oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy君、むりやり母に水練学校に入れらるの巻

f:id:oldboy-elegy:20190816101154j:plain

水練学校のあった河原の雰囲気

   母は1年を通じて殆んど着物で通した人。
ただ例外は夏場で、それでも綿地や麻地の簡単なワンピース風のデザインで、見方によれば浴衣に見えなくもない。
以前ブログの何処かで記事にしたが、oldboy-elegy君の悪さで学校に呼び出されたおりも薄地の着物にベージュの日傘、手には小物入れの為の信玄袋と言ういで立ちで来校された事があった。
信玄袋の中身はタバコ、キセルにマッチも入っているはずである。
実際、学校の応接室で教頭先生、担任の前で紫煙をプカリとやられた母の姿を見て、恥ずかしさの中に何か「かっこいい」と思った事も事実である。

 
その母が今日は正真正銘の浴衣姿である。
それも簡易帯や細帯でなく、通常の広めの帯である。
まさしく正装でのいで立ちなのだ。
いったい何が始まろうとしているのか、彼、嫌な予感と不安の中にあった。
「あんた今から出かけるよって、タンスにある白の半袖と洗った半ズボン急いではいといで、下駄はあかんよ、ズックでええから」と命令口調。
oldboy君、身支度しながら、「どこへ行くんや」と母に聞くが返答はない。

 いつも母はこうである。
「行ったら分かる、あんたの為になることや!」とだけ言い、oldboy-elegy君の身支度を急かす母。

 あとは、転がるように付いて行くだけ、手を引かれるわけでもない。
ここで母に「どこへ、何しに?」など質問しても、まともな返事があるわけでもない事は百も承知である。

 その道の先には、隣町の真宗系の大寺がある、母は急に歩速を緩め、信玄袋からなにやら書き物を取り出し、あたりをキョロキョロ。
チョットした商店街の八百屋の前で「このへんで至心会(ししんかい)と言う水練学校の事務所、知ったはります?」と尋ねると、即刻判明。

 母、その八百屋でデッカイ西瓜を1個買う、手土産替わりにするのである。
oldboy-elegy君には単に「〇〇学校」と聞こえ恐れおののく、水練の意味が分からなかったようである。
基本、学校と名の付くところ、あまり好みで無いようである。
 母、デッカイ西瓜を彼に手渡し(あなたが持つのよ)と無言のアピール、ついでに「水泳の学校や、イヤは許せへんで」とご宣託。
母のやり口はいつもこうである。
「あんた落としたらあかんよスイカ」と、のたまう、必死になり、ひょこひょこ母を追いかけるoldboy君である。

 彼が逃げ腰になる事は先刻ご承知なのである、そのためにも有無を言わせぬ状態をこしらえてからご宣託されるのである。

 すぐに「至心会」と書かれた金属製のプレートを発見。
しもたや風の小ぎれいな普通の民家である。
すぐに小さな中庭の見える畳の部屋に通されると奥から白く長いあごひげを蓄えた初老の方が入って来られる。
この方が大和川水練学校・至心会の会長さんである。

 入会に際して皆さんに必ず確認していることが一つだけある、これだけご了承して頂けたらどなたでも大歓迎との事。
この水練学校、「至心会」は「速さを競う競技水泳は一切行っていないし、一線を隔している、それを求められるならお断りいたします、と。
「至心会は古泳法を基本に日本古来の泳法を教える場所で、子供たちが水を怖がらずに、慣れ親しむのが初期の目標であり・・・・」など今で言う「生活水泳」の考えを述べられ、「このことを了解の上、入会を判断して欲しい」との趣旨をお話になった。

 母はもとより依存があるわけでもなし、むしろ賛同の体である。
oldboy-elegy君はと言えば、内心「えらい事になってしもうた、電車の駅だけでも5個か6個目かの遠くの「河内国分」まで行き、そこから歩いて約30分、その上、宿題なんかしとったら、」もうまったく地獄の夏休みに。

 ただすぐ後で分かった事だが、oldboy-elegy君、週3回のコースである。
さすがに毎日は「こいつには無理」と母の御判断、的を射たものでさすがといいたくなる。

 考えてみるに初めから最後まで、母の手の平の上で踊らされていたのである。
この後、5年の長きに渡り「至心会・大和川水練学校」に通うことになり、お世話になるとは、自身にとっても驚き桃ノ木山椒の木を、地で行った感がある。
最後の年は、白帽子に黒線2本の教練助手で中学2年生の時であった。

 最初は赤帽、次に白帽、そして黒線が一本、2本と加わるのである。
教練助手と言っても小学生の赤帽(初心者)に「決して水を怖がらせず、水遊びを手伝う」のが与えられた仕事である。
もっとも、水練学校の会費がタダと言うだけで、アルバイト料や交通費が出るわけでもないが、別にそれで満足していた。
それまでの人生(大げさ)で何かを成し遂げた感とは無縁であった彼、誇らしい事でもあった。
白い帽子に黒線2本、これにoldboy君、カッコよさと、ある種のステイタスも感じている。


  母上曰く「もう何時やめてもええよ」の下知。
完全フリーな夏休み、1年ぐらいあってもいいだろう、と考える。
実はこれも手の内、同じことを思っておいでになる。

 ここで秘密を一つ、oldboy-elegy君、赤帽(初級者)を2年やっておいでなのである。
基本ドン臭いのである。
しかしこれには母は一言もなにも言わなっかたなあー、と思う、結果これが良かったのかも知れない。
水泳て不思議なもので、何か一つ拙く出来るようになれば、体がそれなりに順応し、初めての泳ぎでも、少しは恰好が付くのはどういう訳であろうか?。


 ここでこの水練学校が標榜する古泳法・または日本泳法なるものを少し紹介する。
浜寺にある有名水練学校「浜スイ」は基本、近代泳法の平泳ぎ・クロール・背泳ぎ・バタフライの4種で、日本泳法は「こんな泳ぎ方」ありますよ、程度教えると聞いているが、本当のところは知らない。

 基本、近代泳法は「スピード」、古泳法は「持久力」、この言葉に代表されのでは、と思う。
古泳法の基本中の基本は「立ち泳ぎ」と「浮き身」であると思うがどうであろう。

 「立ち泳ぎ」とは、、首から頭は水面より上にあり、呼吸は自由にできる。
足も含めて体全体は水中に対してほぼ垂直である。
足の動きは基本やや外向きに水を蹴り、場合により緩やかな円運動もある。
体力を温存しながら出来るだけ長時間保てるかが重要なことである。
浮きながら、流木をひろったり、浮き輪や(今ならペットボトルなど)を探すことも大切な付帯行動である。

 「浮き身」は体全体を水面上向きに無抵抗に投げ出し、全身の力を抜き水と一体になることである。両手はやや広げ、両足も同様である。
ここで肝心なのは呼吸法である。
ゆっくり、ゆったり と呼吸し、いつも肺に残存空気があるように意識すること、しかし上達すれば意識しなくとも浮けるようになる。
この2泳法、普段、川で練習している人なら、海でこれをする時、無敵で天下を取った気分になること請け合いである。
塩水と真水の比重の違いである。
上手い人なら、片足の膝立や、両手を胸の上で組む方もおられる。
急難時、天候さえ普通なら救援が来るまで相当の時間を稼げる。

 「抜き手」は見た目、近代泳法の平泳ぎに似ているが手の動きは全く違う。
足の動きは似ているが、平泳ぎの方がゆったりしている。
両手の動きは全く別物である、平泳ぎは、両手を同時に水中で拝むように顔の前に出す、次に力強く水を手の平で掴みそれを体に伝え、両脇まで掻き、前進する力を無駄なく体に伝える。
一方、「抜き手」の両手は基本、クロールの泳法に近い、両手が代わる代わる水を掻く、文字通り「抜き手」で、水しぶきはご法度である。
水面に対してやや立ち気味で、水音を消しながら、持ち物や刀剣を頭上に縛り急流の中、対岸にたどり着く泳法である。

 そのほか「天馬」「千鳥」などいくつかあるが割愛さしていただく。

 oldboy-elegy君の得意技はこれらの内、「立ち泳ぎ」であり、模範演技で、白扇子に墨汁で「心」の一字を書かしてもらったこともある。
諸兄よ、字の上手い下手は言うな、上手いはずはなかろう。

 この5年の間、母はoldboyくんにある餌を与え続けたことを告白しておく。
大粒の黒色とも濃紫とも見える河内ぶどう2房である。
今で言えばピレーネと言う品種かな、よく分からない。
現物の支給ではなく現金での支給である。
国分大橋の袂によしず張りでできたにわか創りのぶどうの販売店がこの時期オープンする、いくらだったかは憶えていないが、母からもらうお金で、少しおつりがあった。

 そのつりで近所の駄菓子屋の「チュウーコヒン」で何かしらの安物の菓子が買えた。
因みに「チュウコーヒン」とは「中古品」の子供言葉である。
クチサガない大人たちが「中古品、中古品」と揶揄するのを聞き、「中古品」の意味を知らない我らガキンチョは自然「チュウーコヒン」をそのまま店名として使っていたのである。
おばあさん「ごめんなさい」
何故おれはこんなに謝る人が多いのか。

 このぶどうの2房、河内国分で電車に乗り窓を上から下に大きく開放、山や田圃の心地良い 風に吹かれながら、口に入れ皮と種を電車の窓から「プープ~」と吐き出し、丁度最寄りの駅近くで、尽きるのである。

 「窓からプ~プ~吐き出す」oldboy-elegyくん、今では決して致しません、お許しあれ。

 もう一つ忘れられない記憶がある。
初めて死人?を見たのもこの水練学校でのことである。
当会の生徒ではない、一般の水泳客である。
練習場にしているこの辺りから少し上流で子供が見えなくなったとの連絡が水練学校の事務所に入ったらしい。

 すぐに練習中止になり、水練助手以上のものが呼ばれすぐに上流に移動。
oldboyくん、まだ白帽黒線1本で助手の一歩手前のことである。
やがて淵の深みの岩場で発見。
先に用意されていたゴザに運ばれ手当てが施されたのだが、救急車が来たような記憶はない。
大勢の人の間から、寝かされた子供の肌を少し見たと言うだけの事だが、不穏で強い印象を感じたのを今も憶えている。
ただその子が助かったのかダメだったのかの正確な情報はもたない。
時間の経過を考えると、どうしてもイヤな結果を想像する。



 この大和川水練学校、今はもう存在しない。
規模は小さいがそれなり存在価値はあったように思うが。

何時解散したかも判然としない。
しかし消滅理由は明瞭である。
日本の経済成長の所産である。
まず天然の川でプールは持たなかった水練学校である。
この大和川は汚染された川で有名であった。
1級河川中、常に全国ワースト1位か2位にランクイン、のひどさ。

 しかしoldboy-elegy君にとって母との思いでと合わせ大和川水練学校は、貴重な貴重な人生の一コマである。
終戦間際、船と言う船は(戦闘艦でもない船まで)軍に徴用され兵員移送や物資運搬に駆り出され、その多くが南方海域で潜水艦や爆撃で爆沈されて多くの人命が失われたのである。
国内に残った船は外洋はもとより近海を航海するのも難しいボロ船ばかり、こんな中、瀬戸内海や三河湾などでの相次ぐ水難事故が多発した時期があった。
修学旅行生など遭難。

 oldboy-elegy君の母もきっとこれらの事故、遭難の記事は知っていたのではないのか、いやきっとそうであるはずである。
これだからこうする、的な説明をする人ではなかった。
だから何か母が行動した時は、理由、説明は心の内、結論が即、行動の人であった。

 このoldboy-elegyくんのブログに母がよく登場されるが、すべてこの通りの人として書かれているはずである。
実際そうであったのだから。

 4・5年前、韓国で修学旅行生300人あまりが無くなった船舶事故があった。
これに関してはいろいろ思う事、書きたいことが山ほどあるが今日はやめておく。

 何も声高におしゃらなくとも、4年も5年もかけてある憂いを(水泳ができないoldboyくんの事)除去した母は偉大とは言わなくとも「母」であった。

 ただ。母なら絶対こう仰っているはずである。
「光化門広場や事故現場の高台に記念館を」の声に、
「なによそれ自分なら絶対いらない!!」と一蹴。

             了

           oldboy-elegy

  oldboy-elegyくんには7歳下の妹がいる。
彼女にはこのブログの存在は言っていない。
妹の知らない母の若い頃の人と成りをいつか彼女に教えたいと思っている、それは50記事位をUPしたごろかなと予想している。
楽しみにしている。

 いろいろ記事中に母に登場願っているが、下記のリンク記事がその母の人と成りが如実に出ていると思う。
もし良かったら一読して頂けたら、当方(母にとっても)嬉しく、幸せなことである。
遺影の前の供物の塩豆入りの饅頭下ろさなくては、と今思い出した。
供物のタバコはそのままにしておくつもりである。

 

oldboy-elegy.hateblo.jp

 







 

 

 




 

 

 



 

 


 

(雑感・雑記 NO.6) あの外国人の女性に謝っておきたい。茜さす晩秋、夕暮れ時の京都、およそ50年前の事。

f:id:oldboy-elegy:20190808113731j:plain

茜さす晩秋の京都、北から南に向かう市電からの景色。実際にはあり得ない情景ではあるが、雰囲気だけは伝わる思う。

   タイトル画像の説明文に「実際にはあり得ない情景ではあるが」と書いた理由とは、
この市電の路線は烏丸(からすま)線と言う、京都市街の中心を左右に分断するかの
ように北から南にほぼ一直線に走っている。
途中御所があり、これが尽きる丸太町あたりでわずか東に振られ、また真っすぐに南下、京都駅近くで、今度は東本願寺さんの威光で東に大きく膨らみ、そのまま京都駅前に達する路線である。
つまりこの路線に乗っている限り、茜さす雲や市街地はあっても山など見えないのである。
四条烏丸の交差点あたりから東を見れば山は見えるかも知れないが茜さす、夕方の景色は無理である。

 ※烏丸はカラスマと読み京都人はカラスマルとは言わない。

 
oldboy君、しきりに「茜色に染まり、茜色に輝く情景」にやたらにこだわっていらっしゃる。
この気象的条件がもし無かったなら、このブログ記事も無かったはずである。

 今日から三日連続で塾での講師の仕事が待っている。
基本、週末に集中的に時間割を組んでもらっている、今日は6時から9時までの3時間が予定されている。

 
従って5時30分あたりには塾の教室には入りたく思っている。

数人の学生仲間に「今日バイト、ワリー」と声をかけ、足早に市電乗り場に急ぐ。
塾の仕事のない時など高級タバコ「ヒライテ」を手みやげに誰かの下宿に留めてもらい、最近憶えてきた麻雀などをすることもある。
因みに「ヒライテ」とは世間では「ハイライト」と言うらしい。

 校舎を出て真っすぐ西門に向かう。
もうこの時点で西の空は近場の建築物をシルエットに茜色に染まっている。
タイトル画像の山を建築物のシルエットに置き換えただけで、まことにこの画像の雰囲気なのである。

 ここでもう一度「茜色の空と雲」の画像を脳裏に焼き付けて次に読み進んで欲しい。

 すぐに濃グリーンと薄い茶色のツートンカラーの市電が、前部と後部をヨタヨタ左右に揺らしながらやって来た。

狭い市電の乗り場も学生でほぼ一杯の状態である。

 当時まだ、京都に地下鉄の無い時代で、市電かバスのどちらかである。
乗客の殆んどは学生で占められている。
車内の進行方向の右側、つまり吊革を持つ西側の人は窓外からの茜色に輝く晩秋の色と同色に染め抜かれる事になる。

 oldboy-elegy君の左前すぐに外国人の夫婦らしき二人ずれが見てとれる。
当時いくら京都と言えども西洋圏の外国人が、ましてや夫婦だけで市電に乗っていることなど珍しい光景と思うがどうだろう。
旦那に比べて奥さん、随分と恰幅がよい。
奥さんの毛髪は茜に染まった外光を受け赤く見える、が茶色にも見えない事もない。
顔だちは真後ろからでよく分からない。
あんまりじろじろ見るのも失礼かと思いそれきりになり、そのまま烏丸4条あたりにきた。
そこである程度の乗客がおりて行ったがその西洋人は乗ったままである。

 oldboy-elegy君ここで見てはいけないものを見てしまうのである。

茜色に輝く暮色の中に、忽然と彼女の顔半分がシルエットとなりあとの半分は陽光にあたった状態でくっきりとその全体像があらわになったのである。

 夕日に照らされたそれはまさしく、西洋人のもので高い鼻梁に奥の目が隠れていたのだが我々が少しは見慣れているアメリカ人的白人の雰囲気の顔立ちでもない。
いわゆる地中海東部、北部の人を代表するギリシャ系のものである。

 話の本筋はここからである。

 その端正な顔立ちのシルエットと茜色の境界に、顎から鼻腔下、眉間までもが毛でおおわれていたのである。
その毛も剛毛とは言えないまでも、そこそこの濃い影を落としている。
眉と眉の間が明瞭ではなく、一本に繋がっているように見えたのである。

 ここで固まったのが誰あろう、oldboy-elegy君である。
すべて見なかったものとして、知らんぷりすれば良かったのが、それができなったのである。
もっと最悪なのは、彼女と一瞬のことではあるが目が合ってしまった。

 彼女はoldboy-elegy君のドギマギぶりを感じて事の事情を察知したのだろうか、そこが一番気がかりなことである。
金色に輝く毛と影とのシルエット、oldboy君、今でも忘れることのできない一瞬の残影である。

 ずっと後の事であるが、何かの本で読んだことがある。
むかしのラテン系(ギリシャ人を含む)の人たちは体毛などには無頓着でおおらかであった文化があったそうである。
因みに現代の日本人は真逆なのかもしれない。
男性も一生懸命すね毛を始め、ムダ毛?を剃り落とす人がいると聞く。
この事に就いてoldboy君が何かを言うには少し歳をとりすぎてしまった。
ただあのギリシャ人(自分で勝手に決めた)の御夫人がこちらの表情を読み取り、oldboy君がなににギョットしたのかをもし理解されていたのなら、本当にごめんなさい。

 塾までの道すがらその事が気になり、oldboy君少々元気がない。
茜色に輝く空は、闇に侵食されて今はもうない。


 そして50年、ご存命の確率は極めて低い。

                 了
              oldboy-elegy
               



 






 




(雑感・雑記 NO.5)  他人が見ればクスッと笑えるが、本人にすれば思い出したくもない、しょうもない話。

f:id:oldboy-elegy:20190802085144j:plain

アイドルK子君、彼女がいないと我が部は闇、みんなのために出勤簿にハンコを!


  なんとか十か月の長きにわたる新人研修を終えた。
配属は企画部である。
oldboy-elegy君の第一希望通りである。
仕事の内容は企画、宣伝、開発、市場調査 などとなっているが言ってみれば営業部の友軍ではあるが数字的ノルマがあるわけでもない。
これまでのブログをいくらかでも読んでいただいた諸兄はお分かりの事と思うが基本、彼はグータラで出世などとは無縁の存在なのである、ましてや仕事に「燃えて」など、これほど似合わない言葉も彼的には存在しないのである。
口にはのぼせないが、企画部を希望した第一の理由が、さっき言った通り「数字的なノルマ」がない事が第一の理由である、このことは口が裂けても他人に言ってはいけないし、墓場までキーロック状態のまま連れ添わなければならぬとおもっている。

 
しかし年間の予算はしっかりと決まっていて、その予算で最高の効率と結果を達成することが言えば「ノルマ」なのである。
しかしそこはそれ「稼ぐノルマ」と「使うノルマ」の違いは歴然としている。

 oldboy-elegy君がこの部に配属されて1年くらい経った頃のことである。
予測通りのノープレッシャーサラリーマン生活を謳歌していたのだが、チョットいやな命令が部長より下知されたのである。

 「わたしなんかよりもっと適任者がおるでしょう」と彼、もうすでに、逃げの態勢なのである。

 「同期の営業2課のH君なんか理論派だし、その手の雑誌、よく手にしてるの見ますし」と振ってみた。
いや~、本当に彼なら喜んで参加するだろうとの思いで名を上げたのだが、部長ユックリ首を左右に振り、半分呆れ顔、その上おまけに右手人差し指をoldboy君のまん前まで伸ばし机を2回軽くたたき、次に俺を指さし「ダメ、お前」と無言の圧力。
それだけ同期の連中、それぞれの場所で頑張っていて「戦力」なのである。
一方oldboy-elegy君を見れば「なにやら締まりがなく、ネクタイのノット(結び目)も下がり、毎日が遊園地に来たような雰囲気、きっと上司はそれと感じ、指名したのかもしれない。

 この会社の主力取引銀行である〇〇銀行が「経営学セミナー」なる講座を月1回、年10回ほどいろいろのテーマで開くとの事、毎回有名どころの講師が予定されているらしい。

いよいよもってoldboy-elegy君には苦手この上ないものである。
有名どころと言われても、だれ一人思い浮かばない。
植木等なら喜んで参加させていただく。

 「毎月第三土曜日、10時からお昼ぐらいまで、時には昼食会もあるらしい」とのご宣託、万事休すである。
これだけの事で、彼、もうすでに地球最後の日を迎えたような気分になっている、「ノープレッシャーな安穏な日々」が一変したかのような気分である。

 それに土曜日は隔週半ドン(1時までの勤務)が実施されているのである。
「まあええか、直帰するよー、と電話すればOKやし、しやけどなんか調子が狂うな」と気が重いのである。

 手帳の予定表が隙間もないくらいビッチリ書き込まれていて初めて気分が落ち着く人、一方できるだけ予定を入れないでその日その日、自由に絵を描くのが好きな人、oldboy-elegy君、勿論後者に組みしているのである。

 長い前口上であったが、ここからが「他人が見れば笑えるが、本人にすれば思い出したくもない話」なのである。
何回目かのセミナーが行われる当日、oldboy-elegy君、中之島大川南にあるこの旧財閥系の銀行内のセントラルロード、メインストリートいやプロムナード、まあどうでもいいや、ともかくそんな所をセミナー会場に向かっていた。
天井はやけに高く、柱などはエンタシスがかかり、ここを通る人たちを威圧するのである。
彼、一番不得意とする場所と雰囲気である。
このずっと先の右奥がセミナー会場である、この通路結構幅がある。
対面(といめん)からダークスーツの人達がやってくる。
彼らは押しなべてoldboy-elegy君の通り道を左右に避けるように脇に移動、わざわざ足を止め首(こうべ)を垂れるのである。
彼、こんな場所に知り合いがいるはずもないのだが、そこは日本人、挨拶されたら挨拶で返答するのが道理であり、礼儀と言うものである。

しかしどうも解せない感覚が残る。
そこへ後ろから来た5,6人の集団が早足でoldboy君の脇を塵・芥(ちり・あくた)を払いのけるように、通りすぎて行った。
ここまで来て初めて今の状況に合点がいく彼、最上級の挨拶した人達はなにもoldboy-elegy君に敬意を表したのではないのである。
当然と言えば当然であり当たり前の事であるが、タイミングが良すぎたのである。
彼らはoldboy君の後ろから来た集団に黙礼したのである、とりわけ集団の先頭を行く白髪の老人に向かっての行為なのである。
これも後で聞いた話であるが、その白髪の老人こそが、元財閥系の〇〇銀行を率いる堀〇頭取であったようである。
してみれば俺のあの返礼は何だったのか、「恥ずかしい」よりも「実に自分に腹ただしく間抜け」な気持ちが胸の奥に残ったのは事実である。
「なぜ俺が返礼を、それも確か2度までも・・・」ええーい悔しいの歯噛み状態なのである。

  人は笑うかもしれない話かも知れないが、自分としては「未だに腑に落ちきっていない!!」のである、とくにそのアホさ加減にである。
〇〇銀行の堀〇頭取などどうでも良い事でoldboy君にとって「うちの課長ほどの値打ちもあるものでもなし」ぐらいにしか思っていないのである。
何故なら今も鮮明にこうして記憶していることだけ考えてもあほらしいのである。
oldboy君、もう一つ社会的ヒエラルキーと言うのかステイタスと言うのかが分かっておられないようである。

  タイトルとしての話はここで終わるのだが、もう一つこのブログの目的(だいぶに大げさな表現)は1970年代の労働環境や世事、世評の事も伝えると何処かで書いた覚えがある。
ただここで記事にした事が当時の社会全般に当てはまるのかと言えばそれも一概には言えないと思うがさあどうであろう。
 
 会社業態から言えば、この会社中小企業に分類される。
配属先は本社で営業を中心に120~30人位の編成である。

 まず、出勤のためのタイムカードがない、ただし出勤簿なるものがあり、少々の遅刻なら途中、公衆電話からでも報告しておけばOKである。
三文判を部員全部が彼女ケイ子君に預けている、勿論部長も課長も例外ではない。
今パソコンで「しゅきんぼ」と一発変換を試みたが失敗、最後に一字づつ印字したものである。
いまではそれほど稀有な言葉なのであろうか、不思議な感覚である。

 タイトル画像は当部のアイドル、ケイ子君である。

●イラスト画像のケイ子君、スーツのようであるが実際は白のシャツに濃紺のジャンパースカートがユニホームであった。
おしゃれ要素は白いシャツのリボンかな、細い紐状のものから大きなモンシロチョウを連想するものまでいろいろ。

 あらゆることに対応していただいている。
今なら「なんでもや」と評されある意味蔑みの対象に思われ、自分でもそう感じている人も多いのではあるまいか。
 朝の出勤時のお客さんへの直行連絡や用事などをメモした付箋を机に貼るなど、彼女が多くをこなしてくれている。
oldboy君など、お客との面談のおり、きちっと締めることのないネクタイを指さし、無言で「ネクタイ、ネクタイ」と注意もされる。
すこし大仰に言えば「部全体の潤滑油であり」「皆が頼りにしている」アイドルである。
なにより良いのは、彼女自身がその事を知っていて、楽しくやっていることである。

 この会社、営業職でも30分づつの計算で超過勤務となり給料に反映されるのである。
ただし直接の上司に申告が必要であり、その残業内容を正される事もあり、拒否されることもある。
おまけに5時半くらいには、総務部の担当者が全館を見廻り、届出なしの残業者がいないかをチェックして回るのである。

 oldboy-elegy君、特別感心したこともない、これが当たり前のこととして存在していたのである。
ただ一つこれだと思ったことがある。
 組合の存在である。
これまで工場など現業部門と本社・支店などの管理部門の組合の上部団体がそれぞれ違っていて、随分苦労したと聞かされたことがある。
長い紆余曲折のあと、上部団体を脱退して、単に企業内組合として再出発したとのことである。

 この結果、会社としては組合の希望を完全無視と言う訳もできないし、これまでよりも近しい関係を築くことが必要となる。
以前のブログで(新人研修のおりの労務課での話)を記事にしたことがあるがそこにもそんな匂いがしないこともない。

 これがoldboy-elrgy君の50年ほど昔の勤務時間の話とアイドルK子君の労働感覚の在り方を記事にしてみた。
狭い範囲の見聞、経験ではあるが、今のこの時代なにが進歩・進化したのか彼には分からない。

 彼、今なら意識の低いハラスメント社員に分類されるんだろうなー、「クワバラ・クワバラ」

 
                了

                                            By    oldboy-elegy



 下のリンク記事はoldboy-elegy君の研修中の出来事を書いたものである。
現業部門(工場)の労務課で経験した事。
興味ある人には今日の記事と合わせて見ていただくのも一興かと思う。

 

 

oldboy-elegy.hateblo.jp

 


             

             





 






 

(雑感・雑記 NO.4)  我が家で飼って?いた猫、クロ(オス)の一大事。救命士は母 。   by oldboy-elegy

f:id:oldboy-elegy:20190724232141j:plain

孤高の猫、クロの雄姿である。

  クロはそもそも、いつごろから我が家に出入りするようになったのか?
母がクロと、土間のカマド脇で出会ってから1年待たずしてあのチョットした事件がおきたのである。
母にチョット等と聞こえたならきっとお怒りなさるだろう。
それ故、亡き母に敬意を表し「あの大事件」と訂正することにする。

 その大事件は正月明けの1月の15日前後の事である。
何故、そんな事、憶えているのかって?
それはクロの倒れた廊下の天井から色とりどりのかき餅がズラリとぶら下がっていたのを、記憶しているからである。

●かき餅をオカキと言う人もいる。
  
   ゴマ、黒豆、エビ、大豆塩豆、しょう油,等、ほかにも色々の風味(フレーバー・Flavor)のものがある。
年末の吉日の晴天の日に近所、向こう三軒両隣が集まり、餅つき大会が毎年行われていたのである。
晴天の日と限定しているのは、どこの家も屋根のある下で餅をつくほどの広さも高さもないので、公道を利用しての作業となるのである。
これがまたなんとも、気が乗れない一因なのである。
時には、通りすがりの人たちがじっと佇み、見物されることもある。
人によっては餅のつき方、こね方に意見する人いる。
この年末の行事、各家の男どもの肝いりで開かれるのだが、女どもにはすこぶる不評なのである、oldboy-elegy君の母など「忙しく、煙草も吸われへんし、男どもは後かた付けも知らん顔」と不満たらたらの体である。

 この時に、鏡餅や丸餅に加えて、かき餅もつくのである。


これらが硬くもなく、柔らかすぎずの状態で、押切包丁で丁度切り易いのが正月の10日過ぎ当たりなのである。
これらの切り餅を家族総出でタコ糸(昔はわら)に10段位ずつ括(くく)り付け、廊下の天井近くにサンを張りぶら下げていくのである。

 母もoldboy-elegy君もあれば食べるよ、ぐらいで、なくて困るものでもない、と思っている。
欲しいならお店で一袋買えば良い、それの方がズットと経済的で労力も要らない。
出来れば年末の一連の労働と天秤にかけるなら、即廃止にして欲しいものである。
ああそうそう、餅つき当日の何日か前に、男どもが「段取り」と称して集まり酒盛りを始めるのも餅つきの一部である。

 言ってみれば「忘年会」の理由付けなのだ。
この点、母もoldboy君も気持ちは同根で「餅つき反対派」である。

 クロと母の出会いは自宅の台所である土間での事である。
(土間とは床材などを使用していない地面むき出しの空間であり、主に台所として使用される)

 その日も、母は買い物から帰り、玄関脇の引き戸の向こうの台所の土間に下駄のまま入り、カマチ向こうの畳に腰を下ろし、やおらキセルの入った袋を取り出す。
服装は勿論いつも通りの着物姿である。
一服を終えるとすぐに真っ白の割烹着を付けるはずである。
oldboy-elegy君、よくカマドの薪番を母に命じられる。
単に火の番で、飯の炊き方まで教わった訳でもない。

 家の部屋の中で一番暖かいのも台所である土間である。 
何故なら、土と外壁タイル(耐火タイルOR普通のタイルかは知らない)で作られたカマドがあり、一度火を入れたら簡単には火は落とさないのである。
火の着いた薪は、用事が無くなれば灰をかぶせ、火力を弱め持続力を高め、なお且つ釜などに水を張りカマドに乗せ、極限までそのエネルギーを利用するのである。

 紫煙をくゆらせていた母がそのカマドの脇になにやら動くものを見つけたようである。
下駄を履きなおしツツーと近寄り、壁とカマドの隙を覗き込んだ時、奥からニャオーと猫の鳴き声、「あら猫が、目だけがやけに光ってるわ」と母。
これが母とクロの最初の出会いであるらしい。
全身クロ,ただし足には短めの白いソックスを履いている。
前足の白はやや長く、左右がいびつである。
タイトル下の画像はチョット怖い感じもし、幾分太っているようだが、当方のクロの方が俊敏に見える。

 クロはこの時すでに成猫で、したがって年齢も不詳である。
クロの面倒は母がみてる。
面倒と言っても餌やりと外からお帰りの時の足ふきぐらいの事である。
夕食時だけはちゃぶ台の脇に陣取る、それも決まって母と妹の間が定席である。
サバの塩焼きや煮つけなど結構な量を自分の皿に入れてもらえることもある。

 しかし直ぐに家から消えてそのまま2・3日戻らない事もしばしばである。
どこかに本宅があるのか、いやこちらが本宅なのかよく分からない。

 およそこの様な雰囲気の自由ねこである。
oldboy-elegy君、この猫を見ていて「こいつの彼女どんな娘かな?」
「こいつ喧嘩強いんだろうな」「グループの大将なんかな」とついつい自分にはないものを想像して羨ましがっている。


 クロの足取りがおかしい。
歩く前に体が先に出て右に左にユラーリ、ユラーリの酩酊歩行。
そのまま板張りの廊下までヤットコ歩きドターと倒れこむ。
これを見た母、すぐに異変に気が付く。
父がこしらえたタドンか豆炭かのやぐらコタツからお出まししたばかりである。
「あんた、桶に水と手ぬぐい2,3枚すぐ持って来て」と言うなり自分もすぐに立ち上がり、ドドドと下駄も履かずに土間のカマド脇に常備している大うちわを。

 母、とってかえすなり、冷たい板張りに寝かしたまま、大うちわで「パタパタパタ」
今度は両手で「バタバタバタ」とあおぎ始める。
そこにoldboy-elegy君、母に頼まれた水の張った桶と手ぬぐい数枚を持ってくる。
「あんたあおぐの交代や」と言い、大うちわを俺に渡す。
くろ、いつもの精悍な目ではない。

 手桶の水で手ぬぐいを軽く絞り、鼻を残して顔、首、頭を冷やす。
「完全に中毒やな、これ」と母。
一酸化炭素中毒やわ、大丈夫かな」とoldboy-elegy君。
「誰もコタツ入っていないし、豆炭に少し灰かぶしたんが悪かったのかな?」と母。
つまり、豆炭に灰をかぶせると燃焼が遅くなり、そのぶん火持ちが良くなるの道理である、しかし良い事ばかりではない、不完全燃焼のため一酸化炭素ガス発生の危険度も増すのである。
母はこの事を言っているのである。

 濡れ手ぬぐいで足裏も手裏?もシップ。
暫らく続けていると、心なしか呼吸も落ち着いてきたように思う。
「なんかチョット落ち着いてきたみたいやな」とoldboy-elegy君。
「もうちょっと続けて、ここ寒いから、もうちょっと良くなったら座布団に寝かしたろ」と母。
「もう回復基調みたいやな、目の色が違ってきたわ」
「あんたタバコ盆持って来て、もう大丈夫やろ、一服するわ」と母。
「しかしよう自力でこたつから出てきたもんやな、でなかったら私ら見過ごして、今頃・・・」
さらに涙目の母。
いやいや今で言う「救急救命士」並みの母の活躍にはoldboy-elegy君、大いに感嘆し、そして賞賛もしい、同時に驚かされたのである。

 母子が島根県の松江にいたころ、病院の下働きをしていたことがあったらしいが、この時の経験も幾分役にたったのかもしれない。

 その時廊下の天井からかき餅の欠片(かけら)が床に落ち、結構、大きな音がした。
クロがその音に驚き頭を起こしそちらを見る。

                了
             oldboy-elegy

  数年のち、妹が日本犬の雑種の子犬をひろい連れ帰って来た。
その子犬の名を「ホス」と言う。

当時人気だったアメリカの西部劇ホームドラマ「ボナンザ」の「カートライト3兄弟」の一人である「ホス」を借用。
ただし当家の「ホス」は何故かメスである。
今日の今日までoldboy-elegy君、犬のなずけ親は妹と、かってに思い込んでいたが、実は母とのこと。
確固とした証言であり、妹は電話の向こうでそう言い切った。
この事実が分かった事だけでもブログにした値打ちがあったと思う。




 






 

 

 



 

oldboy-elegy君の場合   Tenko(女性の名)は恋人だったの? 違う?ただの女友達?それは絶対に違う、適切な関係を表す言葉があれば教えて欲しい。

f:id:oldboy-elegy:20190719084214j:plain

セーラー服はこんな感じ、学生服には校章入りの学帽が必要、学ランと言う言葉、当時無かったように思う


画像の注釈の追加・女子のリボンの色は濃エンジでラインも同色、スカート丈もう少し長い、靴下の事、何故か思い出せない。
                        

 (雑感・雑記 NO.3)の冒頭で(老化の兆候か?、体の部品の機能がダウンしている、特に最近目の調子がいかぬ)、とグチらしていただいた。
眼科医曰く「瞼の筋肉が弱り、下垂傾向、そのためまつ毛が眼球の表面にあたり、いわゆる逆まつ毛状態、不快感はそれが原因」とのご診断。。
そのまま、この手の手術の得意な形成外科の先生の紹介をいただき、診断を受けた。
後日、手術と決定、30分ぐらいの術時間で入院の必要もなし眼帯もしなくてokとのこと。

 
手術を受けてきた。
抜糸は1週間後とのこと。
ひどい痛みはないが右目全体がチクチクする。
oldboy-elegy君「あの~先生、テレビやパソコン触ってもいいですか?」と質問。
「あなたが苦痛でなかったらいいですよ」とあっさりokの返事。
鏡で自分の顔を見ればゲンナリ四谷怪談のお岩さん状態である。
下瞼からホッペタ上部にかけ結構な腫れ、おまけにやや赤紫色に変色「ウッヘーなんじゃこれ!買い物いややな~、むしろ眼帯欲しいわ」の思い。

 それから1週間が経ち、抜糸を済ませてきた。
小さな小さな糸切りバサミでチキチキ・ピッチンと糸を切るかすかな音。
腫れは術後すぐと比べて随分に小さくなったが、下瞼から頬にかけての皮膚の色はまだまだ完璧とは言い難い。
両目にもともとあった貧弱な二重の瞼のうち手術をした右目は今完全に一重になっている。
次の検診は8月中旬とのこと。
Dr「もし何かあればいつでも来院してください」とのこと。
つまりここから後は自然治癒にまかせるとの事である。

 完治後、左右の目の形が違わないか少し気にかかる。
Drにその事を質問したかったが何故か言えぬまま、「ええ年寄りが、何を気する」のかと思われるのがイヤだったのである。
oldboy-elegy君、豪気者の母上の下で育った割には肝っ玉が意外に小さいのである。

 一応、前記事で目の手術の事に少し触れたので、その顛末をとの思いで今日この記事に書かせていただいたのである。

 ここからが記事の本文である。
「oldboy-elegy君の場合  Tenko(女性の名)は恋人だったの?***」随分なタイトルではある。
この記事を書くはめになったのは以前の「oldboy-elegy君、この歳になり初物4連荘、救急車、美人麻酔医師、手術、最後にご入院」の記事中に使用した言葉が原因である。
もうその時から今日のこのような記事を書くことは必然なのであった。

 その文とは

 高校下校時3人組に襲われ下駄で顔面を殴打される。唇の内側を4針縫う。
中途を省く。
犯人の1人を知っていた、中学時代の同級生である。
おんながらみであった。

 上記の文が冒頭すぐに出てくる。
問題は最後の太字、アンダーラインの部分である。
「おんながらみであった」の部分。
当初、その記事中でもう少し説明を加えようとも考えたが、あまりに枝葉末節にすぎ、本文の骨格から離れてしまう、と考えそのような言葉のまま(おんながらみであった)として捨て置いたのである。
その上なにかしら、不遜さも感じる、そう「おんな」の文字が気にいらなかったのである。

 そして今になり、その事情を記事にすることに相成ったのである。

 彼女の名は「てん子」「Tenko」と言う。

名字はここでは必要でないので「Tenko」で通すことにする。
中学時代のクラスメートである。

 じつは、Tenko、このブログ、2度目の登場である。
そのブログの、タイトルは(母ちゃん、oldboy-elegy君のせいで学校に呼び出される***)の記事中に既出なのである。
その時、彼女(Tenko)は名無しの女学生で非常事態のoldboy-elegy君の前に突然、表れていたのである。

 もし良かったら読んでいただきたい。
サイドバー、アーカイブ中のタイトルは「母ちゃん、oldboy-elegy君のせいで学校に呼び出される。中略・・・・、教頭、担任の前で紫煙をプカリ」である。


体育の教師に本気でヘッドロック状態で10発ほどボコボコそしてまたもボコボコと殴らた事があった。
その時、「気に入っていた女子がハンカチを水で濡らし手当してくれたこと、コレ」の当人がTenkoだったのである。
彼女自身は転校生でまだそんなに月日が経っていないころの事である。

 俺を下駄で殴打したKも同じクラスの在席者である。

 中学のころTenkoと俺が特別仲が良かったと言う事でもないし、互いに意識することもなかったと思う、単にクラスメートの一人としてプラスoneぐらいの感覚であった。
しかし内心仲良くなりたいなと思う気持ちは、その青春の入り口に立った男の子が示す意味不明の逆行動を見れば笑ってしまう。

 むしろ嫌われているかもと思っていた。
あるとき彼女の椅子の背もたれの2つの出っ張りに、洗った靴下をかけ、干したことがある、これにはTenko怒り心頭、本気で2、3発胸をしばかれたことがある。

 俺を下駄で殴打したKに関しては、これもクラスメートの一人として知っている程度で、ましてや彼がTenkoのことを恋慕していることなど知る由もない。

 この事件から数年後、Tenkoと俺は偶然地域の同じ公立高校に入学する。
偶然と書いたが、まあ学業成績はドッコイドッコイゆえ地域の同じ公立高校に進むのは、費用の面からも当然の事であった。
Kは電車で5、6駅先の工業高校に行った。

 高校での初のホームルームの日、俺の隣の席は誰あろう、Tennkoである。
「なんやまたお前か、高校の気分全然せ~へんわ、堪忍してくれよ~」とoldboy-elegy君の嘆き節。
TenkoはTenkoで「なに言っとん、それこっちの言うセリフやわ、あほらし」と言いながらげらげら笑っていなさる。
改めてクラス全体を眺めてみると、知った顔があちらこちらに。
Rがこちらを見てニコニコ顔で手を振っている。
Tenkoも俺も中学時代から苗字も名前も変わっていない、してみればアルファベットも同じはず、クラスが同じなら真横は特別にしても、すぐ近くの席になることは不思議でもなんでもないのである。
「oldboy-elegy君、高校に来てまで汚い靴下、椅子に干さんといてよ」とTenko.
「なんや未だ憶えてるんけ、執念深いヤッチャなあ、お前」と俺。

 oldboy-elegy君、Tenkoとあれこれ話すようになったのはこれ以後のことである。
女性との間で「裸の付き合い」とは少々異論がおありの方もあろうかと思うが、これから1年2年と経つうちにホンに妙な関係になってしまうのである。

 oldboy-elegy君、中学時代と違い、だいぶに大人になってきたようである。
妙ないたずらもしなくなってきた。
それ以上にTenkoが急速に大人びてゆき、それに圧倒されていたのかもしれない。

 やがて1年生も終盤にかかり進路の決定に迫られることになる。
進学か就職か、進学の場合、理系か文系かの選択も同時に決めねばならぬ。
当時、比較的成績上位の高校でも結構多くの就職希望者がいた。
とくに女子の場合がそうである。
良いか悪いかは別にして、大学卒業してからの就職より高卒で就職する方が都市銀行を始め有名大企業に入れたのである。
Tenkoも就職を希望するうちの一人であった。
「おまえと中二から3年間も同じクラスやったな、それも俺の席の近くばかり、今度こそお別れやな」
Tenkoは中学2年の時、父親の転勤で名古屋から移ってきた転校生だったのである。
「よう言うわ、あんたこそ私の近くをうろうろして!」とTenko.
「おまえが側におれへんかったら、もう一度高校に入った新鮮な気分になるんかな、それとも落ち着かんようなるんかな」とoldboy-elegy君。
「よう言うは、失礼な」Tenkoふくれぎみ。

 もう冬休みに入ろうかとするある日Tenkoに廊下で呼び止められる。
「あんた24日、クリスマスイブの夜空いている」とTenko。
「??!!」の俺。
「家でクリスマスパーティするんや、ちょっとパーティは大げさやけどな」
「ほかに誰くるんや?」
「母と弟に私だけ、お父さんは残業、それにお客さんはあんただけ、嫌や言わんといてや、初めてケーキを母と作ろうと言うことになって、親子3人で食べても味気ないし、あんた誘ったんよ、母さんも大賛成で力も入る」と言う訳や、とTenko。
それにプレゼントいらんよ。ただしケーキの味保証せんから」と有無を言わせぬ調子で喋り俺を覗き込む。

勢いに押されて反射的に「分かった」と返答のoldboy-elegy君である。

 その時、持って行った手土産が30cmほどの大きさの卓上用の門松である。
寺院脇の花屋のあんちゃんの商売用の門松である。
彼、毎年この時期、近くの農家の軒先と言うには随分広い場所を借り大量の門松を作っているのである。
小は卓上用の30cmぐらいから大は1.5Mぐらいの特大のものまでいろいろである。
「必要なら、どんな大きさのものでも作るよ」と言うのが彼のコンセプトである、あれこのセリフ何処かで聞いたよな気がするな。
oldboy-elegy君、去年の年末からこの門松づくりの下働きの手伝いをアルバイトとして手伝っているのである。
殆んどの材料や資材はタダ同然の物である。
一番それらしき材料の竹は、枚方の彼の知人の竹藪からの調達品であるそうな。
南天の木もそんなところである。
あと空の灯油の一斗缶、安物のプラスチック製の植木鉢
荒縄、針金、土などなど。
oldboy-elegy君、一度ならず、クマザサ取りに金剛山の山間部に花屋のあんちゃんと小型トラックで取りに行った事がある。
もっと言えば「盗み」に行ったのである。
即ち門松づくりは、格好よく言えば「労働集約型?」の産業なのである。
少々コストがかかるのは葉牡丹ぐらいのものである。
それだって花屋が本職の彼、いくらだって増やす術を心得ている。

 このバイト、少々きついが、相場の2~3倍の時間給である。


 この門松の販売先は大阪市内のヤクザやさん一件のみである。
決められた大きさと、本数を小型トラックに積み込みヤクザヤさんの組事務所に行くのである。
場所も何気に記憶している。
交差点の北東角に小さな公園がありこの奥に飲み屋、食堂が並ぶ、その中の一軒の2階部分がそうである。
組事務所の部屋の半分もあろうか、デッカイ、キングサイズのベッドがドカーンと置かれている。
色は、あまりにらしいので良く憶えている、白とも銀色ともつかぬものである。
そこへ奥の部屋から3人のヤクザやさん登場。
そのうちの2人を乗せ、夜中の心斎橋と脇道を行ったり来たり。
彼らに指図され「1.5mを1本、1m1本、卓上2個」などをトラックの端に引っ張り出すのである。
あとはヤクザやさんの若い衆がやってくれる。
時折、バーのマダムらしき女性が出てきて悪態をついている。
無理やりに置くだけおいて、集金は後日と言うシステムらしい。

 今日のTenkoへの土産がこのうちのミニ門松と言う訳である。
事情を話すと一本無料でいただいたのである。


 あれからもう随分と経つ、時折あの門松を貰った花屋の2、3軒先のコーヒー兼カレー屋、インデラで落ち合うこともあるが、高校生の身分でそうそう行けるはずもない。

 多くはTenkoの家の近くの小さな神社に行く。
社殿とこの前に置かれた賽銭箱はなにやらくたびれ感が漂う、脇の社務所らしき造作にも人影を見たこともない。

 体育教師にボコボコにされた時、そのあまりの激しさに殆んど反射的に外の廊下に設えてある水道まで走り、ハンカチを濡らしシップしてくれたのが、対対の最初の出会いと言えば出会いである。
しかしその行為はoldboy-elegy君だからどうのとは一切関係はなかったのである。

 大学に行く気はTenko、全くない。
第一今以上勉強するなど考えもしないし、これ以上、何を勉強するのか見当もつかないのである。
「もともと勉強、嫌いやし、折角試験も無くなんのに、なんで好き好んで・・」の心境らしい。
「それに私、年の離れた弟も居るから、そのぶん早く社会に出て働いたほうが自然やし、うち自身の値打ちも出るはずやと思うんよ」

 「それよりあんたこそどうなんよ?」
Tenkoには大方の自分の家の事情は話している。
母親の戸籍に入籍、いわゆる私生児、小学途中入学、保護者は母、義理の兄貴二人の存在、実は先妻と言うのか現妻言うのか知らないがもう一人男の子(3男)を連れていたのである。
oldboy-elegy君、このことは随分後に知ったことである、
一瞬驚きはしたが、すぐに「さも有りなんの心境」に解脱。
両親はこれらのことで時折いさかいをするが当人のoldboy-elegy君、全く気にしていないのである。
いくら気にしても、これらの属性が消えて無くなるものでもない、なら当然の事として受け入れるべきだし愚痴ってもどうしょうもないのである。

 Tenko、これらの事を、黒目勝ちの目を見開き、驚きはしているが何処か楽し気に聞いているのである。

 ここ神社の木立、藪の間からTenkoの住む小ぎれいなアパートが見える。
お母さんが出てきてなにやら自分達におらんでいらしゃる。
「コーヒー淹れるから帰ってこい、って」とTenko。


 修学旅行は150人ずつ3班に分かれた。
行先はそれぞれ違っている。
ここで運よくと言うのかまたまたと言うべきかTenkoと同コースとなったのである。

 集合は夜遅くに、大阪港天保山埠頭 関西汽船乗り場である。
船は大阪から神戸に寄港、やがて小さな明かりが漆黒の闇の奥に点在するのみである。

 甲板デッキから船室への途中でTenkoと出会う。
「ようTenko どこ行くんや」
「なにを言うてんの、あんた探してたんや」
「俺もさっきからTenkoさがしていたんや、デッキに出よか、ちょっと寒いかもしれんけど」
「カーデガンとってくるわ、ここで待っといて」

 「へ~あんた革靴履いてるんや、ハーフコートも羽織って、もう大人の恰好やな」とTenko。
甲板は結構、風が強く流れている、oldboy-elegy君学帽を押さえながら、
「学生帽と革靴がなんか自分的に違和感あるんよ、これらあの門松のアルバイトのおかげやから」、と照れ気味のoldboy-elegy君。


甲板の手すりに結構多くの自高生の顔が見える、その多くはカップルである。
「門松、母さんすごく喜んでたんよ、ヤクザのお下がりやて事情教えたら、世の中想像もつかんアルバイトあるんやなと、げらげら笑ってはったわ」
「甲板の後ろの方行ってみよか、ここ風が強いし」 
船尾のベンチはすでに満席状態。
壁を背もたれにして甲板に引いたタオルに腰を下ろす。
今想い出した、当時ハンカチ替わりに白のタオルを持ち歩く学生が結構いたのである。
いわゆるバンカラ気風の強い奴など腰のベルトの後ろにタオルをぶら下げているのもいた。
さすがにoldboy-elegy君、そんな気風ではない。

「中二の6、7月ごろからか長いな、体育の山本先生にボコボコにかまされ、さすがに半泣き状態になったは、あんときTenkoに濡れたハンカチで頭冷やしてもろたな、あの思い出だけで10年は生きられる気がするわ」
と、チョット遠くを見る目。

「なにを大げさな、チョット寒いわ、コートに入れて」とTenko。
風が少し弱った分だけ小声でもよく聞き取れる。
「私らちょっと早く出会ってしまった、子供のままに、そう思うんよ」と真剣な表情のTenko。
「なんだろうな俺達、絶対恋人ではないよな、そやけどたんなる友達でも絶対ないよな」とoldboy-elegy君。
「あんた、私のnaked想像したことある?」
「ネイキッドってなんや?」
「あんたnakedも知らんのに!大学行くつもりなん?」
「通ればの話しや、自分でもどうなるか分からへん」
「あんた折角こう言う時、ムードなしやな、女の私が思い切って聞いてるやんで、スペル間違ったら嫌やから、あんた調べてみ、意味はな、裸 や、もう味も素っ気もあらへん」
「!!??!!そう言うたら、いま気が付いたは、考えた事あらへんかったな・・・」
「そうやろなそう思うは、その気持ちがうちに以心伝心に伝わっていたんよ」
「それにもう一つ、あんた童貞?」とコートの中から黒眼が光る」
oldboy-elegy君のたてた膝にKenkoの胸が乗っかってくる。
「それが自分でもよく判らへんのや、父親の紹介で鶴橋の国際マーケットの魚屋で年末1週間ほどアルバイトに行った時に・・」
Tenko「あんたの出来事アルバイトがらみが多いな」とちゃちゃ。
きお取り直して喋り出すと「分かったもういいわ」Tenko。
「あんた困らしても、かわいそうや、もう何も質問しない」と言いながら「最初で最後、キスして」と真顔。

 コートで2人の体と顔を包みなおし、ポテットした厚めの下唇にユックリとあてるだけのギコチナイ数秒ほどのそれであった。

 「Tenko,お前この学校では恋人できへんぞ、あそこのベンチの〇〇子と〇〇雄コッチ見とったぞ」
「バカ言わんといて、どうでもええわ」とTenko。


 そろそろ「船室に戻ろか、階段横の売店でコーヒー売ってたわ、あれ飲んで温まろ」


 Tenkoが俺のコートから出た時石鹸のかすかな匂いが立ち上がってきたのを今でも憶えている。
Tenkoとは高校卒業後一度も会ってない。

 oldboy-elegy君、大学二回生の時、あの神社脇のアパートに行ったことがある、しかし表札は違っていた。
そんな予感はしていた。



             了
         
             oldboy-elegy

 いつも通りラフのまま投稿、今回大阪弁と言うのか河内弁かは知らないが多用している。
慣れない方には少し読みづらいかも知れない。

 推敲、校正をゆっくりやっていく、だんだん読みやすくなると思う。





 

 

 

 

 


 


  

 






 

 

 



 




 

 



 

 

 

 

oldboy-elegy君 初めて社会に出て働き始めたころのお話 ・ 10か月の現場研修と工場労務課でのこと。

f:id:oldboy-elegy:20190711034105p:plain

長期の貧乏旅行から帰ってきた時、飼い犬の(ホス)に自分だとすぐに認めてもらえなかったのが心外であった。


 昔は良かった」式の記事を書くつもりは全くない。
ただoldboy-elegy君が新米社員として働きだした頃(約半世紀前)と比べて今、何が、どう進歩したのかを見るのも面白い。
ただ便利さの発達が文明とするなら恐ろしいほどの変化である。
反対に文化的要素に必要なある種の(無駄?)余裕(自由度とも言える)などが文明(インターネット、スマートホン、これからのAIの発達)により少しずつ削り取られていくようにoldboy-elegy君、感じてしまうのだが、どうだろう。
結局、文化とは人間が感じる(幸せ)感覚かも知れないと思うのだが?。

 結論は出さず、見たもの、体験したことを論評を加えず淡々と書きたい。
全てが昭和のアナログ的幻影の中での風景である。


 ただ彼の経験も限らた枠の中の小さな世界での現実でしかない。
なにかを示唆するものではない、ただそんな時代だったとelegy(哀感)を感じていただければ、このブログは半ば成功したも同然と思う。


 
 
大学4回生(関西風の呼び方)の夏休み近く、oldboy-elegy君いまだに就職先決まらず。
決まるも決まらないも当然、就職試験なるもの1社も受けた事がないのである。
「ああ~じゃまくさいなあ~」の気持ちが優先しているのである。
こんな業界、給料は、労働環境は、このためこんな勉強をしてきたなど考えもつかない不良分子である。
今ならこんなフトドキものは「即死刑」に値する。
母子してずっと貧乏してきた割には相当のノー天気野郎である。

 oldboy-elegy君、今、頭の中にある思わくは就職の事ではない、学生生活最後の夏休みをどう過ごそうか、の思いのみである。
一時、留年も 考えたが家や母の事を考えればこれは出来ない相談だと撤回。
そこで閃いたのが夏休み中の(長期貧乏旅行)のことである。

  「よし決めた、半月ほど何処かに旅に出よう!!。そしてこれを踏ん切りに冬休みまでにどこでもいいから就職を決めてしまおう」
これが彼のめったにしない「一大決心」の図である。


 塾のほうにはありていを正直に話し20日間の休暇を快諾?してもらっている。
その上餞別として5000円いただいたのである。
「年末賞与(ボーナス)先渡しでな、土産いらんよ」と塾長のお言葉である。
旅の話はここでの趣旨から外れるのでまた何時か記事にしても良いと思っている。
そこそこの距離を無料で乗せてもらったタクシーの話、旅館の布団部屋で一緒になった山梨の女子大生など、いろいろあった。
ただ帰って来た時、飼い犬の(ホス)に自分だとはすぐには認めて貰えなかったのが心外であった。
因みにホスの名は、当時、放映されていたアメリカ西部劇ドラマ「ボナンザ、カートライト兄弟」の次男か三男かの名からoldboy-elegy君の妹が拝借し、名付けたのである。
晩年の犬の「ホス」は映画のホス役通り「太っちょ犬」に変身。


 どうした訳か彼の通う大学の夏季試験は7月を目一杯使い実施される。
他の大学の事情は良くは知らないが、多くの場合7月の中旬には夏休みに入り、前期の試験は9,10月に行われるとの話である。

 oldboy-elegy君、早秋の頃には珍しくその姿をキャンパスに見ることができた。
就職課の通路の掲示板をのぞきに来たのである。
彼にしては珍しく本気に見えるが、どうであろう。
しかし内心「やだな~、いやだな~、じゃまくさいな~」が本音であるのは変わらない。

 そんな中、先週から見ている募集案内が気にかかる。
従業員数700人弱(現業員・工場労働者を含む)、資本金1億弱、業態は繊維メーカー他)、どうも同族経営の会社らしい、会社の名が社長と同じ、設立年から見れば2代目いや3代目かなと推察。
出世、本当に本当、考えた事もない、oldboy-elegy君らしく自然体で生存できたらokぐらいにしか思ってない。

 そのまま就職課の事務所に入り、簡単な推薦状と卒業見込み書を貰い会社に送付、
そして今日が入社試験の日である。

 それでも工業高校、高専、大学、合わせて約20人ほど、東京の大学生も数人、これらは関西出身の人らしい。

※上記の高専の設立年などを考慮すると存在が疑わしいと思う。記2019・7・18このまま消去することに後ろめたさを感じるのでこのような方法で訂正さしていただく。


試験は作文と面接の二つだけである。
oldboy-elegy君気に入った事が、それは作文の表題が自由であったことである。
内容はむしろ仕事のことなどから離れてくれたほうが良いとのこと。
おそらく内容も当然だが、むしろ誤字、脱字、文章の脈絡及び文章力重視だなと想像する。

 書いた作文の事は今でも覚えている。
「為政者が使う言葉、美しい国美しい国土、美しい人々にご注意!!」これがお題である。
内容は為政者に真っ向反論の内容である。
まあ、これで落とされるな、と想像するに難くない。

基本oldboy-elegy君融通が利かない人である。

 これで落ちればある意味納得、通れば子供扱いされたも同然であり、それも寝ざめが悪い。

 それがどっこい受かってしまったのである。
あなたはまだ青い青いと言われている感じがしたものである。
「いや~大人の世界って」な感じで妙に気に入ってしまう、単純なoldboy-elegy君であった。

 入社日がなんと4月の中旬、大学の友人たちはすべて3月中に初出社、少し不安を感じるぐらいおそい出社日である。
おまけに研修期間がおよそ10か月、配属は来年だそうな、またまた戦力外通報。
なに故10か月も研修を、大企業でもあるまいし、と思ったのだがやがてその実態が判明。


 各事業所、2つの工場、本社を含む支店営業所の全て回るのである。
大卒の新入社員は原則一人ずつ、工場などでは全員が一緒になることもある。

 ここで思ってもいなかった工場労務課での研修内容を幾つか紹介しょう。

 工場労務課研修での話 NO.1

  実は研修期間中、ここでの研修が一番興味深かったし記憶に残った物であった。

労務課長や課員の下での研修である。
この工場には約400人前後の女工さんが勤務していてそのうち約半数が工場内の寮住まいである。

 基本的に朝は座学で午後は実習と言う事になっていたが、初日から予定変更、各寮棟の屋上の物干し場のロープの張替えをする事になっているらしい。
工場の機械関係の部門から男性2人、借りての作業となる。
あとロープだけでなく、屋根部分にある波板の取り付け部分の保守強化や気が付いた部分の修理など、結局午前中いっぱいの作業となった。

 課員のYさんの話、「この作業中なにか気が付いた事ある?」との質問にみんなキョトン顔「??」。
そこでYさん「今日は天気も良いし洗濯日和でしょ」と誘導の言葉。
「そういえば洗濯物が一枚もかかってなかったな」とだれか。
「そうこの作業の日程は一週間前に女工さんの代表者さんと綿密に相談されていて、今日は洗濯、物干し禁止日なんよ」とYさん。
満艦飾の女子の洗濯物が干されている場所に入ることは問題だからね、それに各寮役員を通じて広報したほうが自分達のこととして徹底されるでしょう。

 oldboy-elegy君何故か妙に納得、「一生寮監でもいいかな」の思いがチラチラ。
すぐに気が変わるのが彼の特性、ほんに軽いやつ。
なにより(400人の若い女性が)の思いが心の奥底に存在しているのではなかろうか。
数字で追われる職場より俺向きかも。
誰かが「この労務課も新人補充の希望を申請します?」
「いやー、それは知らないよ、マッチングの問題かな、君たちの誰かがここを希望することが出発点で、それからは本社の考え次第、」との事。
「まあ憶測でものを言ったらダメなんだろうが、会社としては、非生産部門に大事な新入社員を回す余裕など、どうだろう無いのと違う」とYさん。
内心すこしがっかりのoldboy-elegy君。


工場労務課研修での話NO.2

  「去年の今頃は大変だった」と課員のYさん、少し遠くを見る目。
「じつはここの女子入寮者の内20人チョットが近くの夜間高校に通学しているのだわ、ある日屋上の物干し場に夜間高校の制服が4着が足で踏みにじられ、側溝に捨てられると言う事件があったのよ、ま~起こるべきして起こった事だわな、結局犯人は分からず、労務課としても一生懸命に犯人捜しした訳でもないのよ、以後寮役員、高校通学生、労務課、時折工場長も出席しての話し合い、計5,6回ぐらいやったかな。
始めは相当険悪状態だったのが少しづつ双方ほぐれていって、最後に犯人捜しもしないまま「手打ち式」に、労務課としてはこの席ではほとんど聞き手に回ったのが良かったと言うより、これしかなかったのよ」とYさんしんみり。


工場労務課研修での話NO.3

労務課員のYさんからの頼まれ仕事で、正式な実習とは違う。
「oldboy-elegyさん、今度の土、日、予定あるの?」
「特別にはありませんが、何か?」
「×××県の○○へ出張なのよ課長も一緒に一泊で、勿論経費は会社もち、日当も多くはないが出るよ」
「???」と彼。
「先に言っておくわ、馬力、荷物運びなんよ、この話勿論課長も了解得てあるし」
「それなら僕より腕っぷしの強そうなやつが~」と言いながら「分かりました、私で良けりゃお手伝いさせてもらいます」と前言を翻し了解する彼。

 荷物の中身は、写真、手紙、会社からのお土産、金一封、などなど、これらはなんのための物か、判る?
感の良い読者諸兄なら解りますよね。

 現地ではすでに幻灯機や8ミリ映写機などが手当てされているんだとか。
九州離島の〇〇と中国地方の〇〇には、この会社の労務出張所が置かれているとの事。
つまり女工さん勧誘の為の最前線基地なのである。

 しかしこれらは会社の労務出張所ではあるのだが看板を掲げ会社の人間が常駐しているわけでもない。
多くは、土地の教育関係の名士(退職した元校長や教頭)などの人脈を通じて情報を得、勧誘していただくのである。
なにやら危なっかしい話であるが、もし会社のマイナス情報があれば現地で広がり、人員の確保は難しくなり、また地元名士の肩書も地に落ちることになる。

 ただ近年、日本経済が活況を呈すればするほどに、こう言う形での人員確保は難しくなりつつある。
oldboy-elegy君、おそらく学校におれば、この様な現実を知らないまま、目にすることもなくノー天気に過ごしていたのだろう。

 これでお分かりになったと思う。
そう年に一度、温泉旅館へ近辺出身の女工さん達の親、兄妹等、近親者を招きちょっとした宴会を開き、会社は預かっている娘さん達の近況報告をするのがこの場の趣旨でもある。

 当日、親、兄弟、じっちゃん、ばっちゃんからはたまた親戚と称する人たち50人以上の縁者が集まり盛況であった。
有名でもない我々の会社、でも真心と誠意でもって貴方たちの娘さん、お姉ちゃん、お孫さんを預かっていますよ、と言う口コミ期待のアピールなのであるそうな。

労務課員のYさん大忙し、持参したアルバムから我が娘の写真見つけて、焼き回しのリクエストの照合とメモに追われている。

 Yさん「まずは寮生なら多分写真を見ればどこの誰それと言えるはず、と胸を張る。
もうこうなれば、利潤追求の為の会社組織ではあるが、今の彼はそのことを超越している、ある意味幸せな御仁である。
しかしその強い思い入れのため、その人たちと会社との間での軋轢に苦悩することもあろう事は想像に難くない。
このことの話はYさんとはしていない。

 それはそれ、今は汗をかきかき親御さん達の写真のリクエストに応じるYさんを見てoldboy-elegy君、少し目頭が熱くなる。
こう言うことにはoldboy-elegy君すこぶる多感である。

工場労務課研修での話 最終話 NO.4

 毎月25日は給料日である。
銀行振込ではない、明細書とともに現金の手渡しで、受領印を給料台帳に捺印してもらう義務がある。
この日に限って工場の門外で起こる定番の現象がある。
これが推察できれば大した人である。
4,50人はいただろう、人の群れである。
年代は千差万別、母親らしき女に手を引かれた幼児もいる。
チンピラ風のあんちゃんもいる。
その風体は千差万別である。
  
工場の終業のサイレンがなると、門外の群衆がこれを合図に門前に移動する。

 ここに集まる人たちは、ほぼ寮生とは関係はない、通勤する女工さん達の関係者たちである。
わざわざここに来なくとも、彼女の家なり、アパートに行けば良いのにと思うが、そこがそれチョットばかり訳アリでそれぞれ事情違うのである。
なかにはここの方が都合が良く便利な人もいるだろうが、大部分の人たちは女工さん達からすれば会いたくない存在なのである。
ならば工場の門前で待ち受けるのが最善の方法である。
時間も場所もここならはっきりしているし逃す訳もない、そう逃れようがないのである。

 女工さん達の給料をあてにイクバクかのお金を無心に来た人たちなのである。
やがて頑丈な鉄骨で作られた門扉がしまる。
出入りは門衛所の脇の小さな出入り口だけである。
ただ門扉も人が出入りできないだけで内、外は丸見えである。

 ところどころで大きな声での罵り合いが始まる。
これを門内の衛所脇からじっと心配そうに眺めている人がいる。
労務課員のYさんである。


         あとがき
 研修はこの後も延々と続く、そして配属と配属先、そして労働内容(時間外労働も含む) など機会があれば記事にしてみたい。


最後に驚いた事、営業職など、タイムカードなし、課長の机上の出欠簿に認め印のみ、それも女性事務員に三文判を預けて俺の代理で押印してくれる、良いか悪いかは別。
組合は二つの上部団体に加入?
営業職も時間外労働は基本禁止、時間になると照明が落とされる、どうしても必要なら、上司に申請許諾を受ける。
30分毎に時間外手当が支給されていたことにも驚き、この程度の中小企業としてはマアマアの待遇ではなかったろうか。
半世紀経ての今と比較しても通用するのではないのか。
世間知らずのoldboy-elegy君としては文句はないが、世間の一般会社の事は知らない。




 



              了

             oldboy-elegy

いつもどうりラフのままUPする。
ユックリと誤字脱字や文面の校正をしていく。
基本PCの技術に自信がないのである。
公開する前にあれこれ手を入れている間に迷宮に飛ばさるのではと考えてしまう。
それならいっそ恥を忍んで公開して、安定の心境を得たいのである。




  




 


 

 

 

 

 



 








 



 


 

 

 

 





 


 



 

 

 


 


 

 






(雑感・雑記 NO.3)テレビニュースから拾った無駄話。始めニッコリやがて考え込む 。by oldboy-elegy

 

 

 

 

f:id:oldboy-elegy:20190623235519p:plain

 
 最初に少し愚痴らせていただく。
ブログの事とは関係はない。
自分の健康とか体調のことである。

 重大な疾患が発覚したとかではないが、あちこちの部品がすこぶる機能ダウンしてきて不快この上ない。

 とくに目である。

少し前からブログを書いている、興に入れば夜中の2時3時までも厭わずヘタクソなキーボードをたたいている。
その大事な目がここの所どうもいかぬ。
医者が言うには「目を動かす筋肉が老化傾向にあり瞼が下がり、まつ毛が逆まつ毛状態になって眼球にあたっている」のが「不快の原因」だそうな。
この説明、理にかなっていることが誠に腹ただしい。

 そこで、このての手術の得意な形成外科医の紹介をもらい来月早々に手術を受けることにした。
入院も術後の眼帯も必要ではないとのこと。
亡き母に言わせれば「生きている証拠」と仰ること、確実である。

 しょうもない事での「前置き」ゴメンナサイ。
画像のイラスト、本文記事とイメージが重なるので拝借した。
女性でなく男性があかちゃんのおむつの交換をしているところがミソ。
この画像を頭の隅でも置いて以下読み進めていただきたい。
(フリー素材・イラストやさん)にまずは感謝。


 世の人々の物事に対する考えは千差万別、すべて比率(ratio)の問題に帰結すると思う。
白から黒まで、黒から白までの間の色(例 グレイ等)は人の数だけ存在する。
近い色の人同士がグループを作るが、厳密に言えば人である以上完全な同色などあり得ないのである、そこがまた人の世の面白さかもしれない。

 ブログを書くためにoldboy-elegy君、windows10のone noteをメモ帳替わりに使わししていただいている。
そこに毎日のチョットした気づきやアイデアなどを書き溜めている。
この中の一つが今回の記事である。

 


 先日、ブログを書く上でのIT技術のヘルプ情報(oldboy-elegyのPC技術はクソ)をあさっていたのだが、こんな方がおられた。
いきなり「パソコンの基本中の基本の第一番はタイピングだ、それも速さとタッチタイプ(ブラインド・タイピン)」と。
ある意味oldboy-elegy君にとっても分からないことでもないが少し異論がある。
この方の視野の狭小さが気にかかる。
oldboy-elegy君など、左手に顎をのせ、頭に浮かぶ拙い文を右手のヒトサシ指一本でポツリポツリと書いている。(自分のブログのどこかで五月雨式と表現している)
まず最初に数行文章を付け加えるだけでアナタへの賛同者の比率(ratio)を増やせるのにと思ってしまう。

 彼は若者やIT技術者を目指す人など特定域の人たちしか目に入っていないのかも知れない。
それならば、記事の冒頭で「ここはIT技術者またはそれに準ずる人のためのコーナーですよ」と断りを入れるのが道理であり、親切と言うものであろう。


 全ての人が「まずPCありき」の生活を送っているわけでもない。
PCも人間が使う「道具」の一つであり、ある程度の習熟度で事足りる人の割合(ratio)が大多数だと考えるがどうであろう。



 洋画などによく見る、老眼鏡を鼻眼鏡にかけ、両手のヒトサシ指のみで、それでも結構早くタイピングをしておいでになる初老(主人公)の人がいる、好きなシーンでもある。
このような方もまたIT技術の恩恵を享受されておいでになるのである。
この人が必要とする技術の習熟度でもPCが立派に機能し、役にたっていることを考えるなら、それこそが「すごい事」なのだと思う。
100%の機能のうち、数パーセントを知っているだけでもPCはその人なりに機能する便利な道具である。

 結局、黒の人が白を、白の人が黒を取り込むことは不可能である。
不可能であるなら、あなたの立ち位置の許せる範囲を想定して割合(ratio)を最大化を図り賛同者を増やすのが良いのではと思っている。


 結局、oldboy-elegy君、彼の冒頭の文のみ読み、それ以下資格がない(タイピング能力ゼロ)ので即退散。
またまた脱線状態、本文に入る。


★ ユーモア賞?「聞いてニッコリ、少しクスクス」
  有名な関西の私立大学の新入生歓迎のオリエンテーション会場でのことである。
たまたま関西の人気民放の取材チーム1社が会場に入って、多くの運動部や文系の部が新入生の列の脇にテントの花道を作り勧誘合戦を繰り広げているのを取材しょうとしていたのであろう。

 華やかで楽しげな光景が映し出されている。
そこでマイクが拾った言葉がこうである。
「おい大学ってサンガク部なんてあんのかよ、男でも入部okなん?」
「お前なに考えてん?」これだけである。

 彼は「サンガク」を「産学」と理解したようである。
つまり「山岳部」を「産学部」あかちゃんを産むことを学ぶ部と想像したようである。
近頃はやりの「産学連携」とは考えにくい、なぜなら「産学連携部」なる部名など聞いた事がない。
また役所の中にそんな部署がoldboy-elegy君の知らぬまに創設されたのかは知らない。

 これが放映されたのは偶然か、わかっていて流したのかも分からない。
でも、そこだけを切り取り放映されたものでもない。
気づかない視聴者がほとんどだったろうと思うが、果たしてどうか。

 じつはこれ、そこそこ以前の話であり、思い出したのでone noteに記録したものである。

 当時は可笑しく、面白く感じたものだったのだが、今では少し事情が変わってきているのである.

往年(oldboy-elegy君の学生時代)の山岳部は文字通り山登りをするための部活、一択である。
20kg~30kgになんなんとするリュックを背負いもくもくと歩き、難所高所を技術や気力で目指すのである、ある意味、禅の修行僧のようでもある。
ときおり、創部100周年記念とかではるかエベレストとかK2を目指す晴れ舞台もあるが自分が在学中に企画される保証はない、たとえあったとしても登山訓練以外に費用集めやアルバイトが待ち受けていて果ては留年も覚悟しなければの局面もありうる。


 今このような大学山岳部に誰が好んで入る?山の好きな人は大勢いるが多少とも事情を知るものなら避けてしまうのが普通であり誰も非難できない。
山岳部以外に登山部、探検部、ワンダーホーゲル部、ハイキング部など自分の希望する山登りクラブは他にいろいろある

 大学山岳部は今どこも人材難で部員数確保が喫緊の問題でもあるらしい。
数人の部員でかろうじて命脈をつないでいる大学山岳部もあると言う。

 oldboy-elegy君ここでふと考えこんでしまった。
「ヒョットしたら産学部を発想した彼のほうが山岳部を当然と考えたoldboy君より現代的で、より時代性を如実に表しているのでは?」と。

 oldboy-elegy君がまだ学生であったころ「サンガク」は「山岳」であり「山岳部」以外考えにくい言葉であったがどうであろう。


 ゆえに、このニュースに接し、思わず「にやにや」したり「くすっと」笑い、少し和んだ自分がいたのである。

 しかしこの「令和」の時代、ひょっとしたら笑えぬことかもしれぬ。

 つい先日、東京大学の「上野千鶴子」先生の入学式の祝辞が評判になっていたが、この先生の研究のフィールドが女性学やジェンダー論なのである。
さあそこでだ、この先生のお話の中にもし「サンガク」の言葉が出て来るなら「山岳」より「産学」のほうが自然で適切ではないのかと思うのだがどうだろう。 

 上野先生の「女性学」の中の一分野に「産学部」はともかく「産学」なる文言があっても可笑しくもないし極自然に聞こえる。

 従って冒頭の新入生の言葉「大学って産学部ってあんのかよ?」も、特別おかしなことでない時代なのかも知れぬ。

 一つの言葉でも時代が変われば変化していくのは当然の事なのだ。
世の中の国語辞書などの有名どころは10年程度で改定するらしい。

 oldboy-elegy 君の頭を占領していた「サンガクブ」の99%は「山岳部」である。
辞書でも10年で改定されるのに、半世紀以上を優に生きてきた彼の常識もどんどん改定さればならない。


 結論     今日から「サンガクと聞くと、山岳ですか?、それとも産学?と聞き直すことにする」



                 了
             
               by oldboy-elegy

 


 





 


  

 

 







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 


 

 

 

 

(雑感・雑記 No.2)  エアー・タバコで禁煙中、もう2年になります。 by oldboy-elegy

 

f:id:oldboy-elegy:20190822083643j:plain

  

 タイトルは「禁煙中」となっております。
「禁煙しました」とはoldboy-elegy君口が裂けても言えません。
考えてもみなさい、一日30本前後、ほぼ半世紀近くの実績を積んだ習慣で、ございます。
こんな人が、ある日を境に「タバコをやめました」「禁煙しました」など言えません。
それから後の人生はたとえ死ぬまで吸わなくても「禁煙中です」と言うのが正しい表現だと思うのですが、どうでしょうか。

行き当たりバッタリに生存し、何も身に付かなった自分に、唯一寄り添ってくれたものが喫煙の習慣なのです。
それゆえ、手の平を反したように、喫煙中の人やタバコの事を足蹴ざまにののしることは出来ないのがoldboy-elegy君なのです。

 
 そもそも「エアー・タバコ」とはなんぞや?
普段ブログを書くために積極的に検索することを嫌うoldboy-elegy君心配になりググってみました。
びっくり、いくつかあったのです、「この記事ボツか!がっくり」。

 ここで気を取り直し、一つ一つ読むことに。
読んで良かった、彼の言う意味での「エアー・タバコ」は見つかりませんでした。
ほとんど商業主義的記事でして、このまま意を強くして書きたいと思います。
ではでは。

 シャベル(スコップ)や座敷箒を手にエレキギターを疑似演奏、または何も持たなくともその気になりきる奏者?の本気度とそのパフォーマンスをエアーギター(エアーエレキ)などと言うらしいのだが、それで解説OKかな?


  およそ2年前の春先、oldboy-elegy君ひどい風邪を召され、熱、頭痛、くしゃみ、せき、おまけに腰痛まで発症、いわゆる「風邪のデパート」状態で一週間ほど寝込んでしまったことがありました。

 近くのクリニックにて受診、投薬と安静、そしてもう一つ「タバコの吸引の厳禁」を言い渡されたのが、そもそもの始まりです。
この時の「強制禁煙」の宣告も、こちらヨレヨレ状態でのもので深く考えず「ご無理ごもっとも」と有難くお受けしたのです。

 もともと禁煙目的の「禁煙」ではなく「重度の風邪」を早期に治すのが趣旨のものです。
さあ三日たち、四日たち、日毎に体調がよくなってきます。

「????!!!!」そう,その日まですっかりタバコのこと失念していたのです。
こんなこと初めての事です。
考えようでは、それだけ歳をとったと言うことかもしれません。
病気発症から1週間ほど経ち、もう1・2日待ってそれから喫煙を再開しょうかと思っていた矢先のことです。
またもや「!!!???」の状態に気がついたのです。
いつもの「のどのイガイガ状態」がほとんどないのです。
oldboy-elegy君これには「ビックリ桃ノ木山椒の木」状態でした。

 何かで読んだ記憶があるのですが、ニコチンかタールかは忘れましたが、これらは10日から1っか月もすれば体内から除去され排出されるそうです。

 ひょっとしたらこれが要因で喉のイガイガがとれたの?、と疑心暗鬼の状態です。
ならもうちょっとタバコの再開を延ばしてやれ、いつでも吸える。

 これならこのまま禁煙に持ち込めるかもと期待していたのですが、実際はそんなに甘くありませんでした。
「そうは問屋は卸さない」とはこの事のようです。
「ここへきて禁断症状のお出ましです」

 タバコ吸いたいの気持ちが体内から来るものより、一連の喫煙の仕草、動作から来ているように感じたのです。

 Caster5(Winston),この銘柄が愛用と言うわけでもありませんが、その時その時適当に買っていたのです。
1箱を手に取り、取り出し口を作り、ゆっくりと1本を抜き取る、次に左手人差し指と中指の第一関節あたりで軽くはさみ100円ライターで火をつける、この動作です。

 もともとoldboy-elegy君タバコの煙を肺一杯に深く吸い込みユックリはくタイプのスモーカーではありません。
喉の奥あたりで止めて吐く、この点、もともと疑似ヘビースモーカーだったのかしれません。

 尾籠な話で申し訳ないないのだが、このところ鼻汁や鼻くそがやけに綺麗になってきている。
鼻をかんでも、ほじっても、今では鼻毛に溜まった黒っぽいものが無くなり、見た目が全然違うのです。
これも禁煙中を志す動機の一つです。

 つまるところ、彼は疑似ヘビースモーカーで、軽く吸い、すぐに鼻や口から出すタイプの人だったと思うのです。
もう一つ言うならば「アア~旨いなこの一服!」と味を感じたことはこれまで無いように思うのです。

 ならば何が彼をここまでのタバコ吸いにしたのでしょうか。
そうoldboy-elegy君にとっての喫煙とは、タバコのニコチンを吸う事より、その一連の動作が長年つもりに積って習慣化したものと判断したほうが良いのかもしれません。

 禁煙10日あたりでまた違った禁断症状が出てきたのです。
手の震えです。
それは指先がブルブル震えるものではなく、時折ピクとぴくつく程度ですが。


 この症状が自分ではニコチンによる禁断症状とは到底思えません。

 ここまできてハット気がついたのです。
長年積み上げてきたヘビー喫煙者の動作と気分を満足させる方法とは、そうこれしかありません、実際のタバコを指に挟みタバコに火をつけずに吸うのです。 
そう「エアータバコ」の基本的概念です。
今日から禁煙だあ~とか、周りの喫煙に関するものすべて廃棄せよ~とかはかえって自身に知らず知らずのうちに強いプレレッシャーを与えてしまいます。
この状態は「タバコと言う名の物を吸っているが、煙草(けむりぐさ)は吸っていない」ことになります。

 もう一つ、エアー・タバコ実践中のアナタを癒す効能があるのです。
タバコの葉のかすかな匂いと香料があなたの鼻腔をくすぐり「禁煙実行中」の看板をあげていることを忘れさしてくれるのです。(oldboy-elegy君の経験から)

 マアー、気楽に吸いましょうよ、ただし「火を付けないエアータバコで」


 
 それから約2年「エアータバコ」を実践中です、たばこに火を付けたことはありません。
手のピクピクも収まり、綺麗な洟垂れおっさんを続けています。
彼の場合、喫煙の夢も見ることは無いようです。
この考えがすべての人に効果があるとは思いませんが人により一定の効果はあるように思います。

 ただし実践する場合は自己責任と言うことでお願いします。 
  

(追記)

一本のたばこを火を付けず使用する場合、フィルターとタバコの葉の境界部分が少しよごれたり、水分を含んで折れやすくなります。この時が替え時です。
湿度などもろもろの条件で多少時間差ができます。
普通ひと月1~2箱です、自分の場合1箱で間に合っています。

(発展技) タバコ購入時、なるべくフィルター部分の長いものがベターです。
多少折れにくいのと、最後捨てる時にフィルター部分のみ取っておくのも妙案です。
なぜならこの記事のお題は「エアータバコ」です、フィルターに横から爪楊枝を指しても「エアータバコ」として通用します。
外出時はやめましょう、家で一人ブログを書いている時など特に有効です。
理由?人目に恰好悪すぎます。
少々話が貧乏臭くなりましたが。

最後にお願い
 もしあなたが禁煙継続中に成功したなら、あなたのそばの喫煙者を邪険にしないで欲しいものです。
その方たちは昨日までのあなたの姿です。
間違ってもその喫煙者の前で煙を追いやる仕草などしないで、そっとその場から離れましょう。

                            了
               By oldboy-elegy   

いつもどうりラフのまま投稿、誤字、脱字、文の脈絡などおかしなところは後日鋭意校正致します。
  







 

 





 
   



 

 


 


 
 

 




 




 

 

By oldboy-elegy  サトウキビ、開聞岳、温泉、谷底の小川と「ルノアールの裸婦像」、軽石と一升瓶そしておばば

 oldboy-elegy君、おじいさん、おばあさん、などの親等間の呼び名が大の苦手。
なぜなら、母、父、僕の妹、そして父親の二人の子(義兄)以外近親者を誰一人として知らない.
かろうじて母の母、おばばも「この人があなたのおばあさんよ」とハッキリ紹介されたこともない。
それゆえかどうか親等間の関係を実在の人を想定して考えることができいないのである。
小説を
読んでいる時など、ちょっとややこしい親等関係が出てくるとメモ用紙に鉛筆片手に図解して初めて「ふふ~ん」と言った感じである。
お前があほうなのだ、とは決して言わないで欲しいがどうであろう。by oldboy-elegy
 

f:id:oldboy-elegy:20190603213002j:plainこのイラストの植物の名わかります?
そうです、サトウキビです。
鹿児島では「トウキビ」単に「きび」でも通用します。
このイラストではまだ青々していますが、天日干しし、束ねたものがいくつか土間の脇に積まれていたのを覚えています。


 



 「ほれっ!」とおばばがサトウキビの束からまるまる1本取り出し根っこの部分を鎌で払い投げよこすのである。
おやつである。
oldboy君これを担ぎ、穂先を引きずりながら土間から外に飛び出すのである。
しかし、こんな楽し気な時でも彼は母の姿から目を離すことはなかったように思う。
なぜなら、彼は常に母に対するある種の不安を胸に抱えていたのである。
その不安とは「母が自分をこの家に置いたまま何処かに行ってしまう」この一点でした。


 この辺りはシラス台地(火山灰台地)の南縁部にあたり、開聞岳が半分太平洋に沈むように屹立している姿は薩摩富士とも称されています。

 oldboy-elegy君の今いる家はそのすそ野にあり、山に近すぎるのか、ここからの山容は記憶にはない。
この家がはたして母の実家だったのかどうか、サトウキビのおばばが母の母だったのかどうかも判然としない。
それに不思議なことに、この家での記憶に、おばば以外の人の姿や気配が一切なかったように思う。

 ひょっとしたら、何回か母に連られてこの地に来て、断片的な記憶が何回も上書きされたのではと思うこともあるが、それもはっきりとしない。
oldboy君、5,6歳の頃の話のはずである。

 今に思えばシラスの台地での暮らしは大変なようでした。
電気は通っていたようだが、水道はなかった。
標高20~30Mの緩やかな丘のような連なりの火山灰台地で井戸を掘っても水は出ない。

   ただ幸運なことに、部落と山との境界の谷底に一筋の清流が流れていたのである。
その流れは、火山灰台地の縁部から解放されるとすぐに大海原へと姿を消してしまう運命でもある。


 母のこの家での一番重要な仕事、分かります?
朝夕の水くみ、水運びなのです。
あの谷底の小川までの行き帰り、相当の重労働である。
畑の中の狭い地道を少し行くと、やがて行き止まりに、そこから先はいっきに谷に落ち込み、その脇に、ここは「危ないよ」と言わんばりに大木が一本枝葉を張っていたのです。

 しかし、大木の影になっていたので見えなかったが、もっと狭い小道が右に向かって切れ込んでいたのである。
これを降りるのが谷底の清流にたどり着くただ一つの手立てなのである。
物理的な傾斜角度は相当なもので、もしこの道が直線で小川に繋がっていたら人間、ましてや、女性の水運びなど絶対無理なことである。

 そこはそれ、道は雷様のイナビカリ状のもので、右に少し降りれば、すぐに左にと、それを何回か繰り返しヤットコ谷底の清流にたどり着くのである。
その代わり距離は随分となるのは物理学の必然です。


 母はこの道を、天秤棒の両端にブリキのバケツを下げ、モンペ姿で上り降りしていたのである。
たどり着いた先の美しい流れの脇に苔むした石で設えられた角井戸が見えます。
この井戸、普通我々がよく見る地面深く掘る、堀井戸ではなく、川の流れよりやや
深めの漉(こし)し井戸、つまり隣の綺麗な流れをさらに濾過したもので、井戸の中の水はそれはそれは美しいものでした。
角井戸の底は砂で小エビや小魚も見られる。
しかし労働は過酷で、そんな情緒で相殺できるものではありません。


 いまに思えば、この現実一つとっても、母が故郷を離れた理由がほんの少し分かったような気がしないでもありません。
oldboy-elegy君、このシラスの台地の深くを流れる美しい川の様子を知っています。
川幅は3~4間程度かな、子供の頃の記憶はなんでも大きく見えるもの、といいますがさあどうでしょう。
両岸からそう太くはないが、背の高い竹が流れに沿い、頭上を覆い、その上から明るい陽光が差し込み、すべてが緩い黄色一色の世界を創り、深くない足元の流れがキラキラ煌めいているのです。

 oldboy-elegy君、ある時、この川の流れの中で見たのです、「ルノワールの裸婦」の絵を。
ここでの水事情を考えると、この台地の家々には当然風呂がありません。
だが幸運なことに町営の公衆温泉が歩いて行ける近場にあったのです。
しかしいかに町営と言えどもいくばくかのお金は必要です。


 したがって風呂に行かないときは濡れ手ぬぐい等で体を拭くのですがそれでも1週間の内何回かは公衆温泉行かねばなりません。
ある日、いつものように母について谷底の漉(こ)し井戸に行った時のことです。
イナビカリ道の下からキャーキャーと楽し気な女の人の声が聞こえてくるのです。
降りきって下流方向の近場に3人(たぶん)の女の人が全裸で体を洗っている姿が目に飛びこんできたのです。
 
 見事な背景の中の裸婦像、そう、後に知ることになる「ルノアールの裸婦像」そのものだったように思い起こされるのです。
3人の裸婦は私oldboy-elegy君の存在を認めたのは確かなのですが何故か無関心なままで、まるで存在しないかの様子です。
しかしいくら幼少の身と言えども、こちとら、これでも男の子です、あちらが無関心ならこちらも表面的には無関心を装うのは難しいことではありません。
それが証拠に初めてルノアールの絵を見た時、この画家、裸婦フェチでなく、お尻フェチなんだと直感したのです。
明らかに自分の深層心理に埋もれていたあの時の光景が具体化した瞬間だと思いますが
どうでしょうか?

 女性の方も気を付けてください、いくら幼少と言えども中身は男、幼いふりしてじっくり観察しているマセタやつもおるのですから。(俺がその証拠)


 開聞岳を背に海岸の砂浜をしばらく行くと、この町営の温泉銭湯が見えてきます。
当時の事と、田舎の温泉と聞けばなにかボロ臭く思わるかも知れないが、なかなか立派な作りで、浴場も広くかつ南向きには大きなガラス窓があり、その向こうに太平洋の大海原が足元の砂浜から広がる光景はキッチリ憶えています。  
ここでの記憶はとりたて話すことはないのだが奇妙に思えることが一つだけあります。

 それは男湯と女湯を分ける仕切りのことである。
もちろん普通にあるのだが、仕切り板が湯舟の途中までで、oldboy-elegy君が潜って男風呂、女風呂の間を行き来、できたのである。

 なぜ俺はこんな是非でも無いことを覚えているのだろうか?
いまもって考えてみても、ただただよからぬ妄想が妄想呼びただ一人悦に入ることしきりである、「ふ~ん、なんのため、ふむふむ、そうかなどなど」と。


 この温泉銭湯からの帰りにいつもちょっとした仕事が待っていた。
その仕事は砂浜の波うち際を歩いて家に帰ることから始まる。
母の手には、ズタ袋が握られている。
波風の強かった翌日とか、台風一過の後とかが効率が良いのである。
そう軽石拾いである。
海岸線の砂浜から離れるまでの道のりで結構拾えるのである、ただ天候次第でもある。この仕事の主役は勿論oldboy-elegy君であり、砂浜を軽石拾いのため嬉々として走り回り、母に手渡すのである。

 やがて砂浜が山に遮られ尽きる、軽石拾いもここまでである。
収穫はズタ袋に半分ぐらい、まあまあである。
この軽石何に使うのかって?、まあ慌てずに。
すべての工程はoldboy-elegy君の手中にあり、また、それが気に入っている。

 作業は翌朝一番から始まる。
玄関先の脇にむしろを広げ、持ち帰った軽石を薄く、目一杯に広げ天日干しにするのである、ここで一升瓶の登場である。
母は横から嬉しそうに眺めているが決して手を貸すことはないし、自身もあの水汲みの重労働が待ち受けている。

 夕方には、屑や小さな軽石の欠片(かけら)を集めて金槌でたたきほとんど粉末状態にまで加工し、これらを、手製の紙の漏斗を一升瓶に差し込み流し入れる。
大きなものは元の形を尊重し、丸いものはより丸く、四角いものは角をとりやや楕円形にと手を加える、oldboy-elegy君、一連の工程ではこれが大好きである。
そう天然無比の軽石君の出来上がりである。
温泉銭湯に行くときも必ず一個は持参している。

 さて一升瓶の中の粉末軽石、これで終わりではない、彼はこの作業が反対に大嫌いである、まず根気が必要とされる。
細い杵状の棒を差し込み又の間に一升瓶を挟み、ただひたすらにつくのみ。
粉末の粒子が小さければ小さいほど上物であるとの事。
時折母が検査に来るが、なかなかOKがでない、退屈でバカみたいな仕事で腕がすぐにだるくなる。
「もうやめて明日にやったら」とお声がかかり、おやつに黒糖のでかい欠片をもらった。
これが磨き砂である、食器を洗ったり、鍋や釜の裏底を磨き、農具を磨いたりと用途は多い。


 oldboy君後悔していることがある、それは生前の母に「あの時のおばば、俺のバッチャンか?」の一言である。

 

 oldboy-elegy君、母がこの故郷を出た訳がぼんやりではあるが納得できた気がした。母はそれでも高等女学校の2年だか3年だかまで在籍していたらしい、このことは母自身から聞いている。
 

                          了

 oldboy-elegy君、パソコンスキルど素人 今日初めて記事中に写真を貼ってみた。
 もし飛ばしたらの気持ちが強い。
 ともかく、校正もしないで公開するが、お許しを乞う。

                           by oldboy-elegy

       

   

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 



 
 

 

 
 




 

 

PART 1    戒厳令下のソウル(seoul) 、 逞(たくま)しきかな韓国人

 

f:id:oldboy-elegy:20190808133909j:plain



韓国の大統領と日本の首相との首脳会談も久しく行われてもいない。この2国が地球の裏側ほど離れていたらそんなに気にすることもないと思うが、なにせご近所、それも海を挟んで、最短で50km程度しか離れていない。それゆえ余計始末が悪い。一方、来日旅行客は700万人/年を超える大盛況、韓国ドラマやKポップなどの民間の相互交流はこれまでになく喧つしい。いまから彼がブログにするのはこんな日韓の関係の事ではない。じつは彼、韓国への渡航歴は約十年の間に60~70回はある、その多くが戒厳令下のソウルであった。そこで遭遇した人達、出来事などの強烈な印象がタイトルの「逞しきかな韓国人」となった次第である。「ところ変われば品かわる」ぐらいのニュートラルな気持ちで読んで欲しいと希望する。

 ちょっと話が変わるが昨今、外国旅行先を選ぶ際、「言葉が通じるか否かは重要な要素になるのか?」「衛生的でおいしい食事が提供されるのか?」「身の安全は確保されるのか?」「トイレの不潔なのは我慢できない」あるいは「スマホは簡単につながるのか?」など自身の日本での生活がそのまま再現できる場所が良いとされることが多いように思う。

 そのうえ、あろうことか、現地に行けば「日本人の友達もたくさんいるし知人も多い」なんて聞けば言葉がない。

 ま、それも致し方ないと思うが、oldboy-elegy 君、なにか損をしたような気分になるのだがどうであろう。

 彼、なにより電話が嫌いである。

 もし、国際電話でもあったなら 解放感や自由感が減じて、(かくれんぼ中、鬼に捕まった気分になる。

 

 彼の会社はここソウルに支店がない。 

 したがってテレックスもない。

 通常の連絡は電報であり、これが一番安価である。

 よって、よほどでない限り国際電話が入ることもないのである。

 それでoldboy-elegy君、なにを言いたいのか?

 つまり「外界から閉ざされたこのボッチ感覚、これがある種の快感であり、生きている感覚につながり、奇妙に落ち着く」のがoldboy-elegyの基本的な体質なのかも知れない。

 もう一つ、言わせてもらうなら「俺はこの21世紀には存在できない種類の人かも知れない」と言うことである。

 スマートホンで24時間繋がれ、おまけに自分の位置情報など把握されるなど。まっぴらごめんである。

 その昔、ポケットベルなる便利ガシェットが出てきたときなんか「大いに嘆き悲しんだ」ものである。

 案の定、俺は今日の状況を直感的にに予見していたのかも知れない

 もうおれにはこの世に、存在する理由が見当たらないとまで思いつめたものである。

 いま「存在理由」と言う言葉で思い出した事がある。

 ドイツ観念論哲学からマルクス、エンゲレスの唯物史観論への橋渡し的役割を担った人にヘーゲルと言う哲学者がいたが、彼曰く。

 「存在するものは合理的である」同時に弁証法的には「合理的なものは存在する価値がある」と。、

 oldboy-elegy君「俺はこの情報化時代、IT機器を扱う能力も知識もないし、嫌っている」と言う事は、これからの時代に生存する合理的な意味がないのではないのか?と。

 まあいいや、世間が俺を必要としなくなって久しいし、そう多くない年金も「若い人から見れば」不合理の象徴かもしれない。

 「ひょっとしたら、俺は自分に合った良い時代に生まれ生きてきたのかも」と思う事に、いま勝手にした。

 

 世の60、70、80歳代のoldboy-elegyの方たち日々どのように考え、感じ、思いをお持ちなのか是非とも知りたいものである。

 

 今、ボーイング・ジャンボジェット747のソウル・金浦空港行きの搭乗口の待合ロビーにいる。

 突然あちらの商社からのお呼び出しである。

 L/C (letter of credit・信用状)に書かれた輸出期限を過ぎた商品が2、3日後に出来上がるので、商品検査及びサインダウンを急ぎ乞う、とのことであった。

 おりしも、運悪く?台風並みの低気圧が九州・南海上にあり北上中との予報。

 当時、ソウルへの定期便は大阪・伊丹空港からjalの1日1便だけだった思うが、勿論関西国際空港KIX)は存在していない時代のことである。

 ボーイング747は文字どうりジャンボジェットで500席以上の巨大さを誇っていた。

 しかしoldboy-elegy君、もひとつ、この巨大飛行機を信用していない気持ちがどこかにある。

 航空機用の特殊ジュラルミンでできているとは故、鉄やアルミニュウムの親戚みたいなものである。
 それが何の支えもなしにあの巨体が空中に浮かび、なおかつ700Km/h以上の速さで飛ぶのである。
 支えと言う意味で、せめて杖ぐらいついていて欲しいものである。
 oldboy-elegy君には、この巨大機械が物理現象や自然の営みに反した物に見える、ましてや自分がその腹中に乗り込むのである。

 さっきから登場ロビーで待っている。
 目の前に747が駐機している。
 雨も少し降っているようだが、風は分からない。
 時折アナウンスがある。
 ソウル上空付近はまだ比較的穏やかで、視界も良好と言えないまでも問題なさそうとのことである。
 ロビーは人で一杯であり、床に腰を下ろしている人も大勢いる。
 学生服を着た高校生らしき男女の集団が行儀よく整列し待っているのが見える。
 oldboy-君「今日はもう飛ぶな、明日と言う日もある、君子でもないが、危うい事に近寄らないのが賢明」と思っている。
 隣の初老の人が話しかけてくる、強い韓国なまりがある。

 「これ今日、飛びまっせ!、絶対に」

 俺、何故わかるのかと彼を見た。

 「今日は満席でキャンセル待ちの客もいるみたいやし」

 俺「???」と彼を見る。

 「つまりや、今日は飛行機会社とっては最高のもうけ日やと、いうことや」と言いニヤニヤ。

 俺 納得顔で彼に向き頷き「なるほど」と。

 oldboy-elegy 君、心底納得した気分、何故か出発案内を待たずに、もうあきらめた気分になってしまった。

 このやり取りが終わるか終わらないうちにフライト案内と搭乗手続きが始まる、隣のおっさん、読み通りの結末にまたもニコ、当たったやろのしたり顔。

 まあこんな論理で決まったとは思いたくはないが、ともかく出発である。

 1時間少々の飛行時間、天候もそんなに急変しないだろうと期待している自分がいる。

 今日のフライトはベルト着用のサインが点灯したまま、急激な気流の変化に備えてのアナウンスもあり、軽食や飲み物も早めに出てさっと片付けられた感がある。

 自分の座席の後ろにいる客室乗務員の人もほとんど席に座ったままである。

 とちゅう多少のアップダウンはあったが金浦空港着陸まで10分少々のアナウンスもあり少し気が緩んだのを待っていたかのように、ふいにドターンと機体が急降下、これには前にいる高校生の集団から嬌声や悲鳴があがる。

 そこからがいけない、谷底に落とされたかと思うと、次の瞬間グググとゆっくりと上昇気分、その都度学生さんを始めあちこちから「キヤー」「ギヤー」とかのくぐもった悲鳴が漏れる。

 oldboy-elegy君、固く握りしめた手の平に脂汗。

 もう大分に下降しているはずだと思うが地上は一向に見えない。

 窓から見えるのは主翼下の補助翼やスポイラーの忙しい動きだけである。

 主翼と補助翼の間の隙間を雨粒か雲か霧か分からないものが激しく流れているのが見える。

 おまけに主翼の先っぽが小刻みに揺れている。

 エンジンの音も低くなったり、少し静かになって、次の瞬間明らかに出力が上がったりと忙しい。

 高校生諸君の悲鳴や嬌声も時折聞こえて来るが、一時より静かになっている。

 慣れたと言うよりグッタリとしている。

 oldboy-elegy君窓外見ながら少しいやな事を思い出す。

 普段の下降時、空港が近づくと窓外前方左側に結構高い岩山が見えてくるはずである。

 いま窓の外はさっきと同じで左主翼が見えるのみで普段見えるはずの下界はまったく見えないのである。

 もしあの岩山に当れば終わりである。

 そのとたんに何あろう、下界の緑がすぐ足元に見えたのである、すぐに滑走路が見え次の瞬間少し荒いが無事着地、ここで客室内、何処からともなく万雷の拍手拍手。

 ここで乗務員からのアナウンス、なにごともナッカタように、ソウルの気象、温度、時間(時差なし)と「またのご利用をお待ちしております」がすべて。

  金浦空港でのイミグレーションは当時は結構厳しかったように思う。

 なんせ戒厳令下である。

 夜中12時から朝の4時までの国民は外出禁止である。

 だからとと言って日本人が夜中に出歩くのも無理がある。

 タクシーも走っていない、ただしホテルなどの社交場はその間も夜間営業中である。

 もちろん12時までに入店したら4時までは出られないようである。

 過去には在日韓国人が大統領の奥さんを射殺した事件もあったし、夜間の結社、集会はもちろん厳禁である。

 当時北朝鮮からのスパイや破壊活動のための越境、侵入もたびたびあった。

 oldboy-elegy君も 破壊活動のために侵入したスパイ達の装備品が展示されているのに出くわしたことがある。

 ソウル駅の中央コンコース脇にそれがあった。

 エアータンクなどの潜水用具などがあったのを覚えている。

 銃などは無かったように思う、もしAK47カラシニコフでもあれば忘れるはずはなかろうと。

 ま、ともかく、政情不安が常態化していたから、イミグレもおっつけ厳しくなるのは当然のことであろう。

 なんのための入国か、滞在予定のホテルは、ビジネスの簡単な内容などの通り一遍のこと事を聞きながら、窓口の机上の下にもう一つ机があり、ここにブラックリストの写真などの一覧が置かれていてこれと照合しているのであるそうな、時間がかかるのも当然のことである。

 oldboy-elegy 君 イミグレも無事通過、機内預けの荷物を引き取るためにターテーブルの脇に立っている。

 着替えや、日常必要な身の回り品は段ボールの箱に突っ込み定宿にしているホテルのカウンターの裏の部屋に預けている。

 手荷物はちょっとしたお土産品や頼まれ品(めちゃ高価なものはない)がほとんどであるが、手荷物検査でひっかかった場合のためリストを作りインボイス化してある、頼まれ物は一応領収書も隠しもっている。

 やがて自分の機内預けの荷物がターンテーブルに乗ってやってきた、今回は急な出張で準備不足のため少なめである、これが有難い、しかし油断は禁物である。

 役人の気まぐれには手を焼く、前回はなにげに無理で税関にいったん預けかな、と思ったものが問題なく通過できたり、今回はたったこれだけ、楽勝と思ったものが留め置きされたり、とその基準がさっぱり見えてこないのである。

 そのため取りあえず手は打って置いたのである、多少費用がかかるが無難である。

 税関で1週間も預ける羽目になったらサンプルや部品や装粧品などがない場合、商談ができない場合もある。

 ゆえにこのこと(裏金)は「必要悪」で「潤滑油」なんだと思うことにしている。

 ターンテーブルから荷物を下ろしボケーとしていたら、向こうから肩章付きの水色のシャツを着た(必要悪さん)らしき中年のおじさんが何気に近づいてくる。 

 今日の手荷物検査官である、顔に憶えはない。

 ひょこひょこやってきて、少し離れて立ち止まり、「oldboyさん」と小声で、俺「はい」とこれまた小声で、するとその少し離れた位置のまま、くるりと自分がきた方向にお戻りなるが、彼の後ろ手に組んだ指が俺に「おいでおいで」をしている。

 少し間隔が詰まると、後ろ手に組んだ手のひらが「離れて、離れて」と合図がくる。

 あくまでも自然に検査台に近づかねばならない。

 検査台そのものは20台近くあり、検査官のおいでおいでに連れられ左端に近いそれに到着である。

 顎でしゃくられ、目配せされそこに並ぶ、だいたいいつもの場所である。

 この場所が結構重要なポイントでもある。

 検査台のすぐ向こうにKOTRA(コトラ)の空港出帳事務所がある。

 韓国貿易振興公社である。

 公社とは半官半民の組織ではあるが基本政府組織みたいなもであるとoldboy君は理解している。

 そう日本で言うところのJETROである。

 あれにたどり着けば危ないものを所持してない限りこちらの味方である。

 やがて順番がきて大小のバッグを検査台にのせる、先ほどの(おいでおいで氏)はすこし離れたところから見ている。

 二人の係官が2個のバッグのチャックを勢いよく開き手を入れ中を見ているふりをしてOKを言い、すぐに顎で検査台を通過しろと促す。

 KOTRAには取引会社の名と電話番号のメモだけ残し無罪放免と相成った。

 今晩は頼まれ品の配給と別に今日かかわった人たちへのお礼とちょっとした宴会である。

 空港へは商社のボロ社用車(ポニー)が運転手付きで来てくれてるはずだ。

 ちなみに自家用車の運転手の名刺には「運転手」でなく「運転技師」となっている、そんな時代であった。
そう会社付きの運転手は全て「運転技師」でプロなのである。
ここでのプロの意味は日本とは少し違う。
安全運転の概念すこぶる欠如している、日ごろ日本で運転しているoldboy-elegy君には「いかにアクロバット」運転ができるかが「プロの資格」であるように思ってしまう。
高速道路から一般道への降り口などまさに「プロ」の技である。
数センチの間隔ですべての車両が出口に一斉に向かい先を争う。
警笛の洪水とウインドウの窓を開け罵り合うのである。
確かに、単に「運転者」であるoldboy-elegy君、ここでは「運転技師」には絶対になれぬ。
個人持ちの自家用車がまだ殆んどない時代である。

  もうほぼ6000字になる、取りあえずここまでをNO1として何号までこのタイトルが続くか見当もつかないが日本では経験できないエピソード、少しやばいこと、ほろっとすることなどを書いていこうと思う。

 なんせ出だしだけは少し考えるがあとは成り行きに任せて書いている。

 取りあえずUPして誤字、脱字、文章の表現などの手入れをする。

 記事の公開数がゆっくりすぎると思われるかもしれないが、ま、自分に合ったペースでやってゆくと決めている。
自分の身勝手お許しあれ。

     

 

                 PART1              了

         ブックマークバー と

  はてなスターのボタンがずっと下にあります。

  宜しければ、ポチお願いします。

           

        ↓

           ↓

        ↓

   なぜか、ずっと下です。

  

 

 

 

 

       

 

                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

(雑感・雑記 No1)母の日  最近ブログを書いている。ときおり亡き母に登場願っている。お礼にと駅前商店街にカーネーションとタバコ(母用)を買いに出た。

 

   母が亡くなってもう随分となる。両親の小さな仏壇を預かっている。正月とお盆にはちょっとした和菓子とたばこ2箱を花に添えただけで済ませている。その花も仏花と言われるものを買ったことがない。季節の草花を一、二輪を花瓶に投げ入れているだけである。前にも書いたが母と父とは内縁関係にあり、俺は母の私生児と言うことになっている。したがって両親の姓は違う。父親のことは小学校に入るころまで顔も知らない。ただ母に手を引かれあちらこちらしている時に感じた「漠然とした人影」が記憶の中にあることは否定できない。小学校の入学は2,3か月遅れであった。この日の事は、あるシーンのみ鮮明に記憶している。母に連れられ木の床張りの教室に入った、その床の上に白い大きな模造紙があちこちに置かれ、子供たちがそこによってたかって、お絵かきをしている光景である。それだけである、ほかに何も記憶がない。これがoldboy君の入学式であった。この数か月後に妹が生まれ、さらに数か月後に兄が二人同時に、生まれた、ではなくてできた。妹との歳の差7歳でoldboy姓が母、俺、妹と3人になったわけである。義兄とは約10歳前後の歳の差がある。これが我が家の状況である。 

  駅に久方ぶりに出てきた。
 仏壇の母にカーネーションを供えたことはなかったと思う。
亡くなった母への花だからと白だけを買うつもりもない。
結局赤色3本と白2本、あと白い背の低い小花を少々買い求めた
透明のビニールに包まれた様子はちょっとした花束である。
おじんの持ち物としては何か恥かしい。
花やで言われた通り、近くの100均店ダイソーに寄り、200円の純白の丼用ともラーメン用ともつかない鉢を一つ200円にてゲット。
つまり花屋が言うには、この鉢に小花を敷き、赤いカーネーションを低めに、白いそれをやや高めに別の花瓶に入れ、鉢の中央に置けば豪華に見えるとの指示をそのまま実行しょうとの意図である。
少々高くついたが、このところブログで何かとお世話になっている「母上」のこと、お安いことです。
実際には10分もかからずできあがり、花やの店員さんに感謝。
写真を撮りブログにと、思ったが、なにやらコッパズカシイのでやめにした。

 つぎはタバコである。
それも、しんせい(たばこの銘柄)を求めて駅前の商店街まで来たのだが空振り。
安くても需要がないのか、どこも置いてはいないようである。

 母は家ではキセルでタバコ(両切りたばこを鋏で2個か3個に切りそれらをキセルにさす)、外出時はさすがにキセルではなく両切りの紙巻たばこ、しんせいを吸っていたと思うが100%の確信はない。
ただoldboy-elegy 君の記憶の深淵には「しんせい」以外のたばこは浮かばない。
そう母が中学校の応接室で教頭、担任を前に紫煙をプカリとやっていた時のたばこが確か、黄色のダサイ色の、しんせい、だったと記憶している。
oldboy-elegy君、なんせタバコとは、高校2年からの長い付き合いであり、つい1年半前に禁煙したばかりの身である。
母はこの件については自分より豪気で、「これがなくて何の人生よ」とばかりに亡くなる直前までやっておいでになっていた。

 いずれタバコだけでブログを書くと決めている。

 タイトルはこうかな「わたしはこうして禁煙しています、エアータバコの方法とその功罪」ぐらいかな、少々変更されることもある、その時はごめんなさい。
ただ記事にすることは自分の中での決定事項である。

 今日、買ったタバコの銘柄は母の時代にはなかったはずの、メビウスと言う銘柄である。
まあセブンスターあたりの親戚品だから「これでよかろう」と屁理屈をつけ2個購入。 
一つは封を切り一本を箱から半分だして吸いやすいようにして遺影に立てかけ、もう一箱はそのまま食器の小皿に入れ母の写真の前に置いた。

 そのまま両手を合わせ数秒間の黙とうをささげた。
なにやらちょっとした感情の高まりが目頭を熱くした。

 「フン、小生意気な」と着物姿の母の遺影は言っているようである。

 もし、oldboy 君、ブログなぞ始めなかったなら、このような特別な母の日の行動を取ったのだろうか?
たぶんなかったように思う。
このことだけ考えても、正直良かった事にする、oldboy-elegy君、記事の最後の最後まで照れた口調になっているのがなにやら可笑しい。

 

                 了

              By oldboy-elegy

 

 このずっと下に
 ブックマーク
 はてなスターのポチがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

oldboy-elegy君、この歳になり、初物4連荘、救急車、美人麻酔医、手術(記憶なし)、最後にご入院。

f:id:oldboy-elegy:20190810181946j:plain

oldboy-elegy君、この歳になり救急車初乗り体験、ただし記憶にあるのはかすかなサイレンの音のみ

  ぽつぽつと五月雨式にタイピングしている。パソコンの脇に10×5センチにも満たない円筒形の蓋つき透明のプラケースが鎮座しておられる。中には黒光りする石ころ状のものが大小2個、大きいほうは小惑星「りゅうぐう」の形をなんとなく連想する。術名(腹腔鏡下胆嚢摘出術)であるそうな。

 高校時代、下校時、3人組に襲われ下駄で顔面を殴打される、その時、唇の内側を4針縫ったのが唯一ケガらしいケガ、骨折経験もない。
犯人の一人を知っていたが面倒なので知らぬ存ぜぬですませた。
中学時代の知り合いである。
おんながらみであった。

 中学生のおり体育教師にヘッドロックをかまされ、頭に10連発のゲンコを受けた時も、ヒリヒリと、少し熱ぽかったぐらいで済んでいる。
花よ蝶よと(男でもこう言うのかな?)育てられたわけでもない、むしろ真逆で「好きにやんなさいよ」と、言わずもがなの母の雰囲気であった。

  しかし、oldboy-elegy 君、そんな母のことが大好きであった、なにか同志のようにも感じていた。
彼これまで手術も入院加療の経験もなかったのは、ただただ幸運だったにすぎない。

 ここ2,3週間、腹部に鈍痛があり、不快この上ない。
近くのクリニックの先生も、紹介状を書くから「精密検査を」と勧めてくれていた。

 取り合えづ、処方の痛み止めの薬だけですませていたのたが。
先ほどまで胸のあたりに不快な鈍痛を感じていたと思えば、急に胃のあたりに刺し込みが走る。
そうこうするうちに肝臓付近から右わき腹へと「痛み」が運動会をしている。
もうダメ、これ以上辛抱しきれないと観念したのが、夜中の零時過ぎごろの事である。これまでに経験したこともない激痛である。
今朝一番にクリニックへ行き、病院の紹介状をと決断をする。

 ここで、案外効いた?「あほ療法」教えよう、誰も絶対マネするな。
少々オツムの弱い oldboy-elegy君が閃いたのである。
今、俺は腹の痛みに全神経が集中している、それ故その感覚をもっと分散するのが肝要であると。
その結論がこうである。
「熱い熱い風呂に入ろう!」
体の調子が尋常ではない時の考えも又尋常ではない。
(湯の熱さのため痛みが分散され2分の1の減痛は期待できないがせめて1割でも軽減するならメッケもんである)と、大阪弁で言うところのアホくさいほどのバカげた話である。
湯の設定温度は43度、もうめちゃくちゃ、もともと風呂そのものがそんなに好きでもない oldboy-elegy 君、至高の閃きがこれ、ただ読者諸兄はこの窮状がこの人をそうさせているものだと考えていただきたい、幾分かの嘲笑とともに。
あとはこの熱湯に2分、いやもっと5分浸かれば大成功、その間、痛みが割り引かれるはずであろうから。

 「実際、これを実行したの?!」、もちろんやらしていただきました。
「して結果は?」ハイただ2重苦を体験しただけで、効果? 言わずもがなの惨状でした。
明け方の4時ごろ万事休す。
oldboy-elegy 君、ほとんど失神状態。
近所のクリニックが開くまでもう待てぬ。

 痛みの緩急もなくなりただ急々状態で救急車を呼ぶことに。
聞くところ、自分で歩いて自力で救急車に乗ったらしいのだが、記憶にない、ただどこか遠くで救急サイレンが聞こえていたのは憶えている。

 地域の大きな病院のERにて検査、その前に何をされたのか、急に痛みが引き、ボーと夢見こごち、ハスの華は見えなかったし、お釈迦さまもお留守だったのだが、きっと天国に来たのものだと。
あとで聞くと、モルヒネ類の痛み止めをされたらしい。



 もう完全に時間の感覚が無くなり、つぎに意識が少し戻ったのが手術台の上のようである。
なぜなら、寝かされている oldboy-elegy  君の頭頂部方向から「ヌー」と女性の顔がでてきて「麻酔医の~」の言葉が終わらないうちに深い眠りに落ち込んでいった。
40才前後色白でたしかフチなし眼鏡をかけた、いかにもと言う風貌の先生であったのをぼんやりと憶えている。
しかしこの記憶そのものが不完全で架空の事のように思えるのもまた事実である。


 手術室に入ったのが午後2時過ぎごろだったらしい。
麻酔から覚めたのが午後10ごろ。
この間の8時間の睡眠がはたまた不思議な感覚なのだ。
そうもう一度くりかえす、「この不思議な感覚?!」
自分だけが体感?しただけかも、これを一般論として「全身麻酔による睡眠とは」と言うつもりは毛頭ない。
どう表現してよいのか分からないが短い言葉でチャレンジしてみる

 「自分の生(せい)の一部分を切り取られたような気分」、うむ!この言葉しかないなと勝手に納得。
普段7、8時間ぐっすり眠ったあと、「あ~、よく寝た、体調も最高!」とは感じても、なにも人生の()の部分が7,8時間、自分の意識から持ち去られたとは思わないし、思わないよな普通。

 ここでoldboy-elegy 君の頭に閃きが走る。
往々にして彼の閃きは「はずれ」が多いのだが、「これは当たりかも!!」と思わせるものであった。
先に断わっておくが、このかってな推量は(科学的根拠)があるのかもしれないし、多くは「言及」されていて、oldboy 君だけが知らないのかも知れないと。

 「ググればググるほど文章が書けなくなる」と言うのが,「前にも何処かで言った」ことがあるように、oldboy-elegy 君の持論である。
なぜなら文章が知らず知らずのうちに説明くさくなり、その部分が宙に浮いた感覚になってしまうのである。
科学的で論理的なテーマには必要なことであるが、oldboy-elegy君のようないい加減な文には害毒でしかないと勝手に思っている。

 それでは「自分のの部分が切り取られた気分」と先ほど言ったが、この気分はどこから来るのか。

 通常ひとの睡眠とは、仮に7~8時間自然な睡眠をとったとしても、(覚睡)と(非覚睡)を一晩に何度も繰り返しているそうな、つまり脳の働きがオンの状態とオフ状態とを繰り返しているのが(睡眠)の自然なありかたであると。

 そうすると、全身麻酔後の俺の睡眠は自然な人間の睡眠とは違い、(非覚睡)だけの闇(死)の睡眠だったのかもしれない。
そうだきっと「なにか自分の生の一部分を切り取られた」感覚とはきっとこれなんだと確信(自分勝手に)するに至ったのである。

 ともかくも oldboy-elegy 君的には、この一事だけでも大いに意味があったと思うことにしている。

 ここから彼の普段の姿、ちょっとしたイロ付きのoldboy-elegy に変身するのである。

 とにかく麻酔状態から目が覚めた。
あの失神するかのような痛みは消えていた。
痛みはあるにはあるが質的にぜんぜん違ったものである。
手術は内視鏡によるそれで腹部に3~4か所穿ち、大きく開腹したわけでもない。
あたりをキョロキョロ、いくつかの夜間灯や繋がれた医療機器の小さな光やその点滅がみてとれる。
右に大きめのガラス窓があり、その脇の廊下の向こうにはナースセンターが見て取れる、そこでは幾人かの女性看護師さんが立ち働いている。

  ふいに足元の向こうにあったカーテンが勢いよく開く。
「oldboy-elegy さん、醒めた?」と女性の看護師さん。
「いま何時です?」と俺、「もうすぐ10時、よう寝たはったわ」。
この明るい声を聞き、初めて下界に舞い戻ってきたような気がしたoldboy-elegy 君であった。

 「オシッコしたい時してもらってもええんよ」
俺、一瞬事情が呑み込めず(?)の状態。
「おむつしてもらっているんよ」
「?!!!」と俺。
「終わったら、そこのコールボタンで呼んで、すぐ来るから、ああそれに、この部屋、今日、手術終わった男の人専用でナースセンターの横にあるんよ、明日からは入院病棟に移るから」と言いつつカーテンの向こうに。

 (トイレ、オシッコ!!)のこの言葉を聞いたとたん、猛烈にもようしてきた。
そうここで予想もしなかった5番目の(人生の初物)が出現、(おむつでオシッコ)。考えてみれば、いや考えなくとも、今俺がおむつをしていると言うことは誰かが俺におむつをはかせたと言う前段階があるのは自明の理。 

 oldboy-elegy君、ここ何年、いや10年余我が息子が(オシッコ)以外で活躍したことがない、最近は古川柳にある(朝〇や~、小便までのいのちかな~)の状態も恥ずかしながら遠のいている、
いわばほぼ童貞同然の無垢な oldboy-elegy君、半人前の股間を見られたのが病院のベッド、と言う現実が何故か哀しい。
看護師さんにとってもプロとしての仕事の一環、なんの感慨もなく淡々とこなされていることは重々分かっているがそこはそれ!。

 おむつの中にオシッコをする、抵抗があったことは事実だがそれも最初の数秒だけ、抗しがたい生理の現実には勝てるはずもない、すぐに天にも昇る心地良さに変心、ああ我ながらこの言動の不一致といいかげんさにあきれる。

 

してoldboy 君、ベッド脇にぶら下がっているコールベルを排尿の恍惚感の中で静かに押させていただいたのである。

 

                               

  この記事おつむに始まりおむつで終わった、

そしていつもの様にラフのまま投稿したのが午前5時ごろ。

 さきほど救急車のサイレンが遠くで聞こえていた、いや本当にそうである。
はこばれていく人の事が気にかかる、以前より一寸だけ優しくなったような気がする
アッそうそう、タイトルの最後の「初の入院」は単に入院であり、それ以上でもそれ以下でもなかったようである。

 代わりに(おむつ)の項が加わったのでお許しあれ。

 

                  了
             
               oldboy-elegy

 「中学生のおり体育教師にヘッドロックをかまされ、頭に10連発のゲンコを受けた時も、ヒリヒリと、少し熱ぽかったぐらいで済んでいる。」の一文が本記事の始めに出てくる、この顛末の全てが次のブログである。
読んで頂ければ幸いである。

 

oldboy-elegy.hateblo.jp

 



修羅場と化す正月の映画館、煙幕?の向こうに銀幕,笛吹童子もびっくりドンドカドン!!!

 ここで笛吹童子がどんな映画で俳優が誰で、など語るつもりはない。それらはググリ上手な方たちにおまかせする。ともかく当時の貧乏人の小せがれたちの一断面を正月と映画館と言う特別な日と場所を切り取り紹介しょうと思う。それでは究極の下町、河内の正月と映画館にどうぞ。by oldboy-elegy

   

  5人+1人、これが今日の面子である。
5人はいつもの近所の連れで+1人は女である。
彼女は俺たちより2、3歳年上で一応親たちが認めた保護者兼監視人の立場である。
大人たちは、晦日みそか)の除夜の鐘が鳴り終わるまで働きづめで、映画より、まずは睡眠である。

  彼女のことを俺たちは「安田の華ちゃん」または「華ちゃん」と呼ぶ、時折「おい華!」言うものもいた。彼女も俺たちのことを口ではののしり叱るが、目は笑っている。 

 ともかく、喧嘩も辞さぬ構えで先を争い4席確保できたのは上々であった。
それも初めから2階席の最前列が目標であった。
何もはなから映画を見るのが目的ではないのである。

 いったい奴らは何をしでかそうとしているのか、場内の雰囲気も大団円を迎えつつあった。
上映前の階下を見ると、どこを見ても子供子供で一杯である。
スクリーンのあるステージの上まで、ここが一等席であるかのように人ヒト、それも子供で埋まっている。
そう広くもない館内は嬌声、怒号の渦のなかにある。

 安田の華ちゃんはと言えばこの雰囲気にアンビリーボの表情、この連中のはしゃぎように何か「不吉の前兆」を感じ取っていたのかも知れない。

 
 話をここで数時間前にもどす。
近所に、われわれ御用達のスーパーマーケットがあった。
そう駄菓子屋兼おもちゃ屋である。 
もちろんこの時代、今で言うところの「スー パーマーケット」なるものは存在しない。

 この店には屋号がなかった、近所の人たちは「ちゅうこひん」とあだ名していた。
われわれもおっつけ「チューコヒン」と訳も分からず呼んでいたし、これが店の名であると思っていた。
「おい・チュウーコヒン・いこや」など。因みに「いこや」は「行こうか」の大阪弁
このチュウコヒンが「中古品」の意味であることを知ったのは、もっと後のことである。
おばあさんが一人でこの店をきりもっていた。
使用人どころか家族もこの店にはいなかった。
今になって思うのは、随分失礼な言葉をおばあさんに浴びせていたのである。

 「べったんチュウコヒン高いよ」べったんはメンコの関西ことば。
しかし、おばあさんがこのことで我々を叱ったり、抗弁したことはなかったように思う。

 今思い起こしても、笑った顔は見なかったなあ。
むしろ万引きされないか、気が気で無かったのかもしれない。
間口二間半、奥行き一間ていどの店に、半分は駄菓子、半分はやすもののおもちゃが所狭しと並んでいた。

 最近、駄菓子人気でテレビでよく紹介されているが、我々の知る駄菓子とはだいぶ様子が違っているようだ。
いまでは駄菓子と言えども、食品安全に即して物作りせねばならないのは当然のことだし、生身の手で食品に触れ、やり取りするなんて考えられない。
すべからくこぎれいで、上品になり「駄菓子」とは呼べないように思うのだがどうだろうか。
 
 紙ニッキ、ベロベロ、酢昆布、みかん水。 紙ニッキなどは今時売ればたちまち保健所がやってきて、販売、生産停止の命令が下され、運が悪ければ店の閉鎖もありうるような代物である。
まずその毒々しい色からして噴飯ものである、真っ赤、緑、黄色、青、紫、どれも塗料の色を思わせる。
たしかにニッキらしい味はするが、あとがいかぬ、紙ニッキをしがみ、ぺっぺとその辺に吐き出す、口内と唇はその塗料のような原色がべっとり、袖で拭おうものならそれも同色に染まってしまう。

 おっと、興に入って、いろいろ書いたが、「チュウコヒン」についてはいずれ独立した一遍として書く機会を作ろうと考えている。

 今日「チュウコヒン」に来たのは、あるものを買いに来たのである。
食べ物ではない。
もう言ってもいいだろう。
「投げ弾」?「なげだん」である、知っているかな?
見た目は?うん、どう説明しょう、そうだ「ひな祭り」の花あられ、あれにそっくりである。
大きさもまあまあ、近しいし、なによりその色がそっくりである。
ピンク、しろ、薄緑、薄黄色、など5~6色の構成であるのも同じである。

 「花あられ」は食い物で、「投げ弾」はちょっとした爆発物である。
少量の火薬を薄い色紙で包み、のりで重量をもたせ固めたもので、強くコンクリートなどの固いものにこれをぶっつけるとその衝撃で爆発し、後に煙と煙硝の匂いが辺りに立ち込めるのである。

 花火の一種として販売していたのかもしれない。
しかし少々危険を伴うものであることは言を待たない。
対象物は固ければかたいだけ効果は期待できる。
コンクリートアスファルト、固い土壁、窓ガラスなどが爆発効果が大きい。
逆に人に向かって投げてもその費用対効果は残念な結果に終わるだろう。

 その投げ弾をしこたま買い込んだ。
今日は正月である、懐も少々あったかい。

 映画はまもなく始まる。
「投げ弾」もそれぞれのズボンや上着のポケットに納まっている。
館内照明が消えるのを今は待つのみである。

 ここで読者の皆さんに、隠していることがある。
それは、悪ガキ各々が強力なライフルを隠し持っていることである。
「ライフル」?。
投げ弾は弾丸で、弾丸を打ち出すのには銃がいるのは道理である。
人の腕力で投げても、いささか子供の力では非力である。
 察しの良い読者諸兄はそれが何であるか分かっていられることと思う。

「パチンコ!」あるいは「ゴムぱちんこ!」、関西だけで通用する言葉かどうかしらない。
パチンコホール、海物語のあのパチンコでは断然ない。
樹の手頃な枝のY字部分を切り取りVの先に強力なアメゴムを2本取り付ける、2本のゴムの合わさった所に皮や厚地の帆布などで「玉置」を作り完成である。
Yの下の縦棒の部分を握り、玉置(たまおき)に弾丸をのせ、ゴムを精一杯引っぱる。あとは狙いが定まった所で弾丸を瞬時に離す。

 このおもちゃ、結構誰もが「おとう、あんちゃん、じっちゃん」に作ってもらい、下駄箱のおくなどにしまい込んでいる。
れいのチュウコヒンにも置いているが、木製ではなくアルミ製か鉄線でもっとしゃれたものとなっている。

 普段、弾は木の実を使う。
楠の実など、青い頃から濃むらさきになるまで半年近く弾丸の役割をはたす。
熟した濃い紫のクスの実などが衣類に当たると、そこで砕け、染まる。
時間がたつとなかなかに取れない。
あとどんぐり、南天の実などなど。
基本、小石を使うことはご法度である。
今日の弾丸は年に一度の特別使用である。
「ゴムパチンコ」は館内照明が落とされてから取り出すことにしている。
 
 いちばん年少の勝男など興奮の極にいる。
こいつの渾名がおもしろい。
「青ばな町、2丁目」
年から年中、2本の青ばなを鼻したにエレベータのように上下さしている。


 安田の華ちゃん、映画を見ることの楽しげな様子ではない、不安気に見える。
一応付添人の立場である、館内の状況を見ればまさにさもありなん。


 そのうち館内放送が始まる。
より一層の怒号と嬌声と歓声で館内放送もなにもあったものではない。
ついに館内の照明が落とされた。
場内は歓声から拍手、拍手の嵐に変わる。

 映写室からの光は我々の頭上を越えて銀幕に届く。 
誰かがその幕の前に立ち、踊っている、影絵のさまが面白いのかすぐに2、3人の子供が参加。
観客から「じゃまやどけ~」「おんどれひっちんど~」おまえ殴ったろかの昔の方言。など収まりがつかない。

 大阪は河内の場末の映画館、見ようによっては、あのイタリア映画「ニューシネマパラダイス」の一場面を彷彿させる。
ごめん、今言った言葉撤回さしていただきます。
あの名作を、お前は辱め、貶めるのかと、非難されても「ご無理ごもっとも」とお答えするしか在りません。
あの映画の芸術性、人の心に永遠に残る普遍性など、すべてを削り取ったのが、お前のこの駄文であると、夢と思い出を壊してごめんなさい。

 近所の仏壇やとか家具や老舗の饅頭屋などの広告が終わりいよいよ本編である。
「あんたら何もってんの?!」と隠しもってきたゴムパチンコを見て華ちゃんが言った。
これが合図だったこもしれない。
年長の吉雄(仮名)が今やとばかりに一発発射、見事にステージの床で爆発。
「ひゃー」とも「ギャー」ともつかない悲鳴があがる。
これを合図に投げ弾の連射に次ぐ連射。
真下の通路や天井にも。
どうもこの悪辣行為俺たちだけでないようだ。
2階せきの右端の袖口から射かけている奴らもいる。
始まったばかりの笛吹童子、煙幕の向こうの銀幕で「ドンドカドン」の状態である。
狭い館内まさに騒乱状態である。
おそらく10分もいなかったように思うがどうであろう。

 安田の華ちゃん、一番年長の吉雄(仮名)を捕まえケツ(尻の事)を力一杯殴り
「警察沙汰になるわよ、みんなパチンコ隠し、すぐ出るわよ」と大声。
今日の、責任者で保護者でもある自分の立ち位置に目覚めたのであろう。
ここまで来れば、いかにバカとて、事の重大さに気が付く、群衆にまぎれ、とにかく脱出、それ以後この話はタブーであり重大秘密事項になった。
すべて安田の華ちゃんの指示であった。

あれ以来、ゴムパチンコでだれも遊ばなくなったし、口にもしなくなった。


 この事件のづっとのちのことでoldboy-elegy君が大学生でいたころのことである。
母が人から聞いた話やけどと言って、「安田の華ちゃん、死んだって話よ、朝鮮で」
俺自身、母に背を向けて、「ふ~ん」と言ったきり表情を隠せざるほどに動揺していた。


 華ちゃん自身は家族5人で、第何次かの帰還船で北朝鮮に帰った、いや渡ったのだ。
ただ1人、日本に残ったのが次男の何某さんだけである。
お嫁さんが日本人であったそうな。

 親父さんを除いて北へ渡るのにみんな消極的であったらしいが、栄光への脱出エクソダス)ならなかったようである。

 彼女の死は「自殺」であったそうな。
俺自身、このような人生の、度し難い理不尽に遭遇した初めてのことであった。

 

                                                                                        了

                                    by  oldboy-elegy

 

 ブックマーク、はてなスター などのポチボタン、

 この先   にあります。

 よろしければポッチッとお願いします。

 励みになります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

   

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鴎外「ヰタ・セクスアリス」先生の知性と教養を剥ぎ取りOldboy君らしくリライト。

 

  oldboy-elegy君には夜尿症(少し可愛く言えば・おねしょ)の癖がある。

 恥ずかしながら小6ぐらいまでは朝が来て股間の様子を見るまでは心配であった。

 母が近所の神社かお寺か知らないがおふだを貰ってきこともある。by oldboy-elegy

 

 ブログを書く時の最初の自分を表現する1人称に気をつかう。
私、わたくし、自分、俺、僕、知られた方言まで入れると大仰に言えば星の数ほどある。
 よくは知らぬが英語ではI(アイ)だけだと聞いたことがある。
ゆえ、日本語の小説なりエッセイを読めば、その人称代名詞の扱いで、「私」の立ち位置がほぼわかる。

 気になり夏目漱石の「吾輩は猫である」の英訳を調べてみた。
翻訳者により幾種類かあるみたいだが、 I am a Cat . が一番のようである。
「a Cat」のcが大文字であることにご留意を。

  そこで、冒頭の「吾輩」を「わたしは」「僕は」「自分は」等と入れ替えてみたが、いずれもピンとこない。
「僕」など言語道断である。
今風の血統書付きの家飼いの猫が飼い主に媚を売っている雰囲気である。
「俺は猫である」すこしはましかなと思うが、何かが違う。
粗野でわがままな猫がそこにいるのみである。
「吾輩」は、人間を斜に見、少し人を小ばかにし、ある意味傲慢さも見て取れる。

 基本この猫、「吾輩」は家猫、野良猫の区別がない、それに左耳の先がV字型に食いちぎられている、は少し妄想過ぎるのかも。
そう自由人ならずとも、さしずめ「自由猫」の風体、風格を感じる。


 ここで英訳にもどる。
あとの2文字 a Cat はある意味、すごいと思う。
耳で聞くだけなら解らなかったものが目に見えてくる。
[a Cat] Cの大文字が何か「吾輩」を感じさせてくれるのが不思議である。


 少し寄り道したが、この項での人称は基本「僕」かoldboy-elegy君である。
なぜなら自身の幼年期のほろ苦くも忘れ難い思いを今も持ち続けているのだから。

 この時代、大阪の市立小学校の修学旅行先は概ね伊勢への一泊旅行であった。
伊勢参り」「お伊勢さん」と結構慕われていた。

 ここで賢明なOldboy諸氏はすでに察して頂けたことと思う。
「一泊」→「旅館」→「布団で寝る」→「おねしょ」である、さあー困った。
旅行に行かずに済むものならそうしたいが、理由が「おねしょが怖い」など言えたものじゃない。
母はすでに察していらっしゃる、顔で「おふだ持って行くか?」言っている。
ここで Oldboy がとった策、これしかない、「一晩、寝ずにやり過ごすこと」、結論はこの一択である。

 幸いここは小学校修学旅行生のための観光地,「けん玉」や「ダルマ落とし」など売る店はどこにでもある。

 「けん玉」を買った、とくに理由があるわけでもないが、少し奥が深く退屈しないの ではの思いがあったのかも。
けん玉愛好会の人、ゴメンなさい。

 一晩どこかで、これで遊ぶしかない。
その夜,みんなひとしきり騒ぎ遊んだあと先生がきて「こらもう寝ろ」で終了。
僕 Oldboy君 も取りあえず夜具の中。

 ここで告白せねばならぬのだが、自分の夜尿症にはある決まった夢が引き金になっている。
実は僕、幼稚園には行ってないし、小学校にも2か月遅れぐらいで入学している。

 大阪の小学校入学以前、Oldboy 君、母に手をひかれ、松江市のどこか(陶器店の倉庫)の2階に間借りし、病院の下働きなどして、親子二人の生計をたてていたようである。 
僕はこのころでも父親の顔どころか、存在さえも知らない。

 ありていに言ってしまえば、成れぬ仲の恋路のはての子のOldboy君と言う事だと思う。
勿論こんなこと母に聞けたもんじゃない、母も亡くなり、自身も齢重ねて初めて理解できることである。
この辺のことを書けばキリがない。
これから先のブログに少しずつ挿入はするつもりではいるが、ここではそれが主題ではない。

 間借りしていた部屋は、結構大きな倉庫の中の2階部分である。
倉庫内には大小、木箱に納まった陶器類が所狭しと通路にならんでいたのを思い出す。突き当りに案外広めの階段がしつられてあり、登りきったところの引き戸を開けると結構広い畳の部屋があり、印象としては陽光が差し込む明るく清潔な部屋だったと記憶している。
台所がどこでどんな風だったかは思い出せない。
外食など記憶がないので何処かにあったのだろう。

 この陶器屋さんの倉庫前に車がやっと通れるぐらいの広くはない道が左右に通じていて、道の向こう側に沿って幅2メートルに満たないどぶ川が流れていたのです。

 新参ものの自分に友達がいるわけでもなく、母のいない昼間は2階の部屋とこの辺りをぶらぶら徘徊するのが日課でした。

 アッ、今この瞬間に思い出しました。
近所の男の子とコマ回ししたことを、そうそう母が鉄のワッパがついた駒を買ってくれたことも。
そのコマ、自慢じゃないが他の子のそれより少し高いんだ。 

 そうこの細いどぶ川が僕の小用専用のトイレであり、便器代わりだったのです。
倉庫内のトイレは階下にあり、薄暗くあまり行きたくない場所でした。
そう僕のおねしょはいつもこの川の夢からはじまるのです。

 この夢と癖は、どうもこの地を離れてから始まったようで、今これを書きながら気が付いたように思います。
何故この程度のことが自分の心身にインパクトを与えるのが納得がゆきません。

 次に書くことが主体で、川の事はこれらにからまった表象であったように思います
フロイトユングがどのように診断するか知らないが。


 その日は雨だったのかも知れません。
敷いたままの布団の上でゴロゴロ、小さなちゃぶ台を机代わりに母が告げた分だけの宿題をイヤイヤやっつけるのが日課でした。

 そんなおり階下の倉庫の重い扉が開く音、「〇〇ちゃんいる」と自分より二つぐらい年上の早苗ちゃん(仮名)がトントンと上がってきたのです。
そう長くもない頭髪を短いおさげに結っています。

 早苗ちゃんはこの陶器やの長女でちょっと先の表通りの店の奥に住んでいます。
彼女はそこを母屋、母屋と呼んでいました。

 以前にも何回か母がいるときにきたこともあるのです。
「なにしてるの?」
「ゴロゴロ」
「うん、さっきばあちゃんにミルクキャラメル買ってもらって、あんたにもあげようと思って。」

 この年齢の女の子、自分と2歳も違えばそれこそ天地の差、何もかもが圧倒的存在です。
黄色の箱を開け薄紙で包んだキャラメル全部をテーブルの上に広げ、それを均等に分け半分をぼくにとくれる、と言う。

 当時このようなお菓子は高級品で食べた経験があったのかどうかは思い出せない。
一粒ずつ互いに口にし、「うまいなあ」と顔をあわせる。
布団の上でゴロゴロ状態の自分の横に彼女もゴロンと横になる。
「今日あんた川でおしっこしてたでしょ」と顔を俺に近づける。

 早苗ちゃんの眼(まなこ)は、これまでの柔らかさが消え、僕はえたいの知れない何かを感じたのは事実だと思う。
 それが意味するものを具体的に分からなくとも誰にも言うべきことではないと、理解していたようにも思うのです。

 「うん、下の便所狭いしちょっと臭いし、あんまり好きやない」と自分。
そこに「飴あげる」と新しいのを口に含み、ゴロゴロしている自分の上に覆いか
り 、彼女の唾ごとミルク飴を口移しにくれたのです。
「だれにも言いなや」とちょっとドスの効いた声。

 たったこれだけのことだが、何がどうなったのかは自分にはよく分からなった、ともかくにもOldboy君の人生の始まりであったことはずっと後年になり認識したのである。それも強烈に。

 これが僕のヰタ・セクス・アリスの幕開けでもあり、夜尿症がハジマッタ原因かもしれない、と今になって思うのですがどうでしょうか。

 

 ともかく修学旅行でのオネショは免れたが、ただただ「眠かった。」

                               

                                                                                                  了

          by oldboy-elegy

    

     ブックマーク、はてなスター などのポチボタン

 この先  にあります。 

 よろしければポッチとお願いします。

 励みになりますもので。

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

母ちゃん、oldboy君のせいで学校に呼び出される。着物に日傘のいでたち、教頭、担任の前で、紫煙をプカリ

   母は一生のほとんどを着物で通した人。だが授業参観、運動会、学芸会(当時はそう呼んでいた)など来たことがない。もっともoldboy-elegy君、「来なくてえ~」の一言で「あらそ、わかった」と。しかし卒業式だけはおいでになった、もちろん着物姿で。講堂のスイングドアの脇に所在なげに立っていらしゃたのを今でも覚えてる。ここでは私の行状も含めて母の事もすこしお話しておこうと思う。

                                                                           

 まだ体育館もプールも当たり前ではない時代のこと。
いまにして思えば、母が呼び出しを食う遠因もこの悪天候の中にあったのかも。
運動場は連日の雨で水浸し。
当然、授業は教室での座学に変更。
教室は暗く、みんなの気持ちもなにやら鬱状態である。

 そうこうするうちに、始業ベルがなり授業が始まる。
山本(仮名)と言う新任の体育専門の先生である。
新任と言っても結構おじさんで頭髪もやや後退、そう、さらば草原よ(アデオス・パンパ・ミーアAdios pampa  mia) 状態の方であった。
代用教員の先生らしいと噂があったのだが本当のところは知らない。

 風采も上がらず、いわゆる生徒たちに舐められるタイプである。
そんなもんだから、授業もザワザワ状態で規律が取れてないのは誰の目にもハッキリしている。
こんな状態のときの生徒たちは余計に残酷になるものです。
教室の後ろのほうでは立ち歩いているやつもいます。
先生自身も屈辱感と大きなプレッシャーの中で教壇に立たれていたのではないでしょうか。
ただダンマリのまま黒板に向かいスポーツ用語やルールなどをセッセ、セカセカ書きこんでおられました。

 そんな時、教室の後ろのほうから誰かが「もっと大きな字で書いたれや、暗ろうて見えへん言うとるぞ!」と全く敬意の欠片もない言葉が放たれたのです。
先生の心はもうブルブル・わなわな状態だったと思います。

 この時の僕の席は先生から見れば教壇机のある中心から1列左がわの最前列でした。私(oldboy)が不幸な目に合う原因の一つはこの席位置も大いに関係していたと思うのですが、どうでしょうか?

 この言葉のあと教室の空気が急に険悪になるのです。
そう突然です。
先生は、黒板拭きを手に取り、黒板の大部分を占めていた自分のチョーク字を猛烈な速さで消し始めたのです。
先生、完全に切れた瞬間でした。
黒板の字をノートしている子も、いくらひどい雰囲気とは言え、一定数いたことも確実です。
すぐにブーイングの嵐が巻き起こったのです。
oldboy-elegy君などはもともとノートなど取ってないのにブーイングに参加していた、悪いやつです。

 この後不思議なことが起こったのです。
この喧騒の中、なぜそうなったのかわかりません。
そう突然、何の前触れもなく教室内に完全な沈黙が流れたのです。
ほんの数秒のことだったと思いますが、喧噪の後の一瞬の静寂。

 50人以上のクラス全員がこのパーフェクト・サイレント状態に完全にシンクロしたのです。
ひょっとしたら、集団心理のひとつで学問として言及されているかもしれません。

 僕も含めて教室内の全ての者が今度はこの完璧な静寂に気が付き反応したのです。
急に机をたたいて、足を踏み鳴らしながら、この不思議な現象に一転して爆笑の渦。

当然?、oldboy-elegy君も足をバタバタ、机をバンバン、大口を開けて・・・・。


 今にして思えばすこし度が過ぎていたかもしれません、
ここで自分だけに特別なが不幸が到来するとは予想だにしていませんでした。

 そう、僕を見ている先生の目、尋常ではありません。
理性の片りんも感じません。
一瞬「ヤベー」と思ったのですが時すでに遅し。
そう目が合ってしまっていたのです。
つかつかと真っすぐ俺に向かってくるアディオス・パンパ先生、万事休す。
俺の席の前に立つなり、情け容赦の欠片も感じない憤怒の表情の中で、げんこつを俺の頭上に振り下ろしたのです。

 ここでまた問題が。
oldboy-elegy君、あろうことか反射的に避けてしまい、先生の渾身の鉄拳はなんと空を切りおまけに机の天板をドン。
もうこうなれば先生も人の子、逆上に逆上を重ねて、俺の首をヘッドロック状態で抱え込み、空いた右手でポコポコポコ、さらにボコボコ、後で聞いた話では悲鳴を上げた女生徒もいたそうな。

 oldboy-elegy君、今でもみんなを代表して殴られたと思っている、もしくはもうすこし離れた席ならこうはならなったかもと思うのだが、どうだろうか。
でもよかった事もある、気に入っていた女子の一人がハンカチを水で濡らし手当してくれたこと、これ。

 このあと、授業が続いたのかどうか記憶がとんでいる。
まあ俺も49%ぐらいは悪かった思うが、どうだろう。

 しかしこの出来事をクラス以外の者に喋ったことはないと思うし、もちろん母親にも何も話してない。
はなしたところで「あんたが悪い」と言われることははっきりしている。
ところが翌日の授業終了時、担任が明日両親のどちらかに学校へ来てほしいと耳元で囁かれたのである。


 ここで母親の出番である。
俺の直接の保護者は母親であった。
母と父は姓が違う、oldboy-elegy君は勿論母の名字である。
いわゆる私生児と言う身分である。
それ故か母は「ここは私の出番よ」とばかりに意気軒高のご様子である。
「私生児」と言う言葉、今ではあまり言わなくなり、耳にすることもほとんどなくなったように思う。


 俺は小学校時代を含めて3回ほど良くない事で呼び出されている。
しかし俺をかばってくれたことはない、すべて人前では「お前が悪い」の一言で終わりである。
こんな折に何時も出ばってくるのは「母」である、自分の専任事項のように。

 
 そんなことより俺は母が学校に来ることをあまり喜んでいないし、彼女もそのことを心得ていた。
でも俺は母が好きであった。
ほかの子の母親など見ると何もかもが違っていた。
服装(和装)親子の連れ添う雰囲気とデレデレ感とは無縁であった。
まず母親の洋服姿は夏場以外見たことがない。
ほとんど着物姿であり、家事労働の折は着物の上から真っ白い割烹着をはおっていた。

 授業参観などには来たことがない。
そのかわりあまり良くない呼び出しにはきっちり応じてくれたし今日の事もそうである。
しかし前日に何があったのか聞こうとしなかった、「行けばわかる」の一言である。


 あすは必ず(着物姿)であろう。
子供心になぜか年寄り見えてしまう。
でもそれも、中学生のころには何とも思わなくなった、むしろ凛とした雰囲気がわかってきた。


 もう一つ彼女はたばこをやる。 
家にいるときはキセル、外出時は紙巻たばこである。
キセルもきざみタバコの葉を詰めるのではなく、両切り(フィルターのない)たばこをはさみで二つ三つに切りわけ、それをキセルに差し込み吸うのである。


 あんのじょう彼女、古式蒼然とした着物姿でやってきた。
ご丁寧にベージュ色の日傘もさしてきた、手には小物入れの信玄袋。
一昨日にくらべ今日は打って変わった晴天である。

校長室脇の応接室に通され、俺は外で待機。
しばらくすると俺も呼ばれ中に、担任それに教頭もいて何故かニコニコしている。
親がこのこと(教師の暴力事件として)を問題にするかどうかが心配だったらしい。
だれが事の顛末を話したのかは知らない。
その心配は必要が無いとわかりホットしたとこのようである。

 母は大方「息子が悪い」と言ったに違いないと確信はあった。
ここで彼女が唐突に、「灰皿使わさしてもらっていいですか」と。
彼女、こんな折でも我慢はしない。
しんせい(たばこの銘柄)をヒトサシ指とナカ指の先ではさみ、背筋伸ばし天井にむけて紫煙をくゆらせる姿は何か手前味噌だが恰好が良い。
ちょっとした姐御の雰囲気ではあるがなんせここは学校。
前では先生二人が異種のいきものを見るようにキョトンと眺めていた。

 

                  了

                          by oldboy-elegy

 「でもよかったこともある。
気に入っていた女子の一人がハンカチを濡らし手当してくれたこと、これ」の文が記事中にある、これがTenko(女性の名)であった。
これらの3記事は各々別物であり意図したものではない、しかし微妙に関連していることで面白い。

 oldboy-elegy君の記事などなんの足しにもならないが、ただ読んでいる時にも「誰にも言えないが実は、あの時」「あいつ(昔の恋人)今頃どうしているんだろ」「実はこんな面白い経験したな~」などほんの数分誰知れず思い出し、ニヤッとするのもまた、人かもしれない。

 

 

oldboy-elegy.hateblo.jp