oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy(46)6月12日は母の命日であった。ブログをやり始めて2記事目、母関係の記事に少し手を入れ、リライトして投稿した

 

                  ★ 1

   母は着物の色は勿論のこと、草花なども紫色のものが大好きだった人

   そのためかoldboyくん、預かった、小さな仏壇に、菊花を中心とした
          イワユル
仏花など供えたことはない。

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アヤメやキキョウ等、季節の和花で紫色のものを、数輪買い求め、胴長
花瓶に投入れているのみである。

他県に嫁いだ妹からは朝から電話が入り、少しの間、母の思いで話で花が
咲く。
とうぜん、着物のことも、口にのぼった。


命日の行事らしきものはこれで全てである。

                  ★★2

          つい先日、6月12日は母の命日であった。   
               

新記事をと思案したが、結局、埋もれた感じになっていたものを、少し
リライトして再掲することにした。

ブログを始めて2記事目のものである。

この記事に親子の抱えた現実、母の気質などを、oldboy-elegy君が引き
起こした
ある事件?を軸にして、彼女の紹介のつもりで記事化したもので
ある。


しかし、悲しいかな、当時ブログの読者さんは殆んど居られず、今日まで
アーカイブなど
から訪問された3人の方が全てで、余りに寂しい。

この方たち今も、当方、読者さまであることがなんとも嬉しい。

「ブックマーク」も「はてなスター」も「リライト記事」に移行できるそう
だが、oldboy君のPCスキルでは、へたすれば「404not found」記事になり
かねないの気持ちが強くこのままにしておくことにした。

それ故、元記事は oldboy-elegy(2)としてそのまま留め置くことにする。

                 ★★★3
    この辺の事情(複雑な家族関係や母の事など、ブログ・プロフィールに 
        詳しく述べて
いるので、少々、割愛の形で引用する。

(プロフィールから引用)         
私oldboy-elegy君、漱石先生の猫じゃあるまいが「どこで生まれたか見当が
つかぬ」状態なのである。
いや~、実際にそうであるからどうしょうもない。

このことについては子供のころから今の今まで積極的にかかわろうとした
ことがない。
なぜなら「母が困るだろう」との思いが自分の中に、優先事項としてあった
からだと思う。

そうoldboy-elegy君、戸籍上、「私生児」で父の戸籍には入籍されていない。

彼の大学卒業を前に就職の事を心配してか、母が猛烈に父にせまったことを
記憶している。

「まあまあ、なんとかなるよ」と彼はその場をとりなすのであるが、実際
心底そう思っていたのである。

銀行や大会社を目指しているわけでもなし、まったり気分で働き、給料を
頂ければ言う事なし、上昇至高ゼロの、欠陥学生であった。

何度か戸籍関係の書類を手にしたことはあるが「熟視、熟読」はあえて
しなかった。

(引用おわり)

以上、目を通していただければ、家庭環境、境遇、母の立ち位置、などおよそ
推察
できると思う。
しいて言うなら、oldboy君、そのような事に価値観を感じる御仁でもない。

 

状況は現在もおなじで、これを持って、oldboy-elegyくん、両親を非難した
ことはない。
ただあるがままの境遇に、当然の事として身を置くだけのことである。

ブログ記事にも母が時折登場する。

フンなにを偉そうに」とすこし斜にかまえた着物姿の母の遺影が仰って
いる。

言わずもがなの母子の思いも、駄文の一つのペイソスかもしれない。


              ★★★★4
        母は一生のほとんどを着物で通した人

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だが小学校6年間を通じて授業参観、運動会、学芸会など来たことがない。
もっともoldboy-elegy君、「来なくてえ~」の一言で「あらそ、わかった」
と。


ただしネガティブな事での呼び出しには「私の専任事項」とばかりに勇んで
学校においで
になった。

(悪ガキ10人ほど)で山に柿泥棒に行った事があった。

翌日、運動場での朝礼のおり「参加したものは一歩列から離れなさい」の
アナウンス、oldboyくん、反射的に列から離れていた。

保護者としての母が呼び出されるハメに、もちろん正装の着物姿であった。

しかし小学校の卒業式だけはおいでになった、もちろんこれも着物姿で。

講堂の大きなドアの脇に所在なげに立っていらしゃたのを今でも覚えてる。
ここでは僕の行状も含めて母の事を、お話するのが主旨である。

               ★★★★★5
   中学のころ、体育の教官に首根っこを押さえられ、ゲンコで10発ほど、
        憤怒の怒りの中で頭を殴られたことがあった。

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中学も2年のころの体育の授業でのこと。
まだ体育館もプールも当たり前ではない時代である。

運動場は連日の雨で水浸し。
当然、授業は教室での座学に変更。教室は暗く、みんなの気持ちもなにやら
鬱状態
であったのかも。

そうこうするうちに、始業ベルがなり授業が始まる。

山本(仮名)と言う新任の体育専門の先生である。
新任と言っても結構おじさんで頭髪も後退、そう、(さらば草原よ)
アデオス・パンパ・ミーアAdios pampa  mia 状態の方であった。

代用教員の先生らしいと噂があったが本当のところは知らない。
風采も上がらず、いわゆる生徒たちに舐(な)められるタイプである。

そんなもんだから、授業もザワザワ状態で規律が取れてないのは誰の目にも
ハッキリしている。

こんなときの生徒たちは余計に残酷になるものだ。
教室の後ろのほうでは立ち歩いているやつもいる。

先生自身も屈辱感とプレッシャーの中での授業だったのかも知れない。

ただダンマリのまま黒板に向かいスポーツ用語やルールなどをセッセ、
セカセカと板書しておられた。

そんな時、教室の後ろのほうから誰かが「もっと大きな字で書いたれや、
暗ろうて見えへん言うとるぞ!」と全く敬意の欠片(かけら)もない言葉が
放たれたのです。


先生の心はもうブルブル・わなわな状態だったと思う。

この時の俺の席は先生から見れば教壇机のある中心から1列左がわの最前列
でした。

私(oldboy)が不幸な目に合う原因の一つはこの席位置も大いに関係していた
と思うのだが、どうだろう。

このあと教室の空気が急に険悪になるのです。
そう突然です。

先生は、黒板拭きを手に取り、黒板の大部分を占めていた自分の書いた
チョーク字をいきなり、すごい勢いで消し始めたのです。

先生、完全に切れた瞬間でした。
板書をノートしている子も、いくらひどい雰囲気とは言え、一定数いたことは
当然です。

このあと、すぐに教室全体にブーイングの嵐が巻き起こったのです。

oldboy-elegy君などは、もともとノートなど取ってないのにブーイングに
参加していた、悪いやつです。 

この後、不思議なことが起こったのです。

この喧騒(けんそう)の中、なぜそうなったのかわかりません。
そう突然、何の前触れもなく教室内が完全な静寂に包まれたのです。

ほんの数秒のことだったと思いますが、喧噪の後の一瞬の完璧な静寂。
50人以上のクラス全員がこのパーフェクト・サイレント状態に完全に
シンクロ
したのです。

ひょっとしたら、この現象、集団心理のひとつで学問として言及されている
かもしれません。
 
俺も含めて教室内の全ての者が今度はこの完璧な静寂に気が付き、反応
したのです。

机をたたいて、足を踏み鳴らしながら、この不思議な現象に、一転して爆笑
の渦。

当然?、oldboy-elegy君も足をバタバタ、机をバンバン、先生の前で大口を開
けて・・・・。

今にして思えばすこし度が過ぎていたかもしれません、

ここで自分だけに特別な不幸が招来するとは予想だにしていません。

そう、俺を見ている先生の目、尋常ではありません。
理性の片りんも感じません。

一瞬「ヤベー」と思ったのですが時すでに遅し。
そう目が合ってしまっていたのです。
つかつかと真っすぐ俺に向かってくるアディオス・パンパ先生、万事休す。

俺の席の前に立つなり、情け容赦の欠片(カケラ)も感じない憤怒の表情の
中で、
げんこつを俺の頭上に振り下ろしたのです。

ここでまた問題が。oldboy-elegy君、あろうことか反射的に避けてしまい、
先生の渾身の鉄拳はなんと空を切りおまけに机の天板をドン。

もうこうなれば先生も人の子、逆上に逆上を重ねて、俺の首を ヘッドロック
状態で抱え込み、空いた右手でポコポコポコ、さらにボコボコ。

           
               ★★★★★5  
   (この事での顛末)母も呼び出され、最後に応接室で担任・教頭の
         前で、天井に向かって、タバコをプカリ

oldboy-elegy君、今でもみんなを代表して殴られたと思っている。
もしくはもうすこし離れた席ならこうはならなったかもと思うのだが、
どうだろうか。

でも良い事ももあった。、
気に入っていた女子の一人がハンカチを水で濡らし手当してくれたこと、
これ。
 
殴られたあと授業が続いたのかどうか記憶がとんでいる。

しかしこの出来事をクラス以外の者に喋ったことはないし、もちろん母親にも
話してはいない。

だが翌日の授業終了時、担任が明日、両親のどちらかに学校へ来てほしいと
耳元でささや
かれたのである。
 
oldboy-elegy君、気になったのは、担任にどう伝わったのかの一事である。

ここで母親の出番である。
俺の直接の保護者は母親である。

母と父は姓が違う、oldboy-elegy君は勿論母の名字である。
いわゆる私生児と言う身分である。

それ故か母は「ここは私の出番よ」とばかりに意気軒高のご様子だ。

母の服装は当然、和装であった。

一応、母に、ことの成り行きを説明しょうと思うのだが、
行けばわかる」のひとことである。

あんのじょう彼女、古式蒼然とした着物姿でやってきた。ご丁寧にベージュ色の
日傘も加わっている。
手には小物入れの信玄袋。

当然、そこには両切りタバコとマッチが入っているはず。

一昨日にくらべ今日は打って変わった晴天である。
校長室脇の応接室に通され、俺は外で待機。

しばらくすると俺も呼ばれて中に、担任それに教頭もいて何故かニコニコ
している。

親がこのこと(教師の暴力事件として)を問題にするかどうかが核心であった。

学校も、その心配は必要が無いとわかりホットしたとこのようである。 

母も、息子が今度はどんな悪さをしたものか、気が気で無かったはず。

そこに、「体育教官の暴力」に対する、「陳謝」があったらしい。

ここで彼女が唐突に、「灰皿、使わさしてもらって良いか」と。
安堵の気持ちが言わせたのであろう。

しんせい(たばこの銘柄)をヒトサシ指とナカ指の先ではさみ、背筋伸ばし
天井にむけて 紫煙をくゆらせる姿は何か手前味噌だが恰好が良い。


ちょっとした姐御の雰囲気ではあるが、なんせここは学校。
前では先生二人が異種のいきものを見るようにキョトンと眺めていらっしゃる。


きょうの、この記事、我らが母子、特に母の存在と人柄が強くでた事件?で
あったと思う。

これを持って母の命日の、おそなえもの、とする。

 

             では では

                
               oldboy-elegy

oldboy-el

(雑感・雑記帳 No36 )能と狂言のうち、狂言「鬼瓦・おにがわら」の主題は、結局人間賛歌の笑劇だった!

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イラスト画像、お見受けの通り能舞台である。

oldboy-elegy君、今日の記事はハタマタ高尚なご趣味で、とか、
そうでなければ「オツムてんてんとトチ狂ったの?」と、訝る
(いぶかる)お人もおられるかと思うが、いかに。
               
              ★1
能楽(能・狂言)そのものについての話ではない。
「男女の仲の心の機微、今も昔(400~500年昔)も 変わらない
なあ!」
が本日の主題である、

イヤハヤそうじゃなく「狂言」の演目「鬼瓦・おにがわら」の筋立を
読み、あ~、何百年経(へ)ようが「男女の間の心の動き」、今も昔
も変わらない事にoldboy君いたく感動!、記事化しょうと思い至った
だけのこと。

ただしここでは、殿方から見た奥方どのの事になる
「奥方がダンナを観る目はどんなだろうな?」との思いは、oldboy君、
男の端くれ
連座するかぎり、真実は書けないので、これは女性の方
の「あれやこれや」に
おまかせするのが本筋だろう。



その上、彼、能楽(能と狂言)については全くのシロウトであること
に変わりはない。
ただ、これまで一度だけ、それも高校時代、授業の一環として学校の
講堂で観劇したのが全てで能楽堂に出向いての経験はない

従って、彼には、能楽について、お喋りする資格はない。

ただただ、彼が述べたい主題は、400~500年前の室町期にはあった
とされる、
能楽、能と狂言」それも「狂言の鬼瓦」の筋立てで見
えた、今も変ることの
ない「男女間の、機微」を面白可笑しく、
そして少し哀しいお話で紹介するのが
目的のもので、それ以上でも
以下でもない。



能楽堂での演目は、「能と狂言」がワンセットで演じられるのが
普通で、「能」は
歴史上の話など基にしたオペラのようなもので、
今で言う「魔界・伝承」的な
お話が多く、ある意味、壮観な物語で
あるのに対して、「狂言」とは、日常の生活
をコミカルにした話
(はなし)ものが中心で、コント、コメディてきなものとされ、
現実の
歴史上の人や事実が演じられるわけではない。 
(以上・検索からの寄せ集め)


演目時間も能は1時間を超え、「平家物語」や「船弁慶」などスペク
タクル(壮大なシーンと物語)ものや歴史上の実話が中心であるのに
たいして狂言は20~30分位の話物が中心で笑劇が多い、とされる。

能楽堂で観劇する場合、初めに、能として重厚・壮大な物語が、
幽玄の中で演じられる。
すこし間が空き次に軽妙洒脱な笑劇が始まる、ここからが狂言
ある。
能楽堂の雰囲気がこの硬軟併せた演出で、より楽しいものになる
ことは容易に想像できる。

しかしoldboy君 、狂言の「鬼瓦」なる言葉、どこで仕入れて来た
のか、
トンと見当がつかぬ。

ボケ防止のためと、取り溜めたメモ用紙にも「能・狂言と鬼瓦」と
書かれている。
どう考えても、ずっと脳内に刻まれた、記憶野の中のものであると
思う。
ヒョットしたら、高校の時の、古典観劇の残滓(ざんし)かも知れ
ない。


ここで、「鬼瓦」なる狂言の演目内容(筋立て)を検索をしてみた。

これがなんと、自分にぴったりの感覚のもので、即、ブログ記事
採用を決めた
のが経緯である。


               ★★2
   
    ここからはもう、能・狂言などの古典芸能のことを無視
       ただただ、「男女の普遍の感情」を
                   この古典 「狂言・鬼瓦」を下敷きにお喋りする。

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上のイラスト画が「鬼瓦」である。
大屋根の棟の両端などに、置かれた大きな瓦で、装飾を施し、魔除け
などの効能にも対応したものであるとされる。

その造形は、ドングリ眼(まなこ)にダンゴ鼻、大きな口など、
が彫られているのが特徴。

これら災厄排除などを願う装飾瓦は、現在でも伝統的建築家屋や
寺院などでも使用されている。
古くは室町期ごろからの様式でもあったらしい。


ここで一期に室町期まで、さかのぼることにする。
ある田舎大名の主従2人が京の街中に登場と言う場面である。

田舎大名が主人公で、「狂言で言うシテ役である」
一方家来のほうは「同じく狂言でいうところの太郎冠者・たろう
かじゃ・従者」
である。

主人(いなか大名)はもとより従者ともども、二人の表情は明るい。

国元を出立、都(京)に上り、3年近くがたっている。
国元で起こった、領地をめぐる訴訟問題のため、今こうして京に
呼び出され
裁判を待つ身なのだ。

それが先だって、裁判終了の上、勝訴を勝ち取り、新領地を得、
ようやく国元へ
の帰参が許されたばかりなのである。

そこで、常日頃、祈願成就のためお参りしていた、平等寺(通称、
因幡堂薬師・イナバドウやくし)に、こうしてお礼参りに来たと
ゆうわけである。

狂言の舞台はここからが始まりである。


この寺、現在も「烏丸通り・高辻」を下がった東に現存している
寺院で、厄除け・ガン封じのお札や御朱印で有名で、賑わっている
そうである。

oldboy-elegyくん、何とゆう事でもない、学生時代、3日にあげず、
この門前を市電に乗り、行き来していた身である。
いや~知らなかった―な~

満願を果たしたこの主人、この寺の「霊験のあらたか」さに深く
感じ入り、自分の領地の内に、分霊を請じ迎える末寺(まつじ)の
建立を思い立つた。

※霊験あらたか 神仏による効果がはっきりと表れるようす。

ここで主従、二人、この寺、因幡薬師に最後のお参りと、国元、
分祀建立を胸に
寺内を詳しく検分するためにここにいるのである。

この時の主従2人のやり取りがすでに「狂言」として始まっている。

そこでこの田舎殿様、本堂の大屋根の両端に置かれた、ドングリ
まなこにダンゴ鼻
その上、口はグワと開いた、鬼瓦(おにがわら)
を発見する。

とたんにこれを見た殿様何を感じ、何を思ったのか、自身、目を見開
き突然、号泣しだしたのである。


国を出て、かれこれ三年、突然、帰郷が適うことになった。
頭で描く故郷の山河、もちろん、嬉しい。

しかし、それら以上に気持ちを慟哭させたものが、決して「器量
よく、別嬪」とは
言い難い、「女房殿」の、ことであった。

このサムライ、京で「✖✖遊び」など、無縁であったとは言わせない。
しかし、彼の帰巣(きそう)本能は、なんと「鬼瓦」を見た時に、
発現するのである。


「鬼瓦」からの連想で突然、奥方殿を思い出し、大声で「オイオイ」
泣き出し、嗚咽する。

この場面、鬼瓦を観て思い出された、奥方には、少々気の毒だが、
分からぬ
ことでもない、大方の漢(おとこ)なら解らぬ感覚ではない。

世の奥方様に言う、男の心の奥底に、このようなカワユイ一面をも、
持ち合わせている
ことも知っていて損はない。

能楽堂の観客、これを見て、どう思い、なにを感ずるのだろう。
もちろん、基本は大きな笑いの渦の中に、投げ込まれることに
なる。

しかるに、時間の経過とともに、観客の胸の内に何かホッコリ
したものが生まれ、
得も言われぬ「泣き笑いと可笑しさ」をも
招来する、こと請合いである。


基本「おおいなる、人間賛歌」の舞台であったように思う。

たった2~30分の笑劇の一話である。

     oldboy-elegy君、高校の時観たあれは、狂言
    「鬼瓦」ではなかったのか?!と思うことにする。

           
   今宵はポータブルラジオのイヤーホーンを、小耳にはさみ、
    このまま 寝落ちしたい気分である。 では では

               
                       

                了

                   oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

               

(雑感・雑記帳 N0.35)最近、認知度、上昇中の「排除アート」なる言葉を巡り、oldboy君のフヤケタ頭で考えてみた。お付き合い、いただければ嬉しい

 

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                ★1
    なぜ、今日のタイトル「排除アート」なるものに行き着いたのか


oldboy-elegy君、今のところ、自身の体に「重篤・じゅうとく」な疾患は
ないようだ。
ただ、人間として生きるための「各部品?」の機能低下が顕著にみられる。
視覚・聴覚・記憶・発声(時間がかかる)+腰痛 などがそうである。

目が醒め、カーテンを引き、朝日を全身で受け、ベッドの中で「まどろん
でいる」時などの感覚は、
「ヒョットしたら俺、100メートル全力走OK」の思いに駆られる。

しかし残念ながら、現実は、ベッドの中にいる時だけの「希望的思い」で
「妄想」に過ぎない。

起き上がった瞬間からこまごまと「ちょいワル機能不全」に悩まされる
ことになる。

それらの諸症状はベッドから足を床に置くために体を起こした瞬間から
始まる。
「ウヘッ、俺の体、こんなに重かった、完全に地球のGに負けている
やんけ!!」と実感することになる。
※ 地球のG   ここでは地球の引力ぐらいに思っていただきたい。




最初の画像は「いらすとや」さんからお借りしているバス停のイラスト画
である。

oldboy君「腰痛」のため、月に1~2度、調剤薬をいただきにバスで通院して
いる。

いつも彼が乗るバス・ストップの案内標識の脇には、画像には描かれては
ないが、実は「ベンチ」が一脚、設置されていた。

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腰痛もちのoldboy君、このベンチ、利用したいとは感じていたが、
こんな立派な(画像のような)お姿ではなく、プラスチックで貼られた
座席、背もたれ
部分は破壊され、基礎の鉄骨部分も長い間、風雨にサラサレ、
むきだしの
まま錆び付いていたのである。

自分より重篤と思われる、お年寄りも、これではお尻をベンチに預ける
どころか危険とさえ思わせるシロモノであった。

ところが、このおんぼろベンチ、最近、撤去され、新品のそれにとって
代わって
いる、

どなたかが、しかるべき管轄に要望されていたのだろう。

もちろん、空いている時など、ありがたく座らせていただいている。

だがここでoldboy君、このベンチを目にしてヒョイと思い出したことが
あった。

いま見る、新しいベンチは、腰かけ部分が一人ずつに、ひじ掛けがあり、
3人
掛けに固定化された形(かたち)になっている

バス停のベンチなど、仕切はなく、全面フラットなのが普通と思うが、
人間、いや失礼、oldboy君の情けないほど劣化した頭には、ひじ掛け用の
仕切があったのか、なかったのか、確証がもてないでいる。


ともかくも、きょうの記事は、これらからの連想で行き着いたものである。

                  ★★2

            「排除アート」の意味とその理念

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読者諸氏、こんな言葉、御存じかな?
ヒョットしたら、oldboy-elegy君のみが知らず、大方のお人は、当然のこと
として認知されていたのなら、チョット恥ずかしいことになる。

それは、今日のタイトルにもある「排除アート」なる言葉である。

一応かいつまんで、説明してみる。

ある目的のために設計され、造られた建造物や構造物が、本来、意図した
目的に
供応されない状態になった時、その原因となった物や行為を物理的または
心理的
に排除する行為を言う。

チョット抽象的で固すぎる説明かな?

もう一段、簡潔に言うならば

その建造物の所有者、考案者の意図以外の目的に使用されるのを防ぐための
新たな対応設計物。


現実にはどのようなものか、その建造物を例にとってみれば、より明解になる
はず。

例えば、公園のベンチなど3~4人がけの仕切のない、フラットなものを、
敢えて、
一人ずつの座席の間に腕置を設置、夜間ホームレスさんが心地よく
感じる場所を
なくし、
足腰伸ばして寝る環境を奪うこと。
これらの行為及び思潮を「排除アート」
と言うのだそうな。


ここまでくれば、早くも、読者諸氏の人達の心の中に、なんらかの感情が
芽生えると思うがどうだろう。
ある人は「ウムウムなるほど」当然そうあるべきだする人、また別の人は
「そこに仕切版
がある意図を知り「なんか釈然としないなあ」などいろいろの
感情が生まれる。


仕切の設置版を、さも自然に置き、見た目にも風景に溶け込み、なんの違
和感も
感じさせない。
そのあたりがアートと言わせる由縁かも知れない。

むしろ恐ろしいのは、ベンチの一人ひとりの仕切版がある方が、多くの
利用者が優しいと思ってしまうことである。
そう思わすのも、設計思想の中に初期から組み入れられている

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夜になり、寝るために公園にやって来た、ホームレスの人達だけが、その
悲情を
理解し、「なんだよこの仕切!!」と悪態をつくのである。

このような理念のもと、「都市の社会的空間を設計する」これこそを
「排除アート」と言うらしい。

いま、社会、公共財としての都市公園を例に述べたが、
近頃、この公的都市空間以外に一般私企業にも、この考えが認知され、
自社
ビル、新店舗建設などの時、初めから、この設計思想を取り込むことが
当たり前
になりつつあるのが現状のようである。

「排除アート」など持って回った言い方などせず、いっその事「このビルは
ホームレス排除
デザインを取り入れています」と明言し、この構造物の施工主、
設計者の名を、
金板に黒字で刻印し、誇らしげに建造物の定礎脇に埋め込んだら
どうだろう。


面白いことに、ある「都市空間設計事務所」の女性管理者がこの「排除
アート」を
ビジネスの負の側面から、自分の考えをネットで述べていた方が
おられた。


結構、長文のもので、oldboy君、じっくり読ませていただいた。

結論から言うと、
自分達がやらねば、無秩序に事が進行し、取り返しがつかない事になりかね
ない、「排除アート」の思想を、いかに優しく、自然の内に潜ませ、多くの
人達が
それと知らぬうちに当初の目的を得るもので、なくてはならないと言う
こと
らしい。

一読すれば、ある意味「なるほど」と思わせるものがある。
しかし、次の瞬間、「何かが違う」とoldboy-elegy君、胸の内、頭の中が、
「ざわざわと波打つのである。


彼女が言わんとすることは自分達を正当化する模範解答ではあるが、
しかし所詮、勝ち組社会の言い分
で詭弁としてoldboy-elegy君には映る。

そこには終始「排除」される人達からのナマの言葉は聞こえてこないし
存在すら無い、悲しいことである。

 
グーグルで「排除アート」を検索 

(気持ちの優しいナイーブな方は見ない方が良いのかもしれない)
oldboy君にも、チョット刺激が強すぎた

① 排除アート のみで検索、400万件以上のスレが立つ
② 上段の(画像)をクリック この瞬間、観たことのない人は凍てつく
  ことになる。
  先端の尖った、スパイク(鋲)が埋め込まれた、何処かのビルの玄関脇
   などなど。
   
                ★★★3
       随分と前の事であるが、ホームレスさんに関する
          テレビ・ドキュメンタリーで

         こんな場面があったのを思い出す。


ホームレスさんの人数は2019・01現在、全国で4555人であるらしい。
(by厚生省)
途中、調査の中断もあったが、ほぼ年々微減となっている。

住民票もないのにどうして調査したのかって?
厚生労働省の音頭(おんどう)の下、毎年1月のある日、各地域の役所
職員が走り回り「視認」で確認するらしい。
考えてみれば、これしか方法はあるまい。
ご苦労さんなことだ。

ただヤミクモに「ホームレスさ~ん、どこに居られますか」と走り回って
いる訳でもあるまい。
その発見場所が、以下の様になるとの事。

● 河川 31.0%(橋下・ブッシュの中の簡易小屋)
● 都市公園 22.7%
● 道路 18・0% (oldboy君、イメージするが映像が湧かない)
● 駅舎 4.9%
● その他施設 23.4%
    以上 100%の内訳である   ・2018・01厚生省調べ    


さてここからが、テレビのドキュメンタリーの内容である。
時期は未だホームレスさんが全国で1万人を割っていない頃のことであった
と思う。

f:id:oldboy-elegy:20210519070207p:plain

北九州のある町でのこと。
場所は長距離バス、夜の発着場である。
行先は関西で具体的にはoldboy君住まう大阪である。

薄闇の中のテレビ画像の二人、一人がホームレスの方、もう一人が役所の
人である。
無理やり、その境遇の、お人を大阪に送り出そうとしている場面である。

バスの切符代は片道料金が役所から手渡される。

夜食代金ももらったのだろうか?、こんなところoldboy君、貧乏性でこまる。

そして、今まさにホームレスさんを無理やり排除する地元は、ある意味浄化
されると言う
寸法である。

「二人のヒソヒソ話」こちらに帰ってくるな「大阪で頑張れ」と引導、やがて
バスは彼を乗せ、闇の中に走りさった。

この役人さん、ホームレスさんを見送ったかに見えるが、まあそれもあるが
実は「確かに長距離夜行バスに乗車、出発したのをこの目で確認しております」
の報告をするのが本来の目的で「画竜に点睛」を入れた事になる。
※ことば 「画竜 点睛を欠く」
 仕事はほぼ完成しているが、肝心な一点が抜けているため、全体が生きて
こないこと。 描かれた竜も、最後、目を入れてようやく完成を観る、


これも、ある種排除アート」の一形態で、形も記録も残らない、「精神的
排除アート」とも言えるものかも知れない。
なにか、「おぞましさ」で背筋が凍る気持ちに陥る。

oldboy-elegy君、この役人の行為にどうのこうのと、言ってる訳ではない、
役所には、きれいな数字(当市はホームレス・ゼロ)のみが報告され、
記録として残される。

これこそ、完璧と言える「排除アート」ではなかろうか。

大阪は西成、日本一のホームレスさんの集参地でもあった。
ここには、最低限の生存のための、条例と施設、ボランティアが存在する。

ある意味、「大阪の西成」は、地方行政のための「掃きだめ的」存在で、
必要悪と言えるものだったのかも知れぬ。
日本の高度成長を裏で支えてきた、影の功労者的存在でもあった。



                ★★★★4

    それでは、世界一の大国と言われる、アメリカ(米国)の現状は?
     この★4を書いている時、気になるある事に気がついた。

       
もともと、こう言う考えや思潮はアメリカからのものである。

そこで手っ取り早く、近年の彼の地(ここでは合衆国)のホームレスの
数字をあげてみる。
アメリカ・西暦2020年、日本・西暦2019年調べのもので、
ホームレス人数を実数で表記すれば、アメリカ570.000人、日本4.555人で
あるらしい。(約125倍)
ここにアメリカと日本の人口比2.6~2.7倍を加味しても(約40倍)にもなる。

ただホームレスさんの数え方が、アメリカと日本が協定を結び、同等の条件で
比べたものではないことは、知っておく必要がある。

ここからが、oldboy君がもっとも腑に落ちない
部分である。


アメリカで排除アート」なる言葉、特に「アート」と言う言葉がどう
使われているのか調べてみたが、およそ日本人である我々が知る
「Art・アート・美術・芸術」ような「人類に付する」肯定的な意味以外、
みつからないのである。

ただ、「Art」の辞書、末尾あたりに、「人為的」とあったのが気になる。
意味が「排除」と「Art}が交錯して「人為的排除」と曲解するのも可能
なのか?

それではと、排除アート」の「実際に使われる場面、を想定した英文を
探して
みた」がもちろん、我々がしる「アート・Art」としては見当たらない。
????何故なんだろう、の疑問が残る。

「Art」
横文字を使用しているのに、肝心の本家では、そこそこ一生
懸命に
探してみてもoldboy君、発見に至らず。

それでは同様の概念が、英文で、どう綴られているのかを探してみた。
それらの幾つかの英文を抜き出してここに記載してみる。

① Hostile Architecture
       英語での使われ方の意味
  パブリック・スペースが障害を受けたり、あらかじめ想定された用途
       以外で使われないよう建造物に手を加える、アーバン・デザインの造形
       であり、ひとつの手法とある。

② Dfensive Design
       防御的アーキテクチュア―(Architecture)、建造物のデザイン

③ Unplesante design
       不快で、楽しくないデザイン

④ Defensive urban design
      防御的、アーバン(都市)・デザイン

など、おのおの目的別、用途別に使用されていて、どうも日本の様に「排除

アート」など一括りの言葉は見つからないのである

ただ言えることは、上記の4個の英語の中で、①が一番、汎用的に使用されて
いる
ようである。

ここで再度 ① Hostile Architecture を見てほしい。
Hostile は敵対的(形容詞)で Architecture は建造物である。
Hostile を「排外アート」の「排外」とするなら Architecture は何故
「アート」
なのか?とoldboy-elegy君、しょぼつく目でにらんでいた。

ここで「アーキテクチュアー・建造物」の単語のみを見て欲しい、つまり
この部分
は英語を離れて「日本語的感性」の語呂合わせでしかないことを
発見した。

Architecture じっと見ていれば(Art・アート)のアルファベットが全て
存在していて、全部で
5文字もある。

Architectur 
で必要なアルファベット3文字 Art がキッチリ前から順に、英単語のArt
ヨロシク並んで
いるのがわかる。

従ってこの「排外アート」の「アート」は英単語の意味を意識した、日本語
なのが真実
なのであるまいか
したがって、英文の中に「Art・アート」が素直に発見できないわけが理解
できる。

結論は「英単語」を装った、日本語のゴロ遊び
でしかないと言うこである。

即ち「排外アート」なる言葉は完全な日本語であって、日本の業者が、
自分達の
商売に都合の良いものとしてArt を意図的に組み入れ作られたもの
であった、がoldboy君の結論である。


             ★★★★★5

         おしまいにoldboyくんから一言

なぜか、今日の記事、oldboy君にはチョットきつかった。
いつも出る、軽愚痴(かるぐち)も終始出ずじまいに終わった感がある。

この世の中、文明の利器の発達は目覚ましい、しかしこれを利用する、人と
社会の
ありようが、なぜか空しく寂しい,感がする、なぜだろう。


最後に今日の記事も、oldboy-elegy君のいつもの「独断と偏見の範疇のもの
ある」ことをお断りしておく。

ずっと昔、卒論を書いていた時の高揚感を少し思い出した。

脇には、PCもスマートフォンも、もちろんない時代である。
あるのは、図書館から借りて来た本と原稿用紙が全てである

すべてが、遠い遠い昔のアナログ幻影の中でのこと、しかしこれも、俺に
とっては、真実であった事には、変わりはない。
夜中には母が茶と菓子を差し入れてくださった、これも含めて・・

      寝つきも少々悪かろう、委細かまわず、寝ることにする。

   

              では では

           
                           了  
                           oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp





(雑感・雑記帳 No.34)禁煙中(4年以上)の我が身、チョットした不注意で紫煙をプカリではなく、プカ!・これアウト、セーフ教えてほしい

以前、2020・11・10にUPした、
(雑感・雑記帳 NO.26)   世の中に
あふれる言葉から、琴線に触れたもの、おもしろいもの、憮然としたもの
などを拾い、よみびと知らず(名無しの権兵衛さん)として記事化した。
今回はその
第2弾としての扱いである。
              


                 ★1

                  欧米系の「名無しの権兵衛さん」の迷言がこれ!

     「俺は少なくとも、10回は禁煙に成功している・エッヘン」

 

きゅうきょ、この「迷言」を採用することにした。
「何故かって?」

oldboy-elegy君、自身のブログに、「禁煙記事」を幾つか、書き綴っている。

 





ところが、つい最近のこと、
「ほんに、ほんに、喫煙の業(ごう)とは恐ろしいものだと、身をもって痛感
することに」
なってしまった。

その顛末を記述するために、上記の「迷言」
「俺は少なくとも、10回は禁煙に成功している・エッヘン」

と自分自身の不可解な行動を
抱き合わせて記事にした。


oldboy君の禁煙方法は、本当のタバコを使用するが、それに火を付けない、
言うところの「エアータバコ」なる方法である。

自身で編み出した禁煙メソッド(方法)と勝手に思っている。
この方法?でもうかれこれ、4年以上の禁煙に成功中の身なのだ。


                 ★★2
      oldboy-elegy君、ヒョットしたら、「禁煙中」の「禁」を
               犯したかも?

       以下、何故、そんな事態に至ったのか、書いてみる。

「エアータバコ」
なる禁煙メソッドが気になる方は、本記事最下段にリンク
ブログとして貼りつけてあるので、よかったら見ていただきたい。

 

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つい先日、仏壇脇に置かれた線香「白檀(びゃくだん)のかおり・毎日香・
画像左」が切れそうで、
替わりに買ってきたのが、お店で目にした「桜の香り・
花ふぜい・画像右」なる
品である。

もちろん、(さくら)からくる季節感もあったのだろう。

これがそもそもの間違いの元で、今思っても、ほんに口惜しい。

「毎日香」の場合、何故か仏壇用専用のイメージが強く自分の部屋では
インセンス(芳香)として薫(くゆ)らせたりはしない。
上掲の画像を見て頂ければ、化粧箱デザインからして納得いただけるはず。


ところが、このたび購入の「花ふぜい」、「線香」と言うより「インセンス
INCENSE・香料・芳香」のイメージがoldboy君の中で勝ち、部屋のパソコン
机の下で焚(た)いてみよう
と思い立つ。

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昨夏この除虫菊製の蚊取り線香
50巻入りを購入、画像では縦置
きだが、これを平置きにして、
購入時の大きな金属製の缶に
セットして使用する。
これに蚊取り線香の代わりに、
買ってきたインセンス、
「花ふぜい」を置き、燻らせる
魂胆なのだ。






ここで、このための、必要道具一式を整理してみる。

なぜなら、これら全てが、間違いへの「道筋の原因」にあるのだから。
① 本体、ここでは買ったばかりの「桜のかおり・花ふぜい」である
② ガスライター となり部屋の仏壇脇にある、それをこちらに持って
  くるだけ 
③ もちろん禁煙中の身で灰皿なんてものは無い、そのためインセンス?
  の置き場
をどうするか。
  少し考えて、渦巻蚊取り線香置きを充当することに。
  缶カン製のそれを物置きより引っ張りだす。

  なぜそんなものがあるの?と訝(いぶか)るお人のために説明しておくが、
  oldboy君、夏場の蚊退治に、化学薬品を使った「無臭・無煙」の電気式
  のそれを使用するのは好みではない。

  渦巻蚊取り線香を長年、燻らせ使ってきた人で、もとより除虫菊の匂いも
  嫌いではない。
  昔からの除虫菊製、渦巻蚊取り線香、一択のお人である。

  サイズを調べると、なんとカンカンの円の直径が新しく購入の「花ふぜい」
  の長さ135mより少し大きいことが判明、これを使用する事に決めた。

④ そして最後にすべての間違いの元は本物のタバコが机上に2本転がっていた
  こと。
  エアータバコの性質上、そこにタバコがあるのは当然・タバコ好きだった
  仏壇の母とoldboy君、共用のものである。

  
サアー、そこで「桜のかおり、花ふぜい」を燻らせたが、その緩やかな
「香り・芳香」すこぶる気に入ったのである。
やすいものだが、部屋に立ち込める「インセンス・花ふぜい」の香り、
チョットした贅沢気分に浸れると言うものである。

この楽しみを味わいかけて1週間も経たない、ある日の夜中、それもブログ
記事を思案中のこと、

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               ★★★3
      げに恐ろしきは、半世紀を優に超える、喫煙の習慣!!
       

無意識のままに、タバコ・エコーを1本、左、手の平に包(くる)め、
右手には、
これまた知らずのうち、100円ライターが握られていたのだ。

oldboy君、この段階でも未だ気がつかず、今考えても「ア~口惜しい!!」

これまた知らずの内に「カチッ」とライターに炎・・・・。

なんと「ハッと」気が付いたのが、タバコに着火、浅く、ごくごく浅く
吸い込んだ後のこと?!!。
イヤイヤ、まだ吸ってないかの、微妙な間合いと瞬間での出来事であった。


ウッヒャー、俺なにしてんのじゃー」声こそ出さなんだが、その不浄の
(あかし)、火の付いたタバコを持ったまま、台所へ走り、水をぶっかけ、
三角コーナーに、投げ捨てたのである。

読者諸氏にお尋ねする。
「これで禁煙勤続4年は事実上アウト、はたまた、その程度ならセーフ?」

もし、「アウト」なら、あのまま喫煙すれば良かったの気持ちが、いまだに
体のどこかに残っている。

げに恐ろしきは、この身に取り付いた、この習慣、

お前は、アホか?と誰かが、oldboy-elegy君の体に聞いてくる、「瞬間、俺は
アホでも馬鹿でも良い、もしあのまま吸えるなら」と思える自分がいることに
唖然としたのも、これまた事実である。

4年以上も完全禁煙を実行してきたのに、この後に及んでも、このありさま、
ほんに喫煙の習慣とは恐ろしいものである、と実感した瞬間でもあった。

oldboy君、その夜は情けなさで落ち込むが、翌朝には「まあ、こんな事も
あるさ」の持ち前の復元力を発揮、今日に至っている。

今後、禁煙記事を書く時は、この事実(一口と言えども吸ったこと)を必ず
書き加えねば嘘になる、と思って
いる。


さあここで  欧米系の「名無しの権兵衛さん」の迷言?が御登場の運びとなる
のである。

少々ボケ症状があっても、失念はしていないので「ご安心あれ」

「俺は少なくとも、10回は禁煙に成功している・エッヘン」
の顛末である。

賢明な読者諸兄のこと、この言葉の、チョットした可笑(おか)しさ
お分かりの事だと思うが、蛇足ながら簡単に説明をさしていただく。

あるスレ主が、1回の決心でキッパリ、禁煙に持ち込んだ事実を誇ったブログ
を立ち上げた。
これを見た欧米系の「名無しの権兵衛さん」の迷言?がこれ、

「俺は少なくとも、10回は禁煙に成功している・エッヘン」
である。

まったく禁煙できないお人が、スレ主への「当てつけ」と「自身のふがいなさ」
を反意的に、ユーモラスに表現したものだと思う。


なにか人間的で可愛くもある名言、いや迷言であるのが気に入ったoldboy-elegy
君である。

はてさて、oldboy-elegy君、誇れるとは言わないまでも、チッタ自慢げな話は
ないものか、つまるところ、今日もいつもの、ていたらくなバカ話で終始した
ことになってしまう。

ここで今日の記事のオチとなる、ゴメンなさい。



             では では

 きょうも「インセンス・サクラの香り花ふぜい」を1本燻らせ眠る
             ことにする。

                了

                                       oldboy-elegy

 ●ょうの記事中に書かれている、oldboy君の禁煙方法、「エアータバコ」の
方法と、それにまつわるお話を「禁煙エレジー」として過去にUPしたものである。
よろしければ、併せてお読みいただければ幸いだ!!。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 N0.33)(はてなブログ)より開設2周年のお祝い メールが届きました。これを機に、oldboy-elegy君、自身のブログの総括(おおげさ)をおこないました

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oldboy-elegyのブログを開設して2年が経ちました

はてなブログをご利用いただきありがとうございます。
oldboy-elegyのブログを開設して2年がたちました。
はてなブログではoldboy-elegy(id:oldboy-elegy)さまのブログライフが
より楽しいものになるよう、これからもサービスの向上と改善に努めてまいり
ます。

「書き残そう、あなたの人生の物語
はてなブログを、これからも、どうぞご利用ください。

以上が「はてなブログ」様からのアニバーサル・メールです

                   

                ★1
  これより以下がoldboy-elegy君のこれまでの「ブログの総括?」と
      これからの「ユルユル展望」となります


上記の「コーン花火?」イラストと文面が、「はてなブログ」様からの
メッセージです。

oldboy-elegyくん、2019・04・10 が初回記事の投稿日だったようです
すっかり忘れていたところの、これでしたので胸の内に「明りが灯ったように」
ホッコリさせてもらいました。

ありがとうございます、こちらからもよろしくお願いいたします。

それも月3記事ほどの超テイタラク出稿で、初めのうちは何か、かえって失礼を
している気がして、肩身が狭く感じたものでした。

それでも、ときおり、ブックマークなどからの書き込みもあり、共感やご意見
など頂くこともありました。

書いている内容も統一性も一貫性もなく、およそダラダラもので、人のため世の
ためなどとは、口が裂けても言えるシロモノではありません。

ただ自分のような、いい加減な上にドジ青年oldboy君のオトボケ人生でも、
なにか、クスッとホオがゆるむこと、そして自分の脇を通り過ぎて行った彼女
を含むさまざまな人達のエレジー(可笑しさを含んだ哀しさ)、それになにより、
こんなバカ息子、イヤそれだからこその無償の愛を注いでくださった母のこと
などのことを記事にしてきました。


そして最近ではoldboy-elegy君が生存してきた戦後・昭和の社会のあり様などや
世相の変化などを書きしるすのも、もう一つの「目的」かなと考えるようになり
ました。

電子機器などの発達で、これだけ便利になった世の中、人はその分だけ
「幸せ」になったのかなと考える時、なぜかoldboy-elegy君、全面的に
賛同しかねるのが本当のところです。


その違和感を直接お伝えするのではなく、人々の生活の中、社会での現実を
通して感じてもらえればいいなと思う今日この頃です。

近い将来、個人の脳の記憶野に蓄積された像の殆んどはPC・タブレット
スマートホン経由で獲得した画像になってしまうのではないかと思って
しまいます。

また、自分が知る彼女の声も、ヒョットしたらモニター越しのもので、
生身の声が思い出せない、などの非喜劇が起こるやもしれません。
※悲喜劇 悲劇と喜劇が混ざった人生の一場面。

久々に会った彼女に
「あれ!、お前の声、そんなんやった?、カゼ引いてんのか?」
「なにを言うたはんの、あんたこそ」

こんな会話も普通に成立するのかも知れません。

               ★★2
    つい先日の 5月3日・憲法記念日はoldboy-elegyくんの
            誕生日でもあった。
       
去年は、この日(憲法記念日)の事でブログUPをさせていただいた。
あった事、思った事を、いつものoldboy君のスタイルでユルユルと記事化
したのもつい昨日のような気がします。

社会人として現役のころ、「憲法記念日」そのものには、あれこれ意見が
あったとしても、ともかく国民押しなべて、休日であり、当然、もこの
恩恵を授かる者の一人であるのには変わりはないのだとしていた。

「日本全国、俺のこと、祝ってくれる~」なんて、ノー天気なことを自慢
していたアホも
いたようです。

ひるがえって今の俺、365日お休み身分のため、アリガタミはゼロに、なり
下がった格好です。

ただし、他県に住もう妹からの「おめでとうコール・電話」は去年同様、
あったことは報告しておきますね。
ただ、これも、コロナ禍と歳から来る、身の生存確認の意味も兼ねた、
コール・電話でも
あるようだ。

そんな記念日2題「ブログ開設2周年」の報告と「5月3日、憲法記念日
oldboy君の誕生日」
記念日ツナガリがりでリンク記事としてUPさして
いただいた。

お読みいただければ嬉しい。

  

          腰痛の処方薬が眠気を誘う、 では では


                   了
               
                          oldboy-elegy

 
この下のリンク記事が、oldboy-elegy君,去年の誕生日5月3日について書いた
ものである。
是非、一読を希望する。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 N0.32)  今日のoldboy君のマヌケ振り「長い?まつ毛と白髪、カットしておいてね」!??である



ただただoldboy-elegyくんのマヌケぶりに終始した記事で、それ以上でも
以下でもないことを、始めにお断りしておく。

********************************
              
      実はoldboy君自身の口からついて出た言葉である
              その言葉とは

      「長い?まつ毛と白髪、カットしておいてね」!?


我が身(oldboyくん)に生じた不幸、恥をしのんで記事にした。

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つい先日のこと、

厄災(コロナ禍)のため、なんとなく伸ばし延ばし(頭髪と期日を
同時に表現する新語?)
に捨て置いた散髪、たまらず、床屋に行く
ことにした。

頭髪のカットも終わり、洗髪の前に、眉毛と耳毛をチョキチョキ、
グルグル(耳毛をカットする道具の音)整えてもらうのが、
いつもの
コース。

ここでoldboy-elegy君、
自分の眉毛(まゆげ)指差し、マスターに言った言葉が、
長い?まつ毛と白髪、カットしておいてねあるそうな。
いやなことに、自分的には「眉毛・まゆげ」と言ってるつもり。

不思議なことに、歳をとれば、必要とする場所の毛が生えず、たまさか伸び
ても、全く不要の体(てい)をなすものが多い。

眉毛の中には、何故か数本の異状成長するヤツがいる。
同時にクロ眉の中で白い事を自己主張するものもたまにある。

oldboy君、これらの鬼っ子を、散髪の折に整理・整頓をお願いするのである。

自分ではとうぜん「眉毛・まゆげ」と言ったつもりだが、
マスターまつ毛?」
と怪訝な表情。

oldboy君、彼との間に横たわる、このイヤナ雰囲気を即、察知。

「俺、今、なんと言った?」と聞きただす。
まつ毛!」ときっぱりマスター、今度はなにやらニヤニヤ顔が追加されて
いる。

「うっそー」と信じられない俺。
茫然自失と言えば、少々大袈裟かも知れないが、自分としてはそれに近いもの
がある。

合口(あいくち)の代わりに、理容ハサミ片手に俺にトドメをさすマスター。
「チャンとご自分の眉を指さし、言葉は、まつ毛と」毅然(きぜん)とまで
言わぬが「キッパリ」と。
※合口(あいくち) 鍔(つば)のない短刀のこと。

「ヒィヒャー・ほんま!!」と意味不明の言葉を発するoldboy-elegyくん。

脳内には「眉毛・まゆげ」の実像があるのに、出た言葉が「まつ毛」
だとすりゃ、こりゃ本当に病気だわ、と心しおれる俺。

マスター、なにごとも無かったごとく、いや何気に楽しそうに、
異状成長した数本の眉毛(まゆげ)と眉の中の白髪退治にチョキチョキ
はさみを入れる。

oldboy-elegyくん、このままでは気が納まらず、少々言い訳を読者諸兄に
させていただくことにする。

基本、眉毛もまつ毛も、体の部分から見れば、ほぼ同位置にある。
なんの緊張もなく口にすれば、こうなる事もあって、不思議ではない
と思うがどうだろう。

読者諸兄は「ないない、こりゃダメだわ、いよいよ歳からくる、ボケに
取り付かれ
なさっ
たようだ」と口には出さずとも、内心、思っておられる
方が大半だろうと思う。

ところで実は、この言動、現象、oldboy君、今に始まったことでもない。

昔からの習慣?と言うのか、はたまた持病?と言えるもので、長い付き合い
になる。

敢えて、病名を付するなら、「二者択一・選択機能・不全症候群」?と言える
ものである。

「ウム?」初めて聞いた、と読者諸氏。
oldboy君も、たぶん初めて口にする。

2個のうち、どちらかが正しい場合、瞬間、軽度のパニックを引き起こし、
すぐに、口をついて出てこない事を言う。


彼の、この病気の既往症状の代表例を報告(晒して)しておく。

f:id:oldboy-elegy:20210425024758p:plain



oldboy-elegyくんの「左右・さゆう」の決定のための思考回路は、幼児の
時に憶えた、「お箸を持つ手が右(右手)でちゅよ」が今も厳然と生きて
いるのである。

「真っすぐに行って」・・・「アッ、そこを右に」・・・脳内では右手が
始めに想起され
同時に右手がピクピク反射、反応する・・・ここで
初めて
右の方向が認識され・・・その後に足と体が右方向に向かい始める
ことになる。
はじめに「お箸ありきが出発点」なのである。

ただ他人様には、この神経回路(シナプス)伝達のわずかなタイムラグ
が認識できていないだけのことである。

このことを、あなたの知識として、脳内に蓄積する事はあまりお勧めし
ない。



      それでは「お粗末な一席で申し訳ない」では では
                

                了  
             oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

oldboy-elegy (45)中学卒業式を前に、坊ちゃん然とした罪のないKを襲おうとしたヤツがいた、的屋の親分の孫の勇吉とこれを阻止した事があった

               ★1
     的屋(てきや)の元締め(親分)の孫の勇吉の存在

「oldboy-elegyくん、おられますか~」と玄関のガラス格子戸の向こうに

男の声が聞こえた。

的屋(てきや)の親分の孫の勇吉なのが、その声音(こわね)で分かったが、
同時に「何故?家に」の疑問もあった。
それほど稀有な事なのである。

彼とは同じ中学校の同学年でクラス違いの間柄である。

 

f:id:oldboy-elegy:20191128122044j:plain

 



傷軟膏(ガマの油
売りの的屋さんで
ある。

こうして刀を抜いた
ところは、ついぞ見
なかった。








ただし、彼、小学校からの「べったん・メンコ」仲間で、いろいろ面倒も

かけた。
数えると、結構長い付き合いになる。


親友かと言われるとチョット?だが、頼れる?友人である事には、変わりがない。

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毎月2回、近くの真宗系の大寺と大寺の間の参詣道に、大きな市(いち)
が立つ
当然この市、子供にとっても格好の遊び場になる。


隣町のガキどもの集団と出くわし、しばしば、イザコザになることがあった。

こんな折、的屋の親分の孫、「勇吉」の名を出すと、静かになり、ことが
荒れずにすんだ。

 

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バナナと卵は当時、病院
見舞いの定番品であった。
ただ不思議なのは、これら両品、物価の優等生でもある、
その単価は今も、そんなに変動はしていないかに感じる。


なぜなら彼の家の稼業が的屋(または香具師)を取り仕切る、
この地の親分なのである。
※的屋(てきや)または香具師(やし)ともいう。縁日などで「露店や
大道芸、小屋掛け、などの商行為をする人達のこと。

もちろん、このことは、ここにいる「ガキ・子供」どもも、衆知のこと。
「彼の風格と言うのか威圧感と言うのか」ただならぬものを感じることがある。
「血は争えぬ」とは、こんなことを言うのだろう。

だが50年後の今では、人気のない通りに「お逮夜市・おたいやいち」
の「のぼり旗」だけが風に
あおられていて、当時の盛況はもうない。

いつだったか、妹と一度、この道筋を歩いたことがある。
「兄ちゃん、この通り、さびれたな」の言葉がでる。
あの時代の喧騒と人達はどこに行ったのだろう。
同時に「勇吉」の消息も知らない。

              ★★2
      中学も卒業式まじかの、ある日の夕方であった。


時節は、中学3年の卒業式を数日後に控えたころの事である。
日はまだ西に落ち切っていない時刻。

玄関を開けると、小さな生垣の脇に、3人がヌウッと、突たっている。
それでも、勇吉はなにやら、はにかんだ表情の中で、後の2人を、ねめながら
「oldboyすまんな、勝手に押しかけてきて、こいつらの話、聞いてやってくれ
へんか」とのこと。

なにやら、深刻な問題でも、とoldboy君、チョット緊張。
「家に上がる?カアチャンしか居いへんし」と誘うが、当然断られ、
すぐ先にある背の高い碑のある、三角公園に移動することに。

ここでも「勇吉」が先に切り出す。
「いやな、お前(oldboy)のクラスのHおるやろ」
「うん、級長のHか?あいつなにかしたん?」と聞きただす。

今、この3人と級長Hくん、とは、あまりにその接点のなさに、意味が
分からない。


Hくんとは俺らのクラスの級長で、何時も、ズボンに筋目がキチンと入って
いるとか、ともかく、俺らと違い、ガサツさが感じられぬ。

ホッタラカシの悪餓鬼(わるがき)の雰囲気はまったくない。
その昔には、こういう体(てい)の子供がクラスに一人、二人必ず存在した
もんである。

言ってみれば、「ぼっちゃん」タイプなのだ。
※ 中学校は公立だったが、服装は自由であった。

その上父親も、✖✖銀行の支店の偉いさん、言ってみれば、「住む世界が違う」
と言うやつである。



考えてみるに、oldboyくんが級長Hに勝てるもの、勉強はもとより、なにも
無かったように思う。
「運動系?」これとて、体格そのものが、俺より上位にあり、ソフトボール
などで遊ぶのを見ても、勝ち目がなさそうである。
あるとすれば「「喧嘩?」、これも、「声を荒げる、彼を見たことがない」
ヤツである。

ある意味、完全無欠に近い人とは、彼のような人を言うのかも知れない。
だがoldboy君がら見るに、このH君、振る舞いに嫌味や偉ぶったところもなく
これが今の彼の自然体であるのを知っている。

どちらかと言えば「好もしい奴」の部類に入る。


               ★★★3
       ただ虫が好かぬと言うだけで標的になったH君

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ここで初めて2人の内の一人が、
「あいつ、卒業式のあと、待ち伏せしていてこましたろと思ッとんや」
とのこと。
※いてこましたろ (河内弁で やっつける の意味)


「それがなんで勇吉がここに、よう判らん?」とoldboyくん。

「こいつらが、おもしろ可笑しく、俺にこの計画のこと、話したんよ」と勇吉。

そこに,二人の内の片方が
「俺、勇吉兄イーとoldboyが、昔からの知り合いなの知りまへんがな、

んだら勇吉さんが、俺が知った以上、oldboyに話を通しておくのが筋ちゃう
か、となり、今、ここにおるちゅう訳でんねん」と。

なぐる原因などなにもない、ただただ「気に入らない」と言うだけのこと。
これでは、級長のH君もたまったものではない。

勇吉「もうすぐやし、気分よう卒業したいわ、しょうもない事でoldboyに,借り
作るのも嫌やしな」

「でもあいつ(級長のH君のこと)ああ見えてもええとこあるんやで」
oldboyくん。

2年のいつの時かの英語の時間、
先公が「うるさい!!お前ら!教室から出ろ!!」と言うことになり、バカ
10人くらい、嬉々(喜んで)として廊下に、ただし教室の後ろの三角だなの中の、
バットやソフトボールを持ちだして、運動場で遊んだことがあったんよ。
※先公(せんこう) 影で先生のことを侮蔑する言葉(河内弁?)

「そんとき、あいつ(E級長)、俺らと一緒に出てきよったワ、単に俺ら
に恰好付けしたんやと、ズット俺、思っとる、俺だって特別仲が良いわけでも
ないが、俺たちとチョット雰囲気は違うけど、あれは
あれで、おもろい奴やで」
とoldboy君。


「どうしてもやらな気がすまんのか」と勇吉が聞くが、二人、なにか煮え
切らぬ。
このタイミングで「やめとけ、やめとけ」と勇吉が畳みかける。

             ★★★★4
    無事、阻止に成功・これも勇吉の御威光があったればこそ

「ただ気にいらんと言うだけで襲うんやったら、かえって後味の悪いことに
なるは、やめとけ、やめとけ」とさらに勇吉がたたみかける。

小さな三角公園の中の、階段の付いたノッポの碑(なんの碑か知らぬ)。
我らがヒソヒソ話、どんな思いで聞いたのか、きっとこれで良かった
のだろう。

級長のHとは、oldboy君ともども、土地の公立の同じ高等学校に入ったが、
このことは彼には一言も言ってない。 


               ★★★★★5
                               あとがき

今日の記事、大阪弁と言おうか、河内弁を多用している。

内容が内容で、どうしてもこうなった、お許しを。

             目薬さしさしの作業である。 

             では今宵もこれで失礼する
              
                 では では

                       了

 下のリンク記事は、当時、賑わった市(イチ)の様子と、そこに溶け込む子供
たちを、面白、可笑しく活写したものである。ぜひ読んでいただきたい。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

 


oldboy-elegy (44)パソコンなど電子機器の存在しない時代、そして就職・〇〇工場労務課での実習から、当時の世相を感じて欲しい

今日の記事は、2019・07・11のoldboy-elegy(8)「初めて
社会に出て、働き始めたころの話」をリライトしたものである。

******************************
              
              まえがき
便利さを、とことん追求すれば人は幸せに成るのだろうか?ある種の
無駄は心の安寧と余裕につながるのではないか、そのような感覚を大切
にブログを書きたいと思う。

上記の文言(もんごん)はoldboy-elegyくんの、「プロフィール画像
の添え書きで、すこし
大仰に言えば、記事を書く理由とも命題とも言える
ものである。
どんな記事を書く時も、思いの多寡はいろいろあるが、これを忘れること
はない。

結論を急がず、見たもの、体験したこと、感じた事を淡々と書きたいと
思っている。

今では全てが、昭和のアナログ的幻影に包まれたような不思議な感覚に
嵌(はま)る。
しかし、これらは確かな現実であったことは間違いない。



大学4回生(関西風の呼び方)の夏休み近く、oldboy-elegy君いまだに就職
決まらず。

決まるも決まらないも、就職試験なるもの,1社も受けていない。

「ああ~じゃまくさいなあ~」の気持ちが優先しているのである。
今の世ならこんなフトドキものは「即死刑」に値する。
母子してずっと貧乏してきた割には相当の ノー天気野郎 であった。

 
一時、留年も考えたが、家や母の事を考えればこれは出来ない相談だと
改心、
ゆえ、この妄想はただ今、払拭中である。



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意味のない留年はキッパリ?と捨て去った。
卒論の構想も、ほぼできあがっている。

卒業に向かって 「ヨ―ソロ・視界よし」








                   

              ★1

                  oldboy-elegy君、ついに、就職を決める


oldboy-elegy君、秋のある日、その姿を大学キャンパスに見ることが
できた。
就職課の通路の掲示板をのぞきに来たのである。
彼にしては珍しく本気に見えるが、どうであろう。

しかし内心「やだな~、じゃまくさいな~」が本音であるのは変わらない。

そんな中、先週から見ている募集案内が気にかかる。

従業員数700人弱、資本金1億弱、業態は繊維メーカー、どうも同族経営の会社
らしい、会社の名が社長と同じ、設立年から見れば2代目いや3代目かなと推察。

出世、本当に本当、考えた事もない、oldboy-elegy君らしく自然体で生存
できたら
OKぐらいにしか思ってない。

そのまま就職課の事務所に入り、簡単な推薦状と卒業見込み書を貰い、その
会社に送付、そして今日が入社試験の当日である。

10人少々の学卒者、中には東京の大学生も数人、彼等は関西出身の人らしい、
就職を期に帰郷するのであろう。

試験は作文と面接の二つだけ。
作文は特別の縛りもなく、自由題で「自問・自答」と言うことであった。

内容はむしろ仕事のことから離れてくれたほうが良いとのこと。

書いた文章は、oldboyくん、今でもおよそ覚えている。

「為政者が形容詞を多く使い始めたらご注意を・・」こんな感じの題であった。

※為政者(いせいしゃ) 政治を司る人、または権力者

美しい国、悠久の歴史、など、政治家や権力者が政治と関係のない形容詞を
多く使い始めた時はご注意を」と皮肉っぽく綴ったものである。

内容が内容だけに、多分、「受かる訳がないわな」と思ったのは、当然の事。

それがどっこい受かってしまったのである。

あなたはまだ「青い青い」と言われている感じがしたものである。
妙に気に入ってしまう、単純なoldboy-elegy君がいる。

入社日が学卒者に限り、なんと4月の中旬、大学の友人たちは3月中に初出社、
少し不安を感じるぐらいおそい出社日である。


おまけに研修期間がおよそ10か月、配属は来年だそうな、またまた戦力外
通告?。
なに故10か月も研修を、大企業でもあるまいし、と思ったのだが、やがて
その実態が判明。

                 ★★2
            〇〇工場労務課での研修
          女子寮屋上の物干し場のメンテナンス
         (もの干しロープの張直しなど)の手伝い

学卒新入社員は各事業所、すなわち、2つの工場、本社を含む支店営業所の全て
を回るのである。

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工場実習中は左傾のような「工務服」で、
色は、もっとそれらしい色「グレー」だった。












実は研修期間中、〇〇工場・労務課での研修が一番興味深かった。
以下、ここでの研修内容を中心に記述していく。

時代の雰囲気を感じ取ってもらえれば嬉しい。

労務課長や課員の下での研修である。

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この工場には約400人前後の女工さんが勤務していて、そのうち半数以上が
工場敷地内の寮住まいである。

女工さん この言葉、「女工哀史」などに使われた感覚のものではありません。
差別的用語とは一線を画したものとして使用している事を含みおきください。

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基本的に朝は座学で午後は実習と言う事になっていたが、初日から予定変更?
各女子寮の屋上の物干し場のロープの張替えをする事になっているらしい。
工場の工務課からの応援人員も借りての作業となる。
ある意味、「労務課に置ける、実習」であることには変わりがない。

あとロープだけでなく、屋根部分にあるスレート板の取り付け部分の保守強化
や気が付いた部分の修理など、結局午前中いっぱいの作業となった。

今日は作業終了まで「洗濯、物干し禁止」との事。
「満艦飾の女子の洗濯物が干されている場所に入ることは問題だからね」と
Y課員。

oldboy-elegy君何故か妙に納得、「一生寮監でもいいかな」の思いがチラチラ。
すぐに気が変わるのが彼の特性、ほんに軽いやつ。

「数字で追われる職場より俺向きかも」

誰かが「この労務課も新人補充の予定、あるのですか?」と問う。

「いやー、それは知らないよ、マッチングの問題かな、君たちの誰かがここを
希望することが出発点で、それからは本社の考え次第、」との事。

「まあ憶測で言ったらダメなんだろうが、会社としては、非生産部門に大事な
新入社員を回す余裕など、どうだろう無いのと違う」と課員のYさん。
内心すこしがっかりのoldboy-elegy君、がいる。

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女子の工場内での服装である。
ただし、色は男子と同じく、グレーであった。

キャップ’(帽子)も、もちろんだが、この
イラスト画像の娘さん、髪の毛の後ろが、帽子
から はみ出して
いるが、これは厳禁である。

なぜなら、工場の業態が紡績系で、それ故
スピンドル(回転)系の動きをする機械が多く、
頭髪を引き込まれる恐れがあるためである。



                 ★★★3

      この女子寮で事件発生、一般寮生と夜間高校生との間で?!

「去年の今頃は大変だった」と課員のYさん、少し遠くを見る 目。
「じつはここの女子入寮者の内20人チョットが近くの夜間高校に通学して
いるんよ、ある日、屋上の物干し場に彼女らのセーラ服4着が側溝に捨てられる
事件があったのだわ」と話し出す。

労務課としても犯人捜しした訳でもなく、寮役員、高校通学生、労務課、
ときどき工場長も出席しての話し合いを計5,6回ぐらい持ったとのこと。

原因と犯人、それを追求したところで、意味のないことはハッキリして
いる。

始めは相当険悪状態だったのが少しづつ双方ほぐれてきて、犯人捜しも
しないまま「手打ち式」に、労務課としてはこの席ではほとんど聞き手に
回ったのが良かったと言うより、これしかなかったのよ」とYさんしんみり。

「いろいろ苦労はあるんだろうが、こんな人間的な職場で、定年まで勤めるのも
アリかな」とoldboy-elegy君、思ったのも事実である。

              ★★★★4
     労務課でのプラス・アルファの仕事。中国地方、山間部の町の
            温泉旅館でのこと


これは労務課員のYさんからの頼まれ仕事で、正式な実習とは違うらしい。

「oldboy-elegyさん、今度の土、日、予定あるの?」
「特別にはありませんが、何か?」
「×××県の○○へ出張なのよ課長も一緒に一泊で、失礼だが、(荷物持ち)
がてら同行
お願いできない?」とYさん。

特別用事があるわけでもなし、「分かりました、僕で良けりゃ」と即答。

荷物の中身は、写真、手紙、金一封、などで、8ミリ映写機、幻灯機、
おみやげ等おおかたの荷は先送りしているとのこと。


九州離島の〇〇と中国地方の〇〇には、この会社の労務出張所が置かれて
いる
との事。
つまり女工さんの就職募集の為の最前線基地なのである。

しかしこれらは会社の労務出張所ではあるのだが、看板を掲げ、会社の
人間が常駐
しているわけでもない。
多くは、土地の教育関係の名士(退職した元校長や教頭)などの人脈を
通じて
就職希望者情報を得、勧誘、斡旋していただくのである。

なにやら危なっかしい話であるが、もし会社のマイナス情報が発生すれば、
たちまち人員の確保は難しくなる。
その上、地元名士さんにも迷惑をかけることになる。
慎重にならざるを得ない、仕事でもある。


ただ近年、日本経済が活況を呈すればするほどに、こう言う形での人員
確保は
難しくなりつつあった時代でもある。

oldboy-elegy君、おそらく学校におれば、この様な現実を知らないまま、
目にする
こともなくノー天気に過ごしていたのだろう。

これでお分かりになったと思う。
そう年に一度、地元の温泉旅館などへ近辺出身の女工さん達の親、兄妹等、
近親者を招き、
ちょっとした宴会を開くのである。

会社は、預かっている娘さん達の近況報告をするのがこの催しの趣旨でも
ある。


当日、親、兄弟、じっちゃん、ばっちゃんから、はたまた親戚と称する
多くの人たちの縁者が集まり盛況であった。

有名でもない我々の会社、でも真心と誠意でもって貴方たちの娘さん、
お姉ちゃん、
お孫さんを預かっていますよ、と言う口コミ期待のアピールの
場なのである。


労務課員のYさん大忙し、持参したアルバムから我が娘の写真見つけて、
焼き回しのリクエストの照合とメモに追われている。

Yさん「まずは寮生なら写真を見ればどこ出身の誰それと言えるはず、と
胸を張る。

もうこうなれば、利益追求の為の会社組織ではあるが、今の彼、そのことを
超越して
いる、ある意味幸せな人でもある。

しかしその強い思い入れのため、その人たちと会社との間での軋轢に苦悩する
こともあろう事は想像に難くない。

このことの話はYさんとはしていない。

それはそれ、今は汗をかきかき親御さん達の写真のリクエストに応じるYさんを
見てoldboy-elegy君、少し目頭が熱くなる。
こういうことにはoldboy-elegy君すこぶる多感である。


             ★★★★★5  
       給料日、工場の門前に多くの人が参集、一体何が?

 毎月25日は給料日である。
銀行振込ではない、明細書とともに現金の入った給料袋を手渡し、受領印を
給料
台帳に押捺してもらうのである。

この日に限って工場の門外で起こる定番の現象がある。
これが推察できれば大した人である。

4~50人はいるだろう、人の群れである。
年恰好は千差万別、幼児を連れた母親らしき人もいる。
チンピラ風のあんちゃんもいる。
  
工場の終業のサイレンがなると、門外の群衆がこれを合図に門前に集まって
くる。
ここに集まる人たちは、女工さん達の関係者たちである。

多くは、彼女たちの親か、その縁者である。
家計へのイクバクかの金銭的援助をしているのだろう。

中にはお金を、強引に無心するものも当然いる
※無心する 金銭を無遠慮にねだって得ようとすること

ならば工場の門前で待ち受けるのが最善の方法である。
時間も場所もここならはっきりしているし逃すことはない。

なんせ、スマートフォンも携帯もも無い時代である。

やがて頑丈な鉄骨で作られた巾10メートルほどの門扉がしまる。

出入口は門衛所の脇の小さな出入り口だけ。
ただ門扉も人が出入りできないだけで内、外は丸見えである。

大きな声での罵り合いも、たまさかに、あるとのこと。
これを門内の衛所脇からじっと心配そうに眺めている人がいる。
労務課員のYさんである。


               

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            ★★★★★★6
             あとがき
                                             
驚いた事に事務・営業職なども、出勤・退勤時のタイムカードは無かった、
担当上司の机上に置かれた退出勤簿
に押印のみ、それも女性事務員Kくんに
三文判を預けておき、外出先から「ここから直帰します、ヨロシク」でOKで
あった。

良いか悪いかは別。

組合は二つの上部団体に加入?
工場など現業部門は共産党系、本社を含む営業・事務職は社会党系と、
同じ会社
に2組合が存在、それも後に、上部団体をヤッサモッサの末、
脱退、上部団体なし
の単独の企業組合として、再発足した経緯がある。

営業職も時間外労働は基本禁止、時間になると照明が落とされる、
どうしても
必要なら、上司に申請、許可を受ける必要があった。

土曜日は、隔週、半ドン(おひるまで)で、確実に履行されていたし、
サービス残業
なる言葉、oldbboy君、聞いた事もなかったが。

30分毎に時間外手当が支給されていたことにも驚き、この程度の中小企業と
しては
マアマアの待遇ではなかったろうか。

半世紀経ての今の労働条件と比較しても通用するのでは?と思ってしまう。
世間知らずのoldboy-elegy君としては他の会社の事情は知らない。

今日は、たくさんのお人の顔と名前を想い出した。
なぜか「こいつ!」と思う人は一人もいない。
これら記憶の残影の中の人達、全て、笑顔の良い表情なのが不思議である。

遠くに過ぎ去った過去の残影の中とは言え、まさしく現実の世界での
出来事であったのは間違いない。


時代はパソコンやスマートホンが世に出るズットズット前のことである。



            では では 

              了
              oldboy-elegy

 

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 No. 31 ) 「与謝蕪村」さんの俳句「草いきれ人死居ると札の立つ」をもとに、彼の人となりを探ってみた

 

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与謝蕪村(よさぶそん)さんの肖像画
画 呉春 

パブリックドメイン化   2018年

Public  Domain
知的財産権が発生しない、または
消滅
した状態、「公有化」とも言う。      Wikipediaより


              まえがき

以前、自身のブログで「松尾芭蕉」さん、について記事を書かせてもらった
ことがある。

内容は(雑感・雑記帳 No18)で「芭蕉の忍者説を全否定」の立場から
oldboy君らしく、気ままに綴ったものであった。


その折、「奥の細道」帯同のお弟子(曽良)さんのこと、ずいぶん悪しざま
に書いた。

あのおりは 曽良さん「ごめんなさい」



                  ★1
   芭蕉さん」の句は、僕(oldboy-elegy)とゆう、いい加減な
           人間が楽しむには正直チトしんどい

            一方、「蕪村さん」、肩の力が抜けた「人生謳歌」型の
                                       お人のように  思う

                こんな彼の句はどうかな 
学問は尻から抜けるほたる哉」

実は、以前の記事を投稿した時から、江戸期、俳諧師、雌雄のもう一人である、
「蕪村さん」のことも「記事にせねば片手落ち」と密かに胸に抱いていた経緯が
ある。


それ故、今日登場の「蕪村さん」の句、早くから、コレと決めていた。
今日のタイトルにある
草いきれ人死居ると札の立つ」 これである。

ひらかなで言葉を流すと
「くさいきれ ひとしにいると ふだのたつ」となる。

検索にかければ、
蕪村の句として、10選・24選・70選 などの投稿記事はあるがoldboy君の
言うこの句は、そんな中にも、殆んど出てこない。


ではと
蕪村 草いきれ・・・・・・、とそのまま句をスレッドとして打ち込むと、
300程度の記事が立つ。

それも、句そのものを、正面から取り上げたものは上位の数記事除けば殆んど
ない。

他の蕪村の有名句に比べれば、明らかに、疎(うと)んじられているのかが
わかる。


oldboy君、俳句はもとより、小説、音楽、絵画などの好き嫌いの基準は
「いかに自身の肌に会うか」この一点に置いている。
大方の人も当然、そうだろう。

世間のそれなりの専門家と称する方たちの評価は気にしない。
それ故、自分の預かり知らぬ方たちがあれこれ、おっしゃる
ことには耳を貸さないことにしている。

これらの人達の評価・解釈だけを見ていたなら、oldboy君、この句に遭遇
しなかったかもしれない。


ただこんな不人気な句を、何故oldboy 君が知っていたのかは自分でも判然と
しない。

 

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確かに芭蕉さん」の場合、当代一の「俳諧師」で、なにか近寄りがたい、凛とした、オーラが彼の存在を包みこんでいるのは同意する。
では、句を含む、全体像はと聞かれると、何故か疲れる。
一方、「蕪村さん」はと言うと、全くの「等身大の生身の人間」の近しさを憶える。






今日の記事は、「蕪村」の人物・句評など、専門家が、あまり言及されて
いない方向からの
もので、少々我田引水的で強引なところもあるかも知れぬ
が、付き合って欲しい。


まあoldboy君が自身「プロフィール一行紹介」で言っているように
グータラ人間」であることを自認しておいでなのだから。「完全無欠」
なお人は、チョット遠慮の気持ちが優先する。
そう、世間で言う「肌が合わない」と言うことかも知れない。


また「芭蕉さん」は自身の「句作」への姿勢を、
「自分の句は、全て辞世の句のつもりで詠んでいる」とも、おっしゃている。
それ故、彼の句は「一句、一句が研ぎ澄まされた感性と緊張を強いられた
ものの
産物」と言うことになる。

oldboy君、もちろん、このようなお人芭蕉さん)の存在は「偉大にして、
必要
ならざる時代の傑物」であったことに異論を唱えるものでもない。

oldboy君、俳句の専門家でもないし、自身(指を折ながら)、句を作った
こともない。そんな彼でも、強く印象に残ったものや、頬を緩めたり、
タニタすることぐらい、許されても良いだろう。

                 ★★2
     与謝蕪村は、俳句はもとより・画・漢詩漢籍の素養、など幅広い

             文人としての存在が魅力。
 
                   句
             草いきれ人死居ると札の立つ
           くさいきれ ひとしにいると ふだのたつ


じつはoldboy君がずっと以前から「蕪村」の句で、好きと言うのか、印象に
残った一句がまさしくこれである。

それが
草いきれ人死居ると札の立つ」   
くさいきれ ひとしにいると ふだのたつ
                     この句であった。
意味はおよそ次のようなものである。

むせる様に、生い茂った夏草の中を歩いていると、「ここで人が亡くなり、
その屍(しかばね)が横たわっていますよ、と教える白木の立て札が立って
いた」となる。

与謝蕪村、旅の途中でのハプニングである。
おそらく彼、一瞬「ギョッ」とし、立ちすくんだはず。

oldboy-elegy君、いつこの句に出会ったのかは、覚えがない。
ただ、俳句らしからぬ句面(くづら)からか、自身にも「心穏やかではない」
印象が残り、
記憶したのだと思う。

「蕪村さん」の「心象」のインパクトがそのままoldboy君の体に住み着いた
瞬間でもあった。

 
ただこの解釈、もう少し穏(おだ)やかなものもある。
およそこんなものである。

「匂い立つ、くさいきれの中を歩いていたら、眼前に白木の札が立っていた。
そこには、ここで亡くなった人が居たと書かれていた」と言う穏やかな
ものだ。    
       
ようするに、この場所には遺骸はなく、卒塔婆(そとうば)や告知板の
ような
札が立っていた、とする解釈である。
卒塔婆とは お墓の横や後ろに立つ、「五輪の塔」を模した、白木の
立て札ようのもの。死者の来歴などを、墨書したもの。
サンスクリット(古代インド語)のストゥーバの音が卒塔婆(ソトーバ)
になったと言われている。
時代劇や漫画などでは、ここに破れ提灯が灯り、火の玉が揺らいでいる場面
なら憶えがあるかと。

             ★★★3
  あとの緩い解釈を唱えた人には、oldboy君、賛同しかねる、立場である。


何故なら、この荒れた道で、屍(しかばね)を除き、葬った後、わざわざ
卒塔婆
や「白木の札」を立てるか?なにか不自然さを感じる。

さらに時代を考えて欲しい。
与謝蕪村は1716~1784の人である。
(江戸期は1603~1868年の265年間)

この間、「蕪村さん」は大坂から江戸に、芭蕉の足跡を追うように、居を移し、
旅を
している、とされている。

「蕪村」若干、二十歳前後のことである(彼、士分でなく、大百姓の子弟
とも推定されている。
このこと、いろいろの条件から、消去法で推察されているに過ぎないと、
oldboy君は思っている。


町や村はそこそこ安全だろうが、それを繋ぐ街道や山道などは危険な時代で
ある。
それに蕪村の時代、大きな飢饉が2度ほど襲来している。
つまり、江戸時代とは、町人文化(元禄・化政文化)などの華やかさと飢饉
などの
天災が交錯した時代でもあった。

享保の大飢饉(中心年1732年)蕪村、大坂から江戸に出た頃か
天明の大飢饉(1782年~1787年)蕪村死去1784年 大飢饉に遭遇

そのうち天明の大飢饉は、全国規模で5年から6年に及んだらしい。
東北の盛岡藩などは、35万人のうち餓死者は6万人以上とされる。
25万石の藩が数年にわたり収穫量ゼロであったらしい。

また大都市、江戸・大坂での米蔵(こめぐら)打ち壊しなども発生、併せて、
旅を考えるなら当然、野伏、盗賊、追剥などに遭遇することも、ありうると
考えるほうが 普通だろう。

もう一つ、グーグルの検索スレッドから、見ても,この句に対する、関心が極端
に低い事は先にも書いた。

蕪村」の有名な句とされるもの3句
1 ●なの花や 月は東に 日は西に
2 ●春の海、終日(ひねもす)のたり のたりかな
3 ●五月雨(さみだれ)や 大河を前に 家二軒
      と
4 ●草いきれ 人死居ると 札の立つ 
 今日の記事の引き込みの句 
        
「蕪村」超有名俳句1~3に比べると、4は余りに異質なのかが分かって
頂けると思う。


oldboy君、初めて、この句を目にした時、恥ずかしながら、こんな情景を想い
だした。

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oldboy君、ヘビが怖いのだ。

ホンにいい歳して、からっきし
意気地がないのである。


母の手に引かれ、鹿児島にいた頃
谷底に通じる細い道筋に1本の大木が屹立していた。

この木の根っこの茂みに、一匹のヘビを見つけたことがある。

やけに細長く、その上その色が実に毒々しいものであった。
頭から、その細い体の半ばくらいまでは赤や黒、青、黄などの燐光で占められ、
そこから尾先までは土気色一色のままの、気色悪いツートンカラーであった。

読者諸兄はそんなヘビなんか見たことないぞ、と即刻否定されると思うが、
その残像が今でもキッチリと記憶しているから仕方がない。

「ヘビ・九州南部、体長1.5m?位で細い、頭部の色調・非常にカラフル」と検索
したいがoldboy君、今でもその勇気はない。

笑うなかれ、「蕪村」の「人死居ると・・・」とoldboy君の「異相のヘビに
遭遇・・」
が頭の中でシンクロして、「ギョッ」としたのが本当のところ。

この場の光景、「蕪村さん」一瞬ビビリまくって「ギョッ・・」するのだが、
その様子、なにかしらのユーモラスな感覚も、何処か「余韻」にある。


                 ★★★★4
         oldboy-elegy君が「蕪村さん」を人として好きな訳
           彼の俳句・艶っぽく、色物もけっこうある、
             句作に向ける彼の姿勢は自然体
              人間これで、なくっちゃ~

 
  今日の記事の中で、ここまで4首、蕪村の句を上げさせていただいた。
ここへ毛色(けいろ)の違う句、2首、追加さしていただく。

それら6句を眺めてみると、oldboy君が言う、彼の人と成りの全体像が彷彿
できると、思う。

 
それでは、その6つの句を並べてみる。

1●なの花や 月は東に 日は西に
 「蕪村」あまりに有名な句。
 oldboy君、塾教師をしていたおり、理科の時間に月齢(満月・新月・・・)
 など天体の動きの説明にこの俳句を持ち出していたことが懐かしい。


2●春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな
 「のたりのたりかな」白波一つないゆったりとした波、春の海ののどかさ
  を、自分なりに感ずればOK

3●五月雨(さみだれ)や 大河を前に 家二軒        蕪村の句
    五月雨を あつめてはやし 最上川     は有名な、芭蕉の句である
 当然、時系列的には、芭蕉のこの句が先にあり、蕪村はこの句を知っていた上
 でのものであるはず。
 蕪村の句が絵画的である、と言う時など、よくこの二つの句が並べられる。
 ※五月雨 旧暦5月、新暦では6・7月の梅雨時の季語。
  
4●草いきれ 人死居ると 札の立つ       今日のトッカカリの句
 ムッとする、夏草をわけわけ歩いていると、立て札があった、そこには
 「ここには、死んだ人の亡骸がありますよ」と書かれている。
 俳句としては「異質」の題材である。

5●あちら向きに 寝た人ゆかし 春の暮   追加分 oldboy君の好みで
 芭蕉には見られない、艶っぽい句をいれさせていただいた。
 ここらあたりが、oldboy君が蕪村さんを好む理由でもある
 悲壮感など、微塵も感じれない。
 蕪村には、この手の句作は結構ある。

6●学問は 尻から抜ける ほたる哉     追加分 oldboy君の好みで
 ここはひとつ説明なしと言うことで。
 ホタル(季語)が無ければ、川柳(せんりゅう)と見紛う、楽しさがある
   
さて、傾向の違う6句を見ていただいた。

「蕪村」さん、基本oldboy君の根っこにある性向とさして変わらぬ御仁と思う。
その理由を分かっていただければ嬉しい。

読者諸氏も、この中から自分に会った句1っ、暗唱できるば、チョットした、
人生の隠れた、自分だけの糧(かて)になるかもしれない。

oldboy-elegy君の推奨はもちろん、5番か6番である。


            ★★★★★5
  「蕪村」さん、案外時代を気楽に、楽しく生きた人だと想像する。
   ましてや、自分の名が、この了和の時代にも残り、輝いていることを
       知れば、なんとおっしゃるか興味深い
    


実は、明治期に入るまで、存在は知れていたものの、芭蕉さんのように、
当代一流の俳諧師、文化人としての存在感は少々薄かったお人のようだ。

だが明治期以降、彼の名声が急上昇、ついには芭蕉さんに比肩される
までになる。
これには、正岡子規萩原朔太郎川端康成 達の肩入れが大きいと言
われている。

 

また画業では、終戦後1951年(昭和26年)に1帖(池大雅と競作)、
もう一つ
2009年(平成21年)には「淡彩+墨画28×130Cm)の2点が国宝に新たに
加えられたのである。


oldboy君が思うに、もし「蕪村さん」が存命なら、これらの事で、
こう呟いていなさると思うが、どうだろう。

「フンそれで京都の色町に、金子(きんす)気にせず、登れるのかな」と。

ここでoldboy君、蕪村の俳句以上にあれこれと、持ち前の反骨精神が鎌首を
持ち上げ始めたのである。


●彼の生誕の地は「摂津の国・毛馬村」今の大阪市、都島とある。
彼は豪農とは言わないまでも、富農の息子だったとされる。

「この富農のせがれ」、実にいい加減な言葉で、殆んど根拠がないのである。
なぜそうなったかと言えば、彼は20才前後で大阪を離れ、ほぼ世界一の人口
を誇る江戸に転居、その先は「芭蕉」生前の頃の弟子の孫、これも俳諧師
元に
身を寄せたことになっている。

つまり、江戸までの路銀(旅費)や日々の暮らしに掛かる費用等を考えて、
出て来た言葉が「親は富農」でありと、単に後付けの感が強い。

そこでoldboy君が思うのが、「蕪村さん」この青年は、江戸は、「大坂より
ビジネス
チャンスがあるだろう」、と考え、自立した個人として江戸へ出立した
ものだと考える。

その第一の理由が彼の飛びぬけた「画力」にあったはずである。
こればかりは、励んでも、願っても、簡単に、上達するものでもない。
基本、才能が要求される芸域なのだ。

第二の理由が、漢詩漢籍・の知識が豊富で、書も旨い。
つまり、これらの知識は、俳句に添える「俳画としては、全て必要なもので
ある。
きっと、粋者の俳諧師や商人たちは、自作の俳句の「俳画漢詩」などの
「添
書き」を競って彼に注文した様子が目に浮かぶ。

さあ、ここまで来て、彼の不足の部分が、見えてきたのではないか。

それは、「名声」 である。
画・書 の技量も、漢籍漢詩 の知識もあるなら、あと不足するのは、己を
売り出す「名声」のなさである。
「さあ、どうしたら、この世を、自分の能力と腕一本で世渡りできようか」
蕪村が考えたのは、当然な事である。


ともかく蕪村20才のころとは、芭蕉没後50年あたりのころである。
俳句は大都会・江戸文化の一翼を占め、豪商・豪農から士族の精神的
ステイタスとされるものでもあった。

蕪村の考える、個人ビジネスを、ある程度自分個人で完結できる方法が一つ
ある。
自分みずから、俳句、俳諧の世界に飛び込み、俳句の添え書きに利用される、
俳画・書・漢籍」を提供しょうと思い立ったのだと思う。
もちろん有料でだ。

彼の基本的マインドは、そう、大坂人である。


どうせ江戸に出るなら、あの俳聖と言われる、芭蕉の弟子であったお人の、
孫弟子
に縁を結び、その方の俳句を通じて多くの知己をつくり、俳句の力は
まだ多少未熟でも、俳画
添画・書画・漢籍・を売り物にすることなら
自信がある。


これが彼の「江戸へ出るための計画的ロードマップ」であるように思えてくる
のである。


こうして、彼「与謝蕪村」の萌芽がスタートしたはず。

ただ、蕪村と芭蕉の決定的違いは、蕪村は自分の仕事の内に芸術的、
高見を目指した人
ではなく、一文化人として、人生を楽しんだお人だったと
思う。

このあたりが、芭蕉とは決定的な相違点であり、oldboy-elegy君が「蕪村」
に強い親和性
を感じる由縁かも知れぬ。


          
それでは、記事中に出た「蕪村さん」らしい2句を再掲して、終わりとする。

         あちら向きに寝た人ゆかし春の暮

         学問は尻から抜けるほたる哉
                         蕪村

以上、今日の記事も、いつものoldboy-elegy君らしく、「独断と偏見」で
もって語っている、ことに変わりはない。

しかし、「蕪村さん」としての「人生」と「立ち位置」はoldboy-elegy君が
今日、記述した事が、より真実に近しいものだと、内心で自負している。

少々長くなったが、終始「ニヤニヤ」「ニタニタ」楽しく書かして
いただいた。

          では では 今宵もこれで失礼する


                                                           了 

                             oldboy-elegy


 

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oldboy-elegy (43) 往年の京都市電にまつわる懐かしい話と情けない話。各1話(計2話)

 

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ひだりの「絵?」は50年
以上
昔の「京都市電」で
あると思ってくれ。

絵の拙さに、とやかく言
うのは禁止!







それはともかく、「旧京都市電」の車両は現在の「広島電鉄]保有車両の一部でもある。

このことは、大方の御仁の知るところだと思うが?


                  第一話

        「往年の京都市電の車両」が今も「広電」で活躍中!!
       oldboy-elegy君の胸に「嬉しくも、懐かしい思い」が宿る。

もともと市内を縦横に走っていた京都の顔ともいえる「市電」が、交通渋滞緩和のため、との理由で「市電全線廃止」の憂き目にあってから久しい。
この計画の完了年は、1978年のことだったらしい。

                   ★1
      当時の「京都市電と広電」の置かれた異なる立ち位置(状況)

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広島の「原爆ドーム」のイラスト」

「いらすとや」さん からお借り
しました。




oldboy-elegyくん、当時、大阪は河内からの「通学生」であった。
国鉄・京都駅で下車、駅前には運行、系統別に「市電のりば」があり、彼は主に
烏丸線・烏丸車庫行」にお世話になっていた。
同じコースを市バスも走っていたが、なぜか市電をメインで利用していたように
思う。

体育の時間、御所一周(4Km)のマラソンがあり、これに参加すれば、単位
取得に便宜付与
するとの言質に惑わされ、参加したことがあった。

その折、烏丸今出川から丸太町間、約1.7Km(御所横南北)を、友人幾人かと
市電に乗ってズルしたこと
を想いだした。

ショートカットにもなってない、何故なら、電車は走っていたが、自分の足は
市電の床に静止したままの「ノーエネ」走法なのでアル。

窓外を、懸命に走る学友に「オ~イしっかりはしれ」などバカなエールを送って
いる自分、普段の通学以外に、あの時も「京都市電」に大いにお世話?に
なりま
した。

どうも大人になっても、一寸したイタズラに心ほだされ、参加するのは、今も
昔も、oldboy君の生来(生まれつき)の特性であるようだ。


さて京都駅前を車両は東向きに出発、すぐに左に折れ「烏丸通り」に入る。
あとは終点の「烏丸車庫」まで真北に直進するのみのルートである。
※ 烏丸は「からすま」ではなく「からすま」と呼称。

4年間お世話になった「京都・市電車両」が広島・広電さんで第二の活躍
の場をもらい、今現在も現役にて活躍中であると聞いていた。

当時「広電」側では、「増加する市内交通」の対策として、「莫大な費用が
かかる地下鉄」の代わりに「地上を走る市電の充実」で対処したことになる。

そして、いまは「広島名物」であり、顔となり、ますますの隆盛を誇る。


実にこの両市「対極」の「行政・施策」を行ったのだ。

結果、京都の「市電廃止」で無用となった「車両の一部」が「第二の働き
場所」として
広島に輿入れとあいなったのである。

この折、広島(広電)入りした車両は、順次ではあるが、最終15輌になると言う。

最近、「京都市電、観光路線」だけでも復活をとの風聞に接することがある。

           

               ★★2
         広島に移った旧京都市電の現況

oldboy-elegy君、この記事をを書くため、「広電」の江波営業所に電話をかけてみた。
質問事項は次の3項である。

①現在も、戦力として実車投入され、運転されているのか?
②車両のカラーリングは京都時代のままなのか?
③自分は50年以上前、京都で学生をしていて、この上なく懐かしく思っている。
 ゆえ実走中の車両に、乗ったり、街中から雄姿を見るのは可能か?などなど

答えは基本OKであった。
ただ③については、走行系統や日、時間が早くから決まっていないため、
当日なら連絡いただければ、分かると思う、とのことで、不可能ではないが、
やや難事と思った。
車体も古いので、当然、メンテナンスなどで「ご休息日」もあるみたい。

カラーデザインは元のままは勿論のこと、車両前部に京都らしい名を冠した
プレートを付けているとの事。たとえば、「東山・嵐山・清水」などと。

因みに、カラーリングは窓枠から最上部までが「サンドベージュ」窓枠下から
10センチほどのアクセント・ラインが「赤」、そこから最下部まで」濃い
グリーンとなっている。
昔のままであることが、嬉しい。

              ★★★3
             おしまい談

こうなれば、「俺と市電車両」どちらが先に、命、尽きるかの競争だ。
たぶん、負けるような気がするが、どうだろうか。

            以上、第一話 完了



                
                  第二話

     またまた、oldboy-elegy君のバカさ加減とオッチョコチョイぶりを
           人様に晒す結果になってしまった。
        ある意味、これも(市電)繋がりと言えぬこともない。

oldboy-elegy君、大阪は河内からの通学で、下宿生ではないことは先にも言った。
当時の交通機関で、学校までほぼ2時間を要する長道中である。

週の後半の日程は、塾の講師としてのアルバイトで詰んでいる。
従って前半は、下宿生の友人の部屋に泊めてもらい、翌日、早朝時間の講義に
出席すると言う、日々を過ごしていた。

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このタバコ、銘柄は「初代のハイラ
イト」である.。

当時の圧倒的人気商品で、ロング
サイズ
でフィルター仕様であった。
当然、値段も高く、高級品。




oldboy君、普段、自分用には、「しん
せい」なる安タバコを愛用・常用していた。
もちろん、フィルターなしで両切りで
ある。



この日も、夕方に友人の部屋にゆき、留めてもらうことになっている。
このおり、宿泊代替りに、タバコ一個を進呈するのが習い。
それが上掲のタバコ、「ハイライト」であった。

彼たち二人の下宿は、「市電・烏丸線」で真っすぐ北上、ドン突きの
「烏丸車庫」にて下車。

さらに、ここより徒歩で、市電車庫の高く長いコンクリート塀を左(西)に、
右(東)は京風の家並を見、北へすすむ。
もちろん家並の間には、ときおり小道が東に向かって切れ込んでいる。

まだ、夕日が落ち切るまで、いくらかの時間かある、そんな夕方である。

この道の人通りはまばらだ。


こんな折のことである。
そう広くない、この通りの前方から、こちらに向かって、友人Sと同じ下宿の
(部屋は違う)T君の二人がこちらに向かってやって来る。

「あれれ??!!」
おれは、彼の部屋に直接、訪問することになっている。
それが、何故、彼らが、連れそって、あれに??
俺も含めて、彼等、「お出迎え」と言うガラではない。

そう、もうすでに、oldboy君の早ガッテンと言おうか、早トチリと言うのか
脳内でのボタンの掛け違いが終わっていた。

即ち、前方の二人が、友人達である事に、なんの疑問も持たないoldboy君がいる。


ただ、オテントウ様が少し傾いた状態のなか、oldboy-elegy君、の近視用の眼鏡は
母、手作りのショルダーバッグの中に納まったままであった。
この眼鏡、教室でチョーク字を見る時や、テレビ、映画などで主に使用している。


そのため、新聞、本、など活字などの場合、不要で裸眼である場合が多い。
このあと、数年後には、眼鏡を四六(しろく)時中、使用するのが常態となっていた。
※四六時中とは、「一日中」のこと。 
 四X六 は二十四(時間)になることからの「言葉遊び」

ここからがバカで恥ずかしい話の始まりである。

何を思ったのか、

彼、駆け足で、おまけに右片手をあげ、友人とおぼしき二人の男に急いで
近づいていったのである。
想像して欲しい、手を高々と上げ、「おー、サンキュウ、サンキュウ」と
声には出さずとも、体から出るオーラは、そう言っているはず。
その上結構な早足で「スッチャカ、スッチャカ」前方の、見知らぬ二人の男
に急接近。

ただ救いは「お~い」と口には出してはいない、多分、今思うと、これとて
100%自信がない、
ヒョットしたら「オ~イ」ぐらい言ってたかもしれない。
痛恨の極みである。

すると、男達二人は、自分達に向かってくる、見知らぬ男(oldboy君)に怪訝
感じたのだろう。
二人して同時に、自分達が今歩いて来た「後方」を振り返ったのである。
彼等の後方には、らしき人間は誰もいない。

この瞬間、いかに鈍感なoldboy君も、「あれ、ありゃりゃ??」となったのは
当然の
成り行きであった。

ドンドン、二人の男に近づいてゆく。

もう完全に人違いしている、自分に気がついたのである。


それに、近づく、二人、全くの人違いであることも、今では確認できる。

男達は、歩を完全に止めた状態である。

手を上げた右手は、降ろすタイミングを失い、いまだ空中にある。

oldboy君そのまま男達の脇を視線も合わさず、もっと先を見ながら
「スタコラ
サッサ」とすり抜ける。
こうなれば、もう「完全なアホ」である。

その先にあった右(東)に入る脇道にソソクサと逃げ込むoldboy君。

サアーそれから、すぐにトップスピードにギアーチェンジ。

そのまま直進はこれもヤバイ?
恥かしいこの行為を彼等に見られる心配が、まだある。

角があればヤミクモに方向転換しながら、その場所から離れていったのである。

ようやく、意味のない右手を上げた姿勢から解放されたは良いが、情けない事
この上ない、チョットした心神耗弱状態に陥(おちいる)る。


なぜ、「人違いでした」の一言が言えなかったのか、自分自身としてもガテン
いかぬ。


i以後50数年、この愚挙?、他人はもとより、身内にも話したことはない。
それがブログと言う形で、公言するとは、自身ビックリである。

なにか、記事を書いている今、冷や汗とともに、その時の状況が今の我が身を
包み、疲れが「ドーッ」と出てきたようである。

なぜ俺には、こうもドジ話が多いのだろう。
「なにを今更、お前は、基本ドジ男なんだよ!!」との声が大向うから
聞こえて
くるようである。


      モ~やだ、この俺、「ええ歳こいて、まだ恥の上塗りか」


      ちいさく背をまるめ それでは 今宵も コソコソと おいとまを
               では では


                    了   
                        oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp



(雑感・雑記帳 No 30)プロバイダOCNさんの(有料・リモート対応・トラブルサービス)に感謝・今後ともよろしくお願いします


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この画像、oldboy-elegy君のPCに、なんらかの「トラブル」が発生した時のイラストである。
普段はストレスもなく、「スイスイ」状態で機嫌も良い。
だが何故か、月の半ばになると、気分を害されるのである。





よくよく観察すれば、定期的に行われる「WINDOWS10の自動更新」の
あと
に「トラブル」が集中するのに気がつく。



このことはPC技術、不如意のoldboy-elegy君にとって、やはり、「ストレス」
あることには変わりがない。

ある程度、PC基礎知識をお持ちのかたなら、何でもない事かもしれないが、
oldboy君
にとっては、自力更生はほぼ不可能で、その都度「プロバイダ」さん
のサービスの手をわずらわしている。

情けない事、この上ない。

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左のイラスト画は「プロバイダ」
さんの仕事を表現したものだ。


左に各家庭があり、右上方には
「インターネット空間」が広がり、
それを繋ぐのが、真ん中の人、
つまり「プロバイダ」さんと言う
訳である。







今日のお話は、この「プロバイダ」さん、とくに、oldboy-elegy君が
お世話になっている「OCN」さんのサービスについての報告である。



そのサービスと言うのが、プロバイダ・OCNさんの「有料・リモート・
音声(肉声)によるトラブル対応ガイド」を言っている。


彼の、パソコンのOSは、WINDOWS7から半ば強制的に更新させられた
WINDOWS10である。

WINDOWS7で、右も左も分からぬまま、少し慣れができ、Youtubeを含む
ネットサーフィンやグーグル検索を楽しむ分には、曲がりなりにも何とか
なりつつあったころの事である。

そんな状況下での、「不承不承・ふしょうぶしょう」不安の中でのOS変更で
あった。

正直なところ、自分がしている作業が、何をしているのか、明確な意図が
分からないままの「更新プログラムによる、強制自動更新」である。

     
                ★1
      OCN「無料相談室」から「有料相談室」に切り替え、
            これが大当たり

 


oldboy君、パソコン教室に通ったこともないし、誰かに教わったこともない。

ノートパソコン・NECLaVieを地域の電気屋さんで調達、当初単純に電化製品
冷蔵庫かせいぜいテレビジョンを配線するぐらいの認識で始めたのである。

今、OCN会員登録証をみている。
入会の日付は2009・12となっていた。

「頭脳」、イヤイヤ、そんな恰好のよいものでもない、「認知症」これなど、
もともと認知する対象物が極めて狭小であることから、まだ勿体ないお言葉で
ある。
そうだoldboy君にピッタリの言葉、そう「ボケ」がある。

この「ボケ」なる言葉、差別用語?まあ、自分を指さし言っているので許して
いただくことにする。

これに一寸でも「抗う・あらがう」ための方策として取った奇策が「パソコン・
インターネットで遊ぶ」
と言うことであった。

そして「ボケ対策第2弾」が「ブログ発信」である。

因みにoldboy-elegy君が曲りなりにもブログを始めたのが2019・04のことである。

この時分、頻繁にお世話になっていたのが「電話によるOCN無料相談室」である。
随分と利用さしていただいた、

もちろん、「はてなブログ」の質問をするのではない、それは筋違いと言うもの
である。
WINDOWS」や「Googlechrome」そして「機器や用語の概念」などの
基礎的質問が中心である。

たぶん、「トンチンカン」で「恥知らず」な質問もたくさんしたと思うが、
にもかかわらず丁寧に辛抱強く、お答えして頂いていた、のが印象深い。

                 ★★2


         oldboy-elegy君のパソコン先生は「OCN」の
         有料「リモートコントロール・対人、肉声、」

          「ダイレクト・ヘルプ」通信であった。

もともとOCNの無料の対人肉声によるヘルプガイドを利用していたのだが、
待ち時間や自分のスキル不足やIT用語への未熟さが禍してか、旨く伝わらず、
丁寧に努力をしていただくのだが、生意気にも、もの足りなさが募った。

その上、毎月定期的に「ウインドウズ・マイクロソフト」から強制的に「自動
更新プログラム」
がアップデイトされ、OSの書き換えやそれに伴う「再起動」
もある。

ただ困った事に、この「強制更新」のあと、oldboy君の場合、何かしらの
「PC不具合」が生じるのが常である。


トラブルの内容はおよそ次ようなものである。
IMEパッドがマイクロソフトのタスクバーから消えてなくなる。
●初めて見るアイコンがプラウザ中に置かれる。例えばMICROSOFT EDGE
●スタートボタンの上方に出る、マイクロソフト・アプリケーション一覧に
 知らないアプリが並ぶ、
例えば、XBOX関係など
●「強制・アップデイト」の朝など、PCの動きがギクシャクしている  
 などなど


この「強制アップデイト」が、oldboy君のパソコン習熟・スキルアップ
良い
影響を与えてくれている?と、前向きに考えることにしている。

しかし、この自力の「努力」も報われないことが多々存在する。
ここで相談するのが「OCN有料カスタマーセンター」である。


                ★★★3
     最近、これまで経験したことのない、トラブルが発生した。
    そこで、oldboy-elegy君のパソコンに生じた現実のトラブルに
    OCNさんが
いかに対処・対応をしていただいたのかを記事にした
             もちろん、良い意味で

 


oldboy-elegy君がいつ、このOCN「有料のリモート付、ダイレクト・ヘルプ通信」
に加入したか明瞭ではない。
はてなブログ歴、2年弱からみて、3・4年前のことであるはず。


(第一段階の状況)プロバイダーOCNさんに、この度の難関トラブル
(oldboy君にとり)に対処してもらうまでの、いきさつをフローしてみる。

この日、oldboy君、夜中に、スリープ状態のパソコンにライトが灯り、起動
した事は
知っていた。
「ア~、やだなー、ややこしいトラブルが起きませんように」と思いながら、
パソコンを打っちゃったまま、就寝。

翌日の午前中は、家事に追われ、パソコンの前に座ったのが11時前だった。

コーヒをマグカップにナミナミとつぎ、一口、口にして「特別な問題が無い
ように」と祈りながらPCを立ち上げた。

「グーグルクロム」などアイコンが並ぶスタートプラウザは普段通りで、
アイコンの数にも増減なし、立ち上げ速度もこんなもの、問題のIMEパッドも、
定位置のマイクロソフトの専用のタスクバーに鎮座しておいでである。

「アー、今日はラッキー、問題なしや~」のoldboy君のご様子。

このあと、今まで経験したことのない「難関トラブル」が待ち受けているとは
夢にも予想しなかったのである。

取り敢えず、読者諸氏のブログに目を通し「はてなスター・ブックマーク」を、
配布、特に「感応」した記事には、簡単な書き込みをするのが毎朝のローテ
である。

oldboy君の「はてなダッシュボード」は、「グーグル・クローム・アイコン」
クリック後の画面の「ブックマーク蘭」の左端においてある。

f:id:oldboy-elegy:20210312112443p:plain



(第二段階の状況) なぜか「グーグル」アイコン、クリックすれど無反応。
 やはり「自動更新プログラムの置き土産」今日はキツイ一発になりそうです。

「うむ・ウム、UMU!?あれあれ・・??」グーグルクロームのアイコンを
クリックするが反応してもらえません。

oldboy君、「落ち着いて、オチツイテ」と自分に言い聞かせるのだが、胸の
鼓動の高鳴りが耳の奥から聞こえてくるようです。

不思議な事は、他のインターネット経由の全てのアイコンは機能している
ことです。
狙ったように「グーグルクローム」のみが無反応なのです。

oldboy君の場合、立ち上げ画面に取り込んでいる、アイコンは多くは
ありません。
you tube・グーグルアース・・」など、幾つかあるのですが、不思議な事に、
全て普通に機能しているのです。

(第三段階の状況) もちろん、こんな場合のお助け「OCN、リモート付
トラブルサービス」のアイコンも目に入っている。
 
ここで、「Calm down・カームダウン・心、落ち着けて」のためトイレに。
最終的には、OCNさんの有料トラブルサービスにお願いするとしても、
oldboy君にも何か、自前の解決方法らしきものは無いものかと、生意気にも
自問する。

そこで思いたったのが、これ、
「クローム」が「昨夜の更新プログラム」のため、「なにか不都合が起こった」
のだから、「一度、グーグルクロムをはずし(アインストール」して再構築
したら
どうだろうかの、考えが宿った。

だが実行はしなかった、それが原因で何か、もっと悪しき深みに陥る気がして。

悲しいかなoldboy君の実力はこれを許さない。

(第四段階の状況) ここで、oldboy君、「OCN、リモート付、有料トラブル
センター」
にお願いすることにした。

まずこちらから、専用の0120-○○○ー△△△に電話をする

録音音声ガイド」に従い、幾つかヤリトリしたあと、すぐに肉声で
「トラブル」
内容を報告する。
この日は女性の方であった。

リモート対応の専用アイコンがこちらのブラウザ中にあることを告げると、
その都度有効の数列を口答で貰い、リモートアイコンを開き、それを打ち
込むと、自分の手元のマウスの動作が今日のOCNの担当者さん、の手に
渡る。


この日は始め女性の方に対処していただいていたのだが、5~6分もすると、
電話の向こうで「申し訳ないが、担当を変わる由の」肉声がはいる「暫らく
待ってください」との事。

「やっぱり、重症で難しいのかな」の思いが湧く。

数分後に今度は男性の声で「担当を引き継いだ」との挨拶あり。

反応しないアイコン、グーグルクロームを確認後、画面上では、マウスの
矢印が勢いよく動作し始める。


しばらくすると、繫がっている電話回線から、「すいません、しばらく電話を
切ります」との連絡あり、なにやらドンドン不安になってくる。
 
OCNにリモートされている、マウスの矢印は画面上を激しく動きまわっている。

こうなれば、oldboy君には成すすべはない。
ただただ、ホケた頭と目が力なく画面を見つめるだけである。

 画像の切り替わりや階層図がでては消える。

oldboy君、コーヒでもと思うが、その作業に対する真摯さに,気おされ、
マウスの激しい動作を、口を開けてトロンと見ているのみである。

その時、突然電話が、OCNのマウスのリモート権を預けたお人からである。

 


(第五段階の状況)「チョットした傷は残ったが、機能としては復元した?!」
                  とのお声が

アア~、万事休す、ご臨終かなとoldboy君は想定していたのである。
が、なんと電話口の向こうのお人の話では「100%ではないが?これでどうで
しょう」
とのことである。

つまり、こういうことらしい。
グーグルクロムの拡張子の一部が、今回のWINDOWS10の更新プログラム
と干渉
し合い、不都合が発生、そのためクロムの拡張子のある部分を、遮断
したら、クロムの
アイコンが反応してインターネットに繋がったと言うことで
ある。

これらの説明、oldboy君が、全て理解した上で書いている訳ではない。

ともかく、焦点は、プロバイダーOCNの方が、これだけ必死に、真摯に対応
されたことに、感動したことにある。

時間も優に1時間は超えている。

(第六段階の状況)本当にあなたの「神対応」には、感動を覚えます。

もう一つ、嬉しいことがあった。
OCNの彼、クロムをアインストールして再設定での試みもしていたらしい。
そういえば、グーグル・アカウントを連絡したことを思い出した。
チョット自分をほめる。

実際、リモート機能を、返してもらい試しにクリックすれば、なんとなんと、
グーグルクロムのアイコンがなんの問題もなく反応しているではないか。


人間で言えば、体の見えない部分にチョットした傷があるが、全体として
は問題ないと言うことらしい、これが適切な表現かどうかは、oldboy君には
分からない。
  
            ★★★★4
     おしまいに、アリガトウと感謝の言葉を述べたい


ここまでリモート(遠隔操作)による修復をお願いしてから一時間i以上も
かかっている。


こんな神対応をしていただいたのに、チョット安いからと他のプロバイダに
乗り
換えることができようか。

取り敢えず、oldboy君、OCNにこのサービスある限り継続しょうと決心した
のである。

今、現在もPCはこの時の修復手術のままで、問題なく使い続けている。


ありがとう、あの時担当して頂いた技術者様、そしてOCN様。


※ 慣れない、パソコン、IT用語が多々ある。
従って、間違った概念で使用している場面もあると思う、その時はお許しを。

          では では おやすみなさい
                      
                            了
                            oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

oldboy-elegy (42)4回生、夏休み・就職未決のまま、ひとり旅にでた。そのおりタクシーに、そこそこの距離を無料で乗せていただいた。ずっとずっと昔のことである

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今日の記事は、2019・09・01に
投稿したものを、リライト,
再UP
した
ものだ。

ブログを書き始めて六か月め位の
ことである。
出稿ペースは月3記事程度で、今も
変わりはない。






この記事、大学最終年・4回生の夏休み、就職未決のまま旅に出た時のもの。

その時のoldboy-elegy君の「行動と心のあり様」を綴ったものである。


悲しいかな、初回投稿時、この記事を見ていただいた痕跡は、3人の方が、

はてなスター合わせて10個ほど、残していただいたのが全てで、以後変化
はない。

「リライト」と言っても、基本、内容が変わるものではなく、「読みやすく」
を心がけたものである。

さて最初のイラスト画像が、oldboy君のおよその旅姿である。

リュックサックは綿(めん)の帆布でできたもの、色は茶色に近いベージュ、
締め口は全て太い紐、チャックやホックなどはなかった。

寝袋はイラスト同様、丸めて、リュックの上に縛り付けてある。

f:id:oldboy-elegy:20210227150858p:plain



ただoldboy君の場合、丸めた寝袋の中心にコウモリ傘(クロ)が通してあった。
傘は、貧乏旅行には必携品である。
なにも雨に備えただけのものではない。

野宿の場合、寝場所は低い木々や灌木の脇を選ぶことが多い。
なぜなら、敷いた寝袋横の、低い枝に傘を縛(しばり)り、夜露を避けるのだ。

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もちろん「除虫菊製の渦巻蚊取り線香」もリュックに納まっている。

最後は帽子だが「これは被ってなかったな~」代わりに常時、首に巻いていたの
がタオルである。
必要なら、頭に、タコ・ハチマキにもなる。
ここで一挙に・見た目・がダサクなったようである。

あと、通学で使っている,母、手作りの
ベージュ色のショルダーバッグを肩から
斜め前にかけ、それに
財布を始め小物を詰め込んでいた。

それに、唯一の「文明の利器」カメラ(オリンパスペン・親父からの借り物)も
ここに同衾している。




                 ★1
              旅の行程と概要

この旅は能登半島、新潟、佐渡尾瀬ヶ原尾瀬沼)、日光、東京、ただし
東京・大阪間は友人(学友)のいる2か所で下車、全行程2週間強の貧乏旅行で
あった。

記事は旅の行程を日にち順に追ったものではなく、順不同で、起こったことを
思い出したまま書いている。

とくに、事細かく日程を決めていた訳でもない。
旅の半分近くは野宿であった。

実はoldboy-elegy君、就職活動なるもの、未だ一切していない。

心のどこかで、「社会に出れば、2度と得られないモラトリアムな時間を
もう1年
」の
気持ちがあったのは否定できない。

大学で、周りも見渡しても「就職、就職」と「ドタバタ」してる奴も見えない。

ともかく、この旅行中「卒業するのか、5回生にて居残るのか、ぼんやり考え
よう」
とは思っている。


「野宿」聞こえは悪いが、これ、すこぶるストレスフリーな貧乏旅行の上策で
ある。


もう一つ、野宿する近くに警察なり交番があれば一声、声をかけておくのが
ベスト。


oldboy-elegyくんの場合この方法で夜遅く、現地の旅館の布団部屋に超超格
安にて紹介して頂き、おまけに坂の上の現地まで案内していただいたことが
ある。
終い湯(しまいゆ)もいただき、さっぱり、人間に戻った気がしたのを記憶
している。

お巡りさん、自転車押し押し大変、有難うございました、上越線・沼田での
事であった。

                                  ★★2

 oldboy君、大チョンボ、親父から借りたカメラ(オリンパスペン)を紛失

         
沼田宿での翌日、尾瀬沼、富士見小屋にてoldboy-elegyくんの大チョンボ発覚、
あまりに美しい景色に写真をと、親父から借りたオリンパスペン(カメラ)を
取り出そうとするが、「ない、ナイ」ショルダーバックは勿論、リュックサック
の中身をすべてひっくりかえすが、フィルムあれどカメラは見えず。

この時oldboy-elegyくんの弱いオツム(頭)にローソクが点灯、
「アッツ!!!」思い出したのである。


佐渡両津港から佐渡汽船、新潟港行に乗船、その時、船内には入らず甲板
デッキにへたり込み、眼前の欄干に吊るしたのがカメラだった。
甲板を吹き抜ける心地よい風に身をまかせウツラウツラ状態であったことは
否(いな)めない。
しかし??なぜ下船のおり眼前に吊るしたカメラが目に入らなかったのか、
それも不思議。

尾瀬ヶ原の小屋から佐渡汽船に2度ほど連絡するが発見できず。
もちろん、大阪は河内の住所を残してあるが、ついぞ音沙汰はなかった。

しかしoldboy-elegyくん、持ち前の復元力でキッパリ忘れる事に成功
(実は涙目)?。



                       ★★★3
          話が前後して申し訳ない。
    佐渡に渡る、何日か前の事、「カメラ」もまだ健在で手元に
           あった時の事。
          

能登をぶらぶら中のことである。

眺望がきく高台にいる。

両手を真横一杯に広げると前面の180度はすべて日本海である。
夏の落日は今、西にある。
東の空は薄紫で刷いたような雲が浮かんでいる。

明日もきっと良い旅日和になることだろう。

 
場所は能登曽々木海岸、先ほど降りて来た坂の上には「時国家」と言う
豪族の屋敷が2棟ある。
なにげにそのうちの近い方の一軒を外から見学してバス停に到着したばかりの
oldboyくんである。

荷物は固い綿の帆布でできたリュックサックを背負い、肩越し斜めに、母、
手作りのショルダーバックを懸けている。
リュックは大阪鶴橋の国際マーケットで中古品として購入、ショルダーは普段
から通学で使用していているものである。

リュックの中身と言えば、着替え、洗面用具など生活用品一式に渦巻き式の
除虫菊製の蚊取り線香、そのほか寝袋、こうもり傘、うちわ等はリュックの外に
括り付けている。

ショルダーバッグにはノート、筆記用具、タオル、チョットした菓子など、
それに学生証、財布など、と親父から借りたカメラ、オリンパスペンと
フィルムなどである。
因みに今日までの三日で撮影した写真は数枚のみ。

 バス停の後ろの草むらにリュックを下ろし、へたりこみバスを待っている。
もう最終の時刻を過ぎている。
遠望が利く地道の道路、バスが来るはずの西の方角を見るがその気配はない。

少しはやきもきもしたが、すぐに決心、「今日はこの辺りで野宿、それもいいか」
この旅初の野宿を決心。
海岸を見れば貧弱ではあるが松などの木々が見てとれる。

低めの枝ぶりの良い木を見つけ、こうもり傘を括り付け、広げ、
その下にグリーン色の寝袋を敷き、蚊取り線香を燻らせば完璧。

手には、蝋引きの頑丈な広告入りの団扇(うちわ)。

あとは波の音を聞きながら満天に星があれば言うことなし。
oldboy-elegyくん一人悦に入っているのである。

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 そこへ彼の背後に突然、車が一台停車、タクシーである
「ここ、いくら待ってもバスは来ないよ」のご宣託。

「???」と不信顔のoldboy君に、最近この道は利用されなくなり、すべて
もう一段下の海岸に近い道路を利用するとのこと、彼、運転手さん、
まったくの気まぐれでこの高台の道を通ったとの事。
東行きも西行も最終便は終了しているらしい。
「??!」すると俺が降りたバス停は、ここより下の、新バス停と言うこと、
気が付かなかった。
それならせめて、ここの旧停留所の標識ぐらい撤去しておくのが普通であろうと
思ったのだが、こちら別段そのため、ことさら被害にあったわけでもなし、
やや不満げに、無言のまま。

「明日どこへ行くの、東それとも西」と運転手さん。
「ええ、能登の東端の先っぽの狼煙灯台(のろし)にでも行こうかなと、
天候が良ければ佐渡が見えると聞いたので・・」ここでoldboyくん少し
身構える。

「安くするから乗っていかない」かと邪推したのである。

ところがところが、
「このタクシー飯田町のもので、どうせ帰り便だし、乗せてってあげるよ無料で、
乗っていきなさい」とのお誘い。

ここから飯田町まで20キロ程度で、この町からも灯台のある狼煙(のろし)行の
バスも出ているとのことである。

運転手さん、疑ったりして申し訳ありませんでした。

そもそも、リュックに寝袋など見れば貧乏旅行の極みであること一目瞭然である。
この事に今更ながら気が付く。

むしろこんな御仁(oldboy君のこと)に近づかない事の方が一番の良作とする
のが社会常識なのである。

「飯田町の海岸からちょっと山に入った所のお寺がユースホステルを経営
している」とのこと。


無料なら話は別、いくら時間の余裕があっても行程の先に行くのが鉄則、
ましてやすぐに夜になる、つい先ほど決心した楽しい野宿も中止、ただし
「楽しい野宿」の事は運転手さんには言ってない。
いくらなんでも失礼であろう。

タクシーは海岸から離れてやまの中に入る。
20分程で飯田町のユースホテルを経営するお寺さんに到着。
道中、大学の事や、この旅の話をしていたらあっと言う間の事。

 行き先は新潟まではハッキリしているが、佐渡に渡るか、上越線で沼田に
行き、そこから「歩き」で富士見峠にでて尾瀬ヶ原を抜けようとは思ってはいるが、
基本未定である。

 「それでは元気でな、いい旅になることを祈っているよ」と言い残しタクシー
は去っていった。
走り去るタクシーを見ながら、ユックリ、深々とおじぎをするoldboy-elegyくん
であった。

 「タクシーに無理やりで乗せられる」と一瞬でも疑った俺、「申し訳あり
ませんでした」


 このあと翌日にバスで緑剛崎灯台(通称・狼煙のろし灯台)まで行き、東の
海上を眺めたが、結局のところ佐渡は見えず。

ここで「見えぬなら、自分の足でそこへ行き、見てやろう」と、決心する。
新潟大地震の数年あとのことである
新潟港の船乗り場が随分沈下していたのと、港外に出ても暫らくは油臭く
感じた記憶が残っている。

                ★★★★4
    よく知ってもない人、K君(教室で時折、無駄話する程度)にこの
    旅の話をした。
    すると彼の、母方の実家が石川県・小松市で、是非ぜひ、一泊
    してくれとのお誘い。
    oldboy君、丁重にお断りしたが、許してくれず、一泊することに。
    

             
 大学の友人Kが「是非泊まって行ってくれ」との申し出。
彼の母がたの実家が小松市から出ている軽便鉄道(尾小屋鉄道)の終点、
尾小屋鉱山と言うところ
だそうだ。

ここでの泊まりがこの旅の初泊となった。
俺、K君のお母さんに会った事もないし、ましてやそのお兄さんの事、当然
知る由もない。

懸命に固辞するも押し切られた格好で了承、やや気が重い。

非常な歓待を受け、ありがたいのはありがたいのだが、oldboyくんにとっては
お尻が少々むず痒いものであり、翌日、一人になってなにやら、解放された
気分になった。

すまんK君、いろいろ面倒をかけました。


 そして穴水のユースホステルのお母さん、気を遣わしてゴメンなさい。
満室状態で宿泊は断られたが、野宿のための玄関脇の樹木と芝生の使用、
屋内のトイレや水道に(終い風呂・しまいぶろ)などいろいろ便宜を計って
いただきました。

結局、2週間を超える旅になった。

旅の醍醐味(だいごみ)って何なのだろう、景色や食事、勿論それもあろう、
しかしそれ以上印象に残るものとは、「人!!!」これに尽きると思う」と、
oldboy君は考える。


河内の我が家にたどり着いたら飼い犬の「ホス」に吠えられる。
このワン公、拾い主の妹が全てで、俺には少々愛想がない。

食事の時など、母か妹に足を拭いてもらい、丸お膳の彼女達の間に陣を取る
のがいつもの定席である。


              ★★★★★5
       

     そして就職、こうしてoldboy-elegy君、人生モラトリアム
           期間も過ぎ去って行った。
             

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この貧乏旅行のあと、「やはり、卒業しょう」と心に決めていた。

そう裕福な家庭でもなし、その上、義兄二人は、中学卒業後すぐに親父のもとで
ブラシ職人として働き始めたのも見て来ている。

人生最後のモラトリアム期間の4年間は、こうして過ぎていった。

この後、秋学期の終わりには、600人~700人程度の中小企業(繊維関係)に
就職
を決めていた。

この会社での出来事、あれやこれやはoldboy君のブログ記事の中でも、一番
多く記事化している感がある。


しかし、世の中、頑張り屋さんばかりの一枚岩で成り立っている訳でもない。

とくに最近、他人様のブログ記事を読むことが多い。
そこには、世の中、一般より、なにかにつけて「意識の高さ」の、お人の
多さにoldboy君、気押される事が多い。

この変革・激動の世の中、ハイテク便利グッズと人心との関わりようが、
どうなって行くのか、
oldboy-elegy君、ある意味、楽しみな気持ちもある。
それ故、もう少し命、長らえるのも、楽しいことで意味あることかもし
れないと思っている。

             では では お休みなさい
            

                  
     
                                    oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

(雑感・雑記帳 N0.29)パーソナルな通信機器の発達、これらは人々に幸せをもたらすもの、それとも単に超便利グッズなだけ。


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左のイラスト画像はパソコン・スマートホン・タブレットなどが
プロバイダーを通じてインターネットに
繋がり、ワールドワイド化する様子を
描いたイラストです。

oldboy-elegy君の時代、基本,パーソナル
な通信機器と言えば、有線の固定電話
のみであった。


あと、通信手段としては、電報、テレックスがあったが、まことパーソナルな
ものだったかは、疑わしい。



これらの「蜜の味」を、知ってしまった現代人は、今後どう対処するので
あろうか?

今の人達は思うだろう、「昔の人達は不便だったろうな」と、しかし案外
そうでもない、と昔人間のoldboy君がお答えする。

だってそれらの利便性そのものを経験したことがないため、そのよしあし、
について語ることは不可能である。

人は、すべて、時代に存在し生きる、そのため使ったことも、見た事もない
物を欲しがることは不可能である。

近代弁証法哲学の大御所、「ヘーゲルさん」は言っている。

「存在するものは合理的であり、同時に合理的で有るが故に存在すると」
つまり「この世に存在する理由は合理的で有り、不合理なものは、いずれ
淘汰される運命にある」と。


以前に一度、

雑感・雑記帳 No15)
default・デフォルト・デフォー、何故か馴染めぬ、このIT用語?

で2020・02・21に記事にし、UPしたことがある。

この時の、記事の概要は「PC・スマートホン」など電子機器そのものに
ついて書いたものでなく、そこで頻繁に使用される「デフォルト」なる用語
のみに焦点をあて,これまた、「いつものように」oldboy-elegy君的、感想を
述べさせていただいたものであった。

もし、よろしかったら、今日のこの記事の後にリンクを、貼っておくので
よろしく。

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固定電話以外の便利機器のない時代、人はどんな日常を送っていたのだろうか、
思いつくまま書いてみた。


いわば今日の記事は、その「デフォルト」以来の第2弾的なものである。
内容は「社会と人の関わり」ではあるが、脱力系であるのは、いつもの
oldboy君の通常運転であることには変わりがない。



                  ★1

      oldboy君、若かりし(およそ50年前)頃の街中(まちなか)
                風景と電子機器


世に、パソコン・スマートフォンを通じてインターネットを利用する人は
限りなくおられる。
ただ、これらを利用する人たちの、技能・スキルはその御歳(おんとし)も
含めて千差万別だ。

しかし超一流の一握りりの天才から、oldboy君のような最下層にうごめく
ブロガーまで、すべてネット民である事実には変わりはない。

自分達が社会人として生存した時代は、幸か不幸かパソコンなどは存在
しなかった。
反して、いまは、子供が少なくなった分、スマートフォンやノートパソコン
それにタブレットなどを連れ歩いている。

いっその事、オンブ紐で、デスクトップ型のPCを背に縛り、キャリーカートに
CPU、キーボードを装着、そこらを闊歩すれば、いい図になるだろう。

ごめん、ゴメン、興に乗りすぎ、しょうもない事を言ってしまったようだ。


oldboy君、最近とみに、感じるのは、街なかで見かける人々の持ち物と言うのか、
荷が大きくなったように思う。

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近年、の街中風景でリュックサックを背負った人を良く見る。

それも、若い人から中年の紳士までと巾が広い。
山登りやハイキングと言うことでもないらしい。
その目的はこれ、
両手をフリー(自由)にすることにあるようだ。
そう、ひとえにスマートフォンタブレットの「操作」を「容易にする」ためである。
最近、顕著に見る、風俗の一種であり、男女の別なく存在する。


日毎の通常通勤に、リュックサックや底に車の付いたバギーカート?
(ちゃんとした商品名はしらぬ)を担ぎ、転がし、早足で歩く人を多く
見かける。

街なか、いくらバリアフリー化していると言えども、、階段、坂道など段差
は多い。見ている限り結構、重そうでもある。

一度、それらのバッグの中身を見てみたいものだ。
多分、たぶんだが、電子機器に必要な周辺機器のさまざまなガジェット類も
納まっているはず。

oldboy君など、御歳で、しかも腰痛持ちの身、カートの天板(ふた)など
が超軽量で頑丈にして、座れるなら、今すぐ調達したく思っている。

みちすがら、じゃまにならない場所にカート駐車?、セケンを睥睨(へいげい)
しながらユッタリ歩を進めたいものである。

oldboy君、老体の身ながら、こんなところ「意外とうるさい」のである。

                ★★2
        オフィスに置ける電子機器と働く人との関係

ただ、ようやく、オフィス・コンピューター(OC・オフコン)が、チラホラ
中小
企業にも導入されつつあった時代のことである。

当社にも、東芝製の「トスバック○✖型オフィス・コンピューター」などが導入
されたが、我々一般社員がそれに順応するための、技術習得の必要などは何も
なかった。


ただ、「これこれの書類は○月◎日まで提出のこと」など、各部門の計数的書類
の提出期限が厳格化
されたことである。

相手は機械のこと、これまでの「ナアナア」の対人関係では、ことが進まなく
なる。
それ故か特に営業職・工場管理部門の人には、上司も含め、このオフコンにたい
する評判は良い物とは言えない。

ぶつぶつ言いながらも、この機械様への対応は必須である。

完璧な空調設備を施した、電算機室なるものが社内に備わり、5・6人の専門の
要員が、磁気テープがクッキン、カッキン回る部屋で、忙しく立ち働いている
ばかりであった。


社員の多くは、このオフィス・コンピューターのことを「金食い虫」あるいは
メモ用紙製造機」と揶揄(やゆ)し、敵視していた。

スマートホンはもちろん携帯電話も存在しない時代のことである。


会社と社員個人とを繋ぐものは公衆電話ぐらいのもので、これとて、会社から
外出中の社員に緊急連絡するのを目的にした機器ではない。

オオザッパな外出先のメモを残しているのだが、よっぽで無い限り「訪問先の
後追をいしたり、探したり」しないのが「暗黙の了解事項」となっていたよう
である。

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左のイラスト画が、「ポケット・ベル」なる
機器である。

ただ単に「至急、自社にTELを入れろ・どこそこ
へ電話しろ」の連絡だけで、それ以上の何物でも
ない。




呼び出しを受けた本人は、「公衆電話」を探すか、
得意先の電話を借りて、連絡する以外、手立てはない。

このポケベルを口元にあて「ハイハイ、俺になんか急用?」とやれば、
「アホの部類」か、あるいは「まだ見ぬ文明」を予見できる「天才」かの
いずれかである。


その人を呼び出すためだけの非人間的機器、ポケットベル(ポケベル)
出現も未だ先のことで、oldboy君、ついぞこれを持たされた記憶はない。


従ってoldboy-elegy君、、パソコン・スマートホン・ガラケー などの
電子
通信機器とは殆んど無縁のサラリーマン生活を経験した最後の世代かも
しれない。

 

               ★★★3

        はたして、これらの機器・ガジェット類、は人々を
   解放して、まだ経験したことのない幸せを人々に、もたらすものなのか、
    それとも、たんに、われわれ一人一人を、管理するために存在する
        経営者的、便利
機器になり下がるのかは未だ分からない。
    
少々、無責任な言い方かもしれないが、oldboy君が社会人として生きた時代は、
ある意味、良き時代だったと、言えるかも知れない。
あの時代、持ち物と言えば、せいぜい、手帳ぐらいのもので、首に巻いた、
「首輪」は無かった。



九州担当の営業マンなどは、時々、金曜日くらいから行方知れずになり、
地域の問屋さんの社長さん等と韓国に渡り、ゴルフ三昧に勤しむものもいた。

oldboy君(企画部)の場合、定期の国内出張はない。
ときおり、第3国に、ヤボ用ができた折など、お鉢が回って来るのが楽しみで
あった。

何かと人間的?な、計算や都合がだんだんと、OC(オフコン)導入により
難しくなり、
融通が効かなくなっていくのは、未だもう少し後の時代である。

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出張旅費の精算も、経理係長が首を縦に振れない領収書も存在する。
一晩で2軒・3軒と梯子(はしご)した場合や、何か怪しげな匂いのする
領収書がそれである。

これとて、フィスコンピューターが入ったばかりに、今まで経理課の
担当課員
の便宜で習慣的にやっていたことができなくなってきたのである。

営業のF氏が、なにやら経理課のA氏に向かって、手を合わし、切なげな顔で
頼み事をしている。

その会話の内容を聞いてみよう

経理課の係長さん
「私だって、これまで通り、してあげたいよ、だけどオフコンの設定費目には
ないんですよ、
それに、わたしの気持ちだけでどうにかなるもんでもなしあの機械さんが
ウンと言いまへんのや、あれ賢いのか、アホか分かりまへんわ」

つまり、こう言うことらしのである。
彼、今月の出張、過度の認められぬ遊興費が禍(わざわい)してか「精算の
為の返金」が手元に不足してしまうので、その不足分を、「個人貸付」にして
欲しいとお願いしているとの事。

それで、来月の出張の折の「旅費の仮払い」時に、今月の「精算不足分」を
上乗せして借りて、その場で今月の「個人貸付」を精算、これをくり返し、
ボーナス月で完全精算すると、仰っているのである。

この方法、当社では、これまで経理課の好意で普通に行われていた方法だが、
オフコン導入時この悪習慣を廃止しょうとの、話もあった。
それよりなにより、この悪慣行、夫婦者の場合、奥さん連中に極めて不評で
あった。

ボーナス額は、組合との団体交渉で「夏・冬」の金額はすでに決まっている、
ただし営業関係のダンナを持つ、奥さんたち、「仮払い制度」のおかげで、
実際いくら手元に残るのか、ハッキリしないのである。

こんなところでも、人間と機械との衝突があったようである。

もし、oldboy-elegy君が50年前のマインド(心持ち)で現在によみがえり、

就職し働き出したなら、おそらく、ひと月待たずに、不適格人間の烙印を
オデコ
に押され、クビになること、請け合いであろう。

なになに「それ以前に就職さえ叶いませんよ」の声がアチコチから聞こえる。
まあ、それも「真」であろう、「コリャー!!!」


         では では 今日はここで  おいとまとする

                  
     

                     oldboy-elegy

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oldboy-elegy (41) 高校生(エロ坊主)のころ、 隠し持った、三種の神器を母に見つかった。それで叱られたの?いや、むしろ誉められた?!


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このイラスト画は、わが母が
oldboy-elegy君のための「衣替え」
やっていなさる図である。
「チョット若すぎるやろ」の
声もチラホラ聞こえてくるが
そこは許していただこう。





ただ着物姿に割烹着を着ておられないのが少し寂しい。

時は高校2年の秋であったはず。




    
                  ★
       今日の話の出発は、この「衣替え」から始まった

「衣類、入れ替えるわよ、来週一週間、予定して置いて」と母の威勢の良い
声がひびく。
つまり「春・夏物」をしまい、「秋・冬もの」を出すわよ、と仰っている
のである。

今にして思えば、この母の一声が全ての始まりであった。


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左のイラスト画像は母である。
「衣替えの作業中」の折も、もちろん
和装。

ただし、着物の上から、白の割烹着で
身を包まれる。

本来なら、その「雄姿」をUPしたい
のだが、残念ながら割烹着姿の画像は手
に入らず、
これにて、ご勘弁を。

お歳の雰囲気もなにやら
近しいものが
感じられて気に入っている。







ゆうに、50年以上昔の話であることを踏まえて読み進めて欲しい。

 





母の言う「衣替え」とは、単に「衣類」の入れ替えだけはない。
これから、しまう「夏物」は全て手洗いをして、キッチリと天日で干すの
である。
それでも気になる汚れやシミがあれば薬品で落すことも作業の一貫を成す
重要な過程なのだ。

余計なシワが出ないように、キチンとたたみ、収納し、押し入れに段積み
される。

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上のイラストは、母手ずからの「棒針編み」のセーターである。
小学校時代はイロイロの図柄が前身にデザインされていた。
さすがに、高校生にもなると、すべて無地物に変わっていた。


7才違いの妹の分も、同時に衣替えをなさる。
そこそこの量である。
とうぜん、入れ替わりに出て来る「冬物」などは、樟脳の匂い抜きのため、
天気の良し悪しを見ながら、家のウチ、ソトに「所狭し」と干される事に
なる。



このお方、本当に体を動かすのが「楽しくてしょうがない」との,ご様子だ。

ただし少々、休憩の多いのが難点。
キセルでタバコを吸うための小休止である。
「ア~そうそう」いで立ちは、当然着物姿で、シロの割烹着(カッポウギ)
をその上からハオッテおられるのは、いつもの事。


「もうそんな時期か~?、しやけどウチの学校、衣替えなんか適当みたい
やど」とだらけた学校に通う、だらけた生徒がのたまう。

※ 「しやけど 」は大阪・河内の方言? 「だけど」が標準語?、
良く判らん。

「そうよ、もうそんな季節、あんたなんか、ほっといたら、いつでも同じ
服やから、味も素っ気もあらへんわ」と母。

そう、まさに、「歳時記」で言うところの「衣替え」の行事そのもの
なのである。

その中には、母がウールの毛糸で編んだ、自作の創作セーターの4~5着や
マフラーも数本、含まれている。

さりとて、ldboy君がこの作業に加わることはない。
学生服一式(上着・ズボン・学帽・シロの長袖シャツ)をこの間、確保して
おけば事足りる。

時は、彼、高等学校2年の秋で、そろそろ、「大学進学」を本気で考えても
良い頃
の話である。

彼が帰宅する時間帯には部屋は、少々、樟脳臭さが漂っている他は、
見た目に変わりはないが、ほぼ、片付いたのだろう。

ただ、木製のチープ(安っぽい)な洋服箪笥の中身はガラッと変わっている。

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左は洋服タンスのつもりの画像、絵が
下手な分
安っぽく見えて丁度よい。

画像はネット上にたくさんあるが、
殆んど、ニトリやアマゾンのもの、
しかたなく、自前で調達。

     
     


 



               ★★

            母の煮え切らぬ告白


          「衣替え」も終わったその週末、
     oldboy-elegy君が帰宅するのを待って
いたかのように、母が
      
「あんた、〇✖屋のクリームパン、ジャムパン食べる?」
         と部屋の外からおらんでらっしゃる。

※「おらんで・・」 大声で叫んで、位の意味の河内弁、多分
         

彼、一瞬「!???」状態になる。
母にしては、持って回った、言い方である。
とうぜん、こちら、この時間、腹をすかして帰宅するのは、いつもの事、
その上〇✖屋の、これまた大好きな菓子パンがあるらしい。
小学校の上級生になった七つ下の妹の分も当然、用意されているはず。

それも2個の割り当てなのだ。
それを「食べるか?」と聞かれたもので「!???」と相成った次第で
ある。

「腹減ったー、はよくれー」と俺。
一瞬、おかしな聞き方しよる、思ったが、その思いはすぐに何処かに霧消。

「うちも、自分の分、あんパン買(こ)うてきたん、部屋上がってええか?、
一緒に食べよ、お茶用意して来るは」と母。

oldboy君、母の前で、お茶も飲まずに、一瞬でジャムパンを完食、

少し腹の虫も収まったのか、母のさきほどからの、らしくない言動に
気が行く。

母を前にして「オカシイ、なんか母ちゃんオカシイは!?」と、口に
のぼせたのである。

「うち、オカシイの分かるか?」と母

この時点で、「親父とのことで、なんか不味いことでも」と思ったのだが、
さすがにこれは、口にはだせなんだ。
残りの、クリームパンは盆の上に載ったままである。

なにかがおかしい。
「ハッキリしいや、いつもの母ちゃんらしくないやん」と母にセッツク彼。

お茶をゴクリと飲み、母はやおら正座になりなさる。
こんなこと、されたことはない、なにやら、こちら、緊張感がつのる。

そして母の口から、ついて出た言葉が
「ゴメン、ほんまにゴメン、言わんままにしょうと思ッとんやけど、
ウチの
気性からいうて、絶対無理やし、余計しんどなるさかい、今日言うて
しまおう
と決心したんや

oldboy-elegy君「???」のまま、
「もうそれは分かったから、ハッキリ言うて」と何もわからぬまま、
ドキドキしている自分がいる。

母は下を向いたまま
「ゴメンoldboyちゃん、見てしまったんや!!、あんたの秘密の物!!」

先ほどの、チープな洋服ダンスの画像をもう一度みてほしい。
このタンスの右開き戸の一番奥に、3段の小物入れ用の引き出しが置いて
あるのである。

oldboy-elegy君にとり、この小ダンスは、取り敢えず、少々、心やましい
物を入れ置く小棚であったことは間違いない。
しかし3段の一番上段は鍵がかかるこしらえになってたはずだが、使用した
憶えもない。


「なにがなんでも、絶対に秘匿すべきもの」と言う意識も薄弱であった、
ようにも思う。

「いった
何が入っていたのか」すぐに認識できずにいる、彼。

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               ★★★

       三段の小引き出しに入っていたもの

とりあえず、最初に思い出したのが、手紙類である。
殆んど、中学生のころに貰った、恋文とも言えない幼い手紙である。
10通近くあった、はずである。

今では、通っている学校も違うし、その中の幾人かは、もう働いている人
もいる。

もらった手紙を返せと言われたこともあった。
たまたま、その彼女に仕掛けたイタズラに激怒され、中2階の踊り場で取っ
捕まり、腰に乗せられ、あえなく木製の壁に投げ飛ばされたことである。
こともあろうか、その娘からも、手紙を貰っていた。

いかんせん、oldboy君、中学生の初め頃など、意識は子供中の子供で
あったようだ。

そんな手紙でも、もう学校も違うし、出会う事も考えにくいが、それとて
廃棄、償却するには、しのびないものがある。

じぶん的には、勝手に「処分は高校卒業のおり」と決めていたものである。


瞬間に事情を呑み込んだ彼、

「洋服タンスの奥の、三段の小ダンスか?」と力なく尋ね、目線は洋服
タンスを見ている。

母いわく
「それぞれ、じっくり見てへんよ、しらんままが良かったのやが、時、
すでに遅し、と言う事や」と。


瞬間の俺・無言のままの脳内映像
①タバコ  たしか「しんせい」1箱、封は切ってあるはず。
試飲はしてみたが、「ウへッ」となっただけで、今はこの3段にお蔵いり。

②手紙   10通前後 先ほども書いたように、高校卒業時に廃棄・償却する
つもり、当時、唯一の女友達であった「Tenko・テンコ」からの手紙はもともと
存在しない。
  

③ゴム・スキン・避妊具 今では普通にコンドームと言う、問題はこれ、
もちろん、今ここで「天地神明に誓って」言うが、おのれが使った 
ことはない。
ただ都合の悪い事に、5個か6個入っていた小箱の封が切られていて2個ほど
減っているはずである。
高校の友人に、話の都合上、oldboy-elegy君が買い、進呈した時の残りである。
これを、どのように言い、説明するかが問題である。
あるがままに、実際を話すしかない。

④あと、エロ本、好色本の類だが、何回か仲間内での「回し読み」の経験は
あったが、その都度 返却しているはずである。



                ★★★★

             さすが母上、話が旨い
         oldboy君のこと、傷つけずにお話、最後に俺、
           「別に怒ってないよ」でけり
           母も、胸をなでおろしたはずである。
         

母が最初に口にしたのが、問題の「コンドーム」の件である。

「あのスキン、あんたのやろ?」が、母が最初に発した言葉であったと思う。

oldboy君、
「うん」と答えながら、先ほどの「反論、言い訳」を口にしょうとした時、
母が、なんと、俺より先に「あんたは偉い!!、それに優しい!!」と言う
意味の言葉をおっしゃたのには驚いた。

「最後の最後、泣きを見るのは、女やからな」と吐息交じりに、そう遠くない

自分の過去を、思い起こされたのかも知れない。

チョットした「思い違い・ゆき違い」もあったが、oldboy君、その場で
訂正は
しなかった。

「ゴメンなoldboyちゃん、あんたの名字が、お父さんと違う事・・」

なにか話の方向がおかしな方向に向かう。

「おかん、その事に就いては、ホンマにホンマ、なんとも思ってないし、
むしろ親父の平凡な名字よりカッコいいと、思ってるぐらいや」と答えて
いた。

この言葉には、偽りはない、心底そう思っていたのである。

「もう、その件で親父と口論すんなや、このままでええやん」とoldboy君
「せやけど、あんた、就職の時に、響いてくる、って、誰かが言うたはった
よ」と母。

生涯 母は親父とは「内縁関係」のままであった。
もちろん、oldboy君は今も、言わゆる(私生児)のままである。

※今「私生児」なる言葉を使ったが、昔は「認知されていない子供」のこと
をそう呼んだ。
同時に少なからず「侮蔑」の意味も込めれたものであったらしい。
今では、書面では「非嫡出子」とされ、言葉で「嫡出子でない子」と呼ばれて
いるらしい。

当のoldboy君、母の胸中を「おもんばかる」故か、これに関しては、少々
距離を置いてきた感が強い。

この「私生児」なる言葉には「侮蔑」の印象が含まれるらしいのだが、ここは、
他人の事ではなく、当人oldboy君の事で使用しているので、許していただく
ことにする。

なんだか、妙な展開になった。
ことは、母の言葉で終始した。
oldboy君、「いまさら、なにをか言わんや」の心境である。
とどのつまり、この話は言い訳することなく、終わったのである。



最後に母「あ~、内緒にせんといてほんまに良かったわ、気分がスーとした」
は心よりの「本音」であったはず。

妹が遊びから、帰って来た。
とうぜん、母のあんパンを見て「うちも」とせっつく。
「お茶、入れ替えて来るは」と正座を解く母。

このチョットした事件は、母にも、oldboy君にとっても、「必然が招いた」
「当然の成り行き」であったように思う。

「俺、今年の年末のアルバイト二つ掛け持ちで大忙しや、きついけど、
給金ええんや」。

鶴橋の国際マーケットの卸鮮魚店と、インデラコーヒー店近くの花屋、
ハルさんの
門松造りである。

この折のアルバイト料が、高校の修学旅行で使用した革靴とハーフコートに
化けた
のである。

グレーのハーフコートには甘酸っぱい、青春の思い出が、今でも鼻腔を
くすぐる。


修学旅行の関西汽船の夜間船上デッキで、Tenkoテン子」と二人してコートに
クルマリ、時を過ごしたことである。


「あんた、アルバイトもええけど、勉強ガンバリや」と最後に母のキツーイ
一言、痛いところを突かれることになった。

  以上、少年期の男の子の誰でもが経験すると言う、oldboy-elegy君的、
        「成人への通過儀礼」の話の一コマである。



     それでは今日のお話も、これにて終わりにする。では では

       
                
              oldboy-elegy

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oldboy-elegy (40)われら「チビッ子、柿泥棒団」、結果、学校に呼び 出され母子ともども説諭される。

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このイラスト、小学校での授業参観の図である。子供達はもちろん、父兄の服装もカラフル、同時に清潔感も漂う。
これを白黒写真にし、少年達を少々薄汚れた存在にすれば、当時の雰囲気になるかもしれぬ。


 





                                                             ★

      母が学校においでになった回数は、そう多くはない。
     小・中・高・大の16年間の内、ほんのわずかである。     
       特に高・大学には一度も来られなかったはず。
    スポンサーであった母に、喜んでもらう機会は今はもうない。
  親不孝な息子だったと、猛省しているが、今となっては、どうにもならぬ。
        
  
小中学校9年間て授業参観、運動会、学芸会などの公式行事で学校に
来られたことは、なかったはずである。

「どうすんのあんた」と母、「来んでもええ」のoldboy君の一言で「分った」
で終了。
以後、小中の9年間、母の自らの意思で学校行事に出向くことは無かった。

だが例外が一度だけある。
小学校の卒業式がそれである。
それ以外の来校は全て、oldboy-elegy君の「悪さ」が原因の「呼び出し」と言う
ことになる。


ただoldboy-elegy君にも、母に明かしていない理由があった。

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母は無類の着物好きで、、真夏のころを除くと殆んどを着物で通した人で
あった。
炊事・洗濯など家事をする時も、それは変わらない。
ただ着物の上から、真っ白の割烹着(かっぽうぎ)を羽織り、着物の袖を
それにしまい幅広のゴムバンドで閉じ込めるのである。

戦後も10年をすぎると、世の中の女性の服装も、洋装が主流になってくる。
oldboy君、良く判らいまま、母の着物姿が気に入らなかったのである。

母は間違いなく、和装でお出ましになるのが目に見えていたのである。
どうもそれが「年寄り臭く」見えてしまうoldboy君であった。

着物に信玄袋、天候によるが傘も加わることもある。
ここで言う「傘」とは「日傘」のことである。

この古式蒼然とした母の姿を、学校で目にすることに、抵抗感があったのは
正直なところである。

ただ、今に思えば、もう少し優しく出来なかったのかの気持ちが大きい。
もし、あの存在感と気質を今、目にすれば、「自慢の母」であったと断言
できる。

そんな母も居なくなって久しい。
すべて「あとの祭り」とは、この事を言う。
「母ちゃん、ごめんな・・・」

 

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それにもう一つ、母は無類のタバコ好きである。
それも両切り(フィルターなし)タバコをハサミで切り分け、長キセルに差
し込め、天井に向かって「プカリプカリ」とやりんなさる。

母が果たして、「学芸会や、授業参観」の数時間、辛抱なさるかどうか、大いに
疑問なのだ。

                ★★
   中学2年生の頃、体育教師に本気で 首根っこ押さえこまれ、
               拳固(げんこ)で連続10発位殴られたことがあった。
    このおり、学校に呼ばれた母が、最期に安心してか、
                     学校の応接室で紫煙(たばこ)をプカリ

 
ズット後のことだが、中学生の頃、これもoldboy君の事で、母が学校に呼び
出された事があった。
この時は、我が息子が「100%」悪くない上、教頭・担任が、我々二人に、
「体育の教諭が振るった暴力」に対して謝罪されたことがあった。

この時など、しおれていた母が、ことの全容を知り、俄然、元気を取り戻され
たのか?

灰皿お借りしますね!」と言いながら、自分の信玄袋からタバコを取りだされ、
そのまま一本にマッチで火を付け、着物に包んだ身を斜に構え「プカリ、プカリ」
と天井に向かって、やり始めなすったのである。


oldboy君、あの「柿泥棒」の一件からおよそ5年の月日が経っていたのだが。
不思議なもので、その時の母の姿を目の当たりにして、「カッコ良く」も見えた
のも事実である。

先生たちも、目のやり場に困っていらっしゃったのではと思う。


              ★★★

         2~3か月遅れの小学校の入学時
         母と同行して教室に入ったのが、
       親子ともども初めての学校体験であった。


二か月か三か月遅れでの入学であり、もちろん母は自慢の着物姿であった。

以後、
彼女はネガティブな事での呼び出しには「私の専任事項」とばかりに、率先
して学校に出向いて来られた。
もちろん正装の着物姿で。

oldboy-elegy君の悪さが元で呼び出しを受けたのは9年間で4回ほどあった。
その一つが、小学校4年生ころの「集団柿泥棒」である。
参加したガキ達はおよそ10人ほどであった。

                ★★★★
     小学校時代の「集団柿泥棒」で母が学校に呼び出される、
        この時が母の2回目の学校体験である。
     もちろん最初は、あの数か月遅れので小学校入学のため、母と
     同行し、直接教室に入って以来のことである。

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oldboy君、背に帆布のリュックサック、手には細い竹の一本竿(さお)と言う
いで立ちで「柿泥棒」に参加。

竹竿で何をするのかって、もちろん、魚釣りである。

河内平野(大阪)を東へ4~5キロも歩けば、生駒・信貴(いこま・しぎ)の
山並みに突き当たる。

途中には灌漑(かんがい)、消火用の大小の池が点在する。
そこでは、コイ・フナはもとより金魚なども釣れたのである。

もちろん、目指す柿の木も、池の魚も土地の人達の私有のものである。

ハッキリ言って、oldboy君達は子供の窃盗団と言っても良い、存在だ。

地元の人達に見られないよう家並から孤立した柿の木を見つけて、もぎり、まず
その場で試食する。
  
一応、それらが他人様の物であることもガキンチョ(わんぱく坊主達)も解って
いたようである。
いわゆる言うところの確信犯である。

試食と言うのは、この柿泥棒一味、見ただけで「甘い、渋い」を見極める
技量のものはいない、そのためイチイチ食らうのである。

最初の一人が「渋ッ」と顔をしかめ「ペッペッ」と吐き出しても3人なら3人、
5人いれば5人、全員がその1個にかぶりつくのある、
嘘をついているのではと「疑心暗鬼」の体(てい)なのだ。

とにかく、あさましいかぎりである。

 

翌日、運動場での朝礼のおり「参加したものは一歩、列から離れなさい」の
アナウンスがあり、oldboy君、殊勝にも列から離れる。
どこでどうなったのか分からぬが、ともかくバレバレであった。

彼の保護者は、母である。
父とは名字も違う、とうぜん母が保護者としての責を問われる事になる。

                   ★★★★★
                    最後に

実は、中学校の時、もう一つ、oldboy君の良くない行状で、呼び出されたこと
があった、。
それを含むと、9年間(小中で母が学校にお出ましになった)で以下の通りに
なるはずである。

●母子二人だけでの入学しき? ●柿ドロボー ● 小学校卒業式 ●体育教師に
殴られた時 
●秘密(記事化していない)の5回になる、間違いはないはずである 

この中に「秘密1回」とあるが、記事化して良いものかどうか、ズット迷っている。
この事件?、結構見知っている、奴もいるはず。
しかし、「書いても大丈夫」だろうと、思う自分も、何処かにいるのも事実である。
つまり事件?の内容が分かれば、人物の特定に至ることもある。

「クワバラ、クワバラ」もう少しそれには「手つかず」のまま置いておこう。


この頃、涙もろくなり困る。
これが歳を取ることの、顕著な現象の一つかも知れない。

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小さな仏壇の母のポートレイトの前の小皿に、封を切ったタバコ、
「エコーシガー」が置かれている。

oldboy-elegy君は「エアータバコ」で禁煙に勤しんでいる、身である。

「フン、小生意気なヤツ、なら最初から吸うな!」と仰っている母が、少し
微笑んでこちらを見てらしゃる。

それでは今日は、これでおいとまする、母にしかられた夢でも見れたら最高だ、

             ではでは お休みなさい

                  

                 oldboy-elegy

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