oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (12)  お逮夜市(おたいやいち)で的屋(てきや)のねーちゃんの口上「これではお昼の弁当のおかずが足りまっしぇん」を真似るの巻。

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左の図、バナナのたたき売り露天商の人のイラストである。
縁日、市、お祭り等の祭礼に店を出す露天商や大道芸、はたまた見世物小屋のような大掛かりなものも含めて、それに従事する人たちのことを「香具師(やし)、または的屋(てきや)と呼ばれている。
ここでは「的屋てきや」として表現することにする、特に意図はない。

 

市(いち)は随分と賑わったものである。
今では、この地域の商店街には「お逮夜市(おたいやいち)」の上り旗がある
ばかりで、人通り
がない分、かえって閑散として見える。


今はoldboy-elegyくん達ガキンチョ(腕白坊主達)がこの街から消えて久しい

インデラコーヒー・カレー店のあった石畳の路地に子供達精霊の歓声が白いケム
(けむり)となり、走り去った。
あの楽しかった日々は2度と来ない。

 oldboy-elegy君、ここの所、体の部品の機能が低下ぎみである。
なかでも目には困りものである。

最近、彼、人もすなるブログなるものを始めてみたが、できはともかく自分
では気に入っている。

しかしパソコンスキルは、ほぼゼロである。
教室などで基本から教わったこともない、その時必要なことを、ヘルプブログ
記事を頼りに悪戦苦闘中である。
基本的なIT用語の理解からのスタートではあるが、それすらoldboy-elegyくん
には「しんどい」事が多々ある。
マア、それも含めて楽しんでいるのであるから、良しとしょう。


折角書き上げた記事中では新しいスキルは決して試しはしない、なにやら文章
そのものが雲散霧消しそうで恐ろしいのである。

こんな状態の中、1時間も苦闘すれば、右目が涙目になり、文字が霞んで
くる。

行きつけの眼科医が言うのには、「瞼を動かす筋肉が緩くなり、下垂し
逆まつ毛状態になっている、そのまつ毛が眼球に触れ、不快感が生じている」
とのこと。

世間に、この症状は結構多く、これの手術を得意とする、形成外科医を
眼科医に紹介して頂く。
手術、抜糸、予後診察も含め約一か月半が経過、随分と楽になったように
思う。


真宗系の大寺がこの地域に二つある、一寺はこちら、もう一つは隣の地区で
その間1.5Kmぐらいしか離れていない。

この両寺を結ぶ参詣路は毎月11日、27日の両日、お逮夜市(おたいや)と
呼ばれる市が立つ。

勿論、的屋(てきや)の種類、店の数も、ハンパではない、人出も近隣、
近在はもとより遠く「大和」あたりからの参拝者も多い。

主要な参詣路はもとより、ちょっとした横道や裏道、はては路地裏までありと
あらゆる種類の商いの店が集まる。

生活雑貨、漢方風の薬、農具、種苗、鉄器の修繕、古道具、古着などありと
あらゆる業者がつどう。

中には、眉につばを付けたくなるような店も存在するが次の市にもキチンと
そこで商いをしている。
ある意味、世間も社会も鷹揚で寛大な時代でもあった。

断わっておくが今の時代の話ではない、50年も60年も昔の事である。


勿論これらの場所はoldboy君など、ガキンチョ(悪ガキ)にとっても最高、
最強の遊び場であることは言を待たない。

oldboy-elegyくん、母によく頼まれものを仰せつかる。
母の故郷(鹿児島)の黒砂糖のかち割である。
近くの菓子店などにもあるのだが「何処か違う」と言って、母は、そこでは
買おうとされない。

サトウキビの出汁(でじる)を大鍋で、グツグツ煮て、真っ黒の黒糖
の塊を作る。
最後に冷やした塊を取り出し、金槌で一口サイズに砕くのである。
鹿児島名産トウキビ黒糖のできあがりである。

母の好物である、因みに母は鹿児島出身。
黒糖売りのおばさん「かあちゃん元気か?」と俺に声をかけながら、2、3欠片
(かけら)おまけしてくれるのが常であった。

母と、この黒糖売りの女性、顔見知りでもあるらしい、同じ鹿児島県人同士、
遠い大阪の地で時たま顔を合わせチョットした同郷人同士の会話があっても
不思議ではない。

oldboy-elegyくん、近所の孝雄と二人でお逮夜市(おたいやいち)の探検で
ある。
孝雄は過去記事の「修羅場と化す正月の映画館」で登場していた「吉雄」の
弟である。

寺の脇の石段で、ちょんまげはしていないが、サムライ風のおっさんが口上し
ながら
漢方?の傷口軟膏を売っている。
大きな2枚貝に赤い封のものと、緑の2種類があるが違いは知らない。
まずこの封を切るまで20~30分は口上が続く。

oldboy-elegyくん、このお人を以前から何度か見かけるが、脇の刀掛けに
置いてる日本刀を「抜くぞ、今ぬくぞ、それ抜くぞ」と口上するが、ついぞ
抜いたのを見たことがない。


「これをみどもが抜いてみなされ、すぐにお巡りさんが来て、御用はしかり」、
こちとら二人、先刻から、承知なのである。
しかしここでは、口上の上げ足は取らない。
何故?、もし刀が本物の時はどうする、と、恐ろしいのだ。

やがて二人はそこを離れ、次なる標的を探す。
しかし隣地区の領域、あの道路から向こうへは足を踏み入れない。
もし入るなら、あちら側の悪ガキに絡まれる事も覚悟せねばならない。

勿論、逆の場合、こちらへの越境、侵入も同様の事が起こりうる。

時折、的屋の大親分ではなく、中(ちゅう)親分の孫、勇吉(仮名)
ともども、
4~5人で、大手を振って、相手の縄張りに侵入したこともある。

勇吉の爺さんの威光である。

機会があれば的屋の親分の孫、勇吉の事も記事化するつもりである。

二人がなにげに足を止めたのが「卵の膨(ふくら)し粉売りやさん?!」の前。

こんな商品、今まで見た事も聞いた事もない。

そんなこんなで考えてみると、卵など当時、気軽にいつもいつも食える食品で
なかったはず。
それにもう一つバナナも同様の位置づけの食品であった。

今考えてみると、卵とバナナ、言うところの物価の優等生であったと思う。

50~60年ほど前のそれらの値段がいくらだったかは知らないが、病気の時の
お見舞い品や特別な時の、高価な食品であったことは間違いない。


それ故「卵の膨らし粉」なる商品が存在した理由も今ならいくらか理解できる。
oldboyくん達、子供二人の頭がようやく出る高さの店先の奥にフライパンがあり
仕切ガラスのこちらには、積まれた「卵の膨らし粉」なるものの小箱が
並んでいる。
フライパンは実演販売のための道具である。

二人がここに足を止めた理由は、「卵の膨らし粉」に興味があった訳でも
ない、
ひとえにその口上(売るための言葉の抑揚などの調子)に気が取られたので
ある。

口上「卵1個、これじゃ愛しい旦那のお昼の弁当のおかずが足りましぇん、
そんじゃ
2個3個と使いたい、それでは今度はオゼゼ(お金の事)が足りま
しぇん、そんなこんなで家計は火の車、ほんで必要なのがこれ・・・」

ここで「卵の膨らし粉」が出て来る寸法である。

およそ、こんなような「口上」であった、よく覚えていたもんだと思う。
oldboy君、必要な事はすぐ忘れるが、こんな、しょうもないことは、頭に
残っているのだ。

手の平を上に、前に積まれた黄色の箱をなでる様に示す。
孝雄とoldboyくん、終いには的屋のおねーさんの口上を人差し指で調子取り
とり声色(こわいろ)をマネする始末。

客は他にはいないし、時折覗く人もチラ見するだけで足も止めない。
そのさえない風景の真ん前に、生意気なガキンチョ坊主二人のみが陣取って
いる、
おまけに、あろうことか自分の口上を指で調子を取りながら声音をマネして
やがる

その光景を想像してみてくれ。
店先には客とて呼べないガキ二人のみ、おまけに自分の「売り口上」を指で
調子を取って歌っている。

そのうち、おねーさんの口上が止み、陳列台のむこうから、こちらをネメツケ
怒りの形相。

ここで初めて状況を察したのか、即、この場所から雑踏の中へと遁走を計る2人
であった。
「孝雄、あのおね~、えれー怒っとったど」とoldboyくん。

その時である、後ろから走ってきた誰かが、2人の頭を結構強くゲンコで
ボカン、ボカンと殴りつけ「くそガキ!!」と罵倒し、肩を怒らし戻って
行く。


一瞬何?がと思ったのだが、走り去る(卵の膨らし粉)売りのオネーさんを
見て納得。
これを見たまわりの大人たち、ニタニタ、口を押えて笑っているオバハン
もいる。

そう言えば、シリンダー機構のオルゴールを口上し販売している的屋
(てきや)の寅さんをこのお逮夜市では見たことがない。

一体全体、彼は今どこで口上して商売しているのだろうか。

一度会って聞いてみたいものである。

 最近、グローバリズムとか、合理化、などの観点から彼らは世の役立たずと
みなされるようになった。
1970年前後からどんどん窮屈になっていく、それ以前はそう言う人たちも
社会の何処かに狭いながらも立ち居の場所が存在し、社会(世間)も
かましい事は言わず、そうしたいならそうしてもいいよ、ぐらいの寛容の
雰囲気があったように思う。


映画でも、寅さんシリーズ、釣りバカ日誌植木等のスーダラ人生など が
人気を得たのは超高度経済成長期前夜のことである。

基本、今では許されない存在で必要性がなく、不合理、不道徳的存在として、
むしろ忌み嫌う非合理の人たちとされているのかもしれない。

人は、それぞれが生存するのに、もっともっと多種多様な価値観が存在する
社会を必要としていると思うが、現実には逆の方に向かっているように
感じられるが、どうであろうか。
時代はIT,AIなど超情報化時代の中、社会の在り方、多様性などが進んだか
の様に思うが何か一元的で実は真逆の方向に向かっているのかも知れない。


そして今はもうインデラコーヒー・カレー店のあった路地には走り回る子供
たちの姿も歓声もない、あるのはただ無機質な静寂のみである。


                                                         了

             oldboy-elegy

この下のリンク記事も今日のこれの姉妹編である。
ただ舞台が「市いち」から「正月の映画館」になっている。
往年の名作「ニューシネマ・パラダイス」の劣化版である。

読んでいただければ幸いだ。

 

 

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