oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (22)「おねしょ」へ誘(イザナ)う?夢見(ゆめみ)一題・笑うなかれ、彼にとっては重大ごと!!


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 本日のお題は
睡眠中に誰でもが見る、あの「夢見・ゆめみ」のことだ。

 「将来の貴方の夢は」の「夢」では決してない。

「そんなこと、当然でしょ!」
人生の第4コーナーをノコノコ走って、いや違った、ゼイゼイ息を切らして歩いていらっしゃる,先の少ない
oldboy-elegy君のこととて「それしかあるまいて」などの声が大向うから聞こえてくるようである


 それも「ジークムンド・フロイド先生」の「夢判断」の話でもなく「レム睡眠・ノンレム睡眠」などと「夢見・ゆめみ」の最近の科学的成果を、披露しょうとするものでもない。

 oldboy-elegy君、そんな能力は持ち合わせてはいないし、頭脳のカケラもない。

 普通、睡眠中に見た夢など、目覚めた瞬間に忘れているか、多少の憶えがあっても現(うつつ)との整合性がないためか、それこそ「雲散霧消」と化してしまい、大方は記憶に残らないのが普通だ。

 それでもoldboy-elrgy君、幼年期からこれまでの「夢見・ゆめみ」の中で、しっかりと憶えているものが幾つかある。

 それらは単発の一回こっきりの「夢見・ゆめみ」ではなく「同じ状況、同じ結末」のものを繰り返し何回も見ることが特徴である。

 全て、結末は少々ネガティブなもの、ハッピーエンドで「ニコニコ、にたにた」で終えるものではなかった。

 このうちの一つが今日、記事にするoldboy-elegy君、幼年期の「夢見・ゆめみ」にまつわる話である。

 これは彼にとっては大いに実害があり「いまいましく」も「コッパズカシイ」ものであった。

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 なにをかくそう、左掲のイラスト通り、実害とは「おねしょ」のことである。
河内弁ではもっときたなく、強烈な言葉に変容する。
「ねしょんべん」と表現するのが普通だ。
しかし何故か母から叱責や揶揄された記憶はない。

 ただ,この緊急時にも助かった
事は、家には狭いながらも裏庭があり、三方が高い板塀に囲まれていたことだ。

そこには物干し場があり、他人に、それと悟られずに濡れ布団を干せたのは彼には幸いであった。

 oldboy君の沽券(彼にも彼成りの沽券がある)に関わるゆゆしき問題でもある。
●沽券(こけんと読む)・人の値打ち、体面(たいめん)、品位など。

 この「おねしょ」グセは小学校の3・4年位まで引きずっていたと思う。

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 母が、近くの神社で、おねしょ封じのお札をもらってきたこともあった。

 この屈辱には必ず前段階の決まった「夢見」が引き金になっていた。

 oldboy-elegy君、幼少のみぎり、母のわずかな収入だけで親子二人の糊口をしのいできた時期がある。
島根県は松江でのことだ。

 その折、母は病院の下働きをしていたらしい。

 彼女の学歴は故郷、鹿児島での旧制高等女学校(5年制)の3年か4年の途中退学であった。
母のチョットした誇りと言おうか、自慢の一つであった。

 ともかく、oldboy-elegyくん、大阪は河内の小学校に初登場したのが松江での後のことである。

1年生の6月か7月のことになる。

 それ故、幼稚園なるものはしらない。

 お妾さん(母のこと)

が男の子(oldboy君のこと)の手を引き、強引に父親のもと(大阪は河内)に押しかけたのが真相であったようである。

 父親は本妻との間に3人の男の子がいた。
すべてoldboy君よりずっと年長である。
うち、父の元に残った二人は今ではすでに他界している。
本妻が連れて出た末っ子との行き来はない。

 しかし、こんな父親でも、oldboy-elegy君、幼少期から今に至って嫌ったことも、憎んだこともない。
むしろ特別裕福ではなかったが、よくやったもんだと、今では尊敬とはまた違うある種の感慨を抱く、と言うのが本音である。

 そのころの父親の趣味が社交ダンスにビリヤード、その上オシャレとくるからカッコが良い?。
つまるところ、基本「女好き」であったようである。

 まあ、これらの事は今日の話の主題でもない。
こんな、そんなの父に就いては、近い将来ブログ記事にて紹介さしてもらう事もあるだろう。

 ただ、ある程度、母子の置かれた様を知ってもらうことが、「おねしょ」に通ずる「必然」への過程と思って記事を読み進めてほしい。

 oldboy君母子が、父のいるこの大阪の地を踏んだのは多分この時が初めての事だったと思う。

 想像するに、母としても「相当の決心」の上、この地に「乗り込んできた!!」ことは、想像に難く(かたく)ない。

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 oldboyくん、この時の父の顔と胸の内をおもんばかると、何故か、チョット可哀そうではあるが同時にオカシクもある心境になってしまう。

 大阪環状線(当時、省線と言った)から近鉄大阪線への乗り換え駅の鶴橋での大混雑に、ビビった自分が、母の手にぶら下がるようにしっかり握っていたことが、

 ブログ記事を書いている、今、突然、その場面を思い出したのである。

 鶴橋駅など学生やサラリーマン時代、なんの感慨もなくほぼ毎日利用してきたはずである。

 それが今突然、記憶の底に沈殿し、忘れていた像が「母の肌感覚」とともに眼前に浮かびあがってきたのである。

 思わず、自分の両手を眺める。
oldboy君、「茫然自失」の体(てい)に陥ってる。

今ここで少しブレイク(休息)することにする。

 oldboy-elegy君、この大阪・河内に登場する直前は、前述したように島根県松江市で母子二人だけの慎ましい生活をしていた。

 もう小学校に上がろうかという年齢の頃である。
商店街の陶器屋さんの倉庫が裏通りにあり、その2階に設えられた部屋が我らが母子の居住空間であった。

 ここでの生活が、後のoldboyくんの「おねしょ癖」の要因になる、「夢見」の元になるとは、それこそ「夢にも」思わなかった。

 この2階部屋、大きな窓からの採光も良く、結構広く、当時としてはマアマアな「貸し部屋」だった思う。

 倉庫への入り口は頑丈な木製、両開きのドアで、非力なoldboy君でもなんとかその開け閉めは可能であった。

 倉庫はこれまた板張りで、低い木製の棚がいく列も奥にに延び、瀬戸物などの陶器類がところせましと置かれている。
その間を奥の突き当りまで行き、左に向いたところに幅広の階段があった。

 そう、この階段を上ると我らが母子の住まう部屋になる。

 ここまで書くと、この居住空間、可もなく不可もなく、むしろ良い印象を与えるのだが?。

 「トイレは?」そうそれだ。
ここからの話、多少尾籠(びろう)なことで申し訳ない。

2階にはトイレ、炊事などの水回りの設備はなかった。
それらは部屋に上がる階段の下に造作されている。

 もちろん、現代のトイレとは訳が違う、ましてや倉庫の中の便所、快適さを求めたものではなく、単に緊急に「用を足す」だけの設備である。

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 灯りは弱く不気味だった。
「裸電球」が大小便の間の天井に一個張り付いているばかりである。
倉庫内の事とて、明るさは昼、夜、そんなに変わることはない。

 読者諸氏には少し話が見えてきたのかな?

 とうぜん、oldboy君、このトイレに入るのが大嫌いだった。

 ただ大便は避けることが出来ぬが小用には避ける方法が存在していた。

 この倉庫の重く大きな「引き戸」を開けると、目の前を道幅2~3メートルぐらいの地道がどぶ川を伴い左右に延びていた。

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 何をかくそう、このドブ川がoldboy君の専用の水洗便所になるのにそう時間はかからなかった。


 ただ難点は倉庫奥、階段うえの我が部屋から、このドブ川まで少々距離があることで、それを除けば、「デフォルト・もと」のトイレに比べると「天と地」ほどの快適さを享受できること請け合いである。

 遠い分、我慢した上での放尿、ある意味超絶の快楽を伴う解放感が身を焦がす。

 一体「俺」は何を書いているのだろう、「この変態子供野郎め!!」

 ともかくも、このエクスタシー感覚の放尿は、島根の松江にいた時は、これが「おねしょ」に「発展」することはなかったし、ましてやその原因となることなど想像だにしなかった。

 すべて「大阪は河内」に来てからの出来事である。

 これまでの不安定なデラシネ(根無し草)人生に終止符がうたれ、曲りなり(複雑な家庭環境)にも「安穏」な生活を得、三月ほど遅れたとは言え無事小学校にも入学、近所の「ガキンチョ」との交友もジョジョに深まっていった時期のことである。

 こんな中、あの忌まわしい「夢見」が、なんの前触れもなく、「そう突然」に始まったのである。

 尿意を我慢にガマンをかさね、あの陶器店の2階から転がるように階段を走り降り、重い両開きのスライド・ドアーをもどかしく開き、外に。

 そこには、あの懐かしのどぶ川が「ようoldboyくん、久しぶり、どうぞどうぞ心行くまで」と誘いかけてくるのである。

 そう、「至福の時間と行為」の中で、これが「夢見」であることに「なんの疑念」も持たずに「現・うつつ」の事として、事を済ませたのである。

 もう多くを語るには及ばない。
この忌まわしい「夢見」はこれよりのち、3、4年続くことになる。

 もちろん、これが毎夜と言うことではない。
それでも月の内、数回は確実にあったように思う。

 ただ、この「おねしょを伴う夢見」は続くのだが、いつの頃からか「夢見の中で、今見てる夢に何かしらの疑問をはさむ」ようになっていったのである。

 「む~、これは夢だろう」と自分に「言い聞かせる」ことが、不思議なことに可能になってきたのである。
そうすると憑き物がおちたみたいに、やがて「オネショへの前奏曲たる夢見」も見なくなってしまったのだ。

 ただ、修学旅行の

「お伊勢参り」には、「おねしょ癖」が取れて数年経ってはいたが、少なからず緊張を抱えた「一泊旅行」であったことは告白しておく必要がある。

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 この「夢見」、「夢判断」で有名な精神科医の「フロイト」先生なら、どのような診察をされるのか、大いに興味がわくところである。


上掲のイラスト似顔絵画像、「ジークムント・フロイト」である。
もちろん、「いらすとや」さんからお借りしたものだ。

 ほとんど「期待」しないで検索したのだが、ビックリ「ありました!!」
「いらすとや」さんに乾杯。
              了
          oldboy-elegy
 

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