oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (53) 怖かった落下する夢(もう見ることの無くなった今)は、成長するための対価として失ってしまったのか?

 

  

★1    新年おめでとうございます 今年もよろしく    oldboy-elegy

西暦2022年も令和で言えば、早くも4年の新年になった。
なにか、正月らしい、おめでたい話でもないかと思案するが、これと
言う
ものもない。

先年暮れの、100記事投稿・達成も、はや過去のこと、時間の経過の
早さも、
およそ無慈悲に風を巻き上げ、通り過ぎて行くばかりである。

そこで思いついたのが、初夢ならずとも、夢話のことである。

しかし、この夢とて、歳を重ねるにつけ、年々歳々、あまり見なくなった
ように思うが本当はどうだろう。

人が言うには、「今でも、若い時と同じだけの夢を見ているが、哀しいかな
覚醒してからの記憶として残っていない」のが現実だとか?

そこで、夢続きとして、子供のころから今も記憶に残っている、ある夢に
ついて話
してみる。

oldboy-elegy君、以前のブログにも、子供時代の夢について話をしたこと
がある。

内容は、「オネショ」のことである。

ある夢を見ると、そこそこの確率で「オネショ」に繋がると言うものである。

恥かしながら、この事で、小学校の修学旅行の折も、まんじりともせず、
一晩過ごした嬉しくもない経験もある。

※このオネショ話、今日の記事終了後に、リンクしておく、もしよろしければ

どうぞ。

今日は、下半身の話ではなく、空中遊泳に失敗、挙句の果て、地上に落下
する
と言うものである。
正月早々、めでたくもないか。

それでは、その馬鹿話、少々の時間があれば付き合って頂きたい。


★★2 楠(くすのき)とその実の、ゴムパチンコ玉としての秀逸さとは?

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上掲のイラストは、楠(くすのき)の葉と、その木の実(このみ)
図である


実の色合いから見て、10月~12月頃のものとoldboy君は推察する。

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oldboy-elegy君の子供時代の有力な遊び道具、ゴムパチンコである。
「チーンジャラジャラ」のパチンコではない。

上掲のイラストを見た感じでは、手作り感はなく、量産品の「売り物」
であろう。

oldboy-elegy君のそれは、木の枝を利用したものだ。
もっと武骨で、兄(義兄・長男)謹製の手作りのものであったが、威力は
一級品であった。


これをケツ(お尻)のポケットに差し込み、街中を闊歩する。
となり町の同類の「ワル」に遭遇しても何故か「気おくれ」すること
はない。


でもゴムパチンコだけでは、武器にはならぬ、そのためには「弾丸・
たま」が
必要なのは当然のこと。

葉っぱの下から「木の実」がたくさん見えるだろ!!そうそれが弾丸で
ある。


この実、イラストを見る限り、「小さく、ひ弱そうに見える」が意外に
そうでもない。

直径1センチは無理だが、7~8ミリ程度には成長する。

「でも、1年の内、弾丸として使える期間が??」の質問もあろうか
と思う。

ところが、この楠の弾(たま)、意外に長期にわたり使用できる一品
でも
ある。

夏休みが終わるころには、イラスト画のように熟れてはないが、緑色
カタイ実に成長している。


弾丸としての、威力のみを考えると、固い分、熟れたそれより、こちらの
方が威力があると言えるかもしれない。


季節が進むほどに、実が熟れ、紫から黒に変色してゆき、緩(ゆる)く
なって
いく。

この熟(う)れた弾は、違った意味で、効力を発揮する。
実が服の上で破裂、いやな臭いと染め色そこに残すことになる。

ポケットにこの実を入れて、遊び回った分には、その匂いですぐばれ、
母に叱られることになる。

通計すると、なんと、ほぼ半年の間、弾丸としての効力を発揮してくれる
優れモノなのだ。

南天の実も、それなりに試すが、少し小ぶりな分、「クスの実」には劣る。
そのうえ、何故か大人たちの怒りをうけることにもなる。

しかし、この上なく優秀なタマが他に存在する、花火の一種「カンシャク弾」
がある、自分達の町では「投げダン」と言っていた。

ただしこれには、お金がかかる。
お年玉で買う、年一回の「散財」がセイゼイである。

はなしを本筋の「クスの玉」にもどす・

  
★★★3   この木の実の弾(タマ)、採集するのが難儀なことだった

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※上掲の写真、その楠(クスのき)である。
写真のそれは、いかにも登りやすく、実の採集が簡単そうに見えるが、
oldboy君の近所の寺の「クスの木」は、そうはいかない。

ふつう神社や寺の境内の巨木の殆んどは、この楠か杉であることが多い。
とくに神社などは、境内の巨木を御神木(ゴシンボク)としたり、結界域
として、しめ縄や紙垂(しで)で囲んでいたりする。

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※紙垂(しで) 注連縄(しめなわ)にぶら下がっている稲光状の紙の
    こと。

多くは神社の場合が多いが、寺でも注連縄(しめなわ)をするところも
あるらしい。

上掲、巨木の写真は楠(クスの木)である。
たまたまこの写真では、比較的低いところから、枝葉がたくさんあり、
簡単に、実を採取できそうな、雰囲気がある。

だが、oldboy君の近くの寺の楠は、注連縄(しめなわ)もなく、
単に近所
の「大きなクスの木」の扱いであった。

根っこから4~5メートルぐらいの高さまで、枝葉が全くない姿で
「にょっこり」
と屹立している。

そう自分の力で登り、好きなだけ楠の実を手に入れるには、子供のみ
ならず大人でも難が
ある。

ただ時々の台風や強風のあと、ちぎれた枝葉が、たくさんの実を付けた
まま地面に落ちていることはママあったように覚えている。

「ア~ァ、自由に木に上り、カンカン一杯に実を取り、両方のズボンの
ポッケにも入れ、メンコ(べッタン)しに行きたい」と思う事しきりである。

それがこの近所のガキ達のあこがれであり、強い希望であったと思う。

屈強の若者でも、まずこの巨木に道具なしで登れるものではない。
まず、トッカカリの幹別(みきわかれ)れや枝が皆無なのだ。
よしんば低めに枝垂(しだれ)れたものがあったとしても、とっくに
(義兄)たちが、我々の為に、物干し竿か何かで薙(な)ぎ払い
済みである。



★★★★4 空中遊泳のつもりが、次の瞬間、地上に真っ逆さま、
      あわや大地に 激突!
か?!


読者諸氏、俺たちのこの楠の実への強い思いだけは分かってもらえた
だろうか。


このような、もどかしい日が続くある日のこと。

oldboy君が「クスの木を見上げていた折の事」なぜか、あの枝まで空中を
浮遊し、到達可能に思えてきたのである。

あの枝に取り付けば、全山(ぜんざん)、こちらのもの、などの妄想に
侵されていた。


姿勢も方法もおよそ解っている。
両手を一杯前に出し、胸には満タンの空気を貯めこめ、それからユックリ
はきだすのである。
そのあと両手を平泳ぎヨロシク前に出し、そのあと自身の両脇に空気を
掻き込む
のである。

なぜか、oldboy君、「出来る」と確信に近い感覚があった.


そのうち、手がかりになる枝は、目と鼻先の近場にあるかのようにも
感じ出した。


なんとなんと、自分の体がユックリではあるが、浮き上がり、
上昇し出した
ではないか。
やがて、目標にした、枝木(えだぎ)まで到達。

そこから尚の高所は木を伝って簡単に行き来はできる。

もう紫色も過ぎ、黒くなった実であったが、喜々として枝葉を
ちぎり、
地上に落とし続けたのである。


俺は、これで、弾丸不足に泣いて来た、ガキンチョ(腕白小僧)
たちの
英雄になれることも、約束されたも同然である。

地上に落としたクスの木の実はもう充分である。
そして有頂天のまま、地上に帰還の時が来た。

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なんの疑念も抱かず、自身の身を大きく空中に放りだしたのである。
!!??何故か次の瞬間、
地上に真っ逆さま、そして大地に激突か!?

全ては、そこまでである。


★5 それから後のこと


以後、小学生のころの同じパターンの夢を何回か見たはず。
しかし自身が成長するにつけ、何故か、この種の夢は見なくなり、忘れ
去っていた。


「なんやあほらし」と人は言うが、ある意味、oldboy君には大人への
「一里塚」のような夢だったのかも
知れない。
※「一里塚」 人生の最初のころ道標(みちしるべ) by oldboy-elegy

やがて夢の中で今見ている夢が「虚構」である事も悟り始める。
「こんな夢、あり得へんやろ!!」と夢の中の自分に毒突く、寂しいかぎり
である。

これもエレジー(elegy 寂しさ・哀しいこと)と言えば、そうか
もしれない。

  
                 了

                         oldboy-elegy

                 

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(雑感・雑記帳 No.48) 100記事達成(oldboy-elegyタイトル52稿、雑感雑記帳タイトルで48稿)併せて100記事になる。同時に年内最終稿がこれ!!

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  ★1 始めに

上掲の図、なんと思われる?
描いた本人もあきれ気味で、一度は降ろそうと思ったことは事実である。

大向うの諸氏から、やおら非難の声も聞こえてくる。
「これこれ、oldboy-elegy君、コロナウィルスで遊んだらだめよ」などと。
 
少々(いや大部に)見にくいかも知れないが、こう銘打ったつもりである。

「100記事投稿達成・by oldboy-elegy  Anniversary . 2021・12」と。

つまり、こう言うことである、

今日のこの記事がoldboy君100個目の記念記事なのである。

彼、基本、記事の内容から、二つのタイトルに振り分け文にしている。

ひとつのタイトルは「oldboy-elegy」であと一つが「雑感・雑記帳」
である。

前者が、彼の人生の中で、起こったことや感じたことを、後者は世相
などから拾ったあれこれを、コラム風に処置したものとである。

「oldboy-elegy」タイトルが前回で52個、「雑感・雑記帳」が47個、
併せて99が既UPと言うこと。

従って今日のこの記事をもって、併せて100記事に相成ると言うこである。

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※ 上掲のイラスト、お口直しのつもり。「いらすとや」さんからお借りした
ものである。

初出稿が2019・04で、以来、いく星霜?(2年と9か月)、毎月3記事
ポツリ
ポツリと書き上げてきた。
※初回月のみ、なぜか4記事、以後、毎月3記事出稿のテイタラク


実は、年末(12月)の最終稿(三記事目)が、たまたま100記事目になる
ことは
つい最近、気が付いた事で、意識したものでもない。

当初、100記事目も、「シレ~」とやり過ごそうと思っていたが、それが
たまたま
本年最終稿になる、ダブル記念になることを知ると、そうもできず、
今日のこの記事を
急遽投稿することに。

★★2  そもそもなぜ、ブログを書こうと思ったの?

もちろん、oldboy-elegy君にも、まっとうな理由がある。

その日は、病院への出勤日(診察)である。

病院は近所の、通い慣れたクリニックだ。

この日の診療も、腰痛とそれに繋がる足首痛の対処が主たる診察目的
である。
診察は,はなはだ、形式的で、いつも処方していただいている薬が
切れかかっているのを補充するためのものである。

診察の終わりに「oldboyさん、失礼だが、明日は何月・何日・何曜日、
すぐ答えられる?」との院長先生の突然の質問である。

少々唐突で、泡を繰った感はあったが、なんとか答えられた。

先生曰く「や~ゴメンゴメン」と言いながら言葉を繋ぐ。
「女の人は、隣近所、誰でもお喋りするが、男はイカン、それも特に独り者
は」と、oldboy君を諭すように仰る。

彼、この先生の言葉に、大いに納得。

そう、このサジェスト(示唆)の先にあったのが、「ブログを書く」と言う
行為だったように今では思う。

ひとは、何処まで行っても、「社会性」を必要とする生き物であるはず。

そう、「社会的存在・Social existence」としてのイクバクかの意味を取り戻す
場が、彼oldboy
君にとって「ブログ投稿」だったと思っている。

ウチに居て、俺が少々なにか(悪さ)しょうとも、取り巻く空気が、「そよ!」
とも
しない。
この現実はしょうしょうキツイ。

気楽と言う言葉に「置き換わり」はするが、あまりに存在感と刺激がなさ
すぎる
と最近になり、気がつく。

そして、この胸の空洞をいくらかでも埋めてくれるのが、この行為
(ブログ投稿)の始まりで
あったように思うがどうだろう。

「ブログ投稿」と「カラースター」それに
時おり入る、「ブックマーク・
コメント」などに嬉々としている俺・oldboy-elegy君がいる。



★★★3  おしまいに

細い、蜘蛛の糸ほどの「社会」との繋がりかもしれないが、これからも大切
にしていこうと
思う。

これが今年、最後の投稿になるが、このような文面になった。

100記事投稿達成とその100記事目が偶然、年末、最終稿になったことを、
ある
感慨として記述した。

こんなoldboy-elegy君ではあるが今後ともヨロシクお願いする。

             でわ でわ

              
 了
                    oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 NO. 47 ) 除夜の鐘は人為的(じんいてき)な騒音である、「ウルサイからヤメロ」騒動記・「論考?」oldboy君的 解決策を探る

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 始めに   

この記事、2020・01・02のリライト版である。

自分としては、お気に入りの内容ではあるが、読者諸氏にはもうひとつの

感があったように思う。

字数も大幅に減らし、時節もタイムリーのこと、再度挑戦のつもりで
UP
してみた。

感想など、あれば、嬉しい限りである。

それではスタートする。       by oldboy-elegy


★1   「  除夜の鐘」とお寺さんの「梵鐘」

oldboy-elegyくん、「さあーて、どこから書こうか」と思案中に、唐突に
「木枯らしとだえーてさゆる空より~・・・」の童謡の一節が機能障害一歩
手前の脳に去来。

たしか、文部省唱歌の「冬の星座」のはず、ともかくG検索を実行。

ありました、歌詞の後の方に「ものみないこえる、しじまのなかに」
しじま」の部分です。

除夜の鐘がゴ~ン
→冬の深夜→木枯らし途絶えて→静寂→冬の星座へと連想!

「静寂・せいじゃく」は「おのれが現在いる、近しい空間」の静けさで、
五感で感知できる範囲のものと勝手に設定。


「しじま」自分を離れて、天空から宇宙まで」を含む静寂て心で感じる
もの、とさせてもらいました。


そうすれば、「しじまのなかで」の前節「ものみないこえる」の、作詞の
意図がはっきりするように感じるのです。


「ものみないこえる」者、皆、憩える」で、「人間を含む、動植物
や物、存在する全てが憩える」とするなら、「天空・銀河、果ては冥界」
までもアリかなと思えるのです。


oldboy-elegyくん、およそ50年前のお話です。
夜具に潜り込み、枕元のラジオも消し、部屋は闇の状態です。


身も心も、外界と一体となり、静寂の中に在り、ある意味「至福」の時かも
知れません。
 


そんなおり、記事を書きながら、「俺、ナマで除夜の鐘、聞いた事がない!」
事実に気づかされたのです。

「河内」のこのあたり、真宗系の大寺が二つあり、中堅寺院や末寺の坊
など含めると、多くの寺がある土地柄です。

しかし「除夜の鐘」にまつわる記憶がない?のです。

「なぜ除夜の鐘」を耳にしなかったのか?今思い起こしても、理由は
これしか考えつかないのだが。

戦時中、半強制的に家庭内金属器などを「お国のためと」お上にさしだした
時期があった、これです。


梵鐘(ぼんしょう)などは金属の塊、これ1個で鍋、釜いくつ分に相当す
るのか見当もつかない、そんな鐘が鐘楼に無事にぶら下がっている訳はない。


そして、戦争も終わり、そんなに経っていないころ、国中が貧乏の極致、
失った鐘の再設置など、考えもしないし、食うだけで精一杯の時代で
あった。


数キロ先に国鉄(JRではない)の貨物専用の広い操車場があり、冷たい冬の
夜間など、貨物列車の編成中の連結器の音が「ガチャ・ガチャ・ガチャ・
ガチャ―ン」と「静寂・しじま」を破り、夜具の中まで聞こえてくることは
oldboyくん、記憶にあるが「ナマ除夜の鐘」の覚えはない。


「天空の凍てついた夜の静寂(しじま)」を破る、除夜の音を一度は聞いて
みたかったと言う思いは今もある


★★2  今日の主題である「除夜の鐘」の音は騒音か?

はてさて、21世紀のこの時代「除夜の鐘」が「うるさく、騒音」に聞こえる

人達が結構、いるそうである。


札幌のある寺院、苦情のため、今年(去年・2020)初めて、除夜の鐘撞
(かねつき)を中止するはめになったらしい。


鐘の音が「ある種」環境破壊?であり、自然音でもなく人為的なものであり、
もっと言えば「騒音以外の何物でもない」と電話による苦情が入るらしい。


「除夜の鐘の音」を騒音と感じる人が増える傾向にあるというのである。
 

この人たちを、あながち「文句言いのモンスター」と決めつけるのは短絡的で、
本当に「騒音」として聞こえている可能性もありうる。

本人にとっても「あんなうるさい音」を「情感あふれる日本の音」と愛でる
人の気持ちが、心底、理解できないのかもしれない。



★★★3  それではセミについてはどうだろう

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たとえば、セミの声だが、日本人は幼い時から種類別の鳴き声(擬音として)
を結構表現できるのが普通である。


例えばヒグラシ(カナ、カナ、カナ) 
ツクツクボウシ(ツクツク、ボーシ)
クマゼミ(シャー、シャーシャー、シャワシャワ)
ミンミンゼミ(ミーン、ミーンミーン、ミンミンミン、ミー)
アブラゼミ(ジャー、ジャー、ジージー
ニーニーゼミ(チィーチィーチチチー)などなど。


鳴き声のオノマテぺはoldboyくんが勝手につけたが、ご不満の方もあろうか
と思うがおゆるしを。 


まずセミの(種類別のなまえ)(姿かたち)(鳴き声)(出現時期)など
答えられる日本人は結構おられるはずである。


欧米人、とくに白人では、クマゼミの集団がうるさくそこで鳴いているのに、
聞こえない、聞き取れない人も結構いるらしい。


なぜか、多くの外国人と日本人とでは、これらの「音おと」を処理する
「脳の認識する分野」が違うのが原因であることが分かっている。


日本人は左脳の言語を司る分野で聞き、処理し、多くの外国人
(アジア人も含む)は右脳の音楽、音に対処する分野で聞いていると言う。


これらのことは「遺伝的素因」とは関係はなく、幼児から大人になる過程で
獲得されるものらしい。


あと虫の種類とその鳴き声も同じで、これだけの分類ができるのは、
おおむね「日本人」だけのようである。


また「松尾芭蕉」の有名な俳句で「静けさや 岩にしみいる 蝉のこえ」
と言う超有名な句があるのだが、欧米人にこの句を説明しても、理解して
もらうのは、不可能に近いものがあるようだ。


説明で一番困難な部分はうるさい蝉の音(声ではない)が、なぜ「静けさ」
と同居しているのか理解できないこと、またそれ以上に「蝉の声」自体が
聞こえない人もいるようで、よしんば聞こえたとしても「雑音・騒音」
ぐらいの認識であるらしい。


ふつう日本人なら、「山寺に向かう芭蕉が道中、「ニイ、ニイ」と鳴く
ニイニイゼミか「カナ、カナ、カナ」と鳴くヒグラシあたりを想像すると
思うがどうだろう。

そこで問題は、このようなことが日本人同志でも起こりうる可能性が今の世、
あるらしい。
それだけ、日本人の生活も変化し、それにつれ、後天的に付与される、習慣も
変化する。
どちらが正しい、間違っているの問題ではない、と思っている。



★★★★4  同じ日本人でも、近しい将来このように分化するのかも

今後、「除夜の鐘」を聞き、これを好ましいとするグループと、同じ
日本人でも「騒音としか認知できない人達」の分化が始まるのかもし
れない。


oldboyくん的には、残念ではあるが、セミの「声」や虫の「音・ネ」を、
聞き取れない「日本人」、あるいは聞こえても「騒音」以外のなにもの
でもない、と感じる「日本人」の存在
には驚く。


いくら説明しても「静けさとセミの音(ね)とが一つの句に同居する感覚
を理解できない「日本人」も、少しずつではあるが増加傾向にあることも
「事実」なのかもしれない。 


しかし、これらの現象(セミの声、虫の音が聞こえない、聞こえても単に
騒音)は、世界的にみればごく普通で、日本人の方が特殊なのだそうだ。
あとわずかに、南洋諸島の幾つか国、島々の人々の中に日本人同様に左脳
の言語野で聞く人々が存在しているらしい。


★★★★★5  してみれば、解決の方法はあるのか?

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(上掲、イラストのお方・カール・グスタフユング)いらすとやさんより

そこで、ここからは、いつものoldboy-elegyくん的解決方法(すこしおおげさ)
を「独断と偏見」をもって提示してみたいと思う。


その根拠はある著名な心理学者の研究を参考にしたものである。
心理学者(カール・グスタフユング、1875~1961)その人である。

多少前後はあるが、「フロイトアドラー」を加えて「心理学者3人衆」
である。
ユング=スイス生まれ フロイトアドラーオーストリー生まれ。
フロイト」などは「夢判断」などで有名だが、現在の心理学者の殆んどは、
この3人の研究、業績を基本とした系譜に属していると言われている。


oldboy-elegyくん、この3人の内、特に「カール・グスタフユング」の言葉
に注目している、と言うより、もともと自分に一番しっくりする「考え・論理
だなと思っている。


ユングは「民族による音や音楽にたいする感じ方の違いは古代から伝わる
神話や伝説、芸術など、人類の心の中で脈々と受け継がれてできたもの
集合的無意識)を土台に、その上に(個人的無意識)が存在し、その
最上部に固有の(意識)が形成されると言う。


個人の心理的要因の源泉に「社会や民族」と言う概念を基本に据え、
人の心を解析した最初の心理学者でもある。


もしあなたが明日にも結婚するとイメージしてください。
あなたと、彼(彼女)は今までの数十年間、全く違う環境で生活して
きたのです。
育った土地と風土を始め、あらゆる環境と経験は違ったものであった
はずです。


それぞれA国、B国としても良いでしょう。

しかし、ひとつ屋根の下に住んだ場合、今まで知らなかった、相手の
言質(げんち)、食事、行動など、になにかしらの「違和感」を感じて
しまうことも多々あるのは普通です。


小さな「異文化」の衝突です。 
あらゆる育ちの環境の違いが、「ユング」の言う、深層に「集合的無意識
として、自分も気がつかない心の形質が育ち、備わっていたはずです。 

ともかく、結婚・同居に於ける大小様々の不都合の発生は2個の「集合的
無意識」が偶然出会い、そこで初めて「意識化」されるものであったのです。

残念ながら、これを是正する方法は、話し合うことしかありません。



★★★★★★6 ユング的理論での解決方法とこれからの展望


上記の事を、今日のテーマ「除夜の鐘」に当てはめ考えるならば、およそ
次のような結論になると思われるがどうだろう。

いえることは、ある個人が不快に感じる「自然音・環境音・騒音)に
出会った場合、個人が既成社会の(集合的無意識)を壊すことは難しいで
しょう。(ユングの言う論理から)


ただし今ある既成社会を形成する大部分の人々は、彼(除夜の鐘は騒音だ)
を文句言いの「怪物モンスター」「不寛容の人達」として対立せずに「実際
そのような人達は存在しているのだ」と認識し、誠意を示し、科学的に説明し、
少しの時間を拝借し(除夜の鐘を楽しみしている多くの人のため)、
緩やかな納得を得る方法しかないと思う


根本から解決はできなくても、「了解・納得」は可能であるはずと思うのだが。
グローバル化・急激な情報化文明は、予想もしなかった新しい文化の概念・
ストレス・衝突を生むことが予想される。

だが一概に嘆いてばかりの一方通行の概念では事は進展しない。
近頃、「日本人」にしか理解が難しいとされる「心象」が様々の形で
外国に発信され始めたように感じる。


例えば、「まんが、アニメ、小説、映画」「日本のさまざまの節季行事・
歴史」など、ユングの言う「古代から伝わる神話・伝説・芸術など、人々
の心の中で脈々と受け継がれてきた集合的無意識」から生まれ、具現化された
「意識や心象風景」が発信されるようになった。


蟲の名、蟲の音を愛でる人達、が日本以外の地に現れてもおかしくない時代
なのである。


ひょっとしたら、外国の地でダンナが虫かごに蟲を飼い「あ~、良い音(ね)
だ」などと愛(め)でだしたら、「なによこの人、変な人」と伴侶にバカに
される場面もアリかもしれない。

「除夜の鐘をうるさい・騒音だ!」と対をなす話でもある。

うなれば、最終、文化の「相互理解・mutual understanding」しか手がない。
ある意味、可笑しくも楽しい世界でもある。

いやはや小難しい世になってきたもんだ、「ノー・ストレス」を、生きる
ことを基本としてきたoldboy-elegyくん、「やれやれ、つかれる」の思いが
本音かも。  
         
               ことしの大晦日                                      
 森閑とした 静寂(しじま)の奥の天空から、「除夜の鐘」が聞こえて
       くるのを期待するが、きっとムリでしょうね。
   
                    

                                                                     
                 oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

 

oldboy-elegy (52 ) 今日のお題は 「しけもく」と「コンサイス英和辞書」である。この二つの文言がどう繋がるのか?

★1 はじめに   メモ取り、あれやこれや

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(上掲の画像・フリー素材集・いらすとやさんより)

oldboy-elegy 君、メモ取りを日々習慣にしている。

メモ用紙は100均の商品で、セロハンの閉じ袋に数冊入ったあれである。
なんの脈絡もなく、ただメモった枚数1000枚近くになるはず。

人は、パソコンに整理して保存したらと言う。
昭和も早い時代に生(せい)を受けた彼、毎日パソコン使っているくせに、
もう一つ信用しきれぬ自分がいる。

目の前にゴムバンドで閉じたメモの山が幾つかある。
これを見てこそ、実感があるというもの。

機器はデジタルだが彼、基本、アナログ的マインドでもって生きている。
こればかりはどうしょうもできぬ。

読者諸氏にも、なにが原因か分からぬまま、折角の記事が消えたと嘆いて
おられる方もおられた、クワバラクワバラ。

oldboy-elegy君、これ(メモ)をすることで、認知症発症に抵抗している
つもりでもある。
とくに科学的論拠があるわけでもないが。

子供の頃の、自分の周りの人達の名前に簡単なコメントを添えたり、
中学生坊主が習う、簡単な英語のスペルなどもよく間違える。
その正解を書き留めることもある。

GYAO(ギャオ・無料映画配信サイト)の洋画で、原題と邦題のニュアンス
の違いなど、気に入れば、書き留めておく事もある。

例えば、原名「パーフェクトデイ」が邦題では「ロープ」になるなど、
面白い。

 
もちろん、ブログ記事になりうる、あるいはなったメモも多々ある。


そこで、今日の記事は、これらのメモから取り出したものを記事化した。

彼のブログ、およそ何かを示唆したり、教唆する要素はあまりない。
コーヒーブレイクのための止まり木に身を預け、「クスッ」とか
「アホか
こいつ」と思って頂けたら、それだけで当方「大満足」なのだ。


★★2  今日のタイトル「シケモク」と「コンサイス英和辞書」である。

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(bing無料イラスト画から)

この話に入る前に、少し勉強していただく。
なにも小難しいことでもない。

上掲の灰皿の状態とイラスト画について、oldboy-elegy君の持つ「シケ
モク」
なる概念(おおげさ)をお伝えするだけのこと。

まず、(シケモク)なる言葉をオンライン辞書、(Weblio・ウェブリオ)で
検索した結果
「もく」は「タバコの煙を雲に見立てた、その倒語」「吸い殻」の意。
「補語」として、第二次世界大戦後の闇市時代の造語で「ケチなタバコの意」
と出た。

oldboy君、この結果に少なからず異論があり、カチンときた。
「もく」と「吸い殻」は断じて別物である。
上記の検索の意なら、同じものの扱いである。

まず「もく」だが、「くも」の「倒語」とある。
タバコの煙を吐く様子を「雲・くも」にナゾラエテいるが、そのまま「雲を
吐く」ではなく、「クモ」を「モク」としたとある。

※ 「倒語」音の音節を入れ替えること、この場合「雲・クモ→モク」と。
強調や隠語として使用

oldboy君、これは知らなっかった。

しかし、彼の認識では画像は単に「吸い殻」で、「シケモク」とは言わない。
だがある意図が加わる場合「シケモク」に変貌するのである。

読者諸君、わかっていただけるかな、

そう、それは、この「吸い殻」を「灰皿」から引っ張り出し、少しでも
長いそれを見つけ、再度、火を付け、吸引しょうとしたとき、その「存在
が「吸い殻」から「シケモク」に「名称」までもが変化するのである。

断じて、「吸い殻」と「シケモク」は同じものでは無いことを強調しておく。

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「いらすとや」さんにありました、「ヘーゲル」のイラスト画像
 
★★★3 ヘーゲル様の言う「タバコの吸い殻とシケモクに関する考察?」

ここで「シケモク」からタイトルの文言通り「コンサイス英和辞典」に

入ろうとと思ったのだが、少し脱線気味の話をはさむことにする。
おちろん、oldboy君てきには「当を得た」ものであると思っている。

「吸い殻」と「シケモク」の違いを「ヘーゲル様の言」をお借りして「証明」

をしたくなったのだ。

その昔(1770~1831)ドイツにフリードリッヒ・ヘーゲル(イラスト画像)
なる哲学者がいた。

その彼の「弁証法哲学」に「唯物論」を取り込み、それが「唯物弁証法
に繋がる。
やがて、これに「動的要素」即ち「歴史」加えた
とき「唯物史観」への
人的系譜が出来上がることになる。

唯物史観・または史的唯物論」者の有名なお方が、マルクスだ。
マルクスはこれらの「実践的」思考の集大成として、あの資本論
著すのである。
カール・マルクス 19世紀・哲学者・ドイツ・資本論


マルクス」の生涯の盟友にエンゲルスがいる。

マルクスは、当時進行中の「産業革命」の中心ロンドンに長期滞在し
「資本」の非人間性を目の当たりにして、これを精神的原動力(モチべー
ション)として書き
上げたとも言われている。

わが大学のS教授がよく言われていた言葉がある。
その人の一番の業績の書物を手にするのも良いだろう。
しかしもっと大切なことは、親、兄弟、友人、恋人などとのやり取り
(手紙など)をまとめた書簡文から入り、その人と成りをある程度把握
することから始めることを薦める」と。

なんとも、唯物論の権化みたいな人が、対極にある、世の不条理に
対する義憤を憶える精神性を持ち併せていたのがなんとも興味がわく

一方、「エンゲルス」は、当時の世の非社会性を見て、社会の在り方や
あろうはずの政治形態など、様々の著作・論文でマルクスを助けた。

エンゲルスの著作「反デューリング論」から「抜粋」した「空想から科学へ」
は、当時の、社会主義への入門書的立ち位置で、比較的分かり良く、哲学書
言うより、むしろ一般大衆のための啓蒙書的リーフレット
小刷)である、
oldboy-elegy君、少々オツムが悪かったため、「唯物史観」のイロハは
この小雑誌「空想から科学」を入門書とした」経緯がある。

一説にはマルクスの「資本論」以上に世人に読まれたと言われている。

つまりこの後、良きにつけ悪しきにつけ、世界の経済・政治・文明・文化を
包含した変革の時代への序章であったことは間違いない。

マルクスおじさんが見た、産業革命下の英国。
悲惨な労働者、15才にも満たない子供が、足にザルを結び、大人では入る
事の出来ない細い炭鉱の先の
坑道に入り、残炭を拾い、足首のザルに入れ、
這いずり出てくるのである。(資本の原理と非人間性
もちろん、身体の危険度は高い。

史的唯物論マルクス」の、その著作の原動力は、他でもない、
心の叫びと言う、唯物論」とは対極の「精神的衝動」が源になって
いることは興味深い。

「シケモク」を説明しょうとした時、
「タバコ」に火をつけ「吸い殻」になる過程は
「タバコ」の自己否定
への過程である。
だが「タバコ」の本質ニコチン
入りの紫煙を生成する過程でもある。

背反する概念が「統一」する様子は、弁証法で言う、(止揚・アウフ
へ―ベン)
そのものではないかと、突然、感じ、それを書くため迂回さして
いただいた。
止揚・アウフへ―ベン  「 矛盾」する「対立」要素を「「過程」とし、
その過程を通じて、より発展的に統一されること  by  wikipedia

ここまでにしておく、きりがなくなる。


★★★★4
ここからが、oldboy君のいつものヨタ話で「しけもく」と「コンサイス
英和辞典」とが、からみあう話である。

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彼・oldboy君、大阪は河内で小さな塾の雇われ教師をやっていた。
もちろん、本業ではない、基本は大阪から京都に通う通学生である。
通学時間は往復4時間程度はかかる。

明日、朝一番から、必須教科(統計学)の試験日である。

oldboy-elegy君、こんな折、タバコ一箱(20本)を手みやげ代わりに、
前日から、友人の下宿宅に泊めて頂くのが恒例であった。

その日も、夕方、大学食堂で夕食をすませ、賀茂川は葵橋(あおいばし
近くのA君の下宿に入る。

この付近には、oldboy君、一宿一飯の宿を頼める友人が3人ほどいたが、
この日は、友人Aと、その隣室のB君と俺の3人で、一夜漬けの勉学に励む
つもりの集まりでもある。

明日の科目の試験通過率は半分ぐらいと、もっぱらの噂のD教授の「統計学
である。
3人とも同じ教科を受ける身である。

だれか突出(とっしゅつ)した、出来る奴がいれば良いのだが、似たり
寄ったりのぼんくら頭、足を引っ張ることが出来ても、明日の試験に役だち
そうなヤツはいない

毎年、出題されている問題もある。
統計学」の「相関係数」の概念や、実際の計算もあるのが例年の事らしい。

こんなおり夜中になり、タバコがきれたのである。

とうぜん、てみやげにもってきた、「しんせい」も、とっくの昔、煙と
ともに消え去っていた。

あるのは盆の上に置かれた「どんぶり鉢」に一杯になった「吸い殻」の
山だけである。


どこそこに、終夜営業の「ローソン」や「ファミリーマート」があるわけ
でも無い。

当然、タバコは専売品で、許認可された、いわゆる「たばこ店」でしか購入
できない。
もう少し時間が早ければ、食堂や酒屋で、分けてもらうこともできたのだが。

もちろん、売る側も口銭(ちょっとした利益)を乗せて、店の客にうることは
ご法度である。
買ってきた価格で客へのサービスのため、同額で分けるだけで、もしこれで
利益を取って、販売するなら、専売品違反で、お手てが後ろに回ることもある。

そこで三人の視線の先に同時に絡んだのが、どんぶり鉢一杯の「吸い殻の山」
であるのは当然
の帰結。
つまり「再生」しょうと目を付けたのである。

前段の「ヘーゲルさん」の項で言えば、「吸い殻」を「しけもく」として
復活させようと思いたったのである。

言ってみれば2度目の、「止揚・アウフへーべン」を目論んだのだ。

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ここで再度、灰皿に入った「吸い殻」のイラストを見てほしい。
今の時代の山盛りの灰皿のようすが、昔とは何かが違う。

読者諸氏、「何が、違うか分かるかな?」
そう、イラストの山盛りの「吸い殻」はすべて「フィルター付き」なのだ。

50年むかしの、灰皿の様子では、決してこうはならない。
oldboy君の時代、彼が知っている限りでは、「フィルタータバコ」は高級
タバコの「ハイライト」のみであった。
すなわち、当時なら「両切りタバコ」の「吸い殻」で山盛りになるはず。


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そうこの違いは大きい。
昔の「吸い殻」のほうが、収穫可能な「葉っぱ」の量は、「フィルター」が
ない分、今と比べるなら
圧倒的に有利。

そこで全員3人での「吸い殻」から「シケモク」への再生開始である。
まず小さな糸切りハサミで先の炭化した燃えカスを丁寧に除去。

刻まれた葉っぱ、結構な量になった。


★★★★★5 「しけもく」の葉を巻く最適の紙は、辞書のもの、それも

       「コンサイス英和」が最上級と誰かが言った

oldboy-elegy君、この事実、御存じだったのである。
塾の先輩教師になにかのおり、聞いたことを想い出したが、もちろんこれまで
実行したことはない。

あろうことか、今日の今、このウンチクを述べると同時に、最上級の再生
タバコ巻紙用の「コンサイス」を持っていることも、自慢げに友人の前で
披露したのである。

いつも思うのだが、彼、oldboy-elegy君、あとさき考えず行動して、後に
後悔する、たわけ者なのだ。

使用したページ数は4.5枚で、それも「前書きや、使い方」のページで、本文
ではないはず。

今、こうして思い出すも、再生タバコの味が、どうだったかはいざ知らず、
あの「コンサイス英和辞書」を傷物にしたことに、後悔しきりの心情が湧く。

その後、数回の転居のあと、どこかで、この辞書コンサイス、oldboy-elegy
君の手許から消えていた。

いま、こうして記事を書いているが、つらつら思うに、あの「コンサイス
辞書」紛失したのではなく、きっと自分を傷ものにした薄情な主人から「逃
げ出した」のかも知れない。
いやきっとそうだろう。


そんな俺も今は禁煙中の身である、およそ5年になる。
この間(かん)ちょっとしたはずみと間違いで一呼吸だけ紫煙を吸った
ことがある。


その時の無様な様子を、今日の記事下にリンクしておく、よろしければ一読を。

        それでは今宵もこれにて  でわ でわ 


                了
                               oldboy-elegy
                 

oldboy-elegy.hateblo.jp

(雑感・雑記帳 NO. 46) 河内のガキンチョの言う「コマンタレブー」・フランス語を愛してやまないかた、こんな下品な話になり、ゴメンナサイ

★1 はじめに

oldboy-elegy君、これまで幾度となく記事にしてきた経緯がある。

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それは彼自身、大阪は河内生まれの人ではなく、母に手を引かれ、
流れ付いた
土地が、たまたま、ここであった、と言うのが真相だ。

それまで、母と二人して、西日本各地を点々とする、故郷を持たぬ
根無し草
同様の生活を送っていた。

世人の子供達はもう小学校も始まっている。
意を決した母が、半ば強引に乗り込んだのが、父のいるこの地であった。

父は正妻との間に、二人の男子を持つ身で、oldboyくんの母は「お妾、
二号さん」と
言う身分になる。
自分の公的保護者は母であった。
両親が亡くなった現在も俺は母の名字を受け継いでいる。

小学校に上がったのは、一年生の夏休みも近いころの季節であった。
oldboy-elegy君、幼稚園も知らず、この時が初めての学校体験になる。

登校初日のこと、今でもハッキリ憶えている。

教室の床に大きな白い模造紙をいくつも敷き、四方八方から子供たち
が寄って
たかってクレパス、クレヨンでお絵かきの最中であった。

俺は女先生に促されるままに、皆の間に入り、側の女の子のお絵かき
道具を
借りて参加していた。
母は後ろの三角戸棚の脇に着物姿で立ちこちらを見ている。
今にして思えば、心なしか、彼女の表情には安堵の色が浮かんでいた
ようにも思う。


爾来、この地、河内を我が身の故郷として生きてきた。
まわりの、人達も、この聞き慣れぬ言葉を喋る風変りなoldboy君を
受け入れ、いっぱしの「河内もん」として接してくれたように思う。
※爾来(じらい) それからのち。それ以来。

★★2 

oldboy-elegy君、この風土に溶け込み、長ずるにつれ、なんの違和感
もなく
この地を我が故郷として育っていくことになる。

ここは、河内の真ん中「中河内」で、すぐ西は大阪市、東は信貴・生駒の
山並
に突き当たる。
その間を国鉄・関西線と近鉄名古屋線が東西に走る。

良し悪しは別に、この地域、人の気質・言葉を中心に独特の風土を封じ
込めた地域として、
存在していた。

学校の夏休み期間など、河内のアチコチで盆踊り大会が開催され、そこに
地域の連中と遠征組が、初めから喧嘩目的に集まり大乱闘が始まる。
なお音頭は河内音頭である。

毎年、盆も終わるころ、あそこで人が亡くなったとか、多くの人が警察に
連れていかれたなどの、噂が流れるのである。
冬は2月の節分会が、これにとって代わる。
なんのことはない、たんに喧嘩好きなだけである。

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長年、この地の天台宗末寺の住職を務めた「今東光・コントウコウ」
さんの奥さんが、放送局のインタビューにこう答えておられる。
「檀家衆も含めて、喧嘩・博打・夜這い・女郎買い、こんな話ばっか、
放送
もできひん」と嘆いておられたとのこと。

そう言えば、「東光和尚」もこの地の人達に当初から受け入れられた人で
あった。

なにか、同類同志の匂いを、「河内もん」は嗅ぎ分ける能力に長けて
いる
のかも知れない。
その証拠に、今さんの小説、特に河内もんを中心に、この地で開花した
のである。
一方、oldboy-elegy君、開花とは言わぬが、よろしくやっていた。


★★★3
コマンタレブー


さて最後に、この地のガキンチョ(餓鬼・品のない腕白坊主たち)たちの
間で流行っていた、フランス語?を紹介せねば終わりがこない。

ただ真剣にフランス語を追い求めている人には、チョット失礼かも
知れぬが、
そこはそれ、昔の子供たちの戯言として見逃し許して欲しい。

なんなら笑って済ましていただければもっと良い。

それでは始める。
まず、国連などでの公用語としての仏語の地位は英語の次とされる。
日本語?ましてや河内語??、なぬ日本語!小さい小さい、河内語、
存在なし。


「ご機嫌いかがですか?」は仏語で「コマンタレブー」と言うらしい。
oldboy君、フランス語も全くの門外漢で、大学での第二言語としても
縁は
ない。


ただ「コマンタレブー」は音として聞いた覚えはあるが、英語で言う
「How are you?ごきげんいかが」であり、それも最上級の改まった言葉
とのこと、これは知らなかった。

この品格ある言葉、誰が餓鬼どもに教えたか知らない。

その発音からくる感じ「コマンタレ」が、なんとなく日本語ポイのと
最後の「ブー」はブーで、河内のガキンチョの好きな「オナラ」である
ことは
言は待たない、失礼。
河内の餓鬼どもの流行り言葉になる要素、満載である。

そこで「コマンタレ」を「河内弁」の「こましたれ」として「いてコマシ
タレブー」と言いながら、お尻にゲンコを当て、握りっ屁(ぺ)を作り
気に入った女の子に向かって、ちょっかいを出すのである。
この河内弁を訳すなら「やっつけろ・ブー」ぐらいのこと。

下品なことこの上ない。

今思えば、男同士でこの「言葉」と「仕草」を仕向けることは無かった
はず。

ある意味、こども同志の求愛ダンスの様なものかもしれないと、今になり
思い始めている。

これにはいくつかのパターンがあり、他に「おならかましたれ・ブー」

それに「あかんたれブー」もあったと思う。
しかし最後の「ブー」は変わらず握りっ屁に変わりはなかったはず。
やられる対象者はもちろん女子である。

だれが教えたか知らないが、チビッコの間に意味も判らぬまま、流行って
いたのである。
そのことが河内全域か、あるいは、oldboy君の住む近所だけの子供の戯言
(ざれごと)だったかは分からぬ。

何べんも言うが、ホンにつまらぬ馬鹿話、ゴメンなさい。


★★★★4
合掌

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今日の記事中に、今東光さん が登場されている。
東光さんと言えば、必ず出てくるお方が瀬戸内寂聴さんだ。

その彼女、先ごろ(2021年・11・09)に亡くなられたの訃報が入る、
99才であったと言う。

因みに、「今東光」さんの「東光」は本名で、法名は「春聴・しゅん
ちょう」
とおっしゃった。
一方、「瀬戸内寂聴」さんの法名「寂聴・じゃくちょう」は東光さんが
名付け
親である。
ご自分の「春聴」の前の部分、春を「寂」として、併せて「寂聴」とされ
たとか。

★★★★★5

今東光」さん、「oldboy-elegy」くん、比ぶべき存在ではないが、同じ
よそ者ではあるが 同じ「河内者」として当初から受け入れら
れた事は
同じである。


なにか、チョットした、「悪さ」の匂いを嗅ぎ取り、同類と認定して
もらった
事が、ことの始まりだったように思うのだが。

oldboy-elegyくん、ナマの「今東光・コントウコウ」さんにお会いした、
「イヤ遠望したと言うことの方が正確かな」ことがある。

俺達の、成人式のお祝いのスピーチが彼だった。

その上、彼のスピーチの一部分を幸か不幸か憶えている。

それが、宝塚の「ラインダンス」を見て
「あるべきところにヘソがない、不自然だ」
と成人式の会場で、マイクを
通じて、仰ったのである。

踊り子さん達は、コスチュームの下に、肌色の下着を付けていたのに苦言
を呈した格好である。

彼の彼たる、真骨頂である。
と同時に、50年以上昔のヨタ話を、こうして記憶している自分にもあきれて
しまう。

         でわ でわ お休みなさいませ


                了
                                               oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 NO. 45 )「オワコン」10年ほど昔の、ネット流行語大賞5位・今では、この言葉自体が「オワコン」になり、自己完結したと言う話

★1 はじめに

「お兄ちゃん、そんな言葉、いまごろあんまりはやらんよ」と固定電話
口の
向こうで、7才歳下の妹が,侮蔑とまでとは言わないが、あきれ口調で
宣(のたま)う。

「お兄ちゃん」とは、不肖わたしoldoboy-elegy君の事をさす。

最近、ブログ記事から仕入れた「オワコン」なる言葉がある。
とは言っても、書き手の年恰好(としかっこう)も性別も判然と
しない。

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左の情けない図画は位牌のつもりである。
亡くなられたのは「オワコン」さんだ。











「オワコン」なるネット用語
自体が「終わったコンテンツ」になり、
「オワコン」
が「オワコン」になった、と言う。

一時代を象徴した言葉が「死語」となり下がる様子を具現化したものとして
位牌を掲げた。

oldboy君、「オワコン」の「ン」の字と「ソ」が頭の中で混濁し判ら
なくなってしまった。

情けないこと、この上ない。

その言葉とは「オワコン」なるもの。
な~んだそんなものと、皆は言うだろう。

虚勢をはるつもりはないが、以前から見聞きはしていて、そのおよその意味
は察しは
ついていた。
だがコンが何を指すのかは、もう
ひとつはっきりしていない俺がいる。

「コンサート」「コンプリート」「コンフィデンス」などそれとはなしに、
いろいろ代入してみるが、
どれもしっくりこない。

もちろん、「グーグル検索」なる宝刀も存在するが、右手ヒトサシ指一本で
印字する身、そこまで
してまで知りたいとも思わぬ。

この時代、干からびた、oldboy君の頭に流入する言葉は数知れずあるが、
その一つ一つに明確な意味を与え、記憶さす必要も感じない。

ましてや、彼の記憶野を司る脳のシワも、摩耗が進みそれどころではない。
必要としてインプットしたハズの言葉も、ツルンツルンと滑り落ち、忘却
の彼方に飛散する。

長年蓄えた、つまらん記憶をトドメルだけで精一杯の、ご様子である。


★★2

正解はコンテンツ(CONTENTS)だと言う。
なるほどと一瞬思ったが、すぐに???となる。

そう、この言葉、理解するのになかなか厄介なもので、使う場所、使う人達に
よって千変万化(せんぺんばんか)するシロモノ、一筋縄(ひとすじなわ)
でこうだとは決め付にくいものがある。
※千変万化 さまざまに変化すること。

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基本的な訳語としては、複数形として「中身・内容・ねた・・」とある。
※グーグル翻訳 と 1985、研究社版、新英和中辞典 から

この「オワコン」なる言葉がもともと存在してたわけでも無い。

そうインターネット上の流行り(はやり)言葉である。
十数年前から使われるように
なり、2011年には(ネット流行語大賞)5位
にも選ばれたことがあると言う。


インターネットやパソコンの無い時代では出現しない代物だ。

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いま、手元の英和辞典(1985・第五版・研究社)を天眼鏡を使って見て
いる。
まだパソコン、インターネットに侵されていない時代の辞書である。
※天眼鏡(てんがんきょう)凸レンズの拡大鏡

結構な字数での解説はあるが、「オワコン」に通じる言葉は当然存在
しない。

CONTENTの複数形で「書物・文書などの中身」とあり、これが元意で
インターネットが進化するにつけ「映画・テレビ番組、マンガ、アニメ、
ビデオ、ゲーム」などのあらゆる娯楽媒体が「コンテンツ」一字の
基本概念と一体化し、用語の意味の拡大化が行われたのだと思う。

その最隆盛期から、十余年、世は巡り、「オワコン」そのものが、この意味
で「終わったコンテンツ」として、葬り去られようとする今日この頃である
らしい。


★★★3

もちろん、この話、自分より一世代(10年)は若い感覚の妹ぎみからの
ご教授である。

いくら妹でも、彼女へのクレジット無しで、書き、記事化するのは気が引けた。
それ故、記事の冒頭に出てもらい、ある程度のサジェッションをいただいた
ことを告白しておく。
※サジェッション ここでは指示、示唆を言う

結論として「オワコン」とは「ブームも去り、時代が必要としなくなったコン
テンツ」のことで、最近ではその「オワコン」なる言葉自体が「オワコン」

になりつつあると言う、ややこしい話である。

「お兄ちゃんはお兄ちゃんらしく、昔の匂いのする、文章でエエヤン」
と諭される始末。

彼oldboy-elegyくん、もとよりそのつもりであるし、それしか出来ない。


全体的には意味は想定内だが、これで「コン」がはっきりした。
「めでたし、めでたし」と言うことである。



よくよく、思うに、我が妹、高校時代は演劇少女であったことを思い出す。
それも、舞台俳優ではなく、裏方をしながら、シナリオもこなしていたらしい。

一度、京都大学西部講堂脇の広場で、当時の反体制劇団?アングラ劇団、
唐十郎の「状況劇場・テント劇場」へ、妹に請われるままに行ったこと
がある。


演目はたしか「腰巻お仙」でなく「
ベンガルの虎」だったはず。
妹の愛読書は?そう思い出した、演劇理論の大著ベケット全集」で
あった。
因みに、oldboy君、この本、自慢じゃないが
一読もしたことはない。

「オワコン」は別にして、ほぼ50年前の話にもつながる。
テント劇場脇のはだか電球の柔らかい光と温もりが何故か残影としてある。
妹には失礼だが、齢(よわい)重ねた兄妹の話でもある。
 

                       了          

                          oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 NO. 44 ) 名無しの権兵衛さん曰く、「大学って、サンガク部なんて、あんのかよ、男でも入部OKなん?」「・・・お前なに考えてん?」


        
                 
      

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  ★1 はじめに
     自分の目の調子と文字列におけるフォントについて少し

oldboy-elegy君、ここ半年ばかり前から、ブログに関するチョットした
悩み事を抱えている。

それは記事を書く時の、文字列の事、IT・PC で言うところのFont
(フォント)に関することである。

ブログ立ち上げから間もないころの記事中で、目の冴えない状況をぐちり、
チョットした手術をしたことを報告した事があった。

その不都合とは、医者曰く、瞼の筋肉が緩み、まつ毛が眼球にあたる、
いわゆる逆まつ毛状態で、それが眼に不快感を与える原因になっている
とのこと。

余りに的(マト)を得た、ご説明、こうして書くのも腹ただしい。

老化現象?それもそうだが、30才後半の若い人にもママ見られるとの事、
気を付けてくださいね。

この手術は上手く行ったのだが、同時に医者に、右目が初期の白内障
診断されて、この2年間、眼科に通院、経過観察と目薬3種類を処方して
もらっていた。
症状は良くなることはない、ただただ現状維持がせいぜいで、手術の
タイミングを計っているようなもの。

ここへきて、目が少しかすみ、本、特に文庫本・新聞・それに肝心のパソ
コン文字の読み書きに弊害が出始めたようである。

ここで、先ほどのパソコンのフォントの事にもどる。

読み、書き の作業が、標準フォント100%の細字に少々つらいものがある。
それに白のバックにピンクの細事で書かれた文字、ましてや80%のフォント
文字などは判読お手上げ状態である。

一番の問題は、記事を書くことで、最近はフォントサイズ(大きさ)を変えずに
フォントウエイト(字の太さ)のみ替え、同じ太さのまま、フォントカラーで
変化をつけるように、しているつもりだが、はたして。

つまり、申し訳ないが、自分の記事の書き良さを重点にして、作業している。

従って、今書いている、この記事の文字列が、oldboy-elegy君の「標準
フォント」となり、あとは「カラー・フォント」で変化を付けようかと
思っている。

書く事自体は楽しくやっている。
目を含めた体調全般のこと、考えてもセンナイこと、あとはこれまで通り気楽
に楽しくやって行くつもりである。
※ (センナイ・詮無い)   仕方がない事

ただ体調全般としての調子はすこぶる良い、朝の寝覚め時など、今から
100メートルダッシュが、可能な気分になることもある。
しかし、ベッドから起き上がると、この地球のG(重力)の現実に思い
知らされることになる。

               ★★2

           ここから今日の本題である 
  ユーモア賞?「聞いてニッコリ、少しクスクス、のちにチョット考え込む」

ある関西の私立大学、新入生歓迎のオリエンテーション会場でのことである。
新入生が通る花道は、体育系クラブはもとより、文系クラブも含めて、
新入部員獲得の場で、華やかで楽しげな光景が映し出されている。

そこに、この情景を取材していた、関西限定のテレビ局の映像がニュースで
流れていた。

その会場でマイクが偶然、拾った言葉がこうである。
名無しの権兵衛さんが、映り込んでる訳でもない、音声だけであった。

それが今日のタイトル
「おい大学ってサンガク部なんてあんのかよ、男でも入部OKなん?」
「・・・・お前なに考えてん?」
これである。

 

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彼は「サンガク」を「産学」と理解したようだ。

つまり「山岳部」を「産学部」あかちゃんを産むことを学ぶ部と想像した
のである。

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近頃はやりの「産学連携」とは考えにくい、なぜなら「産学連携部」なる部名
など聞いた事がない。
また役所の中にそんな部署がoldboy-elegy君の知らぬまに創設されたのかは
知らない。

この学生(新入生)の相方が
「お前、なに考えてん?」と問うているのを、考えると「産学部」で、
「産むことを学ぶクラブ」とするのが自然だと思う。

この音声は偶然か、わかっていて流されたのかは分からない。
もちろん、この事に言及したコメントもなかった。
気づかない視聴者がほとんどだったろうと思うが、果たしてどうか。

じつはこれ、そこそこ以前の話である。

この話、ブログ立ち上げ(2019・04)から三か月後に記事にしてUPしたものの
リライト版の位置づけと理解していただいてもOKである。

当時は可笑しく、面白く感じたものだったのだが、今では少し事情が変わって
きているのである.

往年(oldboy-elegy君の学生時代)の山岳部、登山部は文字通り山登りを
するための部活、一択である。

20kg~30kgになんなんとするリュックを背負い、もくもくと歩き、難所高所を
技術や気力で踏破する、ある意味、禅の修行僧のようでもある。
※ 踏破・とうは   困難な道や長い道のりを歩き通すこと

ときおり大学の創立や創部周年記念とかで、はるかエベレストとかマナスル
K2を目指す晴れ舞台もあるが自分が在学中に企画される保証はない。

たとえあったとしても登山訓練以外に調査、費用集め(寄付金集め)
やアルバイトなど、前途に、いくつもの難儀(なんぎ)が待ち受けて
いる。

不思議なのは、oldboy君の大学の山岳部などの学部別構成をみると、
授業で忙しいはずの工学系の学生が比較的、多かったように思う。

果ては留年覚悟の局面もありうる。


今このような大学山岳部に誰が好んで入る?
山の好きな人は大勢いるが多少とも事情を知るものなら避けてしまうのが
普通であり誰も非難できない。

oldboy-elegyの時代の山岳部には、名誉山岳部員なる部員も結構いた、5回生、
6回生の人達である。

山好きな人は多い。
山岳部以外に登山部、探検部、ワンダーホーゲル部、ハイキング部など
自分の希望する山との関わりかたはイロイロである。

近年は一種のブームで「山ガール」、歩きなしのクルマで行く「キャンピング」
などもある。

oldboy-elegy君の読者さんにも、ハイキング・キャンピングに特化したブログ
を運営しておいでになる人も多い。
それも、oldboy君などのブログとは、比べようもないくらいの人気である。


一方、本格登山を目指す大学山岳部は今どこも人材難で部員数確保が喫緊
の問題でもあるらしい。
※喫緊・きっきん 「至急」「急いで」の意味
数人の部員でかろうじて命脈をつないでいる大学山岳部もあると言う。

              ★★★3
  今の時代、ヒョットしたら、あの学生君が言った「産学・産む学問」
  もアリかな、笑っている場合では無いのかも知れない、と思ってしまう

oldboy-elegy君ここでふと考えこむ。
「ヒョットしたら産学部を発想した彼のほうが山岳部を当然と考えたoldboy
より現代的で、より時代性を如実に表しているのでは?」と。

oldboy-elegy君がまだ学生であったころ「サンガク」は「山岳」であり
「山岳部」以外考えにくい言葉で時代であった。

ゆえに、このニュースに接し、思わず「にやにや」したり「くすっと」笑い、
少し和んだ自分がいたのである。


しかしこの「令和」の時代、ひょっとしたら笑えぬことかもしれぬ。

      

                         ★★★★4 
             おしまいに

当時、東京大学上野千鶴子先生の入学式の祝辞が評判になっていたが、
この先生の研究のフィールドが女性学やジェンダー論なのである。

さあそこでだ、この先生のお話の中にもし「サンガク」の言葉が出て来るなら
「山岳」より「産学」のほうが自然で適切ではないのかと思うのだがどうだろう。 

上野先生の「女性学」の中の一分野に「産学部」はともかく「産学」なる
文言があっても可笑しくもないし、ごく自然に聞こえる。


従って冒頭の新入生君の言葉「大学って産学部ってあんのかよ?」も、特別
おかしなことでない時代なのかも知れぬ。

一つの言葉でも時代が変われば変化していくのは当然の事なのだ。
世の中の国語辞書などの有名どころは10年程度で改定するらしい。
ムベなるかなの思いでもある。
※(ムベなるかな) 当然なこと

oldboy-elegy 君の頭を占領していた「サンガクブ」の99%は「山岳部」
である。
いや100%かもしれぬ。

長く人間をやっている彼の常識もどんどん改定されねば(時代に置き去り
されかねぬ)運命にあるようだ。

今日から「サンガクと聞くと、山岳ですか?、それとも産学?と聞き直す
ことにするが、どうだろう「笑われる」かな??!!



               了 
              oldboy-elegy
             
             

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(雑感・雑記帳 NO.43 ) 「ガッシャン・バシバシ・ドテドテ・ボキッ」扇風機がご臨終あそばした時の、擬音を時系列に並べたものである

 

 


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上掲のイラスト画像は、どなたが見ても扇風機である。
ただし、この図柄、どなたが見ても横向きにおねんねしている。

いくらPCスキル不如意のoldboy君でも、なんとか画像回転はできる。
即ち、意識的にそうしたのである。

横になりながらも、回転し、風を送っていた、けなげな奴であった(過去形)

それが何故に「お釈迦になり!」「お陀仏に!」

それゆえ、倒れた画像を、象徴的意味合いで横向きに貼らしていただいた。
すなわち、扇風機の、ご臨終の様子を表したつもりである。

今年の夏、それもまた、お盆明けのころ、扇風機があの世、いや違った、
壊れたのである。


その壊したヤツが、誰あろう、oldboy君である。
その扇風機への鎮魂の意味も込めて、今日の記事にしている、次第である。

まずは、8月の盆過ぎに発生した事故から、その顛末を書く。

★1段

長年、連れ添った扇風機が重篤な故障でお釈迦になった。

我が、敬愛するヘーゲル先生流によれば、見た目は扇風機でも、存在の
合理的理由
(風を
創り、送り出す能力)が無くなれば、扇風機でなく、
もはや、たんなるゴミとなり果てた、と言うことである。


 すべてoldboy君のせいだと思うが、自身、「壊した~」と言う実感も意識も
持ち合わせていないのに、なぜにこうなった。

まだ夜明け前のことである、
oldboy君、なんの過不足もなく、ただ深い眠りの中にいた。

★2段

そこに、突然、部屋中にトドロク、意味不明の轟音。
その音をカタカナで時系列的に書けば、およそ次のようなもの?と想像する。

「ガッシャン・バシバシ・ドテドテ・ボキッ」

「ガッシャン」は、扇風機の倒れる音、「バシバシ」前部、安全ガードが
はずれ、羽が木製の床を回転
しながら叩いている様子、「ドテドテ」は扇風機
が床を這いずり、最後の
「ボキ」はプラ製の三枚羽の内の1枚がちぎれた音。

この擬音列、きっとこうだったろうと、振り返り、半分、想像で書いている。

oldboy-elegy君、寝ぼけの中の「半覚睡」状態、、あとでよくよく考えて
みたら、こうだったはず。


彼、通常、夏場睡眠時、暑さ対策のための基本的な準備ルーティン(流れ)
がある。


まず暑さに対処するための道具?一式を用意する。

●1  最低13年は経ている古エアコン(パナソニックではなくナショナル
           時代
のもの。基本リモコンを枕元に置くのみ。
●2  アイスノン枕型(冷凍庫に2個入っている)1個をベッドに持って
          くる。

●3  昔懐かし白いタオル4枚用意する。
●4  最後に、扇風機くんを足元に置くが、風は遠くの天井を向いている。
   以上である。


基本、oldboy君、エアーコンに依る冷房と扇風機の風が、直接体に触れるのを
極端にお嫌いな体質なのである。

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まずエアコンは結構使うが、冷房運転は殆んどない、風呂上りや、就寝の前
数十分で、あとは除湿機能、それもタイマーでセット、一晩中つけっぱなし
にすることはない。
貧乏独居老人の引き算生活(年金からの)のせいもあるが、機械が作る単調な
風に体がついてゆかないのが本当のところ。



それでも、暑さで、寝苦しく、目の覚めることも、ままある。
そのための便利品が「枕型のアイスノン」ということ。
2個あるが、1個ずつ使用。
これで一日の24時間のフルカバーが可能になる。
ただし、フル冷却後のアイスノンは、裸での利用には冷たすぎる、よって
彼の場合、綿の昔ながらのタオルを1枚づつ3枚巻いて、4枚目は枕カバー替わりに三つ折り程度にして頭の下に置く。

明け方に、頭から首にかけて、ボア~と寝苦しさを感じたら、巻いたタオルを
適宜剥して調節すれば、完璧である。

さあ~ここで、ご登場なのが、今日の主役の扇風機くんである。

どう考えても彼(扇風機くん)をあの世に送ったのは自分であると思って
いる。
チョットした彼の不注意が全てと、今は自戒している。

★3段

それでは、今日起った事故までのその必然をoldboy君的に検証
してみる。

全て夏の夜の、安眠のための準備は出来た。

当然エアコンは、除湿モードである。
この時リモコン液晶に同時表示される
温度?があるが、いまだにその数字の
意味を彼は知らない。

冷房時の表示温度と何が違うのだろうか?

いつも、除湿モードの時、意味も解らず、25~28の間を選択する。

基本oldboy君の部屋は六畳のタタミべやである。
ただし、安物のカーペットをその上に敷いている。
部屋から、ベランダに出る部分の床は、巾40~50センチ程度の板床になって
いる。


そう、問題の扇風機はこの板の床に置くのが常。
もちろん、タタミとマットの上より格段に安定する。

自分の 体に、直接、風をあてることはない。

ただ、今日の間違いは、この置き場所が、oldboy君の寝ているベッドに近
すぎたことが全てだったと、検証する。

意識はなかったが、自分の「左足で扇風機を蹴った」ようだ。

倒れた瞬間、扇風機の羽を守る前部の安全ガードがハズレ、回転していた羽
が直接、木製部分の床に回転したまま衝突、経年変化で弱った羽の1枚があえ
なく破断、これが、今日の不幸の全てだと思うが、どうだろう。
破壊の行程はこれであの擬音の説明がつく、
「ガッシャン・バシバシ・ドテドテ・ボキッ」と。

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今、壊れた扇風機の後釜にお座りになっているのは、サーキュレーターと
言う
名の送風機。
アマゾンで手に入れたものである。

床にペタと鎮座し、ゆっくりと部屋の空気を静かにカクハン、壊れた扇風機に
替わり任に当たってくれている。
壊した本人が口にするのは申し訳ないが、回転している羽根の音も聞こえず、
その静音性が気に入り始めている俺。

エアコンの除湿機能、時節柄このごろは休止状態である。
ただし新入りのサーキュレータは音もなく回転し、ゆっくりと部屋の空気を
カクハンしてくれている。

              でわ でわ お休みなさい

 

                           了
                                      oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 N0.42)最近カラースターを購入しだした、そのつまらん理由・「はてなPro様ゴメンなさい!」いったいどういう事?

最近、彼oldboy-elegy君、はてな有料カラースターを購入し、読者様の
記事やブックマーク・コメントの返礼の場に使用している。

このこと、特段の積極的な理由があって、やりだしたものではない。
ただ、彼にとっては、ある意味、自身の心理的バランスを保つための
手段としてのカラースター購入であった。

今日の記事、「昭和・をとこ・の心情の機微」ぐらいに捕らえて読んで
頂ければ嬉しい。

             
はてなブログカラースター  ★<★<★<

およそ希少度は上記のようで、ブルーが最上位、あなたの目的、思惑で
自由に楽しく使ってとのことである。


はてなブログで最近、カラースターを使い始めたoldboy君

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ここ数か月前からoldboy-elegy君、はてなブログカラースターを購入、
気のむくままに配布している。

決して、読者諸氏のブログ内容を、推し量った上でのものではない。

ただ買ったもの、費消せねばなるまい、との緩い圧があるのは事実。


そうそのことで理由を述べておきたくて、この記事を書いている。
そこにはoldboy君流の、情けないと言うのか、あきれた理由が起因している。

彼、これまで、自分のIT・パソコンの技術の拙さと、情けなさを幾度も記事

にし、口にしてきた経緯がある。

決して、おもしろ可笑しく、誇張したものではない、現実がそうであるから、
どうしょうもない。

同時に、そんな時の、OCNのリーモートお助けマンの、活躍も記事にして
いる。

本来なら、ブログなど、皆さまにお届け、披露する側の人間では無い事を、
充分に了解しているのだが、なにをどう間違ったのか、今ここにこうして
ブログ記事を書いている。

それも、はてなブログ様の無料版をお借りし、なんとか曲がりなりにも、
記事の
発信をし、楽しませてもらっている。

月の記事数、3個、2年6か月かけ、やっと90記事チョイ、oldboy-elegy君、
ブログを書く以上に、機器としてのパソコンとの付き合いに
ホトホト難儀した
日々だったとの印象が濃い。


当然、ブログ機能設定蘭(ダッシュボード)などには、はてなブログ
から(PROへ)の移行のお誘い案内が目に付き始めている自分がいる。

その都度「悪いな~、俺にモウスコシPCスキルがあればなー」との
思いに
取りつかれる。


そう、彼のブログを見て頂ければわかる通り「超デフォルト」状態で運営
しているのが現状である。
自慢じゃないが、飾り気ゼロの、超原初のままの手抜きデザインである。


はてなブログPRO」にグレードアップして、より自由度が増し自分流に
カスタマイズするほどの能力を彼、持ち合わせていない事が原因である。

その事を知れば、今、楽しく書いているはずのブログが、何故か自身に
一定の心的負担を与えることになる。


はてなブログ」の会社としては、「早く、Pro」に移行してもらい、
なにか
しらの収入を期待することは、これも当然のこと。

oldboy-elegy君、このことは「はてなブログ」の決まりの内でのことで、
なんら恥ず
べきことでは無いのは重々、分かっているつもりだ。

しかし、何故か、指先に細い小さなトゲがささり、時おりピリピリしている
感覚に陥る。
そう、はてなさんに「無料でオンブに抱っこ」と言う、申し訳ない心理状態

がそれである。


ここら当たりの心の揺れ、昭和生まれはダメですね、グズで。

「自分はこんなに楽しませていただいている、それも無料で」と
、一度そう思うと、どうにもならず、「自分の心のバランス」を得る、
方法として閃いたのが

「有料カラースター」を購入することだったのである。

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調べて見ると、「Pro」の月額フィーと、「カラースター」1000円分が近い
料金
だったことが幸いして、贖罪のつもりで購入し出したのが本当のところで
ある。
まことに、不調法で消極的な話である。
※ 不調法(ぶちょうほう)手際の悪いこと。また、そのさま。

まだ、購読者数も300名様弱で、決まった使用方法もないが、試行錯誤を
重ねて、これから考えたいと思う。

はてなブログPro」への移行を遠慮することで生まれる「チョットした
心の贖罪」を「カラースター」購入と言うことで「心のバランス」を得ようと
したのが事の発端だった。


彼oldboy-elegy君としては、ナイスな考えのように思うが、これはあくまでも
彼のみのもので、他の人に強要する物ではないことを、断わっておく。

それでは、昭和生まれのoldboy-elegy君の「あかんたれジジイのエレジー
(哀歌・挽歌)」ぐらいの話として聞き流していただければ嬉しい。


            でわ でわ お休みなさい


                       
         
                       oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No41 )3・ 世の中にあふれる言葉から、琴線に触れたもの、おもしろいもの、憮然としたものなどを拾い、彼的にコメントしてみた


このシリーズ(同じタイトルで)で過去2回UPさしていただいた、今回が
三回目になる。
人様の発信した「ユーチューブ・グーグル検索スレへの反応」等を中心に、
タイトル通りの、oldboy君の目線で拾い集め、コメントしたものである。

所詮、oldboy-elegy君のこと、やや斜(ななめ)目線で世の中を見て、悦
に入っているアホな御仁である。


               それでは早速はじめる。
        
         
           第3弾 の 記事は 下記一話のみ

         あるヨーロッパ系の「名無しの権兵さん」曰く

       ニコンの「このカメラじゃ、UFOは絶対撮れないわね!」

ここで言う(UFO・ユーホー)とは断じて、「焼きそば」のことではない。
未確認飛行物体、ユー・エフ・オーのことである。

 


下のイラストは、UFO(未確認飛行物体)が地上に現れ、人間を拉致した
瞬間の貴重?な画像である。
もちろん、この劇的瞬間を撮影したカメラは「ニコン」ではない?

 

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この言葉 ニコンの「カメラじゃ、UFOは絶対撮れないわね!」は
世界的に有名な日本の「光学機器メーカー」ニコンの新製品
発表の
コマーシャル映像を見ての誉め言葉の一つである。


画像は、昼光の地球上の山中から、白く浮かぶ月を、ズーム
アップし
ながら撮影したもの。
そこには、月面のクレーターや、宇宙と月の間の輪郭線には切り立つ
山々が手に取るように映し出されていたのである。

このニコンのカメラとは、ここ数年、アップグレードを続ける、
新製品のことをさしている。

oldboy君、もともと「IT音痴はもとより機械音痴」であることは、
ブログ
でも公言してきた。

従って、ここでは、いかに光学的に優れたものであるかを技術的に
説明するものでは
ない。
oldboy君が注目したのは、「その誉め方、誉め言葉」のユニークさに
感嘆
して披露しようと、しての記事である。

とうぜん、これ(コマーシャル映像)を見た、国外かろの反応は、賞賛
の嵐である。

この
幾つか、名無しの権兵衛さん風に紹介してみる。

●安定の日本品質
●心のヒダまで覗かれそう
●宇宙飛行士が月に残した星条旗はどこだ
●俺も、このカメラを買って、宇宙人基地を見つけてやる

など、バカバカしいほどの、「男の子}の賞賛で埋められている。

さてここで、少し異質の反応コメントを発見。

それが最初に書いた「このカメラじゃ、UFOは絶対撮れないわね!」なる文言
である。
これまでの反応コメントは全て肯定的なのに、この一文
だけ、なぜか否定的に
感じてしまう。

だが、このセンテンスには「このカメラじゃ、UFOは絶対撮れないわね!」に続く文言があったのだ。
それが「なぜか性能の悪いカメラだけが撮影可能だから」なる一文である。
「ウヌ、まだ???、否定的に聞こえる」

ひとつの文にすれば
「このカメラじゃ、UFOは絶対撮れないわね!なぜか性能の悪いカメラだけが
撮影可能なのだから」
となるが、はたして、この上記のセンテンスが、ニコンのこのカメラをユーモア
を交えながら「大称賛」をしていることになるのか?

この、文章の本意は、
この(ニコン)のカメラでは、これから、もうUFOの写真は取れなく
なるぞ、
なぜならそれは、全て性能の悪いカメラで撮られていたの
だから、
となる。

一見、否定的要素を並べた文面ではあるが「これまでのボロ・カメラでは
実在もしない、UFOと言う虚像(UFO)を撮ることが出来た」がこのニコン
があればそのような
ことはもうなくなるぞ、と言ってるのである。

誰でもが持つ
共通の認識を媒介として、ある意味「高次のメタファー・
METAPHOR」、暗喩として、「このニコンのカメラは、超絶、素晴らしい」

として、最高の賛辞を送られているように、oldboy君は理解する。

一見、誉めているようには思われない言葉が「UFOは実は存在しない」と言う
無言の「常識」を軸に、より間接的表現ながら機能「メタファー」された、好例
だと考え、記事にしたのだが。
※メタファー 直接的表現ではなくとも、間接的、表現ながら、より強い効果
出している。

読者諸氏、いろいろご意見があろうかと思うが、oldboy君の言葉遊びと言うことでお許しを乞う。

        それでは、今日はこれにて   でわ でわ

                             
                           oldboy-elegy

下記記事、短文にて3話掲載

oldboy-elegy.hateblo.jp

下記記事、短文にて2話掲載

oldboy-elegy.hateblo.jp

oldboy-elegy (51)おれ、oldboyくんが、一生分の「運」を使い果たした日?・それと我らが「ガキンチョ・腕白坊主」と「駄菓子屋」のユル~イ一日

 

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左の図、まことに申し訳ないが
ブタではなく、乳牛のつもりで
ある。
5~6回、「モーモー」
唱えれば、やがて乳牛に
見えて
くるはず。


お尻が赤いのと、「首から顔、
前足
から胴の部分、最後に後ろ
脚を
含む、お尻部分」と三分割しそれぞれA・B・C とした。



はじめ言葉のみで説明しょうとしたが、なかなか、状況・意味が伝わらない
と思い、しかたなく、この上手な図画?恥を偲んで書く事にした。

上手、下手はともかく、図の様子はわかるはず。

それでは、図全体を一枚のカードとして見たててほしい。

ではこれより本題に入るとする。


               ★1
    むかし昔その昔、「ミルクキャラメル」なるお菓子が存在した。
    「森永」でなく単に「ミルクキャラメル」であることにご注視。

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ただし一個一個、油紙と言うのかワックス紙とかで個装してあり、見た目も
清潔感があり、人気のキャラメルである。

メーカーは、知れたこと、あの「森永製菓」であり、創業時からの主力品
でもあるらしい。

しかしここで言う、キャラメルは単に「ミルクキャラメル」で「森永」の
カンムリが抜け落ちていた。

  
                 ★★2
     oldboyくんちの近くに「チュウコヒン」なる「駄菓子屋・
               だがしや」
があり、我々チビッコのもらう、わずかな小遣いは 
           殆んどはここで消えていた
はず


oldboy-elegy君の初期のブログにも、この「チュウコヒン」なる言葉が何度か
出てくる。
ただこの「チュウコヒン」とは、この駄菓子屋の、本当の「屋号」でもない、

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この店名、我々ガキンチョが、使うもので、たんに、その様に呼ばれ、流布
していたもので、それ以上でも以下でもなく、もっと言えば「言葉の意味」も
存在しない子供の世界での事である。


ポケットにチャリチャリ、小銭の音がすれば「オ~イ、チュウコヒンいこや、
奢(おごる)ったるわー」程度のもの。

きっと語源は、近所の口さがない大人たちが言う「中古品」なる言葉
から漢字の意味が抜け落ち、音(オン)のみが残り、子供達の間に流布
したのかもしれぬ。

「チュウコヒン、チュウコヒン」と。
※ 中古品 (使用し、やや古くなった商品)
※ 口さがない (他人のうわさや批評を無責任・無遠慮にすること)

そう言えば、oldboy君も、老、女店主の前でも、気にせず、本来の意味も
知らず「チュウコヒン・チュウコヒン」と言っていたはず。

            
                ★★★3
   さてここ、「チューコヒン」でも、「ミルクキャラメル」は売られて

   いた。
   ただし「森永」の物でなく、単に「ミルクキャラメル」であって、
   意匠(化粧箱)も当然違っていた。

それが証拠に、我らがスーパーマーケット(チューコヒン)には本物は
置いていなかった。
きちんとした記憶はないが、恐らく価格も倍ほどは違っていたはず。

それに、この品、「あてものカード」が内封されていて、カードの種類に

より1箱から10箱の「ミルクキャラメル」がもらえる仕組みなっていた。
その一部が最初の図と言う訳である。

個ではなく箱で、こども心にも、なんとも豪気な景品である。

それでは、ここで「当てものカード」の種類を書いておく。

●4 なんとビックリのハズレなし。ただし乳牛さんが図のようにA.B.Cに
  分割され
それぞれの、部分が赤色で明示される、3部分揃えば、カード
  と 交換に一箱貰え
る仕組み。
●3 初めから、乳牛さん、全身が赤の場合、即その場で一箱。
●2 そして、銅賞なしで銀賞が五箱
●1 もちろん、一等賞、金賞で10箱、夢のゴールドメタル
以上がこのカードの景品交換の仕組みである

駄菓子は当てもの、おまけ、景品の類が、お好きである。
このへんが、駄菓子屋のダガシヤたるゆえんでもある。

ただしoldboyくん、家の勉強机の中に、尻赤カードばかり、何枚か入っている。
これまで、なにがしかの当たりくじを引いたことはない。



確か、記憶の中のデザインは、濃紺の中に黄色で「ミルクキャラメル」と
色抜きされていたように思うが、これも怪しい。


言えるのは、「森永」を意識した、「偽物」とまで言わぬが「二流品」である
ことは明瞭である。


 
                  ★★★★4
    さて、ここからがoldboy君の「一生分の運?」が付く
          始まり「序章」である。
      もちろん、得物(えもの)は、あの二流品の
                  ミルクキャラメルである。

実は、この店(チューコヒン)は彼等の(食品マート)を務めていたばかり
でなく、おもちゃ屋(トイザラス)の役目も担っていた。
ある意味、貧乏人の子せがれ達のショッピング・モール的、存在であった。

oldboy君的に言えば、(食品マート)より(おもちゃ屋)としての存在が主
であったように思う。
特に正月はチビッコとしても、大人に負けず、なにかと物入りの季節なのだ。

今と違い、当時の「お正月」の雰囲気は、子供心にも、こころおどる特別感
がしたものである。

まず、まだ昔ながらの「正月遊び」が健在であった時代である。
女の子は、「赤いおべべ」を着せてもらい、羽根つき(羽子板)、紙風船
つき、ゴム飛び、部屋に集まっては、トランプ(ヒチ並べ)や百人一首
坊主めくり)など「お正月」でしかしない、遊びに興じた。

一方、ガキンチョ(いたずら小僧)どもには、山ほどの種類の「正月遊び」が
ある。
駒回し、凧揚げ、べッタン(メンコ)、風船とばし、花火とくに投げ弾・煙幕
・ねずみ花火など夏花火とは趣が少し違う。

それに近所の大きな家の座敷に上がりこみ、親公認の夜中までのゲーム大会、
もちろん「中古品・チュウコヒン」で買った駄菓子の数々が持ち込まれ、
場の景品となり、取り合うのだ。

              ★★★★★5
    そんな正月のために、oldboy君、「チュウコヒン」に今、買い出し
         にノコノコやって来たのである。

今晩は、道路向こうの大きな家でのカルタ大会にご招待されている。
例年の正月行事でもある。

朝までとは言わぬが、時間制限なしのお遊びである。
親、公認のチョットした、子供専用のバクチ大会でもある。

ふところは、それなりに暖かい。
両親はもとより、数人ではあるが、父の小さな工場の人達からも「のし袋」
をいただいている。

勇んで「チューコヒン」に買い出しに出かけるoldboy君の背に、母の声が
追っかけてくる。
「お金、要る分だけにし~や、全部持って行ったらあかんで~」とおらんで
いなさる。

             ★★★★★★6
           ここからが最終章である。
    もうすでに、賢明な読者諸氏は、このあとoldboy-elegyくんに
              一体、なにが起ったのか、ある程度推察が可能な域に入っている。
             
とうぜん、今夜の駄菓子を賭けた、バクチ場に持ちこむ、(種銭・タネセン)
の購入
が目的である。

直径2Cmぐらいある色付きの飴玉にザラメ砂糖をくっ付けた「デカボールアメ」
栗色に焼いた「あんこ饅頭」・「せんべい」・「おかき」などなど。

そこにoldboy君、ふと、目がいった菓子があった。
ただの一箱も当たったことのない、あの「ミルクキャラメル」である。
ほんに軽い気持ちで木製の平箱の中のそれを一箱手に取る。

いまは、あの当てものの「乳牛カード」には全く期待をしていない、自
分がいる。
ただ20粒近く入った箱、「今日の博打場」でばらして使えば、なにかにつけ
便利かと思いついた
だけの事。

すぐに新聞紙で作られた、大きめの三角袋が菓子で一杯になる。

そのまま、支払いを終え、帰ろうとしたが、そこはそれ、フト全く期待もせず
例の「ミルクキャラメル」を引っ張り出す。
どうせ、乳牛のお尻赤札に決まっている」が「一応、確認しておくoldboy君。

透明のセロハン紙を剥ぎ取り、箱に指を突っ込み、全く期待もせず「当てもの
カード」をつまみだす。

「なんじゃこれは?」これまで見た色とは違う、「銀色のカード」が
oldboy-elegyくんの指先で輝いている。
彼まだ「??!・・・」の状態で「一体何が・・」の「ホケ状態である」

それで目の前の「チューコヒン」の老女店主に「おばはん、こんなカード
が・・」と、自分の身の上に起こった事実を理解し始めた彼がいた。

女店主、「うっそーこれ5箱の交換カードやん・・」と、スットンキョウな
キリキリ声をあげる始末である。
なにかおばはんも、初めての体験に遭遇したかの振る舞い様である。

このあと、何故かおばはん、よそよそしくなり、おまけに機嫌も悪くなった
ように感じたが、何故だろう。

最終的に、乳牛全身赤札が一枚、A・B・C赤部分組み合わせが1組の、総計
7箱ゲットで、最初に購入した1箱を加えるとなんと8箱の「ミルクキャラメル」
が手元に入ったことになる。
そう、言わば言うところの「盆と正月、一緒に来たよな」忙しさではなく、
嬉しさ
である。

これが今日の話のハイライトで「一生分の「運」を使い果たした日?」と
言う訳である。

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左傾の画像「安田の華ちゃん」
である。
当時中学1年生ぐらいで、家族
6人の朝、夕の賄いを一人でこ
なしていた。

後に、第何次かの「北朝鮮
帰還船で、次男を除く家族
全員で帰還した。

oldboy君、大学生のころ
母から、彼女の訃報を聞く。
自殺だったらしい。



oldboyくん、まだ上気の中、「安田の華ちゃん」の家まで急ぎ、ことの
次第を
説明、近所の吉雄始め、連れ3~4人の分など、五箱を残して、
家に帰った。

※ 上気の中(のぼせたまま)

oldboy君の「運気」も、ここで尽きるのではと、ちと思ったことも正直な
ところ。
 
それゆえ、少々「大仰」に、一生分の「運」と書かしていただいた。

               ★★★★★★★7       
                 それから

思うに、oldboy君がこの世に生を受け、初めての「吉兆」がこれかも
知れぬ。
※ 吉兆 なにか良い事が起こる前ぶれ

この後、種々の「運気」に遭遇したはずだが、何故か、このガキンチョ
時代の、ささやかな「運気」は、思い出の上位にある。

ミレニアム紀、前後の頃(西暦2000~2001)、他県に嫁いだ妹と久しぶりに
この懐かしの地で、待ち合わせたことがあった。

そう、今から20年以上も前のことである。

兄妹ともども、この街を離れて随分となる。

駅の2階のパーラーで軽く食事をすませ、妹を誘い、駅の南側の商店街を
そぞろ歩いてみた。

アーケードの突き当りが、神社で、並んで大きな、真宗系の寺がある。

このあたりが、oldboy君達が割拠した遊び場であった。
寺の大きな石段は、べッタン(メンコ)の対外戦の主戦場でもある。

もちろん、「チューコヒン」もこの先にあった。

妹が何気に言った、「なんか寂れた感が漂ってるなー、子供ら、ここまで
殆んど目え~へんで
」と、のたまう。

やがて神社の大鳥居が、やや曲がった通りの先に忽然と姿を現す。

もう、ここまででええわ、なんか余計に侘びしくなるわ」
と妹に駅にUターンすることを促す。

この時、何気に神社の大鳥居の下を見ると、そこに白いケム(煙)の中に
「人型の幻影」が
浮かび上がったように見えた。

やがて焦点を結んだ幻影は、人の姿になった。

そこには的屋(てきや)の親分の孫、勇吉を始め吉雄、孝雄兄弟、
「洟垂れ」の勝男、みんないる。


とうぜん、真ん中にoldboyくんも。
彼のうしろには、おさげ髪の「安田の華ちゃん」もいる。
彼女の左手は彼、oldboy君の肩に。

みんなニコニコ顔でこちらを見ている。
「華ちゃん」の右手は彼女の胸の前で、小さく揺れて、サヨナラをしていた。

そして次の瞬間、精霊の白いケム(煙)が、はじけて、消えた。
そして、あとに、「ワー」と走りゆく歓声が聞こえたようにoldboy君には
思えた。



                

                  oldboy-elegy


今日の記事、同様、「駄菓子屋」とこれを取り巻く「子供達の群像」を主題に
した、過去記事である。

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oldboy-elegy ( 50)  いまさら乍らの(悔恨・無念)の想い、いくらでも機会があったろうに、母を連れだし京都旅行に行ったことがなかった、このこと

 

ついこの間(2021・08・22)投稿の文面での「京都市内の情景を思案中」
ふいに
母の生前の着物姿が脳裏をかすめた。

中学校に「俺の悪さで?」呼び出された時の母の、お姿である。

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薄紫色の着物姿、手には信玄袋(タバコのしんせいとマッチが入ってる)
その上、
今日は、薄いベージュの日傘もお持ちだ。

母の完璧なお出かけモードのお姿である。

現実は、体育の先生が自我を忘れ、俺に連続10発ほどのゲンコをくれた
ことがあった。
この、あと始末に母が
呼び出された、これが事の真相である。

父ではなく、母が俺の正式の「保護者」である。
しかし日ごろからoldboyくん「授業参観・運動会・学芸会」 など学校
行事には「こ(来)んでええ~」と拒否、一点張りであった。
※こ(来)んでええ~」 河内弁で「来るな」の意

だが今度はそうはいかない、「学校からの呼び出し」である。

母に、「呼び出し」があったのは、小学時の「集団柿泥棒」以来のはず。
そのためか、めったに来る
ことがない学校に出向く折は、上掲の如く気合
を入れなさるのである。

              ★1
パソコンから身を起こし、しばし、母を想う自分がいた。
すると、母に対する、強烈な「悔恨」の想いが、フツフツと湧き上がる自分に
気がついた。

「お前は、馬鹿か、人でなしかそれとも、ただの鈍感なヤツ」だったのかと
なじる言葉を俺の上に投げつけるoldboy君がいた。

そう、四年もの間、学生とし通いながら、ただの一度も母を「京都見物」に

連れ出したこともない自分。
ましてや、卒業式にも「来るか?」の声ひとつかけていない。

そう言う事である、母の喜びそうなこと、なにひとつ、してあげた記憶が

ないことに、今更ながらに気がついたのである。

普段から、強がりを通す彼女、どれだけ寂しかったか、恥ずかしながら
今きが付く、バカ息子がここにいる。

そう「親不孝者」の自分に、今更ながら、初めて気が付いた、次第である。

もちろん、彼女、京都見物など、経験はないはず。

幼少のoldboy-elegy君の手を引き、西日本、アチコチを点々とし、糊口を
しのぐ
日々はあっても、それは旅行とはいわない。

              ★★2
彼が、小学校、入学の年齢になったのを機に、母は意を決して、父のいる
大阪へ、「押しかけ女房」ならず「押しかけお妾」として「来阪」したので
ある。

f:id:oldboy-elegy:20200406001208j:plain



この時、oldboy-elegy君、こんな事情で小学校入学は通常の2,3か月遅れで
あった。
もちろん、彼、幼稚園なるものは知らない。


この辺の事は初期のブログにいろいろ書いてきた。

よければ目を通していただければ光栄である。

              ★★★3
ともかく、前掲のホンワカ京都記事を書いていた折、このような思いが突然、
去来した。
しかし、今日のような心情に陥る(おちいる)のは初めてのこと。

多分、先の記事、大学から「今出川」をそぞろ歩き、「賀茂川」から「葵橋・
あおいばし」「下賀茂神社」と京の緩やかな陽光を満喫する自分が、いかに
幸せ者であったかを感じていた事への真逆の「アンチ・シーン」が、苦労もの
の母を
突然、映し出させた原因と思う。

亡き母を、今、京都見物に連れ出すのは、現実には出来ぬこと、
それゆえ今から、架空の京都見物にお連れしょうと思ったが、これも
やめにした。
あまりに、取って付けた作り話、哀しすぎる。

あの時の俺が20才前後、母を47歳ほどに見立て、一泊2日の「京都

見物に連れ出したなら、どんな旅になるか、「ブログ記事にしょう」と
思い立つが
結果、余計に悔恨、哀しさがつのることに気がつく。

            ★★★★4
つまり、一度逃した人生の悔恨の一コマは、どうしょうもない時空の彼方に
流れ去り、
取り返すのは不可能なようである。

「亡き母と、架空の京都旅行」をとの、突然の閃きに、勢い込んでパソコン
の前に座ったものの、筆が進まなかった。

結局、自分の都合だけで話を作る行為に、「後ろめたさ」が募るのみと,
感じた
のが本当の所である。 

この「悔恨・無念」の想いはoldboy-elegyくんが、これからも背負い
続ける「業・ごう」
である方が、納得できることに、今日、いま気が付く。

この記事、はじめ少々長くなる思いがしたが結局、自分の本音をごまかす気が
して、このような短文になった。
今日は、このままUPするのが良いと思う。


               
                         でわ でわ 今日はこれにて 良い夢を

                了
                              oldboy-elegy
  
今日の記事、下のリンク記事を、思案中に、忽然と湧き上がったもの。
内容は対極の、自分ひとりのルンルン気分で終始していた。

もし良かったら、併せてお読みくだされば光栄である。

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oldboy-elegy (49) ソウル暮色 「韓国軍の日」、3軍(陸、海、空)の軍事パレードを観た、そこになぜか、小さなジョン・ウェイン?が軍用ジープでやって来た

             初めに

これまで、韓国物の記事、リライト分も含めて4記事ほどUPしてきた。
この一連の記事のこれまでの最後が、
2020・03・01投稿の「ソウル暮色 金課長のお宅に(お呼ばれ)の
はずが
・・・」である。

そう、課長奥さんの逆鱗(げきりん)に触れ、マヌケ男二人が、彼の
自宅の門前から追い
返され、そそくさとホテルに逃げ帰った時の話だ。

ある意味、この出来事も見ようによっては、韓国的なハプニングであったと
思う。

普通、日本人だったら、第三者(oldboy-elegy君)の面前でここまで、自分の
ダンナ
を罵倒はしないだろう。
ただ夫婦二人きりなれば、あずかり知らぬこと。

内容は、韓国人夫婦のチワ喧嘩に巻き込まれた様子をコミカルに描いたもの

である。
韓国の床屋事情が招いた珍事件とも言える。

この記事、最下段にリンク記事として再掲しておく。
見ていただければ嬉しい。

今日の記事を読むのに、チョットした予備知識が必要なことがある。

それは「ジョン・ウェイン」と言うアメリカ人、知る人ぞ知る、往年の
名優?さんで、戦争映画にも「中堅の将軍」などの役柄で出演。

その折の乗り物が「軍用のジープ」で、倒したリアーの窓に行儀悪く
自分の長い両足乗せ、戦場を
走り回るさまを、oldboy君は連想する。

そこで、失礼ながら、ジョンさんにここで、チョットしたギミック的
役割で出て
貰ったのが真相である。
このシーンを念頭に置いて、読んでもらえば、理解してもらえると思う。
※ ギミック(gimmick) 英語で仕掛け、略を意味する。  


                 ★1
                        今日の話はここからである

ソウルは、今日この日は「国軍・コックンの日」で、大規模な陸・海・空、
3軍の軍事パレードが行われる日でもある

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上掲の旗が「韓国の国旗」である。
これを記憶だけで描くのは、oldboy君にとっては不可能である。
四隅の「遺伝子組み合わせ?染色体?」みたいな図柄を再現するだけでもう
無理なのは明白。
「あの四隅の文様」を卦(ケ)と言うらしい。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の「卦」の「ケ」である。
四つともそれぞれに違う図柄である。
なにか大切な公式の場で、旗の左右か上下だかを、間違え掲揚したこと
あったらしい。

韓国人でも間違えるのだから、ここでは外国人であるoldboy君、
「むべなるかな」の思いが湧く、これのみ考えても日本人で良かったと
思う。

「その軍事パレードでジープに乗ったジョン・ウェインの雄姿を見た!??」


いったい何のこと?
まあ~読んでいただければ、チョットした笑いと共感が得られるものと
「勝ってに」
に思っている。

oldboy-elegy君の姿、この日、ソウル・ミョンドンのホテルのコーヒ・ショップ
で見ることができる。

時節は1970年代始めで、10月1日か10月15日のいずれかの日か断定は出来ぬ。
ただ、1974年8月に発生した、いわゆる「文世光・ブンセイコウ」事件はまだ
発生していない。
※文世光事件とは、 在日韓国人であった、文世光が、韓国大統領の奥さんを
暗殺
した事件のことを指す。

oldboy君、この事件の日も偶然、韓国出張の初日で、チョットした「スペクタ
クル」を感じさす1日を経験した事がある。
いずれ記事にするかもしれない。

あの友人の井野さんと連れ合い、この日は仕事そっちのけで、パレード見物の
予定である。


天候は、快晴で100メーター?道路の両脇はすでに多くの人で埋まっている。
道路は多分、鐘路(チョンノ)で、先は、現在のデモのメッカ「光化門広場」や
官庁街に通じている場所のはず。

そう今日は「国軍・コックンの日」で、韓国軍(陸・海・空 3軍の)合同の
大掛かりな
軍事パレードがここで行われることになっている。

oldboy-elegy君、およその情報はホテルで聴き及んでいる。
一人で行くのもいいが、こんなおり、連れ添って頂けるのが、同じホテル
に同宿する「井野さん」である。

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これまでの、ブログ記事中にも何度かご登場いただいたこともある。
「井野さん」とは特段、ビジネス上の付き合いがあると言うわけでもない。
ただ、彼等、韓国人の民族的習性や思考パターンなど、日本人とは異なる
特性など、折に降れ、教えてもらっている。

人は彼のこと、「ソウルゴロ」とか「一匹オオカミの井野」とか悪しざまに
言う人は多い。
がしかしoldboy君、なぜか仲が良い、いわゆる「馬が合う」と言うのだろう。

ウオーカーヒルシェラトンホテルのカジノも何度かお誘いいただいた。

もちろん、そんなに大金とは言わないまでも、チョットした遊戯代持ちで
ある。

まれに、手持ちのお金が倍ほどになったこともある。
そんな折に、掛け金ように頂いた、お金を反そうとするが、受け取ってもらえ
ない。
「そんならホテルに帰ったら、サンドイッチとコーヒ奢って」と仰るのが
せいぜいである。

ゲームも誰でもが参加できる簡単なルーレットかバカラが精一杯で、ポーカー
ように人の間に埋まり、おこなうゲームなどムリ、むり。

つい先日、今日の、この日の「軍事パレード見物、付き添ってもらえません?」
とお願いしたら、二つ返事で「いいよ」と快諾。

oldboy君、自分が興味ある事には、仕事より優先するのが常である。

そんなわけで、今、パレード進行方向の道路右側の群衆の中に二人してまぎれ
込んでいる。

やがて、特別のマエブレもなしに、緩くカーブした広い道路の向こうに、
たくさんの旗と軍旗や国旗が見えてきて、こちらにやってくる。
始めの内は、行進曲などの鳴り物が耳に入らず、なにか、もの足りなさを感
じたが、ここに来て、拡声器による行進曲や軍靴による、歩調の調子、群衆の
歓声も加わり一気にヒートアップ。

やや足を蹴上げた歩調と様々な軍旗の波が何百と眼前を通過していく。

次に、4台のジープが登場、カラーリングは白だったかグリーンの迷彩だった
かは憶えにない。
先頭に一台、そのあとに3台が横一列になりこちらにやってくる。
ジープは全て屋根無し、両方のドアー無し、前面のリアーウインドウも折り

たたんだ状態の完全な軍隊仕様である。

きっと、前1台が3軍の将で、後ろに続く3台のジープには陸・海・空 の将が
乗っているのだろう。 

気にして欲しいのは先頭の車両である。



                ★★2
         さて、ここからが今日の本題である

    ここソウルで、ジープに乗った、ジョンウェインを見た、になる

読者諸氏のうち、ある程度以上の年齢のお人はご存じで、若いお人達では、
ご存じのかたは
皆無とは言わぬまでも、少数派と推測するがどうだろう。

かれジョン・ウェインアメリカの伝説的俳優で、戦前に作られた
「幌馬車」や戦後のThe longest day」和名「史上最大の作戦」にも出演
して
いる。
いわゆる、当時のアメリカを代表する「国民的」俳優でもある。

あー、それに身長は190センチ越えの大男、、おまけにレイシストであったこと
でも有名、自身にとり都合の良い時代に生きた、なにも考えない、典型的
アメリカ人だったのかも知れない。
ある意味「バカさ加減が丁度いい」おっさんだった、と言う人もいる。

以上は、およそoldboy君が持つこの人へのイメージである。
もしファンの方がおられたらゴメン。

さあそこで、眼前を通り過ぎようとする「将軍たち」、中でも4台の先頭を
行く3軍の長である人を見て、oldboy-ekegy君「なんじゃあれわ!」、
同じく井野さんも「oldboy君、あいつの態度みた?!」とあきれ顔。

ジープには天井もサイドドアーも付いてない戦闘用仕様のもので、こちらから見
ても車内は丸見えなのだ
本人以外に運転手と、後ろのシートには副官?、二人が威儀を正して座している。


この将軍?
まず右手に指揮き棒をもち、体は思い切り深く、背もたれに寄り掛かり、その足
の行方が、なんとなんと、想像できます?

そう、、軍靴をはいた両足は交錯したまま、折りたたんだリアウインドウの上に
デンと置かれているのです。

身長がジョンウェインや大谷(野球の)さんのように190センチ越えもある
偉丈夫(いじょうふ)なわけでもなし、
※偉丈夫 体が大きく、たくましい さま

ただただ天を仰いで、無様に座っておいでになっているのです。

ここで何故かジョン・ウエインが、映画「史上最大の作戦」で小さな
ジープに
無理やり納まり、戦場を走り回るようすが、突然、眼前の景色に
重なった、
oldboy君がいたのです。

すなわち今日のお題の


「ここソウルでジープに乗った、ジョン・ウェインを見た」
となった次第である。

まことに申し訳ない話で、ごめんなさい。

雄姿というより、マンガチックで滑稽ですらあった「ジープに乗った将軍様
の印象が強く、oldboy君が長くこの残像を引きずっていたのが、今日のこの
記事にあいなった次第である。

けっしてこの人の部下として、戦場には出たくはない、とも思ったのも、本音
である。

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                ★★★3
    沿道の群衆の中から、花を抱えた娘たちが飛び出し、行進する

      恋人たちの首にそれを預け、抱擁、キスする姿もあった。

このパレードで気になったことがもう一つ。

短機関銃やライフル抱えた兵隊さんが次から次に登場するたびに、
群衆の人込みから花のレイ・やブーケを抱えた娘たちが沿道から飛び
出し、若い兵隊達の首にかけ、抱擁、キスする
姿も見られた。
※oldboy君、レイとブーケの違いを知らない。

もちろん、oldboy-elegy君、日本で「軍事パレード」なるものは見た
事はない。
そのためか、眼前の光景は、単にアメリカナイズ、映画ナイズされた
アトラクションの一場面として強く記憶に残っている。

なぜか行進の隊列には、機械化された、近代兵器もあったはず、しかし
その類の記憶はない。


ただ数機のヘリコプターが地上にロープを下ろし、それをつたい、
フロッグマンが降下する画像はなぜか唯一、残影としてある。
※ フロッグマンとは 水中、海中で作戦に参加する兵隊のことで、
フロッグとはもちろん、カエルの英語名である。 
by oldboy-elegy  

               あとがき
この時分のピョンヤン放送(北朝鮮の国営放送局)深夜になれば、暗号の乱数
読み上げの
女性の声が、戒厳令下の漆黒の夜空に流れる。

ソウルには常時数千の北からスパイが入り込み活動しているらしい。
これらはラジオ放送を通じての暗号指令であるとのこと。
ある意味不気味でもある。

改めて、この国が、準戦時体制にあり、戒厳令下であることを思い起こす
日でもあった。


先週、左手、上腕部にコロナワクチン1回めの注射をした、触れば少し
痛みを感じるが、おおむね大禍なくすみそうだ。

それでは、今日もこのへんで でわ でわ


                    了
                                 oldboy-elegy

 下のリンク記事がソウルもの、前回のものである。
目の前で、壮絶な夫婦喧嘩、「お呼ばれ」も中止、二人してホテルにソ
ソソクサと帰る。
その原因が「この地の床屋が、原因」
日本ではおよそ聞いたことがない!!??

マア~「ところ変われば品替わる」ぐらいの軽い気持ちで読んで欲しい。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

oldboy-elegy (48)マージャンと下宿事情・あわせて当時の鴨川と賀茂川、葵橋(あおいばし)付近を脳内散歩してみた

                       

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                 ★1
       oldboy-elegy君とマージャン・そして、あれやこれや


今日のタイトルは、麻雀(マージャン)を取り上げてみた。
たぶん、彼のブログ記事としては初めてのこと、のはず。

当時(半世紀以上前のこと)学生のする最も一般的なゲームで、同時に
賭博性(とばくせい)の強いものでもあった。

oldboyくん、特別、忌避(きひ)してたわけでもない。
※忌避 きらって避けること。 いやがること

高校のころ、近所にこのゲームに入れ込んだ友人がいた。
ある時、実物のマージャン牌を提げて我が家へ来たことがある

実際の牌(パイまたわハイ)を前にして、教えてもらうがoldboy君
には複雑すぎて
チンプンカンプン。

メンバーは4人ないし3人、基本のルールはもちろん存在するが、その場
ローカルルールは数知れず、所詮、賭博(金品のやり取り)性の強い
ゲームである。

考えてもごらん、金品も懸けずに、1時間も2時間も費やし、その結果が
「ハイ、お前の勝ち、パチパチ、おめでとうさん」で済ませるはずも
ない。
ならば、「ヒチ並べ」や「坊主めくり」のほうが気が利いてる。

上がりの「役の、はば」が千点から「数万点まで」と、「ウスラボケ」
のoldboy君には難儀なシロモノである。

だがその牌の美しさには何故か心に残った。

思ったことは、こんなゲームに嵌(はま)ったなら、人間の一生が二生も
三生も必要になる性質のものである、と言うこと。

なんども言うが、理解できたのは、ひとえにこのゲーム、賭博性・中毒性の
高いもの
だと言うことであった。


幸いと言うのか、無事と言うのか?oldboy君、京都の私学に合格、その時の
母の言質(げんち)はこうである。

oldboy-elegy (33)からの引用
「学費は出す、部屋代を出せとまでは言わぬ、家での食費はタダ、
ただし
オカズに文句をゆうな、こんな好条件どこにある」、と我が
敬愛する母上の
言である。」
引用終わり


しかし言い換えればそれ以外の費用は一切出さないとのご宣託でもあった。

大学までの交通費やその他遊興費は自分持ち、即ち稼がねばならぬ身で
あった。

幸運なことに、同じ高校の先輩が、このたび大学を卒業、就職される
のを機に、是非oldboy君をと、「塾の先生」の後釜に推薦いただいて
いる。

高校の卒業式を終え次第、お世話になることが決まっていた。

と言う訳で、自分の大学生活は、いくら文系の学生とは言え、京都までの
通学時間(往復、約4時間)も含めると、そうそう時間的余裕はないこと
になる。

つまり、このゲーム、もちろん物理的(金銭的、時間的)にも嵌るには
oldboy君には条件が悪すぎる。
ただ、全てに流されよい彼のこと、心理面から見れば、危ない危ない。


授業の1講時は9時からで、週に何度かは、我が家を朝7時前には出る
必要があった。
なまけものoldboyくんにはつらい現実である。

とうてい麻雀(マージャン)などやっている暇などない。

塾での時間は、塾長と相談の上、日曜をも含めた金、土、日に集中して
授業
を組んでいただいた。
最悪、どうしても時間的に無理な場合は、なるべく早い申告で、乗り切る
ことになっている。
 
こうすることで、週の前半で、塾のある地元に帰らずとも、京都泊も
可能に
なる。
往復4時間の通学時間も必要なくなる道理である。


もっと言えば、京都での滞在時間も大幅に増え、友人達との関わりも深く
なり、
卒業単位(?)の取得も楽になる、「一石二鳥」も「三鳥」にもなる、
はず。


さあここで、問題は京都での宿泊場所である。

そこでお願いしたのが、友人たちの、下宿である。
二回生の終わりごろには、お願い出来る友も10人近くになっていたはず。

誓って言うが、意識してそうなったわけでもない。


              ★★2
    その折、宿泊代代わりの手土産(てみやげ)に
       差し入れていたのが「たばこ」であった。

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上掲のたばこの絵は、当時の高級品「ハイライト20P」である。
画像はoldboyくん、お手製のヘタクソなもので、ごめんなさい。

本来なら、ここに「しんせい」なる「両切りタバコ」の画像を掲載すべき
だが、書くのがめんどうで、いつぞやのブログ記事で使った画像を使い
まわした。

ブログを書き始めたoldboy君、2年過ぎて、少々横着(おうちゃく)に
なった感がある。

そのおり下宿住(ずみ)の友人に感謝の印と、渡していたタバコが、上掲の
「ハイライト」
ではなく「しんせい」なる銘柄のもの、一箱である。

それでも、アルバイト料、入金時などには時折、「ハイライト」に格上げ
されることもあった。

タバコ好きの母の愛用銘柄もこれ「しんせい」であった。

あまり自信はないが、「しんせい」、上掲の「ハイライト」に比べると、
およそ
半額程度のものであったと思う。

              ★★★3
     下宿生活とマージャンと葵橋(あおいばし)付近

京都、出町柳付近で北から流れ込む二筋の河川が合流して南にむかう、
ここからがあの有名な鴨川の起点になる。

合流までの二本の川はそれぞれ、川下(かわしも)に向かって、左が
高野川、右が
賀茂川となっている。 

鴨川と賀茂川」は聞く分には同じだが、字が違う、ややこしいことこの上
ない。


このうち、この分岐点から少し上流の「賀茂川」にかかる「葵橋・あおい
ばし」一帯は、
多くの下宿生が住まう、人気スポットでもあった。

不思議な事に、この一帯、何故か「観光客」」と思われる人達、「皆無」
と言
わないまでも影が薄い。

今で言う、1K、1DKのアパートや集合中層住宅は殆んどない。
下宿形態は、「普通民家の部屋貸し」が中心であった。
そのためか、追っつけ、2階部屋が多かったと記憶している。

面白いのは、二階は二階でも、蔵(くら)の二階に巣食うヤツもいた。

黒光りする板床(いたゆか)に、なんとタタミ8枚を敷き詰め 大威張りで悦に
入っていた。
それも京間(きょうま)の8枚ゆえ、運動会でも出来そうな広さである。
ただし、酔っ払ってご帰還の折など、蔵の立派な開き戸には閉口していた。
そう、そのあまりの重さに!!。

神社・仏閣も多く、その間にある民家も、昔ながらの京風を感じる緩
(ゆるやか)かな雰囲気の土地
がらでもある。

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西から、葵橋(あおいばし)を東に渡れば、「流鏑馬神事 ・やぶさめしんじ」
で有名な下賀茂(しもがも)神社、そう遠くはない。

なにより、この付近には多くの大学があり、「学生の街。京都」でもとくに
「学生の密度」が高い地域とされている。

当時、無作為に10人の成人をピックアップすれば、必ず一人や二人は学生
であると言われた。
京都市中でも、ひときわ、その傾向が顕著な地域でもあった。

そう遠くない場所に「京都大学」「同志社大学」「京都府立大学
立命館大学」など、女子大、短大を含めると約20校近くがある。
少々、無理すれば、全て徒歩圏内でもある。


oldboy-elegyくん、今日は友人の下宿に宿泊予定である。
大阪に帰る必要もない、彼にとっては至福の時間とも言える。


学食で夕食をすませ、市電に乗らず、ブラブラ徒歩で友人Kの下宿に向かう。

                       ★★★★4
            友人Kの下宿

チョットした低い石垣に囲まれた2階屋である、階段をあがると、すぐに
板張り、
飴色の廊下がはしり、長いガラス窓の反対側に沿って二間がならん
でいる。


手前が彼(K)と同学、同郷、同窓Sの部屋で、まだ留守のようである。
Kに誘われるままに彼の部屋に上がる。

カーテンを開けると、部屋が西向きのせいか、夕刻の日ざしではあるが、
心洗われる解放感に包まれる。


その景色の中に、臨家の板塀に沿って、夏ミカンの木が一本実を
つけ
ている。

Kが言うには、「食べごろになれば、夏ミカンの差し入れが臨家から
届く
らしい」
裏庭ごしの、臨家の奥さんが言うには、「手を伸ばせば届くのに、
くやし
かろうと、思って・・」
と言うのが、お裾分けの理由だとか、いかにも京都らしい話である。

今日のマージャン、メンバーは、友人のK君と隣部屋の同郷のSそれに
アルバイトから帰ってくる、臨家の下宿生、他大学生の四人である。

ルールは大いに簡素化されたローカル・ルールで、審判も彼(燐家の
学生)が務める。

マージャン台はコタツやぐらの天台の上に消音のため毛布を敷く。
だれも極端に大声
をあげたり、興奮のあまり、パイを叩きつける者も、
ここにはいない。


およそ、博打場の雰囲気とは程遠く、むしろ斎場に近い?かも。

もう一つ、ギャンブルに必須で、これが無いと、面白みがないものが
ある。

それがないと博打場とは言わない、「なにだろう?」

そう読者諸氏の思いも同じ、「掛金」の設定である。

「ジャジャ~ン」今日の掛金はこれ「タバコ」である。

参加費は一回、一場に尽き5本だ、銘柄は無視、ピース・ハイライト・新生・
ゴールデンバッド、なんでもOKである。
合計20本集まる勘定である。
これを、順位別に取り合うのである。

たったこれだけでも、賭けるネタがあるだけで、場は「修羅場」となり、
血みどろ
の戦いになる。

明日は一講時めからの講義である、夜中ももう大分に過ぎた。

         お開きにする。 でわ でわ  

                了

               oldboy- elegy

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(雑感・雑記帳 N0.40)俺のノートパソコン・バグ、エラーの類ではなく、これは故障だ!!。だってシステム自体が使えない状態・「ご臨終」かも!!

 

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                 ★1
こんどの、このパソコンの不都合(故障)、ヒョットしたら俺を
この世に残し、先に、ご臨終かもしれない、となぜか「弱気の虫」
が、全身を包む感覚に嵌(はま)った。


なぜにこんな気持ちになるのかは、それなりの「理由と原因」がある。

今年、2021・03・12 投稿記事
(雑感・雑記帳 No.30) プロバイダOCNさんの有料・リモート対応・
プレミアムサポートに感謝・・・・」
でパソコンに重篤な「不都合が」発生した時の様子を記事化したことが
あった。
※ (雑感・雑記帳 No.30 )の記事は今日の記事の最下段にリンク記事
として、貼りつけておく、目を通してもらえば嬉しい。

その時の病気とは、プラウザに上げたアイコンの内、何故かグーグルのみが、
無反応で、インターネットに繋がらないのである

最終的に、いつもお助けいただいている「有料の、OCNリモート・ダイレクト
通信」にて、修復していただいたことがある。
その時は、マウスをお渡し(リモート)して、1時間を超える作業の末、無事
回復した。

oldboy君、その折、これだけの大手術にも関わらず、なぜか、今日のような、
弱きな気持ちになることは無かった。
たんに、「バグ・エラー」の少々きつめの「不都合」ぐらいの心持で「死ぬの
生きる」等の悲壮感はなかった。


その時の不都合は、難儀ではあったが基本、グーグル以外のアイコンや
お気に入り・ブックマークアプリなど無傷でネットで繋がっていた。

ましてや、(OCNリモート対応、プレミアムサポート)も無傷で、その
リモート設定用のアイコンが否(いや)が応でもoldboy君に安心感を与
えている。


すなわち、oldboy君にとっての「お助けマン」が、すぐ脇におられる、
みたいな感覚になっていた。

年配者が苦手にしているのが「自動音声ガイド」である、
OCNのそれは、もちろん、正真正銘の「肉声による対応」である。

とどのつまり、ネットさえ繋がっておれば、「なんとかしてもらえる」の

安心感が、なんとしても大きい。

ついでに言えば、「OCNプレミアムサポート」の対応時間が「年中無休の
朝9時~夜21時」となっているのも嬉しい。
土曜、日曜、祭日も、モンモンとした気分にならずにすむ。

                ★★2

   さて、この度の不都合(システム故障)は、初めてのケースであった
   こと、
        この不都合の内容から、まず「ご臨終」かなと勝手に思いこんだのが
   oldboy君である

それでは、このたびのPCの故障の様子を順を追って書いてみる。

遅い時間の朝食を済まし、読者さんからのスターやブックマークを
チェック後、読者記事閲覧、スター添付やブックマークの書き込み
はいつものルーティンである。

①当然、PCの起動ボタンを押す。oldboy君は基本、スリープからの起動
である。
シャットダウンからではない。
いつもなら起動5~10秒経つと、このPCのパスワードを記述する小さな窓
が出てきて、そこにパスワードを記入すれば、2~3秒で完了、すぐに作業が
可能になる。


しかしこれが、いつもと違った。
スリープ状態のPCに起動ボタン押すと、濃いブルーの画面が出現、真ん
中に
白枠の窓が現れ「IPアドレスを検知出来ませんでした」的な文言が
出現、初めての
ケースである。

②oldboy君当然「なんじゃこりゃ」となる。
数秒のちには、この文字も消え、残ったのはブルーの画面のみ。

ネットどころか、内部情報、すべてにアクセスが不能状態。

あの「神様、仏様」の「OCNプレミアムサービス」のアイコンも何処かに
お隠れ。

唯一の希望の星、「プレミアムサポート」にNETで連絡ができない。
電話は別途繋がってはいるが。

もし、「OCNサポート」に「全画面ブルー」のこの状態でリモート権を
わたしたとしても「
手がかり・足がかり」になるものもゼロである。
カーソルを充てる場所すらない。
いかにOCNさんでも、手の施(ほどこ)しようがないはず。

パソコンの何かの動作のきっかけが全くつかず、oldboyくん、この一面ブルー
の画面を見て、「ひゃーなんじゃこりゃ~」の半泣き、半べそ状態である。

すなわち、機器がどこかで多少とも反応する箇所でもあれば、そこを突破口に
前進できると思うが。

あ、そうそう、反応するボタンが一つだけあった、画面を消す「シャット
ダウン・ボタン」のみである。
数度、試みたが、結果は同じ、今度は「IPアドレス、どうのこうの」の文字
も出ない。

現実は、水色の画面を見ているだけのoldboy君、もはや手段がなく、万策?
尽きた格好である。

つまるところ、上に書いたように、このoldboy君よりさきに、このPC氏
「ご臨終かも・・」との心境になってしまった、と言う訳である。



ここであの「OCNプレミアム・サポート」さんに相談しても、如何とも
しがたい
 状態であることは明らかである、と決めつける。

                 ★★★3
        「OCN プレミアム・サポート」に「臨終の告知」を
               受けるために電話をいれる。
       ただ、あの「IPアドレスの反応が・・・・」は忘れずに報告
              する必要があると思っている。

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ともかく、お世話になったOCNさんに「パソコン死亡宣告」を受けるのが
筋とは
思っている。

ぬるくなったコーヒーを入れ替え、気持ちを整えた後に電話連絡を入れる
ことにする。
いろいろのことがホケタ(ボケ)た頭を駆け巡る。

パソコンが無い事には耐えきれないが、ブログはどうしょう、
半年ぐらい前だったか、おなじ「OCNプレミアムサポート」でバックアップ
サービスを提案されたこともあるが、それもそのまま放置の状態。

1時間ほど間をあけOCNさんに電話を入れた。
すぐに担当が決まる、女性のかたである。

ただ一言「クモの糸ほど希望かも知れぬが、故障した時の画面に出て来た
IPアドレスの無反応」のことだけは言っておこうと決めていた。

一応、今日のシステム故障のこととIPアドレスの話を終えると即答で
「この事例、結構あるんですよ」との、なんとも清々しいお声、のご返答。


               ★★★★4

         これが、この重病人を回復する方法?!

そこで伝授いただいた修理方法がこれ、

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その方法がこれまた21世紀?に超相応しい、もので、これを聞いたoldboy-
elegy
くん、「やっぱり、だめか、水難事故での蘇生術、人口呼吸」よりずっと
ズット
確率が悪そうに思える作業である。

それでは、ここで彼女から教授された、修理方法をお披露目しょう。

①モデムかルーターか知らないが、あのA4ノートを縦に置いた位の大きさの
ボックス機器のグリーンの点滅ランプを確認。
②これに繋がっている、全てのコードを抜き取ること
③あとは20分~30分このまま放置
④最後に、コードを元の位置に接続して、いつも通りの手順で起動を
⑤ここで彼女、これで「システム復帰」できなければ、お電話ください、
との
言葉を残し、お別れ。

この方法で全ての、システムが「原状復帰」できると、oldboy君、にわかに
信ずることができない。

こうなれば、ついでに、すべての機器に繋がるコードや五穴コンセント、
コピー機などの大掃除を敢行。
ルーターの風通しをよくするための、ジャバラの間や接続コードなど、
ウエットティシュや綿棒で念入りに掃除してやる。

この重篤な病気が、こんな自然治癒療法で、良くなるはずはないと、思って
いる自分がいる。

PC修理とは、矢のような速さでキーを叩き、画面には多くのデーターが同時
に表示され動いているのが、らしいと言うもんである。
そのためか、なにやら、PC君の「死に装束を整えて」いる気持ちになってくる。


                  ★★★★★5

          して結果はどうなった?!

OCNの女性担当者は30分ほどと仰っていたが、oldboy君、大掃除を含めて
1時間以上を費やし、儀式然として、念入りにおこなった。

ルーターを含めると、10本近くの配線がある。
一本、一本、接続端子を祈るように丁寧に差し込んでゆく、すぐに完了。

ここで、軽く深呼吸をする。
そして人差し指で電源をいれる。
「南無八幡、大菩薩峠・なむはちまん・だいぼさつとうげ」と、信ずる神を
持たぬoldboy君、訳の解からぬ呪文をトナエル。

「れれれっ!・なんじゃこれは、さっきまでと違っている」
通常の、エクスプローラ―のデフォルト画像が現れたのである。
心臓がパックン、パックン
「頑張れ、次は、パスワードの記入用窓口出てこい!!」との言葉を胸の内
で吐く。

少しタイミングが遅かったようだが、無事、パスワード記入に成功した
ではないか。

そして、最後にこれもエクスプローラーの、いつものデフォルト画像が出現
なんとなんと、そこにはあの、恋焦がれていた、アイコンが並んでいる。

もちろん、最下段にカーソルを置くと、隠してあるウインドウズの、タスク
ラインが傷もなくもとのままお出まし。

oldboy-elegy君、思わず、こぶしを握り、低い声で「やったー」と
言ったはず。

PCに長(た)けた人なら、この彼の行状を見たなら、あほらしくも馬鹿
らしい図かもしれない。

しかし、世の中には、oldboy-elegyくんのようなPC音痴も少しはいな
さるはず。

きょうの記事は、そんな人達の共感を少しでも得たなら、すこぶる嬉しい。
前回同様、技術伝授のための記事ではない、

パソコン不如意の年寄りが、

「人もすなるパソコン遊びに今日も、あたふたと戯れたる図である」ぐらいの
のりで、その趣と心情の変化を楽しんで欲しいのを主旨とする記事である。

             ★★★★★★6
        oldboy-elegyくんの思う、今日の結論


なぜ、まじない程度の休憩で、システムが回復したのだろう?の疑問が残る。


「電子機器」はすべて、「多くの電子信号のやり取りの中にある、そして休み
無く働くうちに、必要のない電荷をため込み、そしてそれらが、時おりシステム
に「悪さ」
するのかもしれない。

oldboyくん、基本、このパソコンを持って外出することはない。
デスクトップとしての使用方法である。

今日の事を教訓として、憶えておこう。
そして年に数回、完全休憩の時間を与えようと思う。

このことは、oldboy-elegy君の勝手な思い込みと独断の為せる行為で
キチンとした「技術的根拠」を基にしたものではない。

もし、実行される吾人がおられるなら、自己責任の上でのこととして
いただきたい。


キチンとした、パソコンスキルを持たないoldboyくん、この手の記事は
心身ともに疲れる。
専門的な言葉の概念や名称の間違いは多々あるかも知れないが、お許しを。

      それでは、今宵もこれまで、お休みなさい


                了

                     oldboy-elegy  

下の過去記事も今回同様、パソコンスキルのなさを主旨にした記事である。
一読願えれば、嬉しい限りである。

oldboy-elegy.hateblo.jp