oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No.8)ラグビー を真ん中に、oldboy-elegy君の各種スポーツ観を、独断と偏見を持って話してみる。

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  左のイラスト画像、「いらすとや」さんからお借りした、ラグビー、プレー中の図柄である。
赤いユニホームが「日本」で緑が「アイルランド」と見立てるなら、ピッタリ感、100%です。

 こころなしか赤のジャージの彼は
福岡選手に見えぬこともない。

 今、巷(ちまた)では、スポーツ・シーズン花盛りで、「ラグビーW杯・日本大会」「サッカーW杯アジア予選の始まり」「バレーボールW杯」などの国際試合などが目白押しの状態である。
この先導役はラグビーなのではと勝手に思っているがどうだろう?!。
oldboy君、基本スポーツ向きの体躯や根性を備えていないのだが、それだけにテレビ観戦は大好きなお人である。

 今日はラグビーを中心にスポーツ全般について、私見を語りたいと思う。
多分に「お前の偏見や」と憤慨される場面もあるかと思うがお許しあれ。

ここで本音を言ったなら「もうお前のブログなんぞ読まないわい」と仰る人もおられるかも知れないが、とにかく嘘は書けないので初めに公言することにする。

アメリカンフットボール」「野球」に「ゴルフ」、このみっつ、最近ではテレビで視聴することもないし、関心もないoldboy-elegy君である。

 ただ野球に関しては、幼少のころ、地元の高校が夏の甲子園に出場した折、義兄に連れられ行った事が野球実観戦の唯一の体験である。
ここでの「ゲームとしての野球」そのものの記憶はゼロである。

 ただし、甲子園球場の雰囲気は「緑のグラウンドと、それを取り囲む白一色の観衆」
という視覚的記憶は今も強く残っている、もう一つの嫌な体験とともに。

 義兄からお金を預かり、「かち割氷(かちわりこおり)とラムネ」を買うために席を離れたのが運の尽き、二度と元の場所に帰還できず、半べそかきかきの小一時間、ようやく見つけてくれた時、ビニール袋の氷はほぼ水に、たしか7歳の真夏のある日の出来事であった。
これが原因で「野球は見ない・関心がない」と言う訳でもない、それにはoldboy君なりの理由が存在するのである、人はこれを屁理屈と言う。
お前のそれは、単に「屁理屈」で「偏見」と言うお方は多いと思うが、こればかりはどうにもならぬ。
特に、「野球」はこの国では「国民的スポーツ」でコアなファンは圧倒的な数になるはず、これを否定するのには、多少の勇気もいる。

 あと、オリンピック・世界陸上など普段見る事のない競技などはそれなりに関心もある。陸上競技のトラック、フィールド、マラソン、それに柔道、水泳 等々特に、これはダメと言う物もない。
あーそうそう、駅伝競走はもう一つ好きになれない競技の一つである、これもoldboy君なりの理由がある。

 この競技(駅伝)、団体競技個人競技の両方の要素を合わせ持つ不思議な競技である、走るのはその区間は己一人である、その区間をリレーで繋ぎ、それぞれのタイムの合計が成績であり、ここの所は団体競技と言える。

 陸上競技の中で、一番過酷な競技は5千Mや1万Mの中距離帯であると言われることがままある、まさに駅伝は、競技全体しては長距離を(団体競技)、これを中距離で6~7区間程度に分割され、それぞれの区間が1人のランナーにまかされる、ここの所は「個人競技」なのである。
 oldboy-elegy君、まさにこの団体競技的な部分がお気に召さないのである。
近年、この競技、箱根駅伝を頂点に人気は高い。

XX大学、△△会社、**高校の名前入りの昇り旗の下を選手たちが必死の形相で、団体競技としての栄光を勝ち取らんとして、坂道を登り、下って行く。
そしてコースに林立する昇り旗だが、疲労困憊の選手がこれを見て、再度心身が鼓舞されるものなのか、怪しいものである。
所属チーム名の恰好の宣伝媒体になっている感がある。
むしろテレビ映りを意識した、商業主義のシンボルではないのか、近年その傾向が強く感じられがどうであろう。

 駅伝が持てはやされるようになって、相当の年月が経つが駅伝出身のマラソン、や中距離、著名選手の名前はあまり聞かない、ましてやオリンピックや世界陸上などでも同様である。
とくにマラソンと、箱根駅伝を考えるなら、およそ相関関係は、素人目には無いように思うし、むしろ科学や心理学的根拠とのそれは、限りなくゼロに近いもののように思う。
オリンピックや世界陸上でのマラソンは、箱根駅伝コースとは別物である。
またスピリッツも「仲間のため、学校のため」で自分自身は「犠牲」以外に思いつかない、oldboy君こうした「考え」が嫌いで性に合わない。
「個人の極限」を超えて「それ以上の極限」を「団体競技」は「根性」と言う言葉で「強要」する、見る人はそれを美化して「落涙」する。
もっと言うなら、古式騒然とした「日本的想念」を書き換え、上書きしたもののようである。

 このことなど、真に科学的・心理学的に検証されねばならないと感じる。
「俺はもう走れない、ここでコースを外れるか、倒れるかギブアップしたい、しかし仲間がいる、それを無にしたくない、走れ、いやもうダメだ、監督は言う、根性だ、あと1Km」と。
「根性」と「商業主義」の権化のような競技に、oldboy君には見える。
それ故か、この「駅伝競技」なるもの、世界に拡散、輸出される気配は見えぬ。
原因はこの、日本的な想念と個人に与える強烈なプレッシャーが嫌われているのかもしれない。
しかし、このことがまさに、日本人の好きな観念、想念なのである。
「駅伝」に関してのoldboy-elegy君の独り言はここで終わりにする。


 ここから、この記事の冒頭で呟いた(野球・アメフト・ゴルフ)に関心がない、oldboy君の理由(人は屁理屈と言う)を披露する。


●野球
① まずゲームでの休憩が多すぎる、そのため少し無理すれば毎日でもゲームが
可能。
たいへんな練習と年月を経てのゲームであることは理解するが、観客に披露する
場面での運動量・エネルギーカロリーが少なすぎる。

② 攻守が入れ替わり、攻撃側はバッター以外はご休憩、あとはピッチャーと
キャッチャーだけのボールの交換。
守備の内野、外野手も緊張はしてるんだろうが基本静止画像+程度。
そのため、いい場面の時は、概ねトイレに行ってるか、キッチンで冷蔵庫を
漁っている時におきる、結局、録画を見ることになる。

③ 道具が多すぎる。経済への波及効果は認めるが、個人的には金がかかりすぎる。

④ 本家アメリカのMLBメジャーリーグ)の優勝決定戦を「ワールドシリーズ
と言う!これ如何に、USAが何時から世界になった。

アメリカンフットボール
① これも攻守が完全に入れ替わり、半分の人が肉体的には全休である、
アメリカ発祥の人気スポーツはお休みが好きらしい。

② ヘルメット着用義務のため、初見者には、誰が誰だか分からない、バック
ナンバーが頼り。
背番号がやたら大きいのはこれのためだと、密かにoldboy君は思っている。

③ 攻守とも完全に役割が決まっている、花形ポジッションが幾つかあり、
フレキシビリティ(柔軟さ)に欠ける。

④ 休憩中の選手がサイドラインに沿って居並び、その風景は甚だ異様に映る。

⑤ 日本でもそれなりに歴史はあるが、大学での強豪校はいつも概ね一緒。
見た目は華やかだが、組織は古い因習に満ちている感がある、特に関東では。


●ゴルフ
① 学生のころ、塾の生徒(中学生)、20人ほど引率し、六甲にハイキングをした
事がある。その帰り、少し山道をそれ、やがて金網の長い長いフェンスに
遭遇、随分の遠回りを強いられたことがある。
フェンスの内側はゴルフ場であった、3、4人のおじさん達のグループが広い広い
コースにチラチラと見えた、何故かその時「このスポーツ?だけは生涯絶対しな
いぞ」と決めた。
クラブは握ったこともない、したがって駅のプラットホームでコウモリ傘を
クラブに見立て、振り回し(スイングする)た事もない。

  これらの真逆のスポーツが「ラグビー」と「サッカー・フットボール」かも知れない。
兎に角、40分x2 の間、休憩は許されない、その時は交代でコートの外に出されることになる。
敵は同じコートの内にいる、体と体の接触、ぶつかり合いはもとより、意図的に(ラグビーの場合)二人、三人がかりで、100Kgを超える全身を使いぶっつかってくる、勿論ルールの範囲内の事であるが、それでも殆んど怒りを伴う争いは起らない。

 ただサッカーに就いては残念な事は「simulation(まね・ふり)」「diving(ファールを受けたふり)」「無駄なパス回し」などファールにまで至らなくても見ていて気持ちが良いものではない。
とくに残り時間10~15分でスコアー(1-0)などの場合、勝っている側はあらゆる手段をこうじてまでボール保持に努める、これルールでなんとかならないものか。

 それでは「ラグビー」と「サッカー」の一番の違いは何だろう。
もともとは同根のスポーツで発祥は英国である。
どちらも、必要な道具は「ボール1個」のみである。
サッカーに限れば路地や空き地、あとは人がいれば、それでOkである。
ただチョットした試合形式のプレーは「ラグビー」には無理がある、
キックなどの練習はできても、遊びにはならない。
この点、サッカーは「ボール1個と一人から5人10人と人がいても」それなりに遊ぶことが可能である。

南米などの映画や動画を見る時、サッカー遊びをする子供たちが映り込むことがよくあるが、ラグビーではまず見ない。

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 はっきり言えば、oldboy-elegy君の団体競技での一番は「大学ラグビー」であった。
つい先年までは花園ラグビー場、鶴見球戯場、長居球戯場そして気が向けば京都は西京極、宝ヶ池まで出向く事もあったが、数年前に免許証を返納したこともあるが、それ以上に、あまりにも母校の弱体化が進み、最近では「大学サポート番組」のブログをお気に入りに保存しているのみである。

 ここでoldboy-elejy君が体験したチョットした話をはさむ。

 もう今となればそこそこ以前の「花園ラグビー場」での事である。
母校は第二試合で、2時からのキックオフであるが、今は未だお昼前で、第一試合開始までも少々の時間がある。
バックスタンドの裏に広い空き地があり、そこが当時、無料駐車場になっていた。
ここから徒歩でラグビー場正面の入場券売り場に出る。
また近鉄東花園駅からここまで徒歩で10分少々、ここも濃い人の列が続く。

 oldboy君少々小腹が空き、ラグビー場メインスタンド裏の2階通路奥にある大食堂(セルフサービス)に直行、カレーライスを注文、先ほど学生君から頂いた、母校発行のスポーツ新聞を読みながら食事をする。

 そこに「ここいいですか?」と若い女性の声。
顔を上げると、杖をついたそこそこ年配のご老人とそのお孫さんと見られる娘さんが目の前に。
oldboy君、あわて立ち上がり「どうぞ、だれもいませんよ」と右手、手の平を上向きにどうぞと前にだす。
ひょっとしたら(母校の大先輩かも)の意識が彼を反射的に、起立さしたのかもしれない。

 老人は、お孫さんらしき女性の手をかり、食堂のパイプ椅子に、ヨッコラショと着席、女性はそのままキッチンカウンターの方へ。
ご老人、oldboy君が見ていた母校発行のラグビー特集が掲載された新聞に目をやりながら「今年はどんなもんでしょうかな?」と話しかけてこられた。
お聞きすると、やはり同じ大学の大先輩で和歌山市在住との事、女性はお孫さんとのことである。
そこに彼女、トレーにカレーライスを2皿乗せてご帰還、我々が何やら話していることを察知、ニコッと笑顔をoldboy君に差し向ける。
「この時期になったら、毎年私の運転で1、2回和歌山から出て来るんですよ、今日と、うまくいったら大学選手権の初回の花園開催の時と・・・お爺ちゃん、普段あまり外出しやらへんのに、なにかこの季節、元気にならはるみたいで・・」とお孫さん。
「そうや、もし俺が、しんどいから今年は辞めとこか、など言いだしたら、もう遠くないと思っとときや・・」とニコニコ顔のご老人。
お孫さん「冗談言わん時、それも人前で」と作り顔でおかんむり。
oldboy君「先輩のその感覚、分かる気がします・・」と相づち。
「先輩など言われるだけで、なんやら若返った気分ですは、有難う」と、これまた先輩。
ラグビーでの母校の活躍、あまねく卒業生達の「健康」と「心身状態」の良し悪しを司る(つかさどる)ことを、学校当局は知っていなければならないが、そうでもないらしい。

 「それでは、ここで失礼します、未だ席も決まってないので」とお孫さんの軽い介添えで立ち上がりスタンドのほうに。
oldboy君、立ち上がり直立不動「先輩もお元気で」と、会釈とともに、軽くコウベを垂れる。
学校発行のスポーツ新聞、持っておられなかったので、勿論お渡ししておきました。oldboy君なにやらチョットしたふんわり気分である。

 たったこれだけのラグビーにまつわるお話、第一話として、取り上げさしていただきました。

 ラグビーにまつわる話の第2話である、oldboy君、ときおり駅前商店街に出て、お茶会(コーヒー店にて)を友人数人と催すことがある。
勿論、今はやりのスターバックスなどではなく、昔からの所謂「街の喫茶店」であり、タバコOKの店ではあるが、一応、簡単な衝立でコーナー分けがされているだけである。
oldboy君も含めて4人だけの参会であり、喫煙、非喫煙者は半分、半分である。
席はいつも、喫煙席に入る。
もちろん、oldboy君、禁煙中の身で、やがて3年になるが、受動喫煙などと目くじら立てる事もしない。

 そこでのよもやま話に、ラグビー日本代表(ブレイブ・ブロッサムズ・勇敢な桜の戦士)の話が出た。

 「よくあんだけ、ぶつかり合いするのに、喧嘩にならへんのが不思議、あれでルールの内側のスポーツって新鮮」

弥生人の中に、濃い外人がたくさん居るジャパン、なんか違和感あるな」
「究極の観戦のためのスポーツやな、自分も参加したいとは思わないし、殺されそう」
などなど。
oldboy君以外はラグビーを腰を落ち着け、テレビ観戦したのも初めての事らしい。

 「ジャパンのキャップテンの名前、知ってる?」とoldboy君が聞く。
スポーツ新聞を片手に「リーチ・マイケルやけど」と友人の一人。
他の二人も「そやそや」と相づち。
「リーチ・マイケルってなんか名前に違和感あらへん」とoldboy君。
「外国人やろ、普通に」「日本人、キャプテンにしといたらいいのに」などの返事。

 「彼、日本人やで、帰化してはるんや、15歳の時に札幌にきて、今も勿論奥さん、お子さんと日本住(ずみ)やし、それに奥さんは日本人。
だから、リーチ・マイケルは英語でなく、ある意味、日本語のカタカナ表記や、もともとニュージランド人でマイケル・リーチ(Michael・Reach)がそれまでの彼の名や」一同キョトン顔。
「普通、マイケルはファミリーネームではないわな、名前やわな、だから帰化申請の時
日本流に家の名前を前に、自分の名前をあとにしはったやんや、つまりリーチ家のマイケル君に、彼の強い決意の表れでもあるんやと思うが。

 ここからは喫茶店での話を離れて、代表選手の基本的なステイタスを記述しておく。帰化してない外国籍選手もおられるが、また違った条件の縛りの中での日本代表選手なのである。

●当該国に3年以上(36か月)の居住。来年から(2020年から)は5年以上(60か月)以上の居住が必要と改定される。
●上記の居住の問題よりももっと強い国家代表になるための制約がラグビーにはある。
一度、ナショナルチームの選手になり公式戦に参加したら、その後、他国の国家代表にはなれない、の規定である。つまり、国籍はネイティブのままで他国の代表に一度でもなればその時点で自分の生まれ育った自国の代表は勿論の事、他の国家代表にもなれないのである。
他のスポーツでこれほどの制約を課したものは知らない。

 ラグビーの選手生命は概ねそう長いものではない、自分の青春に、全てを懸けることを決心して参加して頂いているのである。

 これらの事がラグビー国家代表の強烈なファイティングspritsの源泉なのかもしれない。
それ故、彼等は助っ人ではない、彼等自身のことである、こんな思いでジャパンに参加してもらっている、外人だからと非難する人も多いが、これらの事を知れば、むしろ感謝せねばならない、日本と言う国を選んでもらったのだから。

 もう一つ、外国籍の選手数であるが、日本だけが多いわけでもない、ただ日本人顔の中に彼等の風貌はいささか異質に見えるのが原因かも知れない。
他の外国チームの中に入れば、ある程度、同族・同質に日本人には見えてしまう。
調べて見れば日本より多くの外国人が在席するチームもある。
これを記述するなら今回のワールドカップでは以下の通りである。

各国における外国籍選手の人数
サモア(13人) ウエールズ(12人) トンガ(12人) スコットランド(12人)
日本(選手31人中11人) フランス(10人) オーストラリア(9人) イタリア(9人)
アメリカ(8人)などである、決して日本のみが多い訳でもない。

 この記事を書いている最中に、日本(ブレイブ・ブロッサムズ) がスコットランドを破ったゲームをみることができた、プールAで4戦全勝の成績でベスト8に進出、日本初の快挙である。

 はじめ松島選手のヘヤースタイル、変わってるなと思っていたのが、今では彼の笑顔とともに、最高のベスト・マッチングと思えるようになった。
人間か、俺だか知らないが、いいかげんなものである。

                 了
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