oldboy-elegy (57) 随分、昔のはなし、賭け事(パチンコとマージャン)を思い出し、楽しく記事にした、これもまたエレジー
oldboy-elegy君、これまで、ブログで100
あまりの記事を書いてきた。そんな中
「パチンコ」に関する記事は多分、皆無のはず。
ただし同じ賭け事でも「マージャン」に関しての記事は幾つかある。
賭け事の「魔性の深奥・しんおう」に取り付かれ深入りしたと言う
勇ましい話ではない。
ただ、マージャンやパチンコを通じて、半世紀昔の薫風?を今に
送れたならの思いで記事にしている。
oldboy-elegy君、基本賭け事には、多分に蛋白で、これで稼いで、
どうしょうかなどの不埒な考えは毛頭ない人であった。
なぜなら「賭け事」には全く向かない性質(たち)であることを自身で
重々承知していたつもりである。
そんな中でも、多少、場数を経験したのが「マージャン」であった。
ここで自身、悟ったことがある。
勝利が目前にあるような展開でも、手にした「配牌・配り手」に絆(ほだ)
され、手作り・役作りにハマリ、最終的に「勝・カチ」がサヨナラと羽根を
付け何処かに飛んで行ってしまう。
この性格、「賭け事をする者」としては、最悪、最低の資質である。
※ 絆される(ほだされる)心や行動がしばられる。
10回の勝より「1回の大役作り」から抜けられぬ性格である。
つまり「賭け事」と「お遊び」の概念が分離できないお人なのだ。
気が付けば、結果取れるNo.1の座も、何処かに逃げて行く。
目先の一事に懸命になり、全体を見渡す「局面」を「読めない人」である
事を自身で知っていた。
ここ数年、ブログを投稿するようになり、同時に人様の記事も読むように
なった。
そんな方の中に、「パチンコに嵌(はまり」「その禁断症状」からの脱出の
ための記事を主題に投稿されている方がおられる。
ある意味、oldboy君などより、よっぽど壮絶で迫力を感ずる。
この方より、大部に迫力に欠けるが、oldboy-elegy君の「パチンコ」に関わる、
短い話をしてみる。
★★2 虎丸先生とパチンコそして我らが青春
しょせん、ことは、大昔のことである。
この記事、パチンコと言うより、パチンコを通じて先生と学生の(空間)
雰囲気を楽しんでもらうのが目的である。
oldboy-elegy君が、大学に行こうと決心したころのことである。
とりたてて、大学で「こういう学問をしょう、そして将来は」などの
崇高な目的があった訳でもない。
ただただ4年間の「モラトリアム・社会人になるための猶予期間」が欲しか
った位の勝手な気持ちであり、言って見れば不埒(ふらち)な動機であった。
このような、自分の一身上の重大ごとも、父と膝を突き合わして相談した
ことはなかったと思う。
全て、母との話だけで済ましてきたはず。
なぜなら、貧乏お妾さんでもあった母の言質には、父は全てを了解し、
同時に実行した人でもあったからである。
その母から父への要求の多くは、oldboy君の存在からのものであった
はず。
ただ一度ならず、母が父に「詰め寄った」ことがある。
父と俺の「姓」が違っていることが、社会的(就職)に不利になるとの思いが
母にはあったのだろう。
そんなおり、「関係ないよ、別に役所や銀行、大会社になど思ってないし」
と、いつも間を取り持っていたのが、oldboy君であった。
当時の、父の趣味と言うのか、遊びは、「ダンスホール・ビリヤード」で
麻か綿かの、白っぽいスーツを着て、夕闇の中に消えて行った後ろ姿を
憶えている。
みようによっては大正期の「モボ・モダンボーイ モガ・モダンガール」
気取りを彷彿させる、お人であった。
この辺りのことは、oldboy-elegy君の初期のブログ記事でもお話している。
さてoldboy君、大学受験の勉強場所は概ね放課後、高校図書館を利用して
いた。
家でモクモクと一人で勉強するのは、なぜか好きではなかったし、彼には
似合わない。
もちろん、図書館での友人も幾人かいた。
学校は府立高校で夕方には、三々五々、定時制の人達もやってくる。
中には、中学時代の顔見知り数人も在席している。
そこで、食堂も菓子パン・牛乳に限り定時制諸君のために、少々侘びしく
はあるが店開きしている。
残念ながら、人気のカレーライス、この時間にはない。
母から菓子パン・牛乳用の小遣いも恵んでいただいている。
退校時間は特別決めていた訳でもないが、概ね世間が暗くなるころが潮時
としている。
この日は友人二人、俺を含めて三人連れだって帰宅のため校門を出た。
急ぎ足の定時制の人達と対面する形ですれ違う。
暫らく歩くと幅7~8メートルぐらいの、どぶ川とまで言わないが、そんな
流れに沿って、街中に入った。
すぐ右に見えてくるのが、「まつや会館・仮名」である。
いかにも、それっポイ名を使ったが、言わずと知れた「パチンコ屋」である。
店はすでに、満艦飾の灯りがチカチカ、ぴかぴか点滅、客を誘っている。
そこに友人の一人が「アレッ!?」と一声。
「なんや?」と俺達二人。
「今、入って行ったオッサン、あれ虎丸やで」と言う。
電飾の光、あれだけ明るくても、不思議に明暗が際立ち、暗の部分の詳細
がハッキリしない。
この原理は、「ラブホテル・ファッションホテル」も同様である。
虎丸とは渾名で「東京の体育大学」出身の体育専任の教諭である。
お歳はヨウヤク30才を過ぎたころで、独身かどうかも知らぬ。
それに先生、湯桶・タオル持参の完全くつろぎ状態である。
「虎丸の家この辺か?」
「先生、独身か?」
とかしましい。
Yが、「入ってみよか?」と我らを誘う。
先生にたいする普段からの、気安さがさしたものかも知れない。
校章付きの学帽と学生服姿だが、この瞬間には念頭にない。
当時、学帽は学生服を着用するための、必須要件で、これなしの学生服は、雨の
日の雨傘みたいなもので、なければ気になる。
因みに、当時「学ラン」なる言葉も無かったはず。
この店、店構えはそう広くはないが、ウナギの寝床のように奥が深い。
途中、結構な段差がひとつあり、その手前の右側に先生がおられた。
「虎丸先生!」と同じくYが小声で話しかける。
三人が、先生を囲んだ形になる。
先生、目を白黒「なんじゃおまえら!?」と学帽・制服を上から下まで、ねめ
まわす。
明らかに、先生の表情は「困惑」のそのものである。
「今、表で先生を見つけたので、そのまま、後追いでここに」とY。
「バカか、お前らは良くても、俺が・・・」と、どうのこうのと仰っている。
あとは、両掌で、俺達を追い出すように「シーシー」と背中を押し外に。
「もうお前ら、堪忍してくれよ」とばかりの呆れ顔。
それはそうだろう、学帽を被った、学生服姿の学生、それも3人もが
一人の日焼けしたオッサンを囲み、ここ(パチンコ店)にいるだけでも、
禁断の絵になるはず。
★★★3 ここパチンコ屋の風景で思い出したこと
ことはこれだけだが、この時のパチンコ台は、立って打つスタイルのもので、
最初のイラストの矢印の所から、女店員サンが並んだ台の裏に入り大忙しで
あった。
それに、出玉を入れて脇の床に置いた、いわゆるドル箱はなかったはず。
ちょうどこの時代、パチンコ台は「立ち台」から「座り台」への過渡期で
あったようだ。
もちろん、ことはこれだけで、なにも問題は起ることもなかった。
すべてのロケーション懐かしい一事でもある。
了
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