oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

(雑感・雑記帳 No.21 ) 「漱石先生ちの猫・吾輩」英訳タイトルの a CatのCが大文字なわけ、いつも通り独断と偏見でもって書いてみた

 


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精悍な面構えのこの猫、「吾輩」である。
神経衰弱ぎみの主人「夏目なにがし」とは対極の存在感を漂わせる。










ブログ記事の最初の書き出し時、自分を表現する一人称を決めるのに少々もたつく。
わたくし・私・自分・俺・僕」oldboy君が棲む地域の方言、河内弁では
ワイ・ウチ・ワテ」などもある。
大仰に言えば、星の数ほど存在するのである。

今(こん)東光先生の河内もん小説に登場する「ワイ・ワテ」話者は大概
「けんか・ばくち・酒・女郎買い」が大好きと相場が決まっている。

今(こん)先生の奥さんも放送局のインタビューでそう述べられている。
高尚な場所・場面に「ワイ・ワテ」話者が登場されても読者は「???」
となる。

ところが英語では、一人称単数は「 I アイ 」しか存在しないらしい。

一方、日本語の小説やエッセイなどを読めば、一人称の扱いで概ね主人公の
立ち位置がそこそこ見える。

そこでoldboy-elegy君、「漱石先生」のタイトル「吾輩は猫である」について
調べ考察???してみた。

もちろん、彼一流の「独断と偏見」をもっての論であることは、言をまたない。

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当然目的は、「吾輩は猫である」の「吾輩」が「a Cat 」で「Cが大文字」で
あったことが「そもそもの出発点であり、なぜそうなのかと自分なりに納得する
ことにあった。

この小説「吾輩は猫である」の最初の英文翻訳者は「安藤寛一」なる英文学者で
ある。
漱石自身も国費留学生として英国留学の経験もあるが、そのことが関係して
「安藤」が翻訳者なったのかはさだかでない。

翻訳本としては、この時代いくつかの、タイトル表記があるみたいだ。

「安藤寛一」の英訳表記は(I am a Cat)である。
(Cat)のcが大文字になっているのが英文としては異質と言えば異質である。
なぜなら、英語は「表音文字」で、単語のスペルが変化しない限り、意味は
変わらないのである。
それなら、何故、(a cat)を(a Cat)とCをわざわざ大文字にした意図はなぜなのか、
チョット探ってみたくなった。

たしかに表意文字を使っている日本人なら、この( Cat )が意味あるCとして
説明がつく。


そこで最初の日本語での「一人称」の数とそれぞれの持つ意味のうち
「吾輩」を彼は「a Cat」として意識して日本語的表現にしたのではないのか。

そう、この部分は日本人の感性で英訳したのだと思う。

「a cat」に「吾輩」のニュアンスを英文で付与しょうとするなら、猫を修飾
する「長い言葉」が必要になる。
それなら、日本語の持つ「吾輩」の簡潔な「小気味よさ」が失せる。

そこで安藤さん、言葉が持つ「語勢」を優先して「 a Cat 」とされたのでは
ないのかとoldboy-elegyくん、推察するのだがどうだろう。

もう一つ言えることは、この時代(明治後期~大正期)の日本文学が外国人
の手で翻訳出版されることはあまりない時代である。
基本、安藤寛一さんの英訳は日本人向けの英訳小説であったと思う。

この後、小説英語訳、「吾輩は猫である」は海を渡り、サンフランシスコを
中心にアメリカ西海岸でも発刊されている。
発行元は現地の日系新聞社であった。
もちろん、読者は日系人移民を対象としていた。
評判も良く、いくつか版を重ねたらしい。

ただしその時の英語タイトルは「I  AM a CAT]」か「I AM A CAT」で、
安藤寛一の
「I am a Cat」は生かされていないか、無視されている。

英語圏の人達に、この工夫が理解されるのかどうか一度きいてみたいものだ。
なにも説明しないまま見せれば、恐らく「???」か「誤植」扱いにされて
しまうのでは、と思う。

ただこのところ、マンガ、アニメ、などを中心に欧米への浸透が著しい。
日本の「表意文字文化」が「表音文字文化」に交じり、新しい表現形式が始
まっているのかもしれない。

これまでえたいの知れない言語でしかなかった象形言語(日本語)が、彼らの
頭脳内で新たな何かを造成しつつあると感じる。

とくにオノマトペ擬声語)など、その数の多さも、表現力の多才さも、
英語をはるかにしのぐ。

ヒョットしたら、今「安藤寛一」の「I am a  Cat」を説明すれば理解する
人が結構いるのでは。
いや、それ以前に「なにも言わずとも」この合体言語を理解できる欧米人も
いるのではないだろうか。

oldboy-elegyくんの貧弱な日本語をはるかに凌駕するアマチュア専門家の
外国人が大勢おられる

それも、ビジネス抜き、損得勘定抜きで、自分の趣味、楽しみで「日本語」を
勉強する人もたくさんいる。
たんに楽しい、面白いと興味を持たれることが何よりも嬉しい。

日本文化への入り口が「マンガ・アニメ」でも、当然の「シャワー効果」
により「日本文化」そのものへの興味にもつながる。

「木}など一つの「木」を見て「ウム木」だ、「二本の木」を見て
「林?・疎林?」、木を「みっつかいて森、ウムウムなんとなく理解できる、
それでは「四つなら?」
英語圏のお人がこたえる「ジャングルだ」と。
表意文字の真骨頂である。

数年後に日本の「漢字辞典」に「木を2本ずつ上下2段並べて」新語として
「ジャングル」が登場する。

こんな時代が来ると良いのになあ、とoldboy-elegy君は思っている。


それでは今日はこれにて失礼する。  
      ではでは
                 了
              oldboy-elegy

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oldboy-elegy (27)先日、おしりにオデキが・ 遠い昔、母に作ってもらったドーナッツ型の座布団を想い出す。

 

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左に掲げたこのイラスト画、複数の疾患によるもので,
oldboy君のつい最近までの状態である。


同時に情けなさの極みでもある。








ひとつは、右臀部頭頂部から肛門(失礼)にかけて、できもの(河内弁ではデンボ)が発生、椅子に腰かけるのも、座椅子に座ることも無理、たっているだけならまだしも、それではなにもできぬ。

ただただベッドに横になり、ラジオを聞くか文庫本を読むのが関の山。

テレビはボード上で右60度ほど回転させれば寝たまま視聴できるが、最近は
殆んど見なくなった。
サッカー、ラグビーなどのスポーツは好んで見るが、野球には興味がない
御仁である。
※oldboy君スポーツ記事を2編ほど書いたが、そのへんのところを「独断
 と偏見」を持ってUPしてある。
 このブログの「了」の下にリンクしている、よかったら見てくれ。


お尻がなにかに触れないかぎり辛抱はできる。


これでも彼、一応、最下層のブロガーでもある。

記事を書こうと座椅子に座り、左足を右臀部の「できものの」前部にはさみこみ
お尻を少し浮かせたスタイルで仕事?をしょうとするが、ものの10分も続かぬ。

やがて持病の「腰痛」にまで影響、腰をねじったままその場からリタイヤ―、
ベッドにドタッと、
ご帰還。
                 

今回の記事も、はたまた「しょうむない」脱力系のものである。
「しょうむない」は「つまらない」の河内の方言である


いつも思うのだが、なにか「世のため、人のため」になる記事は書けないものかと思うが、どうも無理なようである。

                ★

ことのおこりは、つい最近のこと。
おしりの右側、最頭頂部(突端)やや内側付近から肛門(失礼)にかけてハレモノが発生、診療科目で言えば当然、「外科」だろうが、oldboyくん、何故か、同じ病院の「皮膚科」での診療。

外科に行けば、その後の成り行きが目に見える。
若い女性の看護師さんの前で、
ズボンを脱いだうえ、お尻丸出しのまま「診察ベッド」に寝かされ即「切開して
膿を出しましょう」の男前院長のご宣託が待っているはず、気が進まぬ最大の
理由である。

当然、彼なりの「あさはかな考え、あっての「皮膚科」選択なのである。

皮膚科の先生は女医さんで、長い間「頭皮荒れ」の薬を処方していただいていた。
結果、1年後の今、ほぼ完治の状態であり、ときおり風呂・シャワーのあと塗布するだけである。

つまり、長い付き合い?にかこつけて、患部を見せることなく、「抗生物質製剤」かなにかを頂戴しょうとの目論見であった。

この考えは成功、抗生剤軟膏を1本、処方して頂き帰途につく。
とうぜん、おしりの状態はよくないままである。

バスの中での、シッティング・スタイル?(座り方)がこれまた難しい。
正面を向いて、ドカッと座るのが困難なのである」
やや半身の構えで、おしりの左半分のみを座席シートに預け、右半分は患部が
バスの座席に触れぬよう「空中遊泳」の状態なのだ。

とうぜん姿勢は右臀部をかばうため、右半身(はんみ)が不自然な格好になる。
それなら、手すりやツリカワを頼りに「立てば」とおっしゃる方もいるだろう。
しかしガラガラの車内、これもまた不自然である。
「お立ちの方、危ないですからお座りください」と車内案内でお叱りを受ける
のが目に見えている。

実は、今回の「でもの、はれもの、デンボの類」は初めてのことではない、
もう随分の付き合いの仲である。
oldboy-elegy君の記憶に初登場するのは「小学校低学年」のころ だったはず。

当時、学校が「体質改善のための薬」と称して、希望者のみに、月一回程度の
注射を有料でしていたことがあった。
母がこれに申し込み、クラスの生徒数人と注射のため保健室に行っていた記憶が
ある。

この注射の名前が「アホの注射」いや間違った「アオの注射」という体質改善の
ためのものであった。

当時、クラスの参加児童、数人と「アホのお前の為の注射や」「アホ、治るんか」
などと言い、ふざけ合っていたことで、記憶に残っていたのかも知れない。

「アオの注射・体質改善・薬・戦後10年~20年・エーオーの注射・AOの注射」など言葉を縦横斜めとgoogle検索にかけてみたが発見できなかった。

しかし今は亡き母が、有償にも関わらず、oldboy-elegy君のために申し込んだ理由は、この、できもの癖(くせ)以外に思い至らないのである。
まさか「アホ・バカ」を治そうと思った訳でもあるまい。
いやいやヒョットしたら、それが本当の所だったかも知れない。

頭の悪さを治す薬なら、クラスの全員が参加しているはずである。

この注射以外にもう一つ、この「デンボ体質」に、母の意思を明瞭に感ずる事柄があった。
それが母、手作りの「ドーナッツ型の座布団」である。
この事と併せて考えるなら、間違いなく「アオの注射」はoldboy君の右尻に定期的にお出ましになる「デンボ体質」を思っての対処であったことは間違いのないところであろう。

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上掲のイラスト画像は、食べる「ドーナツ」であるが、今はそれを忘れて、
形のみに焦点をあててくれ。
そう、これは、ドーナツ型をした座布団である。
言われて見れば、そのように見えて来たのでは?

賢明な読者諸氏にはoldboy-elegy君が、これから言いたいことが見えて来たのでは。

御明察、「臀部デンボ、保護のための新型座布団orクッション」である。 

当時、母に作っていただいものである。
断わっておくが、決して彼がリクエストしたものではない。
色はともかく、このような形、学校に持ってゆけば、クラスの者たちの「笑いの
タネ・ネタ」になる事必定である。

それに普段から、たがいに多少の確執を持つYなどは、これぞとばかりに囃
立てるに決まっている。

「oldboyのやつ、デンボと言うとるけど、ほんまは痔ちゃうか」

おれがいくら否定しても、きっと「痔持ち」にされかねないのだ。

母の作ったこの座布団の「色目」も憶えている。
帆布製の濃紺であったはずである。

しかし、はてさて、これを学校に持って行き、尻に敷いた記憶はない。
あるのは、家で食事どきに、使った記憶があるような。

ここまで、「デンボの状態」が逼迫すれば、火山爆発・ERUPTION(エラプション)
はすぐに始まり、母に膿を出してもらえば、たちまち痛みは無くなり、正常運転に戻るのである。
またまた、忘却の彼方にあった、母との思いでが一つ眼前に像を結んだのである。

きっとこの「ドーナッツ型座布団」は、学校でのデビューは無かったのかもしれない。


さて問題はこの度の「デンボ問題」の「終結の仕方」をまだ報告していない。
「皮膚科」で抗生剤の軟膏をもらった後の話である。

これまでの経験から鑑(かんが)みるに、間もなく「火山爆発」が起こるのが普通で、いやそうなるはずである、とoldboy-elegy君、タカをくくっていたのである。

ところがどっこい、このたびのデンボは翌日にもその次の日にも「爆発」が起こらないのだ。
うっすらと滅菌ガーゼに「血」の痕跡が付き(尾籠な話でゴメン)、「スワッ・始まった」と思ったがソレッキリ。

ベッドの上でモンモン、としていたが、ここで気持ちが崩れ、「タイムアップ」
明日一番にクリニックの外科に駆け込もうと決断、そして今こうして「ブログ記事」
を書くことが可能になった。

そんなことなら、初めからそうすればいい事とと、読者諸氏は思われることだろう。

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そこがそれ
女性看護師さんの前でパンツ一つでウツムキ、お尻を出す、恐らくイヤ当然肛門も見えているはずである。
この事のみで妙な「矜持・きょうじ」に囚われるoldboy-elegy君、もうそんな歳でもあるまいに。

いやいやこればかりは「人であり、男である限り」捨て去るわけにもいかぬ。 

またも今回の記事もユルユルもんであいすまない。
口角泡をとばし、なにかを主張するでもなし、読んで、なるほど為になった、
などおよそ無縁にして無関係のものである。

そのうち、ちっとは「香辛料」が効いて「なるほど」と言ったものも書けるかも
しれない、いやいやoldboy君には無理かな。

ほぼ完治したお尻をさすりさすり、今宵もこれにて失礼する。

 



   
 ではでは
        
               了
           
            oldboy-elegy   

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oldboy-elegy (26) 俺のトラウマ・算数の掛け算九九(くく)を、大好きな先生の前でトチリ、上手に発表できなかったこと

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 oldboy-elegyくん、ブログなるものを書き始めて、1年少々になる。
記事数たるやヤットコ40記事をいくつか超えたばかりの体(てい)たらく状態だ。

1か月あたり3記事ほどをよたよたと刻んでいる。

この間、自分の記事はともかく、他人様のブログ記事を読む機会は随分と増えた。

そこで思うことは、oldboy-elegyくんのように、部屋に閉じこもり、
ウジウジと駄文を書き込んでいる人は少数、皆さんなにかしらの「ご自身
の得意なフィールドで」足、目、頭脳などダイナミック稼働された上での
情報記事、
圧倒されているのが、本当のところ。


「食・食べ歩き」などの分野など、
その記事化までの手法、手数を考えたなら、oldboy君、一(ひと)記事も
完成を見ることはないと断言できる。

また、PC スキルの違いなどは、ブログのページを一見する
だけで、どうしょうもない「質の違い」を実感している。

ときおり、他人様のページデザインを見て、PCの動作、手法を悪い頭で
後追いしてみるが途中でアウト。

結果即あきらめ、自分の出来る範囲のものを「チンタラ」やって行くのが一番
と居直る御仁なのである。

さて、今回の記事も、相変わらず、諸氏諸兄に比して迫力はゼロ、
何かを訴え、訴求するものもなし、何時もの通り、脱力系のブログ
記事を書かせていただくことになる。


              ★

みなさんは、「さんすうの九九」は小学何年で習った」のかな?
oldboy君の場合、確か3年の時だったと思うが。

「さあ、今日から掛け算の九九の勉強ですよ、ソラ(暗記)で全部言えるように
しましょう」
と我が担任のK(女性)先生が大声でおっしゃた。
その日の、さんすうの授業の冒頭でのことである。
いったい、今から何が始まろうとしているのか?

やさしく、素敵な先生であった。
ただ一度、いたずらが高じて、額に「指パッチン」を受けたことがある。
でも叱られた、と言うより、なにか、その事を、自慢の種の一つ位に思い、
仲間内に笑顔を振りまいているバカがいた、当然oldboyくんのことである。

それは、偶然、先生の脇机(わきつくえ)の上に定期券が入ったパースを発見
したことにある。
首を伸ばし、彼、先生の歳と乗車駅を素早く読み取っていた。
どうやら隣の「奈良県」からの通勤らしい。

その御歳のほうをチョコッと、何かの折に、先生の前で口を滑らしたことが
あった。
おでこに「指パッチン」はその時のことである。

今日はその、大好きなK先生の前での、恥ずかしくも情けない一話である。

結論から言うと、「それが出来なかったこと」より、「K先生のでできな
かったこと」のほうがショックだったように思う。

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左の絵(?)は生徒側から見た
黒板の図である。
言葉で説明するつもりが、うまく
表現シズラカッタので、へたな絵をUPした。

この下の文と併せて見てもらえばないよりずっとましである、と勝手に
思っている。



K先生、

「サアー、みんな順番に教壇にあがり自分の名字を書いてチョーダイ」

窓側をAハン、廊下側をBハンとして、クラス全体を二つに分けるらしい。
※A・B斑のどちらかに(絵の両端)自分の名字を、自身で書き込むのだ。

なにを基準(席次順など)に分けられたかは記憶はないが、男女別で
なかったことだけは確かである。

ひとわたりの喧騒の中、黒板にチョークで自分の名前を書き込んだ。
クラスが半分ずつに分けられた格好である。

サアー、今から何が始まるのかoldboy君を含めて、クラスは戦々恐々の
雰囲気である。

「今日から、さんすうの時間の始めに掛け算の九九の練習をします」
教室内はなにか良からぬことの前兆を感じて、静まりかえっている。

「じゃあ、決まりを言うからしっかり聞いて頂戴・・・、先生が初めに
九九全段出来る人と質問したら、出来る人は手をあげるの、そしたら
先生、あてる(指名する)から、先生の質問に答えるのよ、わかった!」

ここで教室はザワザワ。
「一回予行練習するから!」
K先生、ひと呼吸後、
「九九全段言える自信のある人」と言い放つや、およそ半分位の子達が
手をあげているのである。
もちろんoldboyくんも手をあげている、少々不安はあるのだが。


「じゃ中川さん、A斑・B斑だけ教えてね」と先生。
中川、「Aはんです」とだけ言って、机の脇に立った。

「それでは質問するね、5の段全部答えて」
中川、もちろん小鳥がさえずるように、すぐに歌い終わる。
彼女、クラスの副級長でもある。

「もう一つ、九の段全部答えて」と先生。
9の段も同様、ヨドミもなく完答。

最後に先生が「ヒチゴ(7×5)は?」「ハック(8×9)は」とたたみかける、
すべて正解である。

「みんな、中川さん、全問Okなら拍手してあげて」
もちろん、満場一致の拍手である。
「そこで中川さんは、黒板の前まで来て、自分で消すのよ、名前を・・」
ここで中川、名前を消すために前へあるきだす。
「ゴメン、これ練習やから、消すのは次の本番からね」

こうしてこの「九九コンペティション」が始まったのである。

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前列右の男の子がoldboy-elegyくん

である。

自信なさげにキョトンしている。

まさしく彼である。









oldboy-elegyくん、なぜか根拠もないのに、多分OKと勝手に決めている。
基本この辺りが、詰めの甘い人なのである。

先生のおっしゃるには、早く全員の名が消えた方が「勝」になるとのこと、
とうぜんそうだろう。

このあとすぐに熱戦の火ぶたが切られたのである。
「九九全部言える人、手をあげて」の先生の声に、生徒の半数以上のものが
挙手している。

教室内の雰囲気は運動会の様相である。
およそ、おのおの7・8人、合計14~16人程度の選手が出場で、全てOK(合格)
の成績であったと思う。

「oldboy-elegyくんはどうだった」の声が電波の向こうから聞こえるが、本人
手をあげず、エントリーしなかったようである。

少々の不安を抱えた彼、帰宅後2・3度暗唱したが、スムース度にすこし
欠けるが、今日の人の中には、自分よりまずくてもOKを貰った人もいたようだ、
として練習をすぐに放棄したoldboyくんである。

ここで少し話が変わって申し訳ないのだが、九九の暗唱について思い出した
ことがあったので書いてみる。

1の段のみ、暗唱の言葉が少し違っていたように思うのだが。

21世紀の今では
いちいちが・いち・1×1=1」「いちにが・に・1×2=2」
いちさんが・さん・1×3=3」
と唱和するのかな、よく知らないが。

50年以上昔のoldboyくんは確か
いちが・いち」「にが・に」「さんが・さん」と言っていたと
思うのだが。

2の段以降は現在も同じだったのかな、ふと思い出した疑問を書いてみた。


ともかく、「競争」は始まったのである。

九九の授業も3回目あたりになるとクラスの「半数」以上の生徒の名が黒板
から消えている。

失敗した者はいるにはいたが、少数である。
手をあげていない者はこの間、先生の質問に合わせ、無言のまま必死に覚え、
練習している。
oldboyくんも同様である。

「さんすう」の時間はほぼ毎日ある。

彼が手を挙げたのは4回目ぐらいの授業のことである。
万を期しての「挙手」であると思ったがその様子がチトおかしい。

挙げた手が、真っすぐ天井を向いていない上に、肘も折れ、全く
自信のなさがまる見えなのである。
おまけに、前の人に隠れるようなそぶりも見せる。

塾の先生の経験のあるoldboyくん、こんな場面にほぼ毎日遭遇していた。
ただし立場は正反対である、教師と生徒が入れ替わっている。
こんな折の生徒の仕草には、無頓着に事を済ますのは、教師としては
「デリカシー」にちと欠けるものだと言わざるをえない。

この時の生徒(塾生)は中学生である。
「打たれ強い」奴もいれば、そうでない子もいる。
女子の場合は余計に気を遣う、同級生へのライバル心も強い。

oldboyくん、自信なさげな「挙手」には、判別できる限り、指名はしなかった。
半面、間違いにも動じない子とか、ある種の「笑いを取ることを」目的に
「挙手」するヤツもいる。
そんなおり、教室の雰囲気や息抜きのため、ワザッとに利用することもあった。
すべて一筋縄では行くものではない、生徒たちとの「アウン」の呼吸がある。

場面をもとの小学生の「九九」にもどす。

K先生がついに「oldboy-elegyくん」を指名されたのである。
彼、極度の緊張状態の中にいる。

実はこの精神状態に至る訳が、これまでの「算数、九九の暗唱」の中に
存在していたのだ。

失敗した奴の多くは、同じようなパターンでしくじっていたのである。
中には、そこそこ「勉強ができる」とされる子も、僅かだがいたのだ。

その失敗のパターンを説明してみようと思うが、うまく伝わるかどうか
心配である。


一番良いのは、なにも考えることなしに自然に口について出てくる事だが、
oldboyくんの場合いかんせんこれが中途半端(ちゅうとはんぱ)なのである。
「リズムも抑揚」もなく「凸凹の砂利道」を歩いているようなものである。

はやく、正確にすらすら暗唱できる子は概ね抑揚・リズムがよい。

しかし彼のばあい
あたまで考えて解答している部分がどこかにある。
それが顕著に表れるのが、7・8・9 の段である。
どうしても無意識の唱和ではとんでもないことになると本人は感じている。

例えば、「はちさん 8×3」であるが、無意識の唱和の場合、答えが何故か
「24であったり26であったりする。

このような危なっかしい九九が彼には幾つか存在する。
ひちし 7×4」もぶれそうで怖い、答えは「28」であるが、言った後から
確信が持てなくなる。
はちさん 8×3」「はちし 8×4」「くし 9×4」などもほっとけばとんで
もない数字を口にのぼせてしまいそうだ。

そこで彼が取った打開策がこれである。
上記の「ひちし はちさん  はちし くし」などの場合、瞬時に前後を無言
の内
で入れ替え、答えだけ声として「発声」するのである。

こうである
ひちし」と声を出す、即座に無言で前後を入れ替え「しひち28」として、
28」のみ声をだすのである。

つまり「7×4」から直接答えを言えば危ないことになりそうなので「4×7」
と胸の中で唱え「28」と発声するのである。
これならトンチンカンな的外れの数字は出てこないのだ。

しかしこれにも、チョットした難点がある。
7×4」と答えの「28」の間にわずかな時間のずれができるのである。

クラスの子達にも、oldboyくんと同じ症状の子が数名いたのである。
チョットしたこのタイムラグに気付き「今、計算したやろ」とダメ出
しを受けることになる。

この日、彼に要求された九九は、簡単な「5の段」と、もう一つが、
問題の「7の段」であった。

緊張の中、結果、間違いはなかったが、「7×4」などで、数字を入れ
替えたことをA斑に指摘され次回もちこしとなったのである。

この時間が終わると、A・B斑あわせて黒板に残った者は、7・8人程度
だったと思う。
むろん、出来なかった恥ずかしさもあるが、それ以上に、大好きなK先生
の眼前での失態、「屈辱感」が大きかった。

九九暗唱大会は、つぎの算数の時間で終わった。
残った者への問題は、ハッキリ言って、一人ひとりを先生が見据え、
考慮した上でのものであった。

oldboyくんの場合、7・8・9段はなかった。
なにか、嵐の一週間が飛び去った感覚である。

それから半世紀が経った、
その間、塾で数学の先生もやった。
K先生の気遣いが胸に残る。

あの時のクラスの喧騒も、今はもうない。
いまとなれば、懐かしくも、少々哀しい思い出となっている。

そして今も、oldboy-elegyくんの「九九」は依然中途半端のままである。

「ひちし」は「しひち」と口中で唱えて確認している。



                了
          oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 20)キャッチ・コピー「効きめ重視型の目薬」なぜか突っ込みたくなった・だが最後に納得か!

 

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左のメモ内容 
字がまずいので下記に「翻訳!?」する。

2020
・4

つっこみたくなるCM
●効きめ重視型の目薬

参天製薬 サンテ





oldboy-elegyくん、以前、自分のブログのどこかに
書いたおぼえがある。

ここ4~5年ぐらい前から、記憶力の低下をとみに、自覚するようになった。
それも最近の事になるほど、その傾向が強い。
例えば昨日のことなど、とんと思い出せぬことも多い。

そのためか、日にちと日にちの間隔が狭(せば)まり、やたらと月日の経過のみ
加速している。

結果、今年の正月なども、つい昨日のようにも感じる。

そのくせ自分の大昔の化石時代のことなど、無駄に記憶野にしっかりと刻みこま
れているのである。

振り返れば、小学校の6年間はやたら長かったように思う。
早く中学生に、お兄ちゃんになりたいとの思いがそうさせたのかも。


2017年の4月ごろから日記替わりにメモを事あるごとに書き貯めている。
貯まる用紙の厚みが時間の経過を、確かなものにしてくれる。

これらの良いところは一枚、1~2項目ほどを記入し、必要ならそれのみ取り
出し、壁に掛けたコルクボードに貼りつけ出来るのが良い。

メモ用紙、付箋紙などの色分けも効果的である。

例えば、支払いを赤、病院の診察予約をブルーなどと日々進化している。


そこまでしても、哀しいかな、時おりポカが発生するのが悲しい。

つい先日、5月3日・憲法記念日であり、彼の誕生日でもあった。

当然クリニックはお休みだったのだが、oldboy君、処方薬の欠品のみがあたまに
あり、バスに乗りノコノコと出かけたのである。
あげくのはて、青い大空を見上げて深呼吸もしている。

それと気づいたのは、病院駐車場の閑散さを目の当たりにしてのことである。

この件に関しては、前回のブログで記事化した。
(雑感・雑記帳 No.19) 5月3日は憲法記念日である にて。
最下段にリンクにて貼りつけておくので、よろしかったら見ていただけたら嬉しい。


ときおり、自分の人生にとって、記憶する必要のないお人の名とか姿が、前触れ
もなく突然に浮かぶことがある。
そのくせ、思い出したい人の名など「ほれそれ・あれあれ?」状態になってしま
うことも多々ある。

腹ただしくも情けないことおびただしい。

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これらのメモ、ここ1年少し前から始めたブログなどに利用することもある。
今日の記事は、そのうちの1枚の書き込みが題材である。


さてここからが今日の記事のメインストリームである。

メモの話をしてきたのだが、そのうちの1枚をPCに取り込み、記事中にUPした
ものが最初の画像である。
いくら走り書きと言え、なんとヘタクソな字であろう、なんとかならないものか。

2020・4 となっているが、日付は何故か未記入のメモである。

内容は 突っ込みたくなるCM  効きめ重視型の目薬 ・参天製薬 サンテ?

となっている。

メモの「突っ込みたくなるCM」の部分はoldboy君の個人的感想である。
今日の、話の趣旨なのだ。

f:id:oldboy-elegy:20200521055829p:plain


注目するのは、この部分「効きめ重視型の目薬」のキャッチ・コピーである。

当初、なにか解(げ)せない感覚が頭に残り、とにかくメモに残し、
コルクボードに止めおいたのである。

ときおりボードのメモを見ながら、「効きめ重視型」の反対の意味である
効きめを重視しない目薬」なんてあるのかな、と突っ込んでみたりして
いた。

別の日には、「清涼感を期待・重視するメントール入りのおしゃれな目薬
などもこの世にあるのだから、この「効きめ重視型の目薬」もありかなと考える
しまつ。
oldboyくん、この文言に「取りつかれた」のかもしれない。

いやはや、人迷惑なキャッチコピーではあることは間違いない。

一度など、「もう、どうでもいいや」とボードからはずし、輪ゴムで留め
置いているメモの束の中に入れようかと思ったこともあったが、どうも気持
ちが良くない。

こうなれば、いっそうのこと、自分のブログの記事にしてしまったほうが、
精神衛生上よいことと「結論」づけ、UPしょうと思った次第である。

しかし最後まで「効きめ重視型の目薬」の反意語「効き目を重視しない薬
なるものがこの世に存在するのかの疑問を払しょくできないままの自分が
いる。

oldboy-elegy君、ひょっとしたら、コピーライターさんの高度なテクニック、
術中にはまったのかもしれぬと思い初めている。

 

     それにしても  「効きめ重視型の目薬
不思議な アドバタイジング・スローガン(宣伝文)であるのは間違いない。
首を振りふり、記事を終えることにする。

心も晴れ晴れ、これで良かったのだろう、多分。

●ここから以下の記事は投稿しないまま、だいぶ日にちが経過してから追加した
ものである。


ところがoldboy-elegy君、この記事、投稿もせず、「はてなブログ」の
「編集下書き」
に塩漬けにしたまま10日ほどそのままにしておいた。

まだ心のどこかで「???」の「感覚」が、腑に落ちずに、残っていたのである。


そこでもう一度、oldboy君、なにか考え違いがあるのではと、思い治して再度
吟味することに。

そこで閃いたのが、次の事である。

このコピーが言うところの「効きめ重視型の目薬」の「効きめ重視型」とは
「目の機能・不都合にはいろいろある、それこそ眼球疲労・乾燥・各種炎症・
涙目 
などなど、それらを個別に対処・特化した目薬ですよ、なんでもありの
万能薬ではありませんよ」と言う意味で「効き目重視型」という言葉と考える
なら、「いろいろの目の機能不全に特化した目薬」と言う意味で「目薬会社の
言うフレイズもアリかな」と考えた次第である。

やっと彼ら「目薬会社」の考える本筋にoldboyくんがたどり着いた瞬間かも
知れぬ。

oldboy君は、最初に自分の目に飛び込んできた宣伝スローガンが「効きめ重視
」となっているので、反射的に「効きめを重視しない目薬」なる「反意語」が
頭の内に去来、もうすでにここで「ボタンの掛け違い」が起こってしまって
いたようである。

結論として言うなら、oldboy君のような、漠然とした、通りすがりの
コンシューマー(消費者)が「対象者」なら、必ず
一定の割合で「効きめを重視しない?」の反意語を思いつく人も結構いるはずである。

反対に広告主の当事者側から考えると、100%目薬の事で頭がいっぱい、
少々自己中的で、oldboy-elegy君のように考える人がいることなど想定できな
かったのかもしれない。

すなわち、互いの正反対の立場が、このアプローチの違いを生んだのかもしれぬ。

改めて想うが、やはり「舌足らず」のスローガンであることは否めないと思うが
どうなんだろう。

それともoldboy-elegyくん一人が変なのか、判断して欲しい。


これで憂いなく、納得もいったので、ブログ記事として近く「投稿・UP]
しょうと思う。

ともかく、すぐに投稿しなっかったことは大正解であった。

感想 「アーしんど」大阪弁で「アー疲れた」の意である。

最後まで「しょうもない」なんの得にもならない脱力記事に付き合って
いただきありがとう。

                   了
                  
                oldboy-elegy
              

 

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oldboy-elegy (25) ①「ガリ版刷り」って何?②英語?とローマ字?に関わるチョッピリ哀しい話。

oldboy-elegyくん、高校3年,卒業式前の2月中旬以後、大学卒業まで大阪は
河内の小さな塾の講師をやっていた。

母(故人)がおっしゃるには、大学の「初期費用を含めた入学金と、毎年の
授業料」は
私が責任をもって支払う、その上「この家の部屋代、まかない代を
よこせ
とは言わぬ、ただし、オカズに文句をいうな、それ以外の経費は知らぬ、
こんな
好条件どこにある」とのご宣託。

この言にoldboy-elegyくん、「ハアッハ~、ご無理ごもっとも、ありがたく」
と「頭(こうべ)を垂(た)れた」しだいである。

こうして、河内(かわち)から京都までの自宅通学が始まった。


実を言うと、教科書代を含む書籍代もご支援いただいていた。
ときおり、書籍代に行かず、遊興費に。
結構な金額であったはず。

本来なら、もうちと頑張り、学費の安い公立の大学を目指すのが本筋だが、
oldboy-elegy君、そこまでの根性はない。

もともと浪人など念頭になかった彼、最初に受けた京都の私立大学に受かり、
その日のうちに本棚から「受験関係」の書籍を一掃、即「人生のモラトリ
アム」気分に突入。
※人生のモラトリアム・大人になる猶予期間
 oldboy-elegyくん的解釈・社会人になるまでの猶予期間(大学生活)

彼、人生においても「楽な方、ラクなホウ」に、走るきらいがある、基本これが
oldboy君の性向で本質であるようだ、もう一押しの根性は持ち合わせていない
のである。

岩田一男の英文解釈・英作文」や「チャート式数学」など本立てから
即、一掃、お蔵入り。
古文関係はもともと好きだったので、そのまま辞書・辞典関係とともに
残すことに。

外を歩いていても、春はもう少し先だが、ウキウキ気分。
ただ近所の顔見知りのオバちゃんなどに出くわすと、この気分が
雲散霧消。

「oldboyちゃん、次はどこ受けんの?」とニタリ顔で聞かれること
必定なのだ。
先刻、大学入学試験に合格したことは知っておいでなのである。

なぜか、当時、新聞の地方版に大学名・出身高校・姓名が当たり前のように
掲載されていたのである。

なぜ、こんなプライベートなことが新聞記事として掲載されていたのか
理解できないし、謎である。

なにしろ、国立・公立一辺倒の土地柄だ。

ともかくも、あとは日常の「交通費を含む遊興費」を稼ぐのが大問題なのである。

その手段が塾の先生と言うことである。

高校時代、結構、いろいろのアルバイトはやってきている。
年末の門松作り・鶴橋は国際マーケットでの魚屋・夏休みの氷配達・etc
どれも結構実入りの良い、アルバイトであった。

とくに、門松作りなどは、発注元が大阪市内の「ヤクザやさん」である。
売り先は、スナックやバーなどの飲み屋だ。
トラックの荷台にいろいろの大きさの門松を積み込み、指示された店に
無理やり&強引に置いていくのである。
店から出てきたママさんが、われわれに向かって大声でアクタイをつくの
も無視、ヤクザやさんの指示通りに下ろしていくのみである。

このアルバイトでoldboyくん、修学旅行用の薄地のコート・革靴を調達
したことを思い出す。

それに、そのコートに「Tenko・女性の名」と一緒にくるまったことがある。
甘酸っぱい思い出である。

これも oldboy-elegy No.9  にて記事にてUPした。
このブログの最下段にリンクしておく。
読んでいただければ嬉しい。


彼の、塾での受け持ち教科は「数学・理科」である。
法文系の学生ではあるが採用していただいた。

同じ高校の先輩の後釜として推薦していただいたのが良かった。
世の大卒初任給2万円前後の時代、時間関係なしの6~7千円頂けることに決定。
正確な金額は失念した。

しかし、この「時間関係なし」が曲者であった。


4月に入ると、少々不安があった「理数科目」も、予習なしの「即本番」
でも、なんとかこなせる。


ここらあたりが、oldboyくんの性癖で「基本人間が軽い」のである。

授業時間は金・土・日に集中してカリキュラムを組んでもらう。
大学の必須教科の講義が夕方の場合、京都から2時間の距離では少々
無理がある場合もある。

そのへんは、塾と相談の上、いろいろ便宜を払ってもらっていた。

①ここからがタイトルの「塾でのガリ版刷り」にまつわる話となる。

f:id:oldboy-elegy:20200527112435j:plain

左の写真画像が「謄写版刷り」の道具
一式。

画像借用のため、唯一の痕跡、
〇〇市教育委員会にも連絡したが、
先方の画像でもないとのこと。
当方、無害と判断して、掲載させて
いただいた。




生徒たち、いくつかの別々の中学校から寄り集まっている関係で、
なかなか「カリキュラムの統一性」が取りずらい。

なかには、電車で二駅ほど先から来ている生徒もいる。
そのため「公平を期す」のに、塾で作成したテキストがどうしても
必要になる。


それも、全て自前で作成するのである。
謄写版刷り、またはガリ版刷り」が基本でこれ以外の方法はない。

謄写版刷り」を説明する、上掲の画像を見ながら読み進めていただければ
ほぼ、ガテンがいくと思う。

謄写版刷り」は別名「ガリ版刷り」ともいう。
「蝋引き(ろうびき)の原紙」を細密のヤスリ板の上に置き、とがった鉄筆
ガリガリ」と蝋を削る音から、そう呼ばれている。

最後に、書きあがった蝋引き原稿を四角の木枠に貼り、インクを乗せ、
ローラーで1枚1枚別の紙に転写するのが、作業の行程だ。

まず適切な問題を教科書や市販の問題集から選び出すことから始まる。
予習の要素は省き、「各学校の後追い・復習」と「理解度」が深化するのを
目的にした授業である。

もちろん、経営者の「塾長」及び「前任者」と相談の上である。

時にはこの準備の作業が夜中までかかる事も多い。


oldboyくんの担当学年は1年・3年で、テストや資料も全てこの
ガリ版刷り」でやることになる。


最後に、鉛筆書きのひな型原稿を蝋(ろう)原紙に鉄筆で印刷用の
本番原紙を作成するのだが、彼、鉄筆の筆圧が強すぎて、蝋(ろう)原紙を
痛めてしまうことが度々であった。
修正液を使うのだが、なんせ原紙全体の状態が、5段階評価で2~3の
できであり、生徒に申し訳がないシロモノである。

まあ、それ以前に「字」の下手さ加減には、oldboyくん「絶対の自信」
がある。

上手な人なら1枚の原紙で100枚ほどの「印刷」なら余裕で可能なのだが、
oldboy君の場合、20~30枚でインクが本番用紙に滲んでくることもしば
しばである。

こんな時は、また原版作りからやることになる。

思うに、「天性の不器用」のお人である。

要するに、受け持ち時間数の数倍の準備時間が必要なのだ。
もう、損得勘定を考えていたらやれるものではない。

今の時代なら、パソコンのエクセルか何かに使用する基本原稿のパターン
をテンプレートで保管、必要時にこれを呼び出し、そのまま考えながら問題
を書き込み、出来上がったものをデジタルコピー機につなぎ、好きなだけの、
印刷がアッと言う間に出来上がる。

実際にこの件で「悪戦苦闘」した経験のあるoldboy-elegy君にすれば
隔世の感がある。

ともかく、この仕事(塾のアルバイト)、時間給を考え、損得ではやれる
ものではない。
こうなれば、彼等(生徒たち)の成績を少しでもあげようと努力するのは
人情である。

少し後には「謄写版印刷や鉄筆による原紙切り、刷り」を助けてもら
える生徒たちの「女子のグループ」もでき、大いに甘えさしていただいた。

やがて、これらの作業を通じて、勉強のできる子も、そうでない子も、ひとつにマトマリ、塾と言えどもなにやら、強い絆が芽生えてきたように思えたのである。

  
② 英語?とローマ字?のチョッピリ哀しい話

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この男の子が「和夫・仮称」である。













ある日、英語の講師が急用で休まれたことがあった
そのおりoldboy-elegy君が代理でこのクラスをタマタマ受け持った。

単語の小テストの用紙を塾長から預かり、授業に臨んだ。
20人少々のクラスである。
テスト時間は10分だか20分ぐらいのものである。

この日、遅くに、塾長(経営者)に教室脇の小部屋に呼ばれた。
「oldboyくん、これみてごらん」と先ほどの英語の単語小テスト
の用紙を1枚、彼の前におかれた。

「??!!」彼「何だろう?」の体(てい)でのぞきこんでみる。
姓名欄には、よろよろした、ものだが、一応漢字で書かれている。
「○○かずお」と読み取れる。

小テストはひらかなや簡単な漢字がならび、その横のカッコ内に英単語を
書き込むだけの、至極単純なものである。

塾長、oldboy君が「なにか?」の様子でのぞきこむのを見て「答、読ん
でみて」とうながされた。

実際の具体的な単語は忘れたが、こういうことである。

「川」とあれば普通、正解は「river」となるが彼の解答は「kawa」となって
いるのである。
書かれた「kawa」も正確なローマ字ではない。
一生懸命に「kawa」と書こうとしているのは見てとれる。

彼にとって、「英語」とは「ローマ字」なのである。
「そう、ローマ字を書くことが、すなわち英語であると」思っているらしい
のだ。

始めのころは担当先生も、地球儀など取り出し、違う言語・人種などの
存在等を説明したりして努力されたみたいである。

親御さんも、重々、承知の上での入塾であったらしい。
同じ、中学校の友達も何人かいる。
ただ授業態度に、とくに問題も無かったし、むしろ楽しんでいたようである。
しかし学期末には親からの退塾届が出され、やめていかれた。

退塾のおり、ご両親そろっておいでになり、「息子も良い思い出になったこと
と・・・・」の言葉を残していかれたらしい。

和夫を見送った塾長、「アイツ本人、納得して辞めたのだろうか」と。

彼の退塾にあたり「ホッとしたのは本音であるが、心の奥に小さな空洞
ができたのも現実であった」と述懐されていたのをoldboy-elegy君は
知っている。

                         
                  了

               oldboy-elegy

 

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(雑感・雑記帳 No.19)  5月3日は憲法記念日!!、おまけにoldboy-elegyくんの誕生日なのだ。あったこと、思ったことを綴ってみた。


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oldboy-elegy君に今年も誕生日
がやってきた。
5月3日である。
日本全国等しく祭日である。

だからと言って彼に何か特別な
行事があるわけでもない。





しかし今年のこの日を意識して振り返ってみれば、さまざまな
思いが生まれ、それらが、不思議に意味を持ち、つながって1日を
終えたように思う。

敢えて言うなら、このことが「誕生日」のプレゼントだったのかも
しれない。

それではそれらを、時系列に従い、綴ってみる。
何時も通り、緊張感もなく、脱力系記事で申し訳ない 。
            

             ★


● AM9時ごろ、妹からTELあり。

他県にいる妹が電話口の向こうで「お・め・でっとうさん」と本気

とも、冗談ともつかぬモゴモゴ口調でおしゃっている。

当の妹、おれより6~7才の歳の差がある上に、年金年齢になってまだ
そんなに経っていない。
こちらはなにげに大台にに乗った身である。

妹くん、時節がら、「人込みに入らない事」「外出からの帰宅時には
手の消毒とうがいを・・・」などの注意を、こと細かくいただく、
嬉しいことである。

われわれ兄妹2人には、oldboy家としての近しい縁者はいない。
実際はいるんだろうが、これまで行き来のない人生であったので、
こんな状態である。

ただ母が入籍の件で猛烈に父に迫ったことがあった。
oldboy君の大学卒業時の就職を意識してのことである。
しかし「なんとかなるよ」と言うのが彼のスタンスである。

そのことで、気にしたこともないし、どうのこうのと考えた事もない。

さきに書いたように5月3日はoldboy君の誕生日である。
いもうとから、電話があったほか、この時点で特段のことはなかった。

●このあと、腰痛の処方薬が切れかかっているのを思い出す。

クリニックまで、バスで15分ぐらいの距離である。
天気も悪くない。

彼、この度のコロナ禍に遭遇するまで、マスク装着の経験はない。
いまだ慣れず、息苦しく感じる。

身じたくをして、oldboyくん、いそいそとご出宅。
バス停でも、青空を仰いで、マスク越しに深呼吸。

読者諸氏、ここで気が付かれました?、今日は全国47都道府県
おしなべて5月3日憲法記念日にして祭日、クリニックも当然休診の
はずであることを。

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※oldboy君の今日のいで立ち、ショルダーバッグの色・形 、薄地の
セーター、上掲のイラスト通りである。
しいて言うなら、パンツの色がサンド・ベージュであることぐらい。


この段階になっても、当のご本人、気が付かないご様子。
そのまま、浮かれ気分のノーテンキ状態で、お客、数人のガラガラ・
バスにご乗車、そのまんま目的の停留所で降車。

トコトコ、トコトコ(腰痛の状態を表現しているつもり)信号を渡り
クリニックの駐車場をまさに通り過ぎようした時。

oldboyくん、「うん、???」と、ようやく目線の先の、普段とは
違った光景・様子にキョトン??。

「むむ、なんだこの駐車場?」車両が1台もない。
いつもなら、10台以上の車で満車の状態なのだが。

「今日は休みだ~」とここで気が付く、アホさかげん。
この期に及んで、やっと、ことの次第が飲み込め、自分の頭に
ゲンコ一発くらわす始末。

「あーやだやだ」このぼんくら頭。
だれも交換してくれないので、このまま付き合っていくしかない。

このごろ、二つ三つの用事を同時進行するときなど、どこかで
不都合が生ずることがまま起こる。

食品など、グロスリー・マート(食品スーパー)で買い物する時
など、メモ用紙が必須アイテムとなっている。

とうぜん、妹のい言うとおり、用事もないのに、このまま駅に世間の様子を
見学に出かけるのも気がひける、
結果、もと来た道の反対車線のバスに乗りトボトボとご帰還、いったいぜんたい
俺はなにをしてるのか?

今日、5月3日・祭日のoldboyくんの誕生日もケチがつき、もはや
これまでかの気持ちである。

そのあと憮然とした気持ちでコーヒーを1杯をすすり、気持ちを
切り替える。

ブログのはてなスターやブックマークの整理を終え、gyao(ギャオ)の洋画
案内をのぞきのぞき、スクロールをしていたら妙なタイトルの映画に目が
止まった。


●邦題「ロープ・戦場の生命線」、聞いた事もない、当然みたこともない。

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ただ、ときおり、原題が記憶に残り、邦題を忘れることがたまにある。
原題は「A PERFECT DAY]となっていた。
これでも知らない。

映画解説に目を通すと「バルカン紛争停戦時」の「国境なき水と衛生管理団」
なるNGOの活躍?をシュールではあるが、コミカルに描いた作品とある。
※シュール      あり得ない・現実を超えた・奇抜な 等の意
NGO            非政府組織・ (NON GOVERNMENTAL ORGANIZATION)

NGOで「国境なき医師団」はよく耳にするし、ある意味かっこよさげである。
とにかく、この映画、視聴することに。

oldboy君、ここでこの映画の筋と感想を述べるのが本位ではない。
あくまでも、「oldboyくんの5月3日の誕生日」が主筋であるのはキチンと
心得ている。
しかし必要最小限の情報をインプットして頂き、なるほどと思って頂く
ことも必要である。

 

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ユーゴ・スラビア分裂後のバルカン半島。(ウィキペディアより)

黄色スロベニア /赤・クロアチア /濃、灰色・ボスニア、ヘルツゴビナ /緑・モンテネグロ
/オレンジ・マケドニア

ヨーロッパ南東部、地中海東部のうち、アドリア海エーゲ海黒海に囲まれた
半島域

20世紀の終わりごろ、バルカン半島全域が、紛争状態に置かれた歴史がある。
ここバルカン半島にあった「ユーゴ・スラビア」なる国が、政治体制、言語
民族、宗教の違いからいくつもの小国家に分裂していった時代である。

もともと、この地域、モザイク国家などと呼ばれ、国境線があっても、
互いに飛び地などが相手領土内に点在し、広くもない川を挟んで敵味方、
もっと言えば、疑心暗鬼が隣近所の近しいはずの人達にも伝播、殺し合い
、泥沼状態に落ちいってしまったのがこの紛争である。


別名、ヨーロッパの火薬庫などとも呼ばれている地域でもある。

この点、日本はある意味幸せな国である。
政治体制の良し悪しは別に1制度で、方言は多々あるが、ひとつの言語の
範疇である。
宗教も人々を縛るほどでもないし、国家宗教なるものも無い、その上、
国境線は全て海で、一国一領土の単独の海洋国家である。

バルカン半島諸国」に比べて国家存立の条件は全て対極にある、
本当にありがたい環境にあるのがこの国「日本」であると思う。

バルカン半島」の紛争が「国連」などの調停で、ようやく曲りなり
にも停戦が達成されたのが、この映画、邦題「ロープ・戦場の生命線」
洋題「A perfect day」の舞台と時代なのである。
西暦の年譜で言えば「1995年」のある日!を舞台にして描かれている。

従って、この映画の必要ワーズ(用語)を「バルカン半島」「難民収容所」
「地雷原」「飲料用井戸に投げ込まれた巨漢の死体」「ロープ」となる。

ここを、出身国も言語もバラバラ5人組(男2人・女2人・通訳1人)が1台の
車両で登場、身分は(NGO国境なき水と衛生管理団)である。

(ある村の飲料用共同井戸に投げ込まれた死体を引き上げるべく任務)
を負って危険地帯を右往左往する物語である。

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oldboy君、ここでこの映画の解説をするものではない。
上記の状況説明で、感の鋭い諸氏はおよそこの映画の内容が見えておられる
と思う。

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● やがて映画のエンドロールがと、思いきやエンドクレジット
 「A perfect day」が現れ、これに被せるように、女性の声で優しく
「花はどこへ行った・Where  has all the flowers gone」がフル
流れる。

そうこの曲こそoldboy-elegy君にとって、誕生日5月3日を想起さすもの
である。

よくぞ、最後の最後まで見たもんだ。
きっと、この映画を気に入り、チョットした余韻にしたっていたのかも
知れない。


このエンディングは、曲を聞くまでは全く想定外の
もので、
ある意味5月3日の最高のプレゼントに思えたのである。


曲の作詞・作曲者は我が敬愛するあのピート・シーガー様なのだ。
ただ俺がこう言っても、今の人達の多くは「それ誰?」と言う事になる
んだろうな、それも少し寂しいが致し方ない事かもしれない。

ピート・シーガーとoldboy君の誕生日の5月3日と何か関係があるの?」
の声。
それがありありの大ありなのだ。

● 彼、「ピート・シーガー」の誕生日は、1919年・05・03 なのである。

ここで、これを聞いて「あほらし」と嘲笑とあざけりの声が聞こえる。
もちろん、西暦1919 は除外して 05・03 、まぎれもなく誕生日は
同じである。
1/365の確率である、稀有な事と、かってに思っている。

この曲、「Where has all the flowers gone 花はどこにいったの」は
作詞・作曲者のピートはもちろん、多くのグループやソロシンガーが
カバーをしている。

有名どころでは「キングストン・トリオ」「PPMことピーター・ポール&
マリー」などがいる。

この曲、「ベトナム戦争時を象徴する反戦歌(プロテスト・ソング)であった」
曲調はもとより、その歌詞は、アメリカはもとより、世界で歌われた。
oldboy-elegy君も、この年代を生きてきたのだ。


またPPM(ピーター・ポール&マリー)のマリーはこう言った「社会の変革時には必ず、ひとつの曲が声と、ともにあった」と。

歌詞の後半の主旨を下記に簡単に書いておく。
「男たちは、どこに行ったの? みんな戦場に行ったよ、みんな
墓場に入ったよ、それで娘たちは墓場の花を摘んでいったよ」・・・意訳。

そう、5月3日に偶然視聴した映画が「A perfect day」で、その映画のエンド
ロールに使用された曲が「花はどこへいった」、その上その作詞・作曲
した人が「5月3日」生まれの「ピート・シーガー」だ、これを大いなる
「因縁」と呼ばずに何がある。

最後に、この曲(花はどこにいった)が「A perfect day」に偶然登場したのではないとoldboy君は考えている。
そこにはある事実が伏線となり、ここに登場したものと確信している。

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みなさん、「カタリナ・ビット」なる「女子フィギュアのスケーター」
ご存じですか?
彼女、当時の東ドイツ代表として、「ユーゴ・スラビア時代」の古都
サラエボ開催の冬季オリンピック1984で優勝しているのです。

バルカン紛争以前のことで、彼女18才の時の事でした。

それから後に、「ユーゴ―・スラビア」が瓦解、長い紛争が始まったのです。

サラエボ大会から10年後、「ノルウェーリレハンメル1994」で「冬季
オリンピック」が開催、カテリナ・ビット」28歳の時の事です。

もちろん、いまだバルカンでの紛争も終わっていない時のことです。

結果、ほとんどの選手が10代の中、ビットは28歳、成績は
ふるいませんでしたが、彼女の演技が始まると、会場が一瞬の
静寂の後、津波のような拍手、そして静寂。

もちろん、彼女の「バルカンの地、サラエボ」以後の活躍や
おそらくこの大会を最後に引退する「ビット」への、敬意の
拍手でもあったかも知れません。

しかし、これ以上に、会場や世界を感動の渦に巻き込んだのは
「彼女のダンス」で流れた曲なのです。

「花はどこえいったの」

がそれなのです。

この時「ユーゴスラビア紛争」はまだ終わっていないのです。
「バルカンのサラエボ」は「ビット」にとっても、18才でオリンピック
初優勝した「因縁の地」です。

それゆえの「カテりナ・ビット」が選んだ、プロテスト・ソング
だったはずです。

「A  perfect day」の監督も、当然このことを(バルカン半島とカテリナ・ビット
との因縁)承知の上で、エンディング曲として使用したのでしょう。

このことは、映画の解説には言及されてはいませんがoldboyくんの勝手な
思い込みではないはずと確信しています。

最後に、上に書いた歌詞の後半の意訳をもう一度書きたく思います。


「男たちは、どこに行ったの? みんな戦場に行ったよ、それでみんな
墓場に入ったよ、それで娘たちは墓場の花を摘んでいったよ」・・・意訳。

 



                                            了

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oldboy-elegy (24)懐かしき・俺たちのシネマパラダイス IN 河内・大阪 銀幕の笛吹童子もびっくり・ドンドカドン

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じつはこの記事、ブログを
書き始めて4記事目のものである。
自分としてはすこぶる、気に入っている記事でもある。

もともとのタイトルは、
「修羅場と化す正月の映画館・煙幕の向こうの銀幕・笛吹童子もびっくりドンドカドン」となっている。

それをリライト、新記事としてUPしたものだ。

もとより、内容に変更はないが、タイトル・文体・改行など読みやすさを基本に変更している。
初出稿は 2019・04・24 とクレジットされている。

戦後10年前後の小せがれたちの生活の一断面を正月と映画館と言う特別な日と場所で切り取り紹介したものである。

食糧難、闇市、空前の子だくさん等ネガティブ要素テンコモリの世代ではあるが、子供たちはそんな中、いたって元気であった。

それでは究極の下町、「大阪は河内の場末の映画館」のお正月上映に招待しょう、「パチパチパチ・始まりはじまり」
                                     

             ★ 

5人+1人、これが今日の面子(メンツ)である。
5人はいつもの近所の小学校の連れで+1人は中学校の女生徒
である。

彼女は俺たちより2、3歳年上で一応親たちが認めた保護者兼
監視人の立場である。

大人たちは、晦日みそか)の除夜の鐘が鳴り終わるまで働きづめで、映画より寝正月の方がありがたいのである。

  彼女のことを俺たちは「安田の華ちゃん」または「華ちゃん」と呼ぶ。
時折「おい華!」言うものもいた。
彼女も俺たちのことを口ではののしり叱るが、目は笑っている。
身長は俺たちの誰よりも大きく大人びていた。
 

輪ゴムで縛っただけの2本おさげの可愛いと言うよりと聡明なしっかりものと言う感じの人であった。

ともかく、喧嘩も辞さぬ構えで先を争い4席確保できたのは上々であった。
それも初めから2階席の最前列が目標であった。
何もハナから映画を見るのが目的ではないのである。

いったい奴らは何をしでかそうとしているのか、場内の雰囲気も大団円を迎えつつあった。
上映前の階下を見ると、どこを見ても子供子供で一杯である。
スクリーンのあるステージの上まで、ここが一等席であるかのように人ヒト、それも子供で埋まっている。
そう広くもない館内は嬌声、怒号の渦のなかにある。

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安田の華ちゃんはと言えばこの雰囲気にアンビリーボの表情、この連中のはしゃぎように何か「不吉の前兆」を感じ取っていたのかも知れない。

話をここで数時間前にもどす。
近所に、われわれ御用達のスーパーマーケットがあった。
そう駄菓子屋兼おもちゃ屋である。

もちろんこの時代、今で言うところの「スーパーマーケット」なるものは存在しない。

この店には屋号らしきものがなかった、近所の人たちは「ちゅうこひん」とあだ名していた。
われわれもおっつけ「チューコヒン」と訳も分からず呼んでいたし、これが店の名であると思っていた。
「おい・チューコヒン・いこや」など。因みに「いこや」は「行こうか」の大阪弁

このチュウコヒンが「中古品」の意味であることを知ったのは、もっと後のことである。

白髪ガチのおばあさんが一人でこの店をきりもっていた。
使用人どころか家族らしき人影もこの店にはなかった。

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べったんチュウコヒン高いわ」べったんはメンコの関西ことば。
しかし、おばあさんがこのことで我々を叱ったり、抗弁したことはなかったように思う。

今思い起こしても、笑った顔は見なかったなあ。
むしろ万引きされないか、気が気で無かったのかもしれない。
間口二間半、奥行き一間弱ていどの店に、半分は駄菓子、半分はやすもののおもちゃが所狭しと並んでいた。


 最近、駄菓子人気でテレビでよく紹介されているが、我々の知る駄菓子とはだいぶ様子が違っているようだ。

いまでは駄菓子と言えども、食品安全に即して物作りせねばならないのは当然のことだし、生身の手で食品に触れ、やり取りするなんて考えられない。

すべからくこぎれいで、上品になり「駄菓子」とは呼べないように思うのだがどうだろうか。

紙ニッキ、ベロベロ、酢昆布、みかん水。 紙ニッキなどは今時売ればたちまち保健所がやってきて、販売、生産停止の命令が下され、運が悪ければ店の閉鎖もありうるような代物である。

まずその毒々しい色からして噴飯ものである、真っ赤、緑、黄色、青、紫、どれも塗料の色を思わせる。
たしかにニッキらしい味はするが、あとがいかぬ、紙ニッキをしがみ、ぺっぺとその辺に吐き出す、口内と唇はその塗料のような原色がべっとり、袖で拭おうものならそれも同色に染まってしまう。

おっと、興に入って、いろいろ書いたが、「チュウコヒン」についてはいずれ独立した一遍として書く機会を作ろうと考えている。

今日「チュウコヒン」に来たのは、あるものを買いに来たのである。
食べ物ではない。

もう言ってもいいだろう。
「投げ弾」?「なげだん」である。
見た目は?うん、どう説明しょう、そうだ「ひな祭り」の花あられ、あれにそっくりである。
大きさもまあまあ、近しいし、なによりその色がそっくりである。
ピンク、しろ、薄緑、薄黄色、など5~6色の構成であるのも同じである。

「花あられ」は食い物で、「投げ弾」はちょっとした爆発物である。
少量の火薬を薄い色紙で包み、のりで重量をもたせ固めたもので、強くコンクリートなどの固いものにこれをぶっつけるとその衝撃で爆発し、後に煙と煙硝の匂いが辺りに立ち込めるのである。

花火の一種として販売していたのかもしれない。
しかし少々危険を伴うものであることは言を待たない。
対象物は固ければかたいだけ効果は期待できる。

コンクリートアスファルト、固い土壁、窓ガラスなどが爆発効果が大きい。
逆に人に向かって投げてもその費用対効果は残念な結果に終わるだろう。

その投げ弾をしこたまかいこんだ。
今日は正月である、懐も少々あったかい。

映画はまもなくはじまる。
「投げ弾」もそれぞれのズボンや上着のポケットに納まっている。
館内照明が消えるのを今は待つのみである。

ここで読者の皆さんに、隠していることがある。

それは、悪ガキ各々が強力なライフルを隠しもっていることである。
「ライフル」?

投げ弾は弾丸で、弾丸を打ち出すのには銃がいるのは道理である。
人の腕力で投げても、いささか子供の力では非力である。
察しの良い読者諸兄はそれがなにであるか分かっておられることと思う。

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「パチンコ」あるいは「ゴムパチンコ」、関西だけで通用する言葉かどうか知らない。

パチンコホール、海物語のあのパチンコでは絶対ない。

手頃な枝のY字部分を切り取りVの先に強力なアメゴムを2本
取り付ける。
2本のゴムのあわさったところに皮や帆布などで「玉置」を作り
完成である。
Yの下の縦棒の部分を握り、玉置(たまおき)に弾丸をのせ、
ゴムを精一杯ひっぱる。あとは狙いが定まったところで弾丸を
瞬時に離す。

普段、弾は木の実を使う。
楠の実など、青い頃から濃い紫になるまで半年近く弾丸の役割
をはたす。
熟した濃い紫の実などが衣類にあたると、そこで砕け、染まる。
時間がたつとなかなか取れない。
あとどんぐり、南天の実などなど。

基本、小石を使うことはご法度である。
今日はの弾丸は年に一度の特別使用である。

「ゴムパチンコ」は館内照明が落とされてから取り出すことに
している。

一番年少の勝男など興奮の極にいる。
こいつの渾名が面白い。
「青ばな町、2丁目」
年から年中、2本のアオバナを鼻下にエレベーターのように上下さしている。

安田の華ちゃん、映画を見ることの楽し気な様子ではない、不安気に見える。
一応付添人の立場である、館内の状況を見ればさもありなん。
そのうち館内放送が始まる。
より一層の怒号と歓声で館内放送もなにもあったものではない。
ついに館内の照明が落とされた。
場内は歓声から拍手、拍手の嵐に変わる。

映写室からの光は我々の頭上を越えて銀幕に届く。
誰かがその幕の前に立ち。踊っている、影絵のさまが面白いのかすぐに2~3人の子供が参加。
観客から「じゃまやどけー」「おんどれひっちんどー」お前殴ったろかの河内弁、もうおさまりがつかない。
大阪は河内の場末のえいがかん、見ようによっては、あのイタリア映画、「ニューシネマパラダイス」の一場面を彷彿させる。

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ごめん、今言った言葉撤回さしていただきます。
あの名作を、お前は諫めるのかと、非難されても「ご無理ごもっとも」とお答えするしかありません。
あの映画の芸術性、人心に永遠に残る普遍性など、すべてを削り取ったのが、お前の駄文であると、夢と思い出を壊してゴメンなさい。

近所の仏壇やとか家具や、老舗の和菓子屋などの広告もおわりいよいよ本編である。

「あんたら何もってんの?」と隠しもってきたゴムパチンコをみて華ちゃんが言った。
これが合図だったかも知れない。
年長の吉雄が今やとばかりに一発発射、見事にステージの床で
はじける。
「ひやー」とも「ギャー」ともつかない悲鳴があがる。
あとは連射に次ぐ連射。
真下の通路や天井にも。

どうもこの悪辣行為、俺たちだけでないようだ。
2階席の右端の袖口から射かけているやつらもいる。

始まったばかりの笛吹童子、煙幕(爆発による煙)
の向こうの銀幕で「ドンドカドン」の状態である。

狭い館内まさに騒乱状態。
おそらく5分も居なかったように思うがどうだろう。

安田の華ちゃん、一番年長の吉雄を捕まえケツ(尻のこと)を
力一杯殴り「警察沙汰になるわよ、みんなパチンコ隠し、すぐでるわよ」と大声。

今日の、責任者で保護者でもある自分の立ち位置に目覚めたのであろう。
ここまで来れば、いかにバカとて、事の重大さに気が付く。

群衆にまぎれ、とにかく脱出、それ以後この話はタブーで重大秘密事項になった。
以後、しばらくは「おまわり」が怖かった。

あれ以来、ゴムパチンコでだれもあそばなくなったし、口にもしなくなった。
すべて華ちゃんの指示である。

この事件のづっと後の事で、oldboy-elegy君が大学生でいたころのことである。
母が「人から聞いた話やけど」とことわり、「安田の華ちゃん、死んだだってよ、朝鮮で」と繕いものをしながら言った。

俺自身、母に背を向けたまま「ふ~ん」と言った切り表情を隠し、動揺していた。

華ちゃん自身は家族5人で、第何次かの帰還船で北朝鮮に帰った、いや渡ったのだ。

ただ1人、日本に残ったのは次男の何某さんだけであったらしい。
お嫁さんが日本人であったそうな。

親父さんを除いて北へ渡るのにみんな消極的であったらしい。
栄光への脱出エクソダス)にはならなかったようである。
 彼女の死は「自殺」であったそうな。

俺自身、このような人生の度し難い理不尽さに遭遇した初めてのことでもあった。

あの、近しい人がこの世にもういない、なにか心の内にポッカリ
と穴が開いた気がした。



                                        了

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(雑感・雑記帳 No. 18 )「 芭蕉は忍者だった?」 それとも単に俳諧師?元禄期のサロン文化をもとに、独断と偏見でもって「忍者説を全否定!」

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oldboy-elegy君、実は「忍者小説」が大好きなのだ。
ただし術と精神力が人間の可能な範疇にある必要がある。



非現実なあり得ない忍術に興味はない。
ましてや大きなガマの背に乗り、十字を切って変身するなど全く持って噴飯ものである。
 
それらは「真の忍者」を愚弄するものであると思っている。

素質と長年の心技鍛錬の結果到達するもので、リアリティーさに欠けるものは御免だ。

「それでは、oldboy-elegy君!、君がイチ押しする
忍者ものの作家とその題名は、当然あるんだろ?、教えてくれない」と読者の声。

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「もちろん、いいよ、それは池波正太郎さんの著作で(忍びの旗)これに尽きると友人にも公言してるよ」

「3~4回は読んでいる、孤高の甲賀忍者、上田源五郎の一生を綴ったもので、今読むのと,若い時とはまた違った感慨が心を突き動かすんだ」

 当初、「忍者・源五郎」は「甲賀忍者」としての「掟」の下での行動になんの疑問も持たなかった。
ただただ、その卓越した「術」を使うのが「楽しくてしょうがない」と言う、ある意味健全な若者であった。

しかし青年期、壮年期と成長するにつれ、「その行動規範」が個人の自我に重き置いた忍者に変貌、変質して行くのである。
当然、自ら置かれた組織の意思と「対立」することになる。

まず、その過程の出来事と心の変化に全く無理がないのである。

それ故の心の葛藤と行動が、「池波正太郎」さんの卓越した筆力とともに、素晴らしい「読み物」となっている。

「恋愛」「家族愛」「属する忍び集団へのしがらみと反逆」など、見方によれば「忍者」の名を借りた骨太の、現代小説を読んでいるかに錯覚する。

ここで「なんでこんな話になったのかな?!」と自問するoldboy君。

そうだ、「松尾芭蕉」と言う俳諧師の本当の姿は、実は「伊賀忍者」であった。
などの話が良く言われるのだが
本当はどうなんだろう。

 

今日の話の本題はこれであった。

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芭蕉伊賀忍者であった」と言う話の素を幾つかあげてみるね。






●1 芭蕉自身、伊賀の出身で「松尾」の姓を持つ
郷士」の出。
一見、農家ではあるが、事が起れば「士分」として
戦場に出る。
当時、多くの忍者の身分
もこれ。

●2 「おくのほそ道」歌枕や名所旧跡を巡る、
600里(約2400km・
150日)に及ぶ吟行。
芭蕉自身46歳で出発、51歳
にて病没。

当代きっての俳諧師、その世評・名声はすでに確立していた後の行動であった。

歳から見て、結構な強行軍(1日15~16k)でもあった。

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以上の観点から、誰かに
命令され東北吟行の旅を
装い、出立か。

(左のイラスト画像は、言わずと知れた独眼竜で名高い伊達政宗である)




関ケ原」以降、「幕府」は、この地の大大名「伊達家」を取り潰すための理由、口実を必要としていた。
 
芭蕉曽良(そら)の2人旅は、東北、外様最強の雄藩「仙台藩」を中心に民心の雰囲気や城郭、軍事施設の見聞のためのもので、
俳句吟行の旅は、カモフラージュであった。

●3 旅中、多くの藩の「関所・番所」を苦も無く通過
している。
  
ご存じのように、「藩」は、一つの国のような存在。
つまり芭蕉達は「万能の通行手形・パスポート」を持っていたことになる。

当代きっての有名人とは言え一介の「俳諧師・文化人」としては異例中の異例。

いかに有名人であろうと、町人は町人、通常の
「通行手形」なら「一か所、一用事、の往復の旅程」
が精一杯であるはず。

従って、この「万能通行手形」の発行元は、それなりの権力者、それも「幕府」が関与していたものであると?

●4 つぎは当然「旅費・路銀」のこと。
以下oldboy-elegyくんの勝手な試算ではあるけど
あげてみる。
金額は現在の貨幣価値・単位円でざっとみた。
 
もちろん、折衝役、会計、旅情報などはすべて弟子の「河合曽良・かわいそら」が「仕切っていた」はず。
◎宿泊代・朝夕食込み  
◎昼食・元禄の頃、すでに1日3食化。米だけでも
 1人1日4~5合 が必要された時代
◎籠・馬・渡しなど交通費(人足賃)、
◎江戸や道中先への連絡、飛脚など通信費
◎文具(筆、紙、墨などの補充)
◎衣服の洗濯手入れ・髪などの手入れ 
◎休憩・茶代など雑費   などなど

学者などが物の本で150日の行程で二人して100万円
とした人もいる。

これなど1.000.000円÷2人÷150日≒3.333円となる。
1日1人3.333円である。

どこの坊ちゃん学者か知らないが、学者と名の付く
人達にはこの手の「世間知らず」の人も結構いる。

チョット脱線するが
大学の人文系の論文など、PDf記述で「だれにも読んで欲しくない」ような、段落、区切りもなく、行、列を確認しながら読むこともある。
読みずらいことおびただしい。

もうひとつ
所属している、研究室がなにか有意義な「発明・発見」したときなどの発表の席、なにやら「見栄えのしない、おまけに滑舌(カクゼツ)に難ありの老人が登場するテレビのインタービュー場面があるが」いただけない。
以上oldboy-elegy君の難癖でした。

oldboy君が思うに、いくら低く見積もっても
一人2万円ていどは必要と思うがどうだろう。
ましてや、旅人は当代一流の「文化人」であり、江戸の
「蕉風・俳諧師」の芭蕉様である。

貧乏人が安宿に、路銀を心配しいしい、旅を続けるの
とは訳が違う。

そこで少なく見積もっても1日2万円~3万円と
考えるがどうだろう。

これを旅程150日で計算すれば、
20.000円(1日)×2人×150日=6.000.000円
30.000円(1日)×2人×150日=9.000.000円

してみれば、総務課長の「曽良」さんの胴巻きに
納まって
いる銭入れには少なくとも旅のはじめ、
500万円ていどの現金が入っていることになる。

当時の通貨、両で何両になり、その重量はと考えると、なにやら矛盾が一杯でてくる。

つまりこの部分の事が、「親方日の丸」いや違った、
「親方幕府」となり、「実は隠密」と言われる由縁
でもある。

●5 芭蕉忍者説の最後は「実は忍者は芭蕉ではなく、随行者、河合曽良」だとする説もある。

曽良自身も「曽良旅日記」なるものをしたためているが
「おくのほそ道」とは道程の食い違いや期日などの不一致が多くみられる。
旅の日毎の収支や会計報告は存在しないようだ。

曽良自身、芭蕉の弟子であった事は間違いは
ないが、晩年、徳川家の依頼で九州へ赴き、
「仕法家」風の仕事をしている。

※仕法家(しほうか) よく土木をし、土地の改良、
耕作地の拡張、河川の付け替えなどによる食料の
増産に帰依する専門家。
有名な人では「二宮尊徳」さんがいる。

曽良」自身、この西国道中にて亡くなった事に
なっている。

これらの不確実で不信な存在が「曽良・忍者説」
が出る根拠にもなっている。

以上列挙してきたが、どれも「芭蕉忍者説」を
否定できる確固たる資料や事実はない。

すなわち、公儀隠密と言われても、
「そうではない」とキチンと説明することが
できないのである。

ことほど、さように「忍者・隠密」論は多く存在
する。
だがそうではないとする理由もないと言うことだ。

oldboy君、の、こうであって欲しいとする思い、
姿は以下の通りである。

芭蕉曽良」は「忍者・隠密」ではないことを、
論拠付けしたいのがこの記事の当初からの
「もくろみ」である。

なぜなら、大好きな「池波正太郎」の小説「忍びの旗」
の「忍者・上田源五郎」のあの存在感とカッコよさが
消えうせる。

oldboy君的には芭蕉が「忍者・隠密」など、
許容できるイメージでは絶対にあってはならないの
である。
見た感じ、一尺もジャンプできないような、年寄り忍者など「イメージ」がズッコケる。

さあここで、「芭蕉一行」は「忍者ではない」とする
「論理的説明」の構築にチャレンジしてみようと思う。

「彼らは隠密だぞ~」「忍者だぞ~」とするお話は多いが論理的に反論したものは知らない。

「おくのほそ道」の「あの芭蕉」が
「忍者であるはずがない」とする社会通念が
大きく存在し、キッチリとした論理的反駁もない
ままに居座ったもののように思う。

この事が、すべてであると思うのだが、どうだろう。

ここから後は、この「不毛の感情・情緒」に
ある程度の「なるほどと思わせる、論理性」を
持たせようとoldboy君が努力したものである。

あの「忍者・上田源五郎」のために。

もちろん、何時もの様に、oldboy-elegy君の「独断と偏見」での「語り」であることに変わりはない。

●そのためには芭蕉曽良」たちが生きた「元禄」と言う時代をある程度知っておく必要がある。

戦乱の世も終わり、徳川の幕府統治が、良し悪しは別に、一つの決まり(法)の下での「国家運営」が始まったのが17世紀の始めである。

「徳川の治世」、言わずと知れた「江戸時代」の始まりである。
それ以前の応仁の乱~江戸時代までを「戦国時代」とするなら約140年近くが戦乱の世であったことになる。

自分達が「戦国時代」と聞けば、日本中、大小の勢力が、刀・弓矢・鉄砲・での命のやり取りを「のべつ、くまなく」繰り広げられていたと思いがちだが案外そうでもない。

いま、我々が習う「日本史としての戦国時代」の項目は数回の授業で終えてしまうはず。

その間、「関ケ原の戦い」を初めとする、有名合戦や「古地図」がテンコ盛り掲載された教科書を見て、試験のために記憶にきざみ、次のエポックに進む。

ところがこの戦乱続く世も、基本日本の人口は一貫して増加傾向にあり1000万人を超えたのも、この時代だとされているのだ。

殿様達は戦の基本が「食料」の増産にあることを熟知しており、戦の前に田畑の開拓、改良をよくするのが、強国への近道である、と心得ていて、年中、命のやり取り・チャンバラをしていた訳でもない。

田植え、収穫期の稲刈りごろの「大合戦」は殆んどないか、珍しい。

農民は農作さえすれば、多寡は別に最低生きられることを知る。
またこれまでの領主が戦に敗けて死んだとて、農民である自分の命も失われるものでもない。
年貢の料率が変わるだろうが。

工人は刀・弓矢・鉄砲や日用品などのマニファクチャリングに精を出せば生きることは可能、

最後に商人は上記の「全ての物の流れの取引」に関与、口銭を得ることに勤しむことが成業とよく知る。

なにを言いたいのかと言えば、一見、日本中が殺し合いの大参事の真っただ中(なか)と思われるが、全体を俯瞰すれば、いたって平穏無事な世の中であったのも、ある意味、真実だったのかもしれない。

これに就いてはこのような話も残っている。
関ケ原の合戦」のおり、近隣の村々の農民が手弁当で集まり、まるでサッカーの試合を見物するかのごとく声援を送ったそうである。

これには余禄がついている。
どのあたりで、何々軍が大負けして、多くの戦死者が出た、などの情報をもとに、合戦終了後に刀剣など武器、武具は勿論のこと、携行している食品や衣類などを持ち帰ったそうである。

つまり、教科書などに載らない生きるための人間の日々のウゴメキが存在するのである。

これも記録はないが歴史の一断面に変わりはないはずである。

さて芭蕉一行の旅立は「元禄2年の春」のことである。
世に言う「元禄文化」真っ盛
りの頃の事だ。

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※このイラスト画像は、「お犬様を抱っこした」将軍「綱吉」




時は「5代将軍・綱吉」の治世である。
綱吉自身も「生類憐みの令」なる法も発布している。
乱世が終わり60年後くらいの事だ。
あの殺し合いの時代から考えれば隔世の感アリである。

ともかく将軍様まで、現在の世界中の「動物愛護団体」から表彰を受けても可笑しくないような法律を発布するような時代でもあったようである、この元禄時代は。

詩文(狂歌、川柳、連歌俳諧、俳句)・絵画・天文(暦学)・和算(数学)・落語(落ち噺)・物語本の出版

などのあらゆる芸術・学問が文化として京、大坂を震源地に江戸にも拡散、すぐに全国的な潮流として日本中を巻き込み「元禄文化」として開花して行く。

特に和算(数学)、天文学、暦学などでは、西洋の
先端科学にせまる、業績をあげる分野も出現した。

してそれらの発表、切磋琢磨する場所が、身分に関係なく同好の士が集まりサロンを作り、もう少し固くは連を作り
緩くは寄り合いを持ち、大いに楽しんだのが「元禄文化」であった。

oldboy-elegy君、これらの集会を全て「サロン」あるいは「サロン文化」と表現している。

西洋では「パトロン」と呼ばれる「芸術家擁護」形態や、
近代にはフランスのモンマルトルのコーヒテラスに、哲学者、小説家、詩人、絵画き、建築家などが横断的に集まり、一つの芸術運動のムーブメントして機能したこともあった。

ただ日本の「元禄文化」は全てを横断的に意識した芸術
運動には発展しなかったようだ。
ただ思潮としての「大きな流れは」疑いもなく、存在していたのだが。

さてここで、我らが「俳諧師芭蕉様」はこれら「サロン文化」の「もてもてトップランナー」の御仁でもあった。

どこかで大句会があれば、サロン会の一番ゲストと
として招かれるお人である。

この「芭蕉様」が「奥羽路に句作行脚の旅に」の報が
聞こえたら、それぞれ藩の城下の「殿様・高名な武士
・庄屋・大農家・大商家・地方サロンの主催者」
など招待合戦が勃発すること必定である。

そんな現象は人間の性(サガ)でもあるし、当然のことである。

ところが、実際には、芭蕉の回りがなぜか静かすぎるのだ。
そこで注目されるのが、河合曽良の存在である。

彼は、師匠芭蕉の総務、経理、渉外など俳句以外の日常
の全てを仕切る立場にあったのはハッキリしている。

勿論、彼も道中、句作もしているが、どうも釈然としないとoldboy君感じている。

かれ「曽良旅日記」なるものを、したためているが、それもおざなり感が強い。

「旅日記」ではあるが、師匠の「おくのほそ道」のしるす
日付や出来事の間に「齟齬」も多い。
※齟齬(そご)とは 意味や事柄の食い違い や 合わない事。

どうも曽良さん、道中、師匠「芭蕉」の脇にピッタリ寄り添い旅をしていたとは思われないのだ。

そろそろ、oldboy君が「何を言いたいのか・何を示唆しょうとしているのか」見えてきた吾人もおられるのではないか。

先に断わっておくが、oldboy君、「曽良」さんを悪者扱いにしょうとしている訳でもない。
ただ人間と言うもの、なかなか「一筋縄」で「こんな人」と決めつけるには「複雑」にして「怪奇」すぎる。

多分oldboy君とて、「曽良」さんの立場で、こんな場面に
「遭遇」したなら、きっと同じような事をやらかしてしまう自信はある。

なにせ、師匠「芭蕉」はこの「日ノ本」の隅々まで知れた
「俳聖」であられる、その方がまもなく、この田舎路を「句作」のために、お通りになるのである。

この情報は、一行が江戸を出立したときから聞こえているはずである、それもトップニュースとして。

詳細情報は「曽良くん自身のリーク情報」であるかもしれない。
※リークとは 意図的に漏らす・機密を漏らす など

書いてるoldboy-elegy君、なにやら、わくわく、
ドキドキしてきた。

どこぞの大名家の家老・庄屋・御城下の豪商など土地の
富家や名士が集まる同好の連やサロンの座主が「招待合戦」を始めるのが目に映る。

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ここで、「サロンの超大物ゲストとしての招致合戦」が起きるのは必定、相場が立つのも当然の成り行きである。

これで「芭蕉一行は忍者ではない」との結論が出たも同様である。

莫大な路銀などの経費、通行手形の件、など「忍者説」を
裏付ける根拠がすべて「雲散霧消」するのである。

曽良さん」、必要経費以外の稼いだお金どうしたの?

当時、国内が平穏になると、商業の進歩に伴い、飛脚・早飛脚・為替手形による送金システムなども存在していた。

して二人旅の最終地は、出発の地「江戸」ではなく「京都」で「曽良君」なぜか「師匠と途中で」お別れしている。

「おくのほそ道」の原稿はこれも江戸ではなく、京都の出版業者に芭蕉は持ち込んだようだ。
この推敲に「芭蕉」、2~3年をかけている。

「おくのほそ道」出立の時、彼46歳、没年齢51歳で
あった。

このお二人、「おくのほそ道」後の交友・交宣も何故か希薄である。

因みに「曽良」さん、「師匠・芭蕉」のお葬式にも出席していなかったらしい。

思うに「曽良」さん、実に人間的である。
芭蕉」さんとの関係も、こう書けば、ある意味なぜかユーモラスでさえある。

結局のところ、後年、文字として残される歴史は単に
「結果」だけを記したもので、そこに至る人としての
本当の部分が欠落してしまいがちである。

今日の記事もまた、oldboy-elegy君の言うところの
人間のあり様の「面白さ」かも知れない。

バカの酔狂話ぐらいで「フン」と鼻で笑ってもらっても結構だ。

最後に、「曽良さん」の縁者、ファン、学者さんなどがおられたら、「御免なさい」言うほかにない。 

書いていて、頬が緩み、ほんに楽しかった。 
今日は、ここで終わらしていただく。

       
 viva 賛・人間


            了

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oldboy-elegy (23)失神寸前の腹痛・救急車・ER・全身麻酔・手術・オムツ?そしてご入院、全て人生、初物ずくし。

  この記事、oldboy-elegy君がブログを始めたころのもので、少し表(おもて)に引っ張りだしたくなり、リライト、新記事扱いにてUPしたものだ。

 なお、この出来事(難事)は2018年5月末のことであった。

 
初掲は2019・05・06で oldboy-elegy (5)の扱いである。

 

f:id:oldboy-elegy:20200413204308j:plain




 当初、リンクにて紹介をと思ったのだが、内容はそのままで、タイトル、文体、改行、読みやすさを主体にリライトして新記事としてUPさしていただいた。
ぽつぽつと五月雨式にタイピングしている。


それも右人差し指のみで、左,手の平は顎にある。

月、3記事3投稿も当然の成り行きである。

 パソコンの脇に小さな円筒形の透明のプラケースが鎮座しておられる。

 
中には黒光りする石ころ状のものが大小2個、大きいほうはなにげに「黒糖かりんとう」を連想する。

 
術名(腹腔鏡下胆嚢摘出術)であるそうな。
oldboy君の場合、おなか上部に2か所、おへそ、側腹部の計4か所に穴を穿ち(うがち)の手術であった、らしい。

 
高校時代、下校時、3人組に襲われ下駄で顔面を殴打される、その時、唇の内側を3~4針縫ったのが唯一ケガらしいケガで骨折経験もない。

 犯人の一人を知っていたが面倒なので知らぬ存ぜぬですませた。
中学時代の知り合いである。
異性がらみの災難であった。

 中学生のおり体育教師にヘッドロックをかまされ、本気で頭に10連発程のゲンコを受けたこともあったが、ヒリヒリと、少し熱ぽかったぐらいで済んでいる。

 
これもoldboy-elegy(No.2)にて記事化している。

 
花よ蝶よと(男子でもこう言うのかな?)育てられたわけでもないし、むしろ真逆で「好きにやんなさいよ」と、言わずもがなの母の雰囲気であった。

 
oldboy-elegy 君、そんな母のことが大好きであった、なにか同志のようにも感じていた。
 
 
彼、この歳まで手術も入院加療の経験もなかったのは、ただただ幸運だったにすぎない。

 ここ2,3週間、腹部に鈍痛があり、不快この上ない。

近くのクリニックの先生も、紹介状を書くから「早く精密検査を」と勧めてくれていた。

 取り合えづ、処方の痛み止めの薬だけですませていたのたが。

 先ほどまで胸のあたりに不快な鈍痛を感じていたと思えば、急に胃のあたりに刺し込みが走る。

 そうこうするうちに肝臓付近から右わき腹へと「痛み」が運動会をし始める。

 もうダメ、これ以上辛抱しきれないと観念したのが、夜中の零時過ぎごろの事である。

 これまでに経験したこともない激痛である。

 今朝一番にクリニックへ行き、病院の紹介状をと決断をするが、それまで待てるかどうかも疑問だ。

 ここで、「阿保・アホ」がした理解不能の「あほ療法」をお教えしょう。

 「貧すれば窮する」切羽詰まった状態のoldboy-elegy君の閃(ひらめ)きである。
良いはずがない。
「今、俺は腹の痛みに全神経が集中している、それ故その感覚をもっと分散するのが肝要であると」

 
その結論がこうである。

「熱い熱い風呂に入ろう!」

 体の調子が尋常でない時の考えも又尋常ではない、のは当然である。

 
「湯の熱さのため痛みが分散され半減は期待できないとしても、せめて1割でも軽減できるならメッケもんである」と。

 
読者諸氏、笑ってくだされ、「七転八倒」の激痛の中での思考はこんなもの。

 湯の設定温度は43度、もともと風呂そのものがそんなに好きでもない oldboy-elegy 君、オツムの閃き(ひらめき)がこれ。

 あとはこの熱湯に2分、いやもっと5分浸かれば大成功、その間、きっと痛みが割り引かれるはずである。

「実際、これを実行したの?!」との声、もちろんやらしていただきました。
「して結果は?」ハイただただ、痛みと熱さの2重苦を体験しただけで、「効果?」 言わずもがなの惨状でした。

 
明け方の4時ごろ「万事休す」。

oldboy-elegy 君、ほとんど失神状態。
近所のクリニックが開くまでもう待てぬ。

 
痛みの緩急もなくなりただ急々状態で救急車を呼ぶことに。
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 上掲のイラスト2枚は記憶にはない。
ただどこか遠くで救急車のサイレンが聞こえていたのは憶えている。

 地域の大きな病院のERにて検査、その前に何をされたのか、急に痛みが引き、ボーと夢見こごちのoldboy君。

 
ハスの華も下界の様子も見えなかったし、お釈迦さまもお留守だったのだが、きっと天国に来たのものだと思った。

 あとで聞くと、モルヒネ類の痛み止めをされたらしい。 

 完全に時間の感覚が無くなり、つぎに意識が少し戻ったのが手術台の上のようである。

 なぜなら、寝かされている oldboy-elegy  君の頭頂部方向から「ヌー」と女性の顔がでてきて「麻酔医の~」の言葉が終わらないうちに深い眠りに落ち込んでいった。

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 40才前後色白で、たしかフチなし眼鏡をかけた、いかにもと言う風貌の女先生であったのをぼんやりと憶えてる。

しかしこの記憶そのものが不完全で架空の事のように思えるのもまた事実である。

手術室に入ったのが午後2時過ぎごろだったらしい。
麻酔から覚めたのが夜10時ごろ。

 
この間の約8時間の睡眠がはたまた不思議な感覚なのだ。

 
そうもう一度くりかえす、「この不思議な感覚?!」
自分だけが体感?しただけかも、これを一般論として「全身麻酔」による睡眠とは」と言うつもりもない。

 どう表現してよいのか分からないが短い言葉でチャレンジしてみる。

 
「自分の生(せい)の一部を切り取られたような気分」、うむ!この言葉が近い気がする

 
普段7、8時間ぐっすり眠ったあと、「あ~、よく寝た、体調も最高!」とは感じても、なにも人生の(生)の部分が7,8時間、自分の意識から持ち去られたとは思わないし、思わないですよね、普通。

 
ここでoldboy-elegy 君の頭に閃(ひらめき)きが走る。
往々にして彼の閃きは「はずれ」が多いのだが、「これは当たりかも!!」と思わせるものであった。

 先に断わっておくが、このかってな推量は(科学的根拠)があるのかもしれないし、多くは「言及」されていて、oldboy 君だけが知らないのかも知れないと。

 
「検索すればするほど文章が書けなくなる」と言うのが,「前にも何処かで言った」ことがあるように、oldboy-elegy 君の持論である。
 
 
なぜならoldboy君、文章が知らず知らずのうちに説明くさくなり、その部分が宙に浮いた感覚になってしまうのである。

 
科学的で論理的なテーマには必要なことであると思うが、彼のようないい加減な文には害毒でしかないと勝手に思っている。

 
それでは「自分の生の部分が切り取られた気分」と先ほど言ったが、この気分はどこから来るのか。

 通常ひとの睡眠とは、仮に7~8時間自然な睡眠をとったとしても、(覚睡)と(非覚睡)を一晩に何度も繰り返しているのが普通とのこと。

 つまり脳の働きがオンの状態とオフ状態とを繰り返しているのが(睡眠)の自然なありかたであると。

 そうすると、全身麻酔後の俺の睡眠は自然な人間の睡眠とは違い、(非覚睡)だけの闇(死)の睡眠だったのかもしれない。

 
普通、7~8時間の熟睡のあと目覚めたとしても、なにかしらの「時間の流れ」を感じるのだが皆さんはどうだろう。

 
ところが今回の「全身麻酔」による「睡眠」は「睡眠に入った瞬間に目覚め」実際8時間の物理的ラグがあったにも関わらず、存在しなかったかのような感覚なのだ。

 そうだきっと、先ほど「なにか自分の生の一部分を切り取られた」感覚と言ったが、
きっとこれなんだと確信(自分勝手に)するに至ったのである。

 ともかくも oldboy-elegy 君的には、この一事だけでも大いに意味があったと思うことにしている。

 
ここから彼の普段の姿、ちょっとしたイロ付きのoldboy-elegy に変身するのである。

 
とにかく麻酔状態から目が覚めた。
あの失神するかのような激痛は消えていた。
痛みはあるにはあるが質的にぜんぜん違ったものである。

 手術は内視鏡によるそれで腹部に3~4か所穿ち、大きく開腹したわけでもない。
あたりをキョロキョロ、いくつかの夜間灯や繋がれた医療機器の小さな光やその点滅が見てとれる。

ベッド脇に大きめのガラス窓があり、その脇の廊下の向こうにはナースセンターが見て取れる、そこでは幾人かの女性看護師さんが立ち働いている。

 ふいに足元の向こうにあったカーテンが勢いよく開く。
「oldboy-elegy さん、目、醒めた?」と女性の看護師さん。
「いま何時です?」と俺、「もうすぐ10時、よう寝たはったわ」。
この明るい声を聞き、初めて下界に舞い戻ってきたような気がしたoldboy-elegy 君であった。

「オシッコしたい時してもらってええんよ」
俺、一瞬事情が呑み込めず(?)の状態。

 
「おむつしてもらっているんよ」
「?!!!」と俺。

「終わったら、そこのコールボタンで呼んで、すぐ来るから、ああそれに、この部屋、今日、手術終わった人専用でナースセンターの横にあるんよ、明日からは入院病棟に移るから」と言いつつカーテンの向こうに。

oldboy君、(おむつ、オシッコ!!)のこの言葉を聞いたとたん、猛烈にもようしてきたのである。

 そうここで予想もしなかった6番目の(人生の初物)が登場(おむつでオシッコ?!)。

 
考えてみれば、いや考えなくとも、今俺がおむつをしていると言うことは誰かが俺におむつをはかせたと言う前段階があるのは自明の理。

 oldboy-elegy君、ここ何年、いや随分と、我が息子が(オシッコ)以外で活躍したことがない。

 
最近は江戸川柳にもある(朝〇や~、小便までのいのちかな)さえも恥ずかしながら遠のいている、

 
いわばほぼ童貞同然の無垢な oldboy-elegy君、半人前の股間を見られたのが病院のベッド、と言う現実が何故か哀しい。

 
看護師さんにとってもプロとしての仕事の一環、なんの感慨もなく淡々とこなされていることは重々分かっているがそこはそれ!。

 おむつの中にオシッコをすることに抵抗があったことは事実だがそれも最初の数秒だけ、抗しがたい生理の現実には勝てるはずもない、すぐに天にも昇る心地良さに変心、ああ我ながらこの言動の不一致といいかげんさにあきれる。

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 ことが終わったoldboy 君、ベッド脇にぶら下がっているコールベルを排尿の恍惚感の中で静かに押させていただいたのは当然である。
 この記事おつむに始まりおむつで終わった、

 そしていつもの様にラフのまま投稿したのが午前5時ごろ。
さきほど救急車のサイレンが遠くで聞こえていた、いや本当にそうである。

 はこばれていく人の事が気にかかる、以前より一寸だけ優しくなったような気がする

 アッそうそう、タイトルの最後の「初の入院」は単に入院であり、それ以上でもそれ以下でもなかったようである。

             
             
                  oldboy-elegy

「中学生のおり体育教師にヘッドロックをかまされ、頭におよそ10連発のゲンコを受けた時も、ヒリヒリと、少し熱ぽかったぐらいで済んでいる。」の一文が本記事の始めに出てくる、この顛末の全てが次のブログである。
読んで頂ければ幸いである。

oldboy-elegy.hateblo.jp

 

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oldboy-elegy (22)「おねしょ」へ誘(イザナ)う?夢見(ゆめみ)一題・笑うなかれ、彼にとっては重大ごと!!


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 本日のお題は
睡眠中に誰でもが見る、あの「夢見・ゆめみ」のことだ。

 「将来の貴方の夢は」の「夢」では決してない。

「そんなこと、当然でしょ!」
人生の第4コーナーをノコノコ走って、いや違った、ゼイゼイ息を切らして歩いていらっしゃる,先の少ない
oldboy-elegy君のこととて「それしかあるまいて」などの声が大向うから聞こえてくるようである


 それも「ジークムンド・フロイド先生」の「夢判断」の話でもなく「レム睡眠・ノンレム睡眠」などと「夢見・ゆめみ」の最近の科学的成果を、披露しょうとするものでもない。

 oldboy-elegy君、そんな能力は持ち合わせてはいないし、頭脳のカケラもない。

 普通、睡眠中に見た夢など、目覚めた瞬間に忘れているか、多少の憶えがあっても現(うつつ)との整合性がないためか、それこそ「雲散霧消」と化してしまい、大方は記憶に残らないのが普通だ。

 それでもoldboy-elrgy君、幼年期からこれまでの「夢見・ゆめみ」の中で、しっかりと憶えているものが幾つかある。

 それらは単発の一回こっきりの「夢見・ゆめみ」ではなく「同じ状況、同じ結末」のものを繰り返し何回も見ることが特徴である。

 全て、結末は少々ネガティブなもの、ハッピーエンドで「ニコニコ、にたにた」で終えるものではなかった。

 このうちの一つが今日、記事にするoldboy-elegy君、幼年期の「夢見・ゆめみ」にまつわる話である。

 これは彼にとっては大いに実害があり「いまいましく」も「コッパズカシイ」ものであった。

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 なにをかくそう、左掲のイラスト通り、実害とは「おねしょ」のことである。
河内弁ではもっときたなく、強烈な言葉に変容する。
「ねしょんべん」と表現するのが普通だ。
しかし何故か母から叱責や揶揄された記憶はない。

 ただ,この緊急時にも助かった
事は、家には狭いながらも裏庭があり、三方が高い板塀に囲まれていたことだ。

そこには物干し場があり、他人に、それと悟られずに濡れ布団を干せたのは彼には幸いであった。

 oldboy君の沽券(彼にも彼成りの沽券がある)に関わるゆゆしき問題でもある。
●沽券(こけんと読む)・人の値打ち、体面(たいめん)、品位など。

 この「おねしょ」グセは小学校の3・4年位まで引きずっていたと思う。

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 母が、近くの神社で、おねしょ封じのお札をもらってきたこともあった。

 この屈辱には必ず前段階の決まった「夢見」が引き金になっていた。

 oldboy-elegy君、幼少のみぎり、母のわずかな収入だけで親子二人の糊口をしのいできた時期がある。
島根県は松江でのことだ。

 その折、母は病院の下働きをしていたらしい。

 彼女の学歴は故郷、鹿児島での旧制高等女学校(5年制)の3年か4年の途中退学であった。
母のチョットした誇りと言おうか、自慢の一つであった。

 ともかく、oldboy-elegyくん、大阪は河内の小学校に初登場したのが松江での後のことである。

1年生の6月か7月のことになる。

 それ故、幼稚園なるものはしらない。

 お妾さん(母のこと)

が男の子(oldboy君のこと)の手を引き、強引に父親のもと(大阪は河内)に押しかけたのが真相であったようである。

 父親は本妻との間に3人の男の子がいた。
すべてoldboy君よりずっと年長である。
うち、父の元に残った二人は今ではすでに他界している。
本妻が連れて出た末っ子との行き来はない。

 しかし、こんな父親でも、oldboy-elegy君、幼少期から今に至って嫌ったことも、憎んだこともない。
むしろ特別裕福ではなかったが、よくやったもんだと、今では尊敬とはまた違うある種の感慨を抱く、と言うのが本音である。

 そのころの父親の趣味が社交ダンスにビリヤード、その上オシャレとくるからカッコが良い?。
つまるところ、基本「女好き」であったようである。

 まあ、これらの事は今日の話の主題でもない。
こんな、そんなの父に就いては、近い将来ブログ記事にて紹介さしてもらう事もあるだろう。

 ただ、ある程度、母子の置かれた様を知ってもらうことが、「おねしょ」に通ずる「必然」への過程と思って記事を読み進めてほしい。

 oldboy君母子が、父のいるこの大阪の地を踏んだのは多分この時が初めての事だったと思う。

 想像するに、母としても「相当の決心」の上、この地に「乗り込んできた!!」ことは、想像に難く(かたく)ない。

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 oldboyくん、この時の父の顔と胸の内をおもんばかると、何故か、チョット可哀そうではあるが同時にオカシクもある心境になってしまう。

 大阪環状線(当時、省線と言った)から近鉄大阪線への乗り換え駅の鶴橋での大混雑に、ビビった自分が、母の手にぶら下がるようにしっかり握っていたことが、

 ブログ記事を書いている、今、突然、その場面を思い出したのである。

 鶴橋駅など学生やサラリーマン時代、なんの感慨もなくほぼ毎日利用してきたはずである。

 それが今突然、記憶の底に沈殿し、忘れていた像が「母の肌感覚」とともに眼前に浮かびあがってきたのである。

 思わず、自分の両手を眺める。
oldboy君、「茫然自失」の体(てい)に陥ってる。

今ここで少しブレイク(休息)することにする。

 oldboy-elegy君、この大阪・河内に登場する直前は、前述したように島根県松江市で母子二人だけの慎ましい生活をしていた。

 もう小学校に上がろうかという年齢の頃である。
商店街の陶器屋さんの倉庫が裏通りにあり、その2階に設えられた部屋が我らが母子の居住空間であった。

 ここでの生活が、後のoldboyくんの「おねしょ癖」の要因になる、「夢見」の元になるとは、それこそ「夢にも」思わなかった。

 この2階部屋、大きな窓からの採光も良く、結構広く、当時としてはマアマアな「貸し部屋」だった思う。

 倉庫への入り口は頑丈な木製、両開きのドアで、非力なoldboy君でもなんとかその開け閉めは可能であった。

 倉庫はこれまた板張りで、低い木製の棚がいく列も奥にに延び、瀬戸物などの陶器類がところせましと置かれている。
その間を奥の突き当りまで行き、左に向いたところに幅広の階段があった。

 そう、この階段を上ると我らが母子の住まう部屋になる。

 ここまで書くと、この居住空間、可もなく不可もなく、むしろ良い印象を与えるのだが?。

 「トイレは?」そうそれだ。
ここからの話、多少尾籠(びろう)なことで申し訳ない。

2階にはトイレ、炊事などの水回りの設備はなかった。
それらは部屋に上がる階段の下に造作されている。

 もちろん、現代のトイレとは訳が違う、ましてや倉庫の中の便所、快適さを求めたものではなく、単に緊急に「用を足す」だけの設備である。

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 灯りは弱く不気味だった。
「裸電球」が大小便の間の天井に一個張り付いているばかりである。
倉庫内の事とて、明るさは昼、夜、そんなに変わることはない。

 読者諸氏には少し話が見えてきたのかな?

 とうぜん、oldboy君、このトイレに入るのが大嫌いだった。

 ただ大便は避けることが出来ぬが小用には避ける方法が存在していた。

 この倉庫の重く大きな「引き戸」を開けると、目の前を道幅2~3メートルぐらいの地道がどぶ川を伴い左右に延びていた。

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 何をかくそう、このドブ川がoldboy君の専用の水洗便所になるのにそう時間はかからなかった。


 ただ難点は倉庫奥、階段うえの我が部屋から、このドブ川まで少々距離があることで、それを除けば、「デフォルト・もと」のトイレに比べると「天と地」ほどの快適さを享受できること請け合いである。

 遠い分、我慢した上での放尿、ある意味超絶の快楽を伴う解放感が身を焦がす。

 一体「俺」は何を書いているのだろう、「この変態子供野郎め!!」

 ともかくも、このエクスタシー感覚の放尿は、島根の松江にいた時は、これが「おねしょ」に「発展」することはなかったし、ましてやその原因となることなど想像だにしなかった。

 すべて「大阪は河内」に来てからの出来事である。

 これまでの不安定なデラシネ(根無し草)人生に終止符がうたれ、曲りなり(複雑な家庭環境)にも「安穏」な生活を得、三月ほど遅れたとは言え無事小学校にも入学、近所の「ガキンチョ」との交友もジョジョに深まっていった時期のことである。

 こんな中、あの忌まわしい「夢見」が、なんの前触れもなく、「そう突然」に始まったのである。

 尿意を我慢にガマンをかさね、あの陶器店の2階から転がるように階段を走り降り、重い両開きのスライド・ドアーをもどかしく開き、外に。

 そこには、あの懐かしのどぶ川が「ようoldboyくん、久しぶり、どうぞどうぞ心行くまで」と誘いかけてくるのである。

 そう、「至福の時間と行為」の中で、これが「夢見」であることに「なんの疑念」も持たずに「現・うつつ」の事として、事を済ませたのである。

 もう多くを語るには及ばない。
この忌まわしい「夢見」はこれよりのち、3、4年続くことになる。

 もちろん、これが毎夜と言うことではない。
それでも月の内、数回は確実にあったように思う。

 ただ、この「おねしょを伴う夢見」は続くのだが、いつの頃からか「夢見の中で、今見てる夢に何かしらの疑問をはさむ」ようになっていったのである。

 「む~、これは夢だろう」と自分に「言い聞かせる」ことが、不思議なことに可能になってきたのである。
そうすると憑き物がおちたみたいに、やがて「オネショへの前奏曲たる夢見」も見なくなってしまったのだ。

 ただ、修学旅行の

「お伊勢参り」には、「おねしょ癖」が取れて数年経ってはいたが、少なからず緊張を抱えた「一泊旅行」であったことは告白しておく必要がある。

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 この「夢見」、「夢判断」で有名な精神科医の「フロイト」先生なら、どのような診察をされるのか、大いに興味がわくところである。


上掲のイラスト似顔絵画像、「ジークムント・フロイト」である。
もちろん、「いらすとや」さんからお借りしたものだ。

 ほとんど「期待」しないで検索したのだが、ビックリ「ありました!!」
「いらすとや」さんに乾杯。
              了
          oldboy-elegy
 

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(雑感・雑記帳 No. 17 ) 同じ素材(第一次大戦・西部戦線)から作られた新旧二つの映画、oldboy-elegy君なにか釈然としないものを腑にのこす。


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 軟弱もんのoldboy-elegy君、今日は少し方向を変えた記事になってしまう。


もちろん、いつも通り、彼流の「独断と偏見」で語ることには変わりがないのだが。

 
パソコンで人様のブログやユーチューブなど、のんびり気分でネットをさまよっていた時、なにげに、
邦題「1917 命をかけた伝令」なる映画のトレイラー(予告編)に行き着いた。

 英米の原題は単に「1917」となっている。
西暦1917年の意味だ。

 その解説や短い実写フィルム(トレイラー)、それに対しての多くのコメントがあり、読むうちに何かしら、釈然としないものを感じ、筆(キーボード)を取った。

  「映画ドットコム」、東宝・東和配給による映画案内「1917 命をかけた伝令」の映画解説の、ある文言に、oldboy君、感応してしてしまう。

 まず、彼oldboy君がこの映画に何故、反応をしたのかを話しておく必要がある。

 それは同じ「第一次世界大戦」「塹壕戦・ざんごうせん」「西部戦線」を素材にした映画が1930年ごろに製作され、この日本でも大昔たびたび上映された経緯がある。

 それが「西部戦線異状なし」と言う邦題で、このたびの「1917」と同じアメリカ映画であった。

  両方ともアメリカ映画ではあるが、視点はドイツ側から見たものが「西部戦線異状なし」で「1917」は米英からのものである。

 「西部戦線異状なし」は「戦意鼓舞され、愛国者に仕立てられ戦場に赴いた」青年志願兵の目線からの物語である。

 oldboy君、若かりしころ、この映画「西部戦線異状なし」を何回か見ていたという経緯で興味を持ったものと思う。

 この新旧二つの映画を知らずのうちに比べ、違和感を感じ「釈然としない」気持ちになったようである。

 映画、邦題「1917 命をかけた伝令」は米英合作映画で監督は「サム・メンデス」である。
「007スカイフォール」など手掛けた、有名監督でもある。

 ここで少し「007」の話を。
早速、脱線で申し訳ない。

oldboy君、初期の「007・ジェームスボンド」は大方見たが、近年のものは見ていないし、見たいと思ったこともない。

 とくに「ショーン・コネリー」の「ジェームス・ボンド」は好きだった。
もっと言えば、「007」ものは、「ショーン・コネリー
に尽きると思っている。
「ショーン」以外の「ボンド」役、なにやらニヤケ顔のいけ好かないあんちゃんのようで、気品がない。

もう一度言うが「ショーン・コネリー」は歳を取るほどに「渋く」カッコ良くなっていく。

 有名になれば仕事場であるハリウッドに居を移す俳優が多い中、彼は生まれ故郷のスコットランドを離れることはなかった。
いわゆる、足が地に「着いた」お人でもある。
因みに彼、英国より「サー」の称号を与えられている。

 さて、ここで話を本筋にもどす。

 「1917」が本来の映画題名で、「1917 命をかけた伝令」は日本だけでのタイトルである。

 タイトルだけでも、なにか1歩も2歩も後退したように思うが?どうだろう。

 oldboy君が言う、その釈然としないものが「何なのか?」を書く前に、
当時(1917年頃の)世界の基本的な政治的状況を簡単に説明せねば「その釈然としないもの」が理解されないと思う。

 この映画の基本となる素材は「第一次世界大戦」である。
フランス・イギリスとドイツ帝国の対立を軸に各国がそれぞれの思惑でどちらかに組し、ヨーロッパを中心に中東、北アフリカ、一部アジア、後にアメリカも巻き込んで勃発した戦乱を「第一次世界大戦」と言う。

 アジアで日本も日英同盟を理由に連合国の一員としてこの大戦に参加している。

 この時、ドイツは戦闘の長期化を望まず、一気にパリ陥落を目指し、手薄なフランス北東部の小国、ベルギー、ルクセンブルグを蹂躙、一気に南下、パリを目指した。

 フランス軍は敗退に次ぐ敗退で、パリの50キロ近くにまで追い詰められたが、ドイツ軍の兵站が追い付かず、英軍の増援もあり、何とかパリ陥落を逃れたのである。

 しかし事情はフランス軍も同じで、ドイツ国境近くまで押し返すも、どちらの側も決定機のないまま対峙し、戦線が膠着状態に入ったのである。

 さあここで言う映画「1917」の舞台が整った。

 この対峙する戦線を「西部戦線」と言う。
戦線の長さは北のベルギーから実に750キロメートルに及ぶ。

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(wikipediaより)

●上の地図の赤い線がフランスとドイツが対峙する「西部戦線」である。
赤線をはさんで東側(右)がドイツで、西(左)がフランスになる。
左上部の海が「英仏海峡」、ちょろっと覗く陸地がイギリスで「ロンドン」の名も見える。

 ここで後に第一次世界大戦のヨーロッパ戦線は別名(塹壕戦・ざんごうせん)ともいわれる戦闘方式に終始することになる。
このウジウジとした状況が約3年も続くのである。

塹壕とは
 
戦場で、歩兵が敵弾を避けるために作る防御施設。地面に溝を掘り、掘った土や土嚢 (どのう) を前面に積み上げたもの。

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★上記の画像が、西部戦線における、典型的な「塹壕」と呼ばれる構築物である。
見ても解るように、塹壕は横一線に真っすぐに作られることはない。
横にくねくねと掘削するのが基本である。
なぜなら、敵の砲弾が塹壕に落ちてきても戦死、負傷者が一定の区域に限定され、トータルとしての戦闘能力が大きく損なわれる事はないとされている。
この点、映画「1917」の塹壕は幅が広く直線的で、掘られた土砂が見当たらないし、美しい。(特にポスターなど)

 さて、ここでoldboy君の釈然としないことの一番めである。


 ★「映画ドットコム」の解説には「フランスの西部戦線では」と記されている。
しかし基本、フランスには「西部戦線」なるものは存在しないはず、敢えて仏英目線で言うなら「東部戦線」である。
西部戦線」とは「ドイツ軍」から見た名称であるはず。

 (ウィキペディヤ)から引用した上掲の地図を見てもらいたい。
赤く伸びた戦線はドイツから見た時のみ西側に位置する。
「フランス」からの西はもはや、「英仏海峡」か「大西洋」「イベリア半島」のみである。

 その上「ドイツ」自身、当時、別に「東部前線」なる戦線が存在し戦争をしていたのある。
対峙国は「帝政ロシア」「ポーランド」などだ。

 故に結論としての「西部戦線」とは「ドイツ帝国」におけるフランスと対峙する戦線であり、決してフランスがこれを「西部戦線」と正式に呼称するはずはない。
 しかし「映画ドットコム」の解説には「フランスの西部戦線としっかり記述されている。

 なぜこうなってしまったのか、oldboy君が考える原因が、もう一つの「第一次世界大戦」を素材にした、有名な映画「西部戦線異状なし」の存在にあると思う。

 この映画、oldboy君の若かりし頃、学生自治会や左派系集会などで、しばしば無料上映会が学生会館などで行われた経緯がある。

 世はまさに、学生運動も終末期に向かう、前夜であった。

 この映画の原題は「All quiet on the Western Front」で邦訳も、そのまま「西部戦線異状なし」となる。
因みに(quiet)は平穏・静か などの形容詞、名詞である。
この邦題、言語こそ違うが、原題の「意」がそのまんまなのが良い。

 これも、アメリカ映画であったが視点はドイツからのものだ。
物語は、当時のドイツの若者たちが、いかにこの戦争に関わり、時代に翻弄され死んでいったかを主題に描いた「反戦映画」の金字塔的存在であった。

 ドイツは「西部戦線」の膠着により、兵員の補充に苦心、兵役義務のない若い学生を「洗脳」して愛国心に訴え、戦場に送りだしていく。

 なにやら、何処かの国でも同じような事があったようである。

 物語はこの若い学生達が「国難・愛国」の言葉を胸に戦場に行き、亡くなって行く様子を克明に描いた作品であった。

 映画のラストシーンは、主役の若者が目の前に飛来してきた蝶を捕まえようと、「塹壕」から身を乗り出し手を伸ばしたその瞬間、敵の狙撃によって死ぬのである。

 個人として、人間としての存在は亡くなったが、「西部戦線」はこの日も「異常なし」つまり「All quiet on the Western Front」とクレジットされるのみである。

 「
All quiet  on the Western Front」と若者の死、この見事なコントラストが戦争の残酷さを際立たせる。


 この映画が昔、
日本国内で盛んに「反戦映画」として上映された。

 それが年月とともに、東も西もドイツもフランスも関係なく、兎も角あの戦線
は「西部戦線」であると固有名詞化され人々の頭に残り、認識されるようになったのではないだろうか。 

 oldboy君、書き出す前、もっと頑強に「反論」しょうと思っていたのであるが、なにか最後に腰折れ状態になってしまった感がある。

 ふだんから「日和見主義・ひよりみしゅぎ」を標榜する彼にふさわしいのかも知れない。
お許しあれ!

さて次の違和感と言うのか、釈然としない感の二つめである。

 サム・メンデス監督の「1917」に多くのコメントが寄せられているが、「西部戦線異状なし」に言及した人は、映画ではなく「小説を読んだ」と言う方が一人おいでになっただけのようである。

 同様の素材でも、余りに違った描きかたの映画のため、コメントは意図的に消されてしまったのかもしれない、きっとそうだろうと、かってに思い込んでいる。

 このサム・メンデス監督の映画「1917」は、ただただ戦場でのリアリティ感を求めて設定されただけで、それ以上でも以下のものでもない。

 宣伝の謳い文句は「全編ワンカット、ノーカットで撮影」などその撮影技法のみで終始、アワード(賞)もほぼ、これまた「撮影技法」についての物がメイン。

 要するに、映画「1917」は「西部戦線異状なし」と、もともと比べるべき作品ではないと言うことである。
観客一人ひとりが、戦場に放り込まれた疑似リアリティー感を楽しむためのエンターテイメント映画であり映像なのである。

 チョット面白いことに、配給元の「東宝・東和オフィシャルサイト」も覗いて見たが、映画のスペクタクル感や臨場感の話だけで終始したものであった。

 それに「1917のサム・メンデス監督」が自身の映画の説明に「Western Front」と仰っている肉声が混じっていたのを聞いて、oldboy君、なにやら「あほらしく」なってしまった。

 「西部戦線異状なし・All quiet on the Western Front」の原作はドイツ出身のエーリッヒ・レマルクである。
ドイツ側から書かれた「反戦小説」を基にアメリカで映画化されたものである。(1930年製作)

 1930年と言えば、あの「アドルフ・ヒトラー」率いる
国民会議・ドイツ労働者党」いわゆる「ナチス」が選挙で大躍進を遂げた年でもある。

 もう「第2次世界大戦」の萌芽が始まっていたのである。


このoldboy-elegy君のブログ、二つの映画、基本、素材は同じでも、あまりにかけ離れた「意図」の元に製作された映画であるため、突っ込みどころが腰折れ状態になった感が大きい。

 ただ良かったことは、大昔に作られた映画「西部戦線異状なし」を紹介できたことだ。

 この映画youtubeでもフルムービーを現在視聴できる。
リンクしょうと思ったが、個人の資格で鑑賞してほしい。Part1.Part2で約2時間の長尺で白黒映画である。

 

●最初のイラスト画像に戦車が描かれているが、「第一次世界大戦」では武器として「戦車」はもちろん「飛行機」それに「毒ガス」も登場した最初の戦争でもあった。
            了
         oldboy-elegy

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oldboy-elegy (21)ガキンチョ御用達の専門店?!(駄菓子・おもちゃ屋)その名も「チュウコヒン!」とはこれ如何に??

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1955年(昭和30年)ごろのガキンチョ(腕白坊主)達の生態をおもしろ、おかしく、そしてチョッピリ哀しく記事にした。

oldboy-elegyくんの
ブログ、大きく分けて2種類の意識分けで記事にしているつもりである。

 一つは、「oldboy-elegy(NO)」で始まる記事で、彼自身が現実に経験したことを、あまり論評、良し悪しを加えず、物語風に書きあげている。

 時代の流れの一断面として、なにかを感じて頂ければ、それで成功したも同然であり、嬉しい。

 もう一つは、老いたとは言え、取りあえず彼も現代に生き、棲息している「人間」の端くれである事には変わりがない。
日々、様々な情報が彼の耳目に流れこんでくるのも必然である。

 それは、テレビ、ラジオ、新聞、書物、インターネットと多岐にわたる。

 そんなこんなの内、彼の心の底に感応した出来事を
雑感・雑記帳 No.」として、「独断と偏見」による「私見」として吐いている。

 基本、彼のブログの大分類は上記のふたつから成立している。

 カテゴリーによる分類も考えているが、なんせ、記事数が少なすぎる。
月あたり3記事、やっと全部で30記事を超えたばかりの体(てい)たらくなのだ。

 さて今日のお題は「oldboy-elegy No」で始まる記事である。

即ち、現実に彼が経験・遭遇した事柄を、物語風に記述したものである。

 

 幼年・少年期のガキンチョ(腕白坊主達)の日常の生態が主題である。

 まず念頭に入れておいていただきたいのは、なんといっても、当時の子供の多さである。

以前(雑感・雑記帳 No.11)で

「子供たち(花)はどこに行ったの」
を記事にUPしたが、これは今日(こんにち)の状況を主題にしたものである。

 

 アメリカのフォーク・シンガー、「ピート・シーガー」の作詞、作曲による「花はどこに行ったの」をもじって
「子供達(花)はどこに行ったの」とタイトルを付けさしていただいた。

 その記事、最下段にリンクを貼っておくので、見て頂ければ嬉しい。
現在の子供の少なさを、ある意味嘆いたブログでもある。


 これと真逆の時代がoldboyくん達の「幼年・少年期」であった。

この年代の出生数(昭和24年ごろ)はなんと270万人弱、これが令和元年(平成も含めた通年を1年として)にいたっては約90万人、1/3まで減少する。


 時代は高度成長期の前夜である。
親たちは汗まみれで働き、今風に子供達一人ヒトリに寄り添い面倒を見る余裕もない時代であった。

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 それでも子供達は子供達で集団として徒党を組み、自分達でその才覚を遺憾なく発揮、大いに走りまわり、遊んだものである。

 我々ガキンチョに対しての親のスタンス(かかわり)を見て,「親としての責任感が不足」ましてや「愛情不足」などの言などは当たらない。

 少々危険で危なっかしいことも、当時の感覚では、それと気が付くこともない。

 これらの集団の単位は横断的(学年別)ではなく、住んでいる地域、町内が最優先で、小学1年坊主から最年長の6年生までがグループで一団として行動する。
親の影はどこにもない。

 べったん(メンコ)、やビー玉などの「やりとり」の真剣試合はいつも、隣町のグループとやることになるが、そこには厳然としたルールが存在する。
それでも一色触発の危険状態に陥ることもあるが、我々には勇吉がいる。

 彼はこのあたり一帯をまとめる的屋(てきや)の「親分」の孫でもある。

 しかし彼は「自分のグループ」だけを優先することはない、それだけに誰からも信頼されていたし、一目置かれる存在でもあった。
彼の「言」は常に「最終結論」であることを、みんなが心得ている。

 小学1年の「勝男」は未だ体も小さく弱よわしいが、年長の「吉雄」の弟「孝雄」が面倒をみる。

 「勝男」はいつも兄貴分の「孝雄」に小走りでついて行く。

 その「勝男」の渾名がすごい事になっている。
「あおばなちょう、とんねるどうり、にばんち」これが彼のフルネームならぬフルあだなである。

漢字混じりで普通に書けば
「青鼻町トンネル通2番地」誰が付けたか知らないが、これが「勝男」の渾名である。
普段は「勝男」とか「アオバナ」と短縮形で呼ばれている。

 少々尾籠な話で申し訳ないが、
「青鼻」は文字通り「青色(みどり)の鼻汁」のことで、いつもエレベーターのごとく鼻汁を鼻腔の下で上下させていた。
「トンネル通り2丁目」は二つの鼻の穴を指す。
彼の衣服の袖口などは、鼻汁を拭くため「テカ、テカ」と光ってる。

 つけ得て妙な「渾名」で、今でも覚えていることが、なにかしら滑稽である。
従って、ここで使われている子たちの「名」は基本、彼等の名誉のため仮称であるのは当然である。

 oldboy-elegy君がこの地「河内」に、母の手に引かれ、やって来たのが小学1年の6・7月のころであった。
この時が彼の初の学校体験である。
むろん幼稚園は知らない。

 「妾の子」など、「出生」の事で「渾名」をもらったこともなかった。

 親たちも、ただただその日を生き抜くことに精一杯の時代である。

 だからと言って、近所や近隣の人達の関係が薄いと言う訳でもなかった。

 年末など隣近所で寄り合い、餅つき大会のダンドリを理由に行う「忘年会」や、コメ、醤油、ミソの貸し借りなど、当然のように行われていた。

 「アッ、今ここで思い出したことがある」
母から醤油を買う用事を頼まれ、エッチラ・オッチラやっとの思いで、家にたどり着いたは良いが、土間から座敷への上がりカマチの石段に一升瓶をぶっつけ、台無しにしたことを。

 
このことはハッキリ記憶にあり、醤油の匂いが今だに鼻腔に残っている気がする。

しかし母に怒られたと言う絵柄はない。

 こんなヤンチャ坊主の集団が、路地から路地に「ワー」と湧き出、歓声とともに走り去って行く。

 月2回の縁日の折など、親からもらった少々多めの小遣い銭を握りしめ、近くの「ガキ御用達のスーパーマーケット」に集団で走り込む。

 はてさてこの店の名が「チュウコーヒン」と言う。
屋号として看板が上がっていたわけでもない。
ガキンチョ(腕白坊主)仲間の話でも普通に「チュウコヒンいこや」などと通用していた。
※「いこや」は「行こうか」の河内弁である。

 しかしこのたんなる「チュウコヒン」の符号が、「中古品」になり、その意味を知ったのは、ずっとずっと後のことである。
どうせ「口さがない」大人たちの会話から、子供達は意味も解らないまま店名だと思い口にしていたのであろう。

 とうぜん、ガキどもは、このことは知らないのだから、店主の初老のオバサンの前でも普通に口にしていたはず、
どんな思いでいつも聞いていらっしゃたのだろう。
「ゴメンナサイ」おばさん。

 店の広さは「間口2間半、奥行き1間ほどの子供専用の「だがし兼おもちゃ」屋である。

 この記事の始めにUPしたイラスト画像をみてほしい。
店自体の造作や佇まいはおよそこんな感じかな。
ただ飲み物の自販機やアイスボックスがそこにあるのが少し残念ではある。

 店の右半分は駄菓子で奥に通じる左半分は非食品で、おもちゃ類で占められている。
夏場の暑い盛りには、店先に手動のかき氷器も登場。

 いまチョットした「駄菓子」ブームなそうだ。
しかしoldboy-elegy君には、今の駄菓子は「お菓子」の「お」の代わりに「駄」を無理やり付けたように見える。

 何故かって、あまりに上品な「見ため、つくり」なのがその原因なのかも知れない。

  各種せんべい・サイコロアメ・べろべろ・酢昆布・紙ニッキ・わらび餅・みかん水・ラムネ などきりがない。
このうち、紙ニッキなど、今考えればひどいものである。

 厚手の紙にニッキの味をしみ込ませ、かみごとしがむのである。
ニッキ味が無くなると、辺りかまわず「ペッペッ」とはきだす。
その色たるや、まことに毒々しい、真っ赤・紫・緑・黄色 など原色で構成されている。
まるでペンキのよう。
シガンダあと、唇、口腔はそれらの色に染まる。
袖でふき取ると、ペンキの色がそこに転移するしろものであった。

 高級品では牛乳キャラメルがあったがガキンチョの小遣いでは丸ごと1箱は買えない、しかし一粒一粒ばらしたものが用意してあり、これなら手に届く。

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 oldboyくん、食い物よりおもちゃ関係でお世話になった感が強い。

 べッタン(めんこ)・ビー玉・コマ・Y字ゴムパチンコ・花火(とくに、投げ弾・煙幕・ねずみ花火)・模型飛行機(ライトプレーン)・ちょっとした文具 などなど、列挙すればきりがない。

 品一つ一つに物語がある。

これまでのブログ記事に登場したものも結構ある。
べッタン(メンコ)・投げ弾(花火の一種)・ゴムパチンコ・模型飛行機 ・などなどである。

 やや長じて、高校生のころ、アルバイト料が入ったおりなど、このチューコヒンの先のコーヒー店、「インデラ・コーヒー・カレー店」などちょくちょく行ったものだ。

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 あれからどれくらいの年月がたったろうか?

 たしか千年紀(ミレニアム)が変わる頃か、こちら側の事であったように思うがハッキリしない。
7才年下の妹と落ち合い、あの繁華であった商店街を中心に歩いたことがあった。
因みに、彼女は他県に嫁いでいる。

 その彼女がため息交じりに言った。
「兄ちゃん、この商店街さびれたなあ、なんかこれまで殆んど人とすれ違わへん」とポツリ。

 oldboy君、この一言で目と鼻先にあるはずの「インデラ・コーヒー店」があった石畳の路地まで歩く気力が失せた。

 大学を出て就職後、確か2、3度は来たはず、以来この地を離れて幼年、少年、青年時代の多感な思いが記憶の底に沈殿したまま思い起こすこともなかった。

 人生も最終コーナーにさしかかり、この地、この頃の自分の存在がいかに大切なものであったかを再認識するようになった。

 これもブログの記事を書くことで、再発見したことの一つである。
とくに母のことなど、これだけ集中して思い起こす作業をすることは初めての事だと思う。

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すぐ先に神社の大鳥居が見える、「インデラ」はすぐ目と鼻のさきにあったが、もう充分であった。



 これらの残滓を目にして「懐かしい」などと、想うにはあまりに時間がたちすぎてしまった。
見たくもない現実がそこにあるのは「明確」に予想できる。

「もう駅に帰ろか」と妹を促した。

チョット先に見える、大鳥居の下には7~8人の子供の妖精が静かにこちらをみている。
ひときわ背の高いおさげ髪の女の子が立っている。
右手を胸の当たりまで上げ、手の平をこちらに向け、ゆっくり揺らし、声は聞こえないが「さよなら」と言っているらしい。

 彼女、我々ガキンチョお目付け役の「安田の華ちゃん」である。

 第何次かの「北朝鮮」帰還船でまだ見た事のない彼の地に一家で渡って行ったそうな。

 oldboy-elegyくん、大学生のころ、母が「安田の華ちゃん亡くなったやんやて」と風の便りで聞き及び、最後に「自殺やったらしいわ」とポツリと言った。

 そこには勇吉はじめ吉雄、孝雄そして「アオバナ」の勝男もいる,
みんないる。
もちろん、「華ちゃん」の脇には、少し頭を傾(かし)げた「満面の笑み」のoldboy-elegyくんの姿もある。

 帰りすがら、もう一度振り返り、大鳥居の下を見たがもう誰も居ず、石畳の参詣道が奥に向かって続いているのみであった。
「わ~」と走り去る子供達の嬌声が聞こえたかに思ったが定かでない。

            了
         oldboy-elegy

 ↓ 今日のブログ記事とは真逆の「今現在の子供達」のことを(雑感・雑記帳)として以前にUPしたものです。

 併せてお読みいただければ幸いです。

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(雑感・雑記帳 No.16)      「エアーたばこで禁煙中」令和2年1月27日で満3年になりました。自慢の咳払い「エヘン!」

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  oldboy-elegy君、ただいま、禁煙の真っ最中である。

 決して「タバコをやめました」とは言わないのが彼の信条である。

人生のある時期、一定の期間「喫煙の習慣」を持った身なら、それ以後の貴方は「決して非喫煙者」の列に加わることは無いとoldboy君は考えているのです。

 もし、あなたが人生における、ナンギに遭遇した時など、知らずのうちに、指先にタバコがはさまっているかも知れません。
だからと言って「負け犬」ではないと思うのです。
ただ深く考えず「気楽」に実行するのが「寛容」かと思うのですがどうでしょう。

 ただそれほど、「喫煙の習慣」から離脱するのは難しいものです。

  実はこのブログ、今回で三回の追記事となります。

禁煙開始日       2017・01・27 
初回 エントリー記事が 2019・06・13 
           ブログ開始同年4月
二回目         2019・11・19
今回          2020・03・10
    時系列的には上記のようになります。

 oldboy-elegy君の禁煙の動機は重度の風邪症状で喫煙のドクターストップが宣告されたのが始まりです。

 10日ほどタバコ断ちをし、体調も概ね復調し、そろそろ「タバコ」をと思い始めたころ、自分の体調に生じた変化に気が付いたのです。

●恒常的にあった喉(のど)のイガイガ感がなくなって、「爽やか感」さえ感じた。
●もう一つは、尾籠(びろう)な話で申し訳ないのだが、鼻汁、鼻くそが、なにやら、何時もの色ではなく、白っぽく、透明感のあるそれに変わっていた。

以上の2点です。
わずか10日程度の禁煙で味わえる至福の感覚です。
これを自覚し、もっと禁煙を継続すれば次はどんな「ごほうび」が待っているのか、との思いがキッカケでした。

 しかし全て順調に経過した訳ではありません。
勿論、人並みに「禁断症状」はあったのですが、それを克復する方法がoldboy-elegy君の場合「エアーたばこ」だったように思います。

 もともと、胸いっぱい、肺一杯に吸煙して、鼻からゆっくり排煙するタイプの喫煙者ではなかったようです。

 タバコを「吸う」と言う行為そのものが「極度」の習慣性を帯び、ニコチンがタールがどうのとは少し違うのかなとは感じていました。

 朝、目覚めた瞬間から
寝起きに1本・食事の後に1本・新聞を読むとき・出かける前・電車のホームの端の喫煙ルームを発見した時、と言うように行動の変化の節々(ふしぶし)で喫煙していた様です。

 世の中にはoldboy君ような、喫煙習慣の方も大勢おられるはずです。
「エアーたばこ」での禁煙効果は、このような方に効果が大きいと思うのですが、どうでしょう。

 
おかげ様で、この3年間、一本のタバコにも「火」をつけたことはありません。

ただし「エアーたばこ」なる方法の励行(れいこう)には変わりありません。

 初めてこの記事を読まれる方のために、oldboy-elegy君の言う「エアーたばこ」の概念(少々おおげさ)を再掲しておきますね。

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「シャベル(スコップ)や座敷ボウキを手にエレキギターを疑似演奏、または何も持たなくともその気になりきる奏者?の本気度とそのパフォーマンスをエアーギター(エアーエレキ)などと言うらしいのだが、そのシャベルやホウキを本物のタバコに置き換え、火を付けず疑似喫煙する行動をエアータバコと言う」

 以上がその概念です。

 
つまり、本物のタバコに「火を付けずに」疑似吸引をする行為であると考えてください。

 
タバコは「フィルター付き」がお勧め、何回も繰り返し使用可能です。
ただし、紙巻部分とフィルターの境界部分に湿り気が出てきたり、変色してくれば取り換えねばならないのは当然です。

 気楽にポケットやバッグに入れて持ち歩くのが良いかと思います。
なぜなら、「いつでも吸えるよ」のノープレッシャー状態に置くのが自分には良かったように思うのです。

 
まー、ひとそれぞれ、自分に合った方法を気軽に選択し、最終的に「エアーたばこ」に無理なく持ち込めたならOKです。

 あとは、1週間から10日間実行したころ、自分の体の状態の変化をじっくり観察するのが肝要です。

 ほんの些細な変化でも感じたり、気づいたりしたなら、きっと「明日からのエアーたばこ」への大きな原動力・モチベーションとなってくれるはずです。
・のどのいがらっぽさが軽減したように感じる。
・呼吸が楽になった。
・他人の喫煙の煙が気になる。
・自分の喫煙部屋のニコチン・タールの匂いを感
 じる。
・鼻をかんだ時、鼻汁が少し綺麗になったように
 思う。
 
 などなど

  oldboy君の場合一か月1箱(20本)でこと足りるようです。

 
取りあえず、禁煙3周年を記念?として再再掲さしていただきました。

 おひとりでも、この記事に賛同して実行、長期禁煙に持ち込めたなら、当方、嬉しい限りです。

            
          oldboy-elegy

oldboy-elegy (20) ソウル(Seoul)暮色  金(キム)課長のお宅に「お呼ばれ」のはずが、着くなり奥さん、ぼんくら男二人を指さし大剣幕、いったい何が?

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 この日は、キム課長のお宅にお呼ばれの約束がある。

 少々oldboy-elegy君、気が重い、強く辞退したのだが押し切られた形である。

「社長の了解もとってある、妻も、どうぞ、お待ちしている」とのこと。

 なにもご自宅まで行かずとも、ホテルのあるこの辺り(ソウルで一番の繁華街・ミョンドン)で何処か普段行けない料理屋で食事すればすむことではないのか。

 ましてやこの二人、揃って「下戸」である。
奥さんの手を煩わす事など堪忍してほしいとoldboy-elegy君、
本気で思っている。


 今日は寝起きから、なにやら気分がすぐれないのはこのせいだと思う。
「あ~、やだやだ」と思うと余計に気が滅入る。

 気分一新のため、めったにしない「モーニング・シャワー」なるものをする。
この行為も「接待を受けたからには」の気持ちの、あらわれである。
oldboy君、風呂派なのだが。

 今日の、記事のお話の分岐点と言うのか「間違いの元と言うのは」どうもこの辺りから始まったようである。

 シャワーの後、部屋の壁に埋め込んだ大きな木枠の鏡の前に立ち、ドライヤーで髪を乾かしている時である。
「ムッ!」、髪の毛が伸びぎみで、少しムサイかな、思ったのが今日のタイトル、「課長の奥さん、大剣幕」の始まりだったようだ。

 

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つぎに「早めに仕事を切り上げ床屋に行こう」と決心したのが、間違いのレールに乗った瞬間であった。

 oldboyくん、この街(ソウル)で床屋に行ったことはない。
滞在期間はせいぜい1週間ほどで、問題でもない限りこれを超える事はない。

 そのため散髪は国内(日本)でやる、それも勤務時間中、会社近くの行きつけの「床屋」でやるのが常である。

  oldboyくん、何故、この地(ソウル)で散髪をしょうと思い立ったのか?
そう全て「お呼ばれ」のせいである。

 このあたりoldboyくんの性格でもある。
基本、グータラではあるが、「他人に迷惑を与えない限り」の但し書きがつく、いたって真面目な奴なのだ。
自分から何日も先の予定の提案はしない、先様からのお話も「どうしょうもない」もの以外は「近場に来てから」連絡頂戴などでお茶をにごす。

 いったん約束すると、その完全履行が常識で、何日も前から気にかかるお人なのである。

  ここで、もう一つoldboyくん、間違いをおかしたのである。
「課長、今日散髪に行きたいので、何処か床屋、紹介してよ」と電話で頼んだら「ああ、いいよ、それなら私も」と二つ返事、夕方早めにホテルに来るとのことである。

 「私も」?、つまり、キム課長自身も床屋に行くって事なのか?
この時点で深く考えはしなかったが、この一言で「奥さんの大剣幕」への道筋が決まってしまったようである。

 oldboy-elegyくん、外回りの仕事2、3を急ぎ済ませ、早目にはホテルにご帰還である。


 ホテル裏のそう広くない道筋の向こう沿いに小さな「なんでも屋」の雑貨店がある。
この店、ストリート・フード店ならず、ストリート雑貨店である。

奥にコンクリート塀を背負い、店自体は間口2MX奥行40~50センチ位の露店で、天井は帆布のテントである。
コンクリート塀の背部分も大きな木製の棚が設(しつら)えてあり、商品が並んでいる。

 夜、店仕舞いの折には、この部分の品を下の平台に移し、最後に背棚を平台にかぶせる様にしてたたむ。
あとは大きな錠前を幾つか掛け、雨除けのビニールテントで覆い、最後に自転車の古るチューブを幾筋かかけて終了である。

 なぜ、そんなこと知っているのかって?、oldboy-elegyくん、何度か店仕舞いを手伝ったことがある。

 もちろん、タバコもあるが、ジッポのライターから栓抜き、洗面具などの日用品、「銘柄やデザインさえ文句を言わねばなんでも揃うよ」と言うのが、この店の「売り」なのだ。
なにやら、テレビドラマの「深夜食堂」の口調に似てきた。

 oldboyくん、普段ここでタバコを買っている、銘柄はシルバーグレーのハードボックスに濃紺の漢字で「松竹」となっている、韓国製だ。
ヘヤ―ドライヤーもここで買ったものだが、強・中・弱のスイッチの内、強は熱風すぎて、怖くて使う気にはなれぬ。


 このストリート雑貨店主、パク(朴)さんは、oldboyくんの、この地での
韓国,朝鮮語の先生なのだ。


 もっと言えば、彼、大阪の生野(韓国・朝鮮人が多く住む地域)の出身で、故あって帰韓したのだそうだ。
事情は聴いているが、ここで書いてもセンないことなので書くまい。


 それゆえ彼の日本語と言おうか大阪弁は基本、朝鮮なまりがあるものの、なんの不自由も感じられない。

 朝鮮語のイロハを習い始めたのは良いが、意思の疎通が完璧すぎて勉強そっちのけで無駄話(大阪弁にて)に重点が移り、今は利害関係ゼロの友達になってしまった感が強い。
それでも教授代は毎回支払っている。

 朴さんに勉強会?のキャンセルを伝え、ホテルの部屋に入る。
今買ったばかりの「松竹タバコ」を吸いキム課長を待つ、そのうち眠くなり、ダブルのベッドの端でうたたね。

 oldboyくん、このごに及んでも往生際が悪い、「あ~、やだな~、朴さん(雑貨屋)と話しているほうがよっぽど楽しいのに」と、まだグズグズ言っている。

 ドアのノックの音で目が覚めた。
キム課長さんであろう、ここからは先、「嫌だ、イヤだ」はできない。
いくら表情に出さずとも、相手さんに失礼である。
 
 「課長、ご招待、お忙しいのにすいません、それに僕、お土産の用意もしてないのが気にかかり・・・・」とモゴモゴモゴ。
「なにも、そんなもの気にしなくとも」とキム課長。
そうこの言葉を引き出すための「モゴモゴモゴ」なのである。
お金の問題ではない、ただただ「面倒」なだけである。

 救いはこの人(課長)、oldboyくん以上の「下戸」であることが「不幸中の幸い」である。
酒を強要される心配はない。

 「それでは4時にホテルを出て、一緒に散髪に行きましょう、特別知っている「床屋」はありませんが、この辺り(ホテルの周囲)ならいくらでもあるでしょう」とのこと。


 彼の務める会社B社はつい数ヶ月前はA社と名乗っていたのだが、居抜きでB社に売られたのである。
 居抜きとは、従業員、事務所、得意先始め関係する全てをマルッポB社に売られ、経営者だけが変わったと言うことである。
キムさんの言うことでは、今度の社長の尹(ユン)さんはそこそこの資産家であるらしい。
 
 この国では、こう言う形の「代替わり?」は結構あるとのこと。

 この度の「お呼ばれ」も新社長の了解の上でのことである。

 ホテルを出て、新世界百貨店(シンセーゲィ・ペグファジュム)の方に歩きだし、最初に目に留まったクルクル回る三色のサインポールの床屋に入る。

 30分ほどで終了、日本の床屋に比べて毛髪のハサミの入れ方が大胆な感じ、それに、これまでより短髪に仕上がったようだ。
oldboyくん、これはこれでスッキリ、気に入っている。
今度、大阪で床屋に行く時は今までより短髪にしょうかとも思う。

 キムさんも、先ほどまでの雰囲気とは様変わり、何かしら凛とした感じ、絶対中途半端なロン毛より恰好が良い。

 彼、実は予備役の兵隊さんでもある。
防空訓練の時など、白い帆布のタンカに人を乗せ、走りまわっている。
そう思うと、後頭部のバリカンでの刈り上げが兵隊さん然としている。

 散髪代金も押し問答の末、彼が払う、こんな私的な事で、これで良いのか、いよいよ気が重い。

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 明洞(ミョンドン)の繁華街を出た先の大通りのタクシー乗り場は大混乱の中にある。

 素人の日本人が簡単に乗れるものではない。

 当時は相乗りOKで、同方向に向かう客を探し満席にして発車する。


 
 「これ、シンチョン(新村)行よ、後二人いないかー」と決められたタクシー乗り場は無視、ずっと離れた場所から大声で同方向の客を探す。

 当時、タクシーに使われた車体の多くは「ポニー」と言う車種で、運転手含めて5人乗りである。
時には、定員オーバーでも平気で乗せる。
客の一人当たりの運賃は目的地までのメーターの半額ぐらいで、それも、あいまいである。
客にとっては安く、運転手にとってはより多くの代金、つまりウインウインの関係である。
メーターは一応、賃走になっている。
もし何回かに一度、客を定員いっぱいに乗せ、メーター「空車」のままで走れば、全てポケットにできるのかな?とフト思った。

 客を多く乗せればそれだけ効率よく稼げるのだ。
国も全量輸入であるガソリンの、大きな節約になる。

 しかし運転手くん、日本人には結構つらく当たってくださる。
行く方角を一生懸命聞き取り、車に向かって手をあげ走っていくが、日本人だと分かると、定員以下でもドアーをバッタン、と走り出す輩もいる。

 乗せてから日本人だと判ると「チチ」とあからさまに歯噛みする奴もいる。
oldboyくん、「乗ってしまえばこちらのもん」何故か勝ち誇ったような気分になる、ある意味それやこれやを含めて楽しんでいた。

 さてキムさん、随分離れた場所から「おいでおいで」をしている。
oldboy君、急いで駆け寄り、乗り込むが、客は我ら2人のみで走りだした??
彼に、いくら払うのか聞くも、教えてくれない、あるいはもう払ったのかも、「いいからいいから」と言うばかりである。

 車は南山(ナムサン)トンネルを通り貫けしばらくは方角の感覚はあったのだが、やがて何処をどう走っているのか分からなくなる。

 この車、この瞬間、ある意味「地獄の一丁目」に向かって、ひた走っていたのである。
とくにキム課長にとっては。

 まだ夕日の残照が残っている。
やがてタクシーが止まった、すぐ目の前が課長の自宅らしい。
流行(はやり)りの集合住宅(マンション)ではなく一戸建てである。

 木製の頑丈そうな門に高い塀が家を巻いている。
門と住居の間には庭があるようだが、日本の様に木々が植わってる様子はない。
門扉には頑丈な鉄製の板が両端にはめ込んである。

 明らかに外部から侵入を拒むような雰囲気のつくりである。

 その頑丈な門扉の脇にはめ込まれた鉄板の上に、大口を開けたような鉄製のノッカーが付いている。

 「課長、立派なウチですなあ」とoldboyくん。
言いながら、内心(立派ではあるが、閉塞感と湿っぽい佇まいでなにやら隠花植物を見ている感覚に陥る)と感じていた。

 「この家、私がたてた家ではなく、もともと親父が建てた家なんです、親父夫婦も歳で、住むのに楽なマンションに数年前に移ったのですよ」とのこと。

 キム課長、やおらこの立派な、黒光りする鉄製のノッカーを数回打ち付ける、しばらくすると、門扉の向こうの玄関ドアのわずかに軋む音。

 ここまでは特別なことは何もなく、事が進んだのだが!!
やがて門の内側に人の気配が近づき、重々しい門扉が開かれる。

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 事は、キム課長とoldboy君が玄関先の庭に入ったところで起こったのである。

 取りあえず奥さんに挨拶をと「今日の食事会のお誘い、ありが、あり、アリ・・・・?」ぐらいのところで、急に奥さん俺を見てではなく、ダンナと俺の頭を見て、挨拶の口上を手の平を突きだしストップをかけたのである。

 ここからがいけない、彼女の形相が一変する。

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読者諸氏、文楽人形の「安珍清姫」の「清姫」が「安珍」に裏切られたと知るや、その表情が瞬時に「鬼」に変貌する「人形の頭・かしら」を見たことがありますか?
清姫」の柔和な顔の口が大きく耳元まで裂け、口内は真っ赤、目も大きく見開かれ、
頭には2本のツノがニョッキリと生えるのです。

 まさしくこれを再現したものと言ってよいでしょう。
彼女、「まあまあ・・」とするダンナ(課長)の手を振り払い、なにやら、oldboyくんの韓国語能力では聞き取り不能

 ダンナの綺麗にカットされた頭を指さし、怒りはますます増幅してゆくようです。
こうなれば、脇に突っ立っているoldboyくんなど眼中にはないのかも知れません。

 よくわからないが、どうやら、我ら2人がそろって床屋に入った事が、原因のようです。
ちょっと静かになりかけても、課長が少し何か言おうものなら、途端に奥さんのテンションは倍化し、手が付けられぬ状態です。

 いやはや、こんな激しい夫婦喧嘩を見るのはoldboyくん初めてのことです。
夫婦喧嘩と言ってもこの場合、彼女からの一方通行なのだが。
これには何か大きな誤解があるようですが、よくわかりません。

 日本人の場合、隣に友人や客がいての場所で、こんな激しい「夫婦喧嘩」なんてあるでしょうか?
少なくとも夫婦二人だけの場所ならいざ知らず。

 さすがに、バツの悪さにきが付いた課長「すいませんoldboyさん、とりあえずホテルにかえりましょうか」と言い、門外にoldboy君の背を押したのでした。

 結局、お呼ばれは中止に。

 帰りのタクシーの中で、彼女の剣幕の正確な原因を聞くに、その原因が判明したのです。

 当時、ソウルの床屋さんには、いわゆる「風俗床屋・マッサージ床屋」を本業としながら「床屋さん」を標榜する店が多くあったのです。

 キム課長夫婦の場合、そのため自宅近くの奥さんも良く知っている「床屋」しか行かせないのがお決まりです。

 キム課長もずっとこの事を結婚以来、長年、遵守してきたのです。
彼自身、風俗床屋やマッサージ床屋が街中にはたくさんあることは、先刻、知っていたのですが、私oldboyくんと同伴で行くことで、当然「免罪符」が取れるものと勝手に思い込んでしまったようです。

 奥さんにすれば、「このいけ好かない日本人にせがまれ、風俗床屋に連れていかれた」と、綺麗に刈りあがった二人の「オツム・頭」を見ると、イッキョに理性がぶっ飛び「この性悪、日本人め」となり「このエロダンナめ」と相成った、しだいらしいのです。

 「キムさん、今晩どうするの、この部屋に泊まる?」
「イヤ、もちろん帰ります」とホテルのルームサービスで頼んだ、サンドイッチ・アラカルトを食いながら返事。

 やがて彼の大好きな、ボクシングの国際試合が始まると、ベッドの端に背筋を伸ばし、テレビを見いる何時もの姿があった。

 「だいじょうぶやろ!!」とoldboyくん、今になり、なにか楽し気な気分になっている自分に「悪い奴」と頬が緩む。

                了 

              oldboy-elegy
   

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(雑感・雑記帳 No. 15)   default・デフォルト・デフォー・何故か馴染めぬこのIT用語? by oldboy-elegy

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oldbboy-elegyくん、最近「デフォルト」なる言葉をよく見聞きする。

その場所は殆んどIT,PC関係でのこと。

 



 
この記事は、なぜ「デフォルト・default」なる単語が「既定値・初期設定」の意味で使用されるのか、納得できないし、腑に落ちない人(oldboy-elegyくん)の、ひとりごとである。


 IT、PCスキル、殆んどゼロ状態のoldboy-elegyくん、「この機能はデフォルトで設定されています」の記述を見ればなにやら「ホッとし、安心する」マインドの持ち主なのだ。

 「あなた好みにカスタマイズ、しましょう」などの案内があれば「ノーノ~、サンキュー」、このままで結構と有難く辞退させていただくのが常である。

 その有難い「デフォルト(初期設定)」も恐らく
チョコッとしか活用しきれてないのではと思っている。

 今、彼が「はてなブログ」で使用しているページのデザインも、テンプレートの最初に紹介されている、「S
mooth・デフォルト」である。
ほとんどデザイン性はなく、簡潔・明瞭なところが気にいっている。

 しかしそのデフォルト設定も、機能化さすには、それなりの手順が必要で、多くはグーグルで「HELP情報」を頼りに検索し、読み、理解して?、ようやく、オッチラたどり着くほどの体(てい)たらくである。


 ヘルプ情報も「検索の最上位」などの記事など、oldboy君には、あまり役に立たないようだ。

 なぜかって、カタカナ用語が多く、こちらが知りたいツボが「あまりに当然すぎて」か、飛ばされていることが多い。

 G
検索順位、5~6番ぐらいに、「自分もそこで苦労した」的な記事に良く出会う。
そんな人の記事は、なぜか分かり良い、そして文章に優しさと温もりを感じるoldboyくんがいる。


 検索の最上位記事など、スクロールするうちに何処か関係のない、宣伝広告や提灯記事に引きずりこまれた気分になるものが多い。
これもひとえに、pcスキルの貧弱なoldboyくんの、ヒガミ根性のなせるものかも知れない。

 oldboyくん、50年ほど前、京都で法文系のいい加減な学生をやっていた。

 いい加減なのは「彼自身」であり、決して大学がいい加減ではないことを、ここで断っておく。

 取り敢えず「デフォルト・default」なる言葉はこのころインプットされたものだ。

 専攻の経済、商学で出て来る「デフォルト」の意味はすべて否定的要素や不安を誘う意味に使われている。

 そこで「いらすとや」さんでお借りした画像を見てほしい。

 会社のビルが倒壊し、社員が頭を抱えている図だ。
つまり「会社の倒産」を視覚的に表現したものである。

 この「会社」の代わりに「国・国家」としても同じ。「債務不履行」による「default・デフォルト」状態であると表現する。

 随分、ネガティブ(否定的)な言葉だ。
 
 手元にある「研究社のnew collegiate 英和辞典・初版1967 1985第5版発行」を見るが
(名詞)不履行・怠慢・債務不履行・欠席・欠場
(動詞)債務を履行しない、怠る・欠席する・
 などでIT・PC用語の記載はない。

 もっと言えばoldboyくん、この辞書よりまだ20年前に学生をやっていたのだ。

 1985年改訂の版に、現在のIT・PC上の
(デフォルト)概念が不掲載なのに、当然もっと昔人間の彼の脳内の記憶野に存在するはずがないのは道理である。

 あるのは「債務不履行」などの経済用語や「欠席」などの否定的な意味だけである。

 おなじ言葉「default 義務・債務などの不履行」がなぜ「既定値・初期設定」に繋がるのか、oldboy君の古ぼけた脳内では同じ単語として紐づけできないのである。

 つまるところ「AからB」でも「BからA」でもいいから繋がる要素は無いものかと苦悶(少々おおげさ)する
oldboyくんがいる。

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 ここでG検索を試みる。
結論を言えば、「俺の存在は前世紀の遺物」となり果てたようである。

 ただこの「不履行・債務不履行・欠席・棄権」などの否定的、ネガティブな言葉と「既定値・初期、標準設定」が同じ単語「default」で表す、かすかな繋がりを見つけたように思う、がさあどうだろう。

 「default」を接頭語「de」と、名詞の「fault」に分解して考えてみようと思い立つ。

1)接頭語「de」は、古フランス語からラテン語にさかのぼるころの意味合いに「ある物事からゆっくりと離れて行く様子」なる説明を発見。

2)一方「fault」の意味は「欠点・欠陥・あやまち」である。

ここで1、2 を合わせて考えると

「欠点からなにもしないでゆっくりと離れる」つまり「何もしない」事が「そのまま放置する既定値、初期のまま」に繋がったように思うのだがどうだろう。

 この「解」、当たらずとも遠からずの感あり、oldboyくん、すこぶる気にいっている。

 いささか強引ではあるが、自分の中に少なからず「腑に落とし込んだ」つもりにはなった。

 これを発見して、???が?位になり、少しは心穏やかになったようだ。

 結局、結論を言えば
パソコンスキルの貧弱なoldboy-elegyくんにとって、デフォルト設定(既定値)は好ましい存在であるが、多くの人達にとってそれはダサク、かっこが良くないものかもしれない。

IT・PC技術にタケタ人達
 デフォルト=格好悪いこと

oldboy-elegyくん
 デフォルト=楽で頼もしい存在

つまり現代人とoldboyくん達、古代人の「デフォルト」なる言葉に対する「マインド」に大きな違いがあり、認識の相違として存在しているのかも知れない。

  あ~やだやだ、こんなショウもないことについて、あれやこれやと屁理屈をこねまわし、諸兄の明晰な頭脳を煩わす自分、「昭和はずっと遠くになったもんだ」と自戒することしきりである。

 最後に、言葉なんてもの、時代によりどんどん変化するのは当たり前、一つの単語でも、使い方により真逆の意味があっても良いのではと思ったしだいである。
         
          では では

          

            了

         oldboy-elegy
 

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