oldboy-elegy ( 50) いまさら乍らの(悔恨・無念)の想い、いくらでも機会があったろうに、母を連れだし京都旅行に行ったことがなかった、このこと
ついこの間(2021・08・22)投稿の文面での「京都市内の情景を思案中」
ふいに母の生前の着物姿が脳裏をかすめた。
中学校に「俺の悪さで?」呼び出された時の母の、お姿である。
薄紫色の着物姿、手には信玄袋(タバコのしんせいとマッチが入ってる)
その上、今日は、薄いベージュの日傘もお持ちだ。
母の完璧なお出かけモードのお姿である。
現実は、体育の先生が自我を忘れ、俺に連続10発ほどのゲンコをくれた
ことがあった。
この、あと始末に母が呼び出された、これが事の真相である。
父ではなく、母が俺の正式の「保護者」である。
しかし日ごろからoldboyくん「授業参観・運動会・学芸会」 など学校
行事には「こ(来)んでええ~」と拒否、一点張りであった。
※こ(来)んでええ~」 河内弁で「来るな」の意
だが今度はそうはいかない、「学校からの呼び出し」である。
母に、「呼び出し」があったのは、小学時の「集団柿泥棒」以来のはず。
そのためか、めったに来ることがない学校に出向く折は、上掲の如く気合
を入れなさるのである。
★1
パソコンから身を起こし、しばし、母を想う自分がいた。
すると、母に対する、強烈な「悔恨」の想いが、フツフツと湧き上がる自分に
気がついた。
「お前は、馬鹿か、人でなしかそれとも、ただの鈍感なヤツ」だったのかと
なじる言葉を俺の上に投げつけるoldboy君がいた。
そう、四年もの間、学生とし通いながら、ただの一度も母を「京都見物」に
連れ出したこともない自分。
ましてや、卒業式にも「来るか?」の声ひとつかけていない。
そう言う事である、母の喜びそうなこと、なにひとつ、してあげた記憶が
ないことに、今更ながらに気がついたのである。
普段から、強がりを通す彼女、どれだけ寂しかったか、恥ずかしながら
今きが付く、バカ息子がここにいる。
そう「親不孝者」の自分に、今更ながら、初めて気が付いた、次第である。
もちろん、彼女、京都見物など、経験はないはず。
幼少のoldboy-elegy君の手を引き、西日本、アチコチを点々とし、糊口を
しのぐ日々はあっても、それは旅行とはいわない。
★★2
彼が、小学校、入学の年齢になったのを機に、母は意を決して、父のいる
大阪へ、「押しかけ女房」ならず「押しかけお妾」として「来阪」したので
ある。
この時、oldboy-elegy君、こんな事情で小学校入学は通常の2,3か月遅れで
あった。
もちろん、彼、幼稚園なるものは知らない。
この辺の事は初期のブログにいろいろ書いてきた。
よければ目を通していただければ光栄である。
★★★3
ともかく、前掲のホンワカ京都記事を書いていた折、このような思いが突然、
去来した。
しかし、今日のような心情に陥る(おちいる)のは初めてのこと。
多分、先の記事、大学から「今出川」をそぞろ歩き、「賀茂川」から「葵橋・
あおいばし」「下賀茂神社」と京の緩やかな陽光を満喫する自分が、いかに
幸せ者であったかを感じていた事への真逆の「アンチ・シーン」が、苦労もの
の母を突然、映し出させた原因と思う。
亡き母を、今、京都見物に連れ出すのは、現実には出来ぬこと、
それゆえ今から、架空の京都見物にお連れしょうと思ったが、これも
やめにした。
あまりに、取って付けた作り話、哀しすぎる。
あの時の俺が20才前後、母を47歳ほどに見立て、一泊2日の「京都
見物に連れ出したなら、どんな旅になるか、「ブログ記事にしょう」と
思い立つが結果、余計に悔恨、哀しさがつのることに気がつく。
★★★★4
つまり、一度逃した人生の悔恨の一コマは、どうしょうもない時空の彼方に
流れ去り、取り返すのは不可能なようである。
「亡き母と、架空の京都旅行」をとの、突然の閃きに、勢い込んでパソコン
の前に座ったものの、筆が進まなかった。
結局、自分の都合だけで話を作る行為に、「後ろめたさ」が募るのみと,
感じたのが本当の所である。
この「悔恨・無念」の想いはoldboy-elegyくんが、これからも背負い
続ける「業・ごう」である方が、納得できることに、今日、いま気が付く。
この記事、はじめ少々長くなる思いがしたが結局、自分の本音をごまかす気が
して、このような短文になった。
今日は、このままUPするのが良いと思う。
でわ でわ 今日はこれにて 良い夢を
了
oldboy-elegy
今日の記事、下のリンク記事を、思案中に、忽然と湧き上がったもの。
内容は対極の、自分ひとりのルンルン気分で終始していた。
もし良かったら、併せてお読みくだされば光栄である。