oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (3)「ヰタ・セクスアリス」の知性と教養を剥ぎ取り俺らしくリライトする。

 

 

  oldboy-elegy君には夜尿症(少し可愛く言えば・おねしょ)の癖がある。

 恥ずかしながら小6ぐらいまでは朝が来て股間の様子を見るまでは心配であった。

 母が近所の神社かお寺か知らないがおふだを貰ってきこともある。

 

 ブログを書く時の最初の自分を表現する1人称に気をつかう。
私、わたくし、自分、俺、僕、知られた方言まで入れると大仰に言えば星の数ほどある。
 よくは知らぬが英語ではI(アイ)だけだと聞いたことがある。
ゆえ、日本語の小説なりエッセイを読めば、その人称代名詞の扱いで、「私」の立ち位置がほぼわかる。

 気になり夏目漱石の「吾輩は猫である」の英訳を調べてみた。
翻訳者により幾種類かあるみたいだが、 I am a Cat . が一番のようである。
「a Cat」のcが大文字であることにご留意を。

  そこで、冒頭の「吾輩」を「わたしは」「僕は」「自分は」等と入れ替えてみたが、いずれもピンとこない。
「僕」など言語道断である。
今風の血統書付きの家飼いの猫が飼い主に媚を売っている雰囲気である。
「俺は猫である」すこしはましかなと思うが、何かが違う。
粗野でわがままな猫がそこにいるのみである。
「吾輩」は、人間を斜に見、少し人を小ばかにし、ある意味傲慢さも見て取れる。

 基本この猫、「吾輩」は家猫、野良猫の区別がない、それに左耳の先がV字型に食いちぎられている、は少し妄想過ぎるのかも。
そう自由人ならずとも、さしずめ「自由猫」の風体、風格を感じる。


 ここで英訳にもどる。
あとの2文字 a Cat はある意味、すごいと思う。
耳で聞くだけなら解らなかったものが目に見えてくる。
[a Cat] Cの大文字が何か「吾輩」を感じさせてくれるのが不思議である。


 少し寄り道したが、この項での人称は基本「僕」かoldboy-elegy君である。
なぜなら自身の幼年期のほろ苦くも忘れ難い思いを今も持ち続けているのだから。

 この時代、大阪の市立小学校の修学旅行先は概ね伊勢への一泊旅行であった。
伊勢参り」「お伊勢さん」と結構慕われていた。

 ここで賢明なOldboy諸氏はすでに察して頂けたことと思う。
「一泊」→「旅館」→「布団で寝る」→「おねしょ」である、さあー困った。
旅行に行かずに済むものならそうしたいが、理由が「おねしょが怖い」など言えたものじゃない。
母はすでに察していらっしゃる、顔で「おふだ持って行くか?」言っている。
ここで Oldboy がとった策、これしかない、「一晩、寝ずにやり過ごすこと」、結論はこの一択である。

 幸いここは小学校修学旅行生のための観光地,「けん玉」や「ダルマ落とし」など売る店はどこにでもある。

 「けん玉」を買った、とくに理由があるわけでもないが、少し奥が深く退屈しないの ではの思いがあったのかも。
けん玉愛好会の人、ゴメンなさい。

 一晩どこかで、これで遊ぶしかない。
その夜,みんなひとしきり騒ぎ遊んだあと先生がきて「こらもう寝ろ」で終了。
僕 Oldboy君 も取りあえず夜具の中。

 ここで告白せねばならぬのだが、自分の夜尿症にはある決まった夢が引き金になっている。
実は僕、幼稚園には行ってないし、小学校にも2か月遅れぐらいで入学している。

 大阪の小学校入学以前、Oldboy 君、母に手をひかれ、松江市のどこか(陶器店の倉庫)の2階に間借りし、病院の下働きなどして、親子二人の生計をたてていたようである。 
僕はこのころでも父親の顔どころか、存在さえも知らない。

 ありていに言ってしまえば、成れぬ仲の恋路のはての子のOldboy君と言う事だと思う。
勿論こんなこと母に聞けたもんじゃない、母も亡くなり、自身も齢重ねて初めて理解できることである。
この辺のことを書けばキリがない。
これから先のブログに少しずつ挿入はするつもりではいるが、ここではそれが主題ではない。

 間借りしていた部屋は、結構大きな倉庫の中の2階部分である。
倉庫内には大小、木箱に納まった陶器類が所狭しと通路にならんでいたのを思い出す。突き当りに案外広めの階段がしつられてあり、登りきったところの引き戸を開けると結構広い畳の部屋があり、印象としては陽光が差し込む明るく清潔な部屋だったと記憶している。
台所がどこでどんな風だったかは思い出せない。
外食など記憶がないので何処かにあったのだろう。

 この陶器屋さんの倉庫前に車がやっと通れるぐらいの広くはない道が左右に通じていて、道の向こう側に沿って幅2メートルに満たないどぶ川が流れていたのです。

 新参ものの自分に友達がいるわけでもなく、母のいない昼間は2階の部屋とこの辺りをぶらぶら徘徊するのが日課でした。

 アッ、今この瞬間に思い出しました。
近所の男の子とコマ回ししたことを、そうそう母が鉄のワッパがついた駒を買ってくれたことも。
そのコマ、自慢じゃないが他の子のそれより少し高いんだ。 

 そうこの細いどぶ川が僕の小用専用のトイレであり、便器代わりだったのです。
倉庫内のトイレは階下にあり、薄暗くあまり行きたくない場所でした。
そう僕のおねしょはいつもこの川の夢からはじまるのです。

 この夢と癖は、どうもこの地を離れてから始まったようで、今これを書きながら気が付いたように思います。
何故この程度のことが自分の心身にインパクトを与えるのが納得がゆきません。

 次に書くことが主体で、川の事はこれらにからまった表象であったように思います
フロイトユングがどのように診断するか知らないが。


 その日は雨だったのかも知れません。
敷いたままの布団の上でゴロゴロ、小さなちゃぶ台を机代わりに母が告げた分だけの宿題をイヤイヤやっつけるのが日課でした。

 そんなおり階下の倉庫の重い扉が開く音、「〇〇ちゃんいる」と自分より二つぐらい年上の早苗ちゃん(仮名)がトントンと上がってきたのです。
そう長くもない頭髪を短いおさげに結っています。

 早苗ちゃんはこの陶器やの長女でちょっと先の表通りの店の奥に住んでいます。
彼女はそこを母屋、母屋と呼んでいました。

 以前にも何回か母がいるときにきたこともあるのです。
「なにしてるの?」
「ゴロゴロ」
「うん、さっきばあちゃんにミルクキャラメル買ってもらって、あんたにもあげようと思って。」

 この年齢の女の子、自分と2歳も違えばそれこそ天地の差、何もかもが圧倒的存在です。
黄色の箱を開け薄紙で包んだキャラメル全部をテーブルの上に広げ、それを均等に分け半分をぼくにとくれる、と言う。

 当時このようなお菓子は高級品で食べた経験があったのかどうかは思い出せない。
一粒ずつ互いに口にし、「うまいなあ」と顔をあわせる。
布団の上でゴロゴロ状態の自分の横に彼女もゴロンと横になる。
「今日あんた川でおしっこしてたでしょ」と顔を俺に近づける。

 早苗ちゃんの眼(まなこ)は、これまでの柔らかさが消え、僕はえたいの知れない何かを感じたのは事実だと思う。
 それが意味するものを具体的に分からなくとも誰にも言うべきことではないと、理解していたようにも思うのです。

 「うん、下の便所狭いしちょっと臭いし、あんまり好きやない」と自分。
そこに「飴あげる」と新しいのを口に含み、ゴロゴロしている自分の上に覆いか
り 、彼女の唾ごとミルク飴を口移しにくれたのです。
「だれにも言いなや」とちょっとドスの効いた声。

 たったこれだけのことだが、何がどうなったのかは自分にはよく分からなった、ともかくにもOldboy君の人生の始まりであったことはずっと後年になり認識したのである。それも強烈に。

 これが僕のヰタ・セクス・アリスの幕開けでもあり、夜尿症がハジマッタ原因かもしれない、と今になって思うのですがどうでしょうか。

 

 ともかく修学旅行でのオネショはなんとか免れたが、ただただ「眠かった。」

                               

                                                 了

            oldboy-elegy

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