oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (29) oldboy君が見て来た,懐かしき(nostalgic)営業手法・山岡先輩の場合

 oldboy-elegyくん、純粋に営業職に身を置いた経験はない。
そんな彼が大昔と言えど、営業職に就いて語るのは少々おこがましい
気もするがお許しを乞う。

oldboy-elegy君大学を出て、就職した会社は社員700人前後の中小企業であった。
700人と言っても、大半は現業職(現場労働)の女工さん達である。

彼女達の多くは、西日本各地の山深き地域、あるいは離島から、会社の労務
出張所の斡旋で、就職をし、「集団就職列車」で都会に出て来た中卒の娘さん
たちであった。

住居は工場敷地内の女子寮である。

oldboy-elegy君、入社したおり、約10ヶ月の実習期間があり、うち半月ほど
工場労務課での実習の経験がある。

会社への初出勤は4月の半ば(なかば)で
、今思えば、随分とユックリ感が
強い。

どうも鼻から我々新入社員を戦力とは考えていなかったようだ。

午前中は座学で午後は、それこそ、土方から機械の油さしまで、何でもあり
であった。

大卒、高卒含めて15、16人ほどである。
全て男子で、高卒は工業高校卒である。
高卒女子(事務職)は別過程での短期実習となるらしい。

その間、岡山県労務出張所に荷物持ちの「馬力がわり」に駆り出されたり、
工場では、女子寮屋上の物干し場のロープ張(ハリ)の修理を手伝わされた
りもした。
もちろん、その折は干し物はない、前もって棟長さんに連絡済みの上での作業である。

岡山への「荷物持ち」の「荷物」とは、8ミリ映写機とフイルム・幻灯機・
写真アルバム類・父兄への手土産などなどである。

場所は、女工さん達の出身地域の温泉旅館である。
親御さん始め、兄弟、はては学校関係者など様々な人達への慰労と娘さん達の
現況報告会をかねている。

印象に残っているのは、工場の夜間高校生とそうでない人との確執が
ひどくなり、高校の制服十数着が工場内の溝に捨てられる事件が発生、
そのおりの労務課員の心痛を目の当たりにしたことである。

oldboy君、これら労務課員の仕事の一端に触れ、「こんなサラリーマン生活も
アリかな」思ったのも事実である。

彼、とにかく単純で、チョットしたことに、心うごかされ、感動・感激して
しまう性質(たち)なのである。

労務課実習中の出来事や印象も記事にしたブログ記事がある。
見て頂ければ嬉しい。

oldboy-elegyくん、営業職ではないが、ときおり各地の支店やお得意さんに
出張することもあった。

それは東京支店出張でのことである。 

そんなおり、いつも面倒を見ていただいた「営業平(ヒラ社員)」山岡(仮称)
先輩にマツワルお話である。

            

               ★

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               ★

いまoldboy-elegyくん、自社の東京支店にいる。
所属は大阪本社の企画部の平社員である。

東京支店の営業課長の原田(仮名)さんからの依頼で、新潟の有力問屋での
「今季、冬物商品の新商品・新色・小売店へのデザイナー派遣日程・様々な
販促品の紹介」などの「説明」をお願いされての出張である。

今では、このことを「プレゼンテーション・あるいはプレゼン」と言うらしい。

だが当の課長、先に新潟入りしており、oldboy-elegy君とは、その日、依頼元
である新潟の問屋で会うことになっている。

課長曰く「すまんすまん、君の思うように、やってもらっていいよ、自分は横に
いるだけだから、それに専門の人(oldboy君のこと)からの話(プレゼン)だから」
と直接、以来電話をもらっていた。

「専門と言われても、こちとら特別、理論的に勉強した訳でもなし・・・」と
心の奥でモゴモゴと言っている俺がいる。

「マア、せっかくだから東京支店のみんなにも、説明してやってくれない」
と支店長からの要望もあり、結果、oldboy君、東京出張とあいなったのだ。

oldboy君が東京出張のおりには、かならず一人の先輩に、いろいろと面倒を見て
いただいた。 
特別、上司から「東京、不案内なoldboy君のこと、面倒みてあげて」と
言われたわけでもないらしい。

その方、名を山岡(仮名}と言う、歳は俺より 5、6才年上で、身分は役職
なしの営業職、平(ヒラ)社員である。

ただ東京出張は、支店の最上階に宿泊施設があり、平社員はここに寝泊まり
するのが決まりである。
上司と同行出張のおりはこの縛り(しばり)はない、待遇はすべて、上司の
待遇に準ずるのである

それでも、oldboy君、旅館より支店での宿泊を好む人である。
だって、始業時間ギリギリまで寝ていられるのである、サラリーマンとしては
至福の時間である。

ただし山岡先輩が「oldboy君の面倒を見てくだされる限り」と言う条件も付く。

部屋数は確か3室あったと記憶している。

寝具はもちろん真っ白で、薄いノリが効いていて快適である。

時おり東北あたりからの問屋の平社員さんの宿泊もあるらしい。
もちろん、食事は出ないが、宿泊費は無料である。

こんなおりも、山岡先輩、支店での責任者として同宿するのである。
これも広い意味での「営業活動」と言えるのかも知れない。

先輩のこの営業外?の仕事、特別に辞令があった訳でもないらしい。
ただ、彼の柔和な性格とそつのなさに、会社がオンブされた格好である。

かれ(山岡先輩)の風貌?
ややずんぐり、背丈は標準、頭髪やや薄し、顔と言うのか頭はデカい印象、
目はいつも笑っている、特筆ものは立派な出っ歯なことである。
そうコミカルな印象を与えるお人である。

この方、当社にしては、珍しく「途中入社」とのこと、前歴は「陸上自衛隊員」
である。

この会社のお得意様は全て、既定の問屋である。
それを「代理店」と称し、地区ごとに、慰安を兼ねた代理店会を温泉地などで
数年おきに開催している。
時おり、海外(アジア圏)で「会」を持つこともあった。

従って「飛び込み」の営業は皆無である。
※飛び込み営業・直感で決めた、お店や個人宅にアポなしで訪問する営業。

山岡先輩の客の多くは「横山町」界隈が中心である。
※「横山町」と言えば、全国屈指の繊維問屋の集積地である。

「今日一日、月末も近いし、今月の売り上げ固めておくから、一日付き合ってくれる、
それとも何か特別、用事あるの、夜は上野駅(新潟行)まで送っていくし」と先輩。

「行くさきざきで、名刺ばらまいて行けば、それも立派な仕事だろ」とご教授。

支店のある人形町で、朝食を兼ねてのモーニングコーヒー、やおら彼専用の
営業用の小さな白い車で出発。

この喫茶店の費用はoldboy君が二人分支払っている。
なぜなら、以後の昼食・お茶・夕食代など、彼。頑として払わせないのである。
当然、出張規定で決められている「日当」はあるのだが。

山岡先輩にその辺の、心苦しさを言った上での結果が「分かった、朝だけ
持ってチョーダイ」と相成った訳である。

この会社の出張経費の精算は、飲み代(領収書による精算)などは別にして、
出張規定に基づくもので、出張地域、当人の役職などで決まっている。
上司の「カバン持ち」での同行なら、その上司の規定に準じて、同額が支払われる。


なにやら「先輩」の雰囲気が「ギアーアップ」
一軒目の問屋にご入店。
結構、大きくて、綺麗な構えのお店である。

とうの先輩、店の駐車場に車を預けるや、なにやら歩き方まで変貌、リズミ
カルになっている。
持っている、車のキーホルダーを、腰の当たりでクルクルしてもよさそうな
雰囲気でもある。

女性店員さんに「お父さんいる―?」、この店の役員であり、部長を捕まえて、
この呼ばわりである。

女性店員さんもニコニコ顔で迎えてくださる。

先輩、靴を脱ぎ、なれた雰囲気でトントンと2階に。
大きなガラス越しに先輩を見つけた先方の部長、「シーシー」と追っ払う仕草、
目は笑っている。

「今日最初の客が山ちゃんかよー、嬉しいことで、してなんの用事?」と部長。

「またまた、お分かりのはず、月末(締め切り)も近いんで、それにこれでも
サラリーマンの端くれでね、やること、やっておかないと」と山岡先輩。

ちょっと見るに、掛け合いの漫才を見ているかのようである。
もちろん、山岡先輩、この店で予定した注文、受注に成功。

今日の受注は全て「預かり」との事。
「預かり」とは「実際の出荷」なしで、伝票のみ「月内扱い」と言うこと
らしい。
とうぜん、リベート(商品の値引き)の料率が絡んでくるのだろう。

山ちゃん先輩、店を出ようとすると、
「お昼は、仕出し弁当だが」と、部長のお誘い。
「締め切り近いんで、これから4・5件・・アリガトウ」と先輩。

「アーア、血祭にあげられるお方が、たくさんおられるわけだ・・」
と先輩を指さし、目はoldboy君を見て笑っていらっしゃる、問屋の部長さん。



後で知った事だが、この店の女性店員さん、7~8人いるのだが、うち3人
ほどは「先輩」が中に入り「口きき」で入社したそうである。
それも、同じ業態の問屋での移籍はご法度とのこと。

またこれも聞いた話だが、東京支店営業職の中で、売り上げ計画、完遂能力ナンバー1
は彼「山岡先輩」なのである。

そう言えば、今朝行った問屋さんの玄関先で彼、女店員さんを捕まえて「元気
でヤッテルカ」と気安く声をかけていたのを思い出す。

oldboy-elegy君、今晩遅くの国鉄・上野発新潟行・急行列車「佐渡」にて新潟入り
の予定である。
新潟でのお得意さんでの、「今冬品の販促計画」の説明(プレゼン)のためである。

東京支店の営業課長が、先に新潟入りしており、明日、新潟のお得意先で落ち合う
予定である。

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今日の夕飯は東京支店のある人形町にもどり、「うな重」を「食する」ことに
なるだろう。
これも、東京出張のおりの山岡先輩と、oldboy君との通常の「ルーティン」の
行動である。

oldboy-elegy君、当初は「こんなこと、同じ会社の者同士、ましてや平社員」
と頑迷拒否の姿勢だったのだが、「まあ、毎月定期的に東京に来るのでもなし」
とくるめられ、恥ずかしながら、今日に至っている次第なのである。



こう言うタイプの営業マンは、今では殆んど見られなくなったように思うが
どうだろう。

その変化のターニングポイントはどこであったろうか?

oldboy君が思うに「ポケットベル」が登場した1970年代後半ごろが始まり
のように思うのだが。


それまでは、一度会社を飛び出せば、自分を時間的に拘束するのは、じぶん自身
の意識のありようだけであった。

営業職の数字完遂能力も、基本個人の意識のあり様が、結果を左右するのである

oldboy君の場合、幸か不幸か、営業職ではなく、企画部と言う、お金を稼ぐのではなく、決められた予算のお金を「効率よく」使うのが仕事である。


それでも、会社を出る時、部の要(カナメ)のK子くんには、ある程度、
訪問先の報告をしていたが、めったに俺探しの電話は無かったはず。
ただ事務所に帰ればセロテープ止めのメモ用紙が、いくつも翻っていた。

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このような折りにポケットベルが登場するのである。
営業職の人達は、これを持たされることには心、穏やかでない人は
多かったはずと推察できる。
ただし、oldboy-elegy君の会社では採用された形跡はない。

このころ、彼の会社にも大きな変化があった。
オフコン(オフィスコンピューター)が本社に導入されたのである。

大きな、窓付きのロッカー様(よう)のボックスがいくつも並び、中で円盤状
のテープが、ギクシャク回っている、あれである。


機種は今でも鮮明に覚えている、「東芝製のトスバック」と言った。
営業関係で「機器導入」に賛意を示す人達は殆んどいなかったと思う。

これまで、使い慣れた、手書き伝票の類が、全てオフコン基準に変更される
のである、気分がいいはずはない。

あの紙くい虫が」「会社中のメモ用紙製造機」と影で揶揄するのが
せいぜいであった。



当然会社にとってこんな便利機器(ポケベル)を導入しないわけがない。

これが、会社が社員の時間的拘束を一段と強めた最初の画期的道具であった
と思う。

以後、携帯電話、位置情報も確認できるスマートホン、四六時中社員を管理
できる世の中に変容してしまったのである。

従って、これにともない営業手法も、oldboy君の時代とは、似ても似つかは
ないほどに変容してしてしまったようである。

特筆すべきは「営業職」の「労働時間」と「時間外労働賃金」の考え方の、
大きな「後退」が社会全般に常識化したことである。


oldboy君の在職したこの小さな会社の営業職でも、夕方5時を過ぎたなら、
30分
毎に残業手当がついたのである
ただし、残業は「申告制」で、上司に、その可否を書面で問うのである。
多くの場合「否」となる。

おまけに、PM5時30分ごろには「総務部のエライさん」が、照明の落ちた
事務所の各フロア―を巡回していた。

当然、このころは未だ、曲りなりにも「労働組合労働組合」として機能
していたのも大きい。

この会社の組合は、幾つかある現業(工場関係)と事務職関係が二つに
分離しており、それぞれ上部団体が違っていた。

それも、混乱の末、上部団体を排除し、単独の労働組合として発足して、
未だそう年月の経っていない頃の事である。

さて現在はどうであろう、会社が「当然」とばかりに「営業職のサービス
残業」を強いているのが「現状」であるようだ。
そこそこ名のある会社でも「それだけの給料を払っている」と傲然としている。
※傲然 おごり高ぶって尊大に振る舞うさま

いつかこの事についてはキチンと「記事」にしたいと思っている」
タイトルは「社会全般の高度IT化による労働意識と職場環境の変化」ぐらい
かな。


今日も、街中で立ち止まり、汗をふきふきスマートフォンでのヤリトリ、
大きなタブレットを取り出し、頭を上げ下げ、連絡を取り合っている。

oldboy-elegy君には、これらの機器を使いこなす能力もない。

いまでは、これが当たり前の風景になってしまった。
もっと言えば、営業職のみならず、人、一人一人の個性が見えにくくなった、
いや、むしろそれらを消し去ることが求めらているのかも知れない。

時間外でも平気で部下呼び出す、上司も多いと聞く。
それが当人の職域特権と勘違いしているのである。


本当に、人間は便利さと「引き替え」に、何かを失っているように
oldboy君には
思えてしまう。

山岡先輩、今の時代の営業職の姿を見たなら、どんな思いを抱かれるのだ
ろうか。


今宵の記事も単に、ノスタルジック・プチ狂想曲を一曲書いただけのような
気がする。

なにやらoldboy-elegyくん、最後に来て、息が詰まってきたような精神状態に
陥ったようである。

       それでは今日はこれにて失礼する  では では

             
              了   

                                            oldboy-elegy



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