oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No.56 ) ある阿呆(oldboy君)の・進歩のないヒトクチ話を数個どうぞ

はじめに

oldboy-elegy君、メモ取りを習慣にしていることは以前から公言している。
メモと言っても、パソコンの機能を利用して、電子的に保管しているもの
ではない。

紙のメモ帳にボールペン片手の、あのメモである。

もともとはHBの鉛筆を使用していたのだが、目の退化とともに字のカスレ
も加わり、古いメモなど読みづらくなって来た。
そのため、現在、筆記用具は鉛筆ではなく、正確には太字ボールペンを使用
している。


そこで、それらの中から、「ヒトクチ話」として拾い、記事として投稿
することもある。


それでは、まず今日の第一話である。


★1  第一話 ある重量揚げ選手の持ち上げる力の限界とは



最高の気密が保たれ、空気の流れは「ソヨ」ともしない部屋を想定する。

彼はこれまでの自身の新記録、Xキログラムをまさに達成しょうとしていた。

バーベルの重量はもちろん彼にとって限界のはず。

そこに何故か、痩せこけたトンボが一匹が舞ってくる。
今まさに、自己最高の重量を達成しょうとしていたその瞬間、バーベル
にトンボがとまり羽根を休めた。

この彼、トンボを乗せたまま、新記録を達成するのか、あるいは、
僅かな
トンボの「プラスされた重量に負け」、限界を超えた瞬間、
バーベルを床に落とし
新記録は不成立になったのか?どうだろう。


oldboy-elegy君、何故か、こんなバカバカしい考えを過去にしたらしい。
どのような経緯でこのメモを残したのかは不明である。
答えはもちろん、書かれていない。

なぜかある種のシュールさを感じて記事にした。
もちろんトンボでなく、蚊でも一寸した埃でも論理は同じ。
人の意思と現実とはどう繋がっているのか見てみたいものである。

※シュール 現実的ではあるが、なにか不条理な事?

アホoldboy君、ある日の命題である。

あまりのバカ話、以下読むエネルギーがもったいないと思った方は、
即退出を
お勧めする。

なにを思ったのか、メモはこれだけで終わっている。

「読者諸君」にももちろんoldboy君にも、なにか意味があったのかは
不明である。

つぎのおはなし
   
★★2 日本女子サッカーがネアンデルター人をやっつけた、なにこれ!

※英・ Neanderthal(s)、ネアンデルタール人とは旧人に属する化石人類のこと。
1856年、ドイツのネアンデルタール石灰岩
洞穴で発見、脳容量は現代人と変わらず、死者の埋葬を行うなど精神的発達が見られる。

上掲イラスト画で言えば、五人の内、さしあたり、まえから二人目の
お人としょう。


いささか古い記事であいすまぬ。
oldboy君、この手の話に目がない。

普段から自分も相当の慌て者(あわてもの)を自負している。

亡き母から「もっと落ち着きなさい!!」とよく注意されたものだ。
小学校時、算数の足し算、引き算の試験、全問正解が100点満点の
小試験で獲得点数45点とかのものがあった。


縦書きの計算で、よく見ると、用紙上下、半分ずつに足し算、引き算が分かれ
ている。
これを全て、足し算として計算したらしい。

oldboy君が思うにこの出題形式は間違いとは言わぬが、親切心が足りないと

思う。
せめて、その大問間に、境界線なり文字を入れて欲しかった。

それにしても合計45点とはこれいかに?
足し算の中に、間違いが1題あったことになる。
結果、あほーカラスが一羽、アホーアホーとoldboy君の頭上で鳴いていた。


話を本筋に戻す。

この記事は「国名のオランダとネアンデルタール人の英語の表記」がやや
近しい事
から生じた、おもしろ話である。

西暦2015年6月、女子ワールドカップ・カナダ大会がバンクーバーで開催
されたことがあったらしい、いやあった。

これもメモ取りの成果?の賜物である。

oldboy君、言われてみれば、なんとなく記憶にある。

日本(なでしこ)がオランダに2-1で勝ち、試合後、観客席に向かって
おじぎをする、いつもの場面が放映されていた。

テレビ画面の外信用テロップ画面に Japan-Netherlandsの文字を、
見るとはなしに
見ていた英語話者の西洋人の「名無しの権兵衛さん」、
「エェッ!!、日本が「Neanderthals・ネアンデルタール人」をやっつけた
と勘違い、自分の情けなさと勘違いの面白さに、気が付き、投稿したものら
しい。

「なにお!!、日本人がネアンデルタール人をやっつけたと、どう言う
こっちゃ?」

もう一度、英名で、
オランダは                   Netherlands 
ネアンデルタール人は Neanderthals となる

なるほどちょっと見には、同じように見える、きっとこの方も母親から
「ちった、落ち着きなさい」としかられていた身かもしれない。


★★★3 oldboy君、この手の話が大好きである、今日は(アホクサとバカ)


標準語
と言うのか、通じる言葉に「馬鹿・バカ」があるが、大阪、河内弁
には「あほくさ・あほんだら」などがある、だがニュアンスが大部に違う。
電子辞書には、アホクサとは「やっていることが無意味であったり、
見た目
に恥ずかしく、一般的に価値が認められない行い」とある。

これでは決して「あほくさ」ではない、これなら、そこはかと醸す
ユーモラスな要素も失せ「たんに馬鹿」そのものになってしまう。

ひどい、訳知(わけし)り顔の「学者」と称するオッサンのやっつけ
仕事であろう。

この言葉ほど、関西・関東圏での使用内容に誤解を与えているものは
ない
とoldboy君、昔から思っている。
おっと失礼、俺も、充分にオッサンであった事、忘れておった。

上記のあほくさ、等の説明は全て否定的要素に説明されているが、
大阪は河内人が感じる、そこはかと醸す、関西的ユーモアのセンスが
これでは
まったく感じず、違った言葉になれ果てている。

言って見れば、日本の東西文化を分かつ、大地溝帯「ホッサマグナ」と
oldboy 君は思っている。

                     了
                                oldboy-elegy

 

※ oldboy君、今日の記事と同類の過去記事を貼っておく、安穏と癒しを
求められる人はどうぞ

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(雑感・雑記帳 No.55 ) イラスト画像・「いらすとや」さんに感謝、おかげでブログ発足以来、3年を越せました!!

今日のお話
当方、筆力に欠け、その折の意思や情景が読者様にうまく伝わらないと
思う事が
多々ある。
これを補って余りあるのが「いらすとや」さんのイラスト画像である、と
思っている。

そんなことから、感謝の思いで今日の記事を書かせていただいた。


★1  いつもお世話になっております「いらすとや」さん・に感謝


「いらすとや」さんの魅力
僕が思う「いらすとや」さんの一番すごいところ、それは言葉では表現
しにくいことなどの人間の心理、心象を表現したイラスト画が多いこと
だと思って
いる。

以下の例でもって説明してみる。

oldboy君、「いらすとや」さんに、以前から、この上に掲げた画像が
ある事は知っていた。

この時の事を思い出し以下に綴ってみる。

例えば、人の脇をすり抜ける時に、日本人が良く使う動作、「手刀・
てがたな」
を想定。
当初、こんな抽象的で曖昧なものなんかストックされてはいない、と
諦めムードで
検索に挑戦を試みたことがある。

記事はその時の経緯を伝えたものである。

もともと期待したイラスト画は、「行く手を塞ぐような位置で数人
が談笑中の
脇を、手刀を切ってその脇をoldboy君がすり抜ける」と
言うものだった。

こんな複雑な状況のイラスト画、あるわけないだろうと普通に思うの

だが、それが備わっているのが「いらすとや」さんなのである。


この時oldboy君が検索に使った言葉・語彙はおよそ次のようなもので
ある。

検索用の窓は「日本語」と「英語」が用意されているがoldboy君
もちろん
日本語を選択している。

1)まず、ズバリ「手刀をきる」と入力した。
結果)アウト

2)「人前を通る仕草」 と入力
結果)アウト

3)「横を通る」 と入力
結果)これもアウト

4)「横を通る仕草」 と入力
結果)残念

5)ここまで来て、半分あきらめかけた自分がいたが、残るは「力わざ」
でと、
舵を切る。

「いらすとや」さん、の検索、今実行している「総合検索欄」以外に
「学校・生活・
病院・・」など、人間が存在する限り必要と考えられる
小分類の項目(カテゴリー)が多数用意されている。

ここに「ポーズ」なる項目があった。

oldboy君が期待する「手刀切る」、もしあるなら、この「ポーズ」の
分類に入るはずと、どうせ暇なお人の
oldboy君、最初から順番に見る
ことにする。

熱いコーヒに入れ直し、それを肴に、どんどんめくっていく。

数分後「あったー!!!これだ!」
画像の説明文は「いろいろな横から失礼する人のイラスト」となって
いた。
「手刀」の言葉は無いが、まさしくこの「上掲の動作」である。

「バンザイ、バンザイ」これにて報われた感100%の気分であった。
検索用語が難しいので、もし忘れた場合困るので、そのままエクスプ
ローラーに2枚保存した。
今日使用したものはその時のものである。
ひの目を見たと言うべきかも知れない。


この検索語でのイラスト画は、いろんな性別・年代で8種類もある。

その後、総合検索欄でいろいろ試してみたら「横から失礼」の言葉で、
ヒットする
ことが分かった。

パソコンスキル、ド素人のoldboy君でこれ、皆さんなら、もっともっと
スピーディーに希望のイラスト画像に到達可能だと思う。


★★2 今日のこの画像「横から失礼」を見てoldboy君、以下のインス
ピレーションを得た


僕は日本人であり、それもお古いほうの人でもある。
そこで、手刀を切りながら「横から失礼」する姿を、時系列に沿った形で

記述してみた。
これも、「いらすとや」さんのイラストあってこその表現であり、
作業だと思う。


・路を塞ぐ格好になっている会話中の人達の側(そば)までくる。
・oldboy君の表情、目線は柔和で、怒りの表情はご法度である。
・いままで、直立の姿勢の歩行がやや前屈みになる。
・彼等・彼女達の目前にくると、自分の片手をユックリと揚げる。
・手の平は相手が見える程度に広げ、自分の面前で指を開き気味にして
 何も危険なものは持っていませんよと軽く左右にふる。
・そして腰はやや沈める。
・相手に、すり抜けざまに、「ゴメンナサイね」と小声で言えば尚よし
・そして相手の脇を擦り貫ける。

ここで何が凄いのか、と言えば、一枚の「イラスト画」が、上記の文意を
包含し代弁してくれる事である。


これら抽象的で心理的動作を表現したイラスト画が多くあることに驚く。


★★★3 次の画像も、もちろん「いらすとや」さんのものである。


上掲のイラスト画像は「oldboy君の手を引き、大阪にいる父のもとに
押し
かけた時の親子」のイラストである。
過去に記事中で実際に使用したものである。


イラストは、文字を連ねるより、雄弁になり、訴求力が強くなる場合
が多々ある。

画像を見ると、母の「必死」さがoldboy君には読み取れる。
文章ではなまはかな表現力では難しい。


★★★★4   お終いにひとこと

あ~そうそう、最近では日本在住の外国人で、この我らが独特の
平和的仕草を理解していただいている方たちも結構おられるとの
こと、oldboy君は結構な事だと思っている。
外国の地ではチョットと思うが、日本国内でやる分、なにも卑下
するものでもない。

おしまいに「ありがとう、いらすとや さん」と、感謝し記事を閉じる
ことにする


                 了

                              oldboy-elegy


上掲イラスト画を、過去ブログで使用した時の投稿記事である。

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(雑感・雑記帳 No.54) アレレ? 僕(ご老体)に相談なく、いつのまに世間は「副作用」から「副反応」に変わったのか?

 

★1 今日の記事、新型コロナウイルスを「斜め上から」いや「斜め下から」
見た、oldboy-elegy君的愚痴(ぐち)」である。

このところ、の読者諸氏の記事、
新型コロナウイルス対応の3回目のワクチン接種状況とそれによる体調の
変化」
などの報告が、挨拶代わりに使われていることが結構多い。


そもそも3回目の接種基準が、始めに「医療関係従事者」次に「65才以上
老齢者」「最後に若者を含む自由接種希望者」となっているらしい。

oldboy-eleg君そのものがご老体で、そんな彼のブログ記事に「読者登録」
して
くださる方のお歳も、自然・それなりだ・と予想する自分がいる。
(失礼!)


「それでは俺もコロナ関係記事」をと、考え込むが、特段、記事にするような
事は思い浮かばない。

医科学的要素が必要なブログ記事は一行も書けないし、論評するのも適切では
ない
と思っている。

ただ、僕のブログ、2019年の4月が初投稿で、「新型コロナ禍」が世界中に
その悪名を「COVID-19」としてパンデミック
するのが、同じ2019年の遅く
のことであった。
パンデミック化(同時多発的に世界に広がる)

「COVID-19」の「-19」とは「2019年」を表わしている。

ある意味、oldboy君のブログは「コロナ禍・COVID-19」と同時並行的に
歳を
重ねたと言えなくもない。

とくだん、仲が良かったワケでもない。



★★2 oldboy君、3度目のコロナワクチン解禁日すぐに接種、それも偶然に!

そんな折、いつもお世話になっている、外科・整形のお医者さんに、「処方薬」
補充のため、出かける。

何度も記事化しているが、頭脳ではなく、「腰痛」のためである。

頭脳に関しては「それは不治のもので、諦(あきらめて)くれと
言われている」

これは冗談!!





病院で「oldboyさん、今コロナ3回目の
接種案内、持ったはる!!」問われる













さて受付で、今日の来院の目的を告げ、合わせてコロナワクチン3回目の接種日

の予約をと思い立ち、話を聞くと、今日の予定者の内、一人がキャンセルとの
こと。

「oldboyさん、3回めの接種案内状、今、持ったはる?」と
と聞かれるまま、ショルダーバックから書類を取り出すと、

「ア~、これこれ」とお喜びのご様子。

僕は、その日、なんの心の準備のないまま、3回目のコロナウイルス
ワクチンを
接種することに相成った。
まったくの偶然である。
よかったのか、悪かったのか、微妙な心境である。


物品の押し売りは聞くが、ワクチンの押し売りは初めてのこと、「イヤー、
冗談ジョウダン」。
結果ワクチン接種のためだけで、来院する必要もなくなり、「
喜んで
お願いします」と答えている。

狭い接種専門ブースに入れられ、接種後すぐ目前のアクリル仕切板に、
タイマーをセット、
時間はインスタントラーメン、五杯分、待機時間は
15分とのこと。

このラーメン5杯分の調理時間がとくに危険時間らしい

因みに、国内接種可能な三種のワクチンのうち、三回とも、oldboy君
すべて
ファイザー製であった。

良し悪しは分からぬが、異種が混ざるより気分としてはいささか良い。


★★★3 ここからが、oldboy君の、オールドボーイ君的メイン話である

今日のお言葉「副反応」と「副作用」に就いての、ささやかな疑問である。

目的は読者諸氏も含めて「??!??」感を持ってもらうこと。

僕が、いくら正面から「COVID-19」を論じようと、そうそう意味はない。
医療従事者でもないし、ましてや医者でもない。

ただし文系には文系の目線がある。

ついさきごろ、oldboy君、唯一「新型コロナ」と結び付けたブログ記事を
(2022・03・22)
投稿している。

ただこれも「コロナ感染症」そのものを主題においたものではない。
観光業からみたインバンド・ジャパン(日本観光の為の入国外国人)が
この年
(2019年)初めて3000万人を超えたことと、関連付けたもので
あった。


「コロナ感染症」が「パンデミック化」し始めた2019年も末ごろになり、
盛んにこの感染症の対策とワクチンなどが大きな問題となってくる。

時を同じくして「副反応」なる言葉が使われ流布されるようになってきた、

そこにマスコミはもとより、医療関係従事者、我々ブログ仲間とのやり
取り、
全て、この言葉「副反応」一択となり、何故か「副作用」なる言葉
は消えていく。

oldboy君、最近になり何故か?「副反応」とスムースに口から出ず、
ついつい長年付き合った、「副作用」なる言葉が優先する。

ひどい時には、両方の言葉そのものを失念、そのためメモ帳を繰る
ハメになる。
情けないこと、この上ない。

歳からくるものか、どうも新語のインプットが旨くできない状態に
なりがち
だ。


そう、すべからく「副反応」で語られているようで、まるで世間から
「副作用」言葉が消えた感がある。


今回「新型コロナ・ワクチン」の人体に不都合な反応は、すべて「副反応」
文言にすべし等のオフレが、「お上・医療関係・マスコミ」などから出て
いるのか。

もしそれなら、お上に弱いoldboy君のこと、「ヘヘーィ」と了解するのだが。

つまり今日の記事の命題は、なぜoldboy君に世間が「副作用」でなく「副反応」
を強要するのか
を探ったものである。


★★★★4 「副作用」と「副反応」の言葉としての経緯・経年を文系脳で
調べてみた


ここで思い立ったが吉日、いま使用している「副反応」がいつのころ
「出現」
したのか、調べてみることぐらいは、「医科学オンチ」の
oldboy-elegy君にも
許された行為と、自分勝手に決めた。

そう、昔から常用していた「副作用」なる言葉はどこに行ったのかを
さぐるのが、目的だ。

oldboy君、ある時これに気付き、
「ありゃなんじゃこれ、昔から
使っていた「副作用」はどうなったのか、
あるいは「副反応」が正しい言い方
だと、誰かが決め、世間の人もブログ
仲間もこのことを知っていて、
「知らぬはお前さまひとり」状態になっているのかを考えると、「アホウ
カラスが俺の頭上を飛び、アホーアホーと馬鹿にされている様なものである。


そこでアナログ的人種を自認するoldboy君、手持ちの辞書
「広辞林第五版昭和48年版・1973三省堂編」をヨッコラショと取り出す。
この辞書、当時、科学的用語の充実も訴求したとされる、国語辞書で
もある。

 

 





左傾のイラスト画、
oldboy君が1973年(昭和48年版)の
「広辞林」を拡大鏡を使い調べている
の図である。





①「広辞林」を調べた結果   
・「副作用」薬が、治療の目的以外の作用をを起こすこと。またその作用 
 とある

・「ふくはんのう」の字句は、この辞書には存在しなかった。

oldboy君、「しめしめ・してやったり」の心境である。


結論として、この時代、言葉としての「副反応」は存在しなかったと断定しても
良いのかも知れないとoldboy君、「我が意」を強くする。

バンザイ、1973年には「副反応」の字句はナシ、「副作用」は掲載されていた。

②ここであれこれ検索を試みていたが、面白いデータ・バンクを発見、
・その名も「Collaborative Reference Database」で日本語で「レファレンス
共同データーベース」とある。
国会図書館が運営する全国の図書館700館以上で
構成された、団体らしい。

そこから2021年03・08掲載シート、2021・04・更改分から抜粋した。


・ここで公開されているデーターベースの中に、今日のテーマに沿う部分を
抜粋、
ただし医学的な内容は極力はぶき、「副作用・副反応」の登場する年次
を拾ってみた。

「副反応なる言葉」が、いかに近年のもので、oldboy君の頭脳もまだ、健在
だと
「小声」でも言えることを証明するのが目的である

③「医学用語辞典」(大森 正英/編集代表 中央法規出版 2006年)
「副作用」掲載アリ、合わせて医学的見地からの説明がある。
・「副反応」2006年でも、この「医学用語辞典には記述がないのである
               上記のデータベース発行公開資料より

④『医学大辞典』(最新医学大辞典編集委員会/編 医歯薬出版 2005年)
・ここには、やっと「副作用」「副反応」の医学用語としての使い分けの
考えが見えてくるのである。     上記同様より

どうも2005年・2006年あたりが、分岐点であるらしい。

結局、おおむね、西暦2000年以降になり、ボツボツ、「副反応」の字句が
登場しくるのが本当のところである。
それも、今日のように、「副作用・副反応」の分化が明瞭に定まっていない

状態で字句が使用されている。 

 ★★★★★5「ワクチン接種にかんして見えてくるものもあるが、
医療従事者
と無関係のoldboy君がとやかく言うことでもない」


ただここ近年に来て「副反応・副作用」それに「有害事象」などの微妙な
言葉の揺れを
是正しょうとする動きあり、まずは、今回の場合の「副反応」
であるような気がする


ともかく、oldboy-elegy君が言う「副作用」も捨てられた言葉でもなさそう。
良かったヨカッタと言うことにしておこう。

「文系脳」のoldboy君、ともかくも、いくらか留飲を下げた気分にはなった

気がする。

ただし、このため、小さな字句を懸命に読んだせいか、目がショボショボする。

これも今日の記事の「副作用」かもしれない。


               でわ でわ 

                          
                                  oldboy-elegy


oldboy君のコロナ感染症に関する他の記事は、唯一これのみである。

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oldboy-elegy (60) セピア色の向こうから聞こえてきた「若者たち」のうた声、そして俳優「山本圭」さんの訃報に遭遇する

 

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★1 聞こえてきた曲は

聞こえてきたのは、ザ・ブロードサイド・フォー が歌う「若者たち」だ。

これを聞いて、目頭が熱くなる人達はほぼそれなりの年齢のはず。
曲・歌唱の良し悪しは、問題ではない。

上掲のモノトーン(白黒)の写真を見て思う事は、まさに当時の日本人の平均的
姿かたちがそこにあったと言うこである。
5人兄妹、グルッと見渡しても、今流の美女・美男がいるわけでもない。
失礼だが「山本圭」さんの身長も、発表では166~167cm)と記録されている。

なにも姿かたちだけではない、社会、時代も併せて活写され、合わせて自分もそこ
にいた気分であった。


★★2 気に入っていた男優さんの訃報が入る

oldboy-elegy君にとり、セピア色の彼方の中の男優さんがまた一人亡くなった。

その方、僕より少々先輩だが、同時代の中で生きたもの同士として、何故か強い
印象と
親近感を抱いた俳優さんの一人でもあった。

おそらくこの感情の大部分はテレビドラマ「若者たち・1966年」から来るものである

と思う。
※セピア色 モノクロ写真や遠い過去の暗褐色の情景、そして意識までも含めて
言う。                                                                       
by oldboy的に

その人とは「山本圭」さんである。

3月31日のことで、翌月4月25日、所属事務所から発表、81才であったとのこと。
上掲のモノクロ・リンク画像「若者たち」、向かって左から二人目の方がそう。

画像中、彼のすぐ脇の男優さんも、つい先ごろ亡くなられた田中邦衛さん

2021・03、88才」である。
左端の女優さんは佐藤オリエさん」で今も現役。

俺、どちらか言えば、今流の「美男・美女」さんは苦手である。

ここでの女優さん、「佐藤オリエさん」、失礼だがとりたてての美人でもない、でも
何かしらの「体臭」「人間」「時代」を醸しだす人であった。
oldboy-elegy君的には大好きな女優さんでもある。

★★★3 
テレビドラマ・映画を含めてのリメイク版はoldboy君的にはいらない


「若者たち」は初回(1966年)を含めて5回のリメイクテレビドラマ・映画が
製作された
らしいがoldboy君、初回のテレビドラマしか知らない。

テレビドラマ  ・1966年「若者たち」
映画3部作   ・1968年 「若者たち」
        ・1969年「若者はゆく」
        ・1970年「若者たちの旗」
テレビドラマ  ・2014年「若者たち2014」 主演 妻夫木聡


妻夫木さん主演、主題歌カバー森山直太朗「若者たち2014」になれば、もう「若者たち」

の名を借りた、ぜんぜん別物のドラマとして認識すべきと思う。

何故なら、初回時代設定が戦後20年ころ、あの子だくさんの子供たちが青年期を迎える
ころである。

彼等の親は戦死・原爆・東京始め全国の都市空襲で300万人以上が亡くなっている。

あ~そうそう、彼等5人兄弟の末っ子四男の名が「末吉・すえきち」である。

もう「男の子はいらないよ」と宣言したようなものである。
「3丁目の夕日」の「六子・むつこ」と一脈通じたものを感じる、これも時代である。

oldboy-elegy君のブログの基本命題がこの時代のあれこれである。
このドラマに特別な感慨が湧くのも当然のこと。


つい先日の僕のブログ記事にも、超満員の教室と集団就職のことを面白く、チョッピリ
哀しく
書かせていただいた。

言って見れば、今日の記事も、この延長線上と同根の理(ことわり)が在る。


★★★★4  終章・あちらの世界でも、彼等はきっと映画製作をするのだろう。

たとえば、守山直太朗が歌う「若者たち2014」のキャッチ画像が面白い。
どこかの路地裏を歩き、ボロ長屋の奥から聞こえる50年前の(初回・若者たち)を
彷彿させる会話が聞こえて
くる設定がある。
これで時代の整合性の瑕疵を
一挙に埋めたつもりかもしれないが。
※ 瑕疵(かし)・きず。欠点

このドラマは基本、初回が全てでリメイク版は要らない、と思う。

今ここにきて、oldboy-elegy君、突然に思い出した心象風景がある。

下のイラスト画像をUPして、今日の話は終わりとする。

それは家族4人が囲む「木製の円卓ちゃぶ台」俯瞰の図である。

 

ちゃぶ台を右回りに父、母、妹、そして俺、が座る、あ~、それに妹が拾い
連れ帰った雑種犬の「ホス」も、自身、定位置と決めた、母と妹の間に
座り
餌を待つ、そんな図である。


最後に、もう一度、曲を聴きながら、画像の「山本圭田中邦衛」さんに
サヨナラすることにする。


        でわ でわ それではお休みなさい
 
                              
                         oldboy-elegy

 

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oldboy-elegy (59)  俺・中学校の始め、図工の筆記試験で「大まじめで4本足のニワトリを書き」提出したことがある。マヌケもここまでくれば宝である

f:id:oldboy-elegy:20220402201934j:plain

このイラスト画のニワトリさん何故か足

四本ある。
今日の話もはたまた、なにやら情けない
雰囲気が漂ってきた。







この歳まで生存したのだから、それに見合った
良い話を、と期待されるが、
無いナイ、oldboy君に限ってはあり得ない。
言えることは、こんな緊張感のない、取り留めのないお人でも、反面教師
ぐらいの存在意義は許されると思うが、どうだろう。

oldboy-elegy君、長い学業(小・中・高・大)の間に経験した様々な記憶が
この薄ら寒い頭に結構蓄積されているようだ。
因みに、彼、幼稚園の経験は持っていない。


それらはブログを書くようになってから、記憶の大海に沈殿、埋没していた
断片がポカリポカリと浮き上がってくる事も多々ある。
そんなおり、すかさずメモ取りをするのが、最近の習慣である。

驚いたことに、長い間、言葉にしたこともないお人の名前が、なんの脈絡
もなく、突然口からこぼれ落ちることもある。

そうかと思えば、情景は鮮明に残像として記憶野に有るのに、登場する
人の名が、思い出せない。


「ほれそれ・・アイツ」とゲンコツでoldboy君、自分の頭をこつくが
思い出せない。

そんな時、状況をメモした上で、あとは
意識しないことにしている。
すると、何処かで、「コロン」と口から転がり落ちることもママある。
年寄りの記憶とは、不思議で不可解で不便なシロモノである。



★1 「にわとりは、二本足、それとも4本足!!??」今日の話の主題だ。


今日もまたまた、中学時代、それも入学して、まだ間のない?頃のバカ話
である。

以前、oldboy-elegy (17)で、クラスメイトの守山君の「茫洋感」の様(さま)
を取り上げて記事にしたことがあった。

体育の筆記試験で、彼、答えの「トーナメント」の「メ」が書けず、いくら
書いても「トーナナント」になり、頭が真っ白にすっ飛んだ
ことを記事にした。

今日は、それのoldboy君番である。
人の事を記事に書くなら、自分自身の事も取り上げないのは、片手落ちと
言うものである。

多分、中学一年時の「図画工作」の筆記試験中でのことであったはず。
プリントには、結構大きな白枠があり、その中に「鳥」だか「にわとり」
だかの絵をかきなさい的な問題があった。

はっきり言って、設問が今となっては「トリ」だか「ニワトリ」だったかの
覚えはない。
oldboy-elegy君、とっさに「ニワトリ」を拙い頭にイメージ、書き始める。
何故か、空中を飛ぶ、一般の鳥は浮かばず、ニワトリが全てであった。

ところが、ところがである、いくら書いても、4本脚から脱却できず、
「オカシイ・
オカシイ」と思いつつ、解答は4本足のニワトリを描いて
提出したのである。


それが今日の上掲のニワトリのイラスト画像である。
最初の導入部で間違っていて、最後までそこから抜け出すことが適わ
なかった
ようである。

今こうして考えるに、この出題の意図はどんなところにあったのだろうと
考えてしまう。

もしそれが「知能・観察力」を見るものだったら、どうだろう。
ハイこの子、oldboy君、観察力ゼロ・ましてや(知能IQ低し)
と分類
されたのかも。

ともかく、鳥類には羽根がある。
発生学的には、恐竜で言う前足が進化したものが鳥類らしい・
従って、鳥類の足は二本で、羽が、言わば手にあたる。


oldboy君、観察力は無く、IQも極めて低い存在である事はどうやら
間違いのないこと。
それ故、先生の閻魔帳にはoldboy-elegy=アホと付記
されたはず。

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しかし今は、あながち4本足も間違いではなかったと自負している。

なぜなら、この日本では「ヤタガラスなる3本あしのカラスが大昔から存在
している」とされる。
ただし、生きた3本足のカラスが見つかったとか、捕獲されたとの報告は
残念ながら、まだない。
その名が「八咫烏・やたがらす」と言い神話に登場する、伝説上のカラス
である。

神武天皇が九州・日向から大和に入る道筋を先導したのが、この3本足の
カラスであったとのこと。

この3本足カラスの足、それぞれ名があるらしい。
前足?から「天・地・人」とし、この世を表していて、神々(こうごう)しい

有難い存在となっている。

そんなにありがたい存在の八咫烏(やたがらす)、「日本サッカー協会」の

シンボルでエンブレムにもなっていることは周知のことである。

ただしoldboy-elegy君の「4本足のニワトリ」にはそんな粋な話は
残念ながら
皆無である。


今日の話、答案用紙に4本足のニワトリを書き提出したのは恥ずかしながら
勿論、本当である。

    でわ でわ 今宵も、こんなところで失礼する、おやすみなさい
                 
                
                                      oldboy-elegy
                

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oldboy-elegy (58)  50年以上昔の教室風景と「映画・3丁目の夕日」そして「集団就職列車・さよならテープ」最後に「蛍の光と静寂」これも時代だった

 

 

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今日のこの記事、リライト版で
ある。ブログ初期のもので、思うところあって、新記事として投稿した。







50年以上昔の教室風景を上掲の
イラスト画像から想像して欲しい。
机と机の間隔は無し、ましてや18人分でこれ。
60人を超える大混雑の教室を。


★1  時代と教室の風景と子供達

イラスト画像は、見ての通り、なんの変哲もない教室の画像である。
そのころ、そう今から50年以上昔の教室風景も、見た目は現在とさして
変わらない。

校舎は生徒急増のため、少々ヤスブシンながら新しく建てられたもの。

ただここに生身の生徒を放り込めば、その光景は一変してしまう。

oldboy君、前席女子の木製椅子の背中にある、二つの突起に、濡れた

汚い靴下をかけ(乾かすつもり)、大ひんしゅくをかう、2階から1階に
逃げるも途中の踊り場で
捕まり、軽く腰に乗せられ、木製の壁に叩き
つけられたことがあった。

あほらしくも、侘びしい話である。
今でも、その子の名字は、明瞭に覚えている。

まだ「TENKOてんこ・ガールフレンドの変名」を知る前の小坊主時代の幼い
所業である。

50年以上昔の教室の現実をエレジー(懐かしさとチョットした哀しさ)
をもって
書き綴って行く。

そこに繰り広げられる滑稽にして、同時に少し、もの哀しいドタバタ劇を
見て欲しい。
同年配の方には懐かしく、若い人達には遥か昔の非現実の世界を感じていた
だけたら嬉しい。


★★2 教科「職業」と「英語」の時間関係で、60人越えの超満員クラス

今では国からの指針、指導もあるが、およそ1クラス、40人前後で、田舎や
過疎域に行けばもっともっと少人数のはずである。

それがoldboy-elegy君の時代、1クラス、50人以上は普通。
いわゆる「ベビーブーマー」時代の走りのころである。


英語としての時間は週に4~5時間設定されているのだが、そのうちの
1時間
はクラス人数が60人を超えてしまうほどの過密状態となる。

英語の時間に限って週1回、何故そうなるのか想像できます?
見当のつく方は多分、年配の方だと思うがどうだろう。

この教室のイラスト画像からは想像もできない当時の現実があったのです。
そのキーワードは「就職・職業」と言う言葉。

貧困や、特に女性の教育不要と考える親の無知などで高校への進学が叶わ
ぬ人達が1クラスに7~8人はいたのです。

ましてや国や自治体の無料化や助成がある時代ではない。


それはoldboy-elegy君が住まうこの地域特有の現実でもない。
多少の数字や率の違いはあるとは思うが、おしなべ、国中がこうであった、
これがこの時代である。

★★★3  時代の風景と、そこに住もう人達、映画「3丁目の夕日」から

映画「三丁目の夕日」が(モチーフ)した時代でもある。

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左傾のイラスト、中学を卒業したばかり
の女子
の工員さんである。
oldboy君の会社にも当時4~500人在席、
うち300人
位が西日本各地からの集団就職
列車で来阪した
女工さんであった。








因みにこの映画、「鈴木オートのたった一人の従業員、星野六子(むつこ・

俳優は堀北真希さん)」が青森からの集団就職列車で東京にやって来る」
設定になっている。


ここで感心したのが「六子・むつこ」と言う名前である、実に時代背景を
感じる。

女ばかり6人姉妹もありうることだが、兄弟・姉妹、含めて6番目に誕生と
言う
事だと思う。

この時代、5人、6人の兄弟の数は当たり前とは言えないまでも、そこまで
珍しいことでもなかった。

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左傾イラスト、大家族のタイトル
「いらすとや」さんからお借り
した
もの。




「映画の六子」の家族のイメージは、
ここにさらに4人の子供が加わった
状態で、是こそが当時の「大家族」である。


そしてズバリ六番目に誕生の「六子・むつこ」が名前である。
今では、「子」の文字が付く「女の子」の名前は希なものになっている。
よく「名は体を表す」とか言われるが、この場合、彼女のファミリー状況
から時代までも彷彿させる。

ふつう親も、この事をオモンバカリ、「六」の字を避け、「睦子」とされる
こともあったと聞く。
いずれも、読みは「むつこ」である。



oldboy-elegyくんのブログ記事(雑感・雑記帳 No.11)の人口動態グラフ
の内の「合計特殊出生率」を見ると、最高値は(昭和24年生まれ・1949年)
「4.32」。
それが今では、これが1.35辺りとなっている。
つまり、一組の夫婦がつくる出生人数と考えても良い。

一人の女性が生涯で出産する子供の数の平均の指数である、したがって

「六子・むつこ」ムベなるかなの感がする。


★★★★4 oldboy-elegy君、ヨウヤク社会人になり、幾年も経ないころの
たまたま見かけた風景である。

oldboy君も社会に出たころのことで、九州は宮崎駅で「集団就職専用の列車」
遭遇したことがある。

寝台列車でもない、普通仕立ての4人掛け、今思えば古式蒼然とした車両
である。
客室は対面4人掛け、飴色の木製腰掛けで、背は濃いグリーンの布が張ら

れていた。
車内灯はあるが、本を読むには少々ルクスが足りない。


行き先は20時間以上先の大阪であったと思う。駅のホームは学生服姿、
セーラー服姿の未だ、いたいけな容貌の多くの子供たちと、これを見送る
親や先生など関係者でごった返している。

あちらこちらで人の輪ができ、その雰囲気は嬉しさや、楽しさとは無縁の
ものであった
なみだ涙のお別れである。

同時にoldboy君、自分の会社の工場女子寮の人達のたくましさを思い浮か
べた時「今は不安だろうが、きっとやれる、やれるよ、と心の内で励まし
たくなったのも事実である。

やがて「蛍の光が流れ「さよならテープ」も、ちぎれさり、そしてホームは
もの悲しい静寂にもどる。

因みに、oldboy-elegy君、列車ホームでの「さよならテープ」を見たのは、
この宮崎駅が初体験である。

ひょっとしたら、oldboy君の会社に来る子も居るのでは、一瞬、思ったが、
九州の労務出張所は奄美と聞いた事があり、鹿児島駅はあっても宮崎はない
と思い直した。
 
小学1年生の入学式を、oldboy-elegy君は経験していない。
ましてや幼稚園なるものも知らない。

小学校は2、3か月遅れで母に連れられ直接教室を訪れたのである。
床に白い大きな紙(模造紙)を何枚も床に広げ、子供たちが四方から
寄ってたかってお絵かきの最中であった、勿論、oldboy君もこれに
参加した。

これが彼の小学校の入学式であった。
このことはoldboy-elegy君のブログ(雑感・雑記帳 No.1)母の日、にて
既出である。

いま思えば、教室の後ろで一人佇む母の顔に安堵の表情が見られたかの様に
思うのも不思議な事ではない。


★★★★★5 週に一回、英語のクラス人数は、なんと60人を超えていた。

当時、この中学校での就職組の3年生は、週1回、「職業」なる教科があり、
これを1時間捻出するため、英語を1時間削り、これにあてていたのである。
余分の教室がなかったのである。

つまり、就職クラス(1)・英語クラス(2)の3クラス(3教室)を一編成
として同時間に行われるのである。

これに実人数をはめていけば、50人クラスx3・で総員150人、就職希望者が
クラス8人とするなら8x3・の24人となる。

ゆえに(150人-24人)÷2=63人(英語の1クラス人数)となる。
この日は生徒にとっても地獄である。

休み時間は、机、椅子の大移動で、就職組の教室はガラガラ、反して
英語組の教室は通路も設定できぬほどの超過密状態になる。

ここで、最初の教室のイラストを見てほしい、机と机の間隔が殆んどない
教室風景である。
ここに70人近くの生徒が詰め込まれるのである。

それでも、oldboy-elegy君、不満は特段なかったし、当然の事とし、むしろ
楽しんでいたように思う。

       
             おわりに
今、思い起こせば、何気に、楽し気な気分になるが、遠いとおい昔の
事である。
なにか懐かしく、少し哀しい気分で、思い出すままに記事とした。


              了 
                           oldboy-elegy 

 

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oldboy-elegy (57) 随分、昔のはなし、賭け事(パチンコとマージャン)を思い出し、楽しく記事にした、これもまたエレジー

 

f:id:oldboy-elegy:20220325205322j:plainoldboy-elegy君、これまで、ブログで100
あまりの記事を書いてきた。そんな中
「パチンコ」に関する記事は多分、
皆無のはず。



ただし同じ賭け事でも「マージャン」に関しての記事は幾つかある。

賭け事の「魔性の深奥・しんおう」に取り付かれ深入りしたと言う
勇ましい話
ではない。

ただ、マージャンやパチンコを通じて、半世紀昔の薫風?を今に
送れたなら
の思いで記事にしている。

oldboy-elegy君、基本賭け事には、多分に蛋白で、これで稼いで、
どうしょうか
などの不埒な考えは毛頭ない人であった。

なぜなら「賭け事」には全く向かない性質(たち)であることを自身で
重々承知していたつもりである。



そんな中でも、多少、場数を経験したのが「マージャン」であった。

ここで自身、悟ったことがある。

勝利が目前にあるような展開でも、手にした「配牌・配り手」に絆(ほだ)
され、手作り・役作りにハマリ、最終的に
「勝・カチ」がサヨナラと羽根を
付け何処かに飛んで行ってしまう。
この性格、「賭け事をする者」としては、最悪、最低の資質である。
※ 絆される(ほだされる)心や行動がしばられる。

10回の勝より「1回の大役作り」から抜けられぬ性格である。

つまり「賭け事」と「お遊び」の概念が分離できないお人なのだ。

気が付けば、結果取れるNo.1の座も、何処かに逃げて行く。
目先の一事に懸命になり、全体を見渡す「局面」を「読めない人」である
事を
自身で知っていた。

ここ数年、ブログを投稿するようになり、同時に人様の記事も読むように
なった。


そんな方の中に、「パチンコに嵌(はまり」「その禁断症状」からの脱出の
ための記事を主題に投稿されている方がおられる。

ある意味、oldboy君などより、よっぽど壮絶で迫力を感ずる。

この方より、大部に迫力に欠けるが、oldboy-elegy君の「パチンコ」に関わる、
短い話をしてみる。


★★2     虎丸先生とパチンコそして我らが青春

しょせん、ことは、大昔のことである。
この記事、パチンコと言うより、パチンコを通じて先生と学生の(空間)
雰囲気を楽しんでもらうのが目的である。


oldboy-elegy君が、大学に行こうと決心したころのことである。
とりたてて、大学で「こういう学問をしょう、そして将来は」などの
崇高な目的があった訳でもない。

ただただ4年間の「モラトリアム・社会人になるための猶予期間」が欲しか
った位の勝手な気持ちであり、言って見れば不埒(ふらち)な動機であった。

このような、自分の一身上の重大ごとも、父と膝を突き合わして相談した
ことはなかったと思う。
全て、母との話だけで済ましてきたはず。


なぜなら、貧乏お妾さんでもあった母の言質には、父は全てを了解し、
同時に
実行した人でもあったからである。

その母から父への要求の多くは、oldboy君の存在からのものであった
はず。

ただ一度ならず、母が父に「詰め寄った」ことがある。
父と俺の「姓」が違っていることが、社会的(就職)に不利になるとの思いが
母には
あったのだろう。
そんなおり、「関係ないよ、別に役所や銀行、大会社になど思ってないし」
と、いつも間を取り持っていたのが、oldboy君であった。


当時の、父の趣味と言うのか、遊びは、「ダンスホール・ビリヤード」で
麻か綿かの、白っぽいスーツを着て、夕闇の中に消えて行った後ろ姿を
憶えている。
みようによっては大正期の「モボ・モダンボーイ モガ・モダンガール」
気取り
を彷彿させる、お人であった。

この辺りのことは、oldboy-elegy君の初期のブログ記事でもお話している。



さてoldboy君、大学受験の勉強場所は概ね放課後、高校図書館を利用して
いた。
家でモクモクと一人で勉強するのは、なぜか好きではなかったし、彼には
似合わ
ない。
もちろん、図書館での友人も幾人かいた。


学校は府立高校で夕方には、三々五々、定時制の人達もやってくる。
中には、中学時代の顔見知り数人も在席している。

そこで、食堂も菓子パン・牛乳に限り定時制諸君のために、少々侘びしく
はあるが店開きしている。
残念ながら、人気のカレーライス、この時間にはない。
母から菓子パン・牛乳用の小遣いも恵んでいただいている。


退校時間は特別決めていた訳でもないが、概ね世間が暗くなるころが潮時
としている。

この日は友人二人、俺を含めて三人連れだって帰宅のため校門を出た。
急ぎ足の定時制の人達と対面する形ですれ違う。

暫らく歩くと幅7~8メートルぐらいの、どぶ川とまで言わないが、そんな
流れに沿って、街中に入った。

すぐ右に見えてくるのが、「まつや会館・仮名」である。
いかにも、それっポイ名を使ったが、言わずと知れた「パチンコ屋」である。

店はすでに、満艦飾の灯りがチカチカ、ぴかぴか点滅、客を誘っている。

そこに友人の一人が「アレッ!?」と一声。
「なんや?」と俺達二人。
「今、入って行ったオッサン、あれ虎丸やで」と言う。

電飾の光、あれだけ明るくても、不思議に明暗が際立ち、暗の部分の詳細
がハッキリしない。
この原理は、「ラブホテル・ファッションホテル」も同様である。

虎丸とは渾名で「東京の体育大学」出身の体育専任の教諭である。
お歳はヨウヤク30才を過ぎたころで、独身かどうかも知らぬ。

それに先生、湯桶・タオル持参の完全くつろぎ状態である。


「虎丸の家この辺か?」
「先生、独身か?」
とかしましい。

Yが、「入ってみよか?」と我らを誘う。
先生にたいする普段からの、気安さがさしたものかも知れない。

校章付きの学帽と学生服姿だが、この瞬間には念頭にない。

当時、学帽は学生服を着用するための、必須要件で、これなしの学生服は、雨の
日の雨傘みたいなもので、なければ気になる。
因みに、当時「学ラン」なる言葉も無かったはず。

この店、店構えはそう広くはないが、ウナギの寝床のように奥が深い。
途中、結構な段差がひとつあり、その手前の右側に先生がおられた。

「虎丸先生!」と同じくYが小声で話しかける。
三人が、先生を囲んだ形になる。

先生、目を白黒「なんじゃおまえら!?」と学帽・制服を上から下まで、ねめ
まわす。

明らかに、先生の表情は「困惑」のそのものである。

「今、表で先生を見つけたので、そのまま、後追いでここに」とY。

「バカか、お前らは良くても、俺が・・・」と、どうのこうのと仰っている。

あとは、両掌で、俺達を追い出すように「シーシー」と背中を押し外に。
「もうお前ら、堪忍してくれよ」とばかりの呆れ顔。
それはそうだろう、学帽を被った、学生服姿の学生、それも3人もが
一人の日焼けしたオッサンを囲み、ここ(パチンコ店)にいるだけでも、
禁断の絵になるはず。


★★★3   ここパチンコ屋の風景で思い出したこと

ことはこれだけだが、この時のパチンコ台は、立って打つスタイルのもので、

最初のイラストの矢印の所から、女店員サンが並んだ台の裏に入り大忙しで
あった。
それに、出玉を入れて脇の床に置いた、いわゆるドル箱はなかったはず。


ちょうどこの時代、パチンコ台は「立ち台」から「座り台」への過渡期で
あった
ようだ。

もちろん、ことはこれだけで、なにも問題は起ることもなかった。

すべてのロケーション懐かしい一事でもある。


                     了
               oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 53 )せっかくの流入観光客3000万人超え(インバウンド・ジャパン)とコロナ禍など、徒然ままに、綴ってみた

                始めに
oldboy-elegy君、ブログを始める以前から、鉛筆片手のメモ取りを励行。

絶賛衰退中の我が脳ミソのカンフル剤、気付け薬のつもりで書きと
めて
いる。
現在も進行中の習慣である。

我が記事の約半分程度はこのメモからの頂きもので、タイトルが(雑感・
雑記帳 No)で始まるものが概ね(おおむね)これに
あたる。

残りの半分は、oldboy君が生きて来た時代と現実を下敷きに思いを乗せた
もので、(oldboy-elegy)と銘打って書き上げている。

こちらは、A4罫線なしのノートに構文から書き上げたものが大半。

どうも、最終的には、電子機器には頼りきれないアナログ人間なのは確かな
ようである。

歳はとったが、多分に子供っぽい自分の、elegy(エレジー・人生の哀歌・
挽歌)
を綴ったものの、つもりである。

このうち、今日の記事は(雑感・雑記帳)からだ。
行き当たりばったりのなりゆきまかせの一文、おゆるしを乞う。



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このイラスト、(inbound japanインバウンド・ジャパン訪日観光客)を表したものとして使用している。










★1  訪日観光客3000万人越えと、そこでのコロナ禍

※インバウンド・ジャパンInbound japan)と、「訪日外国人旅行客」の
こと。
これに対し、自国から外国へ出かける旅行をアウトバウンド(Outbound)
または海外旅行という。

コロナウイルスがはびこる、2019年まで、インバウンド(入国外国人観光客)
は激増中であった。

その年、流入外国人観光客は3000万人を超えた、喜ばしいこととoldboy君
は思っている。

特定の会社の物品や機械,特定アニメが良く売れたのとは違い、流入

外国人3000万人分の遊興費から、食費、宿泊費、交通費など旅行客一人
一人の
全ての経費が、滞在中の、この日本で費消されるのである。

そしてその直接の支払い先は、街の旅館、商店街の個人経営のラーメン屋さん
にまでに及ぶ。
お互いに人と人との対面での、濃厚な関係である。


外国人観光客の楽しみは、なにも、買った対物だけにとどまらず、この素朴な
人と人との交流も、ある意味、重要な商品かもしれない。


チョット今日の記事から外れるが、思い出したので・・・
「もう業界から追い出された、ある関西出身のハワイ好きな漫才師が
いた。

観光客として現地に行っても、自分の身の回りには、親分風を吹かし、
日本での日常をそのまま現地に持ち込み、遊興三昧、なにが楽しいの
だろうと、oldboy君は冷ややかに見ていた」・・・・

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左傾のイラスト、キャッシュレス化を
意味している








★★2 キャッシュレス化が、インバウンド(観光業)の発展の必要条件のように吹聴する人達がいるが?!果たしてそうか?

例えば、東京・築地や大阪・大黒町あたりで卵焼き一串購入、支払いは
カード
では気分がそがれ、似合わないと思うがどうだろう。

店の天井からぶら下がる、ザルの銭かごからオツリを渡し「サンキュウ」
と言うべきだろう。
むき出しのキャッシュが目前にある、「ハーイ、バック・マネー・・ね」と
端数のアルミの円玉まで、観光客の手の平に返却するのは当然。
これもまた、入国観光客にとっては嬉しいものになるはず。

またまた思い出したことがある、「お釣り」の扱いについてのサジェストで
ある。

ときおり外国人の不満などのレスポンス(反応)に「小銭の扱いに苦慮
した」と言うものがある。
その外国人さん、お釣りの硬貨が、ポケットにジャラジャラ溜まる事を
おしゃっているのだ。


①町の商店の店頭での取引の場合でも、最小1円までキッチリ精算するのが
日本の社会通念である。

②そして基本、チップ社会ではないこの日本、なれない外国人の場合小銭が
結構たまる、なるほどそうだろう。

oldboy君、韓国のソウル通いをしていた頃は、これをチップに充てていた。

そんなとき
ベッドメイキングのオバサンのため、溜まったウオンのバラ銭を
枕のそばに置き、「チップですよ」とメモを残して仕事に出かけた。
だが日本では、このマインドは通用しない。


かえして日本での観光、慣れない外国人には、この釣り銭問題、小
(こむずか)しく、厄介な事と思う。

解決法はこれではどうだろう
①到着初日、宿泊先のホテルなどで、広口の硬貨専用のがま口を無料または
低価格、説明付きで提供するのはどうだろう。
その時の口上はこうである、
「小銭入れごと、お店の人に任せ、必要分だけ取ってもらったら!!」と。
このこと、きっと評判になり、よい思い出になると思うのだが、どうだろう。


★★★3  この日本、一度でも一世を風靡した「機器文明」は、すぐに
廃るでもなく、規模はともかくに「文化」として
のこる傾向にある。

韓国人や中国人に、非キャッシュレス化をなじられ「後進国」と言われても
通じないものにはそれで良い。

カード決済が「ヘイ卵焼き串一本」では風情(日本的感覚)が削(そ)がれる。


またまた話が少しそれるが、韓国人が日本のFAX文化を小ばかにする場面を
よく見聞き
する。
いまでも、役所の書類のやりとりの主力は、「ハンコ付きの書類のFAX送信」
であることを
後進国」と揶揄、自国を「先進文明国」と自慰し、喜んで
いる場面にときおり遭遇する。


oldboy君、この超スローモーの変化も、良いところで、これも日本の「文化」
だと思っている。

公衆電話・FAX・携帯、ガラケー・磁気テープやCDロム・LPやドーナッツ
レコード・キャッシュ文化・超スローのマイナンバー普及、などこれまで
一世を風靡(ふうび)したものや逆に、おいそれなびかぬこの「がんこ
文化」も
嫌いではない。

一事は世界を席巻した「機器文明の最後に沈む場所」がこの日本である。
これもある意味、日本独特の「文化」と言えぬこともない。

一応、このジャパン、世界に冠たる、IT立国と言うことになっている。
そんなおり来日外国人、自国では見なくなった、公衆電話をみて「ザワザワ
!??」

災害多発のこのジャパン、断線さえなければ、電池と違い災害時の通話は
可能。
それ故、赤字覚悟で最低台数の公衆電話が残っているのを知ることになる。

市場は小さくなっていくが、隙間(すきま)産業として、残り続け、

そんな市場を持たない来日外国人たちの、郷愁を誘う古物市場をも
この国の魅力だと、前々から思っている。

このような日本的マインドは、「文明」から転がり落ちた「日本文化」
特徴かもしれない。

もっと長いスパンで見るなら、神社・仏閣や各地域に残る祭事・故事・習慣
など、
韓国や中国では、合理主義の名のもとに捨て去るべきものであり、
前世紀の遺物
、不合理なものとして排除されるものであると。

それよりもなによりも、むかし、ソウルでそこそこ格式のある、韓式料理屋で
のこと、出て来たお手拭きがロールのままのトイレットペーパーであったこと、
今でも思い出す。
これがいわゆる「韓国式の合理主義」の「顛末」かもしれない。

なるほど、「合理的価値観」としては、これで100%満たしているのかも
しれない。
しかしoldboy君
適には「なにかが違って、欠けている」だろうと大声で
叫びたい。


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これに就いては2017年、世界のFAX普及台数は前年よりやや増加したと言う
調査がある。

それらの国とは一位・米国 二位・日本 三位・ドイツ 四位・フランス
五位・英国 であったらしい。
いわゆる自称、先進国、韓国・中国は入ってない。


このインバウンドの業界、なにも便利なだけが、良い事とは限らない。

おのずとそこには、人と人との交流が生まれ、この時の印象が今回の旅行の
ハイライトとして刻まれることも多々ある。

今回のコロナ禍での残念だったことは、人命は当然のこと、インバウンド
外国人が、都会から、日本全国の町々、村々の津々浦々にまで、日本を求めて
足を伸ばしかけた時期での、この惨禍であったことである。

これほど即効性に富み、多くの人々に恩恵を及ぼす産業としてのインバウンド
効果は唯一である。

★★★★4  最後に・官許カジノの推進とインバウンド・ジャパン

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最近、世間では、この観光事業の一端に「カジノ・官許賭博場」の設置を
推進する運動が声高に叫ばれている。

oldboy君、若かりしころ、韓国ソウルのウオーカーヒルのカジノに何回か
行ったことがある。
もちろん、自前のお金ではなく、スポンサー付きのことである。

ポーカーなどのテーブルゲームの経験はない。
彼にとって、人の間に入り、やりとりするカードゲームはちと荷が重い、

ゆえに主にルーレットで、遊んでいた。

こんなカジノ認可賭博場、この日本に必要かどうかの判断、oldboy君には
分らない。

ただ、わが日本の文化そのものが、世界にあまり類を見ない形で存在し、
それを
土台にユックリとインバウンド化が進むことの方が、よいような
気もするが
どうだろう。

今日の記事、思いつくまま、書いてみた。
これはこれで、oldboy-elegy君的で、良かったと思っている。

        でわ でわ それでは おやすみなさい

                  
                       oldboy-elegy

あるアメリカ人観光客が来日、そこで見たもの、感激したことを、oldboy君
の郷愁から綴った記事。

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oldboy-elegy (56)嘘じゃない、信じてくれ、俺は「人魂・ひとだま」を見たんだよ!?

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その日、古い民家が続く広くはない
夜道を
実家に向って急いでいた。
左傾のイラスト中のクネクネした影はoldboy君である。
その時、彼の目に異様な強い灯りが
飛び込んで来た。
高い切妻屋根の軒下で、


その火球は見る見る
大きくなっていく。
oldboy-elegy君、瞬間、火事かと思い大声で叫びそうになっていた。

だがその火球は大きくなりながら燐家の同じ切り妻屋根の軒下に移り、吸い
込まれるように
その家の内に消えた。
一瞬の出来事であった。

そして彼の心中には「!!??」の残影が焼き付いたまま、今になる。


あとには、火事場の臭気も気配なく、ただ暗闇が辺りを包んでいるのみであった。

文章にすれば、たったこれだけの事である。


★1  彼、基本こんな不条理な出来事とは全く無縁の人であった。

oldboy-elegy君、当時大学2回か3回生のころの話である。
ざっと50年も昔のことで生粋の左翼系学生とまで言わないが、脳内回路は、
赤に白が混じった程度のピンク系、左翼シンパシー(同情
・共感)の人で
あった。


こんな彼、「俺、赤・黄色に光る火の玉、見た」と仲間内にも、家族にも広言
することはなかった。

なぜなら
普段手にする書籍は、近代弁証法の立役者「ヘーゲル」から「マルクス資本論
エンゲルス・空想から科学へ」「レーニン帝国主義論」などで、「唯物弁証法」「史的唯物論」と、かじって来た身で「俺、ユーレイ見た」「火の玉見た」なんて
言えたもんではない。


そうでしょう、唯物論と唯心論の両端の概念について、一人の人間が「俺、
人魂(ひとだま)を
見た」なんてどの面下げて言えますか?

言えば、即、周りの人たちに「oldboy」のヤツ、「トチ狂いよった」と馬鹿
される事、必定で、自分のステイタス(もしあればの話だが)が地におちる
こと、請け合いだ。


以後もこの「人魂」か「火の魂」かは知らないが、このこと、他言した事は
なかった。

しかし、確かに見たと言う事実は、このオツム(頭)にしっかりと焼き付いて
いる。


長年、生きて来て、夢、幻の類(たぐい)はいくつもあったはず。
しかし今もって「あれはなんだったろう」思えるこの種のものは、
コレ
が唯一である・

あれは「一体、何だったのか?」と思う「感覚」は、とうてい「幻視」
などでは済まされない、リアル感が今も残っている。
※幻視(げんし)・実際にはないものが、あるように見えること。


★★2 その日、京都での遅い講義のあと、地元、大阪は河内の実家に向かっていた。


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左傾の画像、謄写版印刷の為の道具
一式である。
原紙をやすり状の板に置き、鉄筆で
ガリガリと蝋を削り、字を書くので
ある。
従って、別名、ガリ版刷りとも言われていた。



この仕事、oldboy君、ホンに不得意で、時間がかかる上に、インクの
ノリが悪く、字もヘタクソとくれば、なにおかいわんや、の状況である。
塾生には気の毒をした思っている。

時おり、この悲劇の先生を見かねて、塾生の女子中学生に恥ずかしながら
助太刀をしてもらうことも度々であった。

もしこの晩、いつも通り塾に行っていたなら、この怪奇現象に遭遇する
ことは
無かったことになる。

それはともかく、その日遅く、母の待つ実家に向かっていた。
大学入学の折、部屋代、食費は免除とのご宣託をいただいている。
ただし「食事のオカズに文句は言うな」が条件であった。

遅くに近鉄電車をおり、まだ明るいが閑散とした商店街を過ぎ、ショート
カットギミの
幾つかの裏路地を抜け、我が家近くの古くからの家並の通り
にでる。


そのいくらか立派?なアスファルト道路の電柱に、時おり銀色のアルミ
の傘に
裸電球の街灯が「ポワー、ポワーッ」と緩く(ゆるく)ついている。


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そこで、出会った不思議な現象が冒頭に書いたそれである。

火事ではない、今度は、その理解不能な現象から「実家に何かが」と気に
なり
早足で、家路を急ぐ。

俺には少々、愛想のない雑種日本犬の「ホス」がユルユルしっぽを振り
出迎えてくれる。
このワン公の出自は、妹が連れ帰った捨て犬である。

追っかけ、「お帰り、ごくろうさん」と玄関右奥の土間で母の明るい
声がした。



                          了
                             oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No.52 )時代と言葉「オワコンとインターネット」「トッチャンボーイとテレビ・ラジオ」そして「ノンポリ学生と政治?」

★1  oldboy的、時代時代のことば まず「オワコン」を捨てて?

 

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もう古い、終わった言葉である

「オワコン」を捨てて、次は?

イラスト by いらすとや 

 



oldboy-elegy君、言葉の流行り、すたりなどを題材にしたブログ記事
幾つか投稿している。


エッチラ・オッチラ、やっとこ100記事を超えたところの弱小ブログで
ある。

なかでも思い出す言葉が「トッチャン・ボーイ」と「オワコン」の2語。

どちらも、ブログ投稿記事として使用済み。

この2記事については、最下記、欄外にリンクを貼っておく。
目を通していただければ嬉しい。



まず「オワコン」である、ある意味、今のインターネット時代を象徴する
用語で、
パソコン・スマートホンを介在に出現、ネットの「申し子」と
言っても良いのかも。

もう一つの「トッチャン・ボーイ」はネットとは関係ない時代のもの。
あえて言うなら「ラジオ・テレビ」時代の、1970~1980ごろに頻出した
用語で
ある。

上記の「オワコン」は今から10年以上前、「ネット用語大賞の上位」にも
入った「時・とき」
言葉ではあったが、最近ではその流行りも衰え、若者
が使うことは殆んどないらしい。


ただ遅れて参入して来た、中年域の若者気どりのおっさん、おばはんが
多用する
言葉に格落ちしているらしい。
その為か、若者の逃げ足も速いとのこと(年金世代に仲間入りした、我が
妹いわく)

要するに、oldboy君、この「オワコン」、自分で使うことはなかった。

「オワコン」の「オワ」は「終わり」を意味することは想像がついた、
ところが
「コン」が「??」判然としない。
グーグルに聞けば瞬間に「コンテンツ」と教えてもらえるはず。
だがoldboy君、それさえも物憂く、ホッタラカシのままであった。


★★2 ネット以前のことばで、ラジオ・テレビ時代の「トッチャンボーイ」
は?


もう一つ、ブログ記事で使用した言葉が「トッチャンボーイ」である。


この言葉、ネットとは関係ない時代の物で1980年前後くらいに登場した
のかな?

ただし、ネット辞書で見れば「とっちゃんぼうや」とひらがなである。

oldboy君、何故か「トッチャン・ボーイ」とカタカナで記憶していた。

「分別もできない、子供のような大人」ぐらいの意味である。

ここまで、二つの世代を反映した言葉として披露してきた。
「オワコン」と「トッチャンボーイ」である。



★★★3
  さあここで終われば、片手落ちのそしりを免れぬ。
では、oldboy君、若かりし時代の言葉はナニ?

きょうの記事を書こうと決めたのは、自身、学生のころの言葉を、読者諸氏
に紹介し、その時代の雰囲気を少しなりとも感じて欲しいとの思いからである。

それでも、10・20・30代の若者には殆んど、なんの感慨も呼び起こすことの

ない言葉と予想する。

多分、50才以上のお人で、60・70才と年齢を増すほどに、遠い記憶の底から
呼び戻す感覚で「あ~ぁ、そうそう」と多少の共感を得るものと信じて書き
進めてみる。

ネット世代、テレビ・ラジオ世代と時代を遡れば、oldboy君の時代、少々
大仰に
言えば 政治的混乱の時代と言えるかも知れない。

高校時代の詰襟服に、ボタン・襟章を付け替え、これを着用して大学に登校
したこともあった。

角帽は買ったが、これを被って通学した記憶はない、そんな時代の「言葉」
である。



★★★★4  今日の主役の言葉は、これノンポリ学生」に決めた。

さてその肝心の言葉である。
いろいろあるが、今日はノンポリ学生」でゆく。

当時の社会的雰囲気を表した文言で、書こうとすれば、いくらでも広がる。
西暦で言えば1970年前後のことで、
戦後、経済発展をなし、

「もう戦後ではない」と言わしめた時代でもある。

ノンポリ  or ノンポリ学生

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上記のタイトルだけで、ある程度、理解し説明できる方の年齢は、多分、
現在65才以上の方たちと推量するがどうだろう?。

ノンポリ」とは英語の「ノン」と「ポリティカル」を合わせた「ノン
ポリティカル」の意で、「政治的ではない・非政治的」とする日本式造語で
ある。

この言葉のお尻に普通、「学生」がクッツキ「ノンポリ学生」として、当時
の社会の雰囲気を醸し出す流行り?言葉となる。

その意はずばり、「政治に無関心な学生」と言う意味。

当時この言葉は「政治に関心のない、あるいは関わらない学生」を揶揄
(やゆ)するもので、由とするものでは無かったはず。

戦後も20年を過ぎ、日本を含む世界の政治的潮流が混沌とした時代である。

・世界的には、「ベトナム
戦争」の泥沼化、1965~1975
・この日本では「1960年の国際共産党組織からの脱退と独自路線・六全協
・同年の社会党浅沼稲次郎委員長、暗殺事件
・1970年の「よど号ハイジャック事件
・1972年、そしてあの「浅間山荘事件」

と悲劇が続く。

oldboy-elegy君、まさにこの時代の学生であった。
学校に行っても、校門は教室から持ち出した、机を積み上げ、ロックアウト
(締め出し)状態で「封鎖]。

ヘルメットを被った学生が、ハンドマイクで「我々は・・・」と「がなって」
いる。
友人に「社学同・学生の政治運動組織のひとつ」に片足突っ込んだ奴がいて、
脱退するのに、大学を半年休学、故郷に隠遁したヤツがいた。
何年か遅れて、無事、卒業したようではある。

oldboy!してお前はどうだったのか?
「俺!!、気持ち的には、シンパシー(同感・同調)を持てたが今は
基本ノンポリ学生で良かった」と自己弁護し、納得している。

下のイラスト画、旅をする「ムーミン谷」の「スナフキン」気どりのoldboy
君である。

(イラスト画は・いらすとや・さんよりのもの)

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★★★★★5 了和のこの時代、俺の時代の意識では、きっと不適格者
として
後ろ指さされる存在であったように思う。

以前のブログにも書いたが、4回生の夏休みに、能登から新潟、佐渡
沼田から尾瀬ヶ原、日光、東京と寝袋担いで貧乏旅行に出かけた。


気持ち的には、人生のモラトリアム(社会人までの最後の心の猶予期間)と
して、もう一年学校に残るつもりもあったが、旅行から帰って来た時には、
このまま卒業、就職すること
を決心していた。

この年(4回学生)、冬休み前に就職も決めた。
こうしてoldboy君の「ノンポリ学生」としての4年間は終焉を迎える
ことになる。

社会に出ても、何一つ得意とするワザも資格もなし、ただそれでも、
なんとか、これまで生きてこれた。
「世の中のヌルさ」が、幸いしたのかもしれない。

ある意味、あの時代は彼向きの、そんな時代であったのかもしれない。

最近、読者諸氏のブログを読む機会が増えた、思う事は「適当に生きる」
と言う「選択肢」が今は消滅した時代のように思う。

ふと今、ここには書けないことを思い出し「めがしら」が熱くなってきた。

どうも、歳を取るにつけ、人間、涙もろくなるようでいかぬ。

      でわ でわ きょうは これまでとする

                              了
                              oldboy-elegy
 


「トッチャン・ボーイ」
を主題に書いた記事のリンクです

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「オワコン」なる言葉を軸に書いたリンク記事

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oldboy-elegy (55) ソウル暮色  4話 ①下級官吏?の横暴 ②闇両替商 ③この部屋を予約する理由 ④視線の先の狂乱あみだくじ

 

      まえがき

今日のこの記事、実はリライトによるものである。

ブログを初めてオヨソ半年ごろの記事。
スターを数えても10個程度、もちろんブックマークはゼロと言う惨状
であった。
そんな中、既読の方に申し訳ないが、全くの「新記事」として、今日、出稿
さしていただく。

内容的には変わりはないが、助詞の「てにをは」や、「段落・句切り」
それと「字数」を極力、減らすのに傾注させていただいた。

ここでは「ソウル暮色」としてoldboy-elegy 君が体験した四つのエピソード
を取り上げている。


★1   第一話 官憲の横暴と露店商人

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下級官吏?が路端で小商いをする老婆の野菜を入れたザルを足蹴にし、
路上にぶちまけた。


夜のとばりが降りたばかりの明洞(ミョンドン)は雑踏の中にある。
この地域は今も昔もソウル、いや韓国で一番の繁華な街だ。

一日を終え、仕事先の社用車でホテル近くまで送ってもらった。
あとは、歩くのが一番である。


 oldboy君、雨でも降らない限り、新世界百貨店(戦前の三越)前
あたりで車を降り、街の喧騒と雰囲気を楽しみながら、ホテルに帰る
のが常であった。

そんな折、あまり見たくもないこんな光景に遭遇したことがある。

白い、いわゆる韓服(チマ・チョゴリ)姿の老婆がデパート前の歩道
の街灯の下で大きな竹ザル2個に青物の野菜を一杯にして小商いをして
いるのに出会った。


oldboy君、この光景を目の端に入れながら通り過ぎようとしたその時で
ある。

制帽である野球帽、ブルーのシャツの両肩に肩章が厳(いか)めしく
乗った屈強な警察官?らしき二人が、あろうことかいきなり老婆の
売り物の野菜が入った大きなざる2個を足蹴にし歩道にぶちまけたので
ある。

oldboy君、一瞬凍り付き、その場に立ちすくむばかりで、何が起こった
のか理解できずにいた。


おばあさん、なにやら大声で叫び、二人の男達に、つかみかかり、食って
かかっている。

日本でもしこんな光景を見たら、おばあさんの身の上が、なにか哀れで、
理不尽な男達に「罵声の一つ」でも浴びせたくなるのが普通の人情であり
感情だろうが、ここはソウルである。

不思議なのが、繁華街を行き交う人々の多くが、全てとは言わないが、
この出来事に比較的無関心なのである。

oldboy君、歩みを止め、この衝撃的な光景に「あんぐり」、だが通行人
にとっては、
「氷ついたかの様に突っ立って、眼前を凝視する」俺の姿の
方が、なにか不自然な存在として見られているように感じた。

それだけ通行人の多くは無関心な様子なのだ。

法を犯した婆さんが悪い、の雰囲気だけが辺りを包んでいるのである。
oldboy君、そのあと、現場からそそくさと離れ、デパート前から横断
歩道を渡り、明洞側からこれを見るとはなしに見ている、まだ気になって
いたのである。

老婆は散乱した野菜をひろい集め、ザル一個を頭に乗せ、もう一個は小脇に
抱え去って行った。

ホテルに帰り、遅くに「帰宅」して来た井野さんにインスタントコーヒー
をいただきながら聞いてみた。

「明洞一帯の露天商の所場代、権利のまた貸し代が高騰してるらしい、
おそらく地域が雇っている、警ら隊の奴らと違うかな?」そいつら。
と井野さん。
「それにしても・・あまりに理不尽な」の苦い思いが胸にのこった。

この日、ベッドの中でも、この老婆の残影が消えないoldboy君がいた。


★★2   第二話 闇の両替商の本業はなに?

宿泊中のホテルを背にして門前の一方通行を右に数丁行けば、「新世界
デパート」に、左にすこし歩けば、ここにも「デパート」がある。
名前は「美渡波」だったか「美登波」だったのかは忘れた。


「新世界デパート」は韓国一の、業容を誇る老舗店(戦前は三越・ソウル店)
であるが、この「美渡波デパート」は似ても似つかぬ「しょぼくれデパート」
である。

いわゆるビル全体が「小店舗テナント貸し」でその業態は、昔、大阪にあった
「千日デパート」のようなものである。

実はこの得たいの知れぬ「デパート」も、あの「井野さん」の紹介で、
訪韓の折、必ず1・2回行くのがoldboy君である。


重々しい両開きのスイングドアーを押し開き、一歩入ると、「高麗人参
を扱う小売店がフロアー全部を占めている。


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もちろん「高麗人参朝鮮人参」を購入するために教えてもらった訳
でもない。

そう「闇の両替」はこれら「高麗人参店」の裏の顔でもある。

井野さん曰く「まあ5万円も両替したら2万ウオンぐらいトクになるんかな、
朴ママ」と女性店主に目配せ、納得させる。

「もし人参のみやげ買うなら、ここで買ったらいいわ、これほど粗悪品
掴まされる品物あらへんからな」と井野さん。

朴ママ、ニコニコ顔で「よろしくね、まかいしといて」となまりの無い
日本語でoldboy君にご挨拶。


いらい両替は、よもやま話を含めてこの高麗人参店でやっている。
そのおり、濃いコーヒーが出てくる。
高麗人参は以来、頼まれ物で何回か日本に持ち帰っている。
ただし母は一度口にしたが、顔をしかめ、後のご要望はなかった。

のちに知った事だが、これらお店の多くは、夜の女性も斡旋しているとの

こと。
なにが本業なのか、訝(いぶか)る、oldboy-elegyがそこにいた。



★★★3 第三話 oldboy君ソウル滞在中、いつもこの部屋を予約する理由

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oldboy君、この日も仕事を終えホテルにご帰還。

カウンターでキーを受け取り、自分の部屋に。

日程が決まれば直ぐに、日本から予約を入れるのだが、それでも時折満室で、
1日だけだが、別のホテルに宿泊することがある。
そんな時の手配は全て定宿にしているこのホテルがやってくれる。

基本的な日用品や、はては電気スタンドまで段ボール1箱にまとめてホテル
カウンター裏の小部屋の一隅に預けて帰国する。

何故か、ホテルの照明、oldboy君にとってはルクス不足に感じてしまうの
だが、
彼だけの感覚なのか、わからない。

予約する部屋は決まっている、4階エレベーターホールを出て右に、長い
廊下の突き当りを鍵型にさらに右に、そして一番奥の右側の部屋がお気に
入りなのである。

それには、oldboy君なりにキチンとした理由が存在するのである。

まず、ベッドの広さがダブルである事、普段、布団で寝ている身にとり、
この贅沢は何にも代えがたい感覚なのである。

次に、突き当りの部屋であるので廊下を行き来する人が、向かいの部屋の
宿泊客以外はいないのが嬉しい。


最後に、この部屋が気に入っているもっと重要な事がoldboy君にはある、
さてそれが何かお分かりかな。

「ホテル火災の恐ろしさ」に関係がある。

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1971年の師走、クリスマスの朝に出火、200人近くの人々が亡くなった。
「大然閣ホテル火災」が起きている、そんなに昔の事ではない、火災現場
もここ明洞(ミョンドン)からそう離れてはいない。


「大然閣ホテル火災」の死者の多さの原因は、22階という、高層造りで、
火の回りが異常に早く人々は火炎に追われ、飛び降りた事とされている。


一方oldboy君の投宿しているホテルの4階の廊下の突き当りには、鉄枠、
両開きのガラス窓が、設えられていた。

鍵もなく開けるのに、何の造作も要らない。

それにつけても火災に関する備えは全くない、外付けの非常階段は勿論、避難
用縄梯子(はしご)は無論、一筋のロープさえ無いのである。

ホテルの名誉のために言っておくが、21世紀の現在の話ではない、40年
以上昔の状況をお話しているのである。


だがこの窓のすぐ下は、アスファルトの地上ではなく、お隣の有名中華
料理店の大屋根なのである。

通常時、この大屋根に飛び降りろと言われれば、運動音痴の彼にはちと
しんどいが、いざとなれば、「やれん事はない」程度の高さなのである。

そう、この事が「この部屋が気に入っている」一番の理由でもある。

「お前、小心者すぎるやろ」と言う人もおられるかも知れないが、何も手間暇
(てまひま)かかるものでも無し、「自分の意識の奥にインプットしておくだけ
のこと」で安心感が違う、「夜は高イビキ」で眠れるということだ。

 
★★★★4  第四話  4階廊下に10人ばかりの男女、わいわいキャーキャー
      と辺りかまわぬ嬌声の中

暮れなずむ夕日の中、oldboy君、やや早めにホテルにご帰還である。
今日、井野さんのお誘いで、「新村・シンチョン」ロータリーの「兄弟
カルビー店」での食事会にご招待。

繊維会社の会長さんである「張・チャン」さんと言う方の招待である。
ビジネスの用向きでなく、「久しぶりに会って、楽しくお話しましょう」、
が主旨とのこと。

当然、oldboy君の同席は了解済みのことである。

井野さん曰く「この張会長はきれもので、出身は北朝鮮の平城(ピョンヤン
近郊の村、特筆されるのは戦前の日本が設立した「平城師範学校卒」との事。


のちにoldboy君、何が気に入られたのか不明だが、ビジネスとは関係なく、
幾度か食事のお誘いを受けている。


早朝、ホテルの部屋の呼び鈴がなり「誰だろう?こんなに早くに」と出て
みると、そこに出勤途中の張さんが立っておられ、「昨日会社でハイキング
に行き、これを買いました」とリンゴ4~5コの入った竹ザルを土産に手渡
されたこともあった。

もう一つ下げておいでになるので、今から上階の井野さんも訪ねられるの
だろう。

oldboy君、張さんに就いては、いずれ一つの記事として書くつもりである。

 

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さて、井野さんとの約束時間まで少しある、ルームキーを受け取り、自室に
手荷物を置きに戻るため、エレベーターで4階に、扉が開くとベルボーイの黄
(ファン)君が仲間のもう一人のクロークとホールの横に置かれている簡易机
の横に立ち、二人して同時にoldboy君みる。


ファン君、困り顔で俺を見て、廊下の奥を目配せし、oldboy君に懇願の様子。
廊下突き当りの角部屋の前で10人ちょいの男女が「ワーワー、キャーキャー」
と大騒動、アルコールも入っているらしい。


その嬌声の中から、日本語が聞こえてくる、男は全て日本人であるらしい。
ファン君「別にいいんですが、もう少し静かに、部屋の中でと、頼んでい
ただけません」と遠慮がちにoldboy君にお願いする、顔には「日本人同士
のよしみで」と、無言のプレッシャー。


僕ちゃん(oldboy君)、急に気弱になる。
不得意な事、数々あれど、根っからの「不戦論者」である彼の一番の不得意
種目である。

君子でもないが「危うきに近寄らず」は彼の主たるモットーの第一
番目をなすものである。


嬌声の中から「アミダで決めよ、それが一番公平やろ」の大声が耳に
はいる。

今晩のお相手を、アミダくじで決めようとの事であるらしい。


どうもこの場(部屋の外)でアミダクジをやるらしい。

ファン君、oldboy君の後ろに回り、押し出そうとする素振りである。

対面(といめん)の迷惑団体が、一層声を張り上げ、掛け声をかけ始めた
のである。

やがて、くじが始まる

 oldboy君、この一層の喧騒と「ホイホイ・・・」の掛け声に押されるかの
様に意を決したのである。

まさか死ぬこともないだろう、それにこれからもこの慣れ親しんだホテルの
スタッフに、あの人、「あかんたれ」」と影で後ろ指を指されるのはもっと
苦痛である、との思いがさせたのかも知れない。


決心すると、逆に義憤が生まれ、即、彼等の方にスタスタと歩みだす。
この行動、自分でも信じられないoldboy君である。

「あんたたち、この廊下は君たちだけのものではないんよ、やめろとは
言わないが、せめて部屋の中で遊んだらどうだ、あそこにいるベルボーイ
達の表情、見て見ろ、あの視線」的なことを、oldbou君、言ったようだ。


すると、男達の中の一人が,顔を斜にしながら、oldboy君にツッカカリ両襟
首を持たれることになったが、何故か怖くはなかった。

これが「肝が座った」状態と言うのだろう。


この時である、この集団の内の年配格の男が「こらxxやめとけ」と襟首
をつかんだ若者をしかりながら「みんなわしの部屋に入れ」と仲間を語気
荒く恫喝したのである。


この日、この後(あと)、張社長さんの待つ「新村カルビー店」へ急ぐ
ことに。


翌日の夜、ルームサービスでコーヒー&ハチミツシロップつきのパンケーキ
が届く、勿論、ただである。

ファン君(ベルボーイ)の精一杯のoldboy君へのお礼の意味である。


                            了
                               oldboy-elegy
           

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oldboy-elegy ( 54 )  ソウル暮色  韓国のパリパリ文化? (それ行け・やれ行け・はやくはやく)・チョット落ち着いたら!!

★1 韓国人の典型的民族特性を、彼等の「パリパリ文化?」に見た。

人は、ある要件の下で集団化すれば、必ず、その塊
(かたまりmass)と
しての特殊な性質・性格が内包されるのは自然の成り行きであると。

仮に、この要件が国・民族・歴史、などを共有した人々を想定した
場合、このmass(かたまり)が創る特別な独特のクセみたいなものが
できる。

多分、それがこの集団の「文化・culture」なのか知れない。
※上記の文化の説明 いつも通りoldboy君の「独断と偏見」による
 もの
であることには変わりがない。

したがって、AとBの集団が表出する「文化」は、優劣を争うものでもない。
これは、oldboy君の「文明・文化」に対する持論でもある。


もう一つ「文化」と対をなす言葉に「文明・civilization」がある。
これは「機械的・科学的」な発達を意味するもので、「物質や経済的発達
指すもの」と解釈してもよい。


したがって「文化」と違い「文明」のこの集団間の発達の差異・高低の
計測は可能である。
最近では、この「文明の発達の差異」が全てで、「文化的それが」無視
される傾向にあるのは、悲しい。

oldboy君、1970年代前後10年以上、彼(か)の国への出張員として出入り
した。
なにも語学がデキタとかの理由で無い事は確かである。
部の末席の彼、上司から見れば、暇そうに見えたのが本当のところだろう。

★★2 「パリパリ文化」ここからはoldboy-elegy君、若かりし頃の話である。

韓国人の種族特性の「文化」、有名なのが「パリパリ文化」である。
「早く早く・それゆけやれゆけ・急げ」などの精神状態と行動を指す言葉
である。


「빨리 빨리・パリパリ」の ハングルを見れば、パrリパrリの間にrの音が
あり、oldboy君には聞こえない、従ってrはサイレントして「パリパリ文化」
と呼ぶことにする。

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※ 上掲のイラスト、ソウルで一番の繁華街・ミョンドンの夜。

★★★3  ここから 第一話 

ミョンドン(韓国イチの繁華街・ミョンドン)を歩いていると
こんなことを
体験した。これも「パリパリ文化」のなせるワザか?


「あ~、やれやれ、今日はこれで終わりッ、パクさん呼んで、食事でも
すっか」とoldboy-elegy君、ホテルに戻るべき繁華街をキョロキョロ
しながらユックリと歩いていた。
彼なりの、至福の時間でもある。

朴(パク)さんとは、ホテル裏の路地でストリート雑貨商を営む韓国人
のこと。
もちろん、イキサツも含めて、ブログ記事、既出の人でもある。

じつは彼、ここoldboy-elegy君の韓国語のお師匠さんをお願いしている。

かれ、朴さん、日本語、それも大阪弁が堪能だ。
この辺の経緯は、過去記事にしたためてある。

時間が合えば、彼の店じまいを手伝うこともある。

弛緩しきったoldboy君、やおらホテルに向かって、人混みの中をホテルに
向っていた。

そんな時
ヒョイと、突然、背後から近づきoldboy君の左肩に無言のまま手を懸けた輩
(やから)がいた。


「誰かな?」と思い、歩行を中止、左に正対して、顔を覗こうとしたが、
その彼、置いた手で、水を掻き込み、泳ぐように、oldboy君の脇をすり抜け、
先を急いでいく。

もちろん、なんの面識もない人である。

「なんじゃ今のは??」と唖然としつつ、その場に佇立し、そして固まった
oldboy君。

そのオッサン、水泳で言う「抜き手を切って水中を泳ぐがごとく」人混みの中を
先に去って行った。
oldboy君「?????」

当然、雑貨商のパクさんにも、この事を話し、尋ねたら、かれ大笑いして
こういった。

「そやろ、僕も何べんか同じ経験したよ、そのクセ、やってる本人も
気が付いていないのよ恐らく、やられたガワも、その行為がいかに特殊で
あり得ないものとは気が付いてないと思うよ!」

パクさん、俺の部屋で、ルームサービスのコーヒを笑いながらすすって
いる。

彼、朴さん、一息入れて、こう言った、
「僕みたいに、日本に長くいた人間が、突然こちら(韓国)にくれば
oldboyさんの様に、おかしな行動と認識できるが、韓国社会だけで生きて
来た
人には認識デキマヘンのと違いまっか」と最後は大阪弁になっている。

あのせっかち歩行、イヤ走法も基本今日のタイトル「パリパリ文化」
基本にあり、そこから派生した、ものの一端と解釈することにした。


★★★★4  ここから 第2話
oldboy君が、頻繁に通っていたころの韓国の「自動車産業」はようやく
その緒に就いたころの話である。

乗用車で言えば、社用・タクシー車の営業車が中心で、個人用のクルマ
の増加はもう少し後のこと。

三菱のクルマをプラットホーム(基礎・基盤・基)に開発されたポニー
がその中心であったようだ。

oldboy君の取引先の零細商社や工場主のクルマもこのポニーが多い。

それに、それらのお抱え運転手の名刺には、誇らしく「運転技士  李・・」
と印字されていたのを思い出す。
「運転手さん」は「特殊技能保持者」として扱われていた。

そう、「運転手」さんではなく「技士」さんである。

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ところがどっこい、これら「運転技士」さんの肩書、実は間違いで本当は
「曲芸師」だと、すぐに知ることになる。


いかに脅威に立ち向かい、果敢にそれをすり抜けるかが「技士たる由縁」
だと知る。

つまるところ「安全運転」の意識が皆無なのだ。
「運転技術」とは「曲芸運転」と同義語と憶えたoldboy君がいる。

oldboy君、確かに「日本国」の免許証を持っているが、彼の「安全運転」の
マインドでは、絶対にここでは「運転技士」として採用されることはない
だろう。

市内中心部の高速道路出口ランプは今日も超満員である。
そのクラクッションの喧騒と車両間隔ゼロの中を、一寸刻みに出口に
向かう。

どうぞお先に、などの考えは微塵もない。
時おり隣のクルマの運転技士さんとの罵り合いも「技士」の「運転技量」の内と
ばかりにやり合うのである。

たまに、これらの会社の営業職の方が、大阪に出張されることもある。
そんな時、少しでもお役にたつようにと、伊丹の空港までoldboy 君、
お出迎えすることもあった。

しかしそれも、数回のみで、悪いが習慣化することにはならなかった。

韓国からのお客を、運転席隣りに座ってもらえば、大変な事になる。
それも親しければ親しいほど、oldboy君に遠慮がなくなる。

読者諸君、なぜにこうなるか、想像できますか?


そう、走行中、となりの客人(韓国人)のうるさい事ウルサイ事。
曰く
・もっと車間距離をツメロ
・ほれ右が空いてるから、そこへ入れ
・前の車が遅いから、クラクッションを鳴らせと手が伸びてくる勢いである。
・なぜこんな細い道に、横断歩道があるのか、と文句タラタラ

 人が変わったように運転手(技士ではない)oldboy君に指図し始める
 始末である。

そんな彼、韓国はもとより日本の運転免許もっているわけでもない。

この習性、あの「パリパリ文化・それ行けやれ行け・早く早く」は、車に
乗った時に、特にヒートアップされる。

こんな時代もあったなあ、とイロイロおもいだすが、
あれから40~50年、韓国も随分発展、殆んどのクルマが個人持ちの乗用車。

時代も変わったな~と思いきや!!!

意外や意外、その基本特性のクルマにおける「パリパリ文化」は今も健在
であるらしい。

韓国人が日本で運転する場合、感じるのが、
「あまりに交通マナーが厳しいので息苦しいですよ」と宣(のたま)う。

「あ~ぁ、恐るべきかなパリパリ文化」お国が裕福になれば、少しは落ち
着くと思った俺がバカだった。

★★★★★5  ここから 第三話

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もう一つ、ソウルでのアパート探しのおり、あるユーチューバ―さんが
経験したのがこれ、
現地の不動産屋さんのクルマに乗せられ物件探し、これは日本でもお馴染み
の風景。

現地物件に着いてビックリ、まだ子供を含めた先住者家族
が居られる中、
部屋に上がり、その人達が居なかったように、セールス
トークを始めた、
とのこと。

なにか、侘びしく、切ない気持ちになるoldboy君がいる。

韓国人の「パリパリ文化」は彼oldboy-elegy君が40~50年昔に感じた
ものから、そうそう変化してしていないように思うがどうだろう。

あ~ぁ「げに恐ろしきは、その種族特性」かな。

・たとえば、映画館でエンドロールまでキチンと見る人は殆んどいな
カップラーメン、3分待てる人は少ない
・信号が変わったとたん、後ろからクラクッション
・エレベーターのボタンの連打
 などなど

社会の仕組みが複雑になればなるほどに、「パリパリ文化」も形を
変えながら多様化しているのかも知れない。

かれら何故にこう急ぐのか、結局「パリパリ文化」の種族性から逃れる
すべは、豊かさとは関係ないのだろうか?

さいごにこの「パリパリ文化」に対応する種族特性言語も周到に用意され
ている。

それが「ケンチャナヨ文化」である。
「大丈夫、だいじょうぶ、なんとかなるよ」ぐらいの意味で、「パリパリ」
と併せて、「パリパリ・・ケンチャナヨ」と一対なることが多い。

最後に、では日本人の、それはと言われたら?なんだろう。

「せっかく堅牢な石橋があるのに、ハンマーで叩き壊し、渡らない日本人」
つまり
「心配性」で「決断が遅い」とは聞いたことがある。

「パリパリ」と「心配性」の溝は深まっているのかも。


★★★★★★6  ひとこと

互いに、優しさを共有できる人達を是とする文化を持った国であって欲しいもの
 であるが、最近ではその溝の幅と深さが広がるばかりであるように感じる。



                                 了 
                 
                        oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No.51) 実に日本的大ニュース「所変われば品替わる?」・なぜか「文化の違い」に心なごむ俺がいる

 

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★1  はじめに

始めに断わっておくが、この記事では「ある大?事件」を非難するために
書くものではない。

この日本で起こった「ある大事件??」が、彼(か)の国の人達にとっては
歯牙(しが)にもかけないほどの小事で、むしろこの何処が事件なの?
として,伝わった。
※「歯牙にもかけない」問題にしない・無視して相手にもしない

もっと言えば、oldboy君的には、むしろ、その落差が楽しく、とりあげ、
記事化したのが本当のところ。

往々にして、我々の持つ「文化的側面の常識」が、地域(国、人々)が

替われば,小事どころか、それ以前に意味が理解されないこともしばしば
ある。

それでは例をもって話をすすめる。

★★2 日本の公共バスが「扉を閉め忘れ、客を乗せたまま140メートル走行」 

  (2018・10)

この大事件?は日本の公営放送NHKで報道されたものである(2019・02)

実際の出来事は、この報道の前年(2018・10)の出来事だった言う。


このニュースに接した外国人(主に東南アジアの人々)は、日本の社会が
言う事件性に???、むしろバスのドアの存在と?、その走行距離140M?、
トドメを指したのがこれを放送したのが日本を代表する大放送局NHK
であったことから、違った目線で話題になっていた。

因みに、上記の三つの目線は、日本では、なんの不思議もない、「通常
運転日本」の出来事で、なんの違和感もない報道姿勢で特異点はない。

あるとすれば「あ~またか!」ぐらいのものである。


★★★3 それでは、この「大事件!」に対する彼らの、少々、冷ややかな
目線とは


①バスのドアのあるなしには、「むしろ扉がある事に不思議」と言うのが
彼等のスタンスである。

②それと大放送局が数か月遅れのチョットした事件を報道したことと、
 その違反走行距離が、なんと140メートルにも苦笑い。
 日本はよっぽど暇で平和な国なのかと、幾分「嘲笑・ちょうしょう」
 ぎみともとれる、彼等の対応である。

彼等のこの事件に対する反応は、我々、日本人の視点とは大違い。
「その意識の差」がどこから来るのか、チョコッと考えてみたくなった
のが本当の所である。

日本人も、もう少し肩の力を抜いて生きれたら、もうチョットだけ
幸せに
成るかも知れない、どうだろう

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 ★★★★4 その主な内容は以下のようなものである

(名無しの外国人さんA)・ゴメン、どんな反応すれば良いの、これ
 ジョークなの?
(oldboy君のコメント)・扉の無い事に、何の不思議も感じていない
人達のおおらかさに乾杯


(名無しの外国人さんB)・逆に言うと日本のバスには、扉があるって
 ことでしょう、俺の国
では見たことない
(oldboy君のコメント)・なんの、テライモなく、お喋りしている所が
 良い


(ななしの外国人さんC)・東南アジアなら、これがニュースになる事
  じたいがニュース
(oldboy君のコメント)・大放送局がナニ言ってるんや、つまらん 位
 の反応

(名無しの外国人さんD)・俺の地元、扉を空けたままで走る、それが
 エアーコンと言うもんよ
(oldboy君のコメント)・チョット、とんちの効いた返答で小馬鹿ぎみ
 
(名無しの外国人さんF)・大変なニュースだな、日本では 
(oldboy君のコメント)規律が多く、息苦しく感ずる人達、
 日本人として生きるのは大変と皮肉交じりの感想


扉が開いていたまま走行した、それも140M」この事実を「事件」と
して取り上げ、公共放送で、ニュースになった事自体が、奇妙で理解
できない様子。

以上、およそ、「さすが日本!!」など、だれも言わないし、「なにか、
面倒くさい、人達、そしてお国!」と聞こえてくるようである。


★★★★★5  おしまいに

oldboy君自身、国外にでることは大好きだった。
1970年前後、10年以上、韓国を中心に台湾・香港に社用で訪れた経験
がある。
それぞれのお国の「大激動期」でもあった。

政治的不安定の最中にその国に身を置いたこともあったが、
不安より、なぜかある種の高揚感を感じていたように思う。

また言葉は少々不自由だが、束縛されず、身一つ自由なのも、気に
いっていた。

たぶん、会社にこのような性向を見破られ、担当者にされたのかも
しれない、と思っている。


もともと、oldboy君のプロフィール1行紹介もこうなっている
ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。
これからもきっとこうでしょう、ハイ。と
基本的なマインドは当然、今も変わらない。

今日の、この手のニュースは、この日本国内では「時々ある大?事件」と
して発生し、
また報道もされていたように思う。

しかしこのたびのものは、ちょこっと、事情が違うように感じる。
その違いとは何だろう?

電子機器やスマートホンの世界的な同時普及が、まずその大前提にある。

これまで、この手のニュースは国内向け専用に発信され、外部に流れ出る
ことは殆んどなかった。
しかし今は違う、電子機器の世界同時普及は、こんな「大事件?」まで
拾い、国外に漏れ出て、拡がり行くのである。

それと、われらの常識が、異なった文化圏に行けば、「コウナルヨ!!」
との
良い事例と思い、今日、記事にしたつもりである。

oldboy-elegy君も、ズットズット昔、韓国に10年近く出張員として通った

ことがあった。

★★★★★★6 おわりの・終わり 韓国に於けるバス事情とチョットした事故

そのおりのバスの乗降には随分、難儀したことを、今、思いだしている。
ただ扉はあったが、まともに開閉するのが難しい位の混雑であった。

バス停は一応あるのだが、そこは単に乗降の目安でいい加減、この辺りに
停まるはず
のバスが、ズット遠くに停車、客はそれに向かって走りより、
バスのドアや横腹を
平手で、「おーい乗せろ」とバンバン叩いていたのを
想い出す。

当然oldboy君も現地の人ヨロシク、気持ちよくバスのボディを叩く。
少々品行の良くない事に、すぐ追随するのも、彼のくせでもある。

日本でこれをすれば、「あの人なに!」と大ヒンシュクを買うのは確か
だろう。


いちど、テグ(韓国の地方都市)に行った折、夜間、ようやくに乗った
タクシーが、交差点で凍結
のため滑空、停車中のバスの横腹にポコン、
と衝突したことがあった、


さっそく目の前
で双方の運転手が外へ出て大ケンカ、それも薄明り、
酷寒の中。
バスの窓からは、首を出した多くの客が、「それやれ」と扇ぎたてる。


明朝の新聞に載るのかな?、「ナイナイ」それは。
ここでは事件性ゼロである。
だが、これが日本なら、そうとも言い切れないところが面白い。
今となれば、ある意味、楽し気な、ヨイ思い出でもある。

あのころ、あの国、あの町では、おとなしく上品に、ことが運ぶのは
期待
出来ない、それがまたある意味、楽しくもあったように思う。

基本、かれ、「文明・文化の混沌状態」が何故かお好みの体質をお持ち

のようである。

また機会あらば、当方の「ソウル暮色」として記事化するつもりである。

     でわ でわ それではお眠(ねむ)につくとする


               了

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(雑感・雑記帳 No 50 )  メモからブログへの記事化、そして出稿。古式ゆかしいパソコン・オンチのoldboy君的手法とは

 ★1 oldboy-elegy君、毎日、ことあるごとに「メモ取り」をしている。

最初に断わっておくが、ここで言う「メモ」とはあの「microsoft 
windows」に付随した「電子メモ帳」のことではない.ダイソー
数冊100円
で買える、あの純然たる古式ゆかしい昭和のメモ帳のこと。

パソコン様の立ち上げひとつとっても、機嫌の良し悪しがあり、意地悪される
こともママある。

そんなヤツを100%信用して、ため込んだ財産のメモ全てを預ける勇気は
俺にはない。

人は言う、何故それらの情報をパソコン上に置かないのか、そのための
機械だろう?と。
そこがそれ、oldboy君、基本的にこの種の機械を100%信用していない
ところがある。

この「メモ取り」は、はじめ、ブログの「アイデア探し」のためのものでは
なかった。


人と会話中「何がどうした」と説明する場面を想定したとしょう。
俺も含めて、年配の輩(やから)の多くは「ああした、こうした」の説明
部分は比較的、健在であり、滑舌(かくぜつ)も、マアマアである。


問題は「何が」「誰が」のトッカカリの主語の部分である。

何故か、この部分が喉の奥にひっかり、言葉として出てこないことが、
ままある。

チョットした茶会で、我ら初老のおっさんが、昔懐かしい、超有名芸能人
の訃報に
接して、「ほれ、それ、あいつ・・・、死んだんだと・・」では、
懐かしい
も、感慨も「ヘッタクレ」もなくなる。
「ただただ自分自身の情けなさ」だけが募る結果になる。

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※チョットした小物を探している図である。 「いらすとや」さんより

人間、歳を取るにつけ、年々歳々、この「物忘れ」がひどくなる。
普通「バカに付ける薬はない」ことになっているが「物忘れに付ける
薬」とは聞いたことがない。
そうであるなら、多少、物忘れに「抵抗」しても可笑しくは無いだろう。

サアー、これでつつましやかに、生存しなさいよと、年金をもらい始め

てから、特にこの傾向(物忘れ)が加速したように思う。

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そこで敵(物忘れ)がそう出るなら、こちらも、これに抗(あらが)う方法
(抵抗)として始めたことの一つが、「メモ取り」であった。

人間、生きるのに必要な当然の物事も歳々、絶賛、「減少中」である。
よしんば忘れたとて、それに文句をつける有難い人も減ってくる。

しかしこれとて、自分1人の事では済まされない社会性のあるものは、

「忘れました」「失敗しました」として、捨て置くことは出来ない。

迷惑が、他人に及ぶこと、一番避けねばならぬことは当然で、その代表
例が「自動車免許の返納」の事である。

よくも、この、オッチョコチョイのあわて者野郎のoldboy君が、

40年近く無違反とは言わぬが無事故でこれたのは奇跡でとあった
思っている。

そんなこんなで、これから先も、この奇跡が都合よく続くとは到底
思えない。


車両維持のための経費、そう多くない親戚の者たちの進言、もともと
鈍い
反射神経などを鑑み、先年「泣き泣き」返納した。

返納後、当初、生活に違和感があったことは否めない。
しかし、時が経つにつれ、バスや電車からの景色が新鮮に思えてきた
のには驚きであった。

そう、全くの「NO注意」で流れゆくバスの窓外の景色を眺めている。

それでは、こんな俺の昭和の時代の、アナログ的、技法?「メモから
記事・出稿」
までの、流れを報告する。


★★2 メモ取りとて努力が必要、

ブログを書くようなり、その方法も僅かだが、日々これ進化の過程
にある。


書きなぐったメモも、今では1000枚以上になると思う。
軽い適当な分類で、ゴムバンドでワッパ、空の菓子缶に納まっている。


これを利用して、記事化・出稿した記事も、そこそこにある。

以下、書きなぐった、何の脈絡もない「メモ」から、どのように記事に
結び付けて要るのかを、ある例でもって、話してみたい。

IT機器の達人の多くの「ブログ投稿者」には、
バカバカしくて、非能率に
見えるだろう。

それでも世には、「パソコン嫌い」の「ブログ投稿好き」の、奇特なお人も、
おられることを期待して記述して行く。



それではoldboy君的、雑メモから、記事投稿の流れを書いてみる。


★★2   oldboy-elegy君流、メモ帳から記事化までの流れ



メモから記事化までの 第一段階

ただただ、興味のむくまま、書きなぐっていく。
忘れていた漢字や熟語、英単語や面白い慣用句、お人の名など一枚の
用紙に
同居している、テレビやラジオ、新聞、雑誌、小説、いやなんでも
アリである。
もちろん、ブログ仲間の記事も、その対象である。


今ここに手にしているメモがある。

内容は以下の通りになっている。

メモには、「防衛医科大学・早稲田、人工血液」とある。
この用紙には、日付となにやら番号が書かれている。

なにか記事化できる可能性を直感したのであろう。
続いて同じメモ用紙下段に「血液センター」「吸血鬼」「ドラキュラ」
とある。
oldboy君、このメモに、なにかしらの記事化への可能性を嗅ぎ取ったよう
である。

記事化までの 第2段階

別に大判、無罫線のノートがたくさん、用意されている。
イデア集約ノートである、いまでは20冊ほどになっている。
ブログ記事を書き始めてからのものである。

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※上掲のイラストは大判のノートである。罫線が引かれているが、
oldboy君、無地ノートがお好みである。

上段欄外に仮タイトル「人口血液」と「仮番号」を付与されている。
たんなるメモには、日付はあるが、番号はない。

ノートに書かれた番号はもちろん、シリアルナンバーとなっている。

※シリアルナンバーとは、タイトルひとつひとつに付けられている番号
ことで
識別するための番号のこと。
他に、「連続殺人犯」などは「Serial Killer ・シリアル・キラー」などと
呼ばれている。


記事化の可能性のあるものは、番号を1から順に付けてきて今この
「人口血液」でNO235となっている。

この後、集めた「人口血液」に関する情報や、oldboy君の個人的発想
など
も併せて、全てをこのノートのシリアルNO235に集約するのである。

実際の記事はこの順番とは関係なしに、出来上がった順に投稿する。

古い番号でも、いまだ記事化できていないものも結構ある。
ヒョットして、世に出ないまま、ここで終わるものもあるはずだ。
その後はメモ無しで、気の付いたことは、直接ここに書き込ん
でいく。

本記事が出来るまで、この「仮タイトル」「シリアルナンバー」

かわらない。


これらのノートの1冊に人工血液と記事ナンバーのページ表裏4ページ
を、あてがい、後に得た新情報や、検索内容、世に出てないoldboy君的
独自の
発想を模索し、記入する場としている。

彼、この段階が一番好きである。

集まってきた情報を眺めながら、料理の仕方を考え、模索するのである。

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※上のイラスト画像、吸血鬼ドラキュラである  by いらすとや さん

このページには、「人口血液」の大タイトルから始まり、吸血鬼・ドラキュラ・
イギリスの小説家・ドラキュラの故郷
は日本?・本当のドラキュラはルーマニア
の領主・オスマントルコ軍との
戦乱などなど。

もっと話を膨らませ

いやいや元大統領のチャウシェスク?・もっと発展して、北朝鮮の金デブの一番
信用していない人は、国は・中国、アメリカ、日本、ヒョットしたら韓国
と書き
足し
がある。

これだけ話が飛躍、錯綜しても基本「ウソ、捏造」はない。
新聞やニュースでは得られない新たな「視点」を模索するのである。

その可能性をつなげて、oldboy-elegy君的に処置を施し出稿したく思っている。

今の印象では、最終オチは、(金デブ)の一番恐ろしいのは「自国民」の
はず、どれだけの、残虐行為をしでかしたのか、「犠牲になった親、兄弟、
民」は言葉にこそ出さないが、その胸中には鬱々としたもの渦巻いている。

南朝鮮から飛ばす
プロパガンダ風船チラシごときに異常反応、もし自国民
が反乱すれば、逃げる
場所はヨーロッパ・オランダはハーグにある国際司法
裁判所、以外はない。

命だけは助かりたいの一心である。

もちろん、金さん、チャウシェスク夫婦の哀れな最後の様子は知っている。
夫婦して、逃亡中、自国の一般民衆に捕らわれ、裁判もなく、惨殺された
のは当然、御存じである。

話は「人口血液の発明」から「金デブ」に無理なく、繋ぐのが重要。


★★★3   以上がアナログメモ帳から記事化までの流れの一例である

などなどの端末の情報がすべてこの仮タイトルと同一ナンバーに一括、集約
されるところがミソだと思う。

この「人口血液」からどんな記事になるかは、まだ途上で雲中にあるのが
正直なところである。
どんな結末になろうとも「そーか、それもアリかな」と感じてもらうのは
大切。
荒唐無稽の話になれば、それは失敗記事となる。

これは当然、oldboy君のブログでは「雑感・雑記帳 NO」扱いのものに
なる
予定。


実際に、このような思考過程を経て、記事化、出稿したものはそこそこ
ある。


★★★★4  おしまいに

結論として、この心もとない思考でも何とか記事を書き、出稿できるのも
そうそうボケが進行していないと自己判断しているのだがどうだろう。

記事の文面からまだまだ大丈夫と言ってくださる方がおられるなら、嬉しい
かぎりである。

今日のこの「人口血液」のブログ記事化は、もう少し練度が必要と思う。
記事化・投稿がデキタ時はヨロシク。

 

    でわ でわ 今宵もこれまでとして 就寝することにする

 

                了
                                  oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 49 ) 亡き母の「声音・こわね」を突然思い出す、「デービッド!ローソンまで行って来て、ハイお金ね」の言葉を聞いて

 

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★1 上掲の写真、なんだと思われる?


アメリカ、オハイオ州出身の年配,男性観光客が日本で見たものはなん
だったのか?

なにかの容器であることは、その形状から察しは付く。
そう、アメリカで日常使われていた、アルミ製のミルク入れ缶で
ある。


今日の、話は、年配のアメリカ人旅行客「名無しの権兵衛さん」が、
日本国内を旅行中、あるものにイタク感動、そのおりに転がり出た
なにげない言葉を題材にしたもので「チョットしたホッコリ系」の
話である。

同時に、oldboy-elegy君も、その言葉を聞き、深く感応、連鎖反応を
起こしたのである。
この「心の連鎖」が無かったなら、恐らく、今日のこの記事は書け
なかった
はず。


年配の旅行客が口にした言葉とは、今日のタイトルのまま
「デービッド!ローソンまで行って来て、ハイこれお金ね!」
が、そうである。

そうこの「ローソン」と言う社名と「ロゴの形状、カラーリング」の
出自はもともとアメリカ合衆国オハイオ州の「ローソンミルク社」もの
であった。

会社設立は1939年の事である。
※出自(しゅつじ) 出身や出所

主たる販売品は「ミルク・牛乳」であり、フレッシュさが売りの評判
のもの
であったそうだ。



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上掲のローソンのロゴマークは現在の日本の「コンビニ・ローソン」のそれ
である。


チョット見た目には、もともとの、アメリカ「ローソン・ミルク社」のロゴ
マークと
の違いは明確に認識できない。
カラーリング、全体の雰囲気が同じが為であるからか。

そう、写真のアルミ製の缶は、上掲の「コンビニ・ローソン」のロゴに
描かれた容器とほぼ同一のものである。


少しoldboy君の創造が入って申し訳ないが、このアルミ製のミルク缶
基本的な名称が、いくら調べてもはっきりしないのである。

そこで「アメリカのミルクの容量単位」は「ガロン」である事から、
「ガロン缶」と勝手に名付けさせていただくことにする。

1ガロンは約4Kg弱で、その量から考えて、恐らく缶の大きさは、数種類
あり、お客の家族構成などにより必要量も異なる、きっと「通い缶
になって
いたのではないかと想像する。
※「通い缶・かよいカン」 顧客囲い込みのためのサービス、会社が無償
でお客に貸し与えるもの


ロゴの違いは、上下の英語文字のみで、「LAWSON」が「LAWSON'S」
となっているのと、下部の「STATION」が「PARTY FOOD」となって
いたぐらいで、これも遠目(とうめ)チョット見では殆んど違いは認識
できないはず。


ここで言うアメリカの「パーティ・フーズ」とは、パーティーのホストや
ゲストが
厳然と分れている日本と違い、招待されたゲストも,何かしらの簡単
な料理を持参
するのが常識とされる。

子供達の「お呼ばれ、呼ばれ」の「誕生会」を念頭に置けば理解しやすい。

アメリカ・ローソンの販売品をよくよく観察すれば、後のコンビニエン
ス・ストアー
への萌芽が、もうすでに見え隠れするのはなんとも興味深い。

新鮮で高品質なミルク(牛乳)を中心に、パーティ・フーヅ、コミック本、
場所にも依るが、ミュージックボックス、ゲームの簡体機など、現在の
コンビニ店の方向がすでに見え隠れしている。

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因みに、日本のローソンの1号店は1975年のことである。

断わっておくが、ここでは「ローソン・ミルク社と日本のコンビニ・

ローソン」との成り染や関係のウンチクを語るのが目的ではない。

以上の事実を念頭に、以下、読み進めて欲しい。


★★2
コロナ禍までの日本入国外国人観光客数は2019年には年間3000万人を突破!!

こんななかアメリカ合衆国からの観光客も当然、大勢いたろう。
そのうち、特に、オハイオ州からの入国男性年配者の心境に与えた、ある
ことが、この日本でチョットした話題になっていた。

アメリカの「ローソン・ミルク社」の本社および出自はオハイオ州

始まりである。

オハイオ州は、五大湖の一つエリー湖の南岸に位置し、北はもうカナダ

である。

昔はインデアン各部族の居留地があり、さらに今でも厳格なキリスト教
教義を実践し生活
する「アーミッシュ」の人達が住む、地味豊かな、牧歌的
な土地柄でもあった。


これを知ると、「ローソン・ミルク社」のミルクがいかに優れたもので
あったかは想像に難くない。
日本で言えば、北海道を思い起こすのと同根の想いかもしれない。

一体彼等は、我らが日本の何を見て、その様な言葉・言質・印象を
持ったのか??


そう、彼等は、日本の空港に到着したその瞬間、印象的な形とブルー
を白で抜かれたアルミ製
ガロン缶の、あのローソンロゴを突然、目に
することになる。

元祖、「ローソンミルク社」の店舗が本家アメリカ・オハイオから
消えて久しい。


彼等にしても、長いあいだ、忘れ去っていた日常のオハイオの心象風景が、
このロゴを目にするや、40年50年の時を超え、今はもういない
母や父を
始め兄弟たちが突然胸中にフラッシュバックするのを想像してみて欲しい。


以下、その時の年配さん達の文言を、「名無しの権兵衛さん」の扱いで
幾つか紹介する。


「名無しの権兵衛さんA]
・おれはローソンのミルクで育ったようなもの・・

「名無しの権兵衛さんB」
オハイオ出身の俺、本当に驚いた。
 ローソンのロゴを日本で初めて見た時の信じられない気持ちを・・・

「名無しの権兵衛さんC」
・そうそう、アーケードゲーム、いろいろ置いてあって、よくやっていた、
 ローソンで・・


「名無しの権兵衛さんD」
・子供のころ、コミックを買うのは、ローソンだった・・

「名無しの権兵衛さんE」
・おばあちゃんがローソンで働いていた、60年昔の話・・・

「名無しの権兵衛さんF」
初めて日本で見た時、そりゃ衝撃的,忘れかけていた記憶が突然掘り
 起こされた・・・

「名無しの権兵衛さんG」
・俺の家、酪農家、ローソンに牛乳おろしていた・・・

「名無しの権兵衛さんH」
日本旅行中、不思議な感覚に陥った・・・

などなどである。


★★★3 上記の文言の他(ほか)、oldboy-elegy君にとって特に琴線
     に触れたものがあった。
     これが為、今、記事を書いているようなものである。

それがとっておきの外人さんの言葉で、タイトルのそれである。

その言葉をもう一度書く。
「デービッド!ローソンまで行って来て、ハイ、お金ね」
なんと彼等にとっての日常の風景を醸(かも)し出す、一言か。

これを読む、いや聞いてoldboy-elegy君、フイに自分の母の「声音・こわね」
耳にした感覚に嵌(はま)ってしまったのである。

もちろん、oldboy君、デービッドではないし、お使いの行き先もローソンでは
ない。

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※上掲のイラストは「黒砂糖のかち割」である、「思い出」はもう少し
「黒かった」
印象がある。 「いらすとや」さんより


では、どのように聞こえたの?

「oldboyちゃん!お逮夜市(おたいや)に行って、いつもの黒砂糖のかち割、
買って来てハイ
お金!!」
が、あの時の母の言葉で、彼女そのものの「生声・なまごえ」で頼まれたか
に聞こえたのである。


お逮夜市(おたいやいち)とはoldboy君の地元の大寺二つを結ぶ参道
に掛かる
大市(おおいち)のこと。
それぞれの寺の中興の師の入滅日が「市の立つ日で」月2回の開催である。

母はこの日には、必ず、故郷・鹿児島の「サトウキビ製の黒砂糖のかち割」
購入するのを楽しみしていた。
また自分が行けない時はoldboy君に頼むのもいつものことである。


従って、タイトルのデービットではないが、全て状況は重なる、それが、
彼に
同種の感興を呼び起こしたのもまたうなずける。

この文言が、内容は当然の事、その「声音・こわね」も、まぎれもなく
母の
「地声」そのものだった、とoldboy君には聞こえたのである。

「デービッド!」で始まる、その言葉が、時の時空を超えて母とoldboy-elegy
君とを
結んだのが全てである。

最後にもう一度聴こう、母の生声を

デービッド!ローソンまで行って来て、ハイ、お金ね」

「oldboyちゃん!お逮夜市(おたいや)に行って来て、いつもの
黒砂糖のかち割ね、
ハイお金!」
である。


★★★★4   こんな販促企画はどうだろう

追記 コロナ禍が終われば、ローソン販促のための、こんな企画はどう
だろう。

今、ヒョイと「思いついた」

アメリカ、オハイオ出身の方、本人パスポート一覧で10%値引きするよ!
ローソン」
はどうかな?



★★★★★5  あとがき

日本語の「懐かしさ」と、英語で言う「ノスタルジ-nostalgy」の感覚の違い

はじめ、
英単語のノスタルジーを、日本語の「懐かしさ」と同等の扱いで文章化して
いたが、どうもそうでもないらしいのに気が付く。

日本語の「懐かしい」は、どちらかと言えば「肯定的」側面が強く、
英語で言う「nostalgy」とはニュアンスが大部に違うのである。
つまり日本語の「懐かしい」を正確に表現する「英単語」は存在
しないと言う事になる。

それを気にしながら記事を書くのは少々、難(むずか)しいので、
それならばと、全文破棄して
一から書き直すハメに、少々時間は
かかったが、なんとか書き上げたがどうだろう。

「ウヒョーッ」疲れた、つかれた、ツカレタ!!


       でわ でわ 心置きなく眠ることにする

                 了
                 oldboy-elegy


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