室 頼むわ」の言葉を残し出かけられたのである。

「ウへ~」先生こいつの本性を知らないのである。
oldboy君、この時「何かされる」と覚悟する。

ヤツのこの時のお仕置きが、
oldboy君を教授用の大きなソロバンに
座らせる事だった。
よく判らないまま、oldboy君を狙い撃ちである。
少々喧(やかま)しいのがその原因であるそうな。

この時の膝の「痛み」の感覚は今でも憶えている。




とにかく、手加減を知らぬ人であった。











多分この同じ日だったはず。

下校時、文句を言ったら、道に敷かれたジャリ石を、手加減することなく
思い切り、俺に投げよこすのである。

当たり所が悪けりゃ、大変な事になる。

彼、そんなことなど、微塵も考えていないかの様子。

oldboy君なら、少々の座興なら許されると思っているのか、手加減が
感じられないのである。


B ・ 6年生の運動会でのことである

スエーデンリレーと言う名のリレー競争、彼の命令で無理やり引き出された
事があった。

学年6クラスか7クラスで、代表が出ての学級対抗競争である。













正式には、100M・200M・300M・400Mを4人でリレーして競う競技であるが、

この時は確か50M・100M・150M・200Mをリレーするものであった。
結果は7クラス中、3位か4位であった。

彼は激昂した。
今日の本番まで、何回もM君に呼び出され練習もした。
もちろん、「否」とは言えない彼の命令である。
あいつは一生懸命で、俺は適当であったことは認める。

そして彼のお仕置きが運動場を幾周も走る事であった。

何やら、偏執(へんしつ)じみたところがあったがみんな、それとは
気が付いていない。
むしろ、最もフサワシイ「級長さま」と映っていたのかも知れない。


C  ・ 最後にもう一つ
oldboy-elegy君、母の頼まれで、醤油一升を買いに近くの店に出かけた。
大きな綿布風呂敷に入れ、よっさら、家の近くまで帰って来た時、偶然
彼と出会ったのである。
かれの家は、ここから数百メートル先の、商店街の中にある。


彼が風邪か何かで休んだおり、給食でのコッペパンを届ける様に、先生に
仰せ付かったこともある。

彼、oldboy君の様子を見かねたのか、あろう事に「持ったるわ!!」と声
をかけて
くれたのだ。
こんなお言葉、初めてのことである。

正直、チョット嬉しくもあった。

玄関を入り、すぐ脇の戸を開けると、そこに土間があり、その奥に
板の間がある。
その登り口に、高さ10センチ、横幅1メートルほどの石の上がり
(かまち)が置かれていた。


N君、なんとなんと、その石のカマチの角にガラスの醬油ビンを
「ガッシャーん」とぶっつけたのである。
土間は醤油の匂いが充満、もちろん醤油としての要は足さない。
本人、「ギャー」と大声をあげ、そのまま土間を抜け玄関を走り去った
のである。

大量の土間にまかれた醤油と匂いを残して、遁走されたのである。

この事は当の二人以外誰も知らない。

場面はoldboy君の過失としか取れない状況であった。
敢えて「あいつ」だと言っても「意味のない」ことである。

母には、この事で、こっぴどく叱られた記憶はない。

しかしoldboy-elegy君、この事については、「あいつ」がワザッとした
ものではないと確信している。

ところで、俺、彼自身の友達や遊び仲間は誰一人として知らない。

唯一、友人としての表現では、少々風変りではあったが、oldboy-elegy
君が
その役を仰せつかっていたようにも思う。

oldboy-elegy君、こんな形の友も、今になれば「アリ」かと思う。

記事を書くうち、なにやら、親愛とまで言わないが、懐かしい思い出と
して胸に去来してくるものがある。
これもまたエレジーである。

それでは きょうも、これにて しつれいする
僕のブログが何か他人様のお役にたっているとか、目新しい情報が掲載
されている、なんて思ったことはないし、事実そうである。

ただただユルユル話で、コーヒーブレイクぐらいに思っていただけたら
嬉しい限りである。

でわ 今日は  )このへんで 失礼をする



             了

          oldboy-elegy

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