oldboy-elegy のブログ

ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。これからもきっとこうでしょう、ハイ。

oldboy-elegy (59)  俺・中学校の始め、図工の筆記試験で「大まじめで4本足のニワトリを書き」提出したことがある。マヌケもここまでくれば宝である

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このイラスト画のニワトリさん何故か足

四本ある。
今日の話もはたまた、なにやら情けない
雰囲気が漂ってきた。







この歳まで生存したのだから、それに見合った
良い話を、と期待されるが、
無いナイ、oldboy君に限ってはあり得ない。
言えることは、こんな緊張感のない、取り留めのないお人でも、反面教師
ぐらいの存在意義は許されると思うが、どうだろう。

oldboy-elegy君、長い学業(小・中・高・大)の間に経験した様々な記憶が
この薄ら寒い頭に結構蓄積されているようだ。
因みに、彼、幼稚園の経験は持っていない。


それらはブログを書くようになってから、記憶の大海に沈殿、埋没していた
断片がポカリポカリと浮き上がってくる事も多々ある。
そんなおり、すかさずメモ取りをするのが、最近の習慣である。

驚いたことに、長い間、言葉にしたこともないお人の名前が、なんの脈絡
もなく、突然口からこぼれ落ちることもある。

そうかと思えば、情景は鮮明に残像として記憶野に有るのに、登場する
人の名が、思い出せない。


「ほれそれ・・アイツ」とゲンコツでoldboy君、自分の頭をこつくが
思い出せない。

そんな時、状況をメモした上で、あとは
意識しないことにしている。
すると、何処かで、「コロン」と口から転がり落ちることもママある。
年寄りの記憶とは、不思議で不可解で不便なシロモノである。



★1 「にわとりは、二本足、それとも4本足!!??」今日の話の主題だ。


今日もまたまた、中学時代、それも入学して、まだ間のない?頃のバカ話
である。

以前、oldboy-elegy (17)で、クラスメイトの守山君の「茫洋感」の様(さま)
を取り上げて記事にしたことがあった。

体育の筆記試験で、彼、答えの「トーナメント」の「メ」が書けず、いくら
書いても「トーナナント」になり、頭が真っ白にすっ飛んだ
ことを記事にした。

今日は、それのoldboy君番である。
人の事を記事に書くなら、自分自身の事も取り上げないのは、片手落ちと
言うものである。

多分、中学一年時の「図画工作」の筆記試験中でのことであったはず。
プリントには、結構大きな白枠があり、その中に「鳥」だか「にわとり」
だかの絵をかきなさい的な問題があった。

はっきり言って、設問が今となっては「トリ」だか「ニワトリ」だったかの
覚えはない。
oldboy-elegy君、とっさに「ニワトリ」を拙い頭にイメージ、書き始める。
何故か、空中を飛ぶ、一般の鳥は浮かばず、ニワトリが全てであった。

ところが、ところがである、いくら書いても、4本脚から脱却できず、
「オカシイ・
オカシイ」と思いつつ、解答は4本足のニワトリを描いて
提出したのである。


それが今日の上掲のニワトリのイラスト画像である。
最初の導入部で間違っていて、最後までそこから抜け出すことが適わ
なかった
ようである。

今こうして考えるに、この出題の意図はどんなところにあったのだろうと
考えてしまう。

もしそれが「知能・観察力」を見るものだったら、どうだろう。
ハイこの子、oldboy君、観察力ゼロ・ましてや(知能IQ低し)
と分類
されたのかも。

ともかく、鳥類には羽根がある。
発生学的には、恐竜で言う前足が進化したものが鳥類らしい・
従って、鳥類の足は二本で、羽が、言わば手にあたる。


oldboy君、観察力は無く、IQも極めて低い存在である事はどうやら
間違いのないこと。
それ故、先生の閻魔帳にはoldboy-elegy=アホと付記
されたはず。

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しかし今は、あながち4本足も間違いではなかったと自負している。

なぜなら、この日本では「ヤタガラスなる3本あしのカラスが大昔から存在
している」とされる。
ただし、生きた3本足のカラスが見つかったとか、捕獲されたとの報告は
残念ながら、まだない。
その名が「八咫烏・やたがらす」と言い神話に登場する、伝説上のカラス
である。

神武天皇が九州・日向から大和に入る道筋を先導したのが、この3本足の
カラスであったとのこと。

この3本足カラスの足、それぞれ名があるらしい。
前足?から「天・地・人」とし、この世を表していて、神々(こうごう)しい

有難い存在となっている。

そんなにありがたい存在の八咫烏(やたがらす)、「日本サッカー協会」の

シンボルでエンブレムにもなっていることは周知のことである。

ただしoldboy-elegy君の「4本足のニワトリ」にはそんな粋な話は
残念ながら
皆無である。


今日の話、答案用紙に4本足のニワトリを書き提出したのは恥ずかしながら
勿論、本当である。

    でわ でわ 今宵も、こんなところで失礼する、おやすみなさい
                 
                
                                      oldboy-elegy
                

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oldboy-elegy (58)  50年以上昔の教室風景と「映画・3丁目の夕日」そして「集団就職列車・さよならテープ」最後に「蛍の光と静寂」これも時代だった

 

 

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今日のこの記事、リライト版で
ある。ブログ初期のもので、思うところあって、新記事として投稿した。







50年以上昔の教室風景を上掲の
イラスト画像から想像して欲しい。
机と机の間隔は無し、ましてや18人分でこれ。
60人を超える大混雑の教室を。


★1  時代と教室の風景と子供達

イラスト画像は、見ての通り、なんの変哲もない教室の画像である。
そのころ、そう今から50年以上昔の教室風景も、見た目は現在とさして
変わらない。

校舎は生徒急増のため、少々ヤスブシンながら新しく建てられたもの。

ただここに生身の生徒を放り込めば、その光景は一変してしまう。

oldboy君、前席女子の木製椅子の背中にある、二つの突起に、濡れた

汚い靴下をかけ(乾かすつもり)、大ひんしゅくをかう、2階から1階に
逃げるも途中の踊り場で
捕まり、軽く腰に乗せられ、木製の壁に叩き
つけられたことがあった。

あほらしくも、侘びしい話である。
今でも、その子の名字は、明瞭に覚えている。

まだ「TENKOてんこ・ガールフレンドの変名」を知る前の小坊主時代の幼い
所業である。

50年以上昔の教室の現実をエレジー(懐かしさとチョットした哀しさ)
をもって
書き綴って行く。

そこに繰り広げられる滑稽にして、同時に少し、もの哀しいドタバタ劇を
見て欲しい。
同年配の方には懐かしく、若い人達には遥か昔の非現実の世界を感じていた
だけたら嬉しい。


★★2 教科「職業」と「英語」の時間関係で、60人越えの超満員クラス

今では国からの指針、指導もあるが、およそ1クラス、40人前後で、田舎や
過疎域に行けばもっともっと少人数のはずである。

それがoldboy-elegy君の時代、1クラス、50人以上は普通。
いわゆる「ベビーブーマー」時代の走りのころである。


英語としての時間は週に4~5時間設定されているのだが、そのうちの
1時間
はクラス人数が60人を超えてしまうほどの過密状態となる。

英語の時間に限って週1回、何故そうなるのか想像できます?
見当のつく方は多分、年配の方だと思うがどうだろう。

この教室のイラスト画像からは想像もできない当時の現実があったのです。
そのキーワードは「就職・職業」と言う言葉。

貧困や、特に女性の教育不要と考える親の無知などで高校への進学が叶わ
ぬ人達が1クラスに7~8人はいたのです。

ましてや国や自治体の無料化や助成がある時代ではない。


それはoldboy-elegy君が住まうこの地域特有の現実でもない。
多少の数字や率の違いはあるとは思うが、おしなべ、国中がこうであった、
これがこの時代である。

★★★3  時代の風景と、そこに住もう人達、映画「3丁目の夕日」から

映画「三丁目の夕日」が(モチーフ)した時代でもある。

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左傾のイラスト、中学を卒業したばかり
の女子
の工員さんである。
oldboy君の会社にも当時4~500人在席、
うち300人
位が西日本各地からの集団就職
列車で来阪した
女工さんであった。








因みにこの映画、「鈴木オートのたった一人の従業員、星野六子(むつこ・

俳優は堀北真希さん)」が青森からの集団就職列車で東京にやって来る」
設定になっている。


ここで感心したのが「六子・むつこ」と言う名前である、実に時代背景を
感じる。

女ばかり6人姉妹もありうることだが、兄弟・姉妹、含めて6番目に誕生と
言う
事だと思う。

この時代、5人、6人の兄弟の数は当たり前とは言えないまでも、そこまで
珍しいことでもなかった。

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左傾イラスト、大家族のタイトル
「いらすとや」さんからお借り
した
もの。




「映画の六子」の家族のイメージは、
ここにさらに4人の子供が加わった
状態で、是こそが当時の「大家族」である。


そしてズバリ六番目に誕生の「六子・むつこ」が名前である。
今では、「子」の文字が付く「女の子」の名前は希なものになっている。
よく「名は体を表す」とか言われるが、この場合、彼女のファミリー状況
から時代までも彷彿させる。

ふつう親も、この事をオモンバカリ、「六」の字を避け、「睦子」とされる
こともあったと聞く。
いずれも、読みは「むつこ」である。



oldboy-elegyくんのブログ記事(雑感・雑記帳 No.11)の人口動態グラフ
の内の「合計特殊出生率」を見ると、最高値は(昭和24年生まれ・1949年)
「4.32」。
それが今では、これが1.35辺りとなっている。
つまり、一組の夫婦がつくる出生人数と考えても良い。

一人の女性が生涯で出産する子供の数の平均の指数である、したがって

「六子・むつこ」ムベなるかなの感がする。


★★★★4 oldboy-elegy君、ヨウヤク社会人になり、幾年も経ないころの
たまたま見かけた風景である。

oldboy君も社会に出たころのことで、九州は宮崎駅で「集団就職専用の列車」
遭遇したことがある。

寝台列車でもない、普通仕立ての4人掛け、今思えば古式蒼然とした車両
である。
客室は対面4人掛け、飴色の木製腰掛けで、背は濃いグリーンの布が張ら

れていた。
車内灯はあるが、本を読むには少々ルクスが足りない。


行き先は20時間以上先の大阪であったと思う。駅のホームは学生服姿、
セーラー服姿の未だ、いたいけな容貌の多くの子供たちと、これを見送る
親や先生など関係者でごった返している。

あちらこちらで人の輪ができ、その雰囲気は嬉しさや、楽しさとは無縁の
ものであった
なみだ涙のお別れである。

同時にoldboy君、自分の会社の工場女子寮の人達のたくましさを思い浮か
べた時「今は不安だろうが、きっとやれる、やれるよ、と心の内で励まし
たくなったのも事実である。

やがて「蛍の光が流れ「さよならテープ」も、ちぎれさり、そしてホームは
もの悲しい静寂にもどる。

因みに、oldboy-elegy君、列車ホームでの「さよならテープ」を見たのは、
この宮崎駅が初体験である。

ひょっとしたら、oldboy君の会社に来る子も居るのでは、一瞬、思ったが、
九州の労務出張所は奄美と聞いた事があり、鹿児島駅はあっても宮崎はない
と思い直した。
 
小学1年生の入学式を、oldboy-elegy君は経験していない。
ましてや幼稚園なるものも知らない。

小学校は2、3か月遅れで母に連れられ直接教室を訪れたのである。
床に白い大きな紙(模造紙)を何枚も床に広げ、子供たちが四方から
寄ってたかってお絵かきの最中であった、勿論、oldboy君もこれに
参加した。

これが彼の小学校の入学式であった。
このことはoldboy-elegy君のブログ(雑感・雑記帳 No.1)母の日、にて
既出である。

いま思えば、教室の後ろで一人佇む母の顔に安堵の表情が見られたかの様に
思うのも不思議な事ではない。


★★★★★5 週に一回、英語のクラス人数は、なんと60人を超えていた。

当時、この中学校での就職組の3年生は、週1回、「職業」なる教科があり、
これを1時間捻出するため、英語を1時間削り、これにあてていたのである。
余分の教室がなかったのである。

つまり、就職クラス(1)・英語クラス(2)の3クラス(3教室)を一編成
として同時間に行われるのである。

これに実人数をはめていけば、50人クラスx3・で総員150人、就職希望者が
クラス8人とするなら8x3・の24人となる。

ゆえに(150人-24人)÷2=63人(英語の1クラス人数)となる。
この日は生徒にとっても地獄である。

休み時間は、机、椅子の大移動で、就職組の教室はガラガラ、反して
英語組の教室は通路も設定できぬほどの超過密状態になる。

ここで、最初の教室のイラストを見てほしい、机と机の間隔が殆んどない
教室風景である。
ここに70人近くの生徒が詰め込まれるのである。

それでも、oldboy-elegy君、不満は特段なかったし、当然の事とし、むしろ
楽しんでいたように思う。

       
             おわりに
今、思い起こせば、何気に、楽し気な気分になるが、遠いとおい昔の
事である。
なにか懐かしく、少し哀しい気分で、思い出すままに記事とした。


              了 
                           oldboy-elegy 

 

関連過去記事

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関連過去記事

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oldboy-elegy (57) 随分、昔のはなし、賭け事(パチンコとマージャン)を思い出し、楽しく記事にした、これもまたエレジー

 

f:id:oldboy-elegy:20220325205322j:plainoldboy-elegy君、これまで、ブログで100
あまりの記事を書いてきた。そんな中
「パチンコ」に関する記事は多分、
皆無のはず。



ただし同じ賭け事でも「マージャン」に関しての記事は幾つかある。

賭け事の「魔性の深奥・しんおう」に取り付かれ深入りしたと言う
勇ましい話
ではない。

ただ、マージャンやパチンコを通じて、半世紀昔の薫風?を今に
送れたなら
の思いで記事にしている。

oldboy-elegy君、基本賭け事には、多分に蛋白で、これで稼いで、
どうしょうか
などの不埒な考えは毛頭ない人であった。

なぜなら「賭け事」には全く向かない性質(たち)であることを自身で
重々承知していたつもりである。



そんな中でも、多少、場数を経験したのが「マージャン」であった。

ここで自身、悟ったことがある。

勝利が目前にあるような展開でも、手にした「配牌・配り手」に絆(ほだ)
され、手作り・役作りにハマリ、最終的に
「勝・カチ」がサヨナラと羽根を
付け何処かに飛んで行ってしまう。
この性格、「賭け事をする者」としては、最悪、最低の資質である。
※ 絆される(ほだされる)心や行動がしばられる。

10回の勝より「1回の大役作り」から抜けられぬ性格である。

つまり「賭け事」と「お遊び」の概念が分離できないお人なのだ。

気が付けば、結果取れるNo.1の座も、何処かに逃げて行く。
目先の一事に懸命になり、全体を見渡す「局面」を「読めない人」である
事を
自身で知っていた。

ここ数年、ブログを投稿するようになり、同時に人様の記事も読むように
なった。


そんな方の中に、「パチンコに嵌(はまり」「その禁断症状」からの脱出の
ための記事を主題に投稿されている方がおられる。

ある意味、oldboy君などより、よっぽど壮絶で迫力を感ずる。

この方より、大部に迫力に欠けるが、oldboy-elegy君の「パチンコ」に関わる、
短い話をしてみる。


★★2     虎丸先生とパチンコそして我らが青春

しょせん、ことは、大昔のことである。
この記事、パチンコと言うより、パチンコを通じて先生と学生の(空間)
雰囲気を楽しんでもらうのが目的である。


oldboy-elegy君が、大学に行こうと決心したころのことである。
とりたてて、大学で「こういう学問をしょう、そして将来は」などの
崇高な目的があった訳でもない。

ただただ4年間の「モラトリアム・社会人になるための猶予期間」が欲しか
った位の勝手な気持ちであり、言って見れば不埒(ふらち)な動機であった。

このような、自分の一身上の重大ごとも、父と膝を突き合わして相談した
ことはなかったと思う。
全て、母との話だけで済ましてきたはず。


なぜなら、貧乏お妾さんでもあった母の言質には、父は全てを了解し、
同時に
実行した人でもあったからである。

その母から父への要求の多くは、oldboy君の存在からのものであった
はず。

ただ一度ならず、母が父に「詰め寄った」ことがある。
父と俺の「姓」が違っていることが、社会的(就職)に不利になるとの思いが
母には
あったのだろう。
そんなおり、「関係ないよ、別に役所や銀行、大会社になど思ってないし」
と、いつも間を取り持っていたのが、oldboy君であった。


当時の、父の趣味と言うのか、遊びは、「ダンスホール・ビリヤード」で
麻か綿かの、白っぽいスーツを着て、夕闇の中に消えて行った後ろ姿を
憶えている。
みようによっては大正期の「モボ・モダンボーイ モガ・モダンガール」
気取り
を彷彿させる、お人であった。

この辺りのことは、oldboy-elegy君の初期のブログ記事でもお話している。



さてoldboy君、大学受験の勉強場所は概ね放課後、高校図書館を利用して
いた。
家でモクモクと一人で勉強するのは、なぜか好きではなかったし、彼には
似合わ
ない。
もちろん、図書館での友人も幾人かいた。


学校は府立高校で夕方には、三々五々、定時制の人達もやってくる。
中には、中学時代の顔見知り数人も在席している。

そこで、食堂も菓子パン・牛乳に限り定時制諸君のために、少々侘びしく
はあるが店開きしている。
残念ながら、人気のカレーライス、この時間にはない。
母から菓子パン・牛乳用の小遣いも恵んでいただいている。


退校時間は特別決めていた訳でもないが、概ね世間が暗くなるころが潮時
としている。

この日は友人二人、俺を含めて三人連れだって帰宅のため校門を出た。
急ぎ足の定時制の人達と対面する形ですれ違う。

暫らく歩くと幅7~8メートルぐらいの、どぶ川とまで言わないが、そんな
流れに沿って、街中に入った。

すぐ右に見えてくるのが、「まつや会館・仮名」である。
いかにも、それっポイ名を使ったが、言わずと知れた「パチンコ屋」である。

店はすでに、満艦飾の灯りがチカチカ、ぴかぴか点滅、客を誘っている。

そこに友人の一人が「アレッ!?」と一声。
「なんや?」と俺達二人。
「今、入って行ったオッサン、あれ虎丸やで」と言う。

電飾の光、あれだけ明るくても、不思議に明暗が際立ち、暗の部分の詳細
がハッキリしない。
この原理は、「ラブホテル・ファッションホテル」も同様である。

虎丸とは渾名で「東京の体育大学」出身の体育専任の教諭である。
お歳はヨウヤク30才を過ぎたころで、独身かどうかも知らぬ。

それに先生、湯桶・タオル持参の完全くつろぎ状態である。


「虎丸の家この辺か?」
「先生、独身か?」
とかしましい。

Yが、「入ってみよか?」と我らを誘う。
先生にたいする普段からの、気安さがさしたものかも知れない。

校章付きの学帽と学生服姿だが、この瞬間には念頭にない。

当時、学帽は学生服を着用するための、必須要件で、これなしの学生服は、雨の
日の雨傘みたいなもので、なければ気になる。
因みに、当時「学ラン」なる言葉も無かったはず。

この店、店構えはそう広くはないが、ウナギの寝床のように奥が深い。
途中、結構な段差がひとつあり、その手前の右側に先生がおられた。

「虎丸先生!」と同じくYが小声で話しかける。
三人が、先生を囲んだ形になる。

先生、目を白黒「なんじゃおまえら!?」と学帽・制服を上から下まで、ねめ
まわす。

明らかに、先生の表情は「困惑」のそのものである。

「今、表で先生を見つけたので、そのまま、後追いでここに」とY。

「バカか、お前らは良くても、俺が・・・」と、どうのこうのと仰っている。

あとは、両掌で、俺達を追い出すように「シーシー」と背中を押し外に。
「もうお前ら、堪忍してくれよ」とばかりの呆れ顔。
それはそうだろう、学帽を被った、学生服姿の学生、それも3人もが
一人の日焼けしたオッサンを囲み、ここ(パチンコ店)にいるだけでも、
禁断の絵になるはず。


★★★3   ここパチンコ屋の風景で思い出したこと

ことはこれだけだが、この時のパチンコ台は、立って打つスタイルのもので、

最初のイラストの矢印の所から、女店員サンが並んだ台の裏に入り大忙しで
あった。
それに、出玉を入れて脇の床に置いた、いわゆるドル箱はなかったはず。


ちょうどこの時代、パチンコ台は「立ち台」から「座り台」への過渡期で
あった
ようだ。

もちろん、ことはこれだけで、なにも問題は起ることもなかった。

すべてのロケーション懐かしい一事でもある。


                     了
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(雑感・雑記帳 No. 53 )せっかくの流入観光客3000万人超え(インバウンド・ジャパン)とコロナ禍など、徒然ままに、綴ってみた

                始めに
oldboy-elegy君、ブログを始める以前から、鉛筆片手のメモ取りを励行。

絶賛衰退中の我が脳ミソのカンフル剤、気付け薬のつもりで書きと
めて
いる。
現在も進行中の習慣である。

我が記事の約半分程度はこのメモからの頂きもので、タイトルが(雑感・
雑記帳 No)で始まるものが概ね(おおむね)これに
あたる。

残りの半分は、oldboy君が生きて来た時代と現実を下敷きに思いを乗せた
もので、(oldboy-elegy)と銘打って書き上げている。

こちらは、A4罫線なしのノートに構文から書き上げたものが大半。

どうも、最終的には、電子機器には頼りきれないアナログ人間なのは確かな
ようである。

歳はとったが、多分に子供っぽい自分の、elegy(エレジー・人生の哀歌・
挽歌)
を綴ったものの、つもりである。

このうち、今日の記事は(雑感・雑記帳)からだ。
行き当たりばったりのなりゆきまかせの一文、おゆるしを乞う。



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このイラスト、(inbound japanインバウンド・ジャパン訪日観光客)を表したものとして使用している。










★1  訪日観光客3000万人越えと、そこでのコロナ禍

※インバウンド・ジャパンInbound japan)と、「訪日外国人旅行客」の
こと。
これに対し、自国から外国へ出かける旅行をアウトバウンド(Outbound)
または海外旅行という。

コロナウイルスがはびこる、2019年まで、インバウンド(入国外国人観光客)
は激増中であった。

その年、流入外国人観光客は3000万人を超えた、喜ばしいこととoldboy君
は思っている。

特定の会社の物品や機械,特定アニメが良く売れたのとは違い、流入

外国人3000万人分の遊興費から、食費、宿泊費、交通費など旅行客一人
一人の
全ての経費が、滞在中の、この日本で費消されるのである。

そしてその直接の支払い先は、街の旅館、商店街の個人経営のラーメン屋さん
にまでに及ぶ。
お互いに人と人との対面での、濃厚な関係である。


外国人観光客の楽しみは、なにも、買った対物だけにとどまらず、この素朴な
人と人との交流も、ある意味、重要な商品かもしれない。


チョット今日の記事から外れるが、思い出したので・・・
「もう業界から追い出された、ある関西出身のハワイ好きな漫才師が
いた。

観光客として現地に行っても、自分の身の回りには、親分風を吹かし、
日本での日常をそのまま現地に持ち込み、遊興三昧、なにが楽しいの
だろうと、oldboy君は冷ややかに見ていた」・・・・

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左傾のイラスト、キャッシュレス化を
意味している








★★2 キャッシュレス化が、インバウンド(観光業)の発展の必要条件のように吹聴する人達がいるが?!果たしてそうか?

例えば、東京・築地や大阪・大黒町あたりで卵焼き一串購入、支払いは
カード
では気分がそがれ、似合わないと思うがどうだろう。

店の天井からぶら下がる、ザルの銭かごからオツリを渡し「サンキュウ」
と言うべきだろう。
むき出しのキャッシュが目前にある、「ハーイ、バック・マネー・・ね」と
端数のアルミの円玉まで、観光客の手の平に返却するのは当然。
これもまた、入国観光客にとっては嬉しいものになるはず。

またまた思い出したことがある、「お釣り」の扱いについてのサジェストで
ある。

ときおり外国人の不満などのレスポンス(反応)に「小銭の扱いに苦慮
した」と言うものがある。
その外国人さん、お釣りの硬貨が、ポケットにジャラジャラ溜まる事を
おしゃっているのだ。


①町の商店の店頭での取引の場合でも、最小1円までキッチリ精算するのが
日本の社会通念である。

②そして基本、チップ社会ではないこの日本、なれない外国人の場合小銭が
結構たまる、なるほどそうだろう。

oldboy君、韓国のソウル通いをしていた頃は、これをチップに充てていた。

そんなとき
ベッドメイキングのオバサンのため、溜まったウオンのバラ銭を
枕のそばに置き、「チップですよ」とメモを残して仕事に出かけた。
だが日本では、このマインドは通用しない。


かえして日本での観光、慣れない外国人には、この釣り銭問題、小
(こむずか)しく、厄介な事と思う。

解決法はこれではどうだろう
①到着初日、宿泊先のホテルなどで、広口の硬貨専用のがま口を無料または
低価格、説明付きで提供するのはどうだろう。
その時の口上はこうである、
「小銭入れごと、お店の人に任せ、必要分だけ取ってもらったら!!」と。
このこと、きっと評判になり、よい思い出になると思うのだが、どうだろう。


★★★3  この日本、一度でも一世を風靡した「機器文明」は、すぐに
廃るでもなく、規模はともかくに「文化」として
のこる傾向にある。

韓国人や中国人に、非キャッシュレス化をなじられ「後進国」と言われても
通じないものにはそれで良い。

カード決済が「ヘイ卵焼き串一本」では風情(日本的感覚)が削(そ)がれる。


またまた話が少しそれるが、韓国人が日本のFAX文化を小ばかにする場面を
よく見聞き
する。
いまでも、役所の書類のやりとりの主力は、「ハンコ付きの書類のFAX送信」
であることを
後進国」と揶揄、自国を「先進文明国」と自慰し、喜んで
いる場面にときおり遭遇する。


oldboy君、この超スローモーの変化も、良いところで、これも日本の「文化」
だと思っている。

公衆電話・FAX・携帯、ガラケー・磁気テープやCDロム・LPやドーナッツ
レコード・キャッシュ文化・超スローのマイナンバー普及、などこれまで
一世を風靡(ふうび)したものや逆に、おいそれなびかぬこの「がんこ
文化」も
嫌いではない。

一事は世界を席巻した「機器文明の最後に沈む場所」がこの日本である。
これもある意味、日本独特の「文化」と言えぬこともない。

一応、このジャパン、世界に冠たる、IT立国と言うことになっている。
そんなおり来日外国人、自国では見なくなった、公衆電話をみて「ザワザワ
!??」

災害多発のこのジャパン、断線さえなければ、電池と違い災害時の通話は
可能。
それ故、赤字覚悟で最低台数の公衆電話が残っているのを知ることになる。

市場は小さくなっていくが、隙間(すきま)産業として、残り続け、

そんな市場を持たない来日外国人たちの、郷愁を誘う古物市場をも
この国の魅力だと、前々から思っている。

このような日本的マインドは、「文明」から転がり落ちた「日本文化」
特徴かもしれない。

もっと長いスパンで見るなら、神社・仏閣や各地域に残る祭事・故事・習慣
など、
韓国や中国では、合理主義の名のもとに捨て去るべきものであり、
前世紀の遺物
、不合理なものとして排除されるものであると。

それよりもなによりも、むかし、ソウルでそこそこ格式のある、韓式料理屋で
のこと、出て来たお手拭きがロールのままのトイレットペーパーであったこと、
今でも思い出す。
これがいわゆる「韓国式の合理主義」の「顛末」かもしれない。

なるほど、「合理的価値観」としては、これで100%満たしているのかも
しれない。
しかしoldboy君
適には「なにかが違って、欠けている」だろうと大声で
叫びたい。


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これに就いては2017年、世界のFAX普及台数は前年よりやや増加したと言う
調査がある。

それらの国とは一位・米国 二位・日本 三位・ドイツ 四位・フランス
五位・英国 であったらしい。
いわゆる自称、先進国、韓国・中国は入ってない。


このインバウンドの業界、なにも便利なだけが、良い事とは限らない。

おのずとそこには、人と人との交流が生まれ、この時の印象が今回の旅行の
ハイライトとして刻まれることも多々ある。

今回のコロナ禍での残念だったことは、人命は当然のこと、インバウンド
外国人が、都会から、日本全国の町々、村々の津々浦々にまで、日本を求めて
足を伸ばしかけた時期での、この惨禍であったことである。

これほど即効性に富み、多くの人々に恩恵を及ぼす産業としてのインバウンド
効果は唯一である。

★★★★4  最後に・官許カジノの推進とインバウンド・ジャパン

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最近、世間では、この観光事業の一端に「カジノ・官許賭博場」の設置を
推進する運動が声高に叫ばれている。

oldboy君、若かりしころ、韓国ソウルのウオーカーヒルのカジノに何回か
行ったことがある。
もちろん、自前のお金ではなく、スポンサー付きのことである。

ポーカーなどのテーブルゲームの経験はない。
彼にとって、人の間に入り、やりとりするカードゲームはちと荷が重い、

ゆえに主にルーレットで、遊んでいた。

こんなカジノ認可賭博場、この日本に必要かどうかの判断、oldboy君には
分らない。

ただ、わが日本の文化そのものが、世界にあまり類を見ない形で存在し、
それを
土台にユックリとインバウンド化が進むことの方が、よいような
気もするが
どうだろう。

今日の記事、思いつくまま、書いてみた。
これはこれで、oldboy-elegy君的で、良かったと思っている。

        でわ でわ それでは おやすみなさい

                  
                       oldboy-elegy

あるアメリカ人観光客が来日、そこで見たもの、感激したことを、oldboy君
の郷愁から綴った記事。

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oldboy-elegy (56)嘘じゃない、信じてくれ、俺は「人魂・ひとだま」を見たんだよ!?

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その日、古い民家が続く広くはない
夜道を
実家に向って急いでいた。
左傾のイラスト中のクネクネした影はoldboy君である。
その時、彼の目に異様な強い灯りが
飛び込んで来た。
高い切妻屋根の軒下で、


その火球は見る見る
大きくなっていく。
oldboy-elegy君、瞬間、火事かと思い大声で叫びそうになっていた。

だがその火球は大きくなりながら燐家の同じ切り妻屋根の軒下に移り、吸い
込まれるように
その家の内に消えた。
一瞬の出来事であった。

そして彼の心中には「!!??」の残影が焼き付いたまま、今になる。


あとには、火事場の臭気も気配なく、ただ暗闇が辺りを包んでいるのみであった。

文章にすれば、たったこれだけの事である。


★1  彼、基本こんな不条理な出来事とは全く無縁の人であった。

oldboy-elegy君、当時大学2回か3回生のころの話である。
ざっと50年も昔のことで生粋の左翼系学生とまで言わないが、脳内回路は、
赤に白が混じった程度のピンク系、左翼シンパシー(同情
・共感)の人で
あった。


こんな彼、「俺、赤・黄色に光る火の玉、見た」と仲間内にも、家族にも広言
することはなかった。

なぜなら
普段手にする書籍は、近代弁証法の立役者「ヘーゲル」から「マルクス資本論
エンゲルス・空想から科学へ」「レーニン帝国主義論」などで、「唯物弁証法」「史的唯物論」と、かじって来た身で「俺、ユーレイ見た」「火の玉見た」なんて
言えたもんではない。


そうでしょう、唯物論と唯心論の両端の概念について、一人の人間が「俺、
人魂(ひとだま)を
見た」なんてどの面下げて言えますか?

言えば、即、周りの人たちに「oldboy」のヤツ、「トチ狂いよった」と馬鹿
される事、必定で、自分のステイタス(もしあればの話だが)が地におちる
こと、請け合いだ。


以後もこの「人魂」か「火の魂」かは知らないが、このこと、他言した事は
なかった。

しかし、確かに見たと言う事実は、このオツム(頭)にしっかりと焼き付いて
いる。


長年、生きて来て、夢、幻の類(たぐい)はいくつもあったはず。
しかし今もって「あれはなんだったろう」思えるこの種のものは、
コレ
が唯一である・

あれは「一体、何だったのか?」と思う「感覚」は、とうてい「幻視」
などでは済まされない、リアル感が今も残っている。
※幻視(げんし)・実際にはないものが、あるように見えること。


★★2 その日、京都での遅い講義のあと、地元、大阪は河内の実家に向かっていた。


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左傾の画像、謄写版印刷の為の道具
一式である。
原紙をやすり状の板に置き、鉄筆で
ガリガリと蝋を削り、字を書くので
ある。
従って、別名、ガリ版刷りとも言われていた。



この仕事、oldboy君、ホンに不得意で、時間がかかる上に、インクの
ノリが悪く、字もヘタクソとくれば、なにおかいわんや、の状況である。
塾生には気の毒をした思っている。

時おり、この悲劇の先生を見かねて、塾生の女子中学生に恥ずかしながら
助太刀をしてもらうことも度々であった。

もしこの晩、いつも通り塾に行っていたなら、この怪奇現象に遭遇する
ことは
無かったことになる。

それはともかく、その日遅く、母の待つ実家に向かっていた。
大学入学の折、部屋代、食費は免除とのご宣託をいただいている。
ただし「食事のオカズに文句は言うな」が条件であった。

遅くに近鉄電車をおり、まだ明るいが閑散とした商店街を過ぎ、ショート
カットギミの
幾つかの裏路地を抜け、我が家近くの古くからの家並の通り
にでる。


そのいくらか立派?なアスファルト道路の電柱に、時おり銀色のアルミ
の傘に
裸電球の街灯が「ポワー、ポワーッ」と緩く(ゆるく)ついている。


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そこで、出会った不思議な現象が冒頭に書いたそれである。

火事ではない、今度は、その理解不能な現象から「実家に何かが」と気に
なり
早足で、家路を急ぐ。

俺には少々、愛想のない雑種日本犬の「ホス」がユルユルしっぽを振り
出迎えてくれる。
このワン公の出自は、妹が連れ帰った捨て犬である。

追っかけ、「お帰り、ごくろうさん」と玄関右奥の土間で母の明るい
声がした。



                          了
                             oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No.52 )時代と言葉「オワコンとインターネット」「トッチャンボーイとテレビ・ラジオ」そして「ノンポリ学生と政治?」

★1  oldboy的、時代時代のことば まず「オワコン」を捨てて?

 

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もう古い、終わった言葉である

「オワコン」を捨てて、次は?

イラスト by いらすとや 

 



oldboy-elegy君、言葉の流行り、すたりなどを題材にしたブログ記事
幾つか投稿している。


エッチラ・オッチラ、やっとこ100記事を超えたところの弱小ブログで
ある。

なかでも思い出す言葉が「トッチャン・ボーイ」と「オワコン」の2語。

どちらも、ブログ投稿記事として使用済み。

この2記事については、最下記、欄外にリンクを貼っておく。
目を通していただければ嬉しい。



まず「オワコン」である、ある意味、今のインターネット時代を象徴する
用語で、
パソコン・スマートホンを介在に出現、ネットの「申し子」と
言っても良いのかも。

もう一つの「トッチャン・ボーイ」はネットとは関係ない時代のもの。
あえて言うなら「ラジオ・テレビ」時代の、1970~1980ごろに頻出した
用語で
ある。

上記の「オワコン」は今から10年以上前、「ネット用語大賞の上位」にも
入った「時・とき」
言葉ではあったが、最近ではその流行りも衰え、若者
が使うことは殆んどないらしい。


ただ遅れて参入して来た、中年域の若者気どりのおっさん、おばはんが
多用する
言葉に格落ちしているらしい。
その為か、若者の逃げ足も速いとのこと(年金世代に仲間入りした、我が
妹いわく)

要するに、oldboy君、この「オワコン」、自分で使うことはなかった。

「オワコン」の「オワ」は「終わり」を意味することは想像がついた、
ところが
「コン」が「??」判然としない。
グーグルに聞けば瞬間に「コンテンツ」と教えてもらえるはず。
だがoldboy君、それさえも物憂く、ホッタラカシのままであった。


★★2 ネット以前のことばで、ラジオ・テレビ時代の「トッチャンボーイ」
は?


もう一つ、ブログ記事で使用した言葉が「トッチャンボーイ」である。


この言葉、ネットとは関係ない時代の物で1980年前後くらいに登場した
のかな?

ただし、ネット辞書で見れば「とっちゃんぼうや」とひらがなである。

oldboy君、何故か「トッチャン・ボーイ」とカタカナで記憶していた。

「分別もできない、子供のような大人」ぐらいの意味である。

ここまで、二つの世代を反映した言葉として披露してきた。
「オワコン」と「トッチャンボーイ」である。



★★★3
  さあここで終われば、片手落ちのそしりを免れぬ。
では、oldboy君、若かりし時代の言葉はナニ?

きょうの記事を書こうと決めたのは、自身、学生のころの言葉を、読者諸氏
に紹介し、その時代の雰囲気を少しなりとも感じて欲しいとの思いからである。

それでも、10・20・30代の若者には殆んど、なんの感慨も呼び起こすことの

ない言葉と予想する。

多分、50才以上のお人で、60・70才と年齢を増すほどに、遠い記憶の底から
呼び戻す感覚で「あ~ぁ、そうそう」と多少の共感を得るものと信じて書き
進めてみる。

ネット世代、テレビ・ラジオ世代と時代を遡れば、oldboy君の時代、少々
大仰に
言えば 政治的混乱の時代と言えるかも知れない。

高校時代の詰襟服に、ボタン・襟章を付け替え、これを着用して大学に登校
したこともあった。

角帽は買ったが、これを被って通学した記憶はない、そんな時代の「言葉」
である。



★★★★4  今日の主役の言葉は、これノンポリ学生」に決めた。

さてその肝心の言葉である。
いろいろあるが、今日はノンポリ学生」でゆく。

当時の社会的雰囲気を表した文言で、書こうとすれば、いくらでも広がる。
西暦で言えば1970年前後のことで、
戦後、経済発展をなし、

「もう戦後ではない」と言わしめた時代でもある。

ノンポリ  or ノンポリ学生

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上記のタイトルだけで、ある程度、理解し説明できる方の年齢は、多分、
現在65才以上の方たちと推量するがどうだろう?。

ノンポリ」とは英語の「ノン」と「ポリティカル」を合わせた「ノン
ポリティカル」の意で、「政治的ではない・非政治的」とする日本式造語で
ある。

この言葉のお尻に普通、「学生」がクッツキ「ノンポリ学生」として、当時
の社会の雰囲気を醸し出す流行り?言葉となる。

その意はずばり、「政治に無関心な学生」と言う意味。

当時この言葉は「政治に関心のない、あるいは関わらない学生」を揶揄
(やゆ)するもので、由とするものでは無かったはず。

戦後も20年を過ぎ、日本を含む世界の政治的潮流が混沌とした時代である。

・世界的には、「ベトナム
戦争」の泥沼化、1965~1975
・この日本では「1960年の国際共産党組織からの脱退と独自路線・六全協
・同年の社会党浅沼稲次郎委員長、暗殺事件
・1970年の「よど号ハイジャック事件
・1972年、そしてあの「浅間山荘事件」

と悲劇が続く。

oldboy-elegy君、まさにこの時代の学生であった。
学校に行っても、校門は教室から持ち出した、机を積み上げ、ロックアウト
(締め出し)状態で「封鎖]。

ヘルメットを被った学生が、ハンドマイクで「我々は・・・」と「がなって」
いる。
友人に「社学同・学生の政治運動組織のひとつ」に片足突っ込んだ奴がいて、
脱退するのに、大学を半年休学、故郷に隠遁したヤツがいた。
何年か遅れて、無事、卒業したようではある。

oldboy!してお前はどうだったのか?
「俺!!、気持ち的には、シンパシー(同感・同調)を持てたが今は
基本ノンポリ学生で良かった」と自己弁護し、納得している。

下のイラスト画、旅をする「ムーミン谷」の「スナフキン」気どりのoldboy
君である。

(イラスト画は・いらすとや・さんよりのもの)

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★★★★★5 了和のこの時代、俺の時代の意識では、きっと不適格者
として
後ろ指さされる存在であったように思う。

以前のブログにも書いたが、4回生の夏休みに、能登から新潟、佐渡
沼田から尾瀬ヶ原、日光、東京と寝袋担いで貧乏旅行に出かけた。


気持ち的には、人生のモラトリアム(社会人までの最後の心の猶予期間)と
して、もう一年学校に残るつもりもあったが、旅行から帰って来た時には、
このまま卒業、就職すること
を決心していた。

この年(4回学生)、冬休み前に就職も決めた。
こうしてoldboy君の「ノンポリ学生」としての4年間は終焉を迎える
ことになる。

社会に出ても、何一つ得意とするワザも資格もなし、ただそれでも、
なんとか、これまで生きてこれた。
「世の中のヌルさ」が、幸いしたのかもしれない。

ある意味、あの時代は彼向きの、そんな時代であったのかもしれない。

最近、読者諸氏のブログを読む機会が増えた、思う事は「適当に生きる」
と言う「選択肢」が今は消滅した時代のように思う。

ふと今、ここには書けないことを思い出し「めがしら」が熱くなってきた。

どうも、歳を取るにつけ、人間、涙もろくなるようでいかぬ。

      でわ でわ きょうは これまでとする

                              了
                              oldboy-elegy
 


「トッチャン・ボーイ」
を主題に書いた記事のリンクです

oldboy-elegy.hateblo.jp

「オワコン」なる言葉を軸に書いたリンク記事

oldboy-elegy.hateblo.jp



oldboy-elegy (55) ソウル暮色  4話 ①下級官吏?の横暴 ②闇両替商 ③この部屋を予約する理由 ④視線の先の狂乱あみだくじ

 

      まえがき

今日のこの記事、実はリライトによるものである。

ブログを初めてオヨソ半年ごろの記事。
スターを数えても10個程度、もちろんブックマークはゼロと言う惨状
であった。
そんな中、既読の方に申し訳ないが、全くの「新記事」として、今日、出稿
さしていただく。

内容的には変わりはないが、助詞の「てにをは」や、「段落・句切り」
それと「字数」を極力、減らすのに傾注させていただいた。

ここでは「ソウル暮色」としてoldboy-elegy 君が体験した四つのエピソード
を取り上げている。


★1   第一話 官憲の横暴と露店商人

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下級官吏?が路端で小商いをする老婆の野菜を入れたザルを足蹴にし、
路上にぶちまけた。


夜のとばりが降りたばかりの明洞(ミョンドン)は雑踏の中にある。
この地域は今も昔もソウル、いや韓国で一番の繁華な街だ。

一日を終え、仕事先の社用車でホテル近くまで送ってもらった。
あとは、歩くのが一番である。


 oldboy君、雨でも降らない限り、新世界百貨店(戦前の三越)前
あたりで車を降り、街の喧騒と雰囲気を楽しみながら、ホテルに帰る
のが常であった。

そんな折、あまり見たくもないこんな光景に遭遇したことがある。

白い、いわゆる韓服(チマ・チョゴリ)姿の老婆がデパート前の歩道
の街灯の下で大きな竹ザル2個に青物の野菜を一杯にして小商いをして
いるのに出会った。


oldboy君、この光景を目の端に入れながら通り過ぎようとしたその時で
ある。

制帽である野球帽、ブルーのシャツの両肩に肩章が厳(いか)めしく
乗った屈強な警察官?らしき二人が、あろうことかいきなり老婆の
売り物の野菜が入った大きなざる2個を足蹴にし歩道にぶちまけたので
ある。

oldboy君、一瞬凍り付き、その場に立ちすくむばかりで、何が起こった
のか理解できずにいた。


おばあさん、なにやら大声で叫び、二人の男達に、つかみかかり、食って
かかっている。

日本でもしこんな光景を見たら、おばあさんの身の上が、なにか哀れで、
理不尽な男達に「罵声の一つ」でも浴びせたくなるのが普通の人情であり
感情だろうが、ここはソウルである。

不思議なのが、繁華街を行き交う人々の多くが、全てとは言わないが、
この出来事に比較的無関心なのである。

oldboy君、歩みを止め、この衝撃的な光景に「あんぐり」、だが通行人
にとっては、
「氷ついたかの様に突っ立って、眼前を凝視する」俺の姿の
方が、なにか不自然な存在として見られているように感じた。

それだけ通行人の多くは無関心な様子なのだ。

法を犯した婆さんが悪い、の雰囲気だけが辺りを包んでいるのである。
oldboy君、そのあと、現場からそそくさと離れ、デパート前から横断
歩道を渡り、明洞側からこれを見るとはなしに見ている、まだ気になって
いたのである。

老婆は散乱した野菜をひろい集め、ザル一個を頭に乗せ、もう一個は小脇に
抱え去って行った。

ホテルに帰り、遅くに「帰宅」して来た井野さんにインスタントコーヒー
をいただきながら聞いてみた。

「明洞一帯の露天商の所場代、権利のまた貸し代が高騰してるらしい、
おそらく地域が雇っている、警ら隊の奴らと違うかな?」そいつら。
と井野さん。
「それにしても・・あまりに理不尽な」の苦い思いが胸にのこった。

この日、ベッドの中でも、この老婆の残影が消えないoldboy君がいた。


★★2   第二話 闇の両替商の本業はなに?

宿泊中のホテルを背にして門前の一方通行を右に数丁行けば、「新世界
デパート」に、左にすこし歩けば、ここにも「デパート」がある。
名前は「美渡波」だったか「美登波」だったのかは忘れた。


「新世界デパート」は韓国一の、業容を誇る老舗店(戦前は三越・ソウル店)
であるが、この「美渡波デパート」は似ても似つかぬ「しょぼくれデパート」
である。

いわゆるビル全体が「小店舗テナント貸し」でその業態は、昔、大阪にあった
「千日デパート」のようなものである。

実はこの得たいの知れぬ「デパート」も、あの「井野さん」の紹介で、
訪韓の折、必ず1・2回行くのがoldboy君である。


重々しい両開きのスイングドアーを押し開き、一歩入ると、「高麗人参
を扱う小売店がフロアー全部を占めている。


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もちろん「高麗人参朝鮮人参」を購入するために教えてもらった訳
でもない。

そう「闇の両替」はこれら「高麗人参店」の裏の顔でもある。

井野さん曰く「まあ5万円も両替したら2万ウオンぐらいトクになるんかな、
朴ママ」と女性店主に目配せ、納得させる。

「もし人参のみやげ買うなら、ここで買ったらいいわ、これほど粗悪品
掴まされる品物あらへんからな」と井野さん。

朴ママ、ニコニコ顔で「よろしくね、まかいしといて」となまりの無い
日本語でoldboy君にご挨拶。


いらい両替は、よもやま話を含めてこの高麗人参店でやっている。
そのおり、濃いコーヒーが出てくる。
高麗人参は以来、頼まれ物で何回か日本に持ち帰っている。
ただし母は一度口にしたが、顔をしかめ、後のご要望はなかった。

のちに知った事だが、これらお店の多くは、夜の女性も斡旋しているとの

こと。
なにが本業なのか、訝(いぶか)る、oldboy-elegyがそこにいた。



★★★3 第三話 oldboy君ソウル滞在中、いつもこの部屋を予約する理由

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oldboy君、この日も仕事を終えホテルにご帰還。

カウンターでキーを受け取り、自分の部屋に。

日程が決まれば直ぐに、日本から予約を入れるのだが、それでも時折満室で、
1日だけだが、別のホテルに宿泊することがある。
そんな時の手配は全て定宿にしているこのホテルがやってくれる。

基本的な日用品や、はては電気スタンドまで段ボール1箱にまとめてホテル
カウンター裏の小部屋の一隅に預けて帰国する。

何故か、ホテルの照明、oldboy君にとってはルクス不足に感じてしまうの
だが、
彼だけの感覚なのか、わからない。

予約する部屋は決まっている、4階エレベーターホールを出て右に、長い
廊下の突き当りを鍵型にさらに右に、そして一番奥の右側の部屋がお気に
入りなのである。

それには、oldboy君なりにキチンとした理由が存在するのである。

まず、ベッドの広さがダブルである事、普段、布団で寝ている身にとり、
この贅沢は何にも代えがたい感覚なのである。

次に、突き当りの部屋であるので廊下を行き来する人が、向かいの部屋の
宿泊客以外はいないのが嬉しい。


最後に、この部屋が気に入っているもっと重要な事がoldboy君にはある、
さてそれが何かお分かりかな。

「ホテル火災の恐ろしさ」に関係がある。

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1971年の師走、クリスマスの朝に出火、200人近くの人々が亡くなった。
「大然閣ホテル火災」が起きている、そんなに昔の事ではない、火災現場
もここ明洞(ミョンドン)からそう離れてはいない。


「大然閣ホテル火災」の死者の多さの原因は、22階という、高層造りで、
火の回りが異常に早く人々は火炎に追われ、飛び降りた事とされている。


一方oldboy君の投宿しているホテルの4階の廊下の突き当りには、鉄枠、
両開きのガラス窓が、設えられていた。

鍵もなく開けるのに、何の造作も要らない。

それにつけても火災に関する備えは全くない、外付けの非常階段は勿論、避難
用縄梯子(はしご)は無論、一筋のロープさえ無いのである。

ホテルの名誉のために言っておくが、21世紀の現在の話ではない、40年
以上昔の状況をお話しているのである。


だがこの窓のすぐ下は、アスファルトの地上ではなく、お隣の有名中華
料理店の大屋根なのである。

通常時、この大屋根に飛び降りろと言われれば、運動音痴の彼にはちと
しんどいが、いざとなれば、「やれん事はない」程度の高さなのである。

そう、この事が「この部屋が気に入っている」一番の理由でもある。

「お前、小心者すぎるやろ」と言う人もおられるかも知れないが、何も手間暇
(てまひま)かかるものでも無し、「自分の意識の奥にインプットしておくだけ
のこと」で安心感が違う、「夜は高イビキ」で眠れるということだ。

 
★★★★4  第四話  4階廊下に10人ばかりの男女、わいわいキャーキャー
      と辺りかまわぬ嬌声の中

暮れなずむ夕日の中、oldboy君、やや早めにホテルにご帰還である。
今日、井野さんのお誘いで、「新村・シンチョン」ロータリーの「兄弟
カルビー店」での食事会にご招待。

繊維会社の会長さんである「張・チャン」さんと言う方の招待である。
ビジネスの用向きでなく、「久しぶりに会って、楽しくお話しましょう」、
が主旨とのこと。

当然、oldboy君の同席は了解済みのことである。

井野さん曰く「この張会長はきれもので、出身は北朝鮮の平城(ピョンヤン
近郊の村、特筆されるのは戦前の日本が設立した「平城師範学校卒」との事。


のちにoldboy君、何が気に入られたのか不明だが、ビジネスとは関係なく、
幾度か食事のお誘いを受けている。


早朝、ホテルの部屋の呼び鈴がなり「誰だろう?こんなに早くに」と出て
みると、そこに出勤途中の張さんが立っておられ、「昨日会社でハイキング
に行き、これを買いました」とリンゴ4~5コの入った竹ザルを土産に手渡
されたこともあった。

もう一つ下げておいでになるので、今から上階の井野さんも訪ねられるの
だろう。

oldboy君、張さんに就いては、いずれ一つの記事として書くつもりである。

 

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さて、井野さんとの約束時間まで少しある、ルームキーを受け取り、自室に
手荷物を置きに戻るため、エレベーターで4階に、扉が開くとベルボーイの黄
(ファン)君が仲間のもう一人のクロークとホールの横に置かれている簡易机
の横に立ち、二人して同時にoldboy君みる。


ファン君、困り顔で俺を見て、廊下の奥を目配せし、oldboy君に懇願の様子。
廊下突き当りの角部屋の前で10人ちょいの男女が「ワーワー、キャーキャー」
と大騒動、アルコールも入っているらしい。


その嬌声の中から、日本語が聞こえてくる、男は全て日本人であるらしい。
ファン君「別にいいんですが、もう少し静かに、部屋の中でと、頼んでい
ただけません」と遠慮がちにoldboy君にお願いする、顔には「日本人同士
のよしみで」と、無言のプレッシャー。


僕ちゃん(oldboy君)、急に気弱になる。
不得意な事、数々あれど、根っからの「不戦論者」である彼の一番の不得意
種目である。

君子でもないが「危うきに近寄らず」は彼の主たるモットーの第一
番目をなすものである。


嬌声の中から「アミダで決めよ、それが一番公平やろ」の大声が耳に
はいる。

今晩のお相手を、アミダくじで決めようとの事であるらしい。


どうもこの場(部屋の外)でアミダクジをやるらしい。

ファン君、oldboy君の後ろに回り、押し出そうとする素振りである。

対面(といめん)の迷惑団体が、一層声を張り上げ、掛け声をかけ始めた
のである。

やがて、くじが始まる

 oldboy君、この一層の喧騒と「ホイホイ・・・」の掛け声に押されるかの
様に意を決したのである。

まさか死ぬこともないだろう、それにこれからもこの慣れ親しんだホテルの
スタッフに、あの人、「あかんたれ」」と影で後ろ指を指されるのはもっと
苦痛である、との思いがさせたのかも知れない。


決心すると、逆に義憤が生まれ、即、彼等の方にスタスタと歩みだす。
この行動、自分でも信じられないoldboy君である。

「あんたたち、この廊下は君たちだけのものではないんよ、やめろとは
言わないが、せめて部屋の中で遊んだらどうだ、あそこにいるベルボーイ
達の表情、見て見ろ、あの視線」的なことを、oldbou君、言ったようだ。


すると、男達の中の一人が,顔を斜にしながら、oldboy君にツッカカリ両襟
首を持たれることになったが、何故か怖くはなかった。

これが「肝が座った」状態と言うのだろう。


この時である、この集団の内の年配格の男が「こらxxやめとけ」と襟首
をつかんだ若者をしかりながら「みんなわしの部屋に入れ」と仲間を語気
荒く恫喝したのである。


この日、この後(あと)、張社長さんの待つ「新村カルビー店」へ急ぐ
ことに。


翌日の夜、ルームサービスでコーヒー&ハチミツシロップつきのパンケーキ
が届く、勿論、ただである。

ファン君(ベルボーイ)の精一杯のoldboy君へのお礼の意味である。


                            了
                               oldboy-elegy
           

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oldboy-elegy ( 54 )  ソウル暮色  韓国のパリパリ文化? (それ行け・やれ行け・はやくはやく)・チョット落ち着いたら!!

★1 韓国人の典型的民族特性を、彼等の「パリパリ文化?」に見た。

人は、ある要件の下で集団化すれば、必ず、その塊
(かたまりmass)と
しての特殊な性質・性格が内包されるのは自然の成り行きであると。

仮に、この要件が国・民族・歴史、などを共有した人々を想定した
場合、このmass(かたまり)が創る特別な独特のクセみたいなものが
できる。

多分、それがこの集団の「文化・culture」なのか知れない。
※上記の文化の説明 いつも通りoldboy君の「独断と偏見」による
 もの
であることには変わりがない。

したがって、AとBの集団が表出する「文化」は、優劣を争うものでもない。
これは、oldboy君の「文明・文化」に対する持論でもある。


もう一つ「文化」と対をなす言葉に「文明・civilization」がある。
これは「機械的・科学的」な発達を意味するもので、「物質や経済的発達
指すもの」と解釈してもよい。


したがって「文化」と違い「文明」のこの集団間の発達の差異・高低の
計測は可能である。
最近では、この「文明の発達の差異」が全てで、「文化的それが」無視
される傾向にあるのは、悲しい。

oldboy君、1970年代前後10年以上、彼(か)の国への出張員として出入り
した。
なにも語学がデキタとかの理由で無い事は確かである。
部の末席の彼、上司から見れば、暇そうに見えたのが本当のところだろう。

★★2 「パリパリ文化」ここからはoldboy-elegy君、若かりし頃の話である。

韓国人の種族特性の「文化」、有名なのが「パリパリ文化」である。
「早く早く・それゆけやれゆけ・急げ」などの精神状態と行動を指す言葉
である。


「빨리 빨리・パリパリ」の ハングルを見れば、パrリパrリの間にrの音が
あり、oldboy君には聞こえない、従ってrはサイレントして「パリパリ文化」
と呼ぶことにする。

f:id:oldboy-elegy:20220204222105p:plain

※ 上掲のイラスト、ソウルで一番の繁華街・ミョンドンの夜。

★★★3  ここから 第一話 

ミョンドン(韓国イチの繁華街・ミョンドン)を歩いていると
こんなことを
体験した。これも「パリパリ文化」のなせるワザか?


「あ~、やれやれ、今日はこれで終わりッ、パクさん呼んで、食事でも
すっか」とoldboy-elegy君、ホテルに戻るべき繁華街をキョロキョロ
しながらユックリと歩いていた。
彼なりの、至福の時間でもある。

朴(パク)さんとは、ホテル裏の路地でストリート雑貨商を営む韓国人
のこと。
もちろん、イキサツも含めて、ブログ記事、既出の人でもある。

じつは彼、ここoldboy-elegy君の韓国語のお師匠さんをお願いしている。

かれ、朴さん、日本語、それも大阪弁が堪能だ。
この辺の経緯は、過去記事にしたためてある。

時間が合えば、彼の店じまいを手伝うこともある。

弛緩しきったoldboy君、やおらホテルに向かって、人混みの中をホテルに
向っていた。

そんな時
ヒョイと、突然、背後から近づきoldboy君の左肩に無言のまま手を懸けた輩
(やから)がいた。


「誰かな?」と思い、歩行を中止、左に正対して、顔を覗こうとしたが、
その彼、置いた手で、水を掻き込み、泳ぐように、oldboy君の脇をすり抜け、
先を急いでいく。

もちろん、なんの面識もない人である。

「なんじゃ今のは??」と唖然としつつ、その場に佇立し、そして固まった
oldboy君。

そのオッサン、水泳で言う「抜き手を切って水中を泳ぐがごとく」人混みの中を
先に去って行った。
oldboy君「?????」

当然、雑貨商のパクさんにも、この事を話し、尋ねたら、かれ大笑いして
こういった。

「そやろ、僕も何べんか同じ経験したよ、そのクセ、やってる本人も
気が付いていないのよ恐らく、やられたガワも、その行為がいかに特殊で
あり得ないものとは気が付いてないと思うよ!」

パクさん、俺の部屋で、ルームサービスのコーヒを笑いながらすすって
いる。

彼、朴さん、一息入れて、こう言った、
「僕みたいに、日本に長くいた人間が、突然こちら(韓国)にくれば
oldboyさんの様に、おかしな行動と認識できるが、韓国社会だけで生きて
来た
人には認識デキマヘンのと違いまっか」と最後は大阪弁になっている。

あのせっかち歩行、イヤ走法も基本今日のタイトル「パリパリ文化」
基本にあり、そこから派生した、ものの一端と解釈することにした。


★★★★4  ここから 第2話
oldboy君が、頻繁に通っていたころの韓国の「自動車産業」はようやく
その緒に就いたころの話である。

乗用車で言えば、社用・タクシー車の営業車が中心で、個人用のクルマ
の増加はもう少し後のこと。

三菱のクルマをプラットホーム(基礎・基盤・基)に開発されたポニー
がその中心であったようだ。

oldboy君の取引先の零細商社や工場主のクルマもこのポニーが多い。

それに、それらのお抱え運転手の名刺には、誇らしく「運転技士  李・・」
と印字されていたのを思い出す。
「運転手さん」は「特殊技能保持者」として扱われていた。

そう、「運転手」さんではなく「技士」さんである。

f:id:oldboy-elegy:20220208123506p:plain



ところがどっこい、これら「運転技士」さんの肩書、実は間違いで本当は
「曲芸師」だと、すぐに知ることになる。


いかに脅威に立ち向かい、果敢にそれをすり抜けるかが「技士たる由縁」
だと知る。

つまるところ「安全運転」の意識が皆無なのだ。
「運転技術」とは「曲芸運転」と同義語と憶えたoldboy君がいる。

oldboy君、確かに「日本国」の免許証を持っているが、彼の「安全運転」の
マインドでは、絶対にここでは「運転技士」として採用されることはない
だろう。

市内中心部の高速道路出口ランプは今日も超満員である。
そのクラクッションの喧騒と車両間隔ゼロの中を、一寸刻みに出口に
向かう。

どうぞお先に、などの考えは微塵もない。
時おり隣のクルマの運転技士さんとの罵り合いも「技士」の「運転技量」の内と
ばかりにやり合うのである。

たまに、これらの会社の営業職の方が、大阪に出張されることもある。
そんな時、少しでもお役にたつようにと、伊丹の空港までoldboy 君、
お出迎えすることもあった。

しかしそれも、数回のみで、悪いが習慣化することにはならなかった。

韓国からのお客を、運転席隣りに座ってもらえば、大変な事になる。
それも親しければ親しいほど、oldboy君に遠慮がなくなる。

読者諸君、なぜにこうなるか、想像できますか?


そう、走行中、となりの客人(韓国人)のうるさい事ウルサイ事。
曰く
・もっと車間距離をツメロ
・ほれ右が空いてるから、そこへ入れ
・前の車が遅いから、クラクッションを鳴らせと手が伸びてくる勢いである。
・なぜこんな細い道に、横断歩道があるのか、と文句タラタラ

 人が変わったように運転手(技士ではない)oldboy君に指図し始める
 始末である。

そんな彼、韓国はもとより日本の運転免許もっているわけでもない。

この習性、あの「パリパリ文化・それ行けやれ行け・早く早く」は、車に
乗った時に、特にヒートアップされる。

こんな時代もあったなあ、とイロイロおもいだすが、
あれから40~50年、韓国も随分発展、殆んどのクルマが個人持ちの乗用車。

時代も変わったな~と思いきや!!!

意外や意外、その基本特性のクルマにおける「パリパリ文化」は今も健在
であるらしい。

韓国人が日本で運転する場合、感じるのが、
「あまりに交通マナーが厳しいので息苦しいですよ」と宣(のたま)う。

「あ~ぁ、恐るべきかなパリパリ文化」お国が裕福になれば、少しは落ち
着くと思った俺がバカだった。

★★★★★5  ここから 第三話

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もう一つ、ソウルでのアパート探しのおり、あるユーチューバ―さんが
経験したのがこれ、
現地の不動産屋さんのクルマに乗せられ物件探し、これは日本でもお馴染み
の風景。

現地物件に着いてビックリ、まだ子供を含めた先住者家族
が居られる中、
部屋に上がり、その人達が居なかったように、セールス
トークを始めた、
とのこと。

なにか、侘びしく、切ない気持ちになるoldboy君がいる。

韓国人の「パリパリ文化」は彼oldboy-elegy君が40~50年昔に感じた
ものから、そうそう変化してしていないように思うがどうだろう。

あ~ぁ「げに恐ろしきは、その種族特性」かな。

・たとえば、映画館でエンドロールまでキチンと見る人は殆んどいな
カップラーメン、3分待てる人は少ない
・信号が変わったとたん、後ろからクラクッション
・エレベーターのボタンの連打
 などなど

社会の仕組みが複雑になればなるほどに、「パリパリ文化」も形を
変えながら多様化しているのかも知れない。

かれら何故にこう急ぐのか、結局「パリパリ文化」の種族性から逃れる
すべは、豊かさとは関係ないのだろうか?

さいごにこの「パリパリ文化」に対応する種族特性言語も周到に用意され
ている。

それが「ケンチャナヨ文化」である。
「大丈夫、だいじょうぶ、なんとかなるよ」ぐらいの意味で、「パリパリ」
と併せて、「パリパリ・・ケンチャナヨ」と一対なることが多い。

最後に、では日本人の、それはと言われたら?なんだろう。

「せっかく堅牢な石橋があるのに、ハンマーで叩き壊し、渡らない日本人」
つまり
「心配性」で「決断が遅い」とは聞いたことがある。

「パリパリ」と「心配性」の溝は深まっているのかも。


★★★★★★6  ひとこと

互いに、優しさを共有できる人達を是とする文化を持った国であって欲しいもの
 であるが、最近ではその溝の幅と深さが広がるばかりであるように感じる。



                                 了 
                 
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(雑感・雑記帳 No.51) 実に日本的大ニュース「所変われば品替わる?」・なぜか「文化の違い」に心なごむ俺がいる

 

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★1  はじめに

始めに断わっておくが、この記事では「ある大?事件」を非難するために
書くものではない。

この日本で起こった「ある大事件??」が、彼(か)の国の人達にとっては
歯牙(しが)にもかけないほどの小事で、むしろこの何処が事件なの?
として,伝わった。
※「歯牙にもかけない」問題にしない・無視して相手にもしない

もっと言えば、oldboy君的には、むしろ、その落差が楽しく、とりあげ、
記事化したのが本当のところ。

往々にして、我々の持つ「文化的側面の常識」が、地域(国、人々)が

替われば,小事どころか、それ以前に意味が理解されないこともしばしば
ある。

それでは例をもって話をすすめる。

★★2 日本の公共バスが「扉を閉め忘れ、客を乗せたまま140メートル走行」 

  (2018・10)

この大事件?は日本の公営放送NHKで報道されたものである(2019・02)

実際の出来事は、この報道の前年(2018・10)の出来事だった言う。


このニュースに接した外国人(主に東南アジアの人々)は、日本の社会が
言う事件性に???、むしろバスのドアの存在と?、その走行距離140M?、
トドメを指したのがこれを放送したのが日本を代表する大放送局NHK
であったことから、違った目線で話題になっていた。

因みに、上記の三つの目線は、日本では、なんの不思議もない、「通常
運転日本」の出来事で、なんの違和感もない報道姿勢で特異点はない。

あるとすれば「あ~またか!」ぐらいのものである。


★★★3 それでは、この「大事件!」に対する彼らの、少々、冷ややかな
目線とは


①バスのドアのあるなしには、「むしろ扉がある事に不思議」と言うのが
彼等のスタンスである。

②それと大放送局が数か月遅れのチョットした事件を報道したことと、
 その違反走行距離が、なんと140メートルにも苦笑い。
 日本はよっぽど暇で平和な国なのかと、幾分「嘲笑・ちょうしょう」
 ぎみともとれる、彼等の対応である。

彼等のこの事件に対する反応は、我々、日本人の視点とは大違い。
「その意識の差」がどこから来るのか、チョコッと考えてみたくなった
のが本当の所である。

日本人も、もう少し肩の力を抜いて生きれたら、もうチョットだけ
幸せに
成るかも知れない、どうだろう

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 ★★★★4 その主な内容は以下のようなものである

(名無しの外国人さんA)・ゴメン、どんな反応すれば良いの、これ
 ジョークなの?
(oldboy君のコメント)・扉の無い事に、何の不思議も感じていない
人達のおおらかさに乾杯


(名無しの外国人さんB)・逆に言うと日本のバスには、扉があるって
 ことでしょう、俺の国
では見たことない
(oldboy君のコメント)・なんの、テライモなく、お喋りしている所が
 良い


(ななしの外国人さんC)・東南アジアなら、これがニュースになる事
  じたいがニュース
(oldboy君のコメント)・大放送局がナニ言ってるんや、つまらん 位
 の反応

(名無しの外国人さんD)・俺の地元、扉を空けたままで走る、それが
 エアーコンと言うもんよ
(oldboy君のコメント)・チョット、とんちの効いた返答で小馬鹿ぎみ
 
(名無しの外国人さんF)・大変なニュースだな、日本では 
(oldboy君のコメント)規律が多く、息苦しく感ずる人達、
 日本人として生きるのは大変と皮肉交じりの感想


扉が開いていたまま走行した、それも140M」この事実を「事件」と
して取り上げ、公共放送で、ニュースになった事自体が、奇妙で理解
できない様子。

以上、およそ、「さすが日本!!」など、だれも言わないし、「なにか、
面倒くさい、人達、そしてお国!」と聞こえてくるようである。


★★★★★5  おしまいに

oldboy君自身、国外にでることは大好きだった。
1970年前後、10年以上、韓国を中心に台湾・香港に社用で訪れた経験
がある。
それぞれのお国の「大激動期」でもあった。

政治的不安定の最中にその国に身を置いたこともあったが、
不安より、なぜかある種の高揚感を感じていたように思う。

また言葉は少々不自由だが、束縛されず、身一つ自由なのも、気に
いっていた。

たぶん、会社にこのような性向を見破られ、担当者にされたのかも
しれない、と思っている。


もともと、oldboy君のプロフィール1行紹介もこうなっている
ずいぶん長きにわたりグータラな人生を送ってきたもんです。
これからもきっとこうでしょう、ハイ。と
基本的なマインドは当然、今も変わらない。

今日の、この手のニュースは、この日本国内では「時々ある大?事件」と
して発生し、
また報道もされていたように思う。

しかしこのたびのものは、ちょこっと、事情が違うように感じる。
その違いとは何だろう?

電子機器やスマートホンの世界的な同時普及が、まずその大前提にある。

これまで、この手のニュースは国内向け専用に発信され、外部に流れ出る
ことは殆んどなかった。
しかし今は違う、電子機器の世界同時普及は、こんな「大事件?」まで
拾い、国外に漏れ出て、拡がり行くのである。

それと、われらの常識が、異なった文化圏に行けば、「コウナルヨ!!」
との
良い事例と思い、今日、記事にしたつもりである。

oldboy-elegy君も、ズットズット昔、韓国に10年近く出張員として通った

ことがあった。

★★★★★★6 おわりの・終わり 韓国に於けるバス事情とチョットした事故

そのおりのバスの乗降には随分、難儀したことを、今、思いだしている。
ただ扉はあったが、まともに開閉するのが難しい位の混雑であった。

バス停は一応あるのだが、そこは単に乗降の目安でいい加減、この辺りに
停まるはず
のバスが、ズット遠くに停車、客はそれに向かって走りより、
バスのドアや横腹を
平手で、「おーい乗せろ」とバンバン叩いていたのを
想い出す。

当然oldboy君も現地の人ヨロシク、気持ちよくバスのボディを叩く。
少々品行の良くない事に、すぐ追随するのも、彼のくせでもある。

日本でこれをすれば、「あの人なに!」と大ヒンシュクを買うのは確か
だろう。


いちど、テグ(韓国の地方都市)に行った折、夜間、ようやくに乗った
タクシーが、交差点で凍結
のため滑空、停車中のバスの横腹にポコン、
と衝突したことがあった、


さっそく目の前
で双方の運転手が外へ出て大ケンカ、それも薄明り、
酷寒の中。
バスの窓からは、首を出した多くの客が、「それやれ」と扇ぎたてる。


明朝の新聞に載るのかな?、「ナイナイ」それは。
ここでは事件性ゼロである。
だが、これが日本なら、そうとも言い切れないところが面白い。
今となれば、ある意味、楽し気な、ヨイ思い出でもある。

あのころ、あの国、あの町では、おとなしく上品に、ことが運ぶのは
期待
出来ない、それがまたある意味、楽しくもあったように思う。

基本、かれ、「文明・文化の混沌状態」が何故かお好みの体質をお持ち

のようである。

また機会あらば、当方の「ソウル暮色」として記事化するつもりである。

     でわ でわ それではお眠(ねむ)につくとする


               了

               oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No 50 )  メモからブログへの記事化、そして出稿。古式ゆかしいパソコン・オンチのoldboy君的手法とは

 ★1 oldboy-elegy君、毎日、ことあるごとに「メモ取り」をしている。

最初に断わっておくが、ここで言う「メモ」とはあの「microsoft 
windows」に付随した「電子メモ帳」のことではない.ダイソー
数冊100円
で買える、あの純然たる古式ゆかしい昭和のメモ帳のこと。

パソコン様の立ち上げひとつとっても、機嫌の良し悪しがあり、意地悪される
こともママある。

そんなヤツを100%信用して、ため込んだ財産のメモ全てを預ける勇気は
俺にはない。

人は言う、何故それらの情報をパソコン上に置かないのか、そのための
機械だろう?と。
そこがそれ、oldboy君、基本的にこの種の機械を100%信用していない
ところがある。

この「メモ取り」は、はじめ、ブログの「アイデア探し」のためのものでは
なかった。


人と会話中「何がどうした」と説明する場面を想定したとしょう。
俺も含めて、年配の輩(やから)の多くは「ああした、こうした」の説明
部分は比較的、健在であり、滑舌(かくぜつ)も、マアマアである。


問題は「何が」「誰が」のトッカカリの主語の部分である。

何故か、この部分が喉の奥にひっかり、言葉として出てこないことが、
ままある。

チョットした茶会で、我ら初老のおっさんが、昔懐かしい、超有名芸能人
の訃報に
接して、「ほれ、それ、あいつ・・・、死んだんだと・・」では、
懐かしい
も、感慨も「ヘッタクレ」もなくなる。
「ただただ自分自身の情けなさ」だけが募る結果になる。

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※チョットした小物を探している図である。 「いらすとや」さんより

人間、歳を取るにつけ、年々歳々、この「物忘れ」がひどくなる。
普通「バカに付ける薬はない」ことになっているが「物忘れに付ける
薬」とは聞いたことがない。
そうであるなら、多少、物忘れに「抵抗」しても可笑しくは無いだろう。

サアー、これでつつましやかに、生存しなさいよと、年金をもらい始め

てから、特にこの傾向(物忘れ)が加速したように思う。

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そこで敵(物忘れ)がそう出るなら、こちらも、これに抗(あらが)う方法
(抵抗)として始めたことの一つが、「メモ取り」であった。

人間、生きるのに必要な当然の物事も歳々、絶賛、「減少中」である。
よしんば忘れたとて、それに文句をつける有難い人も減ってくる。

しかしこれとて、自分1人の事では済まされない社会性のあるものは、

「忘れました」「失敗しました」として、捨て置くことは出来ない。

迷惑が、他人に及ぶこと、一番避けねばならぬことは当然で、その代表
例が「自動車免許の返納」の事である。

よくも、この、オッチョコチョイのあわて者野郎のoldboy君が、

40年近く無違反とは言わぬが無事故でこれたのは奇跡でとあった
思っている。

そんなこんなで、これから先も、この奇跡が都合よく続くとは到底
思えない。


車両維持のための経費、そう多くない親戚の者たちの進言、もともと
鈍い
反射神経などを鑑み、先年「泣き泣き」返納した。

返納後、当初、生活に違和感があったことは否めない。
しかし、時が経つにつれ、バスや電車からの景色が新鮮に思えてきた
のには驚きであった。

そう、全くの「NO注意」で流れゆくバスの窓外の景色を眺めている。

それでは、こんな俺の昭和の時代の、アナログ的、技法?「メモから
記事・出稿」
までの、流れを報告する。


★★2 メモ取りとて努力が必要、

ブログを書くようなり、その方法も僅かだが、日々これ進化の過程
にある。


書きなぐったメモも、今では1000枚以上になると思う。
軽い適当な分類で、ゴムバンドでワッパ、空の菓子缶に納まっている。


これを利用して、記事化・出稿した記事も、そこそこにある。

以下、書きなぐった、何の脈絡もない「メモ」から、どのように記事に
結び付けて要るのかを、ある例でもって、話してみたい。

IT機器の達人の多くの「ブログ投稿者」には、
バカバカしくて、非能率に
見えるだろう。

それでも世には、「パソコン嫌い」の「ブログ投稿好き」の、奇特なお人も、
おられることを期待して記述して行く。



それではoldboy君的、雑メモから、記事投稿の流れを書いてみる。


★★2   oldboy-elegy君流、メモ帳から記事化までの流れ



メモから記事化までの 第一段階

ただただ、興味のむくまま、書きなぐっていく。
忘れていた漢字や熟語、英単語や面白い慣用句、お人の名など一枚の
用紙に
同居している、テレビやラジオ、新聞、雑誌、小説、いやなんでも
アリである。
もちろん、ブログ仲間の記事も、その対象である。


今ここに手にしているメモがある。

内容は以下の通りになっている。

メモには、「防衛医科大学・早稲田、人工血液」とある。
この用紙には、日付となにやら番号が書かれている。

なにか記事化できる可能性を直感したのであろう。
続いて同じメモ用紙下段に「血液センター」「吸血鬼」「ドラキュラ」
とある。
oldboy君、このメモに、なにかしらの記事化への可能性を嗅ぎ取ったよう
である。

記事化までの 第2段階

別に大判、無罫線のノートがたくさん、用意されている。
イデア集約ノートである、いまでは20冊ほどになっている。
ブログ記事を書き始めてからのものである。

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※上掲のイラストは大判のノートである。罫線が引かれているが、
oldboy君、無地ノートがお好みである。

上段欄外に仮タイトル「人口血液」と「仮番号」を付与されている。
たんなるメモには、日付はあるが、番号はない。

ノートに書かれた番号はもちろん、シリアルナンバーとなっている。

※シリアルナンバーとは、タイトルひとつひとつに付けられている番号
ことで
識別するための番号のこと。
他に、「連続殺人犯」などは「Serial Killer ・シリアル・キラー」などと
呼ばれている。


記事化の可能性のあるものは、番号を1から順に付けてきて今この
「人口血液」でNO235となっている。

この後、集めた「人口血液」に関する情報や、oldboy君の個人的発想
など
も併せて、全てをこのノートのシリアルNO235に集約するのである。

実際の記事はこの順番とは関係なしに、出来上がった順に投稿する。

古い番号でも、いまだ記事化できていないものも結構ある。
ヒョットして、世に出ないまま、ここで終わるものもあるはずだ。
その後はメモ無しで、気の付いたことは、直接ここに書き込ん
でいく。

本記事が出来るまで、この「仮タイトル」「シリアルナンバー」

かわらない。


これらのノートの1冊に人工血液と記事ナンバーのページ表裏4ページ
を、あてがい、後に得た新情報や、検索内容、世に出てないoldboy君的
独自の
発想を模索し、記入する場としている。

彼、この段階が一番好きである。

集まってきた情報を眺めながら、料理の仕方を考え、模索するのである。

f:id:oldboy-elegy:20220120185619p:plain

※上のイラスト画像、吸血鬼ドラキュラである  by いらすとや さん

このページには、「人口血液」の大タイトルから始まり、吸血鬼・ドラキュラ・
イギリスの小説家・ドラキュラの故郷
は日本?・本当のドラキュラはルーマニア
の領主・オスマントルコ軍との
戦乱などなど。

もっと話を膨らませ

いやいや元大統領のチャウシェスク?・もっと発展して、北朝鮮の金デブの一番
信用していない人は、国は・中国、アメリカ、日本、ヒョットしたら韓国
と書き
足し
がある。

これだけ話が飛躍、錯綜しても基本「ウソ、捏造」はない。
新聞やニュースでは得られない新たな「視点」を模索するのである。

その可能性をつなげて、oldboy-elegy君的に処置を施し出稿したく思っている。

今の印象では、最終オチは、(金デブ)の一番恐ろしいのは「自国民」の
はず、どれだけの、残虐行為をしでかしたのか、「犠牲になった親、兄弟、
民」は言葉にこそ出さないが、その胸中には鬱々としたもの渦巻いている。

南朝鮮から飛ばす
プロパガンダ風船チラシごときに異常反応、もし自国民
が反乱すれば、逃げる
場所はヨーロッパ・オランダはハーグにある国際司法
裁判所、以外はない。

命だけは助かりたいの一心である。

もちろん、金さん、チャウシェスク夫婦の哀れな最後の様子は知っている。
夫婦して、逃亡中、自国の一般民衆に捕らわれ、裁判もなく、惨殺された
のは当然、御存じである。

話は「人口血液の発明」から「金デブ」に無理なく、繋ぐのが重要。


★★★3   以上がアナログメモ帳から記事化までの流れの一例である

などなどの端末の情報がすべてこの仮タイトルと同一ナンバーに一括、集約
されるところがミソだと思う。

この「人口血液」からどんな記事になるかは、まだ途上で雲中にあるのが
正直なところである。
どんな結末になろうとも「そーか、それもアリかな」と感じてもらうのは
大切。
荒唐無稽の話になれば、それは失敗記事となる。

これは当然、oldboy君のブログでは「雑感・雑記帳 NO」扱いのものに
なる
予定。


実際に、このような思考過程を経て、記事化、出稿したものはそこそこ
ある。


★★★★4  おしまいに

結論として、この心もとない思考でも何とか記事を書き、出稿できるのも
そうそうボケが進行していないと自己判断しているのだがどうだろう。

記事の文面からまだまだ大丈夫と言ってくださる方がおられるなら、嬉しい
かぎりである。

今日のこの「人口血液」のブログ記事化は、もう少し練度が必要と思う。
記事化・投稿がデキタ時はヨロシク。

 

    でわ でわ 今宵もこれまでとして 就寝することにする

 

                了
                                  oldboy-elegy

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(雑感・雑記帳 No. 49 ) 亡き母の「声音・こわね」を突然思い出す、「デービッド!ローソンまで行って来て、ハイお金ね」の言葉を聞いて

 

f:id:oldboy-elegy:20211226004717j:plain

★1 上掲の写真、なんだと思われる?


アメリカ、オハイオ州出身の年配,男性観光客が日本で見たものはなん
だったのか?

なにかの容器であることは、その形状から察しは付く。
そう、アメリカで日常使われていた、アルミ製のミルク入れ缶で
ある。


今日の、話は、年配のアメリカ人旅行客「名無しの権兵衛さん」が、
日本国内を旅行中、あるものにイタク感動、そのおりに転がり出た
なにげない言葉を題材にしたもので「チョットしたホッコリ系」の
話である。

同時に、oldboy-elegy君も、その言葉を聞き、深く感応、連鎖反応を
起こしたのである。
この「心の連鎖」が無かったなら、恐らく、今日のこの記事は書け
なかった
はず。


年配の旅行客が口にした言葉とは、今日のタイトルのまま
「デービッド!ローソンまで行って来て、ハイこれお金ね!」
が、そうである。

そうこの「ローソン」と言う社名と「ロゴの形状、カラーリング」の
出自はもともとアメリカ合衆国オハイオ州の「ローソンミルク社」もの
であった。

会社設立は1939年の事である。
※出自(しゅつじ) 出身や出所

主たる販売品は「ミルク・牛乳」であり、フレッシュさが売りの評判
のもの
であったそうだ。



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上掲のローソンのロゴマークは現在の日本の「コンビニ・ローソン」のそれ
である。


チョット見た目には、もともとの、アメリカ「ローソン・ミルク社」のロゴ
マークと
の違いは明確に認識できない。
カラーリング、全体の雰囲気が同じが為であるからか。

そう、写真のアルミ製の缶は、上掲の「コンビニ・ローソン」のロゴに
描かれた容器とほぼ同一のものである。


少しoldboy君の創造が入って申し訳ないが、このアルミ製のミルク缶
基本的な名称が、いくら調べてもはっきりしないのである。

そこで「アメリカのミルクの容量単位」は「ガロン」である事から、
「ガロン缶」と勝手に名付けさせていただくことにする。

1ガロンは約4Kg弱で、その量から考えて、恐らく缶の大きさは、数種類
あり、お客の家族構成などにより必要量も異なる、きっと「通い缶
になって
いたのではないかと想像する。
※「通い缶・かよいカン」 顧客囲い込みのためのサービス、会社が無償
でお客に貸し与えるもの


ロゴの違いは、上下の英語文字のみで、「LAWSON」が「LAWSON'S」
となっているのと、下部の「STATION」が「PARTY FOOD」となって
いたぐらいで、これも遠目(とうめ)チョット見では殆んど違いは認識
できないはず。


ここで言うアメリカの「パーティ・フーズ」とは、パーティーのホストや
ゲストが
厳然と分れている日本と違い、招待されたゲストも,何かしらの簡単
な料理を持参
するのが常識とされる。

子供達の「お呼ばれ、呼ばれ」の「誕生会」を念頭に置けば理解しやすい。

アメリカ・ローソンの販売品をよくよく観察すれば、後のコンビニエン
ス・ストアー
への萌芽が、もうすでに見え隠れするのはなんとも興味深い。

新鮮で高品質なミルク(牛乳)を中心に、パーティ・フーヅ、コミック本、
場所にも依るが、ミュージックボックス、ゲームの簡体機など、現在の
コンビニ店の方向がすでに見え隠れしている。

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因みに、日本のローソンの1号店は1975年のことである。

断わっておくが、ここでは「ローソン・ミルク社と日本のコンビニ・

ローソン」との成り染や関係のウンチクを語るのが目的ではない。

以上の事実を念頭に、以下、読み進めて欲しい。


★★2
コロナ禍までの日本入国外国人観光客数は2019年には年間3000万人を突破!!

こんななかアメリカ合衆国からの観光客も当然、大勢いたろう。
そのうち、特に、オハイオ州からの入国男性年配者の心境に与えた、ある
ことが、この日本でチョットした話題になっていた。

アメリカの「ローソン・ミルク社」の本社および出自はオハイオ州

始まりである。

オハイオ州は、五大湖の一つエリー湖の南岸に位置し、北はもうカナダ

である。

昔はインデアン各部族の居留地があり、さらに今でも厳格なキリスト教
教義を実践し生活
する「アーミッシュ」の人達が住む、地味豊かな、牧歌的
な土地柄でもあった。


これを知ると、「ローソン・ミルク社」のミルクがいかに優れたもので
あったかは想像に難くない。
日本で言えば、北海道を思い起こすのと同根の想いかもしれない。

一体彼等は、我らが日本の何を見て、その様な言葉・言質・印象を
持ったのか??


そう、彼等は、日本の空港に到着したその瞬間、印象的な形とブルー
を白で抜かれたアルミ製
ガロン缶の、あのローソンロゴを突然、目に
することになる。

元祖、「ローソンミルク社」の店舗が本家アメリカ・オハイオから
消えて久しい。


彼等にしても、長いあいだ、忘れ去っていた日常のオハイオの心象風景が、
このロゴを目にするや、40年50年の時を超え、今はもういない
母や父を
始め兄弟たちが突然胸中にフラッシュバックするのを想像してみて欲しい。


以下、その時の年配さん達の文言を、「名無しの権兵衛さん」の扱いで
幾つか紹介する。


「名無しの権兵衛さんA]
・おれはローソンのミルクで育ったようなもの・・

「名無しの権兵衛さんB」
オハイオ出身の俺、本当に驚いた。
 ローソンのロゴを日本で初めて見た時の信じられない気持ちを・・・

「名無しの権兵衛さんC」
・そうそう、アーケードゲーム、いろいろ置いてあって、よくやっていた、
 ローソンで・・


「名無しの権兵衛さんD」
・子供のころ、コミックを買うのは、ローソンだった・・

「名無しの権兵衛さんE」
・おばあちゃんがローソンで働いていた、60年昔の話・・・

「名無しの権兵衛さんF」
初めて日本で見た時、そりゃ衝撃的,忘れかけていた記憶が突然掘り
 起こされた・・・

「名無しの権兵衛さんG」
・俺の家、酪農家、ローソンに牛乳おろしていた・・・

「名無しの権兵衛さんH」
日本旅行中、不思議な感覚に陥った・・・

などなどである。


★★★3 上記の文言の他(ほか)、oldboy-elegy君にとって特に琴線
     に触れたものがあった。
     これが為、今、記事を書いているようなものである。

それがとっておきの外人さんの言葉で、タイトルのそれである。

その言葉をもう一度書く。
「デービッド!ローソンまで行って来て、ハイ、お金ね」
なんと彼等にとっての日常の風景を醸(かも)し出す、一言か。

これを読む、いや聞いてoldboy-elegy君、フイに自分の母の「声音・こわね」
耳にした感覚に嵌(はま)ってしまったのである。

もちろん、oldboy君、デービッドではないし、お使いの行き先もローソンでは
ない。

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※上掲のイラストは「黒砂糖のかち割」である、「思い出」はもう少し
「黒かった」
印象がある。 「いらすとや」さんより


では、どのように聞こえたの?

「oldboyちゃん!お逮夜市(おたいや)に行って、いつもの黒砂糖のかち割、
買って来てハイ
お金!!」
が、あの時の母の言葉で、彼女そのものの「生声・なまごえ」で頼まれたか
に聞こえたのである。


お逮夜市(おたいやいち)とはoldboy君の地元の大寺二つを結ぶ参道
に掛かる
大市(おおいち)のこと。
それぞれの寺の中興の師の入滅日が「市の立つ日で」月2回の開催である。

母はこの日には、必ず、故郷・鹿児島の「サトウキビ製の黒砂糖のかち割」
購入するのを楽しみしていた。
また自分が行けない時はoldboy君に頼むのもいつものことである。


従って、タイトルのデービットではないが、全て状況は重なる、それが、
彼に
同種の感興を呼び起こしたのもまたうなずける。

この文言が、内容は当然の事、その「声音・こわね」も、まぎれもなく
母の
「地声」そのものだった、とoldboy君には聞こえたのである。

「デービッド!」で始まる、その言葉が、時の時空を超えて母とoldboy-elegy
君とを
結んだのが全てである。

最後にもう一度聴こう、母の生声を

デービッド!ローソンまで行って来て、ハイ、お金ね」

「oldboyちゃん!お逮夜市(おたいや)に行って来て、いつもの
黒砂糖のかち割ね、
ハイお金!」
である。


★★★★4   こんな販促企画はどうだろう

追記 コロナ禍が終われば、ローソン販促のための、こんな企画はどう
だろう。

今、ヒョイと「思いついた」

アメリカ、オハイオ出身の方、本人パスポート一覧で10%値引きするよ!
ローソン」
はどうかな?



★★★★★5  あとがき

日本語の「懐かしさ」と、英語で言う「ノスタルジ-nostalgy」の感覚の違い

はじめ、
英単語のノスタルジーを、日本語の「懐かしさ」と同等の扱いで文章化して
いたが、どうもそうでもないらしいのに気が付く。

日本語の「懐かしい」は、どちらかと言えば「肯定的」側面が強く、
英語で言う「nostalgy」とはニュアンスが大部に違うのである。
つまり日本語の「懐かしい」を正確に表現する「英単語」は存在
しないと言う事になる。

それを気にしながら記事を書くのは少々、難(むずか)しいので、
それならばと、全文破棄して
一から書き直すハメに、少々時間は
かかったが、なんとか書き上げたがどうだろう。

「ウヒョーッ」疲れた、つかれた、ツカレタ!!


       でわ でわ 心置きなく眠ることにする

                 了
                 oldboy-elegy


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oldboy-elegy (53) 怖かった落下する夢(もう見ることの無くなった今)は、成長するための対価として失ってしまったのか?

 

  

★1    新年おめでとうございます 今年もよろしく    oldboy-elegy

西暦2022年も令和で言えば、早くも4年の新年になった。
なにか、正月らしい、おめでたい話でもないかと思案するが、これと
言う
ものもない。

先年暮れの、100記事投稿・達成も、はや過去のこと、時間の経過の
早さも、
およそ無慈悲に風を巻き上げ、通り過ぎて行くばかりである。

そこで思いついたのが、初夢ならずとも、夢話のことである。

しかし、この夢とて、歳を重ねるにつけ、年々歳々、あまり見なくなった
ように思うが本当はどうだろう。

人が言うには、「今でも、若い時と同じだけの夢を見ているが、哀しいかな
覚醒してからの記憶として残っていない」のが現実だとか?

そこで、夢続きとして、子供のころから今も記憶に残っている、ある夢に
ついて話
してみる。

oldboy-elegy君、以前のブログにも、子供時代の夢について話をしたこと
がある。

内容は、「オネショ」のことである。

ある夢を見ると、そこそこの確率で「オネショ」に繋がると言うものである。

恥かしながら、この事で、小学校の修学旅行の折も、まんじりともせず、
一晩過ごした嬉しくもない経験もある。

※このオネショ話、今日の記事終了後に、リンクしておく、もしよろしければ

どうぞ。

今日は、下半身の話ではなく、空中遊泳に失敗、挙句の果て、地上に落下
する
と言うものである。
正月早々、めでたくもないか。

それでは、その馬鹿話、少々の時間があれば付き合って頂きたい。


★★2 楠(くすのき)とその実の、ゴムパチンコ玉としての秀逸さとは?

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上掲のイラストは、楠(くすのき)の葉と、その木の実(このみ)
図である


実の色合いから見て、10月~12月頃のものとoldboy君は推察する。

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oldboy-elegy君の子供時代の有力な遊び道具、ゴムパチンコである。
「チーンジャラジャラ」のパチンコではない。

上掲のイラストを見た感じでは、手作り感はなく、量産品の「売り物」
であろう。

oldboy-elegy君のそれは、木の枝を利用したものだ。
もっと武骨で、兄(義兄・長男)謹製の手作りのものであったが、威力は
一級品であった。


これをケツ(お尻)のポケットに差し込み、街中を闊歩する。
となり町の同類の「ワル」に遭遇しても何故か「気おくれ」すること
はない。


でもゴムパチンコだけでは、武器にはならぬ、そのためには「弾丸・
たま」が
必要なのは当然のこと。

葉っぱの下から「木の実」がたくさん見えるだろ!!そうそれが弾丸で
ある。


この実、イラストを見る限り、「小さく、ひ弱そうに見える」が意外に
そうでもない。

直径1センチは無理だが、7~8ミリ程度には成長する。

「でも、1年の内、弾丸として使える期間が??」の質問もあろうか
と思う。

ところが、この楠の弾(たま)、意外に長期にわたり使用できる一品
でも
ある。

夏休みが終わるころには、イラスト画のように熟れてはないが、緑色
カタイ実に成長している。


弾丸としての、威力のみを考えると、固い分、熟れたそれより、こちらの
方が威力があると言えるかもしれない。


季節が進むほどに、実が熟れ、紫から黒に変色してゆき、緩(ゆる)く
なって
いく。

この熟(う)れた弾は、違った意味で、効力を発揮する。
実が服の上で破裂、いやな臭いと染め色そこに残すことになる。

ポケットにこの実を入れて、遊び回った分には、その匂いですぐばれ、
母に叱られることになる。

通計すると、なんと、ほぼ半年の間、弾丸としての効力を発揮してくれる
優れモノなのだ。

南天の実も、それなりに試すが、少し小ぶりな分、「クスの実」には劣る。
そのうえ、何故か大人たちの怒りをうけることにもなる。

しかし、この上なく優秀なタマが他に存在する、花火の一種「カンシャク弾」
がある、自分達の町では「投げダン」と言っていた。

ただしこれには、お金がかかる。
お年玉で買う、年一回の「散財」がセイゼイである。

はなしを本筋の「クスの玉」にもどす・

  
★★★3   この木の実の弾(タマ)、採集するのが難儀なことだった

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※上掲の写真、その楠(クスのき)である。
写真のそれは、いかにも登りやすく、実の採集が簡単そうに見えるが、
oldboy君の近所の寺の「クスの木」は、そうはいかない。

ふつう神社や寺の境内の巨木の殆んどは、この楠か杉であることが多い。
とくに神社などは、境内の巨木を御神木(ゴシンボク)としたり、結界域
として、しめ縄や紙垂(しで)で囲んでいたりする。

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※紙垂(しで) 注連縄(しめなわ)にぶら下がっている稲光状の紙の
    こと。

多くは神社の場合が多いが、寺でも注連縄(しめなわ)をするところも
あるらしい。

上掲、巨木の写真は楠(クスの木)である。
たまたまこの写真では、比較的低いところから、枝葉がたくさんあり、
簡単に、実を採取できそうな、雰囲気がある。

だが、oldboy君の近くの寺の楠は、注連縄(しめなわ)もなく、
単に近所
の「大きなクスの木」の扱いであった。

根っこから4~5メートルぐらいの高さまで、枝葉が全くない姿で
「にょっこり」
と屹立している。

そう自分の力で登り、好きなだけ楠の実を手に入れるには、子供のみ
ならず大人でも難が
ある。

ただ時々の台風や強風のあと、ちぎれた枝葉が、たくさんの実を付けた
まま地面に落ちていることはママあったように覚えている。

「ア~ァ、自由に木に上り、カンカン一杯に実を取り、両方のズボンの
ポッケにも入れ、メンコ(べッタン)しに行きたい」と思う事しきりである。

それがこの近所のガキ達のあこがれであり、強い希望であったと思う。

屈強の若者でも、まずこの巨木に道具なしで登れるものではない。
まず、トッカカリの幹別(みきわかれ)れや枝が皆無なのだ。
よしんば低めに枝垂(しだれ)れたものがあったとしても、とっくに
(義兄)たちが、我々の為に、物干し竿か何かで薙(な)ぎ払い
済みである。



★★★★4 空中遊泳のつもりが、次の瞬間、地上に真っ逆さま、
      あわや大地に 激突!
か?!


読者諸氏、俺たちのこの楠の実への強い思いだけは分かってもらえた
だろうか。


このような、もどかしい日が続くある日のこと。

oldboy君が「クスの木を見上げていた折の事」なぜか、あの枝まで空中を
浮遊し、到達可能に思えてきたのである。

あの枝に取り付けば、全山(ぜんざん)、こちらのもの、などの妄想に
侵されていた。


姿勢も方法もおよそ解っている。
両手を一杯前に出し、胸には満タンの空気を貯めこめ、それからユックリ
はきだすのである。
そのあと両手を平泳ぎヨロシク前に出し、そのあと自身の両脇に空気を
掻き込む
のである。

なぜか、oldboy君、「出来る」と確信に近い感覚があった.


そのうち、手がかりになる枝は、目と鼻先の近場にあるかのようにも
感じ出した。


なんとなんと、自分の体がユックリではあるが、浮き上がり、
上昇し出した
ではないか。
やがて、目標にした、枝木(えだぎ)まで到達。

そこから尚の高所は木を伝って簡単に行き来はできる。

もう紫色も過ぎ、黒くなった実であったが、喜々として枝葉を
ちぎり、
地上に落とし続けたのである。


俺は、これで、弾丸不足に泣いて来た、ガキンチョ(腕白小僧)
たちの
英雄になれることも、約束されたも同然である。

地上に落としたクスの木の実はもう充分である。
そして有頂天のまま、地上に帰還の時が来た。

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なんの疑念も抱かず、自身の身を大きく空中に放りだしたのである。
!!??何故か次の瞬間、
地上に真っ逆さま、そして大地に激突か!?

全ては、そこまでである。


★5 それから後のこと


以後、小学生のころの同じパターンの夢を何回か見たはず。
しかし自身が成長するにつけ、何故か、この種の夢は見なくなり、忘れ
去っていた。


「なんやあほらし」と人は言うが、ある意味、oldboy君には大人への
「一里塚」のような夢だったのかも
知れない。
※「一里塚」 人生の最初のころ道標(みちしるべ) by oldboy-elegy

やがて夢の中で今見ている夢が「虚構」である事も悟り始める。
「こんな夢、あり得へんやろ!!」と夢の中の自分に毒突く、寂しいかぎり
である。

これもエレジー(elegy 寂しさ・哀しいこと)と言えば、そうか
もしれない。

  
                 了

                         oldboy-elegy

                 

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(雑感・雑記帳 No.48) 100記事達成(oldboy-elegyタイトル52稿、雑感雑記帳タイトルで48稿)併せて100記事になる。同時に年内最終稿がこれ!!

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  ★1 始めに

上掲の図、なんと思われる?
描いた本人もあきれ気味で、一度は降ろそうと思ったことは事実である。

大向うの諸氏から、やおら非難の声も聞こえてくる。
「これこれ、oldboy-elegy君、コロナウィルスで遊んだらだめよ」などと。
 
少々(いや大部に)見にくいかも知れないが、こう銘打ったつもりである。

「100記事投稿達成・by oldboy-elegy  Anniversary . 2021・12」と。

つまり、こう言うことである、

今日のこの記事がoldboy君100個目の記念記事なのである。

彼、基本、記事の内容から、二つのタイトルに振り分け文にしている。

ひとつのタイトルは「oldboy-elegy」であと一つが「雑感・雑記帳」
である。

前者が、彼の人生の中で、起こったことや感じたことを、後者は世相
などから拾ったあれこれを、コラム風に処置したものとである。

「oldboy-elegy」タイトルが前回で52個、「雑感・雑記帳」が47個、
併せて99が既UPと言うこと。

従って今日のこの記事をもって、併せて100記事に相成ると言うこである。

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※ 上掲のイラスト、お口直しのつもり。「いらすとや」さんからお借りした
ものである。

初出稿が2019・04で、以来、いく星霜?(2年と9か月)、毎月3記事
ポツリ
ポツリと書き上げてきた。
※初回月のみ、なぜか4記事、以後、毎月3記事出稿のテイタラク


実は、年末(12月)の最終稿(三記事目)が、たまたま100記事目になる
ことは
つい最近、気が付いた事で、意識したものでもない。

当初、100記事目も、「シレ~」とやり過ごそうと思っていたが、それが
たまたま
本年最終稿になる、ダブル記念になることを知ると、そうもできず、
今日のこの記事を
急遽投稿することに。

★★2  そもそもなぜ、ブログを書こうと思ったの?

もちろん、oldboy-elegy君にも、まっとうな理由がある。

その日は、病院への出勤日(診察)である。

病院は近所の、通い慣れたクリニックだ。

この日の診療も、腰痛とそれに繋がる足首痛の対処が主たる診察目的
である。
診察は,はなはだ、形式的で、いつも処方していただいている薬が
切れかかっているのを補充するためのものである。

診察の終わりに「oldboyさん、失礼だが、明日は何月・何日・何曜日、
すぐ答えられる?」との院長先生の突然の質問である。

少々唐突で、泡を繰った感はあったが、なんとか答えられた。

先生曰く「や~ゴメンゴメン」と言いながら言葉を繋ぐ。
「女の人は、隣近所、誰でもお喋りするが、男はイカン、それも特に独り者
は」と、oldboy君を諭すように仰る。

彼、この先生の言葉に、大いに納得。

そう、このサジェスト(示唆)の先にあったのが、「ブログを書く」と言う
行為だったように今では思う。

ひとは、何処まで行っても、「社会性」を必要とする生き物であるはず。

そう、「社会的存在・Social existence」としてのイクバクかの意味を取り戻す
場が、彼oldboy
君にとって「ブログ投稿」だったと思っている。

ウチに居て、俺が少々なにか(悪さ)しょうとも、取り巻く空気が、「そよ!」
とも
しない。
この現実はしょうしょうキツイ。

気楽と言う言葉に「置き換わり」はするが、あまりに存在感と刺激がなさ
すぎる
と最近になり、気がつく。

そして、この胸の空洞をいくらかでも埋めてくれるのが、この行為
(ブログ投稿)の始まりで
あったように思うがどうだろう。

「ブログ投稿」と「カラースター」それに
時おり入る、「ブックマーク・
コメント」などに嬉々としている俺・oldboy-elegy君がいる。



★★★3  おしまいに

細い、蜘蛛の糸ほどの「社会」との繋がりかもしれないが、これからも大切
にしていこうと
思う。

これが今年、最後の投稿になるが、このような文面になった。

100記事投稿達成とその100記事目が偶然、年末、最終稿になったことを、
ある
感慨として記述した。

こんなoldboy-elegy君ではあるが今後ともヨロシクお願いする。

             でわ でわ

              
 了
                    oldboy-elegy

oldboy-elegy.hateblo.jp



(雑感・雑記帳 NO. 47 ) 除夜の鐘は人為的(じんいてき)な騒音である、「ウルサイからヤメロ」騒動記・「論考?」oldboy君的 解決策を探る

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 始めに   

この記事、2020・01・02のリライト版である。

自分としては、お気に入りの内容ではあるが、読者諸氏にはもうひとつの

感があったように思う。

字数も大幅に減らし、時節もタイムリーのこと、再度挑戦のつもりで
UP
してみた。

感想など、あれば、嬉しい限りである。

それではスタートする。       by oldboy-elegy


★1   「  除夜の鐘」とお寺さんの「梵鐘」

oldboy-elegyくん、「さあーて、どこから書こうか」と思案中に、唐突に
「木枯らしとだえーてさゆる空より~・・・」の童謡の一節が機能障害一歩
手前の脳に去来。

たしか、文部省唱歌の「冬の星座」のはず、ともかくG検索を実行。

ありました、歌詞の後の方に「ものみないこえる、しじまのなかに」
しじま」の部分です。

除夜の鐘がゴ~ン
→冬の深夜→木枯らし途絶えて→静寂→冬の星座へと連想!

「静寂・せいじゃく」は「おのれが現在いる、近しい空間」の静けさで、
五感で感知できる範囲のものと勝手に設定。


「しじま」自分を離れて、天空から宇宙まで」を含む静寂て心で感じる
もの、とさせてもらいました。


そうすれば、「しじまのなかで」の前節「ものみないこえる」の、作詞の
意図がはっきりするように感じるのです。


「ものみないこえる」者、皆、憩える」で、「人間を含む、動植物
や物、存在する全てが憩える」とするなら、「天空・銀河、果ては冥界」
までもアリかなと思えるのです。


oldboy-elegyくん、およそ50年前のお話です。
夜具に潜り込み、枕元のラジオも消し、部屋は闇の状態です。


身も心も、外界と一体となり、静寂の中に在り、ある意味「至福」の時かも
知れません。
 


そんなおり、記事を書きながら、「俺、ナマで除夜の鐘、聞いた事がない!」
事実に気づかされたのです。

「河内」のこのあたり、真宗系の大寺が二つあり、中堅寺院や末寺の坊
など含めると、多くの寺がある土地柄です。

しかし「除夜の鐘」にまつわる記憶がない?のです。

「なぜ除夜の鐘」を耳にしなかったのか?今思い起こしても、理由は
これしか考えつかないのだが。

戦時中、半強制的に家庭内金属器などを「お国のためと」お上にさしだした
時期があった、これです。


梵鐘(ぼんしょう)などは金属の塊、これ1個で鍋、釜いくつ分に相当す
るのか見当もつかない、そんな鐘が鐘楼に無事にぶら下がっている訳はない。


そして、戦争も終わり、そんなに経っていないころ、国中が貧乏の極致、
失った鐘の再設置など、考えもしないし、食うだけで精一杯の時代で
あった。


数キロ先に国鉄(JRではない)の貨物専用の広い操車場があり、冷たい冬の
夜間など、貨物列車の編成中の連結器の音が「ガチャ・ガチャ・ガチャ・
ガチャ―ン」と「静寂・しじま」を破り、夜具の中まで聞こえてくることは
oldboyくん、記憶にあるが「ナマ除夜の鐘」の覚えはない。


「天空の凍てついた夜の静寂(しじま)」を破る、除夜の音を一度は聞いて
みたかったと言う思いは今もある


★★2  今日の主題である「除夜の鐘」の音は騒音か?

はてさて、21世紀のこの時代「除夜の鐘」が「うるさく、騒音」に聞こえる

人達が結構、いるそうである。


札幌のある寺院、苦情のため、今年(去年・2020)初めて、除夜の鐘撞
(かねつき)を中止するはめになったらしい。


鐘の音が「ある種」環境破壊?であり、自然音でもなく人為的なものであり、
もっと言えば「騒音以外の何物でもない」と電話による苦情が入るらしい。


「除夜の鐘の音」を騒音と感じる人が増える傾向にあるというのである。
 

この人たちを、あながち「文句言いのモンスター」と決めつけるのは短絡的で、
本当に「騒音」として聞こえている可能性もありうる。

本人にとっても「あんなうるさい音」を「情感あふれる日本の音」と愛でる
人の気持ちが、心底、理解できないのかもしれない。



★★★3  それではセミについてはどうだろう

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たとえば、セミの声だが、日本人は幼い時から種類別の鳴き声(擬音として)
を結構表現できるのが普通である。


例えばヒグラシ(カナ、カナ、カナ) 
ツクツクボウシ(ツクツク、ボーシ)
クマゼミ(シャー、シャーシャー、シャワシャワ)
ミンミンゼミ(ミーン、ミーンミーン、ミンミンミン、ミー)
アブラゼミ(ジャー、ジャー、ジージー
ニーニーゼミ(チィーチィーチチチー)などなど。


鳴き声のオノマテぺはoldboyくんが勝手につけたが、ご不満の方もあろうか
と思うがおゆるしを。 


まずセミの(種類別のなまえ)(姿かたち)(鳴き声)(出現時期)など
答えられる日本人は結構おられるはずである。


欧米人、とくに白人では、クマゼミの集団がうるさくそこで鳴いているのに、
聞こえない、聞き取れない人も結構いるらしい。


なぜか、多くの外国人と日本人とでは、これらの「音おと」を処理する
「脳の認識する分野」が違うのが原因であることが分かっている。


日本人は左脳の言語を司る分野で聞き、処理し、多くの外国人
(アジア人も含む)は右脳の音楽、音に対処する分野で聞いていると言う。


これらのことは「遺伝的素因」とは関係はなく、幼児から大人になる過程で
獲得されるものらしい。


あと虫の種類とその鳴き声も同じで、これだけの分類ができるのは、
おおむね「日本人」だけのようである。


また「松尾芭蕉」の有名な俳句で「静けさや 岩にしみいる 蝉のこえ」
と言う超有名な句があるのだが、欧米人にこの句を説明しても、理解して
もらうのは、不可能に近いものがあるようだ。


説明で一番困難な部分はうるさい蝉の音(声ではない)が、なぜ「静けさ」
と同居しているのか理解できないこと、またそれ以上に「蝉の声」自体が
聞こえない人もいるようで、よしんば聞こえたとしても「雑音・騒音」
ぐらいの認識であるらしい。


ふつう日本人なら、「山寺に向かう芭蕉が道中、「ニイ、ニイ」と鳴く
ニイニイゼミか「カナ、カナ、カナ」と鳴くヒグラシあたりを想像すると
思うがどうだろう。

そこで問題は、このようなことが日本人同志でも起こりうる可能性が今の世、
あるらしい。
それだけ、日本人の生活も変化し、それにつれ、後天的に付与される、習慣も
変化する。
どちらが正しい、間違っているの問題ではない、と思っている。



★★★★4  同じ日本人でも、近しい将来このように分化するのかも

今後、「除夜の鐘」を聞き、これを好ましいとするグループと、同じ
日本人でも「騒音としか認知できない人達」の分化が始まるのかもし
れない。


oldboyくん的には、残念ではあるが、セミの「声」や虫の「音・ネ」を、
聞き取れない「日本人」、あるいは聞こえても「騒音」以外のなにもの
でもない、と感じる「日本人」の存在
には驚く。


いくら説明しても「静けさとセミの音(ね)とが一つの句に同居する感覚
を理解できない「日本人」も、少しずつではあるが増加傾向にあることも
「事実」なのかもしれない。 


しかし、これらの現象(セミの声、虫の音が聞こえない、聞こえても単に
騒音)は、世界的にみればごく普通で、日本人の方が特殊なのだそうだ。
あとわずかに、南洋諸島の幾つか国、島々の人々の中に日本人同様に左脳
の言語野で聞く人々が存在しているらしい。


★★★★★5  してみれば、解決の方法はあるのか?

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(上掲、イラストのお方・カール・グスタフユング)いらすとやさんより

そこで、ここからは、いつものoldboy-elegyくん的解決方法(すこしおおげさ)
を「独断と偏見」をもって提示してみたいと思う。


その根拠はある著名な心理学者の研究を参考にしたものである。
心理学者(カール・グスタフユング、1875~1961)その人である。

多少前後はあるが、「フロイトアドラー」を加えて「心理学者3人衆」
である。
ユング=スイス生まれ フロイトアドラーオーストリー生まれ。
フロイト」などは「夢判断」などで有名だが、現在の心理学者の殆んどは、
この3人の研究、業績を基本とした系譜に属していると言われている。


oldboy-elegyくん、この3人の内、特に「カール・グスタフユング」の言葉
に注目している、と言うより、もともと自分に一番しっくりする「考え・論理
だなと思っている。


ユングは「民族による音や音楽にたいする感じ方の違いは古代から伝わる
神話や伝説、芸術など、人類の心の中で脈々と受け継がれてできたもの
集合的無意識)を土台に、その上に(個人的無意識)が存在し、その
最上部に固有の(意識)が形成されると言う。


個人の心理的要因の源泉に「社会や民族」と言う概念を基本に据え、
人の心を解析した最初の心理学者でもある。


もしあなたが明日にも結婚するとイメージしてください。
あなたと、彼(彼女)は今までの数十年間、全く違う環境で生活して
きたのです。
育った土地と風土を始め、あらゆる環境と経験は違ったものであった
はずです。


それぞれA国、B国としても良いでしょう。

しかし、ひとつ屋根の下に住んだ場合、今まで知らなかった、相手の
言質(げんち)、食事、行動など、になにかしらの「違和感」を感じて
しまうことも多々あるのは普通です。


小さな「異文化」の衝突です。 
あらゆる育ちの環境の違いが、「ユング」の言う、深層に「集合的無意識
として、自分も気がつかない心の形質が育ち、備わっていたはずです。 

ともかく、結婚・同居に於ける大小様々の不都合の発生は2個の「集合的
無意識」が偶然出会い、そこで初めて「意識化」されるものであったのです。

残念ながら、これを是正する方法は、話し合うことしかありません。



★★★★★★6 ユング的理論での解決方法とこれからの展望


上記の事を、今日のテーマ「除夜の鐘」に当てはめ考えるならば、およそ
次のような結論になると思われるがどうだろう。

いえることは、ある個人が不快に感じる「自然音・環境音・騒音)に
出会った場合、個人が既成社会の(集合的無意識)を壊すことは難しいで
しょう。(ユングの言う論理から)


ただし今ある既成社会を形成する大部分の人々は、彼(除夜の鐘は騒音だ)
を文句言いの「怪物モンスター」「不寛容の人達」として対立せずに「実際
そのような人達は存在しているのだ」と認識し、誠意を示し、科学的に説明し、
少しの時間を拝借し(除夜の鐘を楽しみしている多くの人のため)、
緩やかな納得を得る方法しかないと思う


根本から解決はできなくても、「了解・納得」は可能であるはずと思うのだが。
グローバル化・急激な情報化文明は、予想もしなかった新しい文化の概念・
ストレス・衝突を生むことが予想される。

だが一概に嘆いてばかりの一方通行の概念では事は進展しない。
近頃、「日本人」にしか理解が難しいとされる「心象」が様々の形で
外国に発信され始めたように感じる。


例えば、「まんが、アニメ、小説、映画」「日本のさまざまの節季行事・
歴史」など、ユングの言う「古代から伝わる神話・伝説・芸術など、人々
の心の中で脈々と受け継がれてきた集合的無意識」から生まれ、具現化された
「意識や心象風景」が発信されるようになった。


蟲の名、蟲の音を愛でる人達、が日本以外の地に現れてもおかしくない時代
なのである。


ひょっとしたら、外国の地でダンナが虫かごに蟲を飼い「あ~、良い音(ね)
だ」などと愛(め)でだしたら、「なによこの人、変な人」と伴侶にバカに
される場面もアリかもしれない。

「除夜の鐘をうるさい・騒音だ!」と対をなす話でもある。

うなれば、最終、文化の「相互理解・mutual understanding」しか手がない。
ある意味、可笑しくも楽しい世界でもある。

いやはや小難しい世になってきたもんだ、「ノー・ストレス」を、生きる
ことを基本としてきたoldboy-elegyくん、「やれやれ、つかれる」の思いが
本音かも。  
         
               ことしの大晦日                                      
 森閑とした 静寂(しじま)の奥の天空から、「除夜の鐘」が聞こえて
       くるのを期待するが、きっとムリでしょうね。
   
                    

                                                                     
                 oldboy-elegy

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oldboy-elegy (52 ) 今日のお題は 「しけもく」と「コンサイス英和辞書」である。この二つの文言がどう繋がるのか?

★1 はじめに   メモ取り、あれやこれや

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(上掲の画像・フリー素材集・いらすとやさんより)

oldboy-elegy 君、メモ取りを日々習慣にしている。

メモ用紙は100均の商品で、セロハンの閉じ袋に数冊入ったあれである。
なんの脈絡もなく、ただメモった枚数1000枚近くになるはず。

人は、パソコンに整理して保存したらと言う。
昭和も早い時代に生(せい)を受けた彼、毎日パソコン使っているくせに、
もう一つ信用しきれぬ自分がいる。

目の前にゴムバンドで閉じたメモの山が幾つかある。
これを見てこそ、実感があるというもの。

機器はデジタルだが彼、基本、アナログ的マインドでもって生きている。
こればかりはどうしょうもできぬ。

読者諸氏にも、なにが原因か分からぬまま、折角の記事が消えたと嘆いて
おられる方もおられた、クワバラクワバラ。

oldboy-elegy君、これ(メモ)をすることで、認知症発症に抵抗している
つもりでもある。
とくに科学的論拠があるわけでもないが。

子供の頃の、自分の周りの人達の名前に簡単なコメントを添えたり、
中学生坊主が習う、簡単な英語のスペルなどもよく間違える。
その正解を書き留めることもある。

GYAO(ギャオ・無料映画配信サイト)の洋画で、原題と邦題のニュアンス
の違いなど、気に入れば、書き留めておく事もある。

例えば、原名「パーフェクトデイ」が邦題では「ロープ」になるなど、
面白い。

 
もちろん、ブログ記事になりうる、あるいはなったメモも多々ある。


そこで、今日の記事は、これらのメモから取り出したものを記事化した。

彼のブログ、およそ何かを示唆したり、教唆する要素はあまりない。
コーヒーブレイクのための止まり木に身を預け、「クスッ」とか
「アホか
こいつ」と思って頂けたら、それだけで当方「大満足」なのだ。


★★2  今日のタイトル「シケモク」と「コンサイス英和辞書」である。

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(bing無料イラスト画から)

この話に入る前に、少し勉強していただく。
なにも小難しいことでもない。

上掲の灰皿の状態とイラスト画について、oldboy-elegy君の持つ「シケ
モク」
なる概念(おおげさ)をお伝えするだけのこと。

まず、(シケモク)なる言葉をオンライン辞書、(Weblio・ウェブリオ)で
検索した結果
「もく」は「タバコの煙を雲に見立てた、その倒語」「吸い殻」の意。
「補語」として、第二次世界大戦後の闇市時代の造語で「ケチなタバコの意」
と出た。

oldboy君、この結果に少なからず異論があり、カチンときた。
「もく」と「吸い殻」は断じて別物である。
上記の検索の意なら、同じものの扱いである。

まず「もく」だが、「くも」の「倒語」とある。
タバコの煙を吐く様子を「雲・くも」にナゾラエテいるが、そのまま「雲を
吐く」ではなく、「クモ」を「モク」としたとある。

※ 「倒語」音の音節を入れ替えること、この場合「雲・クモ→モク」と。
強調や隠語として使用

oldboy君、これは知らなっかった。

しかし、彼の認識では画像は単に「吸い殻」で、「シケモク」とは言わない。
だがある意図が加わる場合「シケモク」に変貌するのである。

読者諸君、わかっていただけるかな、

そう、それは、この「吸い殻」を「灰皿」から引っ張り出し、少しでも
長いそれを見つけ、再度、火を付け、吸引しょうとしたとき、その「存在
が「吸い殻」から「シケモク」に「名称」までもが変化するのである。

断じて、「吸い殻」と「シケモク」は同じものでは無いことを強調しておく。

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「いらすとや」さんにありました、「ヘーゲル」のイラスト画像
 
★★★3 ヘーゲル様の言う「タバコの吸い殻とシケモクに関する考察?」

ここで「シケモク」からタイトルの文言通り「コンサイス英和辞典」に

入ろうとと思ったのだが、少し脱線気味の話をはさむことにする。
おちろん、oldboy君てきには「当を得た」ものであると思っている。

「吸い殻」と「シケモク」の違いを「ヘーゲル様の言」をお借りして「証明」

をしたくなったのだ。

その昔(1770~1831)ドイツにフリードリッヒ・ヘーゲル(イラスト画像)
なる哲学者がいた。

その彼の「弁証法哲学」に「唯物論」を取り込み、それが「唯物弁証法
に繋がる。
やがて、これに「動的要素」即ち「歴史」加えた
とき「唯物史観」への
人的系譜が出来上がることになる。

唯物史観・または史的唯物論」者の有名なお方が、マルクスだ。
マルクスはこれらの「実践的」思考の集大成として、あの資本論
著すのである。
カール・マルクス 19世紀・哲学者・ドイツ・資本論


マルクス」の生涯の盟友にエンゲルスがいる。

マルクスは、当時進行中の「産業革命」の中心ロンドンに長期滞在し
「資本」の非人間性を目の当たりにして、これを精神的原動力(モチべー
ション)として書き
上げたとも言われている。

わが大学のS教授がよく言われていた言葉がある。
その人の一番の業績の書物を手にするのも良いだろう。
しかしもっと大切なことは、親、兄弟、友人、恋人などとのやり取り
(手紙など)をまとめた書簡文から入り、その人と成りをある程度把握
することから始めることを薦める」と。

なんとも、唯物論の権化みたいな人が、対極にある、世の不条理に
対する義憤を憶える精神性を持ち併せていたのがなんとも興味がわく

一方、「エンゲルス」は、当時の世の非社会性を見て、社会の在り方や
あろうはずの政治形態など、様々の著作・論文でマルクスを助けた。

エンゲルスの著作「反デューリング論」から「抜粋」した「空想から科学へ」
は、当時の、社会主義への入門書的立ち位置で、比較的分かり良く、哲学書
言うより、むしろ一般大衆のための啓蒙書的リーフレット
小刷)である、
oldboy-elegy君、少々オツムが悪かったため、「唯物史観」のイロハは
この小雑誌「空想から科学」を入門書とした」経緯がある。

一説にはマルクスの「資本論」以上に世人に読まれたと言われている。

つまりこの後、良きにつけ悪しきにつけ、世界の経済・政治・文明・文化を
包含した変革の時代への序章であったことは間違いない。

マルクスおじさんが見た、産業革命下の英国。
悲惨な労働者、15才にも満たない子供が、足にザルを結び、大人では入る
事の出来ない細い炭鉱の先の
坑道に入り、残炭を拾い、足首のザルに入れ、
這いずり出てくるのである。(資本の原理と非人間性
もちろん、身体の危険度は高い。

史的唯物論マルクス」の、その著作の原動力は、他でもない、
心の叫びと言う、唯物論」とは対極の「精神的衝動」が源になって
いることは興味深い。

「シケモク」を説明しょうとした時、
「タバコ」に火をつけ「吸い殻」になる過程は
「タバコ」の自己否定
への過程である。
だが「タバコ」の本質ニコチン
入りの紫煙を生成する過程でもある。

背反する概念が「統一」する様子は、弁証法で言う、(止揚・アウフ
へ―ベン)
そのものではないかと、突然、感じ、それを書くため迂回さして
いただいた。
止揚・アウフへ―ベン  「 矛盾」する「対立」要素を「「過程」とし、
その過程を通じて、より発展的に統一されること  by  wikipedia

ここまでにしておく、きりがなくなる。


★★★★4
ここからが、oldboy君のいつものヨタ話で「しけもく」と「コンサイス
英和辞典」とが、からみあう話である。

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彼・oldboy君、大阪は河内で小さな塾の雇われ教師をやっていた。
もちろん、本業ではない、基本は大阪から京都に通う通学生である。
通学時間は往復4時間程度はかかる。

明日、朝一番から、必須教科(統計学)の試験日である。

oldboy-elegy君、こんな折、タバコ一箱(20本)を手みやげ代わりに、
前日から、友人の下宿宅に泊めて頂くのが恒例であった。

その日も、夕方、大学食堂で夕食をすませ、賀茂川は葵橋(あおいばし
近くのA君の下宿に入る。

この付近には、oldboy君、一宿一飯の宿を頼める友人が3人ほどいたが、
この日は、友人Aと、その隣室のB君と俺の3人で、一夜漬けの勉学に励む
つもりの集まりでもある。

明日の科目の試験通過率は半分ぐらいと、もっぱらの噂のD教授の「統計学
である。
3人とも同じ教科を受ける身である。

だれか突出(とっしゅつ)した、出来る奴がいれば良いのだが、似たり
寄ったりのぼんくら頭、足を引っ張ることが出来ても、明日の試験に役だち
そうなヤツはいない

毎年、出題されている問題もある。
統計学」の「相関係数」の概念や、実際の計算もあるのが例年の事らしい。

こんなおり夜中になり、タバコがきれたのである。

とうぜん、てみやげにもってきた、「しんせい」も、とっくの昔、煙と
ともに消え去っていた。

あるのは盆の上に置かれた「どんぶり鉢」に一杯になった「吸い殻」の
山だけである。


どこそこに、終夜営業の「ローソン」や「ファミリーマート」があるわけ
でも無い。

当然、タバコは専売品で、許認可された、いわゆる「たばこ店」でしか購入
できない。
もう少し時間が早ければ、食堂や酒屋で、分けてもらうこともできたのだが。

もちろん、売る側も口銭(ちょっとした利益)を乗せて、店の客にうることは
ご法度である。
買ってきた価格で客へのサービスのため、同額で分けるだけで、もしこれで
利益を取って、販売するなら、専売品違反で、お手てが後ろに回ることもある。

そこで三人の視線の先に同時に絡んだのが、どんぶり鉢一杯の「吸い殻の山」
であるのは当然
の帰結。
つまり「再生」しょうと目を付けたのである。

前段の「ヘーゲルさん」の項で言えば、「吸い殻」を「しけもく」として
復活させようと思いたったのである。

言ってみれば2度目の、「止揚・アウフへーべン」を目論んだのだ。

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ここで再度、灰皿に入った「吸い殻」のイラストを見てほしい。
今の時代の山盛りの灰皿のようすが、昔とは何かが違う。

読者諸氏、「何が、違うか分かるかな?」
そう、イラストの山盛りの「吸い殻」はすべて「フィルター付き」なのだ。

50年むかしの、灰皿の様子では、決してこうはならない。
oldboy君の時代、彼が知っている限りでは、「フィルタータバコ」は高級
タバコの「ハイライト」のみであった。
すなわち、当時なら「両切りタバコ」の「吸い殻」で山盛りになるはず。


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そうこの違いは大きい。
昔の「吸い殻」のほうが、収穫可能な「葉っぱ」の量は、「フィルター」が
ない分、今と比べるなら
圧倒的に有利。

そこで全員3人での「吸い殻」から「シケモク」への再生開始である。
まず小さな糸切りハサミで先の炭化した燃えカスを丁寧に除去。

刻まれた葉っぱ、結構な量になった。


★★★★★5 「しけもく」の葉を巻く最適の紙は、辞書のもの、それも

       「コンサイス英和」が最上級と誰かが言った

oldboy-elegy君、この事実、御存じだったのである。
塾の先輩教師になにかのおり、聞いたことを想い出したが、もちろんこれまで
実行したことはない。

あろうことか、今日の今、このウンチクを述べると同時に、最上級の再生
タバコ巻紙用の「コンサイス」を持っていることも、自慢げに友人の前で
披露したのである。

いつも思うのだが、彼、oldboy-elegy君、あとさき考えず行動して、後に
後悔する、たわけ者なのだ。

使用したページ数は4.5枚で、それも「前書きや、使い方」のページで、本文
ではないはず。

今、こうして思い出すも、再生タバコの味が、どうだったかはいざ知らず、
あの「コンサイス英和辞書」を傷物にしたことに、後悔しきりの心情が湧く。

その後、数回の転居のあと、どこかで、この辞書コンサイス、oldboy-elegy
君の手許から消えていた。

いま、こうして記事を書いているが、つらつら思うに、あの「コンサイス
辞書」紛失したのではなく、きっと自分を傷ものにした薄情な主人から「逃
げ出した」のかも知れない。
いやきっとそうだろう。


そんな俺も今は禁煙中の身である、およそ5年になる。
この間(かん)ちょっとしたはずみと間違いで一呼吸だけ紫煙を吸った
ことがある。


その時の無様な様子を、今日の記事下にリンクしておく、よろしければ一読を。

        それでは今宵もこれにて  でわ でわ 


                了
                               oldboy-elegy
                 

oldboy-elegy.hateblo.jp