oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No. 22 ) 井野さんを通じて外国語との付き合い方を学ぶ。

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井野さん、場末の薄汚れた
食堂で
食事をとることが多い









過去に記事のタイトル(oldboy-elegy(15)ソウル暮色) で井野さん

を通じてのあれやこれやの体験を思いつくままに書かせてもらった。

内容は●官吏の横暴・闇の両替商・この部屋を予約する理由・ベルボーイ
の視線の先 の四つを1記事として投稿した。

今日の記事は、ソウルでの出来事を記事化するのが目的ではなく、彼、
井野さんと付き合っていく中で知り、感じた、外国語との付き合い方に
関して
思いを述べたくなった。

当然、oldboy-elegy君の数少ない読者諸兄の中にも、結構な割合で
外国語(
殆んど英語)に関してのブログ記事を出稿されているかたも
多い。


基本それは結構なことであると思っている。

ただ視点を変えて見ることも必要ではあるまいかと考え、これも
「独断と偏見」
をもって、いささかの思うところを記事化して見た。


今日の記事は、ある一つの雑記を、雑感として記事化したので、
雑感・雑記帳 No.22 )としての扱いである。


久方ぶりの「雑感・雑記帳」である。

まず「井野さん」の人柄、風評、などを簡単に書いておく。

もちろん、前の記事にも書いたのだが、もう一度おさらいする。

彼を評する言葉の多くはネガティブなものが殆んどである。
「一匹オオカミ」「韓国・ソウルごろ」「情報や」「利権や」、
ひどいのに
なると、「往復びんた」などなどである。

因みに「ソウルごろ」の「ごろ」は「ゴロツキ」の意で、
「往復びんた」は
発注先、受注元 双方から利ザヤを「かすめ取る」
からなのだそうな。


ただ一つ良い評判?は「話し言葉の達人」と言うことである。


        ここから以下が本文である。
               
               ★
①井野さん、食事はホテルで取らず、外国人(日本人も含む)が利用
しないような
場末の食堂を好んで行く。

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まず彼、ホテルでの食事は殆んどとらない。
時おり、商談などでコーヒショップで見かけることはあっても、
ホテル外での飲食が中心で生きておいでだ。

つまり現地の人達が出入りする食堂などは、「聞く・話す」の
トレニーングの場所としては最高と心得ておいでになる。

以前、「外国語を話せるようになる極意ってなに?」と聞いた事が
ある。
                                   
その時の返事が、およそ、こうである。
「言語の4要素、の内、読む・書くをいったん横に置いて、忘れる
ことや、あかんぼうや幼児を見てみ、読み書きから言葉を覚える子供
なんておらんやろ、全て聞く、喋るが基本やろ」と。

それが彼の他言語に対する、アプローチ方法で、これを体現化した
ものが、普段からの行動である。

場末の、飲み屋や食堂に好んで行くのも、このことが目的の一つ
ではあるが、それ以前に、井野さんには楽しく、自然な事なのである。

つまり、日本語から隔離されることが心地良いのだそうな。
oldboy君にもその傾向はあるが、なんせ基本的な素材、能力
が多分に不足している。

見た目には、少々薄汚れ、外国人が来店することは皆無かもしれ
ない店である。
「まあ、胃腸の丈夫なことが条件やけどな」愉快そうに笑っていなさる。

そう言えば、oldboy-elegy君、毎度、来韓のおり、2・3日は胃腸の
調子がシャッキとしないのが常である。

ある時、oldboy君に、井野さんから「お昼食べたか?」と電話が
あった。

「うまい参鶏湯屋が近くにできたと聞いたやんけど、いけへんか?」
とのお誘いである。
もちろん、否の理由はない。

ホテルの玄関で待ち合わせ、一方通行を逆行する方向に歩く。
すぐに左に折れ、坂下に出ると、角にその(参鶏湯店・サンゲタンテン)
を見つける。
※ 参鶏湯(さんげたん) 韓国(朝鮮)風の「薬膳料理」で「補身料理 
の一種
でもある」日本で言う「うなぎ料理」的存在。
若鶏一匹の腹部に、高麗人参・もち米・くるみ・松の実・ニンニク・漢方 
などを入れ「グツグツ」と煮、白濁したスープと一緒に、食べる。
多くは土鍋で出される。


井野さん「アレ、ここ、以前、日本風のそば肉やがあったとこやな」
と店を見る。

店内に入るや、30才前後の黒い前掛けをした若者が井野さんを見るなり
「イノシー!」とニコニコ顔でやって来た。

「イノシー」は「井野氏」であり、敬称の混ざった「呼称」である。

どうやら以前の(そば肉屋)からの知り合いの御様子であるらしい。

店はお昼ドキで多忙の様子である。

「この店、あんたの店」と井野さん。
親戚中から借金しての出店で、一応自分がオーナーであるらしい。

この一連のやり取りは全て、韓国語である。

oldboy-elegy君の聞き取り能力では、多分に無理がある。
およその見当はつくが、言葉から来るものより、ことの成り行
きから読み取ったものである。

井野さん曰く、「日本人のお客もどんどん連れて来てほしいやて」
との事で、さっそくあんた、oldboy-elegy君のことも、名前は告げて
ある由、「少しはいい事もあるやろ、名刺でも渡しておいたらとの
ことである。

oldboy君自身も、ホテル裏のストリートフードではなく、
ストリート雑貨店の店主、パクさんと仲良くなり、僅かな授業料と
ルームサービス・フードで夜、時おり部屋まで来てもらい、韓国語の
教授をしてもらっている。

しかし、朴さん、日本語がうますぎ、多少の韓国なまりはあるが、
殆んどネイティブ日本人なみ。
つい4・5年前まで、大阪の生野の韓国系の小さな印刷会社の営業マン
をしていたらしい。

いつも、勉強は横に置き、ワーワーと、大阪の近況などで
もりあがる。
oldboy君の語学才能のなさもあってか、折角の家庭教師も効果薄
の状態である。



②長らく使っていない言語、僅かな時間で、そこそこ復元する井野さん


またある時などは、井野さんと二人してホテル2階のコーヒーショップに
入った時など、大向うから「井野さん、イノさん」と4、5人いるボックス
席から突然、声がかかり彼をその席に招き入れた人の一一団があった。

その彼等の風貌がおよそ韓国人とは違い、どう見ても東南アジアの
インドネシアあたりの人達である。

oldboy-elegy君、通路を挟んだ、向かいの無人の席に座り、この様子を
ニコニコしながら見ていた。

始めは日本語交じりの英語での会話で、時間が経つほどにインドネシア
語が混ざり出しての会話である。

時間が経つほどに、インドネシア語が多くなる。
記憶の潤滑油が脳内、口内を一渡り巡ったのであろう。
井野さんを囲む彼等、そのたびに、大喜びなのである。

このグループの二人が以前から知り合いとの事。
約2年ぶりに異国の地で偶然に顔を合わせた喜びの雄たけびだったの
である。

じつは彼等はインドネシアジャカルタの空港のJAL地上職員とのこと。
研修の一環として、初めての来韓とのことである。

おしゃべりするほどに、長い間、使わなかったインドネシア語
滑らかになる、彼。

井野さんの真骨頂である。

ただし、言葉の4要素(聞く・話す・読む・書く)のうち読む、
書くは、インドネシア語に関しては、からきしダメ、聞く、
話すに就いては多少は出来るとのことである。

oldboy-elegy君、彼等の隣のボックス席から、嬉し気な彼らを見て
和む。
最後に井野さん、飲み物を振る舞い席をたつ。


③ある関西系の有名商社の依頼で単独にて北アフリカに出張

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井野さんによる出色ものの話は、数年前に北アフリカを、東から西に2か月ほど、
ビジネス・市場調査名目で出張されたこともある。








依頼先は、大阪発祥の総合商社である。

もともとの依頼元は綿布の織物工場や染色工場などである。

売り込む品(しな)は無地の綿布や、化繊、合繊のカラフルな
プリント布地である。

正直、自社の人達は誰も行きたがらないため、井野さんにお鉢が
回ってきたのが本当のとこらしい。
もちろん、井野さん、二つ返事でOkしたのである。

oldboy-elegy君の拙い知識では「アフリカと言えばスワヒリ語
と思っていたがそうでもないらしい。

アフリカで言語を一元的に語るのは不可能のようだ。
なんせ、アフリカ言語としては1000以上、本当のところ良く判ら
ないのが実情であるらしい>

ただアフリカの殆んどの国が、フランスを始めヨーロッパ諸国の植民地
であったため、旧宗主国を持ち、その国の言語が「第一公用語」と
なっているらしい。

それ以外にアラビア語、英語が有用な言語で、ようやくその末端に
現地語たる、スワヒリ語が登場する。

この中で、井野さんが、ある程度キッチリ使える言葉は英語のみである。

ここでも彼の出発点はソウルと同様で、現地人専用の食堂や市場であった。
覚えたての現地語を英語に挟み込む手法である。

これが現地人に結構喜ばれ、気に入られたとの事。

成約反数(たんもの)は多くは無かったが、商社の担当課長から
「またの折にはよろしく」と言葉をもらったらしい。

oldboy-elegy君の推察だが、井野さん、何百枚かの名刺と詳細な市場報告書
をセットに提出したはずである。

いらい、oldboy-elegy君、彼のような外国語の使い手に会ったことがない。
旨いだけの人はいくらでもおられると思うが、そこに血と肉が一体と
なったお人を。

いくら英語を始め他言語に通じていても、こうはいくまい。
言葉の前に「井野さん」人が好きなんだ、言語の前に「まず人ありき」
なんだと思い知ったoldboy-elegy君であった。

それよりなにより、彼の風評が日本人の間で芳しくない事が不思議と
言えば不思議である。

最後に、俺、井野さんの人柄に少しでも近づこうと思うが、一人で
薄汚れ、現地人しか出入りしないような食堂などはちと荷が重い。
「井野氏」と同伴ならどこでも就いていくのだが。

oldboy-elegy君に、会社がもしアフリカでの単独ビジネスを命令、
下知されたならきっとこう答えるはずである。

「ハアッ、会社辞めさせていただきます」 
基本、彼は肝の座らぬ根性(コンジョ)なしなのである。

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本文とは直接関係はないが、以下に「賛」
として書き添えておく。

「またウオーカヒルシェラトン・ホテル
(カジノ)に連れて
行ってください!!」


     VIVA 井野さん



と言いたいが、もう随分と、遠い昔話になってしまった。
ご健在かどうかもしらない。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。


    今宵はこれまで お休みなさい  ではでは


                了
  
              oldboy-elegy

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