oldboy-elegy (61) 石畳、路地奥「インデラ・コーヒー・カレー店」をとりまく、我が青春
★1 「インデラコーヒ店」の存在はoldboy君的・青春への入り口・であった
もう50年以上も昔の事である。
この喫茶店「インデラ・コーヒ・カレー店」が彼の成人への最初をしるした
場所だと今も思っている。
初めての出入りは高校生の始めころのことである。
季節の休み毎のアルバイト、(氷の卸や、魚屋の手伝い、年末の門松造り)
などで得た、小金(こがね)が軍資金である。
大学時代の塾講師の稼ぎは、もはやアルバイトではなく、交通費・食費・
遊興費など、学費以外を除くすべてを賄うものである。
このルールは、母との約束である。
そうそう、高校の修学旅行の革靴や、薄手のグレーのハーフコートもアルバイト
でのタマモノであった。
こういう時の、購入先のお店は全て、大阪は鶴橋、ガード下の国際
マーケット(戦後闇市)である。
中学からの同級異性の「Tenko・てんこ」とも、この「インデラ」に
時々来ていた。
高校の修学旅行、夜の寒風を避け関西汽船の後ろ甲板デッキで、薄いコート
に一緒にくるまっていたのが(Tenko・てんこ)であった。
その後、卒業すれば、俺は京都の私立大学へ、彼女は弟も含めて家族
ともども河内を去ることになっていた。
彼女の親父(おやじ)さんの転勤が理由である。
その後、その時Tenkoの転居先住所はなぜか、意識的に聞かずのまま、別れ、
今日になる。
この店(インデラ)の存在は母や妹などには話したことはない。
何を期待したのか知らないが、ここからそう遠くない塾などの関係者にも
伏せていた。
自分にとっても何故か、秘密である事が相応しいと思っていたようである。
それも今となれば、楽しかったと言うより、チョッピリ哀しい人生の
忘れ物のような感覚に嵌(はま)る。
大人への入り口の、なにか必要な隠し事でもあるかのように。
今日の記事は、実の妹を除き、二人の女性が登場する。
★★2 Tenko は中学時代からの恋人??ではなく、友人!!そこが二人
してハッキリしない。
一人は先ほどの「Tenko・てんこ」で、言ったように中学時代からの
友人?である。
中学2年時の時に同級になった、彼女は転校生である。
oldboy君のチョット?した悪さで、体育の先生を怒らせ、連続10発ほどの
ゲンコを食らったことがある。
その折、彼女、これを見かねて反射的にハンカチを濡らして頭に当てて
もらったことが、そもそもの馴れ初めであった。
以後、高校も同級で、アルバイト明けには、よく彼女を「インデラ」に誘った。
高校生のころ、中学時代の男子同級生(別の高校)が、俺達の事を見て横恋慕
でもしたのか、下校時、3人に囲まれ殴打され、唇、内側を数針縫う事に
なった。
※この事件も既出で投稿している、リンクしておくので、読んでいただくと
嬉しい。
それでも相手のことは知らぬ存ぜぬで、通した。
Tenko・てんこは、おのずと判っていたようだが、俺はダンマリで終始した。
ましてや絶対にちくっていない。
言ってしまえば、「Tenko・てんこ」との現状の関係が瓦解するのでは、と
思っていたように、思う。
以後、高校を卒業してからこれまで、その便りはもとより、噂一つ聞か
ない。
彼女の親しかった女友達も何人かを俺は知っていたが、そのままで今に
至っている。
★★★3 安田の華ちゃん、彼女の消息は、俺、大学生のころ、彼の国で
「自殺したそうな」と、母から聞かされた、この時ばかりは腹の底か
ら得体の知れない怒りがこみあげてきた事を昨日の様に憶えている。
もう一人の女性と言うのが、すでに亡くなった「安田の華ちゃん」である。
女性と言うのには未だ幼すぎるが、oldboy君、敢えてここで言わさしてもらう。
あの時代、あの時、家族で北朝鮮に第何回目かの帰還船で海を渡ったらしい。
敢えて、この場では「祖国に帰った」とは言いたくない。
自分、oldboy君とは3~4才違いのアネキであった。
彼女、大家族全員のオサンドンは全て受け持っていたと言う。
あとは幾ばくかの駄賃で、自分達、ガキンチョの面倒もみてもらっていた。
これも「北朝鮮は夢の国」と言うマスコミ言質(ゲンチ)に踊らされた
結果だとoldboy君は今は思っている。
俺が大学生のころ、「亡くなった」と母に背中越しに聞かされた、自殺で
あったと言う。
俺が、この世で初めて遭遇した、不条理な現実であったと思う。
「華ちゃん」が「インデラ」と直接にかかわることは無かったが、その
日常のフィールドは共通していた。
★★★★4 この小さな空間に縁を持った人達の人生の「交差点」がこの
「インデラ・コーヒ店」であったのかも知れないと今は思う。
「駄菓子屋」の出入りから、正月の映画館のお目付け役まで、近所の衆も、
彼女の聡明さに、俺たちを預けた格好である。
この辺り、幼少の頃からの遊び場で、人通りが多い商店街を避け
この「インデラ・コーヒ店」のある裏路地を遊び場としていた。
コーヒ店のすぐ先は真宗系の大寺で、その大きな石の階段は我らの
べッタン(メンコ)の主戦場であった。
「安田の華ちゃん」もニコニコ顔で俺らが脇に立っていた。
★★★★★5 そして数十年後、妹とこの辺りを歩いてみた。
何十年も後に、この商店街を妹と落ち合い「インデラ・コーヒー店」
のあった方角へ歩いたことがある、oldboy-elegy君のリクエストである。
因みに、妹は他県に嫁いでいる。
駅からここまでの商店街、子供はおろか、人の行き来そのものがほとんどない。
「兄ちゃん、この通りさびれたな~」と妹。
ときおり、商店の店頭脇に「お逮夜市・おたいやいち」と染められたのぼり
旗を見るが、余計に侘(わび)しく、ウラビレた感覚に陥る、子供の頃の
あのキラキラした陽光は今はもうない。
あの人達は今はどこに消え去ったのか、寂しく、不思議な気持ちに
陥る。
そう自分達、子供の頃、我ら餓鬼どもの、お目付け役であった、あの
しっかりものの「安田の華ちゃん」のこと、そして「うすいハーフコート
に
一緒にくるまった「Tenkoてんこ」の事を思い出す。
上掲のイラスト画 今は亡き「安田の華ちゃん」のイメージである。
おさげをリボンで止めているが、実際には輪ゴムであったはず。
商店街を「インデラ・コーヒー・カレー店」があった方角に歩く、やがて
神社の石造の大鳥居が見えてくる。
もうこれ以上「歩・ほ」が進まぬ。
oldboy-elegy君、この閑散たる通りの佇まいを見て、「いまさらながら]の
気持ちが胸をつく。
今ここで「インデラ・コーヒー・カレー店」の残滓を目にしても決して
心地の良いものではないことは想像に難くない。
oldboy-elegy君のelegy(エレジー・哀しさ)のまま、そっとしておくのが
最良であるのかも知れない。
「〇子、もういいわ駅に戻ろ」と兄は妹を促した。
走り去った子供たちの「歓声」は今はもう聞こえない。
高校時代、アルバイト代が入ったおり、Tenko(同級生の女性)を誘い
「インデラ・コーヒー・カレー店」に来ていた。
そして今、「安田の華ちゃん」も神社の大鳥居の脇で、われらガキンチョ
に交じり、彼等の肩に手を置き、俺達兄妹を見やり、ニッコリと見送って
くれているようにも感じた。
それで充分であった。
瞼が熱くなり、「みんなさよなら、な」とつぶやいたのは妹は知らない。
もう一度、その場を見やるが、Tenko(てんこ)、華ちゃんは、もとより、
ガキンチョの姿はもうそこにはない。
「おとなは、だれも、はじめは子供だった、しかし、そのことを忘れずにいる
おとなは、そんなにいない」
了
oldboy-elegy
正月の映画館、お目付け役は「安田の華ちゃん」であった
oldboy-elegy.hateblo.j
Tenko・テンコとの関係を中心に記事化した過去記事である
「インデラ・コーヒ店」「チュウコヒンなる駄菓子屋」も言わば同じ町内、
oldboy-elegy君、随分とお世話になった。