oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy ( 66)  夜になり、近鉄電車の銀色に光る車輪をながめての一週間、明日の午後3時にてアルバイト終了、「フーッ」






 ★1  oldboy-elegy君のアルバイト遍歴の職種は多くはないがそれなりの経験
  はあった。


親父は、この地域の特産品である、歯ブラシ職人の頭(かしら)らしき事
をやっていた。
使用人は同郷(香川県)の親戚筋や百姓家の次男、三男坊を頼み、頼まれ
大阪に呼んでいた。

多い時は、自分の息子二人(oldboy君から見れば義兄)を含めて7、8人の
大所帯になることもあった。

近くの空き地の脇に土地を借り、小さなバラック小屋に中古の電動モーター
を据え、懸命にやれる範囲の行程の下請けを受けていた。

そんなおり、旨(うまみ)のある自前取引の注文が入る事もままあったよう
である。

親父の学歴は、尋常高等小学校である。
今、考えて見れば、零細とはいえ、幾分かの商才はあったように思う。
何故なら、彼等の多くは、裕福とは言わないまでも、所帯を持ち、独立して
行ったのが、その証拠だとoldboy君は見ていた。

それに、なによりも俺の母を「お妾(めかけ)さん」とし、一生を全うした
ことが
「ほほえましい」事実でもある。


★★2 アルバイト経験は高等学校までで、大学生時は近くの小さな塾で
 4年間講師としてお世話になった。コストパホーマンスの上から見れば
 最悪の職種である。相手は人である、感情移入すれば時間は関係ない
 ものとなる。


小中学校の時など「今日、ケツネうどん、でも、かしわの卵ドンブリでも
ええで」との親父の甘言に釣られて、時々、工場に手伝いに行くことも
あったが、これはアルバイトとは言わぬ。
※ かしわ とは関西では普通、鶏肉のことを言う。

せいぜい、袋詰めや数(かず)を数える事ぐらいのことだが、それでも
「ネコの手」よりいくぶん益(ま)しだと言うことだろう。

夜食につられて行ったことは事実であるが、本人(oldboy君)それ
以上に工場での雰囲気は嫌いではなかった。


節季(せっき)など、忙しいおり、お声がかかる。

工場のモーターに繋がるベルトが何かに当たり「パシッ、パシ」と音を
たてていたのを思い出す。

今にして思えば「俺も、この親父の仕事を、するのだろう」と漠然と
思っていた節もある。

工場の人達の学歴は、すべて中学までで、それさえ満足に出ていない人も
いたはず。
そんななか、手前「俺だけが」何故か、大学、それも私立大学に行かして
もらったのである。

これには当然、お妾(めかけ)である母親の存在が関係していたはず。

その母の自慢は 自身が5年制の高等女学校の4年まで在籍したことで
あったことは知っている。

ずっとずっと後のことだが、幾つ違いかは知れないが、母には妹がいる
と聞かされて
いたことがある。
その妹も、台湾に出入りしていた、所謂、「台湾ゴロ」ともども、手を
取り合い
彼の地に去ったらしい。

姉妹して、似た境遇の人達で、あったようである。
以後、生死をも含めて、妹さんの話は聞いた事はなかった。


★★★3 に、電車のイラストを貼った、親父(おやじ)、アルバイト、
 近鉄電車が一つになり、今日のタイトルに集約される事になる。

親父は時折、商用で「鶴橋駅」の国際マーケットに出入りしていた、
それもバッチリおしゃれして。
いわゆる、大正、昭和期で言う「モボ・モダンボーイ」の端くれでも
あったようである。

御存じかどうか知らないが、ここには戦後の闇市(やみいち)をもとに
多くの雑多な品を扱う商店が、近鉄省線鶴橋駅を核に集まっていた。


「国際マーケット」とも呼ばれ、衣料品を初めあらゆる生活雑貨店が
軒(のき)を並べていた時代の事である。
世間では「闇市」と言うほうが通りが良いのかも知れない。
日本人の店はもちろん、韓国、朝鮮系の店も多々あった。


親父も、こんな中、手前の作った「歯ブラシ」を卸していたはず。
それにこの雑多な猥雑さは、ある意味、男心をクスグル何かをも感じさす
場所でもあった。

オトコと言う生き物、何年やっても、そうそう性格が変わるものでもない。

時おり、「キャバレーやビリヤード」の話を、まだ年端に行かぬold-boy
君にする事もあったが、それがまた、いかにも
親父らしい。
喜々として俺にお喋りする様子も嫌いではなかった。
※ キャバレー 女性の居るダンスホールや舞台のある酒場のこと


そんな親父がある日「アルバイト!決まったのか?」と言葉を投げかけて
きたのである。
高校1年の年、暮れも押し迫ったころのことである。

続けて「鶴橋の闇市で、一週間ほど、泊まりである店を手伝って欲しい」
とのことであった。

アルバイト料に破格の日給を提示され、父自身も魅力を憶えたのかも
知れない。

もともとの雇い主は「鮮魚店」で、親父が直接、面識があった訳でもない。
よくよく聞いてみると、父の同郷の士の頼まれごとであったらしい。

父の表情には、「頼む、俺の顔をたてて、やってくれへんか」と言って
いた。

店は鮮魚店で、朝早くから昼ぐらいまでは、卸(おろし)商いで、
売店
や食堂などをお得意にしていた。

遠くは、伊勢近在から朝一番の近鉄電車でやってきて大きな丸籠に
彼の海で取れた高級魚を、この闇市の決まったお店に置き、帰りには
乾物など日持ちのする
海産品を仕入れて帰るオバサン商人も多くいた。

「して俺はここで何を?」と聞くが、明瞭な返事が返ってこないまま、
雇われることに決定。
「おいおい、なんじゃこれ」と思うが、断れる雰囲気ではない。

親父は、俺を置いたまま人混みの中、友人ともども去って行った。
俺は俺で、魚屋の社長に連れられ彼の店へ。

店はこの時間(夕方)、店頭は頑丈な戸板が張られ、今日の営業はとっくに
終わっていた。
脇の潜り戸を開け中に入ると、すぐ目の前の階段が、暗い二階へと続いている。
そこには、なにやら生活感の薄い二部屋があり、特筆すべきは、天井がやけに
低い造りになっていたことである。

「ここで、寝泊まりしてもらい、食堂、銭湯はこの先で、と・・・」の事。
「番頭が、朝、3時過ぎにここに来るよって、彼の指図通りしてもらったら
OK」だと言う。

そんなおり、目前のガラス窓の向こうに、轟音を伴って、電車がホームに
入って来たのである。

左方向が、近鉄電車の終着駅・上本町6丁目方面である。
鶴橋駅」を俯瞰するとすれば、oldboy君のいる場所は駅の一部の
様に感ずる場所
でもある。

ガラス戸を開け、手を伸ばせば届くほどの近場と言えば、少々、大仰かも
知れぬが。

余りにレールが近く、電車の座席シートも窓も、もちろんパンダグラフ
目にすることも出来ない。
見えるのは線路と銀色に光る、電車の車輪が全てであった。


やがて番頭さんがやって来て、チョットした紹介の後、社長は消えた。
番頭さん曰く、「なんでも聞いて」とのことだが、もう一つ要領が
掴めない、ともかく、翌日から勤めることにあいなったのは間違いはない。

解ったことは、毎朝PM3時ごろ起床、どこか近くにあると言う、貸し
冷凍倉庫にいき、段ボール入りの冷凍イカを、水道水を大量にブッカケ
解凍作業をするとのこと。

そのあと、半解凍のイカを台車に乗せ、店に持ち帰り、開店準備を
しながらイカを店先に並べることが、主なoldboy君に要求される

仕事らしい。


イカの解凍作業も、番頭さんの教授も、初日だけで、あとは自分でやって
くれ
とのことである。

渡されたゴムの長靴と黒い前掛けを見ただけでなにやら身震い憶えた。

泣きたい気持ちになってきたが、親父の手前もあり、逃げ出すわけにも

ゆかない。

店内でのoldboy君の立ち位置は主に、この冷凍イカとサバの売り棚を管理
することで要するに、先輩たちの下働きと言うことである。

高級魚と言う訳でもない。

ただ、サバにも種類があり、魚の横腹にゴマのような黒い斑点がある
「ゴマサバ」と斑点の薄い「マサバ」と称する二種類があると言う。

これら二種の価格は大きな開きがあり、マサバが断然である。
「マサバ」のマはきっと「真」のことで、すし屋が求めるものでもあるら
しい。

ただし午後からの、シロウト客には、「ごまさば」を「まさば」の口上で
騙し売ることもあった。
  

★★★★4  すこし悲しくなってきた、思い出の景色



そこで今でも明瞭なある光景を思い出す。

夕方早く、銭湯を出ると、日はすでに落ちている。

電信柱にかかる黄色い裸電球の下「賃つき餅屋」の、あんちゃん
たち
5・6人が「もち米」を、蒸篭(せいろ)で蒸し、モウモウ
とした蒸気の
向こうで威勢よく餅つきをする姿を憶えている。

正月はもう、目と鼻の先である。
なにやら母や妹を思い出し、泣きたい気持ちなってきた。
※ 「餅の賃付き」 餅米を持ち込み、賃料でお餅をついてもらうシステム
のことである。



★★★★★5 ある理由で高校2年の時のアルバイトは望んで同じ仕事した。

きつくはあるが、ただただ実入りが良いと言うだけで、翌年の年末のアル
バイトも親父に
頼み、あのハンベソをかいた、鶴橋の「闇市」に行った。
なにも喜び勇んでの事ではない、oldboy君なりのちゃんとした訳があった。
この歳の冬のアルバイト、前半は「花屋の門松造り」で年末は大晦日まで
鮮魚店」での地獄の段大円のお勤めとなる。
※ (段大円・だんだいえん) ものごとの最後の局面

来年の春早くに、修学旅行が予定されていた。
もちろん旅行費用は母が毎月積み立ててくれてたのだが、彼自身どうしても
旅行に欲しいものがあったのである。


その品とは修学旅行で着用するつもりの「黒の革靴とグレーのハーフコート」
の2点である。

「笑うなかれ」どうしても、必要なものでもない。
ただ、当時の学生、あるいはoldboy君?の「おしゃれ心」がそうさしたので
ある「そんなに苦労してまで」


九州旅行、関西汽船別府航路乗船のおり、女友達の「てんこ・TENKO」と
甲板で風よけのため、同衾とまで言わぬが、1枚のコートを二人で羽織った
良き
思い出が今も残像としてある。

もちろん、母にも、親父にも「これこれを買うため」とは言っていない。



                     了
                     oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 65)  oldboy-elegy君・自身とブログとのスタンス(かかわり)をだらだらとお喋りする



★1  oldboy-elegy君、書き貯めたメモ用紙が1.000枚はあるはず。

そのメモと言うのは、パソコン内に電子的に保存されたものではない。
自慢じゃないが、メモとは紙製の昔ながらのあの「メモ用紙」である。
100円も出せば、数冊、セロハンシートにくるまれて買えるあれで
ある。

時おり、oldboy君の読者諸氏の記事に「記事が消えた!?」など自分の
意思に反した、パソコン様の動きに「ドギマギ」し、数時間、ときには
数日かけて復旧努力に精を出されておられる方も時々おられる。

若いお人
ならそれも良いだろう。
日々のパソコンとの、大小の戦いの結果は、きっと生きるための高度な
スキルとなって、若者たちの内に蓄積されるものであるはず。


だがoldboy君のような、年寄りには、こんな場面、はなはだ精神衛生上、
好ましいものではない。

なぜなら、oldboy君、お歳から考えて、パソコンスキル、よしよしの
身分ではない。

明日にも知れぬこの命、そんな悠長ななことに、時間を割いている暇は
無いのである。
従って、ストレス以外の何物でもない。

ただ結果が欲しいだけで技術取得が目的ではない、悲しいかな、ただの
手段なのである。


oldboy君の書き貯めた、メモは現にここに実体として存在し、消え去る
ことは、考えられない。
これほど確実なことはない。
こんな感覚は昭和、それも戦後すぐに幼年・少年・青年期を過ごした人間

には拭い難い現実であると同時に、愛しく切なくて大切なものとして、心の
片隅に、存在している。

多分、自分達は生きている限り、現代人の端くれかも知れぬが、なにやら
怪しい、何処か今の世の価値観にずれを感ずる自分がいるのもまた事実である。

人間が作り出した、新たな電子的文明が、自身からの制御を離れ、予想する事も
難事な世界になって来る。

oldboy君が常日頃、標榜する、elegy(哀しさ・悲しみ)などに現(うつつ)
ぬかしているなど持ってのほかで、そんな吾人などは、生きることさえ
難しい世になって行くのかも知れない。


★★2 ある意味、oldboy君のごとき怠け者、生きる事に努力を払わ
なかった人でも、取り敢えずは生かさしていただいた最後の地球人世代
なのかも知れない。

数日前に自分のこの、オンボロパソコンにちょっとした不都合?が生じた。
スタートボタンの右に何やら見知らぬアイコンの親戚みたいなものが突然出現、
いろいろ触ってみるが、消えてくれないのである。

毎月、月半ばぐらいに、マイクロソフトからアップデイトを促すために、
半自動的に再起動要請がされる。
この時の影響での置き土産とoldboy君、勝手に思っている。

その都度、同じウィンドウズOS10でも、初期の内容から、ドンドン俺に
断わり無しに改変される。
しかし彼、マイクロソフトのアップデイト要請に殆んど応じたことが無い。
自分の預かり知らぬことには近づかない、いや近づけないのである。

「こんな便利な機能が付きましたよ!!」と言われるが、時代遅れのままで
いまさら結構と強がっている。

oldboy君、唯一の文明の利器パソコンは殆んどデフォルト状態で使用して
いることが、
なにか罪であるかの様にドンドンと背を押しまくられる。

あ~そうそう、上記で使った「デフォルト」と言う言葉、彼の学生時代
には「企業倒産」や「行き詰まり」などを意味するもので「初期設定」など
の概念は存在していなかったはず。


さてただ、彼、自分の意図しないパソコンの動きが、目障りで、
なんとか消去
したくなる。
悲しいかな、oldboy君のパソコン・スキルの未熟さが、こうさせる
のである。

こんな時、自分のパソコン技量に100%自信がないoldboy君、即、
OCNのダイレクト・ヘルプに電話、事情を告げると、と即リモートに
切り替え、数十秒でいつも通りの画面に復旧?した。

さて、同じ人間のハズだが、この技量の差はなんだろう。
現代人とその他多数の動物?、もちろんoldboy君、人以外の動物に
分類される生き物である。

ここで、俺、「何故、どうして?」などの質問はしないことにしている。

いや違った、目の前に起こった不都合な事案を適切な言葉で表現する
ことが
できないのである。

「ほれそれ、あれあれ・・・」などと言葉にならない。
こんな自分にも、対応、処理される相手若者の技量には頭がさがる。

不都合(故障?)が治ればそれでOK,自分が使用するだけの要件はこれでよし
となる。

oldboy君、特段、パソコン技術を求めているわけではない。

ただ、これからパソコン技術を極めようとする人には、もの足らないと
感じるかも知れないが、oldboy君には、この歳と、良くない体調を考え
れば
これで十分?だと思うがどうだろう。

それをおして、「終末人生」やらねばならぬこと、他にイロイロある。

しかしパソコン・ブログだけに気を取られている訳にゆかないが、少ない
楽しみの一つであることは間違いない。

1か月に僅か3記事程度の出稿、それでもこのoldboy-elegyの駄文を読み
スターを添付、時おりはてなブックマークより書き込みをいただくことも
ままある。
嬉しいものである。
          

             ★★★3

なにやら、予期した通りの、取り留めのないダラダラ文になってしまった。
これもまた一興かもしれぬ。

それでは、今宵もこれで失礼する。
でわ でわ
              
                                      了

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oldboy-elegy ( 65 ) 我がクラスの暴君,M君、先生も見抜けぬ、俺に対する裏の顔はこうだった


★1  お聞きしますが、今の時代、小中学のクラスの級長や副級長、
その他もろもろの役割を担う担当者は、先生指導の下(もと)、自分達
で選び、クラス運営に
当たっているのかな?とフット頭をよぎったもので。


それに、いまどき、誰が好んでこのような役、積極的に引き受けるお人が
おられるとも思えないのだが。
ある意味、災難事と思われているのかも。

イヤなに、その「級長、副級長」などの言葉そのものが今でも存在して
機能しているのかな?、oldboy君には分からず、こうしてお伺いしている。

oldboy-elegy君の時代(半世紀以上の昔のこと)頭がよく、闊達(かったつ)
で、家が医者とか名の知れた商家の子たちが、先生の「指名」でもってクラス
委員になる事がままあった。

それに、それらの役職(級長など)は、チョットした重みとステイタスがあった
ように思うがどうだろう。

まず、勉強の「できる」ことは級長への道の「必須条件」であったことは間違い
のないところであった。

しかし、考えてみたら、昔も今も学校の組織としての役職は、そうそう
変わるものでもなし、必要なものは必要であるんだろうなと「フット」と
思うが、いよいよ判然としない。


今ではただ選出にあたり、それなりの平等で民主的な方法で選ばれるの
だろうと思うが、もう一つ良く判らない。

彼の時代、彼のクラスの学級委員、M君は古い家具屋の息子で自身の勉学
での頭脳も明晰で、後に、この地域の国立大学の理工系に浪人することなく
入学している。


★★2 しかしこのクン、oldboy君にとり、ほんに、恐ろしいお人で、あった。
彼の本当の顔を知るのも、恐らくoldboy-elegy君一人であったように思う。

彼との同級は小学5-6年で、随分ヤラレタと言うのか、痛み付けられたものだ

が、多分oldboy君の心境は誰も知らなかったと思う。
以下、それらの行状の一つ一つを書き起こしてみる。

A ・  まず多分小学、五年生のおりのことである。

女先生が、所用か何かで、急に出かける事になった。
運の悪い事に代打の先生も居なかった。
先生のその時の弁が、
「M
君(級長君)に、そんなに時間かからんし、はよ、帰って来る
よって、
 教室 頼むわ」の言葉を残し出かけられたのである。

「ウへ~」先生こいつの本性を知らないのである。
oldboy君、この時「何かされる」と覚悟する。

ヤツのこの時のお仕置きが、
oldboy君を教授用の大きなソロバンに
座らせる事だった。
よく判らないまま、oldboy君を狙い撃ちである。
少々喧(やかま)しいのがその原因であるそうな。

この時の膝の「痛み」の感覚は今でも憶えている。




とにかく、手加減を知らぬ人であった。











多分この同じ日だったはず。

下校時、文句を言ったら、道に敷かれたジャリ石を、手加減することなく
思い切り、俺に投げよこすのである。

当たり所が悪けりゃ、大変な事になる。

彼、そんなことなど、微塵も考えていないかの様子。

oldboy君なら、少々の座興なら許されると思っているのか、手加減が
感じられないのである。


B ・ 6年生の運動会でのことである

スエーデンリレーと言う名のリレー競争、彼の命令で無理やり引き出された
事があった。

学年6クラスか7クラスで、代表が出ての学級対抗競争である。













正式には、100M・200M・300M・400Mを4人でリレーして競う競技であるが、

この時は確か50M・100M・150M・200Mをリレーするものであった。
結果は7クラス中、3位か4位であった。

彼は激昂した。
今日の本番まで、何回もM君に呼び出され練習もした。
もちろん、「否」とは言えない彼の命令である。
あいつは一生懸命で、俺は適当であったことは認める。

そして彼のお仕置きが運動場を幾周も走る事であった。

何やら、偏執(へんしつ)じみたところがあったがみんな、それとは
気が付いていない。
むしろ、最もフサワシイ「級長さま」と映っていたのかも知れない。


C  ・ 最後にもう一つ
oldboy-elegy君、母の頼まれで、醤油一升を買いに近くの店に出かけた。
大きな綿布風呂敷に入れ、よっさら、家の近くまで帰って来た時、偶然
彼と出会ったのである。
かれの家は、ここから数百メートル先の、商店街の中にある。


彼が風邪か何かで休んだおり、給食でのコッペパンを届ける様に、先生に
仰せ付かったこともある。

彼、oldboy君の様子を見かねたのか、あろう事に「持ったるわ!!」と声
をかけて
くれたのだ。
こんなお言葉、初めてのことである。

正直、チョット嬉しくもあった。

玄関を入り、すぐ脇の戸を開けると、そこに土間があり、その奥に
板の間がある。
その登り口に、高さ10センチ、横幅1メートルほどの石の上がり
(かまち)が置かれていた。


N君、なんとなんと、その石のカマチの角にガラスの醬油ビンを
「ガッシャーん」とぶっつけたのである。
土間は醤油の匂いが充満、もちろん醤油としての要は足さない。
本人、「ギャー」と大声をあげ、そのまま土間を抜け玄関を走り去った
のである。

大量の土間にまかれた醤油と匂いを残して、遁走されたのである。

この事は当の二人以外誰も知らない。

場面はoldboy君の過失としか取れない状況であった。
敢えて「あいつ」だと言っても「意味のない」ことである。

母には、この事で、こっぴどく叱られた記憶はない。

しかしoldboy-elegy君、この事については、「あいつ」がワザッとした
ものではないと確信している。

ところで、俺、彼自身の友達や遊び仲間は誰一人として知らない。

唯一、友人としての表現では、少々風変りではあったが、oldboy-elegy
君が
その役を仰せつかっていたようにも思う。

oldboy-elegy君、こんな形の友も、今になれば「アリ」かと思う。

記事を書くうち、なにやら、親愛とまで言わないが、懐かしい思い出と
して胸に去来してくるものがある。
これもまたエレジーである。

それでは きょうも、これにて しつれいする
僕のブログが何か他人様のお役にたっているとか、目新しい情報が掲載
されている、なんて思ったことはないし、事実そうである。

ただただユルユル話で、コーヒーブレイクぐらいに思っていただけたら
嬉しい限りである。

でわ 今日は  )このへんで 失礼をする



             了

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(雑感・雑記帳 No. 64 ) なにやら、近ごろ、薬で腹いっぱい。最低、週一回は、休肝日ではなく、休薬日を設定することにしたoldboy君、何故に?    

 

                               


★1 彼、最近、過眠症?ぎみである


ちかごろのoldboy-elegy君、終日睡魔

に身を託している感がある。
つい先日など、12~13時間もベッドで
半睡
状態で横たわっていたが、
さすがに「こりゃ
いかん」と自覚。
タイトルの様に生活感覚を変える
ことに
チャレンジすることにした。




医者の処方薬に、いわゆる「睡眠薬」はいただいてはいない。

ただ、以前からの持病の「腰痛」に加えて「コロナワクチン」接種後の
体調が
良くないので、これ等の対処薬として、痛み止め(ロキソニン)や
筋弛緩剤を処方していただいてはいる。

睡魔の原因はこれらの薬効の副次的なものと思っている。

3回目のワクチン接種からもう半年が過ぎたが、依然しゃんと?しない。
筋注射部の左肩から手首にかけての「痛みとシビレ」が一向に改善される
兆しが無いのである。

はっきり言えば、歳のせいであるのかもしれない。
大向うから「ハッキリ言わなくても、歳のせいだよ」と聞こえてくるようだ。

ただ救いは?、就寝時ベッドに横になると、腰痛はもとより、ワクチン接種
あとの疼痛や痺れが雲散霧消(少々大袈裟)。

だって、ベッドに横になっている限り天国で、同時に必然的に睡魔が襲うのも、
これまた至極当然の道理である。

 






服用薬8種以外にもシップ薬、点眼薬
3種、軟膏3種、などの外用薬もいろいろ
使用している。

アホに付ける薬は無いはずだが?




しかし、このこと考えてみるに、決して「健康的」な人としての在り方
とは思われず、
たどり着いた考えが、「一週に幾度か」意識的に薬断ちを
して、過ごしてみようと決心
したのである。

睡眠時間を8時間前後に抑え込み、同時に終日「ぼよ~ん」としたあの
非生産的な感覚からオサラバしたいとの思いからの事である。

それがタイトルの、oldboy君らしからぬ、威勢の良いチョットした決心
と相成った、と言うことである。


★★2 くすり断ちの日の彼のご様子

今oldboy-elegy君、昨日,夜間から薬断ちした上でブログを書いている。

朝から、この時間(PM6時ごろ)まで皮膚にぬる軟膏や腰痛のための
シップ薬、ビタミン剤(市販)以外の薬は断っている。

とくに、痛み止めの「ロキソニン系」や「筋肉弛緩薬」は朝からストップ、
そのために「とくに痛みや痺れが増幅した」との感覚は今のところない。

あのトロトロした非生産的な眠気も幾分回避できたと勝手に思っている。

今日は早朝から、2回に分けて洗濯。
その後、特別用事があった訳ではないが、妹に電話してよもやま話。

ただお昼に、痛み止め関係の薬剤による「強制的な睡眠」ではなく
「2時間ほどの自然睡眠」はとった。

このまま、一日の合計睡眠時間が8時間程度に収まるなら、もっと長時間
痛み止め関係の薬剤を断ち、「どうしても」の場合のみ使用して見よう
と思うがどうだろう。


★★★3  今日の主体は薬でなく、俺自身であったはず、それだけでも
気分がよく、負の気持ちに落ち込むことがない。


ともかく、人としての通常のあるべき姿の形に戻すことが必要だとの思い
である。


結論から言うと、今日のこのささやかな抵抗(痛み止めと筋弛緩剤の服用
しなかった事)で、「痛みや、シビレ」が増幅したとは思えず、ある意味、
精神的に「爽やかな
一日」を過ごしたように感じている。

今日は、早目にお風呂に入り、読者諸氏の記事を読み、あとはネットを徘徊
して過ごすつもりである。

でわ でわ 今宵はこれにて 

                      了
                         oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 63 )  なんだこれ!?タイトルの文字「令和・れいわ」が、俺が知らないうちに「了和・りょうわ」になっていた

★1 oldboy-elegyくん、おお恥をかくところ、寸時の所で「難を逃れた」、
言う読者諸君にとってはいつもの通り「お寒い、どうでもよい話」である。



新しい元号は「令和・れいわ」で、
「了和・りょうわ」ではないよ。

       by oldboy-elegy







彼のブログ、概(おおむ)ね自身の失敗談、冴えない話で終始している
ようである。

他人様に何か「極上」の情報を披露するものでもないし、自前(じまえ)
の考えを他人様に強要するものでもない。


ただただ、瞬間、クスッと二ヤついていただければそれが最高のギフト。
しかし残念なことに、これのみでは、oldboy君に伝わらぬ、そこで
「おもろかった」と一言あれば我が身、天国に昇った気分になれる。

その上、oldboy-elegyくん、現在罹患(りかん)中のコロナワクチン
接種後の後遺症?
である「肩肘の疼痛・しびれ」も大いに軽減されると
言うものである。

それでは、宜しかったら数分の間、お時間をヨロシク。



★★2  oldboy-elegy君のブログ、通常、投稿数日前に、下書きから
「投稿予約」に移して、あとは、そのまま「行ってらっしゃいませ」

 のダンドリでUPしている。



つい先だって投稿した、(2022・09・12)タイトル「雑感・雑記帳 
No.61 令和時代のタヌキ騒動とぽんぽこ話・・・」でのことである。
※ 最下段の下にリンク記事として掲載、よかったら一読を

もう記事は、出番を待つばかり、ただoldboy君、予約中に一日一回は
読み返し、誤字・脱字を中心に訂正を加えている。
文章の旨い下手(ヘタ)は、残念だが、これは才能の分野でいかん
ともしがたい。

残念な事に、それでも時おり、間違いを発見できずに世の中に出て、
恥ずかしい
思いをすることが、ままある。

この「ぽんぽこ話・・」の出稿日、当日のことである。
あとは、指定時間(多くはPM7~8時)を待っているのみで、やる事はない。

oldboy-elegyくん、この日も、うつら・ウツラの午睡中でのことである。
最近、彼、どうも睡眠時間が長くなっている。
一日のうち、合算すれば10時間はベッドに横になっている。

この原因は彼的には、ハッキリしている。
コロナワクチン3回目接種後の体調が、もう半年近く経つのに良くならない
のである。

左、肩から腕にかけて、鈍痛、痺れが一向に取れずにいる。
一時期、もっとひどかったが、これでも幾分ましになったようである。

ここに加えて、昔からの持病の腰痛が加わる。
お医者での調剤薬は痛み止めの(ロキソニン)を初め、6種類の薬を常用
している。

病院からの帰途など、チョットした大きさの手提げ袋は、食品スーパー
から
の帰りかと見紛う(みまがう)ほどである。
※ 見紛う(みまがう)見ま違い(みまちがい)

これらの薬を朝・昼・晩と常用すれば、当然、眠くなり過眠状態にもなろう
と言うのも頷ける。

その分?薬効は良く、ベッドに横になれば、ワクチンによる痛みも腰痛も
殆んど消え去り、夢見こごちのウツラ・うつら常態になる。



★★★3 
タイトルの「令和」の文字が、「了和」になっている!!!。

こんなおり、まるで手塚治虫のマンガの登場人物「アセチレン・ランプ氏」

のあの後頭部のへこみにポ~と灯りが立った。

例えが古くてゴメンナサイね!

この時、oldboy-elegy君、なにやら咄嗟(とっさ)に、不吉の予兆みたいな、
いやな感じが脳裏をかすめたのである。

完全に覚睡して、思い起こしてもこの思いが何処からのものか原因か、
判然としない
のである。
予約のお医者、何かの納金など、いろいろ思い描くが心あたりは無い。

たどり着いたのが、今日の夜のブログ予約投稿に突き当たる。
oldboy君、「!!!」と反射的に起き上がり、今日投稿予定の記事を覗く。

その瞬間に「これだ!!」と悟ったのである。
「ウヘーッ・うそ~」とoldboy-elegyくん,唾(つば)を飲み込みドキドキ
ものである。

それはあろう事か、タイトルの「令和時代のタヌキ騒動と・ぽんぽこ話」
「令和」
のつもりが「了和」となっているのだ。
あってはならないが、文中ならまだしも、タイトルもタイトル、その
「書き出し」が違っていた。

oldboy-elegy君、ともかく、投稿時間まで、まだ数時間あることを確認し、
出稿日を明日に変更する。
よくぞ目が醒めたものだと、偶然に感謝する。

これでとにかく、胸のドキドキ感は幾分納まるが、「なんで?」の疑問

が消えない。


★★★★4 なにが原因でこうなった!?

以下、、原因は幾つかの事実と誤認が偶然に重なったものだと結論するに
至る。
それを時系列的に追ってみた。

A・ oldboy君、普段から「了・りょう」の字を良く使用している。
各記事の終わりのクレジットは「終わり」でなく「了・りょう」とし、
そのあとに「oldboy-elegy」と毎回サインしている。
※(了・りょう)と読み、(おわる、おえる、終わる)こと、論文や小説など
の終わりに用いる。


B・間違いの「りょうわ」を検索すれば、「マージャン」用語で「上がり、
あがり」を意味する「和了・了和」が出てくる、つまり言葉としては
存在していて、当然、出て来た文字に疑問を持たなければ「了和」と
印字されてしまう。
oldboy君が「令和」を「りょうわ」と発音、つまり「令和」のつもりで、
そのまま印字したのが原因と推察できる。

しかし、あの格調高い?、「令和」の文字が、よりによって「マージャン
用語」
にとって代わっていたのである。
「なんと罰当たりな!!」と思うより、oldboy君、いかにも自分らしい
と頬が緩む。

C・結論はoldboy君が、気が付かないまま「令和」の「令」を「りょう」と
発音し、検索された「了和」になんの疑問もなく、使用したのが原因である、
と結論づける!?。

またしても、アホのoldboy-elegyなるお人が出て来て、独り相撲を取った
かたちである。











これの一部始終を見ていたカラスが、はるか天空の高見を舞いながら
oldboy君に向かって「アホウ、
アホウ」と声高にイナナク事で今日の
記事も終了とさしていただく。

冷や汗ものであったが、ともかくも助かった。
マージャン用語の「了和」が「令和」とな!!、これがまた一興
(いっきょう)、彼らしい。





               了
                     oldboy-elegy

下のリンク記事が、今日の題材の元記事である。
話の内容は関係が無い、タイトルの「令和」が危うく「了和」で出稿
するところだったと言う話である。

oldboy-elegy.hateblo.jp

(雑感・雑記帳 No. 62 )  コロナウイルスワクチンの4回目の接種案内が来た、これについてoldboy君の思うところを少し記事にしてみた

 

★1 多分4回目の対コロナ・ワクチンは接種しないと思う, なぜに



3回目のワクチン接種後、副反応か副作用か知らないが、左肩、付近から
手のカイナに向け、痛みや痺れが奔(はしっ)ていたがここに来て大部
に楽になったように思う、だが完治と言うにはまだまだの感がある。

やれやれ、ここまで約半年かかったことになる。

その間、この痛みに対処するための薬を処方されたわけでも無い、その
まま持病の腰痛用の
調剤薬、痛み止めのロキソニン・筋肉弛緩剤の何やら
に胃腸薬・そして
外用薬の貼り薬の消炎剤をズット続けていたことになる。

お医者も、処方の仕様が無いのかと思う。
何故なら、持病の「腰痛」対応と同様の対処となるため。

さあ~、そんなおり四回目のワクチン接種案内が先ごろ役所から届いたので
ある。

内容はこれまでと同じ、ファイザー社のもので、ロットの違いがあるのみ
で、変化はない。


3回目の接種日は今年の4月初旬のことであったから、以来約半年になる。

「さ~ぁ、どうすんべいか!?」とは一応思ったが。

このタイミングでもう一度、今度で4回目!?、と顔をしかめるoldboy君

がいる。



痛みシビレともに回復基調の今、もう一度はない。

奈良県に住む我が妹どのに即電話を入れてみて様子を聞く。
オミクロン対処用のモデルナ社製がどうとか言ってるが、こちらの
役所案内にはこれまで通りの「ファイザー社製」のロット違いの物
で、4回目になる。

書類の何処にも「オミクロン」の「オ」の字も見えない。

これまでのCOVID-19対処用のワクチンと同じものである。
3回目の接種の後、半年も苦しんだ「痛みとシビレ」、もう勘弁願いたいの
が本音である。


ただ痛みに半年の間、耐えたのはoldboy君自身である。

そんなあれやこんなを見れば、なにか行政のコロナ禍に対する、一貫性が
薄らいできたよう
に思う。

以前に比べ、なにやら個人の裁量巾が増したように思うが、どうか。

接種案内を眺めれば、過去3回のワクチンの種類と接種日もきちん

と印字されている。


★★2 この流行り病(新型コロナ)と超高速コンピューター

恐るべし、コンピューターの威力と妙な所で感心、感嘆をしているoldboy君
いる。

今の若者たちには当然の事で、なんの不思議でもないこと、ただここにいる
化石人間の彼には、不思議な感覚になる。

つまり、行政は僕一人の健康状態を、事があれば何時でも、その
基礎数字
だけは確定、確保して、後の研究材料の源泉は確保されたことになる。

悪く言えば、広大な無機質実験場の中の、基礎数字の一個を提供した感覚
に置かれた感じになった気分である。

これから、使われる、新型コロナの変異種オミクロン対応型のワクチンも

結局、個人それぞれが、どんな対応のグループに属するのかをキチンと
記録に残すもので、もしそんな中から、偶然良い結果がでたなら、一気呵成
に集中できると言うもの。

あまり、俺の生き死にに関しては、哀しさや、嬉しさなどは関係のない、
無機質なものなんだろうと思う。

例えば、どの種類のワクチンも接種したこともない人がいれば、それは
それで、集積すれば、意味をもってくるのかも知れない。

ファイザー3回で終わるつもりのoldboy君も同様にシタリである。
どこかのグループが、偶然高位の良結果を得る事を期待したい。
たとえ自分がそこに居なくても。

これも、ある意味「無機質な個人の社会貢献」かも知れないとoldboy君は
考えることにしている。

結論として、研究者や行政、超高速コンピューターが一刻も早く、これだと!
核心できるものを見つけて欲しいものである。
それでこそ、oldboy君が、半年も副反応らしきものに苦しんだ意味も出て
こようと言うものだ。

世の中、いくら医学・科学が努力しても、今のところ、この新型コロナには
これだと言うワクチンは見えていないのが本当の所のようである。

ただ、3回目以降、変異種オミクロン対応型のワクチンが採用される、地域・
行政もあると言う。
どこかで良い結果が出て欲しいものである。


★★★3 おしまいに、今後のoldboy-elegy君、個人の思いは?

ただただ、今は痛み・シビレが良い方向に向かうのがoldboy君の願望で
あるからには、こうなった原因のワクチンを再度、接種する気持ちには
ならないのは当然である。


今は、腰痛用の処方薬を飲み、ベッドに横たわれば嘘のように痛み・シビレ
が薄れるのが不幸中の幸いである。
そのためか、最近は睡眠時間がやたらに長くなってきている。

ほんに、このところ四六時中、ベッドに横たわっている感がある。
そして、知らぬ間に数時間寝入ってしまうのである。

これは良い兆候とは言えない。
なにせ、ベッドから起き上がるとすぐに痛みがやって来る。

今宵も、睡眠は足りてはいるが、腰痛の為に横になる。
でわ でわ 
               
                了
                  oldboy-elegy


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(雑感・雑記帳 No. 61 ) 令和時代のタヌキ騒動と「ぽんぽこ話」をどうぞ・鳥獣戯画には何故かタヌキがいない?

 

★1 oldboy-elegyくんの今日のお題は「狸・タヌキ」である。

とくべつな意図があってのものではない。


ただここの所、東の方から、イヤはっきり言おう。
東京と言う世界的な大都会から、この愛らしい小動物「タヌキ」に関して
の、ニュースが、この関西の地に相次いで飛び込んで?きた。

山間部の話でもない、それも
都心も都心、新宿からのもので、動画として撮
られたものである。
と言う私め、実のところ、新宿がいかような所か現実に体感した覚えはない。

ずっとズット昔、商用で幾度も来てるはずだが「ここが新宿よ」と言われて
来る訳でもない。
ただ、東京支店の営業車に乗っけられ、首輪をはめられ連れ回された
だけの事である。


                 ●
そこでこれらニュース映像を見た人達の反応、特に「在住外国人」の感想
を中心に
「ユーモア感」タップリのものをいくつか拾ってみて、タヌキ様
と短い架空話をしていただいた。


アフリカ、サバンナあたりに棲息している、ライオンやチーター、象でも
あるまいに、そう、単に「タヌ公」が我らが「人間様」に交じり、歩く姿
にどれほどの価値?があったのか見てみるのも面白い。

こう言う人もいる、「都会に棲息する小動物も、余りに清潔になった環境

に餌も手に入らず、ならばより一層、優しくなった人間に、不本意ながらも
近づいた方が我らが生きるスベもあろうと言う事だ」と彼等、小動物も
考えて
いるのかも知れないと。

ニュースで流れた画像を見る限り、彼等タヌキたちは、人間様の足元を通る
際も、ある程度の「オッカナサ」は感じているものの、パニック状態に
陥って
いるようにも見えないのである。

ヒョットしたら、タヌキ君も「公園の横でそうであった」ように「餌をいた
だけるかも」の期待がそうさせて
いるのかも知れない。

ただ今日の話の目的は、人間(名無しの権兵衛さん)がこれらの画像を見て
放ったチョットしたウイット・機智話に焦点を当てたもので、深刻さとは無縁
のものである事は了解してほしい。

それでは本文に入る。



★★2 ただこの「タヌキ様」の凶事を見て、「クスリ」と笑う人間の事、
「お許しを」
乞う。クスリ


 
No.1 まず軽く一発め、この画像を見ていた外国人「名無しの権兵衛さんA

  曰く
●このニュースの欠点は、彼(タヌキ様)がどうやってSuica(スイカ)に
現金
をチャージできたのかが言及されていない点であると言っておられる。
なるほど一理!ある。
●タヌ公様の反論
「 ウルサイ!、ただ背が足りず、無賃で改札をすり抜けたのじゃ」と、握り
しめた
葉っぱを見せる。

No.2  ある外国人「名無しの権兵衛さんB
」感心しきりに

●このタヌキ、書店に立ち寄るなんて自分よりも新宿駅に詳しいぞ。
●タヌ公様の反論・頭にカチンときた様子でこう言った。
「お前、いつ日本に来たのか?

わしなんか、生まれも育ちも新宿じゃ、文句あっか!!」と反論。
何か少しもの哀しくなってきたoldboy-elegy君がここにいる。


No.3  ある外国人の「名無しの権兵衛さん」ニタニタしながら、
  こうおっしゃた。
●今まで、タヌキを見かけたのは、上の公園の入り口近くだけ、
おそらくは人間の姿からタヌ公に戻ったのを忘れて、電車に乗ろうと
していたのかも知れない、と指摘される。
●タヌ公、無言でバツが悪そう、どうやらこれ、図星のようである。

今日のoldboy-elegy君のお気に入りのお言葉はこの3点であった。

これ以上、一生けん命なタヌキ達をいじめるのよそう。


★★★3 oldboy-elegy君、昔から「何故って?」と思っていたことがある。 
  それはあの「国宝鳥獣戯画」にタヌキ様は不登場なのである。


話が2転、3転して申し訳ない。


皆さんが、中学・高校生の折、歴史で習った事に「国宝・鳥獣人物戯画
なるものがあったはず。

oldboy君、これを初めて見た瞬間、「ウヌ・これが国宝、この大日本国の宝」
?と少々の違和感を
憶えながらも「クス」と笑い、馬鹿にした。

マア~、中学生のハナタレ小僧の印象とはこんなもの。

ところがどっこい、長ずるにつれ、この「鳥獣戯画」の印象がだんだんに
膨らんでくる存在となるのである。

時代的には13世紀、鎌倉時代に書かれたものだとのこと。
ただなんのためにこんなものが書かれたのかハッキリしないらしい。

oldboy-elegy君、無責任な立場で言えば、「小動物の性格を擬人化して
とらえ、仏教的説話ばなしを、絵を見せながら講話するための道具で
あった」と推量するがどうだろう。
※ 9・18間違いのため訂正、講和を訂正して講話とする。意味は大勢の人に
わかりやすく講義をすること。また、その話  ( goo国語辞書より)失礼!


時代は、武士、僧侶、有力商人、富農の子弟 だけとは限らない。
むしろ、大多数を占める、無学、文盲の大衆にも、おもしろ、おかしく
仏教的倫理観を説くために創作されたものであったはず、と解釈する
のが理にかなっている、どうだろう読者諸氏。


まさしく現代の「マンガ・アニメ」を彷彿させるものである。

そう考えると、なんとそれらの戯画は、当時(鎌倉期)の静止人物画の
ものに
比べ、極端に、動きがあり、マンガに、説教坊主の声音も加わり、
もっと現代のアニメ効果の強い、ある種の動画効果を狙ったもののように
oldboy-elegyには思われる。


もしその場に俺がいたなら、マンガチックな鳥獣を指さし、足をドタバタ
し、大口を
開けて涙を浮かべ喜んでる姿が思い浮かぶ。

寺のこの場は劇場と言わず何と言う、当時これほどのエンターテイメントは
どこにあった。
まさしく世界最古のマンガであり、アニメーションであり、その上音声
・劇場効果も持ち合わせたエンターテイメントではなかったのか。


★★★★4    お終いに、残念な事実が一つある。この「国宝・鳥獣戯画」には
 何故か、我らが今日のメインゲスト「おタヌキさま」が登場されていない
 のである。

この事実に、oldboy-elegy君にある疑問が湧いてきたのである。
戯画に登場する小動物は10種類以上、ウサギ・カエル・猫・ねずみ・イノシシ
・・・etcなどなど、タヌキさんのキャラクターが、上記の彼等達に負けている
とは思えないし、むしろ上位にあってもオカシクない存在だと思うが、何故にご
出演が無いのだろうとイブカル。

そもそもタヌキ様、この日本国の固有種であったわけでもない。
日本から、朝鮮半島中国東北部からシベリア南東部あたりに分布して
いたことになっている。

しからば、この「鳥獣戯画」にも不掲載の原因は、13世紀初頭のこの国に
いなかったのではと、かってに思っているのがoldboy君である。

それほど日本人に愛され、主役を張れる小動物だと思っている。



★★★★★5 おしまいにチョットした愚痴を

それでは今日のお話を終えることにする。
コロナワクチンあとの痛みや痺れ、もともとの腰痛と混在状態、あ~
やだやだ。

ただ救いはベッドに横たわると、これらの難儀が消え去ってしまうのが
不思議である。
ただこのため、睡眠時間がやたらと長くなっている。
人間、堕落しきった姿がoldboyくんかも知れぬ。

くわばら くわばら!!

でわでわ 


              了
                          oldboy-elegy

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oldboy-elegy ( 64) ソウル暮色 彼のドジぶりと、当時のソウルの街中の雰囲気を徘徊してみた


 はじめに



「文世光事件・大統領夫人射殺」
「朴大統領暗殺・犯人は自分の部下」

ソウル最大の繁華街のミョンドンの
灯りも最近のコロナ禍などで、少々
ルクス(光量)
も落ち気味と聞く。






oldboy君、これまでの出稿記事に、「韓国のソウル」ものとして幾つか
記事に
してきた。
今、この記事を書くにあたり、過去記事を調べてみたら5編がリリース
されている。


一番、頻繁に僕がソウル訪問をしていたのが、自身30才半ばで、韓国のエポック
メイキング的な、事件が頻発したころのことである。



例えてあげるなら、1974年・08の「文世光事件」・在日韓国人である
「文」が
大統領夫人をピストルで暗殺。

また1979年・10には、絶対的権勢を誇っていた朴大統領自身が部下の
KCIA
部長の金何某に暗殺されたことなど、不穏な時代でもあった。
KCIAとは「大韓民国・中央情報部」アメリカの「CIA」の韓国版で
ある。


oldboy-elegy君、この調子で韓国のメインストーリームの歴史を語る
つもりも
ないし、技量もない。
いつも通りの「ドジ男」がいるだけのお話である。

ただ時代の背景を幾分成りと知っておけば、彼の書く記事の背景が投影
される
ものと思い、冒頭に書かしていただいた。

例えば、パク大統領の暗殺事件の折は、oldboy君、たまたまソウル滞在中
のことであった。 

正直なところ、oldboy君なにが起きたのか、理解できなく、不穏な街中や
ホテル内の
雰囲気のみが我が身を包んでいた、と言うのが本当のところ。

やがて当ホテル投宿中のソウルの下水道に詳しい日本人技術者のご老体から、
宿泊中の日本人全員に彼の部屋に集合がかかり、ことの推移の説明受け、
初めて事件の概要が見えて来たのが本当の所である。

この時の彼の(suggestion・サジェッション)はこうであった。

「この数日間はホテルから出ない方が良い、もしもの時はご老体が、
近くの
中国大使館に全員入館させてもらう事で話が出来ている」との
ことであった。
※(サジェッション・suggestion)   提案、示唆

 
ヒトヅテに聞いた話では彼(ご老体)はソウルの上下水道に詳しい技術者
で早稲田の出身だそうだ。

有難い事である。

ここからは、いつもの彼で、チョットした人間の息遣いを、面白可笑しく書く
のみである。

★1 (一話のみ)ある雨の日、ドジをして新聞を大量に有償で押し
 付けられ?、買わされるハメに相成った。


ある雨の降る、暮れなずむ、時間帯、oldboy君はソウル一番の繁華街、
明洞の
隣町、会賢洞(フェーヒョンドン)に向かって地下通路を歩いて
いた。

通路を出て、少し坂を上がればレックスホテルがある。

このホテルにも大阪の零細商社が通年部屋借りをしていた。
それでも、現地人のオバサンを事務員兼連絡員として雇っている。

いつもお世話になっている、井野さんも事務員なしの一人でoldboy君と同じ
ホテルに滞在している。


ソウル市内の中小ホテルにはこんな通年の部屋貸しは結構ある。

部屋代はともかく、ホテル側もある一定の部屋の固定の占有率が確保
できる。
お互いにウイン・ウインの関係である。

oldboy君の場合、月の内、一週間ほどの滞在である。
従って、一か月まるまる借りることは経費的に不可能である。

そのため彼、帰阪の時にはヘヤ―ドライヤーや剃刀など、身の回り品を
小さな段ボールにまとめ、レセプション(受付)裏の小部屋に預けるのが
いつもの習わしである。


さて、明洞(ミョンドン)と会賢洞(フェーヒョンドン)とは結構広い
地下通路で繋がっていたが、多くの商店があった訳でもない。
この日も雨の中、なにかの用事でレックスホテル、滞在中の彼の部屋を訪問
する予定であった。

やがて歩く方向、左にそう広くもない、階段出口が現れる。
oldboy君、当時少々ドンくさいが今とは違って若いのである。

「たったらた」と階段を登れば、10センチ前後の段さある出口にかかる。

最終階段と外に続く平面との境が不自然なのだ。

oldboy君、なぜか階段出口の水溜りを避けきれず、片足を突っ込み、
勢いよく汚れた水を蹴り上げてしまったのだ。


運の悪さはt続くもので、出口横に、夕刊新聞売りのバラックが青ビニール
シートの
屋根の下、夕刊紙や雑誌を販売中であった。

蹴散らした汚水は、透明ビニールのカバーは一応あるにはあるのだがその
上から汚れた雨水をブッカケタことがある。


サ~、ここからが大変、当然悪いのは100%自分とワカっているが、通り
すがりの通行人まで加わり、なにやらにぎやかである。
加害者(oldboy君)が喋る前から、日本人とバレバレである様子である。


やがて、こちらに損害金を支払う意思がある事が分かりと、やや静かになり、
損害金の算段を始めた。


もともとこの地で評判の悪い日本人、どうなるかビクビクもんだったが、
oldboy君、手持ちの金子でなんとか損害金を支払う。

最後に小脇に抱えるほど新聞の土産を持ち、ベソをカキカキ、その場を離れた、
ことがあった。

そう、話はいつものoldboy-elegy君らしくドジのまま終わらしていただく

ことにする。


★2 自身の体の調子

コロナの後遺症かなにか知れないが、左肩からカイナにかけての痛みとシビレ
、右足も同様の痛みを抱え、ア~ァ、それに持病の腰痛、満身創痍の様相
テイタラクである。
それでは風呂に入らせていただくことにする。

あ~そうそう、風呂の設定温度を数日前から、1度上げ、41度から42度に
変更
した。
秋もすぐそこの事、と感じている。

                 了

                               oldboy-elegy


以下、ソウル暮色 の副タイトルで5記事にリンクを貼らしてもらった。

基本oldboy-elegy君の主観によるサイド・ストーリーであり、政治、経済
などの王道ではなく、そこに蠢く人間のelegy(おもしろさ・哀しさ)が主
である。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

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oldboy-elegy (63)  これコロナ副反応?・左上腕部ワクチン注射跡付近にシビレと痛み、これが原因で!?40年昔のドジを思い出す

 

★1 はじめに、チョットしたグチと・最近の世相を一言、あとはいつもの
oldboy君のドジ話に回帰するのでご安心を

oldboy-elegy君、自慢じゃないが、昔取った杵柄(きねづか)なる
自慢するような技能は、何一つ持ち合わせていない。

あらゆる分野に難易はともかく、無数の専門性を必要とする世になって
いるようだ。


それに一層拍車をかけるのが、言わずと知れた、「IT関連の技術力」が
そこそこ必要なことである。
これがないと、人間、生ける屍(しかばね)と化す、ご時世である.



そうoldboy君自身、屍の一歩手前であると自負しているのだが、人に依れば
「お前はもう死んでいる」と、きつい言葉を浴びせる人も存在する。

世はまさに資格時代で、人ひとり生きぬくための必須要件にも、なっている
感がある。

oldboy-elegy君の出稿している、ブログ記事の読者諸氏に限ってみても
その雰囲気は痛いほど感じられる。

さてここでoldboy-elegy君、我が身を振り返った時、およそこの時代
に生き抜く職業的必須要件は何ももちあわせていない事に気が付く。

人間一人生きて行くのも大変な時代になったようである。

「ボヨ~ン」した彼でも、ともかくもこの歳まで生きてこれたのは、
「自分の力」ではなく「ジダイがそうさして」くれたのかもしれない、
と最近は思うことにしている。

oldboy君が取得した、免許や資格に何がある?

唯一無二、持ち合わせた資格?それは恥ずかしながら「運転免許」のみ
である。
それも「大型トラック」や「トレーラー」などの「特殊車両免許」ではなく
単なる「普通運転免許」で屁のツッパリにもならない、代物である。

それも、当時の免許はMT(マニュアル・トランスミッション車)のみで、
1990
年代の何処かで、AT車(オートマテック)限定の運転免許が別途発行
されるように
なったはず。

まさに、oldboy君にとっては「猫に小判のMT免許」、当然、後年の何処
かで
「AT限定」の免許に切り替えていることになる。
従って、後の免許は複雑なクラッチ操作を必要としない人専用のものである。

今日の話はこのMT車時代の彼の哀れな出来事と運動音痴が露呈した馬鹿話で
ある。

つまりこのoldboy君の、当初所持していた免許証はなんと、この令和の
時代、カッコ良いとされる、MT車(マニュアル・トランスミッション車)
であったはず。

その後、切り替えた「AT限定免許」も、oldboy君、7・8年前に返納
している。


こんな世が、こうも早く来るとは夢にも思わなかったとぶつぶつ言う
のみの昨今である。


★★2 左肩の痺れ、痛みが取れず、もう、5か月になる。 コロナ禍と
車の運転の関係は?

最近のoldboy君、体調がスッキリしないのである。
そう5か月昔と言えば、あのコロナ3回目の予防接種以後のことである。

彼の場合、3回とも全て、ファイザー製で実行、シメシメと思っていたが、
これがなかなか、常態可しないのには参った。
当然「4回目のワクチン接種は遠慮」したい気持ちに傾いている。



左上腕部の筋肉注射である。
初めの一か月くらいは部位の軽い痺れと、痛みがあり、「やがてはとれる」
と「たかをくくっていた」が一向に好転しないのである。

ただたまたま、持病の腰痛のための「処方薬」ロキソニンはじめ筋肉弛緩剤や
シップ薬を常用していたためか、睡眠時の痛みはさしてなく、事はベッドから
離れた時がキツイ状態で、今も続いている。

しかしそれも、このところ軽減の方向であり、少し安心かなと思って
いたのだが、その分、予防接種とは関係のない、右足フクラハギと足首
が痛み、シビレだした。

oldboy君、これは「腰痛」ツナガリのものと思っている。

これではプラス・マイナスゼロで良い気分ではない。

満身創痍と言わないまでも、気分はすこぶる良くない状態の昨今である。

★★★3  今日のメインの話に入る・車、地下駐車場、サイドブレーキ
      の不都合、良くない思い出が頭をかすめる。



oldboy-elegy君、御年(おんとし)30才を幾分、超えたころに運転免
許を取得、暫らくして初めての自分用のくるまを持った。
車種はホンダのアコード・ハッチバックで、アコードシリーズの初代か
二代目かのモデルである。

ただ彼、ご覧のような性格、車にも特別のめり込むことも無かった。
車の汚れも、「oldboyさん、洗車なさったら」と人に言われて初めて
気が付くお人である。

あの日も、ソウル出張で、大きなサンプルが入ったバッグを幾つか
積み込み、空港に行くところだった。
会社近くの地下駐車場に車を止め、アコードに大きな荷を幾つか積み
込んだ。
今日から1週間ほどソウルである。

クルマは、伊丹の「蛍池」近くの私設の長期専用駐車場に預け、帰りも
恐らく重い
手荷物引きずっての帰還が、いつものルーティンである。

あ~そうそう、この民間の駐車場、帰国時、必要ならば電話すれば空港正面
まで来てもらうこともできた。

さ~、これからが事の起こりの本番。

出発のための駐車場は会社近くの本町船場地下である。

地下1階・地上1階・2回は中小の繊維、雑貨問屋が入居、従って地下2回、
堺筋本町から本町筋まで東西全てが一つの巨大地下駐車場となっている。

この日、oldboy君、地下駐車場に停めた車アコードでサー出発。
気分はルンルンである。

会社に居ることがイヤなのではない、誰にも縛られない自由の身である
ことが嬉しいのである。

なに、携帯電話!?、「エヘヘ」当時そんな不便な非人間的な道具は存在
しなかったのである。

さ~愛車、アコードでセンタービル地下2F駐車場を出発だ。
当然、何の因果か車はMT車(マニュアル・トランスミッションで、
運転者はこの上なく運動音痴のoldboy君である。

ここである重大事を完全に失念していたのである。

アコードの、サイドブレーキ が数日前から幾分甘い状態であったことを。
普通の感覚なら、即、修理工場に持ち込むのが車を運転する人の義務で
あり常識であるはず。

皆さんここで何が起こったか推察できます。

ことは地下2階の駐車場から地上階の間の登り螺旋道で不幸が発生した。


運の悪い事に、この日、地下駐車場は混雑していたようである。
当然、一気に地上まで登りきる事、能わず、出口に向かう途中の螺旋坂道で
ストップするハメに。

一瞬、バックして元の地下2階通路に逃げるつもりが、すでに後続車両、
数台が螺旋のトンネル道路に侵入済み。

状況は他の車両が彼のアコードを前後から坂路の途中で挟んでストップ
された格好になる。

サイドブレーキはユルユル、MT車、運転者oldboy君、悪条件が見事に
揃ったことになる。


このままだと、後続の車に落下、接触することになる。
サー、ここから運動音痴のoldboy君、効きの悪いサイドブレーキ
無視して、
クラッチ操作との闘いにはいる。

クラッチでエンジン動力を繋ぐも、当然、前方も車で詰まっていて、
右足は宙ぶらりん、前進もバックもままならずの状態に陥ってしまった
のである。


問題は、この宙ぶらりんのクラッチ操作を何分か持たせて、上方に抜け
出るのが、唯一の助かる方法である。

oldboy君の右足も身もブルブル状態。
結果数分後に、反クラッチ状態を耐えた上、地上の平面道路に到着、
前後の車両に迷惑をかける事なきを得たのであるが。

のちに、この事を人に話したおり、車内に焦げた匂いは?、サイドブレーキ
も当然だがクラッチ板は?と聞かれたと思うが、すべて記憶にない。

思い出すのはただただ、長い半クラッチ操作と足の筋肉の「ブルブル感」
のみである。


この事実、長い間忘れていたのだが、コロナの「副反応」か何かは
知れないが、足に来て、これが長い年月を飛び越え、その時の最悪の
気分が、フラッシュバックして今ここにある雰囲気に陥る。

ア~ァ、今宵も、またまたoldboy-elegy君のドジ話で終始して終える
ことに相成ったようだ。

でわ でわ、それでは風呂に入り、痛い足・肩を労り寝ることにする。


                              了

                             oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 60) こんな送風機「既成のうちわの柄(え)」をこの箱?に差し込み「パタパタ、ぱったんこ」と風を優しく送る機械があればなあ

 


初めに

エアコン(冷房・除湿)・扇風機・サーキュレータ・アイスノン枕・そして 
うちわ の中で
就寝時、年配者に以外と好まれてるのが「うちわ」である。
この道具、動力は普通「人力」である。


もし、この「うちわ」が機械動力で動くものなら、チョットしたヒット
商品になる気がする、皆さんどう思われる?。
どんな既成の団扇(うちわ)でも、柄を機械にしっかりと押し込むだけで
繋がる機構であることが
寛容である。


ただしこの時代、動くだけではなく、人間がもつ、ファジー感覚を併せ
持つなら完璧だと思うがどうだろう。
機械が自分の気分勝手に1分間
休憩したり、風の強さや、角度を変える
などの「人間らしさ」を発揮
できるものなら、より完璧である。



★1  oldboy-elegy君、歳を取るにつけ、ここ十数年、夏場のクーラー
による「冷風」の取り方が変わって
きている。

とくに、こんな言葉があるのかどうか知らないが「クーラー負け」するの
を自覚し出したのである。
せいぜい、エアコン(クーラー)のご登場は風呂上りの30分もあれば
十分である。

自分の体力が、老化の坂道を「ガラン・ゴロン」と転がり落ちるにつけ、
人工の冷風に体を晒すのが難しくなっている。
いやはや、情けない事、この上ない。

年寄り仲間内の話では、暑さも感覚が追い付かず、熱中症一歩手前
であるのに、本人はそれと気付かず、救急車の御厄介になることも
すくな
からずあるらしい。

そこで、この寝苦しい夜(よ)、あれやこれやと快眠の方法探りだす
手立てをしている
落ち目の人?、それがoldboy君である。

そのたびに、上記のような簡単機器はないものかと思い描くが、どうやら
この世に存在しないらしい。


★★2 
ここで、ここ十数年の時を経てあみ出した(チョイト大袈裟)
 oldboy君的夏場の「年配者向け睡眠方法」を紹介する

・ここ数年、睡眠時も「除湿」のみで「冷房」は使用しなくなりそれさえ、
 早い時間の何処かで、シャットダウンしているのが現状である。
 本能的にクーラー風は拒絶の方向にある。
 
 こんな折、手には「うちわ」が1本、握られていることが多い。
 多分、半覚睡の状態で「パタパタ」やっているはず。
 その風は天然風に近くファジー感覚、これがまた年配者には格別なの 
 である。
  ※ファジー(fuzzy)とは、ぼやけた、の意から転じて  柔軟性がある
 こと

 「うちわパタパタ器」が存在しない以上、彼の「冷」の取り方、およそ次のような
 もの。
・やや薄めのフェイスタオル2~3枚用意、このタオル」を一枚ずつ丁寧に
    冷凍されたアイスノン枕(ジェル)に巻き付ける。
 冷却効果が薄れると、それを1枚ずつ剥いでいくダンドリである。

・扇風機は以前、足蹴にして、壊してから、買ってない、替わりにアマゾン
 で調達した
サーキュレーターを木製の3段棚(約H30)上に置き、最低速で
    回している。
 風を体にあてるのではなく、部屋の中の空気をユックリ攪拌している格好
 である。
 低速の場合、殆んど回転によるプロペラの擦過音が聞こえないのが良い。


従来の扇風機とサーキュレーターとの違いの説明を転載しておく、私は
メーカーの回しものでもないとコトワッテおく。


・いわく、これらの違いはそれぞれの用途にあるとの事。

扇風機は人の体に風を当てて涼しくさせるためのものでサーキュレーターの
目的は空気の循環。
oldboy君のような、風が直接肌に当たるのが嫌いな人にはありがたい設計機構
であるそうな。

 扇風機が大きい羽根で広範囲に風を送り出すのに対し、

サーキュレーターは羽根が小さく直線的で強い風が出るようになっていて、
空気をかき回して部屋の温度を平均化させるそうである。


★★★3 さて今日の記事の最重要課題に入る「そこで提案」である。

こんな製品できないかな、もし可能なら、キット年配者に喜ばれると

思うんだがどうだろう。

そうここで新製品の提案である。

今日最初に貼ったイラスト画像は何だった?そう「うちわ」である。

だってこのまま終われば、いつものoldboy君の記事ではない論調のまま
終わって
しまいそうだ。

ウチワを想定したファジイな送風機が欲しい、これである。

これを聞くに及んだ読者諸氏、決して笑うなかれ、本人oldboy 君、案外
本気である。

年配者は(エアコン)の冷風を嫌う人は多い、むしろ睡眠時、ウチワ片手に
「パタパタ、ぱったんこ」と
やっている。

冷房や扇風機の冷風を嫌うお人は多いが、「ウチワ」がつくる「風」を
嫌いだとは聞かない。
ただ時間の経過とともに、疲れるのが唯一の難点で欠点でもある。

「パタパタばたばた」と、少々アオギ疲れてやがて眠るが、風が止めば
また目が醒め、またパタパタと。
とどのつまり、朝まで、これの反復である。

クーラーも扇風機も自分の体に風を直接、アテルのが基本である。
ここで再度記述するが、年寄り、これでは体力がもたない。

そこで記事の書き出しにしたためた「パタパタ・ぱったんこ」精神で作る、
機器をどなたか「賛同」され、作られたら、おおいに世のため年寄りのため
になるはずと、oldboy君、蒸し暑い今宵もかってに思っている。

                             了
                             oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No.59 ) アマゾン通販、なぜかログインに失敗・パスワード変更のため少しやりとり、俺のメールBOXに届いた不思議な日本語「ナンジャこれ!??」

★1 oldboy-elegy君、ここ数日、パソコン・ネットのことでチョットした
「猜疑心が生じ」幾分気分がよくない状態にある。


その猜疑心の始まりは、ある会社からのメールが原点にあった。
当初、そのままやり過ごそうと思っていたが、記事にした方が精神衛生上
良かろうと思い書くことにした。

結論から先に言えば、未だに陥穽(かんせい)、に落ち込んだ気分
ままである。
※ 陥穽(かんせい)  ・
人を陥れる穴=策略ということ

「あの超巨大企業が、なぜこんなバカげた、低能なメール」を俺のOCN
メールBOXに送付したのか理解に苦しむ。

★★2 Eメール送付元の大会社とは「ネット通販大手アマゾン」そう
あのアマゾン
である。

まず、当方に送られて来たアマゾンからのメール本文を「一字一句」違わず
に下記
に記して見る。 


以下が本文、全文である。
*****************************
Amazon.co.jpからの侵入コードをします。
        
 
Eメールアドレスの目昇電子のセキュリティコードを入力し
    528136

このOTPは誰とも共有しますございます。
Amazon.co.jpもうのご利用をしてください。
*****************************

上記の日本語らしき文言はoldboy君が間違ったものではない。
特におかしな言葉にはピンク色に変換してみた。

見かけは邦文らしいが、内容は理解不能な奇妙なものである。
同様のものが、6~7通、到着している。


ただしoldboy君、基本的にこのOTP付のメールが自分のアドレスに送付
されて来た事は理解できるし、むしろ、こちらがお願いしたものである。

OTPとは ログイン時に1回限り有効なパスワードとのことらしい。
One Time Passwordを略して「OTP」とも呼ばれること、oldboy君、
今日知った。

※同時にOTPは一定時間ごとに自動的に変更されるため、生成された
パスワードでも、その時間を過ぎてしまうと無効になる。

このOTPパスワードは、ここでは「6桁の数字列」である。
新規パスワードの登録に一時的に使う簡易パスワードと言ったところだ。


彼、最近とみに、ボケが進行してか、「日付けつきのカレンダー目覚まし
時計」があればと、思ったのがそもそもであった。

すぐにアマゾン通販サイトに入り商品を探そうとしたが、それ以前に

ログインが
できないことに気が付く。

当然「アリャありゃ??」となるではないか。

そこで、メールアドレスや電話番号は当然関連付けされているので、
新しく「パスワード」を新規取得しょうと判断、作業し始めたのである。

この過程の認証に使うため、アマゾンさん?が作成した、何語か分からない
OTP付のメール
の内容が、上記の怪しげな文言と言う訳である。
確かに作業に使う6桁のOTP数列は記載されていた。

ここで皆さんにお聞きする、OTPは希望通り、到着E
メールに確かにあった。
だが、もしあなたなら、上記の何語ともつかぬ不信文字と一緒に送られて来た、
この6桁のOTP(一度切りのパスワード)を信頼し、使用する気になりますか?


その後、ネット・スレッドをひっくり返し、
アマゾン・カスタマーズ・
センター対有人音声
専用窓口らしい0120から始まるフリーダイヤル番号
を発見した。


人に聞いたところでは、このような「音声専門」のアマゾン・カスタマー
センター、あるにはあったらしいが、このコロナ禍、今ではクローズされて
いるらしいとの声も多い。

翌日、期待半分で、「音声専門」のアマゾンの音声ガイドによる、
カスタマーセンターなる?0120・●●●・***に恐る恐る電話してみた。

期待半分で、よしんばツナガッタとしても、待機時間は尋常でないと予測
しての電話である。

ところがなんと、待ち時間なしで、側ツナガリ、若い男性が気楽におでまし
である。

「うっそー、ほんまケ!!即ツナガッタやん!」
ここ、少々ガラの悪い河内弁、ごめんなさい!
チョットでも良き事があればoldboy君、即、本性が出る。


しかしoldboy君、ここで考えた、そくツナガッタのは良いが同時に強い
違和感と不信感を一層抱える
ハメになったのである。

ここでoldboy君、またまた、2個目の「トラップでは?」と言う猜疑心が
頭をもたげ始めた
のである。
このコロナ禍、無いはずの、有声によるアマゾン・カスタマー・センターが
待機時間ゼロで人が出て来て
対応、絶対オカシイと思うのが普通だろう。

小学生でも使わぬ、怪しげな文言のEメールと併せて思うに、俺はこの事も、
ただただ好事(音声によるカスタマーセンター)として喜ぶわけにもゆかない。

これヒョットすれば、2匹目のトラップ、かもと考えるのは自然のこと。

ともかく明日にでも、oldboy君が最後のお助けマンとしてご信頼している
OCNに、この状況を聞いてみることにする。
少々、筋違い、見当違いの感もイナメヌが。

 でわ でわ オヤスミナサイ 「フーッ」少々疲れた時の吐息である


               了  
                      oldboy-elegy


追記
今日読んだ読者さんの記事中に、ため込んだ記事がイクツカ行方不明に
なったと
嘆いていた方がおられた。

生粋の昭和人間oldboy君、最終的に、ご信頼いたすのは、そう、紙媒体に
帰着するのは致し方のない現実である。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

oldboy-elegy(62) 名物教授?と期末試験・その採点方法の「都市伝説」とは・ ウソかマコトか真実は闇の中

 

ここだけで通用する「虎の巻」の意味
       by  oldboy-elegy
期末の試験が近づくころ、各教科の講義
を安直にまとめた、ガリ版刷りの解説書
が出回る。
大学近くの民家の軒先を借り、戸板を並べ
裸電球の下で売っていた。




もちろん書き手は学生でアルバイトである。
誰かが責任を負うものでもない。
普段の不勉強の付けがやってくる、これも学期末の懐かしい風物詩
でもある。

 

★1   はじめに

今日の記事、本来は
幾日か前に投稿のダンドリになっていたが、少し
遅らせブログUPすることに、そして今日と、あいなった次第である。
oldboy-elegy君、基本ズッコケ記事を標榜「ま~ぁ、人生お気楽に」が
主旨である、今日の記事もその路線のものである。


ずっとズット昔の法文系学生の期末試験の有り様と香りを、面白、
可笑しく皮肉った一文である。

だが7月8日以降、すぐの投稿は、僕自身ハバカレル心理状態にあり、
間を
あけることにした。
そう、「安倍晋三もと首相が暴漢に襲われ亡くなられた事件」のことを
言って
いる。

こんな状況で出稿しても、何やら、気楽さ変じて揶揄ッポイ気分になり
自己嫌悪
に陥る。
「ウム」、どなたも俺の記事など気には為されないとは思うが、そこは
それ、自重した形である。


以後幾日かが過ぎた。
それでは気を取り直しここから、きょうの記事に入る。

大学の期末試験は年2回、試行されるのが普通だと思う。
oldboy君の在席大学の一学期考査は、夏休み直前の、7月一杯に
実施されていた。

他大学を見やると、7月など殆んど夏休み状態でその分9月の2学期が
やや
早くに始まり、1学期分の考査がこのころに集中して行われていた
ようだ。


oldboy君、我らが大学のこの考査システムには大賛成であった。
なぜなら、1学期考査試験は7月に済ませているので、夏休み一杯、
後顧の憂いなく休みを謳歌できることになる。

はたして今もこのシステムが続いているのかはoldboy君はしらない。


今日の主題は我らが大学の名物教授数人の、期末考査の採点方法に

於ける「都市伝説」あれやこれらを幾つか紹介したく思っている。


★★2 このK先生、経済の原論系の方で、その篤実な風貌はまさしく
大学教授然としたお方である。
では彼の「試験採点方法の都市伝説」とはいかに?

普通、大学の論文形式の解答に点数で88点・76点・53点など実数で表現する
ことはあまりソグワナイないし、難しい。


そこで普通、法文系の試験は、点数表現ではなく、優・良・可・不可 などで
行うのが普通。
もちろん「不可」とは不合格のことである。

oldboy-elegy君を取り巻く学生達、「可」でも貰えば、すべて良しで、鬼の
首でも取ったかに喜んでいる。


出来うる限り「優」を揃えたい、などと思ってる奴はいないと思う。
最低点でも「合格は合格」である。

必須科目で「不可」でも頂戴すれば、少々卒業の見込みに危険信号が
灯ることになる。

かりに「不可」のまま最終学年に持ちあがったとしても、そこはそれ、
先生も「人の子、子の親」自分の担当学科の最終回生には概ね「可」を
「乱発」し、学生もこれを「甘受」し、卒業していくことになる。


oldboy君の友達に国語能力が高く、字の旨い奴がいて、教授の次回発刊
予定の書籍の下書き要員をしていた奴がいた。
おそらく、「優」は確実のはず。

さあ、そこでこのK教授、今で言うところの「採点にかんする都市伝説」が
存在する。
そこそこのお歳である。

そこで、数百枚の解答用紙をやおら、風呂敷に包み、自宅に持ち帰る。
誰かがこれを見て、こんな話が生まれたものかもしれない。
 
「K教授、今頃、自宅書斎の飴色の高級座卓の机上に、答案用紙をデンと
積み置き、その脇には、これまた強力扇風機が出番を待っている」状態
であることを想像して欲しい。



K教授の「都市伝説」、お分かりかな?、そう積み上げた答案用紙に風を
あて、
今まさに、「優・良・可・不可」の採点中なのである。

友人が言うには、遠くに飛んだ用紙ほどランクが低いそうだ。?
普通、逆で、遠くに飛ぶほどに「優」が近くになるのではないか?
と考えるのだが、そうでもないらしい。

なぜなら、字数が少なく、答案用紙に付着した鉛筆の芯の黒鉛の量も
軽くなり
、風による飛翔距離もその分、遠くに飛ぶとのが道理となる。
嘘か誠か思慮深いことである。


oldboy君はこう思っている。
K教授、重い答案用紙の束をワザワザ自宅に持ち帰り、奥様の入れた茶
など飲み
ながら、1枚1枚キチンと読み込んでおられる姿が目に浮かぶ。


★★★3 これまた必須教科担当の教授の「都市伝説」である。


まだ50才前の気鋭のお人である。
講義もエネルギッシュで迫力もある。

ただしこの教授、試験の採点に関する最悪の噂「都市伝説」が存在する。
それが彼の講義内容や風貌から「いかにも在りなん」と思うから始末が
悪い。

解答文、書き出しに、こう書けば「優」は無理でも「不可」には絶対
ならない
との都市伝説が存在するらしい。

それがこうである。
「○○党バンザイ」など、自分(教授)の信奉する党名を、書き入れるの
である。
これなど「都市伝説」などの悠長な言葉では許されないものがある。

しかし、当時の世相の政治・経済状況を考えれば、あながちイチガイに
「そんなこと」とと切って捨て去ることもできない。

因みに、oldboy君、試したことはない。

そんな混沌とした時代背景が、こう言わしめたのかもしれない。


★★★★4 この先生の期末試験の問題は決まっていた。「なら簡単やろ!!」

それがまたなんとも「悩ましい」のである


先生の専門は「経営指標の分析」である。
しかし講義内容は概ねこれと関係なかったと思う。

もちろん今日の試験も卒業のための「必須教科」。

先生、大教室の大きな黒板の前に立たれる。
配られた答案用紙は全くの無地でザラ半紙である、学籍番号・氏名の
記入欄もなく学生自らの仕事である。

先生、精一杯、大きな字で黒板に「自問・自答」と書かれた。
ここで、教室内、自明のこととワカっていても「ざわざわ」。

幾人かが手をあげて、質問の意思を示している。

質問の内容は概ね下記のようなものである。

「教授!!(自問・自答)と言う事ですが、「先生の著書のことか?、
あるいは普段の授業
内容を下敷きに書けと言うことか?」と問いただす。

教授曰く「ぼくは、普段、出席を取っていない、君たちの解答を読めば、
概ねそれは
判別可能である、解答は反論でも当然OKである、むしろそれを
期待している」
と言う意味の返答である。

これでは、ある程度講義に出て居なければ「自問」も「自答」もあった
ものではない。

考えようによっては、厳しい問題である。

oldboy君、授業は概ね出席したつもりである。
弁証法とその方法論について」がメインテーマであったように思う。
優・良・可 の試験の結果は忘れたが、ともかくパスはした。

出席もせず、先生の著書の「経営・・・」のみを参考書とした学生には
酷な問題(自問・自答)
ではある。

最後に、先生のこの(自問・自答)の「虎の巻」が存在したかどうかは
記憶にない。

随分スマートでインテリジェンスな期末試験であったことは今でも記憶
に残る
懐かしいことの一つである。

ともかく、スネに傷を持った同輩がこれを読み「ニタッ」として頂ければ
この記事ともかく、成功である。

それでは相変わらずの軟弱記事、これにて失礼をする。


                 了
                           oldboy-elegy


今日の記事中に「ガリ版刷り」なる言葉が出てくる。
過去記事に画像付きで説明をしている。
良かったなら下記記事を参考にして欲しい。

 

oldboy-elegy.hateblo.jp

 




(雑感・雑記帳 No.58 ) 今日のoldboy君のひとくち話、こんな・アホばなし・許していただけるかな?!

 


★1 はじめに

ここからは、外国人(名無しの権兵衛さん)の吐くチョットしたお
言葉を、大いに楽しんで頂くための助走文である。
最後のオチの部分を効果せしめるためのパーツぐらいに思い、読んで
いただいたら嬉しい。

最後には、きっと「な~んや、あほらし」となり、次に「クスリ」と
笑みがこぼれ、速攻で忘却の彼方に消え去って行くこと必定だと思う。

このことがoldboy君が、ブログを書くことの意味でもある。

この日毎の暑い中、一服の清涼剤にはなりうるとは思うが、貴方のために
なるかどうかは分からない。

上掲にUPしたイラスト画像はあの有名なエジプトはギザのピラミッドと
対(つい)をなす、歴史的構築物スフィンクスである。


「アレマ~いきなり世界史ガラミ!?oldboy-elegy君、どうしたの?」
とイブカル読者諸氏のお声も聞こえてくる、昨今である。

何故なら彼、これまで投稿した記事中に歴史を主題にしたものは
あるにはあるが、多くはない。
あったとしても、枝葉末節、刺身のツマ以下のこと。

少々、辛辣なお人の言葉で、「oldboy君のブログそのものが、文体・内容が、
すでに死に体で、古臭く、その意味では
十分歴史的」であるらしい。

 

チョット話しは外れるが
「大学入試の社会科学の選択で日本史・世界史・人文地理」とあり、
そのうち、なんの根拠もなしに「人文地理」で受験した事を思い
出した。


高校生諸君や若者たちに聞くが、今でもこの科目(人文地理)は
あるのかな?


彼のその「人文地理」なる教科は、多分、記憶力や質量が求められる日本史・
世界史に比べて楽ではと、勝手に思いこんでいたのが
本当のところ。

すべてoldboy君、学問への姿勢も大方こんなもの。

それでは「人文地理」なる、学問領域、とは何なの、かと質問されれば
oldboyくん、ちとお困りである。

実践例題としては、こんなのがあったはず。
「1年間の降雨量・気温の折れ線グラフと収穫物から、特定の地域や
国を類推」する
ゲームなどがそうである、

それでは、これ以下が本文になる。


★★2  oldboy君が見た、秀逸にして楽しいお言葉である。
 それでは早速、いってみよう。

今日のお話はトップに掲げた、ピラミッドとスフィンクスイラスト
画像がネタ元になっているが、
今一度、話を本邦にもどすことにする。

時は、幕末期、およその政治的状況を記述しておく。

正確には文久3年12月(西暦1864・2月)のこと、一行30人以上の日本人
が、フランス船でヨーロッパはパリ)にむけて出帆した事実がある。

一行の名は「横浜鎖港談判使節団」とか「第2回遣欧使節団」、もっと
軽便に「池田使節団」とも言われる。
※ 鎖港(さこう) 港を封鎖すること。つまり外国船の入港・交易を
  禁じる、反対語は「開港」
※ 談判(だんぱん) 事件やもめごとに決着をつけるために相手方と、
  話、交渉を持つこと

  
このころ、横浜港もイヤイヤ開港させられており、そこは、もう江戸は
目と鼻の先。
この状況を嫌った幕府は、なんとか鎖港(外国船入港禁止)を目論んでの
「談判使節団」を結成、フランスに派遣したのである。

そこはもう批准・発効されている約束事を「もとにもどせ・外国船入港禁止」
との交渉事を彼等若者たちに任せた格好である。

江戸幕府、無理は承知の談判ごとである。

この「談判使節団」の長も、27才の若者である、備中・井原の領主で
(池田長発・いけだながおき)と言う。

明治は4年後で、幕府の最後の悪あがきにも見える使節団である。
ある意味、気の毒にも思える。


およその当時の日本を取り巻く状況を分かっていただいたかな?
oldoboy君、最初に記述した通り、なにもここで日本史を述べるつもり
はないし、能力もない。

ただただ、これらの事実を知った上で読めば、可笑しさ、愉快さが倍化
するものと考えるからで、他意はない。

派遣団長(池田長発・いけだながおき)の一行は、上海、インド・スエズ
の海路を経てエジプトに上陸、地中海を西に、フランスの港町マルセイユ
入っている

★★★3 エジプト・カイロ近郊のギザで撮影した、道中記念写真がこれ!!

いかにも古色蒼然(こしょくそうぜん)とした一枚である。
※ 古式蒼然 趣があり 同時に、古めかしいさま。 

この場所ギザは首都カイロから1時間ばかりの地理条件であるらしい。

そう、ようやく、本題の部分に入ったことになる。

画像、左おくが、ピラミッドで大、中、小の三基があるがここでの
メインの造形物は、真ん中のスフィンクス人面獣身の巨大な石像)
である。


その写真中に、ある団体様ご一行の人達が見て取れる。
彼等こそ不遇の、我らが「池田長発(ながおき)を団長」とする使節
三十
余名の一行、サムライ達である。

やく160年昔の貴重な記念、集合写真である。

★★★★4  話が突然変わるが、現在
、世はまさにインターネット時代である。


これまで、個人、一部好事家(こうずか)や研究者、あるいは図書館
の片隅で眠っていた、あらゆる情報が、ネットを通じて、国内ばかりか
世界中に
一瞬に拡散・拡大する時代になった。
※ 好事家(こうずか) 
ものずきな人

当然、我らが若きサムライ集団写真とエジプト・スフィンクスとの取り合わせも、
これを見た世界中の人達のツボを得た最新情報として、ワールド・ワイドな興味を
もたらした
のである。

マンガ・アニメを通じて、我らが日本国の歴史が、比較的まじめに世界を
席巻している現実があることが功をそうした形になっている。
※ 席巻(せっけん) 自分の勢力範囲を強くひろげること。

★★★★★5  世界中の人々はこの集団写真(スフィンクスと30数名のサムライ)
のこの一葉の写真をみて、日本のアニメや漫画への信憑性に歓喜したのである。




ではゆきます、「今日の一言」

ある外国人の(名無しの権兵衛さん)がこの写真を見ての、一言がこれ!!??

※「この写真のどこにサムライがいるのか?
なぜなら、これらの人達、だれもピースサインしてないぞ!
ジャンジャン!!!






oldboy君、陳謝
「お話はこれまで、お粗末でした」

                          

                                                       了
                                     oldboy-elegy 


 

(雑感・雑記帳 No.57 ) 「火垂るの墓」「短編小説・ねむい」そして「ある1枚の報道モノクロ写真」。俺の抱える「トラウマ映像3題」である

初めに

今日の主題は、トラウマについてである
個人が受ける心理的ストレス(心的外傷) のことで、天然ボケと言われる
oldboy君の場合でも、残念ながら幾つかお持ちである。

今日は、これらの内、3個
記述してみるが、ナ~ンだ「それぐらい」と言い
召されるな!!
oldboy-elegy君とて人間の端くれ、心的に苦手なものもある。


★1 最近、偶然出会った、あるスレッド内のレスポンスの表現の仕方に、
 oldboy君、「なるほど」とイタク触発されたものがあった。
※ スレッド・(スレ)話題を一つにまとめ、あるSNSで発信したもので、
その提案者をスレ主と言う、(これで合っているかな?)
※ レスポンス(レス)上記の主題に対する「反応・返信」を言う。

読者諸氏にはクドイかも知れないが、許していただきたい。
oldboy-elegy君、これまで、広言してきたように、IT技術はもとより、
その用語に関しての知識は、最下層のお人で、上の例(スレ・レス)など、
基本、自分
に言い聞かせながら記事を進めているつもりである。

それでも、パソコンを扱うoldboy君の場合「勘違い」「思い違い」
が多々発生する。


最近、英語圏(本部アメリカ)で伸長著しい、SNSがあるらしい。
加入者はすでに4億人超で、なお続伸中とのこと。


その名を「Reddit・レディット」と言い、SNS業界ではFacebookに次ぐ
第二の
ソーシャルメディア の位置づけらしい。

今日のoldboy君の記事、御察しの通り、なにも「レデイット」そのもの
について書くつもりはない。
知見も知識も持ち併せて居ないのはいつもの通りである。


そこにある日本人が、自分の英語力を磨くため、上記のSNSReddit内の
ある英語スレッドに目を付けられ、これに寄せられた、レスポンス
(反応文)
を邦訳しておられるのに遭遇し、閲覧させていただいたことから
発想を得たのが、そもそもである。

 

 

蛍が乱舞する夜のイラスト画像である   by 「いらすとや」さん

その基本となるスレッドが英文の「アニメ 火垂るの墓」についてのもの
である。

ただ俺「このアニメ!2度と見ないぞ」と「心に決めて」いたのも事実
なのである。
と言うことは、oldboy君、これに何らかの心的ストレスをお持ちで
あったことになる。


しかし彼「英語圏の人達の・火垂るの墓・に対しての反応文」に興味が
湧いて来たのも事実であった。

これが文字通り「怖いもの見たさ」の心境であり、本編を見るのではなく、
英語圏の人達のレス(反応文)をみるのだからと、自分を納得さしての素読
であった。


★★2  そのレスポンス(反応)の方法が、アマゾンの商品満足度評価と
同じ★5段評価
で、その理由を書くのも同じである。

そこでoldboy君、上記の人の邦訳をスクロールして素読中に、不思議な
レスポンス(反応)を前に、指が止まったと言うのが、今日の記事の、
発端である。

不思議に思ったのは、レスポンスの星は最低の1個であるのに、その人
(名無しさん)のレス文としては、長文が書き込まれているのにチョット
した違和感を持ったのが始まりであった。

多くの人のスレッド評価は、この手の題材(火垂るの墓)としては、
参加人数も多く、ビューワー(レディットでの評価者の呼び名)のスター
評価
も殆んどが4~5段の上位であり、好結果となっていた。

なのに何故このビューワーさん、スター評価が最低であるのに、長文の
レス文を
書かれたのか、ある種の違和感が、oldboy君に宿り、スクロール
がストップしたのが本当のところ。

そこでこのレスを下に引用させていただいた。

以下引用
「妻が2歳の子供用に買ってきたのだが、息子に見せる前に夫婦で見ること
にしたのは幸運だった。
なんというか、この映画が第二次大戦の日本における戦争孤児を描いた作品
ということで絶賛されている理由はよくわかるのだが、まさかその子供2人
が餓死してしまうところを見せられるとは思ってもしなかった。
視聴中妻が何度も停止ボタンを押しかけたが、私は「ダメだ、お前が買って
きたんだろ」といってそれを許さなかった。

その晩は2人とも眠ることが出来ずベッドの上でジッと天井を見つめて
いた。
ベッドの向こうでは時折すすり泣くような声が聞こえた。

トラウマを負いたいならどうぞご自由に、だが自分が何に手を出そうと
してるのか覚悟はしておくように。

この映画は今も手元にあるが二度と見ることはないだろう。
というのもゴミとして捨てるには惜しい映画ではあるし、誰かに譲ると
その人にトラウマを与えることになる。
なのでこれは今も家にある、もはやどうしていいかもわからず、コイツが
棚の上から今も自分をなじってくる」     以上引用おわり

oldboy君が、上掲の文言に何か、くどくど説明することはない。

おれoldboy君は、このアニメをテレビ番組として視聴したと思う。
見終わった時の精神状態や気分は、上記の「ヴュワーさん」に近いもの
だった、ことは憶えている。


1個目のトラウマ話は以上で、ここからは2番目である。


★★★3 ロシア
帝政時代に書かれた、ある短編小説「ねむい」である。今日の
oldboy君、2番目のトラウマ話である。

※ 今日も、寝てくれない、赤ん坊!


帝政ロシアのこの時代は、著名な文筆家を多数輩出した時代でもあった。
うち、文豪とされる人達に、トルストイドストエフスキーツルゲーネフ
らがいた。

現在の日本人も、読むに至らなくとも、その名に接することは多々あった
はず。

50年以上前に学生をやっていた、oldboy君など法文系の学生は、特に
ドストエフスキーを読むのが当然とされていたような時代であった。

小説名で言えば「罪と罰」がその頂点である。
oldboy君も、世の学生に習い、チャレンジしたのは良いが、どうもしっくり
いかないのである。

読み進めるほどに、事がボンヤリして意味不明の状態に陥るのである。
とくに人名が条件により、変化するのにはガマンできない。
こう言う場合のoldboy君の得意技(逃げるにしかず)を発動、トット
現場から離れることをモットーとしている。

どうも基本的にオツムのデキガ良くないのは自認していたので、ここで
読むことを諦めたのは、賢明であったのかも知れない。

代わりに手にしたのが、チェーホフ、そうアントン・チェーホフの短編集
であった。

地頭の良くない彼のこと、短編なら、内容がヤヤコシクなる前に、(完)に
なると踏んでのことである。

その上、当然登場人物の員数も少ないはずと。

oldboy君、このあたり、どうも人間が浅はかで軽くできている。

通学時、大阪ー京都間の国鉄のガッタン・ゴットンに身を任せるには最適で
ある。

さあー、そんな短編集の中にあったのが、この「ねむい」であった。
わずか、20~30分で読める短編中の短編である。

oldboy君、この安逸さが次のトラウマを招来するはめになるとは思って
もいなかった。

以下に、チェーホフの短編「ねむい」のあらすじ記す。
手にしてから随分と経つので、枝葉は忘れているが、およそ以下ような
物語であったはず。


(以下この小説の筋立て)
口減らしのため小さな商人の店に奉公に出された少女の話である。

商人の家は、店主夫婦と赤ん坊の3人である。
そこに少女が住み込みで、奉公に上がるところから始まる。

もちろん食事の準備はもとより、あらゆる家事、雑事全般をこなすのが
彼女に与えられた役目であった。

しかしもう一つの難事が、彼女の上にのしかかるのである。
シッカリものの、彼女、どれだけの仕事でも、やり遂げる能力はあったが
睡眠不足だけはどうにもならぬ。
この赤ん坊、夜になれば、いくらあやしても揺りかごの中で火が付いたように
泣き、寝付いて
くれない。

おかみさんは、寝付かない赤ん坊をみて、彼女を叱責し叩くのである。

ある晩、少女はいつものように寝付かぬ赤ん坊を揺りかごで揺らして
いた。
意識朦朧の
中、ふっとある思いが頭をかすめたのであった。

そうだ私が寝れないのは、全てこの目前の赤ん坊のせいだ。
泣きやまないなら揺りかごの、この赤ん坊を排除すれば済むこと、
「なぜこんな単純な事にもっと早く気が付かなかったのだろう」と。

oldboy君、ここから先の記憶はない、読むのに耐えきれず、中断して
しまったのか、ハッキリしない。
 筋立ておわり 

ただこのチェ―ホフの「ねむい」がある種トラウマとして頭に残ったのは
事実で、今も記事をこうして書いている。

感覚としては、可哀そうとか、ひどい人達でなく、ただただ今、oldboy君が
呼吸している空気がやけに澱み、救いがない、そのことであった。

ただ一つ朗報がある、少女は自分のこの思いを実行することは無かった
ことは知っている。

だがしかし、彼この短編を、2度と読む気にはならない。
これも、どの程度のトラウマか知らぬが、その手のものであることは
確かで
ある。
  
★★★★4  もう一つ、oldboy君、記事にしたかったある残像があった

ところが彼、トラウマ話に負けたのか、はてさてお歳にきつかったのか
これで今日の所、お終いにしたい心境である。

したがって、ここでは多くは語らず、記憶の断片だけを記述する。

掲載媒体は憶えていない。

ただただ、写真がズームアップされ、oldboy君の目に飛び込んできた
のが全てである。

それは、一枚の黄色っぽい、モノクロの「米軍カメラマンの?一枚の
報道写真」であった。
場所は長崎、時は原爆投下の数日後のこととある。

少年が屹立、不動の姿勢で前方を見据えている「報道写真」である。
彼の背には、オンブ紐に背おられた女の子が、首をのけぞらしている。
 
映ってはいないが、少年の見据えられた視線の先には臨時の火葬場
があると
クレジット(説明)されていたのを憶えている。
(この項 おわり)

以上、今日の3話である。


 
                  了
                oldboy-elegy

oldboy-elegy (61)  石畳、路地奥「インデラ・コーヒー・カレー店」をとりまく、我が青春

 



★1  「インデラコーヒ店」の存在はoldboy君的・青春への入り口・であった

もう50年以上も昔の事である。
この喫茶店「インデラ・コーヒ・カレー店」が彼の成人への最初をしるした
場所だと今も思っている。


初めての出入りは高校生の始めころのことである。
季節の休み毎のアルバイト、(氷の卸や、魚屋の手伝い、年末の門松造り)
などで得た、小金(こがね)が軍資金である。

大学時代の塾講師の稼ぎは、もはやアルバイトではなく、交通費・食費・
遊興費など、学費以外を除くすべてを賄うものである。
このルールは、母との約束である。

そうそう、高校の修学旅行の革靴や、薄手のグレーのハーフコートもアルバイト
でのタマモノであった。

こういう時の、購入先のお店は全て、大阪は鶴橋、ガード下の国際
マーケット(戦後闇市)である。

中学からの同級異性の「Tenko・てんこ」とも、この「インデラ」に
時々来ていた。

高校の修学旅行、夜の寒風を避け関西汽船の後ろ甲板デッキで、薄いコート
に一緒にくるまっていたのが(
Tenko・てんこ)であった。

その後、卒業すれば、俺は京都の私立大学へ、彼女は弟も含めて家族
ともども河内を去ることになっていた。
彼女の親父(おやじ)さんの転勤が理由である。

その後、その時Tenkoの転居先住所はなぜか、意識的に聞かずのまま、別れ、
今日になる。

この店(インデラ)の存在は母や妹などには話したことはない。
何を期待したのか知らないが、ここからそう遠くない塾などの関係者にも
伏せていた。

自分にとっても何故か、秘密である事が相応しいと思っていたようである。

それも今となれば、楽しかったと言うより、チョッピリ哀しい人生の
忘れ物のような感覚に嵌(はま)る。
大人への入り口の、なにか必要な隠し事でもあるかのように。

今日の記事は、実の妹を除き、二人の女性が登場する。

 


★★2  Tenko は中学時代からの恋人??ではなく、友人!!そこが二人
 して
ハッキリしない。

一人は先ほどの「Tenko・てんこ」で、言ったように中学時代からの
友人?である。

中学2年時の時に同級になった、彼女は転校生である。
oldboy君のチョット?した悪さで、体育の先生を怒らせ、連続10発ほどの
ゲンコを食らったことがある。
その折、彼女、これを見かねて反射的にハンカチを濡らして頭に当てて
もらったことが、そもそもの馴れ初めであった。

以後、高校も同級で、アルバイト明けには、よく彼女を「インデラ」に誘った。

高校生のころ、中学時代の男子同級生(別の高校)が、俺達の事を見て横恋慕
でもしたのか、下校時、3人に囲まれ殴打され、唇、内側を数針縫う事に
なった。
※この事件も既出で投稿している、リンクしておくので、読んでいただくと
嬉しい。

それでも相手のことは知らぬ存ぜぬで、通した。
Tenko・てんこは、おのずと判っていたようだが、俺はダンマリで終始した。

ましてや絶対にちくっていない。
言ってしまえば、「Tenko・てんこ」との現状の関係が瓦解するのでは、と
思っていたように、思う。

以後、高校を卒業してからこれまで、その便りはもとより、噂一つ聞か
ない。
彼女の親しかった女友達も何人かを俺は知っていたが、そのままで今に
至っている。


★★★3 安田の華ちゃん、彼女の消息は、俺、大学生のころ、彼の国で

「自殺したそうな」と、母から聞かされた、この時ばかりは腹の底か
ら得体の知れない怒りがこみあげてきた事を昨日の様に憶えている。


もう一人の女性と言うのが、すでに亡くなった「安田の華ちゃん」である。

女性と言うのには未だ幼すぎるが、oldboy君、敢えてここで言わさしてもらう。

あの時代、あの時、家族で北朝鮮に第何回目かの帰還船で海を渡ったらしい。
敢えて、この場では「祖国に帰った」とは言いたくない。

自分、oldboy君とは3~4才違いのアネキであった。


彼女、大家族全員のオサンドンは全て受け持っていたと言う。
あとは幾ばくかの駄賃で、自分達、ガキンチョの面倒もみてもらっていた。

これも「北朝鮮は夢の国」と言うマスコミ言質(ゲンチ)に踊らされた
結果だとoldboy君は今は思っている。


俺が大学生のころ、「亡くなった」と母に背中越しに聞かされた、自殺で
あったと言う。

俺が、この世で初めて遭遇した、不条理な現実であったと思う。

「華ちゃん」が「インデラ」と直接にかかわることは無かったが、その
日常のフィールドは共通していた。

★★★★4 この小さな空間に縁を持った人達の人生の「交差点」がこの
「インデラ・コーヒ店」であったのかも知れないと今は思う。

「駄菓子屋」の出入りから、正月の映画館のお目付け役まで、近所の衆も、
彼女の聡明さに、俺たちを預けた格好である。


この辺り、幼少の頃からの遊び場で、人通りが多い商店街を避け
この「インデラ・コーヒ店」のある裏路地を遊び場としていた。

コーヒ店のすぐ先は真宗系の大寺で、その大きな石の階段は我らの
べッタン(メンコ)の主戦場であった。

「安田の華ちゃん」もニコニコ顔で俺らが脇に立っていた。


★★★★★5 そして数十年後、妹とこの辺りを歩いてみた。

何十年も後に、この商店街を妹と落ち合い「インデラ・コーヒー店
のあった方角へ歩いたことがある、oldboy-elegy君のリクエストである。

因みに、妹は他県に嫁いでいる。
駅からここまでの商店街、子供はおろか、人の行き来そのものがほとんどない。


「兄ちゃん、この通りさびれたな~」と妹。
ときおり、商店の店頭脇に「お逮夜市・おたいやいち」と染められたのぼり
を見るが、余計に侘(わび)しく、ウラビレた感覚に陥る、子供の頃の
あのキラキラした陽光は今はもうない。

あの人達は今はどこに消え去ったのか、寂しく、不思議な気持ちに
陥る。


そう自分達、子供の頃、我ら餓鬼どもの、お目付け役であった、あの
しっかりものの「安田の
華ちゃん」のこと、そして「うすいハーフコート

一緒にくるまった「Tenkoてんこ」の事を思い出す。

 

 



上掲のイラスト画 今は亡き「安田の華ちゃん」のイメージである。
おさげをリボンで止めているが、実際には輪ゴムであったはず。

商店街を「インデラ・コーヒー・カレー店」があった方角に歩く、やがて
神社の石造の大鳥居が見えてくる。

もうこれ以上
「歩・ほ」が進まぬ。

oldboy-elegy君、この閑散たる通りの佇まいを見て、「いまさらながら]
気持ちが胸をつく。

今ここで「インデラ・コーヒー・カレー店」の残滓を目にしても決して
心地の
良いものではないことは想像に難くない。
oldboy-elegy君のelegy(エレジー・哀しさ)のまま、そっとしておくのが
最良
であるのかも知れない。

「〇子、もういいわ駅に戻ろ」と兄は妹を促した。
走り去った子供たちの「歓声」は今はもう聞こえない。

高校時代、アルバイト代が入ったおり、Tenko(同級生の女性)を誘い
「インデラ・コーヒー・カレー店」に来ていた。

そして今、
「安田の華ちゃん」も神社の大鳥居の脇で、われらガキンチョ
交じり、彼等の肩に手を置き、俺達兄妹を見やり、ニッコリと見送って
くれているようにも感じた。

それで充分であった。

瞼が熱くなり、「みんなさよなら、な」とつぶやいたのは妹は知らない。
もう一度、その場を見やるが、Tenko(てんこ)、華ちゃんは、もとより、
ガキンチョの姿はもうそこにはない。


「おとなは、だれも、はじめは子供だった、しかし、そのことを忘れずにいる
おとなは、そんなにいない」


                                                  [星の王子さま]
  サン・テグジュペリ


                  了
                  oldboy-elegy


正月の映画館、お目付け役は「安田の華ちゃん」であった

 

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oldboy-elegy.hateblo.j

Tenko・テンコとの関係を中心に記事化した過去記事である

 

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「インデラ・コーヒ店」「チュウコヒンなる駄菓子屋」も言わば同じ町内、
oldboy-elegy君、随分とお世話になった。

 

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