(雑感・雑記帳 No.52 )時代と言葉「オワコンとインターネット」「トッチャンボーイとテレビ・ラジオ」そして「ノンポリ学生と政治?」
★1 oldboy的、時代時代のことば まず「オワコン」を捨てて?
もう古い、終わった言葉である
「オワコン」を捨てて、次は?
イラスト by いらすとや
oldboy-elegy君、言葉の流行り、すたりなどを題材にしたブログ記事
を幾つか投稿している。
エッチラ・オッチラ、やっとこ100記事を超えたところの弱小ブログで
ある。
なかでも思い出す言葉が「トッチャン・ボーイ」と「オワコン」の2語。
どちらも、ブログ投稿記事として使用済み。
この2記事については、最下記、欄外にリンクを貼っておく。
目を通していただければ嬉しい。
まず「オワコン」である、ある意味、今のインターネット時代を象徴する
用語で、パソコン・スマートホンを介在に出現、ネットの「申し子」と
言っても良いのかも。
もう一つの「トッチャン・ボーイ」はネットとは関係ない時代のもの。
あえて言うなら「ラジオ・テレビ」時代の、1970~1980ごろに頻出した
用語である。
上記の「オワコン」は今から10年以上前、「ネット用語大賞の上位」にも
入った「時・とき」の言葉ではあったが、最近ではその流行りも衰え、若者
が使うことは殆んどないらしい。
ただ遅れて参入して来た、中年域の若者気どりのおっさん、おばはんが
多用する言葉に格落ちしているらしい。
その為か、若者の逃げ足も速いとのこと(年金世代に仲間入りした、我が
妹いわく)
要するに、oldboy君、この「オワコン」、自分で使うことはなかった。
「オワコン」の「オワ」は「終わり」を意味することは想像がついた、
ところが「コン」が「??」判然としない。
グーグルに聞けば瞬間に「コンテンツ」と教えてもらえるはず。
だがoldboy君、それさえも物憂く、ホッタラカシのままであった。
★★2 ネット以前のことばで、ラジオ・テレビ時代の「トッチャンボーイ」
は?
もう一つ、ブログ記事で使用した言葉が「トッチャンボーイ」である。
この言葉、ネットとは関係ない時代の物で1980年前後くらいに登場した
のかな?
ただし、ネット辞書で見れば「とっちゃんぼうや」とひらがなである。
oldboy君、何故か「トッチャン・ボーイ」とカタカナで記憶していた。
「分別もできない、子供のような大人」ぐらいの意味である。
ここまで、二つの世代を反映した言葉として披露してきた。
「オワコン」と「トッチャンボーイ」である。
★★★3 さあここで終われば、片手落ちのそしりを免れぬ。
では、oldboy君、若かりし時代の言葉はナニ?
きょうの記事を書こうと決めたのは、自身、学生のころの言葉を、読者諸氏
に紹介し、その時代の雰囲気を少しなりとも感じて欲しいとの思いからである。
それでも、10・20・30代の若者には殆んど、なんの感慨も呼び起こすことの
ない言葉と予想する。
多分、50才以上のお人で、60・70才と年齢を増すほどに、遠い記憶の底から
呼び戻す感覚で「あ~ぁ、そうそう」と多少の共感を得るものと信じて書き
進めてみる。
ネット世代、テレビ・ラジオ世代と時代を遡れば、oldboy君の時代、少々
大仰に言えば 政治的混乱の時代と言えるかも知れない。
高校時代の詰襟服に、ボタン・襟章を付け替え、これを着用して大学に登校
したこともあった。
角帽は買ったが、これを被って通学した記憶はない、そんな時代の「言葉」
である。
★★★★4 今日の主役の言葉は、これ「ノンポリ学生」に決めた。
さてその肝心の言葉である。
いろいろあるが、今日は「ノンポリ学生」でゆく。
当時の社会的雰囲気を表した文言で、書こうとすれば、いくらでも広がる。
西暦で言えば1970年前後のことで、戦後、経済発展をなし、
「もう戦後ではない」と言わしめた時代でもある。
● ノンポリ or ノンポリ学生
上記のタイトルだけで、ある程度、理解し説明できる方の年齢は、多分、
現在65才以上の方たちと推量するがどうだろう?。
「ノンポリ」とは英語の「ノン」と「ポリティカル」を合わせた「ノン
ポリティカル」の意で、「政治的ではない・非政治的」とする日本式造語で
ある。
この言葉のお尻に普通、「学生」がクッツキ「ノンポリ学生」として、当時
の社会の雰囲気を醸し出す流行り?言葉となる。
その意はずばり、「政治に無関心な学生」と言う意味。
当時この言葉は「政治に関心のない、あるいは関わらない学生」を揶揄
(やゆ)するもので、由とするものでは無かったはず。
戦後も20年を過ぎ、日本を含む世界の政治的潮流が混沌とした時代である。
・世界的には、「ベトナム戦争」の泥沼化、1965~1975
・この日本では「1960年の国際共産党組織からの脱退と独自路線・六全協」
・同年の社会党の浅沼稲次郎委員長、暗殺事件
・1970年の「よど号ハイジャック事件」
・1972年、そしてあの「浅間山荘事件」
と悲劇が続く。
oldboy-elegy君、まさにこの時代の学生であった。
学校に行っても、校門は教室から持ち出した、机を積み上げ、ロックアウト
(締め出し)状態で「封鎖]。
ヘルメットを被った学生が、ハンドマイクで「我々は・・・」と「がなって」
いる。
友人に「社学同・学生の政治運動組織のひとつ」に片足突っ込んだ奴がいて、
脱退するのに、大学を半年休学、故郷に隠遁したヤツがいた。
何年か遅れて、無事、卒業したようではある。
oldboy!してお前はどうだったのか?
「俺!!、気持ち的には、シンパシー(同感・同調)を持てたが今は
基本「ノンポリ学生で良かった」と自己弁護し、納得している。
下のイラスト画、旅をする「ムーミン谷」の「スナフキン」気どりのoldboy
君である。
(イラスト画は・いらすとや・さんよりのもの)
★★★★★5 了和のこの時代、俺の時代の意識では、きっと不適格者
として後ろ指さされる存在であったように思う。
以前のブログにも書いたが、4回生の夏休みに、能登から新潟、佐渡、
沼田から尾瀬ヶ原、日光、東京と寝袋担いで貧乏旅行に出かけた。
気持ち的には、人生のモラトリアム(社会人までの最後の心の猶予期間)と
して、もう一年学校に残るつもりもあったが、旅行から帰って来た時には、
このまま卒業、就職することを決心していた。
この年(4回学生)、冬休み前に就職も決めた。
こうしてoldboy君の「ノンポリ学生」としての4年間は終焉を迎える
ことになる。
社会に出ても、何一つ得意とするワザも資格もなし、ただそれでも、
なんとか、これまで生きてこれた。
「世の中のヌルさ」が、幸いしたのかもしれない。
ある意味、あの時代は彼向きの、そんな時代であったのかもしれない。
最近、読者諸氏のブログを読む機会が増えた、思う事は「適当に生きる」
と言う「選択肢」が今は消滅した時代のように思う。
ふと今、ここには書けないことを思い出し「めがしら」が熱くなってきた。
どうも、歳を取るにつけ、人間、涙もろくなるようでいかぬ。
でわ でわ きょうは これまでとする
了
oldboy-elegy
「トッチャン・ボーイ」を主題に書いた記事のリンクです
「オワコン」なる言葉を軸に書いたリンク記事