oldboy-elegy (58) 50年以上昔の教室風景と「映画・3丁目の夕日」そして「集団就職列車・さよならテープ」最後に「蛍の光と静寂」これも時代だった
今日のこの記事、リライト版である。ブログ初期のもので、思うところあって、新記事として投稿した。
50年以上昔の教室風景を上掲のイラスト画像から想像して欲しい。
机と机の間隔は無し、ましてや18人分でこれ。
60人を超える大混雑の教室を。
★1 時代と教室の風景と子供達
イラスト画像は、見ての通り、なんの変哲もない教室の画像である。
そのころ、そう今から50年以上昔の教室風景も、見た目は現在とさして
変わらない。
校舎は生徒急増のため、少々ヤスブシンながら新しく建てられたもの。
ただここに生身の生徒を放り込めば、その光景は一変してしまう。
oldboy君、前席女子の木製椅子の背中にある、二つの突起に、濡れた
汚い靴下をかけ(乾かすつもり)、大ひんしゅくをかう、2階から1階に
逃げるも途中の踊り場で捕まり、軽く腰に乗せられ、木製の壁に叩き
つけられたことがあった。
あほらしくも、侘びしい話である。
今でも、その子の名字は、明瞭に覚えている。
まだ「TENKOてんこ・ガールフレンドの変名」を知る前の小坊主時代の幼い
所業である。
50年以上昔の教室の現実をエレジー(懐かしさとチョットした哀しさ)
をもって書き綴って行く。
そこに繰り広げられる滑稽にして、同時に少し、もの哀しいドタバタ劇を
見て欲しい。
同年配の方には懐かしく、若い人達には遥か昔の非現実の世界を感じていた
だけたら嬉しい。
★★2 教科「職業」と「英語」の時間関係で、60人越えの超満員クラス
今では国からの指針、指導もあるが、およそ1クラス、40人前後で、田舎や
過疎域に行けばもっともっと少人数のはずである。
それがoldboy-elegy君の時代、1クラス、50人以上は普通。
いわゆる「ベビーブーマー」時代の走りのころである。
英語としての時間は週に4~5時間設定されているのだが、そのうちの
1時間はクラス人数が60人を超えてしまうほどの過密状態となる。
英語の時間に限って週1回、何故そうなるのか想像できます?
見当のつく方は多分、年配の方だと思うがどうだろう。
この教室のイラスト画像からは想像もできない当時の現実があったのです。
そのキーワードは「就職・職業」と言う言葉。
貧困や、特に女性の教育不要と考える親の無知などで高校への進学が叶わ
ぬ人達が1クラスに7~8人はいたのです。
ましてや国や自治体の無料化や助成がある時代ではない。
それはoldboy-elegy君が住まうこの地域特有の現実でもない。
多少の数字や率の違いはあるとは思うが、おしなべ、国中がこうであった、
これがこの時代である。
★★★3 時代の風景と、そこに住もう人達、映画「3丁目の夕日」から
映画「三丁目の夕日」が(モチーフ)した時代でもある。
左傾のイラスト、中学を卒業したばかり
の女子の工員さんである。
oldboy君の会社にも当時4~500人在席、
うち300人位が西日本各地からの集団就職
列車で来阪した女工さんであった。
因みにこの映画、「鈴木オートのたった一人の従業員、星野六子(むつこ・
俳優は堀北真希さん)」が青森からの集団就職列車で東京にやって来る」
設定になっている。
ここで感心したのが「六子・むつこ」と言う名前である、実に時代背景を
感じる。
女ばかり6人姉妹もありうることだが、兄弟・姉妹、含めて6番目に誕生と
言う事だと思う。
この時代、5人、6人の兄弟の数は当たり前とは言えないまでも、そこまで
珍しいことでもなかった。
左傾イラスト、大家族のタイトル
で「いらすとや」さんからお借り
したもの。
「映画の六子」の家族のイメージは、ここにさらに4人の子供が加わった
状態で、是こそが当時の「大家族」である。
そしてズバリ六番目に誕生の「六子・むつこ」が名前である。
今では、「子」の文字が付く「女の子」の名前は希なものになっている。
よく「名は体を表す」とか言われるが、この場合、彼女のファミリー状況
から時代までも彷彿させる。
ふつう親も、この事をオモンバカリ、「六」の字を避け、「睦子」とされる
こともあったと聞く。
いずれも、読みは「むつこ」である。
oldboy-elegyくんのブログ記事(雑感・雑記帳 No.11)の人口動態グラフ
の内の「合計特殊出生率」を見ると、最高値は(昭和24年生まれ・1949年)
で「4.32」。
それが今では、これが1.35辺りとなっている。
つまり、一組の夫婦がつくる出生人数と考えても良い。
一人の女性が生涯で出産する子供の数の平均の指数である、したがって
「六子・むつこ」もムベなるかなの感がする。
★★★★4 oldboy-elegy君、ヨウヤク社会人になり、幾年も経ないころの
たまたま見かけた風景である。
oldboy君も社会に出たころのことで、九州は宮崎駅で「集団就職専用の列車」
に遭遇したことがある。
寝台列車でもない、普通仕立ての4人掛け、今思えば古式蒼然とした車両
である。
客室は対面4人掛け、飴色の木製腰掛けで、背は濃いグリーンの布が張ら
れていた。
車内灯はあるが、本を読むには少々ルクスが足りない。
行き先は20時間以上先の大阪であったと思う。駅のホームは学生服姿、
セーラー服姿の未だ、いたいけな容貌の多くの子供たちと、これを見送る
親や先生など関係者でごった返している。
あちらこちらで人の輪ができ、その雰囲気は嬉しさや、楽しさとは無縁の
ものであった。
なみだ涙のお別れである。
同時にoldboy君、自分の会社の工場女子寮の人達のたくましさを思い浮か
べた時「今は不安だろうが、きっとやれる、やれるよ、と心の内で励まし
たくなったのも事実である。
やがて「蛍の光」が流れ「さよならテープ」も、ちぎれさり、そしてホームは
もの悲しい静寂にもどる。
因みに、oldboy-elegy君、列車ホームでの「さよならテープ」を見たのは、
この宮崎駅が初体験である。
ひょっとしたら、oldboy君の会社に来る子も居るのでは、一瞬、思ったが、
九州の労務出張所は奄美と聞いた事があり、鹿児島駅はあっても宮崎はない
と思い直した。
小学1年生の入学式を、oldboy-elegy君は経験していない。
ましてや幼稚園なるものも知らない。
小学校は2、3か月遅れで母に連れられ直接教室を訪れたのである。
床に白い大きな紙(模造紙)を何枚も床に広げ、子供たちが四方から
寄ってたかってお絵かきの最中であった、勿論、oldboy君もこれに
参加した。
これが彼の小学校の入学式であった。
このことはoldboy-elegy君のブログ(雑感・雑記帳 No.1)母の日、にて
既出である。
いま思えば、教室の後ろで一人佇む母の顔に安堵の表情が見られたかの様に
思うのも不思議な事ではない。
★★★★★5 週に一回、英語のクラス人数は、なんと60人を超えていた。
当時、この中学校での就職組の3年生は、週1回、「職業」なる教科があり、
これを1時間捻出するため、英語を1時間削り、これにあてていたのである。
余分の教室がなかったのである。
つまり、就職クラス(1)・英語クラス(2)の3クラス(3教室)を一編成
として同時間に行われるのである。
これに実人数をはめていけば、50人クラスx3・で総員150人、就職希望者が
クラス8人とするなら8x3・の24人となる。
ゆえに(150人-24人)÷2=63人(英語の1クラス人数)となる。
この日は生徒にとっても地獄である。
休み時間は、机、椅子の大移動で、就職組の教室はガラガラ、反して
英語組の教室は通路も設定できぬほどの超過密状態になる。
ここで、最初の教室のイラストを見てほしい、机と机の間隔が殆んどない
教室風景である。
ここに70人近くの生徒が詰め込まれるのである。
それでも、oldboy-elegy君、不満は特段なかったし、当然の事とし、むしろ
楽しんでいたように思う。
おわりに
今、思い起こせば、何気に、楽し気な気分になるが、遠いとおい昔の
事である。
なにか懐かしく、少し哀しい気分で、思い出すままに記事とした。
了
oldboy-elegy
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