(雑感・雑記帳 No.26 ) 1・ 世の中にあふれる言葉から、琴線に触れたもの、おもしろいもの、憮然としたものなどを拾い、彼的にコメントしてみた
ブログを始める数年前から、メモ取りを、習慣化するよう意識してきた。
なにも自慢話ではない、歳のせいか、物忘れが激しく「おい、それそれ、
ほれほれ」と、頭にはそこそこ鮮明?な像があるのに、名前や言葉の
アウトプットがままならない。
その為のささやかな抵抗手段の一手としての主旨である。
ただこれとて、意識の底に預けておけば、どうかしたはずみでヒョイと
口から転がり出るこもある。
悲しいかな、それでは、人との会話の戦力にはならない。
まあ、認知症の進行に些少の抵抗を試みる位の意味はあるだろう。
ソーシャルなことで、すぐに必要なときは、パソコンの検索システムと
言う文明の利器もあるのだが。
このあたりが、メモ取りのタイミングである。
今日は、そんなこんなの中から拾った言葉に、oldboy-elegy君的な
コメントを加えて、二つばかり記事にしてみた。
もちろん、「独断と偏見」でもって綴るのはいつもの通りである。
うまくいけば、この形式で定期的に記事化してもおもしろいかも、
と思っている。
それゆえ、タイトルの頭に、取りあえず 1・と入れてみた。
では、さっそく一つ目のお題にとりかかる。
第一話
拾った言葉
「自分のこの手で日本を動かしたい」
この言葉
メモからのものではない、ずっと長く意識の片隅に住み続けた「妖怪」の
ようなものである。
「なかなかに、粘着質」のある文言である。
この言葉を聞いてから、もう何年になるのかも定かではない。
入手媒体はテレビのニュース番組からのものである。
場所は東京大学の入学試験、合格発表の会場からのものだ。
テレビ局の男性インタビュウアーが一人の若者(男性)にマイクを向けている。
「合格されたのですか?」
「ハイ」と若者は、当然と言わんばかりの風情である。
嬉しそうにも見えない。
「将来は?」の質問にたいする返答が、上出(じょうしゅつ)の
「自分のこの手で日本を動かしたい」と言うものであった。
これを耳にしたoldboy君
「ウヒャー!!」と固まってしまう。
ただ「非難」とか「傲慢」と言うより、自分とはあまりにかけ離れたお方
であり、存在であったことが原因だったと思うが!?
しかし、考えて見れば、このような人を「好ましく」思う人も「世の中には」
一定数、存在するのも、これまた事実である。
一見、当然であろうと思う事でも、全ての人が「シロ」と同意見で
まとまることは「殆んどない」のが、この世の常である。
その反対もまた、しかり、である。
真逆の色相、白と黒との間には無限の数のグレーが存在する。
そう、全てRATIO(割合・率・比)だけの問題である。
この考えはoldboy君の昔からの持論である。
oldboy-elegy君、ただ、この方とお近づきになるなり、友人として付き
合うのは遠慮させていただく。
それ以前に、この東大生君に「こんなアホと話するのも時間の無駄」と
思われるのがオチであろう。
この方、その後、どうした人生を歩まれたのかも知りたくもない、
あの言葉
「自分のこの手で日本を動かしたい」が
ただただ単純に、脳裏に焼き付いていただけのことである。
そして今日、記事としてUPした、もう忘れようと、彼なりにふんぎりが
ついたはず。
第一話 終わり
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第二話
拾った言葉
「こいつら、周囲に人間が居なくなったら、互いに顔を合わせ
会話してそう」
一話目が、oldboy君的に気持ちよいもので無かったので、二話目は少し
趣向を変えて、彼好みの「シュール」であり、チョット頬(ほほ)の緩む
「ことば」でゆきたい。
※シュール 非現実的だが、あっても良いなと思わせる事象。
by oldboy-elegy
たいへんに申し訳ない事だが、「秩父市」と言われても、関西の人間
(特に、ウスラ馬鹿ぎみのoldboy君)にとっては東京の北部ぐらいの
認識で「埼玉県」か「茨城県」かはっきりしなかった。
記事を書かしてもらう上で、申し訳なく思いしっかり「検索」さして
いただいたのだが「茨城県」の読みは「いばらきけん」で、大阪府にある
「茨木市」も、正式には「いばらきし」と読み書く、らしいこと、今日、
初めて知った。
漢字の二文字目の「き」は「城と木」で違う。
この歳まで、なにげに「いばらぎし」「いばらぎけん」と、思いこんでいた
のである。
そのほか、この事で、やおら「検索」の深みに嵌り、ほぼ30分ほど、
回遊してしまった。
有難いのではあるが、ひとつの「文言」で始まった「検索行為」が
「無限ループ」に落ち込み、謎がナゾを呼び、ついには、「言葉の大海」に
嵌って(はま)しまうのである。
最終的に、自身に「強制」して、いい加減なところで「ストップ」をかける
しか、終わる方法は無い。
まあ、それだけ「彼・oldboy-elegy君」は無知で無能なお人である、
ことの証明かも知れない。
すこし寄り道した感があるが、許しを乞う。
場所は、埼玉県・秩父市の「秩父珍石棺」通称「人面石博物館」なる
私設の博物館でのおはなしである。
ここを訪問したことの「ある・ない」はともかく、「人面石」なるネット
画像を見た方は、けっこうおられるのでは、思うがどうだろう。
現在の女性館長の「お父さん」が、半世紀にわたり収集した河原(川は荒川)
の石、それも「人の顔」を彷彿させる、大小の石を展示した、いわゆる
「珍石」の「人面石博物館」なる施設である。
その数、なんと約1700体(顔・面)もあるとのこと、日本はおろか、
世界にも類を見ない、珍しい博物館である。
この画像「秩父珍石館」様の許諾の上、掲載させていただいています。
もし近くにお出かけのおりは「あなた自身に」に会いに行かれてはと、
お勧めする。
上掲の写真画像は一例である。
中には、政治家や芸能人、ユーモラスなものからムンクの「叫び」的な
アートなものまで、探せば、必ずあなた自身にも会えるはず。
これでこの「秩父珍石館」なる施設の概要を分かってもらえたと思う。
今日拾った言葉の
「こいつら、周囲に人間が居なくなったら、互いに顔を合わせ会話してそう」
への筋が見えたはず。
この施設に「名無しの権兵衛」なる外国人が訪れ、人面画像を自分のネット
媒体で発信した際の、これまた「西洋人の名無しの権兵衛」なるお人のコメント
が、今日の拾った言葉なのである。
たんに、驚き、おかしさ、の直接的な表現ではなく、それを超越した、
なんとも言えぬユーモアにしてシュールさが加わった「ことば」には嫉妬
(しっと)さえ憶える、
oldboy-elegy君も、意識して、このような「文言・文章」がタイムリーに
口にし、文章にできる能力と感性があればと、切に思う。
その意味で、今日、取り上げさしていただいた。
もう一度書く、
「こいつら、周囲に人間が居なくなったら、互いに顔を合わせ会話してそう」
の文言である。
ちょっと想像して欲しい、
夜も更け、人気(ひとけ)のない深夜、これらの「人面石くん」達が、
「ピーチク、パーチク」談笑の最中の情景を。
ヒョットすれば、それは現実の事かもしれない。
彼等は、人の気配を感じた瞬間にお喋りをやめ、ダンマリをきめこんで
いるのだ。
想像するだけで、怖いより、楽しい思いが優先する。
あなたの家に、もし空き部屋があるなら、きっと、このような事になって
いるはずである。
これでもって、今日の第一話の気分が吹っ飛んで、こころおだやかに
「おねんね」できると言うものである。
では では
了
oldboy-elegy
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