oldboy-elegy (24)懐かしき・俺たちのシネマパラダイス IN 河内・大阪 銀幕の笛吹童子もびっくり・ドンドカドン
じつはこの記事、ブログを
書き始めて4記事目のものである。
自分としてはすこぶる、気に入っている記事でもある。
もともとのタイトルは、
「修羅場と化す正月の映画館・煙幕の向こうの銀幕・笛吹童子もびっくりドンドカドン」となっている。
それをリライト、新記事としてUPしたものだ。
もとより、内容に変更はないが、タイトル・文体・改行など読みやすさを基本に変更している。
初出稿は 2019・04・24 とクレジットされている。
戦後10年前後の小せがれたちの生活の一断面を正月と映画館と言う特別な日と場所で切り取り紹介したものである。
食糧難、闇市、空前の子だくさん等ネガティブ要素テンコモリの世代ではあるが、子供たちはそんな中、いたって元気であった。
それでは究極の下町、「大阪は河内の場末の映画館」のお正月上映に招待しょう、「パチパチパチ・始まりはじまり」
★
5人+1人、これが今日の面子(メンツ)である。
5人はいつもの近所の小学校の連れで+1人は中学校の女生徒
である。
彼女は俺たちより2、3歳年上で一応親たちが認めた保護者兼
監視人の立場である。
大人たちは、晦日(みそか)の除夜の鐘が鳴り終わるまで働きづめで、映画より寝正月の方がありがたいのである。
彼女のことを俺たちは「安田の華ちゃん」または「華ちゃん」と呼ぶ。
時折「おい華!」言うものもいた。
彼女も俺たちのことを口ではののしり叱るが、目は笑っている。
身長は俺たちの誰よりも大きく大人びていた。
輪ゴムで縛っただけの2本おさげの可愛いと言うよりと聡明なしっかりものと言う感じの人であった。
ともかく、喧嘩も辞さぬ構えで先を争い4席確保できたのは上々であった。
それも初めから2階席の最前列が目標であった。
何もハナから映画を見るのが目的ではないのである。
いったい奴らは何をしでかそうとしているのか、場内の雰囲気も大団円を迎えつつあった。
上映前の階下を見ると、どこを見ても子供子供で一杯である。
スクリーンのあるステージの上まで、ここが一等席であるかのように人ヒト、それも子供で埋まっている。
そう広くもない館内は嬌声、怒号の渦のなかにある。
安田の華ちゃんはと言えばこの雰囲気にアンビリーボの表情、この連中のはしゃぎように何か「不吉の前兆」を感じ取っていたのかも知れない。
話をここで数時間前にもどす。
近所に、われわれ御用達のスーパーマーケットがあった。
そう駄菓子屋兼おもちゃ屋である。
もちろんこの時代、今で言うところの「スーパーマーケット」なるものは存在しない。
この店には屋号らしきものがなかった、近所の人たちは「ちゅうこひん」とあだ名していた。
われわれもおっつけ「チューコヒン」と訳も分からず呼んでいたし、これが店の名であると思っていた。
「おい・チューコヒン・いこや」など。因みに「いこや」は「行こうか」の大阪弁。
このチュウコヒンが「中古品」の意味であることを知ったのは、もっと後のことである。
白髪ガチのおばあさんが一人でこの店をきりもっていた。
使用人どころか家族らしき人影もこの店にはなかった。
「べったんチュウコヒン高いわ」べったんはメンコの関西ことば。
しかし、おばあさんがこのことで我々を叱ったり、抗弁したことはなかったように思う。
今思い起こしても、笑った顔は見なかったなあ。
むしろ万引きされないか、気が気で無かったのかもしれない。
間口二間半、奥行き一間弱ていどの店に、半分は駄菓子、半分はやすもののおもちゃが所狭しと並んでいた。
最近、駄菓子人気でテレビでよく紹介されているが、我々の知る駄菓子とはだいぶ様子が違っているようだ。
いまでは駄菓子と言えども、食品安全に即して物作りせねばならないのは当然のことだし、生身の手で食品に触れ、やり取りするなんて考えられない。
すべからくこぎれいで、上品になり「駄菓子」とは呼べないように思うのだがどうだろうか。
紙ニッキ、ベロベロ、酢昆布、みかん水。 紙ニッキなどは今時売ればたちまち保健所がやってきて、販売、生産停止の命令が下され、運が悪ければ店の閉鎖もありうるような代物である。
まずその毒々しい色からして噴飯ものである、真っ赤、緑、黄色、青、紫、どれも塗料の色を思わせる。
たしかにニッキらしい味はするが、あとがいかぬ、紙ニッキをしがみ、ぺっぺとその辺に吐き出す、口内と唇はその塗料のような原色がべっとり、袖で拭おうものならそれも同色に染まってしまう。
おっと、興に入って、いろいろ書いたが、「チュウコヒン」についてはいずれ独立した一遍として書く機会を作ろうと考えている。
今日「チュウコヒン」に来たのは、あるものを買いに来たのである。
食べ物ではない。
もう言ってもいいだろう。
「投げ弾」?「なげだん」である。
見た目は?うん、どう説明しょう、そうだ「ひな祭り」の花あられ、あれにそっくりである。
大きさもまあまあ、近しいし、なによりその色がそっくりである。
ピンク、しろ、薄緑、薄黄色、など5~6色の構成であるのも同じである。
「花あられ」は食い物で、「投げ弾」はちょっとした爆発物である。
少量の火薬を薄い色紙で包み、のりで重量をもたせ固めたもので、強くコンクリートなどの固いものにこれをぶっつけるとその衝撃で爆発し、後に煙と煙硝の匂いが辺りに立ち込めるのである。
花火の一種として販売していたのかもしれない。
しかし少々危険を伴うものであることは言を待たない。
対象物は固ければかたいだけ効果は期待できる。
コンクリート、アスファルト、固い土壁、窓ガラスなどが爆発効果が大きい。
逆に人に向かって投げてもその費用対効果は残念な結果に終わるだろう。
その投げ弾をしこたまかいこんだ。
今日は正月である、懐も少々あったかい。
映画はまもなくはじまる。
「投げ弾」もそれぞれのズボンや上着のポケットに納まっている。
館内照明が消えるのを今は待つのみである。
ここで読者の皆さんに、隠していることがある。
それは、悪ガキ各々が強力なライフルを隠しもっていることである。
「ライフル」?
投げ弾は弾丸で、弾丸を打ち出すのには銃がいるのは道理である。
人の腕力で投げても、いささか子供の力では非力である。
察しの良い読者諸兄はそれがなにであるか分かっておられることと思う。
「パチンコ」あるいは「ゴムパチンコ」、関西だけで通用する言葉かどうか知らない。
パチンコホール、海物語のあのパチンコでは絶対ない。
手頃な枝のY字部分を切り取りVの先に強力なアメゴムを2本
取り付ける。
2本のゴムのあわさったところに皮や帆布などで「玉置」を作り
完成である。
Yの下の縦棒の部分を握り、玉置(たまおき)に弾丸をのせ、
ゴムを精一杯ひっぱる。あとは狙いが定まったところで弾丸を
瞬時に離す。
普段、弾は木の実を使う。
楠の実など、青い頃から濃い紫になるまで半年近く弾丸の役割
をはたす。
熟した濃い紫の実などが衣類にあたると、そこで砕け、染まる。
時間がたつとなかなか取れない。
あとどんぐり、南天の実などなど。
基本、小石を使うことはご法度である。
今日はの弾丸は年に一度の特別使用である。
「ゴムパチンコ」は館内照明が落とされてから取り出すことに
している。
一番年少の勝男など興奮の極にいる。
こいつの渾名が面白い。
「青ばな町、2丁目」
年から年中、2本のアオバナを鼻下にエレベーターのように上下さしている。
安田の華ちゃん、映画を見ることの楽し気な様子ではない、不安気に見える。
一応付添人の立場である、館内の状況を見ればさもありなん。
そのうち館内放送が始まる。
より一層の怒号と歓声で館内放送もなにもあったものではない。
ついに館内の照明が落とされた。
場内は歓声から拍手、拍手の嵐に変わる。
映写室からの光は我々の頭上を越えて銀幕に届く。
誰かがその幕の前に立ち。踊っている、影絵のさまが面白いのかすぐに2~3人の子供が参加。
観客から「じゃまやどけー」「おんどれひっちんどー」お前殴ったろかの河内弁、もうおさまりがつかない。
大阪は河内の場末のえいがかん、見ようによっては、あのイタリア映画、「ニューシネマパラダイス」の一場面を彷彿させる。
ごめん、今言った言葉撤回さしていただきます。
あの名作を、お前は諫めるのかと、非難されても「ご無理ごもっとも」とお答えするしかありません。
あの映画の芸術性、人心に永遠に残る普遍性など、すべてを削り取ったのが、お前の駄文であると、夢と思い出を壊してゴメンなさい。
近所の仏壇やとか家具や、老舗の和菓子屋などの広告もおわりいよいよ本編である。
「あんたら何もってんの?」と隠しもってきたゴムパチンコをみて華ちゃんが言った。
これが合図だったかも知れない。
年長の吉雄が今やとばかりに一発発射、見事にステージの床で
はじける。
「ひやー」とも「ギャー」ともつかない悲鳴があがる。
あとは連射に次ぐ連射。
真下の通路や天井にも。
どうもこの悪辣行為、俺たちだけでないようだ。
2階席の右端の袖口から射かけているやつらもいる。
始まったばかりの笛吹童子、煙幕(爆発による煙)の向こうの銀幕で「ドンドカドン」の状態である。
狭い館内まさに騒乱状態。
おそらく5分も居なかったように思うがどうだろう。
安田の華ちゃん、一番年長の吉雄を捕まえケツ(尻のこと)を
力一杯殴り「警察沙汰になるわよ、みんなパチンコ隠し、すぐでるわよ」と大声。
今日の、責任者で保護者でもある自分の立ち位置に目覚めたのであろう。
ここまで来れば、いかにバカとて、事の重大さに気が付く。
群衆にまぎれ、とにかく脱出、それ以後この話はタブーで重大秘密事項になった。
以後、しばらくは「おまわり」が怖かった。
あれ以来、ゴムパチンコでだれもあそばなくなったし、口にもしなくなった。
すべて華ちゃんの指示である。
この事件のづっと後の事で、oldboy-elegy君が大学生でいたころのことである。
母が「人から聞いた話やけど」とことわり、「安田の華ちゃん、死んだだってよ、朝鮮で」と繕いものをしながら言った。
俺自身、母に背を向けたまま「ふ~ん」と言った切り表情を隠し、動揺していた。
華ちゃん自身は家族5人で、第何次かの帰還船で北朝鮮に帰った、いや渡ったのだ。
ただ1人、日本に残ったのは次男の何某さんだけであったらしい。
お嫁さんが日本人であったそうな。
親父さんを除いて北へ渡るのにみんな消極的であったらしい。
栄光への脱出(エクソダス)にはならなかったようである。
彼女の死は「自殺」であったそうな。
俺自身、このような人生の度し難い理不尽さに遭遇した初めてのことでもあった。
あの、近しい人がこの世にもういない、なにか心の内にポッカリ
と穴が開いた気がした。
了
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