oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (42)4回生、夏休み・就職未決のまま、ひとり旅にでた。そのおりタクシーに、そこそこの距離を無料で乗せていただいた。ずっとずっと昔のことである

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今日の記事は、2019・09・01に
投稿したものを、リライト,
再UP
した
ものだ。

ブログを書き始めて六か月め位の
ことである。
出稿ペースは月3記事程度で、今も
変わりはない。






この記事、大学最終年・4回生の夏休み、就職未決のまま旅に出た時のもの。

その時のoldboy-elegy君の「行動と心のあり様」を綴ったものだ。
悲しいかな、初回投稿時、この記事を見ていただいた痕跡は、3人の方が、
はてなスター合わせて10個ほど、残していただいたのが全てで、以後変化
はない。

「リライト」と言っても、基本、内容が変わるものではなく、「読みやすく」
を心がけたものである。

さて最初のイラスト画像が、oldboy君のおよその旅姿である。

リュックサックは綿の帆布でできたもの、色は茶色に近いベージュ、
締め口は全て太い紐、チャックやホックなどはなかった。

寝袋はイラスト同様、丸めて、リュックの上に縛り付けてある。

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ただoldboy君の場合、丸めた寝袋の中心にコウモリ傘(クロ)が通してあった。
傘は、貧乏旅行には必携品である。
なにも雨に備えただけのものではない。

野宿の場合、寝場所は低い木々や灌木の脇を選ぶことが多い。
なぜなら、敷いた寝袋横の、低い枝に傘を縛(しばり)り、夜露を避けるのだ。

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もちろん「除虫菊製の渦巻蚊取り線香」もリュックに納まっている。

最後は帽子だが「これは被ってなかったな~」代わりに常時、首に巻いていたの
がタオルである。
必要なら、頭に、タコ・ハチマキにもなる。
ここで一挙に・見た目・がダサクなったようである。

あと、通学で使っている,母、手作りの
ベージュ色のショルダーバッグを肩から
斜め前にかけ、それに
財布を始め小物を詰め込んでいた。

それに、唯一の「文明の利器」カメラ(オリンパスペン・親父からの借り物)も
ここに同衾している。




                 ★1
              旅の行程と概要

この旅は能登半島、新潟、佐渡尾瀬ヶ原尾瀬沼)、日光、東京、ただし
東京・大阪間は友人(学友)のいる2か所で下車、全行程2週間強の貧乏旅行で
あった。

記事は旅の行程を日にち順に追ったものではなく、順不同で、起こったことを
思い出したまま書いている。

とくに、事細かく日程を決めていた訳でもない。
日程の半分近くは野宿であった。

実はoldboy-elegy君、就職活動なるもの、未だ一切していない。

心のどこかで、「社会に出れば、2度と得られないモラトリアムな時間を
もう1年
」の
気持ちがあったのは否定できない。

大学で、周りも見渡しても「就職、就職」と「ドタバタ」してる奴も見えない。

ともかく、この旅行中「卒業するのか、5回生にて居残るのか、ぼんやり考え
よう」
とは思っている。


「野宿」聞こえは悪いが、これ、すこぶるストレスフリーな貧乏旅行の上策で
ある。


もう一つ、野宿する近くに警察なり交番があれば一声、声をかけておくのが
ベスト。


oldboy-elegyくんの場合この方法で夜遅く、現地の旅館の布団部屋に超超格
安にて紹介して頂き、おまけに坂の上の現地まで案内していただいたことが
ある。
終い湯(しまいゆ)もいただき、さっぱり、人間に戻った気がしたのを記憶
している。

お巡りさん、自転車押し押し大変、有難うございました、上越線・沼田での
事であった。

                                  ★★2

 oldboy君、大チョンボ、親父から借りたカメラ(オリンパスペン)を紛失

         
沼田宿での翌日、尾瀬沼、富士見小屋にてoldboy-elegyくんの大チョンボ発覚、
あまりに美しい景色に写真をと、親父から借りたオリンパスペン(カメラ)を
取り出そうとするが、「ない、ナイ」ショルダーバックは勿論、リュックサック
の中身をすべてひっくりかえすが、フィルムあれどカメラは見えず。

この時oldboy-elegyくんの弱いオツム(頭)にローソクが点灯、
「アッツ!!!」思い出したのである。


佐渡両津港から佐渡汽船、新潟港行に乗船、その時、船内には入らず甲板
デッキにへたり込み、眼前の欄干に吊るしたのがカメラだった。
甲板を吹き抜ける心地よい風に身をまかせウツラウツラ状態であったことは
否(いな)めない。
しかし??なぜ下船のおり眼前に吊るしたカメラが目に入らなかったのか、
それも不思議。

尾瀬ヶ原の小屋から佐渡汽船に2度ほど連絡するが発見できず。
もちろん、河内の住所は残してあるが、ついぞ音沙汰はなかった。

しかしoldboy-elegyくん、持ち前の復元力でキッパリ忘れる事に成功
(実は涙目)?。



                       ★★★3
          話が前後して申し訳ない。
    佐渡に渡る、何日か前の事、「カメラ」もまだ健在で手元に
           あった時の事。
          

能登をぶらぶら中のことである。

眺望がきく高台にいる。

両手を真横一杯に広げると前面の180度はすべて日本海である。
夏の落日は今、西にある。
東の空は薄紫で刷いたような雲が浮かんでいる。

明日もきっと良い旅日和になることだろう。

 
場所は能登曽々木海岸、先ほど降りて来た坂の上には「時国家」と言う
豪族の屋敷が2棟ある。
なにげにそのうちの近い方の一軒を外から見学してバス停に到着したばかりの
oldboyくんである。

荷物は固い綿の帆布でできたリュックサックを背負い、肩越し斜めに、母、
手作りのショルダーバックを懸けている。
リュックは大阪鶴橋の国際マーケットで中古品として購入、ショルダーは普段
から通学で使用していているものである。

リュックの中身と言えば、着替え、洗面用具など生活用品一式に渦巻き式の
除虫菊製の蚊取り線香、そのほか寝袋、こうもり傘、うちわ等はリュックの外に
括り付けている。

ショルダーバッグにはノート、筆記用具、タオル、チョットした菓子など、
それに学生証、財布など、と親父から借りたカメラ、オリンパスペンと
フィルムなどである。
因みに今日までの三日で撮影した写真は数枚のみ。

 バス停の後ろの草むらにリュックを下ろし、へたりこみバスを待っている。
もう最終の時刻を過ぎている。
遠望が利く地道の道路、バスが来るはずの西の方角を見るがその気配はない。

少しはやきもきもしたが、すぐに決心、「今日はこの辺りで野宿、それもいいか」
この旅初の野宿を決心。
海岸を見れば貧弱ではあるが松などの木々が見てとれる。

低めの枝ぶりの良い木を見つけ、こうもり傘を括り付け、広げ、
その下にグリーン色の寝袋を敷き、蚊取り線香を燻らせば完璧。

手には、蝋引きの頑丈な広告入りの団扇(うちわ)。

あとは波の音を聞きながら満天に星があれば言うことなし。
oldboy-elegyくん一人悦に入っているのである。

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 そこへ彼の背後に突然、車が一台停車、タクシーである
「ここ、いくら待ってもバスは来ないよ」のご宣託。

「???」と不信顔のoldboy君に、最近この道は利用されなくなり、すべて
もう一段下の海岸に近い道路を利用するとのこと、彼、運転手さん、
まったくの気まぐれでこの高台の道を通ったとの事。
東行きも西行も最終便は終了しているらしい。
「??!」すると俺が降りたバス停は、ここより下の、新バス停と言うこと、
気が付かなかった。
それならせめて、ここの旧停留所の標識ぐらい撤去しておくのが普通であろうと
思ったのだが、こちら別段そのため、ことさら被害にあったわけでもなし、
やや不満げに、無言のまま。

「明日どこへ行くの、東それとも西」と運転手さん。
「ええ、能登の東端の先っぽの狼煙灯台(のろし)にでも行こうかなと、
天候が良ければ佐渡が見えると聞いたので・・」ここでoldboyくん少し
身構える。

「安くするから乗っていかない」かと邪推したのである。

ところがところが、
「このタクシー飯田町のもので、どうせ帰り便やし、乗せてってあげるよ無料で、
乗っていきなさい」とのお誘い。

ここから飯田町まで20キロ程度で、この町からも灯台のある狼煙(のろし)行の
バスも出ているとのことである。

運転手さん、疑ったりして申し訳ありません。

そもそも、リュックに寝袋など見れば貧乏旅行の極みであること一目瞭然である。
この事に今更ながら気が付く。

むしろこんな御仁(oldboy君のこと)に近づかない事の方が一番の良作とする
のが社会常識なのである。

「飯田町の海岸からちょっと山に入った所のお寺がユースホステルを経営
している」とのこと。


無料なら話は別、いくら時間の余裕があっても行程の先に行くのが鉄則、
ましてやすぐに夜になる、つい先ほど決心した楽しい野宿も中止、ただし
「楽しい野宿」の事は運転手さんには言ってない。
いくらなんでも失礼であろう。

タクシーは海岸から離れてやまの中に入る。
20分程で飯田町のユースホテルを経営するお寺さんに到着。
道中、大学の事や、この旅の話をしていたらあっと言う間の事。

 行き先は新潟まではハッキリしているが、佐渡に渡るか、上越線で沼田に
行き、そこから「歩き」で富士見峠にでて尾瀬ヶ原を抜けようとは思ってはいるが、
基本未定である。

 「それでは元気でな、いい旅になることを祈っているよ」と言い残しタクシー
は去っていった。
走り去るタクシーを見ながら、ユックリ、深々とおじぎをするoldboy-elegyくん
であった。

 「タクシーに無理やりで乗せられる」と一瞬でも疑った俺、「申し訳あり
ませんでした」


 このあと翌日にバスで緑剛崎灯台(通称・狼煙のろし灯台)まで行き、東の
海上を眺めたが、結局のところ佐渡は見えず。

ここで「見えぬなら、自分の足でそこへ行き、見てやろう」と、決心する。
新潟大地震の数年あとのことである
新潟港の船乗り場が随分沈下していたのと、港外に出ても暫らくは油臭く
感じた記憶が残っている。

                ★★★★4
    よく知ってもない人、K君(教室で時折、無駄話する程度)にこの
    旅の話をした。
    すると彼の、母方の実家が石川県・小松市で、是非ぜひ、一泊
    してくれとのお誘い。
    oldboy君、丁重にお断りしたが、許してくれず、一泊することに。
    

             
 大学の友人Kが「是非泊まって行ってくれ」との申し出。
彼の母がたの実家が小松市から出ている軽便鉄道(尾小屋鉄道)の終点、
尾小屋鉱山と言うところ
だそうだ。

ここでの泊まりがこの旅の初泊となった。
俺K君のお母さんに会った事もないし、ましてやそのお兄さんの事、当然
知る由もない。

懸命に固辞するも押し切られた格好で了承、やや気が重い。

非常な歓待を受け、ありがたいのはありがたいのだが、oldboyくんにとっては
お尻が少々むず痒いものであり、翌日、一人になってなにやら、解放された
気分になった。

すまんK君、いろいろ面倒をかけました。


 そして穴水のユースホステルのお母さん、気を遣わしてゴメンなさい。
満室状態で宿泊は断られたが、野宿のための玄関脇の樹木と芝生の使用、
屋内のトイレや水道に終い風呂などいろいろ便宜を計っていただきました。

結局、2週間を超える旅になった。

旅の醍醐味(だいごみ)って何なのだろう、景色や食事、勿論それもあろう、
しかしそれ以上印象に残るものとは、「人!!!」これに尽きると思うと、
oldboy君は考える。


河内の我が家にたどり着いたら飼い犬の「ホス」に吠えられる。
このワン公、飼い主は、拾い主の妹が全てで、俺には少々愛想がない。

食事の時など、母か妹に足を拭いてもらい、丸お膳の彼女達の間に陣を取る
のがいつもの定席である。


              ★★★★★5
       

     そして就職、こうしてoldboy-elegy君、人生モラトリアム
           期間も過ぎ去って行った。
             

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この貧乏旅行のあと、「やはり、卒業しょう」と心に決めていた。

そう裕福な家庭でもなし、その上、義兄二人は、中学卒業後すぐに親父のもとで
ブラシ職人として働き始めたのも見て来ている。

人生最後のモラトリアム期間の4年間は、こうして過ぎていった。

この後、秋学期の終わりには、600人~700人程度の中小企業(繊維関係)に
就職
を決めていた。

この会社での出来事、あれやこれやはoldboy君のブログ記事の中でも、一番
多く記事化している感がある。


しかし、世の中、頑張り屋さんばかりの一枚岩で成り立っている訳でもない。

とくに最近、他人様のブログ記事を読むことが多い。
そこには、世の中、一般より、なにかにつけて「意識の高さ」の、お人の
多さにoldboy君、気押される、事が多い。

この変革・激動の世の中、ハイテク便利グッズと人心との関わりようが、
どうなって行くのか、
oldboy-elegy君、ある意味、楽しみな気持ちもある。
それ故、もう少し命、長らえるのも、楽しいことで意味あることかもし
れないと思っている。

             では では お休みなさい
            

                  
     
                                    oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 N0.29)パーソナルな通信機器の発達、これらは人々に幸せをもたらすもの、それとも単に超便利グッズなだけ。


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左のイラスト画像はパソコン・スマートホン・タブレットなどが
プロバイダーを通じてインターネットに
繋がり、ワールドワイド化する様子を
描いたイラストです。

oldboy-elegy君の時代、基本,パーソナル
な通信機器と言えば、有線の固定電話
のみであった。


あと、通信手段としては、電報、テレックスがあったが、まことパーソナルな
ものだったかは、疑わしい。



これらの「蜜の味」を、知ってしまった現代人は、今後どう対処するので
あろうか?

今の人達は思うだろう、「昔の人達は不便だったろうな」と、しかし案外
そうでもない、と昔人間のoldboy君がお答えする。

だってそれらの利便性そのものを経験したことがないため、そのよしあし、
について語ることは不可能である。

人は、すべて、時代に存在し生きる、そのため使ったことも、見た事もない
物を欲しがることは不可能である。

近代弁証法哲学の大御所、「ヘーゲルさん」は言っている。

「存在するものは合理的であり、同時に合理的で有るが故に存在すると」
つまり「この世に存在する理由は合理的で有り、不合理なものは、いずれ
淘汰される運命にある」と。


以前に一度、

雑感・雑記帳 No15)
default・デフォルト・デフォー、何故か馴染めぬ、このIT用語?

で2020・02・21に記事にし、UPしたことがある。

この時の、記事の概要は「PC・スマートホン」など電子機器そのものに
ついて書いたものでなく、そこで頻繁に使用される「デフォルト」なる用語
のみに焦点をあて,これまた、「いつものように」oldboy-elegy君的、感想を
述べさせていただいたものであった。

もし、よろしかったら、今日のこの記事の後にリンクを、貼っておくので
よろしく。

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固定電話以外の便利機器のない時代、人はどんな日常を送っていたのだろうか、
思いつくまま書いてみた。


いわば今日の記事は、その「デフォルト」以来の第2弾的なものである。
内容は「社会と人の関わり」ではあるが、脱力系であるのは、いつもの
oldboy君の通常運転であることには変わりがない。



                  ★1

      oldboy君、若かりし(およそ50年前)頃の街中(まちなか)
                風景と電子機器


世に、パソコン・スマートフォンを通じてインターネットを利用する人は
限りなくおられる。
ただ、これらを利用する人たちの、技能・スキルはその御歳(おんとし)も
含めて千差万別だ。

しかし超一流の一握りりの天才から、oldboy君のような最下層にうごめく
ブロガーまで、すべてネット民である事実には変わりはない。

自分達が社会人として生存した時代は、幸か不幸かパソコンなどは存在
しなかった。
反して、いまは、子供が少なくなった分、スマートフォンやノートパソコン
それにタブレットなどを連れ歩いている。

いっその事、オンブ紐で、デスクトップ型のPCを背に縛り、キャリーカートに
CPU、キーボードを装着、そこらを闊歩すれば、いい図になるだろう。

ごめん、ゴメン、興に乗りすぎ、しょうもない事を言ってしまったようだ。


oldboy君、最近とみに、感じるのは、街なかで見かける人々の持ち物と言うのか、
荷が大きくなったように思う。

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近年、の街中風景でリュックサックを背負った人を良く見る。

それも、若い人から中年の紳士までと巾が広い。
山登りやハイキングと言うことでもないらしい。
その目的はこれ、
両手をフリー(自由)にすることにあるようだ。
そう、ひとえにスマートフォンタブレットの「操作」を「容易にする」ためである。
最近、顕著に見る、風俗の一種であり、男女の別なく存在する。


日毎の通常通勤に、リュックサックや底に車の付いたバギーカート?
(ちゃんとした商品名はしらぬ)を担ぎ、転がし、早足で歩く人を多く
見かける。

街なか、いくらバリアフリー化していると言えども、、階段、坂道など段差
は多い。見ている限り結構、重そうでもある。

一度、それらのバッグの中身を見てみたいものだ。
多分、たぶんだが、電子機器に必要な周辺機器のさまざまなガジェット類も
納まっているはず。

oldboy君など、御歳で、しかも腰痛持ちの身、カートの天板(ふた)など
が超軽量で頑丈にして、座れるなら、今すぐ調達したく思っている。

みちすがら、じゃまにならない場所にカート駐車?、セケンを睥睨(へいげい)
しながらユッタリ歩を進めたいものである。

oldboy君、老体の身ながら、こんなところ「意外とうるさい」のである。

                ★★2
        オフィスに置ける電子機器と働く人との関係

ただ、ようやく、オフィス・コンピューター(OC・オフコン)が、チラホラ
中小
企業にも導入されつつあった時代のことである。

当社にも、東芝製の「トスバック○✖型オフィス・コンピューター」などが導入
されたが、我々一般社員がそれに順応するための、技術習得の必要などは何も
なかった。


ただ、「これこれの書類は○月◎日まで提出のこと」など、各部門の計数的書類
の提出期限が厳格化
されたことである。

相手は機械のこと、これまでの「ナアナア」の対人関係では、ことが進まなく
なる。
それ故か特に営業職・工場管理部門の人には、上司も含め、このオフコンにたい
する評判は良い物とは言えない。

ぶつぶつ言いながらも、この機械様への対応は必須である。

完璧な空調設備を施した、電算機室なるものが社内に備わり、5・6人の専門の
要員が、磁気テープがクッキン、カッキン回る部屋で、忙しく立ち働いている
ばかりであった。


社員の多くは、このオフィス・コンピューターのことを「金食い虫」あるいは
メモ用紙製造機」と揶揄(やゆ)し、敵視していた。

スマートホンはもちろん携帯電話も存在しない時代のことである。


会社と社員個人とを繋ぐものは公衆電話ぐらいのもので、これとて、会社から
外出中の社員に緊急連絡するのを目的にした機器ではない。

オオザッパな外出先のメモを残しているのだが、よっぽで無い限り「訪問先の
後追をいしたり、探したり」しないのが「暗黙の了解事項」となっていたよう
である。

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左傾のイラスト画が、「ポケット・ベル」なる
機器である。

ただ単に「至急、自社にTELを入れろ・どこそこ
へ電話しろ」の連絡だけで、それ以上の何物でも
ない。




呼び出しを受けた本人は、「公衆電話」を探すか、
得意先の電話を借りて、連絡する以外、手立てはない。

このポケベルを口元にあて「ハイハイ、俺になんか急用?」とやれば、
「アホの部類」か、あるいは「まだ見ぬ文明」を予見できる「天才」かの
いずれかである。


その人を呼び出すためだけの非人間的機器、ポケットベル(ポケベル)
出現も未だ先のことで、oldboy君、ついぞこれを持たされた記憶はない。


従ってoldboy-elegy君、、パソコン・スマートホン・ガラケー などの
電子
通信機器とは殆んど無縁のサラリーマン生活を経験した最後の世代かも
しれない。

 

               ★★★3

        はたして、これらの機器・ガジェット類、は人々を
   解放して、まだ経験したことのない幸せを人々に、もたらすものなのか、
    それとも、たんに、われわれ一人一人を、管理するために存在する
        経営者的、便利
機器になり下がるのかは未だ分からない。
    
少々、無責任な言い方かもしれないが、oldboy君が社会人として生きた時代は、
ある意味、良き時代だったと、言えるかも知れない。
あの時代、持ち物と言えば、せいぜい、手帳ぐらいのもので、首に巻いた、
「首輪」は無かった。



九州担当の営業マンなどは、時々、金曜日くらいから行方知れずになり、
地域の問屋さんの社長さん等と韓国に渡り、ゴルフ三昧に勤しむものもいた。

oldboy君(企画部)の場合、定期の国内出張はない。
ときおり、第3国に、ヤボ用ができた折など、お鉢が回って来るのが楽しみで
あった。

何かと人間的?な、計算や都合がだんだんと、OC(オフコン)導入により
難しくなり、
融通が効かなくなっていくのは、未だもう少し後の時代である。

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出張旅費の精算も、経理係長が首を縦に振れない領収書も存在する。
一晩で2軒・3軒と梯子(はしご)した場合や、何か怪しげな匂いのする
領収書がそれである。

これとて、フィスコンピューターが入ったばかりに、今まで経理課の
担当課員
の便宜で習慣的にやっていたことができなくなってきたのである。

営業のF氏が、なにやら経理課のA氏に向かって、手を合わし、切なげな顔で
頼み事をしている。

その会話の内容を聞いてみよう

経理課の係長さん
「私だって、これまで通り、してあげたいよ、だけどオフコンの設定費目には
ないんですよ、
それに、わたしの気持ちだけでどうにかなるもんでもなしあの機械さんが
ウンと言いまへんのや、あれ賢いのか、アホか分かりまへんわ」

つまり、こう言うことらしのである。
彼、今月の出張、過度の認められぬ遊興費が禍(わざわい)してか「精算の
為の返金」が手元に不足してしまうので、その不足分を、「個人貸付」にして
欲しいとお願いしているとの事。

それで、来月の出張の折の「旅費の仮払い」時に、今月の「精算不足分」を
上乗せして借りて、その場で今月の「個人貸付」を精算、これをくり返し、
ボーナス月で完全精算すると、仰っているのである。

この方法、当社では、これまで経理課の好意で普通に行われていた方法だが、
オフコン導入時この悪習慣を廃止しょうとの、話もあった。
それよりなにより、この悪慣行、夫婦者の場合、奥さん連中に極めて不評で
あった。

ボーナス額は、組合との団体交渉で「夏・冬」の金額はすでに決まっている、
ただし営業関係のダンナを持つ、奥さんたち、「仮払い制度」のおかげで、
実際いくら手元に残るのか、ハッキリしないのである。

こんなところでも、人間と機械との衝突があったようである。

もし、oldboy-elegy君が50年前のマインド(心持ち)で現在によみがえり、

就職し働き出したなら、おそらく、ひと月待たずに、不適格人間の烙印を
オデコ
に押され、クビになること、請け合いであろう。

なになに「それ以前に就職さえ叶いませんよ」の声がアチコチから聞こえる。
まあ、それも「真」であろう、「コリャー!!!」


         では では 今日はここでおいとまと する

                  
     

                     oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

oldboy-elegy (41)   高校生(エロ坊主)のころ、 隠し持った、三種の神器を母に見つかった。それで叱られたの?いや、むしろ誉められた?!


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このイラスト画は、わが母が
oldboy-elegy君のための「衣替え」
やっていなさる図である。
「チョット若すぎるやろ」の
声もチラホラ聞こえてくるが
そこは許していただこう。
ただ着物姿に割烹着を着ておられ
ないのが少し寂しい。

時は高校2年の秋であったはず。




                                                               
                 ★
       今日の話の出発は、この「衣替え」から始まった

「衣類、入れ替えるわよ、来週一週間、予定して置いて」と母の威勢の良い声が
ひびく。
つまり「春・夏物」をしまい、「秋・冬もの」を出すわよ、と仰っているので
ある。

今にして思えば、この母の一声が全ての始まりであった。


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左傾のイラスト画像は母である。
「衣替えの作業中」の折も、もちろん和装。
ただし、着物の上から、白の割烹着で
身を包まれる。

本来なら、その「雄姿」をUPしたいのだが、
残念ながら割烹着姿の画像は手に入らず、

これにて、ご勘弁を。

お歳の雰囲気もなにやら
近しいものが感じられて気に入っている。

ゆうに、50年以上昔の話であることを踏まえて
読み進めて欲しい。

 





母の言う「衣替え」とは、単に「衣類」の入れ替えだけはない。
これから、しまう「夏物」は全て手洗いをして、キッチリと天日で干すの
である。
それでも気になる汚れやシミがあれば薬品で落すことも作業の一貫を成す重要
な過程なのだ。

余計なシワが出ないように、キチンとたたみ、収納し、押し入れに段積みされる。

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上掲のイラストは、母手ずからの「棒針編み」のセーターである。
小学校時代はイロイロの図柄が前身にデザインされていた。
さすがに、高校生にもなると、すべて無地物に変わっていた。


7才違いの妹の分も、同時に衣替えをなさる。
そこそこの量である。
とうぜん、入れ替わりに出て来る「冬物」などは、樟脳の匂い抜きのため、
天気の良し悪しを見ながら、家のウチ、ソトに「所狭し」と干される事になる。



このお方、本当に体を動かすのが「楽しくてしょうがない」との,ご様子だ。

ただし少々、休憩の多いのが難点。
キセルでタバコを吸うための小休止である。
「ア~そうそう」いで立ちは、当然着物姿で、シロの割烹着(カッポウギ)を
その上からハオッテおられるのは、いつもの事。


「もうそんな時期か~?、しやけどウチの学校、衣替えなんか適当みたいやど」

だらけた学校に通う、だらけた生徒がのたまう。
※ 「しやけど 」は大阪・河内の方言? 「だけど」が標準語?、良く判らん。

「そうよ、もうそんな季節、あんたなんか、ほっといたら、いつでも同じ服やから、味も素っ気もあらへんわ」と母。

そう、まさに、「歳時記」で言うところの「衣替え」の行事そのものなのである。

その中には、母がウールの毛糸で編んだ、自作の創作セーターの4~5着やマフラーも
数本、含まれている。

さりとて、ldboy君がこの作業に加わることはない。
学生服一式(上着・ズボン・学帽・シロの長袖シャツ)をこの間、確保しておけば
事足りる。

時は、彼、高等学校2年の秋で、そろそろ、「大学進学」を本気で考えても良い頃
の話である。

彼が帰宅する時間帯には部屋は、少々、樟脳臭さが漂っている他は、見た目に
変わりはないが、ほぼ、片付いたのだろう。

ただ、木製のチープ(安っぽい)な洋服箪笥の中身はガラッと変わっている。

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左は洋服タンスのつもりの画像、絵が下手な分
安っぽく見えて丁度よい。

画像はネット上にたくさんあるが、殆んど、
ニトリやアマゾンのもの、しかたなく、自前
で調達。

     
     










                ★★

            母の煮え切らぬ告白


          「衣替え」も終わったその週末、
     oldboy-elegy君が帰宅するのを待って
いたかのように、母が
      
「あんた、〇✖屋のクリームパン、ジャムパン食べる?」
         と部屋の外からおらんでらっしゃる。

※「おらんで・・」 大声で叫んで、位の意味の河内弁、多分
         

彼、一瞬「!???」状態になる。
母にしては、持って回った、言い方である。
とうぜん、こちら、この時間、腹をすかして帰宅するのは、いつもの事、その上
〇✖屋の、これまた大好きな菓子パンがあるらしい。
小学校の上級生になった七つ下の妹の分も当然、用意されているはず。

それも2個の割り当てなのだ。
それを「食べるか?」と聞かれたもので「!???」と相成った次第である。

「腹減ったー、はよくれー」と俺。
一瞬、おかしな聞き方しよる、思ったが、その思いはすぐに何処かに霧消。

「うちも、自分の分、あんパン買(こ)うてきたん、部屋上がってええか?、一緒に
食べよ、お茶用意して来るは」と母。

oldboy君、母の前で、お茶も飲まずに、一瞬でジャムパンを完食、

少し腹の虫も収まったのか、母のさきほどからの、らしくない言動に気が行く。

母を前にして「オカシイ、なんか母ちゃんオカシイは!?」と、口にのぼせたの
である。

「うち、オカシイの分かるか?」と母

この時点で、「親父とのことで、なんか不味いことでも」と思ったのだが、さすがに
これは、口にはだせなんだ。
残りの、クリームパンは盆の上に載ったままである。

なにかがおかしい。
「ハッキリしいや、いつもの母ちゃんらしくないやん」と母にセッツク彼。

お茶をゴクリと飲み、母はやおら正座になりなさる。
こんなこと、されたことはない、なにやら、こちら、緊張感がつのる。

そして母の口から、ついて出た言葉が
「ゴメン、ほんまにゴメン、言わんままにしょうと思ッとんやけど、ウチの
気性からいうて、絶対無理やし、余計しんどなるさかい、今日言うてしまおう
と決心したんや

oldboy-elegy君「???」のまま、
「もうそれは分かったから、ハッキリ言うて」と何もわからぬまま、ドキドキ
している自分がいる。

母は下を向いたまま
「ゴメンoldboyちゃん、見てしまったんや!!、あんたの秘密の物!!」

先ほどの、チープな洋服ダンスの画像をもう一度みてほしい。
このタンスの右開き戸の一番奥に、3段の小物入れ用の引き出しが置いて
あるのである。

oldboy-elegy君にとり、この小ダンスは、取り敢えず、少々、心やましい物
を入れ置く小棚であったことは間違いない。
しかし3段の一番上段は鍵がかかるこしらえになってたはずだが、使用した
憶えもない。


「なにがなんでも、絶対に秘匿すべきもの」と言う意識も薄弱であった、
ようにも思う。

「いった
何が入っていたのか」すぐに認識できずにいる、彼。

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               ★★★

       三段の小引き出しに入っていたもの

とりあえず、最初に思い出したのが、手紙類である。
殆んど、中学生のころに貰った、恋文とも言えない幼い手紙である。
10通近くあった、はずである。

今では、通っている学校も違うし、その中の幾人かは、もう働いている人もいる。

もらった手紙を返せと言われたこともあった。
たまたま、その彼女に仕掛けたイタズラに激怒され、中2階の踊り場で取っ捕まり、腰に乗せられ、あえなく木製の壁に投げ飛ばされたことである。
こともあろうか、その娘からも、手紙を貰っていた。

いかんせん、oldboy君、中学生の初め頃など、意識は子供中の子供であった
ようだ。

そんな手紙でも、もう学校も違うし、出会う事も考えにくいが、それとて
廃棄、償却するには、しのびないものがある。

じぶん的には、勝手に「処分は高校卒業のおり」と決めていたものである。


瞬間に事情を呑み込んだ彼、

「洋服タンスの奥の、三段の小ダンスか?」と力なく尋ね、目線は洋服タンスを
見ている。


「それぞれ、じっくり見てへんよ、しらんままが良かったのやが、時、すでに
遅し、と言う事や」


瞬間の俺・無言のままの脳内映像
①タバコ  たしか「しんせい」1箱、封は切ってあるはず。
      試飲はしてみたが、「ウへッ」となっただけで、今はこの3段に
      お蔵いり。
②手紙   10通前後 先ほども書いたように、高校卒業時に廃棄・償却する
      つもり、当時、唯一の女友達であった「Tenko・テンコ」からの手紙
      はもともと存在しない。
③ゴム・スキン・避妊具 今では普通にコンドームと言う、問題はこれ、
      もちろん、今ここで「天地神明に誓って」言うが、おのれが使ったこと
      はない。
      ただ都合の悪い事に、5個か6個入っていた小箱の封が切られていて2個
      ほど減っているはずである。
      高校の友人に、話の都合上、oldboy-elegy君が買い、進呈した時の残り
      である。

      これを、どのように言い、説明するかが問題である。
      あるがままに、実際を話すしかない。
④あと、エロ本、好色本の類だが、何回か仲間内での「回し読み」の経験はあったが、      
      その都度 返却しているはずである。


                ★★★★

             さすが母上、話が旨い
         oldboy君のこと、傷つけずにお話、最後に俺、
           「別に怒ってないよ」でけり
           母も、胸をなでおろしたはずである。
         

母が最初に口にしたのが、問題の「コンドーム」の件である。

「あのスキン、あんたのやろ?」が最初の言葉であったと思う。
oldboy君、
「うん」と答えながら、先ほどの「反論、言い訳」を口にしょうとした時、母が、
なんと、俺より先に「あんたは偉い!!、それに優しい!!」と言う意味の言葉を
おっしゃたのには驚いた。

「最後の最後、泣きを見るのは、女やからな」と吐息交じりに、そう遠くない

自分の過去を、思い起こされたのかも知れない。

チョットした「思い違い・ゆき違い」もあったが、oldboy君、その場で訂正は
しなかった。

 



「ゴメンなoldboyちゃん、あんたの名字が、お父さんと違う事・・」
なにか話の方向がおかしな方向に向かう。

「おかん、その事に就いては、ホンマにホンマ、なんとも思ってないし、むしろ
親父の平凡な名字よりカッコいいと、思ってるぐらいや」と答えていた。

この言葉には、偽りはない、心底そう思っていたのである。

「もう、その件で親父と口論すんなや、このままでええやん」とoldboy君
「せやけど、あんた、就職の時に、響いてくる、って、誰かが言うたはったよ」と母。

生涯 母は親父とは「内縁関係」のままであった。
もちろん、oldboy君は今も、言わゆる(私生児)のままである。

※今「私生児」なる言葉を使ったが、昔は父親が「認知していない子供」のことを
そう呼んだ。
同時に少なからず「侮蔑」の意味も込めれたものであったらしい。
今では、書面では「非嫡出子」とされ、言葉で「嫡出子でない子」と呼ばれている
らしい。

当のoldboy君、母の胸中を「おもんばかる」故か、これに関しては、少々
距離を置いてきた感が強い。

この「私生児」なる言葉には「侮蔑」の印象が含まれるらしいのだが、ここは、
他人の事ではなく、当人oldboy君の事で使用しているので、許していただく
ことにする。

なんだか、妙な展開になった。
ことは、母の言葉で終始した。
oldboy君、「いまさら、なにをか言わんや」の心境である。
とどのつまり、この話は言い訳することなく、終わったのである。



最後に母「あ~、内緒にせんといてほんまに良かったわ、気分がスーとした」
は心よりの「本音」であったはず。

妹が遊びから、帰って来た。
とうぜん、母のあんパンを見て「うちも」とせっつく。
「お茶、入れ替えて来るは」と正座を解く母。

このチョットした事件は、母にも、oldboy君にとっても、「必然が招いた」
「当然の成り行き」であったように思う。

「俺、今年の年末のアルバイト二つ掛け持ちで大忙しや、きついけど、給金ええんや」
鶴橋の国際マーケットの卸鮮魚店と、インデラコーヒー店近くの花屋、ハルさんの
門松造りである。

この折のアルバイト料が、高校の修学旅行で使用した革靴とハーフコートに化けた
のである。

グレーのハーフコートには甘酸っぱい、青春の思い出が、今でも鼻腔をくすぐる。


修学旅行の関西汽船の夜間船上デッキで、Tenkoテン子」と二人してコートにクルマリ、時を過ごしたことである。


「あんた、アルバイトもええけど、勉強ガンバリや」と最後に母のキツーイ一言、
痛いところを突かれることになった。

  以上、少年期の男の子の誰でもが経験すると言う、oldboy-elegy君的、
        「成人への通過儀礼」の話の一コマである。



     それでは今日のお話も、これにて終わりにする。では では

       
                
              oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

oldboy-elegy (40)われら「チビッ子、柿泥棒団」、結果、学校に呼び 出され母子ともども説諭される。

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このイラスト、小学校での授業参観の図である。子供達はもちろん、父兄の服装もカラフル、同時に清潔感も漂う。
これを白黒写真にし、少年達を少々薄汚れた存在にすれば、当時の雰囲気になるかもしれぬ。


 





                                                             ★

      母が学校においでになった回数は、そう多くはない。
     小・中・高・大の16年間の内、ほんのわずかである。     
       特に高・大学には一度も来られなかったはず。
    スポンサーであった母に、喜んでもらう機会は今はもうない。
  親不孝な息子だったと、猛省しているが、今となっては、どうにもならぬ。
        
  
小中学校9年間て授業参観、運動会、学芸会などの公式行事で学校に
来られたことは、なかったはずである。

「どうすんのあんた」と母、「来んでもええ」のoldboy君の一言で「分った」
で終了。
以後、小中の9年間、母の自らの意思で学校行事に出向くことは無かった。

だが例外が一度だけある。
小学校の卒業式がそれである。
それ以外の来校は全て、oldboy-elegy君の「悪さ」が原因の「呼び出し」と言う
ことになる。


ただoldboy-elegy君にも、母に明かしていない理由があった。

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母は無類の着物好きで、、真夏のころを除くと殆んどを着物で通した人で
あった。
炊事・洗濯など家事をする時も、それは変わらない。
ただ着物の上から、真っ白の割烹着(かっぽうぎ)を羽織り、着物の袖を
それにしまい幅広のゴムバンドで閉じ込めるのである。

戦後も10年をすぎると、世の中の女性の服装も、洋装が主流になってくる。
oldboy君、良く判らいまま、母の着物姿が気に入らなかったのである。

母は間違いなく、和装でお出ましになるのが目に見えていたのである。
どうもそれが「年寄り臭く」見えてしまうoldboy君であった。

着物に信玄袋、天候によるが傘も加わることもある。
ここで言う「傘」とは「日傘」のことである。

この古式蒼然とした母の姿を、学校で目にすることに、抵抗感があったのは
正直なところである。

ただ、今に思えば、もう少し優しく出来なかったのかの気持ちが大きい。
もし、あの存在感と気質を今、目にすれば、「自慢の母」であったと断言
できる。

そんな母も居なくなって久しい。
すべて「あとの祭り」とは、この事を言う。
「母ちゃん、ごめんな・・・」

 

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それにもう一つ、母は無類のタバコ好きである。
それも両切り(フィルターなし)タバコをハサミで切り分け、長キセルに差
し込め、天井に向かって「プカリプカリ」とやりんなさる。

母が果たして、「学芸会や、授業参観」の数時間、辛抱なさるかどうか、大いに
疑問なのだ。

                ★★
   中学2年生の頃、体育教師に本気で 首根っこ押さえこまれ、
               拳固(げんこ)で連続10発位殴られたことがあった。
    このおり、学校に呼ばれた母が、最期に安心してか、
                     学校の応接室で紫煙(たばこ)をプカリ

 
ズット後のことだが、中学生の頃、これもoldboy君の事で、母が学校に呼び
出された事があった。
この時は、我が息子が「100%」悪くない上、教頭・担任が、我々二人に、
「体育の教諭が振るった暴力」に対して謝罪されたことがあった。

この時など、しおれていた母が、ことの全容を知り、俄然、元気を取り戻され
たのか?

灰皿お借りしますね!」と言いながら、自分の信玄袋からタバコを取りだされ、
そのまま一本にマッチで火を付け、着物に包んだ身を斜に構え「プカリ、プカリ」
と天井に向かって、やり始めなすったのである。


oldboy君、あの「柿泥棒」の一件からおよそ5年の月日が経っていたのだが。
不思議なもので、その時の母の姿を目の当たりにして、「カッコ良く」も見えた
のも事実である。

先生たちも、目のやり場に困っていらっしゃったのではと思う。


              ★★★

         2~3か月遅れの小学校の入学時
         母と同行して教室に入ったのが、
       親子ともども初めての学校体験であった。


二か月か三か月遅れでの入学であり、もちろん母は自慢の着物姿であった。

以後、
彼女はネガティブな事での呼び出しには「私の専任事項」とばかりに、率先
して学校に出向いて来られた。
もちろん正装の着物姿で。

oldboy-elegy君の悪さが元で呼び出しを受けたのは9年間で4回ほどあった。
その一つが、小学校4年生ころの「集団柿泥棒」である。
参加したガキ達はおよそ10人ほどであった。

                ★★★★
     小学校時代の「集団柿泥棒」で母が学校に呼び出される、
        この時が母の2回目の学校体験である。
     もちろん最初は、あの数か月遅れので小学校入学のため、母と
     同行し、直接教室に入って以来のことである。

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oldboy君、背に帆布のリュックサック、手には細い竹の一本竿(さお)と言う
いで立ちで「柿泥棒」に参加。

竹竿で何をするのかって、もちろん、魚釣りである。

河内平野(大阪)を東へ4~5キロも歩けば、生駒・信貴(いこま・しぎ)の
山並みに突き当たる。

途中には灌漑(かんがい)、消火用の大小の池が点在する。
そこでは、コイ・フナはもとより金魚なども釣れたのである。

もちろん、目指す柿の木も、池の魚も土地の人達の私有のものである。

ハッキリ言って、oldboy君達は子供の窃盗団と言っても良い、存在だ。

地元の人達に見られないよう家並から孤立した柿の木を見つけて、もぎり、まず
その場で試食する。
  
一応、それらが他人様の物であることもガキンチョ(わんぱく坊主達)も解って
いたようである。
いわゆる言うところの確信犯である。

試食と言うのは、この柿泥棒一味、見ただけで「甘い、渋い」を見極める
技量のものはいない、そのためイチイチ食らうのである。

最初の一人が「渋ッ」と顔をしかめ「ペッペッ」と吐き出しても3人なら3人、
5人いれば5人、全員がその1個にかぶりつくのある、
嘘をついているのではと「疑心暗鬼」の体(てい)なのだ。

とにかく、あさましいかぎりである。

 

翌日、運動場での朝礼のおり「参加したものは一歩、列から離れなさい」の
アナウンスがあり、oldboy君、殊勝にも列から離れる。
どこでどうなったのか分からぬが、ともかくバレバレであった。

彼の保護者は、母である。
父とは名字も違う、とうぜん母が保護者としての責を問われる事になる。

                   ★★★★★
                    最後に

実は、中学校の時、もう一つ、oldboy君の良くない行状で、呼び出されたこと
があった、。
それを含むと、9年間(小中で母が学校にお出ましになった)で以下の通りに
なるはずである。

●母子二人だけでの入学しき? ●柿ドロボー ● 小学校卒業式 ●体育教師に
殴られた時 
●秘密(記事化していない)の5回になる、間違いはないはずである 

この中に「秘密1回」とあるが、記事化して良いものかどうか、ズット迷っている。
この事件?、結構見知っている、奴もいるはず。
しかし、「書いても大丈夫」だろうと、思う自分も、何処かにいるのも事実である。
つまり事件?の内容が分かれば、人物の特定に至ることもある。

「クワバラ、クワバラ」もう少しそれには「手つかず」のまま置いておこう。


この頃、涙もろくなり困る。
これが歳を取ることの、顕著な現象の一つかも知れない。

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小さな仏壇の母のポートレイトの前の小皿に、封を切ったタバコ、
「エコーシガー」が置かれている。

oldboy-elegy君は「エアータバコ」で禁煙に勤しんでいる、身である。

「フン、小生意気なヤツ、なら最初から吸うな!」と仰っている母が、少し
微笑んでこちらを見てらしゃる。

それでは今日は、これでおいとまする、母にしかられた夢でも見れたら最高だ、

             ではでは お休みなさい

                  

                 oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 No. 28 ) 禁煙エレジー・「エアータバコ」なるスタイルの「禁煙方法」で「禁煙中」です。2021・01・27で満4年になりました

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またも、へたなスケッチを掲載
します、ゴメンなさいね。

今、oldboy君がエアータバコ用で
使用しているものです。

銘柄はECHO・cigars(エコー・シガース)で税込みの400円。





cigarsとは葉巻を意味するのですが、見た目は紙巻たばこで、oldboy君
には、そのあたりのことを、キチンと説明ができません。

ともかく、紙巻たばこのつもりで「エアータバコ」として使用しています。

1箱20本でほぼ一月分です。
通常の紙巻たばこは去年の価格改定で550円程度に値上がりしたようです。
ヘタすりゃ、その日の昼食代より高くつくご時世ですね。

オーストラリアでは1箱20本入りで2000円を超えているそうです。
ともかく、火を付けないで、使用するので、味は二の次、安い事が一番です。

 


                                ★
       まず、oldboy-elegy君の現状の禁煙報告をいたします。

おかげさまで、2021・1・27日をもって、禁煙、満4年が経過したことになり
ます。

けれど「禁煙しました」「タバコを止めました」などの表現は今もって、
しないよう、心がけています。

なぜなら人生のある時期、一定の期間「喫煙の習慣」を持った身なら、
それ以後の貴方は「決して非喫煙者」の列に加わることは無いとoldboy君は
考えているのです。

大仰に言えば、この世には「タバコを吸わない人」「吸う人」「禁煙中の人」
の区分が存在します。

oldboy君が思うこの区分、
「吸わない人」とは、吸った経験のない人のことで、
「吸う人」とは、文字通り、今吸っている人のこと、
そして「禁煙中の人」の3区分にしか分類できないと考えるのですが、どう
でしょう。

ただし、吸ったことはあるがタバコのニコチンや煙を「体が受け付けない」との
理由で「吸えない人」は、当然「吸わない人」の区分です。

ここで問題なのは、「禁煙中の人」についての「在り方・考え方」だと思うの
です。
好んで得た「喫煙の習慣」を、なんらかの理由で、今度は自分の意思で放棄する
決断をした方の場合、「禁煙は出来ても、喫煙を完全に放棄するのは」難しい
思うのですが、どうでしょう。

そして禁煙中に、あなたがもし人生における、ナンギに遭遇した時など、知らず
のうちに、指先にタバコがはさまっているかも知れません。

だからと言って「負け犬」ではないと思うのです。
ただ深く考えず、「気楽」にエアータバコを実行するのが「寛容」かと思うのです
がどうでしょう。

ただそれほど、「喫煙の習慣」から離脱するのは難しいことなのです。

 

                ★★    

   どのような喫煙習慣の人が「エアータバコによる禁煙中!」に持ち込める
        可能性が高いのか自身の経験から言ってみる

     

  実はこの禁煙ブログ、今回で4回の追記事となります。

禁煙開始日       2017・01・27 
初回 エントリー記事が 2019・06・13 ブログ開始4月
二回目     記事  2019・11・19
三回目     記事  2020・03・10
今回の     記事  2021・01・27
       時系列的には上記のようになります。

oldboy-elegy君の禁煙の動機は重度の風邪症状で「喫煙にドクターストップ」
が宣告されたのが始まりです。

10日ほどタバコ断ちをし、体調も概ね回復、そろそろ「タバコ」をと思い
始めたころ、自分の体に生じた幾つかの変化に気が付いたのです。

●恒常的にあった喉(のど)のイガイガ感が減少、「爽やか感」さえ感じた。
●もう一つは、尾籠(びろう)な話で申し訳ないのだが、鼻汁、鼻くそが、
なにやら、何時もの色ではなく、白っぽく、透明感のあるそれに変わっていた。

自分の場合、以上の2点です。

わずか10日程度の禁煙で味わえる至福の感覚です。

これを強く自覚し、もう少し禁煙を継続すれば次にどんな「良い事が」が
あるのか、との思いがキッカケでした。

   
              ★★★
    oldboy君のこれまでの「喫煙」スタイルはこうだった

しかし全て順調に経過した訳ではありません。
もちろん、人並みに「禁断症状」はあったのですが、それを克復する方法が
oldboy-elegy君の場合「エアーたばこ」だったように思います。

もともと、胸いっぱい、肺一杯に吸煙して、ゆっくり排煙するタイプの
喫煙者ではなかったようです。

タバコを「吸う」と言う行為そのものが「極度」の習慣性を帯び、ニコチンが
どうのとは少し違うのかな、とは以前から感じていました。


朝、目覚めた瞬間から
寝起きに1本・食事の後に1本・新聞を読むとき・出かける前・電車のホームの端
に喫煙ルームを発見した時、と言うように行動の変化の節々(ふしぶし)で喫煙
していた様です。

気が付けば、一日、約30本ぐらいの本数になっている、喫煙スタイルでした。

世の中にはoldboy君ような、喫煙習慣の方も大勢おられるはずです。
「エアーたばこ」での禁煙効果は、このような方に効果が大きいと思うのです。

おかげ様で、この4年間、タバコとライターを持ち歩いていたのですが、一本の
タバコにも「火」をつけたことはありません。

ただしこの「エアーたばこ」なる方法の励行(れいこう)には変わりありません。

         

          ★★★★   

           さて「エアータバコ」とは

      この名称は、公に規定があるわけではありません。
      oldboy君
が勝手に付け、規定、概念化したもので、
          半分ふざけ心が入っています。

         
初めてこの記事を読まれる方のために、oldboy-elegy君の言う
エアーたばこ」の概念(少々おおげさ)を再掲しておきます。

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(エアータバコ)とは

シャベル(スコップ)や座敷ボウキを手にエレキギターを疑似演奏、
または何も持たなくともその気になりきる奏者?の本気度とその
パフォーマンスをエアーギターなどと言うらしいのだが、そのシャベル
やホウキを本物のタバコに置き換え、火を付けず疑似喫煙する行動を
エアタバコと言う
以上がoldboy君、言うところの概念です。

 

 

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つまり、本物のタバコに「火を付けずに」疑似吸引をする行為である、
と考えてください。

 タバコは「フィルター付き」がお勧め、何回も繰り返し使用可能です。
ただし、紙巻部分とフィルターの境界部分に湿り気が出てきたり、変色
してくれば取り換えねばならないのは当然です。

 気楽にポケットやバッグに入れて持ち歩くのが良いかと思います。
なぜなら、「いつでも吸えるよ!」のノープレッシャー状態に身を
置くのが自分には良かったように思うのです。

 
まー、ひとそれぞれ、自分に合った方法を気軽に選択し、最終的に
「エアーたばこ」に無理なく持ち込めたならOKです。

           ★★★★★
  1週間から10日間ほど実行したころ、自分の体の状態の変化をじっくり
         観察するのが大切なことです。

必ず、何かしらの良い変化が見つかるはずです。


 ほんの些細な変化でも、感じたり、気づいたりしたなら、きっと「明日から
のエアーたばこ」への大きな原動力・モチベーションとなってくれるはずです。

●喉のイガラッポサが軽減したように感じる。
●呼吸が楽になった。
●他人の喫煙の煙が気になりだした。
●自分の喫煙部屋のニコチン・タールの匂いをすこし感じる。
●鼻をかんだ時、鼻汁が少し綺麗になったように思う。
●時たまタバコを吸うタイミングを忘れていた。
 などなど
             
              ★★★★★★

    oldboy君が希望する、「エアータバコ中」のチョットした気遣い


あー、それに喫煙者からの流煙に対して、その人の眼前で「手の平を
ユラユラ」など、あからさまの、嫌煙行動はして欲しくないですね。
そ~と、その場から、立ち去るぐらいの「やさしさ」を示して欲しい
ものです。
だって、その人は、昨日までの「あなた」の姿なのですから。

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            ★★★★★★★

             最後に一言

取りあえず、禁煙4年記念?として記事にさしていただきました。
おひとりでも、この記事に賛同して実行、長期禁煙に持ち込めたなら 
嬉しいかぎりです。



今、ブログ記事を書いています。
oldboy-elegy君の左手には着火していないエコーシガー1本が握られて
います。

とうぜん、ヘタクソなタイピンの合間に、本物のタバコを持って
いる感触とともに、喰えた時、鼻腔のあたりにかすかに漂うタバコの
芳香を、
楽しんでいます。

      それでは真夜中も、少し過ぎたようです、
        おやすみなさいませ、ではでは



                追記

この方法で上手く、禁煙できなかったとしても、非難しないでくださいね

          

          
 了
             oldboy-elegy

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oldboy-elegy (39) 台湾(台北)の映画館での彼、未知の体験と感覚に遭遇する!?

 

 

                   
                  ★
                 初めに

               
「ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ」

 

上記の一節はoldboy-elegy君の、「ブログの簡単紹介」の全文である。

見方に依れば、ふざけ、居直り、と取られかねない文面だ。

若ければ、「もっと先の人生」に「焦点」をあて、日々、研鑽のアクティブな
自分を書いていたのかも知れない?,

いやいや、それはないだろう、きっと今と同じ趣旨の記事を書いていたろうと、
確信する。

そうかと言って、人からも、世の中からも、「物分かりの良い人・好々爺」
「良い人よ」とは決して言われたくない程度の「反骨精神」は堅持したく、
思っている。


そんな、こんなの気持ちを凝縮し、文章にしたのが、もう一度、書く

「ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからも
きっとこうでしょう、ハイ」
となるわけである。

いまさら宗旨を変えても、人間そうそう、簡単にどうなるものでもあるまい。

今日の記事は台湾での体験記事、第2段である。
一つ目は2020・12・11出稿の「シェスタ・食事後の昼寝の習慣」であった。

今日は
映画館での出来事を記事化してみた。

因みに時代は
東海道新幹線の開業と東京五輪は1964年のことで、今日のお話は、これより
5~6年後のことになる。

 

                 ★★

 今日の主題、oldboy-elegy君が台北・タイペイ(中華民国・台湾の首都)の
        映画館で偶然、遭遇
したあることを記事化した。

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oldboy-elegy君が、台湾・台北市の、映画館で目撃した、ある情景が元になった
記事である。
その時の不思議な感覚と、ある種の感動?について語りたい、と思う。

少々、鈍感なoldboy-elegy君の心に去来した事なので、旨く文字にできるか
どうか心配である。

映画館での、彼等、観客の行為に、そしてこれを見たoldboy君の背筋になにか
得体の知れない、これまで感じたことのない、ピリッとした電流が走ったことは
否めない。

日本との国交が閉ざされる(1972)前に3回ほど、社用で訪台していたので、
この内のいずれかの時であることは間違いない。
多分1970年前後の事だと思う。

oldboy-elegy君、就職して数年の内の、紅顔の美少年ではなく美青年??
あったころの事である。

その日の仕事を終え、早目にホテル戻り、近場(ちかば)の繁華街をキョロ
キョロ、ぶらぶら散策中に映画館が目にとまり、なにげに入ったことがある。

興行中の映画が何だったのかは、まったく記憶にはない。

そもそも映画を見たいので入った訳でもない。

この国の映画館の雰囲気は「どんなかな~」と体感したかっただけなのかも
知れない。
彼にとって、このような行為は楽しくもあり、珠玉の時間でもある。

近頃、国外に「チョットしたヤボ用」ができた時など、oldboy-elegy君にお声
がかかる。
暇そうに見える御人なのかもしれない。

彼自身、初めのころは、「イヤだな、荷が重いなあ」と思っていたのだが、
基本、極楽とんぼの彼、自分のペースで自由に動けるこの仕事、気に入りかけた
頃の話である。

「今日の映画館へのご入場」も、この延長線上にある。

f:id:oldboy-elegy:20210104123718p:plain

上掲のイラストは屋台である。ただしここは台湾・台北だと思ってくれ。


退屈するようだったら、取りあえずホテルに戻り、近場の裏通りの屋台で「
一人食事」でも、ぐらいの軽い気持ちである。
これも彼にとっては「心躍る」楽しみの一つでもある。


映画館内はそこそこの入りだが、満員と言う訳でもない。 

座ったのは一階席の真ん中からスクリーンに向かって左側部分であったはず。


                ★★★
      映画館内の照明が落ちた瞬間からoldboy-elegy君の
          未知への体験が始まった??


やがて照明がオチル。
このタイミングでoldboy-elegy君、日本で映画を見る際には、経験したことがない、
ある風景が彼の眼前で始まったのである。

何が起こったのか皆さん、想像できるかな?

闇の中でなにやら中国語の簡単なアナウンスがあったのだが、彼には当然
理解できていない。

このアナウンスが終わると、突然、oldboy-elegy君以外の全ての客が、
暗闇の中でスクリーンに向かって起立、不動の姿勢をとったのである。

当然、彼「ウム、なんじゃコレ!!??」と座席に鎮座したまま固まって
しまった。

f:id:oldboy-elegy:20201204110103p:plain



次の瞬間、スクリーン一杯に「中華民国の国旗」が映り、同時に国歌
(National Anthem・ナショナル アンセム)が流れだしたのである。
ただし、この場の映像に蒋介石総統が登場したかどうかはハッキリしない。

中華民国、国旗の正式名称 「青天白日満地紅旗・せいてん・はくじつ・
まんち・こうき」と言うらしい、今ウィキで初めて知った、
誠に申し訳ないが、文字から目を離すと、うまく言えない。
いや、字を見ても舌が回らない、失礼・・・。

これで普段から幾分カスミのかかった頭脳のoldboy君でも事の事情に納得、
先ほどの館内放送はきっと、このことに対して国民(この場合は観客)の国家
への敬意を求めたもの
であろう事は察しがつく。

そこで、ここでは外人のoldboy君、着席したままでは、何か違うと判断してか、
あるいは反射的にかは知れぬが、
やおら立ち上がり、両手の指をからめて、腹部に置き、首(こうべ)を
少しさげ、取りあえず自分なりの敬意を表した。

これで良かったのか、どうかはしらない。

ここで、少し気持ちに余裕のできたoldboy-elegy君、館内の雰囲気を感ずべく
少し視線を上げた瞬間、眼前に見た、もう一つの現実に驚愕し、目をみはる。

考えてみるに、映画館の観客が総員、起立、国歌・国旗への不動の姿勢は、
準戦時下にあるこの国ではありうる事、かもしれない。

しかし、今、oldboy君が目の当たりにしたのは、直立不動の姿勢は勿論のこと
腕のカイナを肩まで上げ、指先を顔の側面にあて、スクリーンに向かい敬礼する
二人のシルエットであった。

右手指先が右肩の上方で見事な三角をなし、やや顔を上方に揚げ、国旗に向け、
凛とした姿勢のそのシルエットはoldboy-elegy君を驚愕(キョウガク)さすには
十分だった。

ただし、見たものに対する雰囲気や感情は十分ありながら、その服装にまで
気が至らなかったのか、軍服であったかどうかの記憶が欠落している。

そこには、一点の疑問も曇りもない、oldboy君とほぼ同年代の若者がいた。

またこれらの、一連の動作と、それに伴う帰結は普段oldboy君が「忌み嫌う」
物事のはずのものである。

俺が、国旗と国歌に向かって「最敬礼」,、「ナイナイ、俺には出来ない」
と否定するが、なにか弱弱しい。



それが今、ある種の感動が背筋から延髄に走ったものはなんだったのか?!

oldboy君の普段の思いの一つに、「人間、いつか死ぬのは当たり前、ただ戦争
などでの
理不尽な死はごめんである」、と過去のブログの何処かで書いた覚えが
ある。


瞬間、この思いも、超越する何かを「感じてしまった」のも事実である。
案外、彼、本質はプロパガンダや宣撫に弱いのかもしれないのかも。


ちなみに、日本は「神武以来、岩戸以来・・」の好景気とかで浮かれ状態
である。
問題はいろいろあるが、取り敢えずは平和である。

一方この国、中華民国では強大にして巨大な禍(わざわい)、である大陸の
共産主義国家、中華人民共和国が眼前に存在する、と言う現実があるのだ。


               ★★★★
           最後に、やはりoldboy-elegy君
           三日も経たずに、あの感動と思いはいずこに?!


oldboy君、それから暫らくして、映画を見ずして映画館を出た。


しかしoldboy-elegy君は基本oldboy君である。
あいも変わらず、ネクタイの結び目(ノット)も下がり、部のマスコットのK
子嬢の手を煩わしている。

「お客さんよ!、モチョットとしゃんとして」と、ネクタイの結び目を上げられ
首を
締められた。


              正月あけの、2記事目がこれ、今年も進歩がない予感が漂う。

          今宵これまで、 では では


                了

                         oldboy-elegy

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oldboy-elegy(38) お正月の「晴れ着」否、違った!!、「晴れ下駄」の思いでと、それにまつわるあれこれ

 

  

 

f:id:oldboy-elegy:20201217001324p:plain


この記事、oldboy-elegy君の「お正月」にブログUPするつもりで書いている。

なにか、正月らしいものはと、したためた記事案ノートNO1・NO2・NO3
および日々取りためたメモを繰る。
相変わらずの、緩(ゆる)い内容で、アホ(馬鹿)を売りにする物ならあるのだが。





およそ正月とは縁もない話ばかりで
、途方にくれる。

そんな中、えんぴつ書き、文字も擦過(すりきれ)状態ではあるが、

(2019・7)のメモの走り書きに「正月に、おとう(父)に買ってもらったシラオ(白い鼻緒)の下駄」の「一文」を発見する。

この瞬間、幾つかの情景が頭をかすめる。

彼、記事を書く場合、常日頃、大切にしていることがある。
それは、タイトル文を「思いついた」瞬間に、「情景や、錯綜する思い」の
「広がり」を感じるかどうかということである。

今日の記事は、「雑感・雑記帳」ではない。
「oldboy-elegy」のタイトルで始まるものである。
なぜなら、自分の人生の一場面を活写したものであるから。


                ★

    元日の朝、目を醒ますと、枕もとに、白い鼻緒(はなお)の
           下駄が置いてあった。

イラストの画像では黒の鼻緒(はなお)になっているが、oldboy-elegy君の
それは白い鼻緒の下駄であった。
それに、ニス(木材用の塗料の一種)塗りではなく、素朴な白下駄である。

白緒と黒緒の意味するところの「違い」は、知らない。



下駄を買ってもらったのは10歳のころのことで、元日の朝、枕元に置いてあった
のが最初である。

青年と呼ばれるには、まだほど遠いが、少なくとも「お兄ちゃん」にはなった
ような、ある種の「高揚感」が身を包んだことは憶えている。

なにか、大人になるための、通過儀礼のようなものだった、と今にして思えば
思う。

以後、中学3年か高等学校、初め頃まで毎年続いたが、何時(いつ)とはなし
に、この習慣も消えた。

父親も、大きくなった息子に、それも元旦の朝の儀式然とした行為など、少々
気はずかしくなったのかも知れない。

その上、時代が下駄を、そぐわないものにしたこともある。

とくに学生の履く、下駄については、そうである。

考えてもごらん、高等学校の油引きされた漆黒の木製の廊下を下駄の響き
高らかに「カランコロン」とカッポするわけにゆくまい。

だが、そんな輩(やから)が、いるにはいた、それも学校から注意された
様子もない。
oldboy君達が在席していたころの、高等学校、いまだ旧制中学校の雰囲気や
気風が残っていたのである。

「生徒手帳」にも、事細かな規則などは殆んどなくただ「本校の学生である
ことを自覚して・・・・」の一文が強調されたものであった、と記憶している。

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突然のお出ましで、ギョッとされたかたもおられると思う。
「俺は、猫である、ただし絶滅が危惧されている、イリオモテヤマネコなのだ」
あの旧制中学、生き残りのバンカラ学生ではない。天然記念物として崇められてもいる。お見知りおきを。



「下駄」も恐らく、やがての「絶滅危惧種」とみて「自然淘汰」されるもの
として
放置されたものかも知れぬ。
このような気風の学生を「バンカラ」あるいは「バンカラ学生」と言った。

こんな雰囲気の中、彼自身も、「下駄」は数回履いて登校したこともあった
ようだ。

新しい学帽などのてっぺんを切り裂き、もう一度それをミシンで縫い繕う
(つくろう)、野球用のグラブのワックスを塗りこめて被る人もおいでに
なった。

※「バンカラ」とは  主に旧制中学の風俗を踏襲した人達で、
「ヨーロッパ」感覚のおしゃれを「ハイカラ」と言い、それらの風俗や
思想までの「アンチテーゼ」として、ハイカラのハイをバンと入れ替えた。

因みに、「バンカラのバン」とは「粗野にして蛮なる人」ぐらいの意味では
あるが、決して完全なる否定語ではない、と勝手に理解している。

今では、ズット昔の郷愁を誘う言葉になっているか、死語に近い語彙に組み
入れらている。
「なんの、なんの、oldboy君、完全な死語ですよ」と大向うから聞こえてくる。

旧制中学の名残(なごり)も、やがて、消えゆく運命にあった、そんな時代
である。


しかし、こうして「下駄」の思いではしっかりあるのだが、何故か(足袋)の
記憶が欠落している。
ただこれも、足首後ろに付いた止め金具の銀色の金属の光が残像としてあるが、
果たして下駄と同じくして買ってもらったのかはっきりしない。
たぶん、主に素足で履いていたと思う、真冬でも。


                ★★
      下駄に添えて、「晴れ着」と言う訳でもないが
      「新品の晴れ下着」が数枚ずつ鎮座していた。


実は、正月元日に枕元に置かれていたのは、下駄だけではなかった。

それは(下着類)である。
綿でシロの半袖シャツ、ランニングシャツ、ブリーフの下着、それぞれ数着
ずつが下駄の横に置かれていた。
基本、これで1年、賄いなさいと言うことでもある。

師走の全ての仕事を終え、大晦日の終夜運行の電車に飛び乗り、これらの物を
買い求めるために鶴橋の「国際マーケット・闇市」まで、買い出しに行った、
父親に感謝。

                  ★★★
    oldboy-elegy君が最後に下駄を履いた時を、ほぼ特定できる。
      何故なら、下駄にマツワルある事件が原因


下記の文「・・・」は過去の記事からの引用で、 


  高校時代、下校時、3人組に襲われ下駄で顔面を殴打される、その時、唇の
内側を4針縫った・・・・、
犯人の一人を知っていたが面倒なので知らぬ存ぜぬで
すませた。
中学時代の知り合いである・・・・」 
 
以上引用おわり

 

上記の引用は過去記事 oldboy-elegy (23) でのものである。
文中に「高校時代、下校時、3人組に襲われ下駄で殴打される・・・・」とあるが、
実はその下駄、恥ずかしながら自分自身(oldboy君)のものである。
もちろん、3人は他校生である。

襲われた原因はあるのだが、ここでは主旨ではないので省く。

状況を説明するなら、下流に向かって左は川(川幅7~8mで水質は最悪)、
右は工場の長い板塀で、ここで3人組に取っ捕まったのである。
見知らぬ二人に、前後をふさがれ、当の相手に対峙と言う場面である。
敵はこの「地勢学上の有利な条件」を知ったうえで、この場所を選んだのだと
思う。

oldboy君に逃げ場はない、

なにゆえか「なんなら、やったろかい」の気持ちになり、あろう事か、
履いていた下駄を、川とは反対側の板塀の脇の夏草の中に脱ぎ捨てたので
ある。
あとで考えるに、この「下駄を脱ぎ捨てた」のが凶とでたのである。

多勢に無勢、すぐにツカマリ、顔面にガツンと食らったのである。
その時の得物(武器)、なんと自身の「シロオ」の下駄だったと言うオチ
なのだ。

結果、oldboy-elegy君、口内から血が噴き出し、顔面下半分が真っ赤に
染まったのである。
これを見た、3人組、満足したのか、ビックリしたのか、眼前から消え去った。
傷は、下唇内側を4針縫う裂傷であった。

そう、この日が、「下駄を履いた、最後の日」であったはずである。

               ★★★★

      さて、今日のお話、正月用になったのか、少々疑問だが
              お許しを乞う。

oldboy-elegy君の昭和は「ずっとズット遠くになったもんだ」の感慨ひとしお
である。
それが証拠に、一記事仕上げるたびに、少々お疲れぎみになるが、同時に胸に
ホンワリ
気分のぬくもりが宿るのもまた事実である。

この気分を求めて明日も記事を書いていくのが、ささやかな楽しみになって
いる。

f:id:oldboy-elegy:20201224124507p:plain

 

末尾になりましたが

あけましておめでとう

ございます

ほんねんも

よろしくおねがいします
                                             
  なにか、おめでたい話でもしたかったが、こうなってしまった。
            では では


                                 了

                                   oldboy-elegy

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oldboy-elegy (37)戦後の給食の思いで。「LaRa物資・ララ」感謝は当然の事、だが子供にとっての現実はこうだった。!!??

 

f:id:oldboy-elegy:20201115181921p:plain

左傾のイラストは昭和30年前後給食のイラスト画である、と勝手に思っている。

戦後の混乱期が過ぎ、「世の中が少しは落ち着いてきたかな」と思うころの話である。






自身がまさにこの時代の子供であった。

今日は、これを主題にした「あれやこれや」である。



先日、(雑感・雑記帳No.27)で「最近の肉じゃが事情」なるタイトルで記事を

書かせていただいた。
その作業中、何気にボンヤリ眼前を横切った「思い」があった。
それが今日の「大昔の給食事情」を書くことへの動機である。

それに加えて、いつもお世話になっている(いらすとや)さんの画像ストック
にも「昔の給食」なるタイトルがあったので使用さしていただいた。
恐るべし(いらすとや)さん、こんな些細な事まで画像が用意されています。

記事化するための強力なモチベーションになります。
ありがとうございます。


               ★ 
            「LaRa物資」と・
      戦後すぐに始まった、学校給食のあれやこれや


さてタイトル画像の中の、みっつの食品の内、パン・ミルクは無償の
米国からの援助品であり、残りのオカズらしき食品が日本が自ら調達した
ものと言う事になる。

今日の、記事の「お題」は、見ての通り「昔の給食」にまつわる、あれや
これやである。
しかし、このイラスト画像を見て、「??」と感じるお方も一定数おられる
のもまた「事実」であろう。

なにが、人をして「??」と感じさすのか。

ある人は「この給食、なんか貧相やな!」と答えた方は、比較的、若い人では
なかろうか。

反対に、一定の年配以上の方は「ん、これ給食やろ」「そう給食や」と、そこで
思考停止するお人と「昔の給食や」と看破する人などいろいろ。

oldboy-elegy君から見れば、イラストの画像が小きれいで、教室の状況、
子供達の姿が見えない分、いくらか救われた気持ちになる。

だが、給食の内容を見ればまさしく戦後給食の典型なのだ。

①食品名は左下がパン、当時(コッペパン)と呼ばれていた。
ただ、なぜ「コッペ・・」と言われたのかは、はっきりしないらしい。


②その上の白い液状のものは、ミルクである。
正確には、牛乳から脂肪分を取り除いたもので「脱脂粉乳・だっしふんにゅう
と呼ばれたもので、ある。
蛋白質・カルシュウム・乳糖・などの高栄養化食品とされた。


③右のフライ状のものは、コロッケ、しいて言うなら野菜コロッケで、
具に肉やミンチ肉が入っている訳でもない。
付け合わせの野菜は、多分キャベツか何かの千切りにしたものだと思う。
野菜につける、マヨネーズもドレッシングもない、少々食べづらいと思う。

確かに幾分、貧相だが、戦後10年前後の事だとすれば「マアマア」
じゃない、思われる方も多数おられることと思う。

ここで知って欲しいのは、上掲の給食画像、食品3点の内の2点(ミルク・パン)は
アメリカからの「無償援助品」であった事実である。
もし、これらの食品が無かったならと考えれば、ゾットする。
痩せこけて、栄養不足のoldboy君など見れたものではない。

これらの援助品を統括し、食料難の日本に大量に送り続けた団体が「LaRa物資
なるアメリカで設立された篤志家団体(ボランティア)であった。

この団体の設立にあたり、当初から活動したのはアメリカ住みの、日系1世・
2世の人達である。
援助品は食料品を中心に、薬品・薬剤・古着などあらゆる生活必需品に及んで
いたらしい。

もしこれらアメリカ在住の日系人がおられなければ、「LaRa物資・
ボランティア団体
」は存在しなかったと言われている。

oldboy君、なんとのう分かる気がします。

アメリカにとって日本はつい昨日まで戦ってきた敵国です。
そこへ
「さあ、戦争が終わったよ、今日から困窮の底にある日本を助けましょう、」
と言われても無理があるのは当然でしょう。
うちの息子・私の兄、俺の弟と、日本同様、多くの戦死者を出したのも、また
当のアメリカ人であったのだから。

その上、もともと人種的偏見が根強く存在していたお国柄だったのですから。

その証拠に、戦争が始まるや、多くの日系人が、彼等の血と汗の結晶である
土地や財産を接収され、同時に身柄を拘束アメリカ各地の砂漠の真ん中に
作られた収容所に強制移住、させられたのですから。

ただ同じ状況下にあった、ドイツ始めヨーロッパ各国は、当初から合衆国で
の復興予算が計上され国策としての援助が始まっていたようです。


ドイツはプロテスタント発祥の地でもあり、同時に白人国家同士ですから、
ヒットラーを嫌うことは当然でも、ドイツ人に対しては、ぜんぜん違う心理
なり感情があっても不思議ではありません。

戦争が始まってもアメリカ国内のドイツ系アメリカ人は日系アメリカ人と違い、
財産没収や強制移住は無かったようです。

まあ、どんな形であれ、「LaRa物資」の尽力によって大量の援助物資が日本
に送られ、多くの人がこの援助に浴し、助けられたのは、まぎれもない事実
なのは変わりません。

以上、戦後10年前後ころまでの給食事情にまつわる話を簡単に説明をさして
いただいた。

さて、この記事の文面と調子ではoldboy君の何時ものブログ記事にはならぬ。
このままでは検索で知り得た、内容をまとめただけで、客観的情景が諸兄に
伝わらない。


そこで、こんな時代にoldboy君達ガキンチョ(子供達)を時代の中に放り込み、
働いてもらおうと思う。

少々脱線ぎみだがお付き合い願うことを希望する。

            
           
                 ★★

          まず、コッペパンにまつわる話から

f:id:oldboy-elegy:20201204193323p:plain


左傾イラスト画像がコッペパンなる
ものである。大きさは長径で15セン
位のもの。
材料の小麦粉が各学校に支給される
が、パン焼きの設備がないため、市
中の民間のお店に原料をわたし委託
生産をしていたようである。




これまでの話で、当然口にせねばならない、重大な要素が一つ抜け落ちている。

それは「うまかったのか・まずかった」のかと言う食品としての大切な要素の
ことである。

最初にお答えしておこう。
まずかった」の一言である。

以下は戦後10年前後の大阪は河内のど真ん中に舞い降りた、あなた、や自分
であると思って読み進めて欲しい。


「村里君、いはる?」と大声を発しながらお店にはいる。
※「いはる」とは  この辺り(河内)の方言で「いる」の丁寧語ぐらいの
もの。

村里君と言うのはoldboy君の家から少し先の通りの商店街にある家具店の子で
ある。
町(ちょう)は違うが小学校のクラスは同じである。
こいつ!、今日、学校を休んだのである。

そこへ、当の彼、店内の長い石畳みの通路の奥からヒョコッと現れた。
一瞬ギョッとしたようだが、「なんやお前,か何しにきたんや」と居丈高
(いたけだか)に尋ねてくる。
※ 居丈高 人に対して威圧的な態度を取るさま

oldboy君、基本こいつが大嫌いなのである。
おまけに、この村里、俺たちの組の級長なのだ、したがって地頭は良い。
もう一つおまけに暴力級長でもあった。
     
コッペパンお前に届けるよう、先生に頼まれて持ってきたんや」と
答えると。
「いらん、そんなパン、食えるか、おまえにやるは、食っとけ」とおっしゃる。

こいつ、先生や大人がいる時は、まあ普通だが、そうでない時はこんなふうに
「豹変」する、どちらの顔が本当なのかは知らない。

それでもなお、和手拭(わてぬぐい)に包まれたパンをランドセルから
取り出し、近くの事務机の上に置こうとすると、ドスの効いた声で
「要らんゆうとるやろ」と脅してくる。


            ★★★ 

     はなしは変わるが、切れたら怖い、このお方
      
こいつの怖いところはここからである。
このことを見知っている大人は 本当にいないと思う。

以前、学校からの帰り道、何が原因か覚えはないが、oldboy君、こいつを
怒らせてしまったことがある、

f:id:oldboy-elegy:20201204203952p:plain



その時、足元の道に敷かれたジャリ石を取り、思い切り投げつけられた事が
あった。
その石たるや、大きさに手加減はない、当たり処が悪ければ大事になりかねぬ。
切れると、みさかいが無くなるのがこいつである。

だがこの事を知るクラス仲間は多くはない。

女先生が急用で、自習などを課し、
「〇〇君、△△さん、よろしくね」と級長、副級長に教室の安寧(あんねい)
を頼み、留守にされたことがあった。
もちろん、この級長とは、村里である。

この時など、oldboy君、ひどい目に会ったことがある。
クラスを仕切るための人身御供である。
※ (人身御供・ひとみごくう) いけにえ


チョット離れた席のクラス仲間とお喋りしていたのが、この級長のお怒りを
買ったのだ。
俺を名指しで「oldboy君、前に」とご命令である。
ここでも、人前ではチャント「君付け」である、この辺が何故か「狡猾」さを
感ずる。

すると、先生の席の後ろにあった、大きな教授用のソロバンを教壇の床
に置き、その上に正座をしろと、のたまうのである。
彼の恐ろしさをしっていたoldboy君、あえて抵抗せず、数分座った事が
あったが、先生の耳には入らなかったようである。
入ったところで、彼なら上手く、言い逃れするだろう。

結局、コッペパンを彼に渡すことができず、彼の家を出た。

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oldboy君のランドセルの中には、パン屑がよく溜まり、母が時折掃除を
してらっしゃったのも知っている。

もちろん、出された給食全品、ありがたく完食するのが決まりである。

しかし食べるふりして、ランドセルやポッケットに隠し、後に捨てていた
こともしばしばであった。
それほど不味かったと言うことだ。

今、こうして考えても不思議である。
近所のパン屋で配給券(当時、食品クーポンと言った)で買うものとは何故に
こうも違うのか、原料はどちらも小麦粉なのに。 
クーポン券とは、 お金さえ払えばいくらでも手に入るのではなく、各家庭
で買える上限が決めらていて、購入時、このクーポン券を添えて、買える権利
を証明するためのものである。

ときおり、コッペパンの横に小さなマーガリンが付く事もあった。
この時ばかり、まずいパンも多少進んだように思うが。

 
                ★★★★

      「それでもミルクはミルクだから旨かろう?」と言うなかれ。
         「普通に牛乳と
思ったらおおまちがい」

「それならoldboy君、ミルクにパンを浸して食べれば」と言う人もおられると
思うが、これがまた、この脱脂粉乳なるミルク、コッペパンに輪をかけた
「まずさ」なのだ。

牛乳から脂肪分と水分を抜き取り、乾燥粉末化したものらしいが、何故か牛乳
とは似ても似つかぬ味になっている。

結局、保存性の向上のための脱脂と運送費の低減のため(アメリカから日本
まで)の粉末軽量化が、牛乳と呼べないミルクもどきにしてしまったのだろう。

いくら不味くとも、これはコッペパンと違い、粉乳に湯か水を入れミルクに
戻したもので、ランドセルの中に隠すわけにもゆかない。
先生監視のもとにイヤイヤ飲んでいた。

牛乳そのものの味が、当時の日本人は慣れていなかったのではと、考える人も
おられることだろうが、そうでもないと思うな。

何故なら、もう少し後のことではあるが、まだoldboy君家(ち)にテレビの
無い頃、街の牛乳屋さんが自分の店で力道山のプロレスの実況中継を見せる
代わりに小さな瓶ボトルの牛乳を売り、入場券代わりにしていた。

手作りの木製の長椅子を店に並べ、座り、座れない者は立ち見で、大声で声援
するのである。
対戦相手は概ね、白人で、時間になれば空手チョップが繰り出されるのである。
力道山の勝ちで終わるのは当然である。


oldboy君、義兄に連れられ「美味しい牛乳」に引かれて何度か行ったこと
がある。

従って、給食の「脱脂粉乳」と本物の「牛乳」とは全然別物で、給食の
ミルクはホントにホントに、まずかったと記憶している。

またある時、米軍の軍用トラックが幾度か小学校の校庭に入って来たのを見た。

目的は、シラミ・マラリア蚊 駆除のためのDDT殺虫剤散布のためと、もう一つ
は、給食の脱脂粉乳と小麦粉、搬入のためである。

               ★★★★★
          そのころの、給食以外の学校の情景

米軍の兵隊さんが、エアーコンプレッサーを運動場に数台並べ、2000人近くの
ガキどもの頭髪はもとより、背から粉霧器のノズルを差し込みDDTを散布するのだ。

男子どもはまだ良いとしても、女子の場合、クラスのチョット人気のカワイ子
ちゃんなども容赦はない。
まさしく雪女(ゆきおんな)状態にするのである。

これを見て、またまた茶化すヤツも当然いるわけで、oldboy君など、これに
組する輩(やから)の筆頭であった。

河内には、米軍の恰好の駐屯地があった。
八尾飛行場、当時自分達は太田飛行場と呼んでいたはず。

朝鮮戦争も終わり、米軍撤収のおり、軍用ヘリコプターが校庭に舞い降りた
こともあった、
ヘリコプターと言っても、現在のような重火器装備の攻撃ヘリではない。
兵員移送や、物資輸送が主任務のそれで、ずんぐりむっくりした型であった。

校庭への記念着陸はサヨナラの挨拶でもあったらしい。

生徒全員が運動場の脇に整列して、舞い上がるヘリコプターに向かって
手を振り「さよなら」の挨拶をしたことが思い出される。

この時、来校した軍人さんに出された食事は、もちろんコッペパンに脱脂
粉乳と言いたいところだが、実はカレーライスだった、と聞いている。

oldboy-elegy君の脳、狭い記憶容量の癖に、しょうもない事だけは貯め込んで
いる。
※しょうもない つまらないの、大阪弁または河内弁である。


               今日の記事の最終結

ともかく、コッペもミルクもこの上なく、不味かったのが今日の結論である。

今日、あえて記事にしなかったことが一つある。
おかず(主菜)でときおり出された、鯨肉の竜田揚げ(たったあげ)に言及し
なかったことである。
これは近いうちに、単独記事として書くつもりである。



       それでは、今宵は これまで  ではでは


                 了
                             oldboy-elegy

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oldboy-elegy (36)  シエスタとは、スペインやアルゼンチンで昼食後の長い休憩や午睡(昼寝)等を取る行為のことを言う。似た習慣が50年前の台湾にもあり、彼も一度だけではあるが経験した

 

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台湾(中華民国)の国旗です



今日のoldboy-elegy君の記事は中華民国(台湾)でのことである。

いつもの通り、ことの良し悪しや、政治等を口角泡を飛ばして論じる
つもりは毛頭ない。
ユルユル話の延長にチョットした「スパイスspice」を加え、語るのも
いつもの通りである。


ことは、oldboy-elegy君が言うところの(モラトリアム期間)も終わり、
社会人になって数年たったころのお話である。
まだまだ、社会人とは名ばかりで、給料ドロボーの御身分の頃の一席で
ある。
※モラトリアム期間 社会人になるための猶予期間で、馬鹿が許される
最後の時間とoldboy-elegy君は勝手に解釈している。

それも西暦2020年の現在から、およそ半世紀ほど昔のお話である。

「ヒッヤー古っ!!縄文時代??」と思われるお人もおられるかも知れない。
それでもoldboy君とすれば、つい最近の出来事のように思うのもこれまた事実
である。

                ★
     当時の台湾(中華民国)の置かれた状況を簡単に

中国大陸を追われ、台湾に渡った(中華民国)の蒋介石が未だ健在で、
中華民国の総統であったころの話である。

毛沢東中華人民共和国中国共産党」の台頭著しく、やがて、「蒋介石
中華民国・台湾」が世界の多くの国々から国交断絶という形で公式的には姿を
消すことになるのは、まだ数年後のことである。


             ★★
          なぜ彼が台湾に出張?

彼の所属部は「企画部で宣伝・開発」が担当である。
ほぼ1年間の実習が明けての配属であり、彼自身希望した部でもあった。

希望の理由は、営業部のように、お金を稼がねばならぬ部署でなく、お金を
効率良く使うのが仕事だと、つまるところ、「稼ぐより使う方が楽に決まってる」
と踏んだのが、彼の主たる動機である。
oldboy君の思考回路、すべからくこうで、誠に不謹慎なやつである。


現業(工場)部門を含めても600人~700人程度の、文字通りの中小企業である。
それ故、営業部に持ち込まれ、はじかれた、様々な、案件・要件が
便利屋部門」の「企画部」に回ってくることも多々ある。

今回の台湾出張もこんな性質の案件で、あった。

仕事?は、台北市近郊の(樹林)なる町の、縫製工場に、新しく開発した
(工業用の縫製糸サンプルと試験データ)を届けるのが任務である。
早く言えば、運び屋で、それ以上でも以下でもない。

oldboy君に相応しい、軽便で責任のない仕事?である。
もちろん、中国語ができるわけでもなし、英語?これもグダグダの部類
はいる。

それでは何故彼に、
まず言葉に関しては、危惧することはなにもないのである、なぜなら相手先の
方々が日本語に堪能で、oldboy君の河内弁交じりの日本語より洗練されている
と聞かされている。

もう一つ、彼でなくてはならない、要件が彼には備わっている。

いったいそれは何、oldboy君にそんな得意技、何かあるの?

それがそれ、会社で一番「暇そうに見える」お人であることである。

「暇そうに見える」いやいや、実際にそうだから反論はできない。

こんな訳で、今、台北にいる。

ゆえに、こうして今「樹林」のある縫製工場に向かっている、次第である。

ホテル(台北市の南京東路?」まで慣れないoldboy君のため、社用車で送迎
していただくことになっている。
ありがたいことである。


               ★★★
       ここからが今日の本筋である、
初めて知ったこの事実、
台湾の工場、オフィス、学校には(シエスタ
昼食後の午睡・ヒルネ)の習慣があった。

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シエスタ もちろん、台湾で使われている言葉ではない、ただ行為と意味が
似ていたので、oldboy-elegy君、少々おどけ気味に使用している。



oldboy君、南ヨーロッパのラテン系国家にこの習慣が根付いていることは
知っていたが、まさかアジアのこんな近くの国にも同様の習慣が存在して
いたことには驚いた。

そう言えば、この台湾島の気候条件は「亜熱帯気候から亜熱帯モンスーン」に
属しているらしい。
台湾の向かいの大陸中国は省で言えば「福建省」で「香港」もそう遠くでも
ない。
気候も同じ「亜熱帯」に属する。
良く言えば、「昼食後のヒル」にもっとも「フィット」した環境でもある。

「香港」にも昼食後の「午睡」の習慣あるのかどうかは知らない。
oldboy-elegy君、香港へは、2度ほど社用で行ったが、この「午睡」の習慣の
アリ、ナシには気が付かなった。

ただ彼、台湾での、この習慣に1回だけとは言え、実際に経験したことがある。


そこで話を台湾、「樹林」の工場にもどす。

工場間の木製の渡り廊下など、日陰で風通しの良い床に各々マットを敷き、
多くの女工さん達が、気持ち良さそうに午睡。

また学校の教室ぐらいの部屋に、2段ベッドがぎっしり置かれ、そこにも多くの
人が、男女入り混じっての、これまた午睡。

事務所では椅子に腰かけ、そのまま机にうつ伏せにバタンとこれまたご午睡。

それぞれが、気に入った場所と姿勢でドタンと午睡。

いやはやその光景は壮観そのもの、oldboy君も促され、人生初めての、
公認の
午睡を実体験。

oldboy君の初午睡の場所はどこだと思われる?、そう、通されたのは、
2段ベッドがズラッと並べられた部屋である。
そのうちの一つのベッドの上段部分で、下段は先ほどの商談相手の一人である、
若者くんである。
時間は小一時間ほどで、ウツラ、ウツラはしたが、寝入ることはなかった。
しかし、なぜか気分は爽快であったことを記憶している。


わが会社に、この制度を提案しょうと思ったが、馬鹿にされるのがオチと、
自身で却下する。
ただし出張報告書には、ヨモヤマ話程度には書きおいた。

さてこの素敵な、習慣、今でも存在するのかどうか気になるところである。

欧米流の時間の強力な管理が「生産性」「合理化」だと思っている経営者も、
もの分かりの良い事務職を含めた現業労働者も、時代はこんな人間的行為
許さなくなっているのかも知れない。

それを考えると、すたる事はあっても、より盛んになって行くとは考えにくい
ものがある、残念だが。 


            
             ★★★★

         oldboy-elegy君の個人的感想

人間の首に強制的にワッパをはめる道具に、今では事欠かない。
スマートフォンタブレット・パソコンの発達がそれである。

oldboy君的に答えるなら
何ともすさまじい世になったもんだと、ため息 しきりである。

その昔、oldboy-elegy君、もちろん、そんな便利機器の無い時代のこと。
一度、会社を出たなら、こちらが連絡しない限り、糸の切れた凧さん状態、

こんなoldboy-elegy君でも通用?した、最後の良い時代だったのかもしれ
ない。


あ~そうそう、こんな事もあった。
やっと取り付けたデートの約束、互いの誤認識から会えずじまい、とゆうこと
あった。
今の時代、考えられない事かもしれない。
「おいお前、何処におんねん?」とスマホで聞けばこと足りるのであるから。

oldboy-elegy君、ことほどさように「便利な世の中になったもんだ」とは思うが、
何故か、「良い世の中になった!!」とは思えないのが本音である。

 
    それでは、午睡でなく、本睡眠に就かしていただくことにする。
               では では


                          了

                         oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 27 ) 牛肉で作る「肉じゃが」を「肉じゃが」・豚肉なら「肉じゃが」とは言わない!!ある関西人の哀しき独り言

 
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このイラスト、もちろん、何時もの通り
「いらすとや」さんからお借り
したもので、
料理は「肉じゃが」である。

あれれ!!??、oldboy-elegy君
「ついに食レポ」に参戦、いやいや、

そんな無謀、間違ってもしませんよ、
間違っても!!!






第一「うまいまずい」は自分的には普通に分かっているつもりだが、
いかんせん、食い物に対する情熱が少々不足気味なのは自身、認める
ところである。

こんな彼でも戦後の食糧難の時代、なぜか腹を減らし、ひもじい思いをした
記憶はない。
6才ぐらいまで母との二人暮らしであったことを想えば、当然、俺ではなく
母が立派だったことになる。

どこかブログ記事で「公言」したことがある、
旨い、まずいは、タイミングしだい、どんな名店の料理でも、三日三晩、
同じものを続けて食べるわけにはゆかぬ。
キュウリやなすのぬか漬けが、なによりの「ごちそう」である時も当然ある。

買い出し前に冷蔵庫をのぞいて備蓄食材を確認するが、この時のoldboy君の
目は、いかに簡単に作れるかが最重要課題なのだ。

読者諸兄のブログの基本コンセプトが「食」にまつわるものは多い。
それらを読み、見るにつけ、その情熱と情報量にはいつも圧倒される。

oldboy-elegy君なら、きっと一記事も書き上げることはできぬと断言できる。

したがって、彼は彼なりの脱力系ながらちょっぴり、エレジー(哀しさ)を
スパイス(味付け)にした文章を意識して書いているつもりである。

「笑い」で表現するなら「あはっはっ」の高笑いではなく「ふふふ」
「クスクス」「グッスン」程度のものである。



                ★
      「肉じゃが」が今日の記事のタイトルになったわけ

つい最近のある朝のことである。

お日様の光がレースカーテン越しの部屋に充満している。
内側の遮光カーテンが何故か、ガラス戸一枚分ほど引き忘れた状態になっている。

やおらノビをし、眠気まなこで時計を見ると、8時をトックに過ぎている。
しかし、この時間の経過が、彼にとって意味するものはなにもない。
「ただ朝の8時を過ぎた」と言う現実があるのみで、だからどうする、とゆう
次の行動や発想があるわけではない。

この時間ゆえ急いで飛び起き、レーズン入りの食パンをトースターに放り込み
、コーヒー用の少量の湯を沸かし、小走りで洗面台に行き、歯を磨く、!!!
この行為と時間、そう、彼には長らく必要のないものになっている。

目覚まし時計の文字版の端に表示された室内温度は22度を超えている。

ベッドの中で、まったり、いや、ボ~としていると、マンガのアセチレン・
ランプ(知る人ぞ知る、大昔の手塚マンガ・キャラ)宜しく、oldboy君の
後頭部に突然にローソクが立った。
※ 上記のこと、理解できない人もおられることと思うが、別にすっ飛ばして
  読み進めてもらってもOKである。

「あーそや!、洗濯しとこ」とはなはだ迫力のないまま、ひとつ仕事を思
いついたのである。
しとこ」は関西弁の「しておこう」ぐらいの意味である。
まことに、ズッコケ話でもうしわけない。

人間、金銭のやり取りがなくとも、何かの労働?義務が発生することは至極、
健全で喜ばしいことである。
精神の受容体が多少なりとも活性化してなにかしらの意味が心に宿るのかも
知れない。

ブログを書いているのも、この延長線上の所作なのだろう、多分。
そう、誰にも強制されてもないのに「やらねば」の意思がはたらく。
たった、月3記事程度だが自分には大切な義務と時間ともなっている。

パンも焼かず、コーヒーも淹れず、歯も磨かず、すべて今は打ち捨て、洗面台
の脇に置かれた大きなプラスチックの洗濯籠の汚れ物を全て洗濯機に放り込む。

今から33分後には洗濯は完了するらしい、あとは物干し作業、うまく行けば
取り込みまでできるかもしれない、少しお日様が立ちすぎた感もあるが。

なにやら、洗濯が、自分のやらねばならぬ「大仕事」のような感覚になる。

あとは、先ほど後回しにした簡単な作業をすます。
そしてコーヒーを飲みながら、やおらパソコン(ノート)を立ち上げる。

こう書くと、なにやらパソコンの得意なお人にみえるが、これがまた「ズブ、ズブ」
の「ド素人」なのである。

ほとんど「デフォルト」状態のままの機能で使用している。
余計な事をすれば、あとに戻れず、ぐちゃぐちゃになってしまいそうで、
恐ろしいのである、情けない限りだ。

洗濯機に呼ばれ、洗い物の全てを大きなプラ籠に入れ、陽光サンサンの狭い
ベランダに出る。

そこに木製の背もたれのないベンチ兼物置台が置いてある。
これも腰痛保護のためである。
長さは1.2メートルぐらいのもので、この上に洗濯籠を置く。
いちいち腰を大きく曲げずに、物干しができると言う訳だ。

プラ製の円形に広がる・物干し器と頭上の竿2本にかかったプラハンガーに、
ゆっくりと干し物を懸けていく。
ティーシャツや長袖シャツなどは、手の平で「パンパン」とシワも伸ばす。
普段はしないこの行為、きっと今日は少々気分が良いのだろう。
たわいのない人である。

こんな時である「ウム!!」と、本日2回目の「アセチレン・ランプ!」が
oldboy君の後頭部に立った。
ベンチ下の黄色の蜜柑箱に目がいったのである。
中身は分かっている、間違いがなければ、個数にして10コほど、2袋程度の
ジャガイモが入っているはず。

これ、同時に2袋も買ったわけでもない、まだ1袋在庫のあるのを忘れ、買って
しまったものである。


ここで、1袋だけでも使わねばの気持ちがやどる。
この時、思いついた料理?が、「フライドポテトと肉じゃが」である。


一瞬「牛丼」も考えたのだが、多分これは「じゃがいも」を必要としない
料理のはずである。
今日は、すこし芽の出かけている「じゃがいも」を費消するのが目的、
そのため「牛丼」の考えは捨てる。

取りあえず、調理?経験のある「肉じゃが」に決定。
「経験」と言っても料理手順を憶えている訳でもない、今日もパソコンの
検索が頼りなのだ。


洗濯ものの、干し作業が終わるころには「夕食のおかずは肉じゃが」と決定
していた。

今日は干し物を終えても、好天の為か腰の調子も良い。


            ★★
  「肉じゃが」を「豚肉」でつくっても「肉じゃが」と言う、これ如何に?



やおらノートパソコンで「簡単肉じゃが」と打ち込む、
「簡単」の二文字はoldboy君には欠かせない。

はたして最初にヒットした、料理動画配信専門サイトの「クラシル」さんと
老舗のクックパッドさんさんで比較してみる。

クラシルさんの場合
①パソコン入力印字 簡単肉じゃが
②画像下のタイトルは 基本の肉じゃが とある
③そのまま下にスクロール、材料を見ると ここで突然 豚肉(コマ細切れ)
 となり、「」の文字がどこかに消えた

関西人のoldboy君からすれば、このレシピは「じゃが」で、決して「じゃが」
ではない、の思想をお持ちの吾人である。

クックパッドさんの場合
①パソコン入力 簡単肉じゃが クラシルさんと同じ
②画像下のタイトル 簡単うちの肉じゃが とある
③そのまま下にスクロール、材料を見ると 牛肉(豚でもひき肉でもよい)
 なっていて、表現が首尾一貫している。

首尾一貫、ブレのない、クックパッドさん、に「賛」の一票を献上したい。
慣れない男のシニア料理案内はこういう精神でなくてはならぬ。
なにせoldboy君など「料理に対する、常識とか知識」と言うものが皆無なのだ。

レシピの一言一句の字面を懸命に後追いする御仁の姿を想像して欲しい。
必死に「肉じゃが」をおっかているのに、なんの断りもなく豚肉(コマ細切れ)
はないだろう。

これだけ懸命にやっても、悲しいかな、すぐに忘れるのである。
料理に対する才能はまったくない上に、新規の脳内記憶領域は情けないほど
劣化している。

oldboy君にとって、「牛肉」と「豚肉」とは、旨い、まずいとは関係なく、
明らかに違ったものであり、キッチリ言葉を使い分けてほしいか、せめて
クックパッドさんの様に、断りぐらい入れて欲しい。

つまるところ「肉じゃが」が、なんの断りもなく、突然、、肉が豚肉に
変わるのに、料理名は依然「肉じゃが」のままは、おかしいと思う。

牛肉料理の王道料理、ステーキ・すき焼き・シャブシャブなどあるが、どれも
普段口にできる、家庭料理ではない、
よしんば、出たとしても、正月・誕生日・客 などの特別なイベント料理として
食されることが多い。
少なくとも、oldboy-elegy家ではそうであった。

このうち唯一、普通に家庭で食える牛肉料理が「肉じゃが」なのである。

それさえ「今日は、肉じゃがよ~」の母からのひと声が、どれだけ嬉しかった
ことか。

                ★★★
           それでは牛丼の立ち位置は、どうなる

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今日の記事、oldboy君の言い分は、牛肉・豚肉の経済学を披露するための
ものではない。
単に、牛肉と豚肉の区別を明確にしていただきたいとの思いで書き出した
ものである。

ただ牛丼に触れるとするなら、次の数行にまとめることができると
思っている。
oldboy君ら庶民があずかり知らぬ、国とか政治の力学が関与している分野で、
なにやらドロドロしたものを感じる。


◎国産牛、およびその保護政策の堅持。
◎オーストラリアやアメリカの輸出圧力をかわす。

上記の落としどころが「牛丼チェーン店」の存在だと思う。


             ★★★★

             おしまいに

いずれ「牛丼」も「肉じゃが」同様に、家庭用として、料理名は「ギュウドン」
のまま、中身は「豚肉」使用のものが、庶民の味として出回り、主流となるかも
しれない。

「何を言ってるの、oldboyさん、もうすでにそうなっているよ」だけは勘弁
してほしいものである。
せめてその折(牛丼・豚肉でも可)位の心付けがあっても良いのでは。
牛丼の名前で説明してきたのに、ことわり無しに、最後に(材料 豚肉)は
いけない。

インターネットでの動画・レシピ発信会社が、「おいしい牛丼の作り方」と

しながら最後の最後の材料の項目に「こまぎれ豚肉」にならないことを祈るが、
無理かも。

そう言いながら、oldboy-elegy君、料理に現(うつつ)をぬかすほど、食通
でもない。

豚全盛の世に少し、関西人としてのチャチャ(よこやり)を入れて見たかった
のかもしれない。

もともと関東圏以北を中心に広がった「豚食文化」が関西をも、侵蝕中
なのが本当のところだろう。


oldboy-elegy君の今日の記事は、関西人の「しょうもない文句たれが、
すこし斜めから記事化したものと理解して欲しい。

それに内容は、彼一流の「独断と偏見」でもって書かれたものであることは、
言をまたない。

もちろん、oldboy-elegy君の本日のおかず「肉じゃが」の肉は、最下級の
「牛肉の細切れ」である。
記事の内容通り、意地は通さしていただいた格好である。

なに、料理、上手にできたかって、
ともかく、いくら変人でも、この出来上がりを見て、「肉じゃが」以外の
名を上げるやつはいないだろうと思うがどうだろう。
味は?、もちろん「簡単レシピ」である以上、それなりのものであった。

残りは大きめのタッパに入れて冷蔵庫へ、あと2食分はいけそうだ。

あいかわらずの脱力系記事、あいすまぬ、皆の知的好奇心に、な~ん
貢献していないことは、承知の上でのことである。
許されよ!!



              では では  

                 

              oldboy-elegy

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oldboy-elegy (35)母の故郷、鹿児島での日常のヒトコマと、そこで見た性への原初的風景?を綴ってみた

oldboy-elgy君、異性に対して何かしらの得体の知れない感覚を抱いたのは
いつの頃だったろうか?。

そう初恋とか呼ばれる言葉以前のもっと原初的なものの事を言っている。

意識の中に、最初の異性として登場した女性は、もちろん母である。
しかし、それは、日々の生活の難儀(なんぎ)さからくる印象が優先し、女性と
言うより
同志的感覚であったように思う。

それが証拠に、二人して島根県の松江にいたころのことである。
母が病院の下働きに出るおり、

必ず彼に5円かの小遣いを与えたが、これを使うことはなかった様に思う。

ある意味、こましゃくれた子だったと思うし、感心することではない。
母はむしろ、この5円をおおらかに使って欲しかったのではないだろうか。

この行為は、かえって彼女を喜ばせるより、ある種の、哀しさを与えたかも、
と今では思う。


しかたなしに逃げ帰った先が、母の故郷である、
鹿児島県のこの地、開聞(かいもん)での生活を懐かしさとともに記事にして
みた。

 

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はたまた、まずい絵であいすまぬ。
母の故郷のスケッチのつもりだ。
正面の円錐形の山①が、開聞岳
標高は900メートル少し1000
メートルには足りない。
山容は美しい円錐形で、「薩摩富士」とも呼ばれている火山である。


②の海原は太平洋である。③の火山灰台地と山の境に清流が一筋あり、すぐに海に消えゆく運命にあった。

きょうの出来事の舞台はこの川での事である。

               ★★★

戦争中、この地の北方に「知覧(ちらん)特攻隊基地」なるものがあり、
南方に向かう戦闘機などは、この開聞岳に向かって、「自分の人生と日本」
に別れのバンク(両翼を左右に振ること)をして海原の向こうに消えて行った、
などの悲しい話も残っている。


この時oldboy君は父の顔はもちろん、その残影すら知らない子供であった。

齢(よわい)長じて後、いろいろの状況を鑑みれば、その時5~6才のold-boy
君であったはず。

計算の元になる、ほぼ明確な期日がある。

母が意を決して、本妻のいる大阪に僕を連れて乗り込んだのが、小学1年で、
夏休みの前のことであった。

この時点で、いまだoldboy君、学業・学校の経験はなかったのです。
それゆえ、彼、とうぜん幼稚園も知らないことになる。

 

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このイラスト、当時の子達にしては
小ぎれいで、清潔感一杯である。
oldboy君、小学校のころ、米軍の
兵隊
さんが学校にきて、DDTなる薬剤を、頭髪から、衣服の中まで、散布されたことがある。
シラミ対策である。

向かって、前列、右の子が彼であろう。
一人「ホエッ」「なんや」顔である。




学校初体験は床に広げられたおおきな模造紙数枚に、四方から子供達が寄って
たかって、お絵かきの最中であった。
oldboy君も側の女の子から借りた、クレヨンでこれに参加、何故かこの光景
だけは鮮明に記憶にある。

この時が彼の「入学式」であった。

これらの様子を見る母も安堵と喜びの瞬間だったはず。

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母はこれらのことも含み、意を決して、優柔不断な父のいる大阪に乗り込んで
来たことは想像に難くない。

押しかけ女房ならず、「押しかけお妾さん」と言うわけである。

根無し草(デラシネ)の彼がともかくも足を半分、地につけた瞬間であった気が
するがどうだろう。


この母の故郷に、どれくらいの月日暮らしたかは、よく分からない。
奇妙なことに、この家で、母の母らしき初老の老人以外、人の気配を知る
ことは無かったように思う。

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左傾のイラストはサトウキビである。
葉の部分を鎌で削ぐ。
それでも、oldboy君より余裕で長い。
それを担ぎ、おやつにして走りまわっていた。









その、おばばが、土間に積まれた、サトウキビを一本抜き取り、先の葉を
鎌で払い落し、長いまま「ホレ」とoldboy-elegy君に、投げ渡すのである。

その日の、おやつである。

この村落はシラスと呼ばれる、火山灰台地の上にある。
視線を上げれば、別名、薩摩富士と呼ばれる開聞岳があるはずだが、幼年期の子
ゆえか、山に近すぎたためか、この家からの山容は記憶にない。

この村落に点在する家々には、電気は来ていたが、水道は無かった。
そうかといって、家に井戸があるわけでもない。
火山灰台地の宿命である。

小さいとは言え、村落がある限り「水が必要」ではと、読者諸兄が思われるのは
当然のこと。

そう、そこはうまく出来たもので、村はずれに1筋の清流が流れていたのである。
開聞岳かいもん)の左すそ野を巻き、1キロも行かず、太平洋の大海原に消え
行く運命にある細い命の川である。

さあ、ここでもう一つ難儀な事情が待ち受けていた。

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恐ろしいもので、自分で描いた画をこれまで何枚かUPしたが、恥ずかしさが薄れてきた。
拙い本文記事の説明ぐらいのつもりである。

村はずれの谷底を流れる清流のつもりだ。
左端の四角の部分が漉(こ)し井戸で、そこから右上方に上る小道が、雷状に右、左、右と登って行く。

母は、バケツの水を、天秤棒の両端にぶら下げ、日に何度となく登り降りしていたのである。


川下は右方向である。

 



この清流、火山灰台地と開聞岳の境界の谷底を流れているのである。
この谷の深さたるやそこそこのもの。
一本の大きな老木脇を起点に、雷様の、イナビカリ状に右、左、また右へと
細い道が谷底に落ちていき、その終点にこの川があるのだ。

川の脇には、苔むした石の漉(こし)井戸が組まれていた。
※漉し井戸(こしいど)とは、 深く掘られた井戸ではなく、隣の川の流れを
 砂利や砂で濾過しただけのもので、覆う屋根もない、当然、鶴瓶(つるべ)
 はなかった。
 
ここが部落の共同の水場なのである。

掘り井戸ではないので深いものではない。
水底(みなそこ)は砂状で、よく見ると、透明な小エビも見える。

河幅は、それでも5・6メートルはあったろうか、それはそれは美しい流れ
である。
井戸同様に川底も砂状で、深さも彼の、ひざ程度のもの。

両岸からはそう太くもない、黄色の竹が伸び、天井の空を覆っている。
陽光と竹と葉っぱの色で川面も、黄色くキラキラ輝き、すぐに海に尽きる
であろう流れも、それは美しいものであった。

しかし、その風景とはうらはらに、母の仕事である水運びは過酷そのもの。
そんなに遠い道のりでも無いのだが、なにせこの急なジグザグ道を、
天秤棒の両端にバケツ引っ掛け、のぼるさまは、子供心にも見てはおれ
なかった。

oldboy君、なにかお手伝いしたいのだが、こればかりはどうしょうもできぬ。

各家に風呂の設備がない分、そのための水は必要ないのですが、それでも
一日何回もの水くみが必要だったのは当然です。

いまにして思えば、母がこの地を逃げ出した理由の一つであったかも知れ
ません。

洗濯などは、持ち帰った水を使うことは殆んど無いようでした。
反対に、洗濯物を持って水場に行くのです。

この時の約束事があります。
漉し井戸(こしいど)の水を洗濯に使うことは厳禁で、川の本流の水を
使う事と、作業は井戸より下流でやらねばならないなど、村の約束があった
ようです。

ある日のこと、oldboy君、母の姿が見当たらないのに気が付き「母ちゃんは?」
とおばばに尋ねると「水汲みじゃ」との返事。

この頃から、彼には、身についた「哀しい習性」があったのです。
それは癖と言おうか、思いと言うのか小学校を終える頃まで、引きずっていた
ように思うのです。

母の行動と姿をいつも、自分の視界の中に収めておかねば、気が気でなかった
事なのです。

いつか母は、自分を捨てて、何処かに行くのではないか、と言う疑念と恐れを
何時も抱く子になっていたのです。

大阪に来てからの事ですが、電車で出かけた母を、駅のプラットホームが
見えるノッパラで長い間待っていたことがありました。

その時、母が「あんたそれなんな?」と、oldboy君のセーター見て
おしゃったことがあります。
母に編んでもらったそれには、イノコズチの種子が一杯まとわり付いて
いたのです。


話を鹿児島のおばばの家にもどします。


おばばから「水汲み」と聞くなり、oldboy君、あの谷底の水場に向かって
走っていた。
道は一本道で、行き違いになることはありません。

「ここから谷ですよ、危ないよ!」の目印の老木を過ぎ、イカズチ状に落ち込む
細い道を駆け降りて行くoldboy-elegy君。

そこに突然、谷底の流れの方角から、若い女性の「嬌声とも笑い声ともつかぬ」
声が「キャー、キャー」と聞こえてきたのです。

はたして、谷底の川まで降りきると、母は井戸とは反対側、川下方向に置か
れた洗濯用の叩き石にやおら腰を下ろし御休憩の様子である。

バケツにはまだ水はない、どうも到着されたばかりのようである。

それはさておき、母の肩越しの川中に3人の若い女性が水浴びの最中なの
である。
もちろん、全身、一糸まとわぬ姿なのです。

坂の途中から聞こえてきた、楽し気な笑い声は彼女達のものである。
一瞬だがoldboy君を見るが、そのまま、水遊びとも、入浴ともつかぬ感じで
遊び興じている娘たち。

川の両岸から立ち上がった、竹と葉の黄色のトンネルの中、足元のキラキラ
光る水面の中の娘たちの姿。

どうも彼女たちにとって、この幼いoldboy君の目線や存在は、空気以下のもの
であったようです。

実はこのこと、このあとズット憶えていた訳でもないのです。

中学生のころ、美術の本か何かでルノアールの「裸婦像」を「良からぬ
目線」で見ていたおり、何故か急に、あの折の情景が心の内に再来した
のです。

少々、後付けの印象かも知れないが、今となれば、あの時の事がoldboy-elegy
君の性への原初的出会いであったように思う。

意識の奥に潜んでいた像が、普通ならそのまま忘れ去ってしまっているのが
当たり前、それがこの歳(中学生)になり、幼い頃に出会ったあの場面
(水浴びに興じる娘たち)に感応したのである。

それも、印象派ルノアールの絵の中でも特に(陽光の中の裸婦)が、それ
そのものだったようである。

この絵は同じ題材でいく枚かある。
裸婦を囲む、背景の植物の色が、グリーン・ブルー・イエロー 等々があり、
それらは、印象派独特の光の中で、裸婦の肌を際立たせている。

もちろん、イチ押しは、黄色の背景の中の「裸婦像」である。
何故かって?、そう、母の故郷の、あの黄色一色に染まったカンバスと
その中で遊ぶ娘たちの絵が、なぜか同質の感覚を与えるからだと断言できる。


「裸婦」を包む背景の描写が、あの開聞岳の竹の葉と清流と重なり、以後の
oldboy君の大好きな、名画となってこの歳に至っている

今度は、それもエロチズムを伴う感覚も併せ持つ情景として再来したのである。


もし、まったく忘れ去られたものなら、後にこうして同期・同調し、反応する
ことも不可能なはず。

わずか5・6歳の年端の行かぬ子どもの体にも、本人も気が付かぬまま「将来に
向けての」炎の烙印がキッチリと押されていたと言う事だと思う。



   では では 今宵の夢が楽しいものであらんことを おやすみなさい

                 了

                 oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No.26 ) 1・ 世の中にあふれる言葉から、琴線に触れたもの、おもしろいもの、憮然としたものなどを拾い、彼的にコメントしてみた

ブログを始める数年前から、メモ取りを、習慣化するよう意識してきた。
なにも自慢話ではない、歳のせいか、物忘れが激しく「おい、それそれ、
ほれほれ」と、頭にはそこそこ鮮明?な像があるのに、名前や言葉の
アウトプットがままならない。

その為のささやかな抵抗手段の一手としての主旨である。




ただこれとて、意識の底に預けておけば、どうかしたはずみでヒョイと

口から転がり出るこもある。
それでは、人との会話の戦力にはならない。

まあ、認知症の進行に些少の抵抗を試みる位の意味はあるだろう。

ソーシャルなことで、すぐに必要なときは、パソコンの検索システムと
言う
文明の利器もあるのだが。

このあたりが、メモ取りのタイミングである。

今日は、そんなこんなの中から拾った言葉に、oldboy-elegy君的な
コメントを
加えて、二つばかり記事にしてみた。

もちろん、「独断と偏見」でもって綴るのはいつもの通りである。


うまくいけば、この形式で定期的に記事化してもおもしろいかも、
と思っている。
それゆえ、タイトルの頭に、取りあえず  1・と入れてみた。


では、さっそく一つ目のお題にとりかかる。


                第一話


               拾った言葉 

         「自分のこの手で日本を動かしたい」

この言葉
メモからのものではない、ずっと長く意識の片隅に住み続けた「妖怪」の
ようなものである。
「なかなかに、粘着質」のある文言である。


この言葉を聞いてから、もう何年になるのかも定かではない。

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入手媒体はテレビのニュース番組からのものである。
場所は東京大学の入学試験、合格発表の会場からのものだ。

テレビ局の男性インタビュウアーが一人の若者(男性)にマイクを向けている。

「合格されたのですか?」
「ハイ」と若者は、当然と言わんばかりの風情である。
嬉しそうにも見えない。

「将来は?」の質問にたいする返答が、上出(じょうしゅつ)の
「自分のこの手で日本を動かしたい」と言うものであった。

これを耳にしたoldboy君
「ウヒャー!!」と固まってしまう。

ただ「非難」とか「傲慢」と言うより、自分とはあまりにかけ離れたお方
であり、存在であったことが原因だったと思うが!?

しかし、考えて見れば、このような人を「好ましく」思う人も「世の中には」
一定数、存在するのも、これまた事実である。

一見、当然であろうと思う事でも、全ての人が「シロ」と同意見で
まとまることは「殆んどない」のが、この世の常である。
その反対もまた、しかり、である。

真逆の色相、白と黒との間には無限の数のグレーが存在する。
そう、全てRATIO(割合・率・比)だけの問題である。
この考えはoldboy君の昔からの持論である。


oldboy-elegy君、ただ、この方とお近づきになるなり、友人として付き合う
のは堪忍してほしい。
それ以前に、この東大生君に「こんなアホと話するのも時間の無駄」と
思われるのがオチであろう。

この方、その後、どうした人生を歩まれたのかも知りたくもない、

あの言葉
「自分のこの手で日本を動かしたい」

ただただ単純に、脳裏に焼き付いていただけのことである。
そして今日、記事としてUPした、もう忘れようと、彼なりにふんぎりが
ついたはず。

             第一話 終わり

**************************************


               第二話

              
              拾った言葉

     
「こいつら、周囲に人間が居なくなったら、互いに顔を合わせ
      会話してそう」

一話目が、oldboy君的に気持ちよいもので無かったので、二話目は少し
趣向を変えて、彼好みの「シュール」であり、チョット頬(ほほ)の緩む
「ことば」でゆきたい。

※シュール 非現実的だが、あっても良いなと思わせる事象。
                        by  oldboy-elegy

たいへんに申し訳ない事だが、「秩父市」と言われても、関西の人間
(特に、ウスラ馬鹿ぎみのoldboy君)にとっては東京の北部ぐらいの
認識で「埼玉県」か「茨城県」かはっきりしなかった。

記事を書かしてもらう上で、申し訳なく思いしっかり「検索」さして
いただいたのだが「茨城県」の読みは「いばらけん」で、大阪府にある
茨木市」も、正式には「いばらし」と読み書く、らしいこと、今日、
初めて知った。

漢字の二文字目の「き」は「城と木」で違う。

この歳まで、なにげに「いばらし」「いばらけん」と、思いこんでいた
のである。

そのほか、この事で、やおら「検索」の深みに嵌り、ほぼ30分ほど、
回遊してしまった。

有難いのではあるが、ひとつの「文言」で始まった「検索行為」が
「無限ループ」に落ち込み、謎がナゾを呼び、ついには、「言葉の大海」に
嵌って(はま)しまうのである。

最終的に、自身に「強制」して、いい加減なところで「ストップ」をかける
しか、終わる方法は無い。

まあ、それだけ「彼・oldboy-elegy君」は無知で無能なお人である、
ことの証明かも知れない。

すこし寄り道した感があるが、許しを乞う。

場所は、埼玉県・秩父市の「秩父珍石棺」通称「人面石博物館」なる
私設の博物館でのおはなしである。

ここを訪問したことの「ある・ない」はともかく、「人面石」なるネット
画像を見た方は、けっこうおられるのでは、思うがどうだろう。

現在の女性館長の「お父さん」が、半世紀にわたり収集した河原(川は荒川)
の石、それも「人の顔」を彷彿させる、大小の石を展示した、いわゆる
「珍石」の「人面石博物館」なる施設である。

その数、なんと約1700体(顔・面)もあるとのこと、日本はおろか、
世界にも類を見ない、珍しい博物館である。

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この画像
秩父珍石館」様の許諾の上、掲載させていただいています。
もし近くにお出かけのおりは「あなた自身に」に会いに行かれてはと、
お勧めする。


上掲の写真画像は一例である。
中には、政治家や芸能人、ユーモラスなものからムンク「叫び」的な
アートなものまで、探せば、必ずあなた自身にも会えるはず。

これでこの「秩父珍石館」なる施設の概要を分かってもらえたと思う。

今日拾った言葉の
「こいつら、周囲に人間が居なくなったら、互いに顔を合わせ会話してそう」
への筋が見えたはず。

この施設に「名無しの権兵衛」なる外国人が訪れ、人面画像を自分のネット
媒体で発信した際の、これまた「西洋人の名無しの権兵衛」なるお人のコメント
が、今日の拾った言葉なのである。

たんに、驚き、おかしさ、の直接的な表現ではなく、それを超越した、
なんとも言えぬユーモアにしてシュールさが加わった「ことば」には嫉妬
(しっと)さえ憶える、

oldboy-elegy君も、意識して、このような「文言・文章」がタイムリーに
口にし、文章にできる能力と感性があればと、切に思う。

その意味で、今日、取り上げさしていただいた。

もう一度書く、
「こいつら、周囲に人間が居なくなったら、互いに顔を合わせ会話してそう」
の文言である。

ちょっと想像して欲しい、
夜も更け、人気(ひとけ)のない深夜、これらの「人面石くん」達が、
「ピーチク、パーチク」談笑の最中の情景を。

ヒョットすれば、それは現実の事かもしれない。
彼等は、人の気配を感じた瞬間にお喋りをやめ、ダンマリをきめこんで
いるのだ。
想像するだけで、怖いより、楽しい思いが優先する。

あなたの家に、もし空き部屋があるなら、きっと、このような事になって
いるはずである。


これでもって、今日の第一話の気分が吹っ飛んで、こころおだやかに
「おねんね」できると言うものである。


             では では

               了

                                           oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp



 </p

(雑感・雑記帳 No. 25) 「 明日に架ける橋」歌唱中のアート・ガーファンクルの口中を、2分以上もアップ画像で撮り続けた意図とは!!??


以前(2019・10・01)に(雑感・雑記帳 No.7)
タイトル「大好きな男性デュオ、Simon & Garfunkel について殆んど言及
されていない?こと!!」で紹介したのだが、今回のこの記事は、それの
リライト版ではなく、その「言及されていないこと」のみに焦点をあて、
記事化したものだ。


アート・ガーファンクルの素晴らしい歌声と、その口蓋・口腔・舌・喉の動きが、
ある種の驚きと感慨を貴方に与えるものとの思いからである。

曲は 「Over the Bridge  Trouble Water・明日に架ける橋」でガーファンクルのソロ。


参集した観客は50万人以上。
あのニューヨーク・セントラルパークでのチャリティーコンサートでのこと。



歌唱時間は4分半、oldboy-elegy君が言うところの「特別なカメラアングル」
は2分20秒ぐらいから始まり、最後までこのスタイルの画像で終始します。

oldboy君、これは意図的・意識的なものと思うのですが、みなさんは
どう思われますか?

※画像にはVEVOのロゴがあります。
VEVOとは世界最大のミュージックビデオ発信サイトで、この動画では
youtubeとの共同で配信しているもので、曲の間にコマーシャルが組み込まれ
ています。
つまり、拡散希望画像です。

取りあえず、こちらでリンクを貼らず、
下記の英文の部分をグーグルの検索欄にコピー&ペーストしていただければ直接
セントラルパーク公演会場の、「明日に架ける橋」に入るので、個人の資格で
視聴してください。

現在の所、画像は健在でした。


               お詫び
  ※下記の英文中、〇「water]のスペルが ✖「watar] と間違いがあることを
   読者さまから「指摘」を受け、勝手ながら訂正させていただきました。
   申し訳ありませんでした。 
                                期日 2020・11・2

                                     

 

  
   simon & garfunkel-The bridge over troubled water(from central park)

    

 

 


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以下、oldboy-elegy君が思いいれる、彼等のこの日の公演の実況アナウンスである。

これを聞き終わってから、問題の箇所、ガーファンクルの(明日に架ける橋)に
入ってもらったら、より鮮明に納得してもらえると思う。

この記事の最後にもう一度、同じアドレス(英文)を記載しておきます。


             ではスタート

上掲のイラストはアメリカ合衆国はニューヨークのセントラル・パークて
開催された「
サイモン&ガーファンクル」の野外コンサートのシルエット
画像である!!と思ってくれ。

その記念の日が1981September19・(9月19日)(現地時間)、39年前の
ことであった。

 

時刻は日没前から夜間にかけての公演である、集まった観衆は50万人
をこえる。

残照の中、「Mrs Robinsonミセス・ロビンソン」から始まる。

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ステージのセットは何を表現しているのか、中西部の農場のサイロか
それともシカゴを中心とした東部工業地帯の重工業、自動車産業の衰退
の始まりの象徴なのか、あるいは都会のバックストリートの荒廃した
佇まいなのか、ともかく電飾もなし、キラキラ感はゼロ、簡潔そのもの、
あるのはステージを照らす、ライトのみ。

二人の衣装は?
これが全くステージ衣装とは無縁の普段着然としたもの。

ポール・サイモンはラウンドネックの白のTシャツに黒っぽい薄地の
カジュアルスーツ。

一方アート・ガーファンクルは、
着古したインディゴカラーのジーンズに細めの黒のベルト、白の木綿地
らしき長袖のシャツ、そこに
ボタンも止めないまま黒のベストを着ている。

 

寝起きのベッドサイドに散らかっていた昨夜の服かもしれない(冗談)。
笑ってしまうのは、「ガーファンクル」のシャツの後ろがジーンズに
キッチリ収まらず、はみ出していることである。


曲の選定で残念な事は、アンデス北部のボリビア、ペルーあたりを発祥
とする「
フォルクローレ南アメリカ民族音楽)」をもとに編曲した名曲
El Condor Pasa・コンドルは飛んでいく」が今回のコンサートに
なかった
事。

この曲、特に日本人に好まれているものでもある。
峻烈、極まるアンデスの峰々、氷河と谷底の緑の間をゆったり
飛翔するコンドルの姿は、曲調と重なり何故か強く惹かれる
ものがある。

この1981セントラル・パーク・コンサートは入場無料(フリーコンサート)
でもある。

当時、財政難に喘いでたニューヨーク市地域活性化のため彼等にお願い
したある種のチャリティコンサートと言う性格がある。

このため曲の選定も(アメリカ、ニューヨーク)などの言葉が入った曲や、
彼等のオリジナルが殆んどのように思う。

f:id:oldboy-elegy:20201023164133p:plain



ここに「El Condor Pasa・コンドルは飛んで行く」を入れるのは、いくら
彼等のアレンジでもコンサートの主旨からも異質感があるのは否めないと
思う、
ある意味、当然のことかもしれない。

 時代は合衆国東部の鉄を基盤にした重厚長大な産業(鉄鋼、自動車)
が斜陽化し、西部のカリフォルニアなどを中心に勃興しつつあった
電子機器やIT産業の時代に入る前夜のことである。

重要な事はこれ以後、あれほど強固に思えたアメリ中産階級が雪崩を
うったかなのように縮小し、資産、所得の社会的階層(
ヒエラルキー)が、
「持てる者はより豊かに、持たざる者はより貧しく」の時代の入り口に
あった事だと思う。
いわゆる「中産階級の没落」の始まりと、同時に「アメリカンドリーム」
終焉の象徴的「時代背景」があった。


●ここからがoldboyくんが考えるサイモン&ガーファンクル
のうちのアート・ガーファンクルのオリジナル話(ばなし)である、
多分。


その事とは「アート・ガーファンクル」についてのものである。

もう随分前の事であるが、ブログでは絶対ない、youtubeとも違う、多分
NHKの教育テレビだったと思う、(間違っていたらゴメンなさい)。

「 
アート・ガーファンクル」の1時間ほどの単独ロング・インタビュー
番組を見た事がある、
製作は
アメリカのテレビ局のものであったと思うがどうであろう。

検索でこの動画そのものを探そうとしたが見つからず失敗、どなたか
視聴した方がおられても不思議ではない。

oldboyくんこの動画内容の殆んどは失念、しかしただ一か所、強烈に印象に
残る場面を記憶している。

それは彼アート・ガーファンクルの口腔(こうくう)と口蓋(こうがい)
の形について自身で語っている場面である。

解剖学的に口腔とは口の内側の事で、口蓋とはその上側の部分の事であるらしい。

口腔外科(こうくうげか)と言う専門の診療科もあるぐらいである。

つまるところ、彼、アートの口の中、口腔(こうくう)の形が解剖学的
見地から、歌をうたう事にいかに理想的なものであるかを延々と語っていた
場面である。

このロングインタビューを思いだした時、「アーそれで!!」と強く
納得することがあった。

今回、ポールもアートもソロで各々2~3曲歌っているが、そのうち
アート・ガーファンクル」のソロ
「明日に架ける橋・Bridge over Troubled Water)を視聴していて、なんだこの
「撮影の仕方は?」と思ったことと、「彼の口腔の形の自賛のインタビュー」
が突然結びついたことであった。

いままで、幾度となく見て来た画像だが、今回初めてあのインタビューの
事を意識し、視聴して全く異次元の感動を得ることができたのである。
少し、視点を変えてみるだけなのに、こうにも印象が違って見えることが
驚きであった。

そこで、そのことを、読者諸氏と共有したくてこのブログを書いたのが
主旨である。

歌唱時間は約4分半ぐらいで、始めから2分20秒位までは、いつも見ている
それとそんなに違った所はなく、チョット力(ちから)が入ってるな、
と思ったぐらいである。

撮影スタイルと言うのか、撮影技術と言うのも普通で、全身から顔の
アップに入ったり、カメラ位置が反対サイドに変わったりと、
なんら特別感は無かったのだが。

それが曲の半ば過ぎ(2分20秒あたり)から、画像の撮影スタイルがガラリと変わったのである。

それ以後、彼のステージ上の全身を撮影することは殆んどなくなり、
大部分が彼の頭部と言うか、顔のアップに費やされ、彼の口内、口蓋、
舌の動き、喉の奥、
喉ちんこまでが画面一杯にアップされて撮影され
だしたのです。

しかも、この状態がほとんど歌い終わるまで継続されていたのである。

最後にカメラが彼のUPから離れ、全身を映し出した時、
腰のあたりで力一杯、こぶしを握るが、それでも控えめな動作は、
観衆に見せたものではなく「よし完璧にやれた」と自分自身に言い
聞かせた動作だったとように思う。

この特殊な撮影はガーファンクルとカメラマン、あるいはディレクター
などとの了解の上、意図的になされたもののように思うのだが?!!
どうだろう。

そこで兎にも角にも、これらの事を意識して視聴して欲しいのである。


当初、ここにyoutubeのURLのリンク張るつもりだったのだが、権利関係が
分からないので各々個人として閲覧するのがベストと判断した。


★下記の画像アドレスはリンクされておりません。
 グーグル検索欄にて、コピー&ペーストでお願いします。
 
直接「明日に架ける橋」に入ります、2分20秒あたりからあとが
 oldboyくんの気になる箇所です。

 simon & garfunkel-The bridge over troubled water(from central park)


oldboyくんにとっても、あのインタビューの記憶が完全に具現化された
瞬間でした。


「ガーファンクル」はあの「明日に架ける橋」歌唱時、その感情の極みに
あったように思います。
人によっては、それは演出だったかも知れないよ、言うかも知れませんが、
oldboyくんそんなことどうでもよいことで、あのテレビでの
ロングインタビューとセントラル・パークでのソロの歌唱表現が一本の
紐で結ばれた瞬間だと感じたのです、

ともかく、oldboyくん、このことを曲がりなりにも記事にできたことは
嬉しい限りです。          



「アチューイ、アジ―、アツイ」とつい先日まで季節に
文句を言って
いたのに、どうかすると「寒い」と
感じる日もある季節になりました。

   oldboy諸氏のみなさま、おからだにご自愛を  では では




                   了
              oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 No. 24・下)ある意味、日本人って、昔から英語、得意だったんじゃない!!??と、いつもの彼らしく、独断と偏見でもって、語ってみた。


      (雑感・雑記帳 No.23・上)前掲10月11日投稿分の
 
               続きです


●外国語(主に英語)の日本語化への努力は「読む・書く」を中心に行われ、
新たな概念の漢字造語が蓄積されて行った。

英語を中心に欧米先進国の言葉の「読む・書く・聞く・話す」の内、
「聞く・話す」を横に置いて、「読み・書き」のみを日本語に取り込み、
言葉そのものの「概念」をひたすら「造作・造語」しながら、あらゆる分野の
「欧米の原書」が「日本語書籍」に置き換わっていった。

このことが、日本の「近代言語」の基本的な特徴かもしれない。


「翻訳」され、日本語になった本たちは、これを必要とするあらゆる日本人が
利用できるものであることは当然であった。

しかも、英語を中心とする外国語を知らない人達も、それまでになかった、
新しい「概念」を日本語として取り込むことに成功したのである。

徳川期の日本の文明・文化の大きな特徴は、その時代の社会的階層
ヒエラルキー)の下層とされる「商人文化」が基本にあり、世界的
に見ても稀有な進歩の形であった。

  

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左傾のイラスト画像「寺子屋」の
愛らしい風景である。

oldboy-elegy君、これらの風景が、
今から250年、300年もの昔に存在
し得た事に
驚きと同時に、なにやら
胸にせまるものを感じる。






彼等は、ある程度裕福とは言え、支配階級の子弟でなく、そこいらの市井、
巷(ちまた)の商人・工人・農民 などの子達である。
悪さん坊もいた事であろう。

よく言われることに、
日本人が移民や開拓団など辺境の地に「入植」したおり、まず建設するのが
「学校」だと言われている。
して見れば「寺子屋」も、ある意味、この延長線上に位置するものかも
知れない。

因みに、西洋人はまず「教会」を作ることから「始める」と言う。

このような私塾が、必要になり、自然発生的にできたことが、まず
驚きである。
世界的に見て、このような例はあったのかは知らない。


●庶民文化の隆盛

江戸時代、元禄期・文化文政期はあらゆる科学・商業・文芸の基本的なひな型が
誕生した時代でもあった。
同時に、西洋の「文化・文明」に関する、言葉の「概念」の流入を待たずに、
同等の言葉が存在することも多々あったはず。

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木版印刷の興隆と多色刷りによる錦絵・
〇宣伝などの行為とチラシや瓦版・出版物の多様化
〇藩校・郷学・私塾・サロン・寺子屋など教育施設の充実
〇あらゆる文化文芸・芸術・科学の萌芽
 短歌・俳句・能・狂言・歌舞伎・和算・暦学・天文学 など
〇商業 荷為替・割符 など遠隔地間の手形決済のシステム
〇飛脚・早飛脚 の保護と、これを犯すものに対する厳罰化(商業保護)

などが花開くか開きつつあった。


● 大いなる例として、日本語としての「解体新書」の立ち位置を考える。

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この方は「解体新書」を著した、
杉田玄白前野良沢」お二人の
うちの「杉田玄白」さんの肖像
イラスト画である。

(雑感・雑記帳 No.23・上)
で少し、ご登場いただいたのだが、
も少し、詳しく述べる。





1722年(およそ江戸中期)は特筆すべき年であった。

日本語で書かれた医学書「解体新書」が出版された年でもある。
オランダ語から日本語への「翻訳本」だ。
もとの元本はイスラム圏のものだったらしい。

実際の解剖(腑分け)所見を基に、検証しながらの翻訳作業である。

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人体の諸器官の詳細図面に付した名称は、それぞれの機能を、日本人
なら一目すれば(読めば)それと連想・彷彿させる見事な日本語造語が
付与されている。

「内臓・器官・骨格」などの名称の多くは、今日の医学書でも、普通に
使われているものである。
たとえば、「神経・動脈・軟骨・膀胱・脾臓・・・」など、それに、現象を
表現する「妊娠」などもある。

この本の凄いところは、単に名称を(い・ろ・は・・・・)や(1・2・3・・・)
など符号を与えたものではない、
その臓器や器官の機能、用途を知った上で付与された「日本語・和名」
なのだ。「神経・動脈・膀胱」など、なんと秀逸な言葉であろうか。

oldboy-elegy君など「神経」などの漢字を」見ると、即座に「神経痛から
くる腰痛」を思い起す。
恥ずかしながら、自身がそうである。

これらは、オランダ語を殆んど知らない「杉田玄白前野良沢」たちが
信頼するに足る辞書のない時代、4年の歳月をかけてなしえた金字塔なの
であった。

ここでoldboy-elegy君の言いたいのは言語要素の「話す・聞く」を除外して
「読み・書く」のみに徹して、通史(通訳)ではなく、学者としての目を
通して日本語訳本を完成させたことにある。

もはや訳本はオランダの元本「ターヘルアナトミア」ではなく、日本の
「解体新書」になった瞬間でもあった。

オランダ語で書かれた「ターヘルアナトミア」が何百冊あっても意味のない
ことで、「日本語の解体新書」が1巻(1×4冊)、完訳したことで、明日には、
有能な出版社と職人たちの手で何千冊の「解体新書」が木版印刷され、
多くの医師たちの手に渡っていく。

そう、時代のバックボーンが、すでに、これらのことを、可能にするだけの
文明・文化が日本の社会に備わっていたのである。

つまり、「読み・書き」に徹し、「学者の目と理解力」で作り出した
「新造語」が「解体新書」を通じて「日本人の財産」として世に送り出された
瞬間でもあった。

事実、「解体新書」が出てからも、「雨後の竹の子」ように、様々の「医学書
が出版されたらしい。
もちろん、言葉の下敷き、お手本は「解体新書」のはずである。


以後約300年は、ありとあらゆる分野の「翻訳本」が日本語として出版され、
この国の「文明・文化」を支え続けてきたのである。
その証拠が「日本語」しか知らない「学者」のなんと多いことか。
ノーベル受賞者でも例外ではない。
(oldboy君良い意味で言っている)

もちろん、今もその過程にあるはずである。

この事実は、タイトルで言うところの

「ある意味、日本人って、昔から英語、得意だったんじゃない!!??」と言う
ことには、少々逆説的ではあるが、結論として、繫がったと理解して欲しい。


以後、日本人の医者すべてが、一段との高見(たかみ)に駆け上がったような
ものである。

●日本人の英語に対する典型、「お喋りはできない」が「辞書さえあれば
そこそこ訳せて、理解できる人」の完成である。

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日本人は長い間、外国語を「読む・書くのみに落とし込み」、日本語として
使用してきた。

ここでタイトルとした「日本人って昔から、英語、得意だったんじゃない
!!??」
と言う結論になったわけである。

むろん、ただし書きが必要である、日本人の「話せない・聞き取れない」は
ともかく、「コンサイス辞書と・英英辞書・時間を与えられたら、そこそこ
訳せるよ」の「英語に対する典型的な日本人ができあがる」のである。

この翻訳能力が世界的に見て、全く稀有で特異な「現象」であり、逆説的
には、このことが「長らく世界の先進国」であり得ていたのだとoldboy君は
考える。

あらゆる概念、科学から文芸までの全ての外国語
を落とし込める日本語
を持ったことの功罪
が「英語を喋れない・聞き取れない日本人」と
「世界の言語を日本語で読める
日本人」を作ったのかも知れない。

ある意味、「超不得意な場面の英語」と「得意な場面の英語」が「共存」
したのが「日本人」の外国語(主に英語)にかかわる「スタンス」だった
と言えるかもしれない。

結論 タイトルの(ある意味、日本人って、昔から英語、得意だった)と
   結論付けが完成したことになった。

ここまでを、今回の記事「上下・2編」を終わることにする。




            あとがき

 今日の記事をを書いている時、頭に去来してきたことがあった。
 とにかく、メモ代わりに書き足しておくことにした。
 考えがまとまったら、いつか記事にしたい素材である。


NO.1  
それは日本の大学の立ち位置(評価)が意外に低いのである。


なぜそう感じるのか?

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ノーベル賞(総合)・フィールズ賞(数学)・ブリッカー賞(建築)・・ETC
など世界的に名だたる科学賞の受賞者数は2000年以降だけみると多民族国家
アメリカの次になる。

反してイギリスやアメリカの大学評価機関の内容を見ると日本の大学は、
決して良いものではない。

アジアだけ見ても東大・京大など旧帝大群の評価は、その研究実績に
比べて随分と低い。

ロンドンのある評価機関(そこそこの権威)の近年のものを見ると
「東大・京大」でも、アジアでの評価は10位圏程度に留まっている。
中国の2大学・精華大・北京大が最上位で、続いてシンガポール大や
香港大など、韓国のKAIST(工科大学)・ソウル大などより評価が低iい
こともある。

日本の大学の研究業績は上記の他大学に比べれば、比べようもないくらい
圧倒的であるのに。

とうぜん、日本人なら「なんでや?」と疑問を持つことになる。

結論から言うと、
イギリスやアメリカの評価機関の評価基準の重要要素に、「研究業績
プラス、教育・啓蒙機関」としての立ち位置を重視しているようである。

言い換えれば世界にまたがる英語による、「教育機関」であることが
重要
であり、重視されているのである。

すなわち、これらの世界は「米・欧」を中心とした「英語」で回って
いるのが、いかんともしがたい「現実」なのだ。


その現実が見える現象が最近あった。

韓国のKAIST工科大学が、殆んどの授業・講座・研究室を英語のみで行う
ことにしたらしい。
そのとたんに、KAISTのアジアでの評価が東大を凌駕するまでになっている。
とりたてた、研究業績もないままに。


NO.2  ここで 韓国の言葉事情を書いてみる。


韓国語の場合、重大な不合理と不都合が存在する。

もともとの朝鮮語そのものが、欧米の文明・文化の先進概念を持たなかった
ため、代わりにそこに、長年培ってきた、日本語がはいり込んでしまったの
である。

もちろん、日本による植民地政策によることも大きいが、
なによりも、もともと、「朝鮮語」に「英・ドイツ・フランス・・etc」
などの「先進概念」は、同じ「漢字語」を底に持つ、日本語からの「借用」
にならざるをえない運命にあった。

これについては、かの国の現代の人達は「いろいろあるとは思うが、
必然の流れ」であり「論理的」である。


ただし、日本語の(西洋の概念語)を朝鮮語読みで発音し、その発音を
「ハングル・書き言葉」に落とし込むのである。

例えば、「百貨店」は、朝鮮語読みでは「ベグ・ファ・ジュ(ム)」で
その発音を「ハングル・書き」で「백화점」となる。


最近の「日帝残滓・にっていざんし」排斥運動のため、もとの「百貨店」
の漢字と同時に表意文字としての漢字から来る意味も消えてしまい、
単に発音としての「ハングル」だけが残る。

この様な比較的カンタンな言葉なら、まだしも「化学・物理・数学・
法律・・etc」などで使用する、「高次元の念語、念語」は「朝鮮語
の発音と、それを記述したハングルだけになり、言葉を意味する「漢字」が
失われているのだ。

韓国社会では、「もともとの日本の漢字語」を排斥し、「朝鮮語」のみの
表記運動があるが、通常の話言葉の50%以上、科学用語の70%以上は日本語
から来ていると言われている。
それ故、完全な排斥運動に至ってない、底深いジレンマの中にある。

oldboy-elegy君、昔、ソウルに出入りしていたころ、ところどころ漢字で
書かれた
新聞の見出しを見れば、およそ内容の見当がついたものである。
今では、発音して見て、知らなければ、それまでである、必ず、元の漢字語
が大概あるはずなのだが。

現在の韓国の新聞は、漢字は消え、あるのは、ハングルで書かれた発音のみで
ある。

         韓国の言葉事情はここまで


NO.3        それでは、どうすれば?

基本、日本の大学は日本人の為のもので、高度な研究になればなるほど、
そこに欧米諸国やアジアの日本語を知らない英語話者の頭脳が立ち入る
には、大きなロスがあり、壁もある。
日本の大学や研究機関の使用言語は「日本語」によるのが中心で、
この上に「どう外国語・外国人」に対応するのかを考えることが重要だ。


最近、外国人(日本語を知らない英語話者)の、有名、有能な学者の
碩学講座や講義を持つことも多少増加傾向にあるが、多くは、通訳付きの
「招待・招聘記念講演」にとどまるのが普通だ。

このあたりの問題は早くから国も懸念し対策を講じているが、これだと
言う結論や方法は確立されていない。

こんな難しい日本語でも、理解してくれて、日本語を学ぼうとする人達のため、
マンガ・アニメ・映像 など文化コンテンツなどをキチンと学問の領域として
日本独自のグローバルな第2軸の価値観(始めに英語ありきではなく)を
作ろうと考えた方が良いように思えるがどうだろう。

今ある、世界何位、アジアでどうの、など、基本欧米文化何百年かの中の
欧米の価値観の中での範疇ではなく。
間違っても、韓国のKAIST工科大学のように「全て英語のみ」など
「短絡思考」に陥らないことを希望する。

「研究とそれに伴う、実績」重視の基本は失わず、「初めに英語ありき」の
「欧米型評価」にとらわれない「日本」独自のものを目指して欲しいものだ。



いづれ、上記の事に就いては、ブログ記事化してみたく、今日、思った。
今はまだ「独断と偏見」と言えども、書くだけの「知見も見識」も持って
いない。

だが、おもしろい、テーマだとは思っている。


  ****************************************************************
それでは今宵はこれまでとする。
oldboy-elegy君としては「独断と偏見」と言いながら、マジ面(づら)で
終始したようである。

少々、疲れた感もある。
ブログ記事は楽しく書かねばの持論もあるが、時おり胸の内の鬱積した
しこりを精算する必要もあるらしい。

バイリンガル、幼児教育も結構だが。

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このところ、急に涼しくなり、冷凍庫に入っている、あずきアイスバー
2箱に手が伸びなくなった。
明日は「おでん」でも食ってみるか、oldboy-elegy君には自前で作る
迫力はない、もちろんコンビニ謹製のものであるが。

            

         では では おやすみなさい

          上・下     了


                                                    oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

(雑感・雑記帳 No.23・上)ある意味、日本人って昔から、英語、得意だったんじゃない!!??と、いつもの彼らしく、独断と偏見でもって語ってみた。

                    始めに お知らせ


この記事、書いたのは良いが、字数が8000字を余裕で超えてしまった。
始め、文字数を削ることを考えたが、言葉が飛んだように感じて、難しい。

結論として、下記のように2分割にした。

雑感・雑記帳 No.23)現記事
(雑感・雑記帳 No,24下)タイトルは同じ 投稿日 10・20ごろ


の2編として、今日の記事に続けてUPすることにした。
少しでも興味のある方は、このことを踏まえて、読み進めて欲しい。



               前書き


※今日の記事では、戦争・紛争などが原因で他国や地域に移民、移動する
人達のことは除外して語っている、
そしていつものoldboy-elegy君らしく、「独断と偏見」をもって
書かれて
いる、ことは言を待たない。



(雑感・雑記帳No.23・上)  本文


● 日本って、世界一の外国語(英語を始め、多くの言語)の翻訳国家
      であり、今もそうである。!?

ここで「英語圏」の人が「英語本」を出版することは当然「翻訳」とは
言わない。



 言葉(言語)の基本要素は「聞く・話す・書く・読む」の四つからな
っている。

注 この記事で言う「聞く」とは英語で言う「listening・リスニング」で「hearing・ヒアリング」
のニュアンスではないことを初めに断わっておく。


だが
、地球上のある地域では(書く、読む)が未発達で「聞く・話す」
のみで生活している人達の共同体がわずかではあるが存在する。
しかしその逆の「書く・読む」だけで生活する共同体や人達はいない。


してみれば、人類の「文化的・文明的」進歩は当然、「話す・聞く」が
、まず「最初にありき」であったはずである。

「聞く・話す」の基本は赤ん坊、幼児の置かれた、生活環境と社会環境の中で
育まれ発達して行く。

「書く・読む」は共同体の中で自然に備わるものではない。
全て、「意図的・恣意的」なもので、その高度化は「STUDY・学習」に
よって
獲得されることになる。

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はたまた、oldboy-elegy君、読者諸氏のヒンシュクを買うであろう、自前の下手な文字画像をUPさしていただいた。

左傾のそれは、日本人の「英語」に対する、
一般的な能力を示したものである。
言うまでもなく、日本人の全ての人がこうであると、するものではない。
すべてRATIO(比率・割合)の問題で、この傾向が顕著であると言うことだ。
もちろん、そうでないお人も大勢おられるのは知っている。





英語を「聞く・話す」はカラッキシだめでも、「読む・書く」は(コンサイス
辞書と時間」さえもらえば、そこそこ「やれる」と自負する人は大勢おられる
と思う。
そこへ英英辞書があれば、なおさら良い。

oldboy君などは、両方ダメダメなお人ではあるが。

この国(日本)の歴史は中華圏や英語圏の優れた文明(科学)を始め、あらゆる
文化的
概念を「日本語化」して、日本語のみで恣意、思考することに成功した
稀有な民族で
あり、国なのである

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大昔、もともと「聞く・話す」だけで、「読み・書き」を持たなかった
我々の祖先は、やがて(中華圏)から渡来した(漢字)の発音を借りて
自分達の話し言葉やまと言葉)に初めて「書く・読む」の原型を付与した
のである。

ここに、言語の4要素(話す・聞く・読む・書く)の最低の「必要条件)
の雛型(ひながた)を得たことになる。

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爾来1千年以上「万葉仮名・ひらかな・カタカナ・漢字語」などを発明
しながら、緩やかに「読み言葉・書き言葉」を発展させ独自の文化を
育んできたのがこの国なのだ。

江戸時代、中期前に「元禄文化」、後期には「化政文化・文化文政期」の「2大
町人文化」が、この日本語を基に(もと)、花開いた。

なお誇らしいのは、欧米・中国に置いて「読み・書き」を必要としたのは、
主に「高位・官職・文化人」のエリートたちであり、庶民の多くは文盲で
あったとされる。
 
●徳川期の日本文化と日本語の進化

徳川期の身分制度は実質的な身分制度ではなく、単に職能区分に近いもので
あったとする説もある。
士農工商」で、ある意味、一番恩恵を受けたのは、真逆の「商工農士」の
順であった、する見方もある。

江戸元禄文化以降の学びの場は多様で、
藩校・郷校・私塾・寺子屋・サロン(同好の集まり)・などがあった。
江戸・大坂・京都 などの都市部では70%を超える識字率であった、とする
学者もいる。

だからこそ、瓦版(今で言う、新聞や号外)の発行、と言うビジネスも成立
したのだろう。
その読者の多くは、物見高い市井(しせい)の人達であった。

藩校などは、藩士の子弟のみが入学を許され、江戸時代後期は別として、
カリキュラムは、四書五経漢籍の読み書きや暗唱・暗記が中心であった。

一方、藩校・郷校、以外の教育施設は「士分」とは関係なく、親たち、本人の
才能・情熱・趣味と多少の金銭があればが叶うものだ。

この辺りからして、欧米や中華圏の事情とは全く違う。

英国の庶民は今日でも、経済・行政の中心である「シティ」のエリート達とは、
明確な差別は無いにしても、「鼻もちならない、目に見えない壁がある」と
何かで読んだこともある。

この国、日本では、日本語は、人の身分を選ばない、むしろ江戸中期以降には、
支配階級であるはずの「武士」が一番、未発達階層であったように思う。

こんなエピソードもある。
どこの藩の殿様か失念したが、参勤交代の帰郷のおり、
自国の近くまでやってきたが、そこで「路銀・旅の為のお金」が果て、家老に
自らの城下の大商人に金の無心を頼む手紙を持たせ、馬を走らせたそうである。
これなど、身分制度が実質的には形骸化していたのかもしれない。

●翻訳は「通史・通訳を職業とする人」ではなく、それぞれ、翻訳本を必要
とする「専門家」が行っていて、漢字を利用した見事な造成語が作られて
いき、蓄積されていった。

例えば、「杉田玄白前野良沢」が著した「解体新書」などがそうだ。

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(上掲のお人は「杉田玄白」さんのイラスト画像)

明治期には約3000人ほどの外国人(主に英語話者の)技術者が教師として
高給で雇われ来日したそうである。
当然、彼ら、それぞれは、幾冊もの自国出版の学術・技術書などを、たずさえ、
持ち込んで
来たはずである。


こうして、新しい言葉は、書物の中だけでなく、「話し言葉」の中に、落とし
込まれ、普通の日本語として、会話される。
この時、当然、この言語の元が「欧米の言語」であったことなど関係はない。

そして翻訳・出版は明治に入り、ますます加速する。


膨大な翻訳本の存在は敢えて庶民それぞれが英語(他言語も)を知らなくても、
日本語書籍(翻訳本)から、外国の優れた文明・文化を日本語で読み、議論し、
やがて、日本語化する。

そのぶん、英語(外国語)の「聞く・話す・読む・書く」の「総合力」と
してのコミュニケーション能力は未発展のまま現在に至ったのかもしれない。

このためか今でもOECD国家群の中で、日本の総合的英語能力は常に最下位
付近にある。

一方、明治期なかばには、西洋言語のあらゆる概念を、日本語で表現する
ことが可能になった、のとはウラハラに。


日本の場合、あらゆる英語情報が膨大な翻訳作業の結果、日本語として表現
されるに、至ったのである。

この作業は今も、モクモクと続いている。

世界にどれだけの種類の言語があるかはしらないが、その自前のネイティブ
言語のみで、欧米社会の持つ、発達した文明・文化の概念を表現できる
国家・民族 は欧米諸国を除くと殆んど
存在しない。

今、英文で書かれた、すごく面白い小説が出版されたとしょう。
数か月後には、日本語に翻訳されたものが、書籍店に並ぶ。
そして「英語・他言語」を全く知らない人達も、これら翻訳本を手に
して読み理解することが可能になり、その恩恵に浴する。

そう、日本人の場合は、世界のあらゆる知識を英語ではなく、日本語で読み、
考えることが可能なのだ。

英語の、科学技術用語から哲学・文学・などの、あらゆる概念に対応する
言葉が、長年の蓄積により日本語には備わっている。


そう、英語で考え、感じる、その作業を日本人は日本語で可能なのだ。

例えば、アジア圏のフィリピンはタガログ語や、島々には多くの現地語が
存在するが、高度な英語言語をそのまま自国語で表現することは難しい。
そもそも訳される言葉が自国語には存在しない場合が多々ある。

化学技術や政治・経済・法律の高度な用語を、ネイティブ語に置き換える
ことが、ほぼ不可能である。
てっとりばやく、英語能力の高い人が、原語で読むだけで、社会的な広がり
を期待することはない。

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従って、自分達がもともと持っていた言語のみを公用語として使用するのが
難しい。
そのため、世界に通用する、英語を公用語としているが、同時に、フ
ィリッピン語として、タガログ語は生活用語としての言葉と同時に公用語
としての地位にも留め置かれている。

タガログ語公用語として存在する理由は「民族としての自尊心と自負
のためだと言われている。

同時に小学低学年からあらゆる科目を英語で履修する。
そのため英語のネイティブ化が国力発揚と国民一人一人の、よりよい生活を
保障する「必要条件」となっている。

ゆえに、英語力(聞く・話す・読む・書くの総合力)は日本人と比較しても、
格段に進歩している。


いっぽう日本人の場合、英語の持つあらゆる概念が、先人の努力により
日本語そのものに備わっている。

彼等(フィリッピン人)の場合、高度な単語(科学用語など)を完全に置換
される自国言語はない。

そのため英語の発音と言葉の概念が、自国言語のタガログ語を経由していないのだ。

日本人は普段の生活言語から、科学・政治・経済・法律・音楽・詩歌など
およそ人間が考えうる全ての文明・文化領域を日本語のみで表現でき、ほぼ
自己完結できる、良し悪しは別にして。

以上、フィリッピンの例を述べてきたが、言語・民族の良し悪しを論じているもの
ではない事は、了解しておいてほしい。

日本人ノーベル賞受賞者も、その殆んどの人は日本語で思考しているのが
普通である。

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単語の一つ一つに英語を使用することはあるだろうが、思考回路は日本語
そのものがインプット・アウトプットされている。

ノーベル賞受賞者の「益川先生」など、この日本語に対する「賛美と感謝」を
受賞公演でも述べておられる。


余談だが、
近頃、oldboy君などの知らないカタカナ用語や日本独特の短縮系の言葉が
たくさんある。
たとえば「アコギ」など、当初「あこぎなまねはするな」の「あこぎ」と
oldboy君、思ったが、どうも違うようだ。
使用する場面から見るに、名詞形である。

分らないままでは悔しいので、検索してみたら、どうも「アコースティック・
ター」のことらしい。
これなど、正しい英語表記を崩した「日本語」と理解するのが正しい。
oldboy君、もし、この言葉「アコギ」を使う場面に遭遇しても、使う
勇気は持ち合わせていない。

そのほか「ブコメ」「ウパトレ」などたくさんあるが、いくら考えても
解らぬ、敢えて調べていない。

マ~、歳を取り、記憶容量が減少傾向にあるoldboy君に負担をかけたくない
ので、近寄らずにおくことにしょう。

断わっておくが、非難しているわけでもないことは了解してほしい。


      それでは、今日はこれまでとする  では では

               続く
                oldboy-elegy

以上ここまでを
 (雑感・雑記帳 No.23・上)として投稿した。

次回は
 (雑感・雑記帳 No.24・下)タイトルは変わらず、
  10月20日ごろ投稿、
結論づける、予定。


       

oldboy-elegy.hateblo.jp