oldboy-elegy (56)嘘じゃない、信じてくれ、俺は「人魂・ひとだま」を見たんだよ!?
その日、古い民家が続く広くはない
夜道を実家に向って急いでいた。
左傾のイラスト中のクネクネした影はoldboy君である。
その時、彼の目に異様な強い灯りが
飛び込んで来た。
高い切妻屋根の軒下で、
その火球は見る見る大きくなっていく。
oldboy-elegy君、瞬間、火事かと思い大声で叫びそうになっていた。
だがその火球は大きくなりながら燐家の同じ切り妻屋根の軒下に移り、吸い
込まれるようにその家の内に消えた。
一瞬の出来事であった。
そして彼の心中には「!!??」の残影が焼き付いたまま、今になる。
あとには、火事場の臭気も気配なく、ただ暗闇が辺りを包んでいるのみであった。
文章にすれば、たったこれだけの事である。
★1 彼、基本こんな不条理な出来事とは全く無縁の人であった。
oldboy-elegy君、当時大学2回か3回生のころの話である。
ざっと50年も昔のことで生粋の左翼系学生とまで言わないが、脳内回路は、
赤に白が混じった程度のピンク系、左翼シンパシー(同情・共感)の人で
あった。
こんな彼、「俺、赤・黄色に光る火の玉、見た」と仲間内にも、家族にも広言
することはなかった。
なぜなら
普段手にする書籍は、近代弁証法の立役者「ヘーゲル」から「マルクスの資本論」
「エンゲルス・空想から科学へ」「レーニンの帝国主義論」などで、「唯物弁証法」「史的唯物論」と、かじって来た身で「俺、ユーレイ見た」「火の玉見た」なんて
言えたもんではない。
そうでしょう、唯物論と唯心論の両端の概念について、一人の人間が「俺、
人魂(ひとだま)を見た」なんてどの面下げて言えますか?
言えば、即、周りの人たちに「oldboy」のヤツ、「トチ狂いよった」と馬鹿
にされる事、必定で、自分のステイタス(もしあればの話だが)が地におちる
こと、請け合いだ。
以後もこの「人魂」か「火の魂」かは知らないが、このこと、他言した事は
なかった。
しかし、確かに見たと言う事実は、このオツム(頭)にしっかりと焼き付いて
いる。
長年、生きて来て、夢、幻の類(たぐい)はいくつもあったはず。
しかし今もって「あれはなんだったろう」思えるこの種のものは、
コレが唯一である・
あれは「一体、何だったのか?」と思う「感覚」は、とうてい「幻視」
などでは済まされない、リアル感が今も残っている。
※幻視(げんし)・実際にはないものが、あるように見えること。
★★2 その日、京都での遅い講義のあと、地元、大阪は河内の実家に向かっていた。
左傾の画像、謄写版印刷の為の道具
一式である。
原紙をやすり状の板に置き、鉄筆で
ガリガリと蝋を削り、字を書くので
ある。
従って、別名、ガリ版刷りとも言われていた。
この仕事、oldboy君、ホンに不得意で、時間がかかる上に、インクの
ノリが悪く、字もヘタクソとくれば、なにおかいわんや、の状況である。
塾生には気の毒をした思っている。
時おり、この悲劇の先生を見かねて、塾生の女子中学生に恥ずかしながら
助太刀をしてもらうことも度々であった。
もしこの晩、いつも通り塾に行っていたなら、この怪奇現象に遭遇する
ことは無かったことになる。
それはともかく、その日遅く、母の待つ実家に向かっていた。
大学入学の折、部屋代、食費は免除とのご宣託をいただいている。
ただし「食事のオカズに文句は言うな」が条件であった。
遅くに近鉄電車をおり、まだ明るいが閑散とした商店街を過ぎ、ショート
カットギミの幾つかの裏路地を抜け、我が家近くの古くからの家並の通り
にでる。
そのいくらか立派?なアスファルト道路の電柱に、時おり銀色のアルミ
の傘に裸電球の街灯が「ポワー、ポワーッ」と緩く(ゆるく)ついている。
そこで、出会った不思議な現象が冒頭に書いたそれである。
火事ではない、今度は、その理解不能な現象から「実家に何かが」と気に
なり早足で、家路を急ぐ。
俺には少々、愛想のない雑種日本犬の「ホス」がユルユルしっぽを振り
出迎えてくれる。
このワン公の出自は、妹が連れ帰った捨て犬である。
追っかけ、「お帰り、ごくろうさん」と玄関右奥の土間で母の明るい
声がした。
了
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